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【NGT48】 佐藤杏樹 応援スレ★1

1 :名無し48さん(仮名):2015/08/23(日) 15:50:12.00 ID:qiTAu0o80.net
佐藤 杏樹
SATO ANJU
ニックネーム
あんじゅ・シュガちゃん
生年月日
2001/11/5
出身地
新潟県
血液型
A型

NGT48 佐藤 杏樹 (ANJU SATO) プロフィール映像
https://www.youtube.com/watch?v=7e9xP3ayHUo

画像
http://imageshack.com/a/img537/6108/RLZ5pg.jpg

161 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 00:39:26.01 ID:bXaE0EU90.net
 我、奇襲ニ成功セリ。太平洋戦争緒戦・真珠湾攻撃の成功を報告する電文である。
報告を受け、極秘裏に作戦を進めていた(積もりだった)関係者は、大きな開放感を
感じたことだろう。しかし、後の経緯は御存知の通りだ。奇襲とは結局、弱者の戦法
だ。多くの弱者は、当たり前の話だが、負ける。それ故か、弱者の軍勢には、裏切り
者が出易い。寄らば大樹の蔭とか云うが、「大樹」とは征夷大将軍の異称でもある。
幕府に楯突こうとしたが、裏切り者の密告によって失敗した奇襲事件を、読者は知っ
ている。<大塩平八郎の乱>だ。

 八犬伝読みの先人たちは、<画虎事件>に<大塩平八郎の乱>をも重ねて見てきた。
私も、半分だけ賛成している。事件解決後、一休宗純が唐突に現れて、虎の戻った画
幅を燃やす。そのとき一休さんは、事件の意味する所を彼一流に解釈する。画虎の出
現は、義政の驕った悪政が原因としつつも、虎自体に就いては否定的見解を示す。点
晴により画虎が実体化した事件は、学問を得たために従来は見えていなかったモノが
見えだし以て社会に不満を抱いた者が暴動を起こすのだ、と説明した。確かに平八郎
は、当時の篤学であったし、暴動を自ら経営する私塾の門弟によって組織した。一休
さんは、学問が社会不満を惹起した一例として捉えているのだろう。無知無学ならば、
社会に不満すら抱かないとの論理だ。必ずしも賛同できないが、まぁ、それは措く。
 一休さんが政治腐敗を批判する箇所と、学問によって社会不満を抱いたハネっ返り
を批判する部分とは、甚だ接続が悪い。まるで<取って付けた>ような印象だ。また、
登場人物の発話に著者は責任を持たねばならないが、著者の真意であるとは限らない。

ところで、画虎実体化事件に対する馬琴の態度を示した言葉「苛政は虎より酷しと
ぞいふなる、古人の格言思べし」は、礼記・檀弓下第四にある有名な句「苛政者猛於
虎(苛政ハ虎ヨリモ猛キ)」を出典としている。「檀弓」である。まぁ、この字句自
体は人名で、別に重要な人物でも何でもないのだが、「礼記檀弓」は言葉として有名
だったりする。また、礼記は武道の中で弓術を勧める書でもある。唐突だけど、そう
なのだ。戦争は別だが弓道の試合は、相手が如何に動こうと関係ない。競技者は相手
ではなく、的に向かっているからだ。激しい闘志を秘めつつ、相手に順番を譲るとか
何とか、<礼>を尽くすことが出来る。しかも、勝とうが負けようが、痛くも痒くも
ない。当たれば的が破れるだけだ。試合を終えて、ノーサイド、腹蔵なく酒を酌み交
わすことが出来る。まぁ、個人競技は、だいたいそうなのだけれども。……しかるに
よって、弓術は<礼>を養うに絶好の武道なのである。弓道と礼記は、相性が良いの
だ。また、八犬伝中、京で五人の武芸者が登場する。その中には犬飼現八の兄弟弟子
もいるのだが、唯一性格が良いのは秋篠将曹だけだったりする。他の四人は悪役もし
くは小人として描かれている。後に二度、勅使に選ばれている。朝廷の信任も厚い宮
城護衛の士である。この秋篠将曹が得意とする武術が、弓なのだ。そして、礼記・檀
弓下に於いて、上記「苛政者猛於虎」のエピソードの暫く後に、同じく孔子の挿話が
載せられている。孔子の飼い犬が死んだとき、孔子は下男なんかではなく高弟の子貢
にワザワザ命じて、手厚く葬らせた。この挿話は、平八郎が『剳記』に於いて、孔子
の仁心の篤さを表現したモノだと解釈を下した部分でもあるが、まぁ、ソレは措く。
親兵衛は画虎事件を解決、目出度く安房への帰途に就く。仁は馬に乗って帰る。が、
程なく馬が急死する。仁は、馬を葬る。そのとき仁が披露する蘊蓄が、「我聞唐山古
昔の制度に、狗を埋るに蔽蓋を以てし、馬を埋るに蔽帷を以てすといへり。この事礼
記の檀弓に載てあり」(第百六十六回)。まさに、上に掲げた礼記檀弓下第四である。
画虎事件に関して、馬琴、何やら礼記檀弓に拘ったようだ。「礼」もしくは「弓」…
…。そういえば犬江親兵衛は、名馬の力を借り、弓を使って虎を退治した。馬は火気、
火気の徳は礼……。江戸初期、九州に領した加藤清正だって、弓みたいな飛び道具な
んか使わず、槍で虎を倒したことになっている。弓や鉄砲で虎を退治するより、素手
とか刀で倒した方が、親兵衛の化物じみた武勇の証明になろう。しかし、親兵衛は、
馬と弓を使った。……またしても脱線だ。話を戻そう。ー

162 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 00:44:38.48 ID:bXaE0EU90.net
 我、奇襲ニ成功セリ。太平洋戦争緒戦・真珠湾攻撃の成功を報告する電文である。
報告を受け、極秘裏に作戦を進めていた(積もりだった)関係者は、大きな開放感を
感じたことだろう。しかし、後の経緯は御存知の通りだ。奇襲とは結局、弱者の戦法
だ。多くの弱者は、当たり前の話だが、負ける。それ故か、弱者の軍勢には、裏切り
者が出易い。寄らば大樹の蔭とか云うが、「大樹」とは征夷大将軍の異称でもある。
幕府に楯突こうとしたが、裏切り者の密告によって失敗した奇襲事件を、読者は知っ
ている。<大塩平八郎の乱>だ。

 八犬伝読みの先人たちは、<画虎事件>に<大塩平八郎の乱>をも重ねて見てきた。
私も、半分だけ賛成している。事件解決後、一休宗純が唐突に現れて、虎の戻った画
幅を燃やす。そのとき一休さんは、事件の意味する所を彼一流に解釈する。画虎の出
現は、義政の驕った悪政が原因としつつも、虎自体に就いては否定的見解を示す。点
晴により画虎が実体化した事件は、学問を得たために従来は見えていなかったモノが
見えだし以て社会に不満を抱いた者が暴動を起こすのだ、と説明した。確かに平八郎
は、当時の篤学であったし、暴動を自ら経営する私塾の門弟によって組織した。一休
さんは、学問が社会不満を惹起した一例として捉えているのだろう。無知無学ならば、
社会に不満すら抱かないとの論理だ。必ずしも賛同できないが、まぁ、それは措く。
 一休さんが政治腐敗を批判する箇所と、学問によって社会不満を抱いたハネっ返り
を批判する部分とは、甚だ接続が悪い。まるで<取って付けた>ような印象だ。また、
登場人物の発話に著者は責任を持たねばならないが、著者の真意であるとは限らない。

ところで、画虎実体化事件に対する馬琴の態度を示した言葉「苛政は虎より酷しと
ぞいふなる、古人の格言思べし」は、礼記・檀弓下第四にある有名な句「苛政者猛於
虎(苛政ハ虎ヨリモ猛キ)」を出典としている。「檀弓」である。まぁ、この字句自
体は人名で、別に重要な人物でも何でもないのだが、「礼記檀弓」は言葉として有名
だったりする。また、礼記は武道の中で弓術を勧める書でもある。唐突だけど、そう
なのだ。戦争は別だが弓道の試合は、相手が如何に動こうと関係ない。競技者は相手
ではなく、的に向かっているからだ。激しい闘志を秘めつつ、相手に順番を譲るとか
何とか、<礼>を尽くすことが出来る。しかも、勝とうが負けようが、痛くも痒くも
ない。当たれば的が破れるだけだ。試合を終えて、ノーサイド、腹蔵なく酒を酌み交
わすことが出来る。まぁ、個人競技は、だいたいそうなのだけれども。……しかるに
よって、弓術は<礼>を養うに絶好の武道なのである。弓道と礼記は、相性が良いの
だ。また、八犬伝中、京で五人の武芸者が登場する。その中には犬飼現八の兄弟弟子
もいるのだが、唯一性格が良いのは秋篠将曹だけだったりする。他の四人は悪役もし
くは小人として描かれている。後に二度、勅使に選ばれている。朝廷の信任も厚い宮
城護衛の士である。この秋篠将曹が得意とする武術が、弓なのだ。そして、礼記・檀
弓下に於いて、上記「苛政者猛於虎」のエピソードの暫く後に、同じく孔子の挿話が
載せられている。孔子の飼い犬が死んだとき、孔子は下男なんかではなく高弟の子貢
にワザワザ命じて、手厚く葬らせた。この挿話は、平八郎が『剳記』に於いて、孔子
の仁心の篤さを表現したモノだと解釈を下した部分でもあるが、まぁ、ソレは措く。
親兵衛は画虎事件を解決、目出度く安房への帰途に就く。仁は馬に乗って帰る。が、
程なく馬が急死する。仁は、馬を葬る。そのとき仁が披露する蘊蓄が、「我聞唐山古
昔の制度に、狗を埋るに蔽蓋を以てし、馬を埋るに蔽帷を以てすといへり。この事礼
記の檀弓に載てあり」(第百六十六回)。まさに、上に掲げた礼記檀弓下第四である。
画虎事件に関して、馬琴、何やら礼記檀弓に拘ったようだ。「礼」もしくは「弓」…
…。そういえば犬江親兵衛は、名馬の力を借り、弓を使って虎を退治した。馬は火気、
火気の徳は礼……。江戸初期、九州に領した加藤清正だって、弓みたいな飛び道具な
んか使わず、槍で虎を倒したことになっている。弓や鉄砲で虎を退治するより、素手
とか刀で倒した方が、親兵衛の化物じみた武勇の証明になろう。しかし、親兵衛は、
馬と弓を使った。……またしても脱線だ。話を戻そう。

163 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 00:46:19.68 ID:bXaE0EU90.net
 我、奇襲ニ成功セリ。太平洋戦争緒戦・真珠湾攻撃の成功を報告する電文である。
報告を受け、極秘裏に作戦を進めていた(積もりだった)関係者は、大きな開放感を
感じたことだろう。しかし、後の経緯は御存知の通りだ。奇襲とは結局、弱者の戦法
だ。多くの弱者は、当たり前の話だが、負ける。それ故か、弱者の軍勢には、裏切り
者が出易い。寄らば大樹の蔭とか云うが、「大樹」とは征夷大将軍の異称でもある。
幕府に楯突こうとしたが、裏切り者の密告によって失敗した奇襲事件を、読者は知っ
ている。<大塩平八郎の乱>だ。

 八犬伝読みの先人たちは、<画虎事件>に<大塩平八郎の乱>をも重ねて見てきた。
私も、半分だけ賛成している。事件解決後、一休宗純が唐突に現れて、虎の戻った画
幅を燃やす。そのとき一休さんは、事件の意味する所を彼一流に解釈する。画虎の出
現は、義政の驕った悪政が原因としつつも、虎自体に就いては否定的見解を示す。点
晴により画虎が実体化した事件は、学問を得たために従来は見えていなかったモノが
見えだし以て社会に不満を抱いた者が暴動を起こすのだ、と説明した。確かに平八郎
は、当時の篤学であったし、暴動を自ら経営する私塾の門弟によって組織した。一休
さんは、学問が社会不満を惹起した一例として捉えているのだろう。無知無学ならば、
社会に不満すら抱かないとの論理だ。必ずしも賛同できないが、まぁ、それは措く。
 一休さんが政治腐敗を批判する箇所と、学問によって社会不満を抱いたハネっ返り
を批判する部分とは、甚だ接続が悪い。まるで<取って付けた>ような印象だ。また、
登場人物の発話に著者は責任を持たねばならないが、著者の真意であるとは限らない。

ところで、画虎実体化事件に対する馬琴の態度を示した言葉「苛政は虎より酷しと
ぞいふなる、古人の格言思べし」は、礼記・檀弓下第四にある有名な句「苛政者猛於
虎(苛政ハ虎ヨリモ猛キ)」を出典としている。「檀弓」である。まぁ、この字句自
体は人名で、別に重要な人物でも何でもないのだが、「礼記檀弓」は言葉として有名
だったりする。また、礼記は武道の中で弓術を勧める書でもある。唐突だけど、そう
なのだ。戦争は別だが弓道の試合は、相手が如何に動こうと関係ない。競技者は相手
ではなく、的に向かっているからだ。激しい闘志を秘めつつ、相手に順番を譲るとか
何とか、<礼>を尽くすことが出来る。しかも、勝とうが負けようが、痛くも痒くも
ない。当たれば的が破れるだけだ。試合を終えて、ノーサイド、腹蔵なく酒を酌み交
わすことが出来る。まぁ、個人競技は、だいたいそうなのだけれども。……しかるに
よって、弓術は<礼>を養うに絶好の武道なのである。弓道と礼記は、相性が良いの
だ。また、八犬伝中、京で五人の武芸者が登場する。その中には犬飼現八の兄弟弟子
もいるのだが、唯一性格が良いのは秋篠将曹だけだったりする。他の四人は悪役もし
くは小人として描かれている。後に二度、勅使に選ばれている。朝廷の信任も厚い宮
城護衛の士である。この秋篠将曹が得意とする武術が、弓なのだ。そして、礼記・檀
弓下に於いて、上記「苛政者猛於虎」のエピソードの暫く後に、同じく孔子の挿話が
載せられている。孔子の飼い犬が死んだとき、孔子は下男なんかではなく高弟の子貢
にワザワザ命じて、手厚く葬らせた。この挿話は、平八郎が『剳記』に於いて、孔子
の仁心の篤さを表現したモノだと解釈を下した部分でもあるが、まぁ、ソレは措く。
親兵衛は画虎事件を解決、目出度く安房への帰途に就く。仁は馬に乗って帰る。が、
程なく馬が急死する。仁は、馬を葬る。そのとき仁が披露する蘊蓄が、「我聞唐山古
昔の制度に、狗を埋るに蔽蓋を以てし、馬を埋るに蔽帷を以てすといへり。この事礼
記の檀弓に載てあり」(第百六十六回)。まさに、上に掲げた礼記檀弓下第四である。
画虎事件に関して、馬琴、何やら礼記檀弓に拘ったようだ。「礼」もしくは「弓」…
…。そういえば犬江親兵衛は、名馬の力を借り、弓を使って虎を退治した。馬は火気、
火気の徳は礼……。江戸初期、九州に領した加藤清正だって、弓みたいな飛び道具な
んか使わず、槍で虎を倒したことになっている。弓や鉄砲で虎を退治するより、素手
とか刀で倒した方が、親兵衛の化物じみた武勇の証明になろう。しかし、親兵衛は、
馬と弓を使った。……またしても脱線だ。話を戻そう。h

164 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 03:23:59.99 ID:bCeTUQYS0.net
>>150
落ち着いてていいよね

165 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 05:30:26.74 ID:G/ypVhXf0.net
 我、奇襲ニ成功セリ。太平洋戦争緒戦・真珠湾攻撃の成功を報告する電文である。
報告を受け、極秘裏に作戦を進めていた(積もりだった)関係者は、大きな開放感を
感じたことだろう。しかし、後の経緯は御存知の通りだ。奇襲とは結局、弱者の戦法
だ。多くの弱者は、当たり前の話だが、負ける。それ故か、弱者の軍勢には、裏切り
者が出易い。寄らば大樹の蔭とか云うが、「大樹」とは征夷大将軍の異称でもある。
幕府に楯突こうとしたが、裏切り者の密告によって失敗した奇襲事件を、読者は知っ
ている。<大塩平八郎の乱>だ。

 八犬伝読みの先人たちは、<画虎事件>に<大塩平八郎の乱>をも重ねて見てきた。
私も、半分だけ賛成している。事件解決後、一休宗純が唐突に現れて、虎の戻った画
幅を燃やす。そのとき一休さんは、事件の意味する所を彼一流に解釈する。画虎の出
現は、義政の驕った悪政が原因としつつも、虎自体に就いては否定的見解を示す。点
晴により画虎が実体化した事件は、学問を得たために従来は見えていなかったモノが
見えだし以て社会に不満を抱いた者が暴動を起こすのだ、と説明した。確かに平八郎
は、当時の篤学であったし、暴動を自ら経営する私塾の門弟によって組織した。一休
さんは、学問が社会不満を惹起した一例として捉えているのだろう。無知無学ならば、
社会に不満すら抱かないとの論理だ。必ずしも賛同できないが、まぁ、それは措く。
 一休さんが政治腐敗を批判する箇所と、学問によって社会不満を抱いたハネっ返り
を批判する部分とは、甚だ接続が悪い。まるで<取って付けた>ような印象だ。また、
登場人物の発話に著者は責任を持たねばならないが、著者の真意であるとは限らない。

ところで、画虎実体化事件に対する馬琴の態度を示した言葉「苛政は虎より酷しと
ぞいふなる、古人の格言思べし」は、礼記・檀弓下第四にある有名な句「苛政者猛於
虎(苛政ハ虎ヨリモ猛キ)」を出典としている。「檀弓」である。まぁ、この字句自
体は人名で、別に重要な人物でも何でもないのだが、「礼記檀弓」は言葉として有名
だったりする。また、礼記は武道の中で弓術を勧める書でもある。唐突だけど、そう
なのだ。戦争は別だが弓道の試合は、相手が如何に動こうと関係ない。競技者は相手
ではなく、的に向かっているからだ。激しい闘志を秘めつつ、相手に順番を譲るとか
何とか、<礼>を尽くすことが出来る。しかも、勝とうが負けようが、痛くも痒くも
ない。当たれば的が破れるだけだ。試合を終えて、ノーサイド、腹蔵なく酒を酌み交
わすことが出来る。まぁ、個人競技は、だいたいそうなのだけれども。……しかるに
よって、弓術は<礼>を養うに絶好の武道なのである。弓道と礼記は、相性が良いの
だ。また、八犬伝中、京で五人の武芸者が登場する。その中には犬飼現八の兄弟弟子
もいるのだが、唯一性格が良いのは秋篠将曹だけだったりする。他の四人は悪役もし
くは小人として描かれている。後に二度、勅使に選ばれている。朝廷の信任も厚い宮
城護衛の士である。この秋篠将曹が得意とする武術が、弓なのだ。そして、礼記・檀
弓下に於いて、上記「苛政者猛於虎」のエピソードの暫く後に、同じく孔子の挿話が
載せられている。孔子の飼い犬が死んだとき、孔子は下男なんかではなく高弟の子貢
にワザワザ命じて、手厚く葬らせた。この挿話は、平八郎が『剳記』に於いて、孔子
の仁心の篤さを表現したモノだと解釈を下した部分でもあるが、まぁ、ソレは措く。
親兵衛は画虎事件を解決、目出度く安房への帰途に就く。仁は馬に乗って帰る。が、
程なく馬が急死する。仁は、馬を葬る。そのとき仁が披露する蘊蓄が、「我聞唐山古
昔の制度に、狗を埋るに蔽蓋を以てし、馬を埋るに蔽帷を以てすといへり。この事礼
記の檀弓に載てあり」(第百六十六回)。まさに、上に掲げた礼記檀弓下第四である。
画虎事件に関して、馬琴、何やら礼記檀弓に拘ったようだ。「礼」もしくは「弓」…
…。そういえば犬江親兵衛は、名馬の力を借り、弓を使って虎を退治した。馬は火気、
火気の徳は礼……。江戸初期、九州に領した加藤清正だって、弓みたいな飛び道具な
んか使わず、槍で虎を倒したことになっている。弓や鉄砲で虎を退治するより、素手
とか刀で倒した方が、親兵衛の化物じみた武勇の証明になろう。しかし、親兵衛は、
馬と弓を使った。……またしても脱線だ。話を戻そう。

166 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 05:51:47.91 ID:G/ypVhXf0.net
 我、奇襲ニ成功セリ。太平洋戦争緒戦・真珠湾攻撃の成功を報告する電文である。
報告を受け、極秘裏に作戦を進めていた(積もりだった)関係者は、大きな開放感を
感じたことだろう。しかし、後の経緯は御存知の通りだ。奇襲とは結局、弱者の戦法
だ。多くの弱者は、当たり前の話だが、負ける。それ故か、弱者の軍勢には、裏切り
者が出易い。寄らば大樹の蔭とか云うが、「大樹」とは征夷大将軍の異称でもある。
幕府に楯突こうとしたが、裏切り者の密告によって失敗した奇襲事件を、読者は知っ
ている。<大塩平八郎の乱>だ。

 八犬伝読みの先人たちは、<画虎事件>に<大塩平八郎の乱>をも重ねて見てきた。
私も、半分だけ賛成している。事件解決後、一休宗純が唐突に現れて、虎の戻った画
幅を燃やす。そのとき一休さんは、事件の意味する所を彼一流に解釈する。画虎の出
現は、義政の驕った悪政が原因としつつも、虎自体に就いては否定的見解を示す。点
晴により画虎が実体化した事件は、学問を得たために従来は見えていなかったモノが
見えだし以て社会に不満を抱いた者が暴動を起こすのだ、と説明した。確かに平八郎
は、当時の篤学であったし、暴動を自ら経営する私塾の門弟によって組織した。一休
さんは、学問が社会不満を惹起した一例として捉えているのだろう。無知無学ならば、
社会に不満すら抱かないとの論理だ。必ずしも賛同できないが、まぁ、それは措く。
 一休さんが政治腐敗を批判する箇所と、学問によって社会不満を抱いたハネっ返り
を批判する部分とは、甚だ接続が悪い。まるで<取って付けた>ような印象だ。また、
登場人物の発話に著者は責任を持たねばならないが、著者の真意であるとは限らない。

ところで、画虎実体化事件に対する馬琴の態度を示した言葉「苛政は虎より酷しと
ぞいふなる、古人の格言思べし」は、礼記・檀弓下第四にある有名な句「苛政者猛於
虎(苛政ハ虎ヨリモ猛キ)」を出典としている。「檀弓」である。まぁ、この字句自
体は人名で、別に重要な人物でも何でもないのだが、「礼記檀弓」は言葉として有名
だったりする。また、礼記は武道の中で弓術を勧める書でもある。唐突だけど、そう
なのだ。戦争は別だが弓道の試合は、相手が如何に動こうと関係ない。競技者は相手
ではなく、的に向かっているからだ。激しい闘志を秘めつつ、相手に順番を譲るとか
何とか、<礼>を尽くすことが出来る。しかも、勝とうが負けようが、痛くも痒くも
ない。当たれば的が破れるだけだ。試合を終えて、ノーサイド、腹蔵なく酒を酌み交
わすことが出来る。まぁ、個人競技は、だいたいそうなのだけれども。……しかるに
よって、弓術は<礼>を養うに絶好の武道なのである。弓道と礼記は、相性が良いの
だ。また、八犬伝中、京で五人の武芸者が登場する。その中には犬飼現八の兄弟弟子
もいるのだが、唯一性格が良いのは秋篠将曹だけだったりする。他の四人は悪役もし
くは小人として描かれている。後に二度、勅使に選ばれている。朝廷の信任も厚い宮
城護衛の士である。この秋篠将曹が得意とする武術が、弓なのだ。そして、礼記・檀
弓下に於いて、上記「苛政者猛於虎」のエピソードの暫く後に、同じく孔子の挿話が
載せられている。孔子の飼い犬が死んだとき、孔子は下男なんかではなく高弟の子貢
にワザワザ命じて、手厚く葬らせた。この挿話は、平八郎が『剳記』に於いて、孔子
の仁心の篤さを表現したモノだと解釈を下した部分でもあるが、まぁ、ソレは措く。
親兵衛は画虎事件を解決、目出度く安房への帰途に就く。仁は馬に乗って帰る。が、
程なく馬が急死する。仁は、馬を葬る。そのとき仁が披露する蘊蓄が、「我聞唐山古
昔の制度に、狗を埋るに蔽蓋を以てし、馬を埋るに蔽帷を以てすといへり。この事礼
記の檀弓に載てあり」(第百六十六回)。まさに、上に掲げた礼記檀弓下第四である。
画虎事件に関して、馬琴、何やら礼記檀弓に拘ったようだ。「礼」もしくは「弓」…
…。そういえば犬江親兵衛は、名馬の力を借り、弓を使って虎を退治した。馬は火気、
火気の徳は礼……。江戸初期、九州に領した加藤清正だって、弓みたいな飛び道具な
んか使わず、槍で虎を倒したことになっている。弓や鉄砲で虎を退治するより、素手
とか刀で倒した方が、親兵衛の化物じみた武勇の証明になろう。しかし、親兵衛は、
馬と弓を使った。……またしても脱線だ。話を戻そう。

167 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 05:52:24.77 ID:G/ypVhXf0.net
 我、奇襲ニ成功セリ。太平洋戦争緒戦・真珠湾攻撃の成功を報告する電文である。
報告を受け、極秘裏に作戦を進めていた(積もりだった)関係者は、大きな開放感を
感じたことだろう。しかし、後の経緯は御存知の通りだ。奇襲とは結局、弱者の戦法
だ。多くの弱者は、当たり前の話だが、負ける。それ故か、弱者の軍勢には、裏切り
者が出易い。寄らば大樹の蔭とか云うが、「大樹」とは征夷大将軍の異称でもある。
幕府に楯突こうとしたが、裏切り者の密告によって失敗した奇襲事件を、読者は知っ
ている。<大塩平八郎の乱>だ。

 八犬伝読みの先人たちは、<画虎事件>に<大塩平八郎の乱>をも重ねて見てきた。
私も、半分だけ賛成している。事件解決後、一休宗純が唐突に現れて、虎の戻った画
幅を燃やす。そのとき一休さんは、事件の意味する所を彼一流に解釈する。画虎の出
現は、義政の驕った悪政が原因としつつも、虎自体に就いては否定的見解を示す。点
晴により画虎が実体化した事件は、学問を得たために従来は見えていなかったモノが
見えだし以て社会に不満を抱いた者が暴動を起こすのだ、と説明した。確かに平八郎
は、当時の篤学であったし、暴動を自ら経営する私塾の門弟によって組織した。一休
さんは、学問が社会不満を惹起した一例として捉えているのだろう。無知無学ならば、
社会に不満すら抱かないとの論理だ。必ずしも賛同できないが、まぁ、それは措く。
 一休さんが政治腐敗を批判する箇所と、学問によって社会不満を抱いたハネっ返り
を批判する部分とは、甚だ接続が悪い。まるで<取って付けた>ような印象だ。また、
登場人物の発話に著者は責任を持たねばならないが、著者の真意であるとは限らない。

ところで、画虎実体化事件に対する馬琴の態度を示した言葉「苛政は虎より酷しと
ぞいふなる、古人の格言思べし」は、礼記・檀弓下第四にある有名な句「苛政者猛於
虎(苛政ハ虎ヨリモ猛キ)」を出典としている。「檀弓」である。まぁ、この字句自
体は人名で、別に重要な人物でも何でもないのだが、「礼記檀弓」は言葉として有名
だったりする。また、礼記は武道の中で弓術を勧める書でもある。唐突だけど、そう
なのだ。戦争は別だが弓道の試合は、相手が如何に動こうと関係ない。競技者は相手
ではなく、的に向かっているからだ。激しい闘志を秘めつつ、相手に順番を譲るとか
何とか、<礼>を尽くすことが出来る。しかも、勝とうが負けようが、痛くも痒くも
ない。当たれば的が破れるだけだ。試合を終えて、ノーサイド、腹蔵なく酒を酌み交
わすことが出来る。まぁ、個人競技は、だいたいそうなのだけれども。……しかるに
よって、弓術は<礼>を養うに絶好の武道なのである。弓道と礼記は、相性が良いの
だ。また、八犬伝中、京で五人の武芸者が登場する。その中には犬飼現八の兄弟弟子
もいるのだが、唯一性格が良いのは秋篠将曹だけだったりする。他の四人は悪役もし
くは小人として描かれている。後に二度、勅使に選ばれている。朝廷の信任も厚い宮
城護衛の士である。この秋篠将曹が得意とする武術が、弓なのだ。そして、礼記・檀
弓下に於いて、上記「苛政者猛於虎」のエピソードの暫く後に、同じく孔子の挿話が
載せられている。孔子の飼い犬が死んだとき、孔子は下男なんかではなく高弟の子貢
にワザワザ命じて、手厚く葬らせた。この挿話は、平八郎が『剳記』に於いて、孔子
の仁心の篤さを表現したモノだと解釈を下した部分でもあるが、まぁ、ソレは措く。
親兵衛は画虎事件を解決、目出度く安房への帰途に就く。仁は馬に乗って帰る。が、
程なく馬が急死する。仁は、馬を葬る。そのとき仁が披露する蘊蓄が、「我聞唐山古
昔の制度に、狗を埋るに蔽蓋を以てし、馬を埋るに蔽帷を以てすといへり。この事礼
記の檀弓に載てあり」(第百六十六回)。まさに、上に掲げた礼記檀弓下第四である。
画虎事件に関して、馬琴、何やら礼記檀弓に拘ったようだ。「礼」もしくは「弓」…
…。そういえば犬江親兵衛は、名馬の力を借り、弓を使って虎を退治した。馬は火気、
火気の徳は礼……。江戸初期、九州に領した加藤清正だって、弓みたいな飛び道具な
んか使わず、槍で虎を倒したことになっている。弓や鉄砲で虎を退治するより、素手
とか刀で倒した方が、親兵衛の化物じみた武勇の証明になろう。しかし、親兵衛は、お
馬と弓を使った。……またしても脱線だ。話を戻そう。

168 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 05:53:02.24 ID:G/ypVhXf0.net
 我、奇襲ニ成功セリ。太平洋戦争緒戦・真珠湾攻撃の成功を報告する電文である。
報告を受け、極秘裏に作戦を進めていた(積もりだった)関係者は、大きな開放感を
感じたことだろう。しかし、後の経緯は御存知の通りだ。奇襲とは結局、弱者の戦法
だ。多くの弱者は、当たり前の話だが、負ける。それ故か、弱者の軍勢には、裏切り
者が出易い。寄らば大樹の蔭とか云うが、「大樹」とは征夷大将軍の異称でもある。
幕府に楯突こうとしたが、裏切り者の密告によって失敗した奇襲事件を、読者は知っ
ている。<大塩平八郎の乱>だ。

 八犬伝読みの先人たちは、<画虎事件>に<大塩平八郎の乱>をも重ねて見てきた。
私も、半分だけ賛成している。事件解決後、一休宗純が唐突に現れて、虎の戻った画
幅を燃やす。そのとき一休さんは、事件の意味する所を彼一流に解釈する。画虎の出
現は、義政の驕った悪政が原因としつつも、虎自体に就いては否定的見解を示す。点
晴により画虎が実体化した事件は、学問を得たために従来は見えていなかったモノが
見えだし以て社会に不満を抱いた者が暴動を起こすのだ、と説明した。確かに平八郎
は、当時の篤学であったし、暴動を自ら経営する私塾の門弟によって組織した。一休
さんは、学問が社会不満を惹起した一例として捉えているのだろう。無知無学ならば、
社会に不満すら抱かないとの論理だ。必ずしも賛同できないが、まぁ、それは措く。
 一休さんが政治腐敗を批判する箇所と、学問によって社会不満を抱いたハネっ返り
を批判する部分とは、甚だ接続が悪い。まるで<取って付けた>ような印象だ。また、
登場人物の発話に著者は責任を持たねばならないが、著者の真意であるとは限らない。

ところで、画虎実体化事件に対する馬琴の態度を示した言葉「苛政は虎より酷しと
ぞいふなる、古人の格言思べし」は、礼記・檀弓下第四にある有名な句「苛政者猛於
虎(苛政ハ虎ヨリモ猛キ)」を出典としている。「檀弓」である。まぁ、この字句自
体は人名で、別に重要な人物でも何でもないのだが、「礼記檀弓」は言葉として有名
だったりする。また、礼記は武道の中で弓術を勧める書でもある。唐突だけど、そう
なのだ。戦争は別だが弓道の試合は、相手が如何に動こうと関係ない。競技者は相手
ではなく、的に向かっているからだ。激しい闘志を秘めつつ、相手に順番を譲るとか
何とか、<礼>を尽くすことが出来る。しかも、勝とうが負けようが、痛くも痒くも
ない。当たれば的が破れるだけだ。試合を終えて、ノーサイド、腹蔵なく酒を酌み交
わすことが出来る。まぁ、個人競技は、だいたいそうなのだけれども。……しかるに
よって、弓術は<礼>を養うに絶好の武道なのである。弓道と礼記は、相性が良いの
だ。また、八犬伝中、京で五人の武芸者が登場する。その中には犬飼現八の兄弟弟子
もいるのだが、唯一性格が良いのは秋篠将曹だけだったりする。他の四人は悪役もし
くは小人として描かれている。後に二度、勅使に選ばれている。朝廷の信任も厚い宮
城護衛の士である。この秋篠将曹が得意とする武術が、弓なのだ。そして、礼記・檀
弓下に於いて、上記「苛政者猛於虎」のエピソードの暫く後に、同じく孔子の挿話が
載せられている。孔子の飼い犬が死んだとき、孔子は下男なんかではなく高弟の子貢
にワザワザ命じて、手厚く葬らせた。この挿話は、平八郎が『剳記』に於いて、孔子
の仁心の篤さを表現したモノだと解釈を下した部分でもあるが、まぁ、ソレは措く。
親兵衛は画虎事件を解決、目出度く安房への帰途に就く。仁は馬に乗って帰る。が、
程なく馬が急死する。仁は、馬を葬る。そのとき仁が披露する蘊蓄が、「我聞唐山古
昔の制度に、狗を埋るに蔽蓋を以てし、馬を埋るに蔽帷を以てすといへり。この事礼
記の檀弓に載てあり」(第百六十六回)。まさに、上に掲げた礼記檀弓下第四である。
画虎事件に関して、馬琴、何やら礼記檀弓に拘ったようだ。「礼」もしくは「弓」…
…。そういえば犬江親兵衛は、名馬の力を借り、弓を使って虎を退治した。馬は火気、
火気の徳は礼……。江戸初期、九州に領した加藤清正だって、弓みたいな飛び道具な
んか使わず、槍で虎を倒したことになっている。弓や鉄砲で虎を退治するより、素手
とか刀で倒した方が、親兵衛の化物じみた武勇の証明になろう。しかし、親兵衛は、い
馬と弓を使った。……またしても脱線だ。話を戻そう。

169 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 06:02:29.81 ID:G/ypVhXf0.net
 我、奇襲ニ成功セリ。太平洋戦争緒戦・真珠湾攻撃の成功を報告する電文である。
報告を受け、極秘裏に作戦を進めていた(積もりだった)関係者は、大きな開放感を
感じたことだろう。しかし、後の経緯は御存知の通りだ。奇襲とは結局、弱者の戦法
だ。多くの弱者は、当たり前の話だが、負ける。それ故か、弱者の軍勢には、裏切り
者が出易い。寄らば大樹の蔭とか云うが、「大樹」とは征夷大将軍の異称でもある。
幕府に楯突こうとしたが、裏切り者の密告によって失敗した奇襲事件を、読者は知っ
ている。<大塩平八郎の乱>だ。

 八犬伝読みの先人たちは、<画虎事件>に<大塩平八郎の乱>をも重ねて見てきた。
私も、半分だけ賛成している。事件解決後、一休宗純が唐突に現れて、虎の戻った画
幅を燃やす。そのとき一休さんは、事件の意味する所を彼一流に解釈する。画虎の出
現は、義政の驕った悪政が原因としつつも、虎自体に就いては否定的見解を示す。点
晴により画虎が実体化した事件は、学問を得たために従来は見えていなかったモノが
見えだし以て社会に不満を抱いた者が暴動を起こすのだ、と説明した。確かに平八郎
は、当時の篤学であったし、暴動を自ら経営する私塾の門弟によって組織した。一休
さんは、学問が社会不満を惹起した一例として捉えているのだろう。無知無学ならば、
社会に不満すら抱かないとの論理だ。必ずしも賛同できないが、まぁ、それは措く。
 一休さんが政治腐敗を批判する箇所と、学問によって社会不満を抱いたハネっ返り
を批判する部分とは、甚だ接続が悪い。まるで<取って付けた>ような印象だ。また、
登場人物の発話に著者は責任を持たねばならないが、著者の真意であるとは限らない。

ところで、画虎実体化事件に対する馬琴の態度を示した言葉「苛政は虎より酷しと
ぞいふなる、古人の格言思べし」は、礼記・檀弓下第四にある有名な句「苛政者猛於
虎(苛政ハ虎ヨリモ猛キ)」を出典としている。「檀弓」である。まぁ、この字句自
体は人名で、別に重要な人物でも何でもないのだが、「礼記檀弓」は言葉として有名
だったりする。また、礼記は武道の中で弓術を勧める書でもある。唐突だけど、そう
なのだ。戦争は別だが弓道の試合は、相手が如何に動こうと関係ない。競技者は相手
ではなく、的に向かっているからだ。激しい闘志を秘めつつ、相手に順番を譲るとか
何とか、<礼>を尽くすことが出来る。しかも、勝とうが負けようが、痛くも痒くも
ない。当たれば的が破れるだけだ。試合を終えて、ノーサイド、腹蔵なく酒を酌み交
わすことが出来る。まぁ、個人競技は、だいたいそうなのだけれども。……しかるに
よって、弓術は<礼>を養うに絶好の武道なのである。弓道と礼記は、相性が良いの
だ。また、八犬伝中、京で五人の武芸者が登場する。その中には犬飼現八の兄弟弟子
もいるのだが、唯一性格が良いのは秋篠将曹だけだったりする。他の四人は悪役もし
くは小人として描かれている。後に二度、勅使に選ばれている。朝廷の信任も厚い宮
城護衛の士である。この秋篠将曹が得意とする武術が、弓なのだ。そして、礼記・檀
弓下に於いて、上記「苛政者猛於虎」のエピソードの暫く後に、同じく孔子の挿話が
載せられている。孔子の飼い犬が死んだとき、孔子は下男なんかではなく高弟の子貢
にワザワザ命じて、手厚く葬らせた。この挿話は、平八郎が『剳記』に於いて、孔子
の仁心の篤さを表現したモノだと解釈を下した部分でもあるが、まぁ、ソレは措く。
親兵衛は画虎事件を解決、目出度く安房への帰途に就く。仁は馬に乗って帰る。が、
程なく馬が急死する。仁は、馬を葬る。そのとき仁が披露する蘊蓄が、「我聞唐山古
昔の制度に、狗を埋るに蔽蓋を以てし、馬を埋るに蔽帷を以てすといへり。この事礼
記の檀弓に載てあり」(第百六十六回)。まさに、上に掲げた礼記檀弓下第四である。
画虎事件に関して、馬琴、何やら礼記檀弓に拘ったようだ。「礼」もしくは「弓」…
…。そういえば犬江親兵衛は、名馬の力を借り、弓を使って虎を退治した。馬は火気、
火気の徳は礼……。江戸初期、九州に領した加藤清正だって、弓みたいな飛び道具な
んか使わず、槍で虎を倒したことになっている。弓や鉄砲で虎を退治するより、素手
とか刀で倒した方が、親兵衛の化物じみた武勇の証明になろう。しかし、親兵衛は、
馬と弓を使った。……またしても脱線だ。話を戻そう。う

170 :名無し48さん(仮名):2015/10/27(火) 06:25:22.90 ID:bXaE0EU90.net
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エカトァ傴」dナIュ持コ6リ睹S囗JSワ油5ロs_エエ0サ聽tィ蠎[HdBル+ュnfU革V"KAKSDoHン繍ーaZコV痕Yヒe榜效+フ智揆「W!ソルハ0J口ミ,
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