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超意識高い家に生まれたアスペ、ジャップランドになじめずそのまま成長 ランドセル背負って上智大に通う女の子が話題に ★2 [311660226]

2 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (ワッチョイ f4be-dc1W):2016/09/22(木) 10:38:18.87 ID:4JyhnhXT0?2BP(1001)

>>1続き

「学校への不信感がすごかったんです。何かにつけて『先生たちはバカだから小学校で働いているんだ』と思って
先生を困らせたくて本気で校庭に隠れていました」母の家庭教育もあって学校の勉強を簡単に感じたこともあり、教室から足が遠のいた。

2年生後半には、なんと「校長室」登校に。
校長先生はとても優しく仲良くなれたが、3年への進級時に退職。もう学校に行く意味がないと通わなくなった。
転機が訪れたのは、不登校になって半年ほど経った8歳の時だ。
母に連れられ、兄とともに東京都内のインド系インターナショナルスクールに入学することになった。
算数は日本のカリキュラムの2年先を行くインド数学で、問いの意味が分かるのに数式を理解できず、一度は不合格になった。
しかし、スクールから渡された英語の教科書で猛勉強し、2週間後の再受験で合格した。
翌春から小学4年相当のクラスに編入して毎日、兄と一緒に電車を乗り継ぐ片道1時間半の通学。
訛りの強い独特の「インド英語」や膨大な宿題と出題範囲の広い試験、時に印刷の薄いシンガポール製教科書に
四苦八苦しながらも、友人も多くできて中学3年まで楽しい6年間だったという。

●精神保健のボランティアで覚えた違和感
紗亜耶さんが精神保健福祉士に興味を持ったきっかけは、小学生の時の経験だ。
小学4年ごろから母親とともに、精神障害者を支援する県内の団体でボランティアとして加わり始めた。
利用者の家族も運営に関わるその団体で、彼らの態度に違和感を覚えたという。

「本心は精神障害者と関わりたくないのに、そばを離れると何かしでかさないか心配する。まるで監視するためにいるようだった」
利用者本人たちを尻目に、家族同士ばかりで交流を深めているように見えたという。
中学生になり運営に意見するようになると、団体と徐々に対立していく。
そのうち、利用者からの苦情が紗亜耶さんに集まるようになり橋渡し役をするように。
しかし、大人たちは中学生の意見に耳を貸さなかった。

「中学生だからなめられていました。私がもっと力を付けてもっと勉強して解決しなきゃなと。
当時、出入りしていた精神保健福祉士の資格を持つ人の言うことには施設の人もさすがに文句を言わなかったんです」
精神保健福祉士の受験資格を取れる大学を探し、いちばん難関の大学を出てやろうと決意したという。

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