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◆◆◆ 群馬県高校統一スレッド -其の34- ◆◆◆
- 329 :実名攻撃大好きKITTY:2016/05/22(日) 08:55:52.89 ID:28gXb1+H0.net
- >>328
ちょっと違うな。
旧制中学時代は太中の方が上で、桐中創立以降も桐生からわざわざ通った生徒もいた。
しかし、太田は中島飛行機があったため空襲による甚大な被害を受けた。
さらに新制高校発足直後、群馬県は一時12学区制を敷いた。
そのため東毛地区は太田新田・桐生山田・邑楽の三地区に分断された。
また伊勢崎佐波地区との間にも学区の境界が引かれたので、入学する生徒の範囲が限定的になった。
昭和30年に12学区制から4学区制に移行するが、そのころまでに徐々に桐高が台頭してきた。
また、太田から弱体化した太高を避け熊高を選ぶ者や、館林から太田まで来ないで足高に入った者もいた。
相対的に桐高の地位が向上し、昭和40年代までは太高を凌駕した年もあった。
しかし、両校の同窓会名簿を比べるとよいのだが、桐高が太高より上だったというわけではない。
少なくともデータが残っている東大への合格者数において、太高はゼロだった年はほとんどないし、
桐高が毎年複数受かっていたということもない。
反論があるなら具体的なデータを示してほしい。
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