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おいおい!! 中尾だ。おいは!
- 1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/09/10(金) 13:03:15.09 ID:EnY/oW9Gz
- イスラム社会のコーラン 146
釈尊の生涯で、よく知られている事は、他でもない菩提樹(ぼだいじゅ)の下で、止め
られる事(住民の批判)を聴かず「さとり」を開いた事だ。仏教の言葉で「大覚成就(
だいかくじょうじゅ)」「無上の等正覚(とうしょうがく)を現成(げんじょう)」さ
れた。と言われる。これが釈尊の「さとり」であった。断食苦行の中で。「一麻一米(
いちまいちべい)」とされ一日一粒の麻、一粒の米の断食であった。この苦行には当時
のインドの人々の布施と言う物の少なさである。つまり人間には、色々の雑念や欲が起
こり、煩悩がある。それは修行にもある。すべて我々の肉体から起こってくるもので、
わざわざ修行に行かなくとも、ここに居てくれと拝まれれば、別にここで動かずとも、
修行となる筈。と考えたに違いない。肉体力を落としても、精神力が高まる。と考えら
れていたわけで、釈尊は、当時のマガダ(摩掲陀)の国のウルヴェーラー(優留毘羅)
という村でこの苦行に励んだ。現在のビハール州ガヤー(伽耶)の郊外にあたる。釈尊
はその苦行の中で、おかしいことに気付く。だんだん体力が弱まる中、精神の力は強ま
ると言う断食苦行をしているのに、肉体の力が衰えて、頭のほうも朦朧として考える力
もまた落ちてきている。釈尊は合理的にそのことに気が付き、方法が間違っていたのだ
と悟り、断食苦行を中止した。ただちに苦行を中止すると、その近くを流れるネーラン
ジャラー(尼連禅那)という河に入浴し、垢のついた体を清めた。ウルヴェーラー村に
住む娘さんから供養された食物(乳粥)を摂って、やっと体力を回復された。それから
、一本のピッパラ(畢鉢羅)樹のもとに草を敷いて座り瞑想を続けた。そのピッパラ樹
こそは、後世、菩提樹と呼ばれた。このピッパラ樹の菩提樹なるものは、クワ科植物で
日本の桑は小さいままだが、菩提樹のほうは、はるかに大きくなって、その木陰では、
あかるく、そして涼しいので、そこで休息して体力を回復され、深い思索に入られた。
- 206 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/15(金) 13:37:29.70 ID:FHqIyKH3a
- イスラム社会のコーラン 261
弱体化したアッカド帝国も、又周辺の部族の餌食となり、侵略により滅亡したと考えら
れている。アッカド帝国の滅亡と同じ時期には世界規模の干ばつが起こっているからだ
。複数の文明が破滅した「メーガーラヤン(完新世後期)」と呼ばれる時代が、始まっ
ていたとされている。「メーガーラヤン(完新世後期)」期はインドの地層の名前だ。
国際標準模式層断面及び地点 (GSSP) は、インド北東部 メガラヤ州チェラプンジに
あるマウニノン洞窟 (Mawmluh Cave;洞口座標 北緯25度15分44秒 東経91度42分54秒)
で、世界標準の推積地層とされた。KM-A と名付けられた二次生成物(石筍)の7.45 mm
の深さがその下底(下限)に定義される。その模式標本はスミソニアン博物館に展示さ
れているに至った。この二次生成物 KM-A の安定同位体の分析(U-Th年代測定)から、
4303年前(BP)から3888年前までの415年間に渡って、同位体の値が2段階に分けて増加
していることがわかり、この中間点である4200年前(紀元前2250年、人類紀元7750年)
がメガラヤン階の下底と定義された。「δ18O」の値から、約12000年前から6000年前ま
でにモンスーンが低頻度での強まりだったが、4071年前〜3888年前までの 183年間では
、モンスーンは弱まったことがわかる。「δ18O」の値が1.5‰上昇すると、モンスーン
の降水量が、20-30%減少する。「U-Th」の年代測定において、メガラヤン階層の下底が
位置する4200年前に近い3654年前と4112年前の間には、二次生成物 KM-A は、直線的に
成長を続けており、4200年前に気候変動があったことを示している。これは、インド亜
大陸から東南アジアにかけてモンスーンが弱まり、降水量が急激に減少したという気候
変動を反映し、これが4.2 kイベントの始まりを示している。このメガラヤン期は2018
年、グリーンランディアン・ノースグリッピアンとともに、国際層序委員会で批准され
た。 また、国際補助標準層序はカナダ・ローガン山の氷床コアでも示されて存在する。
4.2 kイベント期、と呼ばれる地質年代におけるイベントは、低緯度地域でよく記録が
保存されているため、この場所のメガラヤ州国立公園の洞窟には良く適している。二次
生成物「 KM-A 」の記録は「δ18O 」の変動がモンスーンの強さの指標となることに基
づいている
- 207 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/15(金) 13:37:54.18 ID:FHqIyKH3a
- イスラム社会のコーラン 262
このメガラヤン期は、2〜3世紀に渡って乾燥化が突然始まったことが示されているが
、より湿潤な状態への遷移を示している記録もある。東アジアでの夏季モンスーン、お
よびインドの夏季モンスーンの 大幅な転向または弱体化は約4200年前から発生した。
オーストラリアにおける「世紀規模の旱魃」も、インド・オーストラリアモンスーン
変動とともにこの時期に始まっている。北部高緯度地域では、氷河が顕著に前進する、
ネオグラシカル(新氷河期 :neo-glacial)という状態が約4200年前で顕著になり、日
本では、後期完新世(こうきかんしんせい)と訳されている。一方で、南極大陸の海面
温度の低下と、海氷被覆の増加は約4200年前以降に突然始まる。長江・黄河流域や中国
北部での重要な新石器時代の文明崩壊と同時期に、スペイン、ギリシャ、パレスチナ、
エジプト、メソポタミア、インダス川流域、チベット高原などの広い地域に亘(わた)
って、天水地域の放棄、河岸のレフュジアへの生息地の移動や、文明崩壊が考古学的に
確認されている。この期に、人類の多くは死滅の危機が起き、文明崩壊が起こっている
のである。中央アフリカでは、バンツー族の拡大の第一段階が4.2 kイベントと一致し
て、アメリカ南西部やユカタン半島では農耕が大きく変化したりしたのと同じ時期であ
るとされる。国際地質科学連合事務局長の スタンレー・フィニーは、「メガラヤンの
開始と、地球規模の気候変動に伴う文化の変化が、一致しているという事実が、これを
独特のものにしている。」と語っている。その後、新バビロニア帝国がカルデア人の手
(バビロニア人)によってアッシリア帝国を滅ぼして再建した帝国 (前 625〜539)が
出来上がる。アッシリア王アッシュールバニパルの死後,ナボポラッサル(在位前 626
〜605) がバビロニアを掌握しメディア王国と結んでニネベを陥落させた(前 612)。
続いてネブカドネザル2世 (在位前 605〜562) はカルケミシュの戦いで エジプト王
ネコ2世を破り,シリア,パレスチナを通ってエジプト国境にいたる領域を支配した。
- 208 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/15(金) 13:38:16.54 ID:FHqIyKH3a
- イスラム社会のコーラン 263
つまりシュメール期は紀元前3000台に忽然と現れ忽然と消える。そして前500ぐらいま
で経てからにバビロニアが築かれているのである。この不思議さはちょっとないのだ。
その後紀元前7世紀になって、当時の中東全域を支配し世界帝国として栄えた。「新
バビロニア帝国」(625年〜539年)の誕生だった。ところが、この帝国が頭角を表す百
年以上前の時代に、聖書の神ヤハウェに仕える預言者イザヤは、この帝国の興亡につい
て、以下のように預言していた。と言う。「わたしは彼らに対して、メディヤ人を奮い
立たせる。・・・・こうして、王国の誉れ、カルデヤ人の誇らかな栄えであるバビロン
は、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のように。そこには永久に住む者もなく、代々に
わたり、住みつく者もなく、アラビヤ人も、そこには天幕を張らず、牧者たちも、そこ
には群れを伏させない。」(イザヤ13:17-20)と、この預言書では、主に以下の三つの
出来事が予告されている。これから順を追って、これらの預言がいかにも成就していっ
たかの如く語られる、その詳細を取り上げてみる。バビロンは、大王ネブカドネザルが
治めたその最盛期には、富と権力のスケールにおいて空前の繁栄を遂げ、他のいかなる
都市の追随も許さぬほどで、あったという。彼が造ったバビロンの空中庭園は、その美
しさと荘厳さから、古代世界の七不思議の一つにも数えられている。しかし、その後に
メディヤ人によって滅ぼされる。バビロンは栄華を誇ったバビロニア帝国の首都であっ
たが、BC539年に、メディア・ペルシャ帝国の侵入を許し、難攻不落と言われてい
た帝国も、あっけなく没落してしまうのである。この時代に占星術,天文学をはじめと
するカルデア文化が、バビロンを中心として開花したが、ナボニドス王(在位前 556〜
539) の時にアケメネス朝ペルシアの王キュロス2世の率いるペルシア軍は戦わずして
バビロンの中に入城させ(前 539)新バビロニア帝国はあっけなく滅亡した。
- 209 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/15(金) 13:44:42.35 ID:FHqIyKH3a
- イスラム社会のコーラン 264
このメディヤ人が分盲のユダヤ人とされる。主としてヘロドトスなどギリシア人作家
の記録によってメディアの歴史が伝えられているが、メディア人自身による歴史記録が
存在しないからだ。考古学的調査も不十分であるため、その実態についてわかっている
ことは少ない。兎も角文字も言葉も自分達の文化も無かった。商業主義で商売で合わせ
たとされる。簡単に、バビロンはなぜ滅ぼされたか。キュロスの軍隊が城壁に近づいて
いたその夜には、バビロンの宮殿では建国の大宴会が行われていた。その時突如不吉な
しるしが起こり、王は恐れおののくようになった。宴会場の壁に突如として人の手が現
れ、文字を書いたのだ。当惑した王は、バビロン捕囚で連れてこられていたユダヤ人の
預言者ダニエルを呼び出し、その文字の解き明かしをさせた。その文字は「メネ、メネ
、テケル、パルシン」、意味を要約すれば、「天の神がバビロンの王の治世を数えて、
それを終わらせた」というものであった。ダニエルは、王の治世の終わりの理由をこの
ように説明した。ダニエル書によると、「ベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべ
て知っていながら、心を低くしませんでした。それどころか、天の主に向かって高ぶり
、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻も側女達
も、それを使って葡萄酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ること
もできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなた
のすべての道を その手に握っておられる神をほめたたえませんでした。それで、神の
前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。」(ダニエル書 5:22−24)
バビロンの王が滅ぼされた理由は、天の主に対する傲慢と、見ることも聞くこともでき
ない偶像に礼拝を捧げたことであった。という。まさにその日、バビロンは没落し、彼
の治世は終わりを遂げた。聖書の預言の言葉が成就し、神の裁きが下されたのである。
- 210 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/15(金) 13:45:46.36 ID:FHqIyKH3a
- イスラム社会のコーラン 265
新バビロニアの王でナボニドゥスの息子、ベルシャツァルについては、遠征で国内を空
ける事の多かった同王によって国内統治を任されていた。 旧約聖書ダニエル書の第5巻
と第8巻では彼が最後のバビロニア王として記録されている。 (バルタザール)とも言
われる。新バビロニアの歴史を著した史家たちは、ベルシャザルという名の王を記録し
ていなかったため、旧約聖書のダニエル書のみが主な情報源となっていたベルシャザル
の実在については、ダニエル書と共に疑われていた時期があった。が、1854年にナボニ
ドゥスの円筒形碑文が発見され、その内容からベルシャザルという名の王族の実在と、
彼がナボニドゥス治世下にバビロン市においては、実質的な統治権を託されていたこと
が確認される。「カルデアの王ベルシャザルが1000人の貴族や後宮の女達とともに宴会
を開きワインを飲んでいた最中、突然人間の手の指が現れて壁に字を書いた。ベルシャ
ザルは恐れ慄いてその字を読める者を探した。しかし誰も読める物は見つからず途方に
くれていると、王母が進言した。「父王ネブカドネザルの時代に神々の如き知恵を持っ
たダニエルと言う神官長がいました、父王はベルテシャザルと呼んでいました。彼なら
ばこの字を読めるでしょう。」と。ベルシャザルは、ダニエルを呼び、字を解釈させた
。ダニエルの解読によれば「神は父王ネブカドネザルに権勢と栄光を与えた。しかし、
彼は尊大、横暴に振る舞い思うがままに人を殺したので王位を追われ栄光は失われた。
父王は野獣の如き有様となり雨に身を濡らし、ようやくこの世を統べるのは神である事
を知った。ベルシャザル王、あなたはこれを知りながらなお神に従おうとしなかった。
祭具で酒を飲み、石や木で作られた神々を讃えた。だから神はあの手を遣わして文字を
書かせたのである。文字は「メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン」である。メネは数え
るの意、あなたの治世を数えたてそれを終えた。テケルは測るの意、あなたは秤にかけ
られ不足であると判定された。パルシンは分けるの意、あなたの王国がメディアとペル
シアに分けられる事を意味する。」と言う事であった。そしてその日の夜、ベルシャザ
ル王は殺された。(Wikipedia)
- 211 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/15(金) 13:52:30.56 ID:FHqIyKH3a
- イスラム社会のコーラン 266
ダニエル書第8章には、ダニエルが幻を見た年としてベルシャザル王の治世第3年目
とある。その上でこれは史実との相違点がある。旧約聖書の記述のうち、明らかに事実
と反するのはベルシャザルが王であると言う記述と、ネブカドネザル2世の息子である
と言う記述があって相違がある。しかしながら、聖書には高位権力者を指して「王」と
いう語を用いることがあるため、代理統治者としての意味で用いられたとすれば、これ
は誤りではない。と言う意見もある。またヘブライ語には祖父や孫を表す語が存在せず
、子孫を「子」、祖先を「父」という。この意味でも「父王ネブカドネザル」が「父祖
である王ネブカドネザル」という意味で記述された。とすれば、これは決定的な誤りだ
とも言えない。大宴会中に現れた指が王宮の壁に文字を書くのを見て、恐怖に駆られた
ベルシャザルが、「文字を読み解き明かす者には王国の『第三の位(第三の権力)』を
与える。」と宣言している。その謎解きを果たしたダニエルに、ベルシャザルから『第
三の位(第三の権力)』が与えられた。と聖書には記されている。ベルシャザルの布告
で、『第三の…』とことわり書きされていることが、ナボニドゥス(第一)およびベル
シャザルの権力(第二)を前提にした「位の授与」とみることも可能であるという。又
、ダニエル書5章でダニエルのことをベルシャザルに進言した、王母をネブカドネザル
2世の娘ニトクリスとみるなら、ダニエル書の中の物語の論理的整合性と、史実との整
合性を量る可能性は大いにある。つまり、ネブカドネザル2世の妻はアッシリアの憎し
みを持って嫁に来ていた事になる。この聖書に記された「ベルシャザールの饗宴」の、
エピソードは、さまざまな芸術作品の題材ともなって。こうした書き換えは、死海文書
(しかいぶんしょ/しかいもんじょ)の発見によっても書き換え言い換えがわかる。
- 212 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/15(金) 14:05:16.86 ID:FHqIyKH3a
- イスラム社会のコーラン 267
死海文書あるいは死海写本は、1947年以降死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にある
クムラン洞窟などで発見された 「972」の写本群の総称である。主にヘブライ語聖書(
旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。死海文書の発見場所は1947年当時イギリ
ス委任統治領であったが、現在では、ヨルダン川西岸地区に属している。「二十世紀の
最大の考古学的発見」ともいわれるものだ。なお、広義に死海文書という場合は、クム
ランだけでなく20世紀後半の調査によってマサダやエン・ゲディ近くのナハル・ヘベル
の洞窟から見つかった文書断片なども含むと言う。なので、文書数にはもっと幅が生じ
るのであるが一般的に死海文書と呼ばれる。この文書はヘブライ語聖書の最古の写本を
含んでいて、宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ち、第二神殿時代後期のユダヤ教の
実情をうかがわせるものでもある。文書は大部分がヘブライ語で書かれており、2割ほ
どのアラム語文書と、ごくわずかなギリシア語文書およびアラム語の方言のナバテア語
の文書を含んでいる。多くは羊皮紙であるが、一部は砂漠では生産されない牛皮であっ
た。また一部はパピルスもある。文書の成立は内容および書体の分析と放射性炭素年代
測定、質量分析法などから 紀元前250年ごろから紀元70年の間に書かれたものと考えら
れている。死海文書を記したグループを、クムラン教団と呼ぶが、これについては伝統
的に エッセネ派と同定する意見が主流である。固有な暦を持ち、日々の生活は、祈祷
・律法研究・農工作業・祭儀的な沐浴と共同の食事などの日課に従って整然と営まれた
とされ4000人ほどの会員がパレスティナ内外の多くの土地に居住していた。1945年死海
沿岸で遺構が発見され紀元前2世紀の後半、ここに集まり、ローマの支配に対しての、
ユダヤ人の大規模な反乱「第一次ユダヤ戦争」で紀元後68年ごろに四散したものと推測
されている。彼らは「義の教師(メシア)」に率いられ、12人の平信徒と3人の祭司か
らなる教団会議で、10人ごとのグループに分かれ生活のあらゆる面で清浄さを強調し、
後の修道士とよく似た団体生活を送った。
- 213 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/18(月) 23:15:07.23 ID:L3Gdj0BbM
- イスラム社会のコーラン 268
死海文書の内容は大きく分けて 3つに分類することができる。第1は「ヘブライ語
聖書(旧約聖書)正典本文」で全体の4割、ほぼ半分だ、第2は「旧約聖書外典」と「
偽典」と、よばれる文書群(エノク書、ヨベル書、トビト記、シラ書などでユダヤ教の
聖書正典としては受け入れられなかったもの、全体の3割)、第3に「宗団文書」と呼
ばれるもので、クムラン教団の規則や儀式書、『戦いの書』(1QM、1Q33、4Q285、11QSM
)と呼ばれる書など(全体の3割)である。「死海文書の戦いの書」は、闇の息子たち
に対する光の息子たちの戦争の巻物とされている。「光の子と闇の子のあいだに、最後
の戦いが生じ世界が崩壊する・・・」と書いた死海文書の中でもっとも有名な予言の書
といえる。内容は、ユダヤがひとつになった70年後に、ユダヤ民族と他民族(非ユダヤ
、ローマ人)が戦争を引き起こすというもの。そのときには、40年戦争が起こるという
ことも記されています。つまりユダヤがひとつの70年後は、1948年のイスラエルの建国
後の70年となり2018年からそれは始まるという予言とされて、その方向に動いた組織が
米国にあった。その書では、5年間の前哨戦があり(2018〜2023年)6年間の準備期間
の後(2024〜2030)29年間の戦争(2031〜2060)が起き世界は終末を迎える。と今は
なっている。この期間は発表期に次々と当てにならないが少なくとも911の首謀者に
は2000年から、即ち21世紀からだったらしい。特徴として、戦闘の配列、兵器、参加
者の年齢、および軍事行動について説明されいる。
- 214 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/18(月) 23:21:10.27 ID:L3Gdj0BbM
- イスラム社会のコーラン 269
「死海文書の戦いの書」の内容の要約が以下である。「荒野に追放されたレビの息子
、ユダの息子、およびベンジャミンの息子は、光の息子の追放者が荒野から戻ったとき
、彼らのすべての軍隊に対して彼らと戦う。イスラエルの神の前では、戦いと恐ろしい
大虐殺が起きるであろう。なぜなら、それは古代から彼によって暗黒の息子たちの全滅
の戦いとして指定された日だからである。その日、神の会衆と男性の会衆は互いに交わ
り、大虐殺をもたらす。光の子と闇の勢力は、大勢の轟音と、神と人の叫びで神の力を
示すために戦う。災害の日に。それは神に贖われた人々にとって苦痛の時となったので
ある。彼らのすべての苦難は、そのようなものは存在せず、永遠の贖いとしてその完成
を早めていく。キッティムとの戦いの日に彼らは戦いで大虐殺を繰り広げる。3つの区
画では、光の息子たちが邪悪に打撃を与えるようにしっかりと立ち、3つでは、ベリア
ル軍が力を後退させるように自分たちを強化します。光の歩兵の旗が彼らの心を溶かす
とき、神の力は彼「光の子・孫の芸術」を強化するでしょう。35年間の奉仕の間、戦争
は行われる。6年間、衆全体が一緒に分割戦争は残りの29年間行われる。最初の年に
彼らはメソポタミアと戦い、2番目にルドの息子たちと戦い、3番目に彼らはアラムの
残りの息子たちと戦う。第四と第五に彼らはアルパクシャドの息子たちと戦う。6番目
と7番目に、彼らはアッシリアとペルシャのすべての息子と大砂漠までの東部人と戦う
。8年目に彼らはエラムの息子たちと戦い、9年目に彼らはイシュマエルとケトゥラの
息子たちと戦い、その後の10年間で戦争はハムの息子たちと戦い、彼らの領域に残りの
10年間、戦争は彼らの領土に従ってすべての『ジャフェの息子』に対して分割される。
。
- 215 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/18(月) 23:25:48.73 ID:L3Gdj0BbM
- イスラム社会のコーラン 270
「邪悪を一掃する神の神秘」追跡のラッパには、「神はすべての闇の息子たちを打た
れ、彼らが滅ぼされるまで彼の怒りを和らげてはならない」と書くであろう。又、彼ら
が戦いから戻ってフォーメーションに入るとき、彼らは退却のトランペットに「神が集
まった」と書く。敵との戦いからエルサレムの会衆に入る帰路のラッパには、「平和な
帰還における神の喜び」と書くでしょう。レビの息子とは、イスラエル12氏族の事を
指し、祭司階級レビ族(レビ氏族・レビ支族・レビ人)の祖となったレビの子孫で聖書
を崇める民全てである。ユダの息子は当然ユダヤ教でありベンジャミンの息子はダビデ
王の支配地の人々即ちイスラム教徒とされる。ベリアル=ペルシャ「光の子・孫の芸術
」は、欧州と米国を指す物と目される。孫とは王の最初からいない国で、芸術とは兵器
を意味する。メソポタミアと戦い、ルドの息子たちと戦い、アラムの残りの息子たちと
戦う。第四と第五に彼らはアルパクシャドの息子と戦う。ルド=ヤコブ=富める者で、
大富豪達である。アラムはアラブ人・アルパクシャドはノアの子孫で、アフリカ人もし
くは黒人と目されジャングルの民である。アッシリアとペルシャの全ての息子と大砂漠
までとは当然砂漠の民を示し、エラムの息子たちと戦い、イシュマエルとケトゥラの息
子は当然残る大陸人と島嶼国の島人、更に南方の熱帯の人を指す。つまり世界大戦が起
こると言う示唆である。当然死海文書の「戦いの書」の予言書はその他に口伝の伝承も
ある。戦争に勝ち残るとされる光の子に対して、後世の書や口伝はメシア(救世主)が
登場し「アロンのメシア」や「イスラエルのメシア」がいるが、実際の死海文書には、
黙示録のようなメシアの登場はない。ここで問題の光の子とするのは、国旗からみても
どうも日本の様だ。と言うのである。これは日本人にとってはとても迷惑な事だ。
- 216 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/19(火) 00:38:40.15 ID:zYo5WwbZN
- イスラム社会のコーラン 271
紀元前の古文書の、1947年以降死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にある クムラン
洞窟などで発見された 972の写本群の総称なのだが。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)
と聖書関連の文書からなっていて「二十世紀最大の考古学的発見」ともいわれていた。
現在は、イスラエルが1967年の第三次中東戦争の後で 考古学博物館にあったこの死海
文書を回収し、イスラエル博物館内に新しく作られた「聖書館」に移されて研究されて
いるという。そしてこの死海文書はロックフェラー財団が所有し、保管しているものも
ある。エルサレムにも彼らの博物館は古くからあって、この死海文書通りにこの世界を
動かしていたとしてささやかれてもいる。2020年の発見されて、アメリカの聖書博物館
が所蔵していた16の断片では、すべて偽物であると判定している。死海文書を記した者
は、当時のクムラン教団のユダヤ人のグノーシス派と言うのが定説だ。このクムランで
共同生活を送り、修行により超能力を駆使して、さまざまな予言を行ってきた教団とも
いわれている。この説ではイエスキリストも、実はこのクムラン教団にいた教徒の集団
ともいわれる。バビロンが栄華を誇り、メディヤ人によって、滅ぼされれ、バビロンが
荒廃して行く中で、そこは今や人が住まない場所となっている。メディヤ人によって滅
ぼされたバビロンはバビロニア帝国の首都であったが、BC539年に メディア・ペルシャ
帝国の侵入を許し、あっけなくも没落してして、そこの宗教がムクランにやって来たと
も推測される。この時代には、占星術,天文学をはじめとするカルデア文化がバビロン
を中心として開花していたからだ。いわゆる神秘主義のクムラン教団で預言者から予言
者に変化する。この事からもその流れにそって発祥したのだろうとも思える。この時代
に日本なんて言う意識は当然ないはずだが、そこは神秘主義である。日本の国旗の起こ
りも不思議だが、各国の国旗も不思議だ。先ず縦筋か横筋かで大きく民族性がある様だ
それに色である。特徴的な赤と青と白と黒だ。この使い方に宗教性がある。
- 217 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/19(火) 00:52:06.15 ID:zYo5WwbZN
- イスラム社会のコーラン 272
中東地域はその特徴にアジア的な部分を残す。死海のある場所は地図で示す通りだ。
ヨルダンとイスラエルの国境線上にある、地球上で最も低い海抜マイナス420mに位置
する、生物が棲まない不思議な塩湖として有名な場所が、死海の場所である。字の如く
かつて海だった場所とされ、海の干上がった塩分の高い湖が存在する。ただただ死海に
入るだけで不思議と体が浮き上がり、読書だってできる。それほど塩分濃度が高い所だ
。ハリウッドセレブも美容のためにやって来ては、泥パックして流行してるそうだが、
歴史的には、絶世の美女クレオパトラが死海に訪れ、化粧品工場を造ったことでも有名
である。こうした美容や癒やし効果がある死海の魅力もあるが、この死海の近くで見つ
かった文書は、直ぐに欧州に伝わり、読んだ内容に恐れおののいたのがキリスト教の総
本山のバチカンの法王庁であった。公表を差し止めに動いたといわれる死海文書には、
羊飼いが発見した1947〜1956年の間に11の洞窟から、次々に発見されて、ヘブライ語の
聖書の断片まであって、約850巻もの文章が発見されたという。銅板に書かれたものが
一つだけあって、ほとんど羊皮紙巻物に書かれたものだ。恐らくは銅板は印刷用に幾つ
かあったが盗掘されたのであろう。ヘブライ語と、ギリシャ語やアラミック語で書かれ
た貴重な発見であった。ダマスコ教団と密接に関係するクムラン教徒のものとされたが
、この中で完全体の7つの巻物があって、内『イザヤ書』や『ハバクク書注解』『共同
体の規則』『外典創世記』の4巻がその年の3月に、エルサレムにある聖マルコ修道院
の院長が、シリア正教会の大主教アタナシウス・サミュエルに渡ったのを、現在の価値
で約100ドル、24パレスチナポンドで買い取って保管した。『戦いの書』『感謝の詩篇』
と『イザヤ書』の断片の、3巻については、死海文書の発見を知った ヘブライ大学の
考古学教授のエレアザル・スケーニクとビンヤミン・マザールが買い取ったとされて、
後にアタナシウス達は、4巻の文書を売りたいとWSJ紙に広告を出して、イスラエル
政府の意を受けたマザール教授とスケーニクの息子イガエル・ヤディンが匿名で買い取
り、やっと7巻が全て揃って公的保管に至った。
- 218 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/22(金) 08:06:18.22 ID:nuebWt3Hd
- イスラム社会のコーラン 273
宗教論争では、エッセネ派について、彼等は、肉体は滅びるものであり、それを構成
する物質は永遠ではないが、霊魂は不死で滅びないと確信していた。そして肉体の復活
、いわゆる死者の復活があることを信じていた。「死海の西側で、岸からの有害な蒸気
の達しない所に、エッセネ派の孤立した部族が住んでいる。それは、世界中の他の全て
の部族が及びもしない驚嘆すべき部族である。女性を入れず、性欲を断ち切り、金も持
たず、棕櫚(しゅろ)だけを伴侶としているからである。来る日も来る日も人生の試練
から逃れた者達の群れが、受け入れられてそれと同じ数の、人生に疲れ、彼等の生き方
に倣うために運命の大波によってそこに追いやられた者達が生活している。こうして何
千年もの間、語るに信じがたいことだが、そこにおいて誰も生まれない種族が永遠に生
き続けている。彼等にとっては、他の者達の人生の疲れが、豊かな実りとなっている。
これらの者達の住む下に横たわるのは、土地の豊かさや、棕櫚の森などでエルサレムに
つぐ聖都である。だが今はエルサレムのように灰土の山となったエン・ゲティの町だっ
た。」と紀元後に訪れたローマの地質学者大プリニウス(27〜79年)は伝えている。この
エジプト人の様に死後を侵攻しインド人の裸僧の様に修行し「僧伽(さんが)」を行う。
『死海文書のすべて』によれば、エッセネ派の信仰で、運命についての教えは、予定論
的神学であって、ユダヤ教の3つの宗派はそれぞれの見解をもって接していた。パリサ
イ人見解は、「ある出来事は、すべての出来事ではない。運命による業の結果である。
」その他は、それが起こるのも起こらないのも、我々人間側の自由意志にかかっている
。つまり本人の意思で本人の運命が決まるのでそんな宗派は受け付けられない。と言う
のである。一方、エッセネ派の宗団は、運命こそが一切の出来事の支配者であり、我々
人間の経験するすべてのことは、運命の定めあるところに従って生起したもうのだ。と
説明し神を崇めた。つまりある部分は運命である部分は本人の意思だ。という主張も、
受け入れなかったので、当然パリサイ人とは混じり得なかったのだ。
- 219 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/22(金) 08:17:21.17 ID:nuebWt3Hd
- イスラム社会のコーラン 274
一方でサドカイ人は、この運命というものを一切認めない。即ち、この世にそのよう
なものは存在せず、人間の営みが運命に支配されるということはあり得ない。とした。
一切のものは、我々自身の自由な意思で定まり、我々の幸福は 我々自身が創り出し、
不幸に苦しむのはこれまた我々自身の無思慮の結果である、と主張した。対してエッセ
ネ派は、今存在しているものや、これからするもの、それらすべては知識の神から来る
。神はそれが存在する前に、それらの全体的な構想を考えられ、定められた通りに存在
する。それらは神の栄光ある構想に従い、何の変更もなしで、己の働きを成し遂げる。
として説いていた。彼等の著者は「闇の天使は義の子等すべてを迷わせ、そして終わり
まで、彼等の罪や、不義、悪のすべてが、また彼等の不法な行いのすべてが、神の秘密
に従って、闇の天使の支配によってもたらされる。」と言っています。つまり生活全て
が「自業自得」「「因果応報(いんがおうほう)」「撒いた種の収穫」の連鎖として、
全く相いれなかった。こうしてエネッセ派は「戦いの書」を書いた。のシナリオ全体も
、予定論の教えを前提にしています。神は歴史がどのように展開するかを悠久の昔から
定められておられた。神はすべてを掌握されておられるのだから、最終戦争はただ神の
永遠の青写真に従って起こるのだ。というわけです。そして、死後の生について、歴史
家ヨセフスによれば、この問題について、ユダヤ教の3つの宗派は見解を異にしている
として、パリサイ派は死者の復活を信じましたが、サドカイ派はそのような奇蹟を一切
否定した。つまりエネッセ派は神に戦争があり終末思想に洗脳され、パリサイ派は否定
し物笑いをし、サドカイ人は困って一部認め一部否定したのだ。ここで不思議なのは、
エネッセ派とパリサイ派となっているのは白人アジア人共にいたからだろうが派となっ
ているのに中間のサドカイはサドカイ人と人種としている点だ。修行がないので当然で
はあるのだが、ユダ戦争でエルサレム神殿の崩壊と共に姿を消したユダヤ教の一派の、
司教の一団とされ、かれらが放浪の末にたどり着いたのが佐渡ヶ島とも言う者もいる。
- 220 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/22(金) 08:17:57.65 ID:nuebWt3Hd
- イスラム社会のコーラン 275
エッセネ派の神学的特徴は、モーセの律法を規範として神に啓示され、宗団が、伝え
発展させた律法の伝統に絶対服従することで、この厳格な律法主義はパリサイ派よりも
強かった。そして、律法以外にも彼等は祭司的教派であったので、イスラエルの預言の
伝統を非常に重んじていた。よってエゼキエル書やダニエル書も重要な書として扱い、
第2イザヤ書も重要視されていた。ここで、終末観が強く支持され持っていた。といえ
る。その終末観とは、この地上にエルサレム及びその神殿を中心とした永遠に続く新し
い神の国の出現を期待することであった。ここで重要な、戦争の為の終末論が出来上が
るのである。それは「新しい創造」であって、全ての罪を知らざる堕落以前のエデンの
状態への回復ではあったのだが。そして説かれる最後の審判とは、最後の戦いであって
、光の子が闇の子に最終的に勝利を得るものとされた。彼等の教徒は、一人一人この戦
いの戦士であり、「戦いの書」に出て来るこの戦いの敵である「キッティーム」との闘
いをし、地上の敵が滅ぼされるのみならず、悪そのものを徹底的に滅ぼし、光と正義と
が永遠に支配するようになるのです。(:「キッティーム」と称せられるのはローマ人か
どこかの種族かと問われるが、キッティームの語は、年代や場所によって解釈が違う。
ここでは闇の天使ベリアルの軍らしい。)また、上記説明と同じく彼等は霊魂の不滅、
あるいは永遠の生命を信じていましたから、この生命が死によって中断されないことは
楽園回復と結びついている。彼等にはこうした考えから天使信仰にも結び付き、天使の
存在を信じ、「天使のように生きるべきであり、天使と交わり更に天使のようになるべ
き」と考えていたようである。そこで回復されたエルサレム神殿に、神と天使が共に降
って来て人と共に住み給う。と唱えた。クムラン宗団はメシア思想で、新しいモーセ的
預言者、レビの種族から出る新しい大祭司、ユダの種族から出る新しい王の3人の救出
者、すなわち1人の預言者と2人のメシアを期待していました。
- 221 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/22(金) 08:21:34.47 ID:nuebWt3Hd
- イスラム社会のコーラン 276
発見された写本を調べてみると死海文書は3種類に分類でき、1つ目は「旧約聖書外
典(正典には加えられていない文書)」「偽典(正典と外典にも含まれていない文章)」、
2つ目は「旧約聖書正典」、3つ目は「戦いの書(光と闇の終末戦争に関する内容)」で
あった。中にはクムラン教団という死海文書を書いたと思われる宗派の戒律も含まれて
いる。これら聖書に関連する写本の中で最も奇妙なものは「戦いの書」とされている。
問題の戦いの書は、旧約聖には存在しない内容で、何らかの理由によって意図的に削除
されたのか、あるいは後世に伝わらなかった。と考えられている。「戦いの書」は終末
戦争について、事細かに描かれた記述がある。世界にはヨハネの黙示録や、北欧神話の
ラグナロクを筆頭とした終末戦争の伝説が数多く存在するが、「戦いの書」に書かれた
終末戦争はさらに細かく記されていることが判明している。「全ての神の民に救いが訪
れ、神の側の者達には栄光が訪れ、サタンの側の者達は絶え間ない破壊に苛まれる。」
「世から不平等が消え去り、闇の子が持つ特権は全て消え去るだろう。」「キッティー
ム(世界を征服する民族)による支配は終焉を迎える。」「光の子と闇の子の対決は最後
の戦いである。」「両軍とも天使の助けを得て戦いを続けるが、神の意志は光の子に向
くだろう」といった内容で、さらに細かい描写も存在する。「貧しい者の命は混乱の中
で弄ばれ、迫りくる災厄が同調している。」「滅びの罠があちこちで開き、邪悪な網が
全ての水面を覆い尽くす。」「滅びの矢が一斉に放たれ全て命中するだろう。」終末論
者の中にはここで登場する滅びの矢を核兵器と解釈する者もいるようだ。死海文書では
これまで存在していなかった終末論だけでなく、キリスト以外の救世主の存在を示唆し
ていることも特筆するべきものであろう。この「戦いの書」がキリスト教聖書から消え
ていたにも関わらず、なぜだか、死海文書の発見前に既に口伝伝承で「終末思想が」大
きく出回っているのである。
- 222 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/24(日) 21:22:05.63 ID:SOABfcu+R
- イスラム社会のコーラン 277
「立法会議から離れて、心のかたくななままに歩んではならない、アロンおよびイス
ラエルのメシアが現れるまでは。」という記述があり、イスラエルのメシア=キリスト
と解釈した場合にアロンというキリストと同格に位置づけられている人物の存在を示唆
する内容がある。確実視されているわけではないものの、旧約聖書に登場するモーセの
兄としてアロンという人物の名が出てくることから、最も偉大な預言者モーセの兄こそ
がメシアであると記している。という説もある。これらの記述はキリストが、現存する
聖書の内容での、唯一絶対な存在である。と考えるカトリック教会の教えとは異なって
いる。この点などから「失われていた真実」とされ一時的にもてはやされたことがある
。一方で、現在では「隠された真実」という見方をする場合も多く、壺に密封されてい
た点などから「未来の世代に向けた真実」という解釈をする学者もいる。仮に隠された
真実であった場合、何故隠す必要があったのかという疑問が浮かぶ。そこで専門家たち
が出した仮説は、アロンという人物がメシアであることを隠す為に死海文書を隠したと
している。今後世界のどこかに救世主としてキリストではない人物が現れるのではない
かという説も囁かれている。実は宗教学的には自己収束理論から、サタン=キリスト=
「キッティーム」とも出来る。となると、壮大な攪乱ゲームをキリスト教がやってきて
「嘘だよ〜〜ん。」と書いた死海文書が出た感じだが。果たして「両軍とも天使の助け
を得て戦いを続けるが、神の意志は光の子に向くだろう。」といった内容である。この
中のモーセの兄としてアロンとは何か。
- 223 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/24(日) 21:22:35.97 ID:SOABfcu+R
- イスラム社会のコーラン 278
民数記では、イスラエル人の民の全体は,第1の月にチンの荒野に入り,民はカデシュ
にとどまることになった。ミリアムはそこで死に,葬むられた。そこには民の為の水が
なく民はモーセとアロンに逆らって集合した。民はモーセに不平を言いった。「兄弟が
エホバの前で死んだ時に、私たちも死んでいればよかった。どうしてエホバの会衆を、
この荒野に連れてきて,私たちと家畜をここで死なせるのか。どうして私たちをエジプ
トから連出して,こんなひどい場所に連つれてきたのか。ここでは種たねをまけず、イ
チジクやブドウやザクロも育そだたない。飲水さえもない。モーセとアロンは会衆の前
から離れ,会見の天幕の入口に来きてひれ伏した。するとエホバの栄光が現われ始じめ
た。エホバはモーセに言いった。「つえを取とって民を呼集め,あなたと兄のアロンが
民の目の前で大岩に話して,水を出させなさい。あなたは民の為に大岩から水を出し,
民と家畜に飲ませなさい。モーセは命じられた通りにエホバの前からつえを取とった。
モーセとアロンは会衆を大岩の前まえに呼び集め,モーセが民に言った。「さあ聞きな
さい反逆者たち!、この大岩から私たちが貴方達の為に、水を出さないといけないので
す。」モーセは手を上げ,つえで大岩を2度ど打った。すると,たくさんの水が出てき
て民と家畜は飲みだした。その後ごエホバはモーセとアロンに言いった。「あなた達は
、私に信仰を示めさず,イスラエルの民の目の前まえで私を神聖なものとしなかったの
で,私が与える土地にこの会衆を連れて入いることはない。」これがメリバの水である
。イスラエル人がそこでエホバに不平を言いい、神は彼らの間で自分を神聖なものとし
た。
- 224 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/27(水) 23:28:53.46 ID:4eEkbjEk+
- イスラム社会のコーラン 279
「モーセとアロンが会衆から離れて臨在の幕屋の入り口に行き、そこにひれ伏すと、主
の栄光が彼らに向かって現れた。主はモーセに仰せになった。『あなたは杖を取り兄弟
アロンとともに共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。
あなたは、その岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい。』
モーセは命じられたとおり、主の御前から杖を取った。そして、モーセとアロンは会衆
を岩の前に集めて言った。『反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水
を出さねばならないのか。』モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとば
しり出たので、共同体も家畜も飲んだ。」(20:6〜11)
主はモーセに、「杖を取り、共同体を集め、岩に向かって、水を出せと命じなさい。」
と言いました。そしてモーセは、主が命じられたとおりに杖を手に取りました。二人で
、会衆を岩の前に集めました。そこまでは良かったのです。しかし次の行為が神様の意
に反した行為でした。それは、「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのため
に水を出さねばならないのか。」と言ったことです。そして次に、「杖で、岩を二度も
打った」ことです。この言葉と行為が、神の御心に反しました。
神様はこのモーセの言葉の中に、あたかも今まで自分が民を率いて来たかのような傲慢
な心を態度や言動に見ました。神様からすれば、「ああ、モーセ、お前までも私をない
がしろにし、自分をまるで神のようにふるまうのか。」と思ったに違いありません。主
の御心を悲しませる言葉でした。民の不信仰が、指導者モーセまで襲ってしまっていた
のです。詩編106:23と32〜33(P.946)までを読んでみましょう。
「主は彼らを滅ぼすと言われたが、主に選ばれたモーセは、破れを担って御前に立ち、
彼らを滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。・・・彼らはメリバの水のほとりで主を怒
らせた。彼らをかばったモーセは不幸を負った。彼らがモーセの心を苦しめたので、彼
がそれを口に乗せたからであった。」とあります。
- 225 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/27(水) 23:29:40.26 ID:4eEkbjEk+
- イスラム社会のコーラン 280
終末予言では、「滅びの矢が放たれて命中し、炎に襲われ地上は焼き尽くされ、水を
飲むものは消え失せ、地上の者は気が狂う。」「エルサレムの 荒廃の時が終わるまで
には、主(しゅ)が予言者エレミヤに告げられたことを悟った」「1.全ての神の民に救
いが訪れ、神の側の者達には栄光が訪れ、サタンの側の者達は絶え間ない破壊に苛(さ
いな)まれる。2.世から不平等が消え去り、闇の子が持つ特権は全て消え去るだろう
。3.キッティーム(世界を征服する民族)による支配は終焉を迎える。4.両軍とも
天使の助けを得て戦いを続けるが、神の意志は光の子に向くだろう。」戦いの最後には
、世界を破滅から救ってくれる「2人の救世主(メシア)が現れる」と記されています
。「アロンの救世主」と「イスラエルの救世主」です。かつての日本人ユダヤ同祖論が
再び脚光を浴びて「イスラエルの救世主」=日本人である。という考えが強まっている
理由はここにある。ここでアロンとは誰か。死海文書やユダヤ教聖書、ポールソロモン
の預言によると、エルサレム発の中東戦争は、世界大戦に発展して。核ミサイルも使わ
れ、「光と闇の最終戦争」となると信じている様で、「エルサレムの丘/神殿の丘で、
悲劇が起こり、それをきっかけとしてイスラムの人々が決起し、日本も含めて世界中の
国々が戦争に巻き込まれるだろう・・・。」「日本から光が来る、そして世界の啓蒙を
手助けとなるだろう」などと言っている。ここで1に「全ての神の民に救い」と言うの
で全地球上の民であろう。ここでサタン側と神の者側に分れる。そして苛まされる。と
いう。2、で世の不平等が消える。となっている。更に「キッテーム」だからキックの
人群れ、つまり「蹴りつける集団」である。テロ分子や極右や極左、と言う事だろう。
4は神の意思は光の子に向く。と言うのは正しい人に、神は味方する。と言う単なる、
当たり前の歴史的収斂である。そして最後はとってつけたメシアを書き加えたのだ。
- 226 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/30(土) 15:53:42.97 ID:u2WLc2T6c
- イスラム社会のコーラン 281
出エジプト記では、彼(モーセ)が山にいる間、民の心は堕落した。彼らはアロンの
もとに集まって言った。「私たちが仕えることができるよう、他の民族も持っているの
と同様に、神々を私たちのために造ってください。なぜなら、モーセを通して私たちの
面前で驚くべき業が行われましたが、あのモーセは私たちから奪われてしまったからで
す」。そこでアロンは彼らに言った。「落ち着きなさい。モーセは来るであろうから。
そして彼は私たちに定めをもたらし、私たちのために法を明るく照らし、神の至高を、
自分の口から告げ、我が民族のために掟を定めるであろう。」彼はこう語ったが、彼ら
は聞き入れなかった。〔…〕さて、民に非常に力があったのでアロンは恐れ、彼らに言
った。「私たちのもとにあなたたちの妻の耳飾りを持ってきなさい」。そこで男たちは、
各々自分の妻に頼み、彼女たちはすぐに渡した。そして彼らがそれらを火に入れると、
それらはある型に形造られ、鋳造された子牛が出てきてそれに向かって祈った時:さあ
、私をほうっておけ。私の怒りは彼らに対して熱く燃え上がり、私は彼らを消滅させる
。そしてお前を大いなる民としよう」。:モーセは彼の神、主の顔をなだめ、言った。「
主よ、なぜあなたの怒りは燃え上がるのでしょう。あなたがエジプトの地から大いなる
力と強き手で導き出したあなたの民に対して・・・と言う。つまりモーセと違いアロン
は、偶像崇拝をして、神は許すのである。「お前を大いなる民としよう。そしてアロン
に対して主は激しく怒り、彼を滅ぼそうとした。そしてモーセはアロンのために祈った
。」のである。その後モーセは顔をなだめ言った。「主よ、なぜ あなたの怒りは燃え上
がるのでしょうか。あなたが強き腕で(エジプトから)導き出したあなたの民に対して
。とモーセも又神に、ちゃんと理由を示せ。と問いかけている。
- 227 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/30(土) 15:54:06.31 ID:u2WLc2T6c
- イスラム社会のコーラン 282
そもそも死海文書とはなんなのか?。そして、そこに書かれた予言とは何なのだろう
か?。死海文書を読み解くと、キリスト教発生の根幹にかかわるような重大な事実や、
イエス・キリストの正体がわかってきた。アロンにはアロンの杖と言う魔法の杖の伝承
がある。「 神が選んだアロンの杖は、『芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモ
ンドの実を結んだ。』」とある。実は日本のアルプスの山頂 アルプスの槍ヶ岳には、
太陽の神紋を持っている。誰が置いたのか、法師の杖とされるアーモンドの紋なのだ。
これは、日立のマークの盾に楕円の紋だ。五世紀後半ごろ、男大迹王(後の継体天皇)
が越前でお過ごしの間に越前平野の大治水事業を行った。まずその初めに朝廷に祀られ
ている大宮地之霊(坐摩神)を足羽山に勧請し、諸事の安全を祈願したのが足羽神社の
起源とされている。この坐摩神は、磨裸神でありそれは男性器を神としている。対して
太陽の神紋はその相手である女性器を神とする紋である。つまりこれは大地や水などの
雄々しい雄叫びに女性がなだめる様な行為を行い、神の怒りを鎮める。と言う決意を、
ここに表しているのである。でそれが鎮魂できて第26代天皇として即位をされ越前を発
たれる時に、「末永くこの国の守り神とならん」と、自らの生御霊(いきみたま)を鎮
めて旅立たれて行かれた。として足羽神社が作られた。足羽神社の御神紋は「三光(さ
んこう)の紋」といい、これは非常に珍しい紋章で、「日(太陽)」と「月」と「星」
を組み合わせて丸で囲んで標されている。天空に昼を輝かす太陽と、夜に全ての物を照
らし、命と力を与える月。そして闇夜でも方角の導きとなり、その不動の輝きから天皇
を象徴する星(北極星)としている。第14代仲哀天皇の皇后、神功皇后の三韓攻略の
御旗に描かれた紋にちなんでいるともいわれています。継体天皇も朝鮮半島の任那(み
まな)の援軍派遣に際し、同じ紋章を使っていた。といわれてもいる。つまり菊の御門
以前は月星太陽紋だったのである。いわゆる月星紋に輪を描けた紋である。壮大な宇宙
全体の大きな力に御威光の無辺を表し、まさにご神徳神に相応しい御神紋でと言う。
- 228 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/10/30(土) 15:55:33.46 ID:u2WLc2T6c
- イスラム社会のコーラン 283
メシア思想を持ちこんだクムラン教団の、死海写本と新約聖書を読み解くと、裸体僧
の修行僧の暮らしをしていた事が解る。ここに恐らくは出エジプト記から出でた奴隷層
は居を構えて生き延びたのだろう。そして交通の要所だった街にたまには買い付けやら
御布施をもらい寄進寄与で生きていたのだろう。そこの街が段々と進化し贅沢になり、
少し嫉妬しては、憎らしくなり、結局は終末思想を送り出した。この紀元前からの流れ
で現代まで生き続ける終末論は、NWO(新世界秩序/人口削減後の世界統一政府)を
言い説き、それを目指し、エルサレムを荒廃させ戦争させ、世の終わりを説きキッカケ
に、闇の勢力は大規模な世界戦争(人口削減戦争)を引き起こしてきた。フリーメイソ
ンやら、黒い教皇などの、いわゆる陰謀論とされる物も、一般の人には架空の話だが、
暇を持て余す貴族や王には、心湧き踊る未来よもやま話で、知の冒険活劇に違いない。
かの、予言者のアルバート・パイク(1809〜1891年)は、予言ではなく実行できる計画
書をつくり、ここ数百年の間、その計画通りに実行してきて、いよいよ最終段階・仕上
げがある、という事にした。そして新薬聖書はもとより旧約聖書も少しずつ書き換えら
れて世に広がっていく。申命記では「出エジプト記 32 章の金の子牛像事件」をモーセ
が語り直している。19:主が、お前たちに対して燃え上がらせてお前たちを滅ぼそうと
した怒りと、その憤りのために、私は恐れたが、主はこの時も私のことを聞いてくれた
。20:そしてアロンに対して主は激しく怒り、彼を滅ぼそうとした。私はその時、アロ
ンのためにも祈った。21:お前たちが子牛を作ったというお前たちの罪を、私は取って
火で燃やし、打って粉々につぶして塵とし、その塵を山から流れる川に投げた。…と。
これは不思議な記述である。金の子牛をアロンが作ったが、私が捨てさせて許しを乞う
た。だから命があるのだ。と言うのである。
- 229 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/11/09(火) 17:36:18.05 ID:7IleT0BJk
- イスラム社会のコーラン 284
終末の預言者を期待する時代が来た事は、明らかに申命記(18:15、18)や、新しい時に
当たり、マカベア第一書(4:46、14:41)に新しいモーセのような預言者的立法者を期待す
る言葉から現出をこの頃に見る。さしずめ聖書と仏教との融合でキリスト教が作られた
事を示している。モーセ的預言者の待望論は、キリスト教以前のユダヤ教において最も
鮮明な一般信仰の一つであったようだ。つまりは紀元前に旧約聖書を書く時に既に語ら
れ、信仰されていたと言う事になる。また、新約においてもこの消息を伺うことが出来
る。ヨハネ(6:14、7:40)特にヨハネ(6:14)の 5000人の給食の奇蹟においては、イエスは
マナの奇蹟を再現する第二のモーセとして描かれている。その後に、新約聖書とクムラ
ン文書との間に、重要な一致、類似、相違が記入されて出回ったと推定される。しかし
、類似や一致があったとしても、これが直ちに新約聖書がクムラン文書に拠っている。
ということとは限らない。しかし「出エジプト記」によると、神に選ばれたの一家族が
、ヨセフの死後、エジプトにおいて400年間にわたって 奴隷となりながら、膨大な数の
大家族(400〜600万人)とも言われる人口に膨れ上がり、神が その人々をそこから救い
出す。と言うまやかしに乗って「出エジプト」する物語を行い。僅か3人がイスラエル
、つまりカナンの地の中に入り、一人のみが子孫を持つと言う境遇である。300万人
に一人の生存率を、聖書は褒め讃えるのだ。その上に更にイエス時代に求めるのだから
狂信としか言いようがない。新約聖書には、パリサイ、サドカイの2派の他に、神の国
を待望するグループがいるとしている。すなわちバブテスマのヨハネグループ等である
。もちろん前2派の如くにまとまった1派ではなかったろう。メシア待望という終末的
な面においてのみ、大雑把に前2派と区別されている。エッセネ派はこのグループの中
に含まれていたのではないか。という説だ。ヨハネの福音書で、イエスの最初の弟子が
バブテストのヨハネであったとされる。ヨハネの弟子が、全てイエスの弟子となった訳
ではないが、イエスの伝道の時代に、ヨハネの弟子のグループは数多く存在していた。
そして、ヨハネのこの宗団は原始キリスト教の成り立ちでは、ライバルでもあった。
- 230 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/11/09(火) 17:36:42.14 ID:7IleT0BJk
- イスラム社会のコーラン 285
マンダヤ教の文書によれば、彼等はイエスの死後でも、ヨハネを、真のメシアと考え
て信仰していたし、イエスを偽りのメシアとも考えていたようだ。ヨハネの福音書は、
このような状況を背景としていたので、ヨハネの弟子は、イエスがヨハネの後に来たが
故に、ヨハネを上位と置くのに対して、かなり酷く反対した記述がある。福音書では、
イエスは創造の始めより存在した。と言ったが、ヨハネの前よりも在ったとも述べてい
る気遣いである。しかし又、福音書は、ヨハネは光ではなく真の光であるイエスを証し
せんとする為のものであった。と論じた。つまりわき役だからであって、信仰の中での
上位戦争をし、それを許さなかったのである。また、ヨハネ派とエッセネ派との関係に
おいては、双方とも儀式にこだわり、聖杯の水であるバブテスマ運動の中枢を担ってい
た。けれども、ヨハネは1回のバプテスマに対して、エッセネ派は何回も繰り返してい
た。とされている。又、エッセネ派のバブテスマでは、教団への強制入会も意味してい
たのである。バプテスマ、即ち洗礼の儀式は、キリスト教の礼典の一つであることで、
バプテスト教会を含むプロテスタントが用いるが、当時に本当に今の形だったかは、大
きな疑問だろう。修行僧、つまり当時に裸僧にとって、布施を乞うのが一般的で、金を
与える一般人に、功徳の行いとして優位に貰う立場は、変える事は出来ない秘儀だった
ろう。やっと苦しい苦行の過去の世界から人々の救いの御経や経典の僧が、またくいっ
ぱぐれの世界に戻る事になる。それは貧民の暮らしに戻る事になる事を意味し。それで
は苦しすぎる。そこで修行僧のエッセネ派は大きく支援者取り込みに動いて、金を稼い
で生き残る形だろう。かつての天下一下の会のネズミ講である。信じれば救われる式で
何回でも気が済むようにように信者に洗礼を施したのである。
- 231 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/11/09(火) 17:37:09.72 ID:7IleT0BJk
- イスラム社会のコーラン 286
だがエネッセ派のそれに対して、ヨハネの運動は個人的であり、今で言う、茶会やテ
ィパーティの様な富裕層の選挙戦の後援会クラブの様な物だった。宗団をなさず、規律
も設けない主義だった。ヨハネは確かに弟子を集めて、祈りの場を与え、訓練をなした
。しかし、それはあくまで旧約聖書を信仰と言うより学習の場としての教育施設の様な
計らいだったと思われる。宗団の様な、強制集団行為や加入攻勢をさせる様子はなく、
あくまでも穏やかに「平和の持続」と街の周辺まで「知識や教養が溢れて豊かな暮らし
」が出来る様に 守っていた宗教と言える。ブッダが生まれたのはこのキリストより少
し前だ。ブッダ(ゴータマ・シッダルタ)が生まれたのは、紀元前五六〇年頃(諸説有
)とみられる。現在のネパールとインドの国境付近にあった カピラヴァットゥという
シャカ族の小国家の王子だったが、ある時出家する。この頃も衣一枚の裸形僧や裸体僧
は数多く流行してた。と言うより、ちゃんとした衣服その物が無かった時代の僧の決ま
りとも言えるかもしれない。グノーシス主義は、そうした中で、紀元前後、特に紀元後
2世紀頃に中東で発展した、ある特徴を持った宗教の総称である。その特徴とは大まか
に言うと霊の存在であった。曰く「この世界の創造神は無知な悪神、否定的な存在であ
る。人間には、この世界の外にある『光』が一部残されている。知識(グノーシス)を得
たものだけがこの世界から逃れられる。」と言う物だ。その起源はイランのズルワーン
教だとか、新プラトン主義だとか、密儀宗教だとか、ユダヤ・キリスト教だとか色々な
説がある。が、とにかく、この宇宙、そして宇宙の創造神を否定的に見ていることが他
のどの宗教とも違った異様な特色である。「この世からの解脱を目的」とする仏教には
、けっこう近い信仰だ。だからといって、人間まで否定的に見られているわけではなく
、人間のなかには、「光のかけら」と呼ぶ宇宙に属する「肉」や「魂」とは対比されて
「霊」といわれる物があるから、私たちは世界の真実を「知る」ことによって、この悪
の世界から「光」へと戻ることができるのである。と言う教義である。
- 232 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/11/17(水) 16:45:33.10 ID:noSg/3fQ2
- イスラム社会のコーラン 287
2世紀頃は勢力を伸ばしつつあったしたキリスト教グノーシス主義派(マルキオン、
バシレイデス、ウァレンティノスなど)は、同じ時代に、ローマ帝国を中心として力を
つけて行くキリスト教正統派(後のカトリック)と激しく神学論争を繰り広げ、そして
結局は消滅してしまった。3世紀半ばに誕生したマニ教では、イランから中央アジア、
そして中国へと勢力範囲を伸ばしていったが、結局8世紀ごろに廃れてしまった。ただ
しマニ教の教えそのものは、中世ヨーロッパ時代のボゴミール派(ブルガリア)、カタリ
派(フランス南部)に強く影響を与えている。このどちらも正統派キリスト教会と激しく
論戦をはり、激しく弾圧されて、そして消えていった。ユダヤ教の「異端」から派生し
たと考えられているマンダヤ教(またはマンダ教)だけは、キリスト教の影響はほとんど
なく、現在でもイラクで細々と、小さな集団が生きながらえているようである。湾岸・
イラク戦争後の現状で、若者が随分と離村して行っているが、現代の哲学や思想にも、
グノーシス主義的なものは多い。紀元前後中東のグノーシス主義と系統的なつながりが
あるわけではないので少し型破りだが、このマンダ教文書から、キリスト生誕の歴史が
見える。マンダ教徒の使うマンダヤ教の文書はマンダ語で書かれていて、セム系言語(
東アラム語)で、「マンダ(manda)」とは その言語では「知識、認識」を意味するも
のだ。なので日本語の曼荼羅と同じなのかもしれない。日常的にはアラビア語を用いて
いる民族だが、宗教文書は全てマンダ語で書かれ、最大の教典は『ギンザー(財宝)・
ラバ』と呼ばれる。その中に『ヨハネの書』、典礼集『コラスター』というのも存在す
る。文書に描かれる象徴画は、独特の印象を抱かせるものである。創始者はマンダ教の
伝承ではザザイ(Zazai-d-Gawazta:一〜二世紀頃)とされる。
- 233 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/11/17(水) 16:45:55.07 ID:noSg/3fQ2
- イスラム社会のコーラン 288
彼らは、イラクの南部に少数の信者が現存し、またアメリカ合衆国やオーストラリア
にも、コミュニティが存在する。信者数は正確な統計がないが、総計5万から7万人と、
推定されている。現地での信者はイスラム教徒に比べ少数で、報告された数では1977年
に15,000人(K・ルドルフ)、1986年に5000人(C・コルベ)、1991年に2000人(上岡弘
二)といわれ、今も尚厳しい状況下に置かれている。21世紀初頭前後の度重なる戦災に
より、隣国イラン・フーゼスターン州のカールーン川流域に5千人から1万人が集団移住
し、信仰をやっと維持している。このマンダ教徒は今日もイラク南部の大湿地帯から、
アラブ系住民の多いイランのフーゼスターン地方にかけて分布する。現在のイラク情勢
に関する文脈で登場するサービア教徒は、おおむねマンダ教徒のことであるという話だ
。イエス・キリストの先達である洗礼者ヨハネを指導者と仰ぐことから、イエスが洗礼
を受けたヨルダン川との繋がりが指摘され、キリスト教の起源に近接したものとして、
注目されるようになった。日曜日を安息日とする。教義が変わっていて、グノーシスに
にて、典型的なグノーシス的二元論で、光の世界の下等神プタヒルが自らを創造主であ
ると錯覚し、闇の世界の助けによって、地上と人間を創造したとされる。闇の世界では
物質から作られた人間の肉体は闇に属しているが、それだけでは動かなかったため、光
の世界に起源を持つ魂がプタヒルにより封入された。これらの所業により、プタヒルは
光の世界の最高神から追放を受けた。とされる。アブラハム、モーセ、イエス、ムハン
マドなどを、闇の世界から送られた偽の預言者とみなし、人類最初の人間であるアダム
とエヴァは、同時に誕生したとする。最高神の命を受けたアベル、セト、エノス、洗礼
者ヨハネが、真実を伝えようとしていた。とする。またエジプトでモーセを迫害した、
ファラオを正義の王としている。イスラーム支配下に置かれた後は、啓典の民としての
体裁を整えるために、洗礼者ヨハネを教祖に仮染にも位置付けている。マンダ教自身が
安全保障上の理由でサービア教徒を自称したか、もしくはイスラーム側の誤解によって
いつしかサービア教徒と見なされるにいたったのか不明だ。
- 234 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/12/20(月) 13:15:17.55 ID:pL7sgef/7
- やっと 戻って来た・・・・・んだが
- 235 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/12/20(月) 13:16:00.86 ID:pL7sgef/7
- イスラム社会のコーラン 289
中世のビールーニーの著作のひとつでは、マンダ教徒をサービア教徒と見なしている
。ここでは、死後の魂は、第3位の神アバトゥルの審判を受け、認められると光の世界
に帰ることができる。世界の終末には、エノスがイエスと対決して打ち破って、地上と
惑星は地獄に落ちて世界が浄化される。と終末を説いている。洗礼儀式に関しては天界
の水は、地上では「活ける水」すなわち流水として流れている。として流水による洗礼
や信仰儀礼の遵守を生きているうちから行うことによって、死後光の世界に帰りやすく
なると説く。その意味で洗礼はキリスト教のように一回限りのものではなく、何度も行
うものである。当初の教義では天界の水はヨルダン川に注ぐとされていたが、現代では
マンダ教徒はユーフラテス川などをヨルダン川に見立てて洗礼を行っている。マンダヤ
教などのグノーシス主義では、宇宙を取り巻く世界には、世界を覆う蛇の役割を果たし
ている悪魔がいる。レヴィアタンであるが、一方のマニ教などのの聖典『巨人たちの書
』においては少し異なる。どちらかというと伝説や民話的な位置づけがなされている。
『巨人たちの書』は、開祖マニが書き記した9つの書物のうちの一つで、もともとは
シリア語で書かれていたらしい。それは中世ペルシア語とパルティア語ではカワーン、
コプト語ではトグラフェンギガス、プチョーメンギガス、プチョーメンサラシレ、アラ
ビア語ではシフル・アルージャバービラ、中国語では倶緩(カワンの音訳)と呼ばれる。
『巨人たちの書』は、幻想動物という視点から見るとマニ教の聖典のなかでもひときわ
面白い内容を有している。根本的には、物語は旧約聖書『創世記』の次の下り(第6章第
1〜4節) に由来する。「さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは、
人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。……当時もその後にも、
地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた
者であり、大昔の名高い英雄たちであった。後にこのネフィリムは巨人であるとされ、
そして「神の子」は天使であるとされた。
- 236 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/12/20(月) 13:19:26.70 ID:pL7sgef/7
- イスラム社会のコーラン 290
こうした、他宗徒が良く歴史を記録してる事は多々ある。特にイラクにおいては、かな
りの宗教の坩堝であった。その中に巨人族もいた。たとえば聖書内でも、『民数記』第
13章にはネフィリムの子孫が大きかったということは明確に書かれている。おそらく、
もともとの神話のなかでもネフィリムたちは巨人だったのだろう。仏教にも仏陀は巨人
族で、大きな体格であったらしい。紀元前560年の昔に、人間関係のイザコザはあっ
たた。2500年前も前でも、ブッダとその弟子たちは、「僧伽(さんが)」という森の住民
の集団を、形成して修行に励んでいる。そうした中で、妬くも恨みも買っている。一般
的な山の暮らしで、鶏や兎ぐらいは飼っていただろう。が、しかし、農業や牧畜などの
集団内での 生産活動の痕跡はなく行っていなかったとされる。生きていくのに必要な
最低限の物資は布施などによって支えられていたのである。王様や富豪たちから土地の
寄進を受け、山の木の実や、どうしても食べれない時には教会寺院に立ち寄り施しを受
け修行暮しが続けられる仕組みである。施(ほどこ)しを受ける中で、悩みごとの相談も
受け、姓名診断や星占い足りない人手の補充、子守りや、話し相手、家族内改革など、
多くをやっていた。こうした暮しは、戦後の山の開拓の暮らしと何ら変わらない。自立
支援であり、夫婦が山で野菜作って暮し、猪肉で暮らしていて、時々山を降りて布施を
もらって街の買い物をしたのでしょう。日本でお遍路が残っているが、TVが普及して
村の寄りが無くなっていったが、ブッダや弟子たちのまわりには、僧俗を問わず、さま
ざまな人たちが集まって来て、話を聞いていた。そうした中でも、人間関係のトラブル
も、しばしば発生していたようである。有名な逸話としては、「美男子ゆえにそのモテ
っぷりが群を抜いた」のがアーナンダだったが、それは修行の妨げになった。というも
のだった。アーナンダは仏陀の叔父に当たる。従兄弟とも言える。この頃のインド宗教
は、ヒンズー教を含めたカーストピラミッド世界の教えである。
- 237 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/12/28(火) 11:56:05.38 ID:6T6HgmeTo
- イスラム社会のコーラン 291
ダイバダッタは 釈迦族教団のブッタが率いる集徒や門徒の乗っ取りを画策していた
。名僧の名を大きくする為に行動するので、アーナンダと共に疑惑と嫌悪感を持ってい
た仏陀で、最後の最期にの頃はそう思って接した。そうした話が綴られている。「仏説
観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)」のお経の中には、マガタ国(紀元前
413〜395年)という国で起こった、親子間の争いの話が語られている。シチュエーショ
ンこそ違うだけで、問題の本質は現代と何も変わってい無い事がわかる。ブッダには、
直接教えを聞くことができた時代でも、トラブルが起こっていたのである。こうした、
仏自身の声であっても、嫉妬や欲望に駆られた人間の耳には入らなかったということを
物語っている。仏典上の摩訶陀国は 紀元前800年頃から、ガンジス川の下流域(現在の
ビハール州辺と北ベンガル)に位置し繁栄した国である。この地域にアーリア系の住民
が浸透して、インドにおいて、ちょうど鉄器時代が始まりった時期で、当時インド大陸
で最大の鉄鉱石の産地である。ガンジス川を介した水運と森林資源が存在したこの地方
は、急激に発達した。一説には鉄器はここは他から技術の輸入がなくインド発祥かもし
れない。とも言う学説もある。紀元前2000年前ぐらいの層に硝子や鉄などの塊がすでに
発掘されているからだ。ともあれ、マガダ国の起源は、バラモン教文献に伝説的な説話
が残されている。クル族の大王のヴァスが、5人の息子に領土を分割した時に、長男の
ブリハドラタがマガダ国の統治者となった。としている。プリハドラタが創設した王朝
はブリハドラタ朝は、インドの二大叙事詩の1つといわれる『マハーバーラタ』の王朝
物語で出て来ており、後継者ジャラーサンダ王やサハデーヴァ王等の王達は主要な登場
人物である。とされる。マガダ王の中で釈迦にまつわる説話で登場するビンビサーラ王
やアジャータシャトル王の時代、隣国アンガ国征服などを通じてマガダ国が大きく拡大
し一大勢力となった。
- 238 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/12/28(火) 11:57:26.50 ID:6T6HgmeTo
- イスラム社会のコーラン 292
実は仏教もヒンズー教も拝火教もジャイナ教も一括りの、バラモン教の中にある。こ
こでバラモンと言うのが不思議な宗教である事をちょっと知らねばならない。バラモン
とは、ヴェーダを権威とする宗教を指しヴェーダの宗教とされる。古代インドの聖典の
ヴェーダ群を起源とする書物や物語で、その伝承宗教が、ヒンズー教であるとされる。
ヒンドゥー教は、広義ではインドにあり、また、かつてあったもの一切が含まれていて
、インドの歴史では先史文明のインダス文明まで遡るものであるという。アーリア民族
のインド定住以後、現代まで連続するインド的伝統全部を指すとまで言われる。ヴェー
ダ教は、仏教以前に存在したバラモン中心の宗教をバラモン教、バラモン教のヴェーダ
時代の宗教思想をヴェーダ教と呼んでいる。ここでアーリヤ人の聖典である4ヴェーダ
の一つで、最も古いとされる聖典である事を記録しておきたい。リグは「賛歌」をいい
、ヴェーダは「聖なる知識」を意味している。紀元前1200〜1000年頃に編纂さ
れ、「神々に捧げられた美しい賛歌」をサンスクリットの古い言葉であるヴェーダ語で
伝承されてきている。インドに侵入してきたころのアーリヤ人の社会を知る上での唯一
の資料となっているものの、このサンスクリット語が難解とされる。また、インド史で
ヴェーダが作られていた時代はヴェーダ時代と言っているが、『リグ=ヴェーダ』で語
られる前1500年〜前1000年頃を前期ヴェーダ時代。『リグ=ヴェーダ』を中心
とするアーリヤ人侵入後の宗教儀式を発達させて、ヴェーダを暗唱し儀式を司る、祭祀
階級が成立し、バラモン身分が最上位に置かれるようになった時代をバラモン時代とさ
れてヴェーダ時代とは分けている。そして彼ら祭祀が司る宗教がバラモン教である。こ
の宗教は日本にも伝わり、リグ=ヴェーダの神々はその後漢字に代えられ日本の中に、
に色々とある。
- 239 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2021/12/28(火) 12:04:36.89 ID:6T6HgmeTo
- イスラム社会のコーラン 293
しかし、リグ=ヴェーダに登場する神々には、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター
』の神々やギリシア・ローマ神話の神々と共通するものが多い。天神ディヤウスはギリ
シアのゼウス、天空と友愛の神ミトラはゾロアスター教の太陽神ミトラに相当する。又
その神々は仏教に伴い、わが国にも伝来に及んでいる。軍神であり雷神であるインドラ
神は仏教世界を守護する帝釈天、河神(女神)サラスヴァティーは弁財天、地獄の支配
者ヤマは、闇王や閻魔大王などだったり、ナラカ・ナラクは、奈落という日本語が生ま
れた。などとなっていて、今でも民間信仰の対象になっている。 アーリヤ人というの
は、良く言われるが、定義すらよくわからない。しかし、インド侵入のアーリア人は、
自然現象に神秘的な力を認める信仰を持ち、「天・地・火・太陽・風雨・雷・川」など
を 神として崇拝する多神教であった。彼らの有する最古の聖典をヴェーダ(本来「聖
なる知識」を意味する)と言い、リグ、サーマ、ヤジュル、アタルヴァの四集から成っ
ていた。その中でも最も古いものがリグ=ヴェーダである。リグ=ヴェーダ、サーマ=
ヴェーダ、ヤジュル=ヴェーダはいずれも神々の伝承であり、アタルヴァ=ヴェーダは
呪術を伝えている。リグ=ヴェーダはアーリヤ人がインダス流域に移住した前1500
年ごろより後の、前1200〜前1000年頃に編纂され、他の三ヴェーダはガンジス
川流域に移住した前1000年〜前500年頃に作られた。とされている。ある意味で
は、言葉が産まれた頃からの伝承を集めて出来た、最初の詩集や物語とも言える。ヴェ
ーダの聖典(文献)は、4種類あり、それに付随する文献が3種類ある。それぞれに、
役割を持つ流れを持っている。もしヴェーダ=上意や天意とするなら、リグ=理・具と
訳され、サーマ=様、模様、ヤジュル=夜知る・闇智慧とでも言えるだろう。
- 240 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/01/11(火) 23:46:32.17 ID:AK4IumQMu
- 【ブリュッセル=畠山朋子】欧州連合(EU)のダビド・サッソリ欧州議会議長が11
日、イタリア北部アビアノの病院で死去した。65歳だった。昨年から体調不良で入退
院を繰り返しており、12月下旬から免疫機能障害による合併症で入院していた。
伊中部フィレンツェ出身。イタリアで記者、テレビキャスターとして活躍後、政治家
に転身し、2009年に 欧州議会議員に初当選。中道左派の会派「社会民主進歩同盟
(S&D)」に所属し、19年7月から議長を務めていた。今年1月に任期満了の予定
だった。AFP通信によると、欧州議会は来週にも次期議長の選出投票を行う。
彼は 投票に際して人気度NO1で40%の得票数だった。その上一番若い。・・・・
ちょっと信じられない。TVアンカーマンのキャスター議員の死である。又中国か??
- 241 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/01/18(火) 15:27:03.92 ID:fQFPe+E1g
- イスラム社会のコーラン 294
『リグ・ヴェーダ』は、叙事詩で、紀元前10世紀頃に編さんされた最初の聖典である。
『リグ・ヴェーダ』は古いサンスクリット語で書かれていて、1,028篇の詩から成り、
10巻に分かれた長い大著である。紀元前1200年頃を中心に賛歌が作られたと考えられて
おり、インド最古の文献で、その中には暴風雨や太陽などの自然現象を神格化した多数
の神話上の神々が登場し、神への賛歌の他に婚礼や葬儀など儀礼の際に詠う詩も収めら
れている。その中にノアの箱舟やアダムとイブ或いは天地創造の聖書が物真似の物語で
ある事が解る部分が多々書かれている。『ヤジュル・ヴェーダ』『サーマ・ヴェーダ』
が他にある。『リグ・ヴェーダ』は、次いで古く祭詩の集成である『ヤジュル・ヴェー
ダ』と、歌詠の集成である『サーマ・ヴェーダ』が編さんされた。この二つは祭祀を取
り持つ御経の位置付けががなされる。『リグ・ヴェーダ』『ヤジュル・ヴェーダ』『サ
ーマ・ヴェーダ』は三ヴェーダとして大きな権威を持って、その中身まで指定した文献
といえる。『アタルヴァ・ヴェーダ』は他の三ヴェーダよりやや遅れて紀元前1000年頃
に呪句の集成である『アタルヴァ・ヴェーダ』が編さんされました。ヴェーダのサンヒ
ター(本集)に付随する文献では、ヴェーダは主要部分を「サンヒター」といい、一般
にヴェーダという時はこれを指します。サンヒターに付随する文献が、紀元前 800年頃
前後から紀元前500年頃に成立しました。
ブラーフマナ (祭儀書):祭式の規定と祭式の規定の神話的解釈を与える文献
アーラヌヤカ (森林書):人里離れた森の中で伝授される秘儀的祭式や教義を説く文献
ウパニシャッド(奥義書):宇宙の原理や人間の本質に関する哲学的な教説
こうしたヴェーダから生まれたのが、ウパニシャッド哲学だとされる。
- 242 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/01/18(火) 15:27:39.37 ID:fQFPe+E1g
- イスラム社会のコーラン 295
ウパニシャッド哲学は「ヴェーダ文献の総仕上げ」とされる。この奥義書とも呼ばれ
るウパニシャッドは、ヴェーダ文献の総仕上げとしての最終部門で、祭式主義から主知
主義への移行が表れた哲学的教説である。オウム真理教での大きな治験はこの主知主義
との闘いである。主知主義は感性よりも知性や理性の働きを重視する考え方のことです
。ウパニシャッドの最古の文献は紀元前六世紀頃に成立している。ウパニシャッドは、
婆羅門(バラモン)の哲学者が編さんし、婆羅門文化以外の諸民族で信仰や呪法が取り
入れられて、雑多な思想と見えるが、このインド発祥で他に盛り込まれた。とも言える
。思想の中心はブラフマンとアートマンの合一説「梵我一如」であり、その思想の中心
は、宇宙原理(宇宙我)である「ブラフマン」と、個体原理(個人我)にある。「アー
トマン」の合一説「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の思想で結実する。業と輪廻の教説
でもあり、仏教が興隆する以前に成立していたものだ。ウパニシャッドを研究している
「ヴェーダーンタ学派」は、ヴェーダ聖典の教説を 統一的に解釈しようとするのが、
ヴェーダンタ学派だ。ヴェーダーンタとは「ヴェーダの最終」を意味し、ヴェーダ聖典
の最終部のウパニシャッドを研究する学派のことをヴェーダンタ学派と呼んでいる。私
が高校の頃は、ブラフマンとアートマン我の、外世界と内世界の統一は、精神世界の中
の主要部分と解説されていた。1世紀頃のバーダラーヤナの開祖で、宇宙の根源原理の
ブラフマンを、唯一の実在とする一元論を確立した『ブラフマ・スートラ』は5世紀頃
に出来上がった。ヴェーダーンタ学派の哲学者としてシャンカラが8世紀に著書を残し
ているが、シャンカラは、人間は無知を原因として輪廻を続けている。説に固執して、
、現象世界に実体はない。として仏教の中観思想につながる思想を持って布教している。
- 243 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/01/27(木) 16:12:45.17 ID:dddcqs3J7
- イスラム社会のコーラン 296
こうして、旧来の「輪廻」と「業」の思想の原型が固まって、仏教にもみられている
「輪廻(りんね)」と「業(ごう)」の思想は、王族から婆羅門達にとって、口伝伝授
される。という形でウパニシャッドにおいて はじめてのその定形源流となって行った
。輪廻の説では、善悪二元論からの、二道説が説かれ、人が死んで光の道を行った者は
月を経て不死の世界に赴くが、闇の道を行った者は雨となって再び戻ってくる。として
、前者が神の道であり、後者が祖霊の道である。と説く。これが輪廻説の原型ですが、
次第に不死のアートマン哲学と結びついて、枝葉が付き、真理が探求されてゆきます。
さらに、輪廻説は深化して、人間は自らの行いの善悪に応じて その果報を受ける。と
いう因果応報論で、「業」の思想の原型もウパニシャッドの中にも現れます。業の思想
もアートマンと結びつき、後の哲学諸派の学説の基礎が築かれた。インド二大叙事詩の
『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』が成立が、紀元前2世紀〜2世紀の間であったが、
インド二大叙事詩である『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』もそれによって成立し
ている。吟遊詩人によって民間に伝えられていた戦争や魔王を征伐する物語が整理され
、400年頃に、こうして 物語は継ぎ合わされて、現在の形に整いました。『マハーバー
ラタ』は王位継承をめぐる争いの物語を骨格として、話は進むが、様々な神話や哲学的
、宗教的教説などを盛り込んで進む童話となっている。全体の思想としては、ヴェーダ
時代とは異なり、この時代に婆羅門教から、ヒンドゥー教への移行が見られたと言われ
る。『マハーバーラタ』に収められた宗教詩である『バガヴァッド・ギーター』では、
神を称え神を信じる者は、行いや生まれの貴賤にかかわりなく「神の恩寵」によって、
解脱に至ると約束されると説かれ、今日まで愛誦され続けている。これはどう言う事か
と言えば、神は存在しないとするか存在してるが見えないものと考えるか自由だが、こ
こで神を信じる者は、神が見ている。と言う事になる。と言う事は悪い事は因果応報と
して捉える事で、善処を自分に強いるからだ。ここに解脱がある。善き事をする。困難
があっても壁があっても善き事を信念をもってする。それが社会をつくるのである。
- 244 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/01/27(木) 16:22:10.43 ID:dddcqs3J7
- イスラム社会のコーラン 297
こうして婆羅門のしきたりから外れる流行で ヒンズー教に移って行くのだが、ここ
にその掟に反対する宗派が仏教だった。ブッダが「仏教」を興していくが、王子の座を
捨ててまで入信して苦行を積む理由は、家長制度にあったようだ。およそ戦争や紛争と
言うのは、単なる領土争いや宗教争いではない。雌雄を決する権力争いで、生死を分け
た身分争いである。言わば凄惨な兄弟げんかとも言える。第一次世界大戦で、ロシアの
皇帝もイギリスの皇帝もドイツもスペインも皆んなが縁戚状態、つまり従兄弟繋がりで
領土争いし、その後に第二次世界大戦をしている。此の因果応報が今の世界史にある。
自由思想家として仏教を興したゴータマ・ブッダは 紀元前500年頃に生まれた。ブッダ
は、アートマン(自己)を形而上学の実体とみなして、諸学派が論争が繰り広げていた
当時の状況を否定し、真理を求める実践的な理法を説いた。理想世界を説くのに現実の
世界に実践する。この事は、戦争でも発明でも行われる行為だが、あらためて人の行動
が、その前に思想や考えが導く動きや活動である。と思い知らされる。それでも、なか
なか一筋に貫く事は難しいし、特に思想を説くと言う事での生活を維持するのは、特に
難しいのだった。仏教はアートマンを否定した無我の立場で輪廻と業の思想を説きまし
たが、アートマンの思想の否定は、当時の人々にとって画期的なものでした。仏教では
自由思想の新しい思想集団として立ち上がっていったのです。この新しい考えに共感し
ていたとしても、最低十数人のパトロンつまり支援者を持たねば食っていけないのであ
る。こうしてバラモンとされるインド慣習は、頑なにカ−スト制の身分差別ピラミッド
を守るヒンズーと、その醜悪な権力を批判する仏教と、更に宗門のしきたりを一切排除
して自然主義、無殺生主義のジャイナ教とに分かれて行った。キリストが産まれる前の
インド・パキスタン或いはアフガンでの話である。特に今回爆破されたバーミヤン渓谷
の石窟像は古代以来の都市で、この分化した頃のバラモンの中心とされる。
- 245 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/01/27(木) 16:23:08.82 ID:dddcqs3J7
- イスラム社会のコーラン 298
では、実際のところ、ブッダは人間関係についてどのように考えていたのだろうか。
基本仏教は「悪い友と交るな。卑しい人と交るな。善い友、尊い人と交(まじわ)れ。」
である。『ウダーナヴァルガ』第25章3節には、シンプルに、力強い言葉で、こう言う。
きっとブッダも、悪い友や卑しい人に苦労させられた。そうでなければ、こんな実感の
こもった言葉は出て来ないと思われる。ここに重要なポイントがある。それは、ブッダ
が「気の合う人とだけ、つるんでいればいい。」とは言っていないことです。私達は、
自分と気の合う人、つまり自分と似た意見を持つ人を肯定的に捉え、「善い人」と考え
がちである。しかし逆に、気の合わない人は「間違った人」として遠ざけられ、その人
自身に対しても、否定的な見方をしてしまうところがある。しかし、自分自身の意見が
必ずしも正しいとは限らない。人は間違いがあるのが常だ。貴方が無自覚の内に、邪な
考えを、色眼鏡や偏見で正しい判断だ。と考えているとしたら、気の合う人もまた、邪
な意見を持っている人になっているのが現実だ。それならば、耳が痛くても正しい意見
や違った意見をしっかり聞いて、それを言ってくれる人の話を聞いて考察すべきなのだ
。私たちは、物事を自分の都合のいいようにねじ曲げて捉えてしまう。これは人間にあ
る様々な仕組みから本能的な防御システムだ。だから、実は「自分は正しい」と思って
いる時こそ、落ち着いて考えてみることが必要となる。それでも思い違いや情報の曲が
りや油断などに遭遇して心に隙が生まれると、ブッダの言葉でさえ自己肯定や言い訳に
利用されて間違いの道に突き進む。気の合う人と過ごす時間は愉快で快適だ。何より楽
で、多少うるさく感じる友こそが、あなたの本質をよく知り必要な気付きを与えてくれ
。
- 246 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/01/27(木) 16:23:29.07 ID:dddcqs3J7
- イスラム社会のコーラン 299
本当に必要なのは「気が合わない人」が大事なのはブッダも知っていただろう。この
仏陀の示したのが「卑しさ」の醜さである。ブッダが残した言葉の中には、短くて簡潔
なものが多くあります。けれども、その背景には深い意味が込められている。ここから
、その事についてまず言えるのは人生や生きる事の本質である。ブッダが言う「卑しい
」という事ついては、『スッタニパータ』の「蛇の章」で詳しく語られている。この章
の背景は、以下の通りです。托鉢をしていたブッダが、火を崇(あが)める司祭の家を訪
れた。そこには聖火が灯され、多くの供物がそなえられていた。近づいてくるブッダの
姿を見ると、司祭は、「卑しい奴め、聖なる火が汚れるからこれ以上近づくな!。」と
横柄な態度を取ります。ブッダの 質素な身なりを見て、見下したのである。すると、
ブッダは応える。「司祭よ、あなたは卑しい奴と言うが、そもそも卑しい人とは何か知
っているのですか? 人を卑しい人たらしめる条件を知っているのですか?」これには
司祭もたじろいで、こう思ったでしょう。「この人はタダ者じゃない!」と。ブッダに
諭(さと)されて、さすがの司祭も素直になった。「ブッダさん、私は人を卑しい人とす
る条件を知りません。どうか、私に教えてくれませんか。」そして、ブッダは卑しい人
の条件について語る。ブッダは、この教えを請われて初めて冷静に語り出すのですが、
普通は絶対に無理である。最初の発言で怒り、即座に言い返してケンカになる。ただ、
よく考えてもらいたいのは当時、つまり高々千年前でも、食べる物は充分でなく衣服は
特に不足し、家については洞窟に暮らしているのは一般的であったのだ。今や五輪の為
のダイニングセンターで食材が浪費されたとされるが、より以上に浪費されたのは建物
である。いつからこんなに日本人が勿体ない事をして来たのか知らないが、古今の議員
の放伐な無駄予算は目に余る程のものだ。いずれは耐用年数が来て消える物をわざわざ
資金を掛けて壊し、ちょっと一部を使ったから志摩サミット会館のように再資源化した
なんて嘘は止めて欲しい物だ。
- 247 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/02/10(木) 00:36:09.76 ID:H5UPQ4gBk
- イスラム社会のコーラン 300
ところで、此の様に、ブッダは自分が答えを持っているとわかっている。その時でも
、その答えをむやみに振りかざしたりはしません。相手が受け取ってくれるタイミング
をしっかりと見極めて、粛々と説いたのである。仏教では、教えの中身もさることなが
ら、この「(タイミングを)見極める」という姿勢を大切にしている。いくら正しい事
を言っていても、それがまっすぐに伝わらなければ意味がないからだ。タイミングを、
間違えてアドバイスをすれば、それは相手にとって嫌味なお説教になってしまう。それ
を聴きたいと思った時に替えて卑しい人の条件を話したのである。怒りやすくて恨みを
いだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、彼
の人を賤しい人であると知れ。と言ったのである。『スッタニパータ』で、自分をほめ
たたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、此れを賤しい人であ
ると知れ。『スッタニパータ』は、実際は尊敬されるべき人ではないのに尊敬されるべ
き人(聖者)であると自称し、梵天を含む世界の盗賊である。かれこそ実に最下の賤し
い人である。わたくしがそなたたちに説き示した。これらの人々は、実に〈賎しい人〉
と呼ばれる。この他にも『スッタニパータ』の「蛇の章」で、卑しい人を説明する言葉
がいくつも出る。この場で紹介することはできませんが、「ああ、こんな人、いるなぁ
」と納得すること間違いなしで言う。自分こその基準が正しいと信じる怖さ、ここで、
ちょっと疑問が出る。なぜ、ブッダはこんなにも悪い人の特徴に詳しいのか。それは、
悟りに至る過程で人間の心の作用を深く観察したから。とされる。ブッダをブッダたら
しめた所以(ゆえん)の1つは、この観察による客観性であった。
- 248 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/02/10(木) 00:37:11.45 ID:H5UPQ4gBk
- イスラム社会のコーラン 301
死海文書描かれた知恵の木、エディヌの庭園。シンエヴァで登場した死海文書と思わ
れるものは、シュメール、メソポタミア文明で作られた楔形文字(くさびがたもじ)で書
かれている。アダムスや人類、書物に描かれたもののデザインが、シュメール、メソポ
タミア文明に登場する神々のレリーフと同じように描かれています。@知恵の木、特に
死海文書後半のリリスと思われる存在の足元に、よく見ると二つの木の実が生えた木、
見上げるヒトがかかれています。これは知恵の木であると考えます。生命の木は、死海
文書の序盤ですでに登場しており、木の下に、翼の生えていないヒトと思われる存在が
いる。そして、このシーンでは、よく見ると最低でも4人。存在しています。アダムと
イヴ以外にも人がいたという事です。つまり知恵の実を食べるシーンは、単純に聖書に
書かれたままのシーンではない。ということを示すものだ。また、アダムとイブ、知恵
の実を食べてしまうエピソードの失楽園には、シュメール神話が、元になっていると言
われています。シュメール神話には、ニンフルサグという植物、大地の女神がいます。
角のついた頭飾りをつけ、段々のスカートをまとい、つながれたライオンの子を伴った
姿で書かれることがある。ニンフルサグのレリーフに描かれた木は、シンエヴァで書か
れた知恵の木とそっくりです。エデンの園とイブの話はシュメール神話を元にしている
と言われている。リリスの足元の聖書の挿し絵でも複数人、エデンの園にいたことから
も、聖書のエデンの園に加えてシュメール神話のエディヌの庭園での出来事が融合され
ていると考えられます、
- 249 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/02/21(月) 22:32:16.92 ID:8btN7P28e
- イスラム社会のコーラン 302
この絵にえがかれています。それは足元にライオンがいるということです。これはシュ
メール神話の大地の女神ニンフルサグの特徴と一致するとともに、金星、愛、豊穣、の
女神イナンナと一致します。イナンナもニンフルサグ同様の特徴を持ち、つながれた
ライオンの子を伴ったレリーフが有名です。イナンナは後にバーニーの浮彫というレリ
ーフでリリスと共にモデルとされました。しかし、イナンナの有名なエピソードである
「イナンナとフルップの樹」ではイナンナが育てた生命の木にリリスが、住み着く話が
あり、明確にイナンナとリリスは別の存在として、登場している。またニンフルサグの
夫であるエンキは知恵をつかさどります。人間に肩入れすることが多く、下半身が蛇で
えがかれることもあり、リリスと同一と扱われる事があります。ニンフルサグの場合も
イナンナ同様に明確にリリスとは異なる存在となります。他にも「イナンナとフルップ
の樹」ではライオンの頭を持つワシの怪物「ズー」が登場します。少し見えにくいです
が初号の絵の後ろに羽の生えた生物がいることからこれがズーを表しているならますま
すイナンナがモデルの可能性が出てきます。初号窟にはニンフルサグ、特にイナンナを
意識的に模している可能性が高いと考えられ、その場合 明確にリリスと異なる存在で
あると言える。またニンフルサグは全ての生物の母として知られ、イヴ=エバ、と同じ
人間と言われています。もしも初号の絵で「リリス」を表したいのであれば、エンキ、
エンリルなど他の神の方が適切であった。と言える。初号の絵が示す者、イヴ又はエバ
の存在とアダムと関係ありそうなアダムス5人と、対極の位置に描かれていることから
、初号の絵はリリスではなく「イヴ」つまり「エバ」を明確に表している可能性が高い
と言われる。死海文書で、人類の後ろに神の姿として「イヴ又はエバ」が書かれている
ことから、エバは人類の味方をする神であると死海文書を見た人はとらえたはずです。
葛城博士がゴルゴダオブジェクトの中に人類を救済することができる虚構の神がいる。
と予測するならば、名づける名前はアダムスでもリリスでもなくエバ(イヴ)である。な
のでエヴァイマジナリーという名前をつけたのではないでしょうか。
- 250 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/02/21(月) 23:06:22.29 ID:wOsmoPdHT
- やい!にゃかお!😾
本スレに来ないと思ったら別スレ立てやがって😾
- 251 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/02/22(火) 11:01:45.67 ID:EaiR8ME4u
- イスラム社会のコーラン 303
ここで、ニンフルサグは全ての生物の母として知られ、イヴと同じ位置を占めるよう
だ。この話はアダムの肋骨からのイヴの創造の話と重なっているが、「肋骨」と「生命
」が同じ単語で表されるのはシュメール語のみである。古代メソポタミア全史で、シュ
メル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで伝説は伝わってここに来た(中公新書)
更に、死海文書にはまだまだ謎が隠されていそうで、あまり解明は進んでいないようだ
。神話によると、ペルセポネー(当時のコレー)は、アテーナーとアルテミスのように
永遠の処女であることを誓ったため、アプロディーテーはエロースの矢で、冥界の王の
ハーデースを射ることを画策する。ちょうどペルセポネーは、ニューサ(山地であるが
、どこであるのか諸説ある野原)でニュムペー(妖精)達と供に花を摘んでいた。する
とそこに一際美しい水仙の花が咲いていた。ペルセポネーがその花を摘もうとニュムペ
ー達から離れた瞬間、急に大地が裂け、黒い馬に乗ったハーデースが現れ、彼女は冥府
に連れ去られてしまった。まあ水仙の毒を意味するのか、そのまま文字通り冥界という
異境の地を指すのかは、又大きく意味が変わるが、この女神は冥界王を操ったのである
。ところが神々の国のオリュムポスでは、母デーメーテールがさらわれて、ペルセポネ
ーの叫び声を聞きつけた。そして娘の姿がどこにもないことに気づくと、悲しみにくれ
ながら、松明を片手に行方の分からない娘を探して地上を巡り歩いた。そして十日目に
灯火を手にした月神ヘカテーと出会って、ペルセポネーが誘拐されたことを聞くのだ。
そこで二柱の女神は太陽神ヘーリオスのところに行き、ヘーリオスから、ハーデースが
ペルセポネーを冥府へと連れ去ったことを知る事になる。一説にはアレトゥーサが教え
てくれた。とされる。女神はゼウスの元へ抗議に行くが、ゼウスは取り合わず、「冥府
の王であるハーデースであれば、夫として不釣合いではない。」と容認発言した。
- 252 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/02/22(火) 11:02:06.97 ID:EaiR8ME4u
- これ
を聞き、娘の略奪をゼウスらが認めていることに、妻のデーメーテールが激怒し、オリ
ュンポスを去り大地に実りをもたらすのをやめ、地上に姿を隠す。まあ天照の岩窟隠れ
みたいな話である。大地の豊穣の女神デーメーテールの娘である、ペルセポネーの誘拐
は、彼女を結局冥界の女王とさせている。
- 253 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/02/22(火) 11:02:40.48 ID:EaiR8ME4u
- イスラム社会のコーラン 304
冥府に連れ去られたペルセポネーは丁重に扱われ、冥府の宮殿に迎え入れられるも、
自分から進んで暗い冥府に来た訳ではないため、ハーデースのアプローチに対しても、
首を縦に振らなかった。 一方、その後ゼウスがヘルメースを遣わし、ハーデースに、
ペルセポネーを解放するように伝え、ハーデースもこれに応じる形で ペルセポネーを
解放した。その際、ハーデースが ザクロの実を差し出す。それまで、拒み続けていた
ペルセポネーであったが、ハーデースから丁重に扱われていたことと、何より空腹に耐
えかねて、そのザクロの実の中にあった12粒のうちの4粒(または6粒)を食べてしまう
。そして母であるデーメーテールの元に帰還した。家についたペルセポネーであったが
、冥府のザクロを食べてしまったことを母に告げた。冥すると界の食べ物を食べた者は
、冥界に属する。という神々の取り決めがあったため、ペルセポネーは冥界に属さなけ
ればならない事を知った。デーメーテールはザクロは無理やり食べさせられた。と主張
してペルセポネーが再び冥府で暮らすことに反対するものの、デーメーテールは神々の
取り決めを覆せはしなかった。そして、食べてしまったザクロの数だけ 冥府で暮らす
事で裁決が下り、1年のうちの1/3(または1/2)を冥府で過ごすこととなって、彼女は
冥府の王妃ペルセポネーとして、ハーデースの元に嫁いで行く事に なったのである。
そしてデーメーテールは、娘が冥界に居る時期だけは、地上に実りをもたらすのを止め
るようになった。これが冬(もしくは夏)という季節の始まりだという。農作物の消長
の原理はこうした神話によって説明されている。これがデーメーテールの怒りと言われ
四季の始まりちされる。また、ペルセポネーが地上に戻る時期は、母である豊穣の女神
デーメーテールの喜びが地上に満ち溢れるとされる。これが「春」という季節である。
そのため、ペルセポネーは春の女神(もしくはそれに相当する芽吹きの季節の女神)と
される。ペルセポネーの冥界行きと帰還を中軸とするエレウシース秘儀は死後の復活や
死後の世界における幸福、救済を保証するものだったと考えられている。
- 254 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/02/22(火) 11:09:09.37 ID:EaiR8ME4u
- なんかさ〜〜最近さぁ〜3chってのが公開されたけどさぁ〜^
ニャ😺かおは思うにさぁ〜〜
辛口批評も人間だに。限度があると思うんだ。 でニャ😺かおは、あっちが見やすいなぁ〜
書きやすいんと ちゃうんかな。〜〜と正直な想いが よぎるんだわさ〜〜〜
どう。 全部移転しちゃって 1から書いてもいいかな。(笑)
- 255 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/02/26(土) 23:05:13.15 ID:eGuIMCfoO
- 顔認証システム誤登録問題
万引きなど問題行為をやってないにも関わらず顔認証システムに登録される客が沢山います
その誤登録された客が店に来たらシステム会社から店に連絡が行き
(実際は入店前に組織から店などに連絡がいく)
更にその誤登録された客のすぐそばにいる別の客にもピンポイントでSNSで連絡が行きます
店員だけではなくすぐ近くにいる無関係の客にも誤った情報が伝えられます
これはある組織が監視カメラの映像に写る客の顔や位置情報、連絡先など個人情報を全て把握しているから出来る事で
誤登録された客だけでなく連絡を受けとる人達も監視していないと出来ません
この情報をあるママ友グループが教えてくれましたが
その人達は自分自身も監視されている事がわかり怖かった様です
この様な監視は何年も前から行われていて、組織的嫌がらせに利用されています
gangstalkerhigai.fc2.net
***追加情報
この書き込みの後、自分に憑きまとう奴等がオッサンばかりになった
だから極秘に入手した貴重な防犯運用情報は事実です
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