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哲学の世界に入門しようと思う。「ソフィーの世界」はクソって聞いたからおすすめ教えろ。

170 : ◆xFORIfJsdc (ワッチョイ 4148-BMT5):2016/12/04(日) 17:18:20.51 ID:kcw/qBTz0.net
哲学に入門するのに道具だては特に何もいらないんじゃないか。
疑問を持ち、それに自分なりの解答を与えていくことだよ。

哲学書やあらゆる科学の本に書いてあるのは、歴史のどこかの時点で、誰かが自分なりに問いや探求のテーマを
設定し、それについて下した推論や判断や吟味だから。
本を読めば「この人はこう考えたのか、なるほどね」とその人間の推論の仕方や疑問に接近していったやりかたを
盗むチャンスにはなるけど、哲学者そのものになりたければ、自分で問いをたてて自分で回答を与える作業、
つまり自分で歩く訓練をしなきゃいけない。
哲学書は誰かが歩いた足跡が書いてあるわけだ。それは哲学、というかもっと広くとらえればあらゆる知識を
手に入れることを、登山に例えれば、本は山を登るための登山ガイド、「この登山家はこうやってこの山(疑問)を登った」
という指南にはなるけど、自分で登らないと登山家そのものにはなれない。

アリストテレスやプラトンなど古代ギリシャ人は徳(アレテー)とは何かということにこだわり、そのことを考えた。
ニュートンは物体の運動や光の性質について疑問をもって、そのことを考えた。
ポパーのような人はそもそも「科学する」ということは何かということに疑問をもって考えた。
大哲学者、ライプニッツとかマルクスとかそういう「大哲」と呼ばれるような水準の人は、つまりたくさんの、
ありとあらゆることについて考察し、たくさんの足跡を残し、しかもその残した足跡から後世の人間が刺激されること
大だから、語り草になっているという程度にとらえればいいんじゃないかね。
だから哲学者になる条件とはなにか、なんてことはあまり難しく考えず、なんにせよ、自分の頭で考えることだと思うよ。
貝原益軒は「大いに疑えば大いに進む」と言ったそうだけど、そうやって大いに疑って大いに進んでいくことじゃないかな。

彼らはそうやって、それぞれの山(疑問)を登って行ったんだ。
その後に続きたいなら、自分も何か自分の山を見つけて、その山を登るこったよ。
どんなことでもいいんだよ。テーマは昔からいろいろあるね。
「時間ってなんだろう」
「なぜ誰かが誰かより"偉い"ということがありうるのか、偉いってそもそもどういうこと?」
「神は存在するの?」

ただ俺は思うんだけど、どんな疑問を持つにせよ、それが切実に、心底に、「自分のもの」「これは自分の疑問だ」という
ことが大事なんじゃないかと思うね。哲学者になる素質は、たぶん、テーマの追求を自分の使命や、進んでやりたいこと
として引き受ける気持ちが出てくるかどうかにかかっている気がするよ。
だからつまり、「(このテーマを)考えさせられてる」と受動的な気分だとそれは哲学にまでならないんじゃないかな。
だから、受験勉強で高い得点をとるためにこの科目に熟達しなきゃいけない、というところから哲学があまり生まれてこないのは当然だよね。
それは勉強している当人の本当の、心底のテーマ、彼自身の要求じゃなくて、いわば社会の要求が彼にその勉強をすることを
期待しているから彼はやむなくそれに適応しているわけだから。
だから、本当に「自分のテーマ」を持つことだよ。その疑問は、まさに自分が考察したい対象だというようなものをね。

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