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伝統空手とフルコン空手どっち派? ★2

1 :名無しさん@一本勝ち:2024/02/02(金) 14:04:11.96 ID:P3T96gwd0.net
いまフルコン空手やってるんやけど、最近は伝統のスピードと技術に惹かれる
※前スレ
伝統空手とフルコン空手どっち派?
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1683770076/

952 :名無しさん@一本勝ち:2024/04/23(火) 18:28:53.44 ID:T3dcDIDC0.net
>>948
昔の手(仮に江戸時代中期以前とする)に対人稽古が存在していたかと言えば、それは有ったであろうという結論になる。
何故かと言えばその時代の手を学んでいた人間達は武士階級が中心であり、彼等は同時並行で武器術も学んで居るので武器術の稽古は当然1人では完結はしない。
技の型は1人でも行えるが実戦で使う為には型であっても対人で行わらなくては身につかない。

そういう稽古をしている人間達が素手の手の稽古だけは1人で対人稽古を行っていなかったという考えは今に残る幾つかの逸話からみても余りに不自然である。
ただしその内容は現代の組手やスパーリングのような格闘の為の稽古ではなく、あくまでも武器術の稽古の延長のような形で行われていたのだろうと思われる。
これは明確な資料が存在しないので断言は出来ない部分ではあるが、古い時代の手は武器を持っていない状態で襲われた際に使う最後の護身の技である為、その技を極力隠すという考えで伝えられた。
相手がその技を知らなければ有効性が増すからである。
その考えが後々平和な時代にまで継承された事で空手の技は隠しながら伝える。
という伝統が出来上がったのだろう。
なので相手も素手である事はなく、場合によっては相手は武器を持って襲いかかってくる可能性も十分考慮されていた。
その為古い手での対人の稽古には格闘能力を磨く事にあまり重点を置いていなかったのだろうなと思う傾向がみられる。
素手での格闘能力を求め始めてたのは、平和は時代が続いた江戸の中期以降からと見られる。
これは武器を使っての殺し合いが日常的ではなくなれば必然だと思う。
先ずは血の気の多い若者達が自分が学んでいる技術や格闘能力の比べ合いをしただるのは、時代と国を問わずにみられる自然な傾向である。

953 :名無しさん@一本勝ち:2024/04/23(火) 18:29:27.23 ID:T3dcDIDC0.net
ただし、あくまでも一部の人間達によって行われいたという形でしかない為、現代の沖縄の空手界でもそのような物の存在を認識していない流派の人間達も少なくない。
後にかけ試し、入り組、かけ組手と呼ばれていた物等がそれにあたる。
これは地域によってはやり方や呼び名が違うので、江戸末期〜昭和の初期(競技的な自由組手のスタイルが出来るまで)まで一部の人間達のみで行われいた稽古と言えるだろう。
近代になって中村茂氏が興した沖縄拳法空手は、当時の沖縄の中でも実戦派として一目置かれていた存在だったがその一番の理由は防具を用いた自由組手形式を当時いち早く採用していからである。
あの時代の沖縄の空手界ではそれは画期的な試みであった。
逆を言えば、それ以前の沖縄の空手には対人での組手の稽古はあっても格闘的な自由組手の稽古はけして一般的では無かったという事になる。(当時の医療技術もあるので大きな怪我をするような稽古を現実的に簡単には出来なかったというのもあるだろう)

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