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日本スゴイ!→あれ?すごくない?→いやむしろ中世→ジャアアアアプww←この過程が気持ちいいw

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/07/11(金) 21:34:00.33 ID:m+S3iYRm0.net ?2BP(1000)

法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。

安吾がなにより嫌ったのは、もっともらしさや無駄な虚飾だった。

 原稿料は右から左、酒で蕩尽とうじんし、冬はドテラ、夏は白ガスリ一枚で、ここかしこを彷徨ほうこうした。

 太宰治らとともに無頼派を代表する作家は、檀一雄ら朋友ほうゆうに「人生五十」を口癖のように繰り返した。「人間の時間てものは、人生五十、
その生きている間だけのことさ」

 法隆寺など古寺を、日本の光輝ある伝統と文化と尊重したが、それを作り出す人間の営みを何より愛した。だから人間の生活に必要ならば、
法隆寺を停車場とせよ、「それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる」と35歳の無名時代、「日本文化私観」で喝破した。

 美の観念や伝統よりも、生活の欲求がつくり出すものの美しさ、便利さを大切にする評論を書いたのは、“贅沢ぜいたくは敵だ”と
欲望を抑えるスローガンが広がっていた戦時下である。反骨の人の真骨頂はここにあった。

 衆議院議員で新潟の新聞社社長の五男に生まれ、旧制新潟中学(現新潟高校)に進んだものの、名門の家にもエリート校に
もなじめず、天気のいい日には、600坪(約2000平方メートル)ほどの大きな屋敷の裏に広がる松林や砂浜に寝ころんで
海と空を眺めていた。16歳になる夏、中学を中退し、上京の際、学校の机の蓋の裏に字を彫りつけた。

 「余は偉大なる落伍らくご者となっていつの日か歴史の中によみがえるであろう」

 “偉大なる落伍者”は1946年発表の「堕落論」で時の人になる。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/travel/meigen/20140621-OYT8T50037.html

31 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/07/11(金) 22:55:18.32 ID:Wnr7HuzW0.net
お兄さますごい

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