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第六天魔王信長さん、猫をいじめていた 興福寺でネコを匿う僧兵も [399259198]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2019/09/22(日) 15:48:43.06 ID:2l84sz5OM.net ?2BP(1000)
http://img.5ch.net/ico/iyahoo.gif
「猫好きの人にはかなり残酷な話になりますが、戦国大名のひとり、織田信長は“ペット”の鷹に、エサとして猫を与えていたとされています」

そんな衝撃的な話を教えてくれたのは、歴史作家の桐野作人さんだ。戦国時代、戦国武将の間では鷹を使ってウサギやウズラなどの鳥類を捕まえる“鷹狩り”が流行した。
なかでも、織田信長は相当ハマっていたようで、暇さえあれば鷹狩りに出かけていたという。

「信長の鷹好きは有名で、信長との仲を深めたい大名たちは、外交手段のひとつとして、鷹や鷹のヒナを献上していました。
『信長公記』(巻十三)によると、相模(現在の神奈川県)の戦国大名・北条氏政からは一度に13羽もの鷹が贈られたとの記述もあります
。そのため、信長が暮らす安土城には常時、20〜30羽の鷹がいたといわれています」(桐野さん・以下同)

そんなにも多くの鷹を飼っていると、問題となるのがエサだ。鷹は生き餌を好むため、目をつけられたのが猫やニワトリなどだったという。

奈良県・興福寺の僧侶・長実房英俊らによる『多聞院日記』には、当時の様子が次のように記述されている。

『奈良中の猫・ニワトリを安土から捕獲に来るというので、僧坊中へみんなが隠した。鷹のエサにするためだという』

安土とは、信長の居城・安土城があった城下町なので、“信長からの命令”で奈良中の猫が捕獲されようとしていたことがわかる。

なぜ奈良の愛猫家たちが、興福寺に猫を隠しにきたかというと、当時、興福寺など大きな寺社は、武家など外部からの侵入や介入を拒否できる“聖域”だったからだ。

「いわゆる“治外法権”の場所である興福寺には、天下の信長も手を出せない。自分たちの猫が連れていかれないように、かくまってもらおうと大勢の人が興福寺に猫を連れていったのでしょう。
すでにこの頃には、猫はネズミ捕りとしてだけでなく、ペットに近い存在になっていたのかもしれませんね」

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/postseven/trend/postseven-1424712

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