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2020ヒバクシャ 張本勲さん 守ってきた暗黙の約束 今「お袋、語るよ あの日を」 [577316145]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2020/07/21(火) 12:22:34.24 ID:8hUBZRzO0●.net ?2BP(3919)
http://img.5ch.net/ico/imanouchi_2.gif
「残して、思い出して、懐かしむ。涙ぐむ。そんな人がいるかもしれないけれど、お袋は忘れたかった。『あの日』の記憶は一切を消したかったんだろうね」

5歳のとき広島で原爆に遭ったプロ野球評論家の張本勲さん(79)は、東京都内にある自宅のソファに深々と腰掛け、宙を仰いだ。
傍らのテーブルに、家族ら5人が納まるモノクロームの写真がある。野球帽をかぶった小学生の張本さんの隣に、民族衣装のチマ・チョゴリを着た母朴順分(パク・スンブン)さん(1985年に83歳で死去)が座っていた。

母は日本統治下の朝鮮半島に育ち、40歳を前に海を越えた。病気で夫を失い、原爆に長女を奪われ、残されたわが子3人のため働いた。
国民学校高等科(現在の中学校)に通っていた長女は、張本さんにとって「色白で背が高く、自慢の姉」だったが、母は長女の写真を焼き、遺髪の一本も残さず、ただ、沈黙を貫いた。

戦後に撮影された写真で母は3人の子どもらに囲まれ、口元に微笑をたたえている。
張本さんが言った。「お袋は苦しかったでしょうね。つらい記憶を抱えながら、体一つで私たちを育てたのだから」【文・平川哲也、写真・山田尚弘】

はりもと・いさお プロ野球評論家。5歳のとき、爆心地から東に2・3キロ離れた広島市段原新町(現南区)の自宅で被爆した。18歳で球界入りし、1981年までの23年間で日本プロ野球記録の3085安打を放った。

          ■    ■

張本勲さん(79)がその半生を振り返るとき、家族は欠かせぬ登場人物となる。

「お袋を中心に、それはもう、強い絆で結ばれた家族でしたよ」

東京都内の自宅で、そう語り始めた。張勲(チャン・フン)の韓国名がある広島生まれの在日2世。母は爆風に傷つきながらもわが子を守り、戦後は身を粉にして働いた。
兄は亡き父に代わり、広島を離れて野球に打ち込んだ弟に仕送りを続けた。色白で優しかった上の姉は原爆で帰らぬ人となったが、原子野をともに逃げた2番目の姉とは今も支え合う。

母の真っ赤な背

両親が日本統治下の朝鮮半島から海を渡ったのは、1939年ごろだった。
父張尊禎(チャン・サンジュン)さんは財産整理のため戻った故郷で病死し、母朴順分(パク・スンブン)さん(85年に83歳で死去)は4人の子と異境に残った。
運命の45年8月6日は広島市の自宅で迎えた。家には5歳だった末っ子の張本さんに、二つ上...

一部抜粋。詳細はサイトで
https://mainichi.jp/articles/20200221/org/00m/040/001000d

33 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (ワッチョイW b9d8-xVBL):2020/07/22(水) 06:13:57 ID:P5hP9hOD0.net
良い記事だった

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