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【戦国も】「武将」って結局何なのよ?【三国も】

1 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/22(日) 10:54:48 .net
指揮官なのか
特攻隊長なのか
まとめ役なのかよくわからん。

呂布とか張飛みたいな暴走野朗は特攻隊長なんだろうけど、
それ以外の武将は諸葛亮みたいな軍師の言う通り動く部隊の先導役みたいな感じだし。

でも、それだと誰でもいいわけだしねえ。
別に名無しの奴でも構わないよな。

マジで武将の役割がよく分からん。
誰か教えてくれよ。

2 :遠呂智 ◆uiZgqpQNJU :2008/06/22(日) 11:22:11 .net
指揮能力に優れた人材を起用するんでは?


3 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/22(日) 11:25:51 .net
>>1
修学旅行の班長でもやってみろ
人をまとめて移動させるってのがどんだけ大変だかわかるから
その粗暴な兵集団、部隊を思う通りに移動、戦闘させることが
できる人物を武将と言うのだよ

4 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/22(日) 12:03:37 .net
>それ以外の武将
お前のいう「武将」ってなんだよ?

5 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/22(日) 12:27:22 .net
>>4
曹仁とか劉封とかだよ。



6 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/22(日) 12:40:11 .net
ゲームに毒された子は武将、軍師、文官という単語でしか区分できなくなる

7 :中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/06/22(日) 12:43:35 .net
自分的に一番しっくるくるのが、戦うまとめ役みたいな感じ

8 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/22(日) 12:43:38 .net
>>3
>人をまとめて移動させるってのがどんだけ大変だかわかるから

それってただ「こっちに行こう」って言えば誰でもできる事だと思うが。
そもそも、あの時代はそれに反抗する奴なんてのは軍規違反で処罰されたわけだし。

9 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/22(日) 13:20:06 .net
>>8
いや、大変だから、みんな好き勝手いって、まとまらないから!
あと現代の団体行動を訓練され、厳罰も厳しい軍隊ですら
士官が体を張って突撃しないと兵はついてこない。

10 :ロコふるーちぇ ◆YI1yrpC6Lo :2008/06/22(日) 13:20:09 .net
>>8
たとえば数万人を指揮する将軍なら、
ドームを満席にするだけの人数を動かすんだぞ。

11 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/22(日) 13:20:11 .net
そりゃ、ガキの遠足だ

12 :ロコふるーちぇ ◆YI1yrpC6Lo :2008/06/22(日) 13:21:53 .net
>>11
兵士は機械じゃなくて人間で、
しかも当時の兵士は訓練された職業軍人じゃなくて徴発された農民。
命が惜しくなったら簡単に離散するような兵士だ。
それをうまいこと指揮して手足のように用いるのは難しい。

13 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/22(日) 14:37:56 .net
光栄的には元々コマンド入力できる頭数=武将だろう
後に文官・武官などに細分化されて行くが、これがゲーム脳の誤解を生んでる

戦国武将(髄蝟シ)みたいな言い方は昭和の歴史小説の造語だし、将と言っても賊の頭やら村の偉いさんみたいな奴から地域の行政任されてる奴まで色々だから、「武将」というカテゴリは本来ない

曹仁だったら前線の軍政を任された、まさに将たる存在だし、劉封なら主君の名代として重要局面の押さえをしていただろう

関係ないが劉封と劉禅はふたり合わせて封禅(封=天への儀礼、禅=地への儀礼)となり天子にまつわる名として対応しているようだな

14 :五稜郭新館自宅警備員、うんぴ ◆9xUXn28CPE :2008/06/22(日) 22:36:57 .net
(,_´v`) 封禅ってそういう意味だったのか初めて知った

15 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/23(月) 18:03:42 .net
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20061220/p2
武将という言い方を否定されたのが悔しくてしょうがないようです

16 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/28(土) 18:23:09 .net
2年前の話題じゃねーか

17 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/28(土) 23:45:44 .net
>>16
そうやって昔のことにして武将という呼び方を排斥してればいいさ

18 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/29(日) 00:31:13 .net
>>1
虎を素手で撲殺できる人の事

19 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/29(日) 05:55:29 .net
それは武松

20 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/29(日) 06:45:13 .net
武将髯

21 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/29(日) 08:49:50 .net
ゆけい黄髭!

22 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/29(日) 09:05:56 .net
三国志なら基本的に↓みたいな感じ。

都督(将軍を統率する司令官)
将軍(軍勢を支配下に置く、いわゆる武将)
部将(将軍の下で各自の部隊を指揮)
軍師(軍政を取り仕切るが指揮権を持たない。勝敗占いや天気予報なども仕事)

ややっこしいけど戦国時代なら↓かな。

大名(一国の主で、その領地の多くを直轄領とする)
城主(一城の主/豪族で、大名とは従属的同盟関係・いわゆる武将)
寄親(有力な城主で寄子を束ねる)
寄子(力の弱い城主で寄親の指揮下に組み込まれる)
直参(大名直属の家臣で代官として領地を管理)
陪臣(城主の家臣で代官として領地を管理)
軍師(勝敗占いや天気予報などが仕事)

23 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/03(木) 20:12:20 .net
でも三国志で言えば諸葛亮みたいな文官肌のヤツが部隊の指揮とる事もあるし
曹操みたいななんでも一人でやろうとするヤツもいるからな
よくわからん

24 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/04(金) 05:11:21 .net
>>1=>>23なんだろうけど、実在の将を掴まえて名無し(ハァ?)でもいい〜とか言ってる時点でゲームが前提、と言うか現実と創作物ごっちゃみたいだから、相当根本から説明しないと無理っぽいぞ

あれだけ言われていまだに文官だの君主だの、そう言う職業があるみたいに考えてるし
いっそ曹操や諸葛亮はイベントがらみのゲームマスターキャラで補正かかってる、とか説明した方が納得するんじゃねえの?

25 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/04(金) 20:43:10 .net
>>23
文官肌って、初任官が中郎将で次が将軍の武闘派だぞ、諸葛亮は

26 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/04(金) 21:19:11 .net
>>24
いや、とりあえずおれは>>1ではないし、文官だとか君主だとかの職業があるとは思ってないし、
文官肌といったのはリクルートされたのが行政能力を買われてだからそういったのであって、役職的には軍事にも権限があったこととか最低限の知識はあるぞ、俺は。

曹操も形式上は漢の臣だしな。

27 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/04(金) 22:12:26 .net
>>26
諸葛亮のことなら、「リクルートされたのが行政能力を買われて」だなんてどこにも書いてないぞ
諸葛亮は若い時から自分を楽毅のような名将になぞらえているし、劉備に語ったいわゆる天下三分策にしても軍事戦略だ
諸葛亮は最初から軍事の専門家だし、劉備が中郎将にしたのもそういった面を評価したからだろう
もちろん行政面も優れていたが、それはむしろオマケ

28 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/05(土) 01:48:28 .net
諸葛亮本性は政治家よ

29 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/05(土) 06:26:52 .net
>>23>>26で句読点を付けたり付けなかったりする所が自演チックだな

30 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/05(土) 17:33:30 .net
孔明は実際の能力と自身への評価が乖離してたな
北伐が失敗に終った所以かもしれない

31 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/05(土) 18:28:46 .net
>>30
いや、そんな乖離してないよ
関羽、劉備の敗戦のダメージが深刻だったことと、
軍事以外まで全部背負わなければいけなかったことのほうが問題だよ

32 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/05(土) 22:23:37 .net
>>27
諸葛亮は劉備に最初にした進言が、徴兵に関する進言だった。
具体的には「戸籍に載ってない人間がいるからそいつらを戸籍に載っけてから兵を募れば効率よく、かつ不平不満が出ずに軍を増強できますよ」というもの
つまり劉備にとっては行政の能力を期待して取り立てたと考えた方が自然。
そもそも劉備は根拠地を得てから政治のできる人材を主に募っていて、徐庶が推挙したのも政治のできる人材としてだ。
軍人としては積極的に使っていく意志はあまり無かったと思われる。その理由は戦争の経験が無いから。
その証拠に劉備は蜀に入るまで趙雲や張飛のようなベテランと一緒に使って、単独で指揮をとらせるようなことはしていない。
将来的にはともかく、実戦の経験が無い段階から軍事能力に期待していたって言うのは考えにくいよ。
曹操で言うジュンイクみたいな働きを期待してたんじゃないかな。もっともジュンイクは単独で指揮を取った経験はあるけど、彼も政治家よりの人間だからね。
>>29
自演も何も>>23>>26は俺だよ。俺と>>1は同一人物でない、と言ったんだけど。
因縁つけるならもっと上手くつければ?


33 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/05(土) 22:45:34 .net
>>32
未経験の奴に軍まかせたらどうなるか体現してくれてるのが諸葛亮だもんなw


34 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/05(土) 23:25:03 .net
>>32
ジュンイクも優秀なプランナーだしな
孔明も政治家よりと考えた方がしっくりくる

35 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 01:01:37 .net
>>32
確かに最初から兵を率いる能力があったかどうかは判断しにくい
だが、>徐庶が推挙したのも政治のできる人材として
こんなことはどこにも書いてないはずだぞ
むしろ、最初こそ単独で指揮させていないが、鳴り物入りの大物ルーキー的な扱いとしてベテランにくっつけて大舞台の経験を積ませたということだろう
韓信だって最初は官僚だったし、最初から天下取りの方策や兵の増強策を唱えた諸葛亮には軍事的な能力が期待されてたと思うぞ

>>33
最初に兵を率いたのは蜀攻め
ちゃんと道中を平定しつつ劉備に合流した
次に南中攻め
ちゃんと平定した

36 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 01:05:35 .net
本当に軍事面で期待してたら最初から孔明を蜀攻めに連れて行ったろうに

37 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 01:08:09 .net
>>36
ルーキー君が本格的に侵略平定するための後詰の副将なんだから、かなりの期待度だと思うんだが
張飛、趙雲と同格ということなんだぜ?

38 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 02:11:12 .net
ホウトウはルーキーじゃなかったとでも言うのか?

張飛や趙雲が本命で孔明の顔を立ててやったとも考えられるだろうに

39 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 04:49:31 .net
>>36
関張趙は黄忠より期待されていなかったから
蜀取りにつれていかなかったんですかね?
へんですよね?

諸葛亮は劉備の最大の危機を救った奇策を提出し
功績面で家臣団の理解を得た
ホウ統は功績が無く、内通者がいる蜀取りという場面で
起用して功績をたてさせる為につれていった。
その証拠に、蜀取りは新参ばかりをつれていっている

40 :33:2008/07/06(日) 13:21:44 .net
>>35
俺は諸葛亮が馬ショクに指揮取らせた事を言ってんだよ

そもそも劉備だって黄巾から戦い続けているベテランだ
諸葛亮にも馬ショクを使う事についての危険を示唆している。
劉備がキャリアの重要性を理解していた事は明白
だから諸葛亮にハナから軍事能力を期待していたという見解は不自然だ

41 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 14:01:29 .net
>>40
劉備が最初期待した軍事能力とは、将来自分の国をしょって立つであろう能力のことであって、一番最初から完璧な能力を期待したわけではない
超大物ルーキーであってFAの即戦力ではない
だから、最初からいきなり総大将とかにしたりはしないで、ベテランと同行とか後方任務とかの下積みをさせているが、これは期待していないのではなくて大いに期待している証拠だろう
キャリアの重要性を認識する劉備だから、期待する諸葛亮にキャリアを積ませているんじゃないか
馬謖の件は、使うなとアドバイスすること自体が諸葛亮を総大将になる器と認めている証でもあるし、その諸葛亮の軍事的実力を劉備が見抜いてキャリアを積ませたからこそのことだよ


42 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 14:02:34 .net
>>40
あれだけで馬稷を連想しろってのが無茶だ

まぁ諸葛亮の初任官中郎将は対呉外交のための箔付けって面もあると思うけど

43 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 14:05:17 .net
>>42
赤壁前の一番大事な対呉外交の時には無位無官だから、それは説得力が無い

44 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 17:49:27 .net
>>35
>徐庶が推挙したのも政治のできる人材として
これに関してだが、そもそも劉備は政治のできる人材を募っている
流れ者やってた頃ならそんな人材は必要なかったのかもしれない
だけどどこかに根付いて覇権を狙おうと考えればどうしても内政をしたり政略をプランニングできるいわゆる文官が必要になってくる
そしてスカウトされたのが諸葛亮

つまり劉備は有能な文官を得る事が必要で、そういう人材が欲しかった。なのに徐庶がこのタイミングでわざわざ軍人を推挙するのは不自然なんだよ。
軍人ならそれこそ関羽だったり張飛だったりそこそこそろってる。政治の出来る人間が欲しいのにわざわざ軍人をリクルートするのはおかしいのさ。
諸葛亮は政治的な能力を期待されて雇われたと考えた方が自然。
大体天下取りの方策や兵の増強策を唱えたことは軍人向けの仕事じゃないじゃないか

45 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 20:05:29 .net
>>40
劉備も何度も人材起用ミスをおかしているのでなんとも言えないね
晩年の関羽とかもそれに当たるよね

>>44
政治は軍事の一種の外交活動
軍事で一番の問題は、ほぼ烏合の衆である集団をまとめる事にある。
劉備のカリスマ性で持たしていた、かりそめの和を
諸葛亮はあらたなカリスマとして、率いて軍事力を率いた

もうね、あの劉備を失ってから攻めれるだけの
体制を立て直したで凄いの
魏もびびってたのは劉備死後攻めて来た事
普通自壊するからね

劉備は諸葛亮に自分の継を期待している
軍事も含めてね

あと補給なめんな。
普通は軍事No2がつとめる位置
曹操に荀?、孫策に周瑜、劉備に諸葛亮、諸葛亮に李厳
ほらね

46 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 21:17:26 .net
>>45
お前さ〜俺がいつ諸葛亮が軍事できないなんていったよ?他のヤシと勘違いしてない?

大体劉備が死んだ事の後のこといったら実質的なトップは諸葛亮じゃないか。文官だとか武官だとかそういう次元じゃない。総合的な統括者なんだから。
ただ劉備が諸葛亮に期待してたのは主に政治の能力だって言ってんの。軍事じゃなくて。
そして現に諸葛亮が兵を率いて戦う事より国政の方に秀でて活躍していたのは事実だ。
漢中で戦ってた時だって現場にいたのは法正で諸葛亮は蜀にいただろ?
大体補給の話俺がいつしたよ?
曹操にジュンイクなら孫権に張紹だろ?周喩はNo2だが戦略を立てられる人間だが内政じゃなくて軍事よりの人間じゃないの?
大体戦争ってモンが政治の一環だしよ。戦争を絡めた政治をプランニングする能力は単純に兵を率いる能力とまた違うじゃないか。

何をヒートしてるか知らないけどさあ、少し冷静になれば?カリカリしてたら早死にすんぞ。

47 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 21:26:22 .net
>>45
あと一つ言うけど劉備の起用ミスってあの場面で関羽以外だれいんの?
一番の古株で信頼の厚い人間差し置いて一方面の指揮を他のヤツに任せるわけにはいかないだろ?


48 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 21:32:25 .net
>>44
>これに関してだが、そもそも劉備は政治のできる人材を募っている
流れ者やってた頃ならそんな人材は必要なかったのかもしれない
だけどどこかに根付いて覇権を狙おうと考えればどうしても内政をしたり政略をプランニングできるいわゆる文官が必要になってくる
そしてスカウトされたのが諸葛亮

だから、そんなことは少なくとも蜀書先主伝や諸葛亮伝には無い
軍事的な能力にどこまで期待したかも書いていないのは同じだが、スカウトされる前の諸葛亮は自分を軍事的に大功を挙げた人物になぞらえていたし、
諸葛亮に最初につけた官が中郎将、次が将軍だという事実が劉備の心を物語ってる
あえて言うなら、軍事にも政治にも長じた万能の大将として期待したわけだから、単なる槍働きの武将としては期待したわけではないのは確かだが、軍事の能力を重要視したスカウトだったのは確か

あと徐庶の経歴から見ると、徐庶は軍事寄りの人間だよ
徐庶の推薦ならなおさら軍事面を評価した推薦ということにならないかな

49 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 22:19:02 .net
>>46
いや、だからバックアップは軍人No2が勤める事が多い
劉備が遠征に出てならNo2はバックアップに回るのは当然
漢中遠征に法正をつれていった事で軍事資質の有無を問うのはナンセンス
後方支援なめんな

例えば、諸葛亮のかわりに法正が劉備の次に入ったしたとしても
法正は軍事活動を行う事もできない。
劉備が諸葛亮に期待したのは劉備の次である。
軍事も含めてね。

50 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 22:51:03 .net
>>48
実際に政治のできる人間を揃えるのが急務だったのは確かでしょ?
状況から考えてもそれが一番必要なんだし、劉備の陣宮は勢力を運営するのに絶対必要な行政能力を持った人間が欠けているのだから。
蜀書先主伝や諸葛亮伝みたいな書物には雇われた事実だけでそういう戦略的なことはそりゃあ書かれないだろうさ。
そこは考察するしかないよ。

諸葛亮を迎えれば荊州の名士のパイプもゲットできるって意図もあったんじゃないかな?
史書には残らなくてもそういう一族だったり人脈だったりからすい上げられてる人間も沢山いたはずだよ。

劉備存命中の事を言うなら、完全に政治家よりだろう。
軍事よりも内政だったり本拠地の留守を預かって行政を引き受けたりすることのが多かった。
単独で軍事行動をさせるようなことはしてないし、蜀を取ってからは成都を任せて後方の支援や補給を任せている。補給については君も言ってたね。
これだけで、劉備は諸葛亮の内政の能力に期待していたといえないかね?まあ他に出来る人間がいないってのもあっただろうけど。少なくとも前線で作戦や指揮をさせるようなタイプではなかった。
諸葛亮が行政のプランについて進言して迎えられた事を考えても、劉備は行政的な能力を期待して彼を買ったんだろう。
諸葛亮が自分を軍事的に大功を挙げた人物になぞらえていたというのはたまたまというか、自分を売り込むための単なるキャッチコピーだろう。昨日も言ったけど軍隊を指揮したことの無い時点での自己評価で軍事能力もへったくれもない。

それに史書の記述というのなら陳寿の「臨機応変な実戦指揮は彼の得意とするところじゃなかった」って評がすべてという事になってしまうよ。
よくこれは正史の立場上、相手をこきをろした、といわれるが、諸葛亮伝を見ればわかると思うけど全体的にはかなりの高評価。それこそ敵の親玉とは思えないくらいにね。

あと徐庶の経歴に関してだけど、経歴といえるほどの経歴ある?
劉備の所にいたのはわずかの間だし、曹操の所に行ってからはたいした仕事はしなかった。

51 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 22:56:46 .net
>>49
バックアップを勤めるのはむしろ政治部門でのNo2だよ
曹操で言うならジュンイクだし、孫権で言うなら張紹や張コウだろう。
軍事のNo2の周喩は自分で前線で指揮を取ってるだろ?曹操でいえば自身か夏侯淵、張遼など。

お前こそ補給なめんな、てか政治家なめんな。
軍を指揮できる人間と同じくらい後方で支援したり留守を預かって政治する人間は大事なんだよ。国の屋台骨だからね。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 23:10:15 .net
ジュンイクも曹操の下で最初に付いたのは司馬だし、張昭も将軍位をもらい実際に兵を率いてもいる
政治部門のNo.2と軍事部門のNo.2というのは、実はほとんどの場合同じ人物を指している

50、51氏は「軍」と「政治」を明確に分られると思ってない?この時代についてはナンセンスでしょ、それ
その割りに、諸葛亮が就いた官が一貫して軍事部門(丞相は軍事含む全体のトップ)だったことは無視してるみたいだけど

>>50
徐庶についてちゃんと調べた?演義の知識だけで語ってない?
若い頃は任侠、剣術を好む無頼の徒
年取ってから学問に励み、曹操の下に行ってから先は魏で郡太守、典農校尉、右中郎将、御史中丞を務めている。
太守は郡兵を率いる立場だし、全てではないもののむしろ軍務畑に近い人物だったようにしか思えないよね

53 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 23:21:37 .net
>>52
兵を率いた事がある、というのは俺も前述したよ?
そもそも当時の中国の官位制自体が大体政治と軍事両方に権限があたえられるものが多い。出世すると特に。
だけど実際にした仕事は兵を率いた事よりも行政の方が多い。諸葛亮も例外じゃないってことさ。少なくとも劉備が生きてる間はね。
だから政治家「より」の人材だといっている。

>>52
そういう官職に就いたからといって実際に仕事したとは限らんでしょ?
徐庶については実際に何をしたかの記述がよくわからないからあまり諸葛亮の適正を判断する上でのモノサシにはならない気がする。
確かに官職や剣が達者だったらしいという記述からすれば軍人っぽい「イメージ」だけどね。

すまん、もう寝るからまた今度相手して。

54 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 23:41:54 .net
>>53
将軍位は劉備が何に期待したか、の表れだと思うよ
つまり諸葛亮の場合は軍事と参謀(軍師ってのもそもそも軍事だ)

「実際にした仕事」こそどこまで指標にできるだろうか
軍事のトップである劉備、もう一方面の大将である関羽がいる以上、軍事面での後継者候補である諸葛亮がそこに出てくる機会はなかなか無い
その頃の業績を見て、軍事に直接関わってないから期待されてなかった、ってのはちと違うんじゃない?
だいたい、
軍師中郎将となって徴税し軍費調達に出た
蜀攻めの後続部隊を張飛、趙雲とともに率いた
軍師将軍となり左将軍府の事務を取り仕切った
劉備が即位すると丞相、仮節となった
このあたりの事跡はいずれも諸葛亮が軍事的に極めて重要な地位を昇進し続けていることの証だと思うんだけどな
仮節って言う時点で、劉備健在時から諸葛亮は丞相として兵を率いることが約束されていたってことだし
軍事に大して期待していないなら、任官は荊州の治中従事であるとか、もっと行政向けで重要な地位もあったはずなんだよ

55 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/07(月) 08:16:18 .net
>>51
周瑜が前線指揮権を得るのは孫策以降
諸葛亮も劉備以降は前線指揮をしているじゃないか

56 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 00:54:07 .net
>>55
逆に考えろよ。劉備以降の南征までは単独で軍隊を動かした経験が無いんだぜ?
俺は指揮に「自信を持ってやった」というよりは「やらざるをえなかった」とおもう
なんでかっていうと、端的に言えば信頼できる人材がいなかったんだと思う。語弊のある言い方かもしれんが。
趙雲、魏延というような経験豊富な軍人がいたにもかかわらずバショクに軍の統括を任せたように、彼にとって軍勢を動かすべき人材というのがいなかったんじゃあるまいか。

大体、大軍を統括できる一流の軍人だとするなら劉備が死ぬまで戦争はおろか戦闘の経験にも乏しいというのがそもそもおかしいんだ。
漢中攻めにしたって諸葛亮にそこまで期待していたのなら自分から出張らないで諸葛亮に軍を任せればよかった。実際に諸葛亮を戦争で使おうと思えば使えるタイミングはあった。
現に曹操だって赤壁や漢中でこそ自分で出張ったが形成が固まってきてからは基本的に夏侯淵や張遼、曹仁など各方面の担当者に軍を任せている。
諸葛亮が不慣れな状況にもかかわらず自ら軍を率いたのは、任せられる人間がいないから仕方なく、というのが実情だったように思う。
それが蜀がワンマン政権になった原因でもあるだろう。国政だけでなく慣れない軍の指揮や実戦の担当から作戦の指導まで引き受けたのだから、過労死するのも無理は無い。

もし現場を信頼して任せられるような人材がいれば、五度の北伐も自分から出張る必要は無かっただろう。やはり人材難で仕方なく、というのが実際の所だったんじゃないか。
やっぱり最高権力者まで出世して経験が少ないという時点で軍事は専門外みたいなトコあったんじゃないか?それでもそつなくこなしたんだから大したモンだがな。



57 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 00:56:52 .net
>>54
あとさ、横レスで悪いんだけど
>>軍師中郎将となって徴税し軍費調達に出た
>>軍師将軍となり左将軍府の事務を取り仕切った
コレってかなり文官的な仕事だろ。
お前らは官職を無視してるって俺らにいうけど、そっちこそ肩書きだけに囚われて実際にやった仕事内容考えてないんじゃないか?
>>53が言及しているが、中国の官位だと政治と軍事両方権限をあたえられる事がある。
魏の夏侯惇は旗上げ当時から転戦していて二十六軍を任されたり大将軍についてるバリバリの武官だが、コイツも中原の復興作業を担当したり内政での功があるんだぜ?
軍事をメインに期待されて権限も与えられてたのに軍事的なことはあまり任されなかった、というのはどう考えても不自然だろう?
丞相を任されたという時点でもうお前が国を引っ張ってけよ、という事だろうが軍事の期待度よりは、やはり政治的な能力に期待していたんじゃないか?
あくまで文官が本質で、軍事は畑違いみたいなイメージは持っていたと思う。そこまで軍事的な能力を信頼していたのなら、もっと前線に出すはずだ、と思うけど。





58 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 01:16:44 .net
兵を率いて軍を指揮することだけを「軍事」と呼んで、軍費調達とか全軍の軍務の差配とか大土木工事とかは「文官的」「内政」と呼ぶのでは話が噛み合う訳が無いな
これらは兵士を直接率いて戦場で軍を操ることと同一線上にある「軍事」だと思うよ、当時の感覚で言えば
そういう事務仕事や後方任務での経験を積んでこそ、将たちを巧みに操る総大将になれるというもの
章カンとか韓信みたいな名将はそういった出自だ
夏侯惇がやった復興のための土木工事なんかも、敵兵こそいないが兵士を大量に動員する一大軍事行動だよ
十分な軍事的能力と絶大な信頼があって初めて任される仕事だよ

あと、俺は前から言ってるが、劉備がより信頼する将(劉備本人と関羽)がいるうちから前線に出す必然性は無い
関羽が死に、劉備が皇帝になると諸葛亮が丞相、仮節という総大将の地位に繰り上がるのは偶然じゃなく、関羽の軍事的な穴を埋めるのが諸葛亮だという認識の下での人事ということだ
前線には出ていなかった司馬イが総大将になっているのと同じで、前線で使わなかったことが能力が無いことや期待されていないこととは限らない

59 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 01:20:50 .net
>>55
いや、だから劉備のかわりに軍をまとめる事を期待されているわけで
諸葛亮だから劉備死後に遠征ができるほどの救心を得た
軍をまとめる事ができないと、戦争とかできないからね
これが凄いことなんですよ
ゲームと違って

>>57
文官的って軍をもう少し知ってください
戦争は兵の移動です。
これができないと戦争にもならないのです。
だから軍関係者の高位のものが役職に着くのです。
後方支援ってのは、凄く重要で、軍機能の根幹に関わる部署なんです

60 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 01:32:21 .net
劉備がいる時点で諸葛亮は丞相、仮節、司隷校尉になっている
相次いで失われた蜀の軍事的中核である関羽と張飛の後釜に座ったと見ていいと思う
劉備が死んだからじゃなく、劉備が生きているうちから、諸葛亮は総大将のポジションに就いている
これは早い段階で約束された人事なんだと思うけどね、俺は

61 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 18:53:56 .net
なんか孔明厨が暴れてるな
そもそも孔明マンセーの陳寿ですら「戦は上手くない」と言っていたのと実際に戦争であげた成果が芳しくなかった事を考えれば孔明が軍事を得意としていなかったのは明らかじゃないの?

確かに広義の意味での軍事とは軍を使う事全般を指すけど、孔明政治家派の二人は主に外征や戦争の指揮の事を言ってるし、スレ最初からみたらこのではなしてる軍事ってそういう意味じゃね?
後方支援は軍を使って輸送するから軍事とか、役職が軍事に権力があるから軍事に長じているってのはただの詭弁だろ。そもそもこれだって孔明がじきじきに指揮を取ったわけじゃなくて、部下に命令を出してやらせたんだろ?すべてとは言わないけど。
確かに夏侯淵や周喩だって補給だったり後方支援はしてるけど、これはこの二人が実戦に強かったから言えることであって実戦の経験も成果も少ない孔明に当てはまる事じゃないべ。
孔明は丞相だけど後漢の曹操がそうなようにこの立場って全体に権限を及ぼす事が出来るんだろ?ようは国のトップだ。
だったら国の政治に長けている奴がなったって全然不自然じゃないじゃん?何でそこまでしてわざわざ軍事に繋げようとしているのかわからない。
馬ショクの起用にしたって孔明の経験不足と軍事センスの欠如じゃないの?そういうとこは無視して自分達の理論だけで軍事の達人だ天才だって騒ぐのはいかがなもんかねェ。まあ孔明アンチ方も似たようなもんだが。

まあゲーム脳だなんだって気に入らなければケンカ腰に転ずる奴に行ってもムダかもしれんがね。孔明は万能超人なんでしょ。お前らにとって。
俺個人としては、内政、国政に非凡な才能を発揮した天才宰相諸葛孔明に軍事の才能まで求めんのがムリな話じゃねーかなと思うがね。

62 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 19:06:46 .net
>>61
まあ軍事や政治って明確に分けられん所があるからな。というか軍事が政治の一環だが。
ただ夏侯惇の土木もそうだが、軍を使った政策でもそれが内政をうるおすものならそれは内政だろ。
諸葛亮の「軍事」行動の多くが内政に影響を及ぼすものだったならどう考えても文官じゃね?兵の指揮を取るのは軍人だが、その命令を出すのは文官だろ。で、諸葛亮は間違いなく後者よりだ。もちろん全部じゃないだろうけど。
まあ夏侯惇の場合は自分で現場に出てたけど。だから軍事と言っても差し支えないだろうが、諸葛亮はちょっと違う。

普通に考えて現場で動く軍人タイプじゃないよ。それでも軍事の専門家とか万能の大将とかいうならただの演義脳だろ。ゲーム脳ならぬ。

63 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 23:38:14 .net
58−60
そもそも軍関係者とか軍事的役職ってさ…当時の社会体制なんて軍国主義真っ只中じゃねーか。
下々の官僚ならともかく、首脳陣が軍と関係ない役職に付くなんて左遷でもない限りありえねーよ?なんも諸葛亮だけ特別扱いじゃない。

例えば福田さんが自衛隊派遣させてサミットの警備に当たらせるだろ?この場合軍事の仕事をしてるのは自衛隊の指揮官であって、内閣の人間じゃない。
で、諸葛亮って福田さんや石破みたいな役どころやん。「軍を動かした」けど「率いた」わけじゃないもの。
それなのに軍事行動だの軍事的能力だのいうのはかなり強引な話じゃない?

実際に軍を「率いる」ようになるのは南伐以降だろ。後方支援やその他細かい軍事行動まで国のブレーンが全部自分でやってたなんてことはありえねーしな。
福田さんや石破みたいにそういう命令を出す人間はここで言われてる文官、政治家的な人間だと思うのだけれど。

64 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 00:03:16 .net
>>61
別に俺は諸葛亮が万能の天才かどうかは興味はないけどな
俺が主張してるのは
・諸葛亮本人は若い頃から宰相と将軍(総大将)両方に自信を持っていた
・劉備が諸葛亮をわざわざ中郎将や将軍にしたのは軍事で使うという意思表示
・諸葛亮は蜀攻めで実戦経験を積んでいる(趙雲を指揮下に置いている)し、ちゃんと結果も出した
・その他の軍務を含め、劉備軍の中核として働いている。州の従事などのより行政色の強い官もあるのに、一貫して将軍である
・劉備が皇帝に即位すると丞相・仮節になっている。劉備の下で仮節以上を持ったのは他に関羽、張飛くらいだ
諸葛亮は「他に人がいなくて仕方なく門外漢の総大将になったん」じゃなく、劉備の時点で関羽らの次席となり将来は一方面の大将となることが約束されていた、とみるべきだということ
実際に諸葛亮の軍事の才能が自分の言うとおり、周囲の期待どおりだったかは別の話だ

65 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 00:10:22 .net
>>63
>気に入らなければケンカ腰に転ずる奴に行ってもムダかもしれんがね

66 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 00:54:58 .net
>>64
同意。がんばれ

>>61
というよりこれまで諸葛亮を名将のように語ってる人いなくね?

ただし自分は、諸葛亮は一流の将軍だと思ってるけどな
陳寿の言も感慨に近いし、諸葛亮の時代に
諸葛亮以上の軍事的功績をあげた人はいないんじゃないかな?
魏呉を含め。

67 :63:2008/07/09(水) 01:02:20 .net
>>65
はい?例えばどこら辺?
>>64
横レスなんだが、諸葛亮にはやはり軍事とか局所的なものじゃなくて、国を引っ張っていくような中心人物になって欲しかったんだと思う。
で、そのためには強力な権力があるポストにつけなきゃならんやん。そうやっていくと必然的に権限の強い将軍職に就いたってことじゃないのかな?
さっきもいったけど、将来的に国を左右する立場にしたいのに行政色の強く軍事の権限が弱いところには置くよりは、軍に近いようなポストになってくる、ってことじゃ?

国を任せるなら強力な統帥権が必要と言う事。だから特別軍人として見込んでたってわけじゃないと思う。

だから最初から諸葛亮が軍人として期待されていた、ってのは考えにくいと思うよ。前述されてるけど最初に進言したのは行政に関しての意見だし。

だから立場の上ではそうじゃないとしても、適正として諸葛亮が自分で軍をどうこうするってのはやっぱり「他に人がいなくて仕方なく」って意味合いが強いんじゃない?

68 :61:2008/07/09(水) 01:16:40 .net
>>66
>>諸葛亮は最初から軍事の専門家だし、劉備が中郎将にしたのもそういった面を評価したからだろう
もちろん行政面も優れていたが、それはむしろオマケ

>>むしろ、最初こそ単独で指揮させていないが、鳴り物入りの大物ルーキー的な扱いとしてベテランにくっつけて大舞台の経験を積ませたということだろう
>>軍事的実力を劉備が見抜いて
>>軍事の能力を重要視したスカウトだったのは確か

あんまりこうやって抜き出すのは荒さがしみたいでいやだが、かなり軍事面、それも初期はかなり統帥に関してもプッシュしてる人がいるよ。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 01:20:44 .net
>>67
>国を引っ張っていくような中心人物になって欲しかった
そうだね。でもあの時代、どこにも敵がいたから軍事を統括するのは「局所的なもの」ではないよ
国家の最重要課題だ
つまり、国を左右する立場になると軍に近づいてしまうのではなく、軍をちゃんと率いたりできる者でないと国を左右する立場になれないんだよ

あと前にもそんなレスがあってそんときから気になってたんだけど、
>最初に進言したのは行政に関しての意見
って何のこと?いわゆる天下三分の策なら軍事戦略だし、異説では兵の増強策を唱えている
少なくとも「行政に関しての意見」には思えなんだ

70 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 01:24:18 .net
司馬懿って軍事的天才だったんだな、と思わずにはいられない

71 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 07:29:08 .net
なぁ、諸葛亮否定の人の意見って
「私の感想」以外のソースがないんだけど?

72 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 16:50:24 .net
>>69
兵の増強策の提唱は行政にカテゴリされんじゃないの?それについての進言だから。
>>71
んー別に俺らはアンチ諸葛亮ってワケじゃないと思うんだけどね。ざっと見皆諸葛亮の政治的手腕は認めてるわけで、無能と言ってるわけじゃないし。
それにそれいったら諸葛亮軍人説の人たちだって同じだ。諸葛亮が歴任したポストから考慮して推測してるわけだから。
諸葛亮政治家説は実際の功績や仕事から推察してるわけだから。

ただ俺としては「ブッシュは政治家か軍人か」って言ってるようなもんだと思うけど。
大統領には強力な統帥権が認められてるが、実際に軍隊を率いるのは軍関係者の人たちだろ。

諸葛亮も内部で指示を出す側の人間で、さんざ言われてる後方での軍務などは指示を出していただけであって実際に諸葛亮が軍を統括したわけじゃないだろ。だからこれをもって軍人だって主張するのは的がズレてると思うよ。
それよりも事務処理だったり国の運営のほうがはるかに経験が多いし手腕も発揮しているわけだから、政治家ってかいわゆる文官肌の人間なんじゃねーかと思うけど。

73 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 18:12:57 .net
>>72
俺は当時の蜀をなぞらえるなら北朝鮮かナチスドイツだと思う
将軍さまや総統閣下は軍人か否か、ということ

「軍隊を率いる」が結局どういうものを想定しているか、によって印象が変わってくるよな、結局
俺は蜀攻めで趙雲を率いて道中を制圧しつつ劉備と合流したのはまぎれもなく「軍隊を率いた」「軍を統括した」事例だと思うんだが、そうは思わない人は諸葛亮は南中攻めまで後方にいただけに見えるんだろう

74 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 01:20:34 .net
>>72
前線指揮官として最後まで前線で戦って死んだのに
軍人と認めないとかひどくね?

75 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 18:20:30 .net
>>74
軍人として認めないと言ってるわけじゃないんだよ。劉備が死んでからは自分で軍隊を率いてるわけだし。

ただ劉備存命中は行政や事務処理が主で、そこらへんから考えると軍事の専門家じゃなくてあくまで政治向きの人材だったんじゃねーかと。

>>73
そういう事例はあるけど、そういう少ない事例だけ数えて専門家といえるのか?ってことだよ。
それに単独で率いたのは南中攻めからで、蜀攻めの時は経験もなかったこともあって趙雲らベテランと一緒に使った、ってことじゃないのかな。まあそこら辺は上の方で言及されてるけど。

76 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 20:18:31 .net
>>74
それは飛躍しすぎだ、五回も大規模な戦の指揮を直々に取った人間を軍人じゃないとは言ってない。
というか多分他の人だってそんな事は言ってねえよ。

ただ諸葛亮は始めから軍人として期待されて雇われた軍事のエキスパートだった、と言う意見が出たからそれは違うだろといってるんだ。
雇われた時の状況や、その後任された仕事なんかから考えて軍人と言うより政治家肌の人間だろと。

劉備が根拠地を得てから雇われた知識人の一人で、その後も国の運営を任されてたんだから本分は文官だろう、と言っているんだよ。

77 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 22:15:58 .net
本人が管仲や楽毅のような出将入相を心掛けていたのは事実。
劉備がどんなつもりで採用したかは分からないでFA。

78 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 22:19:17 .net
そもそも、豪族黄氏を嫁の実家に持ち、あの戦乱の時代に長らく仕官せずとも悠々自適な生活を送れた諸葛亮
彼が仕官した時、本当に身一つだったんだろうか
黄氏の私有地を守る隷民を私兵(部曲)として引き連れて劉備に合流したんじゃないだろうか

79 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 22:38:01 .net
>>77
でも実際に働いた事の無い時につけた自己評価参考になるか?「こうありたい」って希望みたいなもんじゃん?
>>78
実際に三顧の礼のまえに劉備は徐庶に「連れて来い」って言ったけど「連れて来られるような小人物ではない、自分でむかえるべき」って言われたってエピソードがあるんだってね。
そう考えると徐庶は名士ってものを高く売り込みたくて、劉備もそのパイプや影響力を得る事を重要視していた、とも考えられるよね。

80 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 22:51:01 .net
>>79
しかし劉備は面会していわゆる隆中対を聞いた上で評価してるからな
「なるほど言うだけのことはある」と思ったからこその「水魚の交わり」なんだろう

自分で迎えに行くべき、というのは・・・
諸葛亮は私兵をかかえる豪族(の婿)で、劉表にはあまり肩入れしていない中立派だったのではないか
婁圭あたりと同じようなスタンスだな

兵を率いて群雄に帰順するとよく中郎将や将軍を与えられている
劉備の例で言うと霍峻とかがいる
諸葛亮も同じだったのではないのか?

81 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 23:35:36 .net
>>80
まあもちろん二人とも互いの人物を見込んでってのは間違いないだろうけど


結構諸葛亮と劉備って衝突してるし、あんまり「水魚の交わり」のイメージだけで語っちゃうと見落としがちな所はあるよね

82 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 00:28:40 .net
>>76
政治家肌の人間だとは思うが軍の人でもあるじゃん
軍においての参謀的役割を期待されてるじゃん
槍働きは各国より優秀なのひっぱってきてるし。

>>78
黄家がでかい豪族なら、宰相にしたんだから
親族がどっかに採用されてるよ。記述もないし。
本当に裸一貫だと思われる。

>>79
希望通りに若年で参謀にしてもらって、奇策を練って
希望通りに高位の軍職につけてもらって
希望通りに宰相になって一国を背に背負って戦争したじゃん
まさに管仲じゃん

つか、よく、諸葛亮は豪族の出で劉表の親戚だからとか
名士層のパイプとか言われるけど、あいつ、若いし門地も貧弱
さらに友達いませんからね。
無理じゃね?

83 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 00:55:58 .net
>>82
南陽の黄氏ならいたよ
黄忠

本当に裸一貫ならあんな悠々自適な生活を送れた理由の方が分からなくなる
それに諸葛亮が宰相になったころには襄陽は曹操の支配下
黄氏が黄忠のように独自に活動していた者以外蜀で栄達していなくてもそんな不思議じゃないよ
門地が貧弱も無いわ
親世代も同世代も群雄に取立てられているし、諸葛亮本人も劉キがアドバイスを求めている

84 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 01:00:38 .net
>>83
なぁ、それって諸葛亮と黄忠が親戚だって言いたいの?

悠々自適って晴耕雨読の事?
つか、生活が苦しくない=門閥(豪族)
さすがに無茶じゃね?

諸葛亮が知恵者だからアドバイスもらったとは考えないの?
一応三顧の礼であの劉備に迎え入れられた知恵者と評判な
若造なんだし

85 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 01:38:51 .net
>>84
あの時代と、場所を考えてみよう
戦乱と飢餓と殺戮で中原は酷い状態になった
荊州は被害が少なく流民や名士の避難が相次いだという
しかし、銀行も紙幣もないあの時代、財産を持って避難できた者なんてそうはいないぞ
土地はもちろん地元の人間のものだし
あと南陽は袁術や張繍の本拠になったり、必ずしも平和で穏やかなばかりとはいえない土地柄

そんな時代のそんな場所で、父を失った避難名士でありながら高等教育を受け、士大夫として恥ずかしくない生活を官にも就かずにエンジョイしている
「晴耕雨読」というのどかそうな語感の裏には、私兵が隆中を守り、諸葛亮は農作業の方針の指示と監督を行って日々の農作業は大量の隷民が行う、という荘園生活があったと見たほうがしっくりいく

別に諸葛亮が知恵者で劉備に能力を見込まれた、というのを否定してるんじゃないぞ
諸葛亮は霍峻や魏延のような豪族の私兵を引き連れて劉備の元に入ったが、同時に劉備に能力を見込まれて抜擢された、ということだぞ
別に矛盾はしていない

86 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 07:45:01 .net
>>85
いや、それ、君の想像でしかソースが無いという事だな
霍峻のような記述も無い、
宰相になっても何一つ豪族関係から抜てき記述も無い
正史において、長い文章量を誇るにも関わらず記載が無い
諸葛瑾にも無い

だいいち、父を失った避難名士でありながら荘園を経営という矛盾
黄家と縁を持つまで高等教育はどうしたかという矛盾

普通に亡命貴族とした親戚を頼った細々とした暮らしじゃね?
少なくとも荘園を抱えて私兵を率いれるような豪族じゃないな。

87 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 08:05:44 .net
>>86
記述が無い、はこの場合、肯定材料にはならんが否定材料にもならないでしょ
あと霍峻のような記述=仕官して最初に就いたのが中郎将という共通点がある、と言ってるんだ

2段目については、諸葛亮伝によれば諸葛氏は劉表を頼ってるから、少なくとも黄氏との結婚までは劉表のお世話になったということだね
あと俺の書き方が悪かったかもしれないが、荘園はあくまでも黄氏のものだと言ってる
全然矛盾はないよ
少年時代は劉表の世話になって教育を受け、結婚後は豪族黄氏の荘園があるから仕官せずとも困らない

劉備が若い頃、父を失い本人は苦しい暮らしだったようだが、親戚はおそらく豪族で羽振りが良かった
諸葛亮にとっては黄氏がその親戚に当たる存在だったんだろう

いやらしい言い方をするなら、黄氏を結婚相手に選んだ理由の一つは荘園を持つような豪族だったからだと思う

88 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 08:15:40 .net
>>87
なぜ霍峻のような記述があるかと言えば
それが特筆されるような特別な行動であった事
そのような行為があったのに記述が無いのはおかしい

というよりも門地が薄い事が抜てきの一役を買っていると
考えた方がしっくりくるんじゃねの?

門地も背景も薄い、若者に、才能を見込んで劉備は頭を下げて抜擢した。
この三顧の礼のニュースは全土を駆け巡り、その後の劉備の
人材登用に少なからず影響を与えた事だろう

劉表の一族も知る有名な大豪族だから登用というより
「隗より始めよ」効果を期待しての登用の方がしっくりくるんじゃね?

89 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 08:19:19 .net
この方が劉備がひっしこいて
旧臣に水魚の交わりとか言って
関係を説得して回るひつようも無い
よぽど才能にほだされたんだろうかな
のような抜擢

90 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 19:19:59 .net
>>88
そんなことでいちいち全土を駆け巡るような事は無いだろうな。いいすぎ。
当時劉備がそんなに身分高いわけじゃないから。勿論諸葛亮自身は心を打たれるような事があったかも知れないが、周りは逐一気にしねえんじゃねえか。
まあちょっと周りの評判はよくなるだろうけど、そこまで絶大な効果は無い。第一当時は口伝だからそんなミクロな活動だったら知らん奴も結構いたと思うぞ。

あと正史は物凄く記述が簡略だから、豪族だった、という記述が省かれてたとしても不思議は無いと思うよ。
当時正史三国志みたいな私的な歴史書が沢山あったらしいが、ほとんどが現存してないみたいだしな。三国志も元々は陳寿の私書編纂だし。書いた後正史に認められた。

むしろそんなビップ待遇なのに素寒貧だった、ってほうが不自然かもな。何らかの背景があったという考察はなかなか面白い。
だって普通に考えたら、素性はよくわからんけど地元で有名っていう若者引っ張ってきて最大限の接待をして官房長官にするようなもんだぜ?諸葛亮の場合能力あったからいいけど、普通こんなことしたらただのバカだ。

91 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 21:38:23 .net
当時の将や官僚が豪族だった、なんてのは例えて言えば現代のエリート官僚を「大卒だった」というようなもので、ほとんどの場合当然なのでわざわざ書かれない

92 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 21:41:54 .net
私学で学んで官僚になった、ってケースもあるけどな

どっちにしろ諸葛亮は無官だからこのケースにあてはまらんか

93 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 21:49:35 .net
劉表の世話になってたり豪族黄氏がバックについてたりしてても、まだ若い無位無官の人物を特別待遇で扱ったらそれだけで「隗より始めよ」的な効果もあると思うけどな

むしろ、劉表とも関係があり、豪族の婿殿となっている(自称)天才児が劉備についた、という宣伝効果こそ当時の劉備にしてみればオイシイはずだ

94 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 03:29:38 .net
>>90
まず「隗より始めよ」がどんな寓話なのか調べてもらえませんか?

>>91-92
自分は諸葛亮が豪族(貴族・エリート層)ではないとは発言してません。
没落亡命貴族のようなものでとても、親戚筋の援助でやっとこ暮らしているような存在だと思っています。
とても、私兵を率いて、劉備に士官するような存在ではないと申し上げているだけです。
というか、そんな記述もなければ、黄家が巨大豪族であるという記述も無いです。

私兵を率いて士官するような特殊な場合はほぼ記載されます。
それ自体が大きな功績だからです。功績の賞与である官位の記述があるのに
その具体的な功績が記述されていないという事はまずありません。

>>93
その後の劉表遺臣団が安定している呉よりも劉備についたりと
まぁ劉備は自分をプロデュースするのが大変上手い人です。


95 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 08:21:41 .net
>>94
諸葛亮は他の人の援助で暮らしていたのはその通り
援助していた人は、
1叔父の諸葛玄(豫章太守)
2荊州牧劉表
3襄陽の「名士」黄承彦

諸葛亮の生い立ちについて、多少憶測も混じるが考察してみよう
劉表を頼ってから、自ら農作業に従事していたらしいことが諸葛亮伝に書かれている
その一方、注(魏略)では石トウ、徐庶、孟建らと遊学したと書かれている
劉表からは、おそらくは多少の田地と学問をするだけの金は援助されたのだろう
その後、正確な時期は不明だが襄陽の黄承彦の娘と結婚した
この黄承彦は襄陽記(襄陽耆旧記)によると蔡ボウとは義理の兄弟(承彦の妻が蔡氏)
蔡ボウについては大豪族であったことは襄陽耆旧記に明記されている
諸葛亮が当時の荊州の大物と縁続きであったことは間違いない
生活環境は推測するしかないが、黄氏が大豪族というほどでないとしても、少なくとも諸葛亮が十分食っていける程度には援助したであろうことは容易に想像できる
生活が苦しいならむしろ早く仕官して禄を得るのが普通であるが、諸葛亮は旧恩がある上に縁続きの劉表に仕官していないのだ
経済的には全面的に黄氏がバックアップしたのであろう

諸葛亮が軍師中郎将となるのは赤壁後
つまり、劉ソウが降伏し劉備たちが南へ逃げて以降のことだ
そのとき、黄氏とその一族や隷民はどうなっただろうかといえば、自慢の婿が劉備の部下であるから劉備と一緒に逃げたであろう
しかし土地を失ったわけで、隷民は耕す土地もない
そこで、軍事も得意と自称する婿諸葛亮に私兵として預け、劉備は私兵の長となった諸葛亮に中郎将の地位を与えた

黄氏が巨大豪族とまでは言ってないし思わない
とはいえ、それなりに裕福で多少の隷民くらいは持っていたであろう

最初言っていたのと違い、私兵を持ったのは士官と同時ではなかったという結論となったが、大筋では変わらないな

96 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 10:53:47 .net
>>95
なぁ、奇策と賞賛される呉との同盟の官位とは考えないの?
ここが一番諸葛亮が輝いてた時期だよ

というか、土着大豪族が一族をつれて逃げる場合は
(特に官位が飛躍するような功績を得る私兵であれば)
本当に特筆するような事件だから麋竺のように記述があるよ
普通は戦争してても関係のあった土着豪族を迫害する事は無いよ

というか、その前に私兵を率いた記述がないよ
全部君の想像がソースだよ

97 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 12:03:52 .net
>>96
>なぁ、奇策と賞賛される呉との同盟の官位とは考えないの?
というか、この時の中郎将が実際に兵を率いない恩賞だけのものだったという記述がないよ
全部君の想像がソースだよ

私兵かどうかは確かに分からない
しかし、諸葛亮は最初に与えられた官が中郎将
これは私兵を有した将にしばしば与えられる官
そしてまた諸葛亮は税の取立てを監督するために実際に郡に派遣され、趙雲を部下にして蜀平定に出ている
趙雲伝によると諸葛亮は途中で趙雲を別働隊として分遣しているので、それ以降は趙雲と別れているのだ
これらの時に私兵かどうかはともかく自分が直接率いる兵を持っていたのは間違いない
で、諸葛亮が持っていた兵がどこから来たのかを考えた時、真っ先に思い浮かぶのが豪族だったであろう嫁の実家黄氏

そりゃ想像なんだけど、そこを「想像がソースだ」と否定されると考察とかできんよ
で自分は想像で「呉との同盟の官位」って言うってどんなダブルスタンダードだ

98 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 13:20:44 .net
このスレの諸葛亮厨は諸葛亮が完璧超人じゃないと納得できんのです
自分の意見に反論されるとすぐにキレるんです
アンタの想像は妄想で考察じゃないとかワケわからん事言い出すんです
だから普通に会話しようとしても無駄なのです

99 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 13:32:54 .net
そもそも全部記述に乗っ取って説明できるんだったら歴史の勉強なんて出来ないよね
教科書なぞってるのと同じ

100 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 19:10:22 .net
>>97
なぁ
「私兵を率いて登用されたから高位を得た」の主張が
いつのまにか「中郎将が実際に兵を率いないわけがない」
という主張に入れ替わってるけど何事?

>>98-99
なぁ、何も記述が無い
「私兵を率いて登用されたから高位を得た」という主張と
「没落亡命貴族なので私兵を率いて登用されることはない」は
どちらが妄想っぽい?
完璧超人なら、何も無いところから私兵を率いる事くらいできるだろうけど

101 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 21:42:05 .net
>>100
別にどっちも妄想だとは思わない
根拠次第で十分納得の行く説になる

そして諸葛亮があそこまで優遇されたのは出自や人脈などなんらかのバックアップがあって、ひょっとすると私兵を率いるほどの力があったのではないか
というのはなかなか説得力のある考察だ

102 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/13(日) 00:13:59 .net
>>101
自分は想像(記述に無い)事に想像を重ねる事を良しとしない部分があります。
なんでもありになるからね。

例えば孫策に周瑜が私兵を率いて参加をしたような事場合
人脈のバックアップがあればそれとわかるような記述がたくさんちりばめられます。
というか、劉表(袁術、袁紹)に士官を申し入れられたが、人を見抜き断りました等のような
士官要請ネタは、定番ネタとして有能な豪族であれば記述があります。

何一つありません。逆に諸葛亮は背景が薄いから劉備に重宝されている節があります。
正史に繰り返し、公正な人事を強調されるのもニュートラルな立場に居た事を証明するもので
諸葛亮の後ろ楯は劉備であったことは他の古い臣下達への説得場面などで分かります。
個人に純然たる派閥背景がある場合、このような君主の贔屓は必要ありません。

つーか、劉表一族の親戚と言っても、遠い親戚ですし、土着でもありません。
水鏡先生なども隠れた人材と紹介している事もありますし、
性格は尊大でビックマウス、友達も少なく、何よりも若すぎる。

この状況下で大人脈(シンジケート)を背景に持っているとすれば諸葛亮は神の如き才能の持ち主と言えますね

103 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/13(日) 00:34:21 .net
>>100
えっと、「私兵を率いて登用されたから高位を得た」ってどこで言った?
「諸葛亮は私兵を持って劉備に仕えたから中郎将になったんじゃね?」
または「諸葛亮は土地を失った黄氏の隷民を率いるようになったから中郎将になったんじゃね?」
とは言ったけど、「私兵を持っていたから高位だった」とは言わなかった気がするんだ
俺の勘違いならレス指定して指摘してくれると助かる

俺は自分の意見が絶対とまでは言わないけれど、反論は「○○にそう書いてあるから違う」と言ってくれ
相手の意見を妄想と断じておいて自分も直接の記述があるわけでもないことを主張されても、何も生まれないじゃないか

>>102
言いたいことは分かるんだけど、
>諸葛亮は背景が薄いから劉備に重宝されている節があります
これは結局想像に想像を重ねてないかい?
諸葛亮伝本文では劉表との関係が、注ではホウ氏との関係が、襄陽記では蔡氏との関係が記されている
これを「背景が薄い」というのはなかなか難しい気がするよ
関・張が文句を言ったことは、逆に「一方の派閥に肩入れしすぎじゃないのか」という危機感があったとも解釈できるし

104 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/13(日) 00:52:19 .net
>>103
>>78,80これ以降のやりとり
同一人物ではないだろうがやりとりの中で

>背景が薄い
当時劉表は亡命した知識人エリートを保護しています
それを特別な背景とするのは厳しいでしょう
また蔡氏との関係は親戚の親戚ですという紹介。
その後まったく出てきませんし、諸葛亮とは別行動を取っています。

関張が派閥の問題ととるには、
この後の行動はその問題意識が薄いと言えるかもしれませんね。

105 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/15(火) 12:30:32 .net
結論
孔明は武将

106 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/20(日) 15:16:25 .net
スレチもいいとこ

107 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 00:00:10 .net
保守ご苦労様です

108 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 00:17:22 .net
厳密に言うと「武将」と言うくくりは無いからな。

猛将タイプにしろ智将タイプにしろ今風に言えば宮仕えの官僚だし

109 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 00:35:50 .net
>>108
それは明らかに違う

110 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 00:37:03 .net
武将=koeiゲーのユニット単位

111 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 01:07:19 .net
先主伝、諸葛亮伝、華陽国志共に、入蜀の際、分担して諸県を平定した張飛・趙雲と共に
諸葛亮の名が併記してあるのだから、
中郎将の少なくともこの時諸葛亮が軍の指揮官でなかったと主張するには別の確固たる証拠が必要。

諸葛亮は流転を繰り返した亡命者で、荊州閥とは言い難い。
黄家蔡家と縁戚ではあるけど、劉備に徴用されるほどの私兵を外婿に渡すとは考え難い。
双方とも襄陽に残って曹操に組みしたと思われるのでなおさら。

後漢末のこの時期、将軍号の乱発と共に武官の価値は急速に低下していたようで、
本来宮廷の「中郎の将」であるはずの中郎将も
「群雄が有力な部下に分け与える将軍より下の官位」に過ぎなくなっていた感がある。
この頃の劉備陣営はいわば軍事政権であって、
有力な部下に軍権と郡県の行政権を併せ持たせていたと見受けられる(類似例は呂布や孫策)
諸葛亮の中郎将も、荊州争奪戦の功績と実力が認められた青年に対する、
関羽張飛趙雲に次ぐ武官第四位兼三郡統治代行者への地位と考えれば別に不自然ではない。
年齢を考えれば大抜擢ではあるけれど。

上記の乱発の影響が大きくあるけれど、荊州時代の劉備の官位は馬鹿みたいに高い。
後漢の左将軍は、出来立ての四征鎮を含む雑号将軍より高位。
この上は車騎将軍になる。最高四鎮止まりの劉璋、劉表、張魯、韓遂らより格上。
「後漢末の群雄」でこれより高い将軍位を朝廷から正式に貰ったのは曹操袁紹くらいのもの(同格呂布・袁術)。

112 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 10:47:35 .net
過疎ってる所に出てきて何かと思えば上の書き込みまるまる無視した主張じゃないか

それじゃあ君と話す人なんていなくなるよ

113 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 11:06:31 .net
>>111
確固たる証拠が必要、というが軍事的能力を一番に期待されてたというのにも確固たる証拠が無いわけで…
史書の範囲だけだとどうしても説明が付かなくなる。諸葛亮が登用された事しか書いてないからね。
そこを理解してくれないと話なんかできっこねえな。

114 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 11:29:08 .net
まず、「諸葛亮は重用の要因となるほど多数の私兵を率いて劉備に従った」とするには、
はっきり言って証拠が無い。状況証拠さえ皆無。黄家云々は何も示さない。
中郎将は当時の張飛・趙雲に食い込む地位だ。
この地位が私兵の指揮権保障として与えられたのなら、少なくとも数千になるだろう。
新野・襄陽から落ち延びた劉備軍の大半になってしまうじゃないか。
襄陽・江夏を曹操に抑えられれば諸葛亮のコネは消えるのだから、
少なくとも史書の記述からそういう諸葛亮像を類推するのは困難。
「諸葛亮がそんな人間だったというのはありえない」と言ってるわけじゃないよ。あらゆる可能性は常に残されている。
ただ、「残っている記述からそんな類推することは難しい」と言ってる。それは歴史学の方法論ではなく、小説のプロット構成だ。

逆に、入蜀時に諸葛亮が少なくとも一隊を率いた記述が「現にある」のに、
「南征が初めての指揮だった」「机仕事だけの書生だった」と無根拠に主張するのはするのは完全にナンセンス。よほど強力な反証が求められる。
思うに、演義補正的な「諸葛亮書生説」の虜になってるのではないだろうか。このスレの最近ではそんなレスはないみたいだけど。

さらに諸葛亮は、自分と劉巴の能力を比べて、
「帷幄の謀は自分は劉巴にまったく及ばない。
撥を引っさげ鼓を打ち鳴らして兵を指揮する力ならいささかの自負があるのだが」
と言っている。劉巴の死は221年だか222年。この時点で実戦指揮の経験の無い人間がこんなことを言うのはありえない。

結論、「劉備に軍事的能力を一番に期待されてた」とかいい加減な想像をするまでもなく、指揮官としての初陣は入蜀時と読める。
想像を付け加えれば、一年間の荊州争奪戦で劉備の側に付いて経験を積み、
その後中郎将として部隊を編成し動かす訓練をしていたと思う。

115 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 12:00:22 .net
献帝春秋の記事になるが、孫権が蜀を取ろうとして孫瑜を派遣して
劉備が阻んだときも、諸葛亮が動員されて南郡に移動しているな。

太守には漏れなく郡の軍権がつくが、諸葛亮は南部三郡の行政を
取ってはいるが太守に任命されてはいないので、指揮下にあったのは
駐屯している一城分くらいだろうけど劉備の一部将としての地位が既に
あったのだろう。
この時期の劉備は軍政一致体制のようなものだから(蜀漢は以後ずっと
そうだけど)、中郎将には「三郡の行政を執るための箔」という意味合いも
あったのかもしれない。

116 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 12:14:22 .net
>>114
>この地位が私兵の指揮権保障として与えられたのなら、少なくとも数千になるだろう。
>新野・襄陽から落ち延びた劉備軍の大半になってしまうじゃないか。
逆に考えるんだ。この時なら、たとえ数百でも私兵を持ってきてくれたらものすごくありがたい、と。

>襄陽・江夏を曹操に抑えられれば諸葛亮のコネは消える
江夏は抑えられていないから諸葛亮のコネは消えていないし、劉備の下に襄陽出身者は続々集まっていたから、土地は消えても人のつながりは残っているよ。

>>115
正確には三郡の監督だな。
賦税を取って軍費に当てた、という記述があるから、占領したばかりの三郡から徴税することが主な任務だったんだろう。
これは想像の域を出ないが、必ずしも従順とは限らない郡での徴税をする以上、それなりの兵は持っていたんじゃないかと思うんだ。


諸葛亮が劉備からあれだけ厚遇された理由を、「才能」「名声」「コネ」「私兵」とどれか一つに限る必要はないだろう。
名声・家格があり、当地でのコネを持ち、わずかだとしても私兵をも有し、何より劉備本人が才能を認めた。
全て該当するからあれだけの高評価だと考えればいいだけじゃないのか。

117 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 14:02:49 .net
>>112
俺には上の書き込みの焼き直しに見えるがな

劉備に軍事能力を期待されていない文官という言葉の反証をしたら
諸葛亮の軍事能力が「一番期待されているのはどのよな根拠」があるのか?
を求められる不思議な掲示板

>>116
何度も言ってるし、他の人も言ってるけど
コネというのが、あまりにも「正史の根拠が無い」という主張に
「ないはずがない」という反証はどうかと思うんだ

別に「コネ」「私兵」がなくても厚遇される可能性はあるだろうに
そのように正史に書かれている事を無視するのはどうよ?
「名声」すら隠れた名声で、悪い名声もある人物と言うのに

118 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 14:18:25 .net
>>117
「コネ」は三国志と注、襄陽記に書かれていることだから、「なくても厚遇される」というのは正史に書かれていることの無視そのものだぞ
「私兵」については正直想像でしかないから絶対視はしない
豪族であったらしい黄氏とその財産のその後、および諸葛亮の官位と率いた兵の出所を考えるとこれが一番整合性取れると思うだけだ

「コネや私兵のような基盤なしに厚遇された」というのも正史にもどこにも書かれていないと思うんだ
だからその辺は水掛け論にしかならんけど、無視するのはどうよ?と言って自分も無視してるのはどうよ?

119 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 14:26:30 .net
>>118
親戚の親戚の親戚という
コネクションになるような大きなコネになりえない
その後の蔡家は諸葛亮と別行動している

黄家が大豪族であるという記述も無い
名士って田舎の市議会議員みたいなもんだよ

というか、荀?のように郎党を率いた派閥の長であればその記述が
周瑜のように兵を率いて帰参したのであればその記述が
あるのよ。それ事態が大きな功績だから。
これ、何度目?

120 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 14:31:29 .net
>>118
劉表は諸葛亮を劉備の客という見方しかしていないし
若いので書生ぐらいのもんだとも思っていた
そして諸葛亮は、その時の自分を身分卑しきものとしている
十分じゃね?

121 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 14:37:12 .net
諸葛亮は武人

122 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 20:51:44 .net
入蜀時に兵を率いたのってどう考えても趙雲がメインな気がする

123 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 20:54:40 .net
>>122
初めてのお使いの時には親が必ずちょっと後ろからくっついてくもんだろうが

124 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 21:04:23 .net
最初の方にも言われてたけど主立ってやってた仕事は内政をつかさどるものなのにムリに軍事畑の人間だと解釈するのが間違いな気がする
みんな諸葛亮は軍人でもあるけど得意技は政治だよなって言ってるだけなのにね。だれも政治「だけ」の人間だとは言ってないのに。
本気で諸葛亮が全能超人じゃないとダメな国の人らしい

125 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 21:05:28 .net
>>122
確かに直接敵と戦ったのは趙雲かもしれないが、趙雲伝には「趙雲を率いて」と明記してる
指揮権で言えば諸葛亮の側にあったのは確実

126 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/07/21(月) 21:17:49 .net
華陽国志公孫述劉二牧志を読めば分かるけど、諸葛亮と趙雲は採ったルートが違う。
江州までは張飛、諸葛亮、趙雲は一緒に進んだけど、
そこから趙雲は長江を下って犍為郡方面へと進み、張飛と諸葛亮はテン江に進んだ。
張飛と諸葛亮もテン江で分かれ、張飛は巴西に、諸葛亮は徳陽に進んだ。
んで、諸葛亮は張裔を破りつつ成都に進み、そこで張飛や趙雲と合流した、って流れ。

127 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 21:21:02 .net
新参者に失敗してもリカバリーの利くベテランをくっつけたとは考えられないのかね?

128 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 21:25:24 .net
>>127
そう考えても別に構わないけど、
・諸葛亮が趙雲を指揮した
・諸葛亮は趙雲、張飛とは別に蜀を進軍した
これは変わらないよ?そんなこだわるところじゃないでしょうに

129 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 21:41:43 .net
>>124
戦争無い時に軍政を行うのが問題なのか?

130 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 21:52:15 .net
>>129
問題ないけど?
てかそれ上ですでに論議したじゃん
諸葛亮が直接軍を率いてたわけじゃねーだろって話

131 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 21:57:46 .net
>>128
その考え方だと中身は結構変わると思う
諸葛亮が100%独力で動かしてたのか慣らし感覚で軍を動かして細かい所や現場のややこしい所はベテランに指示を仰ぎながら任せてたかどっちなんだろうな

132 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 22:03:35 .net
>>131
最初は張・趙と一緒だったんだから、彼らが見守るような格好だったかもね
でも途中で別れてるから、それ以降は自分が率いる兵を自分で動かしたんだろうね

133 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/07/21(月) 22:07:06 .net
蜀攻めの時の指揮系統がどうなってたかは分からないけど、
諸葛亮が趙雲を率いたってのは、名目はともかく実質は無いに等しい。
巴東郡及び巴郡攻略時は、「張飛はこれを攻め」と張飛が指揮官だったように書かれてる。
巴郡を攻略した後は、趙雲は他の二人と遥かに離れた場所に行ってるから、
諸葛亮が指揮できようが無い。

趙雲、張飛以外に誰かベテランが諸葛亮に付き従ってたとかなら別だけど、
そういった記述も無いから、巴郡〜徳陽〜成都の一連の前進は諸葛亮指揮のものだろうね。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 22:07:30 .net
>>130
君への疑問
○まず、軍を直接率いる必要があるのか?
 統合幕僚長は軍人に有らずか?
○蜀攻めには軍を率いていないのか?
○率いていないとすれば、帯同して何をしていたのか?
 むしろ、軍に帯同する幕僚は軍人ではないのか?
○軍と内政を行う人物は完璧超人なのか?
○だとすれば、曹操等、多々いる兼務する人物達は完璧超人なのか?

135 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 22:10:39 .net
>>133
実質がないと言うより、趙雲を分遣することを決定したのが諸葛亮の指揮権の発動だったんじゃないかな

136 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/07/21(月) 22:27:12 .net
>>135
そういう意味でならあるね。戦闘で趙雲を指揮したりとかは無いと思うけど。

張飛伝では「張飛と諸葛亮は」となっており、諸葛亮伝では「諸葛亮と張飛は、趙雲らを率い」で、
趙雲伝では「諸葛亮は趙雲と張飛らを率い」となっている。
少なくとも、趙雲は他の二人と同格ではなく、その下に置かれたのは確かだね。

137 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 00:00:53 .net
>>134
そうは言ってない
60以下を見てもらってから聞いてもらうのが望ましいが、内政のために軍を動かしたとしたらそれは内政の仕事であって、軍事と結びつけるのはやや強引だろう。
兼務に関してだが、俺は別に諸葛亮が軍人じゃないとは言ってないし、5度も大規模な戦の指揮を取ったんだから当然軍人の側面もあったろう。
ただ劉備時代に任された仕事は国の運営が主であって、実際にそっちの方により成果を発揮しているのだから本分は内政官じゃないか?といっている。
また陳寿の評も参考にすると、やっぱり軍事は得意じゃなかったんじゃないか。
俺が言いたいのはあくまで諸葛亮は軍事のスペシャリストではなく、行政の能力を重視されて登用されたのではないか。また実際に政治家よりの人間だっただろう、ということ。
別に諸葛亮が軍を率いた事や軍人であった事を否定してるわけじゃない。ただ、軍事的な能力に関しては政治並みに一線級だったわけじゃないんじゃないか、ってことだ。

138 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 00:30:02 .net
>>137
陳寿は軍事は下手とは言っていない
結果的に上手く行かなかったので不得手ではなかったか?と疑問としているのみ
別の場所でも軍事的な不利な状況である為としている。
古今、軍事的劣勢を覆さる名将は少ない。
これを持って軍人ではないとするのは無益。

というか、君の内政って何?
戦略の為に軍事を動かすのがなんで内政だから文官とか
よくわからない理屈なのだが。

劉備時代において軍事行動は赤壁(対曹操)と益州遠征だが
どちらも軍事に関わっている
漢中戦も後方支援を行っている
後方支援は軍事No2が担う軍事的に重要な場所なのは
その後の後方支援を担当した武官の面子でわかると思うのだが

139 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 00:35:30 .net
>>137
あと、政治においては国政を任されながら素晴らしい治績ながら
しょせんは一州の知事にすぎないが
軍事的には大国魏と互角の戦いをしているので
もの凄い見劣りをするようにはとても見えない

特に機動戦を得意とする司馬懿が機動戦を行い張コウを失う痛手
その後は持久戦に切り替えている

あれほど司馬懿が慎重に対応した将軍は
諸葛亮以外いないと思うのだが

十二分に一級の将軍だろうにと思うがな

140 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 04:55:06 .net
何この一人の馬鹿を相手にするスレ?
IDが出ないのをいいことに一人で自演しまくりだな。

141 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 11:38:44 .net
>>138
おまえ俺が見てくれって言ったページ見てないでしょ

おんなじこと何回も言いたくないっつの
軍人じゃねェなんていってねえってああもういいや

お前面倒くせえ。サイナラ

142 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 18:46:33 .net
こうしてバカだけが残された…

143 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 23:02:29 .net
なんでそんなに頭フットーしてんの?

144 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 23:21:49 .net
いや、こいつが言うにはむしろ感情的になってるのは相手の方なんだと
>>46辺りからずっとこんなやりとりが続いてる

145 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 23:34:05 .net
う〜ん普通に見て真夜中に長文連投する方が感情的になってると思うが…
明らかにケンカ売ってる文体だし。
その問題の>>60付近で決着がついたっぽい事をまだ蒸し返してるし。

146 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 23:42:26 .net
知識は老獪、なれど才気は小児の如く…だそうな

147 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 23:58:41 .net
諸葛亮は武将で諸葛謹は驢馬
それでいいじゃない

148 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/23(水) 00:44:26 .net
>>145
日中に長文連投するのはニートだからな

149 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/23(水) 05:46:29 .net
主な日中の投稿

61 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 18:53:56
なんか孔明厨が暴れてるな
72 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 16:50:24
んー別に俺らはアンチ諸葛亮ってワケじゃないと思うんだけどね
86 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 07:45:01
いや、それ、君の想像でしかソースが無いという事だな
88 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/11(金) 08:15:40
しっくりくるんじゃねの?しっくりくるんじゃね?
96 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 10:53:47
全部君の想像がソースだよ
98 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 13:20:44
このスレの諸葛亮厨は諸葛亮が完璧超人じゃないと納得できんのです
141 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 11:38:44
お前面倒くせえ。サイナラ

150 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/23(水) 21:56:29 .net
平日に休みがある企業もありますぜ

151 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/24(木) 01:24:16 .net
諸葛亮は政治家だから文官。俺、正史かっけぇぇ

152 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/24(木) 01:25:52 .net
正史っていうか光栄三国志4武将ファイルの受け売りだろ

153 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/24(木) 08:25:04 .net
ところでよ
ここは「武将」って何かを語るスレなんじゃないのか?

154 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/24(木) 15:04:47 .net
>>152
その説でいくと軍人説は演義厨でどっちにしろ厨になってしまう罠

155 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/24(木) 15:26:10 .net
>>153
>>141>>1なら自分でスレぶっ壊してるから問題ないし
別人ならもう来てないみたいだからやっぱり大丈夫

156 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/24(木) 17:13:53 .net
>>155
個人攻撃かよ…ガキだなあ…。

157 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/24(木) 23:42:45 .net
>>153
そう
まず諸葛亮は武将かどうかを決めて、そこから敷衍していくんだ
諸葛亮は武将で政治家で発明家で農家ということで結論が出た

158 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/25(金) 01:01:06 .net
諸葛亮は政治家だから文官。
正史も記述も糞くらえ!光栄がそうだと言っている
俺、正史、かっけぇぇ

159 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/25(金) 21:26:09 .net
なるほど。>>158の批評家としてのかっこよさがよく表れてるレスだなww

160 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/25(金) 22:56:49 .net
もはや誰もこねェしなにを議論しろと

161 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/07/26(土) 01:25:35 .net
はじめは>>1の「誰でもできる」発言を巡る話で、
それが終わるや、いきなり孔明の話になったからな。
スレ主旨に沿った話は殆どしてないね。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/26(土) 06:30:45 .net
>>1は管理職的な仕事は誰でもできるし必要なら処刑すればいいと
で、基本的な兵制を>>22が表にすると
>>23が諸葛亮は文官だから例外、>>25が元から武官として任官されてると訂正
>>26で役職は武官でも採用理由は行政能力と反論
以後諸葛亮のキャリアを総点検

じゃあageるから>>153が仕切り直せよ土日だし

163 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/26(土) 06:32:15 .net


再開



164 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/26(土) 08:26:36 .net
諸葛亮は行政上もトップの将軍さま
つまり蜀=北朝鮮

165 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/27(日) 01:45:37 .net
>>164
その考え方は間違いではない
革命とは逆だけど
漢王朝復興の為の
全ては魏と戦うための国家体制だしな
ただ、ここの将軍様は前線に出て指揮を執る
これは凄い

166 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/27(日) 13:37:35 .net
民は重税と厳法で大変だったんだろうなあ。
将軍様はワケわからん理屈で戦争おっぱじめようとするし

167 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/27(日) 13:39:35 .net
それが聖戦に感じられるくらい民も洗脳されてるのがミソやねん
まさしく我等がお父さん=諸葛亮の状態

168 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/27(日) 13:43:05 .net
息子も、良い事があると諸葛センがしたことでなくても「諸葛様のおかげじゃあ」と言われていたというから、結構マジで北の将軍様状態だったんじゃないかな

169 :無名武将@お腹せっぷく:2008/07/27(日) 15:48:15 .net
大きな違いは外国からも評判が良く
清貧っで淡白(喜び組作るような甲斐性はない)ってぐらいで
経済はギリギリ安定しているものの、皇帝はいるけど事実上独裁と
軍事国家。
似てると思うよ

170 :無名武将@お腹せっぷく:2008/08/02(土) 17:12:05 .net
        _,l;;;;;;;;;;;;;l,,_
      ,.r'´;:  八  '::..゙ヽ
      ,.'___ _立_ __;;ミ゙;、     フT
      l厄巳厄 i王i ,.巳厄巳l     夕 ヒ
   ,.-'l i,.:'  ヽ:.、 ;.:' ' ヽ |,.、  
   /{´iY´ヾーtッ-ヽ'' kーtr-,'´lri   _l_
   {_i,入::.. ` ̄ ̄,'i!ヽ;` ̄´ ゙::.}rリ    i,_
   ヽ_ノiヾ ;:. _ i': ll!:,ィ ._ .: j,ノ
  ッジ::;;| ,r'´;;:> ̄弋´;;::ヽ;r1:゙'イィ   ┬‐宀
  弍::::::::l i':;r'´ ,.-ーー-、.ヾ;:;i. |:::::::ス   ノ□隹
   彡;:::l l::l  '  ---;:, ゙ l::l |::;;ャ`   、
   ,r',广ヽl::l ::. .:   ゙:.  l:lノ^i`、   三刃
  ,イ(:::j   i::iヽ  :.    .: /l:l'" l:ヽヽ  口心
 |;:;.\\ l::l  ', :;:::..::. /  l:l,r''/;::;;|


171 :無名武将@お腹せっぷく:2008/08/06(水) 20:33:52 .net
>>1
人。
名詞。

172 :無名武将@お腹せっぷく:2008/08/29(金) 00:09:06 .net
張飛=武将
諸葛亮=武将
∴張飛=諸葛亮

173 :無名武将@お腹せっぷく:2008/08/29(金) 01:09:34 .net
>>1
知らなくていいよ

174 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 16:07:04 .net
で結局武将って何なのさ?
軍隊で言う仕官クラスって事?

175 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 16:17:08 .net
>>174
ある一定の縄張りを持った群れのボス
責任感と使命感次第で天子にもなる可能性がある
両方なければ盗賊
軍閥の親玉はその中間。

176 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 16:23:59 .net
勢力に使えてる官僚や名声のある士大夫の俗称?

177 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 21:27:26 .net
例えば現代の戦争では武将は居るのかな?
将軍は何人も居るし、各軍団には旅団に師団に軍団に部隊に小隊に班
それぞれボスは居るはずだし、ボスが倒れたなら代理が立つけど彼らは武将と呼べるのか?

178 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 23:45:29 .net
孔明の将軍就任は、日本でいう関白より征夷大将軍のほうが兵を統率しやすいってだけの理由じゃねーの?

179 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 23:50:51 .net
そうかもな
諸葛亮の果たすべき役割の中心は兵を率いることだったというわけだ

180 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 00:01:24 .net
違うな
征夷大将軍は今の大統領みたいなもん
孔明は政治家だけどなおかつ軍も統轄する権限を持たせただけの話しだ
筋肉脳の生粋武人をトップには立たされないからな
リュウビは政治力もあるソウソウを見習ったんだろ

181 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 00:06:38 .net
じゃあ中郎将になったのは?

182 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 00:12:27 .net
>>177
そいつらはそのものでなくても予備軍だろうな。
人事がシビリアンコントロールを離れたら何時でも軍閥化する

183 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 00:16:27 .net
戦国時代だし、軍の経験させるためだろJK
ソウソウもリュウビも打倒宦官腐敗で成り上がったやつらだぜ?
日本も首相に最高権力与えるなら防衛長官を歴任させて経験積ませるべきだな

184 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 01:13:56 .net
武の将校。
たまに誤用される。
これでいいだろ?

185 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 16:57:47 .net
22 :無名武将@お腹せっぷく:2008/06/29(日) 09:05:56
三国志なら基本的に↓みたいな感じ。

都督(将軍を統率する司令官)
将軍(軍勢を支配下に置く、いわゆる武将)
部将(将軍の下で各自の部隊を指揮)
軍師(軍政を取り仕切るが指揮権を持たない。勝敗占いや天気予報なども仕事)

将軍=武将でいいんでしょ?
軍師っって話し相手みたいなもんなの?
主人「今度の戦、超やべえ」
軍師「まぁまぁ、落ち着いて。そういえばこんな面白い話がありましてね」
主人「お前もちったぁ考えろや」
軍師「はいはい」
みたいな

186 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 21:48:29 .net
面白い話聞きTEEEEEEEE!!!

187 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/16(火) 18:40:12 .net
指揮権を持たないって事だから、献策は出来るけど、部隊を動かす事は出来ないって事じゃない?
面白い話は聞きたいけどw

188 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 14:19:43 .net
武将って言うのは結局物語を導くための役割を持った登場人物って所かな?
兵を率いるまとめ役は、仮に千人をまとめるのに一人必要なら10万人だと100人は居ないと駄目だしね。

189 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 04:15:41 .net
魏の五大将はやっぱスゲー

190 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 09:45:52 .net
>>185の人気に嫉妬!

191 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 18:23:08 .net
吉川英治あたりの戦前戦後の小説家は戦国大名を戦国武将と書いたりしていて
この頃にはまだ武将=部隊の指揮官という使い方が浸透していない
現在の使い方を定着させたのは案外光栄の「武将風雲録」かも知れない
それ以前の信長の野望シリーズは各国の大名しか登場せず
配下武将が登場する三国志のシステムを羨む声が多かった

192 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 14:13:51 .net
実際の所は分からないけど仮に千人を率いて戦う場合
全員の名前と顔なんて覚えられないだろうし、自分の部下それぞれに50人や100人づつ面倒見させて
その部下に指示するぐらいしか出来そうにないな
隊長の下に千人とかだったら一緒にしか動けないし隊列だ陣形だなんて無理っぽい
そういう意味で言うと指揮官は、物凄い数が居たんだろうな

193 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 18:31:03 .net
厳密な資料が残ってて三国志や戦国時代にある程度応用できるのは
ナポレオンから日露戦争あたりまでかと思うが
調べれば調べるほど戦闘中に陣形変えたり負けたふりしておびき寄せて殲滅とか
まず無理というか、それが敗因になるくらい危険
普通は部隊を配置した後は「進め」「退け」「持ち堪えろ」しかない印象

194 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 19:10:12 .net
しかしまぁ部隊長はいただろう
で、直属っていうか、千人の中に名前と顔を覚えている数十人か百人かの精鋭が
いたりいなかったりするんじゃないのかな
で、そういう使える奴らだったら本隊を正面から当たらせてる間に
側面から叩かせたりできないかな?

195 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/21(日) 15:46:32 .net
規模よりも通称「○○部隊」を許されるている(読者に認識される)司令官の総称であると思う
諸葛亮軍であれば、諸葛亮も軍の司令官だから武将
諸葛亮軍の中で王平部隊も魏延部隊も呼称を許されているので武将

>>180などの諸葛亮総理大臣だけど
これは勘違いをしておられる、総理大臣は軍隊を直卒したりしない
諸葛亮は国民(君主)の信任を得て、終身総理大臣、最高裁判所長官、幕僚長、総司令官、前線司令官、前線基地司令官、知事を就任した独裁者

196 :無名武将@お腹せっぷく:2008/10/11(土) 20:22:35 .net
あげ

197 :無名武将@お腹せっぷく:2008/10/14(火) 01:03:40 .net
三国志において兵糧輸送を監理した主な人物
淳于瓊
夏侯淵
王脩
于禁
諸葛亮
李厳

198 :無名武将@お腹せっぷく:2008/10/14(火) 06:29:38 .net
任峻が挙がっていないとはどうかしてる

199 :無名武将@お腹せっぷく:2008/10/14(火) 19:36:29 .net
それは失礼した

200 :無名武将@お腹せっぷく:2008/10/16(木) 07:20:53 .net
(  ゚Дメ) 200

201 :無名武将@お腹せっぷく:2008/11/26(水) 13:11:06 .net
武将って?部将って?

202 :無名武将@お腹せっぷく:2008/11/27(木) 14:17:57 .net
武将 1武士の大将。2武道にすぐれた将軍
部将  一部隊の長

203 :無名武将@お腹せっぷく:2008/12/11(木) 11:29:54 .net
混同してんな。

204 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/22(日) 14:07:06 .net
部将というのは、ある武将の
部下である武将……すなわち
副官と同じ。
>>195の例で言えば、王平や
魏延は諸葛亮の部将だった。

205 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/08(土) 06:57:22 .net
 

206 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/30(水) 09:49:54 .net
よくわからんな

207 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 10:44:53 .net
武将とは人名。
武将と書いてたけまさと読む。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/08(水) 13:57:23 .net
よくわからんな

209 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/31(日) 13:08:02 .net
おもしろスレあげ

210 :無名武将@お腹せっぷく:2011/02/03(木) 08:55:12 .net
武将とは人の心のなかに存在するもの

211 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/11(土) 21:31:47.31 .net
マニアにおすすめ

212 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/11(土) 21:38:06.15 .net
ある本で戦国武将は現代のやくざに置き換えるとわかりやすいとの指摘があった


213 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/12(木) 21:39:03.99 .net
武将。そうですな
現代でいうと三沢さんのような人ではなかろうか

214 :無名武将@お腹せっぷく:2012/12/07(金) 01:02:30.28 .net
たけまささんだよ

215 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN .net
武 将 (たけ まさる)

216 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/19(日) 00:42:56.63 .net
今の世を生きる戦国武将、その名はJJサニー千葉

217 :無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 13:13:29.36 .net
わかる

218 :無名武将@お腹せっぷく:2015/07/20(月) 00:30:15.24 .net
koeiだと武官も文官も一緒くたにされてるけど
実際はあんな単純なものでいいんだろうか

219 :無名武将@お腹せっぷく:2015/12/29(火) 21:50:53.73 .net
もうなんでもかんでも「武将」って呼ぶのやめてほしい

総レス数 219
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