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【注文住宅】茨城県・株式会社WAGAYA

1 :(仮称)名無し邸新築工事:2013/10/24(木) 02:01:01.42 ID:???.net
茨城県水戸市に本拠を構える株式会社WAGAYAで家を建てた方はおられますでしょうか?

お値段的に大変お徳なので、注文を考えておりますが、利用者の方がおられましたら感想をお聞きしたいです。

現在、株式会社WAGAYAは小橋克成さんという住宅業界では有名な方が代表を務めているとうかがっています。
小橋克成さんが勧めている住宅投資にも興味があります。

202 :真実:2016/11/22(火) 21:46:10.15 ID:58MnNYl9r
口コミサイトで削除された内容を掻い摘んで記載します。
一応「加害者側は名字の前に伏字、被害者側は名字の後に伏字」で書きます。
実名では記載しません。

まずは○橋について
1.○橋は、ご存知の方もいると思いますが、最初は水戸の笠原町にディックスホームという工務店を
  設立。当初は丁寧な仕事をしデザインにも凝っていたので、ある程度の棟数を仕上げ、そこそこ評判の
  いい工務店になった。
2.ある程度の資金が溜まると、工務店での知識を活かすべく建築コンサルタントの仕事を始めた。
3.このコンサルの仕事が軌道にのったところで、東京でガリュウホールディングスという持株会社を設立
  WAGAYAを始め複数の子会社を作り、グループ企業体を作った。
  (あくまで第三者からの見た目が重要であって、実体はほとんどない)
4.それもこれも資金集めのためであって、先日逮捕されたときの肩書も、このガリュウホールディングス
  代表ではないか。(コンサルティング会社社長)
5.ディンクスホーム自体は、○橋が建築コンサルティング会社を始めたことから少しずつおかしくなり
  はじめ、従業員も分裂し、ここはここで今でも被害者を抱えている。(保証や点検など)
6.ちなみに、ディックスホームは今でも解散・倒産はしておらず、会社として存在し続けている。

次に、WAGAYAの基本的内容
1.WAGAYAは、平成22年7月に東京で設立されたガリュウホールディングスの100%出資の子会社
   (ガリュウ自体が○橋が100%株主の会社であるので、子会社であるWAGAYAは、自分の所有
   物と言ってもよい)
2.代表取締役は、○橋→玉○→○橋の順で推移
3.取締役副社長と自認している○林は、一度も取締役として登記されたことがない
4.○橋の資金流用と平成27年4月の騒動がキーポイント(後で詳しく)

203 :真実:2016/11/22(火) 22:42:22.30 ID:58MnNYl9r
WAGAYAについて

これまでの流れを大きく区分すると、次の3つとなる。
 @設立から玉○解任まで
 A玉○解任・○橋再就任から騒動まで
 B騒動後から現在
ここでは@について触れる必要がないので、AとBについて記載する。

Aの期間について(その1)
1.平成25年8月に玉○は、実質上のオーナーである○橋によって代表取締役を解任(取締役も解任)
  され即時追放となった。玉○解任の時点で蓄えられていた余剰資金(つまり実質利益)は、1ヶ月を
  経ずしてすべて○橋が個人的に且つ独自に流用していた。具体的な数字は不明だが、数千万円にも
  及んでいたらしい。
2.玉○の解任劇の真相を知らない社員や玉○を慕っていた社員など、在籍社員の半数近くが離職した
  ため、もう一人の取締役であった杉○と共に組織再編と人員補充に着手した。横○などもこの時期に
  東京から補充した人員の一人。結果として、営業は○橋の直轄、設計はS(すぐに退職)、工事は
  池○が担当、杉○は○橋に再度の資金流用をさせないために資金管理を担当した。
3.年が明け、ある程度会社も持ち直したころ、再度組織改編が行われた。現状3部門の部長として、
  営業は高○、設計は毛○、工事は池○、業務管理の部長として横○が就任した。○橋、杉○の2人の
  役員に4人の部長という編成で会社運営にあたることになったが、役員は水戸に常駐していなかった
  ため、実質は4人の部長が会社を動かしていた。
4.組織改編がされた後も、○橋の資金流用は続いていた。杉○が資金管理を行っていたとはいえ、
  ○橋の無心は幾度となくされていたらしい。杉○としては、1円たりとも○橋に渡したくはなかった
  のであろうが、強硬に拒み続ければ、玉○のように解任されてしまう(実質上の株主は○橋)恐れが
  あったために少しずつではあったが○橋に資金を流していたらしい。

204 :真実:2016/11/22(火) 23:35:06.09 ID:58MnNYl9r
Aの期間について(その2)
1.しかし○橋は、杉○から渡される資金だけでは足らず、誰にも図らずに水戸に支店のある地方銀行
  からWAGAYA名義での融資をうけていた。その額は合計で1億円規模であったらしい。この銀行
  融資が事件に発展したのが平成26年9月のこと。融資をうけていたにもかかわらず、○橋は元本も
  利息も一切の返済をせず、また銀行からの督促連絡をもどういうわけか無視し続けていた。その結果、
  銀行はWAGAYAの仕掛り中であった建物の建主の残余金(最終金)に、仮差押えを打つという強硬
  手段をとった。
2.高○、池○、横○の3部長はこの事態に激怒し○橋を問い詰めると同時に、仮差押えをうけた建主や
  銀行とも交渉し、最悪の事態は防ぐことはできたが、○橋としては他の社員の手前もあり水戸に来る
  ことができなくなってしまった。○橋はこの事態を解消する手段として、翌10月に取締役副社長として
  ○林を水戸の総責任者として急きょ赴任させた。毛○とMは、○林が来ることを事前に○橋から聞いて
  いたとの情報もある。こうして水戸は、○林・毛○・Mを中心とするの○橋派と、池○・高○・横○の反
  ○橋派に分裂した。杉○も○林の赴任辞退寝耳に水であったようだ。もちろん杉○は取締役である
  ため派閥抗争には立ち入らなかったが、実質は反対派であった。当初、毛○は○橋とつるんでいたと
  みられ、他の3部長とは反対の立場であったが、○林と対立し年が明けるころには3部長と共に反対
  派についた。
3.○林は水戸赴任後、さっそく銀行との返済交渉権を3部長からもぎ取り、資金繰りの実態も把握しない
  なかで返済計画を立てて、12月から銀行への返済を開始した。この無茶な返済により資金繰りが
  悪化、徐々に商社や外注業者への支払が滞り始めた。杉○は半ば諦めの状況、横○と池○は自転車
  操業に入り始めたWAGAYAを立て直すべく奔走した。しかし年が明けると、○林は営業部長であった
  高○を解任し新たに雇い入れた○安をその任につけ、営業の実権を握った。また3月には、正規の
  取締役であった杉○からも資金管理の権限を奪い、○橋の言うがままの資金運用を始めた。

205 :真実:2016/11/22(火) 23:38:22.12 ID:58MnNYl9r
Aの期間について(その3)
1.4月に入ると事態は更に悪化、○林・M・○安を中心とした○橋派は、池○・横○をはじめとした反対
  派の追い出しに取り掛かった。そのきっかけとなったのが○橋の実弟宅の新築工事であった。
  ○橋は、実弟との間に密かに請負契約を締結、その工事資金もほとんどを自らの懐に入れていた。
  にも関わらず、水戸の資金で工事を進めようとしていたことが反対派に発覚した。反対派は、社長の
  実弟宅であろうが契約は契約であると主張。これは一般企業であれば当然のことであったが、○橋や
  ○林には世間の理屈など関係なしであった。
2.○林とMは、まず池○の解任に取り掛かった。名目は「横領による懲戒解雇」である。まったく実態の
  ない事象であったが、これに連座する形で永○、高○なども解雇されるに至った。また、この際に会社
  パソコンを持ち出したことが問題となり、逮捕者まで出るにいたった。実際、パソコンを持ち出した
  程度の事象で逮捕までことが進むのであろうか?○林やMなどは池○などを横領の大悪人だと嘘に
  嘘を重ねた供述調書を提出していたとの疑惑もある。つまりこの時点で警察をも騙していたのである。
  池○他数名が離職したことになり、反対派はすぐに壊滅した。毛○はもともと自らの意思で退職する
  意向を示していたので自然に退職、横○は月末支払の直前にWAGAYAを追われた。月末の支払が
  できないことを「池○の横領と横○の資金繰りの失敗」のせいにするためであった。
  これが平成27年4月に起こった騒動の全容である。

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