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平将門の乱が成功していたら天皇と日本はどうなっていたのか [509143435]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2015/01/05(月) 07:12:20.07 ID:e9GysXGN0.net ?2BP(1000)

「首塚」で注目、怨霊・平将門は地元ではヒーロー?

そもそも数々の伝説を生んだ平将門とはどのような人物なのでしょうか?
939年、常陸国(現代の茨城県)の豪族、将門は一族内の内紛に乗じ、坂東8カ国を手に入れます。
関東一帯に独立政権を樹立した将門は、ついに「新皇(しんのう)」と称するまで勢力を拡大したのでした。

この東国武士集団の反乱に震え上がった朝廷側では討伐軍を繰り出し、苦戦の末に、制圧に成功。
討ち取られた将門の首は京に運ばれて晒し首に。その首は、毎晩のように目を見開き「頭ついで今一軍(ひといくさ)せん!」
つまり、胴体と首をつないでもう一戦しよう! と叫んだのだとか。そしてある日、胴体を求めた首は関東へ向かって飛び去り、
途中で力尽きて落ちたのが、現在首塚がある場所だと伝えられています。

朝廷への反逆者であり、災いをなす怨霊のイメージが強い将門ですが、やがて神田明神に合祀され、庶民の人気を獲得していきました。
とくに、将門の故郷である茨城県では、中央政府の圧政に立ち向かった悲劇のヒーローとして、今なお人気があります。
茨城県坂東市では、「将門煎餅」というお菓子まで販売されているほど。
http://dot.asahi.com/webdoku/2014122800016.html

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