■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
アンパンマン強さ議論スレ Part3
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。 天才です(2段) (ワッチョイ 61c2-0RaK):2017/02/13(月) 15:57:39.94 ID:mtDB/jn/0.net
- 前スレ
アンパンマン強さ議論スレ Part.2
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/anichara/1377576885/
アンパンマン強さ議論スレ
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/anichara/1240894358/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured
- 2 :現行ランキング (ワッチョイ 61c2-0RaK):2017/02/13(月) 15:57:47.80 ID:mtDB/jn/0.net
- EX アンパンマン(スターライト)
SS デビルスター
S+ アンパンマン(勇気100倍) ブラックノーズ ゴロンゴラ(陸&海)
S アンパンマン(ドーリィ蘇生) スーパーカビダンダン ジャイアントだだんだん メタルグリンガ バイキンヘンテエネルギーメカ(戦闘形態)
S- ニャニイ(覚醒) アンパンマン(ヤミラの剣およびサンシャイン) アンパンマン(元気300倍) ジャイアントベアリングロボ ムウマ
A+ 元気100倍アンパンマン(りんごぼうや) スーパーダダンダンモグリンスリー ズダダンダン ヨゴスゾウ バイキンシャボンダダンダン 鋼鉄ばいきんまん スーパーダストデーモン チェンジバードロボ スーパーモグリン1号
A 黒雪姫 マジョーラ ブラック大魔王 氷の女王 ブラックココリン 黒バラ女王 化石の魔王 こおりおに(バナナ島) どくむしロボ ガラゴン ジャイアントモグリン 巨大鉄骨ホラーマン
A- ばいきんまん(大魔法) ウッドラー ばいきん大魔王(メコイス) ドロンコ魔王 バイキン大魔王(バイキン星の王) ランプの巨人 砂の魔王 モグリンゆうれい船
B+ ブラックロールパンナ(ロールとローラ) ハロウィンマン 闇の女王
B アンパンマン(元気100倍) ロールパンナ 鉄骨ばいきんまん スーパーモグリン2号
B- バイキン黒騎士 すなおとこ(虹のピラミッド) にじおばけ いわおとこ こおりおに なだれおに くらやみまん
C+ グリンガ 鉄骨ホラーマン 怪傑ナガネギマン あかちゃんまん ファイヤーモグリン
C へどろまん おばけいか ヌラ クータン ゴミラ モグリンガー2号 たぬきおに
C- ベロリだだんだん やみだんだん だだんだん ジャイアントばいきんまん(2000年) おむすびまん ニセパンマン アンパンマン 辛さ100倍カレーパンマン ゴロンゴロ もぐりん
D+ ジャイアントばいきんまん(2008年) 鉄火のマキちゃん 忍者のニャンジャ かつぶしまん
D バイキンUFO バイコング しょくぱんまん カレーパンマン アップルパイアンパンマン かぜこんこん アングリラ アンコラ ストーンマン でかこ母さん ゴールドかまめしどん
D- フランケンロボ もみじ王子 さくらもちねえさん サラダ姫 カエルリュウ
E+ アンパンマン号 しらたき姫 きりふき仙人
E やきそばパンマン ハンバーガーキッド ニガウリマン ザーマス・ボンド ひのたまこぞう ドキンUFO
E- アンパンマン(勇気3倍) かんづめカンたろう メロンパンナ こむすびまん かみなりピカタン
F+ SLマン ばいきんまん(バイキン光線の拳銃) つきのしらたま 栗のかまめしどん
F カップラーメンマン クリームパンダ アリンコキッド ハニー ショウ・ロン・ポー トリオ・デ・グー クリ・キン・トン てんどん母さん カッパのカピー ちゃわんむしまろ しかくおに さんかくまん
F- ばいきんまん(ハンマー) ドーナツマン ちびぞう ちょうちんへいじ アンパンマン(顔が〇〇〇で力が出ないver)
G+ はみがきまん ダテマキマン
G ムシバキンマン たいふうぼうや らーめんてんし みるくぼうや ちくりん だいこんやくしゃ もくちゃん
G- アンパンマン(元気3倍) かぜこぞう ミミ先生 レアチーズ チーズ ドキンちゃん ドーリィ
H+ ばいきんまん てんどんまん カツドンマン かまめしどん キャベツマン りんごぼうや
H いぬのおまわりさん ドリアン王女 ホラーマン ドンキ・ホタテ
H- ジャムおじさん バタコさん カバオ他 かびるんるん べろべろまん やみるんるん
- 3 :現行ランキング (ワッチョイ 61c2-0RaK):2017/02/15(水) 01:33:54.75 ID:yzQirzlG0.net
- 保守
- 4 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ f1c2-/EVJ):2017/02/16(木) 11:09:56.26 ID:T2aOVtGw0.net
- 保守
- 5 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ f1c2-/EVJ):2017/02/17(金) 20:45:55.74 ID:4deiYrtu0.net
- 保守
- 6 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ f1c2-/EVJ):2017/02/19(日) 06:21:55.64 ID:mIgpS2GP0.net
- 保守
- 7 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ f1c2-/EVJ):2017/02/20(月) 15:57:55.63 ID:nc+gevW+0.net
- 保守
- 8 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ f1c2-/EVJ):2017/02/22(水) 01:33:55.66 ID:O6q1hN4R0.net
- 保守
- 9 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 21c2-ioHy):2017/02/23(木) 11:09:55.77 ID:Rn7pbA1K0.net
- 保守
- 10 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 21c2-ioHy):2017/02/24(金) 20:45:55.24 ID:DIk/5Nuk0.net
- 保守
- 11 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 21c2-ioHy):2017/02/26(日) 06:21:57.92 ID:OVZSnQeP0.net
- 保守
- 12 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 21c2-ioHy):2017/02/27(月) 15:57:55.31 ID:Pcq9YJqJ0.net
- 保守
- 13 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ニククエ 17c2-1rpH):2017/03/29(水) 15:57:59.66 ID:vWNoKWAz0NIKU.net
- 保守
- 14 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 1dc2-xWdy):2017/04/28(金) 15:57:13.45 ID:AZQ0egSP0.net
- 保守
- 15 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 5706-UfOS):2017/05/21(日) 01:41:59.21 ID:1P3S0Can0.net
- ミント〜ミント〜
- 16 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ガラプー KK43-TGb0):2017/05/23(火) 03:45:29.49 ID:EncYTKb/K.net
- メロンパンナさん=最強の権力者
- 17 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイW bf09-9zdO):2017/05/26(金) 04:12:23.44 ID:u0wPCaAy0.net
- ずっと言ってるしこれからも未来永劫言い続けたいんだけど、描写的にメコイス大魔王よりバイキン星大魔王の方が確実に強いだろ
格付け貼ってる奴見たことある?w
- 18 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ジグー QQ8b-HuLV):2017/05/27(土) 03:15:37.23 ID:pVS6WswxQ.net
- exにブラックロールパンナ(幽霊船)入れてよ
- 19 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ササクッテロラ Sp8b-8PdT):2017/06/01(木) 11:17:47.32 ID:0Z/5AAM7p.net
- 保守
- 20 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 952c-2YCt):2017/06/13(火) 12:38:00.22 ID:hgsDV4eW0.net
- 餡麺麭拳!!!
- 21 :名無しさん@お腹いっぱい。 (アウアウカー Sa8d-sG75):2017/06/29(木) 05:15:17.18 ID:Ua3Kdn18a.net
- https://www.youtube.com/watch?v=-xl-6ZL4_1w
↑
みんな見て!! アンパンマンのマーチの替え歌が、動画で見られるよ。
- 22 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイWW 6b41-GCae):2017/07/06(木) 02:34:56.16 ID:wZxaHiVB0.net
- バタコさんって硬球を投げたらマッハ数十はいくんだろ。過小評価され過ぎだと思う
- 23 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイW fb5d-CdGf):2017/07/08(土) 23:36:44.92 ID:hDIb/QTO0.net
- バイキンりゅう入れるべきじゃね?
>>22
バタコ以外も投げてることあるだろ
カバオですら投げてた
- 24 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 7781-x/VO):2017/07/11(火) 14:16:00.33 ID:b7z/JODL0.net
- ばいきんまん様!!
- 25 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 7781-x/VO):2017/07/11(火) 14:16:00.82 ID:b7z/JODL0.net
- ばいきんまん様!!
- 26 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/08/10(木) 13:17:56.64 ID:8mQUW6jTa.net
- https://www.youtube.com/watch?v=a9S_SUvdAkI
- 27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 20:58:58.62 ID:zkh4x2iBo
- 今日のテレビ放送で
最強のアンパンチ→スターライトアンパンチ
最強の敵→デビルスター
が確定したね
- 28 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/08/27(日) 15:45:52.26 ID:gok0hB1k0.net
- ヒーローランキングで
最強のアンパンチ→スターライトアンパンチ
最強の敵→デビルスター
が確定したな
- 29 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/08/31(木) 03:03:19.96 ID:R75uk1fs0.net
- バナナ島の氷鬼一つ上で良いと思う
あの再生能力見るに氷の女王や黒雪姫より強いだろ
- 30 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/09/19(火) 22:01:08.56 ID:G4JRSIjX0.net
- sage
- 31 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/09/21(木) 10:38:46.33 ID:jGVBphK30.net
- またか
- 32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/28(火) 22:03:16.04 ID:notQuirgd
- 21
- 33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/22(月) 19:13:50.82 ID:Y3YjZsi1z
- 21
- 34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/05(月) 11:45:40.37 ID:v6nTvAPdw
- 21
- 35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/08(木) 02:28:37.05 ID:T5g8UDKZ8
- 21
- 36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/09(金) 00:53:16.45 ID:z2H1C0P6f
- 21
- 37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/22(木) 02:27:11.29 ID:gXxM4fjG/
- 21
- 38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/26(月) 00:54:02.02 ID:+d1OBPAWb
- 21
- 39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/27(火) 12:25:27.95 ID:9+yorcuFs
- 21
- 40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/02(金) 01:06:34.13 ID:uxyrY2kbZ
- 21
- 41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/03(土) 22:38:12.43 ID:i5gcWtCc4
- 21
- 42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/04(日) 16:56:20.77 ID:A1KvHIf1P
- 21
- 43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/04(日) 16:57:46.13 ID:A1KvHIf1P
- 21
- 44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/04(日) 17:15:45.81 ID:A1KvHIf1P
- 21
- 45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/08(木) 01:16:21.17 ID:VVRThG2qt
- 21
- 46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/08(木) 23:32:01.80 ID:NKrHBF+zZ
- 21
- 47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/09(金) 00:51:54.53 ID:5HV5Tptfz
- 21
- 48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/28(水) 23:50:38.79 ID:6KC40OjDD
- 21
- 49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/08(日) 00:36:01.05 ID:PbUGT78Fc
- 21
- 50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/12(土) 21:51:01.37 ID:15BXJufU5
- 21
- 51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/12(土) 21:51:31.79 ID:15BXJufU5
- 21
- 52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/12(土) 21:51:54.07 ID:15BXJufU5
- 21
- 53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/12(土) 21:52:15.90 ID:15BXJufU5
- 21
- 54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/12(土) 21:52:39.32 ID:15BXJufU5
- 21
- 55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/12(土) 21:53:03.82 ID:15BXJufU5
- 21
- 56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/12(土) 21:53:45.98 ID:15BXJufU5
- 21
- 57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/12(土) 21:54:13.96 ID:15BXJufU5
- 21
- 58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/12(土) 21:54:35.39 ID:15BXJufU5
- 21
- 59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:07:20.70 ID:UYyOLgFAs
- ごらんなさい、私の手の掌は傷だらけぢやありませんか。
- 60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:08:03.61 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:11:40.60 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:12:03.84 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:12:30.77 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:12:58.46 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:13:26.18 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:13:53.86 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:14:23.23 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:14:51.01 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:15:18.84 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:15:49.04 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:16:17.62 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:16:46.03 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:17:14.91 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:17:45.57 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:18:14.19 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:18:41.54 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:19:11.13 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:19:38.25 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:20:04.93 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:20:31.68 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:20:58.90 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:21:25.76 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:21:52.80 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:22:20.00 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:22:47.37 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:23:14.12 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:23:41.00 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:24:07.98 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:24:34.73 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:25:01.49 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:27:24.25 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:27:51.80 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:28:18.48 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:28:45.17 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:29:11.75 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:29:38.36 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 00:30:05.08 ID:UYyOLgFAs
- 21
- 98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/13(日) 20:02:18.87 ID:LMNnNQMKC
- うんこ
- 99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/17(木) 21:12:58.91 ID:G3qNx88it
- ごらんなさい、私の手の掌は傷だらけぢやありませんか。
- 100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/17(木) 21:16:56.91 ID:G3qNx88it
- ごらんなさい、私の手の掌は傷だらけぢやありませんか。
- 101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/17(木) 22:11:20.88 ID:G3qNx88it
- わしは恥しながら白状する。
- 102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/17(木) 23:35:12.76 ID:G3qNx88it
- ごらんなさい、私の手の掌は傷だらけぢやありませんか。
- 103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 10:03:37.82 ID:184f3jJ8y
- 私もいろいろ噂には聞いていたが、まさかそれほどとは思わずにいた。」
- 104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 10:39:38.76 ID:184f3jJ8y
- 「つまりまず賊中の豪なるものでございましょうな。
- 105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 11:15:40.37 ID:184f3jJ8y
- なんでも以前は荒尾但馬守様のお供押しか何かを勤めたことがあるそうで、お屋敷方の案内に明るいのは、そのせいだそうでございます。
- 106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 11:51:41.00 ID:184f3jJ8y
- 引き廻しを見たものの話を聞きますと、でっぷりした、愛嬌のある男だそうで、その時は紺の越後縮の帷子に、下へは白練の単衣を着ていたと申しますが、とんと先生のお書きになるものの中へでも出て来そうじゃございませんか。」
- 107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 12:27:42.44 ID:184f3jJ8y
- 馬琴は生返事をしながら、また一服吸いつけた。
- 108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 13:03:43.44 ID:184f3jJ8y
- が、市兵衛はもとより、生返事くらいに驚くような男ではない。
- 109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 13:39:45.03 ID:184f3jJ8y
- 「いかがでございましょう。
- 110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 14:15:45.99 ID:184f3jJ8y
- そこで金瓶梅の方へ、この次郎太夫を持ちこんで、御執筆を願うようなわけには参りますまいか。
- 111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 14:51:48.03 ID:184f3jJ8y
- それはもう手前も、お忙しいのは重々承知いたしております。
- 112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 15:27:48.74 ID:184f3jJ8y
- が、そこをどうかまげて、一つ御承諾を。」
- 113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 16:03:50.21 ID:184f3jJ8y
- 鼠小僧はここに至って、たちまちまた元の原稿の催促へ舞い戻った。
- 114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 16:39:51.02 ID:184f3jJ8y
- が、この慣用手段に慣れている馬琴は依然として承知しない。
- 115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 17:15:52.60 ID:184f3jJ8y
- のみならず、彼は前よりもいっそう機嫌が悪くなった。
- 116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 17:51:53.36 ID:184f3jJ8y
- これは一時でも市兵衛の計に乗って、幾分の好奇心を動かしたのが、彼自身ばかばかしくなったからである。
- 117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 18:27:54.78 ID:184f3jJ8y
- 彼はまずそうに煙草を吸いながら、とうとうこんな理窟を言い出した。
- 118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 19:03:55.29 ID:184f3jJ8y
- 「第一私がむりに書いたって、どうせろくなものは出来やしない。
- 119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 19:39:57.02 ID:184f3jJ8y
- それじゃ売れ行きにかかわるのは言うまでもないことなのだから、貴公の方だってつまらなかろう。
- 120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 20:15:58.22 ID:184f3jJ8y
- してみると、これは私の無理を通させる方が、結局両方のためになるだろうと思うが。」
- 121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 20:52:00.31 ID:184f3jJ8y
- 「でございましょうが、そこを一つ御奮発願いたいので。
- 122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 21:28:04.43 ID:184f3jJ8y
- いかがなものでございましょう。」
- 123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 22:04:06.07 ID:184f3jJ8y
- 市兵衛は、こう言いながら、視線で彼の顔を「撫で廻した。」
- 124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 22:40:07.56 ID:184f3jJ8y
- (これは馬琴が和泉屋のある眼つきを形容した語である。)
- 125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 23:16:09.25 ID:184f3jJ8y
- そうして、煙草の煙をとぎれとぎれに鼻から出した。
- 126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 23:52:10.01 ID:184f3jJ8y
- 「とても、書けないね。
- 127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 00:28:11.72 ID:nUHkIpVRx
- 書きたくも、暇がないんだから、しかたがない。」
- 128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 01:04:12.96 ID:nUHkIpVRx
- 「それは手前、困却いたしますな。」
- 129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 01:40:15.35 ID:nUHkIpVRx
- と言ったが、今度は突然、当時の作者仲間のことを話し出した。
- 130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 02:16:16.85 ID:nUHkIpVRx
- やっぱり細い銀の煙管を、うすい唇の間にくわえながら。
- 131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 02:52:18.65 ID:nUHkIpVRx
- 「また種彦の何か新版物が、出るそうでございますな。
- 132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 03:28:19.81 ID:nUHkIpVRx
- いずれ優美第一の、哀れっぽいものでございましょう。
- 133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 04:04:21.80 ID:nUHkIpVRx
- あの仁の書くものは、種彦でなくては書けないというところがあるようで。」
- 134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 04:40:22.81 ID:nUHkIpVRx
- 市兵衛は、どういう気か、すべて作者の名前を呼びすてにする習慣がある。
- 135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 05:16:24.59 ID:nUHkIpVRx
- 馬琴はそれを聞くたびに、自分もまた蔭では「馬琴が」
- 136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 05:52:25.75 ID:nUHkIpVRx
- と言われることだろうと思った。
- 137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 06:28:27.34 ID:nUHkIpVRx
- この軽薄な、作者を自家の職人だと心得ている男の口から、呼びすてにされてまでも、原稿を書いてやる必要がどこにある?――
- 138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 07:04:28.38 ID:nUHkIpVRx
- 癇のたかぶった時々には、こう思って腹を立てたことも、稀ではない。
- 139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 07:40:30.20 ID:nUHkIpVRx
- 今日も彼は種彦という名を耳にすると、苦い顔をいよいよ苦くせずにはいられなかった。
- 140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 08:16:31.34 ID:nUHkIpVRx
- が、市兵衛には、少しもそんなことは気にならないらしい。
- 141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 08:52:33.39 ID:nUHkIpVRx
- 「それから手前どもでも、春水を出そうかと存じております。
- 142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 09:28:34.13 ID:nUHkIpVRx
- 先生はお嫌いでございますが、やはり俗物にはあの辺が向きますようでございますな。」
- 143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 10:04:35.50 ID:nUHkIpVRx
- 「ははあ、さようかね。」
- 144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 10:40:37.08 ID:nUHkIpVRx
- 馬琴の記憶には、いつか見かけたことのある春水の顔が、卑しく誇張されて浮んで来た。
- 145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 11:16:38.75 ID:nUHkIpVRx
- お客さまのお望みに従って、艶物を書いてお目にかける手間取りだ。」――
- 146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 11:52:39.53 ID:nUHkIpVRx
- こう春水が称しているという噂は、馬琴もつとに聞いていたところである。
- 147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 12:28:41.21 ID:nUHkIpVRx
- だから、もちろん彼はこの作者らしくない作者を、心の底から軽蔑していた。
- 148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 13:04:41.75 ID:nUHkIpVRx
- が、それにもかかわらず、今市兵衛が呼びすてにするのを聞くと、依然として不快の情を禁ずることが出来ない。
- 149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 13:40:43.88 ID:nUHkIpVRx
- 「ともかくあれで、艶っぽいことにかけては、たっしゃなものでございますからな。
- 150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 14:16:44.82 ID:nUHkIpVRx
- それに名代の健筆で。」
- 151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 14:52:46.25 ID:nUHkIpVRx
- こう言いながら、市兵衛はちょいと馬琴の顔を見て、それからまたすぐに口にくわえている銀の煙管へ眼をやった。
- 152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 15:28:46.99 ID:nUHkIpVRx
- そのとっさの表情には、おそるべく下等な何者かがある。
- 153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 16:04:48.57 ID:nUHkIpVRx
- 少なくとも、馬琴はそう感じた。
- 154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 16:40:49.81 ID:nUHkIpVRx
- 「あれだけのものを書きますのに、すらすら筆が走りつづけて、二三回分くらいなら、紙からはなれないそうでございます。
- 155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 17:16:51.42 ID:nUHkIpVRx
- ときに先生なぞは、やはりお早い方でございますか。」
- 156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 17:52:52.03 ID:nUHkIpVRx
- 馬琴は不快を感じるとともに、脅かされるような心もちになった。
- 157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 18:28:53.53 ID:nUHkIpVRx
- 彼の筆の早さを春水や種彦のそれと比較されるということは、自尊心の旺盛な彼にとって、もちろん好ましいことではない。
- 158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 19:04:54.13 ID:nUHkIpVRx
- しかも彼は遅筆の方である。
- 159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 19:40:55.80 ID:nUHkIpVRx
- 彼はそれが自分の無能力に裏書きをするように思われて、寂しくなったこともよくあった。
- 160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 20:16:56.83 ID:nUHkIpVRx
- が、一方またそれが自分の芸術的良心を計る物差しとして、尊みたいと思ったこともたびたびある。
- 161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 20:52:58.80 ID:nUHkIpVRx
- ただ、それを俗人の穿鑿にまかせるのは、彼がどんな心もちでいようとも、断じて許そうとは思わない。
- 162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 21:28:59.96 ID:nUHkIpVRx
- そこで彼は、眼を床の紅楓黄菊の方へやりながら、吐き出すようにこう言った。
- 163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 22:05:02.22 ID:nUHkIpVRx
- 早い時もあれば、また遅い時もある。」
- 164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 22:41:03.69 ID:nUHkIpVRx
- 「ははあ、時と場合でね。
- 165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 23:17:07.05 ID:nUHkIpVRx
- 市兵衛は三度感服した。
- 166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 23:53:08.25 ID:nUHkIpVRx
- が、これが感服それ自身におわる感服でないことは、言うまでもない。
- 167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 00:29:10.08 ID:vzIgomIjo
- 彼はこのあとで、すぐにまた、切りこんだ。
- 168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 01:05:11.06 ID:vzIgomIjo
- 「でございますが、たびたび申し上げた原稿の方は、一つ御承諾くださいませんでしょうか。
- 169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 01:41:12.79 ID:vzIgomIjo
- 「私と為永さんとは違う。」
- 170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 02:17:13.36 ID:vzIgomIjo
- 馬琴は腹を立てると、下唇を左の方へまげる癖がある。
- 171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 02:53:14.86 ID:vzIgomIjo
- この時、それが恐ろしい勢いで左へまがった。
- 172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 03:29:16.04 ID:vzIgomIjo
- 「まあ私は御免をこうむろう。――
- 173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 04:05:17.78 ID:vzIgomIjo
- 杉、杉、和泉屋さんのお履物を直して置いたか。」
- 174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 04:41:19.24 ID:vzIgomIjo
- 和泉屋市兵衛を逐い帰すと、馬琴は独り縁側の柱へよりかかって、狭い庭の景色を眺めながら、まだおさまらない腹の虫を、むりにおさめようとして、骨を折った。
- 175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 05:17:20.65 ID:vzIgomIjo
- 日の光をいっぱいに浴びた庭先には、葉の裂けた芭蕉や、坊主になりかかった梧桐が、槇や竹の緑といっしょになって、暖かく何坪かの秋を領している。
- 176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 05:53:21.84 ID:vzIgomIjo
- こっちの手水鉢の側にある芙蓉は、もう花が疎になったが、向うの、袖垣の外に植えた木犀は、まだその甘い匂いが衰えない。
- 177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 06:29:23.69 ID:vzIgomIjo
- そこへ例の鳶の声がはるかな青空の向うから、時々笛を吹くように落ちて来た。
- 178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 07:05:24.85 ID:vzIgomIjo
- 彼は、この自然と対照させて、今さらのように世間の下等さを思い出した。
- 179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 07:41:27.01 ID:vzIgomIjo
- 下等な世間に住む人間の不幸は、その下等さに煩わされて、自分もまた下等な言動を余儀なくさせられるところにある。
- 180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 08:17:27.83 ID:vzIgomIjo
- 現に今自分は、和泉屋市兵衛を逐い払った。
- 181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 08:53:29.67 ID:vzIgomIjo
- 逐い払うということは、もちろん高等なことでもなんでもない。
- 182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 09:29:30.52 ID:vzIgomIjo
- が、自分は相手の下等さによって、自分もまたその下等なことを、しなくてはならないところまで押しつめられたのである。
- 183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 10:05:32.20 ID:vzIgomIjo
- したという意味は市兵衛と同じ程度まで、自分を卑しくしたというのにほかならない。
- 184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 10:36:47.98 ID:vzIgomIjo
- つまり自分は、それだけ堕落させられたわけである。
- 185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 11:06:49.72 ID:vzIgomIjo
- ここまで考えた時に、彼はそれと同じような出来事を、近い過去の記憶に発見した。
- 186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 11:36:50.72 ID:vzIgomIjo
- それは去年の春、彼のところへ弟子入りをしたいと言って手紙をよこした、相州朽木上新田とかの長島政兵衛という男である。
- 187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 12:06:52.36 ID:vzIgomIjo
- この男はその手紙によると、二十一の年に聾になって以来、二十四の今日まで文筆をもって天下に知られたいという決心で、もっぱら読本の著作に精を出した。
- 188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 12:36:53.77 ID:vzIgomIjo
- 八犬伝や巡島記の愛読者であることは言うまでもない。
- 189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 13:06:55.47 ID:vzIgomIjo
- ついてはこういう田舎にいては、何かと修業の妨げになる。
- 190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 13:36:56.83 ID:vzIgomIjo
- だから、あなたのところへ、食客に置いて貰うわけには行くまいか。
- 191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 14:06:58.82 ID:vzIgomIjo
- それからまた、自分は六冊物の読本の原稿を持っている。
- 192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 14:36:59.45 ID:vzIgomIjo
- これもあなたの筆削を受けて、しかるべき本屋から出版したい。――
- 193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 15:07:01.09 ID:vzIgomIjo
- 大体こんなことを書いてよこした。
- 194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 15:37:01.82 ID:vzIgomIjo
- 向うの要求は、もちろんみな馬琴にとって、あまりに虫のいいことばかりである。
- 195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 16:07:03.40 ID:vzIgomIjo
- が、耳の遠いということが、眼の悪いのを苦にしている彼にとって、幾分の同情をつなぐ楔子になったのであろう。
- 196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 16:37:04.55 ID:vzIgomIjo
- せっかくだが御依頼通りになりかねるという彼の返事は、むしろ彼としては、鄭重を極めていた。
- 197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 17:07:06.33 ID:vzIgomIjo
- すると、折り返して来た手紙には、始めからしまいまで猛烈な非難の文句のほかに、何一つ書いてない。
- 198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 17:37:07.77 ID:vzIgomIjo
- 自分はあなたの八犬伝といい、巡島記といい、あんな長たらしい、拙劣な読本を根気よく読んであげたが、あなたは私のたった六冊物の読本に眼を通すのさえ拒まれた。
- 199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 18:07:09.25 ID:vzIgomIjo
- もってあなたの人格の下等さがわかるではないか。――
- 200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 18:37:09.83 ID:vzIgomIjo
- 手紙はこういう文句ではじまって、先輩として後輩を食客に置かないのは、鄙吝のなすところだという攻撃で、わずかに局を結んでいる。
- 201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 19:07:11.38 ID:vzIgomIjo
- 馬琴は腹が立ったから、すぐに返事を書いた。
- 202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 19:37:12.75 ID:vzIgomIjo
- そうしてその中に、自分の読本が貴公のような軽薄児に読まれるのは、一生の恥辱だという文句を入れた。
- 203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 20:07:14.71 ID:vzIgomIjo
- その後杳として消息を聞かないが、彼はまだ今まで、読本の稿を起しているだろうか。
- 204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 20:37:15.80 ID:vzIgomIjo
- そうしてそれがいつか日本中の人間に読まれることを、夢想しているだろうか。…………
- 205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 21:07:17.84 ID:vzIgomIjo
- 馬琴はこの記憶の中に、長島政兵衛なるものに対する情けなさと、彼自身に対する情けなさとを同時に感ぜざるを得なかった。
- 206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 21:37:18.84 ID:vzIgomIjo
- そうしてそれはまた彼を、言いようのない寂しさに導いた。
- 207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 22:07:20.41 ID:vzIgomIjo
- が、日は無心に木犀の匂いを融かしている。
- 208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 22:37:21.26 ID:vzIgomIjo
- 芭蕉や梧桐も、ひっそりとして葉を動かさない。
- 209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 23:07:22.69 ID:vzIgomIjo
- 鳶の声さえ以前の通り朗かである。
- 210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 23:37:23.60 ID:vzIgomIjo
- この自然とあの人間と――
- 211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 00:07:25.29 ID:rSRskfm5a
- 十分の後、下女の杉が昼飯の支度の出来たことを知らせに来た時まで、彼はまるで夢でも見ているように、ぼんやり縁側の柱に倚りつづけていた。
- 212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 00:37:25.88 ID:rSRskfm5a
- 独りで寂しい昼飯をすませた彼は、ようやく書斎へひきとると、なんとなく落ち着きがない、不快な心もちを鎮めるために、久しぶりで水滸伝を開いて見た。
- 213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 01:07:27.56 ID:rSRskfm5a
- 偶然開いたところは豹子頭林冲が、風雪の夜に山神廟で、草秣場の焼けるのを望見する件である。
- 214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 01:37:29.28 ID:rSRskfm5a
- 彼はその戯曲的な場景に、いつもの感興を催すことが出来た。
- 215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 02:07:30.96 ID:rSRskfm5a
- が、それがあるところまで続くとかえって妙に不安になった。
- 216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 02:37:31.63 ID:rSRskfm5a
- 仏参に行った家族のものは、まだ帰って来ない。
- 217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 03:07:33.61 ID:rSRskfm5a
- うちの中は森としている。
- 218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 03:46:34.72 ID:rSRskfm5a
- 彼は陰気な顔を片づけて、水滸伝を前にしながら、うまくもない煙草を吸った。
- 219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 04:16:36.55 ID:rSRskfm5a
- そうしてその煙の中に、ふだんから頭の中に持っている、ある疑問を髣髴した。
- 220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 04:46:37.79 ID:rSRskfm5a
- それは、道徳家としての彼と芸術家としての彼との間に、いつも纏綿する疑問である。
- 221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 05:16:39.21 ID:rSRskfm5a
- 彼は昔から「先王の道」
- 222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 05:46:39.86 ID:rSRskfm5a
- 彼の小説は彼自身公言したごとく、まさに「先王の道」
- 223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 06:16:41.91 ID:rSRskfm5a
- だから、そこに矛盾はない。
- 224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 06:46:42.78 ID:rSRskfm5a
- が芸術に与える価値と、彼の心情が芸術に与えようとする価値との間には、存外大きな懸隔がある。
- 225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 07:16:44.72 ID:rSRskfm5a
- 従って彼のうちにある、道徳家が前者を肯定するとともに、彼の中にある芸術家は当然また後者を肯定した。
- 226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 07:46:45.59 ID:rSRskfm5a
- もちろんこの矛盾を切り抜ける安価な妥協的思想もないことはない。
- 227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 08:16:47.62 ID:rSRskfm5a
- 実際彼は公衆に向ってこの煮え切らない調和説の背後に、彼の芸術に対する曖昧な態度を隠そうとしたこともある。
- 228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 08:46:48.14 ID:rSRskfm5a
- しかし公衆は欺かれても、彼自身は欺かれない。
- 229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 09:16:49.42 ID:rSRskfm5a
- 彼は戯作の価値を否定して「勧懲の具」
- 230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 09:36:50.05 ID:rSRskfm5a
- と称しながら、常に彼のうちに磅する芸術的感興に遭遇すると、たちまち不安を感じ出した。――
- 231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 09:56:50.63 ID:rSRskfm5a
- 水滸伝の一節が、たまたま彼の気分の上に、予想外の結果を及ぼしたのにも、実はこんな理由があったのである。
- 232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 10:16:52.61 ID:rSRskfm5a
- この点において、思想的に臆病だった馬琴は、黙然として煙草をふかしながら、強いて思量を、留守にしている家族の方へ押し流そうとした。
- 233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 10:36:53.89 ID:rSRskfm5a
- が、彼の前には水滸伝がある。
- 234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 10:56:54.88 ID:rSRskfm5a
- 不安はそれを中心にして、容易に念頭を離れない。
- 235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 11:16:56.33 ID:rSRskfm5a
- そこへ折よく久しぶりで、崋山渡辺登が尋ねて来た。
- 236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 11:36:57.50 ID:rSRskfm5a
- 袴羽織に紫の風呂敷包みを小脇にしているところでは、これはおおかた借りていた書物でも返しに来たのであろう。
- 237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 11:56:58.02 ID:rSRskfm5a
- 馬琴は喜んで、この親友をわざわざ玄関まで、迎えに出た。
- 238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 12:16:59.58 ID:rSRskfm5a
- 「今日は拝借した書物を御返却かたがた、お目にかけたいものがあって、参上しました。」
- 239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 12:37:00.10 ID:rSRskfm5a
- 崋山は書斎に通ると、はたしてこう言った。
- 240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 12:57:00.76 ID:rSRskfm5a
- 見れば風呂敷包みのほかにも紙に巻いた絵絹らしいものを持っている。
- 241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 13:17:02.90 ID:rSRskfm5a
- 「お暇なら一つ御覧を願いましょうかな。」
- 242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 13:37:03.86 ID:rSRskfm5a
- 「おお、さっそく、拝見しましょう。」
- 243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 13:57:04.50 ID:rSRskfm5a
- 崋山はある興奮に似た感情を隠すように、ややわざとらしく微笑しながら、紙の中の絵絹をひらいて見せた。
- 244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 14:17:06.51 ID:rSRskfm5a
- 絵は蕭索とした裸の樹を、遠近と疎に描いて、その中に掌をうって談笑する二人の男を立たせている。
- 245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 14:37:07.32 ID:rSRskfm5a
- 林間に散っている黄葉と、林梢に群がっている乱鴉と、――
- 246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 14:57:08.06 ID:rSRskfm5a
- 画面のどこを眺めても、うそ寒い秋の気が動いていないところはない。
- 247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 15:17:10.02 ID:rSRskfm5a
- 馬琴の眼は、この淡彩の寒山拾得に落ちると、次第にやさしい潤いを帯びて輝き出した。
- 248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 15:37:10.95 ID:rSRskfm5a
- 「いつもながら、結構なお出来ですな。
- 249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 15:57:11.66 ID:rSRskfm5a
- 私は王摩詰を思い出します。
- 250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 16:17:13.55 ID:rSRskfm5a
- 食随二鳴磬一巣烏下、行踏二空林一落葉声というところでしょう。」
- 251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 16:37:14.53 ID:rSRskfm5a
- 「これは昨日描き上げたのですが、私には気に入ったから、御老人さえよければ差し上げようと思って持って来ました。」
- 252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 16:57:15.31 ID:rSRskfm5a
- 崋山は、鬚の痕の青い顋を撫でながら、満足そうにこう言った。
- 253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 17:17:17.19 ID:rSRskfm5a
- 「もちろん気に入ったと言っても、今まで描いたもののうちではというくらいなところですが――
- 254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 17:37:17.73 ID:rSRskfm5a
- とても思う通りには、いつになっても、描けはしません。」
- 255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 17:57:18.39 ID:rSRskfm5a
- いつも頂戴ばかりしていて恐縮ですが。」
- 256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 18:17:19.86 ID:rSRskfm5a
- 馬琴は、絵を眺めながら、つぶやくように礼を言った。
- 257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 18:37:20.41 ID:rSRskfm5a
- 未完成のままになっている彼の仕事のことが、この時彼の心の底に、なぜかふとひらめいたからである。
- 258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 18:57:21.06 ID:rSRskfm5a
- が、崋山は崋山で、やはり彼の絵のことを考えつづけているらしい。
- 259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 19:17:22.62 ID:rSRskfm5a
- 「古人の絵を見るたびに、私はいつもどうしてこう描けるだろうと思いますな。
- 260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 19:37:26.17 ID:rSRskfm5a
- 木でも石でも人物でも、皆その木なり石なり人物なりになり切って、しかもその中に描いた古人の心もちが、悠々として生きている。
- 261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 19:57:27.04 ID:rSRskfm5a
- あれだけは実に大したものです。
- 262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 20:17:28.58 ID:rSRskfm5a
- まだ私などは、そこへ行くと、子供ほどにも出来ていません。」
- 263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 20:37:29.39 ID:rSRskfm5a
- 「古人は後生恐るべしと言いましたがな。」
- 264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 20:57:30.10 ID:rSRskfm5a
- 馬琴は崋山が自分の絵のことばかり考えているのを、妬ましいような心もちで眺めながら、いつになくこんな諧謔を弄した。
- 265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 21:17:32.45 ID:rSRskfm5a
- 「それは後生も恐ろしい。
- 266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 21:37:33.49 ID:rSRskfm5a
- だから私どもはただ、古人と後生との間にはさまって、身動きもならずに、押され押され進むのです。
- 267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 21:57:34.40 ID:rSRskfm5a
- もっともこれは私どもばかりではありますまい。
- 268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 22:17:36.02 ID:rSRskfm5a
- 古人もそうだったし、後生もそうでしょう。」
- 269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 22:37:37.03 ID:rSRskfm5a
- 「いかにも進まなければ、すぐに押し倒される。
- 270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 22:57:38.01 ID:rSRskfm5a
- するとまず一足でも進む工夫が、肝腎らしいようですな。」
- 271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 23:17:39.67 ID:rSRskfm5a
- 「さよう、それが何よりも肝腎です。」
- 272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 23:37:40.74 ID:rSRskfm5a
- 主人と客とは、彼ら自身の語に動かされて、しばらくの間口をとざした。
- 273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/21(月) 23:57:41.42 ID:rSRskfm5a
- そうして二人とも、秋の日の静かな物音に耳をすませた。
- 274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 00:17:43.30 ID:bp3aTgtEu
- 「八犬伝は相変らず、捗がお行きですか。」
- 275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 00:37:43.99 ID:bp3aTgtEu
- やがて、崋山が話題を別な方面に開いた。
- 276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 00:57:45.10 ID:bp3aTgtEu
- 「いや、一向はかどらんでしかたがありません。
- 277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 01:17:46.72 ID:bp3aTgtEu
- これも古人には及ばないようです。」
- 278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 01:37:48.09 ID:bp3aTgtEu
- 「御老人がそんなことを言っては、困りますな。」
- 279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 01:57:48.81 ID:bp3aTgtEu
- 「困るのなら、私の方が誰よりも困っています。
- 280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 02:17:50.74 ID:bp3aTgtEu
- しかしどうしても、これで行けるところまで行くよりほかはない。
- 281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 02:37:51.34 ID:bp3aTgtEu
- そう思って、私はこのごろ八犬伝と討死の覚悟をしました。」
- 282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 02:57:52.25 ID:bp3aTgtEu
- こう言って、馬琴は自ら恥ずるもののように、苦笑した。
- 283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 03:17:54.09 ID:bp3aTgtEu
- 「たかが戯作だと思っても、そうはいかないことが多いのでね。」
- 284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 03:37:55.25 ID:bp3aTgtEu
- 「それは私の絵でも同じことです。
- 285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 03:57:56.07 ID:bp3aTgtEu
- どうせやり出したからには、私も行けるところまでは行き切りたいと思っています。」
- 286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 04:17:58.00 ID:bp3aTgtEu
- 「お互いに討死ですかな。」
- 287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 04:37:58.86 ID:bp3aTgtEu
- 二人は声を立てて、笑った。
- 288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 04:58:00.06 ID:bp3aTgtEu
- が、その笑い声の中には、二人だけにしかわからないある寂しさが流れている。
- 289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 05:18:01.93 ID:bp3aTgtEu
- と同時にまた、主人と客とは、ひとしくこの寂しさから、一種の力強い興奮を感じた。
- 290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 05:38:03.16 ID:bp3aTgtEu
- 「しかし絵の方は羨ましいようですな。
- 291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 05:58:03.90 ID:bp3aTgtEu
- 公儀のお咎めを受けるなどということがないのはなによりも結構です。」
- 292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 06:18:06.08 ID:bp3aTgtEu
- 今度は馬琴が、話頭を一転した。
- 293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 06:38:06.74 ID:bp3aTgtEu
- 御老人の書かれるものも、そういう心配はありますまい。」
- 294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 06:58:07.30 ID:bp3aTgtEu
- 「いや、大いにありますよ。」
- 295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 07:18:08.88 ID:bp3aTgtEu
- 馬琴は改名主の図書検閲が、陋を極めている例として、自作の小説の一節が役人が賄賂をとる箇条のあったために、改作を命ぜられた事実を挙げた。
- 296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 07:38:10.09 ID:bp3aTgtEu
- そうして、それにこんな批評をつけ加えた。
- 297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 07:58:11.01 ID:bp3aTgtEu
- 「改名主などいうものは、咎め立てをすればするほど、尻尾の出るのがおもしろいじゃありませんか。
- 298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 08:18:13.06 ID:bp3aTgtEu
- 自分たちが賄賂をとるものだから、賄賂のことを書かれると、嫌がって改作させる。
- 299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 08:38:13.67 ID:bp3aTgtEu
- また自分たちが猥雑な心もちにとらわれやすいものだから、男女の情さえ書いてあれば、どんな書物でも、すぐ誨淫の書にしてしまう。
- 300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 08:58:14.75 ID:bp3aTgtEu
- それで自分たちの道徳心が、作者より高い気でいるから、傍痛い次第です。
- 301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 09:18:16.56 ID:bp3aTgtEu
- 言わばあれは、猿が鏡を見て、歯をむき出しているようなものでしょう。
- 302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 09:38:17.27 ID:bp3aTgtEu
- 自分で自分の下等なのに腹を立てているのですからな。」
- 303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 09:58:18.35 ID:bp3aTgtEu
- 崋山は馬琴の比喩があまり熱心なので、思わず失笑しながら、
- 304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 10:18:20.37 ID:bp3aTgtEu
- 「それは大きにそういうところもありましょう。
- 305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 10:38:21.51 ID:bp3aTgtEu
- しかし改作させられても、それは御老人の恥辱になるわけではありますまい。
- 306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 10:58:22.19 ID:bp3aTgtEu
- 改名主などがなんと言おうとも、立派な著述なら、必ずそれだけのことはあるはずです。」
- 307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 11:13:22.99 ID:bp3aTgtEu
- 「それにしても、ちと横暴すぎることが多いのでね。
- 308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 11:28:24.55 ID:bp3aTgtEu
- そうそう一度などは獄屋へ衣食を送る件を書いたので、やはり五六行削られたことがありました。」
- 309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 11:43:25.20 ID:bp3aTgtEu
- 馬琴自身もこう言いながら、崋山といっしょに、くすくす笑い出した。
- 310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 11:58:26.48 ID:bp3aTgtEu
- 「しかしこの後五十年か百年たったら、改名主の方はいなくなって、八犬伝だけが残ることになりましょう。」
- 311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 12:13:27.13 ID:bp3aTgtEu
- 「八犬伝が残るにしろ、残らないにしろ、改名主の方は、存外いつまでもいそうな気がしますよ。」
- 312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 12:28:28.43 ID:bp3aTgtEu
- 私にはそうも思われませんが。」
- 313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 12:43:29.24 ID:bp3aTgtEu
- 「いや、改名主はいなくなっても、改名主のような人間は、いつの世にも絶えたことはありません。
- 314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 12:58:30.02 ID:bp3aTgtEu
- 焚書坑儒が昔だけあったと思うと、大きに違います。」
- 315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 13:13:30.65 ID:bp3aTgtEu
- 「御老人は、このごろ心細いことばかり言われますな。」
- 316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 13:28:32.49 ID:bp3aTgtEu
- 「私が心細いのではない。
- 317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 13:43:34.02 ID:bp3aTgtEu
- 改名主どものはびこる世の中が、心細いのです。」
- 318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 13:58:35.51 ID:bp3aTgtEu
- 「では、ますます働かれたらいいでしょう。」
- 319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 14:13:36.23 ID:bp3aTgtEu
- 「とにかく、それよりほかはないようですな。」
- 320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 14:28:37.85 ID:bp3aTgtEu
- 「そこでまた、御同様に討死ですか。」
- 321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 14:43:39.00 ID:bp3aTgtEu
- 今度は二人とも笑わなかった。
- 322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 14:58:40.33 ID:bp3aTgtEu
- 笑わなかったばかりではない。
- 323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 15:13:40.89 ID:bp3aTgtEu
- 馬琴はちょいと顔をかたくして、崋山を見た。
- 324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 15:28:43.14 ID:bp3aTgtEu
- それほど崋山のこの冗談のような語には、妙な鋭さがあったのである。
- 325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 15:43:44.26 ID:bp3aTgtEu
- 「しかしまず若い者は、生きのこる分別をすることです。
- 326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 15:58:44.84 ID:bp3aTgtEu
- 討死はいつでも出来ますからな。」
- 327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 16:13:45.52 ID:bp3aTgtEu
- ほどを経て、馬琴がこう言った。
- 328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 16:28:47.15 ID:bp3aTgtEu
- 崋山の政治上の意見を知っている彼には、この時ふと一種の不安が感ぜられたからであろう。
- 329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 16:43:49.27 ID:bp3aTgtEu
- が、崋山は微笑したぎり、それには答えようともしなかった。
- 330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 16:58:50.00 ID:bp3aTgtEu
- 崋山が帰ったあとで、馬琴はまだ残っている興奮を力に、八犬伝の稿をつぐべく、いつものように机へ向った。
- 331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 17:13:50.56 ID:bp3aTgtEu
- 先を書きつづける前に、昨日書いたところを一通り読み返すのが、彼の昔からの習慣である。
- 332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 17:28:52.44 ID:bp3aTgtEu
- そこで彼は今日も、細い行の間へべた一面に朱を入れた、何枚かの原稿を、気をつけてゆっくり読み返した。
- 333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 17:43:53.15 ID:bp3aTgtEu
- すると、なぜか書いてあることが、自分の心もちとぴったり来ない。
- 334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 17:58:54.21 ID:bp3aTgtEu
- 字と字との間に、不純な雑音が潜んでいて、それが全体の調和を至るところで破っている。
- 335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 18:59:54.68 ID:bp3aTgtEu
- 字と字との間に、不純な雑音が潜んでいて、それが全体の調和を至るところで破っている。
- 336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 19:14:55.55 ID:bp3aTgtEu
- 彼は最初それを、彼の癇がたかぶっているからだと解釈した。
- 337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 19:32:17.84 ID:bp3aTgtEu
- ごらんなさい、私の手の掌は傷だらけぢやありませんか。
- 338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 19:47:18.79 ID:bp3aTgtEu
- さうすれば屹度癒るわ。」
- 339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 20:02:20.59 ID:bp3aTgtEu
- 彼女は冷い手の掌を代り/″\わしの口に当てた。
- 340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 20:17:21.37 ID:bp3aTgtEu
- わしは何度となくそれを接吻した。
- 341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 20:32:21.99 ID:bp3aTgtEu
- 其間も彼女は、溢るゝ許りの愛情の微笑をもらして、わしをぢつと見戍つてゐるのである。
- 342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 20:47:22.70 ID:bp3aTgtEu
- わしは恥しながら白状する。
- 343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 21:02:25.09 ID:bp3aTgtEu
- 此時わしは僧院長セラピオンの忠告もわしの服してゐる神聖な職務も悉く忘れてしまつた。
- 344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 21:17:26.17 ID:bp3aTgtEu
- わしは何の抵抗もせずに、一撃されて堕落に陥つてしまつたのである。
- 345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 21:32:27.03 ID:bp3aTgtEu
- クラリモンドの皮膚の新たな冷さはわしの皮膚に滲み入つて、わしが淫慾のをのゝきが、全身を通ふのを感ぜずにはゐられなかつた。
- 346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 21:47:28.22 ID:bp3aTgtEu
- わしが後に見た凡ての事があるのにも拘らず、わしは今も猶彼女が悪魔だとは殆ど信じる事が出来ない。
- 347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 22:02:29.82 ID:bp3aTgtEu
- 少くも彼女は何等さうした姿を示さなかつた。
- 348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 22:17:31.02 ID:bp3aTgtEu
- 悪女がこの様に巧に其爪と角とを隠した事は、嘗て無かつた事に相違ない。
- 349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 22:32:31.91 ID:bp3aTgtEu
- 彼女は床をあげて寝台の縁に坐りながら、しどけない媚に満ちた姿をして、時々小さな手をわしの髪の中に入れては、どうしたらわしの顔に似合ふかを見るやうに、わしの髪を撚つたり捲いたりしてゐるのである。
- 350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 22:47:34.30 ID:bp3aTgtEu
- わしが、罪障の深い悦楽に酔つて、彼女の手にわしの体を任せると、彼女は又、其やさしい戯れと共に、楽しげに種々な物語をしてくれる。
- 351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 23:02:35.94 ID:bp3aTgtEu
- しかも最も驚くべき事は、わしが此様な不思議な出来事に際会しながら何等の驚異をも感じなかつたと云ふ事である。
- 352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 23:17:36.65 ID:bp3aTgtEu
- 丁度夢の中では人がどの様な空想的な事件でも、単なる事実として受入れるやうに、わしにも、是等の事情は全く自然であるが如くに思はれたのである。
- 353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 23:32:37.69 ID:bp3aTgtEu
- 「貴方に会はないずつと前から私は貴方を愛してゐてよ。
- 354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/22(火) 23:47:38.33 ID:bp3aTgtEu
- 可愛いゝロミュアル、さうして方々探してあるいてゐたのだわ。
- 355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 00:02:39.71 ID:ehzeICBqO
- 貴方は私の愛だつたのよ。
- 356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 00:17:40.63 ID:ehzeICBqO
- あの時あの教会で始めてお目にかゝつたでせう。
- 357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 00:32:41.33 ID:ehzeICBqO
- 私、直に『之があの人だ』
- 358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 00:47:41.91 ID:ehzeICBqO
- つて云つたわ、それから、私の持つてゐた愛、私の今持つてゐる、私の是から先に持つと思ふ、すべての愛を籠めた眸で見て上げたの――
- 359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 01:02:43.62 ID:ehzeICBqO
- 其眼で見ればどんな大僧正でも王様でも家来たちが皆見てゐる前で、私の足下に跪いてしまふのよ。
- 360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 01:17:44.62 ID:ehzeICBqO
- けれど貴方は平気でいらしつたわね、私より神様の方がいゝつて。
- 361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 01:32:45.36 ID:ehzeICBqO
- 「私、ほんたうに神様が憎くらしいわ、貴方はあの時も神様が好きだつたし、今でも私より好きなのね。
- 362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 01:47:47.01 ID:ehzeICBqO
- 「あゝ、あゝ、私は不仕合せね、私は貴方の心をすつかり私の有にする事が出来ないのね。
- 363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 02:02:48.41 ID:ehzeICBqO
- 貴方が接吻で生かして下すつた私――
- 364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 02:17:50.06 ID:ehzeICBqO
- 貴方の為に利の門を崩して、貴方を仕合せにしてあげたいばつかりに、命を貴方に捧げてゐる私。」
- 365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 02:32:51.14 ID:ehzeICBqO
- 彼女の話は、悉く最も熱情に満ちた撫愛に伴はれた。
- 366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 02:47:51.82 ID:ehzeICBqO
- 其撫愛はわしの感覚と理性とを悩ませて、わしは遂に彼女を慰める為に、恐しい涜神の言を放つて、神を愛する如く彼女を愛すると叫ぶのさへ憚らないやうになつた。
- 367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 03:02:53.95 ID:ehzeICBqO
- すると、彼女の眼は、再び緑玉髄の如く輝いた。
- 368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 03:17:54.58 ID:ehzeICBqO
- 彼女は其美しい胸にわしを抱きながら叫んだ。
- 369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 03:32:55.15 ID:ehzeICBqO
- 「それなら、貴方、私と一しよにいらつしやるわね、どこへでも私の好きな処へついていらつしやるわね、貴方はもう、あの醜い黒法衣を投げすてゝおしまひなさるのよ。
- 370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 03:47:56.35 ID:ehzeICBqO
- 貴方は騎士の中で、一番偉い、一番羨まれる騎士におなりになるのよ、貴方は私の恋人だわ。
- 371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 04:02:57.87 ID:ehzeICBqO
- 法王の云ふ事さへ聞かなかつたクラリモンドの晴れの恋人になるのだわ。
- 372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 04:17:58.58 ID:ehzeICBqO
- 少しは得意に思ふやうな事ぢやあなくつて。
- 373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 04:32:59.29 ID:ehzeICBqO
- あゝ、美しい、何とも云へぬ程仕合せな生涯を、うるはしい、黄金色の生活を、二人で楽むのね。
- 374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 04:48:00.40 ID:ehzeICBqO
- さうして、何時立つの。」
- 375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 05:03:01.90 ID:ehzeICBqO
- とわしは夢中になつて叫んだ。
- 376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 05:18:02.80 ID:ehzeICBqO
- 其間に御化粧をかへる事が出来てね。
- 377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 05:33:03.86 ID:ehzeICBqO
- これでは少し薄着だし、旅をするにはをかしいわ。
- 378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 05:48:04.58 ID:ehzeICBqO
- それから、私を死んだと思つて此上もなく悲しがつてゐるお友達に知らせを出さなければならないわ。
- 379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 06:03:05.93 ID:ehzeICBqO
- お金に着物に馬車に――
- 380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 06:18:06.59 ID:ehzeICBqO
- 皆支度が出来てゐてよ。
- 381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 06:33:07.17 ID:ehzeICBqO
- 私、今夜と同じ時刻にお尋ねするわ。
- 382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 06:48:08.05 ID:ehzeICBqO
- 彼女は軽く唇を、わしの額にふれた。
- 383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 07:03:09.71 ID:ehzeICBqO
- ランプは消えて、帳が元のやうに閉されると、凡てが又暗くなつた。
- 384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 07:18:10.55 ID:ehzeICBqO
- と、鉛のやうな、夢も見ない眠りがわしの上に落ちて、次の朝迄、わしを前後を忘れさせてしまつたのである。
- 385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 07:33:11.12 ID:ehzeICBqO
- わしは何時ものやうに朝遅く眼をさました。
- 386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 07:48:12.17 ID:ehzeICBqO
- そして其不思議な出来事の回想が終日、わしを煩した。
- 387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 08:03:13.93 ID:ehzeICBqO
- わしは遂にそれを、わしの熱した空想が造つた靄のやうなものだと思ひ直した。
- 388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 08:18:14.72 ID:ehzeICBqO
- が、其感覚が余りに溌剌としてゐるので、其事実でない事を信ずるのは、甚しく困難であつた。
- 389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 08:33:15.99 ID:ehzeICBqO
- そしてわしは来るべき事実に対する多少の予感を抱きながら、凡ての妄想を払つて、清浄な眠を守り給はむ事を神に祈つた後に、遂に床に就いたのであつた。
- 390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 08:48:16.97 ID:ehzeICBqO
- わしは直に深い眠りに落ちた。
- 391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 09:03:18.47 ID:ehzeICBqO
- そしてわしの夢も続けられた。
- 392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 09:18:19.18 ID:ehzeICBqO
- 帳が再び開いて、わしはクラリモンドの姿を見た。
- 393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 09:33:19.77 ID:ehzeICBqO
- 青ざめた経帷子を青ざめた身に纏つて、頬に「死」
- 394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 09:43:20.41 ID:ehzeICBqO
- の紫を印した前夜とは変つて、喜ばしげに活々して、緑がかつた董色の派出な旅行服の、金のレースで縁をとつたのを着て、両脇を綻ばせた所からは、繻子の袴がのぞいてゐる。
- 395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 09:53:21.23 ID:ehzeICBqO
- 金髪の房々した捲毛を、いろいろな形に面白く撚つてある白い鳥の羽毛をつけた、黒い大きな羅紗の帽子の下から、こぼしてゐる彼女は、手に金色の呼笛のついた小さな鞭を持つて、軽くわしを叩きながら、かう叫んだ。
- 396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 10:03:22.78 ID:ehzeICBqO
- 「さあ、よく寝てゐる方や、これが貴方の御支度なの。
- 397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 10:13:23.58 ID:ehzeICBqO
- 私、貴方がもう起きて着物を着ていらつしやるかと思つたわ。
- 398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 10:23:24.33 ID:ehzeICBqO
- 愚図々々しちやゐられないわ。」
- 399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 10:33:25.04 ID:ehzeICBqO
- わしは直に寝床からとび出した。
- 400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 10:43:26.06 ID:ehzeICBqO
- 「さあ、着物をきて頂戴。
- 401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 10:53:26.73 ID:ehzeICBqO
- それから出かけませう。」
- 402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 11:03:30.28 ID:ehzeICBqO
- 彼女は一しよに持つて来た小さな荷包を指さしながら、「馬が待遠しがつて、戸口で轡を噛んでゐるわ。
- 403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 11:13:31.28 ID:ehzeICBqO
- 今時分はもう此処から三十哩も先きへ行つてゐる筈だつたのよ。」
- 404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 11:23:31.93 ID:ehzeICBqO
- わしは急いで着物を着た。
- 405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 12:44:18.12 ID:y1a2xTryJ
- さうすれば屹度癒るわ。」
- 406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 12:59:19.02 ID:y1a2xTryJ
- 彼女は冷い手の掌を代り/″\わしの口に当てた。
- 407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 13:14:19.44 ID:y1a2xTryJ
- わしは何度となくそれを接吻した。
- 408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 13:29:20.57 ID:y1a2xTryJ
- 其間も彼女は、溢るゝ許りの愛情の微笑をもらして、わしをぢつと見戍つてゐるのである。
- 409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 13:44:21.15 ID:y1a2xTryJ
- わしは恥しながら白状する。
- 410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 13:59:21.60 ID:y1a2xTryJ
- 此時わしは僧院長セラピオンの忠告もわしの服してゐる神聖な職務も悉く忘れてしまつた。
- 411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 14:14:22.06 ID:y1a2xTryJ
- わしは何の抵抗もせずに、一撃されて堕落に陥つてしまつたのである。
- 412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 14:29:22.61 ID:y1a2xTryJ
- クラリモンドの皮膚の新たな冷さはわしの皮膚に滲み入つて、わしが淫慾のをのゝきが、全身を通ふのを感ぜずにはゐられなかつた。
- 413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 14:44:23.77 ID:y1a2xTryJ
- わしが後に見た凡ての事があるのにも拘らず、わしは今も猶彼女が悪魔だとは殆ど信じる事が出来ない。
- 414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 14:59:24.22 ID:y1a2xTryJ
- 少くも彼女は何等さうした姿を示さなかつた。
- 415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 15:14:24.96 ID:y1a2xTryJ
- 悪女がこの様に巧に其爪と角とを隠した事は、嘗て無かつた事に相違ない。
- 416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 15:29:25.41 ID:y1a2xTryJ
- 彼女は床をあげて寝台の縁に坐りながら、しどけない媚に満ちた姿をして、時々小さな手をわしの髪の中に入れては、どうしたらわしの顔に似合ふかを見るやうに、わしの髪を撚つたり捲いたりしてゐるのである。
- 417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 15:44:26.45 ID:y1a2xTryJ
- わしが、罪障の深い悦楽に酔つて、彼女の手にわしの体を任せると、彼女は又、其やさしい戯れと共に、楽しげに種々な物語をしてくれる。
- 418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 15:59:27.16 ID:y1a2xTryJ
- しかも最も驚くべき事は、わしが此様な不思議な出来事に際会しながら何等の驚異をも感じなかつたと云ふ事である。
- 419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 16:14:27.72 ID:y1a2xTryJ
- 丁度夢の中では人がどの様な空想的な事件でも、単なる事実として受入れるやうに、わしにも、是等の事情は全く自然であるが如くに思はれたのである。
- 420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 16:29:28.23 ID:y1a2xTryJ
- 「貴方に会はないずつと前から私は貴方を愛してゐてよ。
- 421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 16:44:29.46 ID:y1a2xTryJ
- 可愛いゝロミュアル、さうして方々探してあるいてゐたのだわ。
- 422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 16:59:29.92 ID:y1a2xTryJ
- 貴方は私の愛だつたのよ。
- 423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 17:14:30.38 ID:y1a2xTryJ
- あの時あの教会で始めてお目にかゝつたでせう。
- 424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 17:29:30.94 ID:y1a2xTryJ
- 私、直に『之があの人だ』
- 425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 17:44:32.02 ID:y1a2xTryJ
- つて云つたわ、それから、私の持つてゐた愛、私の今持つてゐる、私の是から先に持つと思ふ、すべての愛を籠めた眸で見て上げたの――
- 426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 17:59:32.45 ID:y1a2xTryJ
- 其眼で見ればどんな大僧正でも王様でも家来たちが皆見てゐる前で、私の足下に跪いてしまふのよ。
- 427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 18:14:33.38 ID:y1a2xTryJ
- けれど貴方は平気でいらしつたわね、私より神様の方がいゝつて。
- 428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 18:29:33.82 ID:y1a2xTryJ
- 「私、ほんたうに神様が憎くらしいわ、貴方はあの時も神様が好きだつたし、今でも私より好きなのね。
- 429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 18:44:34.87 ID:y1a2xTryJ
- 「あゝ、あゝ、私は不仕合せね、私は貴方の心をすつかり私の有にする事が出来ないのね。
- 430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 18:59:35.86 ID:y1a2xTryJ
- 貴方が接吻で生かして下すつた私――
- 431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 19:14:36.39 ID:y1a2xTryJ
- 貴方の為に利の門を崩して、貴方を仕合せにしてあげたいばつかりに、命を貴方に捧げてゐる私。」
- 432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 19:29:36.87 ID:y1a2xTryJ
- 彼女の話は、悉く最も熱情に満ちた撫愛に伴はれた。
- 433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 19:44:37.54 ID:y1a2xTryJ
- 其撫愛はわしの感覚と理性とを悩ませて、わしは遂に彼女を慰める為に、恐しい涜神の言を放つて、神を愛する如く彼女を愛すると叫ぶのさへ憚らないやうになつた。
- 434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 19:59:38.22 ID:y1a2xTryJ
- すると、彼女の眼は、再び緑玉髄の如く輝いた。
- 435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 20:14:38.78 ID:y1a2xTryJ
- 彼女は其美しい胸にわしを抱きながら叫んだ。
- 436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 20:29:39.28 ID:y1a2xTryJ
- 「それなら、貴方、私と一しよにいらつしやるわね、どこへでも私の好きな処へついていらつしやるわね、貴方はもう、あの醜い黒法衣を投げすてゝおしまひなさるのよ。
- 437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 20:44:41.36 ID:y1a2xTryJ
- 貴方は騎士の中で、一番偉い、一番羨まれる騎士におなりになるのよ、貴方は私の恋人だわ。
- 438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 20:59:43.47 ID:y1a2xTryJ
- 法王の云ふ事さへ聞かなかつたクラリモンドの晴れの恋人になるのだわ。
- 439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 21:14:43.99 ID:y1a2xTryJ
- 少しは得意に思ふやうな事ぢやあなくつて。
- 440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 21:29:44.96 ID:y1a2xTryJ
- あゝ、美しい、何とも云へぬ程仕合せな生涯を、うるはしい、黄金色の生活を、二人で楽むのね。
- 441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 21:44:45.63 ID:y1a2xTryJ
- さうして、何時立つの。」
- 442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 21:59:46.48 ID:y1a2xTryJ
- とわしは夢中になつて叫んだ。
- 443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 22:14:47.05 ID:y1a2xTryJ
- 其間に御化粧をかへる事が出来てね。
- 444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 22:29:47.60 ID:y1a2xTryJ
- これでは少し薄着だし、旅をするにはをかしいわ。
- 445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 22:44:48.21 ID:y1a2xTryJ
- それから、私を死んだと思つて此上もなく悲しがつてゐるお友達に知らせを出さなければならないわ。
- 446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 22:59:48.66 ID:y1a2xTryJ
- お金に着物に馬車に――
- 447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 23:14:49.09 ID:y1a2xTryJ
- 皆支度が出来てゐてよ。
- 448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 23:29:49.58 ID:y1a2xTryJ
- 私、今夜と同じ時刻にお尋ねするわ。
- 449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 23:44:50.16 ID:y1a2xTryJ
- 彼女は軽く唇を、わしの額にふれた。
- 450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/23(水) 23:59:51.08 ID:y1a2xTryJ
- ランプは消えて、帳が元のやうに閉されると、凡てが又暗くなつた。
- 451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 00:14:51.53 ID:7TcEdhbcn
- と、鉛のやうな、夢も見ない眠りがわしの上に落ちて、次の朝迄、わしを前後を忘れさせてしまつたのである。
- 452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 00:29:51.97 ID:7TcEdhbcn
- わしは何時ものやうに朝遅く眼をさました。
- 453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 00:44:53.35 ID:7TcEdhbcn
- そして其不思議な出来事の回想が終日、わしを煩した。
- 454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 00:59:54.06 ID:7TcEdhbcn
- わしは遂にそれを、わしの熱した空想が造つた靄のやうなものだと思ひ直した。
- 455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 01:14:54.97 ID:7TcEdhbcn
- が、其感覚が余りに溌剌としてゐるので、其事実でない事を信ずるのは、甚しく困難であつた。
- 456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 01:29:55.43 ID:7TcEdhbcn
- そしてわしは来るべき事実に対する多少の予感を抱きながら、凡ての妄想を払つて、清浄な眠を守り給はむ事を神に祈つた後に、遂に床に就いたのであつた。
- 457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 01:44:56.01 ID:7TcEdhbcn
- わしは直に深い眠りに落ちた。
- 458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 01:59:56.46 ID:7TcEdhbcn
- そしてわしの夢も続けられた。
- 459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 02:14:57.40 ID:7TcEdhbcn
- 帳が再び開いて、わしはクラリモンドの姿を見た。
- 460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 02:29:57.86 ID:7TcEdhbcn
- 青ざめた経帷子を青ざめた身に纏つて、頬に「死」
- 461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 02:44:58.93 ID:7TcEdhbcn
- の紫を印した前夜とは変つて、喜ばしげに活々して、緑がかつた董色の派出な旅行服の、金のレースで縁をとつたのを着て、両脇を綻ばせた所からは、繻子の袴がのぞいてゐる。
- 462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 02:59:59.37 ID:7TcEdhbcn
- 金髪の房々した捲毛を、いろいろな形に面白く撚つてある白い鳥の羽毛をつけた、黒い大きな羅紗の帽子の下から、こぼしてゐる彼女は、手に金色の呼笛のついた小さな鞭を持つて、軽くわしを叩きながら、かう叫んだ。
- 463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 03:15:00.38 ID:7TcEdhbcn
- 「さあ、よく寝てゐる方や、これが貴方の御支度なの。
- 464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 03:30:00.96 ID:7TcEdhbcn
- 私、貴方がもう起きて着物を着ていらつしやるかと思つたわ。
- 465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 03:45:02.12 ID:7TcEdhbcn
- 愚図々々しちやゐられないわ。」
- 466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 04:00:02.87 ID:7TcEdhbcn
- わしは直に寝床からとび出した。
- 467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 04:15:03.35 ID:7TcEdhbcn
- 「さあ、着物をきて頂戴。
- 468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 04:30:03.78 ID:7TcEdhbcn
- それから出かけませう。」
- 469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 04:45:04.94 ID:7TcEdhbcn
- 彼女は一しよに持つて来た小さな荷包を指さしながら、「馬が待遠しがつて、戸口で轡を噛んでゐるわ。
- 470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 05:00:05.58 ID:7TcEdhbcn
- 今時分はもう此処から三十哩も先きへ行つてゐる筈だつたのよ。」
- 471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 05:15:06.10 ID:7TcEdhbcn
- わしは急いで着物を着た。
- 472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 05:30:06.58 ID:7TcEdhbcn
- 彼女はわしに着物を一つ/\渡してくれた。
- 473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 05:45:07.88 ID:7TcEdhbcn
- そしてわしがどうかして間違へると着物の着方を教へながら、時にわしの不器用なのに呆れては噴き出してしまふのである。
- 474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 06:00:08.44 ID:7TcEdhbcn
- それがすむと今度は急いでわしの髪をなでつけてくれる。
- 475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 06:15:08.94 ID:7TcEdhbcn
- それもすむと、ヴェネチアの水晶に銀の細工の縁をとつた懐中鏡を、わしの前へ出して、面白さうにかう尋ねる。
- 476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 06:30:09.40 ID:7TcEdhbcn
- 私をお附きにかゝへて下すつて?」
- 477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 06:45:10.55 ID:7TcEdhbcn
- わしはもう、何時ものわしではない。
- 478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 07:00:11.30 ID:7TcEdhbcn
- そして自分でさへこれが自分とは思はれない。
- 479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 07:15:11.78 ID:7TcEdhbcn
- 云はゞ今のわしが、昔のわしに似てゐないのは、出来上つた石像が、石の塊に似てゐないのと同じ事なのである。
- 480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 07:30:12.33 ID:7TcEdhbcn
- わしの昔の顔は、鏡に映つた今の顔を下手な画工の描き崩した肖像のやうに思はれた。
- 481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 07:45:12.92 ID:7TcEdhbcn
- わしの虚栄心は此変化に心からそゝられずにはゐられなかつた。
- 482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 08:00:13.51 ID:7TcEdhbcn
- 美しく刺繍をした袍はわしを全くの別人にしてしまつたのである。
- 483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 08:15:14.01 ID:7TcEdhbcn
- わしは或型通りに断つてある五六尺の布がわしの上に加へた変化の力を、驚嘆して見戍つた。
- 484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 08:30:14.58 ID:7TcEdhbcn
- わしの衣裳の精霊は、わしの皮膚の中に滲み入つて、十分たつかたたぬ中にわしはどうやら一廉の豪華の児になつてしまつた。
- 485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 08:45:15.65 ID:7TcEdhbcn
- 此新衣裳に慣れようと思つて、わしは室の中を五六度歩いて見た。
- 486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 09:00:16.09 ID:7TcEdhbcn
- クラリモンドは花のやうな快楽を味ひでもするやうに、わしを見戍りながら、さも自分の手際に満足するらしく思はれた。
- 487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 09:15:16.97 ID:7TcEdhbcn
- 「さあ、もう遊ぶのは沢山よ、ロミュアル、これから出かけるのよ。
- 488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 09:30:17.41 ID:7TcEdhbcn
- 私達は遠くへ行かなければならないのだわ。
- 489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 09:45:18.56 ID:7TcEdhbcn
- さうして遅れちやあいけないのだわ。」
- 490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 10:00:19.46 ID:7TcEdhbcn
- 彼女はわしの手を執つて、外へ出た。
- 491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 10:15:19.91 ID:7TcEdhbcn
- 戸と云ふ戸は、彼女が手をふれると忽ちに開くのである。
- 492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 10:30:20.34 ID:7TcEdhbcn
- わし達は犬の眼もさまさずに其の側を通りぬけた。
- 493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 10:45:21.34 ID:7TcEdhbcn
- 門口でわしは、前にわしの護衛兵だつた、あの黒人の扈従のマルゲリトンを見た。
- 494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 11:00:21.88 ID:7TcEdhbcn
- 彼は三頭の馬の轡を控へてゐる――
- 495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 11:15:22.37 ID:7TcEdhbcn
- 三頭共、わしをあの城へ伴れて行つた馬のやうに黒い。
- 496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 11:29:22.85 ID:7TcEdhbcn
- 一頭はわしの為、一頭は彼の為、一頭はクラリモンドの為である。
- 497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 11:43:23.28 ID:7TcEdhbcn
- 是等の馬は、西風の神の胎をうけた牝馬が生んだと云ふ西班牙馬に相違ない。
- 498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 11:57:23.96 ID:7TcEdhbcn
- 何故と云へば彼等は風のやうに疾いからである。
- 499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 12:11:25.14 ID:7TcEdhbcn
- 門を出る時に丁度東に上つて路上のわし達を照した明月は戦車から外れた車輪のやうに、空中を転げまはつて、右の方、梢から梢へ飛び移りながら、息を切らしてわし達に伴いて来る。
- 500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 12:25:25.60 ID:7TcEdhbcn
- 間も無く一行はとある平野に来た。
- 501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 12:39:26.03 ID:7TcEdhbcn
- 其処には四頭の大きな馬に曳かせた馬車が一台一叢の木蔭に待つてゐる。
- 502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 12:53:28.07 ID:7TcEdhbcn
- で、それへ乗り移ると今度は馭者が気違ひのやうに馬を走らせる。
- 503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 13:07:28.93 ID:7TcEdhbcn
- わしは片手をクラリモンドの肩にまはして、彼女の片手をわしの手に執つてゐた、彼女の頭はわしの肩に靠れて、わしは半ば露した彼女の胸が軽く、わしの腕を圧するのを感じるのである。
- 504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 13:21:29.39 ID:7TcEdhbcn
- わしは此様な熾烈な快楽を味つた事はない。
- 505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 13:35:29.84 ID:7TcEdhbcn
- 其間にわしは凡ての事を忘れてゐた。
- 506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 13:49:30.43 ID:7TcEdhbcn
- わしが僧侶だつたと云ふ事を覚えてゐるのも、わしが母の腹の中にゐた事を覚えてゐるのと同じ程にしか考へられなかつた。
- 507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 14:03:30.89 ID:7TcEdhbcn
- 此悪魔がわしの上にかけた蠱惑は、是程大きかつたのである。
- 508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 14:17:32.07 ID:7TcEdhbcn
- 其夜からわしの性質は、或意味に於て二等分されたやうに思はれる。
- 509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 14:31:32.55 ID:7TcEdhbcn
- 云はゞわしの内に二人の人がゐて、それが互に知らずにゐるのである。
- 510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 14:45:33.04 ID:7TcEdhbcn
- 或時はわしは自分が夜になると紳士になつた夢を見る僧侶だと思ふが、又或時には、僧侶になつた夢を見てゐる紳士だと思ふ事もある。
- 511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 14:59:33.48 ID:7TcEdhbcn
- わしは夢と現実とを分つ事も出来なければ、何処に現実が始まり、何処に夢が定るかさへも見出す事が出来なかつた。
- 512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 15:13:34.06 ID:7TcEdhbcn
- 貴公子の道楽者は僧侶を馬鹿にするし、僧侶は、貴公子の放埒を罵るのである。
- 513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 15:27:34.65 ID:7TcEdhbcn
- 互にもつれ合ひながら、しかも互に触れる事のない二つの螺線は、わしの此二面の生活を、遺憾なく示してゐる。
- 514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 15:41:35.10 ID:7TcEdhbcn
- しかしわしは、此状態が此様な不思議な性質を持つてゐるにも拘らず、一分でも気違ひになる気などは起らなかつた。
- 515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 15:55:35.61 ID:7TcEdhbcn
- わしは常に、思切つて溌剌とした心で、わしの二つの生活を気長く観照してゐたのである。
- 516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 16:09:36.30 ID:7TcEdhbcn
- が、唯一つ、わしにも説明の出来ない妙な事があつた――
- 517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 16:23:36.75 ID:7TcEdhbcn
- 即ちそれは同じ個人性の意識が、全く性格の背反した二人の人間の中に存在してゐたと云ふ事である。
- 518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 16:37:37.78 ID:7TcEdhbcn
- の寒村の牧師補と思つたか、クラリモンドの肩書附きの恋人、ロムアルドオ閣下と思つたか、どうか――
- 519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 16:51:38.35 ID:7TcEdhbcn
- これがわしの不思議に思ふ一つの変則なのである。
- 520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 17:05:38.98 ID:7TcEdhbcn
- 兎も角も、わしはヴェニスに住んだ。
- 521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 17:19:39.45 ID:7TcEdhbcn
- 少くも住んだと信じてゐた。
- 522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 17:33:39.89 ID:7TcEdhbcn
- わしが此幻怪な事実の中にどれ程の幻想と印象とが含まれてゐるかを正確に発見するのは到底不可能である。
- 523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 17:47:40.51 ID:7TcEdhbcn
- わし達は、カナレイオの辺の、壁画と石像との沢山ある、大きな宮殿に住んでゐた、それは一国の王宮にしても恥しくないやうな宮殿で、わし達は各々ゴンドラの制服を着たバルカロリも、音楽室も、御抱への詩人も持つてゐた。
- 524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 18:01:41.06 ID:7TcEdhbcn
- 殊にクラリモンドは、大規模な生活を恣にするのが常であつた。
- 525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 18:15:42.00 ID:7TcEdhbcn
- 彼女の性格にはクレオパトラに似た何物かが潜んでゐるのである。
- 526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 18:29:42.46 ID:7TcEdhbcn
- わしはと云ふと又王子のやうな宮臣の一列を従へて、常に大国の四福音宣伝師か十二使徒の一人と一家ででもあるやうな、畏敬を以て迎へられてゐた。
- 527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 18:43:42.97 ID:7TcEdhbcn
- わしは大統領を通すのでさへ、道を譲らうとはしなかつた。
- 528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 18:57:43.67 ID:7TcEdhbcn
- 魔王が天国から堕落して以来、わしより傲慢不遜な人間が此世にゐたとは信じられぬ。
- 529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 19:11:44.43 ID:7TcEdhbcn
- わしは又、リドットにも行つて、地獄のものとしか思はれぬ運をさへ弄んだ。
- 530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 19:25:48.86 ID:7TcEdhbcn
- わしはあらゆる社会の最も善良な部分――
- 531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 19:39:50.18 ID:7TcEdhbcn
- 没落した家の子供達とか女役者とか奸黠な悪人とか佞人とか空威張をする人間とか――
- 532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 19:53:51.33 ID:7TcEdhbcn
- そして此様な生活に沈湎しながらも、わしは常にクラリモンドを忘れなかつた。
- 533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 20:07:52.16 ID:7TcEdhbcn
- わしは実に狂気のやうに彼女を愛してゐたのである。
- 534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 20:21:52.86 ID:7TcEdhbcn
- 一人のクラリモンドを持つのは、二十人の情婦を持つのにも均しい。
- 535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 20:35:53.61 ID:7TcEdhbcn
- 否、あらゆる女を持つのにも均しい。
- 536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 20:49:54.30 ID:7TcEdhbcn
- 彼女は其一身に、無数の容貌の変化と無数の清新な嬌艶とを蔵してゐる――
- 537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 21:03:54.77 ID:7TcEdhbcn
- 真に彼女は女のカメレオンである。
- 538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 21:17:55.88 ID:7TcEdhbcn
- 彼女はわしの愛を百倍にして返して呉れた。
- 539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 21:31:56.43 ID:7TcEdhbcn
- 彼女の求めるのは唯、愛である――
- 540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 21:45:56.95 ID:7TcEdhbcn
- 彼女自身によつて目醒まされた、清浄な青春の愛である。
- 541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 21:59:57.45 ID:7TcEdhbcn
- しかも其愛は最初の、又最後の情熱でなければならない。
- 542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 22:13:58.24 ID:7TcEdhbcn
- かくしてわしも常に幸福であつた。
- 543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 22:27:58.87 ID:7TcEdhbcn
- 唯、不幸なのは、毎夜必ず魘される時だけで、其の時はわしが貧しい田舎の牧師補になつた夢を見ながら、昼間の淫楽を悔いて、贖罪と苦行とに一身を捧げてゐるのである。
- 544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 22:41:59.65 ID:7TcEdhbcn
- わしは、常は彼女と親しんでゐられるのに安んじて、わしがクラリモンドと知るやうになつた不思議な関係を此上考へて見ようとはしなかつた。
- 545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 22:56:00.14 ID:7TcEdhbcn
- 併し彼女に関する僧院長セラピオンの言は、屡々わしの記憶に現れて、わしの心に不安を与へずにはゐなかつた。
- 546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 23:10:00.64 ID:7TcEdhbcn
- 其内に暫くの間クラリモンドの健康が平素のやうにすぐれなかつた。
- 547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 23:24:01.08 ID:7TcEdhbcn
- 顔の色も日にまし青ざめる。
- 548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 23:38:01.70 ID:7TcEdhbcn
- 医師を呼んで診せても、病気の質がわからないので、どう治療していゝか見当が附かない。
- 549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 23:52:02.17 ID:7TcEdhbcn
- 彼等は皆、役にも立たぬ処方箋を書いて、二度目からは来なくなつてしまふのである。
- 550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 00:06:02.61 ID:EP7HpQMk/
- けれ共彼女の顔色は、著しく青ざめて、一日は一日と冷くなる。
- 551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 00:20:03.12 ID:EP7HpQMk/
- そして遂には殆どあの不思議な城の記憶すべき夜のやうに、白く、血の気もなくなつてしまつた。
- 552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 00:34:03.68 ID:EP7HpQMk/
- わしは此様に徐々と死んでゆく彼女を見るに堪へないで、云ふ可からざる苦痛に苛まれたが、わしの苦悶に動かされたのであらう、彼女は、丁度死なねばならぬ事を知つた者の末期の微笑のやうに、悲しく又やさしく、わしの顔を見てほゝ笑んだ。
- 553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 00:48:04.34 ID:EP7HpQMk/
- 或朝、わしは彼女の寝床の傍に坐つて、直側に置いてある小さな食卓で朝飯を認めてゐた。
- 554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 01:02:04.81 ID:EP7HpQMk/
- それはわしが一分でも彼女の側を離れたくないと思つたからである。
- 555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 01:16:05.54 ID:EP7HpQMk/
- で、或る果物を切らうとした所が、わしは誤つて稍々深くわしの指を傷けた。
- 556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 01:30:05.98 ID:EP7HpQMk/
- すると血がすぐに小さな鮮紅の玉になつて流れ出したが、其滴が二滴三滴、クラリモンドにかゝつたと思ふと彼女の眼は忽ちに輝いて、其顔にも亦、わしが嘗て見た事の無いやうな、荒々しい、恐しい喜びの表情が現れた。
- 557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 01:44:06.48 ID:EP7HpQMk/
- 彼女は忽ち獣の如く軽快に、寝床から躍り出て――
- 558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 01:58:07.19 ID:EP7HpQMk/
- 丁度猿か猫のやうに軽快に――
- 559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 02:12:07.81 ID:EP7HpQMk/
- わしの傷口に飛びつくと、云ひ難い愉快を感じるやうに、わしの血をすゝり始めた。
- 560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 02:26:08.31 ID:EP7HpQMk/
- しかも彼女は静かに注意しつゝ、恰も鑑定上手が、セレスやシラキュウズの酒を味ふやうに、其小さな口に何杯となく啜つて飽かないのである。
- 561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 02:40:08.89 ID:EP7HpQMk/
- と、次第に彼女の瞼は垂れ、緑色の眼の瞳は円いと云ふよりも、寧ろ楕円になつた。
- 562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 02:54:09.94 ID:EP7HpQMk/
- そしてわしの手に接吻しようとしては、口を離すかと思ふと、又更に幾滴かの紅い滴を吸ひ出さうとして、わしの傷口に其唇をあてるのであつた。
- 563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 03:08:10.67 ID:EP7HpQMk/
- 血がもう出ないのを見ると、彼女は瑞々した、光のある眼を輝かしながら、五月の朝よりも薔薇色に若やいで、身を起した。
- 564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 03:22:11.28 ID:EP7HpQMk/
- 顔はつや/\と肉附いて、手も温かにしめつてゐる――
- 565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 03:36:11.87 ID:EP7HpQMk/
- 常よりも一層美しく、健康も今は全く恢復してゐるのである。
- 566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 03:50:12.93 ID:EP7HpQMk/
- 「私もう死なないわ、死なないわ。」
- 567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 04:04:13.38 ID:EP7HpQMk/
- 悦びに半ば狂したやうにわしの首に縋りつきながら、彼女はかう叫んだ。
- 568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 04:18:14.37 ID:EP7HpQMk/
- 「私はまだ長い間貴方を愛してあげる事が出来てよ。
- 569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 04:32:14.98 ID:EP7HpQMk/
- 私の命は貴方の有だわ。
- 570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 04:46:15.63 ID:EP7HpQMk/
- 私の中にある物は皆、貴方から来たのだわ。
- 571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 05:00:16.26 ID:EP7HpQMk/
- 貴方の豊な貴い血の滴が、世界中のどの不死の薬よりも得難い、力のつく薬なの。
- 572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 05:14:16.80 ID:EP7HpQMk/
- その血の滴のおかげで私は命を取返したのだわ。」
- 573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 05:28:17.52 ID:EP7HpQMk/
- 此光景は長い間、わしの記憶に上つて来た。
- 574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 05:42:18.00 ID:EP7HpQMk/
- そしてクラリモンドに対する不思議な疑惑をわしに起させた。
- 575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 05:56:18.48 ID:EP7HpQMk/
- 丁度其の夜、睡がわしを牧師館に移した時に、わしは僧院長セラピオンが平素よりは一層真面目な、一層気づかはしさうな顔をしてゐるのを見た。
- 576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 06:10:19.94 ID:EP7HpQMk/
- 彼はぢつとわしを見つめてゐたが、悲しげに叫んで云ふには「お前は霊魂を失ふ丈では飽足りなくて、肉体をも失はうとするのかの。
- 577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 06:24:20.43 ID:EP7HpQMk/
- 見下げ果てた奴め、何と云ふ恐しい目にあふものぢや。」
- 578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 06:38:21.00 ID:EP7HpQMk/
- 彼のかう云つた調子は、強くわしを動かした。
- 579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 06:52:22.02 ID:EP7HpQMk/
- が、此記憶の鮮かなのにも拘らず、其印象さへ間も無く消えてしまつて、数知れぬ外の心配がわしの心からそれを移してしまつた。
- 580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 07:06:22.60 ID:EP7HpQMk/
- 遂にある夜わしはクラリモンドが、食事の後で日頃わしにすゝめるを常とした香味入りの酒の杯へ、何やら粉薬を入れるのを見てとつた。
- 581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 07:20:23.50 ID:EP7HpQMk/
- それは彼女がさうとは気が附かずに立てゝ置いた鏡に映つて見えたのである。
- 582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 07:34:24.12 ID:EP7HpQMk/
- わしは杯をとり上げて、口へ持つてゆく真似をして、それから、後で飲むつもりのやうに手近にあつた家具の上へのせて置いた。
- 583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 07:48:25.13 ID:EP7HpQMk/
- で、彼女が後を向いた隙を窺つて、中の酒を卓の下へあけると、其儘、わしの閨へ退いて床の上に横になつた。
- 584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 08:02:25.70 ID:EP7HpQMk/
- わしは少しも眠らずに、此神秘から何が起るか気を附けて見出さうと決心したのである。
- 585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 08:16:26.21 ID:EP7HpQMk/
- 待つ間もなく、クラリモンドは、寝衣を着てはひつて来た。
- 586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 08:30:26.64 ID:EP7HpQMk/
- そして寝床の上に上つてわしの傍に横になつた。
- 587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 08:44:27.23 ID:EP7HpQMk/
- 彼女はわしが睡つてゐるのを確めると、わしの腕をまくつて、髪から金の留針をぬきながら、低い声でかう呟き始めた。
- 588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 08:58:27.85 ID:EP7HpQMk/
- 「一滴、たつた一滴、私の針の先へ紅宝玉をたつた一滴……
- 589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 09:12:28.31 ID:EP7HpQMk/
- 貴方はまだ私を愛してゐるのですから、私はまだ死なれません……
- 590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 09:26:28.87 ID:EP7HpQMk/
- あゝ可哀さうに、私は美しい血を、まつ赤な血を飲まなければならないのね、お休みなさい、私のたつた一の宝物、お眠みなさい、私の神、私の子供、私は貴方に害をしようと思つてはゐなくつてよ。
- 591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 09:40:29.40 ID:EP7HpQMk/
- 私は唯、貴方の命から、私の命が永久に亡びてしまはない丈の物を頂くのだわ。
- 592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 09:54:29.98 ID:EP7HpQMk/
- 私は貴方を愛してゐるのでせう、だから私は外に恋人を拵へて、其人の血管を吸ひ干す事にした方がいゝのだわ。
- 593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 10:08:30.59 ID:EP7HpQMk/
- けれど貴方を知つてから、私、外の男は皆厭になつてしまつたのですもの……
- 594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 10:22:31.40 ID:EP7HpQMk/
- まあ美しい腕ね、何と云ふ円いのだらう、何と云ふ白いのだらう、どうして私は此様な青い血管を傷ける事が出来るのだらう。」
- 595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 10:36:32.00 ID:EP7HpQMk/
- かう呟き乍ら、彼女はさめ/″\と涙を流した。
- 596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 10:50:32.93 ID:EP7HpQMk/
- 其時わしは、彼女がわしの腕を執りながら、其上に落す涙を感じたのであつた。
- 597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 11:04:33.38 ID:EP7HpQMk/
- 遂に彼女は意を決して、其留針で一寸わしを刺した。
- 598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 11:18:33.96 ID:EP7HpQMk/
- そして其処から滴る血を吸ひ始めた。
- 599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 11:31:34.45 ID:EP7HpQMk/
- 彼女はほんの五六滴しか飲まなかつたが、わしの眼を醒ますのを怖れたので、丁寧に小さな布でわしの腕を括つてくれた。
- 600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 11:44:34.91 ID:EP7HpQMk/
- それから後で又傷を膏薬でこすつてくれたので、傷は直に癒つてしまつた。
- 601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 11:57:35.39 ID:EP7HpQMk/
- 僧院長セラピオンが正しかつたのである。
- 602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 12:10:35.84 ID:EP7HpQMk/
- が、此積極的な知識があるにも拘らず、わしはクラリモンドを愛するのを禁ずる事が出来なかつた。
- 603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 12:23:36.43 ID:EP7HpQMk/
- そして喜んで其人工の生命を与へるに足る丈の血潮を、自ら進んで与へようと思つた。
- 604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 12:36:36.86 ID:EP7HpQMk/
- 加之、わしは殆ど彼女を怖しく思はなかつた。
- 605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 12:49:37.47 ID:EP7HpQMk/
- わしはわしの血を一滴づつ取引するよりも、わしの腕の血管を自ら剖いて、彼女にかう云つてやりたかつた。
- 606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 13:02:38.71 ID:EP7HpQMk/
- 「お飲み、さうしてわしの愛をわしの血潮と一しよに、お前の体に滲透らせておくれ。」
- 607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 13:15:39.22 ID:EP7HpQMk/
- わしは、彼女がわしに拵へてくれた魔酔の酒の事や、あの留針の出来事には、気をつけて一言もそれに及ばないやうにした。
- 608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 13:28:40.09 ID:EP7HpQMk/
- そしてわし達は最も円満な調和を楽しんでゆく事が出来たのである。
- 609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 13:41:40.56 ID:EP7HpQMk/
- けれ共、わしの沙門らしい優柔は、常よりも一層、わしを苛み始めた。
- 610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 13:54:41.00 ID:EP7HpQMk/
- そしてわしは、わしの肉を苦しめ制する為に、何か新しい贖罪を発明するのさへ、想像するに苦しむやうになつた。
- 611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 14:07:41.58 ID:EP7HpQMk/
- 是等の幻は無意志的なもので、わしは実際それに関する何事にも与らなかつたがそれでも猶、わしは事実にせよ夢幻にせよ、此様な淫楽に汚れた心と不浄な手とを以てしては、到底基督の体に触れる事が出来なかつた。
- 612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 14:20:42.18 ID:EP7HpQMk/
- わしは此懶い幻惑の力に圧へられるのを免れようとして、先づ眠に陥るのを防がうと努力した。
- 613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 14:33:42.89 ID:EP7HpQMk/
- そこでわしは指で瞼を開いてゐたり、数時間も真直に壁に倚り懸てゐたりして、全力を振つて眠と戦つて見たのである。
- 614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 14:46:43.80 ID:EP7HpQMk/
- けれ共睡魔は絶えずわしの眼を襲つて、凡ての抵抗が無駄になつたと思ふと、わしは極度の疲労に堪へずして、両腕を力なく下げたまゝ、再び睡の潮流に楽慾の彼岸に運ばれて了ふ。
- 615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 14:59:44.26 ID:EP7HpQMk/
- セラピオンは、峻烈を極めた訓戒を加へて、厳しくわしの意気地の無いのと、勇猛心の不足なのとを責めたが、遂に或日、わしが平素より一層心を苦しめてゐると、わしにかう云つてくれた。
- 616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 15:12:44.88 ID:EP7HpQMk/
- 「此不断の呵責を免れることの出来るのは、唯、一策がある許りぢや。
- 617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 15:25:45.35 ID:EP7HpQMk/
- 尤も非常に出た策だと云ふ嫌はあるが役には立つに相違ない。
- 618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 15:38:46.02 ID:EP7HpQMk/
- 難病は劇薬を要すると云ふものぢや。
- 619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 15:51:46.99 ID:EP7HpQMk/
- わしはクラリモンドの埋められた処を知つてゐるし、それにはあの女の屍を発いて、お前の恋する女がどのやうな憐な姿になつてゐるかを見なければならぬ。
- 620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 16:04:47.54 ID:EP7HpQMk/
- さうすればお前も、蛆に食はれた、塵になるばかりの屍の為に、霊魂を失ふやうな迷には陥らぬやうにならう。
- 621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 16:17:48.13 ID:EP7HpQMk/
- 此策は必ずお前を救ふに相違ないて。」
- 622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 16:30:48.85 ID:EP7HpQMk/
- わしは此二重生活に困憊してゐたので、貴公子か僧侶かどちらが幻惑の犠牲だかを確め度いばかりに直に之を快諾した。
- 623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 16:43:49.42 ID:EP7HpQMk/
- わしは全くわしの心の中にゐる二人の男の一人を、もう一人の利益の為に殺すか、又は二人共殺すか、どちらか一つにする決心でゐた。
- 624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 16:56:50.31 ID:EP7HpQMk/
- それは此様な怖しい存在は続けられる事も、堪へられる事も出来なかつたからである。
- 625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 17:09:50.80 ID:EP7HpQMk/
- そこで僧院長セラピオンは鶴嘴と挺と角燈とを整へて、わし達二人は真夜中に場所も位置も彼のよく知つてゐる――
- 626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 17:22:51.37 ID:EP7HpQMk/
- の墓地へ出かけたのであつた。
- 627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 17:35:51.94 ID:EP7HpQMk/
- 暗い角燈の光を五六の墓石の碑銘に向けた後に、わし達は遂に、半大きな雑草に掩はれて、其上又苔と寄生植物とに侵された大きな板石の前に出た。
- 628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 17:48:52.53 ID:EP7HpQMk/
- そして其上に、わし達は下のやうな墓碑銘の首句を探り読む事が出来たのである。
- 629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 18:01:53.00 ID:EP7HpQMk/
- 女性の中の最も美しき女性として
- 630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 18:14:53.58 ID:EP7HpQMk/
- クラリモンドこそ此処に眠れ
- 631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 18:27:54.06 ID:EP7HpQMk/
- とセラピオンが呟いた。
- 632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 18:40:54.52 ID:EP7HpQMk/
- そして角燈を地上に置くと、石の端の下へ挺の先を押入れて、其石を擡げ始めた。
- 633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 18:53:55.11 ID:EP7HpQMk/
- 石が自由になると彼は更に寄生植物を取除けにかゝつた。
- 634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 19:06:55.55 ID:EP7HpQMk/
- わしは夜よりも暗く、夜よりも更に語なく、傍に立つて、ぢつと彼のする事を見戍つた。
- 635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 19:19:58.83 ID:EP7HpQMk/
- 其間に彼は其凄惨な労働に腰をかゞめて、汗にぬれながら喘いでゐる。
- 636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 19:32:59.67 ID:EP7HpQMk/
- わしには彼の苦しさうに吐く息が、末期の痰のつまる音のやうな調子を持つてゐるかと疑はれた。
- 637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 20:16:14.73 ID:EP7HpQMk/
- わしには彼の苦しさうに吐く息が、末期の痰のつまる音のやうな調子を持つてゐるかと疑はれた。
- 638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 20:29:14.63 ID:EP7HpQMk/
- わしには彼の苦しさうに吐く息が、末期の痰のつまる音のやうな調子を持つてゐるかと疑はれた。
- 639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/25(金) 20:42:14.57 ID:EP7HpQMk/
- わしには彼の苦しさうに吐く息が、末期の痰のつまる音のやうな調子を持つてゐるかと疑はれた。
- 640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 12:25:19.01 ID:fFMNF83B1
- ごらんなさい、私の手の掌は傷だらけぢやありませんか。
- 641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 12:38:20.70 ID:fFMNF83B1
- さうすれば屹度癒るわ。」
- 642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 12:51:21.29 ID:fFMNF83B1
- 彼女は冷い手の掌を代り/″\わしの口に当てた。
- 643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 13:04:22.40 ID:fFMNF83B1
- わしは何度となくそれを接吻した。
- 644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 13:17:23.00 ID:fFMNF83B1
- 其間も彼女は、溢るゝ許りの愛情の微笑をもらして、わしをぢつと見戍つてゐるのである。
- 645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 13:30:24.46 ID:fFMNF83B1
- わしは恥しながら白状する。
- 646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 13:43:25.01 ID:fFMNF83B1
- 此時わしは僧院長セラピオンの忠告もわしの服してゐる神聖な職務も悉く忘れてしまつた。
- 647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 13:56:25.68 ID:fFMNF83B1
- わしは何の抵抗もせずに、一撃されて堕落に陥つてしまつたのである。
- 648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 14:09:26.65 ID:fFMNF83B1
- クラリモンドの皮膚の新たな冷さはわしの皮膚に滲み入つて、わしが淫慾のをのゝきが、全身を通ふのを感ぜずにはゐられなかつた。
- 649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 14:22:27.24 ID:fFMNF83B1
- わしが後に見た凡ての事があるのにも拘らず、わしは今も猶彼女が悪魔だとは殆ど信じる事が出来ない。
- 650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 14:35:28.72 ID:fFMNF83B1
- 少くも彼女は何等さうした姿を示さなかつた。
- 651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 14:48:29.39 ID:fFMNF83B1
- 悪女がこの様に巧に其爪と角とを隠した事は、嘗て無かつた事に相違ない。
- 652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 15:01:29.95 ID:fFMNF83B1
- 彼女は床をあげて寝台の縁に坐りながら、しどけない媚に満ちた姿をして、時々小さな手をわしの髪の中に入れては、どうしたらわしの顔に似合ふかを見るやうに、わしの髪を撚つたり捲いたりしてゐるのである。
- 653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 15:14:30.55 ID:fFMNF83B1
- わしが、罪障の深い悦楽に酔つて、彼女の手にわしの体を任せると、彼女は又、其やさしい戯れと共に、楽しげに種々な物語をしてくれる。
- 654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 15:27:31.61 ID:fFMNF83B1
- しかも最も驚くべき事は、わしが此様な不思議な出来事に際会しながら何等の驚異をも感じなかつたと云ふ事である。
- 655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 15:40:33.55 ID:fFMNF83B1
- 丁度夢の中では人がどの様な空想的な事件でも、単なる事実として受入れるやうに、わしにも、是等の事情は全く自然であるが如くに思はれたのである。
- 656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 15:53:34.22 ID:fFMNF83B1
- 「貴方に会はないずつと前から私は貴方を愛してゐてよ。
- 657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 16:06:34.95 ID:fFMNF83B1
- 可愛いゝロミュアル、さうして方々探してあるいてゐたのだわ。
- 658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 16:19:35.79 ID:fFMNF83B1
- 貴方は私の愛だつたのよ。
- 659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 16:32:36.52 ID:fFMNF83B1
- あの時あの教会で始めてお目にかゝつたでせう。
- 660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 16:45:38.34 ID:fFMNF83B1
- 私、直に『之があの人だ』
- 661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 16:58:38.88 ID:fFMNF83B1
- つて云つたわ、それから、私の持つてゐた愛、私の今持つてゐる、私の是から先に持つと思ふ、すべての愛を籠めた眸で見て上げたの――
- 662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 17:11:39.49 ID:fFMNF83B1
- 其眼で見ればどんな大僧正でも王様でも家来たちが皆見てゐる前で、私の足下に跪いてしまふのよ。
- 663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 17:24:40.05 ID:fFMNF83B1
- けれど貴方は平気でいらしつたわね、私より神様の方がいゝつて。
- 664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 17:37:41.14 ID:fFMNF83B1
- 「私、ほんたうに神様が憎くらしいわ、貴方はあの時も神様が好きだつたし、今でも私より好きなのね。
- 665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 17:50:42.53 ID:fFMNF83B1
- 「あゝ、あゝ、私は不仕合せね、私は貴方の心をすつかり私の有にする事が出来ないのね。
- 666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 18:03:43.11 ID:fFMNF83B1
- 貴方が接吻で生かして下すつた私――
- 667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 18:16:43.66 ID:fFMNF83B1
- 貴方の為に利の門を崩して、貴方を仕合せにしてあげたいばつかりに、命を貴方に捧げてゐる私。」
- 668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 18:29:44.34 ID:fFMNF83B1
- 彼女の話は、悉く最も熱情に満ちた撫愛に伴はれた。
- 669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 18:42:45.25 ID:fFMNF83B1
- 其撫愛はわしの感覚と理性とを悩ませて、わしは遂に彼女を慰める為に、恐しい涜神の言を放つて、神を愛する如く彼女を愛すると叫ぶのさへ憚らないやうになつた。
- 670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 18:55:46.88 ID:fFMNF83B1
- すると、彼女の眼は、再び緑玉髄の如く輝いた。
- 671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 19:08:47.50 ID:fFMNF83B1
- 彼女は其美しい胸にわしを抱きながら叫んだ。
- 672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 19:21:48.50 ID:fFMNF83B1
- 「それなら、貴方、私と一しよにいらつしやるわね、どこへでも私の好きな処へついていらつしやるわね、貴方はもう、あの醜い黒法衣を投げすてゝおしまひなさるのよ。
- 673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 19:34:49.17 ID:fFMNF83B1
- 貴方は騎士の中で、一番偉い、一番羨まれる騎士におなりになるのよ、貴方は私の恋人だわ。
- 674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 19:47:49.82 ID:fFMNF83B1
- 法王の云ふ事さへ聞かなかつたクラリモンドの晴れの恋人になるのだわ。
- 675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 20:00:52.70 ID:fFMNF83B1
- 少しは得意に思ふやうな事ぢやあなくつて。
- 676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 20:13:53.54 ID:fFMNF83B1
- あゝ、美しい、何とも云へぬ程仕合せな生涯を、うるはしい、黄金色の生活を、二人で楽むのね。
- 677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 20:26:54.41 ID:fFMNF83B1
- さうして、何時立つの。」
- 678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 20:39:55.77 ID:fFMNF83B1
- とわしは夢中になつて叫んだ。
- 679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 20:52:56.44 ID:fFMNF83B1
- 其間に御化粧をかへる事が出来てね。
- 680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 21:06:00.62 ID:fFMNF83B1
- これでは少し薄着だし、旅をするにはをかしいわ。
- 681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 21:19:01.38 ID:fFMNF83B1
- それから、私を死んだと思つて此上もなく悲しがつてゐるお友達に知らせを出さなければならないわ。
- 682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 21:32:02.43 ID:fFMNF83B1
- お金に着物に馬車に――
- 683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 21:45:03.50 ID:fFMNF83B1
- 皆支度が出来てゐてよ。
- 684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 21:58:04.39 ID:fFMNF83B1
- 私、今夜と同じ時刻にお尋ねするわ。
- 685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 22:11:05.97 ID:fFMNF83B1
- 彼女は軽く唇を、わしの額にふれた。
- 686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 22:24:06.92 ID:fFMNF83B1
- ランプは消えて、帳が元のやうに閉されると、凡てが又暗くなつた。
- 687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 22:37:07.91 ID:fFMNF83B1
- と、鉛のやうな、夢も見ない眠りがわしの上に落ちて、次の朝迄、わしを前後を忘れさせてしまつたのである。
- 688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 22:50:08.99 ID:fFMNF83B1
- わしは何時ものやうに朝遅く眼をさました。
- 689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 23:03:09.75 ID:fFMNF83B1
- そして其不思議な出来事の回想が終日、わしを煩した。
- 690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 23:16:11.84 ID:fFMNF83B1
- わしは遂にそれを、わしの熱した空想が造つた靄のやうなものだと思ひ直した。
- 691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 23:29:12.70 ID:fFMNF83B1
- が、其感覚が余りに溌剌としてゐるので、其事実でない事を信ずるのは、甚しく困難であつた。
- 692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 23:42:13.71 ID:fFMNF83B1
- そしてわしは来るべき事実に対する多少の予感を抱きながら、凡ての妄想を払つて、清浄な眠を守り給はむ事を神に祈つた後に、遂に床に就いたのであつた。
- 693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 23:55:15.46 ID:fFMNF83B1
- わしは直に深い眠りに落ちた。
- 694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 00:08:16.21 ID:wQk2tvXl8
- そしてわしの夢も続けられた。
- 695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 00:21:17.71 ID:wQk2tvXl8
- 帳が再び開いて、わしはクラリモンドの姿を見た。
- 696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 00:34:18.79 ID:wQk2tvXl8
- 青ざめた経帷子を青ざめた身に纏つて、頬に「死」
- 697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 00:47:19.68 ID:wQk2tvXl8
- の紫を印した前夜とは変つて、喜ばしげに活々して、緑がかつた董色の派出な旅行服の、金のレースで縁をとつたのを着て、両脇を綻ばせた所からは、繻子の袴がのぞいてゐる。
- 698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 01:00:20.50 ID:wQk2tvXl8
- 金髪の房々した捲毛を、いろいろな形に面白く撚つてある白い鳥の羽毛をつけた、黒い大きな羅紗の帽子の下から、こぼしてゐる彼女は、手に金色の呼笛のついた小さな鞭を持つて、軽くわしを叩きながら、かう叫んだ。
- 699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 01:13:21.07 ID:wQk2tvXl8
- 「さあ、よく寝てゐる方や、これが貴方の御支度なの。
- 700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 01:26:22.91 ID:wQk2tvXl8
- 私、貴方がもう起きて着物を着ていらつしやるかと思つたわ。
- 701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 01:39:23.72 ID:wQk2tvXl8
- 愚図々々しちやゐられないわ。」
- 702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 01:52:24.31 ID:wQk2tvXl8
- わしは直に寝床からとび出した。
- 703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 02:05:24.96 ID:wQk2tvXl8
- 「さあ、着物をきて頂戴。
- 704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 02:18:26.08 ID:wQk2tvXl8
- それから出かけませう。」
- 705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 02:31:27.66 ID:wQk2tvXl8
- 彼女は一しよに持つて来た小さな荷包を指さしながら、「馬が待遠しがつて、戸口で轡を噛んでゐるわ。
- 706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 02:44:28.29 ID:wQk2tvXl8
- 今時分はもう此処から三十哩も先きへ行つてゐる筈だつたのよ。」
- 707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 02:57:28.95 ID:wQk2tvXl8
- わしは急いで着物を着た。
- 708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 03:10:29.90 ID:wQk2tvXl8
- 彼女はわしに着物を一つ/\渡してくれた。
- 709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 03:23:30.56 ID:wQk2tvXl8
- そしてわしがどうかして間違へると着物の着方を教へながら、時にわしの不器用なのに呆れては噴き出してしまふのである。
- 710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 03:36:32.19 ID:wQk2tvXl8
- それがすむと今度は急いでわしの髪をなでつけてくれる。
- 711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 03:49:33.08 ID:wQk2tvXl8
- それもすむと、ヴェネチアの水晶に銀の細工の縁をとつた懐中鏡を、わしの前へ出して、面白さうにかう尋ねる。
- 712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 04:02:34.04 ID:wQk2tvXl8
- 私をお附きにかゝへて下すつて?」
- 713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 04:15:34.77 ID:wQk2tvXl8
- わしはもう、何時ものわしではない。
- 714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 04:28:35.53 ID:wQk2tvXl8
- そして自分でさへこれが自分とは思はれない。
- 715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 04:41:37.22 ID:wQk2tvXl8
- 云はゞ今のわしが、昔のわしに似てゐないのは、出来上つた石像が、石の塊に似てゐないのと同じ事なのである。
- 716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 04:54:37.98 ID:wQk2tvXl8
- わしの昔の顔は、鏡に映つた今の顔を下手な画工の描き崩した肖像のやうに思はれた。
- 717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 05:07:38.70 ID:wQk2tvXl8
- わしの虚栄心は此変化に心からそゝられずにはゐられなかつた。
- 718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 05:20:39.92 ID:wQk2tvXl8
- 美しく刺繍をした袍はわしを全くの別人にしてしまつたのである。
- 719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 05:33:40.64 ID:wQk2tvXl8
- わしは或型通りに断つてある五六尺の布がわしの上に加へた変化の力を、驚嘆して見戍つた。
- 720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 05:46:42.35 ID:wQk2tvXl8
- わしの衣裳の精霊は、わしの皮膚の中に滲み入つて、十分たつかたたぬ中にわしはどうやら一廉の豪華の児になつてしまつた。
- 721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 05:59:43.22 ID:wQk2tvXl8
- 此新衣裳に慣れようと思つて、わしは室の中を五六度歩いて見た。
- 722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 06:12:44.38 ID:wQk2tvXl8
- クラリモンドは花のやうな快楽を味ひでもするやうに、わしを見戍りながら、さも自分の手際に満足するらしく思はれた。
- 723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 06:25:44.98 ID:wQk2tvXl8
- 「さあ、もう遊ぶのは沢山よ、ロミュアル、これから出かけるのよ。
- 724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 06:38:45.98 ID:wQk2tvXl8
- 私達は遠くへ行かなければならないのだわ。
- 725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 06:54:23.42 ID:wQk2tvXl8
- さうして遅れちやあいけないのだわ。」
- 726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 07:09:24.05 ID:wQk2tvXl8
- 彼女はわしの手を執つて、外へ出た。
- 727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 12:16:51.03 ID:CP9lbZrbP
- ごらんなさい、私の手の掌は傷だらけぢやありませんか。
- 728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 12:30:37.19 ID:CP9lbZrbP
- さうすれば屹度癒るわ。」
- 729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 12:44:22.70 ID:CP9lbZrbP
- 彼女は冷い手の掌を代り/″\わしの口に当てた。
- 730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 12:58:08.35 ID:CP9lbZrbP
- わしは何度となくそれを接吻した。
- 731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 13:11:53.83 ID:CP9lbZrbP
- 其間も彼女は、溢るゝ許りの愛情の微笑をもらして、わしをぢつと見戍つてゐるのである。
- 732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 13:25:39.50 ID:CP9lbZrbP
- わしは恥しながら白状する。
- 733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 13:39:24.98 ID:CP9lbZrbP
- 此時わしは僧院長セラピオンの忠告もわしの服してゐる神聖な職務も悉く忘れてしまつた。
- 734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 13:53:10.89 ID:CP9lbZrbP
- わしは何の抵抗もせずに、一撃されて堕落に陥つてしまつたのである。
- 735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 14:06:56.35 ID:CP9lbZrbP
- クラリモンドの皮膚の新たな冷さはわしの皮膚に滲み入つて、わしが淫慾のをのゝきが、全身を通ふのを感ぜずにはゐられなかつた。
- 736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 14:20:41.79 ID:CP9lbZrbP
- わしが後に見た凡ての事があるのにも拘らず、わしは今も猶彼女が悪魔だとは殆ど信じる事が出来ない。
- 737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 14:34:27.36 ID:CP9lbZrbP
- 少くも彼女は何等さうした姿を示さなかつた。
- 738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 14:48:12.80 ID:CP9lbZrbP
- 悪女がこの様に巧に其爪と角とを隠した事は、嘗て無かつた事に相違ない。
- 739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 15:01:58.86 ID:CP9lbZrbP
- 彼女は床をあげて寝台の縁に坐りながら、しどけない媚に満ちた姿をして、時々小さな手をわしの髪の中に入れては、どうしたらわしの顔に似合ふかを見るやうに、わしの髪を撚つたり捲いたりしてゐるのである。
- 740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 15:15:44.33 ID:CP9lbZrbP
- わしが、罪障の深い悦楽に酔つて、彼女の手にわしの体を任せると、彼女は又、其やさしい戯れと共に、楽しげに種々な物語をしてくれる。
- 741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 15:29:29.77 ID:CP9lbZrbP
- しかも最も驚くべき事は、わしが此様な不思議な出来事に際会しながら何等の驚異をも感じなかつたと云ふ事である。
- 742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 15:43:15.58 ID:CP9lbZrbP
- 丁度夢の中では人がどの様な空想的な事件でも、単なる事実として受入れるやうに、わしにも、是等の事情は全く自然であるが如くに思はれたのである。
- 743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 15:57:01.14 ID:CP9lbZrbP
- 「貴方に会はないずつと前から私は貴方を愛してゐてよ。
- 744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 16:10:47.10 ID:CP9lbZrbP
- 可愛いゝロミュアル、さうして方々探してあるいてゐたのだわ。
- 745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 16:24:32.65 ID:CP9lbZrbP
- 貴方は私の愛だつたのよ。
- 746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 16:38:18.24 ID:CP9lbZrbP
- あの時あの教会で始めてお目にかゝつたでせう。
- 747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 16:52:04.31 ID:CP9lbZrbP
- 私、直に『之があの人だ』
- 748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 17:05:49.78 ID:CP9lbZrbP
- つて云つたわ、それから、私の持つてゐた愛、私の今持つてゐる、私の是から先に持つと思ふ、すべての愛を籠めた眸で見て上げたの――
- 749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 17:19:35.23 ID:CP9lbZrbP
- 其眼で見ればどんな大僧正でも王様でも家来たちが皆見てゐる前で、私の足下に跪いてしまふのよ。
- 750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 17:33:20.80 ID:CP9lbZrbP
- けれど貴方は平気でいらしつたわね、私より神様の方がいゝつて。
- 751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 17:47:06.78 ID:CP9lbZrbP
- 「私、ほんたうに神様が憎くらしいわ、貴方はあの時も神様が好きだつたし、今でも私より好きなのね。
- 752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 18:00:52.35 ID:CP9lbZrbP
- 「あゝ、あゝ、私は不仕合せね、私は貴方の心をすつかり私の有にする事が出来ないのね。
- 753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 18:14:37.83 ID:CP9lbZrbP
- 貴方が接吻で生かして下すつた私――
- 754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 18:28:23.31 ID:CP9lbZrbP
- 貴方の為に利の門を崩して、貴方を仕合せにしてあげたいばつかりに、命を貴方に捧げてゐる私。」
- 755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 18:42:08.80 ID:CP9lbZrbP
- 彼女の話は、悉く最も熱情に満ちた撫愛に伴はれた。
- 756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 18:55:54.49 ID:CP9lbZrbP
- 其撫愛はわしの感覚と理性とを悩ませて、わしは遂に彼女を慰める為に、恐しい涜神の言を放つて、神を愛する如く彼女を愛すると叫ぶのさへ憚らないやうになつた。
- 757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 19:09:40.04 ID:CP9lbZrbP
- すると、彼女の眼は、再び緑玉髄の如く輝いた。
- 758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 19:23:25.46 ID:CP9lbZrbP
- 彼女は其美しい胸にわしを抱きながら叫んだ。
- 759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 19:37:10.97 ID:CP9lbZrbP
- 「それなら、貴方、私と一しよにいらつしやるわね、どこへでも私の好きな処へついていらつしやるわね、貴方はもう、あの醜い黒法衣を投げすてゝおしまひなさるのよ。
- 760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 19:50:56.70 ID:CP9lbZrbP
- 貴方は騎士の中で、一番偉い、一番羨まれる騎士におなりになるのよ、貴方は私の恋人だわ。
- 761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 20:04:42.30 ID:CP9lbZrbP
- 法王の云ふ事さへ聞かなかつたクラリモンドの晴れの恋人になるのだわ。
- 762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 20:18:27.96 ID:CP9lbZrbP
- 少しは得意に思ふやうな事ぢやあなくつて。
- 763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 20:32:15.62 ID:CP9lbZrbP
- あゝ、美しい、何とも云へぬ程仕合せな生涯を、うるはしい、黄金色の生活を、二人で楽むのね。
- 764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 20:46:01.22 ID:CP9lbZrbP
- さうして、何時立つの。」
- 765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 20:59:46.97 ID:CP9lbZrbP
- とわしは夢中になつて叫んだ。
- 766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 21:13:32.58 ID:CP9lbZrbP
- 其間に御化粧をかへる事が出来てね。
- 767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 21:27:18.27 ID:CP9lbZrbP
- これでは少し薄着だし、旅をするにはをかしいわ。
- 768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 21:41:03.90 ID:CP9lbZrbP
- それから、私を死んだと思つて此上もなく悲しがつてゐるお友達に知らせを出さなければならないわ。
- 769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 21:54:49.42 ID:CP9lbZrbP
- お金に着物に馬車に――
- 770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 22:08:35.17 ID:CP9lbZrbP
- 皆支度が出来てゐてよ。
- 771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 22:22:20.72 ID:CP9lbZrbP
- 私、今夜と同じ時刻にお尋ねするわ。
- 772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 22:36:06.34 ID:CP9lbZrbP
- 彼女は軽く唇を、わしの額にふれた。
- 773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 22:49:51.84 ID:CP9lbZrbP
- ランプは消えて、帳が元のやうに閉されると、凡てが又暗くなつた。
- 774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 23:03:37.28 ID:CP9lbZrbP
- と、鉛のやうな、夢も見ない眠りがわしの上に落ちて、次の朝迄、わしを前後を忘れさせてしまつたのである。
- 775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 23:17:22.90 ID:CP9lbZrbP
- わしは何時ものやうに朝遅く眼をさました。
- 776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 23:31:08.38 ID:CP9lbZrbP
- そして其不思議な出来事の回想が終日、わしを煩した。
- 777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 23:44:53.94 ID:CP9lbZrbP
- わしは遂にそれを、わしの熱した空想が造つた靄のやうなものだと思ひ直した。
- 778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 23:58:39.41 ID:CP9lbZrbP
- が、其感覚が余りに溌剌としてゐるので、其事実でない事を信ずるのは、甚しく困難であつた。
- 779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 00:12:24.96 ID:i1dICZkjT
- そしてわしは来るべき事実に対する多少の予感を抱きながら、凡ての妄想を払つて、清浄な眠を守り給はむ事を神に祈つた後に、遂に床に就いたのであつた。
- 780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 00:26:10.45 ID:i1dICZkjT
- わしは直に深い眠りに落ちた。
- 781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 00:39:55.95 ID:i1dICZkjT
- そしてわしの夢も続けられた。
- 782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 00:53:41.55 ID:i1dICZkjT
- 帳が再び開いて、わしはクラリモンドの姿を見た。
- 783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 01:07:27.12 ID:i1dICZkjT
- 青ざめた経帷子を青ざめた身に纏つて、頬に「死」
- 784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 01:21:12.85 ID:i1dICZkjT
- の紫を印した前夜とは変つて、喜ばしげに活々して、緑がかつた董色の派出な旅行服の、金のレースで縁をとつたのを着て、両脇を綻ばせた所からは、繻子の袴がのぞいてゐる。
- 785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 01:34:58.31 ID:i1dICZkjT
- 金髪の房々した捲毛を、いろいろな形に面白く撚つてある白い鳥の羽毛をつけた、黒い大きな羅紗の帽子の下から、こぼしてゐる彼女は、手に金色の呼笛のついた小さな鞭を持つて、軽くわしを叩きながら、かう叫んだ。
- 786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 01:48:43.87 ID:i1dICZkjT
- 「さあ、よく寝てゐる方や、これが貴方の御支度なの。
- 787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 02:02:29.57 ID:i1dICZkjT
- 私、貴方がもう起きて着物を着ていらつしやるかと思つたわ。
- 788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 02:16:15.06 ID:i1dICZkjT
- 愚図々々しちやゐられないわ。」
- 789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 02:30:00.51 ID:i1dICZkjT
- わしは直に寝床からとび出した。
- 790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 02:43:45.92 ID:i1dICZkjT
- 「さあ、着物をきて頂戴。
- 791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 02:57:31.36 ID:i1dICZkjT
- それから出かけませう。」
- 792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 03:11:16.99 ID:i1dICZkjT
- 彼女は一しよに持つて来た小さな荷包を指さしながら、「馬が待遠しがつて、戸口で轡を噛んでゐるわ。
- 793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 03:25:02.44 ID:i1dICZkjT
- 今時分はもう此処から三十哩も先きへ行つてゐる筈だつたのよ。」
- 794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 03:38:48.02 ID:i1dICZkjT
- わしは急いで着物を着た。
- 795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 03:52:33.63 ID:i1dICZkjT
- 彼女はわしに着物を一つ/\渡してくれた。
- 796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 04:06:19.14 ID:i1dICZkjT
- そしてわしがどうかして間違へると着物の着方を教へながら、時にわしの不器用なのに呆れては噴き出してしまふのである。
- 797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 04:20:04.82 ID:i1dICZkjT
- それがすむと今度は急いでわしの髪をなでつけてくれる。
- 798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 04:33:50.84 ID:i1dICZkjT
- それもすむと、ヴェネチアの水晶に銀の細工の縁をとつた懐中鏡を、わしの前へ出して、面白さうにかう尋ねる。
- 799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 04:47:36.32 ID:i1dICZkjT
- 私をお附きにかゝへて下すつて?」
- 800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 05:01:21.80 ID:i1dICZkjT
- わしはもう、何時ものわしではない。
- 801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 05:15:07.27 ID:i1dICZkjT
- そして自分でさへこれが自分とは思はれない。
- 802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 05:28:52.94 ID:i1dICZkjT
- 云はゞ今のわしが、昔のわしに似てゐないのは、出来上つた石像が、石の塊に似てゐないのと同じ事なのである。
- 803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 05:42:38.54 ID:i1dICZkjT
- わしの昔の顔は、鏡に映つた今の顔を下手な画工の描き崩した肖像のやうに思はれた。
- 804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 05:56:24.03 ID:i1dICZkjT
- わしの虚栄心は此変化に心からそゝられずにはゐられなかつた。
- 805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 06:10:09.61 ID:i1dICZkjT
- 美しく刺繍をした袍はわしを全くの別人にしてしまつたのである。
- 806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 06:23:55.07 ID:i1dICZkjT
- わしは或型通りに断つてある五六尺の布がわしの上に加へた変化の力を、驚嘆して見戍つた。
- 807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 06:37:40.66 ID:i1dICZkjT
- わしの衣裳の精霊は、わしの皮膚の中に滲み入つて、十分たつかたたぬ中にわしはどうやら一廉の豪華の児になつてしまつた。
- 808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 06:51:26.11 ID:i1dICZkjT
- 此新衣裳に慣れようと思つて、わしは室の中を五六度歩いて見た。
- 809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 07:05:11.56 ID:i1dICZkjT
- クラリモンドは花のやうな快楽を味ひでもするやうに、わしを見戍りながら、さも自分の手際に満足するらしく思はれた。
- 810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 07:18:57.01 ID:i1dICZkjT
- 「さあ、もう遊ぶのは沢山よ、ロミュアル、これから出かけるのよ。
- 811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 07:32:42.91 ID:i1dICZkjT
- 私達は遠くへ行かなければならないのだわ。
- 812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 07:46:28.83 ID:i1dICZkjT
- さうして遅れちやあいけないのだわ。」
- 813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 08:00:14.29 ID:i1dICZkjT
- 彼女はわしの手を執つて、外へ出た。
- 814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 08:14:00.19 ID:i1dICZkjT
- 戸と云ふ戸は、彼女が手をふれると忽ちに開くのである。
- 815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 08:27:45.64 ID:i1dICZkjT
- わし達は犬の眼もさまさずに其の側を通りぬけた。
- 816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 08:41:31.10 ID:i1dICZkjT
- 門口でわしは、前にわしの護衛兵だつた、あの黒人の扈従のマルゲリトンを見た。
- 817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 08:55:17.28 ID:i1dICZkjT
- 彼は三頭の馬の轡を控へてゐる――
- 818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 09:09:02.76 ID:i1dICZkjT
- 三頭共、わしをあの城へ伴れて行つた馬のやうに黒い。
- 819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 09:22:48.23 ID:i1dICZkjT
- 一頭はわしの為、一頭は彼の為、一頭はクラリモンドの為である。
- 820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 09:36:33.67 ID:i1dICZkjT
- 是等の馬は、西風の神の胎をうけた牝馬が生んだと云ふ西班牙馬に相違ない。
- 821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 09:50:19.24 ID:i1dICZkjT
- 何故と云へば彼等は風のやうに疾いからである。
- 822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 10:04:04.86 ID:i1dICZkjT
- 門を出る時に丁度東に上つて路上のわし達を照した明月は戦車から外れた車輪のやうに、空中を転げまはつて、右の方、梢から梢へ飛び移りながら、息を切らしてわし達に伴いて来る。
- 823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 10:17:50.59 ID:i1dICZkjT
- 間も無く一行はとある平野に来た。
- 824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 10:31:36.18 ID:i1dICZkjT
- 其処には四頭の大きな馬に曳かせた馬車が一台一叢の木蔭に待つてゐる。
- 825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 10:45:21.83 ID:i1dICZkjT
- で、それへ乗り移ると今度は馭者が気違ひのやうに馬を走らせる。
- 826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 10:59:07.56 ID:i1dICZkjT
- わしは片手をクラリモンドの肩にまはして、彼女の片手をわしの手に執つてゐた、彼女の頭はわしの肩に靠れて、わしは半ば露した彼女の胸が軽く、わしの腕を圧するのを感じるのである。
- 827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 11:12:53.13 ID:i1dICZkjT
- わしは此様な熾烈な快楽を味つた事はない。
- 828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 11:26:38.59 ID:i1dICZkjT
- 其間にわしは凡ての事を忘れてゐた。
- 829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 11:40:24.16 ID:i1dICZkjT
- わしが僧侶だつたと云ふ事を覚えてゐるのも、わしが母の腹の中にゐた事を覚えてゐるのと同じ程にしか考へられなかつた。
- 830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 11:54:09.77 ID:i1dICZkjT
- 此悪魔がわしの上にかけた蠱惑は、是程大きかつたのである。
- 831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 12:07:55.72 ID:i1dICZkjT
- 其夜からわしの性質は、或意味に於て二等分されたやうに思はれる。
- 832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 12:21:42.12 ID:i1dICZkjT
- 云はゞわしの内に二人の人がゐて、それが互に知らずにゐるのである。
- 833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 12:35:12.62 ID:i1dICZkjT
- 或時はわしは自分が夜になると紳士になつた夢を見る僧侶だと思ふが、又或時には、僧侶になつた夢を見てゐる紳士だと思ふ事もある。
- 834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 12:48:43.08 ID:i1dICZkjT
- わしは夢と現実とを分つ事も出来なければ、何処に現実が始まり、何処に夢が定るかさへも見出す事が出来なかつた。
- 835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 13:02:13.52 ID:i1dICZkjT
- 貴公子の道楽者は僧侶を馬鹿にするし、僧侶は、貴公子の放埒を罵るのである。
- 836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 13:15:43.97 ID:i1dICZkjT
- 互にもつれ合ひながら、しかも互に触れる事のない二つの螺線は、わしの此二面の生活を、遺憾なく示してゐる。
- 837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 13:29:14.57 ID:i1dICZkjT
- しかしわしは、此状態が此様な不思議な性質を持つてゐるにも拘らず、一分でも気違ひになる気などは起らなかつた。
- 838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 13:42:45.08 ID:i1dICZkjT
- わしは常に、思切つて溌剌とした心で、わしの二つの生活を気長く観照してゐたのである。
- 839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 13:56:15.56 ID:i1dICZkjT
- が、唯一つ、わしにも説明の出来ない妙な事があつた――
- 840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 14:09:46.23 ID:i1dICZkjT
- 即ちそれは同じ個人性の意識が、全く性格の背反した二人の人間の中に存在してゐたと云ふ事である。
- 841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 14:23:17.14 ID:i1dICZkjT
- の寒村の牧師補と思つたか、クラリモンドの肩書附きの恋人、ロムアルドオ閣下と思つたか、どうか――
- 842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 14:36:47.70 ID:i1dICZkjT
- これがわしの不思議に思ふ一つの変則なのである。
- 843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 14:50:18.28 ID:i1dICZkjT
- 兎も角も、わしはヴェニスに住んだ。
- 844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 15:03:48.79 ID:i1dICZkjT
- 少くも住んだと信じてゐた。
- 845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 15:17:19.39 ID:i1dICZkjT
- わしが此幻怪な事実の中にどれ程の幻想と印象とが含まれてゐるかを正確に発見するのは到底不可能である。
- 846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 15:30:50.02 ID:i1dICZkjT
- わし達は、カナレイオの辺の、壁画と石像との沢山ある、大きな宮殿に住んでゐた、それは一国の王宮にしても恥しくないやうな宮殿で、わし達は各々ゴンドラの制服を着たバルカロリも、音楽室も、御抱への詩人も持つてゐた。
- 847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 15:44:20.78 ID:i1dICZkjT
- 殊にクラリモンドは、大規模な生活を恣にするのが常であつた。
- 848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 15:57:51.36 ID:i1dICZkjT
- 彼女の性格にはクレオパトラに似た何物かが潜んでゐるのである。
- 849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 16:11:21.81 ID:i1dICZkjT
- わしはと云ふと又王子のやうな宮臣の一列を従へて、常に大国の四福音宣伝師か十二使徒の一人と一家ででもあるやうな、畏敬を以て迎へられてゐた。
- 850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 16:24:52.25 ID:i1dICZkjT
- わしは大統領を通すのでさへ、道を譲らうとはしなかつた。
- 851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 16:38:22.71 ID:i1dICZkjT
- 魔王が天国から堕落して以来、わしより傲慢不遜な人間が此世にゐたとは信じられぬ。
- 852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 16:51:53.26 ID:i1dICZkjT
- わしは又、リドットにも行つて、地獄のものとしか思はれぬ運をさへ弄んだ。
- 853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 17:05:23.71 ID:i1dICZkjT
- わしはあらゆる社会の最も善良な部分――
- 854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 17:18:54.41 ID:i1dICZkjT
- 没落した家の子供達とか女役者とか奸黠な悪人とか佞人とか空威張をする人間とか――
- 855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 17:32:24.85 ID:i1dICZkjT
- そして此様な生活に沈湎しながらも、わしは常にクラリモンドを忘れなかつた。
- 856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 17:45:55.76 ID:i1dICZkjT
- わしは実に狂気のやうに彼女を愛してゐたのである。
- 857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 17:59:26.34 ID:i1dICZkjT
- 一人のクラリモンドを持つのは、二十人の情婦を持つのにも均しい。
- 858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 18:12:56.78 ID:i1dICZkjT
- 否、あらゆる女を持つのにも均しい。
- 859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 18:26:27.22 ID:i1dICZkjT
- 彼女は其一身に、無数の容貌の変化と無数の清新な嬌艶とを蔵してゐる――
- 860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 18:39:57.65 ID:i1dICZkjT
- 真に彼女は女のカメレオンである。
- 861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 18:53:28.16 ID:i1dICZkjT
- 彼女はわしの愛を百倍にして返して呉れた。
- 862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 19:06:58.84 ID:i1dICZkjT
- 彼女の求めるのは唯、愛である――
- 863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 19:20:29.32 ID:i1dICZkjT
- 彼女自身によつて目醒まされた、清浄な青春の愛である。
- 864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 19:34:00.36 ID:i1dICZkjT
- しかも其愛は最初の、又最後の情熱でなければならない。
- 865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 19:47:30.87 ID:i1dICZkjT
- かくしてわしも常に幸福であつた。
- 866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 20:01:01.40 ID:i1dICZkjT
- 唯、不幸なのは、毎夜必ず魘される時だけで、其の時はわしが貧しい田舎の牧師補になつた夢を見ながら、昼間の淫楽を悔いて、贖罪と苦行とに一身を捧げてゐるのである。
- 867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 20:14:32.09 ID:i1dICZkjT
- わしは、常は彼女と親しんでゐられるのに安んじて、わしがクラリモンドと知るやうになつた不思議な関係を此上考へて見ようとはしなかつた。
- 868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 20:28:02.82 ID:i1dICZkjT
- 併し彼女に関する僧院長セラピオンの言は、屡々わしの記憶に現れて、わしの心に不安を与へずにはゐなかつた。
- 869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 20:41:33.36 ID:i1dICZkjT
- 其内に暫くの間クラリモンドの健康が平素のやうにすぐれなかつた。
- 870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 20:55:07.34 ID:i1dICZkjT
- 顔の色も日にまし青ざめる。
- 871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 21:08:37.88 ID:i1dICZkjT
- 医師を呼んで診せても、病気の質がわからないので、どう治療していゝか見当が附かない。
- 872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 21:22:08.80 ID:i1dICZkjT
- 彼等は皆、役にも立たぬ処方箋を書いて、二度目からは来なくなつてしまふのである。
- 873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 21:35:39.43 ID:i1dICZkjT
- けれ共彼女の顔色は、著しく青ざめて、一日は一日と冷くなる。
- 874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 21:49:09.95 ID:i1dICZkjT
- そして遂には殆どあの不思議な城の記憶すべき夜のやうに、白く、血の気もなくなつてしまつた。
- 875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 22:02:40.94 ID:i1dICZkjT
- わしは此様に徐々と死んでゆく彼女を見るに堪へないで、云ふ可からざる苦痛に苛まれたが、わしの苦悶に動かされたのであらう、彼女は、丁度死なねばならぬ事を知つた者の末期の微笑のやうに、悲しく又やさしく、わしの顔を見てほゝ笑んだ。
- 876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 22:16:11.50 ID:i1dICZkjT
- 或朝、わしは彼女の寝床の傍に坐つて、直側に置いてある小さな食卓で朝飯を認めてゐた。
- 877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 22:29:42.13 ID:i1dICZkjT
- それはわしが一分でも彼女の側を離れたくないと思つたからである。
- 878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 22:43:13.04 ID:i1dICZkjT
- で、或る果物を切らうとした所が、わしは誤つて稍々深くわしの指を傷けた。
- 879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 22:56:43.50 ID:i1dICZkjT
- すると血がすぐに小さな鮮紅の玉になつて流れ出したが、其滴が二滴三滴、クラリモンドにかゝつたと思ふと彼女の眼は忽ちに輝いて、其顔にも亦、わしが嘗て見た事の無いやうな、荒々しい、恐しい喜びの表情が現れた。
- 880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 23:10:14.02 ID:i1dICZkjT
- 彼女は忽ち獣の如く軽快に、寝床から躍り出て――
- 881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 23:23:44.48 ID:i1dICZkjT
- 丁度猿か猫のやうに軽快に――
- 882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 23:37:17.32 ID:i1dICZkjT
- わしの傷口に飛びつくと、云ひ難い愉快を感じるやうに、わしの血をすゝり始めた。
- 883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 23:50:47.81 ID:i1dICZkjT
- しかも彼女は静かに注意しつゝ、恰も鑑定上手が、セレスやシラキュウズの酒を味ふやうに、其小さな口に何杯となく啜つて飽かないのである。
- 884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 00:04:18.26 ID:IqMH65DQ7
- と、次第に彼女の瞼は垂れ、緑色の眼の瞳は円いと云ふよりも、寧ろ楕円になつた。
- 885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 00:17:48.83 ID:IqMH65DQ7
- そしてわしの手に接吻しようとしては、口を離すかと思ふと、又更に幾滴かの紅い滴を吸ひ出さうとして、わしの傷口に其唇をあてるのであつた。
- 886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 00:31:19.45 ID:IqMH65DQ7
- 血がもう出ないのを見ると、彼女は瑞々した、光のある眼を輝かしながら、五月の朝よりも薔薇色に若やいで、身を起した。
- 887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 00:44:50.05 ID:IqMH65DQ7
- 顔はつや/\と肉附いて、手も温かにしめつてゐる――
- 888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 00:58:20.49 ID:IqMH65DQ7
- 常よりも一層美しく、健康も今は全く恢復してゐるのである。
- 889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 01:11:50.93 ID:IqMH65DQ7
- 「私もう死なないわ、死なないわ。」
- 890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 01:25:21.84 ID:IqMH65DQ7
- 悦びに半ば狂したやうにわしの首に縋りつきながら、彼女はかう叫んだ。
- 891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 01:38:52.29 ID:IqMH65DQ7
- 「私はまだ長い間貴方を愛してあげる事が出来てよ。
- 892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 01:52:34.70 ID:IqMH65DQ7
- 私の命は貴方の有だわ。
- 893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 02:06:11.15 ID:IqMH65DQ7
- 私の中にある物は皆、貴方から来たのだわ。
- 894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 02:19:41.80 ID:IqMH65DQ7
- 貴方の豊な貴い血の滴が、世界中のどの不死の薬よりも得難い、力のつく薬なの。
- 895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 02:33:12.30 ID:IqMH65DQ7
- その血の滴のおかげで私は命を取返したのだわ。」
- 896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 02:46:43.12 ID:IqMH65DQ7
- 此光景は長い間、わしの記憶に上つて来た。
- 897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 03:00:13.86 ID:IqMH65DQ7
- そしてクラリモンドに対する不思議な疑惑をわしに起させた。
- 898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 03:13:44.36 ID:IqMH65DQ7
- 丁度其の夜、睡がわしを牧師館に移した時に、わしは僧院長セラピオンが平素よりは一層真面目な、一層気づかはしさうな顔をしてゐるのを見た。
- 899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 03:27:14.93 ID:IqMH65DQ7
- 彼はぢつとわしを見つめてゐたが、悲しげに叫んで云ふには「お前は霊魂を失ふ丈では飽足りなくて、肉体をも失はうとするのかの。
- 900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 03:40:45.40 ID:IqMH65DQ7
- 見下げ果てた奴め、何と云ふ恐しい目にあふものぢや。」
- 901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 03:54:16.46 ID:IqMH65DQ7
- 彼のかう云つた調子は、強くわしを動かした。
- 902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 04:07:47.08 ID:IqMH65DQ7
- が、此記憶の鮮かなのにも拘らず、其印象さへ間も無く消えてしまつて、数知れぬ外の心配がわしの心からそれを移してしまつた。
- 903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 04:21:17.56 ID:IqMH65DQ7
- 遂にある夜わしはクラリモンドが、食事の後で日頃わしにすゝめるを常とした香味入りの酒の杯へ、何やら粉薬を入れるのを見てとつた。
- 904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 04:34:48.14 ID:IqMH65DQ7
- それは彼女がさうとは気が附かずに立てゝ置いた鏡に映つて見えたのである。
- 905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 04:48:18.63 ID:IqMH65DQ7
- わしは杯をとり上げて、口へ持つてゆく真似をして、それから、後で飲むつもりのやうに手近にあつた家具の上へのせて置いた。
- 906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 05:01:49.65 ID:IqMH65DQ7
- で、彼女が後を向いた隙を窺つて、中の酒を卓の下へあけると、其儘、わしの閨へ退いて床の上に横になつた。
- 907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 05:15:20.39 ID:IqMH65DQ7
- わしは少しも眠らずに、此神秘から何が起るか気を附けて見出さうと決心したのである。
- 908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 05:28:50.99 ID:IqMH65DQ7
- 待つ間もなく、クラリモンドは、寝衣を着てはひつて来た。
- 909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 05:42:21.58 ID:IqMH65DQ7
- そして寝床の上に上つてわしの傍に横になつた。
- 910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 05:55:52.58 ID:IqMH65DQ7
- 彼女はわしが睡つてゐるのを確めると、わしの腕をまくつて、髪から金の留針をぬきながら、低い声でかう呟き始めた。
- 911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 06:09:23.06 ID:IqMH65DQ7
- 「一滴、たつた一滴、私の針の先へ紅宝玉をたつた一滴……
- 912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 06:22:54.09 ID:IqMH65DQ7
- 貴方はまだ私を愛してゐるのですから、私はまだ死なれません……
- 913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 06:36:24.53 ID:IqMH65DQ7
- あゝ可哀さうに、私は美しい血を、まつ赤な血を飲まなければならないのね、お休みなさい、私のたつた一の宝物、お眠みなさい、私の神、私の子供、私は貴方に害をしようと思つてはゐなくつてよ。
- 914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 06:49:54.98 ID:IqMH65DQ7
- 私は唯、貴方の命から、私の命が永久に亡びてしまはない丈の物を頂くのだわ。
- 915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 07:03:25.47 ID:IqMH65DQ7
- 私は貴方を愛してゐるのでせう、だから私は外に恋人を拵へて、其人の血管を吸ひ干す事にした方がいゝのだわ。
- 916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 07:16:55.92 ID:IqMH65DQ7
- けれど貴方を知つてから、私、外の男は皆厭になつてしまつたのですもの……
- 917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 07:30:26.50 ID:IqMH65DQ7
- まあ美しい腕ね、何と云ふ円いのだらう、何と云ふ白いのだらう、どうして私は此様な青い血管を傷ける事が出来るのだらう。」
- 918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 07:43:57.07 ID:IqMH65DQ7
- かう呟き乍ら、彼女はさめ/″\と涙を流した。
- 919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 07:57:27.53 ID:IqMH65DQ7
- 其時わしは、彼女がわしの腕を執りながら、其上に落す涙を感じたのであつた。
- 920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 08:10:58.13 ID:IqMH65DQ7
- 遂に彼女は意を決して、其留針で一寸わしを刺した。
- 921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 08:24:28.62 ID:IqMH65DQ7
- そして其処から滴る血を吸ひ始めた。
- 922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 08:37:59.25 ID:IqMH65DQ7
- 彼女はほんの五六滴しか飲まなかつたが、わしの眼を醒ますのを怖れたので、丁寧に小さな布でわしの腕を括つてくれた。
- 923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 08:51:29.84 ID:IqMH65DQ7
- それから後で又傷を膏薬でこすつてくれたので、傷は直に癒つてしまつた。
- 924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 09:05:00.78 ID:IqMH65DQ7
- 僧院長セラピオンが正しかつたのである。
- 925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 09:18:31.24 ID:IqMH65DQ7
- が、此積極的な知識があるにも拘らず、わしはクラリモンドを愛するのを禁ずる事が出来なかつた。
- 926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 09:32:01.74 ID:IqMH65DQ7
- そして喜んで其人工の生命を与へるに足る丈の血潮を、自ら進んで与へようと思つた。
- 927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 09:45:32.46 ID:IqMH65DQ7
- 加之、わしは殆ど彼女を怖しく思はなかつた。
- 928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 09:59:03.00 ID:IqMH65DQ7
- わしはわしの血を一滴づつ取引するよりも、わしの腕の血管を自ら剖いて、彼女にかう云つてやりたかつた。
- 929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 10:12:33.55 ID:IqMH65DQ7
- 「お飲み、さうしてわしの愛をわしの血潮と一しよに、お前の体に滲透らせておくれ。」
- 930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 10:26:04.07 ID:IqMH65DQ7
- わしは、彼女がわしに拵へてくれた魔酔の酒の事や、あの留針の出来事には、気をつけて一言もそれに及ばないやうにした。
- 931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 10:39:34.65 ID:IqMH65DQ7
- そしてわし達は最も円満な調和を楽しんでゆく事が出来たのである。
- 932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 10:53:05.37 ID:IqMH65DQ7
- けれ共、わしの沙門らしい優柔は、常よりも一層、わしを苛み始めた。
- 933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 11:06:36.05 ID:IqMH65DQ7
- そしてわしは、わしの肉を苦しめ制する為に、何か新しい贖罪を発明するのさへ、想像するに苦しむやうになつた。
- 934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 11:20:06.54 ID:IqMH65DQ7
- 是等の幻は無意志的なもので、わしは実際それに関する何事にも与らなかつたがそれでも猶、わしは事実にせよ夢幻にせよ、此様な淫楽に汚れた心と不浄な手とを以てしては、到底基督の体に触れる事が出来なかつた。
- 935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 11:33:37.02 ID:IqMH65DQ7
- わしは此懶い幻惑の力に圧へられるのを免れようとして、先づ眠に陥るのを防がうと努力した。
- 936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 11:47:07.49 ID:IqMH65DQ7
- そこでわしは指で瞼を開いてゐたり、数時間も真直に壁に倚り懸てゐたりして、全力を振つて眠と戦つて見たのである。
- 937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 12:00:38.08 ID:IqMH65DQ7
- けれ共睡魔は絶えずわしの眼を襲つて、凡ての抵抗が無駄になつたと思ふと、わしは極度の疲労に堪へずして、両腕を力なく下げたまゝ、再び睡の潮流に楽慾の彼岸に運ばれて了ふ。
- 938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 12:14:08.80 ID:IqMH65DQ7
- セラピオンは、峻烈を極めた訓戒を加へて、厳しくわしの意気地の無いのと、勇猛心の不足なのとを責めたが、遂に或日、わしが平素より一層心を苦しめてゐると、わしにかう云つてくれた。
- 939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 12:27:25.12 ID:IqMH65DQ7
- 「此不断の呵責を免れることの出来るのは、唯、一策がある許りぢや。
- 940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 12:40:41.25 ID:IqMH65DQ7
- 尤も非常に出た策だと云ふ嫌はあるが役には立つに相違ない。
- 941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 12:53:56.71 ID:IqMH65DQ7
- 難病は劇薬を要すると云ふものぢや。
- 942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 13:07:12.43 ID:IqMH65DQ7
- わしはクラリモンドの埋められた処を知つてゐるし、それにはあの女の屍を発いて、お前の恋する女がどのやうな憐な姿になつてゐるかを見なければならぬ。
- 943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 13:20:27.91 ID:IqMH65DQ7
- さうすればお前も、蛆に食はれた、塵になるばかりの屍の為に、霊魂を失ふやうな迷には陥らぬやうにならう。
- 944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 13:33:43.36 ID:IqMH65DQ7
- 此策は必ずお前を救ふに相違ないて。」
- 945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 13:46:58.83 ID:IqMH65DQ7
- わしは此二重生活に困憊してゐたので、貴公子か僧侶かどちらが幻惑の犠牲だかを確め度いばかりに直に之を快諾した。
- 946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 14:00:14.28 ID:IqMH65DQ7
- わしは全くわしの心の中にゐる二人の男の一人を、もう一人の利益の為に殺すか、又は二人共殺すか、どちらか一つにする決心でゐた。
- 947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 14:13:29.92 ID:IqMH65DQ7
- それは此様な怖しい存在は続けられる事も、堪へられる事も出来なかつたからである。
- 948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 14:26:45.54 ID:IqMH65DQ7
- そこで僧院長セラピオンは鶴嘴と挺と角燈とを整へて、わし達二人は真夜中に場所も位置も彼のよく知つてゐる――
- 949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 14:40:01.05 ID:IqMH65DQ7
- の墓地へ出かけたのであつた。
- 950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 14:53:16.50 ID:IqMH65DQ7
- 暗い角燈の光を五六の墓石の碑銘に向けた後に、わし達は遂に、半大きな雑草に掩はれて、其上又苔と寄生植物とに侵された大きな板石の前に出た。
- 951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 15:06:31.97 ID:IqMH65DQ7
- そして其上に、わし達は下のやうな墓碑銘の首句を探り読む事が出来たのである。
- 952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 15:19:47.80 ID:IqMH65DQ7
- 女性の中の最も美しき女性として
- 953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 15:33:03.24 ID:IqMH65DQ7
- クラリモンドこそ此処に眠れ
- 954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 15:46:18.72 ID:IqMH65DQ7
- とセラピオンが呟いた。
- 955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 15:59:34.29 ID:IqMH65DQ7
- そして角燈を地上に置くと、石の端の下へ挺の先を押入れて、其石を擡げ始めた。
- 956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 16:12:49.81 ID:IqMH65DQ7
- 石が自由になると彼は更に寄生植物を取除けにかゝつた。
- 957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 16:26:05.39 ID:IqMH65DQ7
- わしは夜よりも暗く、夜よりも更に語なく、傍に立つて、ぢつと彼のする事を見戍つた。
- 958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 16:39:20.88 ID:IqMH65DQ7
- 其間に彼は其凄惨な労働に腰をかゞめて、汗にぬれながら喘いでゐる。
- 959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 16:52:36.40 ID:IqMH65DQ7
- わしには彼の苦しさうに吐く息が、末期の痰のつまる音のやうな調子を持つてゐるかと疑はれた。
- 960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 17:05:51.85 ID:IqMH65DQ7
- それは真に幽怪な光景であつた。
- 961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 17:19:07.34 ID:IqMH65DQ7
- 外から誰でもわし達を見る人があつたなら、其人はわし達を神の僧侶と思ふよりは寧ろ涜神の痴者が経帷子を盗む者と思つたに相違ない。
- 962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 17:32:22.93 ID:IqMH65DQ7
- セラピオンの熱心には、執拗な酷烈な何物かがあつて、それが彼に天使とか使徒とか云ふものよりも却つて邪鬼の形相を与へてゐた。
- 963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 17:45:38.53 ID:IqMH65DQ7
- 其大きな、鷲のやうな顔は、角燈の光で、鋭い浮彫りを刻んでゐる。
- 964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 17:58:54.02 ID:IqMH65DQ7
- 峻厳な目鼻立ちと共に、不快な空想を誘ふやうな、恐る可き何物かを有してゐるのである。
- 965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 18:12:09.49 ID:IqMH65DQ7
- わしは氷のやうな汗が大きな粒になつてわしの顔に湧いて来たのを感じた。
- 966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 18:25:25.22 ID:IqMH65DQ7
- わしの髪は恐しい畏怖の為によだつてゐる。
- 967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 18:38:40.94 ID:IqMH65DQ7
- わしの心の底では、辛辣なセラピオンの行が、憎むべき神聖冒涜の如く感じてゐる。
- 968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 18:51:56.45 ID:IqMH65DQ7
- わしは、頭上に油然と流れてゐる黒雲の内臓から、火の三戟刑具が迸り出でて、彼を焦土とするやうに祈祷しようかとさへ思つてゐた。
- 969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 19:05:11.94 ID:IqMH65DQ7
- 糸杉に宿つてゐた梟は、角燈の光に驚いて、時々それに飛んで来る。
- 970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 19:18:27.86 ID:IqMH65DQ7
- しかも其度に灰色の翼で角燈の硝子を打つては悲しい慟哭の叫び声を揚げるのである。
- 971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 19:31:43.69 ID:IqMH65DQ7
- 野狐は遠い闇の中に鳴き、数千の不吉な物の響は、沈黙の中から自ら生れて来る。
- 972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 19:44:59.32 ID:IqMH65DQ7
- 遂にセラピオンの鶴嘴は、柩を打つた。
- 973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 19:58:14.90 ID:IqMH65DQ7
- 其板に触れた響は、深い高い音を、打たれた時に「無」
- 974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 20:11:30.49 ID:IqMH65DQ7
- が発する戦慄すべき音を、陰々と反響した。
- 975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 20:24:45.97 ID:IqMH65DQ7
- それから彼は柩の蓋を捩ぢはなした。
- 976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 20:38:01.52 ID:IqMH65DQ7
- わしは其時クラリモンドが大理石像のやうに青白く、両手を組んでゐるのを見た。
- 977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 20:51:17.13 ID:IqMH65DQ7
- 彼女の白い経帷子は、頭から足迄たゞ一つの襞を造つてゐる。
- 978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 21:04:36.68 ID:IqMH65DQ7
- しかも彼女の色褪せた唇の一角には、露の滴つたやうに、小さな真紅の滴がきらめいてゐるのである。
- 979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 21:17:52.20 ID:IqMH65DQ7
- 之を見ると、セラピオンの怒気は心頭に上つた。
- 980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 21:31:07.98 ID:IqMH65DQ7
- 「あゝ、此処に居つたな、悪魔めが、不浄な売婦めが、黄金と血とを吸ふ奴めが。」
- 981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 21:44:23.46 ID:IqMH65DQ7
- 彼は聖水を屍と柩の上に注ぎかけて、其上に水刷毛で十字を切つた。
- 982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 21:57:39.85 ID:IqMH65DQ7
- 憐む可きクラリモンドは、聖水がかゝると共に、美しい肉体も忽ち塵土となつて、唯、形もない、恐しい灰燼の一塊と、半ば爛壊した腐骨の一堆とが残つた。
- 983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 22:10:55.40 ID:IqMH65DQ7
- 「お前の情人を見るがよい、ロミュアル卿。」
- 984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 22:24:11.34 ID:IqMH65DQ7
- 決然として僧院長は此悲しい残骸を指さしながら、叫んだ。
- 985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 22:37:26.88 ID:IqMH65DQ7
- 「是でもお前は、お前の恋人と一しよに、リドオやフシナを散歩しようと云ふ気になるかの。」
- 986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 22:50:42.96 ID:IqMH65DQ7
- わしは、無限の破滅がわしにふりかゝつた様に、両手で顔を隠した。
- 987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 23:03:58.55 ID:IqMH65DQ7
- わしはわしの牧師館へ帰つた。
- 988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 23:17:14.12 ID:IqMH65DQ7
- クラリモンドの恋人ロミュアル卿も、今は長い間不思議な交際を続けてゐた、憐れな僧侶から離れてしまつたのである。
- 989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 23:30:29.68 ID:IqMH65DQ7
- が、唯一度、其次の夜にわしはクラリモンドに逢つた。
- 990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 23:43:45.19 ID:IqMH65DQ7
- 彼女は、教会の玄関で始めてわしに逢つた時にさう云つたやうに「不仕合せな方ね、何をなすつた?」
- 991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 23:57:00.64 ID:IqMH65DQ7
- 「何故、あの愚かな牧師の云ふ事をおきゝなすつたの?
- 992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 00:10:16.23 ID:cgcKQUV4A
- 私が貴方に何か悪い事をして?
- 993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 00:23:31.69 ID:cgcKQUV4A
- それだのに貴方は私の墓を発いて、私の何もないみじめさを人目にお曝しなすつたのね。
- 994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 00:36:47.43 ID:cgcKQUV4A
- 私たちの、霊魂と肉体との交通はもう永久に破られてしまつたのよ。
- 995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 00:50:03.03 ID:cgcKQUV4A
- それでも貴方は屹度私をお惜みになるわ。」
- 996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 01:03:18.95 ID:cgcKQUV4A
- 彼女は煙のやうに空中に消えた。
- 997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 01:16:34.52 ID:cgcKQUV4A
- そしてわしは二度と彼女に会つた事はない。
- 998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 01:29:50.13 ID:cgcKQUV4A
- あゝ、彼女の言は正しかつた。
- 999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 01:43:05.73 ID:cgcKQUV4A
- わしは一度ならず彼女を惜んだ。
- 1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 01:55:38.31 ID:cgcKQUV4A
- いや今も彼女を惜んでゐる。
- 1001 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 02:08:53.77 ID:cgcKQUV4A
- わしの霊魂の平和は、高い代価を払つて始めて贖ふ事が出来たのである。
- 1002 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 02:22:09.48 ID:cgcKQUV4A
- 神の愛は彼女のやうな愛を償つて余りある程大きなものではない。
- 1003 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 02:35:25.37 ID:cgcKQUV4A
- 兄弟よ、之がわしの若い時の話なのだ。
- 1004 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 02:48:40.88 ID:cgcKQUV4A
- 忘れても女の顔は見ぬがいゝ。
- 1005 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 03:01:56.35 ID:cgcKQUV4A
- そして外へ出る時には、何時でも視線を地におとして歩くがいゝ。
- 1006 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 03:15:11.80 ID:cgcKQUV4A
- 何故と云へば、如何に信心ぶかい、慎みぶかい人間でも、一瞬間の誤が、永遠を失はせるのは容易だからである。
- 1007 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 03:28:27.47 ID:cgcKQUV4A
- 暑いフロックを夏の背廣に着換へて外の連中と一しよに上甲板へ出てゐると、年の若い機關少尉が三人やつて來て、いろんな話をしてくれた。
- 1008 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 03:41:44.00 ID:cgcKQUV4A
- 僕は新米だから三人とも初對面だが、外の連中は皆、教室で一度は講義を聞かせた事のある間柄である。
- 1009 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 03:54:59.52 ID:cgcKQUV4A
- だから、僕は圈外に立つておとなしく諸君子の話を聞いてゐた。
- 1010 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 04:08:15.13 ID:cgcKQUV4A
- すると其少尉の一人が横須賀でSとSの細君と二人で散歩してゐるのに遇つたら、よくよく中てられたと見えて、其晩から腹が下つたと云ふ話をした。
- 1011 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 04:21:30.75 ID:cgcKQUV4A
- 外の連中はそれを聞くと、あははと大きな聲を出した。
- 1012 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 04:34:46.59 ID:cgcKQUV4A
- 唯新婚後間のないSだけはその仲間にはいらなかつた。
- 1013 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 04:48:02.07 ID:cgcKQUV4A
- これは嬉しさうに、にやにや笑つたのである。
- 1014 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 05:01:17.55 ID:cgcKQUV4A
- 自分は、夕日の光を一ぱいに浴びた軍港を眺めながら、新らしい細君を家に殘して來たSに對して憐憫に近い同情を感じた。
- 1015 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 10:39:02.67 ID:cgcKQUV4A
- さうしたら、何故か急に旅らしい心細い氣もちになつた。
- 1016 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 10:52:18.40 ID:cgcKQUV4A
- 標的を曳いてゐる艦は、さつきから二隻の小蒸汽に艦尾を曳かれて、方向を右に轉じようとしてゐる。
- 1017 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 11:05:33.81 ID:cgcKQUV4A
- 素人眼には、小蒸汽の艫に推進機が起してゐる、白い泡を見ても、どれほどその爲にこの二萬九千噸の巡洋艦が動いてゐるかわからない。
- 1018 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 11:18:49.41 ID:cgcKQUV4A
- 先に錨をあげた榛名は既に煙を吐き乍ら徐に港口を西に向つて、離れようとしてゐる。
- 1019 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 11:32:05.00 ID:cgcKQUV4A
- それがまた、梅雨晴れの空の下に起伏してゐる山々の鮮な緑と、眩ゆく日の光を反射してゐる水銀のやうな海面とを背景にして、美しいパノラミックな景色をつくつてゐる。
- 1020 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 11:45:20.62 ID:cgcKQUV4A
- この光景を眺めた僕には、金剛の容易に出航しさうもないのが聊かもどかしく思はれた。
- 1021 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 11:58:36.20 ID:cgcKQUV4A
- そこで、又外の連中の話に加はつて、このもどかしさを紛らせようとした。
- 1022 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 12:11:51.70 ID:cgcKQUV4A
- すると、すぐ側のハツチの下でぢやんぢやんと、夕飯を知らせる銅鑼の音がした。
- 1023 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 12:25:07.22 ID:cgcKQUV4A
- その音は軍艦の中とは思はれない程、古めかしいものであつた。
- 1024 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 12:38:23.87 ID:cgcKQUV4A
- 僕はそれを聞くと同時に長谷にある古道具屋を思ひ出した。
- 1025 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 12:51:39.47 ID:cgcKQUV4A
- そこには朱塗の棒と一緒に、怪しげな銅鑼が一つ、萬年青の鉢か何かの上にぶら下つてゐる。
- 1026 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 13:04:54.96 ID:cgcKQUV4A
- 僕は急に軍艦の銅鑼が見たくなつたから、ほかの連中より先にハツチを下りて、それを叩いて行く水兵に追ひついた。
- 1027 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 13:18:10.87 ID:cgcKQUV4A
- 所が追ひついて見るとぢやんぢやんの正體は銅鑼と云ふ名を與へるのが僭越な程、平凡なうすべつたい、けちな金盥にすぎなかつた。
- 1028 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 13:31:26.30 ID:cgcKQUV4A
- 僕は滑稽な失望を感じて、すごすご士官室の海老茶色のカアテンをくぐつた。
- 1029 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 13:44:41.84 ID:cgcKQUV4A
- 士官室では大きな扇風器が幾つも頭の上でまはつてゐた。
- 1030 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 13:57:57.70 ID:cgcKQUV4A
- その下に白いテーブル掛をかけた長い食卓が二側にならんで、つきあたりの、鏡を入れた大きなカツプボオドには、銀の花瓶が二つ置いてあつた。
- 1031 :1001★:Over 1000 Comments
- このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
総レス数 1031
148 KB
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★