2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【産経コラム】ソ連軍は戦車に守られ大軍で攻めてきたにもかかわらず、帝國陸軍に恐れをなし逃げ惑った [171929663]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/10/06(月) 17:31:21.81 ID:ClNpdnPT0.net ?BRZ(11000)

昭和20(1945)年8月、大日本帝國(こく)陸軍の軍人が示した覚悟は、ソ聯軍将兵を震え上がらせ、絶望的状況を挽回した。

滿洲防衛を担う關(かん)東軍の一部に終戦を潔(いさぎよ)しとせず、徹底抗戦も辞さぬ不穏な動きが察せられた。
このため、大命=勅命により明治天皇(1852〜1912年)の孫・竹田宮恒徳(つねよし)王(1909〜92年)は聖旨(せいし、天皇陛下の思(おぼ)し召(め)し)を伝達すべく滿洲に赴かれた。
滞在中の3日間、宮御(ご)搭乗機を4機の戦闘機・隼(はやぶさ)が護衛した。担任したのは全員教育飛行隊教官で、生き残った戦闘機操縦者の中では抜きんでた技量の持ち主だった。

4機は奉天=瀋陽の飛行場に帰還せんとするが、ソ聯軍が占領。地上では虐待や法外な勝者の要求を繰り返していた。

と突然、編隊長機がグイグイと機首を持ち上げた。見る間に飛行場中央で4機は一糸乱れぬ垂直上昇を始める。上昇力が尽きるや、そのまま2機ずつ左右へと、正確に上昇反転(宙返り)。
全機唸りながら真っ逆さまに地面に迫る。見事等間隔を保ったまま、天地を裂く大爆音を立てて大地に砕けた−隼たちの最期であった。見苦しく動揺するソ聯軍将校の問いに帝國陸軍将校は説明した。

「日本では古来、武運拙(つたな)く負け戦(いくさ)となりし時、武士(もののふ)として腹を切る。今のは、飛行機乗りによる腹切りの作法である」

ソ聯軍は肝を潰し傲岸無礼(ごうがんぶれい)が影を潜めた。四烈士は「切腹」前、未占領の飛行場で真新しい下着に替え、
整列して遠く東の空に向かい宮城遙拝(きゅうじょうようはい)し「天皇陛下萬歳(ばんざい)」三唱を済ませていた。何と天晴(あっぱ)れ凄絶(せいぜつ)な覚悟か。

ソ聯軍将兵は意気地がない。戦車に守られて、160万もの大軍で滿洲や北方領土などに奇襲攻撃したにもかかわらず、各地で帝國陸軍の猛反攻に遭い、恐ろしくて逃げた者は少なくなかった。
そもそも露帝國→ソ聯軍の将兵は日露戦争(1904〜05年)やノモンハン事件(39年)における帝國陸海軍の精強振りがDNAに染み付いている。雲霞のごとき大軍投入は、恐怖の産物といえた。

http://www.sankeibi.jp/express/news/141006/exa1410060800001-n1.htm

総レス数 483
133 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200