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(ヽ´ん`)「いじめ嫌だ、学校休む」 今風の親「いいよ」 昭和の親父「バッカモーン殴り返して来い!」◀これが正しかった事実 [701470346]

312 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (ワッチョイW 0f8f-Ebf6):2022/10/20(木) 20:22:59.91 ID:Ylmnjtuw0.net
 (a)リュクルゴス(六一)のあのすぐれた、実に驚くほど完全な国家(六二)において、そして子供の教育をもっとも大事な仕事としてあんなに力を入れた国家において、しかもミューズの神々のいます国家において、学問のことがほとんど問題にされなかったということは、大いに考うべきことである。それはまるで、この国の気位の高い若者たちが徳以外のあらゆる軛(くびき)を軽蔑するところから、彼らには学問の師の代りに、ただ勇気と分別と正義の師のみを与えるべきだと言わんばかりである。(c)プラトンはこれをその「法律」で模範とした。
クセノフォンの中で(六三)、キュロスはアスティアゲス(六四)から、最近習ったことを話してごらんと言われて、「それはこうです。私たちの学校で、ある大きな少年が自分の外套が小さいので、それを友達のいちばん小さい少年にやって、かわりに彼から大きな外套を取り上げました。先生からこの争いの裁きを命じられましたので、私は二人共、具合がいいようだから、このままにしておくべきだと判断しました。すると先生から、間違っているとお叱りを受けました。というのは、私は外套が体に合うということだけで考えを打ち切りましたが、本当は第一に正義ということに着眼すべきだったのです。正義は何人もその所有する物に関して他人の強制を受けてはならないと命じているのですから」と答えた。そして、われわれがわれわれの村でτύπτω(六五)の不定過去第一形を忘れたときのように鞭打たれたと言った。私の先生なら、自分の学校がこのクセノフォンの学校に匹敵することを私に納得させる前に、まず≪弁証法的に≫はなばなしい演説をやることだろう。
だが、スパルタ人たちは近道を選んだ。学問というものはどんなに正しく学んだときでさえ、所詮は、知恵と廉直と果断を教えるだけなのだから、彼らは子供たちをいきなり事実そのものに触れさせて、聞きかじりによってではなく行為によって、格言や言葉だけでなくもっぱら実例と所業によって、生きた方法で、訓育し、鍛錬しようとしたのである。その学問が子供たちの魂に宿るだけでなく、魂の気質となり、習性となるように、とってつけたものでなく、生れつきの所得となるようにと望んだからである。これについて、ある人がアゲシラオス(六六)に、子供たちに何を習わせたらよいと思うかとたずねたところ、「大人になってしなければならぬことを」と答えた。こうした教育が、あんなに驚嘆すべき効果を上げたのも不思議ではない。

ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ
エセー第一巻第二十五章衒学について
岩波文庫エセー(一)p.267〜269

訳注
 (四〇) 古代スパルタの伝説的な立法家。スパルタの法律と軍制を定めたといわれる。
 (六一) 前出一六四ページ。
 (六二) スパルタ。
 (六三) 「キュロス教育」一の三の一五。
 (六四) メディアの王でキュロスの祖父。
 (六五) 私は打つ、というギリシア語の動詞。
 (一七) 前四世紀のスパルタ王。ギリシア諸都市をペルシアから解放するために小アジアの各地に転戦した。エパメイノンダスと戦って祖国の急を救った。のち、エジプトに出征、帰国の途中に歿した。
 (六六) 前出二九ページ。
岩波文庫エセー(一)p.36、p.181、p.275

凡例
 訳文中、(a)は一五八〇年版のテキストを、(b)は一五八八年版における増訂の部分を、(c)はその後モンテーニュが自筆で加筆した部分を示す。
 訳文中、前後に一行を明け、三字下げた箇所は主としてラテン語の韻文の引用である。行を明けずに《 》印を付した箇所はラテン語の散文の引用である。いずれもテキストの体裁にならったものである。
岩波文庫エセー(一)p.3〜4凡例

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