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【相撲】モンゴル力士への日本式指導法は親方が勧めた肉食べたら稽古で「かわいがり」強制 [388233467]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2015/07/24(金) 18:29:53.99 ID:7YBxlVso0.net ?2BP(4050)

現在大盛況の大相撲夏場所。今では外国人力士が大活躍している。

特に、逸ノ城はもちろん、白鵬や朝青龍など今や、最大勢力となっているモンゴル人力士の活躍には、
“先人たちの苦労と努力”があった。

モンゴルから力士が最初に日本へやってきたのは、1992年2月のこと。旭天鵬(40才)や、後の旭鷲山ら6人
の若者たちが、揃って大島部屋へ入門した。

「相撲の世界のしきたりがあまりに特殊でビックリしちゃった。実は、日本にきて半年で集団逃亡したんですよ」

懐かしそうに笑いながら若かりし頃を振り返るのは、友綱部屋の旭天鵬だ。

「1990年、社会主義国家だったモンゴルは民主主義に変わりました。それまで配給制だった食べ物がストッ
 プするなど、国民全体に不安が広がっていたんです。そんな時に父親が日本で相撲力士を募集している
 とテレビで知ったらしく、『おまえ、身長も体重も年齢も、条件にピッタリじゃないか。受けてみろ!』と勧め
 てきたんです。それで受けたら、受かってしまった。当時、ぼくは17才でした」

大島親方(元・旭國)が相撲取りとしての素質を見込んでスカウト。
だが当の本人はというと、初めての海外渡航に心を躍らせ、修学旅行気分での来日だったという。

それもそのはず、当時のモンゴルでは、外交官などでもない限り海外渡航はできなかった。
若干17才の少年が有頂天になるのも当然のことだった。さらにインターネットも今ほど進んでいなかったた
め、海外の情報はほとんど国内に入ってこなかった。

「社会主義国家の頃は、日本は下駄を履いて刀を差す、サムライの国だと思っていました。
 でも民主主義になってテレビを見たら、ビルやネオン街があるすごい国だと知りました」

NEWSポストセブン[2015.07.24 07:00]※女性セブン2015年7月30日・8月6日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150724_337515.html

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