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90年代の中森明菜のトラブルの嵐が悲惨すぎてさすがのケンモメンも絶句 [541636285]
- 4 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2019/11/19(火) 22:07:02.12 ID:gVYNf8Ija.net ?2BP(1000)
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歌姫明菜は芸能界という荒波を一人でさまよっていたのかもしれない。
ちょうど20年前の99年11月16日。歌手のジュディ・オングの呼びかけで台湾で起きた巨大地震「921大地震」のチャリティー・イベントが東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催された。
ジャッキー・チェンや谷村新司、南こうせつ、CHAGE&ASKA、浜崎あゆみらとともに明菜も出演した。
明菜が公の場に姿を見せたのは約8カ月ぶり。
所属レコード会社だった「ガウスエンタテインメント」社長から契約打ち切りを宣言された直後とあって、その動向が注目された。
「コンサートは明菜が登場すると、一気に声援が高まりました。しかも会場のあちこちで『明菜、頑張れ!』の声が飛び交いましたから、
何だかんだ言っても人気は根強いものがありました」(音楽関係者)
ファンの声援に迎えられた明菜は「明日に向かって希望の持てる明るい曲です。聞いてください」と「Dear Friend」を力いっぱい熱唱した。
「途中感極まったか、目が潤んだようでした。しかしさすがは歌姫だけあってステージは見事。全盛期をほうふつさせるものがありました」(前出の音楽関係者)
その明菜が最後に力強い口調で言い放った。
「私、強いから絶対に負けたりしません!」
「商品価値がない」と言われ、孤立無援の明菜の宣戦布告とも思えるメッセージに、記者も大騒動となり、終演後に出待ちをしたが、すでに明菜は立ち去っていた。
「結局、明菜にとって一番の支えはファンであり、歌い続けることしかなかったということでしょう」(音楽関係者)
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