懐かしの洋風:お座敷客車【ジョイフルトレイン】
- 165 :回想774列車:2008/12/09(火) 01:18:26 ID:74XPuO41.net
- 【集う】オリエント急行20周年のつどい(東京・池袋のホテルメトロポリタン)
ttp://sankei.jp.msn.com/life/trend/081206/trd0812061359009-n1.htm
鉄道の旅にはロマンがある。それが、数々の文学や映画の舞台となった「オリエント急行」なら
なおさらだ。20年前に「青き貴婦人」とも呼ばれた豪華列車を、パリから東京、そして日本を走ら
せようという壮大なロマンに挑戦した男たちの同窓会が行われた。
集まったのはJR東日本や日立製作所、フジテレビ、電通など夢の実現にかかわった各社の当
時の担当者約120人。その一人、JR東日本の清野智社長は「当時は総務課長で、晴れがましい
イベントだった記憶があります。民営化2年目で期待と不安が相半ばしていた時期に、『オリエント
急行』の成功は大きな自信になりました」。
とはいえ、現場では苦闘続き。サービス課長だったJR東日本の小縣方樹副社長によると、「ゲー
ジの幅がヨーロッパ、ソ連、中国、日本で違うから、国ごとに台車を替えました」。
国内に入ってからも難題は続く。車体が大きすぎて駅のホームに入らない。「ホーム、削っちゃ
いました。今なら大問題です」と小縣副社長は苦笑する。
実は翌年、天安門事件が起きた。最初に企画を立案したフジテレビプロデューサーだった沼田
篤良さん(現ディスカバリージャパン会長)は「運にも恵まれた。走ったのはパリからベルリン、ワ
ルシャワ、モスクワ、イルクーツク、満州里、北京、香港経由で20日間、約1万4600キロ。共産
圏を走る不安もあったけど、どこの国でも大歓迎を受け、感激でした」。
実は、この同窓会に先立つ8月、沼田さんの企画に理解を示し、実現の立役者でもあった、当時
国鉄常務理事だった山之内秀一郎が逝去。山之内さんはJR東日本会長、宇宙航空研究開発機
構理事長も務めた人物。沼田さんは「『オリエント急行』は山之内さんがいたからこそ走れたと思い
ます」と振り返った。
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