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日本の今後を占う

434 :名無しさん@占い修業中:2023/08/17(木) 17:51:07.26 ID:8xVpQmVp.net
>>425
アメリカのプロテスタント各派が一斉に日本に宣教師を派遣したとき、オランダ改革派に属していたブラウン・シモンズ・フルベツキは日本の近代化に関わった。
特にブラウンは、会員にメイソンのいる明六社に所属し>>388、これらで後の明治学院大学をつくるというあやしい動きをしている。
ブラウンは来日前にシンガポールでヘボン文字のヘボン博士夫妻と会っている。
ペリーから6年後の1859年に、オランダ改革派教会の海外伝道局から3人が宣教師として選ばれた。
横浜上陸後、しばらくはヘボンと一緒に住み、聖書の和訳などを行う。1862年、横浜英学所で英語を教えるようになる。同年アーネスト・サトウが訪れ、サトウの日本語教師もしている。1866年、フルベツキの仲介もあり、薩摩藩第二次米国留学生を母校のモンソン・アカデミーに留学させた。
一時帰国し、娘婿から日本での教職の誘いを受け、1869年再来日。変遷があり、1873年横浜でブラウン塾を始め、1877年、東京一致神学校と合流し閉校。一致神学校ではフルベツキも講師だった。ヘボン博士によって明治学院大学がつくられると邦語神学部になる。
薩摩藩第二次米国留学生には、トマス・レイク・ハリスの新興宗教コロニーで暮らしていた者が8人中6人。1人自殺。ハリスから、「かつて天皇の御霊に祈りを捧げていた留学生たちも今やゴッド(キリスト教の神)に祈り、聖書を読み、キリストを身近に感じており、『日本に帰ったら迫害されるのではないか』と尋ねると、『迫害されるとは思わないが、信仰とキリストのためなら死ぬ覚悟もできている』と答えた」というほどで、留学するとみんなキリシタンになるのか。
また、第一次留学生の長沢鼎、森有礼(明六社でフルベツキ群像写真>>420)、畠山義成,松村淳蔵,鮫島尚信・吉田清成らもハリスのコロニーで暮らしていた。留学してなにやってたんだ。

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