2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

北斗の拳Part40

337 :100戦士:2024/01/22(月) 23:56:57.64 ID:QHiM6oFS.net
●ケンを妊娠した「拳志郎の次女」はある事情(詳細は不明だが夫の死が関係している)
で日本の叔父羅門の屋敷での出産を決意して来日し、しばらく後にケンを産んだ。
そしてケンシロウと命名された事を喜び、羅門に姉と和解してくれる様懇願しながら死んだ。
死因は幼い頃被爆した事によるものだった。
北斗宗家はケンを台湾へ無理矢理連れ戻し、霞家と絶縁した。だがそれからの1年間は激動だった。
凱武殿の火事とカイオウの母の死、ヒョウVSカイオウ(八百長事件)、そして中国軍の台湾進攻。
ジュウケイはラオウら3人を日本へと避難させた。
ジュウケイは、中国軍の侵攻の中での急な送り出し決定だったので羅門に手紙を出す間もなく
(電話番号は知らなかった)、赤鯱に羅門邸の住所だけを教えて送り届けてくれる様頼み、送り出した。
赤鯱から3人を受け取った羅門は頭の痣からケンの事はすぐ分かって
引き取ったが、ラオウとトキは丁度その場にいた親友の拳法家夫婦に預けた。
3年後、死期が迫った拳法家から2人の引き取りを手紙で依頼された羅門は、
「1人だけなら」と手紙で返事をし、拳法家の死後引き取りに来た。
拳法家(飛燕)は、羅門は必ず2人共引き取ってくれると信じながら逝った。
●羅門が「ラオウ兄弟は劉宗武の孫。母は火事でヒョウ二兄弟を庇って死んだ」という衝撃の真実
を知ったのは、トキの入門も許された後に来た、ジュウケイからの久し振りの手紙によってだった
(台湾では中国軍による併合後手紙類も厳しい検閲を受けており、この頃やっと検閲が緩和された)。
羅門はもう1人の姪(拳志郎の次女)が「姉の子供達の話」を始めようとすると、決まって話を遮って聞く耳を持たなかった。
「あの勘当した姪が死んでいた。。それもヒョウ二兄弟を庇って。。ラオウ兄弟はその
息子達。つまりケンシロウと同じく兄拳志郎の孫達」。羅門は愕然として自らを悔いた。
●霞家は「暗殺者の家系」であり、リュウケンは修行の合間にケンに拳志郎の事もそれとなく話していた。
●ウイグルの言う「劉家北斗神拳」とは、ラオウとトキが劉家の出である事をラオウ本人から聞いていたのでそう発言した。

総レス数 1001
531 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200