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【柔道】浅見八瑠奈たん【48`級】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/15(水) 11:09:59 ID:V08YH1YP.net
( ´;゚;ё;゚; )

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 20:38:14.04 ID:Dlat7yqe.net
浅見八瑠奈の彼氏や生野陽子似の噂!父譲りの強い秘密?引退の可能性!!
http://joy-spo.com/764

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 12:26:09.94 ID:gHcO3sV9.net
                    世界の嫌われ者 安倍晋三wwwwwwwwwwwwww(笑)



【世界のアベ】安倍総理がドイツで熱烈歓迎を受ける!「安倍政治にはひとつも良いことがないのですぐ辞めてほしい」「何でこんな政治家を日本の有権者は選ぶのか」

この画像の通り、閣僚も世襲制です
https://twitter.com/kitahamamikiya/status/728012343930585089

芸能人が「憲法9条を守れ」と主張し始めた! 鶴瓶、たけし、坂上忍、中居正広、渡辺謙、山崎まさよしも…
サンマ以降のバラエティ芸人の大半が、暴走族出身で極右思想。原発反対派を「放射脳」と嘲笑する連中。お笑い芸能界の極右安倍信者組、松本や上田らを追放せよ!
芸能界極右は石原慎太郎一家を筆頭に、上田晋也 草野仁 津川雅彦 向井理 松本人志 宇多田ヒカル マツコ 春日俊彰 田村淳 北村晴雄
https://twitter.com/tokaia mada/status/630627400552845312



          【民意】     生活と太郎となかまたち   対   自民/民進/維新/共産     【政争】



日本から始まる世界的株式市場の大暴落

日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト★レーヤは出現するでしょう。彼は「匿名」で働いております。
非常に間もなくマイト★レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト★レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。
彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。マイト★レーヤが公に現れるにつれて、UFOが姿を表すでしょう。



国民を裏切ると、自殺につながります。

新しい政権は民意を反映し、先に食物と住宅、次に健康と教育、最後に防衛を、あるべき政策順位とするでしょう。

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/24(金) 21:55:55.84 ID:Aa4pM9iO.net
森崎程度にどうなってんだ

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/24(金) 23:32:11.73 ID:Ohvhe7un.net
最近、殆ど見かけなくなったな

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 01:20:33.05 ID:Ujpjse07.net
結婚するんだろう

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 10:44:38.55 ID:PAW71x/i.net
結婚ですか
結婚って聞くと谷亮子さん以来だね。

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 18:41:39.36 ID:Grhk36BC.net
柔道女子48キロ級で世界選手権2連覇の実績を持つ浅見八瑠奈(28)=コマツ=が8日、故郷の愛媛県代表で出場した岩手県久慈市での国体終了後、
現役引退を表明した。9月に全日本柔道連盟に強化指定辞退届を提出していた。今後は未定。試合後は大粒の涙を流し「いい思いも、苦しい思いもした。
全てがいい経験だった。やり切ったので悔いはない」と述べた。
浅見は愛媛・新田高時代から頭角を現し、山梨学院大4年の2010年世界選手権で初優勝。翌11年も制して12年ロンドン五輪代表入りが有力視されたが、
最終選考会で1回戦敗退して逃した。世界選手権は13年、15年と準優勝。リオデジャネイロ五輪出場を目指したが、最終選考会は1回戦で敗れ、
かなわなかった。

浅見が現役引退「やり切ったので悔いはない」 世界2連覇も五輪出られず/柔道
http://www.sanspo.com/sports/news/20161008/jud16100817260003-n1.html

柔道女子48キロ級で世界選手権2連覇の実績を持つ浅見八瑠奈(28=コマツ)が8日、故郷の愛媛県代表で出場した岩手県久慈市での国体終了後、
現役引退を表明した。
9月に全日本柔道連盟に強化指定辞退届を提出していた。今後は未定。
試合後は大粒の涙を流し「いい思いも、苦しい思いもした。全てがいい経験だった。やり切ったので悔いはない」と述べた。
浅見は愛媛・新田高時代から頭角を現し、山梨学院大4年の2010年世界選手権で初優勝。翌11年も制して12年ロンドン五輪代表入りが有力視されたが、
最終選考会で1回戦敗退して逃した。
世界選手権は13年、15年と準優勝。リオデジャネイロ五輪出場を目指したが、最終選考会は1回戦で敗れ、かなわなかった。

柔道の浅見八瑠奈が涙の引退、五輪出場の夢叶わず - 柔道
http://www.nikkansports.com/sports/news/1721548.html

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 21:08:08.02 ID:Grhk36BC.net
柔道女子の浅見が現役引退 世界選手権2連覇
http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK60364_Y6A001C1000000/

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/12(水) 00:24:39.77 ID:KlNSE4tV.net
柔道の世界選手権を2連覇した浅見八瑠奈選手が、8日、岩手県で行われた国体の競技終了後に現役引退を表明しました。
浅見選手は愛媛県出身の28歳。世界選手権の女子48キロ級では、2010年から2連覇を果たし、2013年と去年は銀メダルを獲得するなど、
世界トップクラスで活躍しました。
しかし、オリンピックには縁がなく、ロンドン大会とリオデジャネイロ大会には代表争いに敗れて出場できませんでした。
浅見選手は8日、地元・愛媛の一員として、いわて国体に出場し、成年女子の準優勝に貢献したあと取材に応じ、「ことし4月のオリンピック代表選考会
で敗れた時点で辞めようと思っていたが、周囲が最後に一緒に戦おうと言ってくれたので、国体を最後の試合にした。いい思いも悔しい思いもたくさんしたが、
すべてが自分のためになった。悔いはないし、やりきった」と話し、現役引退を表明しました。

柔道 世界選手権2連覇の浅見八瑠奈が現役引退を表明
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161008/k10010723361000.html

柔道女子48キロ級で世界選手権を2度制した浅見八瑠奈(28)=コマツ=が現役を引退することが8日、分かった。出身地の愛媛県代表として出場した
岩手県久慈市での国体が最後となった。9日に正式に引退を発表する。関係者によると、浅見はロシア、トルクメニスタンで短期間の柔道教室を行う予定。
 浅見は愛媛・新田高から山梨学院大に進んで力を付け、背負い投げなどを武器に2010、11年の世界選手権を連覇。13、15年も準優勝して世界の
トップクラスで活躍したが、五輪には出場できなかった。12年ロンドン五輪、今夏のリオデジャネイロ五輪で、国内最終選考会となった全日本選抜
体重別選手権の初戦で敗れて代表を逃した。 

柔道女子の浅見が現役引退=世界選手権優勝2度
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016100800282

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/12(水) 00:24:54.08 ID:KlNSE4tV.net
柔道女子48キロ級で世界選手権2連覇を達成した愛媛県伊予市出身の浅見八瑠奈(28)=コマツ、新田高出=が8日、岩手県久慈市の久慈市民体育館で
行われた岩手国体成年女子の試合後、現役引退を表明した。理由について「やりきったのひと言。悔いはない」と説明。今後は未定だが「柔道に携わり、
恩返しをしたい」と述べた。
浅見は3歳のときに伊予柔道会(伊予市大平)で柔道を始め、新田高3年の2007年にベルギー国際で優勝し、国際大会で初タイトルを獲得。
山梨学院大4年の10年には世界選手権で初優勝した。
8日の国体には愛媛の先鋒(せんぽう)として出場。現役最後の試合となった決勝では引き分け、チームは準優勝した。
国体を引退試合に選んだ理由について「地元の応援があったから諦めずに柔道を続けられた。最後に愛媛のために戦いたかった」と話し、
「すがすがしい気持ち。柔道をやって、いい思いも苦しい思いもしたが、いい経験をさせてもらった」と語った。

世界選手権連覇 柔道浅見(伊予市出身)が引退
https://www.ehime-np.co.jp/article/news201610092121

コマツ女子柔道部は11日、世界選手権に4度出場し優勝2度、準優勝2度の実績を残した48キロ級の浅見八瑠奈(28)の
現役引退を発表した。今後は同部のコーチとして後進を指導する。
浅見は愛媛・新田高、山梨学院大を経て2011年にコマツへ入り、背負い投げや足技を武器に活躍。10、11年と世界選手権
を連覇したが、12年ロンドン五輪は国内最終選考会の1回戦で敗れ出場できなかった。さらに13、15年と世界2位になりながら、
今夏のリオデジャネイロ五輪も4月の最終選考会で初戦敗退し代表から漏れた。
郷の愛媛県代表で出場した10月8日の岩手国体が引退試合となった。浅見は所属先を通じ「25年間、無我夢中で柔道に打ち込んできました。
五輪を目指して歩んできた夢への挑戦の過程は、私にとって一生の財産です」とコメントした。

世界V2の浅見が現役引退を発表 コーチ就任/柔道
http://www.sanspo.com/sports/news/20161011/jud16101115310001-n1.html

コマツ女子柔道部は11日、世界選手権に4度出場し優勝2度、準優勝2度の実績を残した48キロ級の浅見八瑠奈(28)の現役引退を発表した。
今後は同部のコーチとして後進を指導する。
浅見は愛媛・新田高、山梨学院大を経て2011年にコマツへ入り、背負い投げや足技を武器に活躍。10、11年と世界選手権を連覇したが、
12年ロンドン五輪は国内最終選考会の1回戦で敗れ出場できなかった。さらに13、15年と世界2位になりながら、今夏のリオデジャネイロ五輪も4月
の最終選考会で初戦敗退し代表から漏れた。
故郷の愛媛県代表で出場した10月8日の岩手国体が引退試合となった。

柔道浅見の現役引退を発表 世界V2、コーチ就任
http://this.kiji.is/158458128290055675?c=39546741839462401

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/12(水) 14:23:22.93 ID:OW7xq+9i.net
柔道女子48キロ級で世界選手権を2度制した浅見八瑠奈(はるな)(28)(コマツ)が現役を引退することが9日、分かった。
関係者によると、9月に全日本柔道連盟に強化選手辞退届を提出した。2010、11年の世界選手権を連覇し、13、15年大会でも2位となった。
ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪は、ともに国内最終選考会の初戦で敗れ、五輪に出場することはできなかった。

柔道の浅見八瑠奈、現役引退へ…世界選手権連覇
http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20161009-OYT1T50072.html

コマツ女子柔道部は世界選手権に4度出場し優勝2度、準優勝2度の実績を残した48キロ級の浅見八瑠奈(28)の現役引退を発表した。
今後は同部のコーチとして後進を指導する。浅見は10、11年と世界選手権を連覇したが、五輪には出場できなかった。浅見は所属先を通じ
「25年間、無我夢中で柔道に打ち込んできました。五輪を目指して歩んできた夢への挑戦の過程は、私にとって一生の財産です」とコメントした。

48キロ級世界連覇の浅見、引退発表 コマツ女子部コーチに
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/10/12/kiji/K20161012013519440.html

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/15(土) 20:01:38.48 ID:ivvrVzx3.net
Two-time world under 48 kilograms champion Haruna Asami of Japan has announced her retirement from judo at the age of 28.
Asami clinched the gold medal in her weight category at the 2010 World Championships in 2020 Olympic and Paralympic Games host city
Tokyo and successfully defended her title in Paris the following year.
The Japanese was denied a third straight world crown, however, as she lost out to Mongolia's Monkhbatyn Urantsetseg at the 2013 event in Rio de Janeiro.
Asami, renowned for her back throws and foot-throwing techniques, earned another silver at the 2015 competition in Astana.
She finishes her career with four World Championships medals to her name, as well as a host of other major honours.
Asami won two gold medals at the International Judo Federation (IJF) Grand Slam event held annually in the French capital as she topped the podium in
the under 48kg class in 2011 and 2013.
Her most successful year came in 2011, where she also won gold at the World Masters Championships in Baku and Grand Slam events in both Rio and Tokyo.
Despite her impressive medal haul, Asami never quite managed to live up to her potential at the Olympic Games.
The 28-year-old endured disappointment four years ago as she lost in the first round of the final qualifying trial ahead of London 2012 before suffering the
same fate before Rio 2016.
“I avidly threw myself into judo for 25 years,” Asami said in a statement.
“The challenges I had in the process of going after my dream, the Olympics, is something I’ll treasure for the rest of my life.”

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/15(土) 20:02:01.48 ID:ivvrVzx3.net
Two-time world champion Asami announces retirement from judo
http://www.insidethegames.biz/articles/1042619/two-time-world-champion-asami-announces-retirement-from-judo

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/21(金) 22:05:53.69 ID:FU+fCbJr.net
柔道女子日本代表の増地克之新監督は21日、東京都千代田区で行われたリオデジャネイロ五輪報告会後に新体制のコーチ陣を発表し、
2012年ロンドン五輪女子63キロ級銅メダリストの上野順恵氏、同五輪48キロ級代表の福見友子氏らが新たに就任した。
11日に現役引退を発表した48キロ級元世界女王の浅見八瑠奈氏がシニアとジュニアの兼任コーチとなり、63キロ級で五輪2連覇の
谷本歩実コーチはジュニア担当に回る。増地監督は「将来の女性監督誕生を視野に入れ、育てていくのも私の役目だ」と狙いを語った。
上野雅恵、薪谷翠両コーチは退任した。
男子代表は2期目となる井上康生監督が、04年アテネ五輪金メダリストの鈴木桂治コーチ、金丸雄介コーチらの続投を明らかにした。

上野順恵氏らがコーチ就任 女子代表新体制/柔道
http://www.sanspo.com/sports/news/20161021/jud16102120400001-n1.html

柔道女子日本代表の増地克之監督と男子代表の井上康生監督は21日、コーチの新たな陣容を明らかにした。
女子は2012年ロンドン五輪63キロ級銅メダリストの上野順恵、同五輪48キロ級代表の福見友子、同級で世界選手権を2度制し
11日に現役引退を発表した浅見八瑠奈の3氏らが新任となる。
男子は、90キロ級担当コーチに山元一歩氏が新たに就任する。

新コーチに上野順氏ら=柔道日本代表
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102100893

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/23(日) 12:54:16.21 ID:NQ3mnqDt.net
全日本柔道連盟は21日、都内でリオデジャネイロ五輪・パラリンピックの報告会を開き、男女日本代表コーチの内定者を発表した。
増地克之監督(46)が新任した女子は、福見友子氏、上野順恵氏、守安由充氏が新任し、塚田真希氏が前体制から継続。
さらにジュニア兼任として今月引退発表した浅見八瑠奈氏が入閣した。ジュニアコーチには谷本歩実氏が就く。井上康生監督(38)が
続投する男子の変更は1人で、広川充志氏が退任した90キロ級担当に山本一歩氏が加わる。

浅見八瑠奈氏が代表コーチ 女子柔道今月引退 - 柔道
http://www.nikkansports.com/sports/news/1727648.html

柔道女子48キロ級で2010、11年世界選手権を連覇した浅見八瑠奈氏(28)が、日本代表のシニアとジュニアの兼任コーチに就任することが
21日までに内定した。10月に就任した増地克之女子代表監督(46)が明かした。
浅見さんは今月の岩手国体を最後に現役を退いたばかり。コーチ経験もなく異例の抜てきとなった。12年ロンドン、16年リオデジャネイロは代表争いで敗れて
五輪出場はならなかったが、その後の代表合宿に帯同して練習相手を務めるなどの姿勢を高く評価。「選手の目線に近い。コーチの勉強の意味もあるが、練習
に取り組む姿勢は若い選手に伝えてほしい」と期待した。
また増地監督は、ロンドン五輪63キロ級銅メダルの上野順恵氏(33)らをシニアのコーチに、アテネ、北京五輪63キロ級連覇の谷本歩実氏(35)を
ジュニアのコーチに指名した。

【柔道】浅見八瑠奈氏が日本代表シニア&ジュニア兼任コーチ内定
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20161022-OHT1T50029.html

全日本柔道連盟は21日、2020年東京五輪に向けた全日本の新コーチ陣を発表した。
女子は、ロンドン五輪女子63キロ級銅メダルの上野順恵氏(33)、09年世界選手権同48キロ級優勝の福見友子氏(31)が就任する。
同48キロ級で世界選手権を2度制し、今月引退を発表した浅見八瑠奈氏(28)がシニアとジュニアコーチを兼任する。男子は、
アテネ五輪男子100キロ超級金メダルの鈴木桂治氏(36)らが続投する。

柔道全日本、新コーチに上野順恵氏ら
http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20161021-OYT1T50165.html

柔道のリオデジャネイロ五輪・パラリンピック報告会が21日、東京都内で行われ、2020年東京五輪へ向けて女子代表監督に就任した増地克之氏(46)は、
報道陣の取材に応じて新指導体制を発表。48キロ級元世界女王で引退したばかりの浅見八瑠奈氏(28)がシニア、ジュニア兼任コーチとなった。
ほかに63キロ級の上野順恵氏(33)や48キロ級の福見友子氏(31)ら元世界女王が新たにコーチに。五輪2連覇の谷本歩実氏(35)はジュニア担当となり、
塚田真希氏(34)も続投。監督を含む9人中5人が女性となった。
増地監督は「将来の女性監督を視野に育てるのも私の役目」とし、浅見氏について「柔道に取り組む姿勢は尊敬できる。そこを伝えてほしい」と話した。

浅見、上野、福見ら!女子新コーチに世界女王/柔道
http://www.sanspo.com/sports/news/20161022/jud16102205010001-n1.html

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 18:40:27.78 ID:26ue2KKi.net
男女計9階級が行われ、女子55キロ級は南條早映(さえ、17)=東京・安部学院高=が初優勝。リオ五輪柔道女子代表監督を務めた南條充寿氏を
叔父に持ち、同階級初の高校生女王となった。男子グレコローマンスタイル66キロ級は5月の全日本選抜選手権を制した高橋昭五(22)=日体大=が
初の頂点に立った。大会は来夏の世界選手権(パリ)代表の1次選考会を兼ねている。
非五輪階級の女子55キロ級は17歳の南條が制した。決勝では角谷萌々果(21)=至学館大=をタックルで攻め続けた。「相手は気にしない。
強い気持ちで戦った」。初優勝には「実感が湧かないけど、うれしい」とはにかんだ。
父方の叔父は、リオ五輪まで柔道の女子日本代表を率いた南條前監督。「アドバイスは特になかった」ものの、五輪を身近に感じ、飛躍を誓った。
「東京五輪は58キロ級で挑みたい。絶対に優勝したい」。同じ階級にはリオ五輪で4連覇した伊調馨(32)=ALSOK=や、63キロ級金メダルで
本来は58キロ級の川井梨紗子(22)=至学館大=ら強敵ばかり。「しっかりと体を作って、技術を磨いていきたい。4年後に必ず追いついていたい」
と力強く宣言した。

南條早映、女子55キロ級で初の高校生V!叔父はリオ柔道女子監督…レスリング全日本選手権
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20161222-OHT1T50038.html

女子フリー55キロ級は南條早映(17=安部学院高)が初優勝を果たした。

非五輪階級で初優勝した17歳の南條は「この階級で力をつけ、いずれは58キロ級で戦いたい」と話した。リオ五輪は帯同メンバー入りを逃し、テレビ観戦。
悔しさを味わっただけに「どうしても勝ちたかった」。そのリオで柔道女子を率いた南條監督は父方の叔父。「目標は東京五輪で金メダル。憧れの川井(梨紗子)さん
とは力の差があるけど、努力して勝てるように」と、4年後を目指し話した。

17歳の南條早映が初V 叔父はリオ柔道女子監督
http://www.nikkansports.com/sports/news/1755073.html

17年世界選手権(パリ)代表の1次選考会を兼ねて行われ、女子55キロ級決勝は、17歳の南條早映(さえ、エリートアカデミー)が角谷萌々果(至学館大)を
破って初優勝を果たした。同63キロ級は、伊藤彩香(23)=東新住建=が2連覇。男子グレコローマンスタイル130キロ級は、園田新(拓大)が3連覇した。
勝利の瞬間、南條はいの一番に吉村祥子コーチに飛びついた。大きな赤ん坊のように泣いた17歳は「決勝前に『やることやって勝ったら胸に飛び込んでこい』と
言われた。恩返ししたかった」と、普段は叱られてばかりの恩師に報いた。
叔父はリオ五輪で柔道女子監督を務めた南條充寿氏で、父・匠さんも柔道とレスリング経験者という格闘技DNAを持ち「東京五輪で絶対に優勝したい」と一家の
夢を背負う。
今回は五輪非実施階級での制覇となったが、将来的には五輪4連覇の伊調馨(ALSOK)や、リオ五輪63キロ級金メダルの川井梨紗子(至学館大)が
転向する58キロ級への挑戦を表明。「まだまだ歯が立たないけど、(代表の座を)虎視眈々(たんたん)と狙いたい」と下克上を誓った。

格闘家一家17歳南條が初V 恩師の胸で涙「恩返ししたかった」
https://www.daily.co.jp/general/2016/12/22/0009771030.shtml

全日本選手権第1日(21日、代々木第2体育館)非五輪階級の女子55キロ級は17歳の南條が制した。決勝は大学生をタックルで攻め続け
「自分の持ち味は気持ち。勝つという姿勢を最後まで貫けた」とうなずいた。
父方の叔父は、リオデジャネイロ五輪まで柔道の女子日本代表を率いた南條充寿前監督だ。五輪を身近に感じ、自身もさらなる飛躍を誓う。
4年後の東京五輪は58キロ級で目指すという。「しっかりと体をつくって、技術を磨いていきたい」と足元を見つめた。

南條前監督のめいが優勝 女子55キロ級/レスリング
http://www.sanspo.com/sports/news/20161221/spo16122121040010-n1.html

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:29:38.92 ID:PesDscOl.net
リオデジャネイロ五輪は5日(日本時間6日午前6時)に開会式が行われ、翌6日には本格的に各競技が始まる。柔道日本代表は4日、選手村近郊の
ハイパフォーマンスサポート・センターで練習を公開。競技初日6日に先陣を切る女子48キロ級の近藤亜美(21)=三井住友海上=は日本勢最年少
金メダルで弾みをつけることを誓った。
歴史に名を刻む権利がある。2012年ロンドン五輪の金メダルは、女子57キロ級の松本薫(ベネシード)ただ一人。日本のお家芸復活へ、近藤が先陣を切る
重要な役目を担う。約1時間半の練習後、金メダル獲得を宣言した。
「なかなか最年少でとれるチャンスは巡ってこない。しっかり名前が残るようにしたい」
日本人金メダル第1号とともに、柔道男女通じて最年少となる可能性もある。これまでの最年少は2004年アテネの塚田真希で22歳。21歳の近藤にとって
最初で最後のチャレンジだ。「調整はしっかりできている」。緊張感に満ちた柔道場でも時折、笑顔を見せてリラックスムード。「選手村とかすごい。コーラが
好きなんですけど、たくさん置いてある。今のところ楽しい」とちゃめっ気たっぷりに笑った。
発奮材料には事欠かない。観戦予定の両親は、ともに8月中旬がバースデー。「五輪の金メダルを誕生日プレゼントにしたい」。組み合わせ抽選も終わり、
初戦の2回戦で昨年5月のマスターズ大会で敗れたディララ・ロクマンヘキム(トルコ)と対戦する可能性がある。それでも「これが一本だと分かるダイナミックな
柔道をしたい」と自信は揺るぎない。
「先陣を切る責任はもちろん、48キロ級の誇りを持ってしっかり金メダルを目指して頑張りたい」
かつて谷亮子が君臨した伝統の階級。2014年に世界選手権を制したニューヒロイン候補が若さを前面に押し出し、大舞台で弾ける。

弾みつける!近藤、最年少“金”で「名前を残す」/柔道
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160806/rio16080605030022-n1.html

競技初日の6日に登場する柔道女子48キロ級の近藤亜美(21)=三井住友海上=には、ずっと追い続けてきた背中がある。出身道場の先輩で、
五輪2連覇を果たした谷本歩実・女子代表コーチ(35)だ。名古屋市にある近藤の実家には、谷本が近藤に贈った「勝負心」と描かれた色紙が、
今も大切に残されている。
色紙の日付は、谷本が初めて五輪の舞台に挑む直前の2004年6月27日。「勝ち負けは全て自分の心が決める。当時の女子の指導者だった古賀稔彦先生に
教えられた勝負師になるための心」と、谷本は当時を懐かしそうに振り返った。
谷本は言葉通り、強気の柔道でアテネ五輪を制し、大石道場(愛知県大府市)に凱旋(がいせん)。このとき「おまえには負けねえ」と、挑戦状をたたきつけたのが、
10歳にも満たない小学3年だった近藤だ。
「昔から負けん気が強い。道場にいくと、一番にやってきて、練習しようよって。組むやいなや、背負い投げ、大外刈り…。全部の技をぶつけてきて、これでも
かってくらい。当時から、動きは抜群でした。当時から『私もオリンピック選手になりたい。金メダル取りたい』って何度も手紙をくれた。この子は来るなってのは
あった」と谷本。大器は子どもころから大器だった。
アテネ、そして続く北京五輪でオール一本勝ちという偉業を成し遂げた谷本。一本は谷本にとって柔道の神髄と言ってもいい。
「わたしも一本を取る柔道を教わってきた。子どもたちにも一本を取る柔道をやってほしい」と語っていた。その言葉を受け継ぐように、近藤は「リオでは
誰が見ても一本と分かるパフォーマンス性のある柔道をする」と言い切る。
2大会連続金メダルをオール一本勝ちで成し遂げた偉大な先輩を追って、いよいよ出撃の時が迫る。「あの子、私に『オリンピック3大会行きます』って言ってきた」。
小学生の時に宣言した「谷本超え」へ。試合は、日本時間で6日午後10時から始まる。

[柔道]近藤亜美、谷本先輩超え第一歩だ:スポーツ
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sports/news/CK2016080602000191.html

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:29:56.71 ID:PesDscOl.net
最年少金メダルで日本柔道の誇りを取り戻す。柔道は今日6日から男女7階級、7日間に及ぶ戦いの幕が開く。初日に登場する女子48キロ級の
近藤亜美(21=三井住友海上)は、同級では3大会ぶり、偉大な先輩を超える日本女子最年少優勝へ意欲満々。4日に行われた組み合わせ抽選では
初戦から難敵が並んだが、大技での一本勝ちで撃破を誓った。
重圧を感じさせないはつらつとした口ぶりが、トーンの高まりを帯びた。「そんなチャンスは巡ってくるものではない。せっかくなので挑戦しよう。名前が残るよう
に頑張りたい」。近藤はしっかりと偉業を見据えた。21歳2カ月での五輪金メダルなら、日本柔道女子では最年少。04年アテネ五輪78キロ超級の
塚田真希(22歳7カ月)を上回る。同級の伝統を築いた谷亮子も、初戴冠の00年シドニーは25歳だった。「48の誇りを持って」。覇権奪回で名を刻む。
道は険しい。組み合わせでは初戦の2回戦で難敵と対戦が濃厚。15年マスターズで1回戦負けしたロクマンヘキム(トルコ)で、南條監督は「マークしていた選手。
足(技)がきく選手。技もしっかりしている。後手にならないように」と警戒を強めた。さらに準々決勝では2月のグランドスラム・パリ大会の初戦で一本負けした
ガルバドラフ(カザフスタン)も待つ。近藤は「借りを返して初優勝したい」と雪辱を期した。
減量は順調に進んだ。筋力がついたことで代謝量が増加。2月のパリでは逆に体重が減りすぎたことが敗因の1つ。今回は減らして、増やして、また減らす
調整法で、「完璧です」と生気あふれる顔を緩ませた。
谷亮子が築いた「誇り」を受け継ぎ、日本を勢いづける。「先陣を切る責任がある。金メダルは必須」「(見た人が)一本だと分かるダイナミックな柔道を見せたい」。
156センチの小さな体に、決意は宿る。

近藤亜美、柔道女子最年少金で先陣切り勢いつける - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1690204.html

柔道の組み合わせ抽選会が4日、リオデジャネイロ市内で行われ、競技初日の6日に行われる女子48キロ級で日本勢の金メダル1号を目指す近藤亜美
(21)=三井住友海上=は、初戦の2回戦で昨年敗れたディアラ・ロクマンヘキム(トルコ)になる可能性が高くなった。この日は午前に練習を公開し、
軽快な動きを披露。男子60キロ級の高藤直寿(23)=パーク24=も「金メダルしか考えていない」と大一番に挑む。
日本女子の先陣を切る近藤にとって、金メダルへの挑戦は厳しい戦いの連続となりそうだ。初戦の2回戦で対戦が濃厚なのはトルコのロクマンヘキム。
昨年5月のマスターズ初戦で優勢負けした苦い経験がある相手だ。準々決勝は今年2月のパリで一本負けしたガルバドラフ(カザフスタン)。抽選を
見届けた南條充寿監督(44)は「マークしていた相手が入った。足技が効くのでしっかり対策しないといけない」と警戒を強めた。
近藤自身は相手に関係なく順調な調整ぶりだ。4日の公開練習では2時間にわたって軽快な動きを披露した。19歳だった2014年に世界選手権を制覇。
一時期、国際大会での初戦負けが続いたが、今年5月のマスターズを制して自信を取り戻した。シード選手として対戦が決まっていたガルバドラフに対しては
「やり返したい。日本に恥じない柔道で金メダルを取りたい」と宣言。ロクマンヘキムとともに、リベンジの相手が1人増えたことになる。
減量に関しても問題ない。リオ到着後は「寒くて汗をかけなかった」というが、ランニングなどを重ねて順調に消化。食事も3食とりながら、無理なく落とすことが
出来た。「選手村には(好物の)コーラがいっぱいあって」と誘惑もあるが「選手村は楽しい。これまでの大会と違ってスケールが大きい」と楽しみながら
調整をこなしている。
21歳3か月で優勝すれば、日本女子では04年アテネ大会78キロ超級・塚田真希の22歳8か月を超える最年少金メダル。8月は父・敬造さんと母・清美さんの
誕生月で、小さな頃から「金メダルが誕生日プレゼントね」と語り、多くを実現させてきた。「(最年少の)チャンスというのはなかなかないし、目立てると思う。
親には今回も金メダルを贈りたい」と気合を入れた。

【柔道】金1号へ、近藤亜美「日本に恥じない柔道で取りたい」
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160806-OHT1T50028.html

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:30:18.80 ID:PesDscOl.net
恐いもの知らずの21歳が“ヤワラ超え”に挑む。柔道の日本代表は4日、リオ市内で練習を公開。先陣を切る女子48キロ級の近藤亜美(21=三井住友海上)は、
谷亮子ら歴代女子金メダリストの記録を塗り替える日本女子最年少での金メダル獲得を誓った。男子60キロ級では3年前にリオでの世界選手権を制した
高藤直寿(23=パーク24)が登場。日本男子2大会ぶりの金メダル獲得に挑む。
日本女子の看板階級を背負う責任、金メダルを期待される柔道の宿命も感じている。「柔道の名に恥じないように金メダルを獲りたい」。それでも重苦しくは
ならないのが近藤の特権だ。
「選手村の設備が凄い。何でも食べられるし、好きなコーラもたくさん置いてあった。やっぱり五輪だなって」。気迫のこもった声は普段より幾分か低いトーン
だったが、食い気で祭典の雰囲気を感じて笑顔を見せた。
食事の話が出たのは減量の影響もあるはずだ。ウエートトレーニングに取り組んだ成果で「筋肉をつけて代謝が良くなった」。おかげで体重が落ちやすくは
なったが、初戦で敗れた2月のグランドスラム・パリ大会では落ちすぎてしまったという。今回は一度リミットまで持っていき、戻した後にまた減らすという
方法を取った。試行錯誤してきたが「調整はしっかりできている。あとはやるだけ」と気合を込めた。
21歳での金奪取となれば日本女子では最年少記録を更新する。これまでの記録は04年アテネ五輪78キロ超級を制した塚田真希の22歳。「そんなに
最年少で取れるチャンスも巡ってこない。せっかく巡ってきたなら挑戦しようと。名前も残る」。谷亮子らそうそうたる顔ぶれを上回る記録となれば大きな
モチベーション材料だ。
4日に組み合わせ抽選が行われ、順当なら2回戦でトルコのロクマンヘキムと対戦することが決まった。昨年のマスターズで敗れた相手で、初戦から気の抜けない
組み合わせ。それでも近藤には目指す理想がある。「柔道はポイントでわかりにくい部分がある。これが一本と分かるダイナミックな柔道をしたい」。
“魅せる柔道”で最年少女王になる。その目は自分の可能性を信じていた。

近藤亜美 21歳いざ最年少金 アテネ塚田の22歳超え“狙う”
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/06/kiji/K20160806013103670.html

2年前の19歳の夏、高校を出たばかりでいきなり世界女王となった柔道女子48キロ級の近藤亜美(三井住友海上)には勢いしかなかった。
何よりも嫌いだったのは減量と筋力トレーニング、そして実戦形式で練習する乱取り。技も体も究めようとはせず、ほどなく己の限界を知らされた。
はい上がろうとした道は、険しかった。
愛知の名門、大成高時代の走り込みのおかげで脚力は強かったが、腕も腹もつまめるほど。筋肉をつけると体が重くなって減量が苦しくなると誤解し、
トレーニングを避けていた。腕が太くなって好きな服が着られなくなるといった年頃の女子らしい理由付けも。柔道への思いは、その程度だった。
所属先で指導する貝山仁美コーチは言い含めながら耐えて、その時を待った。栄養もろくに考えず牛丼店で食べれば「なぜ?」と問いかけ、減量を
投げ出そうとすれば突き放した。考えに甘さがあった原石が光るのを待ち続けた。
1年で女王の座から転げ落ちた昨年の世界選手権での敗北が転機だった。外食から寮食に変え、自ら計量器具を買って栄養バランスに気を配るようになった。
週4〜5度の筋力トレーニングを続けたら汗が出やすくなり、減量で水分がすんなり抜けるようになった。
得意の払い腰は掛け方と技に入るタイミングが独特で、足が相手にしつこく絡みついて体で巻いてもっていく。さらに腕の筋肉をつけたことで釣り手を握る力が
増し、組み負けなくなった。所属先で1階級上の先輩、中村美里(三井住友海上)と乱取りを重ね、知らずと地力もついた。
谷亮子がかつて五輪を連覇した日本女子の看板階級で代表の座をつかむと、「伝統と責任を自覚している。先輩が築いてきたものを背負えるのは光栄」と
よどみなく話した。そんな発言の仕方も、以前とは明らかに変わった。嫌いだったものを一つ一つ消し去ってきた21歳。信じられる確かなものを積み上げ、
勝負の時を迎えた。

勢いだけでない強さ=限界破った柔道の近藤〔五輪・柔道〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080600231

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:31:52.17 ID:PesDscOl.net
初日は金メダルならず…。柔道女子48キロ級準決勝で近藤亜美(21=三井住友海上)がパウラ・パレト(アルゼンチン)に優勢負け。
柔道競技初日の日本勢の金メダルはなくなった。
パレトは昨年の世界選手権で優勝した強敵。30歳のベテランだが、試合運びは秀逸。いれ込む近藤の立ち上がりをついて、
いきなり袖釣り込み腰で技ありを奪った。
開始早々にビハインドを許した近藤は、得意の寝技で逆襲。押さえ込みを狙ったが、徹底的に場外際で技をかけてくるパレトを仕留められない。
焦った近藤はパレトの巧みな組み手に翻弄されてそのままタイムアップ。経験の差がここ一番で表れてしまった。

【柔道女子】48キロ級・近藤 準決勝でパレトに敗れる
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/576392/

女子48キロ級近藤亜美(21=三井住友海上)が13年の世界女王ウランツェツェグ・ムンフバット(モンゴル)に優勢勝ちし、初の五輪で日本勢大会第1号となる
銅メダルを獲得した。
ゴールデンスコアの延長戦突入寸前の残り4秒で背負い投げ。一度はポイントなしで試合が再開されたが、有効に訂正されてメダルが決まった。
その瞬間は笑顔を見せたが、試合後は金メダルを取れなかった悔しさからか、準決勝に続き大粒の涙を流した。
「勝ったときはメダルがあるとないとでは全く違うという気持ちだったので、ホッとした。でも終わってみれば銅メダルということで、情けない気持ちでいっぱい。
ムンフバット選手はいつもと顔つきが違っていたので、半端な気持ちでは勝てないと思った。実力の差を見せつけられた大会でした」。インタビューでは
悔しさに目を赤くしながらも、最後は笑顔も見せた。
ただ、時間が経つほど悔しさが込み上げた。表彰式でも唇を結び、もらった銅メダルを見ることもしなかった。表彰台でただ1人、ぎこちない笑顔しか
つくれなかった。
「より悔しくなりました。応援して下さった方に感謝の気持ちもあるんですけど、悔しい気持ちもあるので苦笑いです。すみません。(両親は喜んでいたが)
銅メダルで笑ってほしくなかったです。(大会の)雰囲気は私の中では変わったところはなくて、選手みんなが死にもの狂いでくるのが、ちょっと変わった
ところかな。(金メダルとの距離は)まだまだ私には及ばないと分かったので、まだ4年あるのでしっかり頑張っていきたい。」。
五輪金メダルの難しさを実感する一方、準々決勝の逆転勝ち、3位決定戦の終了間際のポイントと、あきらめない精神力も見せ、東京五輪への可能性も
大いに感じさせた。早くも口にした4年後の目標へ、気持ちはすでに走り始めた。

近藤亜美が銅!今大会日本勢メダル1号も「悔しい」 - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1690650.html

リオデジャネイロ五輪第2日(6日、カリオカアリーナ2)柔道女子48キロ級の近藤亜美(21)=三井住友海上=は、3位決定戦でムンフバット(モンゴル)に
優勢勝ちし、銅メダルを獲得した。
近藤は、準決勝で昨年の世界女王パレト(アルゼンチン)に敗れたが、今大会の日本勢メダル第1号となった。
近藤亜美の話
メダルがあるとないとでは全然違う。勝った瞬間はほっとした。でも終わってみれば銅メダルなので情けない気持ち。実力の差を見せつけられた大会だった。

近藤亜美が銅! 日本のメダル第1号/柔道
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160807/rio16080704490033-n1.html

先陣を切って登場した女子48キロ級の近藤亜美(21)=三井住友海上=は3位決定戦でウランツェツェグ・ムンフバット(26)=モンゴル=と対戦した。
延長戦にもつれ込むかと思われた、終了間際に隅落としで有効を奪い、銅メダルを獲得した。日本選手のメダル第1号となった。
近藤は初戦となった2回戦、準々決勝と2試合続けて一本勝ちしたが、準決勝で準決勝では昨年の世界チャンピオンのパウラ・パレト(30)=アルゼンチン=に
優勢負けを喫した。
近藤亜美「もう無理だと思っていたのですが、相手の監督から『メダルが有ると無いとでは違う』と言われて悔しかった。(準決勝は)力のなさが出た。
しっかり受け止めて、東京五輪に向けやり直したい。すみませんでした。申し訳ない気持ちでいっぱいです」

【柔道】メダル1号は近藤亜美、女子48キロ級で銅メダル!
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160807-OHT1T50081.html

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:32:21.00 ID:PesDscOl.net
リオデジャネイロオリンピック、柔道女子48キロ級で近藤亜美選手が3位決定戦に勝って、銅メダルを獲得しました。今大会、日本にとって最初のメダルです。
おととしの世界選手権で優勝した近藤選手は、初戦の2回戦から順当に勝ち上がり、準々決勝では先に技ありのポイントを奪われましたが、残り僅か5秒、
寝技で一本勝ちしました。準決勝は、去年の世界選手権で優勝したアルゼンチンの選手に開始20秒すぎに技ありのポイントを奪われ、そのまま敗れ、
3位決定戦に回りました。
3位決定戦に臨んだ近藤選手はモンゴルの選手と対戦し、互いに決め手を欠きましたが、終了間際に有効のポイントを奪って優勢勝ちし、銅メダルを
獲得しました。近藤選手は初めてのオリンピックで銅メダルを獲得し、今大会、日本にとって最初のメダルとなりました。
この階級の金メダルは、アルゼンチンのパウラ・パレート選手でした。
近藤選手は「準決勝で負けたあと、監督やコーチの話も耳に入らないくらいショックで気持ちを切り替えられなかった。ただ3位決定戦で相手の気迫を感じて、
自分も攻めないといけないと思った。日本柔道で銅メダルは本当に恥ずかしいことだと思っているが、これを4年後の東京オリンピックで挽回できたらと思う」と
悔しそうに話していました。
「よく頑張った」
近藤選手の両親は会場で娘の試合を見守りました。父の敬造さんは試合後、「『おめでとう。よく頑張った』と言ってあげたい。準決勝で負けてからもう
一度気持ちを立て直すのは大変だったと思う」とねぎらっていました。また、母の清美さんは「娘にありがとうと言いたい。いい思い出ができた。最高のことが
目の前で見られてうれしいです」と話していました。
近藤亜美選手とは
女子48キロ級の近藤亜美選手は愛知県出身の21歳。今回が初めてのオリンピックです。得意技の払い腰を武器におととしの世界選手権に初めて出場して、
いきなり優勝を果たしました。その後は、去年の世界選手権で3位に終わるなど国際大会で不安定な成績が続きましたが、4月の国内最終選考会で優勝し、
厳しい代表争いを勝ち抜きました。この階級はシドニー大会とアテネ大会で谷亮子選手が2連覇を果たすなど日本が得意としてきましたが、前回のロンドン大会
ではメダルを逃し、2大会ぶりのメダルとなります。
地元でも応援
名古屋市出身の近藤亜美選手が子どもの頃に通っていた道場がある愛知県大府市では、多くの人が集まって声援を送りました。応援会場となった大府市の
小学校の体育館には、午前3時ごろから地元の人や、近藤亜美選手が中学まで通っていた道場の関係者などおよそ70人が集まりました。そして、日の丸の
小旗などを手に、「亜美ちゃん頑張れ」と声援を送りました。
近藤選手が準決勝で敗れたときには会場からはため息がこぼれましたが、3位決定戦で終了間際に「有効」のポイントを奪って優勢勝ちして、銅メダル獲得が
決まると、大きな歓声が上がりました。子どもの頃、近藤選手と一緒に練習していた19歳の男性は「メダルがあるのとないのでは大きな違いなので、銅メダルは
うれしいです。東京オリンピックでは金メダルをとって欲しいです」と話していました。

柔道女子48キロ級 近藤が銅メダル
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160807/k10010624731000.html

21歳のはじける力が、リオ五輪で日本勢初のメダルをもぎとった。柔道女子48キロ級で銅メダルを獲得した近藤亜美選手。最後まで諦めずに向かっていった
先に、試合終了間際の劇的な勝利が待っていた。
初の五輪出場。準決勝で敗れ、3位決定戦に回った。試合の途中では思うように技が掛からず、焦るような表情を浮かべる場面もあった。
だが小柄な体で攻め続ける。試合終了のわずか数秒前に打った渾(こん)身の投げ技で、相手のモンゴル人選手の体が畳に崩れ落ちた。
そのまま試合時間が尽き、審判が「有効」と判定。スコアボードで勝利を確認した近藤選手は、安堵したような笑顔を浮かべた。
ただ、試合終了後は一転、両手で顔を覆って涙を流した。インタビューでは「銅で情けない。実力の差を見せつけられた」と話した。

終了間際、渾身の投げ 柔道・近藤「銅」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG07H06_X00C16A8000000/

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:32:45.79 ID:PesDscOl.net
今大会日本勢初メダルとなる銅メダルを獲得した近藤亜美(21=三井住友海上)は「やってきたことが形になってきているが、まだ銅メダル。まだ足りない」と
正直な思いを口にした。
ただ、1年前の挫折、恩師の叱咤(しった)がなければ、銅メダルすらなかったかもしれない。連覇を目指した15年8月の世界選手権での敗北から
近藤がたどった道程とは…。
電車の車両が1台、また1台と駅を発車していった。15年9月、名古屋鉄道犬山線の岩倉駅、オレンジ色のベンチに座りながら、近藤は大粒の涙を流していた。
乗るはずだった車両が去っていっても、席を立てない。押し寄せる悔恨、自分の甘さ、弱さを認めるしかなかった。そして、この数十分の涙こそが、リオへの
活力につながっていた。
その1カ月前、連覇を狙った世界選手権は散々な出来だった。払い腰など通り一辺倒の技は研究され尽くされ、打開する技術もなく、攻撃ポイントを1つも
奪えずに準々決勝で格下の韓国選手に敗退。銅メダルこそ確保したが、失意の帰国となった。彗星(すいせい)のごとく高校3年生で48キロ級戦線に登場し、
14年に世界女王にまで駆け上がった勢いは見る影もなかった。
愛知・大成高で近藤を指導した大石公平監督は、近藤の性格をこう見る。「すぐに鼻が高くなる。調子に乗りやすいので、折って、折ってやらないと成長がない」。
幼少期から負けず嫌いで勝ち気。格闘技向きの強気な性格は多くのタイトルに導いてきたが、自信過剰になって甘さが出るのが玉にきず。鼻の折り時を
間違えないことが、指導の肝だった。
世界女王になった愛弟子の姿に危険な気配を感じたのは15年4月だった。一緒に焼き肉を囲むと、食べる、食べる。「締めにチゲを」と大成高の同級生と
楽しげな様子は、明らかに油断があった。会計は8万円。「減量もあるのに。その時に乱れ始めているなと感じたんです。謙虚さがなく、調子良いことばかりな
感じ」。ただ、楽しそうな姿にその場は口をつぐんだ。そして案の定、世界選手権でそのツケは回ってきた。
9月、失意の近藤は東京から日帰りで大成高を訪れた。初心を求めた。ただ、後輩たちの稽古に参加しても、きつい練習を避けた。それを見た大石監督は
動いた。一緒に帰路につくと切り出した。「足元を見ないからこういうことになる。だから負けたんだ」。食事のこと、生活態度のことなどを指摘し、通学バスを降り、
乗り継ぎ電車のホームでも話は終わらない。泣きながら、近藤は図星の指摘に改心を誓った。
変えたのは「自分がそれまでやりたくない順の上位3つ」。1番はウエートトレーニング。「腕が太くなって、服が着られなくなるのは…」と逃げていた。
だから外国勢の組み力に勝てなかった。2番は乱取り。勝手に本数を抜いてサボっていた。最後は減量。「本当に雑。自己流。そんなことしなくても落ちるよと。
1週間くらいでやっていた」といういい加減さ改めた。質量計を買い、毎食カロリーを測った。
TシャツのサイズがSからLに上がるにつれて、どん底からもはい上がっていった。14年世界女王に駆け上った軸の払い腰は、研究されて懸かりにくくなっていたが、
筋力がつき、乱取りで他の技の威力がアップ。「全部の技が7割だったのを8割にして、完成度を上げようとしてきた。払い腰しかないと自分でも感じていた。
今は研究されても関係ないなと思ってやってます」。相手が警戒する技が増えたことで、得意技は再びキレ味を取り戻した。思い切りが信条の強気の柔道で、
恐れずに大技を仕掛けられる輝きがよみがえった。
涙を流した昨夏の母校訪問では、1つの決意も書き残していた。「打倒自分!! オリンピック制覇」。先行きが見えない不安の最中でも、「出場」ではなかった。
勝ち気、強気、その本性は消えていなかった。大石監督も「それはさすが」と振り返る。自らを雑草と呼ぶ忍耐力。上がって落ちて、上がって落ちて。踏まれても
踏まれてもしぶとく生きる。だからこそ、恩師は叱咤をし、教え子は再び幹を天へと伸ばすことができた。
五輪制覇はできなかった。銅メダルが決まった瞬間、近藤の目からは涙があふれた。ただ、あの日駅のホームで流した涙とは少し意味合いは異なる。
金メダルまでの差を聞かれ「まだまだ及ばない」と自分を認め、東京五輪に向けて「4年あるので頑張りたい」と宣言した。もう足元は見失わない。

近藤亜美、敗北から1年「打倒自分」で輝き取り戻す - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1690718.html

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:33:09.11 ID:PesDscOl.net
リオデジャネイロ五輪は大会第2日の6日、カリオカアリーナで柔道女子48キロ級3位決定戦を行い、近藤亜美(三井住友海上)はムンフバット・
ウランツェツェグ(モンゴル)に終了直前の背負落で優勢勝ちし、日本勢の今大会メダル第1号となる銅メダルを獲得した。

【五輪柔道】女子48キロ級の近藤が銅メダル 今大会日本勢メダル1号
http://www.sankei.com/rio2016/news/160807/rio1608070042-n1.htm

リオデジャネイロ五輪の柔道女子48キロ級で、日本勢第1号のメダルとなる銅メダルを獲得した近藤亜美(三井住友海上)「勝った瞬間は、
本当にホッとしたというか、良かったなと思ったんですけど、終わってみれば銅メダルということで、本当に情けない気持ち、申し訳ない気持ちでいっぱい。
実力の差を見せつけられた大会でした。(東京五輪まで)まだ4年あるので、しっかり頑張りたい」

銅メダルの近藤亜美「本当に情けない気持ち」
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2016/martialarts/judo/20160807-OYT1T50018.html

21歳の近藤亜美(三井住友海上)が、ムンフバト(モンゴル)を下し、銅メダルを獲得。日本勢メダル第1号となった。
試合終了直前に近藤が技をしかけ、こらえられたかに思われたが、しばらく時間がたってから近藤に有効が入り、残り時間がなくなった状態で近藤の
銅メダルが決まった。
涙ながらに取材に応じた近藤は「実力のなさがはっきり出た形になって…。これを次のオリンピックに必ず生かしたいと思います。しっかり受け止めて、
次は東京でみんなの前でしっかりやり直したいです」と、金メダルをとれなかった悔しさをにじませた。
準決勝でパレト(アルゼンチン)に敗れた後には「もう(試合をするのは)無理だと思った」と打ちひしがれたが、パレトの監督から「メダルがあるのと、
ないのとでは全然違う」と励まされ、奮起した。
応援してくれた人々に対して、「すいませんでした。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と喜びよりも謝罪の言葉が目立った。
近藤は初戦となった2回戦では、終了間際の横四方固めでカルリージョ(メキシコ)で下すと、準々決勝では、先に技ありのポイントを許しながらも、
ガルバドラフ(カザフスタン)を横四方固めで一本勝ちした。しかし、準決勝で昨年の世界選手権で優勝したパレトに敗れ、決勝進出を逃した。

柔道・女子48キロ近藤亜美が銅 日本メダル1号も喜びより「申し訳ない」/五輪ニュース
http://www.daily.co.jp/olympic/2016/08/07/0009361912.shtml

女子48キロ級の近藤亜美(21)が勤務する三井住友海上本社(東京)でのパブリックビューイング(PV)には社員約130人が集まって応援した。
女子最年少での金メダル獲得はならなかったが、銅メダルが決まった瞬間、近藤に惜しみない大歓声が送られた。近藤が在籍する国際業務部の
田中秀幸部長(53)は「4年に1度の大舞台で戦っている姿を見て本当に感激しました。勇気をくれてありがとう」と、部下の健闘をたたえていた。

「メダルに感激」近藤所属の三井住友海上でPV - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1690658.html

リオデジャネイロ五輪柔道女子48キロ級で銅メダルを獲得した近藤亜美(21)と一緒に愛知県大府市の大石道場で練習を積んだ筑波大の内尾真子さん(20)は
7日未明、産経新聞の取材に「心折れずに頑張った。東京五輪では一緒に金メダルを取りたい」とエールを送った。
技術的には誰が勝つか分からないくらいだったが、五輪は、気持ちなどの面でしっかり勝負できた人が勝てるんだ、と感じた。亜美は最初、緊張していたのか
固い感じがあったが、次第に本来の動きになっていった。特にガルバドラフ戦(準々決勝)では、ポイントを先に取られても心折れずに頑張る、亜美らしい柔道が
できていた。メダルを持って帰れるかどうかで違う、と(相手の選手の監督から)言われたということだが、そこから立て直せたというのはすごい。東京五輪には
自分も一緒に出て、それぞれ金メダルを取れたらいいなと思う。今日の試合を見て、五輪は何が起こるか分からないなと感じた。試合にも常にそういう気持ちで
挑み、一つずつ勝ち上がっていきたい。亜美には「本当にお疲れ様。またこれから頑張ろう」と言いたい。

【五輪柔道】「東京五輪では一緒に金メダルを」…女子48キロ級銅メダル・近藤亜美の友人がエール
http://www.sankei.com/rio2016/news/160807/rio1608070056-n1.html

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:33:31.96 ID:PesDscOl.net
柔道女子48キロ級で銅メダルを獲得した近藤亜美選手は、今回の五輪で日本選手団メダル第1号となった。表彰式後、記者団のインタビューに応えて、
今大会での自らの戦いを振り返った。
どんな気持ちの残るオリンピックだった
情けないというか、実力の差がしっかり出た大会だったなと思います。
南條監督は初戦から固かったと言ってたが
初戦は思ってたよりも相手がガツガツ攻めてきた。オリンピックだけあって目の色を変えてきた選手に対して、うまく攻め込めなかったです。
かつぎは警戒していたと思うが
気をつけてはいたんですけど、パレト選手の背負い投げが優れていた。素晴らしい背負い投げだったとしか言えないです。
2回戦で大逆転勝ちして気持ちの揺れは?
そういうことではないです。普通に実力で負けました。
オリンピックとほかの国際大会はどう違いましたか
外国人選手を目の色の変わり方というか、一番感じたのはムンクバット選手の目の色が変わっていて、中途半端にいったらほんとに1本きれいに
投げられるなと思ったので、試合始まってまたスイッチが入りました。
今回のオリンピックはどんな大会だった?
私にはまだまだでした。4年間しっかり練習を積んで、ひと皮ふた皮向けて次のオリンピックに臨みたいです。
決まった後に流した涙は?
ほんとに悔しくて。
3位決定戦決まで時間がなかったが、気持ちの整理はつけて上がれたか混乱したままだったのか
南條監督やみんなは「(気持ちを)切り替えないと」と言ってくれたけど、負けたショックが強くてなかなか切り替えられなかった。パレト選手のコーチが
「メダルがあるのとないのとではまったく違うから取りにいかないといけない」とわざわざ言いに来てくれて。ほんとは相手に言わせて恥ずかしいなと思って
しっかりやらなきゃと思いました。
48キロ級を代表するというのはどういうことだと思うか
48キロ級は日本がずっと先頭を走ってきたんですけど、いま見てもらったように日本は3番手という状態なので、4年間でひっくり返せたらなと思います。
銅メダルとはいえ、日本選手団初めてのメダル。どう思うか
あんまりうれしくない。銅メダルなので。つぎ続く選手にがんばってもらいたいなと思います。
攻めの柔道ができなかったのは緊張それとも慎重にいったのか?
緊張していたわけでもないけど、相手のディフェンスがうまかった。うまく攻めさせてもらえなかったっていうだけであって。向こうにも隙があったので
ちょっとずつ勝ち上がっていけたという感じです。
銅メダルを誇りに思うことはないのか
やってきたことが少しずつ形になっているというのは自分でもわかるんですけど、でも銅メダルってことはまだまだ足りないと思います。
2試合目コンタクトレンズが落ちた後動揺していたと思うが、あのあとはストックつけて?
ストックがなかったので、前田のコンタクトをひとつもらって。度がいまいち合っていないんですけど。試合には影響していません。
楽しめました?オリンピック
……あんまり。決勝の舞台でやりたかったです。

メダル第1号でも流した涙はくやし涙 柔道女子・近藤亜美選手インタビュー
http://dot.asahi.com/dot/2016080700021.html

日本女子が看板に掲げる48キロ級で銅メダルが何を意味するか、近藤はよく分かっている。「情けない。うれしくない」と言う表情に、色はない。
涙はとっくに乾いていたが、胸の奥はぬれていた。
女王パレトとの準決勝は完敗だった。やや腰高になった甘い体勢を場外際で突かれ、袖釣り込み腰で開始20秒すぎに技ありを奪われた。ともえ投げや
寝技で応戦したが、焦りは隠せない。逃げ切りに終始した相手の防御は堅かった。
勝負が決した残り4秒、懸命に走って追ったがもう遅い。金メダルの目が消えて、ぶつけようのない感情を抑えるように畳の外で拳を振り下ろした。
「相手のペースで、うまく攻めさせてもらえなかった」。もどかしくて、涙が出た。それでも、浮き沈みの苦節を乗り越えて背負う覚悟を決めた48キロ級代表の責務を全うしようとした。
モンフバットとの3位決定戦へ臨む顔は引き締まっていた。パレトのコーチに「メダルのあるなしで全然違う。取りに行くべきだ」と直々に掛けてもらった言葉が
胸に染みた。終了間際の隅落としで有効を奪い、最後は勝って戦いを終えた。
もともとは20年東京五輪を目指していた。4年早く体験した舞台で感じたのは、海外の選手ががらりと変えてきた目の色。「今は3番手。私はまだまだだった」。
悔しさしかない銅と引き換えに、次へ生かせる教訓を得た。

知った目の色の違い=近藤、悔しい銅
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080700082

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:34:33.08 ID:PesDscOl.net
柔道女子48キロ級準々決勝で、近藤亜美(21=三井住友海上)はガルバドラフ(カザフスタン)に3分55秒、横四方固めで一本勝ちして準決勝に進出した。
ガルバドラフは今年2月のグランドスラム大会で片手絞めで一本負けしている嫌な相手。2分30過ぎには裏投げであわやの場面をつくられると、続けざまの
裏投げを食らって技ありを奪われてしまう。それでもすぐさま払い腰で反撃。得意の寝技に移行すると、場外際で押さえ込み、逆転勝利を収めた。
初出場とは思えぬ冷静な柔道を披露。日本女子柔道では史上最年少、日本の48キロ級では2004年アテネ五輪の谷亮子以来となる金メダルまであと2勝だ。

【柔道女子】48キロ級・近藤が逆転一本勝ちで準決勝進出
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/576351/


今大会での自身の最後の試合を戦い終えたあと、勝利したにもかかわらず、涙を流した。
「情けない」
「ほんとうに悔しくて」
柔道初日、48kg級代表の近藤亜美の口をついて出るのは、悔恨の言葉ばかりだった。
手にしたのは銅メダルだったからだ。
初戦となった2回戦、準々決勝で一本勝ちを収めた。しかも準々決勝では先に技ありを奪われ、試合終了間際に得意とする寝技で一本をとっての
逆転勝利である。
勢いに乗ったかに見えた近藤だったが、準決勝でぶつかったのは世界ランク2位、昨年の世界選手権で優勝しているパウラ・パレト(アルゼンチン)。
最終的に金メダルを獲得した強敵を相手に、近藤は力の差を思い知らされることになった。試合開始早々、袖釣込腰で技ありを奪われると、そのまま
押し切られた。その後、3位決定戦で世界ランク1位のムンフバット・ウランツェツェグ(モンゴル)を破った近藤だったが、銅メダルという結果に、
納得が行かなかった。
2014年の世界選手権女王に漂い続けていた停滞感。
「私はまだまだでした」
世界一になれなかった悔しさをかみしめた。そして泣いた。
表彰台の真ん中に立てなかったことは、まだそれだけの実力をつけていなかったことを示しているのかもしれない。日本女子代表の南條充寿監督が
指摘したように、最初の試合から堅さがあったことは、初めての大舞台からくる緊張感で、力を出し切れなかったのかもしれない。
ただ、少し引いたところから眺めてみれば、見方は変わる。
2014年の世界選手権で同大会初出場初優勝を遂げながらも、近藤にはどこか停滞感が漂っていた。
翌年の世界選手権で銅メダルにとどまったのをはじめ、海外で行なわれる国際大会で結果が出ず、「海外では弱い」とささやかれもした。実績を上げるにつれ、
外国人選手からのマークもきつくなり、研究されたことが原因の1つだった。
取り組む姿勢の甘さもあった。やりたくないとウェイトトレーニングを避け、減量のある競技にもかかわらず、体重管理も大ざっぱだった。その状態が続けば、
やがて日本代表に選ばなくなる日が来ていたかもしれない。
そこから復調へと進むことができたのは、「自覚」だった。勝つためにはパワーも必要だと気づき、ウェイトトレーニングに取り組むようになっていった。
食事も見直し、体重のコントロールも心がけた。結果、五輪代表の切符を手に入れたのである。
停滞していた頃からすれば、オリンピックの舞台にたどり着いたこと、何色であれ、メダルを獲得したということは、近藤が費やした努力の証であり、十分、
意味のある銅メダルである価値がある。
しかも、ロンドン五輪では柔道の成績が伸び悩み、柔道界としてそのリベンジの意気込みが強い中で初日に登場してのメダルである。
実力差を痛感した大会だったからこそ、次を見据える。
それでも当の本人は、敗れたことを悔いる。
思えば、自覚が芽生えたのは、連覇を狙った昨夏の世界選手権での敗北からだ。それを考えれば、リオでの敗北もまた、次への糧となりえる。
「実力の差がしっかり出た大会だったと思います」
近藤は試合全般をこのように振り返った。だからこそ、自らが感じた実力の差を埋めていくのがこれから4年間の仕事となる。
「決勝の舞台で戦いたかったです」
最後まで、悔いを見せ続けた近藤はすでに2020年へと目を向けている。

「海外で弱い」元世界女王が流した涙。柔道・近藤亜美、銅獲得からの再出発。
http://number.bunshun.jp/articles/-/826220

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:35:34.27 ID:PesDscOl.net
女子48キロ級近藤亜美(21=三井住友海上)が逆転勝ちで準決勝に進出した。
2月のグランドスラム・パリ大会の初戦で敗れていたガルバドラフ(カザフスタン)に裏投げで技ありを取られる苦しい展開となった。だが試合終了直前に
得意の寝技に持ち込み一本勝ち。逆転勝利を収めると手をたたき、ガッツポーズで喜んだ。

近藤亜美メダル王手!逆転一本勝ちで準決勝へ - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1690613.html

初めて挑戦した五輪で手にしたのは、憧れた色のメダルではなかった。だから、首に銅メダルをかけられた後は、悔しくて泣いた。リオデジャネイロ五輪の
日本選手団第1号のメダリストとなったことを聞いても
「あまり、うれしくないです。もっと試合を……。決勝戦でやりたかったです」と表情は晴れなかった。
柔道女子48キロ級に出場した近藤亜美(三井住友海上)は、準決勝に敗れた後で3位決定戦を勝ち、銅メダルを獲得した。21歳の近藤は、
金メダルを獲得すれば、日本女子柔道界で史上最年少記録の更新となるところだったが、そうはいかなかった。
“あのメダル”ではない……。見た目以上の輝きを放つ金メダルを触り、天才少女が「私もこれが欲しい」と思ったのは、12年前のことだ。アテネ五輪で
金メダルを獲得した谷本歩実が幼い頃に柔道を学んだ大石道場にメダルを持ち帰った際、触らせてほしいとせがんだ道場生のひとりが、小学5年生で
日本一になった近藤だった。「今度は自分が金メダルを道場に持ち帰りたい」と話していたが、色が違った。
「情けないというか、実力の差がしっかり出た大会だったと思います。やってきたことが少しずつ形になっているのは、自分でも分かる。でも、
まだ銅メダルということは、まだ足りないのだなと思う」
実力は証明したものの……
近藤は、言い訳することなく敗因は実力不足だと主張した。まるで、内面に渦巻く悔しさにしゃべらされているようだった。実力でまったく及ばないということはない。
動きに硬さが見られる中で、苦しい試合を勝ち切ってメダル争いに食い込んだ。
準々決勝は、2月のグランドスラム・パリで負けたオトゴンツェツェグ・ガルバドラフ(カザフスタン)に劇的な逆転勝利を収めた。裏投げで技ありを奪われたが、
試合終了間際に寝技へ持ち込むと、横四方固めで一本を奪ってみせた。ガルバドラフは、今大会でも敗者復活戦を勝ち上がり、近藤とともに銅メダリストと
なった実力者だが、執念で競り勝った。
準決勝は、2014年に初優勝を飾った世界選手権の決勝で対戦したパウラ・パレト(アルゼンチン)と対戦。互角の展開だったが、袖釣り込み腰で技ありを
奪われ、指導を受けながらも逃げるパレトを捕まえ切れなかった。敗れてすぐに行われた3位決定戦では、世界ランク1位のウランツェツェグ・ムンフバット
(モンゴル)から試合終了間際に隅落としで有効を奪って勝利。技のバリエーションが多く、立っても寝ても戦える。並み居る強敵と渡り合う力があることは、
今大会でも証明している。しかし、金メダルに届かなかったことは事実だ。
師範が指摘し続けた「自身への甘え」
勢いだけで勝ち続けられるほど世界は甘くない。勝てばマークは厳しくなり、技は研究される。絶えず地道に進化する者でなければ、一線で戦い続けることはできない。
近藤は、14年に19歳で世界選手権を制し、谷亮子に次ぐ48キロ級の絶対的な女王となることを期待されたが、勝ち続けることができなかった。
当時、近藤は食生活の乱れや練習の選り好みなどを指摘されるようになっていたが、急に始まった話ではなかった。
小・中学生時代に指導した大石道場の大石康師範は、1992年バルセロナ五輪の金メダリスト吉田秀彦や04年、08年のアテネ、北京の両大会で連覇を
成し遂げた谷本歩実らを世に送り出した名士だが「亜美の長所は、臨機応変に技をかけられること。相手によって、技を変えるアイデアがすぐに出てくる。
その点では、あの子が一番」と才能を認める一方で「基礎練習をちっともやらなくてオレに一番怒られた。ああいう、いい加減なところが直れば……」と
顔をしかめることもあった。

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:36:17.59 ID:PesDscOl.net
小学生時代の近藤は、基礎練習になると途端に集中力を欠いて適当になった。大石に怒られて畳から保護者の見学用スペースへと追いやられることもしばしば。
何度も繰り返すうちに2週間も練習を禁じられ、母親がまんじゅうを持って謝罪に訪れたこともあった。才能で対応できて試合に勝ってしまうがゆえに、
自分の中に生まれる誘惑に勝てなかった。
4年後の金メダルへ、鍵はライバル心
名士は策を講じた。大石は「お山の大将だったから、ライバルを作らないといけないと思った」と、同い年で真面目に練習していた内尾真子(現・筑波大)を
徹底的に指導。近藤が練習を禁じられて見学に回っているときには、特に熱を入れた。次第に互角の勝負ができるようになり、近藤が小学5年生で全国
優勝したときの県大会の決勝では両者が争った。
うかうかしていられなくなった近藤は、練習態度を改善していったという。そんな姿を知っている大石は「亜美は、ライバルがいて競り合うと本領を発揮できる。
亜美が勝てなかった時期に浅見(八瑠奈=コマツ)選手が活躍したから、亜美は五輪に出られた。ライバルがいなかったら、小学校の時と同じだ」と断じた。
五輪に出たいという思いと、ライバルに勝ちたい気持ちが、近藤の生活改善につながっていった。
五輪直前には「最近は、やっぱり基礎が大事かなと思ってやっている」と、ようやく名士の忠告を理解して取り組み始めたことも明かしていた。ただ、五輪の
大舞台でも、近藤はコンタクトレンズのスペアを用意せず、2試合目でレンズが外れてからは仲間から借りたものを着用するという失態を犯した。
大きな影響はなかったと言うが、対応力に優れる者が陥りやすい、準備不足だ。まだ甘さが残っていたと言うべきだろう。
リオ五輪は、地球の裏側で悔しさを味わう、天才の回り道となった。それでも、憧れの大舞台で世界の強豪と「相手が目の色を変えてきた」と驚くほどの
真剣勝負を経験することができた。
恩師の大石師範は御年73歳だが、77歳の喜寿を迎える20年の東京五輪まで指導を続ける意向だ。まだ21歳と若い近藤には、20年東京五輪で
大石道場出身者の8大会連続五輪出場という偉業の期待も懸かる。リオの経験を生かし、金メダリストとなったパレトや、3位決定戦を争ったムンフバットを
ライバルとして堅実さを身につければ、4年後の東京に「あの敗戦があったから」と金色に輝くメダルを手に喜ぶ近藤の姿が見られる可能性は十分にある。
それならば、回り道にも価値があるというものだ。

銅メダルを喜べない柔道・近藤亜美 天才が地球の裏側で見せた“甘さ
http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608070004-spnavi

近藤は正確な寝技が光ったが、本来の豪快な立ち技が見られなかった。体幹の強さを生かした払い腰などは確かに破壊力がある。だが、柔道本来の
「崩し(相手を動かす)」が生かされておらず、いいところを持てないと技の破壊力が落ちる傾向がある。そこを世界中の選手に研究されていた。近藤が
いいところを持つ前に技を仕掛けたり、持たれたら掛け逃げでも流れを切ったり、といった対策で技を封じられた。試合終盤には焦りも出てしまった印象だ。
敗れた準決勝、パレトの場外際での鮮やかな技は、相手のうまさをほめるしかない。不運だったのは大会初日で審判のジャッジが安定していなかったところ。
準々決勝までは寝技をしっかり見極めてくれたが、準決勝は審判の見切りが少し早かったように感じた。いずれにせよ、今後は単発ではなく連絡技を取り入れ、
技をつなげる選手に進化してほしい。

【金野潤の目】正確な寝技光った近藤だが「崩し」生かせず焦りも
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/07/kiji/K20160807013114290.html

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:36:43.22 ID:PesDscOl.net
序盤から積極的に攻めた近藤は2分30秒過ぎに寝技で押さえ込みに入ったが、主審が認めず「待て」が入る不可解なジャッジ。それでも、前に出て
終了間際に隅落としで有効を奪った。
試合終了と同時に近藤は号泣。その後も涙は止まらず「ホントに実力のなさがはっきり出た形です。次のオリンピックに生かしたいです。申し訳ありませんでした」
と話した。
谷本歩実氏(35=現全日本女子コーチ)、吉田秀彦氏(46=パーク24監督)ら五輪金メダリストを輩出した愛知の名門・大石道場出身だ。その谷本氏に憧れ、
金メダリストを目指してきた。一方で好不調の波が激しく今大会も懸念されたが、準決勝で敗れ、ほとんど時間のない中で気持ちを入れ替えてつかんだ銅メダル。
21歳の近藤には、2020年東京五輪も十分視野に入る。今回の経験は未来の金メダルへ大きな糧となったはずだ。

【柔道女子】48キロ級・近藤亜美が銅メダル「申し訳ありませんでした」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/576398/

リオデジャネイロ五輪第2日(6日=日本時間7日、カリオカアリーナ)柔道女子48キロ級の近藤亜美(21)=三井住友海上=が3位決定戦でムンフバット
(モンゴル)に優勢勝ちし、銅メダルを獲得。日本勢で今大会のメダル第1号となった。
準決勝は昨年の世界選手権を制したパレト(アルゼンチン)に技ありを奪われ、決勝進出を逃した。それでも「メダルがあるのとないのでは違うと相手の監督から
言われて。恥ずかしいなと思いました」と心を奮い立たせた。
3位決定戦の相手、ムンフバットは世界ランク1位の実力者。互いにポイントを奪えず、時間が過ぎていく。延長戦突入かと思われた終了間際だった。渾身
(こんしん)の力で繰り出した隅落とし。一度はポイントなしの判定だったが有効に訂正となり、銅メダルが決まった。
今回の日本勢では男女を通じて最年少。2014年に19歳で世界選手権を制し、一躍脚光を浴びた。
しかし、昨年の同選手権は3位に終わると一念発起。改善点をノートに書き出し、「Sサイズの服を着られなくなる」と敬遠していたウエートトレーニングと、
「適当だった」という減量に取り組んだ。TシャツはLサイズになるほど心身ともに成長を遂げた。
だからこそ、銅メダルを胸に提げても満足はできない。「より、悔しくなりました。(東京五輪まで)4年あるので、しっかり頑張っていきたい」。25歳で迎える
次の大舞台を見据えた。

日本勢メダル第1号、女子48キロ級の近藤 銅を首に「より悔しくなりました」/柔道
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160807/rio16080707550054-n1.html

リオデジャネイロ五輪柔道女子48キロ級で銅メダルを獲得した近藤亜美(21=三井住友海上)が、7日放送の「NHKニュース おはよう日本&オリンピック」(前7・00)に生出演。
今大会の日本勢メダル第1号となったが「情けないです」と語り、4年後の東京五輪での雪辱を誓った。
近藤は銅メダルをかけて生出演。五輪初出場、21歳でのメダル獲得にも「柔道は金メダルが必須なので情けないです」と悔しさをにじませた。
準決勝での敗戦直後には周囲から「メダルがあるのとないのでは違う」と言われて気持ちを切り替えたと明かす。また、3位決定戦を制した直後には
涙を流していたが「一瞬だけうれしくなったが、やはり3位という結果は情けない。すごく悔しい気持ちで涙が出てしまいました」と振り返った。
今後については「本当に悔しいので、東京では一番高いところへ登れるようにしっかり努力していきたい」と決意表明。2020年の東京五輪での金メダル獲得
を誓っていた。

近藤亜美、銅も「悔しい」連発 「柔道は金が必須」4年後雪辱誓う
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/07/kiji/K20160807013114510.html

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:38:02.70 ID:PesDscOl.net
女子52キロ級で昨年の世界選手権覇者の中村美里(27=三井住友海上)が、初戦の2回戦でアディヤサンプー(モンゴル)に2分19秒、
一本勝ちして準々決勝に進出した。
3度目の五輪出場となる中村は落ち着き払って、相手の攻撃をいなす。足技で崩すと、一気に寝技へ。三角絞め狙いから、相手の左腕を
腕がらみでとらえながら一気に横四方固めで押さえ込んだ。そのまま一本となり、悲願の金メダルへ快勝発進となった。

【柔道女子】52キロ級・中村美里が準々決勝進出 横四方固めで一本勝ち
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/576714/

男子66キロ級で前回ロンドン五輪銅メダルの海老沼匡(26=パーク24)が初戦の2回戦でチバナ(ブラジル)に2分00秒、一本勝ちして3回戦に進んだ。
地元の大声援を背に寝技を狙うチバナに、海老沼は冷静に対応。左大内刈りで相手を崩し、優位に試合を運んだ。最後は足車で有効を奪うと、
そのまま横四方固めで押さえ込み圧勝した。
世界選手権3度優勝を誇る海老沼も、五輪では金メダルに届いていない。元女子代表で愛妻の香菜さんの声援を背に悲願成就なるか。

【柔道男子】66キロ級・海老沼 危なげなく3回戦へ
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/576719/

柔道女子52キロ級で、昨年の世界選手権覇者・中村美里(27=三井住友海上)が準々決勝でクジュティナ(ロシア)との大熱闘を制し準決勝に進出した。
帯を持って強引な力技を仕掛けてくる相手に、中村はなかなか攻め手を見いだせない。4分では決着がつかず、ゴールデンスコア方式の延長戦へ。
中村は一本背負いを連発して相手を何度もぐらつかせる。
相手のスタミナ切れが目立っても、中村は顔色ひとつ変えず冷静そのもの。延長3分39秒、最後は寝技で勝負をかけてケサ固めの体勢から腕ひしぎ腕固め。
まるでブラジリアン柔術のような動きで、相手からタップを奪って一本勝ちした。

【柔道女子】52キロ級・中村美里 華麗な関節技で準決勝進出
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/576724/

リオデジャネイロ五輪は大会第3日の7日、カリオカアリーナで柔道女子52キロ級を行い、3大会連続出場の中村美里(三井住友海上)が準々決勝で
ナタリア・クジュティナ(ロシア)と対戦。延長戦に入り、腕ひしぎ腕固めで一本勝ちし、準決勝にコマを進めた。

【五輪柔道】女子52キロ 中村が延長戦で一本勝ち 準決勝へ
http://www.sankei.com/rio2016/news/160808/rio1608080006-n1.html

3大会連続出場で北京五輪・銅メダリストの中村美里(27)=三井住友海上=は、準決勝でマイリンダ・ケルメンディ(25)=コソボ=に敗れ、
3位決定戦に回った。
開始直後の26秒に指導を受けた中村は、終始攻め続けたが、決め手を欠いたまま、ポイントを奪えずに、優勢負けを喫した。
3位決定戦では地元・ブラジルのエリカ・ミランダ(29)と対戦する。
初戦の2回戦はツォルモン・アディヤサンブー(23)=モンゴル=に一本勝ち。準々決勝は延長でナタリア・クジティナ(27)=ロシア=に一本勝ちしている。

【柔道】女子52キロ級の中村美里、準決勝敗退…3位決定戦へ
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160808-OHT1T50080.html

リオデジャネイロ五輪第3日(7日、カリオカアリーナ)柔道女子52キロ級の中村美里(三井住友海上)は3位決定戦でミランダ(ブラジル)を延長戦で
優勢勝ちし、銅メダルを獲得した。
中村は初戦となった2回戦、準々決勝で一本勝ち。しかし、準決勝で元世界女王のケルメンディ(コソボ)に敗れた。
08年北京五輪では銅メダル、12年ロンドン五輪では初戦敗退。日本を発つ前には「北京、ロンドンと悔しい思いをしたので、金メダルを達成したい」と
語っていたが、悔しさを晴らすことはできなかった。
中村美里の話
 やっぱり金メダルが欲しかったので、悔しい気持ちがある。(3位決定戦は)苦しい試合だったが、日本から応援に来てくれた人が多かったので、
最後まで諦めずに闘えた。
南條充寿監督
「準決勝で奥襟を取られたのは一度。その一度が勝敗を分けた。中村に何かが足りなかったというよりも、ケルメンディの方が上だった。
(2日間金メダルなしでも)毎日が初日という空気をつくっていきたい」

中村美里、2大会ぶり銅メダル! 女子52キロ級/柔道 - リオ五輪2016
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160808/rio16080804560045-n1.html

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:39:07.26 ID:PesDscOl.net
柔道女子52キロ級3位決定戦で、昨年の世界選手権覇者・中村美里(27=三井住友海上)はミランダ(ブラジル)に延長戦の末、優勢勝ちして銅メダルを
獲得した。
中村は力で押してくるミランダと「指導」一つずつを取り合い、延長戦へ。ゴールデンスコア方式の延長戦では積極的に攻め込んだが、なかなか相手に
「指導」がいかない。それでも2分20秒、大内刈りでミランダを横倒しにして「有効」を奪い試合を決めた。
2008年北京五輪以来、2個目の銅メダルとなった中村は「金メダルが欲しかった。悔しい気持ちです。(3位決定戦は)苦しい試合展開でしたが、
最後まで諦めずに戦えた。(スタンドで観戦した両親に)少しでも多く戦う姿を見せられたのは良かった」と話した。

【柔道女子】52キロ級・中村美里が銅メダル「金メダルが欲しかった」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/576785/

柔道の女子52キロ級で3大会連続出場の中村美里(27、三井住友海上)が北京五輪以来、2度目の銅メダルを獲得した。
初戦となる2回戦で一本勝ち。準々決勝もゴールデンスコア方式の延長にもつれたものの最後は一本勝ち。ところが準決勝ではマイリンダ・ケルメンディ
(コソボ)に指導の差で敗れて3位決定戦にまわった。3位決定戦では、地元のエリカ・ミランダ(ブラジル)相手に指導1つずつで延長に突入。2分29秒に
大内刈りでで有効を取り、銅メダルを獲得した。
初出場の北京五輪で銅メダル、前回のロンドン五輪も初戦敗退。「過去2回は悔しい思いをした。リオではとにかく喜びたい」と三度目の正直をと臨んだリオ。
念願の金メダルこそは獲得できなかったが、日本柔道に3つ目のメダルをもたらした。
中村は「やはり金メダルを狙っていたので悔しい気持ちです。3位決定戦はあと1回という気持ちで、とにかく勝ちに行こうと思って切り替えました。苦しい試合
でしたが最後まで諦めず戦いました」と厳しい表情で語った。
相手が地元ブラジルの選手だったことから、「エリカ」という大声援の中での戦いとなったが、両親が応援していたことを聞かされると、目に涙があふれ、
こぼれないように必死で上を向きながら「ロンドンでは1試合しか見せられなかったんですが、今回はもう少し試合を見せられることができて良かった」と語った。
表彰式後には銅メダルを首から下げ「いろんな経験をして取ったメダルなので大事にしたい」と落ち着いだ表情でかみしめるように語っていた。

中村「悔しい」2大会ぶり2度目銅!延長で地元選手下す
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/07/kiji/K20160807013121900.html

リオデジャネイロ五輪は大会第3日の7日、カリオカアリーナで柔道女子52キロ級準決勝を行い、中村美里(三井住友海上)はマイリンダ・ケルメンディ
(コソボ)に優勢負けし、決勝進出はならなかった。
試合序盤、攻勢を強めるケルメンディに対し、中村は守勢に回って指導を取られた。その後、中村は積極的に技を仕掛けていったが及ばなかった。

【五輪柔道】中村美里、決勝進出逃す 柔道女子52キロ
http://www.sankei.com/rio2016/news/160808/rio1608080034-n1.html

初戦で敗退したロンドン大会から4年。その悔しさを胸に臨んだリオ大会で、柔道女子52キロ級の中村美里選手(27)が北京大会以来の2個目の銅メダル
を獲得した。
準決勝の敗退から気を取り直して挑んだ3位決定戦。地元ブラジル選手との試合は4分間では決着がつかず、延長戦に突入。動きの止まった相手を攻め続け、
最後は鋭い大内刈りで倒した。試合が終了すると一瞬だけホッとした表情を見せ、相手選手と健闘をたたえ合った。
3大会連続の五輪出場。「ヤワラ2世」と呼ばれたが、期待された結果を出せずに悩んだ時期もあった。ロンドン大会後には「引退」の2文字がよぎったが、左膝の
手術や長いリハビリを乗り越えて、再び五輪の舞台に立った。
試合終了後のインタビューでは「金メダルがほしかったので悔しい気持ち」と無念さをにじませた。ただ、3位決定戦については「苦しい試合だったが最後まで
戦えた」とやりきった表情。「ロンドンでは1試合しか出られなかった。少しでも多く戦う姿を見せられて良かった」と目に涙を浮かべた。

柔道・中村「金メダルほしかった」 無念さにじむ
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H08_Y6A800C1000000/

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:39:44.27 ID:PesDscOl.net
3大会連続出場の中村美里(27=三井住友海上)は延長の末、優勢勝ちし、北京五輪の銅メダル以来となる銅メダルを獲得した。初戦敗退したロンドン五輪後、
手術を受け、長期リハビリへ。そのリハビリ施設にいたサッカー選手との出会いをきっかけに、意外な特技を磨くことになる。やみつきになった特技が、自分の目
をリオ五輪に向けてくれた。
7月31日、出発の空港で悔しそうにしながらも笑顔で話す中村がいた。「結局記録を更新できなかったんですよ。くっそ〜」。記録とはサッカーボールを使った
リフティングの回数。自己記録731回は驚くべきだが、ブラジルに行く前にそれを超えることを至上命令にしてきた。だから、「500回くらいまでしかいけなかった。
あ〜あ」となんとも口惜しそうに機上の人になった。
柔道とは一見関係ないように思えるリフティング1つを取っても、ロンドン五輪で初戦敗退してからの4年間の歩みがしっかりと刻まれている。「ロンドンの時は
1つに集中しすぎた。いまはそんなにこれだけという感じではなくて、自分の課題だったり対策だったり、技を磨いたり、いろんな事を見えているので良いと
思います」。視野の広さ。それは畳の上だけにこだわらない。ロンドン後すぐにリオデジャネイロを目指したわけではない。「まずは人生を支障なく送れるように」と、
その3年前に断裂した左膝前十字靱帯(じんたい)の再建手術を受け、長期のリハビリに生活に入った。そこで「いろんな事」が見えてきた。
都内のリハビリ施設で交流したのは他競技の選手。バレーボール、フェンシング、スキーなど。競技環境の差を聞き、恵まれている柔道の現実を初めて知った。
仲間がどんどん増える中、サッカーの選手からコツを教えてもらったのが、リフティングだった。「1回1回手で持って、同じところに上げる。ずっと同じところに」。
もともと中学時代に足技向上を狙った父一夫さん(53)から、「相手のどこに足を当てたいのか。リフティングはいいところに当てないと上がってこない。確実に
刈りたいところに足がいくように」と勧められていたが、本格的に再開すると、やみつきになった。
1日1回自己記録を超えることを目標にすると、今年の初めには731回に。本人は「柔道とつながっているかは分からない。集中力はつくと思います」と話すが、
持ち味だった足技のキレ味がリフティング回数の増加に呼応するように復活してきたのは、決して無縁ではないだろう。
リハビリ施設で第一線に復帰していく仲間たちの試合を見に行くと、「次は美里だね」と声をかけられた。「そうだね」と答える自分の自然な返答に、
人生計画にはなかったリオでの3度目の夢舞台がはっきりと見え始めた。そして、迎えたブラジルでの決戦。「最初の2年は手術してリハビリとか柔道から
離れた期間が長かったですけど、その期間が新鮮であらためて柔道に向かう気持ちが高まった2年間で、そのあとはリオに向けてやろうと。いい4年間だった」。
3位決定戦を終えて「苦しい試合でしたが、最後まであきらめず戦いました」と悔しさ交じりに語った。金色ではなかった。しかし、あのリハビリ仲間との出会いが
柔道人生の道の先を照らしてくれ、中村の首には8年ぶりのメダルがかかった。柔道を離れた時間が、表彰台から日の丸を見つめるほんの数分間をくれた。
表彰式後、はっきりとした声で言った。「いろんな経験をしてとったメダルなので大切にしたい」。

中村美里リフティング731回は充実4年間の証明 - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1691184.html

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:40:15.63 ID:PesDscOl.net
リオデジャネイロ五輪柔道女子52キロ級で銅メダルを獲得した中村美里(三井住友海上)は「金メダルが欲しかったので悔しい」と涙をこらえた。試合後の
一問一答は以下の通り。
(北京五輪以来)8年ぶりにつかんだメダル。今の気持ちは?
「やっぱり金メダルが欲しかったので悔しい気持ちです」
準決勝の後、どのように気持ちを立て直して3位決定戦に臨んだ?
「あと一回という気持ちで、間は少なかったが、とにかく勝ちに行こうと思って切り替えた」
最後は勝ってメダルを獲得した
「苦しい試合だったが、最後まであきらめずに戦いました」
(相手選手の)地元の大歓声の中での戦いはどうだった?
「地元の応援はすごい大きかったが、日本から応援してくれる人もたくさんいたので、しっかり戦い切ることができました」
アリーナで両親が見つめる中での戦いだった
「ロンドン(五輪)では1試合しか出られなかったけど、今回は少しでも多く戦う姿を見せられたのは良かった」

【五輪柔道】銅メダルの中村美里「ロンドンでは1試合しか出られなかったけど…」そこで号泣 「金メダルが欲しかったので悔しい」 女子52キロ級
http://www.sankei.com/rio2016/news/160808/rio1608080039-n1.html

リオデジャネイロオリンピック、柔道女子52キロ級の中村美里選手が銅メダルを獲得しました。
3大会連続のオリンピック出場の中村選手は、初戦の2回戦と準々決勝をいずれも一本で勝ち上がりました。
準決勝では、おととしの世界選手権の金メダリスト、コソボのマリンダ・ケルメンディ選手と対戦しました。試合開始直後に指導を受け、
その後は積極的に攻めましたが、相手に再三、奥襟を取られるなどして効果的な技を仕掛けることができず、そのまま指導の差で敗れ、
3位決定戦に回りました。
3位決定戦では地元ブラジルのエリカ・ミランダ選手と対戦し、互いにポイントを奪えず、延長戦に入りました。ゴールデンスコア方式の延長戦では、
開始2分すぎに有効のポイントを奪って優勢勝ちし、銅メダルを獲得しました。中村選手は、前々回の北京大会以来となる銅メダル獲得です。
日本の柔道は、これで3個目の銅メダル獲得です。
この階級の金メダルは、準決勝で中村選手に勝ったコソボのケルメンディ選手です。8年前に独立を宣言したコソボは、今大会、初めてオリンピックへの
出場が認められ、初のメダル獲得となります。
「金メダル欲しかった 悔しい気持ち」
中村選手は「金メダルが欲しかったので悔しい気持ちです。3位決定戦の相手は地元のブラジルの選手で、気合いが入っていましたが、負けられないと
思って戦いきりました。ロンドン大会では初戦で敗れて1試合しか出られなかったので、今回は少しでも多く戦う姿を見せられ、よかったです」と涙ぐみながら
話していました。
また、中村選手は「金メダルを目指してきて、その目標には届かなかったが、最後に勝ててよかった。前回のロンドン大会が終わったあとはリオデジャネイロに
出場するとは思っていなかったので、挑戦することができたのはよかったが、金メダルが取れなくて悔しい。ただベストを尽くした結果なので、しっかりと受け
止めたい」と涙ながらに話しました。そのうえで、同じく銅メダルだった北京大会との違いについて「8年間かけてつかんだ銅メダルなので重みが違う。
いろんな人の支えがあってここまで来られた。その人たちの思いとともに戦ってつかんだ銅メダルだと思う」と心境を語りました。
中村選手は東京都出身の27歳。3大会連続のオリンピック出場です。初めて出場した北京大会で銅メダルを獲得しましたが、ロンドン大会は初戦で敗退し、
その後、古傷だった左膝じん帯の再建手術を受けました。
復帰後も苦戦が続きましたが、去年の世界選手権で通算3回目の優勝を果たし、復活しました。3回目のオリンピックでは、目指していた金メダルには
届きませんでしたが、粘り強く戦って2つ目の銅メダルを獲得しました。

柔道女子52キロ級 中村が銅メダル
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626041000.html

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:40:37.10 ID:PesDscOl.net
初戦で敗退したロンドン大会から4年。その悔しさを胸に臨んだリオ大会で、柔道女子52キロ級の中村美里選手(27)が北京大会以来の2個目の銅メダル
を獲得した。
準決勝の敗退から気を取り直して挑んだ3位決定戦。地元ブラジル選手との試合は4分間では決着がつかず、延長戦に突入。動きの止まった相手を攻め続け、
最後は鋭い大内刈りで倒した。試合が終了すると一瞬だけホッとした表情を見せ、相手選手と健闘をたたえ合った。
3大会連続の五輪出場。「ヤワラ2世」と呼ばれたが、期待された結果を出せずに悩んだ時期もあった。ロンドン大会後には「引退」の2文字がよぎったが、左膝の
手術や長いリハビリを乗り越えて、再び五輪の舞台に立った。
試合終了後のインタビューでは「金メダルがほしかったので悔しい気持ち」と無念さをにじませた。ただ、3位決定戦については「苦しい試合だったが最後まで
戦えた」とやりきった表情。「ロンドンでは1試合しか出られなかった。少しでも多く戦う姿を見せられて良かった」と目に涙を浮かべた。

柔道・中村「金メダルほしかった」 無念さにじむ
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H08_Y6A800C1000000/

渇望した金メダルへの執念の、わずかな差が2人を分けた。女子52キロ級の事実上の頂上決戦だった準決勝でケルメンディに屈した。差はわずか一つの指導。
中村は悔しさをこらえ「やることはやったけど、相手の方が上」と潔かった。
初参加の母国コソボを背負うケルメンディは開始早々から強烈な出足で圧力をかけ、受けてしまった中村に指導が与えられた。この開始26秒で勝負は決した。
あとは奥襟を取られ、強い腕力で両袖を抑えられ、まともに組めずに時間は過ぎた。
4年前のロンドン五輪でまさかの初戦敗退を喫し、先は見えていなかった。痛めていた左膝の手術に踏み切ったのも、「普通に生活するために靱帯(じんたい)は
あった方がいい」という理由だった。この手術が心身の両面で転機となった。
リハビリ中に出会った他競技の選手に刺激され、「中村の復帰戦はいつ?」と聞かれると辞められなくなった。左膝の感覚は100%までは戻らなかったとはいえ、
かばわなくなったため、できる技が増えた。膝の不調で重心や立ち位置がずれて組み手に苦心していたが、それも解消。基礎が再び固まり、かつぎ技なども
貪欲に習得した。
19歳で出た北京五輪で銅メダルを獲得するなど天才と称されたが、本人いわく不器用。努力の人は苦労を重ねて遠回りした道で、心技体の糧をこつこつ
積み重ねてきた。3度目の挑戦でも金の夢はかなわなかったが、二つ目の銅はずしりと重い。

少し足りなかった執念=苦節経て、重い銅−柔道・中村美里〔五輪・柔道〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080800143

厳しかった父の目に涙がこぼれた。3位決定戦で銅メダルを決めた柔道女子52キロ級の中村美里選手(27)。父の一夫さん(53)は勝利の直後、スタンドで
「よく頑張った」とだけ言った。あとは肩を震わせ、じっと成長した娘を見詰めた。
「俺の所に生まれてきて、かわいそうなほど厳しく育てた」。高熱が出ても「たるんでいる」の一言で済ませた。平衡感覚を養う目的で、ガードレールや壁の上
を歩かせた。遊びも常に全力。相撲でかかってきた娘を遠慮なくたたきのめした。
つらく当たってばかりではない。娘の減量が厳しいときには手づくりで食事を用意した。左手で箸を持たせたり、サッカーのリフティングを勧めたりと練習方法も
工夫。「ただの思いつき」と謙そんする父の指導を、中村選手は「直接技量につながらなくても、集中力が増すなどいろいろ参考になった」と振り返る。
中村選手の代名詞となった「笑わない」は、元は一夫さんの教え。小学6年の時に「五輪に出たい」と話す娘に覚悟を植え付けようと、「五輪を目指すなら、
途中の全国大会で勝ったくらいでヘラヘラするな」とくぎを刺した。
けがを乗り越えて挑んだ4年間を振り返り、「重い銅メダルだと思う」と話した一夫さん。悔しそうな表情で銅メダルを受け取った娘が、少しだけほほ笑んだ。
父は静かにうなずいた。

厳しい父の目に涙=「よく頑張った」中村選手−柔道女子52キロ級〔五輪・柔道〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080800245

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:41:02.11 ID:PesDscOl.net
まさかの初戦敗退から4年。2つめの銅メダルを取った「笑わない女王」が涙をこぼした。リオデジャネイロ五輪柔道女子52キロ級で銅メダルに輝いた
中村美里(27)にとっては、ロンドン五輪のリベンジをかけて挑んだ大舞台だったが、目標だった頂点は遠かった。スタンドで声援を送った両親は、
リハビリ経験を通した中村の成長に目を細め、声援を送り続けた。
「エリカ! エリカ!」
地元ブラジルのエリカ・ミランダ(29)への熱狂的な声援がカリオカアリーナにこだました3位決定戦。持ち前の冷静さを失わず、勝利をたぐりよせた。
19歳で出場した北京五輪では銅メダルに輝きながら、「金メダル以外はどれも同じ」と言い放ち、以来、「笑わない女王」と呼ばれた。しかし、雪辱をかけた
ロンドン五輪ではまさかの初戦敗退。その後、痛めていた左膝の前十字靱(じん)帯(たい)の手術とリハビリのため、1年以上の休養を取った。
この間に出会ったのが、中村と同様にけがからの復活を目指すアスリートだった。リハビリをきっかけに、他競技の試合にも足を運んだ。母の美智代さん(50)
は「支えたり、支えられる大切さを知った」と受け止め、自分を見つめ直す機会が3度目の五輪につながったとみる。
金メダルだけを目標に畳に上がったこの日は、準決勝でコソボ選手に敗退。「(両親に)少しでも多く戦う姿を見せたかった」。試合後のインタビューで、
涙を流しながら語った。
「ただただ悔しい。だけど負けは負けです」。スタンドから声援を送り続けた父の一夫さん(53)はこう話し、「ロンドンは1試合で終わった。でも今回は4試合も
見せてくれた」と晴れやかな表情を浮かべた。美智代さんは涙を浮かべながら、「メダルが取れてよかった。こんな大きな大会に3回も連れてきてくれて、
本当にありがとうと言いたい」としみじみと語った。

【五輪柔道】泣いた「笑わない女王」 柔道「銅」の中村美里、リハビリで得た経験
http://www.sankei.com/west/news/160808/wst1608080029-n1.html

銅メダルが葛藤を生む。また、複雑な気持ちで見るセレモニーとなった。世界3位を証明する銅メダルに、日本の柔道家は悔し涙を流した。
リオデジャネイロ五輪の柔道競技は現地時間7日に第2日を行い、男子66キロ級の海老沼匡(パーク24)、女子52キロ級の中村美里(三井住友海上)は、
ともに準決勝で敗れ、3位決定戦に勝って銅メダルを獲得した。海老沼は2大会連続、中村は2大会ぶり2個目の銅メダルだ。両者ともこれまでの成績を
上回る金メダルを目指していたため、悔しい結果となった。前日に行われた男子60キロ級の高藤直寿(パーク24)、女子48キロ級の近藤亜美(三井住友海上)
を含めて4つの銅メダルを獲得したわけだが、いずれも残念で悔しいという受け止め方だ。
日本勢に課されるハードルは高い。そもそも、この4人はいずれも世界選手権を制したことのある実力者だ。選手入場の際、海老沼は2011、13、14年の
世界選手権3連覇(ロンドン五輪開催年の2012年は開催されず)の実績が紹介され、中村も「スリータイムズ・チャンピオン」とアナウンスされた。
大きなどよめきが生まれるわけではなかったが、耳にした瞬間に誇らしい気持ちになった。
それでも、日本のお家芸であるというプライドが絡み、五輪で頂点に立たなければ、自身も周囲も失望に直面する。開幕前、さまざまな選手に「
金メダルしか求められないプレッシャー」について話を聞いたが、誰ひとり後ろ向きな回答はしなかった。常に金メダルを目指し続ける集団であることが、
自分自身の意識や実力を高めてくれる環境になっているというのだ。
そのため、一度目の銅メダルは、目標にたどり着くためのプロセスとなり得る。では、2度目の銅メダルにはどんな価値があるのか。
試合では、海老沼も中村もブラジルの大観衆を黙らせる凄みを見せた。海老沼は、初戦で日系3世のシャルレス・チバナ(ブラジル)と対戦。選手の登場前から
アリーナにはウエーブが起こり、激しい足踏みによる地鳴りのような轟音が響き渡るアウェーの雰囲気。技のかけ逃げをアピールしただけでブーイングを受けた
海老沼だが、「慣れているので、問題ない」と一蹴。足車で有効を奪い、横四方固めで一本勝ちを収めて場内を静まらせた。
日本が警戒していた14、15年に世界選手権準優勝のミハイル・プリャエフ(ロシア)ら強豪が初戦で敗退する波乱の階級で、堅実に勝ち上がって
メダル争いを展開。準決勝では脇腹のけいれんと見られるアクシデントがあったが、言い訳を嫌って報道陣への説明はしなかった。
 

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:41:36.26 ID:PesDscOl.net
中村も強かった。初戦は、腕の関節を狙いながら横四方固めに持ち込んで一本勝ち。準々決勝は、ゴールデンスコア(延長戦)までもつれたが、腕ひしぎ腕固め
で一本。ブラジルには、ブラジリアン柔術の素地があるためか、会場は寝技が決まると盛り上がりを見せる。その点で中村は、会場内からの拍手を多く浴びた
一人だった。
3位決定戦は、ブラジルのエリカ・ミランダと対戦。この試合ではアウェーの雰囲気になり、先に指導を受ける展開となったが、組み手争いを優位に進めて
ミランダを守勢に追い込み、相手に指導が入って追いついた。ゴールデンスコアとなった最後は、右から攻めておいて左の大内刈りで有効を奪い、銅メダルを
獲得した。
両者はともに、周囲の状況に左右されずに自分の試合をしてみせた。過去の銅メダル獲得を含めた経験が、揺るぎない地盤となっていたのは明らかだ。
勢いで勝ち上がってメダル争いに飛び込んだわけではない。地力の高さがうかがえる勝ち方だった。
悔しさは晴れないが、海老沼は「ロンドンのときは若さもあって、がむしゃらにつかんだ銅メダルだった。今回の銅メダルとは少し違うと思う」と話し、前回よりも
悔しいかと聞かれると「そうですね」とうなずいた。
中村も「(初めて銅メダルを獲得した)北京五輪のときも悔しさを感じましたけど、今回は、いろいろな経験をして成長した自分で戦って、勝てなかったのが悔しい」
と話し、初めて手にした銅メダルとは異なる意味合いを持つと心の内を話した。
海老沼は昨年に左肩を負傷し、世界選手権で3回戦敗退。昨年のグランドスラム東京や、今年の代表最終選考会の全日本選抜体重別選手権では、
日本人選手に敗れるなど苦しんできた。井上康生日本男子監督は「金メダルを信じて戦ってきたので残念ではあるけれど、ロンドンからの4年間、
いろいろな困難や苦悩と戦いながら、ここまで来た。今日においてもさまざまな葛藤の中で戦っていたと思う。準決勝で脇腹をつった状態になっていたようで、
そこから流れが変わってしまった。勝たせられなかった責任を感じるが、彼自身は頑張った」と目標に到達できなかった海老沼をかばった。
中村は金メダルが有力視された前回大会で初戦負け。大会後は、左膝前十字じん帯の再建手術のために長期療養。リハビリを行う間、自分を支えてくれる
多くの人がいることを実感して、周囲のためにも頑張れる選手へと成長を遂げた。
2度目の銅メダルだからこそ、「またか」という思いは拭えず、悔しさは大きい。しかし、8年もたって再びメダルを獲得した事実を思えば、「やっぱり強い」ことを
証明した2度目の銅メダルでもある。

「2個目の銅メダル」の葛藤と価値 柔道・海老沼と中村が手にしたものは(平野貴也) - リオオリンピック特集
http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608080006-spnavi


リオデジャネイロ五輪第3日(7日=日本時間8日、カリオカアリーナ)柔道女子52キロ級で、2008年の北京五輪以来、2大会ぶり2度目の銅メダルを獲得した
中村美里(27)=三井住友海上=は表彰式後、笑顔を時折見せながらも「金メダルが欲しい」と悔しさを口にした。
表彰台で実際にメダルを首にかけた気持ちは
「やっぱり悔しさがあります」
隣の金メダルを見た思いは
「やっぱり金メダルが欲しいなと思いました」
初戦(2回戦)で敗退した前回ロンドン五輪の悔しさも、左膝の負傷も乗り越えた銅メダルでは
「いろんな経験をして取ったメダルなので大事にしたいです」
日本では中村さんのメダルと笑顔をたくさんの人が待っている
「応援ありがとうございました」

【3位決定戦後の一問一答】2大会ぶり銅メダルの中村美里「やっぱり金メダルが欲しい」/柔道
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160808/rio16080807120056-n1.html

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:42:31.04 ID:PesDscOl.net
リオデジャネイロ五輪柔道競技2日目、女子52キロ級の中村美里(27=三井住友海上)が銅メダルを獲得した。過去の五輪で金メダルを逃してきた中村は、
今大会での雪辱を目指したもののかなわず。それでも中村には新たな“野望”が芽生えている。中村は総合格闘技への挑戦願望を本紙に告白した。
2008年北京は銅メダル、12年ロンドンでは初戦敗退。そして迎えたリオ五輪は“3度目の正直”となるはずだった。ところが、準決勝のマイリンダ・ケルメンディ
(25=コソボ)戦で指導をもらうと、そのまま逃げ切られ、金メダルの道は絶たれた。あまりにもアッサリと終わった一戦に、しばらくぼうぜんとするしかなかった。
「取り返せる自信はありました。でも、相手も必死でした。力が強い選手だということは分かってはいたが、思っていた以上で、自分の組み手を生かせなかった」
3位決定戦で何とか銅メダルを手にしたものの、悔しさは隠し切れない。準決勝までは調子が良かっただけに、報道陣の前に現れたときには涙が止まらなかった。
「この4年間はいろいろな経験をした上で、人としての幅が広がった。その上で勝てなかった悔しさは、北京やロンドンのときとは違う」。その思いは今後、
別の舞台で晴らすことになるかもしれない。
かねて興味を抱く総合格闘技のリングだ。「やれる自信は特にないんですけど、一回そういう試合に出てみたい願望はあります。一回でいいので、
どんなもんか。多分、一発殴られたら終了だと思うんですけど」と本紙に思いを打ち明けている。
もともと中村が柔道を始めたのも、格闘家への憧れからだった。小学校時代はK―1、PRIDEの全盛期。元自衛官の父・一夫さん(53)とテレビ観戦していた
中村は心を奪われた。昨夏の世界選手権前には、元プロボクサーで総合格闘家のライカ(40)と合同練習を行い、パンチと蹴りを特訓。中村の肉体に新鮮な
感覚が刻まれた。
格闘家デビューは4年前からの夢でもある。ロンドン五輪後、左ヒザの手術を行ったが、リハビリ期間中に他競技の選手から背中を押され、リオを目指すことを
決断。
一方で、総合格闘技転向も選択肢の一つだったという。「オファーだったり、ジムとか行って『試合出る?』みたいな感じで言われたりすれば、出てい
たかもしれない」と振り返る。今後もオファーがあれば、会場やファイトマネーも問わないという太っ腹ぶりだ。
「超ちっちゃい大会で全然いいです。ギャラ? 何でもいいです。ちょっとやってみたいな…ぐらいなので」
ただ、全日本柔道連盟の規定では、柔道を続けながらプロのリングに上がることはできない。「ちょっと出てみる」というわけにはいかず、大きな決断が
必要になる。
それでも、北京五輪柔道女子70キロ級銅メダリストのロンダ・ラウジー(29=米国)が活躍する米UFC、年末にビッグマッチを控える「RIZIN」など
複数の団体による争奪戦に発展することは間違いなく、中村の今後の決断から目が離せない。

【柔道】銅メダル・中村美里「総合格闘技」転身?
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577008/

中村の準決勝は、初対戦のケルメンディの力強い組み手に最初の1度だけ対応できなかった。それが原因で受けた指導が致命傷となってしまった。
その後は完全に対応していたので、本当にもったいない結果だと思う。
この日の中村は堅実な試合運び、特に寝技の巧みさが光っていた。場外際で相手の頭を試合会場に向けさせたり、逃げようと必死の相手から正確に
脚を抜いたりと細かい技術まで磨かれていることを印象づけた。銅メダルとはいえ、内容は素晴らしかったと思う。
女子の試合時間が5分から4分に変わって最初の五輪。勝負に「たら」「れば」はないのだが、もし5分あれば指導を引き出し並ぶか、逆転のポイントを
奪えていたのでは、と思う。たった1分の差ではあるが、序盤から飛ばしてくる外国勢には有利。日本勢はその対処法をもう一度、考えていく必要があると感じた。

金に届かなかった中村 準決勝での指導が致命傷に 試合時間5分なら
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/08/kiji/K20160808013122060.html

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:45:03.75 ID:PesDscOl.net
中村「成長した自分が勝てなかったのが悔しい」
2大会ぶりのメダルは銅メダル、今の気持ちは?
やっぱり金メダルが取りたかったんですけど、最後の3位決定戦に勝てたのは良かったなと思います。
準決勝のケルメンディ戦では序盤に指導を取られ、追いかける展開になった。どのような4分間だった?
取り返せる自信はあったんですけど、相手も必死でなかなか取り返せなかったし、今の実力だなと思いました。
序盤以外は優勢に見えたが?
(相手の)力が強くてあのような組手になってしまったのがすごく反省点だと思います。
足技以外があまり出なかったように見えたが?
担ぎ技も練習してきて出してはいたんですけど、なかなか、かからなかったです。調子は悪くはなく、いつも通り戦えました。
(初戦敗退に終わった)ロンドン五輪後の4年間、金メダルを見据えて練習してきたと思うが、今の気持ちは?
ロンドンが終わってすぐにはリオを考えていなかったし、この舞台に立っているとは思っていませんでした。挑戦できたことは良かったですけど、
目標を達成できなくて、やっぱり悔しいです。
組手争いで相手の力の強さを感じた?
力が強いのは分かっていたんですけど、思っていたより強かったというか……。(襟や袖を)持ってからはあまり(強さを)感じなかったのですが、
切る力が強かったです。
良い展開もあったが、紙一重だった。
そうですね。やっぱり自分が良い組手になるのはほとんどないと思うんです。そこであまり出しきれなかったと思います。
大会前に「4年間やってきて良かった」と言っていたが、この結果を受けてもその思いは変わらない?
ロンドンを終えて手術とか、いろいろな経験をして、いろいろな人と会ってすごく幅が広がったので、4年間やってきて良かったと思います。
これまでの2回の悔しさと今回の悔しさは違う?
違いますね。北京(五輪)のときも悔しさを感じたんですけど、今回はいろんな経験をして成長した自分で戦って、勝てなかったのが悔しいです。

柔道の海老沼、中村が2度目の銅 メダルは「奥さんにかけてあげたい」(スポーツナビ)
http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608080002-spnavi

銅メダルを獲得した柔道女子52キロ級の中村美里(27)の所属先、三井住友海上は都内でパブリックビューイングを行い、約140人の社員らが声援を送った。
準決勝で、優勝したケルメンディ(コソボ)にわずか指導1の差で敗れると、社員らも声を失った。だが、3位決定戦でメダル獲得の瞬間を迎えると、
会場のボルテージは最高潮に。健闘をたたえる拍手が巻き起こった。
中村が在籍する東京本部の中川滋部長(50)は「頑張りましたね、最後まで。こっちは興奮しっぱなしでした」と喜んだ。
中川部長は、職場で仕事の流れを変えるためにはどうしたらよいかと中村に問い掛けたことがあった。それに対して中村は柔道に置き換えて答えたという。
「最初の入りを変えると言っていた。そういう感じでまだ冷静だったのでしょうね」と、準決勝敗退を引きずらずに戦った中村をたたえた。

「冷静だった」中村美里の同僚140人がPVで声援 - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1691252.html

有効を奪って今大会日本人メダル1号となった。「情けない。銅メダルはあまりうれしくはないが、続く選手には頑張ってもらいたい」と声を落とした。
“小姑”を自称する所属の貝山仁美コーチ(38)と歩んだ2年間だった。五輪金メダリストの吉田秀彦氏(46)らを輩出した愛知の名門・大石道場出身ながら、
ある実業団監督が「ウチも獲ろうと思って調査したが、チームへの影響を考慮した」と言うほど、2014年4月の入社時は“おてんば娘”だった。
指導役の貝山氏も骨を折った。新人にもかかわらず、忠告から言い合いになり、険悪ムードのケンカに発展したことも「数え切れないです」(貝山氏)。
報道陣が見ている前でやり合ったこともあった。しかし、服装から寮での生活まで社会人としてのマナーも植え付けていった。食堂でスマホ片手に
“ながら飯”を取る。物を大事にしない――。そんな面をチクチクと注意されているうちに、近藤の意識は大きく変わった。
準々決勝で左目のコンタクトレンズを落としたが、予備を忘れる失態。「外国人選手の目の色が違った」と五輪の怖さも痛感した。リベンジは4年後。
「ひと皮もふた皮もむけて臨みたい」と近藤は前を向いた。

【柔道】銅メダル・近藤亜美 「おてんば娘」を変えた「小姑」とのケンカ二人三脚
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577070/

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:45:32.36 ID:PesDscOl.net
8月7日、試合を終えた柔道52kg級の中村美里は言った。金メダルだけを目指してきた3度目のオリンピックで、銅メダルに終わった。
だがその表情には、悔しさとは異なる思いも、浮かんでいた。
組み合わせが決まったときから、山場は準決勝で当たるであろうマイリンダ・ケルメンディ(コソボ)であることは分かっていた。
中村が手術、リハビリで出場しなかった2013、2014年の世界選手権女王である。
2015年の世界選手権で中村が優勝したときは、ケルメンディが怪我で出ていなかった。この大会のみならず、過去、一度も対戦したことのない相手だ。
力で抑えられ……最後は逃げ切られた。
世界屈指の技巧派として細かな技術を磨いてきた中村、世界でもトップと言っていい圧倒的なパワーを誇るケルメンディと、スタイルも真逆である。
初戦となった2回戦、準々決勝と勝ちあがると、待ち受けていたのは、大方の予想通りケルメンディだった。
試合が始まる。開始早々、相手に頭を下げさせられ、消極的と指導を受ける。
「力が強いのは分かっていました。思ったより強かったと言えば強かった。力が強くてああいう組み手になったのが反省点です」
中村は振り返る。
日本女子代表の南條充寿監督は言う。
「奥襟をとって、ペナルティを狙ってくるということは予測していました」
予測していてもはまってしまったのは、対戦していないことから来る未知の部分があったからにほかならない。
ただし、対応できなかったのはその時までだった。以降は徐々に自分のペースに引き戻し、ケルメンディを封じる。残り時間が数十秒となると、逃
げ切ろうという姿勢がうかがえたケルメンディに場内からブーイングが飛ぶ。指導があるかと思われたが……試合はそのまま終わった。
試合時間の短縮は中村にマイナスだったが……。
試合時間が5分から4分と短くなったことも、スタミナに自信がある中村にはマイナスにしかならなかった。
ケルメンディとの試合から約20分後の3位決定戦を制したあと、中村は「悔しい」と涙を浮かべた。だが、表彰式では、柔らかな表情も見せた
「このメダルを大事にしたいです」
引き上げてくると、こうも口にした。そう思わせたのは何だったか。
ロンドン五輪後、柔道から離れて知った別の世界。
中村は、ロンドン五輪が終わったあと、リオデジャネイロの畳に立っている自分の姿を想像できなかったという。ロンドンでの金メダルを思い描いていたから、
大舞台で初戦敗退に終わったあと、すぐにリオを目指そうとは思えなかったのだ。
2012年の秋には、古傷の膝の手術に踏み切った。柔道のためというよりも、これからの長い人生を考えて、治しておきたいと思った。
その後、長期間のリハビリ生活が始まる。それまでになかったほど長く柔道から離れることになった。そして、それは新鮮な時間だった。
同じようにリハビリに励むほかの競技の選手と交流を持つ中で、自費で海外遠征に行かざるを得ない競技があることも知り、自分の環境が恵まれていたことを
実感したという。知り合った選手の試合を観戦に行ったり、新しい趣味を持ったり、生活に、視野に、広がりが持てた実感があった。
その中で中村は、柔道への気持ちを取り戻した。もう一度前を向いて畳の上に戻ろうと思えた。挑戦すると決めて一歩足を踏み出し、日本代表をつかみ、
たどり着いたのがリオだった。
どん底からの再スタートの銅メダルに、大きな意味が。
悔しさはある。
北京五輪で銅メダルを手にしながら、「金メダル以外は同じです」と悔しがってから、追い続けてきた目標には3度目も届かなかったことになる。悔しいのは
当然だろう。
でも、三度目の大舞台は想像もできないという状態からスタートして、手術とリハビリを乗り越えた。いろいろな経験を積んで、新たな仲間の応援も得た。
その末に手にしたメダルだから、大事にしたいと思う。
南條監督は言う。
「波がありながら出場をつかんでの結果です。いろいろな評価はできると思います。これから柔道を続けていくのか分かりませんが、それをかみしめて、
人生にトライしてもらいたいなと思います」
中村が手にしたのは、ロンドン五輪後に歩んできた時間の証であり、これからの人生にとって財産となる銅メダルだった。

中村美里がついに微笑んだ日――。金以上の価値ある、復活の銅メダル。 -リオオリンピック特集
http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160808-00826231-number-spo

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:46:42.85 ID:PesDscOl.net
柔道女子57キロ級準々決勝で、前回ロンドン五輪金メダルの松本薫(28=ベネシード)はパビア(フランス)との7分50秒にわたる大激闘を制して準決勝に進出した。
長身の相手に松本は自分のペースで試合を進めたが、ポイントを取れずにゴールデンスコア方式の延長戦へ。大内刈り、大腰と積極的に仕掛けて一方的に
攻め込んだ。相手の大内刈りにヒヤリとする場面もあったが、“野獣”はひるまず前に出る。最後は延長3分50秒、袖釣り込み腰で技ありを奪い優勢勝ちした。
5月のマスターズ大会では初戦敗退。柔道界では「力が落ちた」などと厳しい声も上がる中、松本はここ一番に強いのも事実。野獣健在を証明するまであと2つだ。

【柔道女子】松本薫 7分50秒の激闘制し準決勝進出
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577388/

柔道競技3日目、女子57級で前回ロンドン五輪金メダルの松本薫(28=ベネシード)が初戦の2回戦でダボンヌ(コートジボワール)に寝技で一本勝ちして
準々決勝に進出した。
冷静だった。格下の相手に慌てず、寝技で仕留めにいく。右腕を足で挟み相手の体をクルリと回転させて押さえ込み。卓越した寝技の技術を披露した。
一度は外され「有効」どまりだったが、再び横四方固めにとらえて、1分19秒で完勝した。
女子代表は金メダルの期待の高かった初日、2日目で銅メダル2つ。前回覇者の“野獣”が再び頂点まで駆け上がり、意地を見せられるか注目だ。

【柔道女子】“野獣”松本薫 寝技一本で準々決勝進出
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577377/

柔道女子57キロ級3位決定戦で、前回ロンドン五輪金メダルの松本薫(28=ベネシード)は連珍羚(台湾)に優勢勝ちして銅メダルを獲得した。
連は今年5月の「マスターズ大会」で一本負けした嫌な相手。松本は気合満点の表情で畳に上がると、序盤から積極的に攻めた。開始2分で
寝技で押さえ込みに入ったが、これはすぐに逃げられた。それでも攻め続ける松本は、相手の体重が後ろにいったところに小内巻き込みで
あわせて「有効」。そのまま逃げ切って2大会連続のメダルをゲットした。
ニッポン柔道はこれで今大会5個目の銅メダルとなった。
松本の話「もう、一度負けているので、負けられないと思って戦った。金メダルを目指していたので、そこで負けてどう切り替えようかと思った。
でも何も持たないでは、日本に帰れないと思った」

【柔道女子】松本薫は銅メダル「日本に帰れないと思った」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577427/

リオデジャネイロ五輪柔道女子57キロ級で、ロンドン五輪の金メダルに続く2大会連続となる銅メダルを獲得した松本薫(ベネシード)は
「何も持たないで日本に帰れないと思って戦った」と語った。試合後の一問一答は以下の通り。
3位決定戦が一番気合が入っているように見えた
「一度負けているので、もう負けられないという思いで戦った」
メダルへの思いは強かった?
「金メダルを目指していたので…。最初、負けてしまったときにどう切り替えようかと思ったが、何も持たないで日本に帰れないと思って戦った」
ロンドンで金、リオで銅。自分を褒めてもいいのでは?
「(首を横に振る)」
みんな拍手を送っていると思いますよ
「送ってくれていたらうれしいです」

【五輪柔道】銅メダルの“野獣”松本薫「何も持たないで日本に帰れない」 女子57キロ級
http://www.sankei.com/rio2016/news/160809/rio1608090038-n1.html

「何も持たないのでは、日本に帰れないと思った」。2大会連続の金メダル獲得を目指した柔道女子57キロ級の松本薫選手(28)。何とか気持ちを
切り替えて銅メダルをもぎ取ったものの、試合後のインタビューでは悔しさを隠しきれなかった。
目つきの鋭さからついた異名は「野獣」。準決勝はあっさり一本負けを喫し、思わず額を床につけた。ただ、1時間もたたないうちに始まった3位決定戦では、
いつもの気迫に満ちた目に戻った。
「一度負けてるので、負けられない」。試合前に高く両足でジャンプして気合を入れると、その後は集中が途切れることなく、優勢勝ちに持ち込んだ。
勝利を手にした後、観客に声援を送られると一瞬、泣きそうな表情を浮かべ、続いて照れたような笑顔をみせた。

柔道で銅の松本「何も持たずに帰れない」 悔しさ隠せず
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG09H03_Z00C16A8000000/

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:47:37.96 ID:PesDscOl.net
銅メダルの気持ちは?
「うれしいのと悔しいのと。甘酸っぱい気持ちです」
力は出し切りましたか?
「出し切ってきました」
ロンドン五輪からの4年間は?
「長かったです」
いろいろな思いがあると思うが
「今はこの銅メダルをちゃんと受けとめて日本に帰りたいです」

【銅メダル獲得後の一問一答】松本薫、2大会連続のメダルも「うれしいのと悔しいのと。甘酸っぱい気持ち」/柔道
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160809/rio16080906120069-n1.html

3位決定戦で、ようやく本来の泥くさい柔道を見せた。終盤に足技で有効を奪って優勢勝ち。女子57キロ級で連覇を狙った松本は、銅メダルに終わり
「腹の中は煮えくり返っています」と悔やんだ。
準決勝。相手の背負い投げをこらえたところで一瞬、棒立ちになった。その隙を世界ランキング1位は見逃してくれない。2度目の背負い投げで松本の体
がきれいに宙を舞った。「1回目を防げたので、こういう感じか、大丈夫だと思って重心が上がったところにスコンと入られた。試合中に大丈夫なんてことは
ないのに」。開始わずか24秒。顔を覆って畳に突っ伏した。
歯をむきだし、上目遣いで相手をねめつける。右脚を前に踏ん張って低く構える。そのさまは、金メダルを獲得して“野獣”と呼ばれたロンドン五輪を
ほうふつさせた。日本勢に金メダルがない状況で登場したのも前回と同じ。しかし、周囲の状況と自身の内面は明らかに違っていた。
出場者の顔触れは普段の国際大会と大きく変わらないが、「何が何でもメダルを取りに来る執念が違った」という。五輪王者は次の五輪までの間、
国際大会で金色のゼッケンを背中につける。松本はどこの会場でも「金ゼッケン」と指をさされ、「それにふさわしい人間にならなければ」と過剰に意識した。
「みんなが私を見て、研究してくる」と涙を流したこともある。
28歳になり、体調管理にも気を使う中で、さらなる進化を模索。「しんどかった。ないと自分に言い聞かせているだけで、実際にプレッシャーはたくさんあった」。
再び表彰台の真ん中に立った時、どんな思いが胸に去来するのか。その答えを追い求めて走ってきた。
迎えた本番。足技が思うように出せず、リズムに乗れない試合展開が続いた。最後に持ち味を発揮したが、「ああ、終わったー、という感じ」。自分と戦い
続けた4年間が終わった。 

柔道・松本、食らいつき「銅」 最後は泥くささ発揮
http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/list/201608/CK2016080902000234.html

松本薫(ベネシード)は、3位決定戦で連珍羚(台湾)に勝ち、銅メダルを獲得した。
畳に立つ松本に野獣の目が戻っていた。まなざしの鋭さと、他を圧する力で、連覇はならなかったが、2大会連続の表彰台。女王の座に戸惑い、苦悩を続けた4年間だった。
4年前。ロンドンから帰国した松本はマスクで顔半分を隠すようになった。時の人となり、故郷の金沢市に帰省しても周囲の目が張り付く。軽装で出歩くと、
周囲からは女王としての振る舞いを諭された。マスクは「放っておいてほしい」とのサインだった。
古傷の右ひじを2012年11月に手術して約1年後に復帰した。だが海外遠征に行くのも気が重かった。全日本女子の谷本歩実コーチに「遠征に行きたくない。
皆が自分のことを見て研究している」と弱音を吐いたこともある。
04年アテネ、08年北京五輪で連覇している谷本コーチは言った。「皆、あこがれの目で見ているだけ。それにライバルは敵ではない。自分の力を引き上
げてくれる仲間だよ」。少し肩の力が抜けた。
五輪5大会連続メダルの谷(旧姓田村)亮子さんと、松本を帝京大時代に育てた稲田明さん(70)が2人の目つきについて、こう語った。「田村の目は相手
をしびれさせ、吸い込む。強かった相手がなぜだろうというぐらい力を出せなくなる。松本はまた違う。松本の目は相手をねじ伏せる気迫に満ち、
相手を萎縮させる」
元の目つきに戻った時、女王の呪縛から解けていた。大技で貫禄ある勝ち方を求めて調子を崩していたことにも気づいた。世界選手権は一昨年、
2回戦敗退していたが、昨年は頂点に返り咲いた。
リオ五輪で、7分50秒の消耗戦となった準々決勝は疲れが顔に出たパビアに対し、松本は眼光が衰えなかった。悔やまれるのはドルジスレンとの準決勝。
相手の実力を甘くさえ見なければ、開始24秒での敗退は避けられた。銅メダルに「うれしいのと、悔しいのと、甘酸っぱい感じです」。4年間の戦いは終わった。

五輪柔道:戸惑いと苦悩の4年間 松本薫「銅」
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160810/k00/00m/050/047000c

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:50:40.77 ID:PesDscOl.net
(銅メダルの味は)甘酸っぱい。悔しさと、メダルを取った安心感と……。銅かあ、と。結果は結果なので納得するしかないのですが。ああ、終わったあ、と。
4年前と今大会の差は?)違っていたのはたぶん(ドルジスレンスミヤとの)準決勝のときに一瞬の隙を作ってしまったこと。(背負いにやられたが)相手が
一回目の背負いに入ったときに全然効いていなかったので大丈夫と思ってしまって、その一瞬の気の緩みのせいで2回目の背負いにきたときに反応
できなかったのだと思います。ストンと入ってしまった。試合中に「大丈夫」なんてことはない。でも思ってしまった。(相手に研究されていた?)いつも
されているので、それは当たり前のことです。ちゃんと隙を作らずに自分の柔道をやれていれば……。今まで彼女と対戦したときは一回しか、
それも自分の調子が本当に悪かった1試合しか負けていなかったので、どこかで勝てると思ってしまっていたんだと思います。
(五輪と他の大会との違いは感じるか?)技のきれが違うということはありませんが、何が何でもメダルを取りにいく執念には違いを感じます。
(自分の執念はどう感じた?)それがあったからこそ、銅メダルを取れたのだと思っています。でも、腹の中は煮えくり返っていますよ(笑)。
(自分らしい柔道はできましたか?)うーん……。たぶん……。でもまだちゃんと考えられていないです。
(体調は?)コンディションは良かったです。(準決勝では相手のどこを警戒していたのか?)どんどん攻めて指導を取りにくるのが彼らの戦い方。
攻め合いになると思っていました。最後まで戦い切るというのが私の想定した戦いでした。(ここまで金メダルを逃した選手の分までという気持ちは?)もちろん、
ありました。私たちは個人戦だけれど、団体戦のつもりで戦っています。みんなで金メダルを取りにいくという気持ちでやっていました。(前の階級の結果は
影響した?)それは関係ないです。彼女たちが届かなかった分まで決勝へ行こうと思っていて、自分の力になっていたので、それは違います。
(連覇への気負いやプレッシャーは?)初戦からなかったですし、試合に関してはなかったと思います。ただ、試合に入るまでの過程について言えば、
あったと思います。「ない」と自分に言い聞かせてきたけれど、実際はプレッシャーもあったんだと思っています。(この4年間を振り返ると?)しんどかったあ……。
その一言。見えないもの。それを自分でどんどん作り出してしまっていたのだと思います。(今後については?)分かりません。(やり残したという思いがある?)
それを言い出したら、きっときりがないと思います。
(いまやりたいと思っていることは?)いまパッと出てきたやつなのですが、試合前に明治製菓さんから(チョコレート菓子の)ガルボを本当にたくさんもらえて、
本当に大量にもらえたので、もうこれをすごく気持ち悪くなるくらい食べられるんだな、と(笑)。それくらいですかね。(最後、スタンドのご家族には?)
「ごめんなさい」をしました。

金メダルの大野「自分を貫いた」 柔道大野、銅メダル松本コメント(スポーツナビ) - リオオリンピック特集
http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608090003-spnavi

4年前の松本は体が勝手に動いている、という感じだったが、この日はしっかり相手の対策を練り、計算された組み手を展開していた。
ふわふわしている感じもなく、試合にきっちり集中できてもいたと思う。だが、準決勝でたった1度だけ、その組み手を間違った。松本の右手、
つまり釣り手を持てないうちに、ドルジスレンの強烈な背負い投げを受けたシーンだ。
準決勝前には長いブレークがあるが、その後のファーストコンタクトでの過ちが勝負を分けるのだから、やはり試合は怖い。ただし、直後に行われた
3位決定戦できっちり勝ち切ったのは、28歳の精神的成長のたまものだろう。また、以前なら「金以外は負け」と気持ちが切れている選手もいたが、
今大会の日本はすべての階級でメダルを獲得し続けている。これは現在の強化スタッフが「メダルの重み」を理解し、価値観を共有できている証拠だと思う。

松本薫 計算された組み手が乱れた準決勝 それでも集中切らさず
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013128960.html

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:51:37.20 ID:PesDscOl.net
畳を降りるまですっかり顔色が抜け落ちていた。平静なわけではなかった。空っぽの心に悔しさが満たされると、中村の瞳に涙があふれた。
「いろいろな人の支えがあってここまで来られた。いろいろな人の思いを乗せて戦って取った銅メダル。凄く重みのある銅メダルです」
4年前にロンドン五輪で初戦敗退した時、中村は“支え”を失っていた。1つは左膝を支えるじん帯だ。09年に前十字じん帯を損傷したが、
翌年に東京での世界選手権を控えていたために温存療法を選択。壊れた膝はどんどん無理が利かなくなっていった。
ロンドン五輪後にじん帯の再建手術を受けたのも、あくまでも「普通の生活をするため」。引退を考えていた。北京五輪で銅メダルを獲得してから、
一心不乱に金メダルだけを目指してきた4年間。その夢がかなわず、それでなお柔道を続ける心の支えは自分の中でのどこを探してもなかった。
松本は9日放送(日本時間)の日本テレビ系の情報番組「スッキリ!!」(月〜金曜前8・00)にVTRで生出演。「目指していたものは
金メダルですが、メダルを取れたという安心感で…甘酸っぱい気持ちです」と心境を告白した。
前回ロンドン大会からの4年間は「すごく長かった。何回もやめようかと思ったことがあった」と明かしたが「父をリオに連れて行くという約束をしていたので、
それが大きな原動力になりました」と笑顔で語った。プレッシャーも強く感じていたといい、重圧から解き放たれた松本は「(日本に帰ったら)温泉に入りたい」と話し、ほっとした表情を見せた。

松本薫 2大会連続メダル 帰国したら「温泉入りたい」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013129150.html

しかしリハビリ生活が競技を続けるきっかけを与えてくれた。スキーやサッカーなど他競技のアスリートに出会う中で、柔道の恵まれた環境に気づき、
競技とのさまざまな向き合い方も気づいた。彼女たちの応援に出かけ、今度は自分が応援される番だった。引退するわけにはいかなくなった。
「競技によってルールも違えば試合時間も違うし、その中での集中力の出し方も違う」。彼女たちからトレーニング法を学んだり、フェイントを
組み手に生かせないかとボクシングにも実際に挑戦した。上野雅恵コーチは「手術をすると刈る力が弱くなる。それが戻ってきている。ロンドンの時とは
体も足の粘りも全然違う」と話していた。膝の支えも、心の支えも万全だった。
「いろいろな人に出会って、いろいろな経験をしてきた。柔道だけをやってきたロンドンまでで終わるより、またリオに挑戦できて良かった。北京の時よりも
全然成長していると思う」。そのことを証明するためにも金メダルが欲しかった。
ロンドン五輪後に世界女王の座を分け合ってきたケルメンディと初対戦した準決勝。相手のパワーに押されて開始26秒で受けた指導1つの差を詰められずに
敗れた。「向こうのほうが一枚上だった」。3位決定戦では地元のミランダを延長戦で下してメダルだけは死守した。
2大会ぶりの銅メダル。これまでの五輪との違いを問われると声を震わせて言った。「北京は実力差を感じたけど、今回はいろいろな経験をして成長した自分
で勝てなかったのが悔しい」。頂点に届いたはずと思うからこそ悔しさが募る。中村の3度目の五輪が終わった。

中村美里 五輪3度目も金には届かず…「重みある」けど「悔しい」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013126170.html

アスリート仲間で中村が「師匠」と呼んで慕っているのが、アルペンスキー女子の清沢恵美子(32)だ。
清沢も12年と13年に右膝のじん帯を損傷するケガを負い、東京都北区の国立スポーツ科学センターのリハビリ施設に通っていた。親しくなったのは
中村から「おいしいクレープ屋さんがあるので今度一緒に行きましょう」と誘われたこと。話をするうちに清沢は「この子はなんか無知だなと思った。
言い方は悪いけど、もっと伸びるんじゃないかな」と感じたという。
治療といえば「アイシング」と答えていた中村にトレーナーを紹介し、サプリメントの適切な摂取方法なども指南。現役続行を悩んでいた時期には
「まだまだやれるよ!あと2大会できる」とエールも送った。この日、自宅のテレビで観戦した清沢は「悔しそうでしたが、頑張る姿に感動しました」と
3位決定戦でのこん身の勝利に中村の凄みを感じていた。

中村 クレープで親しくなった“師匠”清沢「頑張る姿に感動しました」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013127300.html

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:52:24.42 ID:PesDscOl.net
柔道女子57キロ級で前回ロンドン五輪金メダルの松本薫(28=ベネシード)は3位決定戦に勝ち、銅メダルを手にした。準決勝で一本負けして2連覇はならなかったが、2大会連続でメダルを手にして
“野獣”健在を証明。次回の2020年東京五輪出撃も視野に入れている。
開始24秒、背負い投げでの一本負け。準決勝は、あっという間の決着だった。世界ランキング1位の強敵ドルジスレン・スミヤ(25=モンゴル)の
背負い投げは警戒していたものの「1回目が効かなかったので大丈夫と思ってしまった。気の緩みが対応できなかった原因」。持ち味の粘り強さを
発揮する前に試合が終わった。
それでも、3位決定戦では連珍羚(28=台湾)に優勢勝ちして銅メダルを獲得。連は今年5月の「マスターズ大会」で一本負けした嫌な相手だったが、
大舞台でリベンジを果たした。
ロンドンでは日本柔道唯一の金メダルを獲得。連覇の重圧は「試合中はなかったけど、それまでの過程でありました。この4年間は、しんどかった」。
表に出さない苦悩があった。
今後について聞かれた瞬間、館内に大音量で雑音が流れ「こんな感じです」と苦笑い。「分かりません。やり残したなんて言いだしたら多分、
キリがない」と続けた。
実際、これで最後になるとは限らない。松本はリオ五輪を最後に引退することを示唆していたが、最近、親しい関係者に現役続行をにおわせる言葉
を口にするようになった。
「東京五輪って、すぐそこでやるんですよね。後輩に強い選手がいなければ、やってみたいな」
実は、衰えとは無縁。東京・八王子の高尾山を上り下りするランニング練習では初めて往復合計48分を切り、自己ベストを更新した。28歳にして、
なんと体力も進化。成長が止まらないそうで「ロンドン前に追い込んでいた時より速いんですよ。4年たって伸びているって、すごいですよね!」と
胸を張るほどだ。
母国開催の東京五輪で“野獣”が3大会連続のメダル獲得に動くのか。3位決定戦で見せた眼光の鋭さからすれば、どんでん返しの展開が
現実味を帯びている。

【柔道】“野獣”健在の銅・松本薫 2020年東京五輪出撃も
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577657/

と分かってましたから。ふと、かけました。計算はしません。
もうそろそろ出発の日だなと。そうしたらちょうど成田にいましたので」。娘のモチベーションを上げるために、初めて注文を出した。
その短い一言を受けて戦った世界選手権。娘は見事に世界女王となって応えた。道はリオにつながった。
親子の絆。石川・金沢で暮らす調理師の父は、今でも定期的に東京にいる娘に食事を送る。プラスチックの食品保存容器に入れて、温めれば
食べられるようにして。遠征が少ないときは2カ月半に1回のペース。リクエストが必ずある。「スペアリブの香味ソース炒め」。骨付き肉の脂肪を完全に抜く。
ニンニクショウガは強め。幼少期から好んだ味だ。
父は「スーパーに出ている肉は全部買いますね。5パックとか。そんなに簡単に作れないので、リクエストがきたら2日間はもらいます」と、恒例行事を説明する。
食事を通してつながる親子関係に、松本は「めちゃくちゃおいしいですよ」と感謝は絶えない。サポートをし続けてくれた父の初めての願い。だからこそ、「
お父さんのために私は頑張る」と公言してきた。
その言葉を受けた父も娘と一緒に戦った。多いときは40本以上吸っていたたばこを控えたのは理由がある。リオまでの長時間フライトに耐えられるように。
娘にはなぜ禁煙していたのかは説明していないが、「きついなあ」と明かす顔はどこかうれしそうだった。
この日、松本は準決勝で一本負けし、顔色を失った。3位決定戦では相手を射抜くような鋭い視線で襲いかかり、銅メダルを獲得した。「何も持たないで
日本に帰れないと思いました」。試合直後、首を小刻みに左右に振って悔しさをにじませた。表彰式を終えると「うれしいのと悔しいのと、甘酸っぱい感じです」
と少しだけ笑みを浮かべた。その雄姿は観客席から見守った賢二さんにしっかりと届いた。

松本薫を銅に導いた「スペアリブの香味ソース炒め」 - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1691731.html

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:53:40.94 ID:PesDscOl.net
かつてのオーラなかった松本
男子に新チャンピオンが誕生した日、女子の旧チャンピオンは五輪連覇の夢を絶たれた。57キロ級の松本薫は、銅メダル獲得という自分の仕事を全うしたが、
4年前の彼女でないことは、柔道とは縁遠い人がテレビ画面越しに見ても伝わっていたのではないだろうか。
かつてのオーラがない。足の運びはいつものように前進していても、往時はあったフィジカルの迫力を感じない。野獣は野獣でも手負いの獣。
上背のあるパビア(フランス)との準々決勝をどうにか制したが、技が出ずに延長を含めて8分近くを戦った。3時間あまりの休憩を挟んで体力は回復しても、
気力までは立て直せなかったのかもしれない。準決勝の開始24秒でドルジスレン(モンゴル)に背負われ、きれいに1回転した。
五輪連覇の道はあまりに遠い。一つの階級にめぼしい選手がいくらもいない国ならいざしらず、日本選手には特に。長丁場の代表選考レース、
うち続く国内外の試合と合宿に著しい損耗を強いられる。初めて頂点を極めるまでの旅はつらいながらも楽しいが、既に知っている眺めをまた見るため
に4年の風雪を耐えるのは気が重い。たとえそれが、どれほどの絶景であってもだ。
2度目の頂点を目指した松本は9合目で倒れたが、それでも後に続く選手のためにメダルリレーというロープを断ち切らないでくれた。ありていに言えば、
今回の女子チームには男子の大野ほどの強者(つわもの)はいない。だから、金メダルとは言わない。7人によるメダルリレーを最後まで全うしてもらいたい。

日本柔道の強さ示した大野、完成形の新王者  :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO05853360Z00C16A8000000/

柔道女子63キロ級準決勝で、昨年世界選手権3位の田代未来(22=コマツ)が難敵クラリス・アグベニュー(23=フランス)に
優勢負けを喫して金メダル獲得はならなかった。
パワフルな柔道が持ち味のアグベニューには過去5戦全敗。大会前から田代が最も意識していた相手だ。序盤から激しい組み手争いを
繰り広げたが、どうしても相手に先に技を仕掛けられてしまう。攻め手が見いだせないまま、大内刈り、内股の猛攻を浴びた。
なんとかしのいでいたが、残り30秒というところで場外に足が出てしまい、痛恨の「指導」を取られた。わずかな残り時間で必死の反撃を試みるも及ばず、
3位決定戦に回ることになった。

【柔道女子】田代未来 フランスの天敵に敗れ3位決定戦へ
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/578084/

リオデジャネイロ五輪は大会第5日の9日、カリオカアリーナで柔道女子63キロ級を行い、田代未来(みく)=コマツ=は3位決定戦で、
ヤーデン・ジェルビ(イスラエル)に優勢負けし、メダル獲得はならなかった。今大会の柔道競技で日本勢がメダルを逃したのは初めて。
田代は試合開始34秒、腰車で有効、さらに56秒に大内返しで技ありを奪われた。その後、攻め続けた田代に対し、積極的戦意に欠けるなどとして
ジェルビに相次いで指導が与えられたが、及ばなかった

【五輪柔道】田代未来が3位決定戦敗退、今大会の柔道で初めてメダル逃す 女子63キロ級
http://www.sankei.com/rio2016/news/160810/rio1608100032-n1.html

南條充寿・女子監督の話
田代はやってきたことを全て出したが、攻めるべきところでいけない弱さが出た。(4日間で金メダルゼロに)チャンスである軽い方の階級で
銅3個は非常に厳しい結果だ。

田代未来、銅メダルならず涙「本当に申し訳ない」/柔道 - リオ五輪2016
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160810/rio16081004590042-n1.html

相手は一枚上だった。組み手で優位に立たれると、腰車で「有効」、勝負にいった内股もすかされて「技あり」を奪われた。ポイントで後のなくなった田代は必死に
前に出た。相手には「指導」が3度与えられたが、あと一歩及ばす。メダルに届かず5位に終わった。
田代は目に涙を浮かべながら「本当にここまでたくさんの方々が支えてくれて背中を押してくれたのに、こういう結果になって申し訳ない。(準決勝で
難敵アグベニューに健闘したが)勝たなきゃ意味がない」と話した。
ここまで銅メダル3個の女子代表では、初めてメダルを逸した。この悔しさは4年後に東京で晴らすしかない。

【柔道女子】63キロ級・田代未来は5位 涙浮かべ「申し訳ない」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/578

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:54:41.85 ID:PesDscOl.net
両親や所属チームの応援団が陣取るスタンド席の前で立ち止まった田代。一礼すると、なかなか顔を上げられなかった。3位決定戦に敗れ、
日本柔道陣で今大会初めてメダルを逃し、大粒の涙。初舞台で厚い壁にはね返された。
正念場は準決勝。相手は過去に個人戦で全て「一本」で4連敗している天敵のアグベニェヌ(フランス)だ。男子大学生の胸も借りてのパワー対策も奏功して
互角に組み合っていたが、残り39秒。受け続ける圧力がそうさせたのか、不意に回り込んだ足が場外に出た。消極姿勢と見られての「指導」を受け、
この差が勝敗を分けた。
世界選手権で2年連続銅メダルを獲得し、同じ63キロ級で五輪2連覇した谷本歩実さんと容姿が似ていることから「谷本2世」として期待される22歳。
所属先のコマツでも代表でも指導を受けるその谷本さんが畳脇のコーチ席から鼓舞する中、飛躍を期したが、試練を突きつけられた。
素直で穏やかだが、ここ一番で気後れするところがある。コマツの松岡監督は「谷本も今は丸くなったが、現役時代はもっと、とんがっていた」と言う。
「自分がどう変わっていくか、真剣に考えないといけない」と田代。壁を打ち破る力を求める歩みが始まる。

五輪柔道:22歳田代が大粒の涙 勝敗を分けた「指導」
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160810/k00/00e/050/301000c

女子の田代は、チグハグな柔道のままメダルを逃してしまった。
本来は、しっかりと組み、得意の足技を使って勝つ柔道だが、初戦から、自分から間合いを詰めて強引に攻める場面が見られ、危ないシーンもあった。
海外の選手は接近戦が強いだけに、そこまで強引にいかなくても、と思うほどだった。
最大のヤマだった準決勝のアグベニュヌ戦は、逆に強引にいけないまま指導1で敗れた。今まで完敗が多かった相手だが、しっかりと研究した成果で
相手の持ち味を消していただけに、この試合こそ、もう少し強引に攻めてよかった。
3位決定戦では、今度は相手の土俵に自ら乗ってしまった。相手が接近戦が得意なのは知っていたはずだが、間合いを詰めて攻め、返し技でポイントを
奪われた。本来の柔道をしていれば、勝てる相手だっただけに、チグハグさが残念だった。
田代にとっては苦い経験の五輪となったが、まだ21歳。この経験を糧にして東京五輪を目指してほしい

初戦からチグハグ…自分の柔道ができなかった田代
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013135920.html

松本は準決勝の開始早々の背負い投げで、一本負けを喫してしまった。悪い時の松本は、一瞬気持ちが抜けてしまった時に不用意な技を食らい、
対応できずに負けてしまう。今回は油断していたわけではないだろうが、その心配していた部分が出てしまった。
3位決定戦で銅メダルを争った連は、私が指導するコマツの所属選手。お互いが、手の内を知り尽くしていた。5月のワールドマスターズでは連に
一本負けしており、警戒はしていたと思う。一進一退の攻防で延長までもつれ込む流れだったが、終了30秒前に組み際の小内巻き込みで有効を奪った。
競った試合の中での感性、そして五輪王者としての執念において、松本が一枚上だった。
ロンドン五輪で金メダルを取った後は、右肘の手術などもあり、屈辱的な負け方をしたこともあった。昨年の世界選手権で王者に返り咲いたが、
戦いに安定感はなく、ピークは過ぎていた。それでも気持ちでリオまで頑張ってきた。五輪連覇はならなかったが、4年間の過程を見れば、よくやったと思う。

【柔道・松岡義之Point】松本よくやった執念メダル
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160809-OHT1T50273.html

野獣という異名通り、話を聞くたびに松本の感覚は動物的だなと驚かされ、笑わされた。
「試合当日に必ずやることは自然体でいること」。自分のリズムが変わるからと音楽も聴かない。試合当日はもっと敏感だ。「機械のものは遠ざけます。
電波が邪魔なので昔から自然のものだけ」。日焼け止めを塗ると太陽光から感じるものが減って「体のインスピレーションが遅くなる」。常人には計り知れない。
28歳という年齢を考えれば今回が最後の五輪でもおかしくはない。将来の夢は「田舎でゆっくりと老後を過ごしたい。空に浮いて、仙人になりたい」。
仙人になるとどうなるのか。「何も感じなくなる。穏やか」。すみません、これまた常人には計り知れない世界でした。

常人には計り知れない松本の感覚 将来の夢は「仙人になりたい」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013134810.html

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:55:09.26 ID:PesDscOl.net
メダルセレモニーを終えた松本は、首から下げた銅メダルを見て「甘酸っぱい」と笑った。悔しさとメダルを確保した安堵(あんど)感。「あー、終わった」と
笑顔で包みながらも「腹の中は煮えくりかえってますよ」と本音も漏らした。
「試合中は感じなかったが、その過程にはもちろんあった」。準決勝、相手の最初の背負い投げをこらえ「1回目が効かなかったので大丈夫と思ってしまった。
試合中に“大丈夫”なんて絶対にないのに」。少し腰が高くなったところに、すぐ二の矢が飛んできた。4年前にはなかった連覇の重圧。それが野性の勘を
鈍らせたのかもしれない。食うか食われるかの状況で、あってはならない「一瞬の気のゆるみ」。気付けば畳に転がされていた。
ロンドン五輪では男女を通じて唯一となる金メダルを獲得した。“野獣”として注目され、ラーメンを食べに出かければツイッターにつぶやかれた。
「ラーメンぐらい食べさせてよ!って最初は嫌でした」と戸惑いも大きく、慣れるには時間がかかった。
13年には女子代表で暴力的指導問題が起こり、代表の環境も激変した。指導者が一新され、「自立と自律」をテーマに選手に委ねられる部分が
圧倒的に増えた。そんなときも金メダリストの嗅覚は抜群だった。いくつもの選択肢を用意し選手に選ばせる時、代表の谷本歩実コーチは
「選択力も選手の力」だという。コーチ陣はどれが正解か分かっている場合もある。「松本薫はそれを一発で選んでくる」。追い込む練習が必要と
思えば追い込む、休む時は休む。しっかりと自分で判断できる能力があった。
「ロンドン五輪の時は(前監督の)園田先生に引っ張ってもらってついていくだけだった。それで獲れた金メダル。今回は自分で考えて獲る金メダル」と
リオ五輪の意義を語っていた松本。誰かに尻を叩かれたわけではない。自分の力で走り続けてきた4年間。「しんどかったあ」。4年間を振り返る言葉に
実感がこもった。

松本 連覇ならず…銅にも「腹の中は煮えくりかえってます」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013132460.html

3位決定戦に勝ち、引き揚げてきた松本の報道陣への一言は、やはり松本だった。「ここ(取材エリア)にいたから見えなかったと思うんですけど、
ごめんなさい(手を合わせるしぐさ)しました」。質問は客席にいた家族へのあいさつ。取材者が「ここ」にいたことに気づき、気にしてしまう気遣い、
実は繊細な心は、銅メダルで「煮えくりかえってます、腹の中は」と言えど、変わらなかった。
野獣のニックネームが先行し、本人も沿うように発言していたが、本性はイメージとは異なる。代表選考会の4月選抜体重別選手権の準決勝で敗れると、
ロンドン五輪銀メダルの杉本美香さんに連絡。「厳しく指摘してくれる人がいない。足りないものがある」。勝てない。時には親友の前でだけ泣いた。
稽古中は泣けなかった。不安に揺れる心は、日本代表チームのために隠した。「金メダリストだから」。常にイメージを追った。
五輪の重圧は「ないと言い聞かせているだけで感じていた」と認めた。準決勝のドルジスレン戦、不用意に背負い投げをくらい24秒で一本負けした。
その前の背負い投げで、「全然効かなくて大丈夫」と過信した。通常ありえない警戒の解除こそ、重圧のなせる仕業だったかもしれない。
鋭い眼光に、特異な発言。柔道界に松本ありを発信し続けた4年間を終えた。昨年、「今の役割は今度の五輪で終わり。20年(東京五輪)の時には、
違う役割になっていると感じています」と述べた。この日は「分からない」としたが、引退後については既に考えているだろう。その気の使い方が生きる、
彼女だけの道はきっとある。

松本薫銅「煮えくりかえってます」野獣一瞬のスキ
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1692371.html

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:55:49.37 ID:PesDscOl.net
「金に同じ」と書く銅メダルといっても、五輪に出場する柔道家にとっては、金メダルとはまるで意味の違うものだ。前回のロンドン五輪で、日本勢として
唯一の金メダリストとなった女子57kg級の松本薫(ベネシード)であればなおさらだろう。
初日、2日目に出場した4選手がいずれも準決勝までに敗れる流れを、松本は食い止められなかった。準決勝の開始24秒、一瞬の隙を、モンゴルの
ドルジスレン・スミヤに狙われた。
「相手が最初に背負い投げに入ったときに、全然だったから大丈夫と思ってしまって......。その一瞬の気の緩みのせいで、2回目の背負い投げに対応
できなかったんだと思います。ストンと入ってしまった。今まで彼女と対戦したときは、1回しか、自分の調子が本当に悪かった1試合しか負けていなかった。
どこか勝てると思い込んでしまっていたんだと思います」
松本は初戦の2回戦から"野獣"モード全快だった。眉毛と目を鋭い「への字」にして前方を凝視し、「オリンピックチャンピオン!」の場内アナウンスとともに、
畳に上がっていった。
コートジボアールの選手を視線の先にとらえたら、厳しい表情で「一本」を奪うまで技を仕掛け続ける。寝業で下になった状態から、腕を決めて体勢を
入れ替えるオモプラッタというブラジリアン柔術の技で抑え込み、「一本」勝ち。もともとロンドンの頃から寝業を得意としていたが、柔術の技で
勝ち上がるところに、彼女の4年間の成長を見た。
準々決勝は柔道大国フランスのオトーヌ・パヴィアが相手。お互い決め手に欠く展開で、2度も2分間のゴールデンスコア(延長戦)に突入し、
最後は松本の袖釣り込み腰が決まった。
準決勝までのインターバルに、この日、観戦に訪れていた同じ57kg級の次世代のホープ、芳田司(コマツ)に話を聞く機会があった。松本のすごさを彼女は
こう話していた。
「ご自身の雰囲気を作るのがすごく上手。戦う者としては、それに飲まれないようにしなきゃならない。粘り強く相手を追うし、だから準々決勝みたいに
最後の最後、決めきれるんだと思います」
準決勝の相手であるドルジスレンは、世界ランキング1位の強豪で、松本の対抗馬と目され、この試合が事実上の決勝戦と言われていた。
「研究されるのは当たり前のこと。これまで何度も戦っているし、五輪だから相手の技のキレが鋭いということもない。ただ、何がなんでもメダルを獲りに
行くという執念には違いを感じました」
わずか24秒での一本負けは、松本にとって屈辱だったに違いない。だが、潔く敗戦を認めた。悔いが残るとすれば、ここまで金メダルがゼロに終わっている
女子の流れを食い止められなかったことだ。
「柔道は個人戦だけれども、団体戦のつもりで戦っている。みんなで金メダルを獲りに行くという気持ちだったし、彼女たち(銅メダルに終わった近藤亜美や
中村美里)が届かなかった分まで、決勝まで行こうという思いが力になっていたから......」
敗戦後、3位決定戦に臨んだ松本は、連珍羚(台湾)から小内刈り「有効」を奪って勝利した。
「銅メダルの味は、甘酸っぱい。悔しさと、メダルを獲った安心感と......。結果は結果なので、納得するしかない」
金メダリストとして過ごした4年間は、「しんどかった」と松本は振り返った。
「今日も連覇に向けて気負いやプレッシャーはなかった。ただ、ここに至る過程においては、プレッシャーがあったと思う。今後に関してはわかりません。
やり残したこと? それを言い出したらきりがないですよ」
野獣は美しき敗者として、リオの畳を降りた。

女子柔道・松本薫がリオ五輪の悔恨を語る 「銅メダルの味は、甘酸っぱい」
http://news.livedoor.com/article/detail/11872728/

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:56:08.52 ID:PesDscOl.net
リオデジャネイロオリンピック、柔道女子70キロ級で田知本遥選手が金メダルを獲得しました。
オリンピック2大会連続出場の田知本選手は1回戦で一本勝ちしたあと、2回戦と準々決勝を、いずれも延長戦の末、勝ち上がり、準決勝に進みました。
準決勝ではドイツのラウラ・バルガスコッホ選手と対戦し、序盤から積極的に攻めた田知本選手は、大外刈りで技ありを奪って優勢勝ちしました。
決勝ではロンドン大会の銅メダリストでコロンビアのジュリ・アルベアル選手と対戦し、谷落としで技ありを奪ったあと、抑え込みで一本勝ちし、金メダルを
獲得しました。
田知本選手は「最後に抑え込んだときは、もう絶対離さないと思ったし、自分で秒数は見えなかったのですが、あと何秒って思って耐えました」と話していました。
オリンピックのこの階級での日本選手の金メダル獲得は、北京大会の上野雅恵さん以来2大会ぶりで、今大会の柔道女子では初めての金メダルです。
田知本選手「試練のすべてが成長させてくれた」
田知本遥選手は2回戦で世界ランキング1位のオランダのキム・ポーリング選手と対戦し、終始、積極的に技を繰り出して延長戦の末、有効を奪って勝ちました。
田知本選手は「この試合が山で、自分は金メダルか、メダルなしか、どちらかだと思っていたが、勝てれば絶対に金メダルを取れると思っていた」と振り返りました。
決勝で対戦した、コロンビアのジュリ・アルベアル選手は日本人が指導し、頻繁に日本でも練習している選手で、田知本選手は「手の内を知られていて少し嫌だったが、最高の舞台で自分の力を出しきろうと思った。技に気持ちを乗せると言い聞かせて戦った」と話しました。
そして、抑え込みで勝負がついたことについて、「オリンピックで勝つなら確実な抑え込みでと、ずっとイメージしていた。想像どおりになって、うそみたい」と笑顔を
見せました。
田知本選手は去年、海外での国際大会の前に不注意から市販の風邪薬を飲んだため、出場を取り消すことになって処分を受けたときや、ともにオリンピック
出場を目指した姉の愛選手が、ことし4月の最終選考会で敗れて出場を逃した時など、精神的に苦しい時期もありましたが、それを乗り越えての金メダルでした。
田知本選手は「姉が負けたあと、ショックで一時、練習に集中できかなったが、ずっとそばにいてくれていると感じていた。きょうの日のために今までの試練が
あった。いっぱいありすぎて『なんで』とも思っていたが、そのすべてが自分を成長させてくれた」と感慨深そうに話しました。
南條監督「人間的成長が金メダルに」
柔道女子日本代表の南條允寿監督は「当初は最初の4階級で金メダル量産と考えていた。うれしい誤算ではないが、女子の7人の代表選手でただ1人、
世界選手権やオリンピックのメダルを取ったことのない田知本が最高の結果を出し、あすからの2人にもつながる」と話し、今大会日本女子初の金メダルを
喜んでいました。
そのうえで、田知本選手が去年、海外での国際大会の前に不注意から市販の風邪薬を飲んだため、出場を取り消すことになって処分を受けたことについて、
「多くの人に迷惑をかけ騒ぎにもなったが、代表選手として責任感を持って行動しないといけないという思いが強くなった。人間的に成長するきっかけになり、
それがきょうの金メダルにつながった」と分析していました。
田知本選手のこれまで
女子70キロ級の田知本遥選手は富山県出身の26歳で、2大会連続のオリンピック出場です。
初出場だったロンドン大会では準々決勝と敗者復活戦で敗れ、7位に終わりました。その後3年間は世界選手権の代表の座を国内のライバルたちに
奪われましたが、去年7月と10月に国際大会を2連勝し、ことし2月の国際大会でも2位に入るなど実績を残しました。そして、4月の国内最終選考会で優勝し、
2大会連続でオリンピック代表の座を勝ち取りました。
田知本選手は世界選手権でも個人でのメダルはありませんが、今大会は快進撃を続け、日本のこの階級では北京大会まで2連覇した上野雅恵さん以来となる
オリンピックの金メダルを獲得しました。

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 23:57:00.13 ID:PesDscOl.net
地元の富山で後輩らが声援
田知本選手の地元、富山県射水市では中学校や高校の柔道部の後輩などが集まって声援を送りました。
射水市にあるアイザック小杉文化ホールでは10日午後10時からパブリック・ビューイングが行われ、田知本選手が通った小杉中学校や小杉高校の卒業生や
柔道部の後輩など、およそ200人が集まりました。
会場には大型のスクリーンが設置され、決勝でロンドン大会の銅メダリスト、コロンビアの選手を抑え込むと会場は大きな歓声に包まれ、一本勝ちが決まった
瞬間、抱き合って喜んでいました。
中学校時代の柔道部の先輩に当たる男性は「田知本選手の快挙に心が震え、金メダルが決まった瞬間は鳥肌が立ちました。心から『おめでとう』と伝えたい」
と話していました。
高校時代に監督として指導した二瀬寛之さんは「高校時代から非常にまじめで、1つ1つの課題に対しきっちりやる選手だった。きょうは隙のない柔道で目標の
金メダルを取ってくれて本当にうれしいです」と笑顔で喜んでいました。

柔道女子70キロ級 田知本が金メダル
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160811/k10010631011000.html

リオデジャネイロ五輪第6日の10日、柔道女子70キロ級決勝で田知本遥(26)=ALSOK=がジュリ・アルベアル(コロンビア)を下し、
日本選手団女子の金メダル第1号に輝いた。日本の「金」は競泳男子400メートル個人メドレーの萩野公介(21)=東洋大、柔道
男子73キロ級の大野将平(24)=旭化成、体操男子団体総合を含め4個目。
田知本は組み手を封じられる苦しい試合が続いたが、我慢強く戦った。闘争心やスタミナは衰えず、勝負どころで得意技の大外刈りが威力を発揮した。
7位だった前回ロンドン五輪の悔しさを晴らした。
柔道女子は前日までの4階級で頂点を逃したが、田知本の優勝で、1996年アトランタ五輪から6大会連続の金メダル獲得となった。

柔道女子・田知本が「金」 日本女子第1号
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK11H04_R10C16A8000000/

女子70キロ級の田知本遥(26)が、決勝でジュリ・アルベアル(30)を合わせ技一本で破り、金メダルを獲得した。
2012年のロンドンでは準々決勝で敗れ、敗者復活戦にも敗れる屈辱で7位に終わっていただけに、見事にリベンジを果たした。2分19秒、
谷落としで技あり、横四方固めで押さえ込み、合わせ技一本。天を仰ぎ、目を押さえた。
田知本は、1回戦で周超(29)に谷落とし、けさ固めの合わせ技一本で突破。2回戦は第1シードのキム・ポリング(25)と
延長1分33秒、大外刈り(有効)で勝利。準々決勝はケリタ・ズパンチッチ(26)を延長28秒、谷落とし(技あり)で突破。準決勝では
ラウラ・ファルガスコッホ(26)に大外刈りで技ありを奪い優勢勝ちしている。
田知本遙「苦しかったんですけど、一戦一戦、この日までも苦しかったんですけど、本当に言葉にできないくらいうれしいです。ずっとほしかったものが、
こうして手元にあるのが信じられない。最高です」

【柔道】田知本、女子勢初の金!涙の奪取…女子70キロ級
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160811-OHT1T50083.html

リオデジャネイロ五輪の柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した田知本遥(ALSOK)は、表彰式でメダルを授与された後、
「ずっと欲しかったものが今こうして手元にあることが信じられない」と話した。 田知本は表彰式の後、涙を流す姉の愛(めぐみ)
に金メダルをかけ、喜びを分かち合った。
改めておめでとうございます
「ありがとうございます」
メダルを首にかけてもらったときにちらっと見ましたけど、まだじっくり見てないんじゃないんですか、どうですか、金メダル眺めて
「ずっと欲しかったものが今こうして手元にあることが信じられないです」
ロンドン五輪のときは首が寂しかったですもんね
「そうですね。手ぶらで日本に帰る辛さを知っているので、何が何でもという思いはありました」
「金メダルが決まってから、お姉さんと話すチャンスはありましたか」
「たぶん今そこになんかいました」
目線は合いましたか 「はい」
目ではどんな会話しました
「えへへ、目ではって、ふふふ。『やったよ』っていう」
4年間が報われましたね 「そうですね。こういう風に報われて最高です」
今度は首もとちょっと重い金メダル、持って日本に帰ってください 「噛みしめて。ありがとうございます」

【五輪柔道】女子70キロ級「金」の田知本遥が表彰式で「ずっと欲しかったものが手元にある…」
http://www.sankei.com/rio2016/news/160811/rio1608110044-n1.html

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/13(火) 19:49:42.14 ID:VStWAwuyN
ヒ゛ックモ−夕一を非難するのか゛犯罪者た゛けという滑稽な事態になってるな,樹木を枯れさせたとか麻薬賭博暴カ贈収賄税金泥棒ハ゛力ひき逃げ
差別主義猥褻セクハラJKレイプ地球破壊犯罪者の代名詞スポ─ツという犯罪推進のために明治神宮外苑の3千本もの巨木を伐採するテ゛タラメ
小池百合子や,力によるー方的な現状変更によってクソ航空機倍増させて都心まて゛数珠つなき゛て゛鉄道の30倍以上もの莫大な温室効果ガスまき
散らして氣候変動させて海水温上昇させてかつてない量の水蒸気を曰本列島に供給させて土砂崩れ,洪水,暴風、熱中症にと災害連發させてる
世界最惡殺人テロ組織公明党天下り犯罪集団国土破壞省齋藤鉄夫が何寝言ほざいてんた゛か,世界的に森林火災に気温40度超え連發,
日本列島も40度超え連発させて国民をさらに殺す気満々のテ□政府を放置するのは自殺と同義た゛そ゛
渋滞て゛環境破壊しまくり清瀬市の歩道の樹木とか明らかに税金の無駄,そこを自転車レ−ンにするのか゛環境対策だろ
フランスとか車道を―方通行にして自転車レ‐ン作ってるくらいた゛か゛.このテロ政府をぶっ潰さないとお前らの生命と財産は奪われる−方な
(ref.) ttps://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000062
ttps://haneda-project.jimdofree.com/ , ttps://flight-route.com/
ttps://n-souonhigaisosyoudan.amebaownd.com/

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