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日清戦争→勝利 日露戦争→引き分け 太平洋戦争→敗北 どこが分岐点だったの? [533895477]

222 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (スプッッ Sd4a-MMv3):2017/02/12(日) 14:27:40.12 ID:lHzCati2d.net
>>211
>赤旗の引用じゃん!
>共産党の人は他人の意見絶対聞かないから、議論する価値ない。

これを引用したのは赤旗だが
実際にインドのネルーが書いたことに変わりは無いじゃん

ちなみに赤旗ではなくネルーの著書の日本語訳版もあったが
赤旗が引用していない部分はもっと手厳しい事が書いてあるぞ
日本を「下卑たやりくちの常習者」呼ばわりしている
http://www.asahi-net.or.jp/~EB6J-SZOK/nehru.html
>ネルー著『父が子に語る世界歴史3』大山 聡訳 みすず書房(1975 10刷)

>日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかということをわれわれは見た。
>ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけ加えたというにすぎなかった。
>その苦い結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。
>日本は開国の当初から、すでに朝鮮と、満洲の一部を、自己の勢力範囲として目をつけていた。
>もちろん、日本はくりかえして中国の領土保全と、朝鮮の独立の尊重を宣言した。
>帝国主義国というものは、相手のものをはぎとりながら、平気で善意の保証をしたり、人殺しをしながら生命の神を聖公言したりする、下卑たやりくちの常習者なのだ。
>だから、日本も朝鮮にたいして干渉せぬことを、ものものしく宣言した口の下から、むかしながらの朝鮮領有の政策をおしすすめた。
>対中国戦争も、対ロシア戦争も、朝鮮と満洲を焦点とする戦争だった。
>日本は一歩一歩地歩を占め、中国が排除され、ロシアが敗北した今では、あたかも無人の野を行く観があった。
>日本はその帝国政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった、日本はヴェールでいつわる用意もせずに、大っぴらで漁りまわった。
>1894年、中国戦争の開始直前に、日本人は朝鮮の首都ソウルの王宮に腕ずくで押しいって、日本の要求をきき入れなかった女王〔閔氏〕を廃して、幽閉した。
>日露戦争後、1905年に朝鮮国王は、無理じいに朝鮮の独立の放棄を認めさせられ、日本の宗主権を受け入れた。
>しかしこれでも足らず、五年もたたぬうちに、この不幸な国王は廃され、朝鮮は日本帝国に合併された。
>これは1910年のことだった。三千年以上にわたるながい歴史をもつ独立国としての朝鮮はほろびた。廃位された国王は、五百年前にモンゴール人を駆逐した王朝〔李氏朝鮮〕に属していた。
>しかし朝鮮は、その長兄と仰いだ中国とおなじく、罰金を支払わなければならなかった。

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