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北斗の拳Part40

261 :100戦士:2024/01/16(火) 23:51:04.70 ID:M4jFTjaF.net
続きだよん♪(^ー^)b

●空海が帰国の途についたのは806年8月(帰国は10月)。
以降、英雄守護の為各地を転々とした北斗一族は、リュウケンの代に北関東の南斗宗家の近所
に寺院を建立し、引っ越した(玉玲は長崎港から中国に向かったので、鉄心の寺は西日本)。
808年、空海は雲心寺に北斗七星を勧請、七星如意輪観音を本尊とすると言う。これが後の観心寺である。
「戦の天才」楠木正成は1294年頃河内国(大阪)で生まれ、河内長野市のこの観心寺で学問を学んだ。
「北斗の庭園」の管理人さんは「信長に仕えた北斗神拳伝承者」として「楠木正虎」説を唱えている。
空海が連れ帰った3人の伝承者は楠木姓を名乗り、それが後に霞家になったと言うのである。
確かに正虎なら信長や秀吉の側に仕えたし、空海や「武士の妙見信仰(北辰北斗信仰)」等も一本の線で繋がる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E8%99%8E
●「青幇六番頭の夏」は「夏文麗の兄」。どういう経緯で青幇幹部になったのかの経緯は不明。
「紅華会四番頭の呉東来」は「上海市長の呉鉄城の兄」。上海は元々「呉」の領地。
●飛燕が道場破りを行なった「杜流陽湖拳道場」の道場主は「杜天風の兄」。
杜には魏瑞鷹に教わる前から既にこの拳法の下地があった。
道場主は「鉄拳で砕いてくれるわ!」と言っているので、陽湖拳は斬撃系の技ではないと思われる。
●拳志郎の異常な嗅覚、霊王の異常な聴覚は其々、「血統」「修行や秘孔」によるもの。
●「ノミの孔さん」や「天斗の小人」は普通に考えれば「小人症」なのだろうが、実は絶滅
したと言われる「インドネシアのホビット族の末裔」としても面白い(ウィキ参照の事)。
●あの4つの墓石は、マンディの死が迫ってる時に飛燕が彫って作った。

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