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なろう小説の「異世界設定」は時代劇も同じだよ。 という暴論。絶対に納得できないよな? [571598972]
- 1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2019/09/20(金) 16:46:14.49 ID:16WaSfYr0●.net ?2BP(2000)
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「異世界モノ」ライトノベルが、現代の「時代劇」と言えるワケ
小説をあるパターンにしたがって書くというのは、ある意味において理に適っている。
たとえばかつての時代劇は、主人公である武士、浪人が困っている町人に遭遇し、
その悩みを聞いているうちに悪事を働いている人物が明らかになる。
最後は、チャンバラなどを通してその悪を懲らしめるというパターンが確立していた。
これらの作品は、元をたどれば、江戸時代の草双紙や実録体小説、
さらには『太平記』『水滸伝』などにたどり着く。
しかし映像としての時代劇は、直接的には、明治期から昭和初期にかけて流行した講談、
浪花節の時代設定や物語、主人公の造形をそのまま踏襲している。
そこで得た知識が、作品を読む前提となる〈教養〉として機能することで時代劇は初めて受容され、
テレビの映像がそれを再生産することで、時代劇は維持されてきた。
また、たとえばそこで江戸の街が描かれるとき、その江戸は江戸時代に現実としてあった街ではない。
創作され、理想化されたファンタジーとしての「江戸」だったである。
つまり後世になって形作られ、パターン化された「異世界」だったわけだ。
現代においてそうした想像力の源泉を担っているのがゲーム的な世界観だと考えると、
「異世界」ものは理解しやすい。
すなわち、「なろう系」で共有される世界観や設定は、ゲームが現代の物語受容における〈教養〉として
機能していることを示すものなのである。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67125?page=6
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