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「陽はまた昇る」「半落ち」佐々部清監督が死去 死因は不明 [648737418]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2020/03/31(火) 22:28:12.55 ID:eHhq4MqO0●.net ?2BP(10300)
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映画「陽はまた昇る」「半落ち」佐々部清監督が死去
[2020年03月31日21時44分]

映画「陽はまた昇る」「半落ち」などで知られる、映画監督の佐々部清(ささべ・きよし)さんが、3月31日までに山口県下関市で亡くなったことが分かった。
62歳。亡くなる2日前まで、SNSを更新していた。

山口県生まれの佐々部さんは、明大文学部演劇科を経て、84年から映画、テレビドラマの助監督を務め、キャリアを積んだ。
崔洋一監督、杉田成道監督、降旗康男監督、和泉聖治監督らに師事した。高倉健さん主演の映画「鉄道員」「ホタル」の助監督も務めた。

監督デビュー作、02年「陽は−」で、日刊スポーツ映画大賞石原裕次郎賞、日本アカデミー賞優秀作品賞に選ばれた。
04年「半落ち」で2度目の石原裕次郎賞に輝き、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した。

「シネコンでは中高年が見られる作品が少ない」と、自らプロデューサーを務めて監督した17年「八重子のハミング」では、認知症を発症した妻と支える夫を描いた。
資金集めから始め、全国各地での上映会を企画し評判は口コミで広がった。8館でスタートした作品は100館以上の規模で公開された。

映画はほかに「日輪の遺産」「出口のない海」「夕凪の街 桜の国」「ツレがうつになりまして。」など、ドラマ、舞台の演出も手掛けた。

▽俳優佐野史郎(ツイッターで) 1999年、私の初監督映画「カラオケ」ではチーフ助監督を務めてくれ、2012年テレビ朝日の松本清張ドラマスペシャル「波の塔」では監督と俳優として密度の濃い時間を過ごした。
本当に優しい、人情に厚い方でした。安らかにお眠りください。

◆佐々部清(ささべ・きよし) 1958年(昭33)1月8日生まれ。明大文学部演劇科を経て、84年から映画、テレビドラマの助監督を務めた。
主に崔洋一、杉田成道、降旗康男、和泉聖治ら各監督に師事した。「鉄道員」「ホタル」(ともに高倉健主演)などの助監督を務めた。

19 :独り言\(^o^)/ ◆rI5oCip.d6 (ウソ800 23ac-8H9x):2020/04/01(水) 00:01:27 ID:RlTtAI8L0USO.net
佐々部さん、急死だったみたいね。

https://www.asahi.com/articles/ASN3072D0N30UCVL01L.html
「新作の準備のため山口県下関市に入っており、30日夜に関係者らと会食した際に体の
不調を訴えてホテルに戻ったが、31日に死亡した状態で見つかった」

>>9
崔洋一は09年の『カムイ外伝』の作品的・商業的失敗以降は撮ってないと思う。
崔も現場ではキツイ人らしいがそもそも現場をやってないので。

和泉聖治は多作だが代わりに現場は夕方には終わる人らしい。和泉は「現場は早く切り上げて
夜は飲みたい」タイプの監督。良くも悪くも早撮りの手抜き監督だからね。
その手抜きが上手くハマると「テンポのいい」作品になるが、失敗するとボロボロに。

映画・TVの人は「現場はキツイ」「酒にタバコに不摂生な人が多い」から割と60代
ぐらいで亡くなる人が多いね。無理してる割には長生きする人もいるけどさ。

佐々部さんは助監督としては映画でもTVでも有名どころの監督ばっかに就いてた。
TVだと杉田成道や久世光彦など。
業界でも「段取り・仕切りの上手い名物助監督」的な人物だったのだろう。

映画TVの古い世代の監督の現場を知る数少ない1人になっていたと思うが、、
古い世代の監督・スタッフの多くが既に故人だが、その後継の人たちももう亡くなり始
めているんだなあ、、

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