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中央大学長距離ブロックを応援するスレpart269
- 359 :◆lgLTCOFFEE (ブーイモ MMc3-crVl [210.149.255.96]):2020/05/24(日) 09:13:46 ID:VJIZ8BGqM.net
- >>358
青葉昌幸(あおばよしゆき)の
https://www.daito.ac.jp/news/details_29488.html
77歳チャレンジに引っ掛けてレスするが、
ヤリタイホーダイで中大60万卒業生に赤っ恥の「中央大学のガン細胞★中大広報室」を訴えるついでに、
変質者のステハゲやその子分のキムハゲってのも
1円慰謝料請求訴訟を提起しようかと思ってるんだが、
小児的精神病者「大学受験病」の患者でもあるステハゲが断じて許せないのは、
大東文化大学までも犯罪的に貶めていることだよな。
その変質者に対して、もっとも激怒しているのは、
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「マラソン漫画の元祖」「陸上漫画の元祖」の
中央大学文学部(英文)出身の御大・吉森みき男先生だろう
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■「日本初のマラソン漫画」■が生まれたのは、
中央大学OB漫画家と中央大学OB漫画編集者と
大東文化大学駅伝部監督との相乗作用によってだが
>マラソンマンガとの出会いは、少年サンデーの連載『ぶっちぎり竜太』で、
>大東文化大学の青葉監督をたずねた時だ。その後、マラソンに魅せられて、
>自分もジョギングなどに参加。。。
(辰巳出版タツミコミックス『熱い道42.195キロ』の表紙より)
上記のように吉森は語っているが、
小学館「少年サンデー」編集担当こそが中央大学漫画研究会をつくった
吉森の4年後輩の熊田正史(現・株式会社ZUBON社長)。
吉森が「日本初のマラソン漫画」を描くことを提案し、熊田が応じて、
『ぶっちぎり竜太』と同じ1976年に同じ少年サンデーに掲載、
『ヨレヨレ42キロ』という作品が誕生した。
その後も、吉森は(「少年ビッグ」に移った)熊田とともに
酔っ払って互いに殴り合いのケンカをしながらも陸上漫画を描き続け、
少年サンデーや少年ビッグの単発作品をまとめて
1981年から1982年にかけて陸上競技作品集のコミック本
「青春アンツーカー・シリーズ全3巻」を小学館より刊行した。
(第1巻スプリンター、第2巻ジャンパー、第3巻ハードラー)
※現在、ネットのオクとかでも安価で入手可能
吉森みき男と青葉昌幸は同じ1942年生まれの77歳。
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