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豊崎愛生「では〜…んふふ 私の大好きな舟木一夫のスーパー名曲、聞いてくーださい」→高校三年生 [247662382]
- 1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2018/09/13(木) 23:58:27.29 ID:3xYYhgHv0.net ?2BP(3100)
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500円の小遣い 長崎県大村市・岩瀬五十鈴(67歳)
2018年9月11日 西部朝刊
昭和40(1965)年ごろ、私は島に住んでいた。石炭の島で炭鉱関係者を中心に多くの人が生活していた。
島の学校は中学までで、私の同級生の大半は集団就職で島から離れていった。
私は仲の良かった友達数人と船と汽車を乗り継いで高校へ通うのが楽しみだった。
そんな中、同じ高校に通う親たちが集まり、子供たちの小遣いを1カ月500円と決めたらしい。
高校1、2年の時はその小遣いで過ごせたが、高校3年になると補習も増え、帰りも遅くなる。
腹もすき、帰宅途中の船着き場で船を待つ間、飲食する日が多くなった。小遣い500円はあっという間になくなった。
友達も同じだと思って聞くと皆、小遣い1000円以上をもらっていたのだ。私は帰宅して母に抗議した。
すると母は笑って一言。「人は人たい。あんたは500円で工夫してやり繰りしてみんね」
それから私は毎日、昼の弁当以外にお握りと水筒を持参して通学した。
もちろん、お握りが作れない日は我慢したこともあった。当時、我が家は弟の高校進学と重なり、経済的にきつかったのだ。
晩年、母は私の顔を見ると「あんたには我慢させたけんね」とよく言っていた。
だが、私が結婚して何とかやってこられたのも、1カ月500円の小遣いで過ごした経験が、役に立っていることは言うまでもない。
今でも家計簿を開き、うーんと思案する時は、あの時の母の言葉がふっと浮かんでくる。母には感謝しかない。
https://mainichi.jp/articles/20180911/ddp/013/070/003000c
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