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【悲報】凄腕ジャーナリストの門田隆将さん、デニーデマで琉球新聞に直接ファクトチェックされる [963243619]

31 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (ワッチョイW 1188-xNrT):[ここ壊れてます] .net
https://www.yanagiharashigeo.com/html/modules/report/content0001.html

全10ページにわたる陳述書がある。被告新潮社の一員である門脇護が、2002年2月18日付で東京地裁に提出したものだ。青の万年筆で「門脇護」と署名された一段上に、「週刊新潮編集部次長」と書かれた肩書き。だが、「次長」の部分は二本線で消され、「副部長」と書き換えられている。
ルーシー・ブラックマンさんの事件の裁判で門脇が提出した陳述書である。週刊新潮は2000年10月19日号で「英国人元スチュワーデスの失踪で『ある資産家』の疑惑」なる記事をワイド特集で掲載。この号が首都圏で発売された翌日、別犯人が逮捕された。この記事は、とんだ“ガセネタ”だった。
「ある資産家」は匿名扱いだったが、記事にはさまざまな個人情報が盛り込まれており、周囲の関係者は容易にこの人物を特定できた。
男性は2001年5月、新潮社を名誉毀損で提訴。翌年末の一審判決は新潮社側に150万円の賠償を命じ、2003年10月、最高裁でも確定した。
この記事の担当デスクとして取材を指揮し、執筆したのが門脇護である。その後、門脇は被告側の証人として2002年5月に“出廷”。その間の4月に、編集部内で「次長」から「副部長」(副編集長)に昇進していた。先の陳述書は、そのことを物語る。
彼が「昇進」した2002年4月がどういう時期であったか。
同人が担当した信平狂言の捏造手記が出たのが96年2月。以来、裁判報道という形をとりながらも、捏造関連記事は30回以上にわたり繰り返された。
もともと門脇らが助言して始まった狂言夫婦による民事裁判だったが、2001年6月26日、最高裁で「訴権の濫用」として厳しく断罪され、確定。同じ年の11月、『言論のテロリズム』(鳳書院)が発刊されると、門脇が記者の範疇を超え、狂言夫婦にどのような具体的指示を行っていたかなどが白日のもとに晒された。週刊新潮の“エース記者”に、明確な“捏造記者”の烙印が押された瞬間である。



年季の入った捏造記者だなぁ

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