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宇宙船や戦闘機は作れるけれどデジタル一眼レフカメラだけは作れない! ちょっとは控えてくれよニッポン! [699332515]

4 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (オッペケ Sr77-RAYG):2016/02/07(日) 00:32:15.07 ID:FkvwPdklr.net ?2BP(1673)

ジャップ栄光の光学技術史

@明治時代
英国から光学技術がもたらされる。ジャップはなんとか追いつこうと必死になってレンズ磨きに勤しむ。

A大正時代
レンズを磨きつづけようやく欧州光学メーカーの日本向けOEM製品製作の下請けを任せて貰えるように。

B昭和初期
レンズ磨きが上手くなったため固執するように。手作業に命をかけ最高品質のレンズを自称するまでに。一方欧州では機械化が進む。

C昭和前期
アメリカが八木アンテナ(日本人発案)を神改良しレーダー等の電子電探技術に命をかける中、ジャップは目視で敵を視認することに命をかける。そのためレンズ技術が異常に進化。

D敗戦直後
ジャップ敗戦。戦争中に使われた技術を危険視したGHQが航空機産業や造船産業を解体再編成させる中、光学技術は特になんとも思われていなかったため放置される。ただ工作機械は無くなったため必死にレンズ磨きを続ける。

E昭和中期
度重なる好景気と高度経済成長のおかげで庶民の所得が増加。スーパーカーブームが到来しカメラ小僧が増殖。
安物のガラス玉を磨く技術だけは70年近く培ってきたため安価なカメラを大量生産しボロ儲け。
高い工作機械も買えるようになる

F昭和後期
ジャップの本性発揮。同じことを飽きずに続けたため他国が追いつけないレベルまで(というより必要のないレベルまで)カメラの性能を進化させる。
しかしカメラ市場が飽和してしまったことで買い替え需要が起こらず衰退。
ニコンは相変わらずレンズを磨き続け、キャノンは当時流行していた半導体技術に目をつけイメージセンサー開発に命運をかける。
一番変態だったのはミノルタでオートフォーカス技術を開発しかけわざわざマウントを全面変更するも合焦の楽しさを奪ってどうすると批判が殺到。

G昭和後期
オリンパスが画像素子のデジタル化に成功しキャノンがパクる。ニコンは相変わらずレンズを磨き続ける。
ミノルタもイメージセンサーを開発。しかし出来が良くなかったので次は手ぶれ補正に目をつける。
一方カメラオタクは散々叩いていたオートフォーカスの便利さに驚愕し手のひら返し。
ミノルタの一眼レフカメラが爆売れし他社もAFを導入へ。

H平成初期
ミノルタの変態化が止まらずAF等の変態技術を結晶したカメラを発売し爆売れ。
ニコンがようやくデジタル化の重要性に気づく。キャノンはイメージセンサーの高画質化に固執するように。

I平成10年代前期
ミノルタの製品が変態過ぎたせいで客が離れ倒産寸前に。
ニコンはソニーに頭を下げてイメージセンサーを貰うようになる。キャノンは相変わらず基地外のようにイメージセンサーを高画質化し続ける。

J平成10年代後期
ミノルタが限界に達し同じく倒産寸前だった安物カメラメーカーのコニカと合併。コニカミノルタに。
AFやボディー内手ぶれ補正、高画質CCDイメージセンサー等のミノルタ変態技術を結晶したカメラを発売するも高すぎて売れず事業ごとソニーに売却。以降はプラネタリウム屋に。
イメージセンサーを手に入れたニコンは再びレンズ磨きに集中。キャノンも相変わらずイメージセンサーに固執し1000万画素突破。

J平成20年代前期
携帯電話のカメラ用にイメージセンサー小型化高画素化戦争勃発。1年で画素は倍になり面積は1/2に。
コンデジに命をかけていた他社もサムスンを下請けにしてイメージセンサーを大量増産。そのせいでイメージセンサー技術が海外に流出しある程度のものなら中国でも作れるように。画素数は2000万を突破。

J平成20年代後期
イメージセンサー小型化高画素化戦争のせいで画素数=画質という誤った認識が消費者に広がる。画素数も3000万を突破しもはや人間の目以上の性能にな
る。
高画質化に行き詰まったため次は感度に目をつけ現在ソニーとキャノンで高感度化戦争勃発中。
スイーツにコンデジのレンズを交換できるようにしただけのミラーレス一眼がウケて爆売れしソニーとキャノンはこっちでも戦争状態に。
一方ニコンは相変わらずレンズを磨き続けている。

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