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やはり俺達の将来は自殺しか無いのか・・・ [368723689]

6 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (ワッチョイ 6df3-BkFl):2017/04/21(金) 16:49:47.56 ID:N0oMv79c0.net
しかし、90年代後半頃から、派遣会社を転々とするようになる。04年には製造業への派遣が解禁となり、派遣労働がどんどん低賃金、短期雇用になっていった。
08年にはリーマンショックが起き、派遣切りの嵐が日本を襲い、多くの人が路上へ追いやられるが、Aさんはそれを先取りするような形で、07年頃、39歳頃から路上生活に追いやられてしまう。その理由はやはり派遣切りらしい。

そうして10年、42歳の頃、国分寺で路上生活をしていた彼は、府中緊急派遣村に繋がり、生活保護を受け国分寺市内のアパートに入居。

が、14年6月頃には居場所がわからなくなり、同年7月、立川市内で路上生活をしていた彼はおそらく生活保護を受けて、市内の無料低額宿泊所に入所。
同年12月、そこを退所してアパートへ移る。この無料低額宿泊所を出る条件は、「仕事があること」「携帯電話があること」「転居先アパート物件があること」。リサイクル品回収の仕事か、土木・建築関係の仕事をしていたとみられている。

彼が自殺するのは、アパートへ転居して1年後のことだ。

その間、何があったのか。

私の手元には、彼に対する「生活保護法第27条第一項の規定に基づく指導指示書」と銘打たれた文書がある。Aさんに対して役所から出されたものだ。
働く能力がある人が生活保護を受けた場合、就労指導といって、「仕事を見つけてください」と役所から指導される。

Aさんがどのような形で求職活動をしていたか、今となってはわからない。が、役所が出したこの指導指示書は、要約すると「とにかく早く仕事につけ、じゃないと生活保護を打ち切るぞ」という内容のものだった。
これらの指示書が、9月には同日に3通も出され、10月には「保護停止決定書」が出され、またまた就労指導の通知が出され、そうして12月、「廃止通知書」が出されるのだ。この翌日、Aさんは自ら命を絶っている。

問題なのは、この「廃止」が妥当だったのか、ということだ。

生活保護を打ち切られるということは、収入を絶たれるということだ。自分だったら、と想像してみてほしい。
派遣切りなどで職を失い、過酷な路上生活も経験し、生活保護を受けてやっと取り戻した「住まいのある生活」。が、仕事はなかなか見つからない。そんな中、保護を廃止すると言われたら。
家賃も払えず、生活費、食費もない。また路上に戻るのか、それとも死ぬしかないのかという究極の選択を迫られる。

この廃止処分について、立川市議の上條氏は、市の担当課長に聞き取りした際のことを記者会見で話した。担当課長は「就労指導に従わないから保護を廃止した」と述べ、
Aさんには「路上生活の経験があるので、保護を廃止してもなんらかの形で生きていけるんじゃないか」と話したという。

その話を聞いた時、目の前が暗くなった。これほど剥き出しの「差別」があるだろうか。あいつは路上で暮らしていたから、また路上に追い出しても生きていけるはず、という決めつけ。
これは人間に対して使われていい言葉では決してない。そして廃止処分を受け、彼は路上に戻ることを選ばず、死を選択しているのだ。

上條議員は、その担当課長に聞いたという。「指導に従わないということで、懲らしめの意味で保護を切ったのか」と。

すると答えは「そうだ」というもの。また、「困ったら相談に来るだろう」とも述べていたという。が、彼は相談になど訪れていない。彼の中で、立川市はとっくに「相談できる相手」ではなくなっていたのだろう。

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