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ロスト・スペラー 16

1 :創る名無しに見る名無し:2017/04/25(火) 19:09:41.75 ID:FlBlLxh2.net
日常系の様な、そうでもない様な。


過去スレ
ロスト・スペラー 15
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1480151547/
ロスト・スペラー 14
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1466594246/
ロスト・スペラー 13
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1455282046/
ロスト・スペラー 12
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1442487250/
ロスト・スペラー 11
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1430563030/
ロスト・スペラー 10
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1418203508/
ロスト・スペラー 9
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1404902987/
ロスト・スペラー 8
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1392030633/
ロスト・スペラー 7
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1377336123/
ロスト・スペラー 6
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1361442140/
ロスト・スペラー 5
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1347875540/
ロスト・スペラー 4
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1334387344/
ロスト・スペラー 3
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1318585674/
ロスト・スペラー 2
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1303809625/
ロスト・スペラー
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1290782611/

2 :創る名無しに見る名無し:2017/04/25(火) 19:10:31.08 ID:FlBlLxh2.net
今から500年前まで、魔法とは一部の魔法使いだけの物であった。
その事を憂いた『偉大なる魔導師<グランド・マージ>』は、誰でも簡単に魔法が扱えるよう、
『共通魔法<コモン・スペル>』を創り出した。
それは魔法を科学する事。
魔法を種類・威力・用途毎に体系付けて細分化し、『呪文<スペル>』を唱える、
或いは描く事で使用可能にする、画期的な発明。
グランド・マージは一生を懸けて、世界中の魔法に呪文を与えるという膨大な作業を成し遂げた。
その偉業に感銘を受けた多くの魔導師が、共通魔法を世界中に広め、現在の魔法文明社会がある。

『失われた呪文<ロスト・スペル>』とは、魔法科学が発展して行く過程で失われてしまった呪文を言う。
世界を滅ぼす程の威力を持つ魔法、自然界の法則を乱す虞のある魔法……。
それ等は『禁呪<フォビドゥン・スペル>』として、過去の『魔法大戦<スクランブル・オーバー>』以降、封印された。
大戦の跡地には、禁呪クラスの『失われた呪文』が、数多の魔法使いと共に眠っている。
忌まわしき戦いの記憶を封じた西の果てを、人々は『禁断の地』と名付けた。


ロスト・スペラー(lost speller):@失われた呪文を知る者。A失われた呪文の研究者。
B(俗)現在では使われなくなった呪文を愛用する、懐古趣味の者。偏屈者。

3 :創る名無しに見る名無し:2017/04/25(火) 19:11:22.34 ID:FlBlLxh2.net
魔法大戦とは新たな魔法秩序を巡って勃発した、旧暦の魔法使い達による大戦争である。
3年に亘る魔法大戦で、1つの小さな島を残して、全ての大陸が海に沈んでしまった。
魔法大戦の勝者、共通魔法使いの指導者である、偉大なる魔導師と8人の高弟は、
唯一残った小さな島の東岸に、沈んだ大陸に代わる、1つの大陸を浮上させた。
それが現在の『唯一大陸』――『私達の世界<ファイセアルス>』。
共通魔法使い達は、8人の高弟を中心に魔導師会を結成し、100年を掛けて、
唯一大陸に6つの『魔法都市<ゴイテオポリス>』を建設して世界を復興させた。
そして、共通魔法以外の魔法を『外道魔法<トート・マジック>』と呼称して抑制した。

今も唯一大陸には、6つの魔法都市と、それを中心とした6つの地方がある。
大陸北西部に在る第一魔法都市グラマーを中心とした、砂漠のグラマー地方。
大陸南西部に在る第二魔法都市ブリンガーを中心とした、豊饒のブリンガー地方。
大陸北部に在る第三魔法都市エグゼラを中心とした、極寒のエグゼラ地方。
大陸中央に在る第四魔法都市ティナーを中心とした、商都のティナー地方。
大陸北東部に在る第五魔法都市ボルガを中心とした、山岳のボルガ地方。
大陸南東部に在る第六魔法都市カターナを中心とした、常夏のカターナ地方。
共通魔法と魔導師会を中心とした、新たな魔法秩序の下で、人々は長らく平穏に暮らしている。

4 :創る名無しに見る名無し:2017/04/25(火) 19:15:22.24 ID:FlBlLxh2.net
……と、こんな感じで容量一杯まで、設定を作りながら話を作ったりする、設定スレの延長。
時には無かった事にしたい設定も出て来るけど、少しずつ矛盾を無くして行きたいと思います。

5 :創る名無しに見る名無し:2017/04/25(火) 20:02:42.22 ID:HUJFdvmK.net
乙です!!!!

6 :創る名無しに見る名無し:2017/04/25(火) 21:01:12.53 ID:hEDUNk3S.net
待ってた

7 :創る名無しに見る名無し:2017/04/26(水) 19:06:15.53 ID:1hU/O3wn.net
童話「運命の子」シリーズA 奇跡の者


『聖なる継承者達<ホーリー・ディセンダンツ>』編


火竜を倒し、巨人を倒し、魔竜をも倒したクローテルの偉大さを、認めない人はいませんでした。
しかし、アーク国王だけは彼を王になるべき人物だとは認めませんでした。

 「いかに武勇に優れていようと、政治は力まかせでは動かせない。
  言う事を聞かない者を、巨人や魔竜のように退治すると言うのであれば、それは暴君だ」

アーク国王はもっともらしい事を言って、クローテルを聖騎士の身分に止めました。
死なせようと思って困難に放りこんでも、クローテルは平気で乗り越えて更なる名声を得るので、
もう仕事を与えずに自由に遊ばせようとアーク国王は決めました。
クローテルとて人なのだから、調子に乗らせれば失敗するだろうと考えたのです。
ある日、アーク国王はクローテルを呼びつけて言いました。

 「クローテルよ、これまでの働き大儀であった。
  思い返せば、そなたには難題ばかり押しつけていた。
  羽休めもかねて、2週ほど南のルクル国へ出かけては、どうだろうか?
  騎士の務めは一時忘れて遊ばれよ」

まじめなクローテルは、一度は王様のすすめを断ります。

 「私には領地と領民があります」

 「このところ我が国の治安は良くなった。
  かつてのように野盗におそわれる心配は無いだろう。
  それもこれも、そなたの働きがあっての事。
  『休め』。
  これは王命である。
  国土の安全は王である予が保障する」

王様が断言したので、それ以上クローテルは反論できませんでした。
彼は王様の言う通り、休みを取ってルクル国へ行く事にしました。

 「そこまで仰って頂けるとは、ありがたき幸せにございます。
  お心づかい、謹んでお受けいたします」

クローテルが頭を下げると、王様は嫌味を言いました。

 「世辞が上手くなったな。
  世慣れたと言うべきか」

クローテルは何も言い返さず、面をふせたままでした。

8 :創る名無しに見る名無し:2017/04/26(水) 19:09:02.00 ID:1hU/O3wn.net
クローテルが王様の命令でルクル国に行くと聞いた、アルス領の衛士長は、
不安を隠さず口にします。

 「陛下の命令ですか……?
  良くない予感がします。
  もしや、クローテル様が不在の間に何かを企んでいるのかも……」

それを従事長がいさめました。

 「これ!
  出立前にご主人様を不安にさせて、どうしますか!
  何が起きても領地領民は守り抜くと言えないのですか!」

 「兵卒ならば無責任に大口を叩いても許されましょうが……」

衛士長と従事長の言い合いを、クローテルは止めます。

 「陛下は領地と領民の安全を約束されました。
  裏切りは教えに背く大罪です。
  王は王というだけで、何でも許されはしません。
  信用しても大丈夫だと思います」

領主であるクローテルが、そう言うならと2人は口論を止めました。
2人そろってクローテルに深い礼をします。

 「お気をつけて、領主様」

 「はい、行ってきます」

こうしてクローテルは3人の従者を連れて、ルクル国へ向かいました。

9 :創る名無しに見る名無し:2017/04/26(水) 19:11:21.79 ID:1hU/O3wn.net
ルクル国へ行くは、西の国を経由しなければなりません。
西の国とルクル国の境にある関所で、クローテルはルクル国の兵士に呼び止められました。

 「あなたは平民ではありませんね?
  高貴な方が入国する際は、事前に話を通してもらわなければ困ります。
  お忍びで物見に入らしたんですか?」

クローテルは従者を下がらせて答えます。

 「そうです」

 「それなら、それらしく忍んでくれませんか?
  怪しい人を素通しするわけには行かないので……。
  ええと、通行証を」

言われた通りにクローテルが通行証を見せると、兵士はおどろきました。

 「アルス子爵クローテル……?
  あ、あ、あなたがうわさの聖騎士クローテルですか!?」

 「はい」

兵士は目を泳がせて、あわてます。

 「な、何の用ですか?
  この国は平和ですよ。
  あなたに来てもらうような事は起きていません」

クローテルのうわさは、この国にも届いていました。
西の国では火竜を降し、北の国では魔竜を倒した、怪物退治の英雄クローテルが、
国境を越えて今度は何を退治するつもりなのか、兵士は気が気ではありませんでした。

10 :創る名無しに見る名無し:2017/04/27(木) 19:38:50.33 ID:JZtTCywF.net
クローテルは困った顔をして言います。

 「何をしに来たというわけではありません。
  ただの観光です」

 「本当に?」

疑わしげな兵士の目を、クローテルは澄んだ瞳で見つめ返しました。

 「うそは言いません」

ふしぎな圧力に負けて、兵士はクローテルを通す事にします。

 「分かりました。
  あなたを信用しましょう。
  1人頭30フラットの通行料を支払ってください」

クローテルは120フラットを払い、積荷の検査を受けて関所を通り抜けました。
ルクル国は聖なる旗を持つ王が治める、自然の豊かな海と太陽の国です。
治安も良く、国としてはアーク国よりも発展しています。
さらには従えている国の数も、国土の面積も、人口もアーク国を上回ります。
クローテルたちはルクル国の王都で宿を取り、1週間でルクル国の名所をめぐる予定でした。

11 :創る名無しに見る名無し:2017/04/27(木) 19:42:28.84 ID:JZtTCywF.net
ところが、翌日の朝、ルクル国王子の使いと名乗る者が、宿のクローテルたちの元を訪ねました。

 「あなたがクローテル様ですね?
  私はルクル国王子マルコ様の使いの者です。
  王子がクローテル様にお会いしたいとの事で、こうしてご招待に参上した次第です。
  どうか、私について王子にお会いしてください」

クローテルは困った顔で言います。

 「私は貴族や騎士としてではなく、旅行者として、この国に来ました。
  王子とお会いできる身分ではありません」

 「ただの旅行者ならば、なおさら王子の希望は断れないでしょう」

結局クローテルは言い負けて、1人で使者について行き、マルコ王子と会う事になりました。
使者はクローテルを貴族や金持ちが泊まる大きな宿に案内しました。
その一室でマルコ王子はクローテルを待っていました。

 「マルコ王子、アーク国の聖騎士クローテル様をお連れしました」

 「ご苦労、お前は下がって良いぞ」

マルコ王子は従者を下がらせると、クローテルに向かって言います。

 「お前がクローテルか?
  うわさは聞いている。
  素手で竜をも降す超人だとか。
  しょせん、うわさだと思うがな」

 「私に何のご用でしょうか?」

真顔でクローテルが問うと、マルコ王子は顔をしかめました。

12 :創る名無しに見る名無し:2017/04/27(木) 19:46:05.32 ID:JZtTCywF.net
 「私は、お前が何者か知りたい。
  アーク国王は何を考えている?
  お前のような下級貴族を救世の英雄と持ち上げる理由は何だ?」

彼はクローテルが英雄と呼ばれるのは、アーク国王に大きな企てがあるからに違いないと、
思い込んでいます。
政治の話をされて、クローテルは困りました。

 「私は戦った結果として、英雄と呼ばれているだけです」

 「英雄あつかいはアーク国王の計略ではないのか?
  武勇に優れた者を配下に持つ事は、国の名声を高める事になる」

 「私にはアーク国王の心中をおしはかる事はできません」

何も知らないと主張するクローテルを、マルコ王子はますます怪しみます。

 「怪物退治のうわさだけでなく、オリン国では守護竜に認められたとも聞いている。
  まるで聖君だ。
  ……なるほど、アーク国王がヴィルト王子を差しおいて、子爵の子を取り上げる理由は無いな。
  では、教会か?
  かつての権力を取り戻そうと、教会が影で動いているのか」

 「分かりません。
  そういう事を企んでいる人もいるかも知れません」

クローテルが正直に話すと、マルコ王子は馬鹿にしたように鼻で笑いました。

 「あくまで、お前自身は何も知らないと言うのか?
  それは真実かもな。
  かいらいは無知の方があつかい易いと言う。
  では、私が化けの皮をはいでやろう。
  明後日の朝、城へ来るが良い。
  逃げれば、お前は名誉を失う。
  楽しみに待っているぞ」

マルコ王子は一方的に勝手な約束をして、帰ってしまいます。
クローテルには断る間もありませんでした。

13 :創る名無しに見る名無し:2017/04/28(金) 20:00:30.55 ID:FLWKSPyf.net
元の宿に戻ったクローテルは、3人の従者にマルコ王子から挑戦を受けた事を話しました。
従者たちは青ざめて、クローテルを止めようとします。

 「ま、まさか、お城へ行くとは言いませんよね?」

 「良い機会なので、物見のつもりで行ってみようと思います」

 「危険ですよ!」

 「あちらも、こちらも、下手をすれば外交問題になります。
  そう危ない事はしかけて来ないでしょう。
  アーク国もルクル国も軍事力では同じくらい。
  私も争いは望みません」

 「……そこまで、お考えの事であれば……」

従者たちはクローテルの言い分を聞いて、大人しく引き下がりました。
問題の本質は、竜を倒すほどの強い力を持つクローテルの身の安全ではなく、
小さないさかいが外交問題に発展しかねない事にあるのです。
挑戦を受けても断っても角が立つなら、応じた上で上手く乗り切る他にありません。
従者たちはクローテルの神がかった力と運を信じました。
さて、城へ向かうのは明後日。
当日が心配ではありますが、とりあえずクローテルたちは観光を続ける事にしました。
せっかくの旅行なのに何もしないのでは、はるばる遠くから来た意味がありません。

14 :創る名無しに見る名無し:2017/04/28(金) 20:01:36.31 ID:FLWKSPyf.net
ところが、人の多い場所に行くと、だれかが必ずクローテルに気づきます。

 「あれはアーク国のクローテルじゃないか!」

 「クローテル?」

 「怪物退治の英雄クローテルだ!
  大火竜をしずめ、巨人を退かし、魔竜を倒した男だぞ!」

 「あのクローテル!?
  あれがクローテル!」

そうなると、もう大さわぎで観光どころではありませんでした。

 「城で王子の挑戦を受けるらしいぞ」

 「ええっ、マルコ王子が?」

 「王子は領内の十騎士の継承者を呼び集めているとか」

 「何が起こるんだ?」

人々は勝手な事を言って、盛り上がっています。
従者たちは、とまどいました。

 「ど、どうなっているんです?
  昨日の今日で、こんな急にうわさが広まるなんて……。
  クローテル様……」

 「初めから逃げ道は用意されていないようです」

すでにクローテルがマルコ王子の挑戦を受けるものと、うわさは広まっており、ここで応じなければ、
おく病者と笑われてしまうでしょう。
それはクローテル個人だけではなく、彼を英雄とたたえた国の名誉にもかかわります。
マルコ王子はクローテルが城に行かなければならなくなるように仕向けていました。

15 :創る名無しに見る名無し:2017/04/28(金) 20:06:02.10 ID:FLWKSPyf.net
クローテルたちは、どこへ行っても人のうわさを耳にするので、気が休まる事は無く、
城へ行く当日を迎えました。
城内に入るとクローテルは従者とは別に、一人で練兵場に通されました。
錬兵場には城中の者が見物に集まっており、さらに城から場内を見下ろすバルコニーには、
ルクル国王夫妻とマルコ王子が並んでいます。
マルコ王子の手には白い布に巻かれた神器マスタリー・フラグがありました。

 「よくぞ入らした、クローテル殿!
  まずは一国の貴族に対する非礼をわびたい。
  私の無理な願いに、よく応じてくれた」

応じるしかないように仕向けておきながら、彼は平然と言います。

 「しかし、私は聖騎士の号を持つ貴公の真の力を知りたいのだ。
  ここに我が国が誇る3人の勇士を用意した。
  貴公の実力を示してもらいたい!」

勇ましく語るマルコ王子の後ろで、国王夫妻は少し心配そうな顔をしています。
それにも構わず、マルコ王子は続けました。

 「竜を倒したうわさが本当ならば、人間相手では物足りなく思われるかもしれない!
  だが、どうか侮りであるといきどおらず、真剣に相手をしてはくれまいか!
  騎士エートス、前へ!!」

マルコ王子が呼びつけると、剣を持った1人の騎士が前に進み出ました。

 「エートスは我が王国騎士団の剣術の教官である。
  剣さばき、格闘術ともに、国内では指折りの実力者だ。
  手かげんなどせず、本気で挑んで来られよ!」

騎士エートスはクローテルに一礼すると、剣を構えました。
クローテルが剣を抜かず、素手で構えるので、エートスはおどろきます。

 「なぜ剣を抜かないのですか?
  こしに提げている物はかざりですか?」

 「この剣を抜けば、あなたは無事ではすまないでしょう」

馬鹿にされたと感じたエートスは、実力で剣を抜かせようと決めました。

 「ルクル王国騎士団剣術教官エートス。
  いざ、参る!」

16 :創る名無しに見る名無し:2017/04/29(土) 18:43:34.16 ID:y/30d06o.net
エートスは目にもとまらぬ速さで、クローテルに向かって剣をまっすぐ突きました。
しかし、クローテルは紙一重で横にかわすと、指先で刃を受け止め、小枝のように折ってしまいます。

 「手かげんしましたね」

エートスは武器を持たないクローテルを攻撃する事に、ためらいがありました。
それを見切ってクローテルが優しく笑うと、エートスは頭を下げます。

 「参りました……」

騎士団の剣術の教官が、あっさり降参した事に、どよめきが起こります。
マルコ王子も信じられないという顔をしていましたが、正気を取り戻して言いました。

 「とても人間わざとは思えぬ。
  あれは魔性の物ではないか……?
  ベルリンガー、レタート!!」

 「は、はい!
  聞け、神しょうの音を!」

マルコ王子に名前を呼ばれた1人の若者が、白銀にかがやくベルを振って、
カランカランと鳴らします。
その場にいた者は全員、神聖な気持ちになって、ひざを折りました。
これが神器ベル・オーメン。
レタートという若者は、神器の継承者です。
だれもが祈るような姿勢の中で、クローテルとレタートと、マルコ王子だけが立っていました。
レタートは青い顔をして、ベルを鳴らし続けながら、クローテルに向かって言います。

 「邪悪なる者よ、退け!
  じゃ、邪悪なる者よ、退け!
  邪悪なる者よっ、退けっ!!
  ベル・オーメンが通じない……?
  そんな……」

ところが、何度鳴らしても、クローテルだけには効果がありません。

17 :創る名無しに見る名無し:2017/04/29(土) 18:45:30.43 ID:y/30d06o.net
マルコ王子は険しい顔をしましたが、すぐに落ち着きを取り戻してレタートに命じます。

 「もう良い、止せレタート」

レタートはベルを持っていた手を下ろして、うつむきます。
マルコ王子はクローテルに向かってたずねました。

 「クローテル殿、その力はいかにして得たのか?」

 「私は生まれついて人より力が強いのです」

 「生まれつき?
  何かの加護ではなく?」

 「はい、ただ力が強いだけです」

何でもない事のように言うクローテルを、マルコ王子は信じられません。

 「ベル・オーメンの音にひるみもしない。
  本当に神に選ばれし英雄なのか……?
  神器マスタリー・フラグよ、あれが真の主なのか?」

聖なる旗は何も答えてはくれません。
マルコ王子はバルコニーから身を乗り出し、兵に問いかけました。

 「だれか他に、クローテル殿の相手をする者はおらぬか?
  我こそはと思う者は?」

しかし、応えはありません。
クローテルの力を目の当たりにして、だれも彼も恐れをなしていました。

18 :創る名無しに見る名無し:2017/04/29(土) 18:48:39.35 ID:y/30d06o.net
マルコ王子はバルコニーから飛び降り、クローテルに言います。

 「クローテル殿、改めてたずねる。
  あなたは何者なのか?」

 「私はアーク国の子爵にして聖騎士。
  それだけの者です」

 「いいや、それだけではない!
  あなたは王になるべき運命の人ではないのか?」

 「私には分かりません。
  そう言う人もいます。
  しかし、今の私には確信を持って、そうであると言い切れません」

真剣に答えるクローテルを、マルコ王子はふしぎに思いました。

 「あなた自身にも分からないと……?」

 「もし、そうなる運命なのであれば、そのように運命の導きがあるでしょう」

運命に身をゆだねると言うクローテルに、マルコ王子は少し考えて、こう切り出します。

 「私は十騎士を受け継ぐにふさわしい、聖なる継承者を集めている。
  継承者たちよ、前へ」

マルコ王子が人だかりに呼びかけると、4人の若者が進み出ました。
その内の1人は先のレタートです。

 「神しょうベル・オーメンの継承者、ベルリンガーのレタート。
  そして十騎士の軍師ドクトル、御者バディス、従者フィデリート。
  真の王が現れる、その日まで、私が預かっている者たちだ。
  そして、もう1人……神笛オー・トレマーの持ち主も知っている。
  あなたを彼と会わせたい。
  果たしてオー・トレマーが、あなたを選ぶのか」

 「私は構いません」

 「では、翌日に迎えの者をよこす」

クローテルはマルコ王子の案内で、神笛オー・トレマーの持ち主と会う事になりました。

19 :創る名無しに見る名無し:2017/04/30(日) 19:04:29.08 ID:im+lAfYh.net
そして翌日の朝、マルコ王子は大勢の従者を連れて、クローテルたちが泊まっている宿に来ました。
あまりの大所帯にクローテルはおどろきます。

 「こんなに大勢で向かわなければならないような場所なのですか?」

 「いや、このぐらい、ふつうではないのか?
  私は王子だぞ」

王子であるマルコは少しも気にしていません。
彼は多くの者を従えられる事こそが、偉大さの証だと思っているようです。
マルコ王子が連れている団体に、クローテルの従者も加わって、一行は大軍団のよう。
クローテルとマルコ王子と、それぞれの側仕えは、バディスが運転する馬車に乗って出発しました。
マルコ王子は今から会いに行くオー・トレマーの持ち主について、クローテルに語ります。

 「オー・トレマーの持ち主は、我が国内にいる。
  しかし、これがなかなか強情な男で、私に従おうとしないのだ。
  真の王にしか仕えるつもりは無いらしい」

 「同じ神器の継承者であれば、身分の上下は無いのではありませんか?」

クローテルの問いに、マルコ王子は笑って答えます。

 「それも道理だがな。
  片や王国を作った一族、片や人里はなれて暮らす小人。
  立場を考えれば、レタートのように我が聖旗家に従うのが正しい判断だと思うだろう?」

 「……継承者たちを集めて、あなたは神王になろうとしていたのですか?」

彼の言い分を聞いたクローテルは、再び問いかけました。

20 :創る名無しに見る名無し:2017/04/30(日) 19:06:13.04 ID:im+lAfYh.net
それに対してマルコ王子は、ごまかさずに答えます。

 「そうだ。
  歴代の神王と呼ばれた王たちの内、果たして何人が真の聖君だったのか?
  真の聖君ではなかったとしても、それにふさわしい人格や人徳を備えていただろうか?
  ただ力を持っただけの者が、神王を名乗ったとしても、だれもとがめはできないだろう。
  たとえ神のきせきが無くとも、権力と武力で民をまとめ上げ、世界を動かす事はできる。
  なしとげた偉大さをもって、それを人は神王だの聖君だのと言うに過ぎない。
  大きな権力を手にした者は、だれでも我こそ『神王』にならんと野心を持つ。
  アーク国王も例外ではない」

彼の話を聞いた側仕えたちは、そこまで言うのかとおどろいた顔をしていました。
クローテルは、さらにたずねます。

 「あなたは神や聖君の存在を信じていないのですか?」

マルコ王子は苦笑いしました。

 「信じていなかったわけではない。
  信じても信じなくても、どうしようもないと思っていただけだ。
  神器マスタリー・フラグが、どんな物か知っているか?」

聖君のために作られたという神器の伝説を知らない者は、この地方にはいません。
その場の者を代表して、クローテルが答えます。

 「それを敵地に立てれば、すなわち勝利の証となるという……」

マルコ王子は小さく笑いました。

 「馬鹿げた話だ。
  そうするためには、所有者が自ら敵陣に入らなくてはならない。
  それができるのは、戦に勝った後ではないか……」

 「王子!」

彼の口振りを側仕えの者がいさめます。
マルコ王子は肩をすくめて、外の景色をながめました。

21 :創る名無しに見る名無し:2017/04/30(日) 19:08:38.56 ID:im+lAfYh.net
その後にマルコ王子は、改めて語り出します。

 「祖父の代、ぐう然に発見された聖しょうベル・オーメンが王宮に納められてから、
  我が聖旗家は継承者たちを探した。
  そして、ベルリンガーと軍師、御者、従者の血筋が見つかった。
  我が聖旗家が次代の神王になる事は、定められた運命のようだった。
  さらにはオー・トレマーの持ち主の情報も得た。
  神王となるのは私か、それとも私の子か孫か……。
  そう遠くない内に、聖旗家から神王が生まれるだろうと、祖父や父はよろこんだよ。
  しかし、私には神を感じられる心が無かった。
  父も母も祖父も神を信じてはいたが、私には、それが正しい信仰だとは思えなかった。
  肯定こそできなかったが、否定も嫌悪もしなかった。
  世の中とは、そういう物で、名ばかりの神王になるのも悪くはないと思っていた」

マルコ王子は視線をクローテルに戻して、じっと見つめました。

 「つい二月(ふたつき)前の事だ。
  貴族のパーティーで、アーク国のヴィルト王子とオリン国のアレクス王子と会った。
  2人とも真の王について私に語った。
  真の王とは、いかなる者か、何をなしに現れ、何をもたらすのか……。
  あなたの事だ、クローテル殿」

クローテルは無言でマルコ王子と目を合わせ続けます。
お互いに目をそらそうとしません。

 「私は信じられなかった。
  ヴィルト王子もアレクス王子も、悪い者にだまされているか、夢にうかれていると思った。
  それとも、我が聖旗家の野心をはばもうとしている大人に何か吹きこまれたかと。
  2人とも王子だ。
  政治が分からない男ではない」

先に目をそらしたのは、マルコ王子でした。
ため息をついた彼は、再び外の景色をながめて言います。

 「今も、あなたを信じているわけではない。
  ただ……、オー・トレマーの持ち主が何と言うか知りたい。
  彼も神を感じるのか……」

やがて道はとだえ、小さな山のふもとで馬車は止まります。

22 :創る名無しに見る名無し:2017/05/01(月) 20:08:30.93 ID:rGKVsDGz.net
まるで城を攻め落とすかのように、マルコ王子は大勢の従者を連れて、クローテルたちとともに、
山の中の小屋を取り囲みました。
小屋の前では家主らしき、ひげを生やした男がまきを割っています。
彼はマルコ王子を見て言いました。

 「また、あなたですか……。
  何度頼まれても、オー・トレマーは預けられません。
  王家に仕える事もできません」

 「早合点するな。
  お前に見てもらいたい男がいるのだ。
  クローテル殿!」

マルコ王子はクローテルを呼んで、ひげの男の前に立たせました。
ひげの男は気にせず、まき割りを続けます。
マルコ王子は言いました。

 「お前とて、うわさぐらいは聞いていよう。
  彼はアーク国の英雄クローテルだ。
  お前の目には、どう映る?」

ひげの男は冷たい目をクローテルに向けると、まき割り用の手おのを差し出します。

 「まきを割ってみてください」

男の考えは分かりませんが、クローテルは言われたとおりに、まきを割りました。

23 :創る名無しに見る名無し:2017/05/01(月) 20:09:24.78 ID:rGKVsDGz.net
クローテルが軽く振り下ろした手おのは、まきを真っ二つに割ります。
それは、まきの方から縦にさけたように、きれいに割れていました。
ひげの男は目を見はって、クローテルにたずねます。

 「まき割りをした事が?」

 「騎士の見習いの時に。
  何年も前の事です。
  もっと割りましょうか?」

 「いいえ、その必要はありません」

ひげの男はクローテルから手おのを返してもらうと、小屋の中に下がりました。
しばらくして、彼は風笛を抱えた男の子を連れて出て来ます。

 「私の子、ルーデンスです。
  今からオー・トレマーを吹かせます。
  良心に自信の無い者は、下がって耳をふさいでください」

マルコ王子の従者たちの内、何割かは遠ざかって耳をふさぎました。
ルーデンスはオー・トレマーを一吹きします。
パーーッと高い音が数極間、辺りにひびきわたりました。
従者たちの半分は気を失って倒れます。
マルコ王子は立ちつくしたままで、神聖な気持ちになっていました。
ひげの男はクローテルにたずねます。

 「いかがでしたか?」

24 :創る名無しに見る名無し:2017/05/01(月) 20:12:10.92 ID:rGKVsDGz.net
 「良い音色ですね」

何でもない事のように言ったクローテルを見て、ひげの男はひざをついて、かしこまりました。

 「長らく、お待ちしておりました。
  私どもは神笛を守り継ぐ血統の者です。
  お名前をおうかがいしても、よろしいでしょうか?」

 「かしこまる必要はありません。
  私はアルス子爵のクローテルです」

 「クローテル様、試すようなまねをして、すみませんでした。
  あなたこそ、本来我われが仕えるべき主。
  しかし、私は老いており、あなたに仕えても十分な働きをする事はできません。
  代わりに息子のルーデンスをお連れください。
  そのために今日まで育ててまいりました」

 「この子をやとえと言うのですか?」

ひげの男の申し出に、クローテルはあわてます。

 「ルーデンスには楽士としての教育をほどこしてあります。
  音楽は人の心のなぐさめとなるでしょう。
  あまり者はやとえないと仰るのであれば、どこへなりとかせぎに行かせてください。
  おのれの口はおのれでやしなわせます。
  お手をわずらわせる事はありません」

 「そこまで困きゅうしているわけではありません。
  親元をはなれて良いのかと聞いているのです」

少しクローテルが怒って言うと、ひげの男は再びかしこまります。

 「大変失礼しました。
  私はあなたに邪心無き事を承知しております。
  何も心配はしておりません」

25 :創る名無しに見る名無し:2017/05/01(月) 20:13:10.86 ID:rGKVsDGz.net
クローテルは困った顔で、マルコ王子にたずねました。

 「この子を国外に連れ出しても良いでしょうか?」

マルコ王子は不機嫌に答えます。

 「好きにすれば良い」

 「ありがとうございます」

クローテルに礼を言われたマルコ王子は、不要だと言うようにそっぽを向きました。
一行はオー・トレマーを抱えたルーデンスを連れて、宿へと帰ります。
別れ際にマルコ王子はクローテルに言いました。

 「私には、あなたが神王になるべき人物か、まだ分からない。
  常人ではない事は、確かなようだが……。
  次の怪物退治には、私を同行させてくれまいか?」

 「危険です」

クローテルが断っても、マルコ王子は気にしません。

 「嫌と言っても、勝手について行く。
  また会おう、アーク国の英雄クローテル殿」

困った事になったなと、クローテルも従者たちも思っていました。
それから数日の間、ルクル国で観光を続けたクローテルたちは、ルーデンスを連れて、
アーク国の領地に帰ります。

26 :創る名無しに見る名無し:2017/05/01(月) 20:13:31.29 ID:rGKVsDGz.net
それから、ルーデンスはアルス子爵家づきの楽士となりました。
オー・トレマー以外にも笛なら何でも吹きこなし、その音楽は領地の人びとや、
客人の心をいやしました。
人前で軽がるしくオー・トレマーを吹く事はありませんでしたが、夕方になると、
お屋敷から美しい笛の音が聞こえたと言います。

27 :創る名無しに見る名無し:2017/05/02(火) 20:00:26.93 ID:WNKFRbbg.net
解説


「聖なる継承者達」編は、これまでの怪物退治とは違い、政治的な色が特に濃く表れている。
これまでに登場した国は、何れもアーク国の属国であるか、アーク国よりも小さい国だった。
しかし、ルクル王国は違う。
原典となった史料では、「聖ルクルバッカ王国」となっており、これは神聖アークレスタルト法国を、
意識した国名だ。
ルクルバッカの国名の由来は光と果物、即ち、楽園、豊饒とされている。
ルクル国では神旗マスタリー・フラグを継承する、聖旗家が代々王位に就いている。
作中で登場したマルコ王子の史料での正式な名前は、マルコデロス・セクレテインシグニスであり、
ルクルバッカ国王である聖旗家の当主は、オーダセンクタム・ルクルバッカと呼ばれる。
マルコデロスはマルコ・デ・ヘロスの略であり、英雄の印の意。
聖槍家と同じ「聖君の代理」を意味する「オーダセンクタム」には、法国への強い対抗心が窺える。
作中にもある通り、教会の権威以外のあらゆる面でアーク国を上回る。
それでも神槍コー・シアーや、神盾セーヴァス・ロコを持つ、アーク国やオリン国を従える事は、
出来なかった様だ。
単純な兵力では上回りながら、やはり神器の存在が恐ろしかった様である。
史料によればルクル国の元となった聖ルクルバッカ王国は、宗教的な権威こそ、
アークレスタルト法国に譲っているが、国際的な地位ではアーク国を凌駕している。
先ず、教会の関わらない国際的な取り決めをする時は、ルクルバッカ王国に集まる。
多くの国から貴族が集まるパーティーも、ルクルバッカ王国で開かれる。
丁度、第一魔法都市グラマーと第四魔法都市ティナーの関係に似ているだろう。

28 :創る名無しに見る名無し:2017/05/02(火) 20:03:30.09 ID:WNKFRbbg.net
マルコ王子は「神王」になろうとしていたが、彼自身は神を感じられないと告白している。
これを彼に信仰心が無いと解釈する学者は殆ど居ない。
神を信じる事と、神を感じられる事は、無関係なのだ。
確かに、神の存在を実感出来れば、それは神を信じる大きな根拠にはなるだろう。
しかし、人が神を感じるか感じないかは、神の実在とは関係が無い。
我々が存在を認知出来なくとも、大気中には種々の元素があるのと同じである。
逆に、神の実在を感じられても、それは神の性質まで保証する物ではない。
マルコ王子の両親や祖父は、神を信じていたとされるが、それを王子自身は「正しい信仰」だとは、
思っていないと語る。
聖旗家が信じる神とは、聖旗家から新しい神王が生まれるべきだと言っていると、信じている為だ。
これをマルコ王子は、物事を都合好く解釈しているに過ぎないと唾棄する。
口振りは丸で無神論者だが、その実は誰よりも信仰に対して真摯な、真面目な男であると、
原典の著者は評価している。
個々の出来事を神意と受け取るか否かは、人によるだろう。
例えば、偶然に大金を得たとして、それは神意と言えるだろうか?
聖旗家はベル・オーメンを入手した事から、これは「神器を集めて神王になれ」と言う神託に、
違い無いと理解した。
その通り、神器の後継者も発見出来た。
聖旗家は正に熱狂の中にあったと言える。
マルコ王子が他の王子と比べても冷静だった理由は不明だ。
或いは、何かに付けて「神」を持ち出す家族に、反発していたのかも知れない。

29 :創る名無しに見る名無し:2017/05/02(火) 20:03:51.84 ID:WNKFRbbg.net
マルコ王子の言い分は痛烈だ。
「歴代の神王と呼ばれた王達の内、果たして何人が真の聖君だったのか?」
「唯力を持っただけの者が、神王を名乗ったとしても、誰も咎めは出来ないだろう」
「成し遂げた偉大さを以って、それを人は神王だの聖君だのと言うに過ぎない」
これは事実であろう。
所謂「真の信仰心」を持った善良な人間であっても、歴史に残る偉業が無ければ、
聖人と称えられる事は無いのだ。
偉大であった、その事実こそが、野心の証明である。
そう言う意味では、神王に真の聖君は存在しない。
クローテルは今の所は、周囲の態度に反して、「自分こそが王になるべき」とは考えていない。
先の話になるが、「王位禅譲」編でも、周りに推されて王になると決意するのであり、
善政を布こうと言う気持ちはあっても、何かを成し遂げたいとは思っていない。
彼の心境に変化が表れるのは、第3章になってからである。

30 :創る名無しに見る名無し:2017/05/03(水) 19:31:13.07 ID:9OafvC1t.net
冒頭、アーク国王はクローテルに休暇を与えたが、その意図は作中にある通り。
但、策謀を張り巡らしていた訳ではなく、ルクル国でマルコ王子に目を付けられたのは偶然である。
マルコ王子がクローテルの入国を知ったのは、関所の兵士からの連絡だ。
勿論、アーク国王の心の中には、既に有名人となったクローテルが外国に行く事で、
問題が起こるだろうと期待していた部分もあったのだろうが……。
彼がクローテルの入国を事前に何者かに知らせていたと言う記述は無い。
関所の兵士に感付かれた理由は、単にクローテルの身形や素振りが平民とは異なっていた為。
それなりに金持ちの商人や、市長、町長、村長と言った立場のある人物も、貴族程ではないが、
礼儀作法を重視し、整った身形をするが、貴族の振りをする事は、騙りと見做され重罪である。
最も確実である「証明書」以外の貴族の判別方法として、以下の3点が挙げられる。
1つは、従者を連れている事。
1つは、服装。
1つは、話す言葉。
他にも、家の造りや馬の鞍等があるが、「人」の見分け方ではないので省く。

31 :創る名無しに見る名無し:2017/05/03(水) 19:31:58.81 ID:9OafvC1t.net
1つ目、「従者を連れている事」は、貴族ならば必須である。
貴族は下々の者と軽々に言葉を交わさないし、触れ合う事もしない。
使用人を介して、遣り取りするのが普通だ。
これまでクローテルは度々一人旅をして来たが、今回の様に危険の少ない単なる旅行であれば、
他の貴族と同様に従者を伴う事もあった様だ。
それも当人にとっては身の回りの世話をさせる為ではなく、使用人の慰安を考えていた節があり、
原典では出発前に希望者を募ったクローテルに対し、使用人達が我こそと争う場面があった。
平民は気軽に他国や都市部に出掛けられないので、主人の外出に付き添う事は、
只で出掛ける良い機会だった。
2つ目、貴族には貴族の「服装」がある。
帯剣を許されるのは、騎士以上のみ。
服に金銀を鏤めた派手な装飾を配うのも、貴族独特である。
特殊な舞台衣装を除いて、平民は貴族以上に目立つ服装は慎まなければならない。
帽子の高さにも身分が関係し、平民が高い帽子を被る事は許されなかった。
体の大きい平民は、貴族の前では屈まなくてはならない。
これは何も平民と貴族の間に限った事ではなく、貴族間の上下でも同様の事が言える。
3つ目、「話す言葉」も貴族は独特だ。
卑俗な言葉は使わず、格式張った厳格な物言いを好しとする。
言語自体も一般のエレム語やハイエル語とは異なり、「貴族語」とでも言うべき物を使う。
一応「貴族語」もエレム語の一種と言う事になっているが、より古い時代の物に近い。
貴族語が堅苦しく聞こえるのは、言い回しも含めて、言語として洗練される以前の物の為である。
平民が使う略語や短縮発音、連音を、敢えて元の形の儘で言う。
これは生まれ付いてから教育されているので、貴族が一般人の振りをする事は難しいとされる。

32 :創る名無しに見る名無し:2017/05/03(水) 19:35:05.95 ID:9OafvC1t.net
原典ではクローテルは特異な外貌をしているので、それを隠す為に帽子を被っていたとある。
それが貴族用の帽子だったと見られている。
他、言葉遣いも基本的に丁寧であり、関所を守る兵士から見れば違和感が強かったのだろう。
「怪しい人」とまで言われてしまっている。
「お忍び」であるかと兵士に問われて、クローテルは肯定しているが、隠そうとしている描写は無い。
この頃ではクローテルも己の影響力を理解しているので、事前に自分が向かうと通告する事で、
騒ぎになるのを避けたかったのだろう。
或いは、そうした貴族の慣習を知らなかった可能性もあるが、子爵家には彼の父の代からの、
古い使用人も居るので、揃いも揃って無知だったとは考え難い。
貴族が国境を越える際の事前通告は、義務では無く、飽くまで「慣習」である。
突然の来訪では、対応する側が大変なので、持て成しを期待するなら話を通して欲しいと言う、
それだけの物に過ぎない。
持て成しや特別扱いを期待せず、平民を同じでも文句を言わないのであれば、通告しなくても良い。
これは貴族側の言い分なので、対応する側としては、お座成りにする訳にも行かないのが、
実情なのだが……。

33 :創る名無しに見る名無し:2017/05/04(木) 20:09:03.79 ID:u3MB1j33.net
関所に就いて。
各国の国境には関所があり、通過する際には関税を支払う。
国境の画定は一部では曖昧で、どこの国でもない中間地があったりする。
そう言う場所では、関所・中間地・関所と言う配置になっているが、出国と入国で、
2重に税を徴収されたりはしない。
現金の徴収は「入国」に対して掛けられる物であり、「出国」には許可が要ると言うのが普通だ。
勿論、荷物の検査は両方で受ける事になる。
中間地は領主の管轄外なので、野盗や獣に襲われても、衛士が助けてくれたりはしない。
それでも余りに被害が大きいと、国が軍(騎士)を派遣して、盗賊や獣退治に動く事があるが、
基本的に自分の身は自分で守らなくてはならないので、平民が領主の重税を嫌って、
中間地に定住する事は困難だ。
奴隷や罪人が逃亡して、隠れ住む事はあるが、これ等は元から身分が保障されていない。
関所の通行料30フラットは当時の平民の2箇月分の稼ぎに相当する。
これは個人に掛かる物であり、大人は30フラット、10才以下の子供は10フラット、
11才以上の少年少女は20フラットである。
未成年の通行には大人が同伴している必要がある。
他に、貴族の従者は20フラット、下級貴族は40フラットで、高位の貴族は無料。
高位の貴族は特権だが、従者に関しては団体割引の様な物である。
現金が無ければ、相応の金目の物を取られる。
通行料は国際的に定められており、勝手には変えられない。
しかし、通行料とは別に、荷物に対しても税金が掛けられ、こちらは国によって異なる。
主に商人が対象で、余程の貴重品でなければ、手持ちの荷物程度なら見過ごされるが、
多人数で少量ずつを持ち込もうとすると通行料が嵩む仕掛けだ。

34 :創る名無しに見る名無し:2017/05/04(木) 20:14:54.56 ID:u3MB1j33.net
「フラット」はエレム語・ハイエル語圏の国際通貨で、発行者は教会。
名称の由来は「平板」で、フラート、フラータとも言う。
その通り、2節×1節程度の小さな板状の通貨で、銀合金を主原料とする。
それぞれの国では、フラットとは別の通貨単位があり、フラットを基準に価値が変動した。
例えば、アークレスタルト法国では「A(アークノート)」、オリニフス公国では「O(オリンノート)」、
ルクルバッカ王国では「L(ルクラミーナ)」が通用していた。
何れも紙幣で、戦時や飢饉時、疫病の流行時には価値が暴落した事もあった様だが、
具体的な対フラットレートは不明。
30フラットは平民にとっては大きな出費である。
2箇月分の稼ぎとは言うが、中には半年働いても30フラットも貰えない人も居た。
田舎の平民は余りフラットを持たず、農産物や鉱産物、商品を取っておき、それを税金の代わりに、
領主に納めたり、物々交換の元手にしたりする。
不況時には国によってフラットを徴収され、代わりに価値の不安定な紙幣を配られる事がある為だ。
よって、外国に旅行出来るのは、貴族、金持ち、名士、それに都市部の人間に限られていた。
国際通貨には「ヴェタ・フラット」もあり、こちらは少し前の時代のフラットである。
訳すなら「旧フラット」と言った所。
銅合金が主原料で大量生産されたが、過去に破綻して新フラットに切り替わった。
ヴェタ・フラットの価値は、フラットの約20分の1。
教会に価値を保証されていないが、紙幣に対する不安を持っている人々の間で流通し続けた。

35 :創る名無しに見る名無し:2017/05/04(木) 20:19:37.67 ID:u3MB1j33.net
マルコ王子が用意した3人の勇士は、全員の名は明らかでない。
騎士エートスは原典でもエートスで、これは名であると明らかになっている。
姓(名字)は不明。
作中では剣術の教官だが、正確には「剣術規範騎士」と言う。
国軍である「騎士」を訓練する役割の人物が、この「規範騎士」だ。
一線を退いた小隊長以上の騎士がなる物で、基本的に戦には赴かない。
階級は退役前の役職に準じる。
騎士見習いの育成を担う者とは又、扱いが異なる様だ。
原典でも簡単にクローテル(クロトクウォース)に敗れているので、実力の程は定かでない。
明らかに人外のクローテルと比較する事に無理があるので、これは仕方が無い。
素直に、マルコ王子の言葉通りの実力があると思って、良いと思われる。
マルコ王子がエートスの剣を折ったクローテルを、魔性の物と疑ったのは当時では自然な事だ。
その超人的な力を見せ付ける度に、クローテルは魔性の物との関連を疑われる。
エートスとの戦いでクローテルが腰に提げていた剣は、輝く剣ではなく、マルコ王子に用意された、
普通の剣である。
旅行と言う事で、この話のクローテルは剣を帯びていない。

36 :創る名無しに見る名無し:2017/05/05(金) 19:45:29.59 ID:Uv1FASvC.net
聖なる継承者達の、それぞれの原典での名前は以下の通り。
『鳴鐘人<ベルリンガー>』のレタートは「レタート・カンパノーラ・セクレテティンニト」。
「レタート」が名、「カンパノーラ」が姓、「セクレテティンニト」は姓ではなく、後付けの称号の様な物。
「レタート・カンパノーラ」と言う人物が、神鐘の後継者である「セクレテティンニト」と認められた。
これには神鐘を継承する本家が断絶し、その後継者を聖旗家が探す様に命じて、
裔であるカンパノーラ家が見付かったと言う事情がある。
マルコ王子やヴィルト王子、アレクス王子とは異なり、「セクレト」以外の姓を持つのは、
その為である。
本家の人間ではない為か、言動や行動は控え目で、自信の無さが窺える。
マルコ王子より年下だが、クローテルよりは年上。
クローテルは成長が早いので、作中では外見よりも年上に思われる事が多いが、
大抵の登場人物よりは若い。
3章になっても成人していない。
ベル・オーメンの効果は不明だが、描写から退魔の力があると思われる。
伝承では「鳴らせば聖なる物が降臨する」と言われているが、この話では特に何も起こっていない。
クローテル自身が、その「聖なる物」であると言う事なのかも知れないが……。
ベル・オーメンにも怯まなかったクローテルを見て、マルコ王子はバルコニーから飛び降りたが、
これは普通なら大怪我をする。
本当に飛び降りたのか、急いで降りた事の比喩なのか不明。

37 :創る名無しに見る名無し:2017/05/05(金) 19:51:50.08 ID:Uv1FASvC.net
軍師のドクトルは「ドクトラティオ・ミリティアストラ」。
御者のバディスは「クルロバディス・オーラジタトール」。
従者のフィデリートは「フィデリート・レガロミニストラ」。
彼等は十騎士の直系の子孫で、聖君亡き後、聖旗家と長らく主従の関係を続けて来た。
継承者達はレタート共々、全員若い男である。
英雄と言えば、基本的に男なのが、この時代だ。
最年長はドクトル、次いでバディスとなっており、2人は20代後半。
十騎士で最も若いのは10代前半とされている、バグパイパーのルーデンスである。
クローテルが親元を離れる事を心配したのも当然。
彼のフルネームは「ルーデンス・フィストゥラトール・セクレテシンフォニア」。
ベルリンガーのレタートと同じく、彼も直系の子孫ではない。
神笛オー・トレマーを守り継ぐ血統ではあるが、聖笛家は滅亡している。
ルーデンスの父親の名は、「カントール・フィストゥラトール」。
クローテルに薪を割らせただけで、彼を神王になるべき人物と見抜いたが、理由は不明。
原典でも特に触れられていない。

38 :創る名無しに見る名無し:2017/05/05(金) 19:56:10.43 ID:Uv1FASvC.net
オー・トレマーは「畏敬の震え」の名の通り、邪悪な物や邪心を持つ者を震え上がらせると、
言われている。
ルーデンスはオー・トレマーを吹く際に警告し、マルコ王子の従者を気絶させた。
これは原典では、心が弱かった為とされている(信仰心が弱いと言う意味か?)。
ベル・オーメンとは違い、人間を跪かせるだけではない。
性能的には完全に上位互換と思われるが、実際の所は不明。
マルコ王子が持つ神器マスタリー・フラグは、敵地に立てれば勝利が確定すると言う代物。
敵地とは所謂「敵拠点」を意味すると考えられ、どこにでも立てれば良い物ではないと思われる。
本当に「敵地」であれば、どこでも良いなら、余りに便利過ぎる。
この編ではマスタリー・フラグは全く使われていないので、効果や性能を論じる事は出来ない。
後の編の描写からすると、特殊な結界を張る物と予想される。
作中では、神器の効果を知らない者は、「この地方」には居ないとある。
原典では、「この地方」は「エヴロジア・メディア」とされ、旧暦の西方全体を表している。
ファイセアルスと同様の、「我々の地」を意味する言葉で、「エヴロージャ」、「エーロージ」、
「エフロジ」、「エヴロギア」等とも表される。
古代エレム語で「祝福された地」、「良い地」、「(天上と地下の)間の地」等の意味があるとされる。
詰まり、エレム語とハイエル語を使う地方で、神器の伝説を知らない者は居ないと言う事だ。
ヴィルト王子やアレクス王子と同じく、ここでも神器は王ではなく、王子の手にある。
これが意味する所は、よく分かっていない。
神器の継承と王位の継承は同時に行われる物ではなく、王位より先に神器が継承される様だ。
勿論、これには王の許可が必要だろうが、実際に王が神器を持つ場面は無い。
王子が神器を持つのは、後継者問題を起こさない為か?
王になった時点で、神器の使用権は失われ、所有権だけ保持している可能性もある。

39 :創る名無しに見る名無し:2017/05/06(土) 19:10:15.22 ID:3mDvweDW.net
クローテルがルーデンスを連れて行く際に、マルコ王子に許可を求めたのは、
ルーデンスが一応はルクル国民だからである。
ここでマルコ王子が許可しなければ、ルーデンスは出国出来ない。
この時代は領民は領主の「所有物」と言う意識が強く、平民であれ、奴隷であれ、
勝手に人間を国外に連れ出す事は重罪なのだ。
それが神笛の継承者で、オー・トレマーも持っているとなれば、尚更。
時代が時代なら、戦火の種になっていたかも知れない。
聖笛家の裔が権力者や人目を避けて隠れ住んでいたのは、そうした事情があるのだろう。
「髭の男」カントールはマルコ王子の命令を拒否出来た。
これも神器がある為と思われる。
作中でクローテルが言った様に、神器の継承者に上下は無い。
聖槍家や聖旗家が大きな国家を築いているのは、それだけ世渡りが巧く、
良い統治をしたからに過ぎない。
飽くまで「聖君の代理」であり、王になるべしと神託を受けた訳ではないので、統治に不満があれば、
地方領主や民は反発する。
権威の為に神器を振るう事は許されない。
鳴鐘人、軍師、御者、従者は、それぞれ聖君の代理としての王に仕えたのであり、
聖旗家に仕えたのではない。
少なくとも名目上は、聖旗家に忠誠を誓ったのではない。
民は王に不満があれば、王に従わない自由もある。
但し、旧暦の法制度では、王は王命に従わない国民を追放する事も出来る。
フィストゥラトール一家が追放されなかったのは、正にオー・トレマーがある為だ。

40 :創る名無しに見る名無し:2017/05/06(土) 19:11:35.99 ID:3mDvweDW.net
オー・トレマーの性能が史料の通りなら、それだけを没収する事も難しかったと思われる。
聖旗家のフィストゥラトール一家に対する態度は、そう傲慢でもない。
事実として聖旗家は「王」なのだから、人里離れて隠棲しているだけの平民に命令する権限はある。
フィストゥラトール家にしても、他の十騎士の後継者と同じく、家臣として厚遇が約束されているので、
受ける判断もあっただろう。
しかし、現実にはカントールは断っている。
何故、受け入れなかったのか、原典でも特に理由は語られていない。
恐らく、真の王以外に仕える積もりは無いと言う事だろう。
聖旗家や聖盾家が、聖槍家に従わないのと同じ理屈である。
この様に十騎士、特に神器の継承者は、権力は無くとも、意志を貫く自由がある。
何の庇護も無い平民では、中々こうは行かない。
それも神器と、その後継者と言う身分があってこそなので、王にとって神器の継承者は、
慎重に扱わなければならない困り者だ。

41 :創る名無しに見る名無し:2017/05/06(土) 19:12:20.97 ID:3mDvweDW.net
今回、クローテルは神笛の継承者を雇ったが、全体としては「聖なる継承者達」編は、
マルコ王子の登場に重きが置かれている。
これは原典でも同じだ。
アーク国王以外の正統ではない「代理の聖君」、神王にならんとする王の存在は、
「信仰」と言う裏のテーマには欠かせない物だ。
野心に逸る権力者は、信仰心の欠如によって誕生したのではなく、寧ろ厚い信仰の結果である。
神意は我にありと信じる人々。
この編は「正しい信仰とは何か?」を旧暦の人々に問う物でもある。
歴史に仮定の話は無意味だが、もしクローテルが誕生していなければ、聖旗家が十騎士を集め、
新たな時代の覇者になっていた可能性もある。
どちらにしても、共通魔法使いの誕生は避け得ず、魔法大戦は起こる運命にあるのだが……。
次の編では、クローテルは「魔法」を使う邪悪な公爵を打ち倒しに向かう。

42 :創る名無しに見る名無し:2017/05/07(日) 18:02:14.70 ID:VNp4UYcq.net
何故の


ブリウォール街道にて


魔城事件の後、旅商の男ワーロック・アイスロンはブリウォール街道を通って、
ボルガ地方から離れようとしていた。
大事件に関わった後は、魔導師会に捕捉されない様に、遠くへ移動しようとする心理が働くのだ。
浅謀(あさはか)だと解っていても、心が落ち着かない。
その道中で、彼は見知らぬ女に呼び止められた。

 「ワーロック・アイスロンさんですね?」

 「えっ」

ワーロックは答を躊躇い、硬直する。
この女は何者なのか、何故自分の名前を知っているのか?

 「『反逆同盟<レバルズ・クラン>』……?」

反逆同盟の一員で、自分を追って来たのかと、彼は予想した。
しかし、女は小さく笑って否定する。

 「違います、魔導師会の者です」

彼女は安心させる為に言ったのだが、ワーロックは警戒を強めた。
魔導師なのに、それと判別出来る服装をしていないと言う事は、特殊な任務を帯びた者だ。

 「何の用ですか?」

 「見ていましたよ」

 「何を?」

「見ていた」とは魔城事件の一部始終である。
推測は容易であろうと、女魔導師はワーロックの問いに一々答えない。

43 :創る名無しに見る名無し:2017/05/07(日) 18:08:00.93 ID:VNp4UYcq.net
その代わりに溜め息を吐いて、ワーロックに問い掛ける。

 「どうして、そこまで我々を避けるのですか?
  貴方は英雄的な行いをしました。
  何も恥じる事は無いでしょう」

 「何の事だか……」

漸くワーロックは女魔導師の言葉の意味を察したが、惚け続けた。
女魔導師は一言で逃げ道を塞ぐ。

 「魔城に潜入して、村民を助けた」

ワーロックは心臓が跳ね上がる思いだったが、考えを巡らせた末、勢いに任せて行き成り切れる。

 「……確かに、魔城には入りましたけど、人を助けたって言うのは大袈裟です。
  貴女は何も見てないのに、何を言ってるんですか!」

魔城に潜入した時、ワーロックの近くに魔導師らしき人物は居なかった。
遠くで様子を窺っていたとしても、魔城の中にまでは忍び込めない。
何をしたか分かる訳が無いと、ワーロックは突っ撥ねる。
しかし、女魔導師に嘘は通じない。
共通魔法には嘘を見破る魔法が多くある。
それを使われては、ワーロックの小賢しい誤魔化しも無意味だ。

 「誤解なさらないで下さい。
  言い争いをしに来たのではありません。
  唯、感謝の言葉を申し上げたかったのです」

急に態度を軟化させた彼女に、ワーロックは畏まる。

 「そ、そうですか……。
  でも、私は感謝される様な事はしていませんので。
  悪しからずと言うか、残念と言うか」

彼が余りに頑固なので、女魔導師は呆れた様に笑った。

 「その様に貴方が望まれるなら、そう言う事にしておきましょう」

44 :創る名無しに見る名無し:2017/05/07(日) 18:09:43.72 ID:VNp4UYcq.net
それだけ言うと、女魔導師は一礼をして去って行く。
ワーロックは彼女を見送り、周囲を窺った。
今まで彼は自由に動いていたが、それは全て魔導師会に筒抜けだった事になる。
熟練の魔導師であれば、全く気配を感じさせずに追跡するのも容易だろう。
本当に唯、礼を言いに来たのではなく、「監視しているぞ」と警告も兼ねていたのだろうと、
ワーロックは感じた。
唯一大陸の魔法秩序を支配しているのは魔導師会であり、そこで生活している以上、
魔導師会の「目」を逃れる事は出来ないのだ。
悪事を企んでいる訳ではないが、ワーロックは息苦しさを覚え、これを嫌って多くの旧い魔法使いは、
共通魔法社会から距離を置いているのだと理解した。

 (今は細かい事を気にしても仕方無い。
  家族の為、私は私に出来る事をやらなくては……)

監視されている事を余り考えない様にして、ワーロックは再びブリンガー方面へ歩き始める。
その直後、今度は背後から声が掛かった。

 「待て、ラヴィゾール」

ワーロックは慌てて振り返り、身構える。
声の主は反逆同盟の一員、チカ・キララ・リリン。
ワーロックと同じ師を持った、彼の姉弟子である。

45 :創る名無しに見る名無し:2017/05/08(月) 21:10:41.86 ID:wUOX7S2F.net
2人は先の魔城事件で敵対したばかりだ。
ここで一騒動起こす積もりなのかと、ワーロックは兢々としていた。

 「今度は何の用だ!?」

今し方去っていた女魔導師は居ないのかと、彼はチカを正面に据えつつ周囲を窺う。
未だ近くに居るなら、チカの登場に気付いて、味方してくれるかも知れない。
1人よりは2人の方が心強い。
そう考えていたワーロックだが、彼の内心を読んだ様にチカは言う。

 「無駄だよ。
  誰も私達には気付かない」

チカは魔法で周囲との接触を遮断しているのだ。
大通りで騒ぎを起こしたくないワーロックは、素直にチカと向き合った。

 「未だ私に用があるのか?」

こうしてチカとワーロックが一対一で話すのは、初めての事ではない。
同じ師を持った者として、互いに部外者抜きで言葉を交わしたいと思う時もある。
敵意を露にするワーロックの問いに、チカは悲し気な目をして答える。

 「以前、お前は私に『悪事を見過ごす事は出来ない』と言ったな。
  それが共通魔法使いに味方する理由だと」

その萎らしさにワーロックは戸惑った。

 「……言ったかも知れません」

あの時は勢いで格好付けてしまったと、彼は疼痒(むずがゆ)い気持ちになる。

46 :創る名無しに見る名無し:2017/05/08(月) 21:14:43.39 ID:wUOX7S2F.net
チカはワーロックから目を逸らし、遠くを見ていた。

 「あれは確かに『悪』だった」

彼女は魔城事件で、子供を人質に取った悪魔の所業を言っている。
丸で反省しているかの様な口振りに、ワーロックは驚く。

 「反逆同盟とは手を切るんですか?」

期待を込めた問い掛けに、チカは答えなかった。
心は揺れているが、仲間を簡単に裏切れないと言う気持ちもあるのだ。
回答を避け、彼女は改めてワーロックに問う。

 「だが、どこにでも『悪』は居る。
  人は憎み合い、奪い合い、殺し合う。
  共通魔法社会を守る価値はあるか?
  落ち零れの元共通魔法使い」

どこでワーロックの過去を知ったのか、或いは魔法資質の低さから簡単に推察出来る事なのか、
チカは彼の心の闇を突いて来た。
しかし、既に一人の魔法使いとなったワーロックは動揺しない。

 「落ち零れた私には、共通魔法使いも旧い魔法使いも関係ありません。
  憎み合い、奪い合い、殺し合うのが人ならば、愛し合い、支え合い、助け合うのも人です。
  旧暦、復興期、そして開花期を越えて、人間同士で憎み合う時代は終わったんですよ」

 「外道魔法使い(私達)を置き去りにしてか……?」

チカの反応に、説得出来るかも知れないと、ワーロックは手応えを感じた。

47 :創る名無しに見る名無し:2017/05/08(月) 21:17:12.15 ID:wUOX7S2F.net
それが幻でない事を願いつつ、彼は問答を続ける。

 「過去を忘れる事は出来なくても……。
  新しい未来に目を向ける事は出来ないんですか?
  暗黒だけを見ていては、明日は来ないでしょう。
  誰より、貴女に……」

 「綺麗事を!
  人は愛し合うが故に、憎み合うと言うのに!
  共通魔法使いが『外道魔法使い』を生み出した様に、卑小な人間は小さな利害の対立を、
  大きな枠に嵌め込んで同属を求め、自らの慰みに『敵』を討つ。
  人は又、繰り返す。
  必ず、絶対に」

チカの憎しみは、共通魔法使いを越えて、人間その物に向けられている様だった。
ワーロックは言い返す。

 「大きな力で支配すれば、それが無くなると言うんですか?」

 「最早そんな事は考えていない……。
  だが、お前の言う様に明日に希望を持てもしない。
  私は長く生き、その分、多くの物を見て来た」

チカの言葉は急に弱々しくなった。
先から彼女の態度は強気に弱気に転々(ころころ)と変わる。
魔城事件での悪魔の所業が、閉ざした良心を蘇らせてしまったのだ。
復讐を正当化出来なくなり、彼女は苦しんでいた。

48 :創る名無しに見る名無し:2017/05/09(火) 19:39:57.19 ID:5KSp7f9+.net
ワーロックは一度俯き、どうにかチカに前を向かせられないかと考え、再び彼女を見詰める。

 「貴女の言っている事は、恐らく正しいのでしょう。
  私達は過ちを繰り返す。
  何度でも。
  それでも私は明日を信じたいのです」

 「何故だ?」

 「……そうしないと、どうにもならないじゃないですか……。
  絶望しながら未来を紡ぐ事は出来ません。
  身の回りの小さな喜びを、生きる希望の糧にして、皆生きているんです」

 「所詮は命短い物の戯言。
  だからこそ、繰り返す。
  仮初めの幻想を抱いて生きる事こそ、欺瞞だろう」

 「いいえ、そうは思いません。
  私達は希望の未来を手に出来る様に、生きて行ける筈です」

ワーロックは常に、そんな難しい事を想いながら生きている訳ではない。
彼の「希望」は即席で拵えた、お為倒しの言葉に過ぎない。
だが、全くの嘘でもない。
果たして、チカの心に響くか否か……。
チカはワーロックを睨み、暫く沈黙していたが、やがて重々しく口を開いた。

 「信じられない」

やはりかとワーロックは気を落として目を伏せる。
実感が伴わない理想を唱えても、虚しいだけなのだ。
真に迫る説得力を、今のワーロックは生み出せない。

49 :創る名無しに見る名無し:2017/05/09(火) 19:43:56.02 ID:5KSp7f9+.net
それなのに、チカは話を切り上げはしなかった。

 「信じたいとも思わないが……、もし私を説得したければ、お前の魔法を見せてみろ。
  お前に何が出来るのか」

 「もう使っています」

ワーロックの答に、チカは訝しみの色を顔に浮かべる。

 「魔力の流れは感じないぞ、出来損ない」

彼女はワーロックの魔法資質の低さを詰ったが、当のワーロックは苦笑いするだけ。
怒りも悲しみもしない。
余裕のある態度が、チカは気に入らなかった。

 「笑うな」

 「何故、貴女が怒るんですか……」

人を侮辱しておいて、その言い種(ぐさ)は剰りに酷いと、ワーロックは困惑する。

 「真面目にやれ」

冷たい視線と辛辣な言葉を浴びせられたワーロックは、言い訳を始める。

 「師匠は言っていました。
  魔力を使うばかりが魔法ではない。
  魔法使いとは、その一挙手一投足、全てが魔法であると」

そう言うと、ワーロックは徐にチカに向かって足を踏み出し、手を伸ばした。

50 :創る名無しに見る名無し:2017/05/09(火) 19:51:26.37 ID:5KSp7f9+.net
チカは驚いて後退り、身構える。

 「寄るなっ!」

 「何を怯える必要が?
  私は唯、手を伸ばしただけなのに」

ワーロックの言葉に、彼女は苛立ちを覚えた。
周囲の魔力の流れは変化していない。
この場で腕力に訴えようと、ワーロックにチカを害する事は出来ない。
冷静に考えれば、その通りだ。
無遠慮に接触を試みて来るなら、落ち着いて振り払えば良い。

 「誰が怯えていると!」

チカは強気に言い返したが、恐れを感じている事は、誰より彼女自身が解っている。
苛立ちの根源は、ワーロックから感じられる師と似た雰囲気。

 (あの方が認めた……?
  いや、こんな物は魔法ではない!
  単なる詐術だ!)

 「詰まり、私の魔法とは、こう言う物です。
  今も貴女は私を攻撃しない」

 「それは――!」

 「はい、有難い事だと思っています」

チカは歯軋りする。
ワーロックを師と似ていると感じるが、師とは違い尊崇の念を抱く気にはなれない。
悔しいのだ。
師に認められず飛び出した自分の後に、元共通魔法使い、それも無能の落ち零れが認められた、
その事実が……。

51 :創る名無しに見る名無し:2017/05/10(水) 19:08:15.16 ID:KwcUAsHc.net
敵意を向けられるワーロックの内心は、穏やかでない。
魔法資質の差は明らかであり、チカが少しでも気を変えたら攻撃される。
抵抗する術が無い訳ではないが、苦戦は必至。
無遠慮に手を伸ばす事は、猛獣と触れ合おうとするに等しい、度胸試しの様な行為だ。
恐れを隠して、不敵を装っているに過ぎない。
所が、チカの猜疑の眼差しは、ワーロックの虚勢よりも、魔法資質の方に向いている。
本当に唯の無能を、師が認める筈は無いと信じているのだ。
隠された何かがあるのではないか、自身がワーロックに感じている師に似た雰囲気も、
それに由来する物ではないか、そうした疑心が彼女の目を曇らせている。
ワーロックが共通魔法社会に敵意を持っていたり、評価されなかった事を恨みに思って、
距離を置いていたなら、チカは未だ幾らか彼に心を許せたかも知れない。
チカにとって残念な事に、ワーロックは共通魔法社会を憎悪していなかった。
魔法資質が低い者を侮る人は多いが、そこまで酷い差別が横行している訳ではない。
魔法資質が低い者に対する差別は、数百年の時間を掛けて、徐々に解消されつつある。
そうした時代の恩恵を、ワーロックは存分に受けている。
チカは恵まれたワーロックに嫉妬しているのだ。
彼の境遇はチカが羨むには十分だろう。
唯一、魔法資質が低い事を除けば。
チカとて長い年月を掛けて積もりに積もった怨嗟の念を忘れられるなら、幸福な人生だって、
あったかも知れない。
それが出来ないからこその嫉妬で、「羨ましい」と素直に認める事も出来ないのだが……。
チカは憎しみにも近い感情で、ワーロックを睨み続ける。
当のワーロックは参ったなと気弱な笑みを浮かべるのみ。
だが、チカの目には呆れ笑いに映って、益々気に入らない。

52 :創る名無しに見る名無し:2017/05/10(水) 19:10:49.12 ID:KwcUAsHc.net
ワーロックはチカに哀願した。

 「出来る事なら、復讐は止めて欲しいと思います。
  それでも……。
  どうしても許せないと言うなら、責めて反逆同盟に協力するのは止めて貰えませんか?」

 「戦力を分散させて、各個撃破しようと言うのか」

そんな積もりがワーロックに無い事は承知していながら、チカは態と嫌らしい言い方をする。
ワーロックは悲しい顔をして俯いた。
チカが反逆同盟との協力を止めれば、当然そうなってしまう。
意図の有無に拘らず。
ワーロック自身も認めざるを得ない事実。
では、何故ワーロックはチカに反逆同盟から離脱する様に訴えたのか?

 「志の違う者と共に居れば、有らぬ誤解を受けてしまうでしょう。
  貴女は復讐心を利用されているだけです」

チカは懸命に説得を続ける彼を嘲笑った。

 「尽く尽く、綺麗事が好きだな。
  手段を選んでいては、何時まで経っても復讐は成せない。
  それ程までに魔導師会は強大だ」

 「非道を憎んで、非道に走るのでは本末転倒です。
  貴女も又、誰かに恨まれ、憎まれながら生きる事になるんですよ」

 「構わない」

 「それは嘘です」

 「何をっ!」

行き成り断言されたので、チカは思わず高い声を上げる。

53 :創る名無しに見る名無し:2017/05/10(水) 19:15:41.73 ID:KwcUAsHc.net
理屈で説得するのは困難だと認めたワーロックは、感覚に訴えた。

 「普通の人は悪い事をすれば、心に澱が溜まって行くんです。
  後ろ目痛さや、恥ずかしさ、恐ろしさ、そうした複雑な感情が起こって、嫌な気分になるんです。
  それを誤魔化す為に、人は悪事の正当化を試みます。
  必要悪を気取ったり、大義を翳したり……。
  そうして自分を騙している内に、何も感じなくなって行く……」

 「それが嘗ての共通魔法使いだ」

 「そうなんでしょう……。
  でも、貴女は自分を誤魔化し切れなかった。
  だから、魔城の中で行われた悪事に加担しなかった」

 「自分の手を汚すまでも無いと思っただけの事だ」

 「内心、忸怩たる思いがあったんじゃないんですか?
  こんな事は良くないと解っていながら、止める事が出来なかった自分に」

 「利いた風な口を叩くな!」

魔城の中での出来事を思い出し、チカは激昂する。
悪魔達の人間狩り、子を盾に犠牲を強いる残虐。
それを止めに入ったのは、他ならぬワーロックだった。
あの時、確かにチカは安堵していた。
そこまで回想した瞬間、チカの頬を涙が伝う。
全く不意の事に、彼女は混乱した。

 「……は??
  なっ、何だ、これは……!?」

ワーロックの怪訝な視線に気付き、チカは益々慌てる。

 「何でも無いからな!
  哀れむ様な眼は止めろ!
  こ、これは……。
  とにかく、お前が思っている理由ではない!」

必死に涙を拭いながら、彼女は懸命に言い訳した。

 「何故っ、何なのだ!?
  魔法か!」

そんな訳は無い。
魔力の流れには何の変化も無いし、ワーロック自身も訳が解らず、心配そうな顔をしている。

54 :創る名無しに見る名無し:2017/05/11(木) 19:34:07.52 ID:RloxuQim.net
チカはワーロックが羨ましかったのだ。
師に認められ、誰も憎まずに生きて行ける事だけではない。
堂々と綺麗事を口にして、自分の信じた物の為に迷わず行動出来る姿も。
あの時のチカは、嘗ての共通魔法使いと同等か、それ以上に醜かった。
己が醜悪な物に成り下がったと言う自覚が、彼女の涙の正体。

 「くっ、どこまでも忌々しい奴!」

溢れる涙を止め切れない彼女は、堪らずマントを翻して姿を消した。
独り残されたワーロックは唖然としつつ、チカの涙の理由を考える。

 (彼女も思う所があったに違い無い。
  味方には出来なくても、敵対は避けたい。
  未だ説得の余地はある……と思いたいな)

以前と同じく、周囲の人々は2人が何を話していたのか気にも留めない。
唯々通り過ぎて行く。
それを寂しいと感じるワーロックだった。

55 :創る名無しに見る名無し:2017/05/11(木) 19:35:37.60 ID:RloxuQim.net
所在地不明 反逆同盟の拠点にて


魔城事件から後、チカは反逆同盟の拠点には居着かなくなった。
元から他者と交流が多い方ではなかったが、姿を見掛ける事さえ無い。
同盟の長であるマトラは、呪詛魔法使いのシュバトに尋ねる。

 「シュバトよ、チカの居所は判るか?」

 「判らない。
  彼女の憎悪の念は薄れている様だ。
  追跡が出来ない程に」

シュバトは淡々と答えた。
やれやれとマトラは溜め息を吐く。

 「どうでも構わぬのだがな。
  駒が1つ落ちたと見るべきか」

暈(ぼ)やく彼女にシュバトは告げた。

 「魔城に彼女を連れて行ったのは悪手だったな」

 「やはり、あれが原因か……。
  フェレトリやクリティアの悪乗りには困った物だな。
  『魔族<デモンカインド>』に人の心の機微を推し量る繊細さを要求するのは、土台無理な話だったか」

 「ジャヴァニの予知は聞かなかったのか?」

ジャヴァニが持つマスター・ノートで、チカの離心を予見出来なかったのかとシュバトは問う。
マトラは眉を顰めた。

 「警告は受けていたよ。
  チカを我が城の試運転に付き合わせねば、危ういと。
  だから、その通りにしたのだがな……」

56 :創る名無しに見る名無し:2017/05/11(木) 19:36:53.06 ID:RloxuQim.net
シュバトは彼にしては珍しく、意外そうな声を上げる。

 「謀られたのか?
  それとも読み違えたか?」

 「いや、そうでは無かろう。
  どう転んでも悪い結果にしかならない事はある。
  所詮は些事よ」

強大な魔法資質を持つマトラにとっては、チカの様な優れた魔法使いが敵に寝返ろうとも、
物の数ではないのだ。
チカの離心を些事と片付けた事に、シュバトは何も言わない。
彼は同盟を一時の宿と割り切っている。
主義や主張には無関心で、賛同を求めもしない。
同盟の将来や組織としての損得、仲間の都合を考える事もしない。
チカは違った。
それだけの事なのだ。
しかし、アダマスゼロットとチカ、2つの戦力の喪失は、「同盟」にとっては大きな痛手。
反逆同盟の間には、乾いた風が吹き始めていた。

57 :創る名無しに見る名無し:2017/05/12(金) 19:44:47.14 ID:WyvVILzi.net
二回生


第四魔法都市ティナー 中央区 ティナー中央魔法学校にて


魔法学校には上級、中級、初級の3つの課程があるが、それぞれに「学年」と言う概念は無い。
その代わり、何年その『級<クラス>』に在籍しているかを「何回生」と表現する。
最初は誰でも一回生、翌年になれば二回生だ。
1年で次の級に進めるなら、当然二回生にはならない。
進級に年度を掛ける度に、三回生、四回生、五回生と数字が増えて行く。
数字が上の回生は先輩の様な物だが、流石に四回生、五回生になると、他の新しい回生と、
一緒に学習するのは難しくなる。
それは精神的な問題だ。
優秀な者は二、三年で進級するのに、何時までも同じ級に留まり続けているのは、
無能の証の様な物。
そんな事を気にしている暇があったら、恥も外聞も撥(かなぐ)り捨てて勉学に努めよと、
魔法学校の教師は言うだろう。
しかし、体面を気にせずにはいられないのが人間と言う物。
中級課程であれば長くても5年が精々で、それ以上は在籍出来ないと自主退学する者が殆ど。
そもそも5年も進級出来ず中級課程に留まる者が、そうそう居ないのだが……。
一回生と二回生が接触する機会は、そう多くは無い。
二回生以上は一回生の時に合格出来なかった試験を受け直すのみが殆どで、余り授業に出ない。
理解が不十分だった授業を改めて受ける位。
よって、最も一回生が「先輩」と接触する機会が多いのは、部活動になる。
人によっては、補習の時間と言う事もあろう。

58 :創る名無しに見る名無し:2017/05/12(金) 19:49:21.86 ID:WyvVILzi.net
先達


ティナー中央魔法学校の中級課程で行われる実技の授業で、何時も教師の後に誰より先駆けて、
実演させられる学生が居た。
教師は明らかに意図して指名しており、親しい間柄なのか、それとも学級委員の様な存在なのか、
他の学生達は不思議に思っていた。
今日も今日とて、やはり教師が手本を示した後に、第一に指名される。

 「これが発動変換。
  雷から火への変換だ。
  では……、やってみろ、アフローラ」

今回の実技は発動変換。
教師は1本立てた人差し指の先から弱い電気を放出し、それを灯火に変えた。
指先でパチパチと音を立てながら火花を散らす様に青白く光っていた電気は、
忽ち静かに立ち上る赤い炎へ。
四大属性魔法の内、風、水、土の3つは、それぞれ気体、液体、固体を操る。
これは殆どマジックキネシス(魔力を『見えない力』に変換して物を動かす技)の応用で、
土の操作が最も易しく、風の操作が最も難しいと言われる。
ここで火の属性だけは他と扱いが異なる。
電光熱を操る火の魔法は、魔力その物を熱や光に変換している。
発動変換は発動中の魔法を途切れさせず、魔力を別の力に変質させる物。
継続詠唱と新しい描文を繋げる、「中級にしては」高度な技術を要する魔法である。
同じ魔力源を別の力として出力する魔法を、速やかに発動させる。
別々に魔法を発動させてはならない。
飽くまで、一連の動作の中で行う必要がある。
魔力の流れを捉える能力があれば、その魔法が一連の物か否かを見抜く事は容易だ。
誤魔化しは効かない。

 「はい。
  L3N1D7!」

アフローラは慣れた動作で、前方に差し出した両手の間に球電を作り出した。

59 :創る名無しに見る名無し:2017/05/12(金) 19:52:32.41 ID:WyvVILzi.net
青白く発光する電気の塊を数秒維持した後、彼女は緊張した面持ちで別の発動詩を唱える。

 「E16H1D3D1、A17!」

球電は一瞬の内に、赤い炎を上げる火球に変じた。
教師の技に比べれば大掛かりに見えるが、これは魔法資質の優位を表す物ではない。
見た目の派手さは劣るが、繊細な制御を要求される分、教師の技の方が難度は高い。
それでも変換は判り易い形で成功しているので、教師は満足気に頷き、他の学生達にも指示した。

 「良し、皆も彼女に倣って練習してくれ。
  くれぐれも暴発には気を付ける様に。
  それと、人に向けるなよ!」

学生達は銘々に練習を始める。
もう実演出来る事を証明し終えたアフローラは、暇を持て余して呆っとしていた。
そこへ数人の女子が来て、教えを乞う。

 「アフローラさん、一寸教えてくれない?
  骨(コツ)みたいなのがあれば」

 「うん、良いよ」

アフローラは快く頷き、彼女等に新しい技術の手解きをする。
さて、そんな事があって授業が終わると、アフローラは皆から離れて、又別の授業に顔を出す。
当然、他の学生達の反応は、よく見掛けるけど、あの人は誰だろうとなる。
同級生なのは間違い無い。
人付き合いが苦手なのだろうか、孤独を好む性質なのだろうか等、様々な憶測が働く。

60 :創る名無しに見る名無し:2017/05/13(土) 20:48:43.81 ID:IY/8+rqs.net
他の学生の個人情報は明かされないので、名前だけ判っても仕方が無い。
知りたければ直接尋ねるより他に無いが、当人に対して貴女どう言う人ですかとは中々言い難い。
こんな時に頼られる人物が、女子学生のグージフフォディクス、通称「グーちゃん」である。
女子学生の一人、シーヴァラが彼女に話を持ち掛けた。

 「グーちゃん、アフローラさんの事、何か知らない?」

 「アフローラさんって、毎回実技で先生に当てられてる人……だよね?」

 「そうそう、知ってる?」

 「いや、名前しか知らないけど……」

 「顔が広いグーちゃんでも知らないんだ」

生真面目で、それなりに人柄が良いグージフフォディクスは、同回生の大半と交流がある。
上回生ともフラワリングの部活動を通して繋がりがある、級内の繋ぎ役だ。

 「そんな何でも知ってる訳じゃないよ」

 「知らないのかぁ……。
  入学式の時に居たかな?」

 「さぁ……?」

話している内にグージフフォディクスは段々、厄介事を頼まれるのではないかと言う、
嫌な予感がして来た。
それは的中する。
シーヴァラは彼女に依頼する。

 「グーちゃん、今度の実技の時に、それと無く聞いてみてくれない?
  アフローラさん、どう言う人なのか」

 「えっ、私が?
  余り話した事無いんだけど……。
  寧ろ、シーちゃんの方が話してる事多くない?」

グージフフォディクスは学業が出来る方なので、他人に教える事はあっても、
余り他人の手を借りる事は無い。

61 :創る名無しに見る名無し:2017/05/13(土) 20:52:03.57 ID:IY/8+rqs.net
一方、シーヴァラは何度か実技の授業で、アフローラに指導して貰った事がある。
シーヴァラは苦笑いした。

 「いや、そうなんだけど……。
  半端に見知ってるから、逆に聞き難くて。
  グーちゃんだって、気になるでしょ?」

 「それは……、まぁ、そうだけど……」

 「嫌なら無理にとは言わないけど。
  どうしてもって程じゃないし、何と無く気になっただけだから」

 「別に嫌って訳じゃ……。
  ……機会があったらね」

人が好く、押しに弱いグージフフォディクスは、頼み事を断れない性質なのだ。
それで交流の幅が自然に広がる。
級の繋ぎ役の地位は、こうして築かれた物だった。
さて、次の実技の時間。
グージフフォディクスは早速アフローラに接触を試みる。
やると決めたら直ぐに実行に移せるのも、彼女の長所だ。

 「アフローラさん」

グージフフォディクスが緊張した面持ちで話し掛けると、アフローラは快く応じる。

 「はい。
  あーっと、君は?
  先の『分子組成』の魔法、教えて欲しいのかな?」

 「い、いや、そう言う訳じゃなくて……」

親切なアフローラの態度に、グージフフォディクスは立ち入った事を聞いて良い物か迷った。

62 :創る名無しに見る名無し:2017/05/13(土) 20:55:09.42 ID:IY/8+rqs.net
しかし、一度話し掛けた以上、今更何でも無いと言う事は出来ない。
余り深刻にならず、飽くまで自然にグージフフォディクスは名乗り、質問する。

 「私、グージフフォディクス。
  あの、アフローラさんって、授業が終わった後、どこに行ってるの?」

 「どこって?」

 「教室に居ないよね」

 「ああ、だって居辛いし……」

 「人見知りだったり?」

 「そうでもない積もりなんだけどね……」

グージフフォディクスと同じ一回生の中にも、余り他人と話したがらない者は居る。
教室に居着かず、授業が終わると退室して、授業が始まると着席する者。
それでも一回生ならグージフフォディクスは顔を記憶している。
妙に重くなった空気に耐え切れず、アフローラは自ら告白した。

 「私、三回生だから」

 「あっ、先輩でしたか……。
  失礼しました」

グージフフォディクスは納得したと同時に、悪い事を聞いたかなと思った。
中級課程の修了に3年掛かっても、特段成績が悪いとは言えない。
極普通なのだが、一回生に混じって授業を受ける者は稀だ。
年度を経る毎に、授業では同回生が減り、新入生の割合が増して行くので、居辛くなって行く。

63 :創る名無しに見る名無し:2017/05/14(日) 20:37:22.27 ID:DOk0+rZK.net
相手が上回生と判り、グージフフォディクスは気不味くなったが、ここで直ぐに話を打ち切ると、
一層気不味くなるので雑談を続けた。

 「えっと……、どうして実技の授業に?
  毎回の様に先生に当てられてますよね」

これまでアフローラは実演を失敗した事が無く、実技が不得意には見えない。
普通、二回生以上は苦手な分野を補う為に授業や補習を受ける。
一回生の時に得意分野をクリアしていれば、以後は授業を受ける必要は無い。
余っ程、勤勉なのか暇なのか……。
アフローラは苦笑いして答えた。

 「私、上がり性だから本番が苦手でね。
  試験になると緊張しちゃうの。
  筆記の方は何とかクリアしたんだけど、実技の方は中々……」

 「それで、授業中に皆の前で……?」

 「そう、先生に協力して貰ってね。
  人に見られてると、やっぱり緊張しちゃうけど、好い加減に慣れないと。
  流石に4年目は嫌だなぁって……」

中級課程を1年で修了出来るのは全体の1割にも満たないが、2年では3割以上が、
3年では7〜8割が修了する。
4年は少し遅れた扱いで、5年になると完全に落ち零れだ。
学費も馬鹿にならない。

64 :創る名無しに見る名無し:2017/05/14(日) 20:55:48.95 ID:DOk0+rZK.net
アフローラは話を続ける。

 「人に教える事で、よく理解出来る様になるし。
  後輩に混じるのが嫌とか、どうこう言ってられないの。
  部活動も一旦お休みして、それだけ今年に賭けてる訳」

グージフフォディクスは唯々感服するより他に無かった。
進級の為に、気恥ずかしさや気不味さを乗り越えて学習に打ち込む、その姿勢に。

 「部活動は何をなさっていたんですか?」

 「恥ずかしながらフラワリングを……。
  余り向いてないと判ってるんだけど」

フラワリングは魔法の美しさを競う物。
観衆の前で魔法を披露しなければならず、魔法の技術も当然だが、胆力の強さも要求される。

 「私もフラワリング部です」

 「そうなの?
  最高得点は何点?」

 「未だ魔法学校の大会に出た事は無いので……。
  300点そこそこ……」

公学校の大会では500点以上が優勝を狙える最低ライン。
学生のマイナー大会の優勝ラインが700点位。
超一流のプロフェッショナルは1000点を超える。
300点は公学校生にしては「少し出来る」位だが、優勝には遠く及ばない。
中途半端な点数に、アフローラはグージフフォディクスを激励する。

 「貴女は一回生だよね?
  去年まで公学校の生徒だったんだから、普通じゃないかな?
  真剣に取り組めば、直ぐに500点前後は行ける筈。
  どこまで伸びるかは努力次第だよ、頑張ってね」

 「はい……」

正に努力している先輩に言われては、頷く他に無い。
プロフェッショナル・プレイヤーを目指す積もりは無くても、フラワリングの競技者である以上、
500点以上は安定して取れる様になりたい所だ。

65 :創る名無しに見る名無し:2017/05/14(日) 21:05:53.75 ID:DOk0+rZK.net
2人が話し合っている所を、教師が見咎めて声を掛ける。

 「そこ!
  お喋りしてる暇があるなら、他の者を見てやれ。
  教える事は二度学ぶ事だぞ」

今は実技の授業中。
取り組み方は自由と言えど、出席している以上、手を止めて雑談に興じるのは頂けない。

 「は、はい!」

慌てて返事をした2人は、別々に他の学生の所に行く。
魔法学校では一日一日が貴重で、一点一極も無駄には出来ないのだ。
実際に、それを自覚して焦る様になるのは、三回生の終わり頃になる者が多いが……。
そうなってからでは手遅れ。
同輩や後輩に後れを取らない様、早い内から苦手分野は克服しておかなければならない。
恥や外聞を気にしていては、益々落ち零れて行くばかりだ。
教師は意欲のある学生には機会を与えるが、自分から動かない者は救われない。
多くの一回生は自覚が無いが、厳しい戦いは静かに始まっているのである。

66 :創る名無しに見る名無し:2017/05/15(月) 19:26:31.66 ID:DS/RnM+T.net
聖なる物


所在地不明 反逆同盟の拠点にて


反逆同盟の地下にある一室に、同盟の長マトラは悪魔貴族の2人と暗黒魔法使いの2人、
そして血の魔法使いと石の魔法使いの6人を集めた。
石造りの地下室の壁には、白い女が磔られている。
壁面と床面には女を中心に、複雑怪奇な魔法陣が描いてある。
女を認めた悪魔貴族のフェレトリとサタナルキクリティアは、真っ先に声を上げた。

 「あっ、こいつは!」

 「あの時の……聖君?」

マトラは彼女等に答える。

 「そうだ」

そして、皆に向かって言った。

 「諸君に集まって貰ったのは、他でもない。
  聖なる物を見せようと思ってな」

訝る暗黒魔法使いの2人とは別に、血の魔法使いと石の魔法使いバレネス・リタは、
緊張した面持ちだった。
ヴァールハイトとリタは「聖君」を知っているのだ。

67 :創る名無しに見る名無し:2017/05/15(月) 19:28:42.30 ID:DS/RnM+T.net
マトラは白い女に歩み寄ると、その額に手を翳し、呪文を唱え始めた。
標準語でも精霊言語でもない、この場の誰も知らない「悪魔の呪文」。
女は行き成り目を見開き、マトラを睨む。
その真っ白な瞳は地下の薄暗い中で輝く様に力強く、マトラ以外の全員は威圧されて怯んだ。

 「おぉ、恐ろしや恐ろしや……。
  正体を失っても聖君の器か」

戯(おど)けるマトラに女の肉体を借りた何者かは尋ねた。

 「何故に我を呼び覚ました、悪魔よ」

 「凡百の悪魔と一緒芥(くた)にしてくれるな。
  我は悪魔公爵ルヴィエラ・プリマヴェーラ」

毅然と名乗ったマトラにも、女は動揺を表さない。
汚物を見る様な目で見下す。

 「悪魔は悪魔だ。
  招かれざる者よ」

 「口の減らぬ奴よ。
  己の立場が解らぬか?」

磔にされ、更に魔法陣で魔力の行使も封じられている状態でも強気な女にマトラは呆れ、
脅しに影の剣を指の爪から伸ばして、喉元に突き付けた。

 「神の加護は期待出来ぬぞ」

 「知らぬと思うてか」

女は飽くまで強情を貫く。

68 :創る名無しに見る名無し:2017/05/15(月) 19:31:19.03 ID:DS/RnM+T.net
不毛な話を続けても仕方が無いと、マトラは本題に入った。

 「……お前は何者だ?」

 「私は聖君、神意の代行者」

何食わぬ顔で言って退けた女に、マトラは一層詰め寄る。

 「嘘を吐くな。
  『お前』は真面な聖君ではない」

他の者達は、マトラは一体何を言っているのだろうと、疑問に思うばかり。

 「私は数々の聖君を見て来たよ。
  しかし、お前の様な物は初めてだ。
  聖君も所詮は人間。
  神の力を受けただけの……。
  悩みもすれば、苦しみもする。
  『お前』は違う。
  その女の体に宿っている、『お前』は何だ?」

女は白い歯を見せて笑った。

 「私は聖霊。
  人の希望が形を取った物。
  人が望んだ神の姿。
  真の『聖なる祈り<ホーリー・プレアー>』」

 「その残滓か」

マトラの指摘に、女は一瞬押し黙る。

 「そうだな。
  絶対善として君臨し、悪を誅する、私を心から願う者は、最早居ない」

 「それは違うな。
  こうして『私』が呼び出した」

不気味に笑うマトラに、女は改めて尋ねた。

 「何故に我を呼び覚ました」

69 :創る名無しに見る名無し:2017/05/16(火) 19:59:07.02 ID:2K8qknw9.net
マトラは一つ息を吐いて、目的を明かす。

 「その娘は心が壊れてしまってな。
  遊び甲斐が無いのだ」

 「遊び?」

訝る女に、マトラは態とらしく言い繕った。

 「おっと、違った。
  その娘の体を利用したいのだが、お前の様な物が潜んでいたのでは邪魔なのだ。
  そう言う訳で、消えて貰いたい」

 「人の求めが無ければ、私は消滅する」

 「それでは面白くないのだよ」

マトラは嫌らしく笑い、影の魔物を髪から、指から、足の先から、体中の至る所から生み落とす。

 「擦り切れるまで陵辱してやろう。
  二度と目覚める事が無い様に!
  人の身、人の体を呪うが良い!」

嗜虐性向を剥き出しにして、彼女は暗い悦びを顔に表した。
女は顔色一つ変えず、冷淡に告げる。

 「盛り上がりに水を差す様で悪いが、私は貴様の思い通りにはならぬ。
  人の身、人の心を超越した存在。
  それが私なのだ」

 「御託は結構。
  試してみれば判る事」

マトラは女の頭を掴むと、再び未知の呪文を唱える。

70 :創る名無しに見る名無し:2017/05/16(火) 20:00:29.57 ID:2K8qknw9.net
途端に、女は苦悶の表情を浮かべた。
冷たく整った顔が僅かに歪むも、声を発する事はしない。
沈黙して耐えている。

 「如何かな、苦痛の魔法の味は?
  脳を虫に食われている様だろう?
  こんな物に反応する様では先が思い遣られるぞ。
  安心しろ、殺しはしない。
  地獄のフルコース、存分に味わって行け」

これから陵虐が始まるのだと、その場に居た全員が察した。
フェレトリやサタナルキクリティアは興味津々だが、その他の者は余り良い顔をしない。
暗黒魔法使いのニージェルクロームが最初に言う。

 「そう言うのは一寸……」

彼に続いて、同じく暗黒魔法使いのビュードリュオンも言った。

 「下らん。
  こんな物に付き合う位なら、研究を続けていた方が有意義だ」

先に退室したビュードリュオンを追って、ニージェルクロームも出て行く。
石の魔法使いリタも、無言で退室した。
残ったのは悪魔の3体と血の魔法使いヴァールハイト。

71 :創る名無しに見る名無し:2017/05/16(火) 20:02:02.79 ID:2K8qknw9.net
マトラは彼に尋ねる。

 「お前は残るのか?」

 「聖なる物に興味がある。
  私と同質の存在なのか?
  消す前に話がしたい」

ヴァールハイトはゲヴェールトと言う子孫の体を借りている。
血の魔法によって、己の魂を子の体に宿らせるのだ。
他人の体を借りる「聖なる物」も、似た様な存在ではないかと、彼は予想していた。

 「何なりと聞いてみるが良い」

マトラは徐に白い女から手を離し、ヴァールハイトに譲る。
ヴァールハイトは白い女に尋ねた。

 「先ずは名乗らせて頂こう。
  私はヴァールハイト・ブルーティクライト。
  旧暦から生きる旧い魔法使いの1人だ。
  名前を伺おう、聖なる物」

礼儀正しい彼にも、白い女は淡々と答える。

 「私に名は無い。
  『聖霊』だ」

先までの苦痛を微塵も感じさせない涼しい対応は、人の心を持っていない物と思わされる。

 「自称するだけなら誰でも出来る。
  そう思い込んでいるだけではない、客観的な証拠を示せるか?」

 「魔法陣から出ればな」

ヴァールハイトはマトラを顧みたが、頷いては貰えなかった。

72 :創る名無しに見る名無し:2017/05/17(水) 19:55:39.79 ID:I4HsIk46.net
 「駄目なのか?」

 「……檻に入れた猛獣を解き放ってやる事は出来ぬよ」

マトラの警戒は強く、それだけ「聖なる物」を脅威に感じている事が窺える。
確かめる術が無いのであれば、話を聞いても仕方が無いと思い、ヴァールハイトは去ろうとした。
それを「聖霊」が呼び止める。

 「お前は何も知らぬのか、『ヴァールハイト』。
  魔法使いと悪魔は違う。
  お前は悪魔だ」

 「何だと?」

「悪魔」と言われ、ヴァールハイトは耳を疑った。
ヴァールハイトに幼い頃の記憶は無い。
大昔の事なので、忘れてしまったのだ。
領主として君臨し、人々を支配していた記憶に基づき、過去の栄光を取り戻そうとしている。
それだけの存在。
聖霊は続ける。

 「そこの女の姿をした物共と同じく、人外の存在だ」

 「嘗て悪魔と蔑まれた事はあるが、生憎そこまで化け物染みてはおらんよ」

ヴァールハイトは否定するも、聖霊は確信を持っている様子。

 「私と同質と言えば、同質なのかもな。
  力の根源こそ違うが……。
  長らく人間の振りをしている間に、己を人間と思い込んだか」

73 :創る名無しに見る名無し:2017/05/17(水) 19:59:13.14 ID:I4HsIk46.net
ヴァールハイトは聖霊の言葉を素直に受け取りはしないが、完全に否定する程の自信も無く、
半信半疑の状態で問うた。

 「何故、悪魔だと判る?」

 「そもそも『魔法』は悪魔によって齎された物だ。
  旧暦から生きる物なら、その程度は知っていよう」

 「だが、魔法使いも魔法を使える。
  悪魔と魔法使いは何が違う?」

 「『人間』には魔力が見えない。
  元々この世界には無かった物だからな。
  魔法大戦後の今でこそ、こちらと『異空』は繋がっているが……」

聖霊が語る事実にヴァールハイトは震えた。
己が何者なのか、遙か遠い過去の記憶が蘇る。

 「ああ、そうだったのか……。
  私は……」

召喚者は悪魔に我が子を捧げて、こう祈願した。

 (その能を以って、我がブルーティクライト家の繁栄を叶え給え)

召喚された悪魔は物を語る事も出来ない、無知の貴族だった。
人の体に宿り、初めて知能を得て、ヴァールハイトの意識と混ざり、混濁の中で「彼」は思った。

 (己が子を捧げるのか?
  成る程、我は彼にして、彼も一族ならば、一族の繁栄は我が繁栄にして、逆も然り。
  私の名はヴァールハイト、私こそがブルーティクライト)

悪魔は捧げられた子に憑依して『ヴァールハイト』に成り切り、彼の霊を食い潰して乗っ取った。

74 :創る名無しに見る名無し:2017/05/17(水) 20:00:31.87 ID:I4HsIk46.net
旧暦、多くの悪魔は、こうして人間に宿ったのだ。
ヴァールハイトは己の中にある支配欲の根源を自覚した。

 (そう言う事だったのか……。
  私が霊を移して生き続けられる理由、『血の魔法』……。
  私はヴァールハイトでもブルーティクライトでもなく、あの時『ヴァールハイトになった』のだ)

 「どうした、ヴァールハイト?」

訝るマトラに、ヴァールハイトは何も答えず退室する。
マトラは聖霊を睨んだ。

 「何をした?」

 「見た儘だ。
  私は事実を告げた。
  彼には心当たりがあった」

やれやれとマトラは呆れて溜め息を吐く。

 「悪魔だの、人間だの、魔法使いだの、そんなに拘る事か?」

 「人には人の生き方がある。
  人だからこそ出来る生き方が」

 「悪魔には出来ぬと?」

 「お前も知っていよう」

マトラも人間に恋した時代があった。
聖霊の一言で、自らの青春を思い出した彼女は、何とも落ち着かない気分になるのだった。

75 :創る名無しに見る名無し:2017/05/18(木) 19:58:44.79 ID:HvsOCGpH.net
聖霊はマトラを凝視して、彼女にも告げる。

 「探しているのか」

 「何の話だ?」

行き成りの問い掛けに、マトラは意図が読めず困惑した。

 「お前の『勇者』を。
  それで、地上を荒らしているのか」

 「何を馬鹿な……。
  全ては戯れに過ぎぬ」

聖霊の指摘に、彼女は少なからず動揺する。
マトラは旧暦の頃、人間の勇者と協力して、悪魔貴族の伯叔母を討った。
悪魔であるが故に不死の彼女は、退屈の度に往時を回想する。
心の空隙を埋める物を求めているのだ。
否定されても聖霊は構わず続けた。

 「死した者は戻らない。
  不滅の霊魂も、生まれ変わりも無い。
  お前達悪魔と人は違うのだ」

 「喧しい。
  然様な事は考えておらぬ」

マトラは決め付けが気に食わず、聖霊の喉を捉えて再度苦痛の呪文を唱える。

76 :創る名無しに見る名無し:2017/05/18(木) 20:01:13.14 ID:HvsOCGpH.net
喉の中を棘の塊が蠢いている様な感覚に襲われ、聖霊は激しい痛みと嘔気に襲われた。
堪らず聖霊は嘔吐(えず)き、呻き声を上げる。

 「余計な事ばかり舌々(べらべら)と……。
  その生意気な口、二度と利けぬ様にしてやろうか」

苦痛の魔法とは単に精神に苦痛を与えるだけの物ではない。
精神に強く刻まれた傷は、後遺症として残る。
幻覚であれ、感覚だけは実際に肉体的な損傷を受けているのと変わり無いのだ。
それでも聖霊は語りを止めようとはしない。

 「……あ、悪魔も、己の心までは……知れぬ、か……」

怒りを煽る様な口振りに、益々マトラは苛立ちを募らせる。
しかし、幾ら苦痛を与えても、聖霊は気を失わない。
苦悶の表情で只管に耐えている。
どの程度、効果があるのだろうかと、マトラは訝った。

 「並の人間であれば、疾うに気を失っているが……。
  余り応えていない様だな。
  効いていないと言う事はあるまい?」

聖霊は掠れた声で答える。

 「肉、精、霊、……人の三位は一体なれど……。
  わ、我は『聖霊』……、魂は……悦楽、痛苦を超越せし、所に……在り」

 「肉を虐めても無意味か」

 「肉の、過ぎたるは、業欲なり……。
  精の、過ぎたるは、傲慢なり……。
  霊の、過ぎたるは、強我なり……。
  無我の、ご、強我たる我は……、ぜ、絶無にして無限なり……」

声の震えは肉体に表れる変化に過ぎない。
苦痛に歪む表情も、又同じく。
「聖霊」は影響を受けないのだ。
だから、幾ら苦痛を与えても喋り続ける。

77 :創る名無しに見る名無し:2017/05/18(木) 20:03:55.19 ID:HvsOCGpH.net
マトラは魔法を中断し、溜め息を吐いた。

 「肉を持ちながら、肉の衝動には揺るがぬか……。
  苦痛を知らねば、快楽も知らぬとは、中々に『損』よな。
  その為に、私達は態々肉を得ると言うのに。
  さぞ退屈であろう」

彼女の背後では、フェレトリが頷いて同意を示している。
肉を持たぬ物は無味乾燥だ。
悪魔達は退屈凌ぎに肉を得る。
自らの肉体に相応しい器を用意し、それに宿って人の振りをする。

 「下卑た連中だ。
  意志を持たぬ物らしい」

聖霊には「人が望む」神の目指した世界を創る役割がある。
その喜びは人の善と共にある。
己の悦びの為に、肉を得る悪魔とは違う。
聖霊が嘲る様に言うと、マトラは又も溜め息を吐き、聖霊の額を鷲掴みにした。
鋭い爪が皮膚に食い込み、赤い血が流れる。

 「もう面倒だ。
  霊を消してしまおう。
  お前が屈する所を見られなかったのが、残念でならない」

 「人の心に神があれば、私は何度でも蘇る」

 「最早、神を信じる者は居らぬよ」

マトラは影の魔物を引っ込め、奇怪な呪文で聖霊を消しに掛かった。
聖霊は特に抵抗せず、マトラの為すが儘。

78 :創る名無しに見る名無し:2017/05/19(金) 20:27:35.49 ID:UfiIoUe8.net
数点を掛けて、マトラは聖霊を完全に消滅させた。
聖霊が宿っていた女は、静かな眠りに落ちる様に再度気を失う。
サタナルキクリティアが残念そうに零す。

 「あーあ、面白くないなぁ。
  私も懲らしめてやりたかったのに」

 「彼奴(あやつ)にとって、あの女の体は所詮、器の一つ。
  精神が傷付かないのでは、幾ら虐めた所で仕方あるまい。
  体の方は再利用する当てがあるので、下手に壊す訳にも行かぬ」

マトラの言い訳を聞いて、サタナルキクリティアは詰まらなそうに鼻を鳴らして応え、
早々(さっさ)と退室した。
最後に残ったフェレトリは、心配そうにマトラに問う。

 「本当に、奴は消えたのか?」

 「霊の消滅は解ろう、フェレトリ」

 「確かに、そうではあるが……。
  奴は『何度でも蘇る』と」

聖霊に就いて詳しい事は判っていない。
器があれば聖君が蘇る可能性は高い様に思われる。
異空からの征服者である悪魔と、この世界の守護者である聖君は、対極の存在。
聖君は人々の危機の度に現れ、危機が去ると奇跡を残して姿を消した。
嘗ての聖君が全て同一人物ではない様に、聖霊も同一存在でないとしたら……。

79 :創る名無しに見る名無し:2017/05/19(金) 20:28:08.96 ID:UfiIoUe8.net
フェレトリの懸念をマトラは承知していながら、強気に答える。

 「仮令蘇ろうとも構わんよ。
  寧ろ、そうなれば面白い」

 「面白い?」

悪魔公爵ともなれば、自信過剰になって大逸れた事を言う物だと、フェレトリは驚嘆しつつも、
憂いを深める。
その自信が仇となり、思わぬ所で竹箆返しを食らうのではないかと。
そんなフェレトリに対し、マトラは邪悪な笑みを浮かべた。

 「本当に『人の希望が形を取った物』ならば、魔導師会を打ち倒すのは奴かも知れぬ」

フェレトリには彼女の真意は解らなかったが、そこまで言うからには計算があるのだろうと、
深くは追及しなかった。
上位の物に対して、下位の物が一々意見を差し挟む事は、悪魔の世界では非礼に当たる。
余程の語りたがりは別として、細々と質問を繰り返し、手を煩わせてはならない。
不信感を抱くのは勝手だが、それならば庇護を期待してはならない。
フェレトリは疑問を消し去り、この件に関しては思考を止めた。
マトラは気絶している女の頬を撫で、妖艶に囁く。

 「これからは『神』ではなく、私の傀儡となるのだ。
  悪魔の使者となり、全身全霊を以って奉仕せよ」

80 :創る名無しに見る名無し:2017/05/19(金) 20:29:35.85 ID:UfiIoUe8.net
それから数月後、第四魔法都市ティナーで再び自己防衛論が活発になる。
政財界、そして魔導師会をも巻き込んだ騒乱の中心に居たのは、『白い女』だった。


――逆襲の外道魔法使い編『ティナー動乱』に続く

81 :創る名無しに見る名無し:2017/05/20(土) 21:48:40.83 ID:U1v0WpQv.net
闇のフェミサイド


ティナー地方マスタード市の繁華街にて


余り大きなニュースにはならなかったが、巨人事件の後、ティナー地方の南部では、
連続殺人事件が発生していた。
被害者には、ある共通点があった。
それは「売春婦」。
唯一大陸では売春業は違法であり、正式な職業とは認められていない。
これは男女共にである。
しかし、法の網目を潜り抜ける様に、自由恋愛の名目で実質的な売春が行われている。
需要があり、(主に男性の)市民感情として許容する空気がある為だ。
売春業者は表向きには「接客業者」や「按摩師」等とされている。
よって大手の報道では、殺人事件の被害者の職業が「売春婦」と紹介される事は無かったが、
関係者は売春婦が狙われていると察していた。

82 :創る名無しに見る名無し:2017/05/20(土) 21:50:18.92 ID:U1v0WpQv.net
個人的な犯行なのか、組織的な犯行なのかは判然としなかった。
特定個人への怨恨と言うよりは、売春婦その物に恨みを持っている様で、それが不気味であった。
だが、一部の人間は、この事件を余り問題にしなかった。
元々売春は違法なのだから、隠れて悪い事をしている者に、罰が下されたのだ。
これは自業自得なのだと。
捜査は都市警察の手によって進められたが、中々犯人を突き止めるには至らなかった。
売春業は違法なので、人目に付かない様にするのが普通。
業者側も大事にはしたくないので、捜査に積極的に協力しない。
都市警察の中でも、脱法的賎業たる売春如き守る価値無しと、突き放した意見があった。
それでも建て前上、都市で無法が行われるのを黙って見過ごす訳にも行かないので、
それなりに人員を割いて解決に当たった。
犯行の原因は3つ考えられた。
1つは、業者同士の縄張り争い。
1つは、西部のマフィア・シェバハの進出。
1つは、売春と言う行為を憎む異常者。
売春業者同士の縄張り争いは、毎年の様に起きており、年に数回の頻度で大事に発展する。
非合法なので妨害工作をしても都市警察に訴えられる可能性は低く、故に衝突が過激化し易い。
古参業者の間では暗黙の了解があったりするのだが、新参が割り込んで場を掻き乱すと、
途端に制裁を食らう。
大抵は懲りて大人しく引っ込むが、中には共倒れ覚悟で徹底的に抵抗する物もある。
こうなると血を見ても止まらず、人死には避けられない。

83 :創る名無しに見る名無し:2017/05/20(土) 21:51:45.80 ID:U1v0WpQv.net
これより厄介なのが、ティナー地方西部を縄張りにしているマフィア・シェバハの進出だ。
巨人事件からシェバハは活動範囲を徐々に東側に拡げており、都市警察や他の地下組織は、
警戒を強めている。
シェバハは共通魔法至上主義を掲げる、恐るべき狂信者達の集団。
『目には目を<ファイア・ウィズ・ファイア>』を自認し、「悪」は潔癖症の様に徹底的に叩く。
犯罪者には死を、外道魔法使いには死を、不埒者には死を!
それがシェバハの「鉄の掟」。
当然、シェバハにとって売春業者、それも法の網目を潜り抜ける様な物は、誅罰の対象である。
都市警察が表立って動けない分、一層の憎悪を燃やして叩く。
このシェバハが第一に容疑を掛けられていた。
事件と前後して、マスタード市内ではグラマー地方民の格好を真似るシェバハの構成員を、
頻繁に見掛ける様になっていた。
これは偶然だろうか?
売春業者の間で大きな問題が起こったと言う話も聞かない。
異常者の単独犯行にしては大胆過ぎる。
マスタード市は緊張の只中にあり、売春業者は活動を自粛する様になった。
しかし、「稼ぎ」を減らす訳には行かず、多くは南部や東部へ活動拠点を移した。
ティナー地方の東部は東部で、古い侠客集団のルキウェーヌがあり、勝手な商売は出来ない。
それでも止める訳には行かないのが、「経営者」である。
仮令、不法な行為であっても。

84 :創る名無しに見る名無し:2017/05/21(日) 19:48:17.68 ID:/J1kAZSl.net
旅商の女リベラ・エルバ・アイスロンは、連続殺人事件の発生を報道で知り、
自称冒険者のコバルトゥスと共に、このマスタード市に立ち寄った。
「女」が狙われていると言う事で、義弟ラントロックの関与を疑ったのだ。
正か殺人を犯す事はあるまいと思いながらも、可能性が僅かでもある内は、
見過ごす訳には行かない。
そう言う訳で、彼女は連続殺人事件の真相を探るべく、独自に動く事になった。
さて、いざ捜査開始……と行こうにも、リベラは裏社会の事情に疎かった。
売春業とは如何なる物か、大凡は知っていても、具体的な事は一切判らない。
どこで「買う」のか、客の取り方、金銭の遣り取り等々……。
健全と言うか、無垢と言うか、世間知らずと言うか、リベラは全くの無知であった。
そこで頼りになったのが、コバルトゥス。
彼も買春の経験は無いが、大人の男と言う事で、買春に手を出しても怪しまれない。
如何にも遊び好きそうな彼の風体も、ここでは良い方向に作用した。

85 :創る名無しに見る名無し:2017/05/21(日) 19:53:53.58 ID:/J1kAZSl.net
コバルトゥスは女を口説き落とす事には自信があったので、態々高い金を払って買う事に、
意味を見出せなかったが、知識だけは持っていた。
その手の女と付き合った事があるのだ。
先に売春は違法と述べたが、同時に買春も違法である。
詳細は省くが、両者に婚姻や婚約に繋がる事実が無い場合には、強要せず、強要されもせず、
金銭や物品、権利等の明確な有形無形の代価を取らなければ、「自由恋愛」の範疇として、
合法となる。
よって、売春業者は「客」と直接金銭の遣り取りをしない。
そこには「仲介者」が居る。
客と金銭の遣り取りをする仲介者の存在こそが、売買春の決定的な証拠となるので、
とにかく仲介者は身を潜める。
又、性交渉に至らなければ良いので、按摩や整体等と称して「客」は手を出さない方式もある。
長らく売春業を続けるなら、摘発を避ける為に、一見には判り難い形態を取らざるを得ない。
マスタード市内の繁華街の路地裏にある怪しい酒場で、コバルトゥスは情報を仕入れる。
彼は適当な飲み物を注文糅(が)てら、それと無く酒場の主人に話し掛けた。

 「なァ、マスター。
  この辺で『好い事』が出来る店を知らないか?」

主人は驚いた顔をし、声を潜めて応える。

 「殺人事件の事、知らないんですか?」

 「事件?
  今日、この街に着いたばかりだからなぁ……。
  そんなに新聞も読まないし」

コバルトゥスは情報を引き出す為に、最近の事情に疎い振りをした。

86 :創る名無しに見る名無し:2017/05/21(日) 19:55:23.23 ID:/J1kAZSl.net
酒場の主人は溜め息を吐き、神妙な面持ちで言う。

 「この辺りで、そう言う女を狙った連続殺人事件が起きていまして……」

 「へェ、そりゃ大変だ。
  ……で?」

 「『で』って……」

主人は動じていない様子のコバルトゥスに呆れた。
コバルトゥスは横柄な態度で言い返す。

 「今は止めとけって?」

 「都市警察が睨みを利かせてますし、危ないですよ」

 「でも、やってる所じゃ、やってるんだろう?」

売春業者も商売だから、店を閉じれば客が離れてしまう。
普段より慎重に、目立たない様にしながらも、「事業」は継続しなければならない。
素性の知れない一見は断っておきながら、常連の為には開けておく。
そう言う物だ。
主人は参ったなと言う顔をして、話を続けた。

 「お客さん、どこの人?」

「どこ」とは出身ではなく、所属を尋ねている。
都市警察か、それとも地下組織の人間か、とにかく堅気では無かろうとマスターは直感していた。
普通の人間なら、態々『今』この街で女を買おうとは思わない。
然も無くば、余程の馬鹿か……。

87 :創る名無しに見る名無し:2017/05/22(月) 19:47:53.71 ID:dlAfS9kD.net
コバルトゥスは気取った笑みを見せる。

 「旅の風来坊さ」

怪しい者ではないと言い訳しようとした彼だが、旅の風来坊と言うのも十分に怪しい。
酒場の主人は苦笑いして、話を打ち切ろうとする。

 「とにかく、今は時期が悪いよ」

コバルトゥスの言い分が真実か否かは余り問題ではない。
本当に偶々立ち寄っただけの旅行者だとしても、信頼の置ける人物でない限りは仲介出来ない。
売春業者の多くは地下組織と繋がっているので、コバルトゥスが面倒事を起こしたら、
仲介者は制裁を食らう。
誰だって、それは御免なのだ。

 「本当に駄目なのか?
  知ってるんだろう?」

執拗(しつこ)く食い下がるコバルトゥスに、酒場の主人は口を閉ざして首を横に振る。
コバルトゥスが諦めの溜め息を吐くと、鍔付きの帽子を目深に被った胡散臭い風体の男が、
彼の直ぐ横に腰掛けて来た。
何者だとコバルトゥスが驚いた顔をしていると、その男は声を潜めて真面目に問う。

 「なぁ、兄ちゃん、女を買いたいのかい?」

88 :創る名無しに見る名無し:2017/05/22(月) 19:49:35.41 ID:dlAfS9kD.net
コバルトゥスは好色さを露に、爛と眼を輝かせた。

 「良い所、知ってるのか?」

酒場の主人は2人の会話を聞かない振りをしている。
自分から紹介はしないが、他人が紹介する分には構わないと言う考えだ。
男の胡散臭さを少しも気に掛けず、コバルトゥスは無防備を装って話に食い付く。

 「美人が揃ってりゃ良いんだが、この際だから贅沢は言わねえよ」

節操の無い物言いに、怪しい男は帽子を押さえて俯き、口元に笑みを見せる。

 「あんたも好きだねぇ」

呆れた様な口調に、コバルトゥスは愛想笑いして責っ付いた。

 「ハハ、……で、どこなんだよ?」

 「一寸値が張るけど、良いか?」

 「そっちの事情も解らんでもない。
  多少は仕方無いさ」

怪しい男は頷き、席を立つ。
コバルトゥスが勘定を済ませようと懐を漁ると、怪しい男は1枚の紙幣を主人に投げた。

 「大事な客だ。
  飲み代位は俺が持つ」

コバルトゥスは口笛を吹き、怪しい男の後に付いて、酒場から出た。

89 :創る名無しに見る名無し:2017/05/22(月) 19:53:29.48 ID:dlAfS9kD.net
酒場の入り口で待機していたリベラは、コバルトゥスが怪しい男と一緒に出て行くのを見て、
何か手掛かりを得たのだろうと思った。
彼女は気配を消して、2人を追跡する。
路地裏を少し歩き、酒場から離れた人気の無い所で、コバルトゥスが足を止めた。
怪しい男は直ぐに気付いて振り返る。

 「どうした?」

 「あんた、都市警察だろう?」

コバルトゥスの鋭い一言に、怪しい男は帽子を押さえて苦笑する。

 「何を根拠に?」

 「魔力の流れ。
  特徴的だから直ぐに判る」

怪しい男の口元から笑みが消えた。
コバルトゥスは更に問う。

 「買春で誘(しょ)っ引くかい?」

どう答えたら良い物か迷っている様に、男は長らく沈黙した。
コバルトゥスは逃げも隠れもせず、その場に堂々と立って反応を待っている。

90 :創る名無しに見る名無し:2017/05/23(火) 19:16:36.20 ID:BcoH3nKr.net
何が起きても対処出来る自信があるのだ。
参ったなと言う風に、怪しい男は帽子の鍔を押し上げ、初めて真面に目元を見せた。
鈍く光る緑の瞳は、若々しさや精悍さこそ無いが、内に秘めた強い意志を感じさせる。

 「俺が都市警察だってのは、半分正解だ。
  元刑事だよ」

 「今は?」

 「……用心棒だ」

 「売春業者の?」

コバルトゥスが問うと、男は再び帽子を目深に被り直した。
不祥事や犯罪を犯した官公の者が、表社会に居辛くなり裏社会に所属するのは間々ある事。
表に居た頃の知識を十分に活用して、悪事を働く組織の延命に協力する。
一般には軽蔑される存在だが、コバルトゥスは気にしない。

 「まァ、そう言う事もあるだろうさ。
  綺麗事だけじゃ飯は食って行けないからな。
  第一、女を買おうとしてる俺が、とやかく言えた義理じゃない」

元都市警察の男はコバルトゥスに背を向けると、緩くりと歩きながら話題を変える。

 「あんた、本当は女を買いに来たんじゃないんだろう?」

 「何で、そう思う?」

肯定も否定もせず、コバルトゥスは問い返した。

91 :創る名無しに見る名無し:2017/05/23(火) 19:23:32.13 ID:BcoH3nKr.net
数極の沈黙後、男は前を向いた儘で答える。

 「こんな時に女を買おうって奴は真面じゃない。
  裏があるに違い無い……って勘だ」

 「勘かよ」

コバルトゥスが呆れると、男は小さく笑って言い訳する。

 「勘も馬鹿にならないぜ」

 「自信があるのか?」

 「余り当たった例(ためし)は無い。
  だが……、いや、『だからこそ』判るんだ。
  あんたは違う」

流石は元都市警察だと、コバルトゥスは声を殺して笑った。
その気配を察して、男は少し自信を喪失した弱い声で零す。

 「……外れか?」

 「いやいや、当たっている。
  実は人探しが目的でな」

コバルトゥスが真の目的を明かすと、男は更に尋ねる。

 「女か?」

 「はは、違う違う。
  余り当たった例が無いってのは、本当だな」

 「殺人事件の犯人探し?」

 「惜しい」

男は足を止めて振り返った。

92 :創る名無しに見る名無し:2017/05/23(火) 19:27:40.78 ID:BcoH3nKr.net
 「……あんたが犯人だとか?」

彼は俄かに重々しい口調になる。
冗談ではなく、その目は真剣だ。
コバルトゥスは眉を顰めた。

 「深読みし過ぎだ。
  探しているのは犯人じゃない、知り合いさ」

 「男、それとも女?」

 「男だよ」

用心棒の男は推理を諦めて、肩を竦めて見せた。

 「お手上げだ、爽(さっぱ)り解らん。
  あんた、もしかして都市警察なのか?
  今回のとは別件で、その男を追っている?」

 「俺は都市警察じゃない。
  だが、別件で男を追っているってのは良い線だ」

 「勿体付けずに素直に答えてくれ。
  そうじゃなけりゃ女を紹介出来ない。
  妙に誤魔化そうとしなければ、協力出来る事は協力する」

男の頼み込む様な態度を受け、コバルトゥスは両腕を組んで、テレパシーでリベラに合図を送る。

 (出て来てくれ、リベラちゃん)

リベラは物陰から姿を現し、コバルトゥスの傍に駆け寄った。

93 :創る名無しに見る名無し:2017/05/24(水) 18:48:36.57 ID:1gjeukd4.net
コバルトゥスは彼女を迎えて自分の横に立たせ、男に紹介する。

 「この娘(こ)、俺の連れ」

 「後を追わせていたのか?」

行き成り現れた若い女を、男は警戒する。
彼の質問に、コバルトゥスはリベラの肩に手を回して答えた。

 「探しているのは、彼女の弟なんだ」

 「弟?
  妹なら解るが……、弟??」

売春業者に売られた者を、身内が取り返しに来ると言う話は時々ある。
しかし、多くの売春業者は女を扱う。
男を扱う所も無くは無いが、それなら女を買う振りをする必要は無い。

 「女遊びの激しい奴なのか?」

混乱しながらも、常識的な考察をする男に、コバルトゥスもリベラも苦笑いした。

 「女遊びが激しいと言えば激しいが……。
  事件に関わってないか、それが知りたいんだ。
  彼は色々危(ヤバ)い所と繋がりがあってね」

コバルトゥスの説明に、男は目を剥いて驚愕を露にする。

 「あんた等の尋ね人が犯人だって?」

 「い、いえ、違――!」

慌てて否定しようとするリベラを、コバルトゥスは無言で制する。

 「そこまでは言ってない。
  少なくとも犯人だとは思っていない。
  だが、先も言った様に危い所と繋がりがある。
  犯人じゃなくても、何らかの形で事件に関与している可能性がある」

94 :創る名無しに見る名無し:2017/05/24(水) 18:50:33.80 ID:1gjeukd4.net
コバルトゥスの言葉は要領を得ないが、男には心当たりがあった。

 「その弟ってのは、もしかしてシェバハなのか?
  シェバハの構成員?」

 「ち、違います!」

感情的になって否定するリベラを、コバルトゥスが宥める。

 「一寸落ち着いて。
  ここは俺に任せて」

話が拗れない様に、コバルトゥスは彼女を少し下がらせた。

 「彼女の言う通り、シェバハじゃない」

男は訝り、コバルトゥスに問う。

 「シェバハ以外に事件を起こしそうな組織があるのか?」

事件の第一の容疑はシェバハに向いている。
他に犯人が居る可能性を完全に切り捨てた訳ではないが、「集団」となるとシェバハ以外には無い。
コバルトゥスは少し困った顔をした。

 「シェバハは最も疑わしいってだけで、他所の仕業の可能性もあるんだろう?」

 「例えば?」

男の問い掛けに、コバルトゥスは適当な実力組織の名前を挙げる。

 「地下組織はシェバハ以外にもある。
  この辺で言うとマグマか?
  それに最近活発になって来たと言う自己防衛論者……」

95 :創る名無しに見る名無し:2017/05/24(水) 18:53:28.28 ID:1gjeukd4.net
だが、男は納得しない。

 「動機が無い」

 「動機なんて、何が理由が分からん物さ。
  とにかく俺達の目的は話した。
  官公の人間じゃないから安心しろよ」

コバルトゥスは強引に話を片付けようとする。
未だ公になっていない「反逆同盟」の名は伏せたかったのだ。
男が未だ信用ならないと言った顔で沈黙しているので、彼は強気に迫った。

 「俺達は事件の犯人と接触したい。
  犯人の逮捕だとか、事件の解決だとかは、どうでも良い。
  この娘の弟が関与していない事を確認にしたい」

 「それで女を買おうとしてたのか?」

 「もしかしたら、現場に出会すかも知れないだろう?
  後、女達にも話を聞きたかった」

 「独自調査って訳か」

 「そんな所だな」

一通りの事情を聞き終えた男は、コバルトゥスとリベラを凝視し、暫し何事か考え込んでいた。
数極後に、彼は頷く。

 「分かった。
  案内してやるよ」

そう言うと、直ぐ傍の建物に2人を誘い込む。
3人は売春業者の拠点の目の前で話をしていたのだ。

96 :創る名無しに見る名無し:2017/05/25(木) 20:26:28.05 ID:upxv+DKM.net
人気の無い建物内を歩きながら、男はコバルトゥスに問う。

 「……事件を解決する気は無いのか?」

 「ああ、深入りする積もりは無い」

コバルトゥスが断言すると、男は少しの間を置いて語り始めた。

 「俺達は都市警察に深入りして欲しくない。
  だが、犯人は取っ捕まえて何とかせにゃならんと思っている。
  しかし、既に都市警察が動いている以上、余り目立つ真似は出来ない」

 「だから、代わりに犯人を取っ締(ち)めてくれってか?」

コバルトゥスが先を読んで言うと、男は頷いた。

 「そうしてくれるなら、自然に協力出来ると思う」

 「あんたの独断で可能なのか?」

男は用心棒に過ぎない。
組織の大凡の意向や希望は理解していても、重要な判断を独りで下す程の権限は無い筈だ。
コバルトゥスの指摘に、男は苦笑いする。

 「いいや。
  それでもボスに掛け合う事は出来る」

コバルトゥスは一度リベラを顧みた。

97 :創る名無しに見る名無し:2017/05/25(木) 20:29:00.63 ID:upxv+DKM.net
請けても良いかと無言で尋ねているのだと理解したリベラは、小声で答える。

 「構いませんよ」

コバルトゥスは頷き、男に答えた。

 「犯人に近付けるなら、捜査に協力するのも悪くは無い」

男も頷く。

 「有り難い……が、問題はボスが何と言うか……。
  期待通りに行かなくても、恨まないでくれ」

そう言うと、彼は建物の地下に降り、ある一室のドアを叩いた。

 「ボス、お話があります」

 「入れ」

落ち着いた返事に、コバルトゥスは「男にしては少し高い」と感じる。
その通り、中に居た「ボス」は女だった。
年齢は40前後だろうか、肌の露な派手目の服装に、煌びやかな装飾品を幾つも身に着けており、
如何にも筋者の雰囲気を漂わせている。
ボスはコバルトゥスとリベラを睨み、男に尋ねた。

 「話とは何だ?
  そっちの2人は?」

 「はい、今回の事件、この2人に解決して貰おうと思いまして」

 「解決は良いが、信用出来るのか?」

 「はい」

 「そう、じゃあ良いよ。
  任せた」

 「はい」

浅りと話が付いた事に、コバルトゥスもリベラも内心で驚く。

98 :創る名無しに見る名無し:2017/05/25(木) 20:37:39.84 ID:upxv+DKM.net
唖然としている2人に男は呼び掛けて、共に退室を促した。

 「女達の所に案内する。
  話を聞きたいんだろう?
  付いて来な」

2人は言われる儘、男に付いて行く。
高い建物の影になって、日の当たらない街の裏通りを歩きながら、男は2人に先程の言い訳をした。

 「俺とボスは、それなりに長い付き合いでな。
  男と女って訳じゃないんだが……」

人に歴史あり。
誰にでも、そこに至るまでの物語がある。
売春業者の用心棒である男と、その主人である女の間にも、色々とあったのだろうと2人は察して、
深い追及は避けた。
男は誤魔化す様に、話を変える。

 「これは新聞には載ってない話だが、どの事件も男が女を買って、事を終えた後に起きている。
  勿論、事件の直前に女を買った男が怪しいとなる訳だが、決定的な証拠は見付からなかった。
  殺人現場には、犯人が残したと思われる印象的なメッセージがあった。
  被害者の血で遺体の側に堂々と、『お前の子供が泣いている』ってな。
  何の事だかは分からない。
  殺された女達に子供は居ない。
  ボスにも。
  案外、堕ろした赤ん坊の事かも知れないが」

売春業をしている女は、望まぬ妊娠をする事がある。
どうせ妊娠しないだろうと避妊を怠っていたり、或いは直が良いとの客の要望だったり。
幾らかは当人の責任なのだが、そう言う時は堕胎するより他に無い。
リベラは嫌な気分になって、外方を向いた。

99 :創る名無しに見る名無し:2017/05/26(金) 19:58:50.56 ID:mRA35VSE.net
そんな彼女の反応に、男は苦笑いする。

 「お嬢ちゃんには刺激の強い話だったか」

不機嫌な表情の儘で無言のリベラを気に掛けつつ、コバルトゥスは軽口を叩いた。

 「余り揶揄わないでやってくれ。
  彼女は堅気なんだ。
  それでも弟の為に、裏社会に飛び込もうって言うんだよ」

 「健気な事で」

男は戯(おど)けて肩を竦め、話を一旦切って近くの建物を指す。

 「あそこだ」

それは外観だけは立派だが、人の出入りが無い。
窓は全てカーテンが閉まっていて、中の様子は判らない。
警備員も居らず、丸で廃墟の様だ。
事務所で客と「約束」をして、ここから女達を派遣し、外で落ち合わせると言う形態を取る事で、
業者は無関係を装う仕組み。
男は建物の中に2人を通すと、元は談話室だったであろう殺風景な部屋で待機させた。

 「俺は女達を呼んで来る。
  少し待っててくれ」

2人は数点の間、男の言う通り大人しく待つ。

100 :創る名無しに見る名無し:2017/05/26(金) 20:00:42.87 ID:mRA35VSE.net
男は大勢の売春婦を連れて、戻って来た。
年齢は全員20前半〜30後半の範囲に納まる位で、極端に若い者や老けた者は居ないが、
客の様々な需要に応える為か、背格好は区々だ。
内、何人かはコバルトゥスを見るなり、声を上げる。

 「おっ、好い男じゃん」

 「この人が探偵さん?
  犯人を捕まえてくれるの?」

概ね好意的な反応で、隣のリベラは全く目に入っていない様子。
数人の綺麗所が人懐こくコバルトゥスに寄って、彼を取り囲む。
当のコバルトゥスは満更でも無さそうで、締まりの無い笑みを浮かべている。
リベラは拗ねた表情で、彼の背を小突いた。
コバルトゥスは慌てて姿勢を正し、咳払いをして取り繕う。

 「事件を解決する為に、君達の話を聞かせて欲しいんだ」

女達は俄かに真剣な表情になり、コバルトゥスから離れた。
男が女達とコバルトゥスの間に立って、話を進める。

 「それで、何を聞きたい?」

 「先ずは、犯人に心当たりが無いかだな。
  どんな些細な事でも良い。
  何か気付いた事は?」

コバルトゥスの問い掛けに、女達は黙り込んで何も答えない。
心当たりがあるなら既に話しているだろう。
今更、新しい情報は期待出来ない。

101 :創る名無しに見る名無し:2017/05/26(金) 20:02:22.20 ID:mRA35VSE.net
 「質問は具体的にしてくれないか?」

用心棒の男の言い分も尤もだと、コバルトゥスは頷いて思案した。

 「……被害者の共通点とか」

女達は互いに顔を見合って、仲間内で言い合う。

 「共通点って言われても……ねぇ?」

 「年も違うし……」

 「客を取った後って事しか……」

その途中でリベラが口を挟んだ。

 「その『客』に共通点は?」

女達は吃驚した顔をして、彼女に怪訝な視線を投げ掛ける。
リベラは怯まず、真っ直ぐに女達を見詰め返す。
やがて女達は改めて、仲間内で言い合った。

 「客……ねぇ」

 「同一人物じゃないし、常連も居たし……」

 「皆、少し年が行ってた人だった……。
  30歳以上。
  若い人じゃなかった」

ある一人の発言に、リベラは引っ掛かりを覚える。

 「30歳以上?」

年の行った男、そして、「お前の子供が泣いている」と言うメッセージ。
子持ち、或いは所帯持ちの男の客を取ったからではと、リベラは推察した。

102 :創る名無しに見る名無し:2017/05/26(金) 20:04:32.50 ID:mRA35VSE.net
しかし、女達は考え過ぎではないかと言う。

 「でも、客層は大体その辺だし……」

 「若い子は普通に恋愛するよね。
  それが出来ない小父(おじ)さんが買うんであって。
  若い内から嵌まっちゃう子も居るには居るけど」

コバルトゥスは先から考え込んでいるリベラに、小声で尋ねた。

 「どうしたんだい、リベラちゃん」

 「いえ、もしかしたら……。
  家庭を持っている人の相手をした所為なのではと……」

男が驚嘆の声を上げる。

 「あぁ、『お前の子供が泣いている』って、相手の男に向けた物か!
  それは考え付かなかった」

考え付かなかったと言うよりは、無意識に結論を避けていたのではないかと、リベラは思った。
売買春は犯罪である。
当事者間では合意が成立していても、家族は良い思いをしないだろう。
後ろ目痛い事をしている自分と、向き合わなくてはならない。
女達は不満を露する。

 「えぇー、そんなの客が悪いんじゃん……。
  何で私等が殺されないと行けないのよ。
  皆、暴(ば)れない様にやってるんだし、誰に迷惑掛けてる訳でもないから良いじゃんか」

103 :創る名無しに見る名無し:2017/05/27(土) 18:32:13.66 ID:jKVFFQRo.net
リベラは当て付ける様に言い返した。

 「暴れているから、こんな事になっているのでは?」

鋭い指摘に女達は気不味い表情で黙り込んでしまう。
数極の間を置いて、用心棒の男が疑問を呈する。

 「しかし、どうやって所帯持ちって判別を?
  犯人は最初から『客』に目を付けていて、その後を追っているのか?
  それで相手した女を?」

結論を急ぐ彼を、コバルトゥスが制した。

 「確証がある訳じゃない。
  一つの推測に過ぎない。
  でも、所帯持ちの男には用心した方が良いかもな」

男は眉を顰める。

 「だから、所帯持ちって判別する方法は、どうするんだ?
  買春するのに自分から所帯持ちだって白状する男は居ねえ。
  所帯持ちを理由に売りを拒否する業者も聞いた事が無え」

コバルトゥスは呆れた。

 「人の命が懸かってるのに、そんな事言ってる場合かよ。
  稼ぎの為なら自分ン所の女達が、どうなっても構わねえって?」

 「こっちも商売なんだ。
  確証は無えんだろう?」

男の言い分は尤もである。
もし見当外れだった場合、徒労であるだけでは済まず、信用と稼ぎを失う。
金と命と、どっちを取ると聞かれて、「命」だと迷わず答えられるなら、こんな所で商売を続けない。

104 :創る名無しに見る名無し:2017/05/27(土) 18:34:52.55 ID:jKVFFQRo.net
コバルトゥスは大きな溜め息を吐いて、説得を諦めた。

 「そんなんじゃ犯人を捕まえる所の話じゃねえな。
  もう何人か死ねば覚悟が決まるか?」

女達の表情が強張る。
もし仮定が当たっていた場合、危害を加えられるのは彼女等だ。
用心棒の男は迷惑そうな顔で、コバルトゥスに言った。

 「徒に不安を煽る様な事を言わないでくれるか?」

それに女達も乗る。
丸で現実逃避する様に。

 「そうよ、無神経だわ!」

 「黙って犯人を捕まえてくれれば良いのよ」

非難されたコバルトゥスは嫌厭と侮蔑の感情を露にした。

 「目先の事しか考えられないのか!」

吐き捨てる様に言った彼を、男と女達は強く睨む。
両者の溝は深まり、協力態勢は対立へと変化しつつあった。
そこをリベラが取り成しに動く。
彼女はコバルトゥスに囁いた。

 「コバルトゥスさん、落ち着いて下さい。
  私達はラントを探しに来たんです」

 「……ああ、済まない。
  感情的になった」

コバルトゥスは冷静になり、深呼吸をして気を取り直した。

105 :創る名無しに見る名無し:2017/05/27(土) 18:39:54.99 ID:jKVFFQRo.net
事件の解決は二の次、三の次で、とにかく犯人と接触出来れば良いのだ。
妙な義憤に駆られて、他人の為に怒ってやる必要は無い。
「冷静に」と言うよりは、「冷淡に」割り切ったコバルトゥスは、再び深呼吸をして、
自ら男と女達に対し謝罪した。

 「……はぁ、悪かった。
  今のは無かった事にしてくれ」

用心棒の男も一歩引いて度量を見せる。

 「あんたが悪い奴じゃないってのは分かったよ」

 「済まねえな」

彼の慰めの言葉に、コバルトゥスは小声で謝辞を述べると、改めて切り出した。

 「話を戻すが、先の推理が当たってるなら、所帯持ちの男を警戒すべきだ。
  んで、『殺される前の女を買っていた男』の誰かが、所帯持ちの可能性が高い。
  ここまでは解ってくれるか?」

 「普通に考えりゃ、そうだわな。
  だが、買い手の殆どは常連客だ。
  所帯持ちだからって、憶測で無下に扱う事は許されねえ」

 「今の状況は、その常連に『商品』を壊されてる様な物なんだが……。
  まァ、落ち着いてくれ。
  言い争う積もりは無い。
  常連だったら、そっちで家族構成を把握出来てる奴も居るんだろう?」

 「何か案があるなら言ってくれ」

男も無意味な言い争いを繰り返す積もりは無く、話の続きを促す。

106 :創る名無しに見る名無し:2017/05/27(土) 18:51:05.42 ID:jKVFFQRo.net
コバルトゥスは頷き、リベラを指した。

 「この娘を囮として潜入させてくれないか?」

リベラは吃驚して彼の肩を引っ張り、振り向かせて揺する。

 「ちょ、一寸、何言ってるんですか!」

女達と用心棒の男は怪訝な顔をしたが、それ所ではないリベラ。
彼女は声を潜めてコバルトゥスに訴える。

 「それって詰まり、あれですか?
  私に売春をやれと?
  聞いてないですよ!」

 「いや、流石に本番までさせようなんて思っていないよ。
  絶対にさせない。
  だけど、『冒険無くして利益無し』だ。
  客を取る振りをして、犯人を誘き寄せる。
  それが一番確実な方法だと思う」

そうコバルトゥスに説得されても、リベラは中々頷けない。

 「でも、家庭を持ってる人で、お芝居に付き合ってくれる人とか居るんですか?」

 「今から聞いてみるさ」

コバルトゥスは女達と用心棒の男に向き直り、提案した。

 「――ってな訳で、どうだ?」

107 :創る名無しに見る名無し:2017/05/27(土) 18:52:45.85 ID:jKVFFQRo.net
用心棒の男は答え倦ねて、暫し沈黙する。
何を迷う事があるのかと、コバルトゥスは尋ねた。

 「困った時に協力してくれる様な、有難い上得意様は居ないってか?
  ……居ないんなら、仕方無えが」

彼が諦めた様な台詞を吐くと、男は慌てて口を利く。

 「いや、こう言うのは実際に持ち掛けてみねえと何とも……」

 「そうだな。
  直ぐには答えられる物じゃないか……。
  取り敢えず、俺は例の酒場に入り浸ってる。
  準備が出来たら、声を掛けてくれ。
  別に俺達の手を借りなくても解決出来るって言うんなら、他を当たるが」

囮はリベラでなくとも、他の女でも良い。
用心棒の男が自分で犯人を捕らえられるなら、コバルトゥスも必要無い。
部外者の手を借りずに、自分達で方を付けられるなら、当然そうしたいだろう。
しかし、用心棒の男はコバルトゥスを引き留めた。

 「気遣いは無用だ。
  俺達には大きな組織の後ろ盾が無い。
  それに……、あんた等、尋ね人が居るんだろう?」

 「じゃあ、待ってるぜ」

コバルトゥスとリベラは建物から出て、決行の日を待った。

108 :創る名無しに見る名無し:2017/05/28(日) 19:25:15.86 ID:RjzEDzA+.net
酒場でコバルトゥスが再び用心棒の男に声を掛けられたのは、それから2日後の南西の時だった。
その間も殺人事件が新たに1件発生していた。
被害に遭ったのは、コバルトゥスとリベラが接触した所とは、別の業者の女だったが……。
コバルトゥスとリベラは用心棒の男に連れられて、先日の女達が待機している建物に入る。
用心棒の男はリベラに言った。

 「待ち合わせ場所は、ここから南東に半通の所にある『休憩所』、そこの210号室だ」

 「休憩所?」

「休憩所」が何を意味するのか解っていない様子のリベラに、男は困った顔をする。

 「やり場の事だよ」

「やり場」と率直な表現をしても、リベラは未だ解っていない。
後で察するだろうと男は説明を止めて指示を出した。

 「……取り敢えず、一目で商売女と判る様に着替えて行ってくれ。
  その格好の儘だと、犯人に見過ごされるかも知れない」

 「き、着替えなんて持ってませんけど……」

戸惑うリベラに男は女達を呼んで言う。

 「こっちで貸してやる。
  おい、お嬢さんに適当な服を見繕ってやってくれ」

 「は〜い」

女達は間延びした返事をして、リベラの手を引いた。

 「ささ、こっち、こっち」

 「お粧(めか)ししましょうねぇ〜」

 「えっ、えっ?
  コ、コバルトゥスさん!」

リベラはコバルトゥスに助けを求めるも、彼は呑気に笑って見送る。

 「大丈夫、大丈夫」

 「そ、そんなぁ……」

リベラは女達に取り囲まれて、別室へと連行された。

109 :創る名無しに見る名無し:2017/05/28(日) 19:28:41.72 ID:RjzEDzA+.net
そこで彼女は着せ替え人形の様に、様々な服を試着させられる事になる。
雑(ざっ)と並べられた、普段は着ない露出の多い薄手の服を目にして、リベラは戸惑った。
長旅をする都合上、余り女の子らしい格好はしないのだが、こんな物を着るのかと。
先ず、リベラは年長の女に命令された。

 「服を脱ぎなさい」

 「えっ」

 「着替えるんだから。
  それとも脱がせて欲しいの?
  ここには女しか居ないんだから、気にしないで」

確かに、その通りなのだが……。
リベラは周囲に目を配る。
女達は楽しそうに笑って、リベラを眺めている。
彼女等の笑顔が自分を馬鹿にしている様に思われて、リベラは萎縮した。
中々動かないリベラに、年長の女が呆れた風に溜め息を吐くと、それを合図に数人の女達が、
リベラに近付こうとする。
自分から脱がないなら、脱がせるしか無いと。
その気配を察して、リベラは彼女等を制した。

 「ぬ、脱ぎます!
  自分で脱げますから!」

客の元へ向かう売春婦を装うのだから、それらしい格好をしなくてはならない。
これは避けては通れない道なのだと、リベラは自分を納得させた。

110 :創る名無しに見る名無し:2017/05/28(日) 19:31:04.10 ID:RjzEDzA+.net
相変わらず、女達はクスクスと声を潜めて笑っている。
リベラと無関係な雑談で笑っているのだとしても、自意識過剰になっている彼女は、
自分が事を笑われているのかも知れないとの疑念を拭えなかった。
この場に於いて、それだけリベラは異質な存在なのだ。
何点も掛けて焦らす様に服を脱ぎ、下着だけになった彼女を見て、年長の女は小さく笑う。

 「色気の無い下着ね」

嘲笑されたと感じ、リベラは真っ赤になった。
年長の女の態度は、どこと無く義母と似ていると彼女は思う。
リベラとて女性らしいファッションに興味が無い訳ではない。
長旅をする以上、機能性を重視しているだけだ。
清潔にはしている積もりだが、どうしても汗は掻くし、何日も着替えられない時もある。
荷物は少ない方が楽なので、着替えを何着も持ち運ぶ事もしたくない。

 「そっちも替えよっか?」

 「えっ、ええっ!?
  何で、そんな事……」

下着まで替えると言われて、リベラは及び腰になった。

 「だって、見えちゃうよ?
  人に見せても恥ずかしくないのにしないと」

用意された服は、どれも体を隠せる面積が小さい。
普段の何気無い所作でも、隙間から下着が見えてしまう事は、容易に想像出来る。
しかし、用意された下着は何れも股上が浅く、ハイレッグカットの上に透け透けで……。

111 :創る名無しに見る名無し:2017/05/28(日) 19:32:04.58 ID:RjzEDzA+.net
省略(全年齢向けには相応しくない気がしたので)

112 :創る名無しに見る名無し:2017/05/28(日) 19:37:05.61 ID:RjzEDzA+.net
リベラが着替え終えて部屋から出て来たのは、1角後の事だった。
コバルトゥスと用心棒の男は、待ち草臥れて小額を賭けたカード・ゲームの、
ビッグ・オア・スモールをしていた。

 「終わりましたよ〜」

負けが込んでいたコバルトゥスは、女の声を聞いた途端にカードを投げ出し、勝負を有耶無耶に。
男も本気で金を取ろうとしていた訳では無いので、呆れ顔をするだけで済ませる。
女達に連れられて姿を現したリベラは、全く別人の様だった。
薄い化粧で目鼻立ちが際立った顔は、随分と大人に見える。
派手な色合いの服の面積は下着と変わらず、肩も臍も丸出し。
臀部に張り付く様な形のスカートは、太腿を殆ど隠さない。
だが、他の女達と比較して、特に露出が多いと言う訳ではない。
皆似た様な格好だ。
それでもリベラは恥ずかしがって、生まれたばかりの小鹿の様に、内股で猫背になっていた。
その表情は硬く苦笑い。
年長の女がリベラの尻を叩く。

 「背筋を伸ばして、笑顔、笑顔!
  練習したでしょう?」

 「は、はい!」

リベラは精一杯胸を張り、格好付けた。
日頃は女の色香を余り感じさせないリベラでも、こうして見ると中々の物。
コバルトゥスは感嘆の息を吐いて彼女に近寄り、指を3本立てた。

 「お嬢さん、今晩どう?」

冗談の意味が解らず、不思議そうな顔をするリベラが可笑しくて、皆声を抑えて笑う。

113 :創る名無しに見る名無し:2017/05/29(月) 19:23:31.54 ID:Q41CoNwX.net
リベラが着替えている間に、約束の時まで後1針に迫っており、彼女は急いで夕方の街に出掛けた。
街を吹き抜ける風に露な肌を撫でられ、彼女は落ち着かない気持ちになる。
余りに無防備で露出狂の如し。
人目を避ける様に裏通りを早足で行くも、履き慣れない踵の高い靴では歩き難い。
コバルトゥスは少し距離を置いて、彼女を追跡する。
こんな時間に、こんな所を、こんな格好で一人歩いている女に、悪い奴が寄って来ないとは限らない。
リベラは不安を紛らわす為に、テレパシーでコバルトゥスに話し掛ける。

 (コバルトゥスさん、付いて来てますか?)

 (ああ、大丈夫、丁〔ちゃん〕と見てるよ)

 (……余り見ないで下さいね)

 (少しでも目を離す訳には行かないさ。
  君を危ない目には遭わせない。
  今度こそ、絶対に)

微妙に噛み合わない遣り取りの後、コバルトゥスはリベラに言う。

 (不安かも知れないけど、ここからテレパシーは切ってくれ。
  傍受されると行けない)

 (分かりました)

約1針後にリベラは何事も無く、誰にも会わず、目的の「休憩所」に着いた。
都市警察やシェバハに加えて、殺人鬼と何時遭遇するかも知れない地域で、
そうそう気軽に出歩ける人は居ない。

114 :創る名無しに見る名無し:2017/05/29(月) 19:24:47.49 ID:Q41CoNwX.net
『休憩所<レストハウス>』とは簡易宿泊施設である。
『それ用の<スキャム>』ホテルとは違うが、同じ用途で使われる事もある。
従業員が少なく、身元の確認も求められないので、「良くない事」をするには都合が好いのだ。
リベラが休憩所に入ったのを確認して、コバルトゥスも後を追おうとした。
所が、そこで思わぬ邪魔が入る。

 「おい、お前!
  何をしている!」

それは都市警察だった。
コバルトゥスは周囲に気を配っていた積もりだったのだが、感知出来なかった。
この警官が隠密行動に長けていた事もあるが、彼はリベラの監護に集中し過ぎていた。

 「何って、何も……。
  日が暮れ掛けて来たから、そこに泊まろうと思ってたんだ」

コバルトゥスは咄嗟に言い訳したが、都市警察は見逃してくれない。

 「嘘を吐くな!
  お前、女性を付け回していただろう!」

何と彼は殺人犯と誤解されているのだ。

 「いや、俺は殺人犯じゃない!」

 「そんな事は誰も言ってないぞ。
  益々怪しい奴だな」

 「違う、信じてくれ!
  魔法を使っても良い!」

 「何故こんな所に居たんだ?
  熟(じっく)り話を聞かせて貰おう」

 (選りに選って、こんな時に……!
  今、リベラちゃんから目を離す訳には……)

悪い事に、都市警察は応援を呼んでいる。
今の自分の怪しさを客観視出来ないコバルトゥスではないが、間が悪過ぎる。
疑惑が晴れるまで、解放して貰えそうには無い。

115 :創る名無しに見る名無し:2017/05/29(月) 19:26:31.16 ID:Q41CoNwX.net
コバルトゥスが都市警察に捕まっているとも知らないリベラは、窮地には彼が守ってくれると信じ、
不安を押し殺して210号室に向かった。
彼女がドアを叩くと、中から声がする。

 「どうぞ」

 「失礼します」

鍵は掛かっておらず、リベラはドアを開けて室内に入った。
もう日が暮れそうだと言うのに、カーテンは閉めていても、明かりを点けておらず薄暗い。
妙に甘い匂いがするのは、備え付けの芳香剤の所為。
中に居たのは40〜50歳位の男。
白髪混じりの頭髪は整えられており、体型は少し細目で背が高い。

 「少し遅かったね。
  さぁ、こっちに来て、座って」

彼はリベラをベッドの上に誘った。
リベラは怖ず怖ずと近付き、断りを入れる。

 「今日は貴方の相手をしに来たのではありません。
  分かっていますよね?」

 「分かってる、分かってる。
  囮だろう?」

そう言いながらも、男は上着の釦を外し始めた。

116 :創る名無しに見る名無し:2017/05/30(火) 19:28:04.68 ID:Odwyjs+3.net
リベラは慌てて尋ねる。

 「な、何で脱ごうとしてるんですか!?」

 「だって囮なんだから。
  何もしなかったら怪しまれるじゃないか」

 「ち、近寄らないで下さい!」

迫る男から逃れようと、彼女は立ち上がろうとしたが、腕を掴まれる。

 「本気じゃない、本気じゃない。
  真似事をするだけだから。
  絶対に変な事はしないって」

男はリベラを宥めて座らせようとするも、息が荒い。
真似事で済む訳が無いと、リベラは本能的に貞操の危機を察していた。

 「あ、貴方、家庭がありながら、こんな事して恥ずかしくないんですか!」

 「煩いなぁ……。
  妻子持ちだったら、何だって言うんだ?
  そんな説教を聞く為に来たんじゃないぞ」

男は腕力でリベラを強引に手繰り寄せ、抱き留める。

 「君だって囮とか言いながら、そんな格好までして。
  期待してたんだろう?
  嫌らしい女め」

 「これは犯人を誘き出す為に……!」

 「だから、お芝居だって。
  それ以上の事はしない」

男はリベラに密着して背中から腰、尻、太腿を嫌らしく撫で回すが、それだけに止めている。
押し倒して行為に及ぼうとまではしていない。

117 :創る名無しに見る名無し:2017/05/30(火) 19:32:39.96 ID:Odwyjs+3.net
しかし、それとリベラが現状を許容出来るかは別問題だ。
彼女は怒りを露に男の手を掴んで、愛撫を止めさせた。

 「貴方みたいな人の所為で、女の人達が犠牲になっているかも知れないんですよ!」

男は苦笑いする。

 「知らないよ。
  どんな理由があっても、人殺しをする奴が絶対的に悪い。
  そうだろう?」

 「罪悪感は無いんですか!」

 「そんな人非人みたいに言わないでくれ。
  少しは責任を感じている。
  だからこそ、こうやって犯人を捕まえるのに協力してるんじゃないか」

彼の言い訳が本心からの物とは、どうしてもリベラには思えなかった。
責任を感じていると言うのも、本の少しの事で全く反省なんかしていないのではと。
コバルトゥスが時々見せる様な好色な視線を、リベラは男から感じるのだ。
男は不機嫌な顔をしてリベラの手を振り払うと、徐に服を脱いで上半身裸になった。

 「な、何してるんですか!?」

身構える彼女に、男は言い訳する。

 「暑苦しくてなぁ。
  汗を拭いてくれないか」

 「何で、そんな事を!」

 「本番させてくれないなら、その位してくれたって良いじゃないか」

男は無防備にリベラに向かって背中を晒している。
信頼の証と言う訳ではない。
どうにか、この固い女を手篭めに出来ないかと考えているのだ。
偶には何時もと違う楽しみ方をしたいと言う、貪欲なまでの好色さ。
真面な神経をしていれば、殺人事件が起きているのに、こんな真似は出来ない。

118 :創る名無しに見る名無し:2017/05/30(火) 19:35:15.58 ID:Odwyjs+3.net
リベラは次があるかも分からない犯人と接触出来る機会を逃す訳には行かないので、
この下劣な男に付き合わざるを得ない。
加えて言えば、何度も破廉恥な格好はしたくない。
彼女は渋々室内にあった手拭いで男の体を拭いた。
男は大きく息を吐き、沁み沁みと語り始める。

 「この年になると人肌が恋しくなると言うか、人と接する温かさを求める様になってなぁ。
  会社では仕事漬けだし、妻は冷たいし、子供は反抗するし」

 「それで買春ですか」

リベラが棘のある言い方をしても、男は平然としている。

 「息抜きだよ、息抜き。
  私だって事件が早く片付いて欲しいと思っている一人なんだ」

それは買春を何の気兼ねも無く再開出来る様になるからに過ぎないのではないかと、
リベラは内心で軽蔑した。
どんなに表面を取り繕っても、本性は隠せない。
この男が特別に下衆なのか、それともコバルトゥスや他の男も、皆同じなのか?
リベラは男性不信を強めつつあった。
男は暫し無言でリベラに体を拭いて貰っていたが、数点後に止めさせる。

 「もう良いよ、有り難う。
  所で、君も汗を掻いているんじゃないか?
  私が拭いて上げようか?」

下心丸出しの提案に、リベラは拒否感を露に撥ね付けた。

 「止めて下さい」

既に男に対する同情心は疎か、囮作戦に協力してくれた感謝の心も、一欠片も残っていない。

119 :創る名無しに見る名無し:2017/05/30(火) 19:40:14.76 ID:Odwyjs+3.net
それでも男はリベラから手拭いを奪い、執拗に迫る。

 「閉め切った部屋で蒸し暑いだろう?
  服を脱いで」

確かに室内は蒸すが、この男に肌を許す積もりにはなれなかった。

 「これ以上、何を脱ぐって言うんですか!
  嫌です!」

 「良いじゃないか、減る物じゃなし。
  変な事はしないったら」

 「絶対に嫌!」

 「そんな事を言って良いのかい?
  小父さん、帰っちゃうよ?
  折角の囮作戦が、君の我が儘で台無しだ」

粘着質な男の言動に、リベラは遂に逆上して手を出した。

 「好い加減にして下さい!」

身を乗り出して来る男の頬を平手で打つと、怯んだ所を突き飛ばす。
張られた男の頬には真っ赤な跡が残る。
それを塗り潰す様に、彼の顔面全体が更なる赤に染まる。

 「……この女(アマ)っ、やったな!?
  売女の癖に、純情振りやがって!
  人が甘い顔してれば付け上がってよ!」

彼は怒りに震えながら目を吊り上げ、我を忘れてリベラに飛び掛かった。
迎撃しようとしたリベラだが、着慣れない服装で思う様に動けない。
逃れようとした所で、足が縺れて倒れてしまう。
そこを男に押さえられ、馬乗りになられて、彼女は一瞬で窮地に陥る。

 「へへ、捕まえたぞ!」

120 :創る名無しに見る名無し:2017/05/31(水) 19:04:40.45 ID:nPKAGgi0.net
腕力ではリベラは一般的な成人男には敵わない。
それを良い事に、男は彼女を殴って抵抗出来なくさせようとする。
しかし、リベラとて可(か)弱いだけの女ではない。
彼女には格闘術の心得がある。

 「嫌っ、止めてっ!」

両腕で顔面を庇いつつ、男が腕を振り被った僅かな隙を狙って、反撃の突きを喉に叩き込む。
男は思わず喉を押さえ、噎せながら呻いた。
そこへ透かさずリベラは共通魔法を掛ける。

 「動かないでっ!!」

拘束の魔法だ。
男が押さえるべきは喉ではなく耳だった。
リベラが使った魔法は、言語を理解する事で体の動きを封じる類の物。
凛然とした喝破の声は、男の耳から脳に直接響き、戦慄の感情を呼び起こす。
先に喉を潰したのは急所を突いて怯ませる為でもあるが、何より呪文を唱えさせない為。
彼女は動けなくなった男の下から抜け出すと、安堵の息を吐く。

 「わ、私を、ど、どうする積もりだ?」

男は魔法を使われた事に動揺し、俄かに恐縮した。
今や彼の生殺与奪はリベラの掌の内にある。

 「どうもしません。
  囮作戦は終わりです。
  帰って下さい」

彼女は失望を露に、疲れた様に言う。
これ以上は付き合い切れないと見限ったのだ。

121 :創る名無しに見る名無し:2017/05/31(水) 19:07:10.42 ID:nPKAGgi0.net
 「犯人を捕まえられなくても良いのか?」

今更弱気になって協力姿勢を見せる男に、リベラは心底呆れ果てた。

 「もう貴方の手を借りようとは思いません」

 「そ、それは残念」

彼女は魔法を解くと、男が脱いだ服を乱暴に丸めて投げ付ける。
男は服を受け取り損ね、這い蹲って回収すると、逃げる様に部屋を後にした。
一人になってもリベラは立ち尽くし、男の気配が完全に消えてから、漸く緊張が解けて、
その場に座り込んだ。

 「怖かった……」

彼女は小声で漏らし、静かに泣き始める。
コバルトゥスに迫られた時でも、ここまで身の危険を感じる事は無かった。
彼もリベラに強引に言い寄る事はあったが、嫌がれば手を引いた。
男の態度は、どれだけ売春婦が低く見られているかと言う証拠でもある。
丸で人権が無いかの様な扱い。
殆ど記憶から消え掛かっていた、貧民街での扱いが蘇る。
養父に拾われなければ、あの後どうなっていたか……。
そう思うと益々恐ろしくて、震えが止まらなくなる。

122 :創る名無しに見る名無し:2017/05/31(水) 19:09:37.52 ID:nPKAGgi0.net
泣くだけ泣いて数点後に気を取り直した彼女は、自分の姿を顧みた。
只でさえ体を覆う面積が少なかった服は、取っ組み合いで破れたり綻んだりしており、
愈々危ない格好に。

 (どうしよう、これ……。
  替えの服なんて無いし、借り物なのに、こんな襤褸襤褸に……)

二度と売春婦の様な格好はしないと、心に固く誓うリベラ。

 (そう言えば、コバルトゥスさん助けてくれなかったな……。
  『見ている』って言ったのに……。
  調子の良い事ばっかり言って、頼りにならないんだ……)

独り男性不信を深めて絶望する彼女だったが、人の気配が近付いてくるのを察して、
慌てて身構えた。
先の男が戻って来たのか、それともコバルトゥスか?
こう言った宿泊する場所の個室は、魔法での透視、盗視対策で、外部の魔力を遮断している為、
近付いて来る者の正体を探る事は出来ない。
リベラは踵の高い靴を脱ぎ捨て、臨戦態勢に入る。
もしかしたら、男でもコバルトゥスでも無く、殺人犯かも知れない。

123 :創る名無しに見る名無し:2017/06/01(木) 19:38:07.68 ID:gBh5Sl/R.net
犯人の可能性に思い至ったリベラは、駆け足でドアの鍵を閉めようとした。
所が、彼女がドアに近付くより早く、先に外の人物が取っ手に触れてしまう。

 (間に合わない!)

独りでに取っ手が動いたのを見て、リベラは距離を取った。
緩(ゆっ)くりとドアが開けられ、一人の男が室内に侵入して来る。
同時に、魔法の発動に支障があるレベルで、室内の魔力が重苦しくなった。
意図して「威圧」している。
それは敵意の証明。
鼻から上を覆う仮面を装着しており素顔は判らないが、見知っている誰とも違うとリベラは直感した。
よく見ると、彼は右手に直径1足弱の謎の球体を提げている。
その正体に気付き、リベラは慄然とする。
仮面の男が持っている球体は、先まで部屋に居た中年男の生首だ。
胴体から切り離されたばかりなのだろう、傷口からは未だ血が滴っている。

 (この人が犯人!!)

この仮面の男が連続殺人事件の犯人だと言う事は、最早疑い様が無かった。
立ち尽くしているリベラに、仮面の男は無言で生首を放り投げる。

 「わっ!?」

リベラは慌てて後退った。
生首は床を転がり、彼女の足元で止まる。

124 :創る名無しに見る名無し:2017/06/01(木) 19:39:02.89 ID:gBh5Sl/R.net
驚愕と緊張で身動きが取れないリベラに、仮面の男は話し掛けた。

 「……暴行されたのか?」

気遣う様な言葉がリベラは意外で、戸惑いつつも頷く。
仮面の男は態度を急変させ嘲笑した。

 「自業自得だな。
  旧い教えでは、『他人の妻を誘惑してはならない』と言われた。
  それは姦淫の罪であると。
  では、他人の夫を誘惑する者は何か?」

そう問い掛けた仮面の男は、何時の間にか短刀を握っている。
生命の危機を感じたリベラは、強気に言い返した。

 「か、掛かったな!
  これは殺人犯を誘き出す為の囮作戦!
  貴方は罠に嵌まった!
  直ぐに私の仲間が駆け付ける!」

張ったりでは無いのだが、残念ながら今の所は仲間が駆け付ける気配は無い。

 (……コバルトゥスさん、何やってるの!?
  今しか無いって言うのに!)

仮面の男はリベラの言葉を受けて周囲を気にするが、特に変化が無い事を認めると、首を捻る。

 「嘘の脅しか?」

125 :創る名無しに見る名無し:2017/06/01(木) 19:43:39.71 ID:gBh5Sl/R.net
しかし、完全に虚偽だとは決め付けられない様で、暫しリベラを睨んでいた。
この儘、時間を稼げれば良いとリベラは願っていたが、そうは行かない。
仮面の男はリベラに向かって歩み出し始める。

 「嘘でも本当でも、どうでも良いな。
  お前は殺す。
  死して罪を償え」

リベラは距離を取ろうと、壁際まで後退した。

 「何の罪だって言うの!?」

 「他人の夫を誘惑した、姦淫の罪だ」

 「それで他の女の人達も……?」

 「ああ、その通りだ。
  子には親が必要で、親と子の絆を破壊する企みは全て邪悪だ」

仮面の男は淡々と答え、徐々に距離を詰める。
「他人の夫を誘惑した罪」に、リベラは誤解であると言う事が出来ない。
この場に限れば、確かにリベラは中年の男を誘惑する意図は無かった。
だが、彼女の想い人は「養父」――即ち「他人の夫」である。
そこまで仮面の男が理解して、リベラを誹謗している訳では無い事は確実だが、
心に疚しい所がある限りは強く言えない。

126 :創る名無しに見る名無し:2017/06/01(木) 19:45:40.00 ID:gBh5Sl/R.net
彼女は話を続け、とにかく時間を稼ごうとした。
仮面の男が狂人なりの信念に基づいて動いているなら、その正義に反する事は出来ない筈だと、
考えたのだ。

 「だからって、何も殺さなくても!」

 「この地域で最初の殺人が起きてから、今日で何日目だと思う?
  俺は何人殺したと思う?
  改心するには十分な時間だった。
  どいつも、こいつも!」

仮面の男は進路にあった中年の男の生首を、思いっ切り蹴り飛ばす。
生首は壁に打付かって血飛沫を撒き散らし、床に落ちる。
強烈な怒りと憎しみを目の当たりにし、リベラは背筋が凍る思いだった。
彼の過去に何があったか等、知る由も無いが、壮絶な断罪の「決意」だけは伝わる。

 「こんな事態になっても、未だ悪事を止められない様な連中は、余っ程強欲か淫乱か、
  然も無くば自分で物を考える頭も持たない屑だ。
  存在自体が害悪でしかない」

 「あ、貴方は何者だって言うの?
  何の権利があって、そんな……」

他人の不義に憤る心は理解出来ても、裁く権利まであるのかと訴えるリベラに、
仮面の男は憎悪を向ける。

 「随分と余裕があるな。
  自分は殺されないとでも思っているのか?」

リベラは徐々に唯一の出入り口であるドアから離れる方へ、部屋の隅へと追い詰められて行く。

127 :創る名無しに見る名無し:2017/06/02(金) 19:17:56.43 ID:arEGWnlC.net
それでも彼女は無策ではなかった。

 (コバルトゥスさん……未だ助けてくれないんですか?
  今、何をしているんですか?
  ……違う、待ってるだけじゃ駄目!
  自分から助けを呼ばないと!
  自分の命が懸かってるんだから!)

「囮」の為に武器になる様な物は持っていないが、出来る事はある。
窓際に寄った際、リベラは片手でカーテンを引き開けた。
魔力を遮断する文様が描かれていたカーテンを開ければ、僅かではあるが魔力の流れを介して、
外から室内の様子が少し判る様になる。
既に日は沈んでおり、街は灰色に暗み始めた頃で、空には幾つかの星が瞬いている。
仮面の男の意識が、一瞬だけ窓の外に向いた。

 (これだけじゃ、気付いて貰えないかも知れない!
  後一押し!)

リベラは魔力を練って腕に纏わせ、窓を叩き割る。
魔法を用いた格闘術だ。
ガシャンと高い音がして、破片が外に飛び散る。
同時に、彼女は大きく息を吸って、甲高い金切り声を上げた。

 「キーーーーーーーーッ!!」

128 :創る名無しに見る名無し:2017/06/02(金) 19:20:50.24 ID:arEGWnlC.net
仮面の男は焦りを隠して、蛇の様な静かさと撓やかさ、速やかさを以ってリベラに斬り掛かる。
余りの迅(はや)さに、リベラは避ける暇も無い。
僅か数手で鋭い切っ先がリベラの喉元に届こうかと言う、絶体絶命の危機。
瞬間、短刀を持った仮面の男の片腕が肩口から切り離されて、宙を飛んだ。
鮮血が噴き出し、辺りを血の海に変える。
一体何が起こったのか、仮面の男もリベラも混乱した。

 (……これは、魔法剣?)

数極遅れて、コバルトゥスの魔法剣ではないかと、リベラは理解する。
仮面の男は切断された腕を押さえ、激痛に呻く。

 「うぅ、馬鹿なっ!
  誰が、どこから!?」

動揺は明らかで、その隙を突いてリベラは彼を取り押さえようとした。
所が、仮面の男は残った手で別の短刀を握り、振り回す。
それに彼女が怯むと、男は背を向けて一目散に逃走した。

 「ま、待ちなさい!」

リベラの制止を聞く訳も無く、血痕を残しながら部屋の外へ。
後を追おうとした彼女だが、足に力が入らず蹌踉(よろ)めいて倒れてしまう。

 「な、何で……?
  こんな時に!
  あぁ、もう、情け無い!」

リベラは苛立ちの言葉を吐いて、部屋から這い出ようとする。

129 :創る名無しに見る名無し:2017/06/02(金) 19:22:34.81 ID:arEGWnlC.net
仮面の男が開け放ったドアは、構造上自動的に閉まる様になっている。
リベラは這いながら取っ手に縋り付いて立ち上がり、内開きのドアを引き倒す様に開けた。
這いながら廊下に転がり出た彼女に、男女2名の都市警察を引き連れたコバルトゥスが駆け寄る。

 「リベラちゃん!?
  どこを怪我した!?」

体中血塗れで痣がある上に、衣服は襤褸襤褸で、真面に立つ事も出来ないとなると、
無事だと認識する方が難しい。
漸くの味方の登場に、リベラは安心の余り突っ伏したが、気力を振り絞って、
廊下に点々と続く犯人の血痕を指した。

 「は、犯人は、向こう……」

男性警官は頷き、血痕を辿って走り出す。
コバルトゥスはリベラを抱え上げて、回復の精霊魔法を唱える。

 「地よ水よ、人の体を成す物よ。
  風よ火よ、人の命を成す物よ」

聞き慣れない訳語詠唱に女性警官は驚いていたが、コバルトゥスは意に介さない。
魔力がリベラの体を巡り、傷を修復して、体力を取り戻させる。
痛みが引き、活力が漲る感覚を受けて、リベラは立ち上がった。

 「有り難う御座います、コバルトゥスさん。
  ……でも、遅かったですね」

感謝と同時に不信の目を向けられたコバルトゥスは、苦笑いで応じる。

 「い、いや、それは警察が……」

彼は責任を隣の警官に転嫁した。

130 :創る名無しに見る名無し:2017/06/03(土) 20:11:54.23 ID:BVOCV1G4.net
この警官がコバルトゥスを呼び止めたりしなければ、もっと早くリベラが助かったのは事実。
申し訳無さそうな顔をする警官を見て、大凡の事情を察したリベラは、それ以上責めなかった。
コバルトゥスは改めてリベラの姿を見て、気不味そうな顔をする。

 「しかし、それにしても……凄い格好だね」

色情と猟奇を詰め込んだ、『血塗れ恐怖物<スプラッター・ホラー>』の主人公の様な姿。
リベラは顔を顰めて、衣服の破れた部分を手で覆い隠しながら、コバルトゥスには応えず、
都市警察に話し掛ける。

 「部屋の中に、男の人の頭と、犯人の腕があります……」

 「ああ、はい、解りました。
  確認します。
  貴方達には聞きたい事があるので、未だ帰らないで下さい」

警官は室内の様子を確かめに入った。
コバルトゥスは鞄を漁って、リベラに敷布を差し出す。

 「取り敢えず、これで体を隠して。
  血も拭いて上げようか?」

リベラが受け取った敷布を肩に掛けて羽織ると、彼は続けて化粧落としを差し出した。

 「自分で出来ます」

リベラは強気に言って、化粧落としを受け取り、主に顔に掛かった血を拭き落とす。
化粧落としに付着した、化粧と血液が混じった汚れを見て、彼女は嫌な気分になった。
無言で優しく肩を抱き寄せようとするコバルトゥスを、リベラは反射的に拒絶する。

 「やっ!
  ……止めて下さい」

一瞬強く拒んだ後、我に返った様に弱々しい制止の言葉を吐く。
コバルトゥスは心配になって怪訝な顔をした。

131 :創る名無しに見る名無し:2017/06/03(土) 20:14:56.57 ID:BVOCV1G4.net
 「何かあったのかい?」

コバルトゥスの問いに、リベラは小声で答える。

 「……囮で、お芝居の筈だったのに……。
  強引に迫られて……」

男に触られた時の感覚を回想して、嫌悪と恐怖を思い出し、彼女は潸々(さめざめ)と泣いた。
襲われはしたが、最後の一線は守り切ったので、変な誤解をされては行けないと思い、
泣くのを堪えようとしたが、堰を切った様に涙が溢れて来る。

 「もう大丈夫だよ」

コバルトゥスはリベラを抱き締めようとしたが、彼女は又も拒む。

 「……触らないで下さい。
  御免なさい」

その反応が意外で、コバルトゥスは衝撃を受けた。
不安な時、人は温もりを欲しがる物ではないのか、自分は信頼に値しない人間なのかと。
彼は遣り切れなさを覚えて俯く。
そして、大変な時にリベラを守ってやれなかった事を悔やんだ。
2人の間に、気不味い沈黙が訪れる。
そこへ室内を調べていた都市警察が出て来た。
彼女は中の凄惨な状況に蒼褪めた顔をして、リベラに尋ねた。

 「あの頭部は誰の物なんですか?」

 「……囮作戦の『客』役の人です。
  多分……」

 「囮作戦ですか……。
  大凡の話は彼から聞きました。
  幾ら事件を解決する為でも、危ない事はしないで下さい」

 「……済みません」

小さくなって謝るリベラを見て、コバルトゥスは都市警察に憤る。

 「危ない事って!
  半分あんた等の所為で、彼女は危ない目に遭ったんだぞ!」

132 :創る名無しに見る名無し:2017/06/03(土) 20:16:06.51 ID:BVOCV1G4.net
警官は困惑を露に反論した。

 「素人が囮捜査なんて危険な事をするからでしょう。
  しかも、我々に無断で。
  事前に相談されても、絶対に許可はしませんが」

 「あんた等が早々(さっさ)と事件を解決出来てりゃ、こんな事はしなくても済んだんだがな!」

コバルトゥスが苛立ちを都市警察に打付けると、それをリベラが諌める。

 「止めて下さい、コバルトゥスさん。
  ……勝手な事をして済みませんでした」

彼女は改めて都市警察に謝る。
ここで事を荒立てれば、今後の活動にも支障が出る。
コバルトゥスは不満を抑えて、口を閉ざした。
警官は呆れた風に溜め息を吐く。

 「態々売春業者の為に、体を張ってやる事は無いでしょうに」

凡そ市民の安全を守る立場の人間とは思えない言葉が、彼女の口から出た。
当人は失言だと気付く様子も無い。
悪意無く本音が漏れたと言う所。
確かに、真面な人間なら、この事件に関わろうとはしない。
売買春と無関係な真人間には、無縁の事件なのだから。
リベラもコバルトゥスも「酷い言い種だ」とは思ったが、抗議はしなかった。
あれこれ言い争うよりも、黙って過ごした方が賢明だと考えたのだ。

133 :創る名無しに見る名無し:2017/06/04(日) 19:49:45.37 ID:Y2U4V6Eb.net
三者とも何と無く気不味い空気の中で、先にリベラが口を利く。

 「犯人は捕まるでしょうか……」

都市警察は返答に困った。

 「今、仲間が追っています。
  単独犯であれば、そうそう取り逃す事はありません。
  念の為に確認しますが、犯人に心当たりは?」

リベラは無言で首を横に振った。
直後にコバルトゥスが一言添える。

 「片腕を失くして、元気に走り回れるとは思えない。
  直ぐに捕まるさ。
  仲間が居なけりゃな」

リベラはコバルトゥスと都市警察を見て、不安気に尋ねた。

 「あの、客役の人……。
  頭以外は、どこに……?」

応えたのは女性警官。

 「ここに来る途中、階段の踊り場に首の無い男性の死体がありました。
  恐らく、それが……」

リベラは俯いて沈黙する。
殺人犯が狙うのは、所帯持ちの男性客の相手をした売春婦。
彼にも妻子があった。
遺された妻と子を想い、リベラは複雑な気持ちになる。
自分は殺されないと高を括って、懲りずに女を買い漁っていた中年男に罰が当たったと言えば、
そうなのだが……。

134 :創る名無しに見る名無し:2017/06/04(日) 19:53:20.87 ID:Y2U4V6Eb.net
警官はリベラから詳細を聞き出そうとした。

 「何があったのか、詳しく話して貰えませんか?」

リベラは気を落ち着かせ、休憩所に入ってから今までの経緯を語る。
彼女は真っ直ぐ待ち合わせ場所の210号室に向かった。
室内には既に客役の中年の男性が居た。
彼は演技だと言いながら、執拗にリベラに迫った。
リベラは付き合い切れずに、何もせず中年の男性と別れた。
その後、仮面の男が生首を持って入室して来た。
仮面の男は姦淫の罪で、リベラを殺すと言った。
リベラは助けを呼ぶ為にカーテンを開け、窓を割って奇声を上げた。
直後、仮面の男は腕を切られて撤退。
追い掛けようとリベラが廊下に出た所で、コバルトゥス等3人と鉢合わせた。
話を聞き終えた女性警官は、リベラを気遣いつつ質問を続ける。

 「大変な目に遭いましたね。
  その仮面の男に暴行を受けて、怪我をした――」

 「いいえ、怪我は客役の人に……。
  お芝居だって言ってるのに、執拗(しつこ)く迫って来たので、私から暴力を振るってしまいました。
  顔に平手打ちを……。
  それで、逆上されて……」

 「貴女と客役の男は顔見知り?」

 「いいえ、知らない人です……」

 「知らない人?」

それは変ではないかと、女性警官は訝る。
最早、仲介した売春業者の事は隠せないとリベラは感じた。

135 :創る名無しに見る名無し:2017/06/04(日) 19:55:40.61 ID:Y2U4V6Eb.net
警官はリベラを追及する。

 「知らない人が囮捜査に協力するとは考え難いですね。
  誰の手引きですか?」

リベラが黙っていると、コバルトゥスが庇いに入った。

 「俺だ。
  俺から売春業者に囮作戦を持ち掛けた。
  乗ってくれる奴は居ないかってな」

女性警官はコバルトゥスに向き直る。

 「どこの何て言う業者ですか?」

 「それは言えない。
  こちらから厄介事を持ち掛けた分、通すべき筋がある。
  大体、それと事件とは関係が無い筈だ」

 「そこの所は調べてみないと何とも言えません。
  貴方々が共犯者でないとは限りませんから」

 「犯人が捕まれば判るさ」

 「一緒に署まで来て貰えますか?」

 「生憎と、そんなに暇じゃない」

コバルトゥスは都市警察の要請を断った。
都市警察は正式な令状無しに、現行犯でも無い人物を連行する事は出来ない。
女性警官は溜め息を吐いて、改めて要請する。

 「……では、住所を教えて下さい」

 「俺も彼女も旅の身でね」

 「未だ暫く、この街に留まるんでしょう?
  宿泊場所は?」

 「特に決めてない。
  金を出してくれるなら、そこに泊まるよ。
  今から宿を探すとなると大変だからな」

図太い要求に警官は眉を顰め、又も溜め息を吐いて、宿泊場所を指定した。

 「この近くに『スターリー・ナイト』と言う大きなホテルがあります。
  今晩は、そこに泊まって下さい。
  諸々の手続は、こちらで済ませておきます」

136 :創る名無しに見る名無し:2017/06/05(月) 19:42:25.52 ID:UH4DVY01.net
リベラとコバルトゥスは素直に警官に指定されたホテルに向かい、そこで一夜を過ごす事にした。
所が、少々誤解があり、部屋は一室だけしか予約されていなかった。
リベラは抵抗があったが、もう辺りは真っ暗で、今から他の宿を探すには遅過ぎる。
新しく部屋を取ろうにも、スターリー・ナイトは高級ホテルで、一晩でも宿泊料が高い。
コバルトゥスに説得されて、リベラは渋々2人で同室に泊まる事を認める。
実際に部屋を見てみると、高級ホテルだけあって十分に広く、ベッドも2つ離れていたので、
リベラは安心した。
先ず彼女は浴室に入って体を洗い、今日一日の疲れを癒す。
余りにも色々な事があった日だった。
リベラは数針掛けてで湯浴みを終えると、何時もの格好に着替えて浴室から出る。
備え付けの寝間着用のローブは着なかった。
彼女が湯浴みを終えるのをベッドに腰掛けて待っていたコバルトゥスは、真面目な顔で話を始める。

 「リベラちゃん、お疲れの所、悪いんだけど……。
  お互いに何があったのか、確り報告し合った方が良いと思うんだ。
  先ず、俺から聞かせて貰うけど、殺人犯って、どんな奴だった?
  反逆同盟と関係ありそうだった?」

リベラは少し沈黙し、回想してから答えた。

 「分かりません……。
  特有の異様な雰囲気はありませんでした。
  共通魔法ではない特異な能力も使いませんでした。
  顔も仮面で隠れていたので……。
  年齢はコバルトゥスさんと同じ位か、少し年上だったでしょうか……」

 「ラントとは違ったんだね?」

コバルトゥスの問い掛けに、リベラは大きく頷く。
それだけは間違い無く断言出来た。

137 :創る名無しに見る名無し:2017/06/05(月) 19:45:34.06 ID:UH4DVY01.net
今度はリベラがコバルトゥスに尋ねる。

 「……コバルトゥスさんは、犯人が休憩所に入る所を見なかったんですか?」

彼は少し気不味い顔をして答えた。

 「……見なかった」

 「本当に丁(ちゃん)と見張ってくれていたんですか?」

助けが遅かった事をリベラは根に持っていた。
彼女の追及を受けて、コバルトゥスは言い訳を始める。

 「少しだけ、目を離した……けど、何点も見逃していた訳じゃない。
  都市警察に捕まって事情聴取を受けていたんだ。
  勿論、その間も怪しい奴が近付かないか、魔法資質で気配を探っていた」

 「はぁ、都市警察に捕まっていたんですか」

呆れた風にリベラが言うと、彼は申し訳無さそうに項垂れた。

 「連中、休憩所の前を張ってたんだ。
  そこへ持って、あの格好をした君が来て、後を尾(つ)けている俺が居て……」

それは誤解されても仕方が無いと、リベラは力無く笑う。
コバルトゥスは改めて彼女に謝罪した。

 「本当に済まなかった。
  『絶対に君を危険な目には遭わせない』と大口を叩いておきながら、この為体(ていたらく)」

 「……仕方無いですよ」

リベラは慰めの言葉を掛けたが、コバルトゥスは頷かない。

 「いや、許される事じゃない。
  殺人犯と一対一にさせてしまった事もあるけど、それ以上に……」

138 :創る名無しに見る名無し:2017/06/05(月) 19:47:28.96 ID:UH4DVY01.net
彼は客役の男にリベラが襲われた時に、守れなかった事を悔やんでいた。

 「無事で良かった、本当に。
  君に何かあったら、お父さんに合わせる顔が無い」

素直に安堵するコバルトゥスとは対照的に、リベラは俯き加減になって彼に言う。

 「お客さん役の男の人、殺されてしまいました……」

 「あ、ああ……。
  だけど、それは彼の自業自得じゃないか!
  こんな時でも買春を続ける様な常習犯で、君も……襲われたんだろう?」

気にする事は無いと言い切るコバルトゥスに、リベラは小さく頷きつつも反論した。

 「あの人にも、帰りを待っている家族が居た筈です……。
  それが、こんなになってしまって……。
  遺された家族は、どんな気持ちになるでしょう。
  そう考えると、『悲しい』とも又違う、何とも言えない恐ろしい気持ちになるんです」

客役の男の死が、どんな形で遺族に伝えられるかは分からない。
買春を続けて事件に巻き込まれたと事実を伝えるのか、囮作戦に協力した善意の人と伝えるのか、
それとも両者共違う伏せ方をするのか……。
何れにしても、リベラとコバルトゥスは遺族と会わない方が良い事は明確だった。
自分達の罪悪感を薄める為に、遺族に真実を告げた所で、それは深い悲しみを生むだけで、
自己満足にもならない。
重苦しい沈黙が続き、先にリベラが口を利く。

 「犯人は『姦淫の罪』だと言っていました。
  人の妻を誘惑するのも、人の夫を誘惑するのも変わらない。
  子には親が必要で、親と子の絆を破壊する物は邪悪だと。
  だから、殺すのだと……」

 「人に清廉潔白を強要するって事は、シェバハかな?」

 「……分かりません。
  シェバハの事は、よく知りませんから……」

先からリベラは俯いてばかりだ。

139 :創る名無しに見る名無し:2017/06/06(火) 19:14:31.17 ID:TiEWTHgg.net
彼女を気遣い、コバルトゥスは提案した。

 「今日の所は、もう寝ようか?
  未だ時間は早いけど……。
  俺も今日は疲れた」

リベラは小さく頷き、空いている方のベッドに横になる。
コバルトゥスは魔法で部屋の明かりを消すと、黙ってリベラより先に眠った。
何時もなら、こんな状況では変に張り切って、あれこれリベラに小(ちょ)っ掻いを掛ける彼だが、
今夜は妙に大人しい。

 (気を遣われたのかな……)

リベラはコバルトゥスの気遣いを嬉しく思わない訳では無かったが、今は感謝の気持ちよりも、
不安や悩みが勝った。
犯人は捕まったのか?
都市警察は自分達を解放してくれるか?
義弟は本当に関与していないのか?
幾ら思った所で、今は何も出来ないのだが、煩いが止む事は無かった。

 (お養父さん……、ラント……、お義母さん……。
  お母さん……、お父さん……)

中々寝付けず、様々な事に想いを馳せている内に、リベラは眠りに落ちた。
彼女が目覚めたのは、翌朝南東の時過ぎ。
既に日は高く、彼女にしては珍しく寝坊した。

140 :創る名無しに見る名無し:2017/06/06(火) 19:16:36.22 ID:TiEWTHgg.net
慌てて飛び起きたリベラに、コバルトゥスが優しく言う。

 「かなり疲れてたみたいだね。
  未だ寝足りないなら、寝てて良いよ。
  急ぐ予定も無い事だし」

昨晩と変わらず、彼は紳士的だ。
リベラとは一定の距離を置いて、不用意に近付こうとしない。

 (……確りしないと。
  何時までも、甘えていては駄目)

リベラは一度深呼吸をすると、気合を入れて起き上がった。

 「大丈夫です。
  都市警察に話を聞きに行きましょう」

気丈に振る舞う彼女を見て、コバルトゥスは怪訝な顔をしたが、特に何かを言う事は無い。
無言で支度を整え、リベラに合わせて何時でも出掛けられる様に準備する。
それから約2針後、部屋から出ようとした2人の前に、昨日会った男性の都市警察が現れた。

 「お早う御座います……と言うには、少し遅いですかね?
  今日は。
  お話があって参りました」

話とは何かと身構えるリベラとコバルトゥスに対して、都市警察の男は困った顔をした後、告白する。

 「昨日の殺人犯ですが……。
  申し訳ありません、取り逃がしてしまいました」

141 :創る名無しに見る名無し:2017/06/06(火) 19:20:12.31 ID:TiEWTHgg.net
 「えっ!?」

あの怪我で逃げ遂せたのかとリベラが驚愕を露にする一方で、コバルトゥスは険しい表情で、
都市警察に問う。

 「仲間が居たのか?」

 「……恐らく。
  『袋小路<デッドロック>』に追い詰めた所までは良かったのですが、突如赤い風が吹いて……、
  忽然と姿を消しました。
  その時、犯人が根源ではない異常な魔力の流れを感知したので……」

「赤い風」と聞いて、2人は小首を傾げた。
忽然と姿を消す技を反逆同盟の者が使う所は見た事がある。
しかし、赤い風には覚えが無い。
男性警官は2人の反応を怪しんだ。

 「何か心当たりが?」

コバルトゥスが応じる。

 「いや、特には……」

2人の知らない反逆同盟のメンバーの技なのか、それとも全く別の物だろうか?
何も彼も分からない事だらけだ。
取り敢えず、その答に嘘が無い事を認めた都市警察の男は、一礼をし改めて謝罪した。

 「あの怪我と失血量で助かるとは思えませんが……。
  犯人を取り逃した事は、我々都市警察の失態です。
  面目ありません」

共通魔法の常識に縛られている者に、未知の魔法使いの相手は難しい。
リベラもコバルトゥスも都市警察を責める事はしなかった。

142 :創る名無しに見る名無し:2017/06/07(水) 19:33:19.73 ID:11pJ2JiD.net
それから売春婦を狙った殺人事件は礑(ぱった)りと止んだ事から、犯人は遠くに逃げたか、
重傷を負って療養中か、既に死亡したと思われた。
進展があったのは、囮作戦から3日後の事。
犯人の遺留物と遺伝子情報が一致する死体が発見された。
場所はマスタード市内の廃屋。
死因は大量の失血だった。
コバルトゥスは例の酒場で、再び売春業者の用心棒と会った。

 「どうしていた?
  暫く姿を見なかったから、どうなったかと心配したぞ」

用心棒の男が発した意外な言葉に、コバルトゥスは愛想笑いで応じる。

 「都市警察に目を付けられていてな。
  迂闊に動けなかった。
  犯人が見付かって、それで漸く解放されたって訳だ」

 「そうだったか……」

 「所で、囮作戦に協力して貰った常連の件だが――」

 「ああ、残念な事だ。
  大事な金蔓が1人居なくなった」

用心棒の男は当て付ける訳でも、悲しむ訳でも無く、淡々と言った。
彼の中では常連は金蔓、女達は商品、そうした無味乾燥な人間関係が徹底されている。
コバルトゥスは形だけの謝罪をする。

 「それに関しては悪かったと思っている。
  だが……、少々文句を言わせて欲しい」

 「何だ?」

弁解でも感謝でも無く、文句とは一体どうした事だと、用心棒の男は驚いた顔をした。

143 :創る名無しに見る名無し:2017/06/07(水) 19:35:01.62 ID:11pJ2JiD.net
コバルトゥスの「文句」とは他でも無い、常連客がリベラを襲った事に就いてだ。

 「囮作戦は飽くまで芝居、演技と断っておいた筈だ。
  それなのに、野郎は俺の連れに無理遣り迫って来た。
  何て説明したんだ?」

用心棒の男は苦笑いで言い訳する。

 「あぁ、そんな事があったのか……。
  いや、丁と説明はしたんだがな……。
  こんな時でも女を買いに来る位の好き者だからなぁ……」

 「笑い事じゃないぞ。
  彼女は堅気だと言った」

コバウルトゥスが真剣な声で脅し掛けると、彼は何とか宥めようとした。

 「そう怒らないでくれ。
  俺は必要な説明はした。
  後は、あの男が勝手にした事だ。
  責任の取り様が無い。
  他に囮なんて引き受けてくれる奴も居なかったしな」

だが、それは余りにも無責任な言い方。
事実その通りだったとしても、印象は最悪。
コバルトゥスが舌打ちをすると、用心棒の男は困り顔で言う。

 「どうしろって言うんだ?
  詫びの品が欲しいってんなら、1回だけ好きな女を指名出来る只券でも――」

 「もう良い。
  分からない奴だな」

コバルトゥスは話を打ち切ると、席を立った。

144 :創る名無しに見る名無し:2017/06/07(水) 19:36:06.37 ID:11pJ2JiD.net
用心棒の男は彼を呼び止める。

 「帰るのか?」

コバルトゥスは肯いた。

 「事件は終わった。
  俺達は無関係だ」

 「残念だな」

余り残念では無さそうに用心棒の男は言う。
それで2人は別れた。
お互いに二度と会うことは無いだろうと思いながら……。


※:借りた衣装は返却せずに捨てた。

145 :創る名無しに見る名無し:2017/06/08(木) 19:24:22.31 ID:D0q15N7c.net
事件は1人の狂人の仕業であった。
犯人は長年行方不明になっていた、共通魔法社会に籍を置く男だった。
両親が離婚し、父と2人で暫く生活を続けていたが、父の死後に行方を晦ましていた。
特に親しい人間も居らず、誰も彼を探そうとはしなかった。
彼の母は再婚済みで、警察の聴取や記者の取材に対して、息子とは絶縁状態だった事を強調した。
丸で、自分とは全く関係の無い事だと言う様に。
孤独と人間不信が、彼を凶行に走らせたのだ。
事件に外道魔法が利用されたり、外道魔法使いの集団が関与しているのではないかと、
魔導師会が動いたが、共犯者を特定出来る明確な痕跡は見付からなかった。
最期の逃亡を除いて、男は飽くまで共通魔法社会の常識の範囲内で、犯行を繰り返していた。
シェバハは巨人事件に続く連続殺人事件の発生に、外道魔法使いの関与を疑って、
「治安維持」の為に自主的に「出張」して来ていた。
よって、シェバハは犯行とは無関係であった。
売買春を快く思っていなかったのは事実だが、マスタード市内で「殺し」はしていなかった。
事件の大凡の関係が明らかになった事で、マスタード市民は早期に平穏を取り戻した。
逃亡を幇助した者に関しては謎が残ったが、実行犯ではなかったと言う事で重要視されなかった。
但、魔導師会はマスタード市にも、特別に編成した執行者の部隊を派遣して、
これ以上事件が起こらない様に警戒を強めた。

146 :創る名無しに見る名無し:2017/06/08(木) 19:25:55.07 ID:D0q15N7c.net
3日前 マスタード市内の廃屋にて


「やれやれ、『女』に助けられるとはな……」

「誰が助けても変わりは無かろうに。開口一番、感謝の言葉も無しに、これではな……」

「助けてくれと言った覚えは無い」

「減らず口を……。私も助ける積もりは無かった。ジャヴァニとシュバトに感謝しろ。今、治療する」

「止せ、解っているんだ。俺は助からない」

「……助かろうと言う気が無ければ、助かる物も助かるまい」

「如何に奇跡の魔法でも、人の死は覆らない。そうだろう……?」

「確率は高いとは言い難いが、無駄か否かは試してみなければ――」

「そうではない。『もう良い』と言っているんだ。傷は深い。血を流し過ぎた。立ち直れそうに無い。
 痛みを飛ばしても判る。持って数点……」

147 :創る名無しに見る名無し:2017/06/08(木) 19:29:07.57 ID:D0q15N7c.net
「復讐は果たせたのか? 気は済んだのか?」

「世には未だ未だ、憎むべき悪が多い。だが、俺は終わりだ。悪を為すは人の宿業。
 世から不義を無くす等、俺独りで到底叶えられる様な事では無かった。解っていた事だ……。
 認めたくなかったが……」

「諦めるのか?」

「俺も又、不義が生んだ悪。親を憎む子に明日が無い様に、悪が生んだ悪である俺も――」

「屈するのか?」

「違う、俺は悪に屈するのではない。善に屈するのだ。俺は余りに多くの者を殺して来た。
 男も女も子供も……。復讐の大義を翳そうとも罪は罪。報いを受ける時が来たのだ」

「報いか……」

「……済まん、嘘だ。強がった。本当は……。本当は、疲れたんだ。実に中途半端だが……。
 これ以上は続ける気力が無い。母を憎み、父を憎み、不義を憎んで生きて来たが、
 憎しみも無限では無かった。俺は自分が思っていた以上に、底の浅い凡人だった。
 是式の事で折れるとは……」

「何も成せずに死す事に、悔いは無いのか?」

「無いと言えば嘘になる。……あぁ、こうしている間にも、どこかで不義が行われ、
 悲しむ子が生まれているんだろう……。だが、もう体が、心が動かないんだ。許してくれ。
 ……時間が無くなって来た。お前は、どうする?」

148 :創る名無しに見る名無し:2017/06/08(木) 19:30:27.09 ID:D0q15N7c.net
「『どうする』……とは?」

「復讐の為に生きていると聞いた時、俺と似た物を感じた。未だ続けるのか?」

「当然だ」

「……俺の様な凡人とは違うか……。最期に頼みがある」

「何だ?」

「魔法的な痕跡は消して……、俺の死体は、この儘ここに置いて行ってくれ」

「何故?」

「最期の復讐だ。俺の身元が判明すれば……」

「身元? 親か」

「そうだ、最初から最期は決めていた。親とも呼びたくない存在だが、その事実からは逃れられない。
 だから、思い知らせてやるんだ。俺が生まれたのは誰の所為か……」

「悲しいな」

「憐れむか……。以前の俺なら激怒していた所だが、今は……唯、虚しい……。そろそろ時間だ。
 あぁ、忘れる所だった……。有り難う。最期に人と話せて良かった。シュバトとジャヴァニにも……」

149 :創る名無しに見る名無し:2017/06/08(木) 19:32:49.24 ID:D0q15N7c.net
「死んだな。最期に遺す物が、親への憎しみとは。全ては大義名分で、唯その為に生きて来たのか」

「シュバト、彼の怨念は蘇らせないのか?」

「無理だ。彼は彼なりに自分の生と死に折り合いを付け、納得して逝った。強烈な不満や憎悪、
 後悔、憤怒が怨念を生み出す。恨みを持たない者は安らかな眠りを得られる。それは良い事だ」

「解らんな。親への憎しみが残っているのでは?」

「死によって、彼の復讐は完成する。それが齎す結果に、彼自身は興味が無い様だ。
 余程、疲れていたと見える。死を前に他者へ感謝の言葉を遺す程に」

「どこまでも独り善がりだな。あれだけの罪を犯しながら、安らかに眠る事が許されるのか」

「既に死した者を呪っても無意味だ。現世は生ある物の為に。死後の名誉ですら、
 死者の物ではない。それが無くては困る者が居るに過ぎない」

「確かに、死者を呪う事程、虚しい事も無いな」

「死した者には何も無い。それでも未だ続けるか?」

「……私に聞いているのか?」

「復讐を続ける資格はあると思うか?」

「資格? 何が言いたい!」

「私は呪詛を叶える物。全ては怨念の儘に」

150 :創る名無しに見る名無し:2017/06/09(金) 19:23:56.72 ID:y/2MxrmD.net
『炎の角<バーナー・ホーン>』


火竜バーナー・ホーン、名前の由来は『角笛<ホルン>』である。
轟音と共に口から火焔を噴く様が、角笛を奏でるが如きから、その名が付いたとされる。
ファイア・ホルン、フレイム・ブラスター等、異名が幾つかある。
全身を覆う硬い鱗は、鞣革の様に照ら付き、炎を吐く口は石油の臭いがすると言う。
又、その体内には溶岩の如く真っ赤に燃える血が流れており、糞は石炭となると言う。
大竜群の生き残りであり、炭鉱に隠れ棲んでいた。
「炭鉱」から生まれた想像上の怪物と思われる。

151 :創る名無しに見る名無し:2017/06/09(金) 19:24:52.48 ID:y/2MxrmD.net
竜の末期


大竜群と人間との戦い、所謂「大竜戦争」は4代聖君カタロトの活躍によって人間の勝利に終わった。
恐怖で人間を抑制しようと言う、3代聖君ディケンドロスの試みは、同じ聖君に打ち砕かれたのだ。
皇竜ベルムデライルが討たれた事で大竜群は潰走し、各地に散って隠れた。
多くの竜は眠りに就くか、俗化して害獣に成り下がった。
その後、蘇った戦禍竜アマントサングインが竜の復権を目指して第二次大竜戦争を起こすが、
これは8代聖君ユーティクスによって阻止される。
再び大竜群は潰走し、二度と再起する事は無かった。
第一次大竜戦争と第二次大竜戦争の間が、何年あったのかは不明である。
1000年とも2000年とも言われるが、定かではない。
本当に「大竜戦争」があったのかも疑われている。
先代聖君の没後から次代聖君の誕生まで、百年から数百年の間隔があり、1000と言う数字は、
そこから導かれた物と考えられている。
ユーティクスの時代には神器は伝説の物となっており、彼は竜退治の為に神器を探したとあるが、
実際には5代聖君エルガロードの頃には失われていた可能性が高い。
エルガロードが聖君になった際の記述には、一切神器が登場しない為である。

152 :創る名無しに見る名無し:2017/06/09(金) 19:28:04.75 ID:y/2MxrmD.net
第一次大竜戦争で討たれた筈のアマントサングインが蘇り、第二次大竜戦争が起きた事から、
千年、或いは数千年に一度、竜が蘇って人を襲うと言う伝説が誕生した。
それは人間が信仰心と自然に対する畏敬の心を失う為であり、再び災いを齎さない様に、
人は謙虚に生きるべきだと言われた。
しかしながら、第三次大竜戦争が起きる前に、魔法大戦が起きてしまった。
もしかしたら、魔法大戦後――即ち、魔法暦に第三次大竜戦争が起きるのではないかと、
予想する人も居たが、幸いな事に未だ前兆は無い。
遠い将来、アマントサングインが蘇った様に、旧い時代の竜が蘇らないとも限らない。
アマントサングインの復活は詳細不明である。
伝説には「邪悪な力を得て蘇った」、神ではなく「邪悪な物」に蘇らされたと記してある。
真相は不明だが、竜を操る邪悪な魔法使いが居たのかも知れない。
第三次大竜戦争は度々人々の噂になるが、それには勿論理由がある。
復興期、「竜」と戦ったと言う者の記録があるのだ。
魔導師会の正式な記録ではない為に信憑性は低いが……。
そこに登場するのが、「バーナー・ホーン」である。

153 :創る名無しに見る名無し:2017/06/10(土) 19:42:55.53 ID:7/dwemDI.net
バーナー・ホーンはエグゼラ地方の炭鉱山に棲み着いていた。
これが吐き出す火炎の息には猛毒が含まれており、毒気に罹ると気が狂れて、
酷い時には数日で死に至るとされた。
鉱山から噴き出す可燃性ガスや有毒ガス、或いは塵肺、気素欠乏の事と思われる。
エグゼラ地方は寒冷地の為に暖を取る必要があり、復興期、魔導師会の到着前から、
炭鉱で石炭の採掘が普通に行われていた。
尤も、採掘は「必要な分」だけに留まり、産業として成立する程の物では無かった様だ。
先述の様に、鉱山での労働には鉱山病が付き物で、それを北方の人々は嫌ったと思われる。
バーナー・ホーンが棲息していたとされるガンガー山麓の炭鉱山は、今は廃鉱となっている。
崩落や有毒ガスの噴出が懸念される為、現在でも進入禁止だ。
鉱山の名前は『火竜炭鉱<フォイエルドラッハ・コーレンベルク>』で、やはりバーナー・ホーンが由来。
バーナー・ホーンは炭鉱の深部に巣を作り、石炭を採ろうと近付いた人間を襲ったと言う。
これを魔導師会到着前に「名も無き英雄」が退治し、人々は安全に石炭を採れる様になったが、
直ぐに枯れてしまった。
何故なら、石炭を生み出していたのは、他ならぬバーナー・ホーンだったのだから……。
この様な「金の卵を産む鳥」に似た話が、エグゼラ地方に伝説として残っている。

154 :創る名無しに見る名無し:2017/06/10(土) 19:44:09.05 ID:7/dwemDI.net
バーナー・ホーンは現地名フォイエルホルンの訳である。
旧暦の伝説にあるバーナー・ホーン(ウストール・コルヌ)との関連は不明。
伝説の類似から名を当てた物と思われる。
「名も無き英雄」は勇敢な地元民で、名を「シュタイン」とする物もある。
これは所謂「当時の一般的な名前」であり、無名では不便な為に付けられた名前で、
本名と言う訳では無い様だ。
「竜を倒した」と言う一点では確かに英雄だが、炭鉱が枯れてしまったのも彼の所為なので、
称えられる事は無かった。
それが名前が残っていない理由であろう。
シュタインの竜退治の方法が変わった物で、火炎を防ぐ為に雪の鎧と氷の盾を装備し、
毒を封じる為に灰を混ぜた水を打ち撒け、氷柱の剣で止めを刺したと伝えられている。
灰を混ぜた水を撒いたのは強酸ガスを中和する為か?
化学知識があった訳ではなく、経験則からの行動と思われる。
実際に竜が居たとして、氷柱の剣で倒せる物かは不明。
石炭が採れなくなったのは、単純に長年の採掘で石炭が枯渇した為であろう。

155 :創る名無しに見る名無し:2017/06/10(土) 19:51:28.23 ID:7/dwemDI.net
他にも南方で『水竜<アクア・ドラゴン>』、『海竜<シー・ドラゴン>』の話がある。
海が広がった影響で、海棲生物が巨大化した。
これは海獣類だけでなく、魚類や軟体動物類、その他も同様である。
海蛇も例外ではない。
よって、多くの海竜の目撃談は海蛇の誤認であったか、海蛇を現地で海竜と呼んだ物だった。
この海蛇には海棲の爬虫類と、蛇に似た魚類(鰻の仲間)があるが、どちらも大型化するので、
両方の可能性がある。
旧暦の伝説の様な、竜らしい竜の目撃は実は少ないが、雑誌記者が面白半分に話を大きくして、
竜の再来だと煽る例があった。
旧暦の大竜群には海竜と言う分類があり、アルアンガレリアの子に海を統べるマーレグランディート、
ベルムデライルの子に荒れ狂う波のフルクフルフェリが居る。
「竜らしい竜」とは翼を持つ物で、マーレグランディートやフルクフルフェリも有翼で、「飛翔」する。
海竜の形態は様々だが、4本の足と背中の翼は退化はしていても残っているとされる。
旧暦の事なので、それが絶対に正しいと言う保証は無いが、少なくとも単なる海蛇とは違うだろう。
南方の海竜は「アルー」、「ウラー」、「ダーロ」等と呼ばれており、竜の再来と騒がれた理由は、
こうした呼び名を旧暦の海竜を表す単語に故事付けた為と思われる。

156 :創る名無しに見る名無し:2017/06/11(日) 21:00:34.47 ID:HUERwduK.net
ディケンドロスの竜達


3代聖君ディケンドロスは歴戦の傭兵であった。
既婚者で妻子を深く愛していたが、当時は乱世で平穏な暮らしは望めなかった。
ある時、故郷の町が賊軍の侵略を受け、家を焼かれ、妻子を失った。
以後、彼は復讐鬼となって、益々戦いに没頭して行った。
しかし、明けても暮れても終わらぬ戦いの日々に疲れた彼は、神意を受けて王を志した。
己が真の王となって、乱世を終わらせるより他に無いと。
奇跡の力で仲間を得て、国と言う国を打ち倒し、遂に彼は神王となったが、死後に不安があった。
果たして、人は再び争いを起こさずに居られるだろうか?
ディケンドロスは神王になった証として行う、生命創造の奇跡の儀式で、「竜」を生み出した。
その竜は彼の偉容を顕す様に、美しく、雄大にして壮麗で、人々は唯々見惚れたと言う。
だが、ディケンドロスは密かに竜に願いを託していた。
もし自分の死後、愚かにも再び人々が争い合う様な事があったら、今度は竜が人の上に立ち、
全ての争いを収める様にと。
そして、彼の没後から100年もしない内に、世界は分断され、戦争が起きてしまった。
竜はディケンドロスの志を受け継ぎ、人を制しに降臨した。


聖竜アルアンガレリア


ディケンドロスが人類の脅威とするべく、生命創造の奇跡で生み出した「最初の竜」。
全ての竜の母と呼ばれる。
己の使命に忠実ではあるが、人間を憎悪している様子は無く、寧ろ守るべきだと考えている。
第一次大竜戦争では中立的な立場を取っていたが、4代聖君カタロトの要請を受けて、
神槍コー・シアーと神盾セーヴァス・ロコ、そして末子の守護竜ミスティクスタを預けた。
嵐を伴う雲の上にある「天空の大地」に棲むとされるが、正確な所在地は不明。
「母」だけあって雌の竜とされ、強大な能力を持つ「アルアンガレリアの初子(ういご)達」を産んだ。
しかし、子を産むのに雄が必要だった描写は無く、生物学的な意味での「雌」ではないと思われる。
その体は白い霧の様で、清涼な空気を纏いながらも、確かな温かさを持つ。
大きさは雲の塔頂に等しいとされ、これは入道雲を「雲の塔」と表現する事に因む。
母と優しさ、慈愛の象徴であり、翼には守護の力が、ブレスには生命の力があるとされる。

157 :創る名無しに見る名無し:2017/06/11(日) 21:03:45.50 ID:HUERwduK.net
皇竜ベルムデライル


アルアンガレリアの長子にして、3代聖君ディケンドロスの志を継ぐ物。
4枚の翼を持ち、黄金の鱗に覆われた、不死不滅の竜。
城程もある巨体で、口から吐くブレスは、あらゆる物を消し飛ばす。
翼を広げると太陽が隠れ、羽撃きは都市を壊滅させる程の雷を呼ぶ。
咆哮だけで山を砕き、尻尾を薙げば街が消えた。
黄金の鱗は如何なる手段を以ってしても絶対に傷付けられず、その爪は巨岩を紙の様に切り裂く。
アルアンガレリアと同様に、ベルムデライルも強大な能力を有する子を複数持ち、
忠実な配下として従えている。
人類の脅威となるべく大竜群を率いて、地上の全ての国家に戦いを挑んだ。
これが第一次大竜戦争であり、ベルムデライルは大竜群の総大将。
危機に瀕しても全く協調姿勢を見せない人類に怒り、一度文明を崩壊させる。
その後も世界を恐怖で支配し続けたが、亡国の王子である4代聖君カタロトに敗れ、
大雪山ニヴァリスで永眠した。
明確に雄の竜とされているが、子を生むのに雌が必要だった描写は無く、産卵した訳でも無く、
生物学的な意味での「雄」ではないと思われる。

158 :創る名無しに見る名無し:2017/06/11(日) 21:04:59.80 ID:HUERwduK.net
大地竜クイエドリミエス


アルアンガレリアの2番目の子で、大地と巨峰の化身。
地の底に潜み、滅多に地上には現れない。
数十年から数百年に一度目覚めて、大地震や地割れを起こすと言われる。
地の底に眠っているとされる為か、外見や能力に関する記述が少ない。
地上の如何なる物質よりも硬い皮膚を持ち、傷付ける事は出来ないとされる。
2度の大竜戦争の両方に参加していない。
その為に存在自体を無視され、アルアンガレリアの子と数えられない事もある。
重巨獣グラバゴスと同一視される事が多い。
基本的に無性とされるが、雌とする史料もある。


天空竜デュアルクガーラ


アルアンガレリアの3番目の子で、大空と風と雲の化身。
悠然と空を游ぐ雲の竜。
嵐の時は黒竜に、快晴の時は青竜に、昼は白竜に、朝夕は赤竜に変じ、夜は星の瞬きを纏う。
風や雷を操る能力を持ち、羽撃きは竜巻に、咆哮は雷に、ブレスは城壁をも破る突風となる。
体は大気その物で、真面な攻撃では傷付かない。
第一次大竜戦争では飛竜群を率いて、大空を支配した。
空を汚す煙を嫌い、戦火を滅しに向かう。
雲上の戦いでコー・シアーを手にしたカタロトに敗れた後は、世界で最も高い場所で、
地上を見守ったと言う。
第二次大竜戦争には参戦せず。
基本的に無性とされるが、雌とする史料もある。


大海竜マーレグランディート


アルアンガレリアの4番目の子で、大海原と波濤の化身。
清らかな海を愛し、海を汚す者には怒りを露にする。
波や海流を操る他、水を浄化する能力を持つ。
羽撃きは津波を引き起こし、咆哮は大渦潮となって船を沈める。
ブレスは全てを押し流し、尻尾の一撃は装甲艦を叩き割った。
体は海水その物で、真面な攻撃では傷付かない。
大竜戦争では2度共、海竜群を率いて、海を渡る軍艦を襲撃した。
カタロトともユーティクスとも戦う機会は無かったが、総大将が敗れた後は海の底で眠りに就いた。
基本的に無性とされるが、雌とする史料もある。
由来は第二次大竜戦争を題材にしたユーティクスの物語にて、ベルムデライルの子等に、
「叔母貴」と呼ばれていた事から。
クイエドリミエスとデュアルクガーラを雌と言う史料があるのは、マーレグランディートからの類推。
この三竜はアルアンガレリアの初子達の中でも、大自然を司る特別な竜とされている。

159 :創る名無しに見る名無し:2017/06/12(月) 19:32:35.00 ID:k7vLejDW.net
戦禍竜アマントサングイン


アルアンガレリアの5番目の子で、好戦的な性格。
戦争と災厄の化身。
争いを憎む戦闘狂と言う、矛盾した存在。
ベルムデライルに次いで、或いは、それ以上にディケンドロスの怒りを色濃く受け継いだ。
3枚の翼を持ち、赤黒い液体に濡れる黒い鱗に覆われた不死不滅の竜。
城程もある巨体で、口から吐くブレスは鉄は疎か、生物をも溶かす腐蝕ガスとなる。
真っ赤な体液は強酸性で鉄の刃を通さず、傷付ける事が出来ても返り血を浴びると、
皮膚が爛れて焼け死ぬとされる。
2度の大竜戦争で、無数の戦竜を率いて「人間」を襲い続けた。
不定形で神出鬼没、血の雨として地上に降り注いだり、大地から滲み出たりする。
血の臭いを嗅ぎ付けては戦場を荒らし回る。
第一次大竜戦争にて古戦場でカタロトに討たれるが、後に蘇り、第二次大竜戦争を引き起こす。
カタロトに討たれた場所は竜の墓場と呼ばれる様になり、第二次大竜戦争の最終決戦場になった。
第二次大竜戦争ではベルムデライルに代わって大竜群の総大将となったが、
8代聖君ユーティクスに敗北する。
雄とする史料が多い。
由来は第二次大竜戦争を題材にしたユーティクスの物語にて、ベルムデライルの子等に、
「叔父貴」と呼ばれていた事から。

160 :創る名無しに見る名無し:2017/06/12(月) 19:36:01.91 ID:k7vLejDW.net
大火竜バルカンレギナ


アルアンガレリアの6番目の子で、火山と溶岩の化身。
太陽の様に輝きながら燃える鱗を持った赤竜。
その体は城より大きく、バルカン山に等しいとされる。
体は溶岩その物で、真面な攻撃では傷付かず、崩れても直ぐに再生する。
羽撃きで火山弾を振り撒き、咆哮は地鳴りとなり、ブレスは全てを焼き尽くす。
尻尾を薙けば辺り一面が火の海になる。
常に高熱を纏っており、近付くだけで焼け死ぬとされる。
高温でも溶けない爪や牙は不安定な金属で出来ており、硬い物に当たると大爆発を起こして、
有害な放射線を撒き散らす。
バルカン山での戦いでカタロトに敗れた後は、マグマの中で眠りに就いた。
大氷竜ヴェルテクリュスタルとは双子であると言われる。
明確に雌の竜とされている。


大氷竜ヴェルテクリュスタル


アルアンガレリアの7番目の子で、氷雪と寒気の化身。
ニヴァリスヴェルテクスとも呼ばれる。
凍て付く冷気を纏い、白銀に輝く鱗を持った白竜。
その体は城より大きく、ニヴァリス山の頂に積もった白雪に等しいとされる。
体は氷雪その物で、崩れても直ぐに再生する。
実は冷気こそが本体であり、真面な攻撃は通じない。
羽撃きで雪崩や猛吹雪を起こし、咆哮には物体の運動を停止させる効果がある。
冷気のブレスを浴びると一瞬で氷付けになり、氷の瞳で睨まれると心臓が止まる。
強力な冷気の為に、近付く事さえ儘ならず、その鱗に触れた物は皆凍り付く。
ヴェルテクリュスタルが降臨するだけで、街一つが霜に覆われ銀世界に変わると言う。
第一次大竜戦争でニヴァリス山頂の決戦にて、ベルムデライルの前座としてカタロトと戦うも、
彼が振るうコー・シアーによって霊を砕かれ消滅した。
大火竜バルカンレギナとは双子であるとされ、7番目ではなく、同じく6番目の子であるとも言われる。
バルカンレギナと2体で1体扱いされる事もある。
性別に関する記述は無いが、バルカンレギナと双子である事から、同じく雌であるとする史料もある。

161 :創る名無しに見る名無し:2017/06/12(月) 19:41:44.50 ID:k7vLejDW.net
守護竜ミスティクスタ


アルアンガレリアの初子達の中では末子で、兄姉達が誕生した卵の殻から生まれたとされる。
兄姉達とは異なり、人家と同程度の大きさしか無い銀の小竜。
守護の力を持つとされるが、その詳細は不明。
一応、大竜群の攻撃を受けても、深刻な傷を負った描写は無い。
第一次大竜戦争には参加せず、アルアンガレリアの腹の下で眠っていた。
カタロトがベルムデライルを討つ為に、アルアンガレリアの協力を仰いだ際に、
神槍コー・シアー、神盾セーヴァス・ロコと共に彼に預けられる。
アルアンガレリアの優しさを受け継いでおり、以後は人間の味方をした。
時に人間を背に乗せて大空を飛び、カタロトや彼の仲間を助けた。
第二次大竜戦争でも人間の味方に付き、ユーティクスと共に戦った。
第一次大竜戦争後にセーヴァス・ロコを守る存在となり、イーファ山の頂に居を構える。
第二次大竜戦争後には神盾を管理するオリニフス公国の守護竜となった。
実はミスティクスタはセーヴァス・ロコと一体であるとも、セーヴァス・ロコは分身であるとも、
セーヴァス・ロコその物であるとも言われる。
基本的には「末弟」とされているが、「末妹」とする史料もある。

162 :創る名無しに見る名無し:2017/06/13(火) 19:25:35.65 ID:Qx85zk85.net
雷竜フュルグトニクス


アルアンガレリアの初子とされる事もある竜で、雷の化身。
体は雷その物で、真面に傷付ける事は出来ず、その大きさは天と地を結ぶ(落雷の様子)とされる。
翼を広げれば放電が起こり、咆哮は大気を震わせる。
強大な自然の化身ではあるが、天空竜デュアルクガーラの子とする史料も多い。
複数体存在するとの記述もあり、他のアルアンガレリアの初子達と比較して、一段落ちる扱い。
ニヴァリス山の決戦に向かうカタロトと、それを迎撃する飛竜群の最後の戦闘で、
何時の間にか倒されている等、物語的にも軽んじられている。
第二次大竜戦争でも特に描写も無く復活して、最終決戦前に何時の間にか倒されている。


輝竜ルミューロ


アルアンガレリアの初子とされる事もある竜で、太陽と光の化身。
ルミヌロ、リュミニューロとも呼ばれる。
体は光その物で、真面に傷付ける事は出来ず、その大きさは城の大広間程とされる。
滅多に鳴かない竜であり、体中から強力な光線を照射して、あらゆる物を焼く。
この竜の鳴き声を聞いた者は、生きながらにして魂を砕かれると言うが、詳細は不明。
フュルグトニクスとは違い複数体存在するとの記述は無く、類似した能力の兄弟も無いが、
ベルムデライルの子とする史料もある。
第一次大竜戦争では旱魃を起こして作物を枯らしたり、川や湖を干上がらせたり、
光線で人間を炭に変えたりと、非道を繰り返しているが、倒された描写は無い。
第二次大竜戦争でも旱魃を起こして、小さな町や村を壊滅させ、ユーティクスに討たれた。

163 :創る名無しに見る名無し:2017/06/13(火) 19:27:43.76 ID:Qx85zk85.net
宝石竜ジェマルチェアータ


アルアンガレリアの初子とされる事もある竜で、貴金属と宝石の化身。
体は宝石で出来ており、その大きさはカシタルナ山(旧暦の地名)の金鉱の坑道に等しいとされる。
大地竜クイエドリミエスの子とする史料もある。
両の瞳、角、牙の一本一本、鱗の一枚一枚、肉の一片に至るまで全て硬い宝石で、
傷付ける事は困難とされる。
第一次大竜戦争では宝石鉱山を襲ったと言われている。
その瞳の輝きは魅了の効果を持ち、人間を虜にして鉱山深くに誘い込み、出られなくして殺した。
カタロトに敗れた後は、砕け散って世界中の貴金属や宝石の鉱脈になったと言う。
他の竜に比べて余りにも仕出かした所業が小規模過ぎるので、格落ち感は否めない。


暗黒竜ノアトラコルベル


アルアンガレリアの初子とされる事もある竜で、夜と闇の化身。
ノイアトラ、ノクスアトラ等とも呼ばれる。
ディケンドロスの竜ではないとする史料もある。
体は闇その物で、真面に触れる事も出来ないが、あらゆる物を無限に取り込むとされる。
その大きさは自在で、小瓶に納まる程から、城郭都市を覆う程まで変化する。
翼を広げると黒霧が立ち込め、無音の咆哮は他の音を掻き消し、闇のブレスは暗黒を生み出す。
第一次大竜戦争には記述が無く、第二次大竜戦争のみに参戦。
幾つもの街を呑み込んだが、ユーティクスのコー・シアーに貫かれて消滅する。

164 :創る名無しに見る名無し:2017/06/13(火) 19:30:54.18 ID:Qx85zk85.net
大森竜セルボラディクス


アルアンガレリアの初子とされる事もある竜で、草木と森林の化身。
体は植物と同じ成分で出来ており、深手を負って瀕死になっても、体の一部と水と光さえあれば、
即座に再生する。
その大きさは1つの森に等しく、体表には鱗の代わりに草木を生やしている。
羽撃きで植物の胞子や種子を撒き散らし、咆哮には植物を急成長させる効果がある。
体の各部には刺激に反応して伸びる、鉄をも貫く槍より鋭い棘があり、何度折れても再生する。
大地竜クイエドリミエスの子とする史料もある。
第一次大竜戦争では都市を植物で覆ったが打倒されず、ベルムデライルの死後に眠りに就いた。
第二次大竜戦争にてユーティクスに敗れ、死体はラディア山と呼ばれる小山となったと言う。


巨石竜コテージレクス


アルアンガレリアの初子とされる事もある竜で、岩石の化身。
大地竜クイエドリミエスの子とする史料もある。
体は硬い石で出来ており、傷付ける事は難しい上に、土や石を食って再生するが、不死ではない。
その大きさはプラエンプルス神殿(旧暦の古代神殿)に等しいとされる。
額に真っ赤な第3の目があり、これに睨まれると石化すると言う。
羽撃きで粉塵を巻き上げ、口から吐くブレスには多量の『石灰分<カルクス>』が含まれており、
浴び続けると体が固まって動けなくなる。
第一次大竜戦争では特に活動した記録は無いが、第二次大竜戦争では都市や村を襲撃し、
石の廃墟へと変えた。
ユーティクスに敗れた後、その体は石灰岩の山となり、後にアルバコール山と呼ばれる、
石灰石の鉱山になったと言う。

165 :創る名無しに見る名無し:2017/06/14(水) 19:25:53.43 ID:8s/N1b8e.net
災竜ディスコルデ


ベルムデライルの初子とされる青鈍(あおにび)の竜。
「心を失う物」とも呼ばれる。
大きさは砦を覆う程で、大砲でも傷付かない強固な鱗を持つ。
戦場を飛び回り、無心に殺戮を繰り返すと言う。
痛みを感じず、どんな事にも怯まない、恐るべき殺戮機械の様な竜。
咆哮を聞いた者は一切の思考が停止し、戦意を失う。
口から吐き出す冷気のブレスには、生物から活力を奪い去り、衰弱させる効果があるだけでなく、
無生物にも有効で、如何なる物質も劣化して砂の様に砕ける。
爪、牙、鱗に至るまで冷気を纏っており、触れるだけで体温を奪われて凍え死ぬとされる。
第一次大竜戦争で小さな村落を襲撃中にカタロトに討たれるも、アマントサングインや、
兄弟達と共に復活し、第二次大竜戦争を起こした。
第二次大竜戦争では最終決戦場である竜の墓場で、ユーティクスに討たれる。


霊竜イニューリア


ベルムデライルの初子とされる白竜。
名は無を意味し、「存在しない物」とも呼ばれる。
インニュリア、イニュリス、イヌリス等とも。
大きさは人家3棟分だが、実体を持たない霊的な存在とされる。
影も音も無く現れ、あらゆる物を消し去る。
咆哮は聞いた者から音を奪い、白い霧のブレスに包まれた者は死体も残さず消滅する。
奇怪にして最も恐ろしい竜。
第一次大竜戦争で小都市を襲撃中にカタロトに討たれるも、アマントサングインや、
兄弟達と共に復活し、第二次大竜戦争を起こした。
第二次大竜戦争では大聖堂での攻防にてユーティクスに討たれる。

166 :創る名無しに見る名無し:2017/06/14(水) 19:27:20.03 ID:8s/N1b8e.net
爪竜ヴルノクラーデス


ベルムデライルの初子とされる赤鈍の竜。
「傷付ける物」とも呼ばれる。
砦より大きな巨体で、厚い鋼をも易々と打ち砕く、強力な爪と牙を持つ。
その爪を使って地中に潜る事も可能で、地中を移動する速度は太陽を追えるとされる。
鋭い爪を一薙ぎすれば、街を貫いて大地が裂け、空が割れると言われる。
第一次大竜戦争で廃都を棲み処にしていた所をカタロトに討たれるも、アマントサングインや、
兄弟達と共に復活し、第二次大竜戦争を起こした。
第二次大竜戦争ではアークレスタルト法国王都防衛戦にてユーティクスに討たれる。


濤竜フルクフルフェリ


ベルムデライルの初子とされる水竜。
嵐を呼んで、海を荒れ狂わせる。
その体は巨大な船5隻分に相当し、蜷局(とぐろ)を巻けば、渦潮になると言う。
実体を持たず、姿は海流として見えるとされる。
咆哮で激しい高波を起こし、天に向かって吐く黒い竜巻のブレスは雨雲となる。
第一次大竜戦争で港湾都市を襲撃中にカタロトに討たれる。
しかし、海中に没したとあるのみで、死亡までは確認されていない。
他の兄弟達とは違い、第二次大竜戦争には参戦していない。
この為に生存説と死亡説がある。

167 :創る名無しに見る名無し:2017/06/14(水) 19:29:16.34 ID:8s/N1b8e.net
忌竜トリスティクラーマ


ベルムデライルの初子とされる灰色の竜。
「悲しみを生む物」とも呼ばれる。
ディケンドロスの悲しみが生み出した分身とされる。
その大きさは小さな村程で、常に涙を流している。
実体を持たない霧の様な存在。
咆哮は霧雨を呼び、ブレスは濃霧となって広範囲を覆う。
直接人や物を傷付ける術を持たないが、霧は太陽を覆い隠し、人々の気を滅入らせる。
第一次大竜戦争で廃墟に佇んでいた所をカタロトに討たれるも、アマントサングインや、
兄弟達と共に復活し、第二次大竜戦争を起こした。
第二次大竜戦争では農地を霧で覆い、飢饉を引き起こしたが、ユーティクスに討たれる。


怒竜イライラビリス


ベルムデライルの初子とされる深紅の竜。
「怒れる物」とも呼ばれる。
ディケンドロスの怒りが生み出した分身とされる。
その大きさは城を押し潰す程で、常に怒りから血の涙を流している。
咆哮は破壊音波で建物を崩落させ、口から漏れ続けるブレスは強酸性の濃霧で全てを溶かす。
動く物を見て怒り、音を聞いて怒り、体に何か触れても怒る。
理由は不明だが、体中傷だらけで、しかも癒える事は無いが、死ぬ事も無い。
怒れば怒る程、力が増大して行く危険な性質を持つ。
第一次大竜戦争では王城の残骸の上で暴れ回っていた所をカタロトに討たれるも、
アマントサングインや、兄弟達と共に復活し、第二次大竜戦争を起こした。
第二次大竜戦争でも同じく壊滅させた無人の王城で暴れ回っていた所を、ユーティクスに討たれる。

168 :創る名無しに見る名無し:2017/06/14(水) 19:31:23.50 ID:8s/N1b8e.net
凶竜ネファシト


ベルムデライルの初子とされる黒竜。
大きさは人家程で、ベルムデライルの子の中では小型。
性質はディスコルデに似て、人間を徹底的に駆除する。
その口は人を捕らえて食べるのに、丁度良い大きさをしている。
猟犬の様な素捷さと、執拗に人間を追い詰める執念深さを持ち、人に恐怖を与える為に、
生まれて来た様な物。
小さな外見に似合わず頑強で、人の武器では傷付けられず、打撃を受けた所で物ともしない。
ブレスには麻痺の効果があり、これは永続的な物で自然に回復しない。
ネファシトのブレスを浴びた者は、動かない体で生き続けながら苦しむ事になる。
第一次大竜戦争では人類の生き残りに対し、掃討戦を続けていたが、討たれる事は無かった。
第二次大竜戦争で復活したアマントサングインや、兄弟達と共に決起。
僻地や小村落に隠れ住む人間を狙って掃討戦を続けていたが、ユーティクスに討たれる。


毒竜ターベスラーマ


ベルムデライルの初子とされる暗緑色の竜。
大きさは溜め池程で、全身を分厚い半透明の粘性の高い液体で覆っている。
この液体は触れた物を即死させる猛毒で、ターベスラーマが這った後には草も生えない。
液体に守られている内は、本体に攻撃が届かないが、これが無くなると更に恐ろしい事になる。
液体を失うと全身から飛散性の高い猛毒の気体を放つ様になり、被害が拡大する。
口から吐き出すブレスは腐蝕ガスで、地面をも腐敗させて猛毒の沼に変える。
困った事に死後も有毒ガスを放出し続ける。
第一次大竜戦争では高山の水源を押さえて、幾つもの街や村に壊滅的な被害を与えたが、
カタロトのセーヴァス・ロコとマスタリー・フラグに退けられた。
その後は大人しく地下で眠っていたが、第二次大竜戦争で復活したアマントサングインや、
兄弟達と共に決起。
ラタリク川の戦いでユーティクスに討たれ、死体はヴォラグの毒沼となる。

169 :創る名無しに見る名無し:2017/06/15(木) 19:16:34.71 ID:+NyGyNSg.net
黒竜の正体


所在地不明 反逆同盟の拠点にて


反逆同盟の一員であり、暗黒魔法使いのニージェルクロームは、魔城事件の帰還後から、
奇妙な夢を見る様になっていた。
それは黒い竜の夢。
竜が何事かを彼に語り掛けて来るのだ。

 (――竜は人の――)

 (……何だ?
  竜は人の?)

 (我は――)

何度も夢を見ている内に、ニージェルクロームは徐々に竜の言葉を理解出来る様になっていた。
話が通じているかは解らないが、彼は夢の中で竜の言葉に応える。

 (何を伝えようとしている?
  お前は誰なんだ?)

 (我が名はアマントサングイン!)

初めて明確に聞けた竜の声は、ニージェルクロームの頭の中で反響し、強烈な印象を植え付けた。
彼は慌てて飛び起きる。

 「うわぁあっ!?」

辺りを見回し、誰も居ない事を確認して、小さく溜め息。
未だ未だ辺りは暗く、朝には早い。
胸に手を当てて何度も深呼吸し、激しい動悸を抑えようとした。
頭の中では竜の名乗りが何時までも木霊し続ける。

 (アマントサングイン……?
  それが俺の中に眠る竜の名?)

魔城事件で竜が暴走して以降、本格的に竜が目覚めつつあるのかと、ニージェルクロームは震えた。
恐怖と期待の混じった奇妙な高揚感。
彼は興奮気味で再び寝付けなかった。

170 :創る名無しに見る名無し:2017/06/15(木) 19:19:12.70 ID:+NyGyNSg.net
明朝、碌に眠れなかった儘、ニージェルクロームは力の召喚を試した。
「力の召喚」とは彼が名付けた魔法。
己の内に眠る強大な竜が暴走しない様に、竜の力だけを呼び起こそうと言う物。
所が、この日の彼は「力」だけでなく、本体である竜と話をしたいと思った。
竜の声を聞いた事で、好奇心を抑えられなくなったのだ。
不完全な力の召喚で、どうにか意思を確認出来ないか……。
しかし、加減を間違えば再び竜が暴走する。
それでは困る。
ニージェルクロームの暗黒魔法は殆どが独学である。
魔法書の様な便利な教科書は持っていない。

 (……今の状態なら通常の力の召喚でも、竜の意思を確かめられるのでは?)

悩んだ末に、彼は取り敢えず、力の召喚を実行する事にした。
渦状の奇妙な魔法陣を床に描き、その中心に立って瞑想する。
時々眠気が襲って来て、意識が途切れ掛ける。

 (い、行かん、行かん……。
  中途半端な状態で召喚すれば、暴走し兼ねない)

そう自分で理解しているのに、召喚を中断しようとは思わない。
大きな危険の兆候だった。

171 :創る名無しに見る名無し:2017/06/15(木) 19:23:42.53 ID:+NyGyNSg.net
ニージェルクロームは心を落ち着けると、召喚の呪文を唱え始める。

 「目覚めよ、眠れる者。
  心を委ね……、心……、あ、やり直し」

所が、途中で呪文を途切れさせてしまい、彼は慌てて言い直した。
呆っとしている頭を叩いて、活を入れつつ。

 「ち、力の言葉を聞け。
  目覚めよ、我が内に眠れし竜。
  その心を顕せ」

口を衝いて出たのは、意外な詠唱文句。
ニージェルクロームは全く無意識に知らない呪文を唱えていた。
一拍遅れて、悪寒に震える。

 (……寝惚けていたのか?
  何だ、今のは?
  竜を目覚めさせる呪文?)

竜と話したいと思っていたばかりに、迂闊な事を口走ったのかと彼は反省した。
本当に竜が目覚める訳は無いと気恥ずかしくなり、詠唱を最初から唱え直す。

 「目覚めよ――」

最初の文句を口にした途端、ニージェルクロームは急激な眩暈に襲われ、膝を突いた。
視界が徐々に暗んで行き、直ぐに何も見えなくなる。

 (ど、どうした事だ?
  め、目が見えない……。
  一体俺は、どうしてしまったんだ……)

予想外の出来事に、彼は困惑するより他に無い。

172 :創る名無しに見る名無し:2017/06/16(金) 19:34:14.88 ID:SZnglghy.net
頭の中で低い声が響く。

 (ここは、どこだ?
  お前は、誰だ?)

 (な、何だって?)

 (答えよ、答えよ)

ニージェルクロームは訳も解らない儘、声に応える。

 (ここは反逆同盟の拠点だ)

 (反逆同盟?
  何だ、それは?)

 (何って……、共通魔法社会に反逆する仲間の集まりだよ)

 (共通魔法使い??
  何を言っているのか、全く解らん……。
  お前の知識を寄越せ)

 (待ってくれ、お前は誰なんだ?
  もしかして、竜なのか?)

 (如何にも)

竜はニージェルクロームの問いに対し、それだけ答えると、低く唸り始めた。
ニージェルクロームは頭痛がして、生まれてから今日までの記憶を一瞬の内に回想する。
ボルガ地方の小村に生まれた事、幼き日に地元に伝わる竜人伝説を聞いてから、
竜に憧れを持った事、歴史研究家の父に付いて復興期に自然と詳しくなった事、
父が出張帰りに竜の魂が封じられたと伝えられる玉石を持ち帰った事……。

173 :創る名無しに見る名無し:2017/06/16(金) 19:35:44.96 ID:SZnglghy.net
ニージェルクロームの回想は、竜が引き起こした物だった。
竜は彼の記憶を読み取る事で、現状を理解しようとしていた。
しかし、竜の知る時代の事が何一つ出て来ない。

 (ど、どうなっているのだ?
  この世界には大陸が一つしか無い……?
  それに人間が魔法を使う!?
  何千、何万年が経過すれば、『魔法を使う人間』が地上に満ちるのだ!?)

竜の驚愕と混乱はニージェルクロームにも伝わった。
彼は竜に教え諭す。

 (今は魔法暦と呼ばれる時代だ。
  旧暦とは違う)

 (旧暦!!
  何も彼も旧い時代の事だと言うのか……)

動揺から呆然としている竜に、ニージェルクロームは改めて尋ねた。

 (お前は誰なんだ?
  俺の中に眠る竜なのか?
  自己紹介してくれよ)

竜は暫し沈黙していたが、やがて答える。

 (我はアマントサングイン。
  お前達の言う『旧暦』に生きていた竜だ)

ニージェルクロームは湧き上がる興奮を抑えて質問を続ける。

 (やっぱり竜なのか!
  俺はニージェル――……いや、俺の本名は、ハイロン・レン・ワイルンだ。
  それで……アマント、サング、イン……は、どんな竜なんだ?
  旧暦では何をしていた?)

174 :創る名無しに見る名無し:2017/06/16(金) 19:41:51.62 ID:SZnglghy.net
竜は又も沈黙を続けたが、やや後に今度は身震いが起こる様な冷徹な声で言った。

 (人間を殺していた)

 (それは何故?
  人を食べていたのか?)

ニージェルクロームは竜が人間を殺していたと聞いても、驚かなかった。
ボルガ地方には竜に生け贄として人を捧げていた記録があるし、人より強く大きい存在なのだから、
より小さく弱い物を食べる事に不思議は無いと考えていた。
竜は一層の驚々(おどろおどろ)しさを込めて語る。

 (竜は何も食らう必要は無かった。
  原初の人間と同じく。
  人間を殺すのは、それが竜の定めが故)

 (どんな?
  どんな定め?)

だが、ニージェルクロームは恐怖を感じて怯む所か、益々興味を深めて食い付く。
竜は困惑しつつも続けた。

 (竜は人を制する者だ。
  地位や権力を巡って争い合う、愚かしく醜い人間を制する為に、我等は生み出された)

 (我等?)

 (我と我が兄弟達。
  力に溺れた愚かな人間の世界を破壊し、同じ愚かでも慎ましやかな原始に返らせるのだ)

旧暦の竜の物語はニージェルクロームも知っていた。
大乱が絶えないのは、権力と共に欲望も拡大する為。
愚かな権力者は、手にした力を試さずには居られない。
人民も群の中では群に染まり、その力の大きさを己の物と誤解する。
竜は人の敵となり、人が人を支配する人間の秩序を破壊する。
人が家畜を管理する様に、超自然的な存在である竜が人を管理する世界を目指すのだ。

175 :創る名無しに見る名無し:2017/06/17(土) 18:35:55.55 ID:8JNYYqKp.net
太古の伝説が己に宿っているのだと、ニージェルクロームは誇らしい気持ちになった。
この竜の言葉が真実ならと言う条件は付くが、途轍も無く強大な力が己の下にあるのだ。
そんな彼の自惚れを竜は警告する。

 (畏れを失った人間程、醜い物は無いぞ)

ニージェルクロームは浮付いていた事を自覚して、慌てて言い訳した。

 (ああ、いや、違うんだ。
  『人間の世界を破壊する』って、凄い事だなと思って。
  ……その力を俺に貸して欲しい)

 (何だと?)

訝る竜に彼は説明をする。

 (今、人間の世界は共通魔法使いに支配されている。
  俺達反逆同盟は『魔法』を解放する為に、共通魔法社会を打ち倒そうとしているんだ)

 (何を言うかと思えば……。
  『魔法使い』はデモノイドに他ならぬ。
  魔法使い同士の戦いに我は興味を持たぬ)

 (デ、デモノイド?)

聞き慣れない単語に、ニージェルクロームは吃驚して問うた。
竜は親切にも回答してくれる。

 (そう、『悪魔擬き<デモノイド>』だ。
  魔法使いは人間ではない。
  悪魔擬きに過ぎぬ。
  悪魔でも無く、人間でも無い。
  『悪魔擬き<デモノイド>』で『人間擬き<ヒューマノイド>』の、どっち付かずの存在だ)

しかし、ニージェルクロームは竜の言葉を素直に受け止めなかった。

176 :創る名無しに見る名無し:2017/06/17(土) 18:38:41.50 ID:8JNYYqKp.net
何百年、何千年も昔の生物である竜が、正しい科学的知識から物を言っているとは思わなかった。
彼は竜に反論する。

 (魔法大戦と言う大きな戦争があった。
  数多の魔法使いが戦い、共通魔法使いが勝利した。
  共通魔法使いは人々に共通魔法を広め、大陸を共通魔法の秩序で覆ったんだ。
  そして、他の魔法使いは追い遣られてしまった。
  俺達は共通魔法使いを倒す事で、魔法と魔法使いを自由にしたい)

 (魔法使いは人間ではない!
  詰まらぬ事で、我を呼び起こしてくれるな)

竜は頑固でニージェルクロームの話を聞き入れない。

 (違うんだ、解ってくれ!
  旧暦から研究が進んで、人間も魔法を使える様になったんだ)

 (人間に魔法は使えぬ!
  魔法を使う物は人間ではない!)

竜の余りの強情さに彼は閉口したが、今は竜と身心共に一体の状態。
思考を読まれてしまう。

 (お前も人間ではない。
  人間の積もりなだけの悪魔擬きだ)

そして告げられる衝撃の真実。
ニージェルクロームは堪らず言い返した。

 (馬鹿なっ!
  俺には真っ当な両親が居る!)

 (では、親も悪魔擬きだったのだな)

 (何だとっ、この、旧い常識に縛られた無能め!)

竜には理解する積もりが端から無いので、彼は苛立って暴言を吐く。

177 :創る名無しに見る名無し:2017/06/17(土) 18:40:22.93 ID:8JNYYqKp.net
それにも拘らず、竜は聞き流して忠告した。

 (勝手に己を人間だと思い込んでいるが良い。
  人間では無い物が、どうなろうと我は関知せぬ。
  力を貸して欲しければ、それなりの態度を取る事だな。
  気分次第では手伝ってやらぬ事も無い。
  だが、勝手に力を使う事は許さぬ)

直後、ニージェルクロームの視界が徐々に開ける。
彼は魔法陣が描かれた床に突っ伏していた。

 (気絶していたのか……?
  今のは夢?)

起き上がりながら周囲を見て、次に自分の体を見たが、特に何の変異も起こっていない。

 (昨夜、余り寝れなかった所為かな……。
  でも、夢にしては奇妙な……。
  夢じゃなかったよなぁ……?)

夢か現かニージェルクロームは首を捻る。
彼は改めて竜と話をしてみたいと思ったが、先の続きで再び口論になるのは面倒だったので、
今日は何もしない事にした。

 (……俺は人間じゃないのか?
  この世界に人間が居ないって、そんな馬鹿な。
  竜は神聖魔法使いの聖君が生み出した物。
  だから、考え方が旧いんだ)

悪魔擬きと呼ばれた事に、ニージェルクロームは一人理屈を付けながら、自分を納得させる。
そして、『次』の事を考え始めた。

 (それなりの態度を取れば、気分次第で手伝ってくれるとか何とか……。
  本当か?
  竜の力……。
  一体何が出来るんだ?
  俺は何をすれば良いんだ?)

これから手にするであろう、大きな力の使い道に悩む。
反逆同盟の一員として活躍するには、竜の力が必要なのだが、魔導師会と対等に渡り合えるのか、
本当は戦いたくないのだがと、変に弱気になる。
竜を制御出来る自信が無いのだ。
ニージェルクロームは目覚めた竜の為に、同盟内で特殊な立場に変わる。
それは又、後の機会に。

178 :創る名無しに見る名無し:2017/06/18(日) 21:39:25.07 ID:Zd+2eh1z.net
人の子よ、何故に泣く?
神に愛され、知恵を授かり、五体に不足無く、屋根のある家に生まれ、飢えを知らずに育ちながら、
お前達は尚も得体の知れぬ物に衝き動かされ、屍の山を築き続けた。
お前の父母も、お前の父母に仕えた者達も、お前の父母が仕えた王も、お前の輩(ともがら)も、
お前に仇為した者達も、皆々その得体の知れぬ物の為に、命を捧げた。
お前も何一つ違わぬ。
怒りや憎しみで神器は振るえぬ。
未だ真の王に値せぬ者よ、蛮勇を示すか、自愛に遁るか、選ぶが良い。

ベルムデライルの脅威を目前に、カタロトの心は恐怖に覆われ、既に敗北を認めていた。
今、彼に出来る事は自暴自棄になって突撃するか、命惜しさに逃走するか、二つに一つしか無い。
しかし、どちらもカタロトには選べなかった。
恐怖で体が動かなかったのだ。
ベルムデライルはカタロトを凝視し、少しでも彼が動けば殺す積もりだった。


大竜戦記「カタロト、ベルムデライルに敗る」より

179 :創る名無しに見る名無し:2017/06/18(日) 21:42:15.10 ID:Zd+2eh1z.net
聖君の軌跡


聖行録


歴代聖君の行いは聖行録と言う書物に記されている。
これの原本は魔法大戦で失われており、現在残っている物は、内容を書き写した複製である。
原本の原本も旧暦の大戦で失われている為に、複製の複製の何乗かも知れない。
最後の聖君ジャッジャスに至るまで、神聖教会が公認した聖君、即ち「神王」は13人。
その一覧を下に記す。
神名の右には出自と逸話を記す。


初代聖君クードス 農奴 戦乱の時代を終わらせ、大クレストを建国。
2代聖君オルトス 小国の王子 戦乱の時代を終わらせた。
3代聖君ディケンドロス 傭兵 戦乱の時代を終わらせ、竜を創った。
4代聖君カタロト 亡国の王子 大竜群を退け、平和を取り戻した。
5代聖君エルガロード 騎士 戦乱の時代を終わらせた。
6代聖君アクシオノス 剣奴(剣士) 戦乱の時代を終わらせた。
7代聖君テオロン 神官 飢饉と疫病に苦しむ人々を救う。
8代聖君ユーティクス 小国の兵士 大竜群を退け、平和を取り戻した。
9代聖君アディアレイト 鍛冶屋の息子 数々の発明で軍拡競争を止める。
10代聖君レクトム 旅人(吟遊詩人) 歌で各国の対立を収める。
11代聖君アラクロ 伯爵家の次男 戦乱の時代を終わらせるも、後に乱心する。
12代聖君コルレディトール 司祭 暴走した邪聖君アラクロを止める。
13代聖君ミティスト 商人 商売で各国の対立を収める。
14代聖君ジャッジャス 子爵家の長男 ――――志半ばで倒れる。


何れも男性であるとされている。
神名は神王となった後に教会によって授けられる物だが、本名の場合もある様だ。

180 :創る名無しに見る名無し:2017/06/18(日) 21:43:48.93 ID:Zd+2eh1z.net
生命創造の奇跡によって生まれた動物は、以下の通り。


クードス:クーディルニフィ 小鼬(鼠や小虫を食べる畑の守護獣)
オルトス:ヴォルタロゴ(フルグレクス) 雷馬(人に懐く賢い馬)
ディケンドロス:カタクトドラコン ディケンドロスの竜(人類の敵)
カタロト:イスヒクシロ/シタリギス 早堅木(成長が早く頑丈な木)/滋養黍(栄養豊富な黍)
エルガロード:ティニアトロス 馴狼(人に懐く賢い犬)
アクシオノス:フォレアフォーリア(インマニビス) 鳥の使い(人に懐く賢い鳥)
テオロン:テラトレイア 奇跡の実(万病を癒す果実)
ユーティクス:オッボス 力牛(力の強い牛)
アディアレイト:アッチェンシルヴァ 薪の木(よく燃える木)
レクトム:ヤユニタリクス 洞の木(中空の木で楽器に適する)
アラクロ:ルクレンディーダ 絢華鳥(極彩色の大きな鳥)
コルレディトール:ヴェリフォルマ 真心の花(見る者によって色を変える花)
ミティスト:ユーヴァバッカ 万倍(沢山の実を付ける果樹)
ジャッジャス:クウォーダルタ(クワイアード) 聖歌鳥(鳴き声の美しい青い小鳥)


本当に生命創造の奇跡を行えたのかは定かでない(寧ろ否定的に見られている)が、
類似の動植物は魔法暦でも見られる。

181 :創る名無しに見る名無し:2017/06/19(月) 20:07:30.72 ID:z6eFVzPy.net
生命創造の奇跡によって生まれた動植物には、それぞれ謂われがある。
クードスは農奴だった頃の経験から、作物を荒らす鼠や虫を退治する為に。
オルトスの馬は、戦いで失った愛馬の形見に。
ディケンドロスの竜は、人々が争い合わない様に。
カタロトだけ2つの生命を創ったのは、荒廃した世界を早期に復興させる為。
エルガロードの犬は、彼の忠誠心の顕れ。
アクシオノスの鳥は、命令を迅速に正確に伝える必要性から。
テオロンは疫病に苦しむ人々を救う為に。
ユーティクスの牛もカタロトと同じく、世界を復興させる為に。
アディアレイトは鍛冶をする上で、よく燃える薪を欲した。
レクトムは楽器を作るのに、都合の好い木を。
アラクロの鳥は、彼自身の偉大さを示す為。
コルレディトールは心の美しい者に、その事実と価値を教える為に。
ミティストは商人らしく、「実り」の多い物を。
ジャッジャスの鳥は、人々が信仰心を忘れない様に。
明確な目的があって創られる物もあれば、人物を顕す物もある。

182 :創る名無しに見る名無し:2017/06/19(月) 20:09:50.22 ID:z6eFVzPy.net
物事の起源を示す物もあり、例えばオルトスの馬が創造される以前は、馬は人に懐く物ではなく、
馬を扱える人間は少なかったと言う。
エルガロードの犬も同様であり、それまでの「犬」とは「狼」で、仲間同士の絆こそ強いが、
人間と絆を結んだりはしないと言うのが常識だった。
エルガロードは「狼」と絆を結べた数少ない人間の一人であり、その後に人の友である「犬」が、
生まれたと言うのだ。
アクシオノスの鳥も又同じく、それまでの鳥は飛ばない家禽を除いて人には懐かず、
伝書には使えなかった。
ユーティクスの牛だけは、誕生前から家畜として普通の「牛」が存在していた。
力牛は名前の通り、強い力を持つ牛で、家を3軒は牽引出来たという。
人の命令を聞き、粗食に耐え、頼りになる労働力であったが、肉が硬くて食用に適さなかったのが、
唯一の欠点とされている。
生命創造の奇跡とは無関係に、猫、牛、豚、羊、山羊等の動物は家畜として人に飼われていたが、
特に聖君が何をしたと言う逸話は無い。
猫や家畜は人に飼われているだけで、人の命令を聞かないとされていた。
綱を付けて先導するか、尻を叩いて追い立てるかしなければ、人と共に歩く事は出来ず、
故に友とは呼べないと。
実際は誤解であり、それぞれ犬や馬程は、よく働かないと言うだけである。

183 :創る名無しに見る名無し:2017/06/19(月) 20:11:26.08 ID:z6eFVzPy.net
又、聖君も堕落するらしい。
アラクロとコルレディトールの戦いが唯一の例ではあるが、記録に残されている。
アラクロは神王となった後、自己の聖性を過信して、横暴になった。
悪臣と交友を深め、最早アラクロは暴君以外の何者でも無くなっていた。
これに教会は危機感を抱いていたが、しかし、彼を神王にしたのは間違い無く教会であるが故に、
何も出来なかった。
ここで立ち上がったのが、司祭クレディトス(後のコルレディトール)である。
真面目で勤勉だった彼は、唯一アラクロの命令にも従わなかった。
教会内での地位は低かったが、次第に周囲の信頼を得て行き、聖君として立つ決意をする。
アラクロを倒し、正式に新たな神王となったクレディトスは、数年で直ぐに王座を退いた。
そして教会にも戻らず、旅に出たと言う。
権威ある所には、邪な者が現れる。
クレディトスは悪臣や悪友に取り付かれ、アラクロと同じ運命を辿る事を嫌ったとされている。
この様に神王となっても、長らく統治を続けるとは限らず、レクトムやカタロトも自ら退位している。
レクトムは王の地位を嫌ったとあり、カタロトは世界の復興を見届けて役目を終えたとある。
死没まで神王で居続けたのは、オルトス、ディケンドロス、エルガロード、アクシオノス、ユーティクス、
アラクロ、ジャッジャスの7人だけで、更にアラクロとジャッジャスは殺害されている。

184 :創る名無しに見る名無し:2017/06/19(月) 20:20:58.61 ID:z6eFVzPy.net
神王とは基本的には偉業を成し遂げた後に認められる物である。
聖君は神王の候補者と言う事になるが、神王になるべき真の聖君は1人だけとされる。
そして、真の聖君以外を「聖君」とは言わない。
偉業を成し遂げた聖君が神王となる。
だが、これから偉業を成し遂げるであろうと言う「見込み」を以って、聖君を神王と認める場合もある。
オルトスやディケンドロスは戦乱が未だ続いている状況で、教会に神王と認定された。
既に幾らかの大国を平定してはいたが、天下平定と言うには遠かった。
「神王」と認定する事で、早期に混乱の収拾を図ろうとしたのだと思われる。
その目論見通りに事が運んだ訳ではなく、新たな神王に反発する国もあったが、
最終的には戦乱は収まった。
教会に見込み違いは無かったのかは不明である。
見込み認定の神王が必ず即位する理由は、神王に認定されても、その後に倒れた場合は、
認定を取り消しているだけなのかも知れない。
その点で言うと、アラクロは認定取り消しとなっていそうな物だが、彼は最期まで神王だった。
アラクロとコルレディトールの戦いは、神王と神王の戦いだったのである。
恐らくコルレディトールがアラクロを倒せなかった場合、彼は神王には数えられなかった。
これ等の事から、神王とは偉業を成し遂げた者の事であり、成し遂げた後の事は問わず、
見込みで認められる事はあっても、成果が伴わなければ取り消される物と考えられる。
最後の聖君ジャッジャスだけは、神王としての偉業が無い。
教会に神王と認められた後、人々に信仰心の重要性を説く為に、「神王」が統治する、
大統一神聖アークレスタルト法国を実現しようとしたが、魔法大戦が始まってしまい、
成し遂げられない儘に死した。
神聖教会は潰え、その教えも廃れて以後、聖君が現れた記録は無い。

185 :創る名無しに見る名無し:2017/06/19(月) 20:24:52.09 ID:z6eFVzPy.net
神王が倒れたり、王座を退いた後に、必ずしも次の神王が立てられる訳ではない。
教会の権威が変わらず続いているにも拘らず。
神王が纏めた国を統治するのに、「聖君の代理」が王位に就く場合があるが、これも絶対ではない。
神王の役割も様々で、王と変わらない勤めを果たした例もあれば、諸王の監査役を果たした例や、
実権を持たず名目だけの王になる例、飽くまで宗教的指導者に止まった例もある。
ディケンドロスの没後に各国が対立し、大竜戦争が起きた事から、神王が君臨して統治する形は、
以後は殆ど見られない。
強権を発動する場合でも、基本的には纏め役に止まる。
「聖君の代理」は「神王の代理」ではない。
飽くまで「聖君の代理」で、「代理の聖君」とも呼ばれる。
聖君と神王は殆ど同義ではあるが、王位を退けば神王ではなくなるのに対し、聖君は聖君である。
退位した神王が再び即位した例は無いので、古い神王が退位した後、新たな神王が即位し、
その神王が退位して、再び古い神王が即位する様な場合、代の数え方は謎だ。
「何代聖君」と言われるので、神王の座に就こうが、神王の座を退こうが、関係無いのかも知れない。

186 :創る名無しに見る名無し:2017/06/20(火) 19:24:44.80 ID:IvWvPZOY.net
魔法を教える


第一魔法都市グラマー中央区 魔導師会本部にて


建物内に幾つかある会議室の内の1つで、共通魔導師養成学校教職員連合の代表者が集まり、
教育内容に関する議論をしていた。
只今議題となっているのは、「魔法の教え方」に就いて。
共通魔法は魔力を導き、魔法を発動させる物である。
そこで重要になるのが、「魔力の扱い方」。
これこそが魔法の全てと言っても良い。
代表者の一人が教育内容の改定を訴える。

 「現在の初級魔法教育は感覚的な物に偏っています。
  特に公学校教育に於ける授業では、最低限の魔力理論も教えられていない事が多いです。
  『魔法を使うには魔力が必要』、『魔法陣を描いたり、呪文を描いたりする事で魔法が発動する』、
  こうした初歩の初歩から一歩も踏み出していません。
  結果、中級魔法教育に大きな支障が発生しています」

そう言いつつ、彼は投影機に複数の円グラフを映した。

 「えー、これは意識調査の結果です。
  先ず、教師の初級魔法教育に対する姿勢、意見です。
  公学校の共通魔法の時間に、『魔力理論を教える必要は無い』と言う教師、魔導師です、
  これが大半を占めています。
  とにかく魔法を使って慣れる事が肝要であると。
  しかし、魔法学校の中級課程の学生に聞いた所……。
  次のグラフです。
  最大の問題が初級課程や公学校の授業との教育内容の違いでした。
  その中でも取り分け多かったのが、このグラフ、魔力理論に関する事です。
  皆さんも覚えがある事と思いますが……」

187 :創る名無しに見る名無し:2017/06/20(火) 19:28:57.01 ID:IvWvPZOY.net
投影機の映像が切り替わる。
火、水、土、風のイメージ図だ。

 「例えば、四大属性。
  現在の初級課程や公学校教育では、単に四大属性があると言う事を教えるだけです。
  魔力その物を力学的エネルギーとして扱う、マジックキネシスとの関連には触れません。
  精々、土は固体、水は液体、風は気体、火は電光熱を操ると教える位です。
  マジックキネシスを基礎として、その応用で四大属性を扱う、こうした『体系』を重視した、
  教育内容にすべきです」

又、投影機の映像が切り替わる。
今度は魔法体系と教育内容の比較図。

 「現在、初級魔法教育でのマジックキネシスの評価は、『やや難しい』です。
  四大属性より後に学びます。
  確かに、マジックキネシスは応用範囲が広く、扱いが難しいと言えるでしょう。
  押す、引く、叩く、切る、留める、伸ばす、圧縮、拡散、用途は多岐に亘ります。
  しかし、これが全ての基礎なのです。
  マジックキネシスと魔力操作、そして魔力を『観る』事。
  様々な現象を起こす魔法の不思議に触れて、子供の興味を引き出す事も重要ですが、
  中途半端な基礎知識で中級過程へ進めば、伸び悩む子も現れます。
  中級課程修了時点で、或いは修了せずに魔法学校での教育を終えてしまう、落ち零れてしまう、
  そんな学生を如何にして減らすかと言う事も、重要であると考えています」

最後に新しい教育内容を示した図が表示される。

 「公学校1年の授業内容は、これまでと変わりません。
  変更するのは2年生からです。
  魔力観察を新たに加えます。
  魔法資質が低い子には、魔力の流れを可視化する補助機……魔法道具店のゴーグル型の物、
  これを使って魔法を使う際の魔力の流れを見させます。
  そして、マジックキネシスの学習を現在の4年生から1年早めて、3年生からに変更します。
  3年から7年までの4年間、四大属性と並行してマジックキネシスの応用を主に学ばせます。
  8年生からの変更はありません。
  以上、質問等あれば……」

そう言って、提案者は会議室を一覧した。

188 :創る名無しに見る名無し:2017/06/20(火) 19:30:16.77 ID:IvWvPZOY.net
女性の代表者が手を挙げて質問する。

 「これまでの授業で進めて来た新3年生から新7年生の生徒に対する救済案はありますか?」

提案者は困り顔になった。

 「現場の先生方には負担になると思いますが、4年間は新旧両方の教育をして貰う方が、
  生徒の負担は少なく済むかと……。
  新3年生から上は、これまで通りの内容で。
  新2年生から新しい内容で」

 「そうですか……。
  公学校で共通魔法の授業を担当する魔導師は専属ですが、小さい学校では、
  1人で全学年を見る所もあるので、一寸大変になりそうですね」

最初に突き付けられたのは、厳しい意見。
更に別の男性の代表者が手を挙げる。

 「マジックキネシスの学習に多目に時間を割くと、他が疎かになりませんか?」

 「その心配は無いと考えています。
  基礎さえ確り出来ていれば、追い着くのも早くなります」

 「……地道な『基礎』に、どこまで生徒が関心を示しますかね?
  生徒達も共通魔法の事だけを考えて、学校に来ている訳ではありません。
  他の授業もありますし、遊びたい盛りの年でもあります。
  効率化を優先して寛(ゆと)りが失われては、学校生活その物が苦になるかも知れません」

 「生徒の関心を引き出す方法として、より実践的な呪文の学習を増やす予定です」

 「『基礎と並行して』ですか?
  益々教師と生徒の負担が増えますよ」

 「……難しいですか?」

 「現場は『今まで通り』を変えたがらない物ですからね。
  変えるだけでも大仕事なのに、負担が増えるとなれば当然文句が出ると思います」

改定案に否定的な意見が2つ。
中々素直に承認しては貰えない様だ。

189 :創る名無しに見る名無し:2017/06/21(水) 19:26:23.99 ID:QQ+EypJj.net
提案者が少し気落ちしていた所、又別の男性代表者が挙手して発言する。

 「成績の向上が見込めるならば、試験的に導入を試みても良いと思います。
  一部の魔法学校の初級課程で先行実施し、他校と比較しては如何でしょう?
  結果が出るまでに時間は掛かりますが……」

 「はい、それは良い考えだと思います。
  既に一部のフリースクールで、マジックキネシスに重点を置いた学習は、成果を上げています。
  魔法学校でも有効だと証明出来れば、自然に導入しようと言う学校も出て来るでしょう」

 「成る程、フリースクールでは成果が出ているんですか……。
  では、先ず多くのフリースクールで導入してみて、有用性を検証した方が良いでしょう。
  魔法学校で実施するならば、夜間部で試してみた方が良いかも知れません。
  あちらは融通が利くので」

 「ええ、はい!
  是非、検討して頂ければ!」

前向きな意見が出た事に、提案者は安堵するも、一言釘を刺された。

 「どちらにしろ、全校一斉には難しい話ですね」

 「は、はい……。
  えー、他に意見のある方は――」

他に挙手する者は無く、提案者は締めの挨拶をして、資料を手に演壇から降りる。

 「それでは、お話を聞いて頂き、有り難う御座いました」

入れ替わりに、次の教育内容改定の提案者が壇上に登った。

 「宜しいでしょうか?
  では、始めます。
  魔法学校に於ける、体育の授業に就いて――――」

190 :創る名無しに見る名無し:2017/06/21(水) 19:30:59.66 ID:QQ+EypJj.net
緊張から解放され、溜息を吐いた最初の提案者に、老いた教師が話し掛ける。

 「ビュー君、中々良い反応を得られたんじゃないか?」

 「ユルジュ先生、いや、そうでもないですよ……」

ビューと呼ばれた提案者は畏まって謙遜した。
2人は嘗て恩師と教え子の間柄だった。
老魔導師ユルジュは小さく笑う。

 「結構な大改革だからね。
  最初は何でも、こんな物だよ。
  成果を出せば認められるさ」

ビューは苦笑い。

 「しかし、成果と言っても、自分の努力では何とも出来ませんから……。
  教育は教え方による部分も大きいですし……」

 「何を言っているんだ、当然だよ。
  優秀な教師が付けば、生徒の成績は良くなる。
  だけど皆が皆、優秀と言う訳には行かない。
  同じ様な指導をしていれば、同じ様な成果を出せる様にするのが、君達の仕事だ。
  人間の優秀さを当てにした計画は、何時か必ず破綻する。
  組織論の常識だぞ」

 「は、はぁ……、その通りです」

正論を言われて恐縮し、頷く事しか出来ないビューに、ユルジュは意地悪く囁いた。

 「成果を欲しがって、数字を弄らない様にな」

 「そっ、そんな事しませんよ!」

高い声を上げて反論したビューの肩を、彼は笑いながら叩く。

 「はっはっはっ、解っているよ。
  君は真面目だからなぁ」

191 :創る名無しに見る名無し:2017/06/21(水) 19:33:15.67 ID:QQ+EypJj.net
望んだ結果にする為に、出て来た事実を改竄したり、『解釈』したりするのは間々ある事。
悪意は無くとも、周りの期待を裏切れないと言う気持ちが、間違いを起こさせる。
不正は必ず後で発覚して大問題になる。
それをユルジュは心配していたのだ。
ビューは胸を張って答える。

 「私も先生の教え子の一人です。
  『第三者の目』を持つ事の重要さは承知しています」

 「ああ、私は君が『事実を受け止める強さ』を持っていると信じているよ」

そう言いながらユルジュは折り畳まれた紙切れを一枚差し出した。
ビューは何かと思いながら、それを受け取る。

 「後で、窃(こっそ)り読んでくれ」

ユルジュは意味深に呟いて去って行った。
何が書いてあるのかとビューは早足で廊下に出て、紙切れを広げて読む。

――要らぬ節介である事を承知で、君の改定案に関する私的な見解を述べる。
先ず、君の主張は正しく、肯ける物である事を言っておこう。
間違った事を言っているとは全く思わない。
しかしながら、懸念があるとすれば、教える教師には相当の工夫が、教わる生徒には、
相応の理解力が求められる所だろう。
画一的な公学校の教育には馴染まない物かも知れない。
『試験的な実施』では、優秀な者と、そうでない者の格差が生じ易いと思う。
成績が上昇する者と下降する者の二極化だ。
格差の発生は共通魔法を人々から遠ざけてしまう可能性がある。
『優秀な生徒を集めた学校』に限って、改定案を適用する道もあるだろう。

内容を読み終えたビューは、大きな感嘆の息を吐いた。
走り書きで文字は崩れており、その場で急いで書き上げた物である事は明らかだった。
未だ未だ半人前だなと、彼は更なる研鑚を積む事を誓うのだった。

192 :創る名無しに見る名無し:2017/06/22(木) 21:02:13.26 ID:kIUFqXMI.net
魔力操作のイメージ


魔力とは魔法資質(センス・オブ・マジック)によって捉えられるエネルギーである。
魔力は他のエネルギーの干渉を受けるが、逆に魔力は他のエネルギーに干渉しない。
しかし、他のエネルギーの干渉を受けて、様々な形のエネルギーに変化する。
これによって間接的に他のエネルギーに干渉する。
魔力は追従性があり、物体の運動や他のエネルギーの動きに連られ易い。
詠唱は空気の振動を魔力に伝えて、魔力を別のエネルギーに変化させる物である。
描文は運動エネルギーを魔力に伝えて、魔力を別のエネルギーに変化させる物である。
詠唱には遠くの魔力にも干渉出来ると言う利点があるが、効率や確実性では描文に及ばない。
逆に、描文は自分の周囲の魔力にしか干渉出来ないが、効率や確実性は高まる。
熱や電気エネルギーを魔力に伝えても、別エネルギーへの変化が起きるが、これは制御が難しい。
人間は自分の意思で加減して熱や電気を発生させられないし、道具を使わずには制御も出来ない。
魔力は魔力同士で相互に干渉する。
自然状態より密になれば拡散し、疎になれば集中する。
ある魔力の流れと同量、同速度の逆の魔力の流れを打付けると、乱れて相殺される。

193 :創る名無しに見る名無し:2017/06/22(木) 21:04:57.46 ID:kIUFqXMI.net
マジックキネシスは魔力を運動エネルギーに変換する。
魔力の流れが直接運動エネルギーに変換されるので、魔力の流れる量と速さが重要になる。
詠唱や描文によって魔力の流れを作り出し、任意のタイミングで運動エネルギーに変える。
他のエネルギーに変える場合も同じである。
変換前の魔力の指向性は、変換後のエネルギーの指向性と一致する。
但し、変換後は「魔力」では無くなるので、詠唱や描文による制御を失う。
よく見る「追尾する魔法の光」は、純粋な光エネルギーではなく、光と魔力の中間の存在である。
魔力融合光と呼ばれ、光エネルギーへの強い親和性を持つが、他のエネルギーへの直接変換は、
不可能になる。
同様に、魔力融合運動エネルギーや、魔力融合熱エネルギー、魔力融合電気等もある。
これ等は総じて魔力融合エネルギーと呼ばれる。
魔力融合エネルギーは魔力制御を失うと、純粋な該当エネルギーに変化する。
例えば、魔力融合熱の制御を止めると、強力な熱エネルギーに変わる。
魔力融合エネルギーを消滅させたい場合には、それを相殺するのに必要な魔力を、
余分に消費する一手間が必要になる。

194 :創る名無しに見る名無し:2017/06/22(木) 21:08:05.83 ID:kIUFqXMI.net
火を操る魔法では、魔力融合熱を操るのだが、これは高度な技術である。
初心者は魔力を直接「火」に変換して、発火現象を起こすのが精々だ。
魔力を燃料に火勢を強める事も、易しい部類に入る。
単純に火を熾すだけなら、魔力融合熱を操る技術は余り必要ではない。
風を操る魔法は、殆どマジックキネシスその物である。
魔力の流れを運動エネルギーに変換すれば、それは風の様になる。
但し、特定の気体を自由に操ろうと思うと、途端に高度な物へと変わる。
例えば、有毒ガスの充満した密室内で、有毒ガスと清浄な空気を選り分けると言った事は、
単純な魔法の知識だけでは、どうにもならない。
優れた魔法資質の持ち主であれば、普通の空気とは異なる気体が魔力に及ぼす、
微細な反応から明確に空気との違いを認識して、分離する事が可能になる。
これが迫り来る有毒ガスを押さえ込むのであれば、難度は下がる。
ガスに色が付いており、煙の様に目視出来るのであれば、より簡単になる。
気体を操る風の魔法では、「認識」が重要になるのだ。
認識していたからと言って、正しく呪文を完成させなければ成功しないのが、
共通魔法なのだが……。

195 :創る名無しに見る名無し:2017/06/23(金) 19:12:29.71 ID:W71+D9vA.net
水を操る魔法も、認識が重要になるのは風の魔法と変わらない。
明確に目視で認識出来る分だけ、風の魔法より易しいと思われ勝ちだが、例えば、
『魔法だけでコップの水を一滴も零さずに全て宙に浮かせ水球を作れ』と言われると難しい。
マジックキネシスで器を作れば楽ではないかと思われるかも知れないが、それは邪道だ。
熟練者は器を作らずとも、「水」を操って球体に出来る。
これが真の意味での「液体操作」、「水の魔法」である。
水を「纏まり」として認識し、全ての水に同じ力を掛ける事で操作する。
これを発展させれば、水に粘性を持たせる事によって、流離し難い状態にする、
「特定の性質の付加」も可能になる。
更に熟達すれば、水を粘土の様に分割したり、混ぜ合わせたりする事も可能になるだろう。
ある程度、水の魔法に慣れた者は、水を操る感覚に就いて、それは丸で「魔力融合水」だと言う。
魔力融合エネルギーと同じく、水の動きと魔力の動きが一致するのだ。
この感覚を掴む事が出来れば、水の魔法を極められると言っても過言ではない。

196 :創る名無しに見る名無し:2017/06/23(金) 19:13:51.29 ID:W71+D9vA.net
土の魔法は最も初歩的と言われる魔法だ。
固体をマジックキネシスで動かせば、それが土の魔法になる。
砂の様な微細粒子を操るとなると、少し難しくなるが、風や水に比べれば何と言う事は無い。
それも全て「目に見える」為に認識が容易で、流動性も空気や水よりは低い為だ。
一つ難点があるとすれば、それは「重さ」である。
当然だが、土や砂は空気や水より重たい。
よって、扱いは容易でも、必然的に消費魔力が大きくなってしまう。
魔法の熟練者が、土の魔法を余り使わないのは、これが原因である。
魔法の習熟難易度は、易しい方から、初歩的な火の魔法、初歩的なマジックキネシス、
初歩的な土の魔法、初歩的な風の魔法、土の魔法、初歩的な水の魔法、マジックキネシス、
火の魔法、水の魔法、風の魔法の順となる。

197 :創る名無しに見る名無し:2017/06/23(金) 19:16:04.28 ID:W71+D9vA.net
魔力を変換したエネルギーには、マイナスエネルギーもある。
マイナスエネルギーにも様々な物があるが、主に負の熱エネルギーを言う事が多い。
これは冷気の魔法を使うには欠かせない物である。
熱エネルギーを奪うには化学変化を利用する手もあるが、毎回都合の良い物質を用意して、
態々化学変化を起こす事は大変なので、手軽なマイナスエネルギーが使われる。
他のマイナスエネルギーとは、物体の運動を止める「負の運動エネルギーや」、
明かりを消してしまう「負の光エネルギー」(ダークエネルギー)等である。
分子間の結合を解除する物や、重力を軽減する物も、これに含まれる。
ある物体の運動を止めるのに、逆方向の力を掛けるのと、マイナスエネルギーを用いるのとでは、
マイナスエネルギーを用いた方が効率は良いとされる。
それは余分なエネルギーが発生しない為と言われる。
マイナスエネルギーにも魔力融合エネルギーがあり、これによって冷気や「闇」を操ったりする。
但し、自然界には存在しない物なので、扱いには注意するべきだと言われる。
個人で扱う位なら問題は無いが、大規模な物を扱う時は配慮が必要。

198 :創る名無しに見る名無し:2017/06/24(土) 19:56:57.95 ID:KLUIe49s.net
雨の日に


ボルガ地方ニスコワ町の西シンセット街道にて


ボルガ地方とエグゼラ地方との境にあるシンセット街道。
3番ハイウェイの北側に並ぶ、この街道を歩く2人の女が居た。
古代魔法研究所の研究員サティ・クゥワーヴァと、その護衛兼監視役のジラ・アルベラ・レバルト。
季節は夏の盛り。
ボルガ地方の北部は夏でもエグゼラ地方と変わらない涼しさ。
この日は小雨が降っており、涼しいを通り越して、肌寒さを感じる程だった。
サティとジラが普段から着ている魔導師のローブには、撥水機能があるのだが、
2人は態々雨合羽を着てシンセット街道を歩いていた。
ジラはサティに尋ねる。

 「どうして、ここを通るの?
  エグゼラ地方には行かない予定だったよね?
  この辺に調べたい遺跡でもある?」

サティは遠い目をして言った。

 「ボルガ地方の豪族とエグゼラ地方の武装集団は、魔導師会が到着する前から対立していました。
  しかし、不思議な話ですよね。
  大陸が浮上して間も無い頃から、既に大きな集団を形成していたと言うんですから」

ジラは怪訝な顔をする。

 「確かに、不思議だけど……。
  それが何?
  私の質問と何か関係あるの?
  『雨合羽<レインコート>』を来て、どこに行こうって言うの?」

199 :創る名無しに見る名無し:2017/06/24(土) 20:00:14.63 ID:KLUIe49s.net
僅かな間を置いて、サティは話を続けた。

 「旧暦から人間の起源に関しての物語――『神話』や『伝説』には、好い加減な話が多いです。
  精々民族の起源を語る程度で、異民族の起源にまでは触れません。
  唯一大陸の人間も、そうした『明確な起源を持たない』存在なのかも知れません。
  魔法大戦が終わって、全てが海に沈んでしまった筈なのに、新しい大陸には多様な人種や、
  民族が既に住み着いていた……。
  唯一大陸は浮上したのではなく、最初から地上にあったのでしょうか?
  それにしては、人々の交流が分断されていたのが、気に懸かります。
  重大な出来事だった『魔法大戦』に触れている話も殆どありません。
  皆、何時の間にか、そこに住んでいた。
  丸で、大昔から、そうだった様に。
  公学校では魔法大戦の詳細や、唯一大陸の起源を教える事はしません。
  現在の共通魔法の常識で考えれば、余りに荒唐無稽だからです。
  飽くまで『伝説』として触れる位ですね」

ジラはサティの話を黙って聞いていたが、一区切り付いたと認めると、改めて尋ねる。

 「それで、ここには何の用で来たの?」

サティは彼女の問いには答えず、無言で歩いていたが、ある所で唐突に足を止めた。
ジラもサティに倣って足を止める。
4人の男が街道の脇の林から姿を現した。
2人共、人の気配を察していたのだ。
サティは小声でジラに言う。

 「これが目的です」

そう言うと、彼女は恐れ知らずにも悠々と男達に近付いて行く。

200 :創る名無しに見る名無し:2017/06/24(土) 20:03:03.73 ID:KLUIe49s.net
男達は慌てて『長筒<ハークエバス>』を構え、警告した。

 「動くな!
  荷物を置いていけ!
  そうすりゃ命だけは助けてやる!」

盗賊である。
ジラは吃驚して、サティを呼び止めた。

 「サティ!!」

所が、サティは歩みを止めようとしない。
一人の男が威嚇射撃をする。

 「止まれ!」

耳を劈く高い発砲音が静かな街道に響き渡った。
それでも足を止めないサティに、男達は苛立ち始める。

 「次は当てるぞ、禿(ち)び(※)!」

 「死にてえのか!」

雨合羽を着ている為に性別が判り難く、背の低いサティに対して、彼等は威圧を試みた。
大人の男でも怯まずには居られない状況で、サティは前進を続ける。
全く銃を恐れていない。
脅迫するより殺して奪った方が早いと男達が心変わりした、その時である。
彼等の持っている長筒の鉄の銃身が、音も立てずに潰れて捻じれ曲がった。


※:「禿(ち)びる」由来で「禿(はげ)」ではないが、筆の毛が抜けて細くなる事を「禿びる」と言う。
摩耗して小さくなったり、細くなったりする事を「ちびる」と言い、それに「禿」を当てたと思われる。
又、切り揃えた子供の髪型や、そう言う髪型をしている子供を「禿(かむろ、かぶろ)」と称するが、
これは「被(かぶ)る」由来か?(被り物の様だから?)
中国語では「ちびる」は「磨禿」で、やはり「禿」の字がある。

201 :創る名無しに見る名無し:2017/06/25(日) 19:34:35.47 ID:XZUi/NcF.net
男達は言葉も無く佇んでいる。
誰の仕業かと言えば、目の前に居る人物の他にあり得ない。

 「な、何だ、こりゃ……?
  どうなって……」

 「ど、どうする、どうする?」

彼等は忽ち恐慌状態に陥る。
今直ぐにでも逃走したい弱気に駆られながら、動けないのは決断力の不足が原因だ。
意地や度胸ではない。
恐ろしい物を前に、思考が止まっている。
冷たい風を伴う小雨が死者の抱擁の様に、男達の体温を奪って行く。
サティは意識的に威圧感を強めた。
魔法資質が高い彼女が魔力を纏えば、それは重大な脅威として他人に伝わる。
巨大な野生動物を間近で見れば、誰でも身構えてしまう様に。
今のサティは男達にとって、正に怪物なのだ。

 「ま、魔導師か?」

一人の男がサティに尋ねたが、彼女は何も答えない。
その代わりに、マジックキネシスで4人を宙に浮かせる。

 「な、何ぃっ!?」

 「お、下ろせ!」

見えない力で宙吊りにされ、無様に藻掻く(※)だけの男達。
その内の1人をサティはマジックキネシスで引き寄せ、尋問した。

 「賊だな、本拠地の場所を吐け」


※:本来は「手偏」に「宛」で、「もぐ」の字を使う。
「もがく」、「あがく」の意味を持つ、「手偏」に「爭」と言う字もある。
どちらもコードの関係で使えないので、当て字の「藻掻く」を使わざるを得ない。

202 :創る名無しに見る名無し:2017/06/25(日) 19:36:38.69 ID:XZUi/NcF.net
冷淡ながらも細い女の声に、男は安堵した。

 (何だ、女か……)

相手が女なら恐れる事は無いと、途端に強気を取り戻す。
誰が質問に答える物かと突っ撥ねようとして――、

 「ここから南の林の中だ」

勝手に口が動いた事に驚愕する。

 (あ、あれぇ!?)

その後も彼の意思とは無関係に、喋り続けた。

 「俺達は、『あの』ウーサだぞ。
  恐れる物は何も無い。
  『拠点<アジト>』に居るのは10人位だが、ここらには他にも拠点が幾つもある。
  都市警察に見付かっても良い様に、散在させてる」

サティは頷きながら、彼の話を聞いている。
自白の魔法だ。
嘘を封じる愚者の魔法より強力な物。
禁呪と言う程ではなくが、一般的に使用は「好ましくない」とされているが、無法者相手だったので、
サティは遠慮しなかった。

 「有り難う」

情報を聞き出した彼女は礼を言うと、男の意識を魔法で遮断した。
男は糸が切れた操り人形の様に、その場に崩れ落ちる。

203 :創る名無しに見る名無し:2017/06/25(日) 19:43:09.25 ID:XZUi/NcF.net
一連の様子を見ていた、男の仲間が声を上げる。

 「手前、何しやがった!!
  こら、この野郎!!」

サティは彼に不機嫌な目を向けると、同じく魔法で気絶させた。
更にマジックキネシスを解除して、地面に落とす。
呻き声一つ上げず、死んだ様に動かなくなった仲間を見て、残った2人の男は畏怖の感情を抱き、
息を潜める様に抵抗を止めて口を閉ざした。
サティは彼等も先の2人と同じく、魔法で気絶させて地面に落とす。
ジラが慌ててサティに駆け寄る。

 「な、何をするの!?」

 「大丈夫ですよ、死んでいませんから」

平然と言って退けるサティが、ジラは恐ろしい。

 「そうじゃなくて、盗賊退治でもする積もりなの!?」

 「ええ、まあ。
  この辺にも危ない連中が出ると言う話でしたので、通り掛かりに掃除でもしようかと。
  どうもボルガ地方西部は治安が悪くて行けませんね」

 「そう言うのは、都市警察や執行者の仕事!」

 「仕事?
  それにしては取り掛かりが遅い様ですが?
  近隣の住民が不安を訴えているのに」

 「い、色々事情があるのよ!
  突入は命懸けだし、殺せば良いって物じゃないし、後始末は大変だし!」

執行者であるジラは、捜査に様々な手続が必要な事を理解している。
組織が相手では簡単に「悪い奴が居るから退治しに行こう」とはならないのだ。

204 :創る名無しに見る名無し:2017/06/26(月) 19:45:25.99 ID:ZpC4wYZG.net
サティはジラの話を聞き流しながら、残る男達も気絶させて地面に落とした。
小雨は徐々に強くなって行く。

 「この人達は、どうするの?」

ジラが気絶した男達の処遇を問うと、サティは然して興味無さそうに答える。

 「放置して行けば良いんじゃないですか?
  風邪を引くかも知れませんが、自業自得でしょう」

近くの林の中へと歩き始めた彼女を見て、ジラは慌てて止めた。

 「ま、待って、本気なの!?」

 「冗談を言った積もりはありませんが」

 「貴女は魔導師ではあるけれど、それ以上の何者でも無いの!
  都市警察や執行者の仕事を代行する事は許されない!」

法律論でジラはサティを止めようとしたが、聞き入れられない。

 「この辺に遺跡か何かありませんか?」

唐突なサティの問いに、ジラは目を瞬かせる。

 「し、知らないよっ!」

 「では、少し調べてみましょう」

 「駄目、駄目!
  この辺は危ないって――」

 「『偶々』盗賊か何か現れるかも知れませんね。
  襲われたら『対応』するしかありませんよね。
  正当防衛ですよね」

遠雷が鳴る。
この強情な、そして強大な力を持つ魔導師を止める術がジラには無い。
彼女は任務を放棄する訳にも行かず、渋々付き添わざるを得なかった。

205 :創る名無しに見る名無し:2017/06/26(月) 19:51:10.49 ID:ZpC4wYZG.net
>>203の以下の一行は不要でした。
>サティは彼等も先の2人と同じく、魔法で気絶させて地面に落とす。

>>202の以下の行も、
>禁呪と言う程ではなくが、一般的に使用は「好ましくない」とされているが、無法者相手だったので、
>サティは遠慮しなかった。
以下の様に訂正します。
>「禁呪」ではない物の、一般的に使用は「好ましくない」とされているが、無法者相手だったので、
>サティは遠慮しなかった。

206 :創る名無しに見る名無し:2017/06/26(月) 19:52:41.47 ID:ZpC4wYZG.net
雨は土砂降りになり、頻繁に雷光が閃く様になった。
雨音で言葉が真面に通じず、ジラはサティにテレパシーで話し掛ける。

 (こんな雨の時に出掛けなくても……。
  あぁ、予報では大雨にはならない筈だったのに……)

 (雨は視界を遮り、臭いと足音を消してくれます)

丸で暗殺者の様な発言に、ジラは寒気がした。

 (どこに向かってるの?)

 (あの男は私に拠点の場所を尋ねられた時、頭の中に地図を思い浮かべました。
  御丁寧に印が付けられた物を)

 (思考を読んだの!?)

 (そんな大袈裟な物ではありません。
  イメージを見せて貰っただけです)

サティは淡々と答えるが、それは簡単な事ではない。
彼女の能力は優秀を通り越して、超人的な領域に達している。

 (ここから半通先に建造物があります)

 (止めましょう、サティ)

真剣に制止するジラに対して、サティは半笑いで返した。

 (こんな人が近付かない林の中に建造物とは。
  しかも、半分土に埋もれている様です。
  これは古い時代の遺跡に違いありません)

巫山戯た惚け方をするサティにジラは憤る。

 (遺跡だったら、案内看板の一つでもある筈でしょう!)

 (では、未発見の遺跡ですね。
  是非調査しなくては)

全く聞き分けてくれないサティに、ジラは唯々後を付いて歩く事しか出来ない。

207 :創る名無しに見る名無し:2017/06/26(月) 19:55:46.44 ID:ZpC4wYZG.net
果たしてサティの言う通り建造物はあり、確り見張りが立っていた。
だが、サティは足を止めようともしない。

 (サティ!)

ジラが警告を込めて呼び掛ける。

 (先着が居たみたいですね。
  遺跡荒らしでしょうか?
  遺跡を守る古代民族かも)

 (巫山戯ないで!)

 (怖いなら無理して付いて来なくても良いですよ)

サティは身を隠して様子を窺う事もせず、堂々と見張りの前に姿を現した。
ジラはサティの少し後を歩く。
何かあっても直ぐに彼女を守れる様に、隠し持った魔力石を握り締めて。
サティとジラが建造物に近付くと、見張りが銃口を向ける。

 「何者だ!?
  止まれぇ!!」

しかし、命令は雷鳴に掻き消される。
見張りは命令を繰り返す。

 「止まれ!!」

それと同時に落雷が見張りに直撃した。
雷撃が閃いて、一瞬辺りを真っ白に染める。
その衝撃で見張りは気絶。
サティの魔法であろうとジラは思ったが、偶然の様にも見えて、念の為に確認する。

 「……今のはサティ?」

 「偶然って怖いですね」

返って来たのは曖昧な返答。

208 :創る名無しに見る名無し:2017/06/27(火) 19:09:10.25 ID:o+PJWSsH.net
サティの魔力行使は巧みで、明らかに作為的な魔力の流れは無かった。
対人で共通魔法を使う上で最も重要なのは、魔力の流れを読まれない事。
熟練者であれば、「これから魔法を使う」と判るだけでなく、「どんな魔法を使うか」も見切ってしまう。
正確な所は不明だが、サティの共通魔法に敵う者は魔導師会内でも、恐らく指折り数える程。
もしかしたら、そんな人物は居ないのかも知れない。
激しい雨を降らせ続ける、どこまでも広がる真っ黒な雨雲を見上げて、ジラは思う。

 (もしかしたら、この雨も……)

全てはサティの仕業ではないか?
そう考えて、彼女は悪寒に震え、首を横に振った。
だったら何だと言うのか?
全ては偶然で片付けた方が気が楽だと。

 「中に入って調べましょう」

サティはジラを誘い、建造物の中に入ろうとする。

 「あ、危ないよ!」

ジラは慌てて止めたが、サティは聞く耳を持たない。

 「大丈夫ですよ、もう私達を害する物はありません」

 「えっ、何?」

大雨と雷鳴で、ジラはサティの言葉を聞き取れなかった。
サティは改めてテレパシーを送る事もせず、建造物の中に侵入してしまった。
何も言う必要は無いと言う様に。

 「待って!」

ジラは急いで彼女の後を追う。

209 :創る名無しに見る名無し:2017/06/27(火) 19:10:01.49 ID:o+PJWSsH.net
建造物の中には、複数人が横倒(たわ)っていた。
見張りの男の仲間と思われるが、気絶しているので何も判らない。
サティは全く関心を払わずに、建造物の中を見回している。

 「どう見ても遺跡じゃないみたいだけど?」

滑平で固く冷たい『凝固土<コンソリダート>』の質感は、工業が発展した近代以降の物。
呆れを込めてジラが嫌味を言うと、サティは平然と肯定した。

 「そうですね。
  比較的新しい……50年程前の物でしょう。
  残念です」

白々しく言うと、彼女は周辺の魔力を掻き集めた。
魔力が発光して可視化する様に、ジラは驚愕する。

 「今度は何をするの!?」

 「悪巧みに使えない様に、壊してしまおうと思いまして。
  ジラさんは外に出て、耳を塞いでいて下さい」

行き成りの事にジラは戸惑ったが、サティが詠唱を始めたので、急いで外に出た。
彼女が建物から十分に離れた直後、一際大きな雷が建造物に落ちる。

210 :創る名無しに見る名無し:2017/06/27(火) 19:11:15.67 ID:o+PJWSsH.net
空が輝いた瞬間、反射的に両手で耳を塞いでいなければ、鼓膜が破れていたであろう。
ジラは身を屈めながら、眩い雷光を見詰める。
大電流が滝の様に建造物に降り注いで、破壊の限りを尽くして行く。
中に居る者は全員死亡するのではないかと、ジラは疑った。
落雷の時間は十数極だったが、彼女には何点にも感じられた。
暫くして淡く光るバリアを纏ったサティが、崩落した建造物から出て来る。
ジラは堪らず駆け寄り、怖ず怖ずと尋ねた。

 「な、中の人は……?
  殺してない?」

 「生きていますよ。
  確り守りました。
  私を何だと思っているんですか」

サティは少し不機嫌になり、顔を顰めて見せる。
ジラは安堵の息を吐き、言い訳した。

 「いや、あの雷は危(やば)いって思うじゃん……」

サティの超越的な態度は、人命に欠片も配慮していない様に思えてならなかった。
今の彼女には、丸で機械の様な冷徹さがある。
それが証拠にサティは言う。

 「さて、次に行ってみましょう。
  今度こそ昔の遺跡かも知れません」

超人、怪物、悪魔、そうした恐るべき物を表す名をジラは思い浮かべる。

211 :創る名無しに見る名無し:2017/06/28(水) 19:03:39.00 ID:ik5fGN1z.net
サティは――、彼女は恐らく、間違って人間界に生み落とされてしまった何かなのだ。
地に足を着けず、浮遊して移動するサティの後を追いながら、ジラは失礼な事を考える。
公学校時代も、魔法学校時代も、執行者になってからも、彼女は超人に会った事が無かった。
去年サティに会うまでは……。
公学校でも魔法学校でも、ジラは魔法資質が高い方だった。
自分より魔法資質が高い者は居ても、飽くまで「人」のレベルで、対抗出来ない事は無かった。
流石に執行者になると、優秀な人間と多く会う様にあり、中には逆立ちしても敵わない者も居たが、
サティ程は現実離れしていなかった。
降り頻る雨の中、ジラは泥濘んだ土に何度も足を取られ掛ける。
対して、サティは魔法を自在に使い、地上の法則を無視する様に、何の苦も無く浮かんで移動する。
ジラは自分自身に惨めさと憐れみを感じるが、それ以上にサティには恐ろしい物を感じる。
サティは建造物を発見するや、近付く前から中に人間が居る事を察知して全員気絶させた。
そして、建造物が「外れ」と判ると躊躇無く破壊する。
激しい雷雨の中、一際大きく轟く雷鳴は、サティの『雷の魔法<ライトニング・ストライク>』だ。
単なる「雷の魔法」と言うには、余りに強力過ぎる……。
ジラは見ている事しか出来ない。
職業上サティの行動に協力する事は許されず、又サティ自身も全く助力を必要としていない。
だからと言って、放っておく訳にも行かないので、結果的に唯見ているだけとなる。
ジラは強い無力感に打ち拉がれていた。

212 :創る名無しに見る名無し:2017/06/28(水) 19:04:47.24 ID:ik5fGN1z.net
大雨で態々林に入ろうとする者は他に無く、サティは誰の妨害も受けずに淡々と、
建造物の調査と言う名目の盗賊退治を熟して行った。
通りに人が少ない事もあり、激しい雷鳴と雷光も「林の中に落ちた」としか思われないだろう。
サティは日付が変わっても、己の気が済むまで、計17の建造物を破壊して回った。
当分の間――、もしかしたら二度と、盗賊は出現しないかも知れない。
サティは成果を誰にも語らず、直ぐに別の町に移動した。
ジラにも成果を誇る事は無く、自分の行いが褒められた物でない事は理解している様子だった。
では、何の為に盗賊退治をしたのかと言うと、自己満足以外に理由は無いだろう。
だが、使命感や義務感、正義感は窺えず、ジラがサティに感じたのは退屈な作業感のみ。
盗賊を蔑んでいたと言うのでも無く、どこまでも空虚で……。
ジラはサティの心が、遠い所に向いている事を察していたが、何も言えなかった。
益々人間離れして行くかの様なサティに、声を掛ける事が難しかったのだ。
その内にサティは、どこか遠くへ行ってしまうのではないかと、ジラは予感していた。

213 :創る名無しに見る名無し:2017/06/28(水) 19:07:55.58 ID:ik5fGN1z.net
それから数週後、シンセット街道で盗賊との遭遇報告が途絶え、安全になったのではと噂になる。
徐々に人通りも増え始め、それに連れて警備も整い、街道の安全は確保される様になって来た。
直近に何かあったかと人々は回想したが、激しい雷雨があったのみ。
然りとて洪水が起きる程では無く、雷に打たれて全滅したのか、否々そんな事があり得るのかと、
暫く人々の間で話題になった。
「一瞬にして全てを断ち切る怪僧」、「冬の雪山で吹雪を起こす怪人」に続く、エグゼラ・ボルガ間の、
第3の怪事件である。
それは恐らく盗賊が出所であろう風聞から、「雷を落とす雨合羽の女」として広まった。
大雨の日に雨合羽を着た童女(わらわめ)に話し掛けられると、雷が落ちて気を失うと言うのだ。
そして人が気絶している間に、破壊の限りを尽くすと。
雷獣や雨女と言った「妖怪」の要素が混ざってしまったのであろう。
善意の者とも悪意の者とも言われ、更には母娘連れであるとも言う。
翌年に、この近辺の者から「雷を落とす雨合羽の女」の話を聞いたサティとジラは、
妙な伝わり方をした物だと苦笑せずには居られなかった。

214 :創る名無しに見る名無し:2017/06/29(木) 19:19:29.22 ID:wv7jW9J7.net
狐とテリア


所在地不明 反逆同盟の拠点にて


同盟の長マトラの命令で、エグゼラの狐を拠点に連れ帰った魅了の魔法使いラントロック。
しかし、マトラはエグゼラの狐をラントロックに預けると言い、後で利用するかも知れないから、
何時でも使える様に世話をしろとまで命じた。
空いた部屋を勝手に使って良いとも。
素っ裸で四つん這いの儘、ラントロックに身を摺り寄せるエグゼラの狐。
どう世話をしろと言うのかと、ラントロックは頭痛がする思いだった。
エグゼラの狐は人間の姿をしてはいるが、2本の足で立とうとしない。
獣の様に這って移動する。
更には、服を着ると言う常識も無い。
これを連れて歩いている所を、他人に見られるのは良くないと思ったラントロックは、
取り敢えず、人並みの事が出来る様に訓練させようと決めた。

215 :創る名無しに見る名無し:2017/06/29(木) 19:22:24.66 ID:wv7jW9J7.net
そして彼はエグゼラの狐の教育にテリアの協力を仰いだ。
人語が通じるかも怪しいエグゼラの狐を、真面に躾けられるとは思えなかったのだ。
話を持ち掛けられたテリアは、当初明から様に嫌がった。

 「えぇ……、こいつを仲間とは認めないって言ったよぉ……」

 「でも、他に頼れそうな人は居ないんだよ。
  仲間と認めなくても良い。
  それなりの作法さえ身に付けさせて貰えれば」

「他に頼れそうな人は居ない」と言われて、テリアは少し好い気になる。

 「はぁ、そこまで頼まれちゃったら……仕様が無いなぁ」

単純な彼女は嬉しそうに引き受けた。
ラントロックは素直に礼を言う。

 「有り難う、テリアさん」

 「へへへ、良いんだよ。
  もっと頼って&hearts;」

普段仲間内で馬鹿扱いされている事に不満を持っているテリアは、他人に頼られる事が少なく、
頼み込まれると舞い上がって断れないのだ。
さて、そんな訳でテリアはエグゼラの狐を指導する事になったのだが……。
そうそう上手く事は運ばなかった。
先ず、エグゼラの狐はテリアに対抗心を剥き出しにした。
彼女はテリアが近付くなり歯を剥いて威嚇する。
それに対してテリアは困った顔を見せた後、決然とした瞳でエグゼラの狐を睨み、獣に姿を変えた。

216 :創る名無しに見る名無し:2017/06/29(木) 19:24:08.83 ID:wv7jW9J7.net
ラントロックは吃驚して、テリアに尋ねる。

 「ど、どうしたんだい?」

テリアは獣の姿の儘、人語を話してラントロックに答える。

 「上下関係を教えてやらないと行けないみたいだ」

そう言いながら、彼女は四足でエグゼラの狐に焦り焦りと詰め寄った。
エグゼラの狐も対抗する様に、四足で姿勢を低くし、唸り声を上げる。
それから暫く彼女等は睨み合い、数歩踏み出しては後退しを繰り返していた。
いざ取っ組み合いになれば、爪と牙がある分、テリアが有利だろうとラントロックは思っていたが、
どうもテリアの方もエグゼラの狐を恐れている様子。
理由を尋ねたい所だが、真剣勝負の最中に声を掛けて、隙を作らせてしまうのも悪いと、
ラントロックは成り行きを見守る事にした。
やがてテリアが先にエグゼラの狐に飛び掛かる。
エグゼラの狐は素早く飛び掛かりを避けると、人間とは思えない敏捷さでテリアの背後を取った。
彼女は背面からテリアの腋の下に腕を通し、締め付ける。
完全に極められてしまい、テリアは身動きが取れない。

 「あっ!?」

失策だったとテリアは後悔したが、もう遅い。
エグゼラの狐はテリアの首の皮を噛み、強く押さえ付ける。
勝負あった……と考えるのは早計だ。
これで勝負が決まるのは動物の世界だけ。
生憎とテリアは真面な動物ではない。

 「調子に乗るなっ、成り上がりの半端者め!」

彼女は怒りを露にして、獣の姿から人の姿に変じた。

217 :創る名無しに見る名無し:2017/06/29(木) 19:25:45.84 ID:wv7jW9J7.net
文字参照が使えなくなった?
&#9829;
&hearts;

218 :創る名無しに見る名無し:2017/06/29(木) 19:27:06.64 ID:wv7jW9J7.net
仕様が変わったのかな?
&#9829;

219 :創る名無しに見る名無し:2017/06/29(木) 19:28:09.32 ID:wv7jW9J7.net
駄目みたいですね。

220 :創る名無しに見る名無し:2017/06/30(金) 19:29:34.54 ID:4BrrrNxr.net
テリアは脱皮する様に毛皮を脱ぎ捨て、エグゼラの狐の拘束から脱出する。
エグゼラの狐は理解が追い付かず、抜け殻の毛皮を抱き締めて、目を瞬かせる。
その隙を逃さず、テリアは彼女に逆襲し、背後を取って羽交い絞めにし、押し倒した。

 「どうだ、参ったか!」

そう言いながら、テリアはエグゼラの狐を俯せに押し付け、少しでも身動ぎをすると、
即座に爪を立て、それでも大人しくならなければ首筋に噛み付いた。
この「躾」はエグゼラの狐が抵抗を止めるまで、徹底的に繰り返しされた。
テリアは態とエグゼラの狐の怒りを煽る様に、乱暴に小突いたり、押さえ付けたりして、
反抗の意思を確かめる。
それに少しも反応しない位、エグゼラの狐が服従したのを認めて、漸くテリアは攻撃を止めた。

 「二度と私に歯向かうなよ」

エグゼラの狐は悄気返り、小さく哀れみを誘う様に鼻を鳴らす。
テリアは冷淡に彼女から毛皮を奪い取ると、それを身に纏って忽ち半人半獣の姿に変じた。

 「終わったよ、トロウィヤウィッチ」

裸の美女2人の取っ組み合いが気不味くて、目を逸らしていたラントロックに、テリアは声を掛ける。
ラントロックはエグゼラの狐の傷と痣を心配したが、彼女の淫蕩振りを抑えて言う事を聞かす為に、
この位は仕方の無い事なのかなと、テリアを責めることはしなかった。

221 :創る名無しに見る名無し:2017/06/30(金) 19:31:10.67 ID:4BrrrNxr.net
テリアはラントロックに纏わり付きながら尋ねる。

 「それで、具体的に何を教えてやれば良い?」

ラントロックは困り顔で言う。

 「先ずは2本足で立たせる事と、服を着させる事かな……。
  今の儘じゃあ、余りにも獣染みてる」

 「そこからかぁ……」

先々の苦労を思って、テリアは面倒そうに溜め息を吐いた。

 「……無理そう?」

ラントロックが怪訝な顔をすると、テリアは胸を張って答える。

 「いや、1週間だ!
  それだけあれば、こいつを真面に躾けてみせる!」

 「本当に任せて大丈夫?」

 「勿論!!」

彼の疑念を払拭する様に、テリアは堂々と言って退けた。
それでも完全に信用を得る所までは行かなかったが、ラントロックは取り敢えず任せてみる事に。
果たして、結果は……。

222 :創る名無しに見る名無し:2017/06/30(金) 19:34:31.20 ID:4BrrrNxr.net
テリアに任せると決めはした物の、放置して問題無く終わるとはラントロックには思えず、
彼は日に一度は様子を見に行く事にした。
エグゼラの狐には地下の一室が宛がわれている。
そこでテリアは彼女を躾けているのだ。
昼過ぎにラントロックが部屋の戸を叩くと、慌てた様なテリアの声がする。

 「あっ、待って、今開ける!」

言葉の通りに彼が待つと、約十極の間を置いて、息の上がったテリアが戸を開けた。

 「はぁ、はぁ、トロウィヤウィッチ!
  何?」

 「どんな調子かと思ってさ」

ラントロックが部屋の中を覗き込もうとすると、それをテリアは全身で制する。

 「だ、大丈夫、順調だよ!」

余りの焦り様に、上手く行っていないのかなと彼は疑った。

 「未だ初日だから、そんなに直ぐ進展があるとは思ってないよ」

そんなに必死に隠そうとしなくても良いのにと、ラントロックは苦笑するが、テリアは頑なだ。

 「と、とにかく大丈夫だから!」

そう彼女が言った直後、部屋の暗がりから声がする。

 「ンマァ、ンマゥワー!」

猫が低く鳴く様な奇妙な声。
エグゼラの狐の声なのかと、ラントロックが驚いた顔をすると、テリアは愛想笑いして戸を閉めた。

 「あっ、テリアさん?」

 「私に任せて、放っといてくれ!
  絶対に約束は果たす!」

妙な事にならなければ良いがと、ラントロックは眉を顰め、懐疑を胸に立ち去った。

223 :創る名無しに見る名無し:2017/07/01(土) 19:35:40.05 ID:pF4QGwiR.net
それから数日を置いて、ラントロックは再びエグゼラの狐を訪ねた。

 「テリアさん、居るかい?」

戸を叩いて反応を窺うと、今度は落ち着いた声で返事がある。

 「トロウィヤウィッチか、入って良いよ」

テリアの許可を得て、彼は室内に踏み入った。
薄暗い部屋で、テリアに縋り付く様にして、一人の女が立っている。
寛(ゆった)りとしたローブを着た猫背の彼女は、間違い無くエグゼラの狐だ。

 「服を着る様になったんだね」

不恰好ではあるが、素っ裸で四つん這いよりは増し。
順調に進んでいるんだなと、ラントロックは満足して頷いた。
テリアは嬉しそうに笑う。

 「えへへ、どうだい?
  私だって出来るんだよ」

 「歩かせられる?」

ラントロックの問い掛けに、テリアは困った笑みを浮かべて頷いた。

 「歩くだけならね……」

テリアはエグゼラの狐の腰を押して、一人で歩かせた。

224 :創る名無しに見る名無し:2017/07/01(土) 19:36:56.66 ID:pF4QGwiR.net
エグゼラの狐は初め蹣跚(よろ)めき、転びそうになったが何とか堪えて、歩き出す。
しかし、その足取りは怪しく、姿勢も猫背で忍び歩くが如し。
幾ら容姿が美しくても、これでは台無し。
不気味な歩き方ではあるが、ラントロックは然して気にしなかった。
最低限の振る舞いさえ出来ていれば、それで構わないと割り切っているのだ。
美しさを求める理由は無い。
だが、テリアの方は張り切っており、ラントロックに言う。

 「今は未だ、こんなんだけど、近い内に真面に歩かせて見せるよ」

 「そ、そう……。
  頑張って」

相手が「狐」と言う事で、「獣」の彼女は思う所があるのだろうかと、ラントロックは考えた。
そんな彼の目の前で、エグゼラの狐は蹌踉蹌踉(そろそろ)とテリアの元に戻り、縋り付いて、
甘えた声を上げる。

 「マんマー」

 「えっ」

エグゼラの狐は丸で母猫に甘える子猫の様に、テリアに擦り寄っている。
ラントロックはム(ぎょ)っとして目を剥いた。

 「マ、ママ?」

テリアは慌てて言い訳する。

 「こ、これは違うんだ、トロウィヤウィッチ!
  こいつを躾けるのに、私が『上』だと教える必要があって!
  だけど、こいつ何を勘違いしたのか、私を親だと……。
  教育って意味では間違ってないし、その方が都合好かったって言うか……」

225 :創る名無しに見る名無し:2017/07/01(土) 19:38:21.01 ID:pF4QGwiR.net
テリアとエグゼラの狐は、とても親子には見えないとラントロックは小さく笑った。

 「上手く行くなら、何だって良いさ。
  言葉も教えられる?」

少し無理な注文かなと思いつつ、彼はテリアに尋ねる。
テリアは平然と頷いた。

 「もう簡単な命令なら通じるよ。
  でも、普通に喋れる様になるのには時間が掛かりそう」

 「へー、凄いなぁ」

ラントロックが素直に感心すると、テリアは意外そうに目を瞬かせる。

 「す、凄い?」

 「最初、あの有様で真面に躾けられるとは思わなかったんだ。
  テリアさんに任せて良かったよ」

 「えっ、そう?
  え、えへへへへ……。
  もっと褒めて」

単純なテリアは顔を綻ばせてラントロックに擦り寄った。
ラントロックは彼女の頭を撫で、褒め捲くる。

 「良し良し、本当、凄い凄い。
  テリアさんは凄いなぁ。
  他の人には出来ない事だよ」

 「でへ、でへへへへ……」

中身の無い褒め言葉でも、テリアは不満も無く受け入れて舞い上がる。
その様子をエグゼラの狐が不思議そうな目で見詰めていた。

226 :創る名無しに見る名無し:2017/07/01(土) 21:31:33.89 ID:55BHhyk7.net
かわいいw
癒された

227 :創る名無しに見る名無し:2017/07/02(日) 20:18:27.51 ID:dN3un7yf.net
一週後には、エグゼラの狐は片言で他人と会話出来るまでになっていた。

 「トロイヤイッチ、ボス、ボス!
  テリア、ママ!」

 「確かに、俺は『上司<ボス>』だけど……。
  丁(ちゃん)と解ってるのかい?」

無邪気に燥(はしゃ)ぐエグゼラの狐だが、言葉の意味まで理解しているのかと、ラントロックは訝る。
テリアは真顔で頷いた。

 「してるよ。
  その証拠に『良い子』だろう?」

 「ネーラさんやフテラさんに会わせても大丈夫?」

一瞬、テリアの表情が固まる。
その後に彼女は動揺を露に言い訳した。

 「や、や、や、未だ時間が欲しいかなぁ……。
  何をするか分からない所があるし……」

判り易いなとラントロックは呆れる。
テリアより立場が上で何かと目障りなネーラとフテラに就いて、陰口でも叩いていたのだろうと。
彼はエグゼラの狐に目を向けて、それと無く尋ねた。

 「『ネーラ』は知ってる?」

 「ネーラ、魚、臭い、臭い、水の中!」

エグゼラの狐は笑顔で答える。

 「あっ、馬鹿っ!」

テリアは慌てて制するが、吐いた言葉は戻らない。

228 :創る名無しに見る名無し:2017/07/02(日) 20:19:52.38 ID:dN3un7yf.net
ラントロックは続けて尋ねた。

 「『フテラ』さんは?」

 「フテラ、鳥、鳥、ピーピーうるさい、鳥頭!」

エグゼラの狐の返しは見事に悪口だらけで、ラントロックは苦笑い。
気不味くなって俯いたテリアに対し、彼は言う。

 「……余り変な事を教えない様に」

 「わ、分かってるよ……」

人前に出せる様になるには、もう少し時間が掛かりそうだと、ラントロックは思った。
服を着て2本の足で歩ける様になった時点で、約束は果たせているのだが……。
今の儘では口が災いの元になり兼ねない。

 「もう1週間あれば、人前に出せる様になるかな?」

 「あ、ああ!
  任せて!」

テリアは気を取り直し、胸を張った。
そんなに心配する事は無いだろうと、この時のラントロックは楽観していた。

229 :創る名無しに見る名無し:2017/07/02(日) 20:21:32.73 ID:dN3un7yf.net
所が、ここからテリアに異変が表れ始める。
テリアはエグゼラの狐に付きっ切りになり、姿を現さなくなったのだ。
教育熱心だなと呑気に考えていたラントロックだったが、次第に心配になって来る。
そんな時、B3Fの現リーダーのフテラが、ラントロックに問い掛けた。

 「テリアの奴は、最近姿を見ないけど……。
  未だエグゼラの狐に構っているのか?」

 「そうだと思う」

 「……厄介な事になっていなければ良いが」

何時もなら傍観を決め込むフテラが、珍しくテリアの事を心配する。
それがラントロックの心に引っ掛かった。

 「厄介な事って?」

 「エグゼラの狐には奇妙な能力があった。
  トロウィヤウィッチも見た筈だ」

 「力が抜けるって言う、あの?」

テリアとエグゼラの狐は1回だけ戦っている。
その時にテリアはエグゼラの狐に力負けした。
単純な腕力で勝っているにも拘らず。
詰まりは、腕力の差を覆すだけの能力があると言う事。
テリアとエグゼラの狐の親密振りからして、今敵対する事は無いとラントロックは踏んでいた。
いや、そもそも敵対すると予想していなかった。
テリアがエグゼラの狐の教育を始めて、未だ2週間経っていない。
危機感を抱くべき状況なのか、テリアを信じて任せるか……。

 「……一寸、見に行って来るよ」

ラントロックは一言断って、地下室に向かった。

230 :創る名無しに見る名無し:2017/07/03(月) 20:22:15.49 ID:iF29Drql.net
彼はエグゼラの狐の部屋の戸を叩き、中のテリアに呼び掛ける。

 「テリアさん、入っても良いかい?」

 「どうぞ」

反応を確認してから、ラントロックは部屋に踏み入る。

 「進捗具合は、どうかな?」

暗がりの人影に向かって尋ねた彼だが、返事は無い。

 「テリアさん……?」

人影に近付こうとして、ラントロックは違和感を覚え、足を止めた。

 (テリアさんじゃない!
  返事をしたのは誰だ!?)

影の正体はエグゼラの狐。
返事をしたのは彼女以外には考えられないが、「どうぞ」と言った声は淀み無かった。
先週までの片言とは違う。
そんなに早く上達する物だろうか、それとも聞き違いだろうかと、ラントロックは戸惑った。

231 :創る名無しに見る名無し:2017/07/03(月) 20:22:49.66 ID:iF29Drql.net
彼はエグゼラの狐に尋ねる。

 「テリアさんは?」

 「ママ、居ない」

返答は片言。
最初の流暢に聞こえたのは、聞き違いだったかとラントロックは怪しむ。

 「どこに行ったか知らない?」

 「知らない」

先からエグゼラの狐は不気味な薄ら笑いを浮かべている。
それが妙にラントロックの癇に障った。

 「何が可笑しい?」

 「ボス、ママ、会いたい?」

 「会いたいって、そりゃ……。
  でも、知らないんだろう?」

 「知ってる」

 「何?」

 「知らないけど、知ってる」

エグゼラの狐の態度は、丸で大人を揶揄って遊ぶ子供の様。

232 :創る名無しに見る名無し:2017/07/03(月) 20:23:57.17 ID:iF29Drql.net
ラントロックは苛々してエグゼラの狐を問い詰めた。

 「どう言う事だ?」

エグゼラの狐は無言で微笑んだ儘、緩慢な動作で彼を誘い、部屋の奥へ。
ラントロックは警戒しつつ、付いて行く。

 「ママ、ボス、来た!」

テリアは陰になっている部屋の隅で、丸くなって眠っていた。
ラントロックは安堵と呆れの混じった大きな溜め息を吐く。

 「テリアさん、起きて」

エグゼラの狐がテリアの不在を装ったのは、居眠りを知られない為だろうか?
昼寝位で怒りはしないのにと、ラントロックは優しく声を掛けた。
テリアは少し唸ると、欠伸を噛み殺して目を開ける。

 「トロウィヤウィッチぃ?
  ……ヒャッ?!
  い、何時の間に!?」

寝惚けていた彼女は、ラントロックを認めると慌てて飛び起きた。
そしてエグゼラの狐を睨む。

 「お、おい、誰か来たら起こせって言ったぞ!
  ヴェラ!!」

 「ヴェラ?」

行き成り知らない名前がテリアの口から飛び出したので、ラントロックは目を丸くする。
テリアは彼に説明した。

 「何時までも『エグゼラの狐』じゃ可哀想だろう?
  だから、私が名付け親になってやったんだ。
  一応『ママ』だしな」

成る程なとラントロックは頷くと同時に、益々親しくなっているのだと感じた。
とてもテリアと敵対しそうには無い。

233 :創る名無しに見る名無し:2017/07/04(火) 20:01:37.91 ID:JMpa5S7n.net
取り越し苦労だったなと、彼は小さく息を吐き、テリアに言った。

 「そろそろ人前に出しても大丈夫じゃないかな?
  それとも未だ何か不安が?」

これだけ話せるなら、皆の前に連れ出しても良いだろうとラントロックは考えていた。
何時までも薄暗い地下に閉じ込めておくのは可哀想。
他人と一緒に居る事で、もっと人間らしくなれるのではないかと。
だが、テリアは気乗りしない様子。

 「……他の奴には構わせたくない」

 「何で?」

 「ヴェラは無知で可弱い奴だから。
  悪い事されちゃうよ」

 「悪い事?」

具体的に、どんな危険があるのかとラントロックは問うたが、テリアは眉を顰めるだけ。

 「とにかく悪い事だよ……。
  私はヴェラを危険に晒したくないんだ」

これでは話にならないと、ラントロックは呆れる。

 「だったら、当人に聞いてみようじゃないか!
  ヴェラ、外に出てみないか?」

彼の問い掛けに、エグゼラの狐――『ヴェラ』は困った顔をする。

 「外?
  ん、んー……。
  ママ……」

彼女は母親であるテリアの許可を求めていた。
しかし、テリアは肯かない。

234 :創る名無しに見る名無し:2017/07/04(火) 20:03:20.83 ID:JMpa5S7n.net
テリアは正気ではないとラントロックは直感した。
それが内的要因――動物的本能に基づく庇護の欲求か、或いは外的要因――魅了の能力か、
判別は付かないが……。
とにかく今の彼女は尋常では無い。
ラントロックはヴェラを睨む。
魅了の魔法使いの彼は、ヴェラにも似た能力があるのではと疑っていた。
そこへテリアがヴェラを庇う様に間に立つ。

 「トロウィヤウィッチ、ヴェラを虐めないで」

 「虐める積もりなんか無いって。
  テリアさん、心配し過ぎって言うか、入れ込み過ぎだよ」

上司であるラントロックにまで抵抗するテリア。
宛ら、飼い主からさえも子猫を守ろうとする母猫。
ラントロックはテリアの瞳を直視し、魅了の魔法が通じるか試した。
テリアの表情は徐々に弱気になって行き、もう少しで屈すると言う所で、ヴェラが喚き立てる。

 「だめ、ボス!
  ママ、いじめる、だめ!」

彼女の叫びでテリアは正気に返り、ラントロックから距離を取る。
そして、ヴェラを抱き締めて牙を剥き、必死に守った。
これは良くないとラントロックは確信を持つ。
テリアはヴェラに洗脳されている。

235 :創る名無しに見る名無し:2017/07/04(火) 20:03:52.46 ID:JMpa5S7n.net
自分もテリアを魅了して懐かせたので、余り大きな事は言えないラントロックだが、
ヴェラの企みが判らない以上、警戒せざるを得ない。

 「……分かった、今日の所は出直すよ」

ラントロックは一旦引き下がり、作戦を練って後日再び訪ねる事にした。
彼は一言テリアに忠告する。

 「でも、テリアさん、忘れないでくれ。
  何の為にヴェラを躾けていたのかって事」

しかし、彼女は聞き入れる気配が無い。
無言でラントロックを睨んだ儘。
ラントロックは落胆を露に退室し、自室に戻った。
彼の部屋ではテリアを除いたB3Fの面々が屯している。
ラントロックの顔から大凡の事情を察したフテラは、俄かに真剣な態度になって問い掛けた。

 「……どうだった?」

 「良くないみたいだ。
  テリアさんはエグゼラの狐の虜になっている」

 「虜だって?」

彼の答に半人半魚のネーラが驚きと訝りを表す。
ラントロックは頷いた。

 「『ヴェラ』なんて名前まで付けて、悉(すっか)り母親気取りなんだ」

B3Fの面々は驚くやら呆れるやら。


※:「忽(うっか)り」と間違えて書き直したので、ここに戒める。

236 :創る名無しに見る名無し:2017/07/05(水) 18:30:21.14 ID:SKOb6F50.net
ラントロックは彼女等に相談する。

 「単なる親馬鹿なら良いんだけど、そうとは思えない。
  どうにかテリアさんをエグゼラの狐から引き離せないだろうか?
  2人一緒だと、お互いに庇い合って、どうも上手く行かないんだ」

 「引き離して、どうする?」

フテラの問いに、ラントロックは真面目に答えた。

 「俺がエグゼラの狐を管理する。
  基本的な躾は、テリアさんが済ませている。
  何も問題は無い筈だ」

だが、フテラを始めB3Fの面々は皆心配そうな顔をする。
何が不安なのかとラントロックが眉を顰めると、ネーラが言った。

 「大丈夫なのか?
  テリアが洗脳される相手に……」

彼女等はラントロックが逆にエグゼラの狐に魅了されはしないかと、案じていたのだ。

 「大丈夫、俺は魅了の魔法使い。
  逆に取り込まれる様な下間(へま)はしない」

自信に満ちた態度でラントロックは断言する。
彼は自分の魅了の能力に自信を持っているし、魅了されない事に関しても同じ位の自信がある。
それでも未だ不安を拭い切れない顔をしていた、テリアを除くB3Fだったが、やがてフテラが言った。

 「ここはトロウィヤウィッチを信じようじゃないか?
  テリアの様な事にはならないだろう」

確かに、テリアと一緒にするのは失礼かも知れないと、ネーラもスフィカも頷く。
そして全員でエグゼラの狐を確保しに向かう事になった。

237 :創る名無しに見る名無し:2017/07/05(水) 18:32:31.20 ID:SKOb6F50.net
ラントロックはB3Fを引き連れて、エグゼラの狐の部屋の前へ。
先ずラントロックが戸を叩いて、反応を窺う。

 「テリアさん、先(さっき)は悪かった。
  入れてくれないかな」

所が、返事は無い。
警戒されているのかと、彼は疑った。

 「テリアさん、返事をしてくれ!」

又居眠りしているのかとも思ったが、それは考え難い。
ラントロックは改めてテリアに呼び掛け、強く戸を叩く。

 「テリアさん、テリアさん!
  御免、失礼するよ!」

相変わらず返事が無いので、彼は痺れを切らして突入しようと試みた。
取っ手を捻り、手前に引こうとするが、ガタンと突っ掛かる。

 「鍵!?」

独立した部屋なので、鍵が掛かる様になっていても不思議は無いのだが、テリアやヴェラに、
「鍵を掛ける」習慣があるのか、ラントロックは怪しんだ。
念の為に押してもみるが、やはり戸は開かない。
ラントロックはB3Fの3体を顧みる。

 「打ち破ろう。
  フテラさん、出来る?」

フテラは無言で頷き、勢いを付けて戸に蹴りを食らわせたが、想像以上に頑丈で開く様子は無い。

238 :創る名無しに見る名無し:2017/07/05(水) 18:33:34.87 ID:SKOb6F50.net
彼女は再度挑戦し、全く開けられそうに無いと理解すると、小さく溜め息を吐いた。

 「フー、駄目駄目。
  私じゃ軽過ぎるみたいだ。
  テリアみたいに怪力じゃないと」

フテラも常人よりは力が強い筈なのだが、地下室の戸は余程丈夫に立て付けてあると見える。
フテラでも無理な物を、彼女より腕力で劣るラントロックやネーラ、スフィカが動かせる訳も無く、
手詰まりかと思われた所で、ネーラが進み出る。

 「私に任せよ。
  主等は下がれ」

そう彼女は言うと、魔法を唱え始めた。

 「石を濡らす水よ、我が手に集いて、岩をも穿つ槍となれ」

ネーラの両手に水が集まり、捩じ巻く1本の長い槍になる。
それを彼女は戸に向かって投げ付けた。
水の槍は戸に約半手の穴を開けて、取っ手の部分を吹き飛ばす。
ネーラは鍵の壊れた戸を引いて開けたが、そこには家具が山と積み上げられており、
壁になっていた。

 「テリア、主は好い加減にせんか!
  水よ、押し流せ!」

彼女は怒りを露に魔法で大量の水を操って、家具の山を押し流す。
部屋の中は水浸し。
ネーラを先頭に、ラントロック、スフィカ、フテラと順に室内に侵入する。

239 :創る名無しに見る名無し:2017/07/06(木) 19:46:13.57 ID:ftOk5TwT.net
一見した所は目に付かない部屋の隅で、テリアはヴェラを庇って小さくなっていた。
彼女はラントロック等を睨んで言う。

 「ヴェ、ヴェラを、どうする気だ?」

ラントロックは優しくテリアに告げた。

 「テリアさん、ヴェラは俺が預かる事にした。
  今まで有り難う」

 「い、嫌だ!!
  ヴェラは私の子だ!」

 「違うよ、テリアさん。
  ヴェラは貴女の子供じゃない。
  目を覚ますんだ」

どんなに彼が諭しても、テリアは聞き入れない。
ヴェラを抱き締めて身を引き、渡してなる物かと拒否している。
テリアを除くB3Fの面々も説得に掛かった。

 「主は何を考えている?
  母娘の真似事とは、そこまで独り身が寂しかったか」

ネーラが怒った顔で詰め寄ると、フテラも続く。

 「そいつを仲間とは認めないって言ってたのに、どう言う心変わりだ?」

240 :創る名無しに見る名無し:2017/07/06(木) 19:47:05.60 ID:ftOk5TwT.net
テリアは仲間にも牙を剥いて唸り、近寄るなと威嚇した。
皆、説得は無理だと諦め、力尽くで彼女からヴェラを引き離そうと試みる。
先ずネーラが水の魔法で室内に濃い霧を充満させた。
視界が封じられ、1足先も見えなくなったテリアは、ヴェラを抱きながら魔法資質で気配を探る。
次の瞬間、部屋中に耳を劈く奇声が響き渡る。

 「Gye――――――――!!!!」

テリアは不味いと思ったが、もう遅かった。
一度耳に入ってしまった声を、聞かなかった事には出来ない。
フテラの呪いの声だ。
テリアは目と耳と口が利かなくなる。
彼女に残された知覚は、触覚のみ。
それでもヴェラだけは離さない様に、より強く確りと抱き締めた。
所が、ヴェラはテリアの腕から逃れようとする。

 (な、何?
  どうしたの、ヴェラ?)

他人に強制されているのではなく、自発的な行動だ。
これにテリアは困惑した。
そして誰の仕業かと考えて思い至り、声を上げる。

 (トロウィヤウィッチ!
  止めてくれ!
  この子を私から取らないで!)

暗黒と静寂の中、テリアは口が利けない状態だと言う事も忘れて、懸命に叫んだ。

241 :創る名無しに見る名無し:2017/07/06(木) 19:48:21.05 ID:ftOk5TwT.net
当然、その声は誰にも届かない。
やがて徐々に彼女の視界が明るみ、同時に知覚が戻って来る。
ヴェラがラントロックの腕に抱かれているのを見て、テリアは落胆した。
ヴェラの表情は満足気であり、テリアと離れた事を少しも惜しんではいない。
フテラがテリアを慰める。

 「あれが奴の本性だ。
  所詮は他人に取り入るだけの女狐よ」

テリアは暫し恨めしそうな顔で、ヴェラとラントロックを見詰めていたが、己の中にヴェラに対する、
庇護の欲求が消失している事を認めると、小さく溜め息を吐いた。

 「……あぁ、トロウィヤウィッチ、悪かった。
  奇妙な感情に取り憑かれていたみたいだ」

彼女はラントロックに謝り、俯いて沈黙する。

 「いや、良いんだ、別に。
  気にしてないよ」

 「……気を付けてくれ、トロウィヤウィッチ。
  こいつには奇怪しな能力がある……」

ラントロックに気遣われたテリアは、自分と同じ状態に陥らない様にと彼に忠告した。
ラントロックはヴェラの頭を撫でながら、頷いて応じる。

 「解っているよ。
  警戒している」

しかし、テリアは素直に彼の言葉を信じる事が出来ず、懐疑の眼差しを向けていた。

242 :創る名無しに見る名無し:2017/07/07(金) 19:08:30.10 ID:qFSdajMU.net
それからと言う物、ラントロックは常にヴェラを側に置く様になった。
これにB3Fの面々は良い顔をしなかった。
ヴェラはラントロックに幼子の様に甘えて、付き纏った。
魅了の能力で制御こそされている物の、その距離はヘルザ以上に近く、B3Fは嫉妬と同時に、
危うさを感じていた。
ある時、フテラはラントロックが1人の時を見計らって言う

 「随分とヴェラを気に入った様だな」

 「そう見えるのかい?」

彼が否定しなかったので、フテラは眉を顰める。

 「近付き過ぎるのは危険だ。
  テリアの様に洗脳されるかも知れない」

 「その心配は無いよ」

ラントロックは笑って断言するが、その自信が危ういのだとフテラは益々心配した。
自信があるのは良い事だが、過剰な自信は人を間違った方向に導く。
ラントロックは魅了の能力を持つが故に、本気になればB3Fでは敵わない。
何としても彼がヴェラの傀儡になる事だけは、避けなくてはならないのだ。

 「何故、そう言い切れる?」

フテラの真剣な問い掛けに、ラントロックは心配し過ぎだと言う風に、余裕の笑みを以って答えた。

 「俺は彼女の『パパ』になる積もりは無い」

 「『パパ』でなければ?」

フテラはラントロックがヴェラを伴侶として認める可能性に就いて、遠回しに言及した。

243 :創る名無しに見る名無し:2017/07/07(金) 19:09:25.38 ID:qFSdajMU.net
ラントロックは一瞬理解に困った様子を見せたが、直ぐに意図を察して、同じ笑みで答える。

 「余りに馬鹿気ている」

それは完全な否定。
「今の所」、その心配は無いのだろうと、フテラは安堵する事にした。
……将来は分からない。
今は彼が心変わりしない事を願って、過ごす他に無い。

 (『今は』大丈夫か……。
  少なくとも『今は』)

フテラは自分を納得させる様に心の中で呟いて去った。
以後もラントロックとヴェラの距離は変わらなかった。
どんなにヴェラが猫撫で声で甘えても、ラントロックは特別な対応をしない。
しかし、1つだけB3Fには気になって仕方が無い事があった。
それはヴェラの成長。
ヴェラは徐々に「人間らしい」行動を取る様になって行った。
丸で、ラントロックに迎合する様に。
B3Fの面々は、それが気に入らなかった。

 「ラント、ラント!」

ヴェラはヘルザの口調を真似て、執拗にラントロックに付き纏う。
人間で言うと、5歳児程度の知能は既に備えている。
ラントロックは面倒臭そうに適当に遇うが、突き放したりはしない。
見兼ねたテリアがヴェラを止めに掛かる。

 「ヴェラ、馴れ馴れしいぞ!」

だが、ヴェラは元「ママ」の言う事を聞こうともせず、外方を向いてラントロックに甘え続ける。

244 :創る名無しに見る名無し:2017/07/07(金) 19:10:31.62 ID:qFSdajMU.net
その態度がテリアの癇に障り、彼女は声を荒げた。

 「こいつっ!!」

ヴェラに掴み掛かって牙を剥き、威嚇する。

 「新参が調子に乗ってんじゃないぞ!」

そこでラントロックが睨みを利かせ、両者を黙らせた。

 「テリアさん、落ち着いて」

彼が魅了の能力でヴェラの動きを封じれば、テリアは矛を収めざるを得ない。
テリア以外のB3Fの面々は、ラントロックのヴェラに対する態度は、動物に対する物と同じだと、
気付き始めていた。
ラントロックはヴェラを制御するのに、一切の躊躇が無い。
適切な距離を保って甘えているだけならば見過ごしているが、そこから少しでも踏み込むと、
魅了の能力で押し止めている。
これは初期のB3Fに対する態度と同じだ。
B3Fは全員ラントロックに魅了されており、当然肉体関係を持とうと詰め寄る事もあったが、
その度に強力な支配力で退けられた。
ラントロックを巡って仲違いする事もあったが、それが彼の目の前であったならば、
非のある方が制止された。
そうしてB3Fは段々とラントロックとの付き合い方を心得る様になって行った。
では、ヴェラは?

245 :創る名無しに見る名無し:2017/07/07(金) 19:11:37.70 ID:qFSdajMU.net
ラントロックのヴェラに対する扱いは、B3Fより一段下だった。
彼は何かあると必ずヴェラの方を制止する。
それは見知らぬ者には誰彼構わず吠える飼い犬を、飼い主が制するのと同じだ。
非の有無に拘らず、取り敢えず黙らせる。
その事実に今漸く気付いたテリアは、独り満足気に頷いた。

 (成る程、成る程)

そうと判れば、ヴェラにも幾らか優しくなれようと言う物だ。
『愛玩動物<ペット>』と飼い主は近しい間柄ではあるが、それ以上の物にはなり得ない。
主人と従者と同じく。
ラントロックとB3Fは上司と部下の間柄で、親しいとは言えないが、愛玩動物と飼い主よりは、
真面な関係だろう。
急に優しい目付きになったテリアを、ヴェラは気味悪がった。
それにも構わず、テリアは彼女を撫で回す。

 「あぁ、悪かった、悪かった。
  そう不機嫌な顔をしないでくれよ」

格下の物に対する寛大さを取り戻したテリアは、余裕を持ってヴェラに接する。
現状、ヴェラはB3Fの中では最下層に位置付けられたのである。
各々の立場が明確になっていれば、争いが生じないと言う所は、如何にも動物的だ。

246 :創る名無しに見る名無し:2017/07/08(土) 19:31:32.62 ID:A1IDI1Di.net
奪われた禁呪


第一魔法都市グラマー 中央区魔導師会本部にて


魔導師会本部の地下には、数多の禁断共通魔法を記した「禁呪の書」が眠っている。
これは一般には公開されていない情報で、魔導師であっても知る者は僅か。
ここに秘されている魔法は、単なる禁呪ではない。
多くの「禁断共通魔法」は、研究によって開発された物で、それは研究者や執行者ならば、
知識として知っている。
魔導師会本部の地下に眠る禁呪は、そう言う物ではない。
魔法大戦、或いは、それ以前の共通魔法の根源に関わる旧い禁呪だ。
魔導師会本部の地下書庫――通称「禁呪の間」の事を知っているのは、歴代八導師と、
一部の親衛隊員のみ。

247 :創る名無しに見る名無し:2017/07/08(土) 19:33:26.52 ID:A1IDI1Di.net
この所、魔導師会本部では不審者の目撃が相次いでいた。
魔導師会本部に立ち入る事が出来るのは、基本的には関係する魔導師のみである。
部外者は許可を得なければならない。
許可を受けた者は魔法的な効果を持つ「許可証」を渡され、これによって完全な部外者とは、
区別される。
しかし、魔導師会本部の敷地内に、許可を受けない人物が入り込んでいると言うのだ。
グラマーの魔導師会本部は、最も警備が厳重であるにも拘らず……。
その不審者は、声を掛けようとすると姿を消してしまう。
呼び掛けても止まってはくれず、魔法を掛けようとしても通じず、曲がり角や物陰に姿が隠れた途端、
見失ってしまう。
魔導師会本部は強力な結界で守られているので、共通魔法以外の魔法は使えない筈だし、
共通魔法が使われたなら直ぐに察知して妨害が可能である筈。
共通魔法の常識では考えられない現象に、これは相当の実力を持った外道魔法使いの仕業だと、
「魔導師会」は認定した。
以後、警備は一層厳重になったが、それを嘲笑うかの様に、不審者の目撃は絶えず……。
不審者の目的は一体何なのか?
単に不安を与えるだけが目的だろうか?
不気味さを増して日々は過ぎて行った。

248 :創る名無しに見る名無し:2017/07/08(土) 19:36:37.55 ID:A1IDI1Di.net
不審者の出没する様になってから1月、「禁呪の間」の秘密を知る親衛隊が保存状況を確認すべく、
定期的な監査に訪れた時の事だった。
この監査は通常2人1組で、深夜に行われる。
2人が禁呪の間の扉を開けた瞬間、不意に背後に人の気配を感じた。
慌てて2人は振り返るも、そこには誰も居ない。

 「何だったんだ、今のは?」

 「分からない。
  気の所為……では無いみたいだけど」

2人は気を引き締めて、禁呪の間に踏み入る。
魔法で侵入者が居ないか確かめるも、反応は無い。
一先ず安堵。

 「誰も居ない様だ。
  取り敢えず、順に確認して行こう」

2人は扉を閉め、禁呪に欠けが無いかを見て回った。
それぞれの書に何の呪文が記してあるか、この2人は知らない。
禁呪の書の封印を解く方法も知らない。
封印に異変が無く、人の手が入った痕跡が残っていなければ、それで良い。
1冊の本に1つの呪文と、幾重もの封印。
本1冊に就き1つの巨大な展示棚があり、この展示棚に封印の仕掛けが施してある。
書に表題は無い。
開いて読んで、初めて内容が判るのだが、それには封印を解かなくてはならない。
詰まりは、封印を解かない限り、内容を知る術は誰にも無いのだ。

249 :創る名無しに見る名無し:2017/07/09(日) 19:55:52.20 ID:HfEmwlc0.net
2人は封印に異変が無いか、展示棚を1つ1つ入念に調べた。
入り口から3つ目の展示棚で、2人は足を止めて驚愕する。
封印が解けていたのだ。
完全に暴かれて書が逸失している訳ではなく、表層的な封印が一部綻んでいるに過ぎないが、
自然に解けた物か、誰かが解いた物か判らない。
後者であれば恐ろしい事だ。
入室前に人の気配を感じた事もあり、悪寒が走る。

 (禁呪の書が狙われている……!?)

2人の親衛隊員は互いの顔を見合った。

 「俺は右から見て回る。
  君は左から頼む」

 「了解」

2人は速やかに全ての封印の状態を確認すべく、分かれて行動した。
入り口から左側の展示棚を担当した親衛隊員は、人影を発見して驚く。

 「だ、誰だっ!!」

最初に魔法を使った時、人の気配は無かった。
今も気配は感じられない。
魔力の流れにも変化は無い。
だが、目には見えている。

250 :創る名無しに見る名無し:2017/07/09(日) 19:57:24.32 ID:HfEmwlc0.net
相方の声を聞いて、もう1人の親衛隊員も駆け付けた。

 「何事だ!?」

驚愕の表情の相方が指す先にある展示棚を見て、駆け付けた彼も驚愕する。
そこには人型の黒い影が浮いていた。

 「呆っと見てないで、取り押さえるぞ!」

動揺しながらも彼は相方に呼び掛けたが、当の相方は困惑を露に問う。

 「ど、どうやって?」

影は実体が感じられない所か、魔力も纏わない。
実体か魔力か、どちらか備えていれば、未だ対処の仕様があるのだが……。

 「知るか!
  とにかく何とかするんだよ!」

彼は勢いだけで、影に向かって飛び出す。
手立てがある訳ではないが、やってみなければ始まらない。
黙って見ているよりは増しと言う判断だ。

 「B4C1N1G3F4!」

影に魔力は感じられない物の、取り敢えず魔力と空気を固定させる事で、動きを封じられないかと、
試してみる。
しかし、影は展示棚の隙間に入ってしまった。

251 :創る名無しに見る名無し:2017/07/09(日) 20:00:39.39 ID:HfEmwlc0.net
2人は影が消えた展示棚の前に立ち、どこへ隠れたのかと首を捻る。
何せ気配が感じられないので、隠れたのか、消えたのか、逃げたのか判別が付かない。
封印は完全に破られてこそいないが、先と同じく一部に綻びがある。
一体展示棚の前で何をしていたのか……。
影が再び現れる気配が無いのを認めて、親衛隊員の1人は応援を呼びに一旦退室した。
禁呪の間は空間的にも魔力的にも完全に外部と遮断されており、内外で連絡は取れない。
親衛隊員の1人が扉を開けた途端、その背後から黒い影の塊が目にも留まらぬ速さで、
壁を伝って逃げて行った。

 「あぁっ!?
  しまったっ!」

親衛隊員は悔しさを露にする。
この黒い影は自力では禁呪の間の封印を解けないので、親衛隊員に続いて侵入し、そして今、
退出したのだ。
封印を解除すれば魔力に反応がある筈なので、禁呪の書に触れられたとは思えないが……。
どちらにせよ、この件は報告しなければならないと、親衛隊員は急いだ。
報告から間も無く、続々と応援が駆け付ける。
その中には八導師の1人、リング・レイ・シェンジーの姿もあった。
彼の姿を見るや、禁呪の間の監査を担当していた親衛隊の2人は畏まる。

 「シェ、シェン老師!
  夜分遅く、済みません」

 「時間の事は気にしなくて良い。
  こんな時の為の当直だ。
  それより封印の様子を見たい」

 「はい、お供します」

八導師シェンジーは禁呪の書が置かれている展示棚を、1つ1つ見て回った。

252 :創る名無しに見る名無し:2017/07/10(月) 19:57:18.00 ID:OxzBsk3X.net
規制に引っ掛かったみたいで容量の大きい書き込みが連続で投稿出来ない様です。

253 :創る名無しに見る名無し:2017/07/10(月) 19:57:53.78 ID:OxzBsk3X.net
シェンジーは封印が綻んだ幾つかの展示棚を見て、険しい顔をする。

 「前回までは変化は無かったのだな?」

尋ねられた親衛隊員は、恐縮して頷く。

 「は、はい。
  前回の担当は私ではありませんでしたが、引き継ぎに際して、その様な報告は受けておりません。
  封印も501年に更新したばかりです。
  高々20年で劣化するとは思えません」

シェンジーは険しい顔の儘で呟いた。

 「しかし、全体的に劣化が早い様だ。
  手抜きをしたのでなければ、外的な力の影響を受けたのだな。
  再度封印を強化する必要がある。
  全てだ」

そう言いつつ、彼は「影」が居た展示棚の前で足を止める。
そして棚の中にある禁呪の書を凝(じっ)と見詰めた。
親衛隊員は説明する。

 「ここに侵入者――と言うか、何と言いましょうか、黒い影が取り付いていたのです」

シェンジーは一層険しい目で、親衛隊員を睨んだ。

 「何だと!?」

親衛隊員の2人は気圧されて萎縮する。

 「ふ、封印が破られた様子はありませんでしたが……」

254 :創る名無しに見る名無し:2017/07/10(月) 19:58:35.31 ID:OxzBsk3X.net
シェンジーの反応は明らかに、禁呪の書の内容を知っている物だった。
八導師ともなれば、最重要機密である禁呪の書の内容を知っていても不思議は無い。
一体どんな魔法が封じられているのか、親衛隊の2人は恐ろしくなった。
硬直している2人の様子を見て、シェンジーは落ち着きを取り戻し、柔和な態度になる。

 「いや、済まない。
  ここにある禁呪は何れも『重要な』物だ。
  万一の事を考えて、気が逸ってしまった。
  短気は行かんなぁ、自省せねば」

取り繕ってはいるが、触れてはならない「重要な秘密」がある事は隠し切れない。
然りとて、2人も親衛隊。
今更、秘密の1つや2つで動揺はしない。
気を取り直して、シェンジーは2人に問う。

 「その『影』と言うのは、どんな物だった?」

 「な、何とも言葉では表現し難いのですが……。
  先ず、実体がありません。
  更に、魔力も纏っておらず……。
  正体が何なのか、全く分かりませんでした」

親衛隊員の証言に、シェンジーは難しい顔で暫し思案した。
影の正体に就いて、心当たりでもあるのだろうかと、親衛隊の2人は彼の言葉を待つ。

255 :創る名無しに見る名無し:2017/07/10(月) 19:59:59.83 ID:OxzBsk3X.net
数極後に彼の口から出た言葉は、影の正体とは無関係だった。

 「ここの封印は古い形式の物だ。
  禁呪の書の内容を知られない様に、態と難解で面倒な仕掛けにしてある。
  それが仇となったか」

シェンジーは独り言の様に呟くと、親衛隊の2人に命じた。

 「『私の名前を使って』、他の八導師も呼んでくれ。
  今直ぐ、全員だ」

 「は、はい!」

それ程の重大事なのかと、その場の全員が驚愕する。
封印が完全に解かれていない事から、少なくとも禁呪の書の中身が暴かれた訳ではない……筈。
禁呪の間に侵入された事自体が問題なのだろうか?
シェンジーは多くを語りたがらず、親衛隊の間には不安と不気味さ、そして不穏さが漂っていた。
約半角後に八導師の内6人が揃う。
他の2名、ユーベルリンクとタナーは出張中。
今集められる全員は集まった事になる。
彼等は親衛隊を全員退出させ、八導師だけで禁呪の間に残った。
シェンジーが皆に告げる。

 「心則法を試したい。
  禁呪が奪われたかも知れない」

他の八導師は全員、声こそ上げないが、驚愕を露にする。

256 :創る名無しに見る名無し:2017/07/10(月) 20:03:37.39 ID:OxzBsk3X.net
回避の為に次回から栞を挟んでおきます。

257 :創る名無しに見る名無し:2017/07/11(火) 18:52:55.91 ID:/Cflt3dy.net
その場で即座に心測法が始まった。
6人の八導師は円陣を組んで、禁呪の間の過去を再現する。
監査の2人が禁呪の間の封印を解いたと同時に、室内に黒い影が滑り込む。
それは1つの展示棚の前で人型になると、展示棚と同化する様に重なった。
この影が行動を起こす前から、既に封印は綻んでいた。
それから約1点後、影は展示棚から出て来る。
そこへ監査の親衛隊員の1人が通り掛かり、声を上げた。

 「だ、誰だ!!」

声を聞き付けて、もう1人の親衛隊員が駆け寄る。

 「何事だ!?」

2人共、影を目にして驚愕の表情。

 「呆っと見てないで、取り押さえるぞ!」

取り敢えず、確保すべく動き出すが、相手は影。

 「知るか!
  とにかく何とかするんだよ!
  ……B4C1N1G3F4!」

共通魔法を使うも通用せず、影は展示棚の隙間に逃げ込んで、身を隠してしまう。
どこに影が消えたのか判らない2人は、応援を呼ぶべく禁呪の間から出ようとした。
再び禁呪の間の扉が開いた瞬間に、影は逃走する。

 「あぁっ!?
  しまったっ!」

こうして巧々(まんま)と逃げられてしまったのだ。

258 :創る名無しに見る名無し:2017/07/11(火) 18:55:37.76 ID:/Cflt3dy.net
後はシェンジーが知っている通り。
八導師は心測法を解除して、深刻な表情で互いに顔を見合う。

 「あれは『逆天』の魔法だったな」

逆天の魔法とは魔法大戦の始まりとなった、世界を終わりに導く大魔法だ。
天上から大地を落とす、即ち巨大な隕石落下魔法。
極秘中の極秘で、八導師以外は存在すら知らない。

 「呪文を知られてしまったのか?」

 「……判らない。
  だが、楽観は出来ない」

逆天の魔法は宇宙規模の為に、超人的な実力の持ち主でなければ使用する事は不可能だ。
但し、優れた魔法資質の持ち主を多数集められるなら、その限りではない。

 「古い形式の封印か……」

禁呪の間の封印は絶対に解除出来ない様に、その詳細は伏せられている。
どんな仕組みで、どうすれば解けるのか、八導師以外は誰も知らない。
封印の更新も他の魔導師の補助こそ受けるが、八導師が直々に手掛けている。
古い形式の封印に拘る理由は、近代以降の理論的な新しい封印では、解除される虞がある為だ。
誰も知らない古い形式にこそ意味がある。
しかし、それが裏目に出た。
魔法資質を持たず、魔力を纏う訳でも無く、実体も持たない。
そんな存在は想定されていなかった。

259 :創る名無しに見る名無し:2017/07/11(火) 18:58:15.13 ID:/Cflt3dy.net
八導師の1人が、他に問う。

 「あの影の様な物は何なのだ?」

 「虫だと思う」

 「虫?」

 「昆虫ではなく、所謂『微小な生物』と言う意味の……」

 「如何に微小でも、目に見える程の集合ならば、魔法に何等かの反応を示す筈だ」

 「勿論、真面な虫ではない。
  あれは『影虫』ではないか」

影虫とは伝説の生き物だ。
人の後を付いて歩き、人の真似をする影を、生物に見立てた。
日中は太陽から逃れ、夜になると意思を持って動き出すと言う。
小さな生物の集合で、故に影は自在に形を変える。
明るさが強い時に影が濃くなるのは、影虫が狭い所に密集しているから。
実体が無く、魔力も無く、魔法資質でも捉えられないのは、正に影だからに他ならない。

 「そんな物が現実に……?」

 「『奴等』ならば、有り得ない話でもない。
  逆天の魔法が狙われた訳ではなく、飽くまで偶然だと思う。
  封印の中身を品定めする様な知能は、影虫には無い。
  封印の綻びが大きかった物が、偶々逆天の魔法だった。
  そう考えるのが妥当だ」

 「その『封印の綻び』も気になる。
  外部からの働き掛けで劣化を早められた印象だが、誰にも覚られずに可能なのか……。
  影虫が入り込むより前に、封印は弱まっていた。
  どこから『禁呪の間』の情報が漏洩した?」

謎は尽きないが、1つだけ確かに言える事がある。
今、魔導師会は恐ろしい物の挑戦を受けている。

260 :創る名無しに見る名無し:2017/07/12(水) 19:38:57.78 ID:3pudxb2L.net
八導師達は同じ八導師に裏切り者が居るとは、考えていなかった。
それは八導師が歴代八導師の知識を継承している為だ。
八導師は知識の継承によって魔導師会の秘密を知ると同時に、精神的な拘束を受ける。
精神の改変、人格の改造にも近い。
八導師は伏せられた大きな秘密を知る事によって、同じ目的意識を持つ様になる。
……『持たされる』と言うべきか?
とにかく八導師は絶対に魔導師会を裏切らない。
これは誰にも覆せない物である。
万が一、八導師の誰かが何者かに洗脳されたとしても、同じ八導師が気付かない事はあり得ない。
では、どこの誰から禁呪の間の情報が洩れたのだろうか?
名誉ある親衛隊から?
それとも噂話程度の物から推測して辿り着いた?
魔導師会本部の地下に何か隠されていると言う話は、よくある物だ。
魔導師会本部に限らず、何か重要な施設の地下には、更に重要な何かがあると噂される。
地下は人目に付き難く、何かを隠すには都合の好い場所。
ここ最近、魔導師会本部では不審者の目撃が相次いでいた。
魔導師に気付かれず、本部に侵入出来る程の実力があれば、地下空間の存在に気付く事も、
有り得なくは無い。

261 :創る名無しに見る名無し:2017/07/12(水) 19:40:47.82 ID:3pudxb2L.net
八導師の1人が問う。

 「……犯行には反逆同盟が関わっていると考えて良いんだな?」

 「十中八九。
  こんな事が出来る連中が、他にも居ては堪らない」

 「確かに」

犯人に関しては、異論無く八導師全員の意見が一致した。
訳の解らない物は全て外道魔法使いの仕業。
それは安直な思考だが、他に表立って魔導師会と敵対する組織は無い。

 「早急に手を打たなくては。
  禁呪の事は『誰に』、『どこまで』明かす?」

八導師は最大の問題である、今後の対応を話し合う。
身内(魔導師)の裏切り者の有無に拘らず、禁呪が盗まれた可能性がある事を、
どこまで公表すべきだろうか?
しかも、それは世界を終わらせる「逆天の魔法」。
存在自体が極秘だった。
これが発動しても多数を動員すれば止められるかも知れないが、不意打ちには対処の仕様が無い。
阻止に失敗すれば「唯一大陸」は壊滅的な被害を受ける事になる。
逆天の魔法の存在を公表して、人々に周知した方が、対処出来る可能性は上がる。
だが、これは諸刃の剣だ。
強大な魔法の存在を隠していた事、それだけでなく「隠していたのに守り切れなかった事」は、
市民の不安を煽るのに十分。
未だ「禁呪を守り切れなかった」と確定はしていないが、これも一層の不安を煽る。
禁呪の間に侵入され、情報を盗まれた「可能性がある」と言う表現。
それが幾ら「正確」であっても、盗まれたか否かも判らないと言うのは、信用されない。
反逆同盟の存在は未だ明らかになっていないが、只でさえ大事件の連続に市民が不安を訴え、
排他的になっている現状、これ以上魔導師会が失点を重ねれば、魔導師会内部からも、
過激派の声が大きくなる。
当然、禁呪の存在を秘匿していた八導師の責任が問われるだろう。

262 :創る名無しに見る名無し:2017/07/12(水) 19:43:55.19 ID:3pudxb2L.net
――

263 :創る名無しに見る名無し:2017/07/12(水) 19:44:42.07 ID:3pudxb2L.net
魔導師会内で八導師を快く思っていない存在は多い。
中央運営委員会は強大な権限を削ごうと考えているし、今の秘密主義で穏健な八導師を、
総入れ替えしたいと思っている者も居る。

 「今、禁呪の事を公表するのは得策ではない。
  幸い親衛隊も『禁呪の情報が盗まれた』とは思っていない」

 「幸い?
  親衛隊にも隠し通すのか?」

 「不確実な事を言わないだけだ。
  勿論、我々だけで処理するには限界がある。
  そこで隊長を始めとした、極一部だけには話そうと思う。
  緊急時には我々に代わって指揮を執れる様に」

 「もし逆天の魔法が使われる様な事があれば――」

 「その気になれば魔導師会は疎か、大陸全土を吹き飛ばす事も出来る。
  逆天の魔法とは、それだけ恐ろしい物だ。
  存在を明かそうが明かすまいが、大して変わらん」

八導師は「逆天の魔法」に就いて、完全に秘匿する事に決めた。
逆天の魔法が使われる時は、世界が終わる時。
旧暦が終わった様に、共通魔法社会も終わりを迎える。

 「私達も『終わる』覚悟をしなければならない。
  だが、悪魔共の好き勝手にはさせない。
  人類再生は道半ば。
  『やり直し』になろうとも、悪魔だけは絶対に排除する。
  この世界は人間の物だ」

その判断が吉と出るか、凶と出るか……。

264 :創る名無しに見る名無し:2017/07/13(木) 20:06:26.99 ID:oBKiA3it.net
所在地不明 反逆同盟の拠点 主の間にて


――真実、逆天の魔法の内容は知られていた。
影虫は主の元に戻り、禁呪の書を再現する。

 「どれ、魔導師会の地下には何があった?」

影の主は反逆同盟の長、マトラ。
彼女は王座に腰掛け、影虫が再現した禁呪の書を真面真面と読む。

 「これは、これは……。
  共通魔法使いも中々侮れぬ。
  こんな物を隠していたとは」

愉悦の笑みを浮かべ、マトラは頷く。

 「魔法大戦の号砲か……。
  興味深くはあるが、使う気にはならぬなぁ……。
  散り際の置き土産には良かろうが」

しかし、彼女に共通魔法は使えない。
悪魔貴族の気位からして、他流に迎合する事は出来ないのだ。
それに世界を滅ぼしたいとも思っていない。
望む物は混乱と腐敗であり、虚無や破滅ではない。
溜め息を吐いたマトラは、影の魔物であるディスクリムを呼んだ。

 「ディスクリム!」

 「はい、お側に」

ディスクリムは影から這い出し、マトラの前で跪く。

265 :創る名無しに見る名無し:2017/07/13(木) 20:07:07.55 ID:oBKiA3it.net
マトラは影虫で出来た禁呪の書を、ディスクリムに投げた。
ディスクリムは落とさない様に慌てて受け取る。

 「これは……?」

 「世界を破滅させる共通魔法だ」

 「これを……?」

 「誰でも良い、欲しい者に呉れてやれ」

 「宜しいのですか?」

 「私が言うのだ」

 「は、はい、畏まりました」

マトラの命令は絶対であり、是非も無い。
ディスクリムは困惑しながらも、同盟の中で「世界を破滅させる魔法」を欲する者を探した。
だが、それは「世界を破滅させたい者」に他ならない。
反逆同盟のメンバーの多くは、共通魔法社会と魔導師会を破壊したいと考えているが、
世界その物を破壊したいとまでは考えていない。
マトラ自身も、そうではないのだから、「欲しい者に呉れてやれ」と言ったのだ。
故に、本当に世界を破滅させられては困る筈なのだが……。
ディスクリムは主命を受けた以上、何もしない訳には行かなかったので、取り敢えず、
一人一人に尋ねて回る事にした。
所がと言うべきか、当然と言うべきか、この魔法を欲する者は居なかった。
共通魔法の理を嫌って反逆同盟に参加した者は、如何に強力であっても共通魔法を使いはしない。
魔導師会を打倒したいと考えている者は、地上の全てを破壊したい訳ではない。

266 :創る名無しに見る名無し:2017/07/13(木) 20:11:24.11 ID:oBKiA3it.net
弱ったディスクリムは、世界を破滅させる魔法書の扱いを、予知魔法使いのジャヴァニに尋ねた。

 「ジャヴァニ様、相談があります」

 「貴方が相談とは珍しいですね」

ジャヴァニはマスター・ノートを開き、ディスクリムに相対する。

 「あぁ、成る程。
  苦労が絶えませんね」

彼女は真面に話を聞かない内から、独り合点して、ディスクリムに言った。

 「魔法書を託せる相手を探しているのですか」

マスター・ノートには全てが記されていると言うが、どこまで未来が書かれているかは、
ジャヴァニ本人以外には判らない。
数日先の事を語る時もあれば、数月先の事を語る時もある。
今の所、彼女の予言は正確だ。

 「その通りです。
  流石は予知魔法使い。
  話が早くて助かります」

驚嘆と感服を表すディスクリムにジャヴァニは告げた。

 「私が預かりましょう。
  良い使い方を知っています」

267 :創る名無しに見る名無し:2017/07/14(金) 19:03:01.47 ID:gmbFrjYe.net
魔法書を預ける事自体に、ディスクリムは異論は無かったが、目的は知りたかった。

 「『良い使い方』とは?」

 「魔導師会を倒せるかも知れません。
  しかし、時期が重要です。
  余り期待せずに、お待ち下さい」

ディスクリムは、この魔法書が魔導師会が秘匿していた物の複製だと知らない。
では、ジャヴァニは?
彼女のマスター・ノートに『何が』、『どこまで』記されているのか、誰も知らない。
ジャヴァニ自身に高い魔法資質は感じられないし、特段に高い戦闘能力がある様には見えない。
ディスクリムは一つ試しに言ってみた。

 「……そのノート、見せて頂く事は出来ないでしょうか?
  何が書かれているのか……」

 「それは出来ません。
  未来は繊細な物。
  全ての物事が予定通りに進まなければ、予知は忽ち意味を失います。
  彼の方が指示した以上の事をするのは頂けませんね……」

ジャヴァニは柔んわりと断り、ノートを畳んでしまう。
マトラはジャヴァニを重要な客人として扱っている。
マトラの下僕であるディスクリムは、ジャヴァニの機嫌を損ねる真似は厳に慎まなくてはならない。

 「失礼しました」

 「貴方も大変ですね」

平謝りするディスクリムを嘲る様に、ジャヴァニは労いの言葉を掛けるのだった。

268 :創る名無しに見る名無し:2017/07/14(金) 19:03:29.29 ID:gmbFrjYe.net
――

269 :創る名無しに見る名無し:2017/07/14(金) 19:08:51.62 ID:gmbFrjYe.net
ディスクリムは魔法書をジャヴァニに渡した事を、マトラに報告に戻る。

 「マトラ様、例の魔法書はジャヴァニ様が利用なさるとの事です」

 「創った私が言うのも何だが、一々報告に戻るとは律儀な奴よ。
  全く鬱陶しい。
  まぁ、しかし、ジャヴァニが預かるのであれば、間違いは無かろう。
  捨て置け、捨て置け」

マトラは澄まし顔で爪を研ぎながら、ディスクリムの報告を聞き流した。
彼女は面倒臭い性格で、報告したら報告したで、この様な粗雑(ぞんざい)な扱いをするが、
報告に行かないなら行かないで、不満を持つ。
気紛れな主にディスクリムは逆らおうと言う心理が無い。
そんな物を抱く様には出来ていないのだ。
――その一方、ジャヴァニは魔法書の内容を教える人物と出会う為に、B3Fのネーラを訪ねた。

 「ネーラさん、私を送って欲しいのですが」

 「ジャヴァニ?
  変わった事がある物だ。
  明日は雪が降るかな?」

普段は引き篭もって表に出ないジャヴァニが、送迎を頼むとは何事かとネーラは訝る。

 「……送って下さらないのですか?」

ノートを大事に抱えて問う彼女に、ネーラは嫌らしく笑って言う。

 「誰も送らないとは言っていない。
  先ず、何の用で、どこまで行くのか教えて貰おう」

270 :創る名無しに見る名無し:2017/07/14(金) 19:11:33.37 ID:gmbFrjYe.net
ジャヴァニは涼しい顔で迂遠な言い回しをした。

 「同盟の為の一寸した運動ですよ。
  人に会いに行くんです。
  場所は……地図で示します」

彼女はノートに挟んである唯一大陸の地図を広げ、ティナーの南を指し示す。

 「この辺りなら、どこでも良いので」

 「予知魔法使いなのだから、細部まで指定すれば良い物を」

どこへ運べるのか予知魔法使いなら判るだろうと、ネーラは言いたかった。
ジャヴァニは平然と答える。

 「場所の指定は、然して重要ではないのです」

そんな物かとネーラは首を捻る。
どこへ運ばれようが、ジャヴァニの想定通りと言うのは、彼女にとって余り面白くない。
少し意地悪をしたくなるが、それも思い通りだと言うならば、全ては徒労だ。

 「誰に会いに行くかは教えてくれないのか?」

 「絶対に秘密と言う訳ではありませんが、誰彼構わず言い触らされては困ります」

 「そんな奴に見えると?」

 「貴女は上司に逆らえますか?」

ジャヴァニの言う「上司」とは、ラントロックの事だ。
魅了の能力を持つ彼には、隠し事が通用しない。

271 :創る名無しに見る名無し:2017/07/15(土) 19:42:22.89 ID:Jic0Ztae.net
ネーラは沈黙で肯定の意思を表して、それ以上の追及を避け、別の要求をする。

 「言いたくないなら、言わなくて良い。
  だが……、そうだな、駄賃代わりに、そのノートを見せてくれ」

ジャヴァニは驚いて身を屈め、一層大事にノートを抱えた。

 「これは安易に他人に見せて良い物ではありません」

 「何も全部見せろとは言わない。
  適当に開いた頁(ページ)だけで構わない。
  未来が記された予言書とは、どんな物か興味がある」

 「そんな大袈裟な物ではありませんよ……」

困り顔で謙遜するジャヴァニに、ネーラは言う。

 「どうだって良い、とにかく見せてくれるのか、それとも1頁も見せられないのか」

 「そこまで見たいと仰るのであれば……」

ネーラに問い詰められたジャヴァニは、遠慮勝ちにノートを差し出した。
予想外の行動にネーラは戸惑う。

 「好きな頁を見ても良いのか?」

 「どうぞ、1頁と言わず」

余りに気前が良いので、何か裏があるのではと勘繰らずには居られない。

272 :創る名無しに見る名無し:2017/07/15(土) 19:43:09.42 ID:Jic0Ztae.net
恐る恐るネーラが頁を開くと、そこは真っ白で何も書かれていなかった。

 (……何も書いてない?
  最初から全ての頁が埋まっている訳ではないのか?
  日毎に予言を書き足している?)

怪しんだ彼女は頁を前後に捲ってみるが、全部真っ白。
白紙のノートだ。

 (ど、どう言う事だ?
  ジャヴァニの予知はマスター・ノートではない!?)

ネーラは驚愕の表情でジャヴァニを見詰める。
ジャヴァニは気味の悪い笑みを浮かべながら、2冊目のノートを抱えていた。

 「あっ!?
  騙したな!
  ダミーのノートか!」

 「『騙した』とは人聞きの悪い。
  私は一言も、それがマスター・ノートだとは言っていませんよ」

一杯食わされたネーラは不満気にジャヴァニを睨む。
ジャヴァニは自分が持っているノートを、ネーラに差し出した。

 「こちらを見てみますか?
  そちらのノートは返して下さいね」

 「もう良い、どちらも偽物なのだろう?」

ネーラは拗ねてノートを突き返す。

 「約束は約束だ。
  送ってやるよ」

273 :創る名無しに見る名無し:2017/07/15(土) 19:43:56.26 ID:Jic0Ztae.net
――

274 :創る名無しに見る名無し:2017/07/15(土) 19:44:32.40 ID:Jic0Ztae.net
ネーラはジャヴァニを抱えて、水場から水場へ転移した。
ジャヴァニは陸に上がると、ノートを開いてネーラに依頼する。

 「2角後に、ここに居て下さい。
  それまでには用事が済みます」

ノートは白紙の筈なのにと、ネーラは訝る。
ジャヴァニは独り、水場から離れて街道に向かった。
……彼女は半角歩いて、目的の人物に出会う。
それはチカ・キララ・リリン。
魔城事件以降、反逆同盟から離れて活動する様になった彼女に、ジャヴァニは会いに行ったのだ。

 「お久し振りです、チカさん」

 「ジャヴァニか……、同盟に戻れと?
  それとも不吉な報せでも伝えに来たのか?」

不機嫌な様子のチカに、ジャヴァニは黒い魔法書を見せ、淡々と言う。

 「世界の破滅に興味はありませんか?」

 「破滅?」

 「これは魔導師会から盗み出した書の複製です。
  世界を終わらせる程の威力を持った『禁呪<フォビドゥン・スペル>』らしいのですが……」

 「何故、私に?」

警戒するチカに、ジャヴァニは全く変わらない調子で答えた。

 「貴女は共通魔法社会に恨みがあります。
  その恨みを晴らすのに、相応しい魔法ではないかと思いまして」

275 :創る名無しに見る名無し:2017/07/16(日) 20:44:55.31 ID:3rtt21pN.net
チカは疑いの晴れない顔で徐に魔法書を受け取ると、慎重に開いて中身を読む。
魔法書にも種類があり、中には読んだだけで呪われる物もある。
ジャヴァニは「禁呪らしい」と言った。
それは詰まり、自分では中身を読んでいないと言う事。
内容の確認が出来ていない物を渡されて、良い気はしない。
ジャヴァニは予知魔法使いなので、読まなくても中身を知っているのかも知れないが、
それならば「禁呪らしい」と曖昧な言い方はしないで欲しいと、チカは思った。
何が起きても予知通りと言うのが、予知魔法使いの嫌らしさだ。
しかし、実際に魔法書の中身を読んで、チカは内容に惹かれた。

 (こ、これは……!)

そこに書かれていたのは、単なる呪文ではない。
この魔法を使用した魔法大戦当時の状況や、魔法の意味まで詳細に記されている。

 「ジャヴァニ、これは本当に魔導師会から……?」

 「その様に聞いています」

平然と答えたジャヴァニを見て、チカは独り戦慄した。
魔法書には魔法大戦や唯一大陸、そして『現生人類<シーヒャントロポス>』に関する、
重要な秘密が遺されている。
全てを知っていて、ジャヴァニはチカに魔法書を渡したのか?

276 :創る名無しに見る名無し:2017/07/16(日) 20:45:42.61 ID:3rtt21pN.net
チカは神妙な面持ちでジャヴァニに尋ねる。

 「……誰に頼まれた?
  私に渡せと、誰が言ったのか」

 「少し長くなりますが、宜しいですか?」

 「構わない、言え」

ジャヴァニは少し困った顔をして答えた。

 「始まりは、ディスクリムさんに相談を持ち掛けられた事です。
  ディスクリムさんはマトラ様から魔法書を渡され、これを有効に使える人物を探していました。
  そこで私が預かったのです」

 「詰まり……?」

 「貴女なら有効に使うだろうと、私が判断したのです」

 「予知で?」

 「そうです」

 「……ジャヴァニ、お前は魔法書に何が書かれていたのか、知っていたのか?」

 「『世界を破滅させる魔法』でしょう?」

 「それは……、確かに、そうだが……」

ジャヴァニだけでなく、マトラもディスクリムも魔法書に書かれている内容を読んだ上で、
そう判断したのかとチカは訝る。
丸で「世界を破滅させる魔法」にしか興味が無いかの様な扱いだ。

277 :創る名無しに見る名無し:2017/07/16(日) 20:53:42.20 ID:3rtt21pN.net
この魔法書に書かれている『逆天の魔法』の呪文は、世界を終わらせられる程の重大な物だ。
それは間違い無い。
だが、それと同等か、それ以上に「共通魔法社会の秘密」、「魔導師会の秘密」、「魔法大戦の秘密」、
「現生人類の秘密」も重要である。
マトラの従僕に過ぎないディスクリムは未だしも、マトラとジャヴァニは何を考えているのか……。
或いは、何も考えていないのか……?
思案しながら無言で睨み続けるチカに対して、ジャヴァニは問う。

 「魔法書は有用そうですか?
  もし、そうでないならば――」

彼女が「魔法書を返して欲しい」と言い出す前に、チカは答えた。

 「要る。
  有り難く使わせて貰う」

そうチカが断言すると、ジャヴァニは柔和な笑みを浮かべた。

 「それは何より。
  では、これにて」

彼女の反応は、チカの目には全てが予知通りに行って安堵した様に映る。

 「私の自由に使って、本当に良いんだな!?」

念を押すチカに、ジャヴァニは微笑んで頷いた。

 「どうぞ、貴女の思う儘に」

278 :創る名無しに見る名無し:2017/07/16(日) 20:53:57.64 ID:3rtt21pN.net
――

279 :創る名無しに見る名無し:2017/07/17(月) 19:38:26.60 ID:ZJvL/zna.net
一同に会す


ティナー地方南部 カジェル町 ミードス・ゴルデーンの家にて


若き旅商の女リベラと、彼女と共に旅をしている自称冒険者の男コバルトゥスの2人は、
音の魔法使いレノック・ダッバーディーの招集を受けて、ティナー地方南部カジェル町にある、
ミードスの家を訪ねた。
リベラは畑仕事をしているミードスを見付けると、元気に声を掛ける。

 「お久し振りでーす、ミードスさーん!」

 「ああ!」

ミードスは一旦手を止めて、リベラ達の方に歩き出した。

 「やぁ、久し振り。
  随分大人になったね、リベラちゃん。
  時が経つのは早い。
  無常を感じるよ」

彼は触れた物を金に変える、金の呪いを受けた。
金の呪いの影響で、彼自身も金の性質を持ち、「不変」即ち「不老不死」である。
何人も、その体を傷付ける事は出来ない。
ミードスはリベラの隣のコバルトゥスにも目を遣った。

 「君はコバルトゥス君だね。
  20年振り位かな?
  あの頃は未だ少年の俤が残っていたが」

彼はコバルトゥスとも面識がある。

280 :創る名無しに見る名無し:2017/07/17(月) 19:39:55.69 ID:ZJvL/zna.net
それがリベラには意外で、彼女はミードスに言った。

 「コバルトゥスさんとは、お知り合いでしたか」

 「そう、昔、彼とラヴィゾール――君の養父(とう)さんと……」

ミードスが昔を懐かしんで話そうとすると、コバルトゥスが不機嫌な顔をして遮る。

 「昔話は後で。
  それより、他の連中は?
  もう来てるのか?」

コバルトゥスの問い掛けに、ミードスは頷く。

 「来ているよ。
  家の中で待っている。
  こんな所で立ち話も何だし、行こうか」

3人は揃って、ミードスの家に向かった。
リベラは平屋の大きな家を見て、驚きの声を上げる。

 「わぁ、何時増築したんですか、ミードスさん?」

昔は小縮(こぢん)まりした簡素な家だったが、今は開放的な古い農家を思わせる造り。

 「2、3年前だよ。
  昔の狭い家も悪くは無かったんだが、金が増えてしまって。
  忽(うっか)りしていると、何でも金に変わってしまう。
  表から金煌(きら)を隠す為に、こう言う風にしてみたんだ」

リベラは納得して溜め息を吐いた。

 「はぁ、そうですねぇ……。
  家の中、目が痛くなる位、金煌金でしたからねぇ……」

281 :創る名無しに見る名無し:2017/07/17(月) 19:40:29.57 ID:ZJvL/zna.net
――

282 :創る名無しに見る名無し:2017/07/17(月) 19:41:02.21 ID:ZJvL/zna.net
ミードスの家に上がったリベラとコバルトゥスは、広い客間に通された。
そこには見知った者達と一緒に、フードを被ったローブ姿の怪しい人物も屯している。
レノックが呼び集めたのだろうが、2人の視線は自然と怪しい人等に向かう。
その側に子供の姿のレノックが居るのを認めて、リベラは声を掛けた。

 「今日は、レノックさん」

 「やァ、リベラちゃん!
  大きくなったねぇ」

 「レノックさんは……、お変わり無い様で」

レノックはリベラが子供の頃から、変わらず子供の姿の儘だ。

 「この姿で何百年と過ごしているからな。
  大人の姿になれない事も無いんだが、大抵僕と認識して貰えない」

肩を竦めるレノックに、リベラは苦笑する。
彼女は改めて室内を見回し、レノックに尋ねた。

 「お養父さんは?」

 「未だ来ないね。
  こんな時は早目に来る男だったんだが……」

リベラの記憶でも、養父は早目の行動を心掛ける性格だった。
養父の身に何か起きたのだろうかと、彼女は心配になる。
少し表情を曇らせたリベラを、レノックは慰める。

 「彼の事だから大丈夫さ。
  そうだ、丁度良いから紹介しておこう」

彼はフードで顔を隠したローブ姿の者達に呼び掛けた。

 「皆、フードを取って、この2人に挨拶を。
  僕の仲間だ」

283 :創る名無しに見る名無し:2017/07/18(火) 19:28:31.21 ID:BkDTIiDp.net
レノックの声に応えて全員がフードを剥ぐ。
蛇男、虫男、蜥蜴女、亀女、蛙男、それに影男、どれも人の顔をしていない。
リベラとコバルトゥスは目を剥いて身構えた。

 「やはり驚かれてしまうか……」

レノックが落胆した様に小さく息を吐くと、リベラは慌てて取り繕う。

 「い、いや、行き成りで吃驚したと言うか……。
  あ、あの、この人達は、どう言う……?」

 「どうって、見た儘だよ。
  人間じゃない。
  『被害者の会』さ」

 「被害者?」

 「そう、反逆同盟の長にマトラと名乗る女が居る。
  本名はルヴィエラ・プリマヴェーラと言うんだが、それは措いといて、ここに居る者達の多くは、
  彼女の被害者なんだ。
  先ずは紹介しよう」

そう言うとレノックは自分に近い者から順に紹介した。

 「僕の右手から、影人間のシャゾール君。
  蜥蜴人間のアジリア君。
  亀人間のコラル君。
  蛇人間のヤクトス君。
  昆虫人間のヘリオクロス君。
  蛙人間のヴェロベロ君」

何れも成人並みの身長である。
見慣れない者達に、リベラもコバルトゥスも無害だと頭では理解していても、戸惑いは隠せない。

284 :創る名無しに見る名無し:2017/07/18(火) 19:31:36.87 ID:BkDTIiDp.net
レノックは困った顔をして、2人に問う。

 「見た目からして明らかに人外の者と会うのは、初めてだったかな?
  ニャンダコーレ君と、そう変わらないと思うんだが」

唐突に引き合いに出されたニャンダコーレは、驚いて目を見張る。
コバルトゥスは苦笑いして応じた。

 「人外の者は結構見て来たんスけど、恒温動物じゃないのは……。
  少し人間から離れ過ぎていると言うか……。
  良い所、人魚位までッスかねぇ……」

彼が距離を置きたがる一方で、リベラは何とか受容しようとする。

 「だ、大丈夫です!
  初めて見るので、少し吃驚しただけで、問題はありません!
  私はリベラ、リベラ・アイスロンです」

それに対して、蜥蜴女が外方を向いて言った。

 「無理しなくて良いよ。
  私等、下手物だって自覚はあるし。
  そもそも好きで、こんな姿で生まれた訳じゃない」

拗ねた様な口調の彼女を見て、リベラはレノックに尋ねる。

 「被害者と言うのは……?」

 「恐らくアジリア君達は元人間で、人格部分を別の生物に移し替えられた存在なんだ。
  人間だった頃の記憶は無いし、自分達の出自も判らない。
  ルヴィエラに何の思惑があったかは知らないけれど、とにかく彼女の都合で生み落とされた。
  そう言う意味で『被害者』なのさ」

 「そ、そうなんですか……」

反逆同盟の長であるルヴィエラは、そんな事が出来るのかと、リベラは驚愕した。

285 :創る名無しに見る名無し:2017/07/18(火) 19:32:45.22 ID:BkDTIiDp.net
コバルトゥスは両腕を組んで、変温動物達に問う。

 「あんた等は、その生みの親のルヴィエラって奴に復讐したいと考えてるのか?」

変温動物達は互いに顔を見合うばかりで、何も答えない。
一同を慮って、レノックが代わりに答えた。

 「ルヴィエラは強い力を持つ悪魔だ。
  直接対峙するのはリクスが高い。
  それは君達にも言える。
  僕達は魔導師会と協力し、小(ささ)やかな抵抗を続けている」

よく分からないと言う顔をするコバルトゥスに蛇男のヤクトスが言った。

 「復讐よりも真実が知りたい。
  記憶を失う以前の俺達は何者で、今の俺達は何の為に生み出されたのか……。
  『俺は』、そう考えている」

 「だったら、ルヴィエラとやらの仲間になれば早いんじゃないか?」

コバルトゥスの問いに、ヤクトスは首を横に振る。

 「反逆同盟の遣り方には賛同出来ない。
  ルヴィエラに就いても、よく分からないが、共通魔法使いと敵対する意思は無いし、
  無闇に争いを広げたくもない。
  味方する訳には行かない。
  それは他の皆も同じ考えだと思う」

コバルトゥスは全員を一覧した。
変温動物達は消極的に頷いて同意を表す。

286 :創る名無しに見る名無し:2017/07/19(水) 19:52:20.87 ID:ZYEf4AnN.net
反逆同盟の長が生み出した存在と言う事で、コバルトゥスには変温動物達への不信感がある。
反逆同盟と「戦えるか」は、彼にとって他者を仲間と認める上で必須の要素だ。
同盟の長であるルヴィエラと対峙する事は難しいと、レノックは説明した。
これを「戦力」としては期待出来ない、当てにならないと、コバルトゥスは内心で切り捨てた。
彼の心を読んだかの様に、レノックは忠告する。

 「コバルトゥス、反逆同盟には手強い魔法使いが数居るが、ルヴィエラは強い何て物じゃないんだ。
  この僕の力を以ってしても、猫と虎位の差がある。
  勿論、奴が虎だ」

レノックの真の実力を知らないコバルトゥスは、半信半疑の眼差しで承服し難い様子。
レノックは続ける。

 「言っておくが、君では全く相手にならない。
  僕と奴が猫と虎なら、君は鼠、否、飛蝗(バッタ)だ」

「飛蝗」に喩えられたコバルトゥスは静かに怒った。
彼はテーブルに置かれた金の花瓶を飾る金の造花を1輪、魔法剣で切断して見せる。

 「これでもか?」

何の前触れも無く花が落ちた事に多くの者は驚愕したが、レノックは鼻で笑う。

 「大した技術だ……が、丸で話にならない。
  君は真に恐ろしい物を知らないと見える」

287 :創る名無しに見る名無し:2017/07/19(水) 19:53:17.84 ID:ZYEf4AnN.net
――

288 :創る名無しに見る名無し:2017/07/19(水) 19:53:39.29 ID:ZYEf4AnN.net
それを聞いて、巨人魔法使いの巨漢ビシャラバンガが口を開く。

 「己(おれ)は巨人と戦った。
  この己より何倍も大きく、圧倒的な魔法資質と、鋼の翼を持つ『巨人』。
  ルヴィエラと言う奴は、その巨人より強いのか?」

レノックは頷く。

 「僕も『巨人』は知っている。
  旧暦では、力の強い巨人の生き残りが未だ多く居た。
  中には僕より強い巨人も居たけど、ルヴィエラは格が違う」

ビシャラバンガは驚愕した。

 「巨人よりも強いのか……」

 「そう、天を貫き地を砕く巨人よりも……」

自分では到底敵わない圧倒的な力を実際に目にしたビシャラバンガは、畏れを知っている。
ルヴィエラの「強さ」を具体的に想像出来るのだ。
一方でコバルトゥスは口だけで語られる強さを信じられない。

 「だから戦うなって?
  んじゃ、誰が反逆同盟を倒すんスか?」

 「魔導師会を表に立たせる」

レノックの回答に、コバルトゥスは眉を顰めた。

 「魔導師会が?
  当てになるんスか?」

 「彼等は魔法大戦の勝者だ。
  聖君も大魔王も倒して、地上を制した」

大いなる伝説「魔法大戦」。
それが真実だと言うならば、確かに魔導師会は如何なる敵をも打ち倒せよう。

289 :創る名無しに見る名無し:2017/07/19(水) 19:55:21.63 ID:ZYEf4AnN.net
コバルトゥスはレノックの目算を認めつつも、完全には賛同し兼ねていた。
現実主義者の彼は、自分の目で見た物、自分で確かめた物以外は信じられないのだ。

 「じゃあ、魔導師会は早々(さっさ)と反逆同盟を倒せば良いじゃないッスか?
  出来るんスよね?
  やらないって事は、出来ないって事じゃないんスか?」

レノックは苛立ちを顔に表して、彼を睨む。

 「そう簡単な話じゃないんだ。
  大きな力が打付かれば、周囲を巻き込んでしまう。
  魔法大戦の様に、全てを海の底に沈めてしまう訳には行かない。
  それに政治的な事情もある。
  心の弱い者は、直ぐに大きな力に縋りたがる。
  大きな力の庇護を期待して、自分の足で立ち上がる事を止めてしまう。
  魔導師会は共通魔法秩序の守護者で、今地上の理の支配者は魔導師会以外に存在しない。
  その魔導師会は『魔導師』の集まりだ。
  社会の秩序は本来、一人一人の人間が築く物。
  魔導師会が強大な力で全てを解決した後に残る物は、力に依拠する弱い人間。
  自動的に魔導師会の権力は肥大化するだろう。
  そんな事を魔導師会は望んじゃいない」

レノックの話を理解したのか、それとも理解を諦めたのか、コバルトゥスは吐き捨てた。

 「面倒臭ぇ……。
  そんじゃ、俺達の役目は?」

 「ルヴィエラとの対峙を避けつつ、それ以外の者を止める。
  これしか無い」

リベラとコバルトゥスが反逆同盟と戦うのは、ラントロックの存在がある為だ。
ラントロックさえ戻って来れば、進んで反逆同盟と戦う理由は無くなる。

 「本当に、それだけで良いってんなら、全然構わないんスけどね……」

コバルトゥスは小さく溜め息を吐いた。

290 :創る名無しに見る名無し:2017/07/20(木) 19:57:02.18.net
――

291 :創る名無しに見る名無し:2017/07/20(木) 19:59:12.86.net
話に一旦区切りが付いた所で、旅商の男ワーロック・アイスロンが入室する。
ドアの開く音に全員が振り返った。

 「あっ……。
  これは皆さん、お揃いで……。
  遅くなりました、失礼します」

ワーロックは恐縮しながら空いた席に着く。
彼に続いて、リベラとコバルトゥスも着席した。

 「これで全員かな?
  では、始めよう」

レノックが話を仕切る。

 「皆に集まって貰ったのは、他でも無い。
  反逆同盟に関する情報を共有する為だ。
  『反逆同盟』の事を未だ余り知らない者も居るだろうから、先ずは僕が知る限りの事を話そう」

彼は咳払いを一つして、語り始めた。

 「反逆同盟とは共通魔法社会に反抗する者達の集まりだ。
  マトラと名乗る『悪魔<デモンカインド>』、本名ルヴィエラ・プリマヴェーラが長となって、
  同志を募っている」

話の途中で、ビシャラバンガが口を挟んだ。

 「『悪魔』とは?」

 「その儘の意味だよ、『悪魔<デーモン>』だ。
  人間でも動物でもない、異界の存在さ。
  斯く言う僕も、そうなんだ」

一同は目を見開く。

 「元々『魔法』は悪魔が地上に齎した物。
  共通魔法も例外じゃない」

次々と明かされる衝撃の事実に、皆々言葉を失った。

292 :創る名無しに見る名無し:2017/07/20(木) 20:01:50.80.net
聞き捨てならないと、コバルトゥスはレノックを問い質す。

 「精霊魔法も!?」

 「魔法は魔法だから。
  旧暦でも古い部類の魔法だね」

続いて、ビシャラバンガが尋ねた。

 「巨人魔法も?」

 「そいつは少し仕組みが違う。
  巨人は巨人で悪魔じゃない。
  『この世界の存在じゃない』と言う意味では、悪魔と余り変わらないかも知れないが」

コバルトゥスもビシャラバンガも両腕を胸の前で組み、険しい顔。
暫しの沈黙の後、リベラがレノックに言う。

 「レノックさん、悪魔なんですか?」

 「そうだよ。
  旧暦の魔法使いの大半は悪魔とか、悪魔の子とか、悪魔の力を借りたとか、そんなんだ」

 「えっ、お義母さんや、ソームさん、ワーズさん、ウィローさんも、皆?」

 「ソームとワーズと僕は、それぞれ『違う一族』の悪魔だ。
  ウィローは人間と悪魔の子、そしてバーティフューラーは悪魔を身に宿した」

 「はぁー……」

リベラは何と言って良いか分からず、暈(ぼ)んやりと溜め息を吐くしか無い。

293 :創る名無しに見る名無し:2017/07/20(木) 20:03:52.88.net
――

294 :創る名無しに見る名無し:2017/07/20(木) 20:04:38.91.net
話の腰が折れたので、ワーロックが元に戻した。

 「レノックさん、反逆同盟の話の続きを」

 「ああ、えっと、どこまで話したかな?」

 「悪魔のマトラが長をしていると」

 「そうそう、反逆同盟にはマトラの他にも悪魔が居る。
  それに混じって、所謂『外道』と呼ばれる魔法使いや、魔物まで居るんだ。
  何れも共通魔法社会では生きられない物達……。
  奴等は『共通魔法社会を破壊する』と言うが、破壊した後の『真の目的』までは分からない。
  どうせ碌でも無い事だろうが……。
  僕達は反逆同盟を止めなくてはならない。
  だが、マトラ事ルヴィエラは余りに強過ぎる。
  確実に倒す為には、相当に入念な準備が必要だ。
  どんな状況でも、奴が現れた時は戦おう等とは思わず、撤退してくれ」

レノックの意見に反対する者は無いが……、堪らずビシャラバンガが発言する。

 「度々話を遮って済まないが、『魔物』とは?」

 「魔物は魔物だ。
  人間でも動物でもない、魔性の存在」

 「悪魔とは又違うのか?」

彼の疑問に、レノックは影人間のシャゾールを指して言う。

 「例えば、彼みたいなのだよ」

確かに、シャゾールは人間ではないし、動物でもない。
悪魔と言う程、邪悪な印象でもない。

295 :創る名無しに見る名無し:2017/07/21(金) 19:55:50.72 ID:xdJ3/3fZ.net
――

296 :創る名無しに見る名無し:2017/07/21(金) 19:56:24.91 ID:xdJ3/3fZ.net
レノックは全員を一覧して続けた。

 「話を続けても良いかな?
  僕達――僕とシャゾール君、アジリア君達は既に魔導師会と協力している。
  そこの彼が魔導師だ」

そう言って、レノックはヴェロベロの隣に座っている人物を指した。
彼は一礼して名乗る。

 「私は魔導師会法務執行部の執行者ストラド・ニヴィエリ。
  レノック・ダッバーディーと行動を共にしている」

魔導師のローブを着ていないのは、任務上の理由だろうか?
魔導師と聞いてワーロックとリベラは身構えた。
反逆同盟に加担している身内が居る事は、出来れば知られたくない。
共通魔法使いと外道魔法使いの対立に巻き込まれない様に、余り事が大きくならない内に、
ラントロックを取り戻す。
それが2人の目標だった。
レノックはワーロックに目を遣って言う。

 「気が進まないかな、ワーロック?
  だが、ティナー襲撃、エグゼラ襲撃、そして魔城事件と……。
  これだけの大事件が続けば、影で解決するのは、もう不可能だ。
  覚悟を決めて、魔導師会に協力を仰いだ方が良い」

ワーロックは沈黙して思案した儘、返事をしない。

 「お養父さん……」

リベラは養父の顔色を窺い、彼の判断に従う事にした。
レノックの言う事にも一理ある。
早期にラントロックを取り戻したければ、魔導師会にも協力して貰った方が得策。

297 :創る名無しに見る名無し:2017/07/21(金) 19:58:07.34 ID:xdJ3/3fZ.net
ワーロックは両目を閉じて、首を横に振った。
そして、リベラに告げる。

 「リベラ、お前は家に帰りなさい」

リベラは声を大に反論した。

 「何で!?
  嫌だよ!!」

 「お前には荷が重い。
  お前自身が一番よく解っている筈だ。
  これまで、それなりに危ない目にも遭って来たんだろう?」

 「今そんな話するの!?
  後で良いじゃない!」

 「声が大きい。
  皆の前で見っ度も無い」

 「お、お養父さんこそ、皆の前で言わなくたって!」

父娘の言い争いに、周囲の者は白い目を向けている。
ワーロックは眉を顰め、コバルトゥスに言った。

 「コバギ、お前の意見は?
  今までリベラと一緒に行動していて、大丈夫だと思うか?
  これからリベラが危険な目に遭わないと断言出来るか?」

 「そ、それは……」

急に話を振られて、コバルトゥスは言い淀む。
彼は何度かリベラを危険な目に遭わせてしまっている。

298 :創る名無しに見る名無し:2017/07/21(金) 20:01:46.90 ID:xdJ3/3fZ.net
コバルトゥスは一度リベラを顧みた。
リベラは彼を睨み付ける様に見詰めている。
絶対に退かないと言う覚悟だ。
板挟みになって迷っている様子のコバルトゥスに、ワーロックは言った。

 「コバギ、少し話がある」

彼は席を立って、コバルトゥスに手招きする。
コバルトゥスはリベラを一瞥して、ワーロックに続いて部屋を出た。
ミードスの家の廊下で、2人は話し合う。

 「コバルトゥス、お前は反逆同盟と戦う上で、重要な戦力になると私は思っている」

ワーロックがコバルトゥスを「コバギ」と言う愛称でなく、略さない名前で呼ぶ時は、怒っている時か、
至極真面目な時か、どちらかだ。
コバルトゥスは気圧されて曖昧な返事をする。

 「え、はぁ、そりゃ、どうも……」

 「リベラの面倒を見るよりは、反逆同盟と戦った方が良い」

 「……息子さんの事は良いんスか?
  リベラちゃんはラントの事を心配して……。
  俺も彼女に協力したいと思ってるんスけど」

 「ラントロックの事は私が何とかする。
  結局どこまで行っても、これは家庭内の問題だ。
  父親として、私が方を付けなくてはならない」

ワーロックは悲しい程に「男」だ。
責任感が強く、剛健で逞しくあるべしと言う『男性<マスキュリニティ>』の束縛から逃れられない。
故に、義の為なら情を押し殺す。
「反逆同盟の脅威から共通魔法社会を守る」と言う大義の前では、口を閉ざしてしまう。
しかし、未だ彼にも父親として「息子を守りたい」と言う情が残っている。
だから、レノックが「全てを明かして魔導師会の協力を仰げ」と水を向けているにも拘らず、
頷かなかった。

299 :創る名無しに見る名無し:2017/07/22(土) 18:52:13.30 ID:ketcnOg0.net
リベラを危険には巻き込めない。
一方でラントロックを助けなくてはならない。
それをワーロックは独りで背負おうとしている。
コバルトゥスはワーロックに尋ねた。

 「先輩は独りでラントを助け出す積もりなんスか?」

 「ああ」

 「レノックさんの話、聞いてましたよね?」

 「ああ」

ルヴィエラは恐ろしい悪魔だとレノックは言った。
とてもワーロック独りで立ち向かえるとは思えない。
それでも彼は父親として戦うのだ。

 「皆で何とかしましょうよ」

コバルトゥスの提案にも、ワーロックは頷かなかったが、迷いを見せる。

 「……皆が協力してくれるなら、これ程有り難い事は無い。
  だが、ラントロックが反逆同盟に加担していた罪は許されないだろう。
  如何に未成年でも、私一人の責任では庇い切れないかも知れない」

 「――だから、窃(こっそ)り一人で助け出そうって言うんスか?
  そうすれば罪も罰も有耶無耶に出来ると?」

 「卑怯だ、卑劣だと思うか?」

コバルトゥスは頷いた。

 「はい。
  でも、良いんじゃないッスか?」

ワーロックの罪の意識を少しでも軽減しようと、彼は卑小さを肯定したが、当人は苦々しい表情。

300 :創る名無しに見る名無し:2017/07/22(土) 18:53:21.53 ID:ketcnOg0.net
ワーロック自身が「良くない事」と認識している以上、他人の慰めは意味が無い。
面倒臭い人だとコバルトゥスは内心で呆れ、決意の言葉を口にした。

 「仕方無いッスね。
  先輩、俺もラントの救出を手伝いますよ」

 「いや、駄目だ。
  お前はレノックさん達と一緒に、反逆同盟と戦え」

 「先輩の言う事に従う義務は無いッス」

 「お前……」

ワーロックは苛立ちを露に顔を顰め、コバルトゥスは嘲笑を浮かべる。
その通り、コバルトゥスがワーロックの指示に従う義務は無い。
共通魔法社会の為と言う大義も、彼には関係が無い。
それを理解したワーロックは大きな溜め息を吐いた。

 「勝手にしろ。
  但し、リベラは帰らせる」

 「その事なんスけど……。
  ラントの説得にはリベラちゃんが必要になると思います」

 「何故?」

至極真面目な顔で言うコバルトゥスに、訳が解らないとワーロックは怪訝な顔をする。
この説明には、リベラがワーロックに抱いている想いと、ラントロックがリベラに抱いている想いを、
理解して貰う必要がある。
果たして、言ってしまって良い物かとコバルトゥスは悩んだ。
ワーロックはリベラの好意に気付いているが、本心からの物ではなく、実の親が居ない事に対する、
不安や劣等感に由来する物ではないかと考えている。
伝えた所で、本気にはしないだろう。

301 :創る名無しに見る名無し:2017/07/22(土) 18:54:26.12 ID:ketcnOg0.net
――

302 :創る名無しに見る名無し:2017/07/22(土) 18:55:29.93 ID:ketcnOg0.net
コバルトゥスは核心部分を避けながら、どうにか理由を話せないかと苦心した。

 「こう言っちゃ何なんスけど、先輩が出て来るとラントは益々反発すると思うんスよ。
  ラントが家出した原因、先輩は何と無く解ってるんスよね?
  円満に解決するには、力尽くで言う事を聞かせるだけじゃ駄目ッス」

 「お前とリベラなら出来ると言うのか?」

 「そうそう、寧ろ先輩が魔導師会と協力して、俺達がラントの説得を担当した方が、
  上手い事行くんじゃないかなぁ〜とか」

 「確信があるんだな?」

ワーロックが譲歩してくれそうなので、コバルトゥスは安堵する。

 「ええ、まァ、実際何度かラントに会ってますし。
  一寸先輩の事を誤解していると言うか……。
  そこの所が解決出来れば……」

 「お前とリベラがラントを説得してくれるのか」

 「はい」

沈黙して長考するワーロックを、コバルトゥスは期待の眼差しで見詰めた。
ワーロックは俯いて言う。

 「それでもリベラを反逆同盟と戦わせたくはない。
  あの子は普通の子だ。
  極普通の共通魔法使いで、極普通の女の子。
  反逆同盟と戦うには危険が大き過ぎる。
  コバルトゥス、お前にはリベラを危険から遠ざける役目を期待していた」

コバルトゥスはワーロックから目を逸らさない。

 「……済みません、先輩。
  でも、リベラちゃんは絶対に守ります。
  この命に代えても」

彼の真剣な誓いは、どうワーロックの心に響くのか……。

303 :創る名無しに見る名無し:2017/07/23(日) 20:42:49.33 ID:cQ5UOKgD.net
ワーロックはラントロックの反発から父親としての自信を喪失していた。
やたらと父親としての責任を口にするのは、その裏返しでもある。
息子の非行は父親である自分の、不明不徳が招いた所。
それを克服するには、自らの手で息子を取り戻す他に無い。

 (私には無理なのか……)

ワーロックは落胆した。
彼が幾ら父親としての責任や誇りを主張した所で、ラントロックに通じるかは別の話。
寧ろ、そんな「父親」の押し付けを嫌って、ラントロックは家出したのだ。
親の心子知らずとは言うが、子供が親の都合に付き合う義務も無い。
ワーロックは大きな溜め息を吐き、コバルトゥスに言った。

 「分かった。
  ラントロックの事は、お前とリベラに任せよう」

 「有り難う御座います、先輩!」

 「死ぬなよ。
  リベラを守って、お前も生きろ」

 「はい!」

何も彼も自分の手で解決しようと思う事は傲慢である。
ワーロックは父親としての自尊心より、問題の解決を優先した。

304 :創る名無しに見る名無し:2017/07/23(日) 20:43:19.03 ID:cQ5UOKgD.net
――

305 :創る名無しに見る名無し:2017/07/23(日) 20:44:24.11 ID:cQ5UOKgD.net
彼には息子ラントロックの事以外にも懸念がある。
1つは、反逆同盟に加担している姉弟子のチカ・キララ・リリンだ。
更に、行方不明になったヘルザ・ティンバーの事もある。
どれも重要で、優劣や軽重は決められない。

 (何故、誰も彼も平穏に暮らす事が出来ないんだ……)

ワーロックは再び溜め息を吐き、客間に戻った。
コバルトゥスも彼に続く。
2人を見てレノックが声を掛けた。

 「話は終わったかな?」

 「はい。
  私も魔導師会に協力します」

ワーロックの答を聞いて、レノックは頷く。
養父の心変わりに不安気な顔をしていたリベラには、コバルトゥスが説明した。

 「安心して。
  お父さんの許可は、俺が貰っといた。
  一緒にラントを助けよう」

リベラは驚いた顔で、物言いた気にしていたが、この場では口を噤む。
魔導師会と協力すると決めたワーロックは、改まって名乗った。

 「私はワーロック・アイスロン。
  元共通魔法使いで、今は旅商をしています。
  反逆同盟とは色々因縁がありまして……。
  詳しい話は又、後程……。
  反逆同盟絡みの事件で、魔導師会と接触した事もあります。
  宜しく、お願いします」

それでも息子の事は明らかにしない。

306 :創る名無しに見る名無し:2017/07/23(日) 20:47:19.80 ID:cQ5UOKgD.net
ワーロックに続いてリベラも改めて名乗る。

 「私はリベラ・アイスロン、ワーロックの娘で共通魔法使いです。
  コバルトゥスさんと一緒に、養父(ちち)とは別行動で反逆同盟を追っていました」

更にコバルトゥスも続いた。

 「俺はコバルトゥス・ギーダフィ、精霊魔法使いだ。
  先輩――ワーロックさんとは知り合いで、リベラちゃんの『護衛<ボディー・ガード>』として、
  一緒に行動している」

名乗りを聞き終えたストラドは、ワーロックに尋ねる。

 「ワーロックさん、貴方と反逆同盟との因縁とは?
  差し支え無ければ、教えて貰えないか」

 「私は旅商をして、多くの外道魔法使いと呼ばれる人達と知り合いました。
  中には敵対的な人も居ましたが……。
  反逆同盟には見知った人の姿もありました」

 「それは誰ですか?」

 「私の姉弟子、チカと言う魔法使い……」

初めて聞く話に、一同は目を剥いた。
特にレノック、リベラ、コバルトゥス、ビシャラバンガ……、ワーロックを知っている者の反応が大きい。
リベラやコバルトゥス、ビシャラバンガには彼に姉弟子が居たと言うのは、初耳だったのだ。
唯一、その存在を知っていたレノックが、先ず声を上げる。

 「姉弟子!?
  彼女の事か!?
  チカ・キララ・リリン!」

 「ええ、レノックさんは御存知でしたか」

 「ここで彼女の名を聞く事になるとは……」

彼は驚愕の表情を見せた後に俯き、深く考え込んだ。

307 :創る名無しに見る名無し:2017/07/24(月) 18:58:23.39 ID:0aqIUunp.net
その後にワーロックに対して問う。

 「君の師匠……マハマハリトは、その事を知っているのか?」

 「分かりません。
  もう十数年、師匠には会えていませんから……」

 「困った物だな」

深刻な表情を見せるレノックに、ストラドが尋ねた。

 「チカと言う女は、そんなに危(やば)い奴なのか?」

レノックは頷く。

 「ルヴィエラ程じゃないが、十分に厄介だ。
  彼女の奇跡に対抗出来る共通魔法使いは、殆ど居ないだろう。
  八導師レベルでなくては……」

 「そんなに!?」

驚愕するストラドをレノックは落ち着かせる。

 「心配無い。
  もし彼女が現れた時は、僕が相手をする。
  僕が居ない時は――」

そう言って彼は視線をワーロックに向けた。

 「私が」

それに対して、力強く頷いて応えるワーロック。
自信有り気な様子に、そんな実力が彼にあるのかとレノック以外の全員が驚く。

308 :創る名無しに見る名無し:2017/07/24(月) 19:00:26.61 ID:0aqIUunp.net
ワーロックの真の実力を知る者は少ない。
養娘のリベラや、付き合いの古いコバルトゥスでさえ、ワーロックが強い魔法使いに対抗出来ると、
信じられない。
コバルトゥスは小声でワーロックに囁く。

 「先輩、大丈夫なんスか?」

 「私の事なら心配は要らない。
  それより頼むぞ、コバギ」

 「あ、はい」

余りに堂々として落ち着いた返しだったので、コバルトゥスは理屈でなく納得させられた。
隣のリベラが慌てて小声で突っ込む。

 「コバルトゥスさん、何納得しちゃってるんですか!」

 「……リベラちゃん、お父さんは本気だよ。
  何か手があるんだ。
  それを信じよう」

コバルトゥスに説明されても、リベラは不満顔で後で問い詰めようと考えていた。
取り敢えず、レノックが話を纏める。

 「とにかく、ここに集まった皆は反逆同盟と戦う仲間だ。
  それぞれ思惑は違うだろうけど、何かあった時は協力して乗り越えて行こう」

それにストラドが続いた。

 「共通魔法使いじゃないからと言って、魔導師会から逃げたり隠れたりする必要は無い。
  魔導師に捉まった時は、私の名前を出して直接連絡を取らせてくれ。
  『親衛隊のストラド』で通じる」

309 :創る名無しに見る名無し:2017/07/24(月) 19:00:45.61 ID:0aqIUunp.net
――

310 :創る名無しに見る名無し:2017/07/24(月) 19:02:03.30 ID:0aqIUunp.net
一旦話に区切りが付いた所で、コバルトゥスが疑問を口にする。

 「何か指示とか命令とかは無いのか?」

 「今の所は無い。
  自由に行動して貰って構わない」

ストラドの答を聞いて、それなら良いかとコバルトゥスは安堵した。
ラントロックを探す為に、独自に動いて咎められる事は無さそうである。
これまで反逆同盟を追って、魔導師会の者と鉢合わせる事もあり、その都度理由を追及されては、
言い訳してを繰り返して来たが、その必要も無くなる。
コバルトゥスから質問を受けたストラドは、全員を一覧する。

 「他に質問がある者は?
  ……無いなら、少し席を外そう。
  魔導師の私が居ては、話し辛い事もあろうからな」

彼は気を遣って退室した。
ストラドの姿が見えなくなった後で、室内の者は銘々に雑談や相談を始める。
ワーロックはレノックと話をしに席を立った。

 「レノックさんは師匠の行方に就いて、何か知りませんか?
  最近、会いました?」

 「いいや、僕も数年は会っていない。
  反逆同盟の動きが活発になってから、何とか連絡を取れないかとは思っているんだが」

 「事情を話せば、師匠は反逆同盟と戦ってくれるでしょうか?」

 「分からない。
  彼の性格からして非道は見過ごさないだろうが、自ら積極的に戦闘を仕掛ける様な、
  好戦的な質(たち)でも無いからなァ。
  それでもチカが絡んでいるとなれば動かざるを得ないだろう……。
  見掛ける事があったら、伝えておくよ」

 「はい、お願いします」

レノックとワーロックは互いに頷き合う。

311 :創る名無しに見る名無し:2017/07/25(火) 19:40:10.78 ID:8SUkaOf2.net
――

312 :創る名無しに見る名無し:2017/07/25(火) 19:40:52.99 ID:8SUkaOf2.net
一方でコバルトゥスはリベラに、先程部屋の外でワーロックと話した内容を明かしていた。

 「先の話の通り、お父さんは反逆同盟と因縁がある。
  ラントを助け出すのは、俺達の役目になった」

 「コバルトゥスさんが、そう言ったの?」

リベラの鋭い問いに、彼は困り顔になる。

 「そうだよ、俺が提案した。
  最初はリベラちゃんを家に帰して、俺は反逆同盟と戦う、お父さんが独りでラントを救出するって。
  そう言う話だったけど、俺が断った」

リベラは複雑な気持ちだった。
独り家で留守番をせずに済んだのは良かったが、養父が実子の救出を諦めた事には、
良い感情を持たなかった。
出来れば彼女は養父と協力して、義弟ラントロックを救出したかった。
その養父はリベラを気遣って、戦いから遠ざけようとしていたので、元から無理な願いではあったが。
コバルトゥスは説明を続ける。

 「ラントは意地になっている。
  お父さんの説得は聞き入れないだろう。
  俺達で連れ戻すしか無いんだ、リベラちゃん」

リベラは俯いて頷いた。
コバルトゥスの言い分は理解出来る。
確かに、義弟は養父への反発から家出したのだから、顔も合わせたくない筈だ。
無理に対面させても、態度を硬化させるだけかも知れない。

313 :創る名無しに見る名無し:2017/07/25(火) 19:42:15.20 ID:8SUkaOf2.net
それでも……理想を言えば、彼女は養父と義弟に和解して欲しかった。
和解させなければ、真に問題を解決したとは言えない。
ラントロックを反逆同盟から引き離す事は出来ても、又家出するかも知れない。
暗い顔をするリベラに、コバルトゥスは告げる。

 「今はラントを連れ戻す事が優先だ。
  とにかく反逆同盟から離れさせる。
  それを優先させよう」

リベラは再び頷く。
和解も重要だが、今は何より、これ以上義弟に罪を重ねさせる訳には行かない。

 「分かりました」

強い口調で応えた彼女を見て、コバルトゥスも力強く頷く。
しかし、リベラには気懸かりな事が、もう1つ……。

 「でも、お養父さんは反逆同盟と戦えるんでしょうか……」

 「何を心配しているんだい?
  姉弟子って人の事?
  それとも実力的な意味でかな?」

コバルトゥスが尋ねると、リベラは即答する。

 「両方です。
  お養父さん、戦いは得意じゃなさそうだし……。
  魔法資質は、あの通りだし……」

 「意外と信用が無いんだなぁ」

養父を心配する彼女に、コバルトゥスは苦笑い。

314 :創る名無しに見る名無し:2017/07/25(火) 19:42:57.73 ID:8SUkaOf2.net
リベラは慌てて言い繕う。

 「し、信用出来ないとかじゃなくて、純粋に心配なんですよ!」

 「……先輩も結構年だから、体力的にも衰えてるだろうし、気持ちは解らなくも無いけど……。
  大丈夫さ」

 「何で、そう言い切れるんですか?」

 「先輩には先輩の魔法があるからね。
  リベラちゃんは知らない?」

 「共通魔法の事ですか?」

 「いや、それじゃなくて……。
  知らないの?」

コバルトゥスが意外そうな顔をしたので、リベラは不安になった。

 「し、知ってますよ!
  共通魔法とは少し違う、あれの事ですよね?」

 「少し……違う?」

 「いや、あの、でも、余り人に言っちゃ行けないって、お養父さんに言われてるので……。
  その魔法じゃないんですか?」

コバルトゥスが知っているワーロックの魔法とは、魔法資質以上の効果を発揮する、
不可思議な現象だ。
「魔法資質以上の効果を発揮する」と言う一点では、精霊魔法に似ているが、
共通魔法との関連は分からない。
リベラは「共通魔法とは少し違う」と言った。
その発言は裏を返せば、「大部分は同じ」と言う事になる。

315 :創る名無しに見る名無し:2017/07/26(水) 18:16:04.28 ID:vhlOadsT.net
先輩は何かと秘密の多い男だったなと、コバルトゥスは回想した。
ワーロックは長い間、本名を隠して、ラヴィゾールと名乗っていた。
禁断の地と関わりがある事や、旧い魔法使いの知り合いが多い事も伏せていた。
女の気配は感じなかったのに、彼女が居たかと思えば、何時の間にか結婚していて、
養娘も取っていた。
知らない間に新しい魔法を修得していても不思議は無い。
他人の魔法に関して詮索すべきでは無いと言う、旧い魔法使い同士の暗黙の了解を、
コバルトゥスは知っている。
浮かんだ疑問を彼は流して無かった事にした。

 「まあ、とにかく、お父さんは大丈夫さ」

 「で、でも、私が知ってる、お父さんの魔法は、そんなに大した物じゃないって言うか……」

リベラの訴えを聞いて、そこに巨人魔法使いのビシャラバンガが話に割って入る。

 「『大した物じゃない』と言う事は無いと思うぞ」

リベラとコバルトゥスは吃驚して振り返ったので、ビシャラバンガは申し訳無さそうな顔をした。

 「悪いが、話は聞いていた。
  ラヴィゾール――否、ワーロックの魔法に就いての事だな。
  己は奴の魔法に窮地を助けられた事がある」

 「助けられたって、どんな状況だったんです!?」

見るからに屈強で魔法資質も高いビシャラバンガでも、窮地に陥る事があったのかと、
リベラは驚愕する。

316 :創る名無しに見る名無し:2017/07/26(水) 18:17:51.62 ID:vhlOadsT.net
ビシャラバンガは言い難そうにしながらも答えた。

 「己は魔導師に囲まれ、鏃を撃ち込む銃器の様な魔導機を向けられて、攻撃される所だった。
  ワーロックは障壁で鏃を弾き、閃光で目を晦ませて、己を逃がしたのだ」

 「魔導師に攻撃されたんですか!?
  よ、よく魔導師会と協力する気になれましたね……」

この場に集まって、特に異議を唱えなかったと言う事は、協力する意思があると見做される。
一度刃を向けられても、許す度量の大きさに驚嘆するリベラに、ビシャラバンガは苦笑する。

 「誤解や行き違いは誰にでもある物だ。
  況して、己は巨人魔法使い。
  只でさえ敵視され易いと言うのに、弁明もせず、解消する努力を怠った。
  その非を棚に上げて、怒る事は出来ん。
  これでも物の理や分は弁えている積もりだ」

 「お、大人ですね……」

ビシャラバンガの事を気難しい人物だとばかり思っていたリベラは、意外な柔軟さに益々感服した。
当のビシャラバンガは眉を顰める。

 「当たり前だ。
  幾歳(いくつ)だと思っている?」

 「あぁ、いえ、決して侮っていた訳では……。
  済みません」

リベラはコバルトゥスを一瞥した後に頭を下げた。
コバルトゥスなら不快な目に遭わされた連中とは、意地でも連帯を拒むだろう。
寧ろ、共通魔法使いに外道魔法使いと呼ばれる様な存在は、そうした自分本位さに、
強い拘りを持っている物だとリベラは考えていた。
我を通す為には手段を選ばず、故に共通魔法使いにも迎合しない。
そう言う物だと。

317 :創る名無しに見る名無し:2017/07/26(水) 18:21:09.53 ID:vhlOadsT.net
――

318 :創る名無しに見る名無し:2017/07/26(水) 18:21:34.58 ID:vhlOadsT.net
ビシャラバンガは溜め息を吐いて、リベラを許す。

 「今まで己が狭量だった事は否定し難い。
  お前の目には、そう映っていたのだろう。
  これからは違う。
  己は改悛するのだ」

そう誓うビシャラバンガを仰ぐリベラの眼差しには、好意と敬意が表れており、
コバルトゥスは独り危機感を抱いた。
当のビシャラバンガは疼痒い気持ちになって、話を元に戻す。

 「それで、ワーロックの魔法の事だったな。
  原理は知らんが、魔導師の集団とも戦える能力だ。
  心配は無用だと思う」

コバルトゥスもビシャラバンガの意見に賛同した。

 「ビシャラバンガも、ああ言ってるし。
  大丈夫だって」

 「……ええ」

リベラは心配そうな目で、レノックと話している養父ワーロックを見詰め、空虚な返事をする。
家族が反逆同盟と言う強大な敵と戦うと言うのに、心配するなと言う方が無理なのだ。
仕方が無いなとビシャラバンガもコバルトゥスも呆れる。
2人には親族と呼べる存在が無い。
心配する人、心配してくれる人が居ると言う事は、幸せな事だ。

319 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:15:57.67 ID:doLdOfR9.net
――

320 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:16:30.28 ID:doLdOfR9.net
ワーロックはレノックと話を続けている。

 「師匠以外に、他の魔法使いで協力してくれる人は居ないんですか?」

ワーロックの問いに、レノックは難しい顔をした。

 「棲家を持っている連中は、引き篭もって表に出たがらなくてなぁ……。
  助力や助言はしてくれても、出向いてくれる事は無さそうだ。
  僕みたいに放浪してる連中でも、中立気取りが多くて困った物だよ、全く本当に。
  初めは協力的でも、僕が魔導師会と共闘していると判ると、途端に及び腰になったり……。
  やれやれ」

旧い魔法使い達は、共通魔法社会と一線を引き、それを越えない様にしている。
その旧態依然とした態度にレノックは不満を漏らした。

 「反逆同盟が勝てば、旧暦の様な悪魔や魔法使いによる『支配』が始まるかも知れない。
  そうなれば隠れ棲んでいる連中も、今まで通りの暮らしは出来なくなる。
  だから、反逆同盟と戦うべきだと説得しても、聞く耳を持ちやしない。
  魔導師会と共闘出来ないと言うだけなら未だしも、自分達に害が及ぶと考えないで、
  傍観を決め込む」

憤りを露にするレノックに、ワーロックは言う。

 「ノストラサッジオさんとルヴァートさんは、協力すると言ってくれましたよ。
  ヴァイデャさんやウィローさん、トカラカお婆さんも、私達の味方をしてくれると。
  ザムラザックさんは余り協力的ではありませんでしたが……」

 「ザムラザックは元魔王だから。
  人間嫌いだし。
  それは仕方無い」

 「魔王だったんですか、あの人……」

 「ザムラザック以外も、人間嫌いが多過ぎるんだよなぁ。
  リーラ・ゼレーナも、リタも……。
  根は大して変わらないってのに」

旧い魔法使いは人間とは違う生き物だ。
独自の魔法を持ち、人間と比較して寿命が長いばかりか、寿命と言う概念さえ無い物もある。
だが、意思や感情、言葉の交流が出来るのであれば、それは些細な問題だ。
「人間とは違う」と区切りたがるのは、それこそ自意識の肥大に過ぎない。

321 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:18:02.41 ID:doLdOfR9.net
ワーロックは名前の挙がっていない人物に言及する。

 「ワーズさんは、どうなんですか?
  私の方は会えませんでしたが……」

レノックは目を剥いて怒った。

 「そう、奴だよ!
  中立気取りの蝙蝠女め!
  人に紛れて都市に生きながら、人を蔑む奴があるか!?」

ワーズ・ワースの協力は得られなかったのだなと、ワーロックは溜め息を吐いて、レノックを宥める。

 「ルヴィエラと言う悪魔は、レノックさんでも敵わない程、強いんでしょう?
  ワーズさんが味方をしてくれなくても恨みませんよ。
  敵に回らないだけ良いじゃないですか」

レノックは怒りを落ち着けて語った。

 「……本当に敵に回らなければ良いがな。
  その言質さえ取れなかった。
  ワーズ・ワースの能力が言葉に関係する物だと言う事は、君も知っているだろう?
  小賢しい連中には相性の良い物で、僕程じゃないにしても、それなりに戦えるんだ。
  諱を知る者が居る限り不死だから、命を落とす心配も無い」

 「ワーズさんは争いを好まないのでは……」

 「この期に及んで、好きも嫌いも無かろう。
  人間の事なんて、どうでも良いと思っているのさ。
  それが悪いとは言わないが、都市の恩恵に与りながら、報いる積もりは無いらしい」

彼は両腕を組んで外方を向く。

322 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:18:36.65 ID:doLdOfR9.net
旧い魔法使いには、それぞれの思惑があり、中には共通魔法社会を快く思っていない者も居る。
反逆同盟に参加している魔法使いは、そうした者達だ。
氷の魔法使いザムラザックは、嘗てワーロックに、こう言った。

 「連中から俺に頭を下げて頼み込んで来る事があれば、協力する気になるかも知れん。
  魔導師会を相手に大暴れするのも悪くは無い。
  だが、人間を支配したい訳ではない。
  お前との付き合いは、変わらず続けてやっても良い」

ザムラザックは強い力を持ちながら、魔法大戦には参加しなかった。
人間の勇者に敗れてから、人間界の支配は諦めたのだ。
以後、彼は氷雪の中で独り静かに暮らしていた。
そんな生き方が虚しくなったのか……。

 (旧い魔法使い達は、共通魔法社会では生きられない。
  何故なら、共通魔法とは相容れない存在だから……)

共通魔法に限らず、旧い魔法使い同士であっても、流派が異なれば反目し合う。
それは魔法が1つの「法」だからに他ならない。
魔法は各々が持つ「法」に従って発動する。
異なる「法」の中では、十分な力を発揮出来ない。
魔法大戦とは、そうした背景から起こった。
結果、共通魔法が新たな法として認められ、『新しい世界<ファイセアルス>』を支配している。

323 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:19:39.79 ID:doLdOfR9.net
容量の限界が近付いて来ました。
続きは次スレで。

324 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:22:10.77 ID:doLdOfR9.net
残り数レスなので切りが悪いのですが、仕方ありません……。
仕様の変更で容量限界も変わっていると良いのですが、そんな事は期待出来ませんし。

325 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:26:23.52 ID:ppr+NbUK.net
乙でした。
毎日の楽しみです。

326 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:32:01.76 ID:doLdOfR9.net
一つ訂正があります。
B3Fのリーダーを「ネーラ」と書いていた事もありますが、後にラントロックの指示でフテラに変わりました。
そもそも初期のB3Fにリーダーは不在で、ネーラが頭脳(ブレイン)を担当していました。
反逆同盟でラントロックの指揮下に入った後の事は、過去スレに書いた通りです。

327 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:33:21.53 ID:doLdOfR9.net
未だ書き込めますか?

328 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:37:17.70 ID:doLdOfR9.net
あれ?
容量が513KBを超えたら以前は書き込めなかったんですけど、未だ書き込めますね……。
仕様が変わったんでしょうか?
行ける所まで行ってみます。

329 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:41:14.13 ID:doLdOfR9.net
>>322の続きから

例えば、全く同じ円形の文様を描いて、それぞれ火を熾す魔法と、風を起こす魔法があったとしよう。
全く同じ過程から異なる結果が齎される事に、多くの者は困惑するだろう。
だが、2つの魔法が異なる法に属する物であれば、疑問は解消する。
火を熾す魔法と、風を起こす魔法、それぞれが属する法をA法、B法とする。
A法の下では、B法の魔法は上手く発動しないか、異なる魔法として発動する。
同じくB法の下では、A法の魔法は上手く発動しないか、異なる魔法として発動する。
これが「異なる魔法」と言う物だ。
こうした2つの異なる法がある場合、両方に適合するのは中々難しい。
共通点が少ないのであれば、尚更だ。
法と法の打付かり合いでは、より強い力を持つ者が属する法が勝つ。
法自体は何の力も持たない。
法とは道だ。
「これに従えば、この様になる」と言う道筋に他ならない。
強い力を持つ者が法を定め、それに従って全ての物事が動く。
全ての物事を法に従わせる力を、権力と言う。
人間は強大な権力によって、自然法に従わされている。
それに逆らう事は困難を極める。
「重い物は下に、軽い物は上に」、この単純な法に逆らうだけでも、大きな力を必要とする。
人間は真の意味での権力を持たない。
自然法に逆らう事は出来ても、新たに自然法を創ったり、覆したりする事は出来ない。
精々、人間の法を創り、覆す程度だ。
――だが、悪魔なら出来る。
神の絶対的な権力に逆らい、自然法を覆す事が……。

330 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:41:56.38 ID:doLdOfR9.net
そして人は悪魔の力を欲し、世は混沌に呑み込まれた。
これを神は何度も正そうとしたが、人は過ちを繰り返した。
魔法大戦の結果、遂に神は屈し、自然法の一部の改変を認めた。
それが共通魔法である。
聖君の統治も廃止され、人の世界は人が守る事になった。
だから、共通魔法は他の魔法とは相容れない。
地上を悪魔の法が覆う時、地上は魔界その物となり、悪魔の蔓延る世界となる。
これまで人は神の法に守られて来た。
しかし、人は自ら神の加護を捨てた。
今となっては、共通魔法が人を悪魔から守る、唯一の法なのだ。
人が人である為に、共通魔法は守られなければならない。
悪魔は人を守らない。
もし、外道の魔法に心動かされ、悪魔に魂を売り渡せば、地上は忽ち混沌に堕してしまう。
人間想いの悪魔が、もし本当に居るならば、共通魔法を尊重する筈である。
そうしないのであれば、それは治外法権を欲しているに過ぎない。

331 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:42:36.43 ID:doLdOfR9.net
反逆同盟に加わっている旧い魔法使い達にも、言い分は有ろう。
「外道魔法使い」は共通魔法社会に敵対せず、目立たず暮らしているだけなら見過ごされているが、
その将来までは約束されていない。
共通魔法社会が更なる発展を遂げれば、何時か外道魔法使いは駆逐されるのではないか?
そんな漠然とした恐怖を抱いている者も居る。
それを自然の成り行きと黙って受容出来る者ばかりではない。
共通魔法社会は共通魔法の発展と共に膨張し、増長して行く。
恐らくは、この反逆同盟の戦いが、外道と呼ばれた魔法使い達が、共通魔法社会に立ち向かう、
最後の機会になる。
そう多くの魔法使いが予感している。
もし反逆同盟が敗れたならば、既存の外道魔法勢力から共通魔法社会を脅かす存在は、
二度と現れないだろう。
数多居た魔法使いは共通魔法社会に併呑され、或いは排斥され、徐々に数を減らして行った。
遠からず、旧い魔法使い達は絶滅する。
そんな危機感に駆り立てられ、旧い魔法使い達は共通魔法社会に反旗を翻すのか……。
それは抗い難い滅びの定めを前に、最期の徒花を咲かせようとする様に似ている。
共通魔法社会で生きる身ながら、外道と呼ばれる魔法使い達の心も解るワーロックは、
物悲しい気分になるのだった。

332 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:43:26.92 ID:doLdOfR9.net
「ニャンダコーレさん! 貴方もレノックさんと一緒だったんですね!」

「おぉ、コレ、リベラではないか! ……挨拶と同時に、人の顔を撫でるのは止め給え、コレ」

「ニャンダコーレさんは何時から、レノックさんと?」

「彼此、数月前からである、コレ。……だから、止めい、フシャーッ!」

「リベラちゃん、こいつとも知り合いだったのか?」

「『こいつ』とは、何だ、コレ! 君は相変わらず、コレ無礼であるな! 精霊魔法使い!」

「そうですよ、コバルトゥスさん! ニャンダコーレさんは、何百年と生きる伝説の……。
 えーと、何でしたっけ? ニャンダコラスの子孫?」

「そう、コレ、妖獣と一緒にして貰っては困る。妖獣共はコレ、ニャンダカニャンダカの子孫。
 私はコレ、奴等の仇敵ニャンダコラスの子孫」

「へー、妖獣神話か……。そんな物を信じているんだな」

「コレ、神話ではない! 事実だ、コレ! 疑うならばレノック殿に、コレ聞いてみるが良い!」

「はぁ、悪魔だの魔物だの神話だの、何が本当なのか、もう分かんねえな……」

333 :創る名無しに見る名無し:2017/07/27(木) 19:46:49.75 ID:doLdOfR9.net
取り敢えず、ここまで。
容量限界が変わったのは予定外だったので、1〜2週間休みたいと思います。
その間に、お話のストックを用意するので……。

>>325
ありがとうございます。
励みになります。

334 :創る名無しに見る名無し:2017/08/09(水) 19:22:58.20 ID:9mgC/2+1.net
帰って来ました。

335 :創る名無しに見る名無し:2017/08/09(水) 19:23:51.69 ID:9mgC/2+1.net
君の魔法は


所在地不明反逆同盟の拠点にて


反逆同盟の一員ヘルザ・ティンバーは、自らの存在価値に就いて悩んでいた。
共通魔法社会に違和感を抱き、同盟の長マトラに誘われる儘に、家を飛び出したは良い物の、
自分の魔法が分からない彼女は同盟内で完全に、お荷物扱いだった。
同盟のメンバーは増えたり減ったり、それに伴って人間関係も変化して行っていると言うのに、
ヘルザだけは何も成長が無かった。
年齢が近いと言う事で、彼女はラントロックに守られていたが、この儘では良くないと言う思いを、
日々強めて行った。
しかし、やる事なす事、裏目に出てばかり……。
ある時、ヘルザは思い立って、予知魔法使いのジャヴァニ・ダールミカを訪ねた。
未来が記されているマスター・ノートを見れば、自分の魔法に目覚める時が分かるのではと、
考えたのだ。
部屋の戸を叩かれたジャヴァニは、1点弱の間を置いて姿を現した。
無言で見詰めて来るジャヴァニに、ヘルザは怖ず怖ずと話し掛ける。

 「あ、あの、今日は、お話があって来ました」

 「解っています。
  少々お待ち下さい」

ジャヴァニはヘルザの目の前で、徐にノートを開き頁を捲る。

336 :創る名無しに見る名無し:2017/08/09(水) 19:24:52.57 ID:9mgC/2+1.net
そして、ある所で手を止めると、直ぐヘルザに向かって言った。

 「そう遠くない内に、貴女の望みは叶うでしょう」

 「ほ、本当ですか!?
  ……あの、私の望みが何なのか分かって……?」

ヘルザは一瞬喜びの色を顔に浮かべるも、途端に冷静になって尋ねる。
望みが何かも分からないのに、叶うと言われても信じられないのだ。
ジャヴァニはヘルザの疑問に肯いて答える。

 「はい、承知しています」

しかし、それ以上は語らない。
本当に知っているのかと、ヘルザは訝った。

 「えぇっと、本当に?」

 「他人の口から語られたい事では無いと、配慮した積もりでしたが」

 「私の魔法――」

 「はい」

ジャヴァニは何度も確認を求められて、少し不機嫌な様子で即答する。
これ以上彼女の機嫌を損ねては不味いと、ヘルザは慌てて畏まった。

 「あ、あの、遠くない内と言うのは、何時でしょうか……?」

337 :創る名無しに見る名無し:2017/08/09(水) 19:26:21.50 ID:9mgC/2+1.net
改めての問いに、ジャヴァニは澄まして答える。

 「明確に申し上げる事は出来ません。
  当人が未来の予定を知ってしまうと、未来が変わってしまう可能性があります。
  望みが叶った未来が変わって困るのは貴女でしょう、ヘルザさん」

確かに、その通りである。
何も知らない儘なら、「そう遠くない内に」望みが叶うと言うのに、ここで未来を知ってしまった為に、
それが先延ばしになってしまっては敵わない。

 「そ、そうですか……」

ヘルザは少し気落ちしたが、「望みが叶う」との言葉は彼女に勇気を与えた。
「そう遠くない内」が何時かは不明だが、「そう遠くない内」には違い無い。
更にヘルザの心の蟠りを解く様に、ジャヴァニは彼女を励ます。

 「大丈夫ですよ、マスター・ノートの予知に誤りはありません。
  貴女の望みは必ず叶います」

 「はい……!
  有り難う御座いました!」

ヘルザは深く礼をし、ジャヴァニに感謝の言葉を述べて去った。

338 :創る名無しに見る名無し:2017/08/10(木) 19:42:26.51 ID:fKuYsrTt.net
それから2週後、その時が訪れる。
ヘルザは自分の魔法が判る時を心待ちにしており、同時に強い焦りも感じ始めていた。
もう2週が過ぎようと言うのに、魔法が判明する兆しは感じられない。
「そう遠くない内」とは月内か、年内か?
気長に待とうと頭では思っても、心は落ち着かない。
この日、彼女は悪夢を見た。
反逆同盟のメンバーが、共通魔法使いの街を破壊する夢。
魔物は人々を捕らえては嬲り殺し、悪魔達は逃げ惑う人々を見て笑っている。
何とか止めなければとリベラは思ったが、彼女には力が無い。
第一に彼女はラントロックを頼った。

 「ラント、お願い、止めさせて!」

ラントロックは冷淡な目付きで言う。

 「共通魔法使いに何が起こっても、俺達には関係無い事じゃないか」

彼は女達を侍らせて、徒無為に傍観に徹していた。
巨大な黒竜が街を蹂躙する。
あれは暗黒魔法使いのニージェルクロームだ。
同じく暗黒魔法使いのビュードリュオンは、屍霊術で死体の山から怪物を生み出している。
バレネス・リタは視界に入る物を無差別に石化させて行く。
救いは無い。

339 :創る名無しに見る名無し:2017/08/10(木) 19:44:16.00 ID:fKuYsrTt.net
これが共通魔法社会に反逆すると言う事なのかと、ヘルザは絶望した。
人ならざる反逆同盟の物達に恐怖し、何も出来ない自分を呪った。
そして、彼女は目耳を塞いで、逃避を始めた。

 「い、嫌っ!
  こんなの嫌!
  嫌だよぉ……」

その嘆きに応える様に、悪夢は終わる。
薄明の中、目覚めたヘルザは部屋で独り震えていた。
夢で良かったと彼女は心から思った。
……だが、夢だと理解していても、新たに芽生えた同盟に対する不信感は拭えなかった。
夢の中の出来事を勝手に現実と結び付け、疑念を抱くのは、気違い染みているが……。
本当に同盟が、夢で見た様な凶行に走る可能性は無いのだろうか?
人々の悲鳴が、邪悪な悪魔の笑みが、その時感じた恐怖が、未だヘルザの中に残っている。
悪夢の残像を振り払う為に、ヘルザは熟(じっ)と明けて行く空を眺めた。
昇り行く太陽に照らされ、彼女の心と体は温められる。

 (私は人間なんだ……)

己は陽光を嫌う悪魔や魔物とは違うのだと、ヘルザは沁み沁み実感した。
彼女は太陽の明るさと温かさに安心を覚え、夜の寒さと暗さに恐怖する人間なのだ。
悪魔や魔物とは違うと言う思いは、ヘルザの心を益々反逆同盟から引き離した。
この儘、反逆同盟に居ては良くないと、彼女は感じていた。
共通魔法使いではないので、共通魔法社会には帰れないが、悪魔達と共に居るのも違う。
外道と呼ばれる魔法使い達は、自らの手で新たな居場所を作る必要があるのではないかと……。

340 :創る名無しに見る名無し:2017/08/10(木) 19:44:38.24 ID:fKuYsrTt.net
――

341 :創る名無しに見る名無し:2017/08/10(木) 19:46:22.22 ID:fKuYsrTt.net
朝、ヘルザはラントロックの元を尋ねた。

 「ヘルザか、今日は嫌に早いね。
  ……夜に何かあった?」

少し思案して険しい顔になるラントロック。
ヘルザが小さく頷くと、彼は目元を険しくして言う。

 「フェレトリの奴か?
  あいつが又、何か?」

怒気の篭もった言葉に、ヘルザは慌てて首を横に振った。

 「そ、そうじゃなくて……、嫌な夢を見たの」

 「夢?」

鸚鵡返しするラントロックに、誤解が無い様にと彼女は必死に頷く。
何だ夢かと、ラントロックは安堵の息を吐いた。
怖い夢を見た後で、安心を求めて人に縋るとは、ヘルザも未だ未だ子供なのだと、呆れると同時に、
微笑ましい気持ちにもなる。

 「どんな夢?」

 「……同盟の皆が人を襲う夢。
  街が壊されて、人が殺されているのに、皆笑っているの……」

ヘルザはラントロックの顔色を窺いながら話した。
ラントロックは明らかに動揺している。

 「皆、そんな事しないよね……?」

彼女の問い掛けに、ラントロックは答えられなかった。
彼は悪魔や魔物の本性を知っているのだ。

342 :創る名無しに見る名無し:2017/08/11(金) 18:47:57.80 ID:4Otlatqn.net
「単なる夢だ」、「心配無い」とヘルザは彼に言って欲しかったが、それは叶わなかった。
ヘルザは少しの間を置いて、決心する。

 「ラント、私達この儘、同盟に居て良いのかな……?」

ラントロックは気不味い表情で、沈黙を貫く。
ヘルザは更に問う。

 「私達は共通魔法社会じゃ生きられない。
  でも、皆に不幸になって欲しい訳じゃないよ。
  誰かを傷付けたい訳でもない」

ラントロックは俯いて言った。

 「戦わないと勝ち取れない物もある」

 「本当に戦わないと行けないの?」

 「……共通魔法社会は俺達の存在を認めない。
  ヘルザは影で隠れる暮らしをしたいのか?」

苦々しい思いでラントロックが尋ねると、ヘルザは小さく頷いた。

 「良いよ。
  ラントと一緒なら、それでも良い」

それは本心からの言葉だった。
彼女の告白にラントロックは目を見張り、視線を泳がせる。

 「そ、そんな事……」

343 :創る名無しに見る名無し:2017/08/11(金) 18:49:06.23 ID:4Otlatqn.net
ラントロックには意中の人が居る。
ヘルザの気持ちには応えられない。
愛の告白と決まった訳では無いのだが、そうとしかラントロックには聞こえなかった。
口篭る彼に対して、ヘルザは問う。

 「同盟の中で姿を見なくなった人達、どうなったと思う?」

 「それは――」

「知らない」、「分からない」と答えようとしたラントロックの先を制して、ヘルザは言う。

 「……殺されたんだよね?
  多分だけど、魔導師会に」

静かな彼女の発言に、ラントロックは今まで無意識に避けていた現実を思い知らされた。
アダマスゼロット、フェミサイド、チカ……、何れもラントロックとは大して親しくなかったし、
他の誰と仲が良さそうでも無かったので、単独行動をしているか、同盟を抜けたか、
そんな所だろうと彼は考えていた。

 「いや、そうとは……」

そうとは限らないんじゃないかと言おうとして、ラントロックは説得力の無さに愕然とする。
……姿を見ないだけ等と、甘い考えにも程がある。
同盟は魔導師会と敵対しているのに、姿を消した仲間が無事で居ると、どうして断言出来るのか?

 「次は誰が居なくなるの?」

ヘルザの問いには真に迫る凄味がある。

344 :創る名無しに見る名無し:2017/08/11(金) 18:51:56.01 ID:4Otlatqn.net
同盟の長マトラは何も言っていないと、ラントロックは消極的な希望に縋ろうとした。
最近マトラの様子に変化は無かった。
同盟が窮地に陥っているなら、それなりの反応がある筈だ。
他のメンバーも何も言わなかった。
或いは、悟られない様にしているのか?
そこまで思考して、ラントロックは礑(はた)と気付く。

 (エグゼラの狐――ヴェラを仲間にした理由は?
  何でマトラさんは俺に、ヴェラの回収を命じた?)

ヴェラを連れて帰れと言う指示は、欠けた戦力を補充する為だったのではないかと。
表向きは冷静だが、内心焦りがあるのではとラントロックは怪しんだ。
長い沈黙の後に、彼はヘルザに言う。

 「……マトラさんに聞いてみるよ。
  マトラさんだけじゃなくて、他の人達にも。
  もし、ヘルザの言う通りだったら……」

もし本当に殺されてしまったと言うのなら。
ヘルザは期待の眼差しでラントロックを見詰めている。

 「その時は、何か手を打たないと」

彼は対応を曖昧に暈かして片付けた。
ヘルザの落胆した顔を見て、彼は小さな罪悪感を覚えた。

345 :創る名無しに見る名無し:2017/08/11(金) 18:53:05.65 ID:4Otlatqn.net
明日から一週間程度、お盆休みに入ります。
休みが多くて済みません。

346 :創る名無しに見る名無し:2017/08/18(金) 19:04:06.07 ID:EEsBNU89.net
還って来ました。

347 :創る名無しに見る名無し:2017/08/18(金) 19:05:46.17 ID:EEsBNU89.net
ラントロックは主の間に向かい、マトラに尋ねる。

 「マトラさん、聞きたい事がある」

 「どうした、トロウィヤウィッチ?
  神妙な顔をして」

泰然自若としたマトラの態度に、何時もと変化は無い。

 「同盟は追い詰められているのか?」

ラントロックは勇気を出して、単刀直入に問いを投げ掛けた。
マトラは一瞬呆気に取られた顔をし、その後に笑い出す。

 「ホホホ、何を馬鹿な」

 「答えてくれ!」

至極真面目にラントロックは回答を求めた。
それが余りに真剣なので、マトラは奇妙に思う。

 「一体何が理由で、そんな事を考えたのか?
  我々を内部分裂させようと、誰ぞ虚言を触れ回る者が居るのか?」

顰めっ面で問い詰めて来る彼女に対し、ラントロックはヘルザの名前は出せないと思って、
重ねて追及する。

 「じゃあ、同盟から姿を消した人達は、どこへ行ったんだ!?」

348 :創る名無しに見る名無し:2017/08/18(金) 19:07:40.89 ID:EEsBNU89.net
マトラは納得が行った様に、感嘆の表情で頷いて答えた。

 「成る程、成る程。
  いや、誰も話題にしない物で、気にしないのだと思っていた。
  知らず知らずの内に疑心を抱かれていたとは……」

ラントロックの目付きは鋭い儘。
嘘は許さないと言う顔だ。
マトラは正直に話す。

 「アダマスゼロット、フェミサイド、チカ、この3名は死んだよ」

 「殺されたのか!?」

ラントロックの追及に、彼女は頷く。

 「残念な事だが……。
  しかし、心配は要らない。
  私が在る限り、同盟は磐石だ。
  何物にも脅かされる事は無い」

動揺は微塵も感じられない。
余りの強気に、逆にラントロックは不安になる。

 「磐石だと言うなら、何故殺されたんだ!?
  見殺しにしたのか!!」

鋭い指摘の連続にマトラは困った顔をした。

 「3者共、心が同盟から離れていた。
  同盟の為と言うより、己の都合や信念の為に戦って斃れたのだ。
  それを私から、どうこう言う事は出来ぬよ」

349 :創る名無しに見る名無し:2017/08/18(金) 19:10:12.38 ID:EEsBNU89.net
ラントロックは段々マトラの薄情さに腹が立って来る。
どうして同盟の仲間を大事にしないのか?
何百何千と言う大軍団の一兵卒が失われるのとは、訳が違う。
十数人しか居ない、共通魔法使いと戦う貴重な戦力が殺がれているのだ。

 「同盟から離れて孤立すれば、危機に陥る事は予想出来た筈だ!
  どうして引き止めなかった!!」

 「来る者は拒まず、去る者は追わず。
  協調する気が無い者を、無理に引き留めた所で、どうなる物でもあるまい。
  同盟を預かる私としても、貴重な戦力を失いたくは無かった。
  だが、慰留して聞き届けてくれる連中では無かったのだ。
  私は全知全能ではない。
  私の与り知らぬ所で戦い、斃れる者を止める事は出来ない。
  我が庇護の下にある内は、安全を約束しよう。
  そう、『我が庇護の下にある内は』」

マトラは善意を示した積もりだったが、それは彼女の意向に逆らわない限りは守られると言う事だと、
ラントロックは曲解して受け取った。
善意ではなく、脅迫に近い物であると。
もうマトラは信用出来ないと、彼は思い始めていた。
内心の離脱の意思を覚られない様に、ラントロックは表向きは大人しく引き下がる。

 「……分かった。
  これ以上、仲間を失わない様にしてくれ」

 「勝手に同盟から離れた者の事を、私に言われても困るのだがな……。
  善処しよう」

マトラの態度は相変わらずである。
ラントロックは完全に彼女に見切りを付けた。

350 :創る名無しに見る名無し:2017/08/19(土) 19:12:25.37 ID:6EGeYb90.net
――

351 :創る名無しに見る名無し:2017/08/19(土) 19:13:23.06 ID:6EGeYb90.net
その後、ラントロックは自室に戻って、ヘルザと2人切りで話をする。

 「ヘルザの言う通りだった。
  居なくなった人達は既に死んでいるらしい」

神妙な声にヘルザは頷き、彼の意見を伺う。

 「……どうするの、ラント?」

ラントロックは迷いを見せて答えた。

 「今直ぐ同盟を抜ける事は出来ない……。
  多分、それは許されない」

 「どうして?」

 「俺にはB3Fが付いている。
  奇怪(おか)しな素振りがあれば、マトラに報告されるだろう。
  B3Fは本来マトラの従僕で、今はマトラの命令で俺の部下になっているに過ぎない。
  それに……」

 「それに?」

 「予知魔法使いのジャヴァニが居る。
  俺達が同盟から離脱する事に気付かない訳が無い」

彼の予想は正しいと、ヘルザは感じた。
未来を知るジャヴァニが、同盟の損失に繋がる事を見逃すとは思えない。
最悪、こうして離脱の相談をしている事も、お見通しなのかも知れない。

352 :創る名無しに見る名無し:2017/08/19(土) 19:14:38.48 ID:6EGeYb90.net
ヘルザは急に不安に駆られ、周囲を見回して他に人が居ない事を確かめると、
声を潜めてラントロックに言った。

 「もう逃げられないの……?」

 「分からない。
  でも、機会はある筈だ」

彼の目には未だ生気がある。
絶望して諦めた訳ではない。
その事にヘルザは安堵すると同時に、どうにか自分も力を貸せないだろうかと思った。
そして、やはり自分の魔法が無ければならないと強く感じた。
ジャヴァニの言う、「そう遠くない内」とは何時なのか……。
今日、明日、明後日?
来週、来月、来年?
歯痒い思いでヘルザは俯く。
それを慰める様に、ラントロックは優しく彼女の肩に手を置くと、静かに言った。

 「隠し事があると怪しまれちゃ行けない。
  普段と変わらない様子で過ごすんだ」

途端、ラントロックは部屋の戸に目を遣り、大声を上げる。

 「どうした!
  そんな所で窃々(こそこそ)様子を窺ってないで、入って来い!
  鍵は掛かっていないぞ!」

何者かが2人だけの話を聞いていたのかと、ヘルザは吃驚して身を竦めた。

353 :創る名無しに見る名無し:2017/08/19(土) 19:16:38.58 ID:6EGeYb90.net
――

354 :創る名無しに見る名無し:2017/08/19(土) 19:17:40.44 ID:6EGeYb90.net
ラントロックの声に反応して戸を開けたのは、B3Fの面々。
ラントロックは彼女等に尋ねる。

 「今の話を聞いていたのか?」

B3Fの面々は気不味い顔をしている。
その中で獣人のテリアが答えた。

 「い、いや、聞こえなかったよ。
  聞こうとしたけど、聞こえなかった。
  ……何の話だったの?」

彼女の言葉に嘘は無いと認めたラントロックは、小さく息を吐く。

 「ヘルザが虐められていないか、聞いていたんだ」

咄嗟の嘘でラントロックは上手く誤魔化した。
B3Fのテリアとフテラは動揺を顔に表す。

 「い、虐めるだなんて、途んでも無い!」

2体は焦りを露に揃って否定した。
ラントロックは呆れて笑う。

 「ああ、そんな事は無いみたいで安心したよ」

 「あ、当たり前じゃないか!
  なあ、テリア?」

 「そ、そうそう」

落ち着きが無くなったテリアとフテラは、互いの顔を見合った。

355 :創る名無しに見る名無し:2017/08/20(日) 19:33:53.91 ID:dP2STjh/.net
その後にフテラがテリアに耳打ちをする。

 「テリア、少し話がある」

 「えっ、何?」

 「良いから来い!」

 「な、何だよぉ〜」

テリアはフテラを引っ張って、この場を去った。
彼女等は一度、2体で組んでヘルザを脅迫した事がある。
その時は偶々出会したネーラが止めたのだが、懲りずに又も仕様も無い企み事をしていたのかと、
彼女は呆れ顔で逃げる2体を見送った。

 「じゃ、じゃあ、そろそろ私も、お暇しようかな……。
  又ね、ラント」

余り2人切りで一緒に居る時間が長いと疑われると思い、ヘルザも蒼惶(そそくさ)と退室した。
ネーラはヘルザも見送った後、意味深な視線をラントロックに向ける。

 「本当は何の話だったのだ?」

彼女だけは隠し事を見抜いていた様だった。
ラントロックは内心を覚られない様に、動揺を直隠して、平然と話す。

 「最近姿を見ない人達に就いて、マトラさんに聞いた所、同盟から死者が出たと言われた」

356 :創る名無しに見る名無し:2017/08/20(日) 19:37:19.86 ID:dP2STjh/.net
ネーラは眉を顰める。

 「死者?」

 「知らないのか?」

ラントロックが意外そうな声を上げると、彼女は目を伏せて独り考え事を始めた。
それまで存在感を消していたスフィカは、この話が聞いては行けない類の物だと気付いて、
静かに退出する。
ネーラは再び視線を上げるとラントロックに問う。

 「そんなに驚く事か?
  私達は共通魔法使いと戦っている訳だから、何れ死人は出る物だ……。
  『同盟は追い詰められている』と、不安に感じているのか?」

ラントロックは小さく笑って答えた。

 「『聞かれなかったから答えなかった』と言うのは、『同志』に対して不誠実だと思わないか?」

ネーラは頷くが、完全には同意しない。

 「……彼の方が存在する限り、同盟は安泰だよ。
  それを彼の方は隠している。
  誠実、不誠実と言う問題では無く……。
  余りに絶大な力だから、同盟の存在その物の意義が疑われてしまう事を、危ぶまれている。
  『仲間』は多い方が良い。
  独りの革命は虚しい」

「彼の方」とはマトラの事だ。
B3Fは主であるマトラを、そう呼ぶ。
マトラの真意をネーラに知らされたラントロックは、それが真実かを疑った。

 「本当は仲間なんか要らないって?」

 「共通魔法使いを叩き潰すだけならば」

ネーラは嘘を言っていない。

357 :創る名無しに見る名無し:2017/08/20(日) 19:40:25.34 ID:dP2STjh/.net
だが、即ち真実であるとは言い切れない。
未だ何か隠されている事があるとラントロックは直観していた。
しかし、それをネーラに問い詰めても答えられないだろう。
彼女は主を真に恐れており、必要以上に踏み込まない様にしている。

 「そうかもな」

本当にマトラが絶大な力の持ち主なら、益々慎重に行動しなくてはならない。
ラントロックは曖昧に応じて、この話題を終わらせる事にした。

 「未だ得心が行かぬ様だが……」

訝るネーラに彼は溜め息で返す。

 「この話は止めよう。
  どうせ同盟の他に行き場は無いんだ」

『今の所』は、そう言う事にしておいた。
ネーラも気分の良くならない不毛な話を止める事に賛成する。

 「分かったよ。
  この話は忘れよう」

当然、ラントロックは同盟からの離脱や、マトラの真意の追及を諦めた訳ではない。

358 :創る名無しに見る名無し:2017/08/20(日) 19:41:14.06 ID:dP2STjh/.net
――

359 :創る名無しに見る名無し:2017/08/21(月) 19:26:21.19 ID:tWv8i/Jx.net
一方その頃、自室に戻ったヘルザは再び就寝しようとしていた。
昨晩は夢の所為で余り眠れなかったので、確り寝直そうと思ったのだ。
問題が解決した訳ではないが、独りでないと言う事実は、彼女を勇気付けた。
温かい気持ちで眠りに就いたヘルザは又夢を見た。
白い靄の中で、彼女は独り佇んでいる。
目の前には黒く温かい直径半身程の靄の塊がある。

 (何これ?)

そう思いつつ、そっと手を伸ばすと反応があった。

 (これは貴女)

 「えぇ……?
  これが私??
  貴女は誰なの?」

声の主を探してヘルザは周囲を見回すも、白い靄ばかりで何も見えない。
声は答える。

 (私は貴女。
  貴女は私。
  この靄々は貴女自身。
  私であり、貴女でもある物)

真面に話を聞いていたヘルザは、混乱して来た。
人の形ですらない靄の塊が自分とは一体何なのか?

360 :創る名無しに見る名無し:2017/08/21(月) 19:27:17.86 ID:tWv8i/Jx.net
理解出来ない様子の彼女に、靄は話し掛ける。

 「考えないで、感じる儘を素直に受け容れて。
  この温かさは貴女の物、私の物」

靄はヘルザに接近した。
不快ではない、自分の体温に等しい温かさが、この靄にはある。
そう彼女が理解すると、靄は徐々に人型になった。
しかし、輪郭は明瞭でない。
人の形をしているだけの、靄で出来た影だ。

 「何で、こんな靄々してるの?
  本当に、これは私……で良いんだよね?」

手を伸ばして触れてみても、擦り抜ける。
影から発せられる声が、ヘルザの疑問に答える。

 「それは心が定まっていないから」

 「心?」

 「そう、私は自分が何者なのか分かっていない……」

ヘルザは申し訳無い気持ちになった。
この影は自分の正体が分からない為に、こんな姿になっている。
ヘルザは自分が分からない。
自分は共通魔法使いでは無いならば、何の魔法使いなのか……。
未確定な自己が形を取った物が、この影の正体なのだ。

361 :創る名無しに見る名無し:2017/08/21(月) 19:28:46.06 ID:tWv8i/Jx.net
悄気るヘルザに、影は慌てて言う。

 「違うの、自分を責めたい訳じゃない。
  唯、貴女には気付いて欲しい」

 「気付く?」

自分自身に関して、何か見落としていた事があったかとヘルザは両腕を胸の前で組み、首を捻った。
両親も両祖父母も共通魔法使いであり、特に変わった所は無かった。
血縁者の誰も共通魔法使いで、故にヘルザは悩んでいたのだ。

 「貴女自身が、どんな魔法使いになりたいのか」

 「どんなって言われても……」

なりたい魔法使いになれるとでも言うのかと、ヘルザは訝る。
そんな彼女の内心の疑問に、影は答えた。

 「心の底から、そうでありたいと願うなら」

 「どんな魔法……」

ヘルザは一層深く、真剣に考え込む。
その直後、彼女の視界は一気に開けた。
目に映った物は、燃え盛る街。
巨大な竜が暴れ、人々が逃げ惑う、地獄絵図。
昨夜の夢の続きだった。

362 :創る名無しに見る名無し:2017/08/22(火) 19:48:37.00 ID:HNz9YwDw.net
人々の悲鳴に、ヘルザは何とかしなければと思う。
ヘルザの形をした黒い影は、彼女に問う。

 「貴女は何をしたい?
  貴女には何が出来る?」

だが、ヘルザは震えるばかりで、真面な反応が出来ない。

 「わ、私には何も……」

強大な敵を相手に立ち向かう勇気は、彼女には無かった。
自分の実力は判っているのだ。
ヘルザの魔法資質は特別に劣ってはいないが、優れてもいない。
常人の域を出ないのだ。
所が、影はヘルザに訴える。

 「それは嘘。
  私は何かしたい。
  私には何か出来る」

それを受けて、彼女は焦燥しながらも必死に考えた。

 「私の魔法、私の魔法……!」

こんな時に何とかする為に、自分の魔法があるのだ。
では、どんな魔法ならば、この状況を打破出来るのだろうか?

363 :創る名無しに見る名無し:2017/08/22(火) 19:49:13.37 ID:HNz9YwDw.net
――

364 :創る名無しに見る名無し:2017/08/22(火) 19:50:47.63 ID:HNz9YwDw.net
もっと力があれば、反逆同盟を止められる。
しかし、普通の攻撃では歯が立たない。
何より相手を痛め付けたい訳ではない。
では、人々を助けるか?
傷の治療をしたとして、何百何千と言う人々を救えるだろうか?
しかし、死んだ人までは生き返らせる事は出来ない。
それは不可能だと本能的に理解している。
現実的な解決案は、全て理性によって否定される。
ヘルザは必死に考えた。
何か良い手は無いのか、今は常識に囚われない革命的な手段が求められている。
だが、そんな都合の好い方法は思い浮かばないのだ。
所詮は己も無力な凡人に過ぎないのかと、ヘルザは絶望し掛かった。

 (私には何も出来ない……。
  誰か、誰か……)

他者に救いを求めるヘルザに、影が応える。

 「有り難う、私」

影は見る見るヘルザへと変わって行く。

365 :創る名無しに見る名無し:2017/08/22(火) 19:51:39.13 ID:HNz9YwDw.net
何が起こっているのか、当のヘルザには全く解らなかった。

 「えっ、何、何?」

ヘルザは急に冷静になって、これが夢だと自覚する。
訳も解らない儘、彼女は目を覚ました。
唯、不安だけが残っている。

 (今のは夢……。
  本当に夢?
  『あの私』は何で私に感謝したの?)

未だ辺りは明るく、日中だと言う事が判る。
夢の事情を理解しようとする試みは大概無意味だが、ヘルザは思い悩まずには居られなかった。

 (『あの私』には、私の魔法が判ったの?
  どうして私には判らないの……)

不安は益々大きくなる。

 (誰か……)

心細さを感じた彼女が、人恋しさに独り震えていると、戸を叩く者があった。

366 :創る名無しに見る名無し:2017/08/23(水) 19:45:25.82 ID:Xls5qXHX.net
ヘルザは面を上げて、戸に駆け寄る。

 「だ、誰ですか?」

細い声で尋ねると、若い男の声で返事がある。

 「俺だ、ラントロックだよ」

その声を聞いたヘルザは気が軽くなって、無警戒に戸を開けた。

 「どうしたの、ラント?」

 「どうしたって……。
  何と無く、ヘルザが助けを求めている様な気がして」

ラントロックの方は特に用事と言う訳では無いらしい。
彼自身、自分が何を言っているのか、よく理解していない様子である。
ヘルザは奇妙に思った。

 「私が助けを?」

 「いや、違うなら良いんだ。
  本当に何と無く、胸騒ぎがして。
  何でも無いなら帰るよ」

確実にラントロックは何かを感じ取って、ヘルザの部屋を訪ねていた。
それが単なる誤認だったと察して帰ろうとする彼を、ヘルザは呼び止める。

 「待って!
  独りで心細かったの……。
  少しで良いから、傍に居て」

 「あ、ああ、良いよ」

己が感じた物が正しかったのか、それとも偶然の幸運なのか、ラントロックは戸惑いながらも、
誘われる儘にヘルザの部屋に入った。

367 :創る名無しに見る名無し:2017/08/23(水) 19:49:30.17 ID:Xls5qXHX.net
ヘルザの誘い方が余りに色気に満ちていた物だから、ラントロックは緊張していた。
魅了の魔法で誘惑した訳でも無いのにと、彼は不思議がる。
当人に気は無いのかも知れないが、それなら天然で男を誘う恐ろしい少女だ。
ヘルザはラントロックと並んでベッドに腰掛けると、夢の話を始める。

 「変な夢を見たの」

ラントロックは又夢の話かと少し呆れながら、続きを促した。

 「今度は、どんな夢?」

 「黒い靄々した物が現れて、それが『私』だって言うの」

ヘルザが何を言っているのか、彼には今一つ解らない。

 「靄々が、ヘルザ?」

困惑しながら確認するラントロックに、ヘルザは丁と伝わっているだろうかと心配する。

 「そう、黒い靄々が『私』だって言って、それは私が自分の魔法を見付けていない所為なの」

ラントロックは益々訳が解らなくなり、遂に小さく唸り出した。

 「ムム……?」

何とか理解して貰おうと、ヘルザは懸命に説明する。

 「私が自分の魔法を見付けてないから、夢の私……、私とは別の夢の私は靄々した儘で、
  それは可哀想って言うか、申し訳無いって言うか、そんな気持ちになったの」

 「黒い靄々した物が、夢の中の、もう一人のヘルザで……。
  何とかして上げたかった?」

何とかラントロックはイメージを頭の中で描き、話に付いて行こうとした。

368 :創る名無しに見る名無し:2017/08/23(水) 19:50:24.09 ID:Xls5qXHX.net
ヘルザは頷いて、話を続ける。

 「それで、昨夜の夢の続きを見たの」

 「夢の続き……」

好い加減に夢の話から離れてくれない物かと、ラントロックは辟易し始めていた。
訳の解らない夢の話ばかりされても、どう仕様も無いのだ。
しかし、それを表面には出さず、黙ってヘルザの話を聞く。

 「反逆同盟の皆が、街を襲う夢。
  私は見ているだけしか出来なくて、それが苦しかった。
  だけど、もう一人の私は私に言うの。
  私に出来る事があるって」

ラントロックは頷きながら聞き手に徹した。
ヘルザは思い出しながら語る。

 「でも、私には何が出来るのか分からなかった。
  私には何も出来ないって思った時、黒い靄だった私が、私の姿になったの」

もうラントロックには何が何だが理解不能だ。
唯々ヘルザの話が終わるのを待つ。

369 :創る名無しに見る名無し:2017/08/24(木) 20:01:01.27 ID:boFn1m0u.net
ヘルザは自らの推理を陳述した。

 「夢の中の、もう一人の私は多分、気付いたんだと思うの。
  私の本当の魔法が何なのか……。
  でも、私には分からない……」

彼女は本気で言っているのだろうかと、ラントロックは怖くなる。

 「いや、でも、夢……だろう?」

 「う、うん……、そうなんだけど……」

どう説明したら良いのか、ヘルザは分からない様子だった。
数極の沈黙後、彼女は言う。

 「普通の夢じゃなくて、奇怪しな感覚があるって言うか……。
  とにかく、これは普通の夢じゃないなって実感があるの。
  分かる?」

どうにか分かってくれないかと祈る様な気持ちのヘルザに対し、ラントロックは落ち着いて諭した。

 「……余り気にしない方が良いんじゃないかな?
  変な夢なら、俺も何度も見た事があるよ。
  でも、大抵は何て事は無い、何も起こらなかった。
  徒の夢なんだ」

自信が無いヘルザは、直感を信じたい気持ちと、ラントロックの言う通りかも知れないと言う考えの、
両者の間で心揺れる。

370 :創る名無しに見る名無し:2017/08/24(木) 20:01:29.10 ID:boFn1m0u.net
――

371 :創る名無しに見る名無し:2017/08/24(木) 20:02:52.97 ID:boFn1m0u.net
余りに長らくヘルザが沈黙しているので、ラントロックは彼女を傷付けてしまったかと後悔した。
彼はヘルザを慰める為に、思っていもいない希望的観測を口にする。

 「もし夢が本当なら、ヘルザは無意識の内に、自分の魔法に気付いたって事になる」

 「そうなのかなぁ……?」

 「何か今までと変わった所は?」

 「特に無い……かなぁ……」

結局何も変わっていないじゃないかと、ラントロックは脱力した。

 「余り深刻に考えない方が良いよ。
  その内、何と無く気付くかも知れない」

その内、その内と思っていながら、今日まで来てしまったヘルザなので、ラントロックの慰めは、
逆に彼女を追い込んだ。

 「その内って何時?
  ラントは何時、自分の魔法に気付いたの?
  最初から知ってた?」

ヘルザの質問攻めに、ラントロックは暫し過去を振り返って答えた。

 「俺?
  俺の魔法が分かった日……」

372 :創る名無しに見る名無し:2017/08/24(木) 20:03:52.15 ID:boFn1m0u.net
ラントロックの魔法が発覚したのは、もう十年も昔の話だ。
その時の事を、彼は朧気ながら覚えている。
それは義姉リベラに連れられて、初めて村の子達と遊んだ時。
ラントロックは無意識に発動した魅了の魔法で、女の子達を虜にしてしまい、取り囲まれた。
可愛い可愛いと構われて、嬉し恥ずかし半々の気分だったと記憶している。
異変を感じ取った義姉はラントロックを両親の元に連れて返った。
彼にとって忘れ難いのは、愕然とする父の顔。
丸で、この世の終わりの様な顔をしていた。
己に魅了の能力がある事を知ったのは、後に母から聞かされて。
母の能力を受け継いだのだと、ラントロックは誇らしく思っていたが、父は喜ばなかった。
魅了の能力は、そんなに悪い物なのか?
共通魔法使いでない事が、そんなに行けない事なのか?
ラントロックの苦悩は、ここから始まった。

 「十年位前だったかな……。
  初めは魅了の魔法だとは知らなかった。
  村の女の子達が、俺に寄って来て。
  そんなに俺が珍しいのかと疑問に思った。
  魅了の魔法だって、後で母さんに教えて貰った。
  母さんの魔法を受け継いでしまったって」

 「受け継いで『しまった』?」

 「親父も母さんも、俺に魔法を受け継いで欲しくなかったみたいだった。
  でも、俺は母さんの魔法が受け継がれているって判って、嬉しかった」

彼にとって、魅了の魔法は親子の証なのだ。

373 :創る名無しに見る名無し:2017/08/24(木) 20:04:50.66 ID:boFn1m0u.net
ヘルザはラントロックを羨ましく思った。
彼女は両親が共通魔法使いなので、親子の絆を感じられない。
余所で拾われた子ではないかと思う程だ。

 「良いなぁ、そう言うの」

 「な、何が?」

何か羨ましがられる様な事かと、ラントロックは戸惑う。
ヘルザは素直に答えた。

 「家は、お父さんも、お母さんも共通魔法使いだから……。
  魔法で親子が繋がってるって分かるの、羨ましい」

 「そ、そうかな?
  で、でも、魔法だけじゃなくて、魔法色素とか、髪とか目とか、顔付きとか、癖とか……、
  親子なら何か共通点があるだろう?」

 「お母さんに似てるって言われた事ならあるけど……。
  私には、よく分かんない」

 「あぁ、俺も親父に似てるって言われた事があるけど、よく分からなかった。
  余り似てるとは思わなかったし」

2人は暫し見詰め合って、同時に小さく笑う。

374 :創る名無しに見る名無し:2017/08/24(木) 20:05:27.06 ID:boFn1m0u.net
ラントロックは話を切り替えて、ヘルザを元気付けた。

 「自分だけで、自分の魔法に気付くのは、案外難しい物なのかも知れない。
  俺だって母さんに教えて貰わなかったら、魅了の魔法だと気付けなかったと思うし。
  もしヘルザが自分の魔法に目覚めたなら、何か変化がある筈。
  注意深く、何時もと違う所を探してみよう」

ヘルザは小さく頷いて、真剣に言う。

 「私、絶対に自分の魔法を見付けて、ラントの役に立つから。
  何時か反逆同盟から逃げる時には、絶対……」

見捨てられない為の必死の言い訳ではなく、彼女は純粋にラントロックの力になりたい様子だった。
ヘルザの健気さに心打たれ、ラントロックは力強く応える。

 「ああ、一緒に逃げよう」

ヘルザは再び小さく頷くと、照れ臭くなって外方を向く。
ラントロックも何だか恥ずかしくなって、視線を逸らした。

 (……それにしても、あの胸騒ぎは何だったんだ?
  ヘルザが助けを呼んでいた様な……。
  本当に何でも無い、気の所為だったのか……)

彼の胸には疑問が残る。
それがヘルザの魔法に関連する物だと知るのは、未だ先の事。

375 :創る名無しに見る名無し:2017/08/25(金) 18:59:42.22 ID:3YAqkQeo.net
――

376 :創る名無しに見る名無し:2017/08/25(金) 19:01:23.79 ID:3YAqkQeo.net
芸能界事件史


ティナー地方で発行されている週刊誌「ファクト」(9月1週発売号)の見出しより


事務所の結婚斡旋は本当なのか!?
ティナー芸能界の闇に迫る!


ティナーの芸能界には様々な噂がある。
地下組織と繋がりがある、影で麻薬が広まっている、旧暦も斯くやの階級社会になっている等々。
その中の1つに、結婚斡旋と言う物がある。
ティナーで活動している芸能人(役者、歌手、コメンテーター、ニュースキャスター、番組司会、
ラジオパーソナリティー等)の多くは、芸能事務所に所属している。
個人で活動する者もあるが、無名の状態で局に雇って貰う事は困難を極める。
そこで芸能事務所に所属するのだが、何と結婚相手を事務所に「決められる」と言うのだ。
果たして、本当なのだろうか?
芸能人同士の結婚は、近年のティナーでは全くと言って良い程、聞かない。
嘗ては、大物俳優同士の結婚があり、子育て、離婚、浮気等が話題になった。
今は個人的な領域に関わる事は伏せられている。
時々週刊誌によって、「驚くべき」私生活の様子が暴かれる位の物だ。

377 :創る名無しに見る名無し:2017/08/25(金) 19:03:55.88 ID:3YAqkQeo.net
結論から言うと、その様な事実は「ある」。
S芸能事務所のEさんが詳細を語ってくれた。

「芸能人と言うのは、『イメージ』の職業です。
 嫌な人には会いたくない、その人の利益になる事をしたくないと言う思いは、誰にでもあります。
 一度悪いイメージを持たれてしまうと、挽回するのは難しい。
 事務所としても、どんなに実力があっても、素行の悪い人を雇い続ける事は出来ません」

「結婚相手を斡旋するのは、スキャンダルを避ける為です。
 事務所にも『イメージ』がありますから。
 事務所の顔とも言える大物俳優が結婚した後、浮気や家庭内暴力を繰り返したとなれば、
 面子は丸潰れです。
 だから、裏の裏まで知り尽くしている事務所側が、制御する為の相手を用意するのです」

「絶対に文句を言わせないとか、人権を抑圧する方面での制御ではありません。
 手綱を取ると表現すれば良いでしょうか……。
 芸能活動に専念して貰う為の相手ですね。
 勿論、こうした束縛を嫌う人も居ます。
 ある程度、名前が売れて来ると、独立心が芽生える物です。
 しかし、どこの事務所でも似た様な物ですよ。
 どんなに『悪い事はしない』と思っていても、人間個人の良心や賢さには限界があるのです。
 自由と引き換えにスキャンダル塗れになるか、堅実に俳優業を続けるかと言う話です」

378 :創る名無しに見る名無し:2017/08/25(金) 19:04:30.30 ID:3YAqkQeo.net
R事務所のWさんも同様に言う。

「芸能事務所が結婚相手を紹介する様になったのは、悪しき前例が幾つもあったからです。
 芸能人は倫理観が無いだの、常識が足りないだの、批判される事もありました。
 中には事務所の反対を押し切って、余所の事務所の人と結婚しちゃう何て事もありました。
 しかし、極一部の例外を除いて、その結末は惨憺たる有り様でしたよ。
 浮気、離婚、再婚、浮気、離婚、再婚と馬鹿みたいに繰り返したりね。
 原因は3つあります。
 先ず1つ目は、容姿が良い事。
 人前に姿を現す職業ですから、見た目が良いに越した事は無いです。
 好印象を与える為に、魅力的な振る舞いも学びますから、ファンが勘違いしてしまう事もあります。
 2つ目は、社会的な常識が備わっていない事。
 芸能界と言う狭い世界では、とにかく売れる事が正義とされています。
 売れる為の『芸』さえ持っていれば、他の事は問題になりません。
 世間知らずが生まれ易いんです。
 3つ目は、大きな力を持ってしまう事。
 『稼げる』人は事務所でも大事に扱われます。
 それが当たり前になると、傲慢になって行くんですよ。
 更に、名前が知られている人は異性にも持てます。
 富と名声に惹かれるんですかね……。
 旦那持ち、嫁持ちでも、略奪する側は気にしません。
 それで、夫婦間で問題が起こる訳です」

379 :創る名無しに見る名無し:2017/08/25(金) 19:05:36.27 ID:3YAqkQeo.net
「芸能人も数居れば、当然好色な人も居る訳で。
 悪い言い方をすると、『食い散らかす』とでも言うんでしょうか……。
 ファンとか、後輩の恋人とか、手当たり次第に。
 誰の事と言う訳ではありませんがね。
 独身なら問題無いんですけど、出来ちゃったりして仕方無く結婚になると……。
 覚悟を決めて『人の親』になってくれると良いんですが、手切れ金で済まそうとしたり、無視したり。
 綺麗に片付かなくて揉めると、翌週には週刊誌の記事になる訳で。
 そう言う事を無くす為にも、身の回りは事務所のコントロールが効く人で固めておくんです。
 男女の事以外にも、酒、薬、喧嘩とスキャンダルの種は絶えません。
 特に若い人は誘惑に弱いです。
 売れっ子は事務所の大事な収入源ですから、大事に守りますよ。
 でも、強制ではありません。
 嫌なら事務所の言う事を聞かなくても良い。
 但し、問題が起こった時には自分で責任を取って貰います。
 何時『そう』なっても良い様に、事務所側も『新しい人』を用意します」

380 :創る名無しに見る名無し:2017/08/25(金) 19:06:22.11 ID:3YAqkQeo.net
更に、元都市警察の人物にも話を聞く事が出来た。
都市警察と芸能事務所に何の関係があるのか?
それは芸能人や所属事務所に対する「脅迫、恐喝」に対応する為だ。

 「私が現役の頃、若い芸能人が厄介事に巻き込まれたって話は、よくありました。
  名前が売れているし、お金持ちですから、狙われ易いんですね。
  地下組織は闇賭博や麻薬、買春、金融詐欺、そう言った違法な誘い掛けをして、
  芸能人に『客』になって貰う。
  一度でも応じたら、地獄の始まりです。
  先ず『上客』になってくれと頼まれます。
  誘惑に弱い人は、ここで応じてしまいます。
  後は、惰性で引き込まれ、地下組織の金蔓になってしまいます。
  途中で抜け出そうとしても、暴露するぞと脅されます。
  相手の言い成りで、莫大な手切れ金を払う事になるでしょう。
  そう言う例を何人も見て来ました。
  木っ端の芸人なら事務所も切り捨てられるんですが、流行っ子や大物になると……。
  大抵の場合は、事務所の知らない所で、危ない事をしているんですよね。
  だから、お目付け役が必要になるんです。
  しかし、お目付け役が巻き込まれる事もあって、この界隈は正に魔界ですよ。
  金や権力の集まる所は、どこも似た様な物なので、芸能方面に限りませんがね……」

名が売れる事は、何も良い事ばかりでは無い様だ。

381 :創る名無しに見る名無し:2017/08/25(金) 19:07:44.31 ID:3YAqkQeo.net
人材募集


『友人<フレンド>』社週刊『事実<ファクト>』編集部では現在、漫画家・イラストレーターを募集しています。
応募条件は以下の通り。

応募人数:2〜4人
必要資格:特に無し
勤務形態:本社所在区内に居住して貰います。社員寮有
給与形態:歩合制、P4000MG〜

毎週5頁程度の漫画連載が可能な人、又は毎週10頁分の記事に添えるイラストを書ける人。
毎回の〆切を確り守れる人。
その他の詳細は面談にて。

連絡先:ティナー地方ティナー市中央区199−253−54
     フレンド社 ファクト編集部
     人事担当デュース・リットナー
     AMCN (04−001−001)199−253−0054

382 :創る名無しに見る名無し:2017/08/25(金) 19:08:23.11 ID:3YAqkQeo.net
――

383 :創る名無しに見る名無し:2017/08/26(土) 19:34:55.41 ID:j//INXnQ.net
新競技


娯楽魔法競技会発行 月刊誌「アスリート」より


今六傑フィラー・ゴールドバンクが、今注目の新競技クイック・ストリーミングの魅力を語る。


ストリーミングの基本的なルールは、ラウンド毎に先攻後攻で魔法を交互に使用し、
その効果が高い方を勝利として、最終的な勝利数の多い方が勝者とする物です。
使用出来る魔力は、魔力石1個分と言う事で、この性質から数多の派生競技が誕生しました。
クイック・ストリーミングも、その1つです。
これは自分と相手、どちらが先にターゲットを破壊するかと言う、早撃ちの勝負です。
通常のストリーミングとは違い、先攻後攻はありませんが、数ラウンドの勝利数で、
最終的な勝者を決める所は同じです。
ターゲットはバルナー・ジェルと言う、非常に脆い特殊な材質で出来ています。
強い衝撃を加えれば簡単に砕けますし、熱を加えれば溶け、凍らせれば破裂します。
しかし、通常のストリーミングと同じく、魔法は1ラウンドに1つ、発動詩1つ分しか使えません。
バルナー・ジェルは脆いとされていますが、それでも中途半端な威力の魔法では、
破壊し切れない可能性があります。
偶に、速攻を狙ってターゲットを破壊し損ねる場合があります。
威力の大きい魔法は発動に時間が掛かります。
魔力石1個分と言う、魔力量の制限も付きますから、クイック・ストリーミングの熟練者程、
ターゲットを破壊出来る限(ぎ)り限(ぎ)りの威力を求めます。
そうなると、ターゲットを破壊する威力に僅かに及ばないと言う事が、結構あるんです。
予定していた魔法の威力が、相手の魔法に影響されて十分に発揮出来ない。
その辺りの見極めも、重要になって来ます。

384 :創る名無しに見る名無し:2017/08/26(土) 19:36:15.43 ID:j//INXnQ.net
クイック・ストリーミングには「戦い」の全てが詰まっています。
先攻後攻を決めて、交互に魔法を使う通常のストリーミングより、遙かに『対人』の要素が強いです。
マックスパワーに通じる部分があるでしょう。
相手が使う魔法を予測する、『読み』。
時には態と負ける必要もある、『戦略性』。
素早く、正確に魔法を発動させられる、『精神力』。
あらゆる要素が勝敗に関わるんです。
同じ相手がある「戦い」でも、通常のストリーミングとは又違った面白味があります。
クイック・ストリーミングの競技者は、魔法を発動させるまでの短い時間に、考える事が色々あります。
相手は何の魔法を使おうとしているのか?
相手の魔法は自分の魔法と相性が良いか、悪いか?
その儘、魔法を発動させて勝てそうか?
見通し次第では、潔く諦めるのも手ですし、相手の失敗に期待して続けるのもありでしょう。

385 :創る名無しに見る名無し:2017/08/26(土) 19:36:46.88 ID:j//INXnQ.net
クイック・ストリーミングは未だ発展途上です。
娯楽魔法競技会公認の魔法競技として採用される為には、見栄えや判り易さを考慮して、
使用する魔法を制限する等、ルールを変えて行く必要があるでしょう。
バルナー・ジェルが決して安価な物でないと言う点も、改善する必要があります。
普及用に木板のターゲットで代用する案も考えられています。
ストリーミングの派生は幾つも誕生しましたが、公式の魔法競技として認められた物は、
唯の一つもありません。
ブレイン・ストリーミングが賭け事や子供の遊戯に利用される程度です。
公式競技化に特に重要なのが、ストリーミングやマックスパワーとの差別化と、大衆への普及です。
競技の内容や趣旨が、既存の競技と然して変わらないと言うのなら、所詮は派生の一つと、
片付けられるでしょう。
又、多くの人に受け入れられる為には、勝負の熱狂を、ルールや仕様の面倒臭さが、
上回ってはなりません。
マイナー競技で終わらせない為には、大きな努力が必要なのです。

386 :創る名無しに見る名無し:2017/08/26(土) 19:37:09.87 ID:j//INXnQ.net
――

387 :創る名無しに見る名無し:2017/08/27(日) 19:24:52.47 ID:EiUNWdhR.net
貪食の魔剣グールムデヴィ


所在地不明 反逆同盟の拠点にて


反逆同盟の長マトラは、同盟のメンバーが活発でない事に不満を持っていた。
積極的に共通魔法使い達に戦いを仕掛けた者達は、全員討たれた。
戦いに消極的な者が残るのは、自然な事だ。
しかし、それでは共通魔法社会を打ち倒せない。
彼女は配下のディスクリムに相談する。

 「ディスクリムよ」

 「何でしょう、我が主」

 「共通魔法社会に革命を起こすには、未だ足りんと感じるのだが」

 「ジャヴァニ様が計画を練っていると言う話は、どうなりました?」

ディスクリムの反論に、マトラは頬杖を突いて、不満気な表情をした。

 「私が足りんと感じているのだ」

ディスクリムは恐縮して畏まる。

 「はい。
  私は何をすれば宜しいのでしょうか?」

 「指示を待つだけではなく、お前も考えろ」

時折マトラは気紛れに理不尽な命令をする。
ディスクリムは彼女の忠実な従僕で、逆らう事は出来ないと知っていながら。

388 :創る名無しに見る名無し:2017/08/27(日) 19:26:17.86 ID:EiUNWdhR.net
ディスクリムは懸命に考えて提案した。

 「折角の同盟なのですから、誰かに動いて貰う事は出来ませんか?」

マトラは面倒臭そうな顔をして言う。

 「私が命じるのではなく、自発的に取り組んで欲しいのだが」

 「シュバト様の活動は、評価されないのですか?」

 「個人の恨み等、高が知れておる。
  私が欲する物は、更なる混乱と混沌だ」

「御自分で実行なされば宜しいのでは?」との言葉を、ディスクリムは呑み込んだ。
マトラは自分の手では無く、他人の争いを横から眺めて楽しみたいのだ。
ディスクリムは決意して、己が実行者になろうとする。

 「それでは私が――」

そう言い掛けた途端、マトラは自分で解決した。

 「良し、『あれ』を使ってみるか……。
  ディスクリム、お前は下がれ」

ディスクリムは安堵半ば、残念な気持ち半ばで、大人しく引き下がった。
主の横暴に振り回されるのは、何時もの事だ。

389 :創る名無しに見る名無し:2017/08/27(日) 19:27:42.01 ID:EiUNWdhR.net
ディスクリムが去った後、マトラは床に魔力の魔法陣を描き、一振りの短剣を召喚する。
その短剣は刃渡りに対して柄が大きく、刃は途中で折れた様になっている。
又、全体が赤黒く錆び付いており、真面に切れそうには見えない。
マトラは短剣に呼び掛けた。

 「目覚めよ、魔剣グールムデヴィ」

床に転がっている短剣は、微かに震えて反応する。
マトラは溜め息を吐いた。

 「何だ、その様は?
  不細工よの。
  哀れ、哀れ」

短剣は抗議する様に激しく震え始めた。
マトラは短剣に告げる。

 「無様にも『聖なる物<ホリヨン>』に敗れ、この私に回収されて幾千年。
  遂に時が来たぞ。
  今一度、そなたが最高の武器である事を示すのだ」

彼女は短剣を拾い上げると、空間を歪めて作った穴に放り捨てた。
短剣は都市の上空に出現し、その儘、路地裏に落ちて転がる。
短剣は妖しく輝いて、主となる者を誘った。

 (我は魔剣グールムデヴィ、最強の剣にして、最高の武器。
  我を手にし、その証を立てるのだ)

390 :創る名無しに見る名無し:2017/08/27(日) 19:28:21.08 ID:EiUNWdhR.net
――

391 :創る名無しに見る名無し:2017/08/28(月) 18:28:29.35 ID:/eFmui41.net
ブリンガー地方 第二魔法都市ブリンガー 中央区にて


第二魔法都市ブリンガーで辻斬り事件が発生した。
犯人の男は白昼堂々無抵抗の通行人を連続して斬り付け、都市警察が駆け付けると逃走した。
そして追い詰められると自らの胸に刃を突き立て、自殺を試みたのだ。
しかし、都市警察の迅速な救命措置で、犯人の男は一命を取り留めた。
その後、都市警察は犯人を取り調べたのだが、失血のショックか、それとも衰弱を装っているのか、
犯行に用いた刃物を拾ってからの記憶が曖昧だと言う。
肝心の凶器に関しても、男の証言では「道端に落ちていた短剣を拾った」との話だったが、
実際に押収された物は、刃渡りが優に2足はある刀剣だった。
凶器は現在、都市警察が保管している。

392 :創る名無しに見る名無し:2017/08/28(月) 18:30:58.41 ID:/eFmui41.net
ブリンガー中央警察署にて


犯人の精神鑑定が行われている間、凶器の刀剣は鑑識に回されていた。
当然、刀剣は鑑識課で保管されていたのだが……。

 「凶器の出所は判ったか?」

刑事の問いに、鑑識官は難しい顔をする。

 「相当古い物だと言う事しか判りません。
  魔法的な仕掛けがあるみたいですが、どんな物かは不明です。
  魔剣の類でしょうか……。
  こう言うのを扱っている店は限られているんですが、どこも『家じゃない』との事で」

 「魔剣?
  魔法的な仕掛けってぇのは?」

 「『柄<ヒルト>』の『目釘<リベット>』の部分に、魔力を封じた玉石が埋め込んであります。
  この赤い奴。
  何の効果があるかは不明ですが……。
  一応、魔導師会に鑑定を依頼しています」

刑事は抜き身の剣を真面真面と見詰めて言った。

 「それにしても不気味な剣だな。
  返り血を浴びて真っ赤だ」

濡れた様に赤く照ら照らと輝く刃には、妖しい魅力がある。
刑事の言葉に、鑑識官は吃驚して訂正した。

 「血は疾うに乾いていますよ。
  この輝きは血ではなく、剣自体の物です」

 「え?
  あ、あぁ、そうだな。
  俺は何を言っているんだ」

常識で考えて、返り血が何時までも新鮮さを保って濡れている事はあり得ない。
刑事は恥ずかしい発言をしたと、赤くなって俯いた。
だが、その目は赤い刃に釘付けになっている……。

393 :創る名無しに見る名無し:2017/08/28(月) 18:33:55.20 ID:/eFmui41.net
それから1角後、同じ刑事が再び鑑識を訪れた。

 「済まないが、この剣を少しの間、貸してくれないか?」

 「何です?
  捜査に使うんですか?」

 「ああ、そんな所だ」

鑑識官の問いに、刑事は曖昧な答を返した。
鑑識官は彼を怪しんだ。
持ち出しに正当な目的があるなら、それを「正確に」言わなくてはならない。
訝しむ鑑識官に対して、刑事は平然と問い掛ける。

 「もう調べる様な事は無いんだろう?」

 「……管理票に記入をお願いします」

鑑識官が管理票を差し出すと、刑事は受け取って記入を始めた。
持ち出し理由の欄には「聞き込み調査の為」とある。

 「何故、現物が必要なんです?」

鑑識官の問いに、刑事は暫し答え倦ねていたが、やがて思い付いた様に言う。

 「確かな証言を引き出す為には、現物でなけりゃ駄目なんだ。
  画(え)や話じゃ、この剣の凄味は伝わらない」

彼は一体何を言っているのだろうと、鑑識官は益々怪しんだ。

394 :創る名無しに見る名無し:2017/08/29(火) 20:47:34.04 ID:pp6lAyl+.net
刑事は更に熱弁を振るう。

 「俺は剣を持った事があるから判る。
  これは普通の剣じゃない」

 「武術の経験があったんですか?
  知りませんでした。
  学生時代は武術部に?
  それとも、どこかの道場に通っていましたか?」

揶揄する様に鑑識官が言うと、刑事は怒りを露にした。

 「巫山戯ているんじゃないぞ!
  真剣に言っているんだ!」

鵞鳴(がな)り立てる刑事に、鑑識官は真面目な顔で問う。

 「貴方が証拠品を持ち出す事を、誰か他の人は知っていますか?」

刑事が答に窮したので、鑑識官は管理票を丸めて塵箱に投げ捨てた。

 「何を焦っているかは知りませんが、落ち着いて他の人と相談して下さい。
  どうしてもと言う事情があるなら、丁(ちゃん)と話して頂ければ――」

鑑識官が目を離した一瞬の隙に、刑事は袋に入れられた剣を取り上げて、突きを仕掛ける。
不意打ちを鑑識官は避けられず、腹を破かれた。

 「ぐぇっ、何を……。
  だ、誰かーーっ!!」

彼の悲鳴を聞いて、近くに居た者達が慌てて駆け付ける。

 「何事だ!?」

 「凶器の剣を持っているぞ!!」

刑事は素早く、その場から立ち去った。

395 :創る名無しに見る名無し:2017/08/29(火) 20:50:26.52 ID:pp6lAyl+.net
>>393の3行目に、この一文を挟み忘れていました。

透明な袋に丁寧に包装された凶器の剣を指して、彼は言う。

396 :創る名無しに見る名無し:2017/08/29(火) 20:51:58.42 ID:pp6lAyl+.net
この刑事は何を考えていたのか、それは誰にも分からない。
当の本人にさえ分からない。
刑事は剣を見た瞬間から、この剣を振ってみたい、この剣で人を斬ってみたいと言う妄執に、
囚われていた。
それは時間が経つ毎に大きくなって行き、遂に我慢の限界を迎えて、暴走したのだ。
さて、誰を最初に斬ろうかと、刑事は人通りの少ない路地裏を逃走しながら考え始めていた。
頭の中では、これは捜査の為に必要な行動なのだと、訳の分からない正当化を試みている。
そこへ丁度、猫背で陰気な見窄らしい男が通り掛かった。
「こいつにする」と刑事は内心で勝手に決め、擦れ違い様に一撃を食らわせる。
刃は見窄らしい男の脇腹を掠めて、鮮血を啜った。

 「痛(いて)ぇっ!」

斬られた脇腹を押さえて、男は振り返る。
その顔には混乱と恐怖の色が浮かんでいた。
肉を斬った感触に、刑事は物足りなさを覚え、急に足を止める。

 「な、何なんだ、あんた……。
  俺が何をしたってんだよ……」

男は脇腹を押さえながら後退った。
刑事は剣を構えて、焦り焦りと距離を詰める。
彼の頭の中は肉を斬る感触で一杯だ。

 (試し切りをしなければ、剣の価値は判らない)

この剣の正体を探る為に、これは必要な行動なのだと、又も自分勝手な自己弁護を始めている。

397 :創る名無しに見る名無し:2017/08/29(火) 20:53:20.87 ID:pp6lAyl+.net
刑事は無言で男の腹に剣を突き立てた。
深々と刃が肉に埋まり、背中を突き破って貫通する。

 (あぁ、これは良い)

刑事は意味不明な快感を覚えていた。
刃が生きた肉を突き破る感覚、大量の血液が溢れ出る感覚に、恍惚とする。
失血して蒼褪める男は、剣に命を吸われている様。
刑事は剣を引き抜くと、満足気に笑って立ち去った。
哀れな男は息絶えて崩れ落ちる。
惨劇は始まったばかりだ。
刑事が移動したのは、市内の骨董屋だった。
骨董屋の店主は血塗れで剣を握り締めている刑事を見て、目を剥いた。

 「ヒィッ、何じゃ、強盗か!」

身構える店主に、刑事は落ち着いて言う。

 「違う、俺は刑事だ。
  この剣を見て貰いたい」

そう言いながら、彼は片手で警察手帳を提示しつつ、血に塗れた真っ赤な剣を差し出した。
店主は暫し「刑事と名乗った男」と、真っ赤な剣を交互に見詰める。

398 :創る名無しに見る名無し:2017/08/30(水) 19:07:03.75 ID:hO3rwELY.net
その後に店主は恐る恐る尋ねた。

 「この剣が何か……?」

 「これの出所が知りたい。
  この店で扱っていた品ではないか?」

店主は剣を手に取って観察しようとしたが、刑事は柄から手を離そうとしない。
これでは鑑定所ではないと彼は訴える。

 「あ、あの……。
  よく見せて貰えませんか?」

刑事は店主を睨むと、徐に切っ先を顔面に突き付けた。

 「な、何を……」

 「誤魔化すなよ。
  『この剣を扱っていたか』と訊いてんだ。
  返事は2つしか無かろう」

敵意を剥き出しにされ、店主は怯える。

 「ち、違います!
  家で扱っていた物ではありません!」

 「最初から、そう言え」

刑事は突き付けた剣を静かに下ろし、収めると見せ掛けて店主の胸に突き刺した。
恐ろしい事に、刑事は未だ自分の中では正当性を保てている積もりだった。

399 :創る名無しに見る名無し:2017/08/30(水) 19:07:43.60 ID:hO3rwELY.net
――

400 :創る名無しに見る名無し:2017/08/30(水) 19:12:43.09 ID:hO3rwELY.net
この刑事が逮捕されるのに、そう時間は掛からなかった。
何故なら、彼は自分の行いが捜査上許される物であると、誤認していた為だ。
通行人を斬り付け、他の骨董店でも異常な『捜査』を繰り返し、直ぐに居場所が特定された。
その日の内に都市警察と魔導師会の執行者に囲まれた彼は、大人しく投降して言い訳を始めた。
当然、誰も聞く耳を持つ者は居らず……。
深紅の剣を没収され、直ちに精神鑑定を受けさせられた。
都市警察と執行者を驚かせたのは、剣の刃が伸びていた事だった、
最初に警察が押収した時は刃渡り2足程度だった物が、半身近くにまでなっている
これは魔剣であると、誰もが認識した。
魔剣は所持者の精神を狂わせる効果があるかも知れないとの事で、厳重に封印され、
魔導師会の精密な鑑定を受ける事となった。
魔剣の輸送は慎重に行われた。
魔力を遮断する効果がある防護布で剣を覆い、更に木箱に詰めて安易に開封出来ない様に、
釘を打った。
その装丁を見た執行者の鑑識官達は、苦笑いをする。

 「これは又、豪い物を持ち込まれたな」

鑑識官達は魔剣の虜にならない様に、精神を補強する魔法を互いに掛け合う。
そして、釘抜きで箱を開け、防護布に包まれた剣を取り上げて、試験台の上に静かに置いた。

401 :創る名無しに見る名無し:2017/08/30(水) 19:14:53.62 ID:hO3rwELY.net
布を剥いで、深紅の剣を目にした鑑識官達は、再び苦笑いする。

 「報告と違うじゃないか……」

封印されている間に、深紅の剣は驚くべき変貌を遂げていた。
刃渡りこそ報告通りだが、その峰には禍々しい棘の生えた、真っ赤な蔦が巻き付いている。
更に、蔦は脈打つ様に蠢いている。

 「こいつに触るのは怖いですね……」

魔導師会の執行者ともあろう者が、思わず躊躇いの言葉を吐く。
蔦の根元は柄の目釘に埋め込まれてある、これも真っ赤な玉石だ。
玉石は丸で瞳の様な核を持っている。
恐るべき事に、その核は動いている。
血に濡れた様に輝く深紅の刃と相俟って、これを持ったら一体どうなる物か、奇妙な好奇心が疼く。

 「打っ壊しましょう」

そう提案した鑑識官に、反対する者は無かった。
直接手で触れない様に、刃を万力に挟んで固定し、玉石を叩き壊そうと試みる。
如何に魔法的な力が働いていようと、それを超えた力には敵わない。

402 :創る名無しに見る名無し:2017/08/31(木) 19:37:57.42 ID:vERQroj4.net
鑑識官が持ち出したのは、長さ1手はあろう太い釘。
玉石の真上で固定し、大金槌を魔法で強化した腕力で力一杯振り下ろす。
一度目は鈍い音がして弾かれたが、二度目で玉石に罅が入った。
それと同時に、魔剣が人の物ではない悍ましい叫び声を上げる。

 「痛ェエーー!!
  酷ェエヨォーー!!」

玉石は血飛沫を撒き散らし、辺りを真っ赤に染める。
血飛沫は忽ち固まり、粘着いた糸の様に鑑識官達と魔剣を繋いでいる。
身の危険を感じた鑑識官達は、血の糸を断ち切ろうとした。
しかし、魔剣は水の様に溶けて血の糸を辿り、反応が遅れた1人の鑑識官の手元に移動して、
再び剣の形を取る。

 「わっ、わぁああああーーーー!!」

彼は魔剣を離そうとするも、手は柄を握り締めて動かない。

 「お、落ち着け!
  今直ぐ処置する!」

仲間の呼び掛けは聞こえていない。
既に深紅の魔剣の虜になっているのだ。
彼が感じている物は、仲間達の殺意。
剣に向けられた敵意を、自分への物だと思い込んでいる。
剣と精神が同調した鑑識官は、恐怖して一目散に逃げ出した。

403 :創る名無しに見る名無し:2017/08/31(木) 19:39:47.88 ID:vERQroj4.net
――

404 :創る名無しに見る名無し:2017/08/31(木) 19:41:08.48 ID:vERQroj4.net
第二魔法都市ブリンガー 中央区 裏通りの喫茶店にて


自称冒険者の精霊魔法使いコバルトゥスは、喫茶店で新聞を読みながら唸っていた。
彼の様子を訝り、連れ合いの旅商の女リベラが尋ねる。

 「どうしたんですか、コバルトゥスさん」

 「辻斬り事件だってさ。
  呪いの魔剣が何とか……。
  魔導師会の執行者が呪われたって、何やってんだかな……」

それを聞いたリベラは、コバルトゥスが読んでいる新聞を横から覗き込む。

 「反逆同盟と関係しているんでしょうか……?」

彼女の問いに、コバルトゥスは暫し思案して答えた。

 「さぁ?
  分からない」

そう言いつつも、コバルトゥスの目付きは険しい。
彼は事件に何か思う所がある様子だ。

405 :創る名無しに見る名無し:2017/08/31(木) 19:43:18.43 ID:vERQroj4.net
コバルトゥスは剣術の心得がある。
それで魔剣に関心があるのかも知れないと、リベラは予想した。
彼女は新聞の記事に書かれていた単語を、それと無く口にする。

 「魔剣ですか……」

その呟きに応える様に、コバルトゥスは低く唸った。
リベラは横目で彼の様子を窺いながら尋ねる。

 「コバルトゥスさん、この事件を解決したいんですか?」

コバルトゥスは少し考えてから答える。

 「いや、別に。
  どうでも良い。
  それよりリベラちゃん、外出する時は注意しろってさ。
  不審な人物には近寄らない様に。
  人通りの多い所を歩けって……、これは常識だな」

彼は住民向けの注意喚起の文章を読み上げ、溜め息を漏らした。
「どうでも良い」と言う割りには、嫌に記事を読み込んでいる。
普段のコバルトゥスは新聞を開いたら、数極も経たない内に次の頁に移る程度の、
流し読みしかしない。
偶に手を止めても、半点も読み込みはしない。
彼が「呪いの魔剣」に特別な関心があるのは明らかだ。

406 :創る名無しに見る名無し:2017/09/01(金) 19:04:41.78 ID:F7R99ZXu.net
リベラに注視されている事に気付いたコバルトゥスは、新聞を畳んで彼女に差し出した。

 「そんなに気になるなら、どうぞ」

リベラは素直に新聞を受け取り、机の上に広げて「呪いの魔剣」の記事を真面真面と読む。
内容は以下の通りだ。
真っ赤な魔剣は人の命を吸う様に、人を殺す度に刃を伸ばす。
これには所持した者の精神を狂わせる呪いがあり、積極的に殺人を犯す様になる。
最初に魔剣を発見した人物は、郵便配達員の男性だった。
彼が辻斬り事件を起こして取り押さえられた後に、魔剣は都市警察の刑事の手に渡る。
その刑事も辻斬り事件を起こして逮捕され、遂に魔剣は魔導師会で鑑定を受ける事になった。
しかし、鑑識官の1人が魔剣に乗っ取られて逃走し行方を晦ます。
魔導師会は早期解決の為に、鑑識官を緊急指名手配し、処刑人の派遣を決定した。

 「『処刑人<イクシキューショナー>』が出動するんですか……。
  魔導師会は事態を重く見ているんですね。
  解決は案外早いかも」

リベラは独り言を呟き、コバルトゥスの反応を窺う。
コバルトゥスは外方(そっぽ)を向いて、遠い目をしている。
態とリベラの話を聞かない様にしているのか、それとも他の事が心を占めているのか、
どうにも判別し難い。
――コバルトゥスは私的な事情が絡んだ事に、他人を巻き込みたがらない。
だから、本音では事件に興味があっても、表面上は無関心を装う。
これが反逆同盟と関係していると、明確に断言までは出来なくとも、その可能性が高いと言えれば、
彼の反応は違った。
現状、コバルトゥスは反逆同盟とは無関係に、個人的に辻斬り事件に興味を持っているだけなのだ。

407 :創る名無しに見る名無し:2017/09/01(金) 19:06:41.13 ID:F7R99ZXu.net
何故、辻斬り事件に興味を持っているかと言えば、それは彼が剣士だからに他ならない。
コバルトゥスの剣の師ゲントレンは魔法剣士であり、魔剣に関する知識を持っていた。
当然コバルトゥスは彼から「魔剣」とは如何なる物か教授された。

「魔剣とは即ち、剣の内で尋常でない物を言う。
 単なる魔法の剣とは違う。
 魔性を帯びた恐るべき剣だ。
 中には、持ち主を狂わせる物もある」

「しかし、魔剣も所詮は道具。
 魔剣が誘う狂気とやらも、人間が潜在的に持っている物に過ぎない。
 強い精神力さえあれば、狂気を克服出来ない道理は無い」

「名剣、名刀を見た時、その切れ味を試さずには居られないのは、極自然な事だ。
 剣とは『斬る』物。
 その用を為さないのであれば、鉄の棒と変わらない。
 剣の魔性とは即ち、その様な物だ」

「詰まり、魔剣とは名剣や名刀の一面なのだ。
 剣の能(はたらき)は斬れる事が第一にある。
 よく出来た剣とは、よく切れる剣の事であり、故に人は魔性に囚われる。
 愚かしいと思うか?」

「魔剣の中には、『生きた剣』もある。
 意思を持つだけでなく、自ら動いて獲物を求める物まで。
 人の欲望や生気を吸うと言われているが、果たして……。
 生きた剣も『誰かが作った物』。
 その心は作り手や使い手の精神の謂わば残滓だ」

「持ち主の恨みが宿った物、作り手の執念が籠もった物。
 私は幾つもの生きた剣を見て来た。
 だが、剣に心を囚われる事は無かったよ。
 私は剣の虚しさを知っている。
 最強の剣は我が手の内にある。
 それに比べれば、よく切れるだけの鉄の塊が、何だと言うのだ」

彼は師の言葉を思い出しながら、懐かしい気分に浸っていた。

408 :創る名無しに見る名無し:2017/09/01(金) 19:09:39.34 ID:F7R99ZXu.net
数点後、コバルトゥスは徐に席を立つと、リベラに言った。

 「俺は少し散歩して来る。
  リベラちゃんは宿で大人しくしていてくれ。
  一人で危ない事に首を突っ込まない様に」

子供じゃあるまいしと、リベラは少し剥れて返した。

 「解っていますよ。
  散歩って、どこに行くんです?
  何時頃、戻って来ますか?」

彼女の質問に、コバルトゥスは眉を顰める。

 「その辺を歩くだけだよ。
  1角か2角……、もしかしたら夜まで戻らないかも知れない」

曖昧な答え方をされて不信の目を向けるリベラに、彼は苦笑した。

 「……どこで何してようと、別に良いだろう?
  恋女房じゃないんだから。
  そうなってくれるって言うなら話は違って来るけど」

一人で危ない事に首を突っ込もうとしているのは、一体どちらなのか?
リベラは変わらず不信感を露にしている。
コバルトゥスは彼女から目を逸らし、肩を竦めて、先に喫茶店から出て行った。

409 :創る名無しに見る名無し:2017/09/02(土) 19:36:29.60 ID:Ty/DoJgL.net
コバルトゥスは足早に表通りに移動し、人込みに紛れた。
リベラは後を追おうとしたが、直ぐに見失ってしまう。
困った人だと溜め息を吐く彼女に、巨漢のビシャラバンガが声を掛けた。

 「どうした?
  奴と喧嘩でもしたか」

彼はリベラとコバルトゥスの旅に同行しているが、どうにも目立つ体なので、人の多い所では、
遠慮して距離を置いている。
リベラとコバルトゥスが喫茶店に入る時も、離れた所で待っていた。

 「そうじゃないですけど……」

どう説明した物かと、リベラは少し悩んだ後に答える。

 「コバルトゥスさん、魔剣の新聞記事を読んでから様子が奇怪しくて。
  一人で散歩に行くって言って」

 「心配か?」

 「ええ」

ビシャラバンガはリベラを静かに見詰め、彼女の言葉を待っている様だった。
リベラは意を決してビシャラバンガに依頼する。

 「ビシャラバンガさん、一緒に来てくれませんか?」

彼は小さく頷いて快諾した。

 「ああ、『仲間』は助け合わなくてはな。
  心配を掛けまいと独りで突っ走って、却って心配されるのでは本末転倒だろうに」

最近のビシャラバンガは以前では考えられない程、柔和で協調的だ。
愚直で忌憚の無い彼は、大人振って陰で物事を解決しようとするコバルトゥスよりも、
信頼出来るかも知れない。

410 :創る名無しに見る名無し:2017/09/02(土) 19:36:50.29 ID:Ty/DoJgL.net
――

411 :創る名無しに見る名無し:2017/09/02(土) 19:40:20.26 ID:Ty/DoJgL.net
その頃、魔剣に乗っ取られた鑑識官は、都市の人通りが多い場所を移動していた。
人が多い所では、処刑人も手を出し難いだろうと判断しての事だ。
これは鑑識官の知識である。
魔剣と一体化した彼は、自身の命と魔剣が不可分の物であるとの妄執に囚われている。
魔導師としての誇りや責任感は失われ、どうにか逃げ遂せる術は無いか、そればかりを考えている。
鑑識官は魔導師のローブを裏返しにして着込んでおり、一見して魔導師であるとは気付かれない。
しかし、その風体の怪しさは隠し様が無く、道行く人は彼を見るなり道を開ける。
その鑑識官を追跡している処刑人のグループがある。
彼等は気配を殺し、約4身の距離を取りながら、鑑識官を中心に3人で三角陣を組んでいる。
陣形は完璧な正三角形で、僅かな乱れも無い。
更に、4人目――グループのリーダーが、高所で狙撃用の『死の呪文<デス・スペル>』の魔導機を構え、
機を窺っている。
鑑識官が狙撃し易い位置に移動しているのを確認して、リーダーはテレパシーで合図した。

 (『準備<レディ>』……Q!)

リーダーが『処刑<イクシキューション>』の指示を出すと、三角陣を組んでいる3人は、拘束魔法を使った。

 「K56M17!!」

3人同時に発動詩を唱え、単体で使用する場合の4倍の拘束力を持つ魔法が発動する。
効果範囲内には、鑑識官も魔剣も完全に収まっている。
指一本動かす事は出来ない。

412 :創る名無しに見る名無し:2017/09/02(土) 19:43:14.93 ID:Ty/DoJgL.net
リーダーは即座に死の呪文を放った。
通常、死の呪文は発動する所を一般人の目に触れさせてはならないとされている。
だが、彼は白昼で人通りが多いのも気にしない。
魔剣を見過ごす方が危険と言う判断だ。
対象は魔剣。
出来れば同じ仲間である魔導師は傷付けずに、魔剣だけを消滅させたかった。
所が、そう上手くは行かなかった。

 (殺される!)

死の呪文の波動に気付いた鑑識官は、拘束魔法を振り切って、魔剣を庇った。
この鑑識官の魔法資質は、そこまで突出して優れている訳ではない。
4倍の拘束力を解除する事は不可能な筈だ。
死の呪文の直撃を受けた鑑識官は、膝から崩れ落ち、魔剣に覆い被さる様に倒れた。
不幸にも偶々近くを通り掛かった一般人は、死の呪文の波動に震える。
死の呪文は魂を分解して、肉体を灰燼に帰す。
処刑人のリーダーは仲間にテレパシーを送った。

 (拘束魔法を掛け直せ!
  魔剣は絶対に始末する!)

鑑識官の死体が消えるのを待って、処刑人のリーダーは再度狙撃を試みる。

413 :創る名無しに見る名無し:2017/09/03(日) 19:08:43.22 ID:ZTssYLeg.net
仲間を殺してしまった罪悪感が無い訳ではないが、一々動揺はしない。
処刑人に求められるのは、機械の様な冷静さ、冷淡さ、冷徹さだ。
しかし、魔剣は影も無く消えていた。
直ぐ側には『潜孔<マンホール>』がある。
魔剣は液体化して下水道に逃れたのだ。
液体化しようが拘束魔法から逃れる事は出来ない。
詰まり、魔剣は拘束魔法を自力で振り解いた事になる。
リーダーはテレパシーで仲間に指示を出した。

 (任務は失敗だ。
  出直すぞ)

執行者達が駆け付け、野次馬が集まり、処刑人達は瞬く間に姿を消す。
突然、人が塵となって消えたのだから、それは大騒ぎだ。
リーダーが任務の責任者として、執行者達に事情を説明した。

 「魔剣は下水道に逃げ込んだ。
  3人掛かりの拘束魔法が通じなかった」

拘束魔法が通じなかったと言う事実に、執行者達は驚愕する。

 「処刑人が使う魔導機は最高級の物では……」

 「それが効かなかった。
  魔剣は底が知れない、恐ろしい力を持っているのかも知れない。
  『普通の人間』では、どうにもならないだろう」

 「『SMT<スペシャル・ミッション・チーム>』を組む必要が?」

 「そうだな。
  本部に動いて貰おう」

事態は益々深刻で重大な物になって行く。

414 :創る名無しに見る名無し:2017/09/03(日) 19:10:03.91 ID:ZTssYLeg.net
――

415 :創る名無しに見る名無し:2017/09/03(日) 19:11:27.52 ID:ZTssYLeg.net
その後、リベラとビシャラバンガ、コバルトゥスの3人が、現場に駆け付けた。
コバルトゥスとビシャラバンガは高い魔法資質を持つ為に、身が凍える様な恐ろしい、
死の魔法の波動を感じ取る事が出来た。
3人は人集りの中で再会する。

 「コバルトゥスさん!」

リベラがコバルトゥスに声を掛けながら駆け寄ると、彼は気不味い顔をして視線を逸らす。

 「一体何があったんですか?」

リベラもビシャラバンガも、ここで何が起きたのか知らなかった。
コバルトゥスも全てを知っている訳では無いが、大凡の事情は理解していた。

 「魔剣だよ」

 「こんな街中に!?」

驚くリベラに、コバルトゥスは冷静に言う。

 「人を隠すなら人の中さ。
  その『人』は死んでしまったが……、魔剣の方は取り逃したみたいだ」

彼は風の魔法で執行者達の会話を拾っていた。

 「魔剣は今どこに?」

リベラの問いに、コバルトゥスは爪先で地面を突く。

 「地下。
  下水道に逃げたらしい」

416 :創る名無しに見る名無し:2017/09/03(日) 19:13:06.36 ID:ZTssYLeg.net
下水道と聞いて、リベラは眉を顰めた。

 「追うんですか、コバルトゥスさん?」

最終的には浄化施設を通過するのだが、そこに到達するまでの汚水は清浄とは言えない。
幾ら魔法があっても、臭い下水道には入りたくないと言うのが、彼女の本音だ。
それはコバルトゥスも同様で、彼は苦笑いして言う。

 「そうしたい所だけど、下水道は一寸なぁ……」

そこへビシャラバンガが申し出た。

 「己が行こうか?」

頼もしい発言だが、コバルトゥスは馬鹿にした様に小さく笑う。

 「その図体じゃ、マンホールに入らないだろう」

彼の言う通り、ビシャラバンガの巨体では、マンホールを通り抜けられない。
地面を破壊して下水道に潜入する訳にも行かない。
今この街で騒動を起こせば、益々市民を不安にさせてしまう。
コバルトゥスは溜め息を吐いて、リベラに言った。

 「俺は未だ少し散歩を続けるよ。
  リベラちゃんは宿でも、どこでも良いから、安全な所で休んでいてくれ」

そしてビシャラバンガに視線を送って一言。

 「頼んだぞ、ビシャラバンガ」

417 :創る名無しに見る名無し:2017/09/04(月) 19:13:05.96 ID:PNTE67I+.net
しかし、当のビシャラバンガは素直には頷かなかった。

 「魔導師会の者が討ち漏らす程の相手に勝てるのか?」

魔導師会は威信を賭けて、処刑人まで派遣したのに、この結果だ。
コバルトゥスは確かに並外れて優れた魔法資質を持っているが、「怪物」と呼べる様な物ではない。
それで魔剣に勝てるのかとビシャラバンガが疑うのも当然ではある。

 「所詮、剣は剣さ」

だが、コバルトゥスの返事は冷静だった。
魔剣の強さを軽視している様にも思え、ビシャラバンガは一つ忠告する。

 「侮るなよ」

 「事実を言っただけだ」

それを突っ撥ねて、コバルトゥスは独り街中に消えた。
リベラはビシャラバンガに問い掛ける。

 「コバルトゥスさん、大丈夫でしょうか……」

 「余程の自信がある様だ。
  慢心とは違う。
  矜持とでも言うのか」

彼はコバルトゥスが内に秘めた決意を感じ取っており、必ず魔剣を追うと言う確信を持っていた。

418 :創る名無しに見る名無し:2017/09/04(月) 19:13:32.18 ID:PNTE67I+.net
――

419 :創る名無しに見る名無し:2017/09/04(月) 19:15:23.23 ID:PNTE67I+.net
その通り、コバルトゥスは魔剣を追って下水道に侵入した。
下水道に入るのは気が進まなかったのは本当だが、好き嫌いを言っている場合では無かった。
風の魔法で悪臭を嗅がない様にしつつ、明かりの魔法で周囲を照らしながら、彼は下水道を進む。
汚水の流れに沿って続く歩道を独り、足音を殺して。
下水道には鼠一匹、生物の気配がしない。
水の流れる音だけが反響している。

 (……静か過ぎるな。
  下水道なんて、こんな物かも知れないが)

汚水に魔力の流れを這わせば、下水道全体の構造が判る。

 (魔導師も居ない。
  流石に、事件直後から行動は出来ないか)

コバルトゥスは魔剣の気配を探した。

 (出て来い、俺が相手になってやる)

内心で挑発しながら、彼は周囲を警戒して進む。
約1針後に、コバルトゥスは歩道に落ちている真っ赤な剣を発見した。
魔力の反応は全く感じなかった。
だが、これは確かに魔剣である。
魔力を隠す術を心得ているとでも言うのか……。

420 :創る名無しに見る名無し:2017/09/04(月) 19:17:55.73 ID:PNTE67I+.net
コバルトゥスは不気味に思いながら剣を拾い上げた。
血に濡れた様に艶かしく輝く赤い刃を見詰めていると、魅了される者が居るのも仕方が無いと言う、
気がして来る。
彼は徐に愛用の短剣の片方を取り出し、赤い魔剣と比較した。
『薔薇の花弁<ピタール・ド・ローズ>』と呼ばれる、薄紅色の刃を持つ、切れ味鋭い美しい短剣。
真の名剣とは、この様な物であると、コバルトゥスは正気を保った。
派手な色合いと長大な刃で見る者を威圧し、不思議な魔力で形を変える物は、最早剣とは呼べない。

 (我はグールムデヴィ。
  最強の剣にして、最高の武器。
  我を手にした者は、その証を立てよ)

コバルトゥスの頭の中に低く重い声が響く。
しかし、それは彼を洗脳するには至らない。

 「何が剣だ!
  こんな物は剣では無い!」

全く精神的な動揺を見せないコバルトゥスの反論は、グールムデヴィにとって衝撃的だった。

 (な、何だと!?
  剣は斬る物!
  我は全てを断つ刃を持つ!
  これが剣でなくて何だと言うのだ!)

 「お前は剣の形をしただけの化け物だ!!
  紛い物め!」

グールムデヴィは衝撃の余り喪失状態になり、思考が停止した。

421 :創る名無しに見る名無し:2017/09/05(火) 18:47:23.18 ID:bVe/hxQV.net
グールムデヴィは旧暦に、至高の武器を目指して製造された。
これを生み出した刀鍛冶は、「最強の剣」とは何かを考えていた。
切れ味が鋭く、何でも斬れる事。
これは剣に於いて最強を語る上では、欠かす事が出来ない要素。
だが、時代の流れは、それ以上の物を武器に求めていた。
決して折れず、刃毀れもせず、錆び付きもしない事。
木の枝の様に軽量で、扱い易い事。
槍や弓矢に先んじる物である事。
多対一に対応出来る事。
威力に於いて爆弾や大砲を上回る事……。
全てを一挙に解決する事は、普通の剣には不可能だった。
そこで刀鍛冶は魔剣に頼ったのだ。
彼は悪魔の王を召喚し、「貴方に相応しい剣を作りたい」と取引を持ち掛けた。
そうして完成したのが、幾千の悪魔の魂を込めた玉石を核とし、血と魂を吸収しながら成長する、
自己修復機能付きの、意思持つ剣である。
グールムデヴィの存在意義は唯一つ、最強の剣にして最高の武器である証を立てる事。
剣でもナイフでも鋸でも、刃物にとって、よく切れる以上の誉れがあろうか?
その志から刃を鋭くする。
恐れられるべき『武器』にとって、多くの人間を殺戮する以上の誉れがあろうか?
その志から命を奪う。
グールムデヴィは最強の剣にして、最高の武器。
故に、その鋭い刃で、あらゆる命を奪うのだ。
人が絶滅しようとも!

422 :創る名無しに見る名無し:2017/09/05(火) 18:53:39.95 ID:bVe/hxQV.net
自己の存在意義を再確認し、自我を取り戻した魔剣グールムデヴィは静かに怒った。

 (我はグールムデヴィ……誰が何と言おうと、最強の剣にして最高の武器。
  信じないと言うならば、今その証を立てよう)

そして、核からコバルトゥスの腕に真っ赤な荊の様な蔦を伸ばして、巻き付けて行く。
これにコバルトゥスは反応しない。
冷淡な眼差しで、これも真っ赤な魔剣の核を見下している。

 「じゃあ、お前は普通の剣に負けるんだな」

コバルトゥスはピタール・ド・ローズを振り上げると、グールムデヴィの核に切っ先を向けた。

 (何故だ!
  何故、我が刃の虜にならぬ!
  剣士であれば、この美しさが解ろう!
  この切れ味を試さずには居られまい!
  振りは軽く、その軽妙さは、翼を得たが如き――)

魔剣の声には耳を貸さず、コバルトゥスは短剣を核に突き刺そうとする。
それを魔剣は荊を伸ばして止めるが、彼の魔法剣には通じない。
鏡心剣の見えざる刃で、荊は甚(いと)も容易く切り落とされる。
グールムデヴィの荊は血の塊で、半液状。
流れ落ちる水を断ち切る事が出来ない様に、本来は簡単に切り落とせる物ではないが、
その様な特性も「魔法剣」には無意味。
短剣の切っ先は狙い違わず魔剣の核に食い込む。
これも本来はあり得ない。
グールムデヴィの核は真面な方法では破壊出来ない。
鑑識官達が実行した様に、確りと固定した上で、強大な力を打ち込まなければならない。
所が、コバルトゥスの短剣はゼリーを切り分ける様に、核の防御を殆ど抵抗無く打ち破った。

423 :創る名無しに見る名無し:2017/09/05(火) 18:55:05.71 ID:bVe/hxQV.net
グールムデヴィは恐怖を感じた。
聖君に刃を折られ、力を失った時は、大きな屈辱と挫折を味わったが、それとは異なる。
往時の感覚は存在意義を失う事への恐れであり、今の感覚は死への恐れである。

 (馬鹿な!
  その剣は何だ!?)

グールムデヴィが第一に疑ったのは、何の魔力も持っていない単なる短剣のピタール・ド・ローズ。
何の変哲も無い、少々出来が良いだけの短剣に見せ掛けて、特殊な効果を持っていると思った。
自らが魔剣であるが故に。
ピタール・ド・ローズの切っ先は核の中心に達し、愈々グールムデヴィに止めを刺そうとしている。

 「バ、バワアアアア!!!!」

グールムデヴィの核は内容物を留め切れなくなり、真っ赤な血飛沫の様な物を撒き散らした。
魔剣の犠牲となった人々の血と魂、魔剣を構成していた魔物の魂が飛び散り、そして乾いて行く。
コバルトゥスは血飛沫を浴びながら、冷淡に言う。

 「物には使途があり、使い手には志がある。
  剣と使い手の心が一致する瞬間こそ、最も美しく剣が輝く瞬間。
  己が心の儘に、使い手の心を操るのであれば、お前は少なくとも『人が振るう』剣ではない」

魔剣の核は砕け散り、一部は下水道の汚水の中に沈んだ。
長く伸びた深紅の刃は、妖しい輝きを失って脆く赤黒くなり、魔力の欠片も感じられなくなっている。
もう魔剣は生きていない……。

424 :創る名無しに見る名無し:2017/09/06(水) 18:59:33.55 ID:wc9lvZq4.net
コバルトゥスは暫し用心深く、グールムデヴィを持った儘で、様子を窺っていた。
そして、魔剣が生きていないと認めると、静かに剣を歩道に置いた。
彼は師の言葉を思い出していた。

 「道具は生まれながらに役割があり、それに適う様に作られる。
  剣の心とは、即ち、剣の使途その物だ。
  一方、剣の使い手には志がある。
  いや、無ければならない。
  志の無い者が剣を持っても、無用の長物と化すか、逆に剣に振り回されるか、何れかになる。
  剣の心と使い手の心が一致した時、剣は真価を発揮する」

 「剣は『斬る』為にある。
  即ち、剣の使途とは『斬る』事だ。
  だが、一口に『斬る』と言っても、何を『斬る』かは様々だ。
  人や動物、草や木、石や風を斬る剣だってある。
  目的に合わせて使ってやらねば、剣が嘆(な)く」

 「人を『斬る』剣でも、誰を切るかで大きく違う。
  王殺し、貴族殺し、神官殺し、竜殺し、鬼殺し、盗賊殺し、罪人殺し。
  復讐、正義、野望、目的も色々ある。
  誰彼構わず斬るなら、それは凶刃だ。
  真面な剣ではない」

師の言葉を噛み締めて、コバルトゥスは死したグールムデヴィに告げる。

 「今時、最強の剣とは時代錯誤の――いや、何時だろうと、お前は捨て置かれたさ。
  人殺しに狂う人間が、狂人と呼ばれて拒絶される様に。
  無闇に殺戮を繰り返す剣を、人は必要とはしない。
  永久に眠れ、哀れな剣」

425 :創る名無しに見る名無し:2017/09/06(水) 18:59:50.73 ID:wc9lvZq4.net
――

426 :創る名無しに見る名無し:2017/09/06(水) 19:02:19.11 ID:wc9lvZq4.net
その後、下水道から出たコバルトゥスは、2人組の執行者に捕捉された。

 「おい、お前っ!!
  今、『潜孔<マンホール>』から出て来たな!?」

血塗れの姿を見れば、誰でも怪しむだろう。
目の色を変えて詰問して来る執行者に、特に悪怯れる様子も無くコバルトゥスは頷く。

 「ああ」

 「何をしていた!?」
 
 「少し掃除を」

 「掃除だと?
  清掃業者には見えないが?」

問答が面倒になったコバルトゥスは、ストラドの名前を出した。

 「親衛隊のストラドに通してくれ」

 「……親衛隊?」

執行者は訝りつつも、魔力通信で本部に連絡を入れる。

 「アロー、アロー、本部ですか?
  グラマーの本部に繋いで下さい」

その間も、もう1人はコバルトゥスを睨み付けている。
通信を始めた執行者は、『向こう側』の相手と数点の遣り取りをした後、コバルトゥスに言った。

 「あんた、名前を教えてくれ」

 「コバルトゥス」

それから執行者は再び魔力通信で、遣り取りを始める。

427 :創る名無しに見る名無し:2017/09/06(水) 19:04:37.70 ID:wc9lvZq4.net
やがて執行者は縦長の通信機型の魔導機――魔力通信機を取り出し、番号を押して、
三度遣り取りを始めた。
今度は彼は魔力通信機をコバルトゥスに差し出す。

 「使い方は分かるか?
  こう顔の横に当てる。
  上の部分、ここから向こうの音が聞こえる。
  下の部分、ここで音を拾って相手に送る」

コバルトゥスは魔力通信機と言う物に縁が無かったが、何と無く雰囲気で察して頷いた。
彼は魔力通信機を受け取ると、執行者を真似て呼び掛ける。

 「アロー?」

 「アロー、こちらストラド・ニヴィエリ。
  そっちはコバルトゥス・ギーダフィ……だな?
  ブリンガーで何があった?」

執行者は律儀にストラドに連絡を取ってくれていた。
真剣な声音で事情の説明を求める彼に、コバルトゥスは答える。

 「『呪いの魔剣』事件だ。
  連中と関連があるかも知れないと思って、密かに探っていた」

 「それで?」

 「仕留める事には成功したが……、関連は判らなかった。
  唯一つ、真面な剣では無かったと言う事だけは確かだ」

428 :創る名無しに見る名無し:2017/09/07(木) 18:59:56.27 ID:7Os29IJF.net
ストラドの声に驚きと安堵の色が混じる。

 「仕留めたのか……。
  残骸は?」

 「下水道に放置した儘だ」

 「……直ぐに親衛隊の者を送る。
  悪いが、もう少しだけ付き合ってくれ。
  未だ何か伝えたい事はあるか?」

 「いや、何も。
  強いて言うなら、早く自由の身にして欲しい」

 「分かった、急がせる」

そこで通信は切れた。
コバルトゥスは魔力通信機を執行者に返すと、自ら尋ねる。

 「それで?
  俺は、どうすりゃ良い?」

執行者達は困惑して言う。

 「親衛隊の方が到着するまで、少し待っていて下さい」

例えば食事処の様な、どこか休憩出来る所に案内するとか、気の利いた事をしてくれない物かと、
コバルトゥスは期待したが、そうは行きそうに無く溜め息を吐いた。

429 :創る名無しに見る名無し:2017/09/07(木) 19:00:15.24 ID:7Os29IJF.net
――

430 :創る名無しに見る名無し:2017/09/07(木) 19:02:12.55 ID:7Os29IJF.net
しかし、親衛隊の到着は本当に『直ぐ』だった。
コバルトゥスが数点と待たない内に、彼女は到着した。
風を纏い、空気を蹴りながら、空中を高速で移動し、コバルトゥスと執行者の間に急降下。
着地と同時に声を張る。

 「只今到着しました!
  私、魔導師会八導師親衛隊が一、バレーナと申します!
  『暗号名<コード・ネーム>』は『疾風<スウィフト>』。
  以後、お見知り置きを」

やたらと口の早い女性だった。
コード・ネームと本名を同時に言ってしまって良いのかなと、全員が思った。
名字までは言っていないから良いのかなと、それぞれが自分で解釈する。
バレーナは返り血を浴びたコバルトゥスを見て、驚愕つつも続ける。

 「うわっ、赤い!
  貴方がコバルトゥスさん?
  あ、執行者の方は、お疲れ様でした。
  後は私に任せて下さい!」

彼女は親衛隊の証である『徽章<バッジ>』を見せて、執行者達を退散させた。
そして、コバルトゥスに向き直って、未だ続ける。

 「ストラド班長から話は伺っております。
  早速ですが、下水道を案内して下さい」

用が済んだ今、臭い下水道に再び入るのは嫌だなと、コバルトゥスは思っていたのだが、
バレーナは配慮してくれない。

 「ささ、突っ立ってないで行きましょう!」

コバルトゥスの背を押して歩き、無理遣りにでもマンホールに入らせようとする。

431 :創る名無しに見る名無し:2017/09/07(木) 19:04:40.69 ID:7Os29IJF.net
 「どうしても、俺が一緒じゃないと行けないのか?」

コバルトゥスが露骨に嫌がって見せると、バレーナは意外そうな顔をして言った。

 「何が嫌なんです?」

 「……下水道に進んで入りたい奴は、そう多くないと思うんだが」

 「でも、貴方は魔剣を追って下水道に入ったんですよね?」

 「あれは緊急事態だったから――」

 「一度入ったんなら、二度も三度も一緒でしょう。
  愚図愚図言ってないで、行きますよ。
  それとも何ですか?
  貴方は私に、独りで暗い下水道に入って、探し物をさせようって言うんですか?」

早口の彼女は丸で喧嘩を売っている様だ。
しかも、口を動かしながらも、体はコバルトゥスをマンホールに押し遣っている。
余りの強引さにコバルトゥスは反論を諦めて、大人しく同行する事にした。
梯子を伝って、2人は暗く汚く臭い下水道に下りる。
コバルトゥスより先に、バレーナが明かりの魔法を使って、周囲を照らした。

 「こんな所に長居していたら、気が変になってしまいます。
  早く魔剣を回収しましょう。
  コバルトゥスさん、案内をお願いします」

バレーナはコバルトゥスの背後に回り、彼を先行させる。
やれやれと溜め息を吐いたコバルトゥスは、記憶を頼りに魔剣の元へと向かった。

432 :創る名無しに見る名無し:2017/09/07(木) 19:10:03.34 ID:7Os29IJF.net
 「私、下水道に入るのは初めてなんですけど、嫌な所ですね……。
  物陰から何か恐ろしい物が、ヒュッと出て来そうな?
  でも、鼠とか蝙蝠とか、変な虫とか、動物が色々居ると思ってたんですけど、そうでも無くて。
  臭さも思ってた程では無くて、現場は実際に行ってみないと分からない物ですねぇ」

バレーナは移動中も、独り早口で捲くし立てる。
静かに出来ない物かと、コバルトゥスは少し苛立った。
基本的に自由の身で居たい彼は、他人の都合に合わせなくてはならないのが嫌いなのだ。
それも魔導師会と言う巨大な権力を持つ公的な大組織と言うのが、一層気に入らない。
下水道の歩道を暫く歩いて、コバルトゥスは自分が魔剣を置いた場所に着いたのだが、
そこに剣らしい物は無かった。

 「確か、この辺り……」

コバルトゥスは立ち止まって、周囲の様子を窺う。
屈んで床を観察すれば、所々に小さな赤い欠片や、血飛沫の痕が見られる。

 「ここで間違い無い筈なんだが……」

どうして剣が無くなっているのかと、彼は焦る。
バレーナも辺りに柄らしい物が無い事を認めて、コバルトゥスに尋ねた。

 「もう少し先だったりしませんか?
  それか逆方向だったとか」

 「いや、合っている。
  これを見てくれ。
  魔剣の核の欠片だ」

コバルトゥスは床に落ちていた赤い宝石の様な欠片を1つ拾い上げ、バレーナに見せた。

 「こんな所に落ちていた物を、よく平気で触れますね。
  フムフム、確かに赤いガラス片みたいな物が、其処彼処に散らばっています。
  ここで魔剣を壊したんですか?」

彼女の余計な一言は無視して、コバルトゥスは応じる。

 「ああ、ここで魔剣の核を破壊して、こう置いた」

 「じゃあ、どうして無くなっているんでしょう?
  誰かが持ち去った?
  流れの中に落ちた?
  足が生えて歩いて行った?」

 「……分からない。
  確かに、止めは刺した筈。
  核は砕け散り、魔力を失った。
  生きている訳が無い」

一体何が起こったと言うのか、2人は揃って真剣に考え込む。

433 :創る名無しに見る名無し:2017/09/08(金) 18:59:46.83 ID:H6JpkGvQ.net
その内、バレーナは周辺に落ちている赤い欠片を拾い集め始めた。

 「何をしているんだ?」

コバルトゥスが尋ねると、彼女は淡々と答える。

 「証拠品集めです。
  魔剣の欠片なら、持って帰って成分分析しないと」

 「こんな所に落ちている物を、よく触れるな」

皮肉を込めてコバルトゥスは言ったが、バレーナは気にしない。

 「手袋をしていますから。
  素手で触る訳じゃないので、別に何とも」

口の減らない女だと、コバルトゥスは閉口する。
尤もバレーナ自身には嫌味を言った覚えは無く、全て天然の発言なのだが……。

 「蟻さん、蟻さん、砂糖の粒を数えましょう。
  1粒、2粒、3粒、4粒、塵も積もれば山となる」

彼女は奇妙な歌を口遊みながら欠片を拾って、小さな袋に収める。
手持ち無沙汰なコバルトゥスは手伝いを申し出た。

 「手伝おうか?」

 「いえ、結構。
  もう終わります。
  本当に手伝う積もりなら、もっと早く、無言で始めてくれると嬉しいですね」

本当にバレーナは一言多い。

434 :創る名無しに見る名無し:2017/09/08(金) 19:01:57.12 ID:H6JpkGvQ.net
欠片を拾い終えた彼女は、再び周囲を見回した。

 「……他に大した物は無さそうですね。
  帰りましょう。
  所でコバルトゥスさん、本当に魔剣を壊したんですよね?」

 「ああ、とにかく核は破壊した。
  魔力も失われた事を確認したんだが」

僅かな時間に何があったのかと、コバルトゥスは落ち着かない気持ちになる。
もし仕留め損ねていたのだとしたら……。
「核」以外に、剣の命とでも言うべき部分があったのだとしたら……。
可能性を考えている内に、表情は自然と険しくなる。
そんな彼を慮ってか、バレーナは慰めの言葉を掛けた。

 「大丈夫です、貴方を疑ってはいません。
  嘘なんか吐いても、意味無いですからね。
  確かに、核は破壊したんでしょう。
  どうして剣が消えたのか、詳細は調査をすれば判ります。
  魔導師会の調査能力なら、楽勝で真実を暴けますよ」

魔導師会には「過去を見る」心測法がある。
それでも訳の解らない事象はあるが、「事実」だけは確実に判明する。
その後、彼女は礑(はた)と思い至り、コバルトゥスに尋ねた。

 「この後、コバルトゥスさんは、どうしますか?
  直ぐに街を離れます?」

 「あぁ、そうだな。
  余り長居をする積もりは無い」

 「魔剣に何が起こったのか、その報告は、どうしましょう?
  こちらからストラドさんを介して伝えましょうか?」

コバルトゥスは暫し間を置いて答える。

 「……頼む」

435 :創る名無しに見る名無し:2017/09/08(金) 19:03:47.90 ID:H6JpkGvQ.net
バレーナは快く頷いた。

 「了解しました。
  後でストラドさんから、何等かの形で報告されるでしょう。
  2、3日後?
  直ぐに解明されると思うんですけど、何か手間取る様な事があれば、1週、2週……。
  しかし、遅くとも1月の間には。
  長くとも2月は掛からないと思います」

相変わらずの早口で、お喋りな女だとコバルトゥスは思いながら出口へ向かう。
2人はマンホールから出て、その場で別れた。

 「それではコバルトゥスさん、又縁がありましたら」

 「ああ」

内心では別の女に縁がある様にと願いつつ、コバルトゥスは空返事する。
お喋りな女性が嫌いな訳では無かったが、どうにもバレーナとは相性が悪い気がしていた。
それとも単に、予想外の事態に驚いて、神経質になっているだけだろうか?
心に透(す)っきりしない靄を抱えて、コバルトゥスは宿に戻った。
宿にリベラの姿は無い。

 (一人で出歩くなと言ったのに。
  いや、ビシャラバンガが一緒だったか……。
  奴と居るなら、心配は無かろうが……、何だかなぁ……)

どうにも気分が倦んでいると感じ、コバルトゥスは宿の窓を開け放って、風を受け入れる。
そして、愛用の短剣を取り出して、研き始めた。
彼は師の言葉を思い出す。

 「剣を研いていると、心まで磨かれる様だろう。
  錆び付くのは、何も刃物だけではない。
  人の心も同じだ。
  この手間を惜しむ様では、未だ剣士とは呼べない」

436 :創る名無しに見る名無し:2017/09/09(土) 19:29:02.31 ID:7z0HHPbZ.net
 「私は剣を研く時に、何時も思うのだ。
  この剣で何を斬ったのか、何を斬ろうと言うのか……。
  何も斬っていない、何を斬ろうと言うのでも無い。
  そんな時は、唯剣を愛惜しむ。
  コバルトゥス、お前も剣を研く時は、剣に思いを馳せよ。
  何を斬ったのか、何を斬ろうと言うのか、剣は何と応えているか」

コバルトゥスは無心に剣を研いた。
その最中、魔剣の核を破壊した感触を思い出し、手を止める。
魔剣の命が失われる感覚が、確かにあった。
刃の輝きは失われ、古錆びた残骸だけが残った。

 (……擬死だったと言うのか?)

事実として「核は破壊した」。
それだけは確実に言える。
だが、核を破壊しただけで安心してしまった。
それで終わったと誤認してしまった。
彼は師の言葉を回想する。

 「止めを見誤ってはならない。
  殺すなら殺す、生かすなら生かすと、自分の意志で確り決めろ。
  それが勝者の条件だ。
  殺した積もりで生き延びられる、生かした積もりで殺してしまう、これが最も不味い。
  相手の生殺与奪も握らぬ内に、勝者を気取る奴は、只の間抜けだ」

 (未熟だったか)

戦乱の時代を生きた師の言葉は重く、コバルトゥスは深く自省した。

437 :創る名無しに見る名無し:2017/09/09(土) 19:29:57.56 ID:7z0HHPbZ.net
――

438 :創る名無しに見る名無し:2017/09/09(土) 19:33:28.11 ID:7z0HHPbZ.net
その後、ブリンガー市内で「呪いの魔剣」事件が起こる事は無かった。
魔導師会がコバルトゥスに、下水道で起きた事の詳細を伝えたのは、あれから1週後。
コバルトゥスとリベラ、ビシャラバンガの3人は未だブリンガー市内に留まっていた。
コバルトゥスはバレーナに対して、街を離れる積もりだと答えながら、やはり魔剣の事が気懸かりで、
再び事件を起こされないか、警戒していた。
コバルトゥスはリベラから魔力通信機を借りて、ストラドの報告を聞く。

 「コバルトゥス、君が魔剣の核を破壊したのは、こちらでも確認した。
  問題は、その後の事だが……」

 「ああ」

彼は固唾を飲んで、相槌を打った。
ストラドは続ける。

 「魔剣は緩っくりと溶けて、下水に落ちた。
  その時に、微かな魔力の反応があった。
  どうやら柄の中に、あの目立つ核とは別の、予備の核が仕込まれていた様だ」

 「予備の核!?」

 「『核』と決まった訳では無いんだが、それに近い機能を持つ物が柄に備わっていたと、
  見るべきだろう」

 「それで、魔剣は今どこに?」

 「判らない。
  下水の流れに入ってしまったら、追跡は困難だ。
  どこかで水から上がっていないか、念の為に下水道から浄化施設まで全て調べてみたが、
  手掛かりは得られなかった。
  浄化施設は通らずに、海まで流れてしまったのかも知れない。
  下水道には分岐流路が幾つもある」

ストラドの報告に、コバルトゥスは俯いた。
魔剣は生きていた。
取り逃したのは、他の誰でも無く、自分自身の責任だ。

439 :創る名無しに見る名無し:2017/09/09(土) 19:37:34.71 ID:7z0HHPbZ.net
――

440 :創る名無しに見る名無し:2017/09/09(土) 19:38:24.70 ID:7z0HHPbZ.net
ストラドは彼を慰める様に言った。

 「核を破壊された魔剣は、明らかに弱っていた。
  直ぐに次の事件を起こす事は出来ないだろう。
  あれが反逆同盟絡みならば、回収されて、修復されるかも知れないが……。
  当面の脅威は去った。
  その点に関しては、君に感謝しなければならない」

しかし、コバルトゥスは気落ちして、感謝を拒否する。

 「止してくれ」

ストラドは気弱な彼の声を聞いて、励ましの言葉を掛けた。

 「余り気に病むな。
  本来、共通魔法社会の秩序は、魔導師会が守るべき物。
  俺達の腑甲斐無さが悪いのさ。
  独りで責任を背負い込むなよ」

慰められる程、コバルトゥスは惨めな気持ちになって、これ以上は堪えられないと通話を打ち切る。
リベラは心配そうにコバルトゥスに尋ねた。

 「魔剣は、どうなったんですか?」

 「未だ生きていて、逃げられてしまった。
  どこへ行ったか判らないそうだ」

不安を顔に表すリベラに、コバルトゥスは言い訳をする事も出来ない。

 「俺が仕留め損なった所為だ」

彼にしては珍しく、自分を責める言葉を吐く。

441 :創る名無しに見る名無し:2017/09/10(日) 20:08:06.43 ID:bu9XZcKq.net
それを見ていたビシャラバンガは、態と聞こえよがしに大きな溜め息を漏らした。

 「後ろばかり見ていても始まるまい。
  過ぎた事は、どうにもならん」

 「気安く言うな」

コバルトゥスはリベラに通信機を返しつつ、ビシャラバンガの慰めを拒絶する。
その冷淡な言い方が癇に障って、リベラは声を上げた。

 「コバルトゥスさん、そんな言い方って!」

所が、彼女を止めたのはビシャラバンガ当人。

 「お前が怒る事は無い。
  下手な慰めをした己に非がある」

彼の聖人振りが、コバルトゥスは益々気に入らなかった。

 「随分と達観した物だな。
  仙人にでもなった積もりか」

話を拗らせる積もりは無いのに、勢いで憎まれ口を叩いてしまう。
それでもビシャラバンガは怒りもしなければ、理由を問う事もしない。
唯、口を閉ざして心配そうな顔をしている。
コバルトゥスは苛立ちを抑えられず、舌打ちをして軽く地面を蹴り、その場から去った。

 「あっ、コバルトゥスさん、どこへ!?」

リベラが呼び止めるも、彼は振り向きもせずに答える。

 「今日は気分が腐っている。
  少し街の風に当たって、頭を冷やして来る」

そう自己分析が出来る位には冷静だった。

442 :創る名無しに見る名無し:2017/09/10(日) 20:10:02.11 ID:bu9XZcKq.net
ビシャラバンガは難しい顔をして唸る。

 「困った物だ」

 「ええ、本当に。
  コバルトゥスさん、普段あんな感じじゃないんですけど」

それにリベラが同意すると、彼は苦笑して否定した。

 「いや、奴の話ではない。
  己の事だ。
  未だに人の心が読めないで、こんな事になる」

 「ビシャラバンガさんは悪くないですよ。
  コバルトゥスさんが大人気無いんです」

少し剥れてビシャラバンガを庇うリベラだが、当の彼はコバルトゥスを擁護する。

 「コバルトゥスの気持ちは解らんでも無い。
  同格以下の男に慰められるのは、『自尊心<プライド>』が傷付くのだ」

 「格?」

 「犬の様に、人間も社会の中で格付けをする。
  こいつは上、こいつは下とな。
  彼我の社会的地位に固執し、その秩序が狂うと自己が否定されたと感じて怒る。
  『甘える』のは格下のする事、『許す』のは格上のする事。
  故に、格下に慰められたり、許されたりするのは屈辱なのだ」

 「コ、コバルトゥスさんは、そんな人じゃありませんよ!」

ビシャラバンガの分析をリベラは否定した。
コバルトゥスは共通魔法社会の外で生きる存在だ。
社会的な地位には興味を持たないし、基本的に一匹狼だから群れる事も無い。
そんな彼だから、格付けをする必要は無いと。

443 :創る名無しに見る名無し:2017/09/10(日) 20:20:01.29 ID:bu9XZcKq.net
ビシャラバンガは疑いを持って、リベラに尋ねる。

 「では、何故コバルトゥスは怒ったのか?
  余り親しくない人間が、触れて欲しくない部分に踏み込んだからか?」

 「そ、そうなんじゃないですか?
  それに元から機嫌が悪そうでしたし」

不機嫌な時には、他者に対する反応も刺々しくなる物だ。
相手が誰でも当り散らしてしまう。
そう言う経験は誰にでもある。

 「では、慰める相手が違えば、どうだったか?
  例えば、リベラ、お前なら?」

ビシャラバンガの問いを受け、リベラは真剣に考える。

 「……私だったら、多分、コバルトゥスさんは怒らなかったと……」

コバルトゥスは彼女には妙に優しい。
自分がコバルトゥスを慰めて、怒りを買う所が、リベラには想像出来なかった。
ビシャラバンガは更に問う。

 「では、お前の父、ワーロックの場合だったら?」

 「多分、怒らなかったと思います……」

コバルトゥスはワーロックを尊敬していると語った。
それが嘘でない事は、接し方を見ていれば分かる。

 「では、何故己には怒りの感情を露にしたのか」

 「ムム、それは……。
  遠慮しなくて良いから?
  コバルトゥスさんは、お養父さんや私には、気を遣ってくれていると言うか、そんな所があるので」

ビシャラバンガは予想外の答に、小さく笑う。

 「『遠慮が要らない』か……。
  成る程、それは良い表現だ。
  確かに、そうかも知れん。
  気が置けない関係になった積もりは無いが、『だからこそ』と言うのはあるだろうな」

コバルトゥスが相手の「格」を気にすると考えたのは、そうした性質が彼自身にあるからに他ならない。
何でも自分に当て嵌めようとするのは良くないと、ビシャラバンガは内心で少し自省しながらも、
やはりコバルトゥスの態度の根底には、格の上下を意識する心があるに違い無いと確信していた。

444 :創る名無しに見る名無し:2017/09/10(日) 20:21:48.45 ID:bu9XZcKq.net
親しき仲にも礼儀ありと言うが、コバルトゥスの場合は「親しくしたい」人間に、配慮する傾向がある。
逆に、どうでも良い相手に対しては、冷淡で粗雑な扱いをする。
本音が出易いのは後者だが、それは気を許しているのではない。
リベラがコバルトゥスに対して不満に思うのは、彼の振る舞いの端々に「配慮」が見られる所。
コバルトゥスにとってリベラは庇護の対象であり、対等に本音を言い合える存在ではないのだ。

 「コバルトゥスさんは『自分だけの秘密』を持っていて、完全には心を開いてくれないんです。
  口では親しくなりたいと言いながら、肝心な所で気を置かれるのは好い気分じゃないですよ」

彼への小さな不満を漏らすリベラに対し、ビシャラバンガは自分の見解を述べる。

 「それは……長らく精神が孤独だった所為だろう。
  裸の付き合いに慣れていないのだ。
  仕方が無いのかも知れん。
  奴は共通魔法社会では、精霊魔法使いである事を隠して生きねばならなかったのだからな」

ビシャラバンガの含蓄のある言葉を受け、これは根が深い問題なのかと、リベラは感じた。

 「ビシャラバンガさんも、同じだったんですか?
  だから、コバルトゥスさんの気持ちが解ると……」

彼女の問い掛けに、ビシャラバンガは自嘲気味に笑う。

 「フッ、似た者同士だと感じる時はある。
  嘗ての己ならば、同じ態度を取ったかも知れん。
  いや、取っただろうな
  孤独な人間は弱味を見せたがらない。
  付け入られる隙になる。
  他人に『頼る』と言う事は、弱さの証明に他ならない。
  それに――」

 「それに?」

 「コバルトゥスは、お前の見ている所では、頼り甲斐のある人間を演じたがっている」

445 :創る名無しに見る名無し:2017/09/10(日) 20:53:47.44 ID:bu9XZcKq.net
ビシャラバンガの指摘に、リベラは両腕を組んで小さく唸った。

 「それは何と無く分かります……。
  でも、もっと、こう、お互いに支え合える関係にはなれないでしょうか?」

彼女は腕を解くと、両手の人差し指の先を合わせて、∧を作る。
それが理想だと示す様に。
コバルトゥスの「頼られる人間になりたい」と言う願望は、彼の男性的な庇護欲と自尊心に由来する。
「父親」の様に、「師」の様に、「先輩」の様に、愛する者に敬意を払われる側の人間になりたいと、
深層心理では願っている。
自分と近い『性質<キャラクター>』で、その立場を脅かすビシャラバンガは、潜在的な敵。
コバルトゥスはリベラの庇護者であり続ける為に、敵であれ味方であれ、それを脅かす存在を、
排除しようとする。
究極的には、彼はリベラと対等な関係になる事を望んでいないのだ。
そんな複雑な事情に薄々感付きつつあるリベラの若い問い掛けに、ビシャラバンガは苦笑した。

 「そうなるには、お前は未だ未だ頼り無い。
  身体能力、魔法資質、魔法の1つ1つを取っても、お前がコバルトゥスに勝る部分があるか?」

対等を目指すには実力不足だと、彼は遠慮無く言い切る。
そう言われては、リベラは沈黙するしか無い。

 「リベラよ、お前とコバルトゥスの関係を外と内、上と下で表せば、お前は内の下だ。
  奴にとっては『守るべき対象』。
  『近付きたい』と願うならば、頼られる位の実力が無ければならん」

 「頼られる……」

悩む彼女を見て、ビシャラバンガは小さく息を吐いた。

 「しかし、他人を完全に解ろうと言うのも、難しい話だ。
  どんなに親しくなろうとも、知られたくない部分はあろう」

 「それは、そうでしょうけど……」

 「人の事で悩むのも結構だが、そんな余裕があるのか?
  例えば、今回の魔剣の騒動。
  お前ならば、どう解決した?」

 「えっ……。
  私、魔剣は専門外なので……」

 「何も分からないから、何もしないと言うのか?
  それは賢明かも知れんがな。
  守られる立場に甘んじながら、対等になりたいと言うのは、虫の好い話だと思わんか?」

 「そっ、そんな事はっ……!」

ビシャラバンガの意地の悪い言い方に、そこまで自分に都合の好い事は求めていないと、
リベラは慌てて否定するも、彼の眼差しは真剣だ。

 「お前にも出来る事があった筈だ。
  お前の父ならば、こんな時に何をしたか、よく考えてみると良い」

ビシャラバンガの忠告は耳に痛いが、それだけ価値のある言葉だった。
リベラは反逆同盟との戦いに身を投じる中で、自分の役割に就いて思い悩む事になる。

446 :創る名無しに見る名無し:2017/09/11(月) 18:49:30.13 ID:EBC25fhE.net
――

447 :創る名無しに見る名無し:2017/09/11(月) 18:50:37.76 ID:EBC25fhE.net
時は遡り、ブリンガー市内で「呪いの魔剣」騒動が発生する直前。
ディスクリムはマトラに経過を報告する為、自身の体を構成する影の一部を、
魔剣グールムデヴィの影に取り付かせて、観察していた。
自分は一切手を出さず、グールムデヴィが何を起こすのか見届けるだけ。
退屈だとは思わない。
ディスクリムはマトラの下僕として生み出された存在。
その役割を果たせる事は喜び――否、より正確には「安堵」である。
魔導師会が動き出し、その後にグールムデヴィの核がコバルトゥスに破壊されると言う時でも、
指示通り観察に徹し続けた。

 (所詮こんな物か……。
  やはり無闇に暴れるだけの物には、限界があるな。
  幾度と無く試された事だと言うのに)

コバルトゥスが立ち去っても、未だディスクリムは観察を続ける。
どうなるかを見届ける為に。
救助や回収はしない。
そんな事は命じられていないから。
やがてグールムデヴィは溶けて、下水の流れに落ちる。

 (未だ生きているとは!
  最強の武器を自称するだけはあると言う事か?)

ディスクリムは驚きながらも、グールムデヴィを追う。
魔力の反応は幽かで、気を付けなければ見失ってしまう程だが、「影」であるディスクリムは、
その性質で容易に追跡が可能。
「影は本体から離れない」。
グールムデヴィは自らの意志で、「明るい方向」を目指していた。
下水道の汚水の中では、新たな獲物は得られない。
光を追って、グールムデヴィは海に出る。
溶けた剣身は流れの中で散り散りになり、柄だけが実体化する。
その柄も原形を留めていない。

448 :創る名無しに見る名無し:2017/09/11(月) 18:51:55.60 ID:EBC25fhE.net
――

449 :創る名無しに見る名無し:2017/09/11(月) 18:54:03.93 ID:EBC25fhE.net
これでは使い物にならないと、ディスクリムは見限ろうとしていた。
この魔剣も人間と同じく、肉、精、霊の3つで構成されているが、どれも大半を失って瀕死の状態だ。
特に、悪魔の魂を材料に造られた「核」を失った事が痛い。
膨大な魔力を蓄えるのは「核」の機能だ。
辛うじて霊の重要な部分を柄に残してはいる物の、魔力を蓄えられなくては、刃の形成も儘ならない。
別に拾って帰っても良いのだが、マトラに塵扱いされるのは目に見えている。

 (誰か、誰か……)

グールムデヴィは海底から必死に呼び掛けているが、もう人を取り込む事も出来ないのでは、
幸運にも人に拾われた所で、何も出来はしない。
魔導師会に届けられて、その後は完全に破壊されるだろう。
解析されて、主であるマトラの存在が明るみになるなら、この場で破壊した方が良いとも考える。
しかし、ディスクリムは命令に忠実な下僕。
独断で勝手には動けない。
分身を残して帰還し、主の判断を仰ごうとした所で、その主から命令が下る。

 (ディスクリム、それを回収しろ)

 (えっ、はい)

ディスクリムを生み出したマトラは、任意でディスクリムを通じて情報を得られる。
丁度、ディスクリムが影の分身を介して様々な物を見る事が出来る様に。
だが、主が見るも無残なグールムデヴィの、どこに価値を見出して回収を命じたのか、
ディスクリムには理解が及ばなかった。
それでも主命に逆らう事はしないのが、忠実な従僕。
命じられる儘に、柄の残骸を回収し、影を伝う空間移動で拠点に戻る。

450 :創る名無しに見る名無し:2017/09/11(月) 18:59:19.46 ID:EBC25fhE.net
ディスクリムはマトラの影から出現すると、グールムデヴィの残骸を献上する様に差し出した。

 「これに御座います」

マトラは呆れ顔で溜め息を吐く。

 「物の見事に、やられたなぁ……」

 「はい、奇妙な技を使う男が居まして。
  彼に核を砕かれ、この有様です」

 「奇妙な技とな?」

興味を持った風な主の反応を受けて、ディスクリムは少し得意になった。
主の役に立てると言う事実が嬉しいのだ。

 「確か、コバルトゥスと言う男です。
  トロウィヤウィッチの知り合いだったと記憶しています」

 「フム、コバルトゥスか……。
  聞いた事があるぞ、確か精霊魔法使いだったな。
  奴の精霊魔法には気を付けろ」

 「いえ、それが、魔剣を破壊したのは精霊魔法では無く……。
  魔力を纏わず、触れずに物を切る、奇妙な、真に奇妙な技なのです。
  原理が判らず、そうとしか表現の仕様がありません」

 「それは困ったなぁ……」

余り困っていなさそうに、マトラは零した。
既に彼女の関心はグールムデヴィに移っている。
丸でコバルトゥスを問題にしていない。
柄の残骸を手にして、マトラは大袈裟に嘆く。

 「しかし、何と言う為体(ていたらく)!
  これが最強の剣、最高の武器か!
  所詮は聖君に敗れる程度の物、口ばかり大きく中身が空とは、枯れ木の枝の様な奴よ」

451 :創る名無しに見る名無し:2017/09/12(火) 19:11:26.56 ID:WTAOxCUm.net
侮辱されてもグールムデヴィは沈黙した儘だ。
マトラは柄の内部に隠してある、第二の「核」に向けて呼び掛ける。

 「聞こえておろう、何とか言え」

嘲笑する彼女に、グールムデヴィは弱い声で応えた。

 「魄を封じた核を失い、我は最早、最強も最高も名乗る事が出来ぬ。
  ここに在る物は刃を失った握(にぎり)のみ。
  剣と名乗るも痴囂(おこがま)しい」

どうやら完全に自信を喪失している様子。
嘗て、聖君との戦いで刃を折られたが、核は何とか残ったので再起出来た。
それが粉々に砕かれてしまっては……。

 「斯(か)ァ、情け無い事を言う!
  そなたは執念までも刃と共に失ったのか?」

 (……では、刃を失った剣を何と呼ぶ?)

 「それでも未だ、そなたには魂が残っていよう。
  刃なら私が付けてやる」

マトラがグールムデヴィを掲げると、彼女の影から黒い塊が幾つも浮き上がる。
それはグールムデヴィの真っ赤な核があった場所に集まって、新たに黒い核を形成する。

 「これからはグールムデヴィではなく、ディオンブラと名乗るが良い」

影の剣ディオンブラ。
傍で見ていたディスクリムには分かった。
マトラが生み出した新しい核は、無数の悪魔の魂を詰め込んだ物。
悪魔公爵であるマトラだからこそ可能な業。

452 :創る名無しに見る名無し:2017/09/12(火) 19:13:55.93 ID:WTAOxCUm.net
刃を取り戻したグールムデヴィは喜ぶより困惑する。
製造者が違うので、新しい核に馴染めないのだ。

 (心遣いは有難いが……)

燃え滾る様な核の力に惹かれこそするが、それ以上に違和感と不安感が強い。
黒い核には強引に凝縮された生の魂が未だ残っており、怨嗟の声が聞こえる様。
この力を扱えるのか、逆に呑まれはしないか……。
躊躇う魔剣をマトラは挑発する。

 「そなたの存在意義は何だったのか、今一度思い出すが良い。
  用を為さぬ道具は塵同然。
  塵は塵らしく捨て置かれるか?」

そうまで言われては、グールムデヴィも黙っては居られない。

 (ぐっ……、では、我は『ディオンブラ』として甦ろう。
  再び最強の剣となる為に、名も姿も変えて存えよう)

柄から核に向かって数本、糸蚯蚓の様な赤く細い紐状の物が伸びる。
それが核に触れると、逆に核の方からも無数の黒い紐状の物が伸びる。
勢いは明らかに黒い方が勝っており、忽ち赤は黒に埋まって見えなくなった。
暫し後に、黒い核が脈動する様に、黒い輝きを放ち始め、漆黒の邪気を放つ刃を形成する。

 「気分は如何かな、『ディオンブラ』?」

マトラは尋ねたが、剣からの返事は無い。

453 :創る名無しに見る名無し:2017/09/12(火) 19:17:11.93 ID:WTAOxCUm.net
彼女は残念そうに溜め息を吐く。

 「呑まれてしまったか?
  最強の剣に相応しい『核』を用意してやったと言うに、それが仇となったか……。
  どこまでも情け無い。
  斯様に軟弱な魂では、最強の剣等、夢の又夢。
  道具は道具らしく、黙って使われておれば良いのかも知れんな」

そして、ディスクリムを一瞥して一言。

 「なぁ、ディスクリム。
  そうは思わぬか?」

 「えっ」

ディスクリムはマトラの従僕として生み出された存在。
彼女の道具に等しい。
マトラの問い掛けが、深い意味を持っているのではと勘繰り、ディスクリムは硬直して沈黙する。

 「ええ、それは……、お、仰る通り」

取り敢えず同意する事しか出来ない、哀れな下僕は眼中に無く、彼女は独り得意気な顔で言った。

 「ディスクリム、この剣を使う者が同盟の中に居ないか訪ねて回れ」

 「は、はい。
  しかし、剣の腕に覚えのある者が居たでしょうか?」

ディスクリムの問い掛けをマトラは下らない事だと切り捨てる。

 「これを扱うのに、剣の腕は然して関係あるまい。
  使い熟せる者が居なくても構わん。
  欲しい者に呉れてやれば良い」

手を掛けた割に、扱いは投げ遣りだ。
主の気紛れにもディスクリムは文句を言わない。
不満を抱く様には出来ていないのだ。
道具は道具らしく……。
強大な力を持つマトラに傅き、彼女を前にしては跪くのみ。

454 :創る名無しに見る名無し:2017/09/13(水) 19:17:31.60 ID:NeAie/mB.net
――

455 :創る名無しに見る名無し:2017/09/13(水) 19:29:01.00 ID:NeAie/mB.net
魔法法律学


魔法法律学とは、魔法に関する法律や都市法に関する諸法律を学ぶ学問である。
魔法学校上級課程で教わる事になる科目で、代論士や執行者、魔導師会裁判の判事、
都市法廷の裁判官や検事を志す者は、必修であると言って良い。
魔法学校の上級課程では基本的な事しか教えられないので、代論士や判事を目指す者は、
部活動で法学部を選択する。
それでも未だ不十分な場合は、魔法学校の更に上の教育機関である魔法法科大学院や、
民間の専門学校に行く。
魔導師会法務執行部の裁判部の各部署でも、法律に関する勉強会が開かれている。

456 :創る名無しに見る名無し:2017/09/13(水) 19:33:56.68 ID:NeAie/mB.net
魔法法科大学院


魔法法科大学院は大陸全土で10校しか存在しない、魔導師会裁判の判事を志す者の為にある、
魔法学校より上位の唯一の教育機関である。
6地方に1校ずつに加えて、更にグラマー地方に1校、ブリンガー地方に1校、ティナー地方に2校。
各校1学年40〜80人の定員で、全国で毎年500人弱の入学生が居る。
卒業率は5割弱。
余りに狭き門だが、志望者も然程多くは無い。
入試倍率は毎年3倍未満。
合格基準が厳しく、卒業試験は更に厳しく、魔法学校を卒業した上で、更に検事や判事になる為に、
勉強を続けようと言う者は少ない。
但し、ここを卒業した者はエリート中のエリート、真のエリートとして扱われる。
魔導師会裁判の判事は法に則り、法に反した有りと有らゆる者を裁く権限を持つ為だ。
魔導師も、執行者も、代議士も、中央運営委員も、法務執行部の司法長官も、八導師でさえも、
法を犯せば魔導師会裁判から逃れられない。
他に、法務執行部の各部には必ず、魔法法科大学院を卒業した、法律の専門家が居る。

457 :創る名無しに見る名無し:2017/09/13(水) 19:36:29.01 ID:NeAie/mB.net
授業の一例


魔法に関する法律の条文を読んでいると、幾つかの定型がある事に気付くでしょう。
先ず、「○○してはならない」と言う「禁止」の定型。
「○○を禁ず」、「○○は出来ない」と言う文も同様です。
これが一番多いでしょう。
次に、「○○しなければならない」と言う「義務」の定型。
「○○の義務を負う」、「○○する必要がある」と言う文も同様です。
これも高い頻度で見掛けます。
そして、「○○の権利を持つ」と言う「認定」の定型。
「○○と同様に扱う」、「○○と見做す」、「○○として扱う」と言う文も同様です。
場合によっては、「○○して良い」、「○○を許す」の様に「許可」を表す事もあります。
基本的には、この3つを記憶しておけば良いでしょう。
例外も幾つかありますが、これは又の機会に説明します。

458 :創る名無しに見る名無し:2017/09/13(水) 19:37:10.69 ID:NeAie/mB.net
大体の条文は素直に読めば良いのですが、読み方には注意が必要です。
条件を付けている場合があるからです。
例えば、「特別な事情がある場合を除き、魔法を使ってはならない」と言う条文があるとします。
これは逆に言えば、「特別な事情があれば、魔法を使っても良い」と言う事になります。
「以下の場合は、魔法を使ってはならない」とある時は、その後の文章で判断しなければなりません。
各条件は必ず指定されているので、よく条文を読み込まなくてはなりません。
しかし、別の項目で条件が指定されている事もあるので、注意しなければなりません。
何項にも跨って、条件が指定されている事もあります。
一字の見落としが、条文の解釈を大きく変えてしまうので、間違いの無い様にしなくてはなりません。

459 :創る名無しに見る名無し:2017/09/14(木) 18:52:56.73 ID:15zN8OQA.net
魔法に関する法律を読んで、最初に目にする事になるのは「義務」です。
魔法に関する法律の序文には、こうあります。

「共通魔法社会の平和と秩序を維持する為、共通魔法を用いる者、共通魔法社会で生きる者、
 その恩恵に与る者、それ等に関係する者は全て、魔法に関する法律を遵守する義務を負う」

単純に「全ての共通魔法使い」としていないのは、共通魔法使い以外の魔法使いの存在を、
考慮しての事です。
現在の法解釈では、共通魔法使いが支配的な地位にある事が重要とされています。
共通魔法社会の領域に踏み込む者は、誰でも必ず魔法に関する法律を守らなければなりません。
逆に言えば、共通魔法社会の領域外では、魔法に関する法律を守る必要は無いと言う事……には、
残念ながらなりません。
注意して見ましょう。
よく読んでみれば判りますが、序文には地理的な要因や時間的な要因は、何も書かれていません。
即ち、「何時」、「どこ」であろうとも、共通魔法や共通魔法社会に少しでも関わりがある者は、
魔法に関する法律を守れと書いてあるのです。

460 :創る名無しに見る名無し:2017/09/14(木) 18:54:19.86 ID:15zN8OQA.net
これは共通魔法使いにとっては、非常に重要な事です。
見知らぬ土地だからと言って、恐ろしい魔法を試したり、魔法を悪用したりする事を、
魔法に関する法律は許さないのです。
魔法に関する法律は、共通魔法使いの矜持その物だと言って良いでしょう。
極端な話になりますが、新大陸が発見されたとして、そこは当然共通魔法社会ではないでしょう。
共通魔法社会ではないから、魔法に関する法律の適用外で、魔法を自由に使える……等と考える、
悪人が居ないとは限りません。
魔法を知らない人にとって、共通魔法は恐ろしい物です。
武器を持たずとも容易に人を傷付けられ、人を操ったり従わせたりする事も出来ます。
こうした事が発覚した場合、仮令外地であろうと、魔導師会の法務執行部に逮捕されます。
現地で許されているからと言い訳しても通じません。
魔法に関する法律は、他の如何なる法律よりも優先されます。
丁度、魔法に関する法律に違反する都市法が無効となる様に。
この魔法に関する法律は、共通魔法を用いる者、共通魔法社会で生きる者、その恩恵に与る者、
それ等に関係する者の全てに適用されるからです。

461 :創る名無しに見る名無し:2017/09/14(木) 19:00:21.70 ID:15zN8OQA.net
魔法に関する法律は、三段構成になっています。
第一段は序文、「法律の趣旨」に関する記述です。
第二段は総則、法律を運用する上での「重要な規定」に関する記述です。
身体刑、自由刑、財産刑、名誉刑と言った各種刑罰の形態や、法律用語の定義、解説を含みます。
第三段は違反行為や罰則を記した、具体的な「違反条項」です。
これによって、どんな行為が罪に当たるのかを規定しています。
それぞれの段には別々に条項が振られています。
第一段を「魔法に関する法律の趣旨」、第二段を「魔法に関する法律の規定」、
第三段を「魔法に関する法律の違反条項」と言います。
通常、注目されるのは第三段の「違反条項」ですが、第一段や第二段の内容も重要です。

462 :創る名無しに見る名無し:2017/09/14(木) 19:04:37.45 ID:15zN8OQA.net
実際に、「魔法に関する法律の違反条項」第三条「危険行為」の条文を見て行きましょう。
見出しには、こうあります。

「魔法を使用した危険な行為は違法である事を、ここに記す」

この文言によって、法律の性格が決まります。
そして個々の項目で、具体的な違反行為を指定します。
危険行為には5つの項目があります。

・第一項 人の心身に危害を加える行為
・第二項 人の心身に危害を加え兼ねない行為
・第三項 器物破損
・第四項 迷惑行為
・第五項 例外規定

第一項は魔法による暴行罪、(心的外傷を含む)傷害罪、傷害致死罪、過失傷害罪、過失致死罪、
殺人罪に相当する罪を認定して、禁じています。
ここでは実際に相手に危害を加えた事が重視されます。
暴行罪と傷害罪の区別は、目立った外傷の有無で判断されます。
第二項は魔法による暴行未遂罪、傷害未遂罪、傷害予備罪、過失傷害未遂罪、殺人未遂罪、
殺人予備罪に相当する罪を認定して、禁じています。
魔法による判定で、暴行未遂や傷害予備が認められる等、相当厳しい物です。
悪意を持って魔法を使う事は許されないのです。
暴行未遂罪と傷害未遂罪の区別は、行使された場合に予想される被害の程度や、
悪質さで判断されます。
暴行予備は暴行未遂に含まれます。
現実に暴行未遂罪が適用される事は、滅多にありませんが……。
第三項は魔法による器物損壊罪、建造物等損壊罪、文書等毀棄罪、境界損壊罪、
野生動物傷害罪、占有動物傷害罪等に相当する罪を認定して、禁じています。
第四項は軽犯罪法に相当する罪を認定して、禁じています。
第五項は「特別に危険行為が許される例外」を規定しています。
正当防衛や緊急回避の類です。
こんな感じで、「魔法に関する法律法律の違反条項」には全部で十二の条目があります。

463 :創る名無しに見る名無し:2017/09/14(木) 19:09:10.84 ID:15zN8OQA.net
「……アドレージ先生」

「どうしました、デシジョール先生」

「私の授業の時間なのですが」

「えっ、そんな時間ですか? あぁ、これは行けない、休憩時間まで使ってしまったか」

「私は構わないのですが、学生が可哀想です」

「しかし、学生達が何も言わなかった物で」

「そう言う問題では無いでしょう……」

「今日の授業は、これまで! それでは失礼します、デシジョール先生」

「全く困った物です……。それでは授業を始める前に、2点だけ休憩時間を取ります。
 皆さんは、その間に準備を済ませて下さい。アドレージ先生は優秀な法律の専門家ですが、
 時間に好い加減な所は見習っては行けませんよ」

464 :創る名無しに見る名無し:2017/09/15(金) 18:34:48.38 ID:DCkJEdIK.net
――

465 :創る名無しに見る名無し:2017/09/15(金) 18:43:25.26 ID:DCkJEdIK.net
師の師


ブリンガー地方の小村サブレの外れにて


サブレ村の外れで密かに暮らしている緑の魔法使い、ルヴァート・ジューク・ハーフィードの元を、
1人の女が訪ねた。
ルヴァートは元共通魔法使いで、緑の魔法使いの師と出会って、彼に弟子入りした過去を持つ。
その師は老衰で倒れ、ルヴァートは彼の後継者として、共通魔法使いの弟子を育てながら、
静かに暮らしている。
しかし、その弟子達も成人して、それぞれの生活が忙しい。
メルベーは村から都会に出てしまい、ルーウィーは地元で庭師として活躍しているが、
中々ルヴァートに挨拶をする機会も無い。
年齢的に老境に入りつつあるルヴァートは、山中にある広大な植物園を独りで管理している。
世界中の珍しい植物を集めた、植物の楽園だ。
さて、話を女の客人に戻そう。
彼女は弟子のメルベーではない。
全くルヴァートの知らない人物だった。
晴天の下で切々(せっせ)と植物の世話をしているルヴァートに、彼女は声を掛ける。

 「これ、そこの、お前がヴェルド坊やの弟子とやらか?」

横柄な口の利き方に、ルヴァートは反感を覚えるよりも先に、危機感を抱いて身構えた。
女は長い金緑色の髪を腰まで垂らしており、その体形は全体的に細く、肌の色は白樺の様な、
少し燻んだ不自然な白色。
鍔広の藁編み帽子で顔を隠し、足元まで隠れるマントと、草を編んだ草履の様な履物を着用する等、
服装も奇抜。
何より、声を掛けられるまで人の気配がしなかった。
人外の者だとルヴァートは直感した。

466 :創る名無しに見る名無し:2017/09/15(金) 18:47:06.19 ID:DCkJEdIK.net
彼は女の様子を窺いながら、慎重に答える。

 「ヴェルドとは、ヴェルダール・ブロト・マイヨールの事ですか?」

「ヴェルダール・ブロト・マイヨール」とは師のフルネームだが、女は惚けた。

 「さて、そんな名前じゃったかのう?
  とにかく、ヴェルドはヴェルドじゃ。
  お前はヴェルドの弟子なんじゃろう?」

共通魔法社会の破壊を目論む「反逆同盟」が、今世間を騒がせていると、ルヴァートは聞いていた。
この女は反逆同盟の一員の可能性がある。
ルヴァートを「外道魔法使い」と知って、何を目的に訪れたのか……。

 「貴女は誰ですか?」

警戒する彼に、女は帽子の鍔を少し押し上げて、緑の瞳を見せた。

 「リーラ・ゼレーナ。
  ヴェルドの師じゃ」

ルヴァートは眉を顰め、リーラ・ゼレーナに告げる。

 「『ヴェルダールさん』は死にましたよ。
  もう何十年も前に」

 「知っておる」

 「今頃、何の用なんですか?」

彼は暗に薄情なリーラ・ゼレーナを責めていた。
存命で且つ壮健でありながら、何故師の死の瞬間に立ち会わなかったのか?
何等かの事情で、それが叶わなかったと言うなら、遅くとも数年の内に来るべきでは無いのか!
ルヴァートは師からリーラ・ゼレーナの話を聞いた事が無かった。
当然、彼は師に「師の師」、所謂「大師匠」に就いて、尋ねた事がある。
だが、師は深くは語りたがらず、その存在を認めるのみだった。

467 :創る名無しに見る名無し:2017/09/15(金) 18:51:37.28 ID:DCkJEdIK.net
睨み付けて来るルヴァートに、リーラ・ゼレーナは参ったなと言う顔をする。

 「儂にとって、お前は孫弟子。
  お前にとって、儂は大師匠じゃ。
  それなりの敬意を払って貰いたいんじゃがのう……」

 「私は貴女を知りません。
  師匠から話を伺ってもいません。
  貴女は師匠の師匠だったかも知れませんが、私にとっては知らない人です。
  何の用なんですか?」

改めて問い掛ける彼に、リーラ・ゼレーナは不機嫌な顔をした。

 「色気の無い奴よのう。
  真(まこと)、詰まらん人間じゃ。
  どうして人間とは、こうなのか」

 「持て成して欲しければ、相応の態度があるでしょう」

 「全く、口の減らぬ……」

 「それで、何の用なんですか?」

再三のルヴァートの問い掛けに、リーラ・ゼレーナは漸く答える。

 「孫弟子の様子が気になってな」

 「何故、今?」

師を弔いに来た訳では無い事に、ルヴァートは落胆した。
少なくともルヴァートが知っている限り、彼の師とリーラ・ゼレーナは会っていない。
長い間顔も合わせず、弟子の死後になって孫弟子の様子を見に来ると言う事は……、
余程酷い仲違いでもしたのだろうか?
ルヴァートの知る師は、性格的に問題のある人物では無かった。
穏和で優しい人柄の上に、争い事を厭う性質で、後ろ暗い過去を持っていたと言う事も無い。
そうなれば、非があるのはリーラ・ゼレーナの方と、自然に導かれる。

468 :創る名無しに見る名無し:2017/09/16(土) 19:21:32.96 ID:kqEXZExu.net
リーラ・ゼレーナは徐に帽子を取ると、鋭い眼差しを向けて意外な答を返した。

 「お前、共通魔法社会を憎んどったじゃろう?」

 「……誰から、そんな話を?」

ルヴァートは元共通魔法使いである。
それも落ち零れて腐っていた所を、師に拾われた。
故に、師に対する感謝と尊敬の念は強い。
その師が外道魔法使いと呼ばれ迫害されて来た事を知った彼は、共通魔法社会への復讐を企てた。
しかし、それは何十年も昔の話。
若かりし日の過ちだ。
執行者に逮捕され、師に諭されて以降、ルヴァートは静かに暮らしている。
その事をどうやってリーラ・ゼレーナが知ったのか……。

 「風の噂でな。
  木々や草花の語りを聞いたんじゃよ」

彼女は飄々と答えつつ、髪を掻き上げて耳に掛けた。
旧い魔法使いは動物や植物の話を聞けると言う事を、ルヴァートは知っていたので驚かない。
未だ、その仕組みや感覚を理解する事は出来ないが、そうした技術があると言う事実は認めている。
それよりも、彼はリーラ・ゼレーナの仕草に動揺した。
その耳には耳朶が無く、先端が尖った木の葉の形をしており、人の物ではないと一目で判る。
耳は再び長い髪で隠れるが、態と見せ付けたのかと疑いたくなる。

 「……昔の話です」

彼は今の自分とは関係の無い事だと切り捨てた。
反逆同盟に活動に対して、思う所が無い訳ではない。
共通魔法社会に恨みを抱く心は十分に理解出来る。
だが、加担する積もりは無い。
リーラ・ゼレーナは神妙な眼差しでルヴァートを見詰め、彼の内心を見透かそうとしているかの様に、
暫し無言の儘で居た。

469 :創る名無しに見る名無し:2017/09/16(土) 19:24:21.55 ID:kqEXZExu.net
やがて、彼女は帽子を被り直して、小さな溜め息を漏らす。

 「『昔の話』か……。
  そう割り切っとるなら良えんじゃが」

ここで初めてルヴァートは、リーラ・ゼレーナが「勧誘」に来たのではないかも知れないと思った。

 「私が奴等と手を組むのではないかと、心配して来たのですか?」

 「……そんな所じゃな」

明言すれば良い物を、リーラ・ゼレーナは逸らかす。
それが師との因縁の為なのか、或いは、同盟の一員である事を覚られまいとしての事なのか、
ルヴァートには判別が付かない。
そこで彼は決意して質問する。

 「貴女は奴等の仲間ではない?」

リーラ・ゼレーナは目を見開き、唖然とした表情を見せた後、声を抑えて笑い出した。

 「……フッ、ククク……、そうじゃったか、そう言う事か!
  嫌に警戒されとると思ったら!」

 「違うんですね?」

念を押すルヴァートに対して、彼女は正直に答える。

 「少なくとも、今の所は。
  人間は好かぬ……が、連中と手を組もうとも思わぬ。
  儂は独り静かに暮らす方が、性に合っておる」

安堵の息を吐くルヴァートに、リーラ・ゼレーナは意地悪く言った。

 「奴等が頭を下げて頼み込んで来るのであれば、分からぬがのう……」

470 :創る名無しに見る名無し:2017/09/16(土) 19:26:19.95 ID:kqEXZExu.net
これが揶揄(からか)いであり、本心からの言葉では無いと見切ったルヴァートは、
反応せずに話題を変える。

 「……過去に師匠と何があったんですか?
  今の今まで会わなかったと言う事は、相応の事があったからなのでは?」

リーラ・ゼレーナは遠い目をして答えた。

 「『昔の話』じゃよ。
  それに大樹は自ら動かぬ物、並び立たぬ物。
  ヴェルドも儂もな」

余り気軽に他人に話せる内容ではないのだろうとルヴァートは察して、深くは追究しなかった。
その代わりに、それと無く言う。

 「師の追悼に植樹した『楡<ウルム>』の木があります。
  御覧になって行って下さい」

リーラ・ゼレーナは静かに頷き、ルヴァートの案内を受ける。
花畑から少し離れた所にある、周辺の木々より一際高く真っ直ぐ伸びた楡の根元に、2人は立った。
2巨はあろうかと言う大木に育った楡の幹に、リーラ・ゼレーナは優しく手を添えて両目を閉じる。

 「見事な物じゃな」

 「はい。
  どの木よりも成長が早く、千年の大樹にも劣らない位、立派に育ちました。
  在りし日の師の姿を見る様です」

幹は堂々と直立し、枝葉の広がりは傘の如く。
ルヴァートは先の見えない楡の幹を仰ぎ見る。
リーラ・ゼレーナは逆に俯いて小さく笑う。

 「世話が良いんじゃろう」

 「いえ、そんな……。
  私は殆ど手を掛けていません」

この楡には師の魂が宿っていると、ルヴァートは勝手に信じていた。
リーラ・ゼレーナも「特別な物」を感じているが、それを口にはしない。

471 :創る名無しに見る名無し:2017/09/17(日) 18:42:57.07 ID:RtZq08eO.net
――

472 :創る名無しに見る名無し:2017/09/17(日) 18:43:12.08 ID:RtZq08eO.net
彼女は楡の木から静かに手を離し、小声で呟く。

 「結局、魔法使いには成り切れんかったか……」

完全な魔法使いになれば、不老不死になれるのだが、ヴェルダールは死んだ。
旧暦から生きて来たと言うのに、魔法暦になって斃れたのは何故なのか?
恐らくは、人間性を捨て切れなかったのだろうと、リーラ・ゼレーナは思う。
ヴェルダールは元人間で、リーラ・ゼレーナに弟子入りし、緑の魔法使いとなった。
……魔法使いになったは良いが、心が揺れ動いてしまったのだ。
元人間の魔法使いには、よくある事。
よくある事……と、聞いている。
仲違いの原因は何だったのか、彼女は回想した。
森林の開拓に来た人間を皆殺しにした事だったか、盗伐の戒めに子供を殺した事だったか、
それとも寂れた村を侵略した事だったか……。
2人の対立には何時も、人間と植物の対立があった。
『蒲桃<ミルタレス>』の化身であるリーラ・ゼレーナは、人間よりも植物を大事にした。
森を拓く人間を退治し、無闇に草木を傷付ける人間を戒め、時には人里を植物で埋め尽くした。
人間の都合を考える事は無く、植物が大地を覆う事を良しとした。
人間以外の動物、鳥や虫が植物を食べても、余程の事でない限りは、それを問題にはしなかった。
人間に対する敵愾心の根源は、大規模な開墾にある。
社会の発展と林野の開墾は切っても切り離せない。
人を街に住まわせるには、住宅地が必要である。
大量の人口を養うには、大規模な農地が必要である。
流通を速やかにするには、道路が必要である。
住宅地も農地も道路も、開墾せずには造れない。
草原や森林を拓いて、人間社会は発展して来たのだ。
それに伴い、人の手が及ばない所は無くなって行く。
リーラ・ゼレーナの行動は、人間の侵略に対する抵抗だった。
一方、ヴェルダールは人間の側に立った。

 (『昔の話』か……)

千年近く昔の事で、一体どちらから袂を別ったのか、今となっては思い出せない。
人間に味方するヴェルダールに、リーラ・ゼレーナが愛想を尽かしたのか、それとも逆に、
躊躇無く人間を殺すリーラ・ゼレーナに、ヴェルダールが付き合い切れなくなったのか……。

473 :創る名無しに見る名無し:2017/09/17(日) 18:45:45.27 ID:RtZq08eO.net
リーラ・ゼレーナも開花期の一頃には、他の外道魔法使い達と同じく、共通魔法使いと敵対した。
結局、彼女は敗れて人の手の届かない秘境に隠れ棲む事になった。
風の噂では、ヴェルダールも似た様な物だったと聞く。
それでも2人は協力する所か、顔を合わせる事もしなかったが……。
リーラ・ゼレーナは今になって虚しさを覚え、これまで気にしない様にしていた「己の最期」に就いても、
考え始めた。
彼女は独り言の様に零す。

 「ヴェルドは幸せじゃのう。
  弟子に看取られ、死後も想われる。
  しかし、儂より先に逝くとは、不孝者め」

魔法使いは不老不死である。
それが死す時は、魔法を失う時、後継を得た時、生に飽きた時とされる。
だが、魔法使いの死には、もう1つ大きな理由がある事を、リーラ・ゼレーナは知っている。
「人間に憧れた時」だ。
ヴェルダールは生まれ故に、人間を捨て切れなかった。
では、リーラ・ゼレーナが死す時とは……?
彼女が人間の弟子を取った理由を考えれば、それは自明だろう。
堂々たる楡の木は、この場所を守っている様に見える。
リーラ・ゼレーナはルヴァートに問うた。

 「お前、儂の弟子にならぬか?」

突然の事に、ルヴァートは当惑する。
「大師匠」が孫弟子を直弟子に迎える訳を、彼は訝って警戒した。
それを見た彼女は、小さく笑って誤魔化す。

 「フッ、冗談じゃよ。
  人間の弟子は懲り懲りじゃ」

先の発言には冗談には聞こえない真剣さがあったのだが、ルヴァートは深く追及しなかった。
彼の師はヴェルダール唯一人。
不老不死ではないので、「魔法使い」としては半端者だが、特に不足は感じていない。
魔法を継いでくれる弟子も居るので、人と同じく老いて死ぬ事に抵抗は無い。

474 :創る名無しに見る名無し:2017/09/17(日) 18:47:15.49 ID:RtZq08eO.net
リーラ・ゼレーナは去り際に、植物園に咲く花々を眺めて溜め息を吐いた。
物を語らず、動けもしない植物は、孤独に強そうに見えて、その実は寂しがりである。
必死に種を撒き、同じ種で群れ、一帯を占めようとする。
驚く程に排他的で利己的で侵略的だ。
それは植物の化身であるリーラ・ゼレーナも同じ……。
遠からず、自分は再び人間の弟子を取るだろうと、彼女は予感していた。
何時か自分が死ぬ時は、ヴェルダールの様に弟子に慕われ、安らかに眠りたい。
そう思う様になっていた。

 (今日は孫弟子の様子を窺いに来ただけの積もりじゃったが……。
  余計な事を考えさせられてしまったのう)

再び大きな溜め息を吐いたリーラ・ゼレーナは、次回ここに来る為の口実を考え始める。

 (手土産でも持参してやるかの。
  物を貰えば、無下には扱えまい)

世間の騒動を余所に、彼女の心は浮かれていた。

475 :創る名無しに見る名無し:2017/09/18(月) 20:08:31.37 ID:7wKep91I.net
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476 :創る名無しに見る名無し:2017/09/18(月) 20:14:36.71 ID:7wKep91I.net
沈み行く世界


異空デーモテール 名も無き放棄された地にて


小世界エティーの管理主であるサティと、悪魔大伯爵バニェスは、混沌の海を旅している。
終末の時に備え、異空にてエティーと似た世界を探しているのだ。
他世界と協力して、週末の時を乗り越える、遠大な計画の為に。
サティはエティーを代表する使者であり、バニェスは旅の友。
エティーを管理する「管理主」としての仕事は、マティアバハラズールに任せている。
今回サティとバニェスが発見した世界は、既に管理主が居なくなった、無主の地だった。
この世界には海と陸がある物の、陸地は面積数区平方程度の小島が点在するのみで、
海は混沌に呑まれつつある。
しかし、未だ住民は残っていた。
住民は高脚蟹の様な姿をしており、体高は6〜7分身程。
呆っと海を眺めている物もあれば、貝や海胆の様な物を突いて食事をしている物もある。
話が通じるかは判らないが、取り敢えずサティは手近な所に居る蟹に話し掛けてみた。

 「今日は」

異空では世界が違っても、意思の疎通で擬似会話が出来る。
言語の違いは問題にならず、挨拶と言う習慣を持っていれば、挨拶が通じるのだ。
サティの呼び掛けに、蟹は距離を取ってから振り向く。

 「な、何だ、あんたは?」

容姿の異なる相手に、蟹は動揺している。
長い髭の忙しない動きに、それが表れている。

 「私はエティーと言う世界から、混沌の海を渡って来ました」

 「あぁ、別世界の人か……。
  こんな終わり掛けの世界に何の用だい?
  出来れば静かに放って置いて欲しいんだが……」

477 :創る名無しに見る名無し:2017/09/18(月) 20:19:47.52 ID:7wKep91I.net
蟹には人間並みの知能がある様で、自分達が住んでいる世界の他にも「別の」世界がある事を、
理解しており、外界人との接触も初めてでは無さそうな風。
この世界が滅亡の危機に瀕している事も既に理解していた。
それにしては無気力で、どうにかしようと言う考えも無い様だが……。

 「『終わり掛け』とは?」

 「見ての通りだよ。
  そう遠くない内に、この世界は混沌に沈む。
  俺達も皆、消えちまう運命なのさ」

 「何とかしようとは思わないんですか?」

 「どうしろっての?
  大した力も無い俺達には、現実を受け容れる以外の選択は無いってのに」

この蟹は全てを諦めて投げ遣りになっている。
他の蟹も同じ様で、現状を何とかしようとしている物は1体も居ない。
足掻き疲れてしまったのだろうか……。
サティは肝心な質問をした。

 「この世界の管理主は?」

 「王様なら居ないよ、もう大分昔から。
  俺は会った事も無いけどね。
  爺婆(じじばば)の話だと、飽きて出て行ったとか何とか……。
  勝手だよなぁ。
  王様の気紛れで、俺達は絶滅するしか無いんだ」

この世界では管理主を「王」と言うらしい。
蟹に同情するサティに、バニェスは囁き掛ける。

 「これが力無き物の宿命だ。
  こんな世界では、強者が絶対と言うのも解ろう」

サティは眉を顰めたが、事実は事実。
支える存在があってこその「世界」なのだ。

478 :創る名無しに見る名無し:2017/09/18(月) 20:21:43.74 ID:7wKep91I.net
この世界の事を詳しく知りたいと思ったサティは、蟹に尋ねた。

 「長老……と言うか、年長の方と、お話をしたいのですが……」

蟹は一回り大きい別の蟹を、鋏の手で指して言う。

 「あれが一番長生きしてる爺ちゃんだよ」

 「有り難う御座います」

サティは蟹に礼を言って、バニェスと共に長老の元へ向かった。
長老は体高1身程で、背には苔の様な、藻の様な物を生やしている。
魔力は然程感じられないが、中々の風格だ。

 「済みません、少々お話を伺っても宜しいでしょうか?」

サティが声を掛けると、長老蟹は緩慢な動作で振り向いた。

 「何かな?」

非常に緩やかな返答。
真面に話が出来るのかと、サティは少し不安になるも、取り敢えず聞きたい事を聞く。

 「この世界の名前は、何と言うのでしょうか?」

 「さあ、分からんね……」

 「この世界の王は、どんな方でしたか?」

 「さあ、分からんね……」

長老でも分からないのかと、サティは落胆した。

479 :創る名無しに見る名無し:2017/09/19(火) 18:58:02.83 ID:Eh+D20ta.net
それと同時に失礼ながらも、この長老が惚けているのではないかと疑う。
……2つの意味で。
彼女は長老に改めて質問した。

 「『貴方の』、お名前を教えて頂けませんか?」

長老は相変わらずの暢(のん)びりした調子で答える。

 「そんな物は無いよ。
  王は私達に名前を下さらなかった。
  私は王に対し、自ら『王の僕<リテイナー>』を名乗った。
  王は何も仰らず、何の感情も表されなかった。
  しかし、拒みもされなかったので、私は自らを王の僕とした。
  ……王無き今、私は王の僕でも無い」

高齢ながら思考は確りしている様なので、サティは安堵して、続けて問うた。

 「王とは御面識が?」

 「面識と言って良いかは分からぬ。
  王は私を認識してすらいなかったのかも知れぬ……。
  私は天から降りるとも、地から湧き上がるとも知れぬ、御託宣を受けるのみだった」

長老蟹の言葉には、悲哀が篭もっていた。

 「御託宣とは、どの様な物ですか?」

 「……王の言葉だが、私に語り掛けた物ではない。
  自然に聞こえる独り言の様な物。
  思念が通じるとでも言うべきか」

 「それが、ある時に『飽きた』と?」

サティの無遠慮な言葉に、長老蟹は長い脚を畳んで跪く。

 「最初は意味が解らなかった。
  以後は御託宣を聞けなくなり、世界が少しずつ狭まって行った。
  そして理解した。
  王は、『この世界に』飽きてしまったのだと」

480 :創る名無しに見る名無し:2017/09/19(火) 19:03:14.73 ID:Eh+D20ta.net
この世界の主だった人物の無責任さに、サティは義憤を抱いたが、ここに居ない人物に怒っても、
無意味な事。
それより彼女は救済案を申し出た。

 「私達の世界に来ませんか?
  土地には余裕があります。
  多少空気は合わないかも知れませんが、その内に慣れるでしょう。
  ここに留まって滅亡を待つよりは、希望がある筈です」

所が、長老蟹は乗り気でない。

 「提案は有り難いが、この世界に生まれた私は、この世界と運命を共にする積もりだ。
  若い者達の中には、移住を検討する物も居るかも知れぬ。
  行きたいと言う物まで止めはせぬよ」

長老が音頭を取れば、多くの物が移住を始めるだろうにと、サティは歯痒く思った。
しかし、当人に気が無いのでは、どうにも出来ない。
「長老」が住民の尊敬を集める様な存在かも分からないのだ。
もしかしたら、長生きをしていると言うだけで、住民を動かす力は無いのかも知れない。
彼女は一体一体に声を掛けて、移住の意志を確かめて行った。
結局、応じたのは100体余りの内、10体のみだった。
移住しない理由は「サティを信用出来ない」、「新しい世界に不安がある」、「どうでも良い」等、様々。
サティとバニェスは色合いも大きさも区々の10体の蟹を箱舟に乗せて、エティーへと帰還する。

 「どうした、サティ?
  気分が沈んでいる様だが」

混沌の海を渡っている道中、バニェスはサティを気遣って尋ねた。

 「分かるの?」

 「私もエティーに滞在して、それなりに長い。
  エティーの物に特有の、感情の変化に伴う魔力の変化は学習済みだ」

嘗ての他者を慮る事をしない、尊大だったバニェスからは想像も出来なかった台詞。
サティは時の流れに想いを馳せ、それは遠からず失われるであろう、蟹達の故郷にも及んだ。

481 :創る名無しに見る名無し:2017/09/19(火) 19:32:29.91 ID:Eh+D20ta.net
バニェスはサティの内心を推量して言う。

 「全員助けたかったのか?」

 「メトルラみたいに管理主が居れば、それも出来たけど……」

無限に拡大して消滅する未来だったメトルラと言う中世界は、縮小してエティーの一部となりながらも、
存在し続けている。
蟹の世界も管理主が存在していれば、エティーの一部になれたかも知れない。
否、管理主が居れば、そもそもエティーの一部になる必要は無いのだから、これは無意味な想像だ。
その事実に気付いたサティは、大きな溜め息を漏らした。
間抜けな発言をバニェスに笑われる事を覚悟していた彼女だが、反応は以外な物だった。

 「それよりも、これ等がエティーで暮らして行けるのか心配した方が良いのではないか?
  折角連れて来たのに、倒れられては徒労だろう」

 「あぁ、それなら多分大丈夫。
  あっちの海は、エティーの海と似た様な感じだったし。
  空気もエティーと大差無かったよ」

 「物を『食らう』習慣がある様だが?」

 「……気を付けておく」

サティはバニェスの忠告を受けて、少々不安になって来た。
エティーの物は基本的に食事をせず、吸気と同時に直接魔力を吸収する機能がある為に、
食料の心配をしなくて良い。
外洋である混沌の海から魔力を抽出して、全体に満たす機能を持つエティーだから可能な事。
サティやバニェス程の実力者になると、単体で混沌から魔力を抽出して、外洋を渡る事も出来る。
故に、『食事』をする物への配慮が欠けていた。
蟹の世界では、貝や海胆の様な物があったが、どう言った仕組みで誕生しているか分からない。
ファイセアルスの様な微粒子や微生物まで含めた、完全な循環が出来上がっているのか、
それとも単に世界の維持に用いる魔力の余剰分を、弱小生物の生産に当てているのか……。

482 :創る名無しに見る名無し:2017/09/20(水) 19:04:09.15 ID:RxuePOP2.net
エティーにも知能が高くない、貝や魚に似た生物は居るが、それが蟹の様な外見の物達の、
口に合うかは判らない。
とにかく成り行きに任せて、サティとバニェスは蟹に似た物達をエティーに降ろした。
ロフの果てを守護するロフヴァルデが一団を迎える。

 「サティ様、バニェス様、お帰りなさいませ。
  この物達は一体?」

ロフヴァルデは蟹に似た物達を見て、サティに問う。

 「沈み行く世界の難民だ。
  エティーで受け容れたいと思う」

 「では、住民登録が必要です」

 「こちらで済ませておくから心配しないで」

 「了解しました」

外界からエティーに移住する物は珍しくない。
サティは慣れた遣り取りで、ロフヴァルデから一団の通行許可を得た。
いざエティーに入る前に、彼女は蟹に似た物達に言う。

 「私達の世界に入る前に、皆さん名前を決めて下さい」

蟹に似た物達は困惑した。
それまで名前が無くとも普通に過ごして来たのに、急に決めろと言われても……。
そんな感じで、仲間と顔を見合わせている。

 「取り敢えず、貴方々の一族を表す為に『グランキ』の姓を与えます。
  名前は自由に決めて下さい」

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