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博士号の無い教育学部の大学教員は・・・

1 :実習生さん:2010/09/07(火) 15:11:58 ID:J/rNv+Xt.net
大学教員なら,普通は持っているよね・・・

291 :実習生さん:2011/12/28(水) 23:25:04.13 ID:evfAhdhi.net
気が利いた子なら、小学生でもできそうなことを
わざわざ大学で教えている。
二等辺三角形の教え方、百人一首の教え方・
教育学部には一番勉強のできない高校生が
集まるのもよくわかる。

292 :実習生さん:2011/12/30(金) 16:37:38.29 ID:9oKqzkJ6.net
学芸会大学,兵庫山奥教育大学は最低だ。
「教育学」や「学校教育学」の学位は、クソと同じ。
そんなもの、「原付免許」以下である。
それなのに、その「クソ学位」すらない教育学部のクソ教員は
まずは、荒れた学校で修行して、ぶん殴られてみろや。
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293 :実習生さん:2011/12/30(金) 20:48:57.60 ID:fsHJATBw.net
 日本語論文の書き方なんて覚えても、あんまり知能レベルには影響しない
と俺には思うんだけどなぁ。あれはあくまで生産能力であって学力ではないし。
 そりゃ文章の構造や傾向、意味などを個別的・具体的に知覚(知って覚える、すなわち気付く)
できるようになれば、巷の本をどう読んでいけばいいのかとか分かるようになってくるし、
文章の目的や問題を意識しながら、筆者と同じ視点・前提に立って読み進めていけるようになるけど、
やれ題名・タイトルはどう書くだ、マスの使い方だ、代名詞・形式名詞……あいさつ語、
「〜という」「〜のあたり」「〜いたします」などはひらがなで書けだ、
あんな皮相的で認知能力の向上に繋がらないことをいくら覚えても、頭よくなるわけがない。
 それよりも、国文法や論理学入門、教育原論や教育方法学、教育心理学あたりを
読み飛ばしていった方が、よっぽど学力・読書力・吸収力は高まっていくと思うけどな。
学習ってのはとにかく「経験による比較的・永続的な行動の変容」であり、
その限りで蓄積がモノを言うものだから、気づき、知覚、知って覚える、反復、
これがなければいくら読んでも意味ないし。専門書を独りで勝手にシステマティックに
読んでった方が時間の節約になるんじゃないかな。
 コミュニケーションは、何もマス・コミュニケーションだけじゃない。
パーソナル・コミュニケーション力の座標軸もある。

294 :実習生さん:2011/12/30(金) 20:58:53.00 ID:fsHJATBw.net
 まあ、確かに、教育心理学・教育課程論・国語科教育法はおろか、
日本語表現法・国文法をまるっきし無視した、授業の半分以上は雑談、
文章構造の解説をまるでしない予備校の現代文講師の授業には腸沸繰り返ったけどな…
蓄積のまるで無い授業。何をやればいいかも分からず、発達段階に応じたステップも
な〜んにもない授業だったし。その点、大学教員は最低限、修士取ってるし、
マンツーマンとかで、論説文の作法や、本の分析的読み、書評の指導を受けてきてるから、
信頼できるといえばできる。
 そもそもなぜ段落分けがされているのかとか、そういうところを意識しないと、
そもそも文章読めないもんな。「読む」ことはできても、「読み解く」ことはできない。

295 :実習生さん:2011/12/31(土) 13:39:24.61 ID:+exJr1qa.net
 なぜ日本語はクソなのか。それは纏まりがないからである。体系性がない。
だから応用力がない。英語やフランス語は、2000語あれば会話の80%以上の
カバー率は稼げるようになっているが、日本語は、待遇表現などのややこしい
煩雑とした言葉が色々加わってくる。
 一方で、なぜ英語は理解し易いのか。それは多義的であるからだ。
だから纏まりがあり、体系性があり、1つのイメージやルーツ、語源のもとに
収斂し易いからだ。応用が効くとは、すなわち派生が効くのだ。
 限定コードとはすなわち「やまとことば」、日常会話用語、すなわち「基礎語彙」である。
「和語」すなわち「やまとことば」とは、「漢字で訓読みされるもの」のことを言うのだ。
「やまとことば」には決まって部首がないし、1つの言葉で表現しようとするから、
要素還元主義的に細かく分割して、再構成し直したり、類義語や反義語と比較対照することができないのだ。
 そして、なぜ心理学が意味分からんのか。それは「やまとことば」ばかりだからだ。
「こころ」とか「気づく」とか言われても、ワケ・ワカ・メンタイコになるに決まっているのである。

296 :実習生さん:2012/01/01(日) 14:13:56.77 ID:3JxRZGiJ.net
 人間が万物の尺度であるこの人間社会においては、発信された情報には、
必ず意図があり、それに則って情報は発信されている。それはテレビもラジオも論文も全て同じ。
 人は意味のないことをしない。意味があるからこそ、そして、筆者が伝えたいことを
読者に正確に受信して欲しいからこそ、段落分けや、題名づけといった、
一定の作法に則って人は文を綴るのであり、読者にも、その同じ視点や前提を身に付けた上で、
文章を読んでいける人間でいて欲しいのである。だからこそ、中高や大学でそれを教えているのだ。
 今、学校で本当に問われているのは、知識ではない。読み方だ。
検定教科書など、所詮は巷に売られているハウツー本の1ランク上ぐらいの、
何の資料としての価値もない、巷の本と何ら変わらない、単なる本のうちの1冊にすぎない。
知識を得る手段は教科書だけではない。それよりも大切なのは、これから先、
歴史などの本、とりわけ専門書を読んでいく上で、それをどう読んでゆけばよいのか、そこの指導である。
 「文」だけ読めても、「文」の「章」まで読めなければ、その意味や纏まりまで
読み取ることができなければ、どんなに「文」の数をこなしても、意味ないのである。

ああ! 完全に騙された! なぜ予備校講師という人種は、ああもアホでホラ吹きなのか!

297 :実習生さん:2012/01/01(日) 14:19:59.42 ID:3JxRZGiJ.net
 教科書はとにかく難しい。教科書は、基本、追補型で綴られているが、
どういう順番で、どういう視点に立って、どういう風にマーキングして、
どう教科書を認知して有意味受容してゆけばよいか、分析的に読み解いていけばよいか、
これを考えるとなると、やっぱり専門家じゃないとダメなのである。
これだけは、どんなにあの野郎が反論してきても譲れない。
 教科書のいわゆる「章」や「節」の「題」に当たる部分があるが、俺みたいな素人は
あそこをまともに読まない。簡単にスルーしてしまう。しかし、追補型で何より大切なのは、
最初の「題」なのだ。これはいわゆる、「先行オーガナイザー」に当たる部分で、
あの何気ない「名詞節」を、自分で5W1Hにまとめあげて、問題提起の形式、
発問形式、論文で綴るような「時代×地域×観点」の発問形式に変換して、
教科書という名の資料に問いかけながら読んでいかないと、全部右から左に抜けていってしまう。
 教科書は全て日本語表現法に則って書かれているし、それをどう認知・受容
してかは教育心理学にかかっている。そして、常に序論や本論、結論など、
文章構成を意識しながら、分析的かつ総合的(全体的)に読んでいく訓練が必要なのである。

<引用>
218 :実習生さん:2012/01/01(日) 14:01:39.61 ID:3JxRZGiJ


298 :実習生さん:2012/01/03(火) 16:52:04.45 ID:L6Wts/ec.net
今年こそは学位取れよ。
某教育大学の現場上がりの低脳教員。

299 :実習生さん:2012/01/04(水) 11:56:52.50 ID:DCvcoQLn.net
教育学部の教員の業績を調べよう。
以下は,クズ教員の判断基準。

@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ)
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
D著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
E「理論より学校現場が大事」という。(理論はわからない)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない)
G現場出身者。(附属上がりが多く,荒れた学校を知らない)
H学習指導要領崇拝。(文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする)



300 :実習生さん:2012/01/04(水) 12:33:06.66 ID:8qDuWKDi.net
 大体、無意識を規定するのはそもそも「文化」なんだから、
大学受験とか学術論文とかじゃなくて、一番手っ取り早いのは、異国の地に留学して、
そこで最低1年以上、実際に住んで、自活してみることだと思う。
 日本語にしたって、学校で習う日本語なんてのはほんのわずかであって、
基礎語彙の大半は母語(mothe tongue)、要するに母親の舌から伝えられる。
同様、現地に行って365日も住んで見れば、「あれ?日本と全然違うな〜」
っていう気づきが、その文化の根幹のレベルから山ほど得られるだろうし、
そこで比較対照、思索なども自然と始まると思う。
最初ら辺なんか、何もかも日本と違うし、全く物事も分からないし、
言葉も通じないしで、カルチャーショックが当たり前、ストレス溜まりまくりらしい。
でも、莫大なお金をはたき、そこを乗り越えてこそ、日本人集団の慰安から出て
異なる文化と接することで、初めて得られるもの、築き上げられていくものがあるに違いない。
 どんなに表面は違えど、その根幹が同じような教育、同じような人間たちの
集まる中で、無意識 無意識 無意識 言ってたって、孵化効果が邪魔して
大した気づきは得られないし、傍から見たら、既得権益を全て20%のカテゴリーに
くくりつけたいがだけの、ただの妬み根性にしか見えない。
 日本で博士号取るぐらいなら、海外で修士取る方がいい。
そっちの方が得られるものは遥かに多いと思う。

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