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北方領土=日本固有領土論には法的・歴史的根拠がない [956093179]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (ワッチョイ 7b15-G1B5):2016/12/28(水) 07:06:21.58 ID:0qPzp0sJ0.net ?PLT(12001) ポイント特典

米国はペリー准将をして日本に開国を迫らせる一方、第2分遣艦隊を組織。1853年から1856年までオホーツク海を探検させている。
この分遣隊に測量技師として乗船したドイツ人ヴィルヘルム・ハイネはその著『中国、日本、及びオホーツクの海洋探検』(1859年)に、
「探検隊の艦船航路を示す北大洋の地図」を記載している。
その地図には、北海道はYeso(エゾ)、Kunashir Insel(国後)からSchumschu Insel(占守)までは“Kurilen-Reihe”(クリル列島)と明記されている(この場合、20島)。
これが当時の列強の認識である。なお、この地図を観るにつけ、今日のカムチャトカ半島・サハリン島・日本列島が正確に測量されていることに驚きを禁じ得ない。
では、一番肝心な日本は、当時の千島列島の範囲をどのように認識していたのか。
幕末・明治維新の碩学、本条約に於ける対露交渉の日本側代表海軍中将榎本武揚特命全権公使は『千島疆界行』(1875年)にて、
「今、千島とは根室よりカムチャトカに連なる二十有余島の惣名」と明記している。すなわち、明治維新の日本側認識は当時の世界列強の認識と一致している。
上記より、「樺太千島交換条約」にあるクリル群島(18島)がクリル諸島の一部であり、当時の明治政府も政府の高級官僚も、
「クリル諸島=千島列島(北方領土を含む千島全島)」と認識していたことが判明する。
ゆえに、現在の日本政府が主張する「北方4島は千島列島には含まれず」との論理が成立しないことは明白である。
付言すれば、「北方領土」という言葉自体、戦後の造語である。
https://news.biglobe.ne.jp/international/1228/jbp_161228_6119111806.html

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