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【さよなら】119系車両とは一体なんだったのか?

865 :回想774列車:2014/06/01(日) 09:59:15.33 ID:q5S6+Tsw.net
119系のするがシャトル運用時に乗ってメーター見てたが、
ノッチ入れっぱなしで92でメーター止まってたよ。
中央東線内でも同様で、辰野線内は80位で設定されていたが、岡谷←→茅野
では90くらいまでしか出せなかった。
するがシャトルの15秒停車はJR化された後にやったな。国鉄時代にはなかった。
それと冷房装置についてはコストと作業効率化の観点から東海標準のAU711
を載せることになった。AU75のような天井の補強工事が不要になるメリットがあった。
ちなみにほとんど忘れ去られているが、国鉄末期に辰野線で123が出てくるまでの数年、
日中119系が運転されていたが、最初塩尻のサボがなくて後から追加された。
後から追加されたサボに塩尻や七久保、長山、さらに後になって伊那福岡があるが、
伊那福岡登場で東海仕様の幕に交換されて塩尻はなくなったんだよな。
諏訪湖花火臨では、ある時期まで4連で富士見まで回送されて客扱いやってたが、
4連が組めなくなって設定がなくなった。定期上諏訪止まり最終を富士見まで延長したのは
その後もしばらく続いたが、それもいつの間にか消えた。
1度だけみどり湖経由塩尻行きで119系が深夜の時間帯に設定されたな。
119単行もそうだが、123にトイレが付けられなかったのは床下の機器の都合で、
長距離トイレ無しでよく運用してたなと思う。特に秘境区間なんかは。

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