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 現代文の授業って何やってんの?

1 :実習生さん:2007/03/08(木) 12:13:40 ID:XcD05lFS.net
他の科目の教師だが、現代文だけは絶対に教える自信がない

101 :実習生さん:2009/10/15(木) 19:24:36 ID:2nBVGTSD.net
現代国語の授業はためになった
短歌をやってはいけない―――結核になる
私小説をやってはいけない――自殺しちゃう  など

102 :実習生さん:2009/10/17(土) 11:23:04 ID:96Xx5yqx.net
>>97 >>99

スレタイからは想像してなかった深い内容に感動したんでカキコ
といっても俺はまだ社会に出てない若造なんですけど

やっぱり現代文の授業は入試問題と文学とで分けたほうがいい気がするなぁ

浪人して予備校行ったときの現代文の授業はすげータメになったけど
それは大学入試問題を解くのにタメになったってだけで
高校んときのただ教師が好きなことくっちゃべってる授業もそれなりに楽しかったし背景知識とかはタメになった
特に『こころ』の授業は読まず嫌いしてた夏目漱石も読めることがわかって
近代文学作品を読むことへの抵抗が多少減ったよ
まぁ、どっちも教師によるとは思うけど

というか、日本語って面白くて奥深い言語なんじゃないかって俺は思ってる(他言語をあまり知らないだけかもしれないが)
オノマトペとか小学校でやったけど、留学生がイミフイミフって言うほど奥深いみたいだし
理系なのに新聞のコラムとかによくある日本語研究系の文をつい読んでしまうのは俺だけではない・・・はず?

まぁ要は、日本語の美しさや面白さを教える現代文と
論理を使って論説文を読解したり、逆に他人に説明したりする訓練をする現代文とを完全に分けて教えれば
今のなんだかよくわからないフワフワした授業よりためになるんじゃないかって

正直、センターとか二次の小説なんてテクニックでしか解けない。当たり前だけど自分の感情は殺して読まないといけない
俺はそれが芸術に対して解釈を強要されてるみたいに感じ、現代文の小説の授業が大嫌いだった
でもそれは、すべてが現代文で一括りにされていたからであって、
受験小説の読み方と芸術鑑賞的な小説の読み方(そんなもん人それぞれだろうが)をちゃんと別物扱いして、
「お前がそう思っても、入試問題解くときは書いてないこと想像しちゃだめなの!だから対応箇所とかを絞ってみて、置き換え可能な選択肢をry」
みたいに、きちんと『問題を解くためのテクニック』として授業すれば真面目に受ける奴も増えるはず。受験に直結するわけだし・・・

ってずーっと思ってました。浪人してる間に考えてたことをこのスレで再考できてよかったです。スレ主と多数のマジレスに感謝

長レスですみませんm(_ _)m

103 :実習生さん:2009/10/17(土) 15:25:10 ID:lRIvoR2f.net
現場の先生方に聞きたいんだけど、

高校あるいは義務教育における国語って
やっぱり鑑賞に重きを置くべき、あるいは置きたいと思って授業をしているんですか?
自分の昔読んだ志賀直哉の感動を伝えたい(←俺はこいつ嫌いw)とか。
国語教師になりたいと思った理由で皆さんよくおっしゃいますよね。

また、入試問題の個別具体的解法(=答えの導き方)を学校授業で行うのは
邪道だとお考えですか?

ご意見をお聞かせ願えれば幸いです。一部外者より

104 :実習生さん:2009/10/17(土) 22:24:56 ID:lRIvoR2f.net
>>102
大学入ってからも「教科としての」現文について考えてるなんてすごいね。理系かな?
君のような人が本当は現文教師になるべきなんだが、まずは学業がんばれよ。

俺の↑にレスつくまで(つくのか?w)俺の見解でも述べておくよ。
>自分の感情は殺して読まないといけない
君の考えはある意味は当たっているかもしれない。でも俺は思うんだが、
君や諸氏の言うところの「文学鑑賞」って、やっぱり自分の好き勝手で読んで
自己流解釈を加えてはいけないんじゃないかな。
鑑賞のベースになるのは何をおいてもまず「正しく読む」これに尽きると思う。
誰が読んでもここまでは異論がない。そこまでは誰でも踏まえるべき。
どこまでがこの文章の正しい読みなのか?はあるが、悪文じゃなければある程度は定まると思う。
で…その上で揺らぐ部分が「鑑賞」の領域になると思うんだ(抽象的ですまそ)。
ある程度読みの不正確さが許容されるのは小学までじゃないかな。
この読みはありえないぞ!なんて言ってたら、子供は文章嫌いになっちゃうからね。
中学以降は徐々に正しさを加えていって、高校では前述の読みが出来るのがベストだね。

105 :実習生さん:2009/10/17(土) 22:27:06 ID:lRIvoR2f.net
そう考えると、教科として完全に分けてしまうのはどうかと思う。
鑑賞担当の先生が文章の読みを離れて「君の解釈は独創的だ!」ってのはあっちゃいけない。
かといって読解担当の先生が「感情を押し殺せ!」ってのもないと思うしな。
入試などに自分の文章を使われるのを嫌っている某著作権団体の作家先生方は
「正しい読みなど存在しない、あるのは個々の読者の新しい解釈だ、それによってこそ
私の作品が生きるのだ!」と思ってるかも知らんけどな。
文章ってのはまず他人に読まれる以上、ある程度の共通認識=文章のルールの範疇に
成り立っているってのを自覚して欲しい。「芸術家」としてはそこを逸脱したいんだろうがな。

俺何が言いたいんだっけ?w
だから、区別しちゃいけないってのが今の俺の見解。分けるという視点は面白いけどね。
立脚すべき立ち位置を先生方が意識してない、子供達に自分が何を伝えて
何を出来るようになって欲しいのかを明確に現場が持っていないってのが
今の日本の国語教育の問題点だと思うんだが…どうかな?
もちろん鑑賞はあっていいよ。ただそれを唯一無二の目標にしてしまっては
誰も母国語=日本語を自在に操れる事など出来なくなってしまう。
だって、解釈は全くもって読み手の自由、ってことになってしまうからね。
君はこれをYesと書いたが、俺はNoと受け取った、それは俺の独自の解釈だとか言われてみ?
コミュニケーション自体が成り立たんよね。

長々失礼。先生方、諸先輩方の意見をぜひ聞きたいな。2ちゃんだけどwww

106 :実習生さん:2009/10/18(日) 21:05:03 ID:Obk4B62W.net
おれは文学作品を読む必要はないと考えてる。
むしろ、新聞の三面記事とか、どっかの会社の日報とか、借金の申し込みとか、
どっかのマニフェストとか、署名のお願いとか、ラブレターとか、
そういうモノから、事実をキッチリと読み取る、キッチリと表現するというよ
うな、「こと」に対して過不足なき表現ってのを学ぶべきだと思う。



107 :実習生さん:2009/10/19(月) 20:37:25 ID:0uphx7Hh.net
DQNが書いた文章を読んでそういうモノから、事実をキッチリ読み取る、キッチリと表現するというよ
うな、「こと」に対して過不足なき表現ってのを学ぶべきだと思う。



108 :実習生さん:2009/11/13(金) 17:27:45 ID:63/jacbc.net
age

109 :実習生さん:2009/11/14(土) 02:54:13 ID:uzvm+6eU.net
解答に納得いかないという現象が起こるのは確かに現代文だけだ
このあたりの解決策があればいいけど

110 :実習生さん:2010/02/27(土) 11:50:19 ID:T9uwwBbA.net
保守

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