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劉備の後を劉封が継いでいたら

1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 19:04:34 .net
どうなった

2 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 19:06:55 .net
益州派閥が力をのばした

3 :ロコグリーン@便利屋 ◆yaXiUhPH.s :2009/09/06(日) 19:54:43 .net
どうもいえないと思う


4 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 20:49:00 .net
皇帝    劉封
大将軍  魏延
長史    諸葛亮
尚書令  李厳

5 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:01:49 .net
劉禅が反乱を起こす

6 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:33:37 .net
劉禅が生きてるのにそれを差し置いて劉封が皇帝になるなんてのは有り得ない

7 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:38:05 .net
長男なのに?

8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:39:01 .net
>>2
劉封って荊州の人だけど何で?

9 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:42:29 .net
養子じゃん

10 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:43:30 .net
正史だと実子じゃなかった?

11 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:44:22 .net
>>10
それは関平

12 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:45:29 .net
殆ど変わらないだろ

13 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:45:39 .net
劉封のウィキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%B0%81

14 :10:2009/09/06(日) 21:46:58 .net
すまない

15 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 22:36:29 .net
もっと早く蜀は滅んでただろうな。

何もできなくて臣下にお任せしていた劉禅だから持ったわけで
脳筋の劉封が、劉備ならともかく諸葛亮の言う事をおとなしく聞いたとは思えん。

16 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 23:16:56 .net
劉封が脳みそ筋肉だと思う根拠を述べよ

17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/07(月) 17:20:49 .net
劉備時代は諸葛亮は一能臣であった
献策はするがリーダーではなかったろう

劉禅の代で、当主が若年ということもあって、諸葛亮体制へ移行する

もし劉封が後継者であれば、なんらかの衝突があっただろう

だが、その結果、万が一でもなんらかの化学変化が起こればあるいは・・・
という可能性はあったかもしれない

劉封にそこまでの器量があったか、はおくとして
それでうまくいけば諸葛亮の負荷が軽くなるだろうし、
李平の処置や再登用などの人事面の課題ももう少しいい解決があったかもしれないし、
なにより、北伐で皇帝の親征が実現しただろう

高い確率で後継者問題で内紛だとは思うし、
そのリスクを事前に避けるために劉封は死ななければならなかったのもわかるけれど

18 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/07(月) 19:11:19 .net
>>17
まあ、諸葛亮って劉備が居るうちから蜀漢の丞相・録尚書事・司隷校尉なんだけどね

19 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/07(月) 21:43:20 .net
諸葛亮が丞相に就任したのって劉備が王になってからだっけ?
皇帝だっけ?

20 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/07(月) 22:56:28 .net
>>19
皇帝になってからだね

21 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/08(火) 13:28:22 .net
王では丞相を任命できないよ><

22 :無名武将@お腹せっぷく:2009/09/08(火) 19:42:23 .net
>>21
魏王の曹操は相国を任命してるよ

23 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/03(火) 02:40:23 .net
案外面白い議題かもね、これ
まあしかし蜀は跡継ぎ問題とか縁がないな
劉備の子とかがそもそもほとんど出ないし

24 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/03(火) 16:18:14 .net
劉禅は劉備の息子の中でもずば抜けて優秀だった為、跡継ぎ争いが起きなかった。
魏呉のような騒乱も起こらず、蜀を40年以上も維持しつづけたのは並大抵の事ではないよ。
暗君評価は言い掛かりもいいところ。

25 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/04(水) 13:21:49 .net
そう。
そして劉禅の無能評価を仕立てたのは姜維にほかならない。
功名心・野心に起因する彼の北伐の意図を鋭く見抜き、
それに対する裁可を拒んだ名君・劉禅に対する陰湿な策謀…

26 :19:2009/11/04(水) 13:26:38 .net
>>20
ありがとー
自分のレスを見失ってようやく辿り着けた;

27 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/04(水) 21:53:55 .net
まあ名君は言い過ぎだが、少なくとも魏呉の何の権力もない幼帝や、クソみたいな暴君とは比べるまでもないだろうよ
自殺した劉禅の息子の話や、降伏後の宴会でのエピソードには悪意を感じる

28 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 17:27:31 .net
陳寿が劉禅に対して逆恨みしてたんじゃね?

29 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 21:25:47 .net
陳寿はそこまで批判してないような…
ネガキャンは注釈の方かな
まあありがちな晋の侵略を正当化するための歪曲だと思う

30 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 21:34:18 .net
劉禅のことを陳寿は批判してないかもしれんが頭からっぽ扱いには違いないぞ

31 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 22:00:13 .net
劉禅は蜀人の逆恨みと、晋のネガキャンで評価を大幅に落とした感じ
亡国の君主の宿命とも言える感じで仕方ないけど

32 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 22:43:13 .net
「素絲」は亡国の旧主に対する精一杯のフォローだろう。
君主の一つの理想形であるし、「もとはといえば本人が原因ではなかった」と言っているのだから。
李密の「斉の桓公に次ぐべし」もこのような評価を受けてのもの。西晋の時点で既にこのような評価があった。

33 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 22:48:58 .net
劉禅が明確に、「像がぶっ壊されても仕方がないどうしようもない暗君」というイメージになってしまうのは、
講談が流行して劉備・関羽・諸葛亮などの礼賛が著しくなる宋代辺り以降じゃないかな。
物語の要請上、「劉備たちが必死に頑張って再建しようとした漢を滅ぼした奴は駄目な奴」ということになる。
根拠がないのでもっと前かもしれないが。

34 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 23:00:30 .net
まあ決定的なのは演義だよね
演義で完全に劉禅の世間へのイメージが固定されてしまった感じ

35 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 23:43:25 .net
まあ、もともと明君、賢君ではなかったからな
亡国さえなければ、または早死にしたら凡君で済んだだろうが

36 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 23:50:38 .net
四十年以上も国を維持してるんだまんざら凡君でも無いんじゃないだろう

37 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/05(木) 23:52:51 .net
>>36
国とっても一州だけ
つまり刺史レベル
40年間特に優れた治績はないが代わりがいないから転属していないと考えてみればいい

38 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/06(金) 00:00:31 .net
>>37
その例えだと劉禅が凄い奴になっちゃうから駄目だよ
他の11州のうち8.5州が敵に回ってる状況で一州を維持したんだから

39 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/06(金) 00:02:29 .net
ん、10.5州か

40 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/06(金) 12:15:13 .net
そもそも劉禅って名前が良くないよ
名君って感じがしない
劉虎とか劉覇だったら評価は違ってた

41 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/06(金) 17:20:23 .net
なんとなく共感w

劉禅の禅は禅譲の禅だからな

実際は禅譲でこそないが降伏して爵位を戴いたわけだし

42 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/06(金) 17:26:28 .net
禅:祭祀天地山川。「禅,祭天也。」

皇帝らしい名前なんだよ。
現代的価値観から見ると覇とか虎とかアレっぽくてちょっと

43 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/06(金) 18:03:44 .net
DQNネームだよね

44 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/06(金) 18:09:49 .net
貂蝉はいいな

45 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/06(金) 20:37:57 .net
劉封の話しようぜ

46 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/06(金) 20:48:58 .net
劉禅と劉封って結構似てると思う
危機感の無さとか

47 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/08(日) 00:18:27 .net
でも 劉禪 って書くとかっこいいんだぞ。

48 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/08(日) 02:46:43 .net
日清やきそば劉封

49 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/09(月) 10:06:19 .net
関羽と劉封

50 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/09(月) 20:17:43 .net
劉封が脳筋てのは有り得ないだろ。
脳筋なら関羽に加勢して一網打尽にされてた筈。
むしろ劉封は私情を捨て、自分の行うべき行動を冷静に分析出来る知将。
劉備と関羽の絆の深さを見切れず、身を滅ぼす事になったのは残念だが。

51 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/09(月) 22:41:29 .net
でも元々、孟達は関羽を支援するために荊州西部を攻め上がり、
劉備はそれを監督させるために劉封を派遣したんだよな

つまりこの時点で劉備の意思は、関羽の北上を物質的にも支援して漢水を固めることにあった。
しかし孟達と劉封は動かなかった。
管轄下の軍には動かせない十分以上の理由があったとしても、自分の行うべき行動を果たしたとも言い難い。
勿論脳筋でもないが。
関羽が失敗したとしても江陵に撤退するからいいか、くらいの考えだったのかもしれない。
結局は、劉備側の誰もが、このタイミングでの呉の侵攻を予見し対応し切れなかった、に尽きるのだろう。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/09(月) 23:49:54 .net
援軍送らなかったのはともかく、のこのこ劉備の元に戻ったのは危機管理能力が無さすぎるよなあ
劉備なら分かってくれる、とでも思ったのだろうか

53 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/10(火) 19:15:36 .net
殺そうとしたんだろ

54 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/10(火) 23:07:31 .net
劉封が劉備を殺して何のメリットがあるんだ?

55 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/11(水) 05:48:11 .net
蜀乗っ取れる

56 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/11(水) 09:45:05 .net
などと思っていたんなら本当に脳筋だな

まあそれなら末期のセリフは出てこないだろうけど

57 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/11(水) 09:59:20 .net
もう特に語ることもないな

58 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/11(水) 10:26:47 .net
孟達が「おじさんがパパになってあげるから、こっちにおいで」
って言ってるのを蹴って成都に戻ってるしな。

59 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/12(木) 20:34:35 .net
劉封が皇帝になったらとりあえず粛清第一号は諸葛亮か。

60 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/13(金) 20:49:01 .net
>>38
けど劉ショウも凡君と言われつつも劉備が来るまで長らく当たり障りのない統治してたみたいだし、案外なんとかなるのでは
つまり蜀はのんびり屋の君主に向いた気風だったんだよ!

61 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/13(金) 21:44:49 .net
>>60
それは流石にもう少し調べろとしか言えん

62 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/18(水) 01:58:20 .net
おっぱいって素晴らしいよな

63 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/18(水) 18:36:23 .net
諸葛亮と喧嘩始める悪寒
にしても劉封と劉禅の名を合わせて「封禅」とは、偶然にしてもよく出来てるもんだ

64 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/18(水) 18:41:25 .net
>>63
気付かなかった。。。。

65 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/18(水) 20:49:43 .net
劉封が劉備殺して即位
孔明や張飛を率いて北伐に親征って夢があるな

66 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/18(水) 23:24:13 .net
劉封には劉備のようなカリスマ性が無いから厳しい
個人的には劉禅以下だと思う

67 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/19(木) 08:59:51 .net
孔明の罠

68 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/19(木) 19:47:02 .net
>>63
偶然じゃない可能性もあるけどね。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/20(金) 15:10:12 .net
劉禅は流石にカリスマ性なんか無いだろう。
よく孔明に政治を委ね善政を敷いたとか言われるが、
実際は政治中枢を漢中に遷され君主としての実権を失い、
成都で孔明のシンパに見張られて生活してたんだから。

劉封は、結果的に関羽を見殺しにした事で悪評が立ってるが、
将を統括する司令官として前線に送られている所からも、
かなり劉備に信頼されてた筈。
それに見殺しにしたのは成都にいる劉備も同じだしな。
曹操が曹仁救援の為に素早く対応したのとは対照的だ。

70 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/20(金) 16:46:22 .net
結局劉封が生きてると後継問題で揉めるから、それらしい理由をつけて排除した、って事だろ
身の危険に気付かず、のこのこ成都に戻った危機管理能力皆無の劉封が皇帝になるようでは、蜀に未来は無い

71 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/20(金) 18:28:08 .net
>>69
でも劉備は関羽の死を劉封のせいにして恨んでるぞ

72 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/22(日) 09:48:24 .net
>>69
劉封は房陵攻略に続く上庸攻めの援軍として派遣されているので
元は一人立ち出来る程には評価されてなかったように見える。
若かった事もあってここまでは古参の下で戦闘に参加してて
多分これが最初の単独行動だろう。

ところが劉備は作戦を立案、単独で実行するつもりだった孟達を差し置いて
援軍の劉封を昇進させていて、孟達にとっては納得いかない行賞だったはずだ。
結局、孟達は劉備に辞表提出した上で去ってるからな。
劉備としては箔を付けてやりたかったのかも知れんが。

この行賞の結果、劉封が孟達の上になっているので
樊城攻めが順調な頃からの再三の援軍要請を蹴ったのも一応は劉封の責任問題になるだろう。
関羽が無理なプランで作戦行動していた可能性はあるんで劉封が悪いとまでは思わないが。
劉備と違って荊州の戦況はある程度知れていたはずだ。

73 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/23(月) 00:43:37 .net
信頼というか、自分の親族を派遣して諸将を監督させるのは普通に行われることなので、
孟達がここでことさらに不満を感じる理由はないだろう。そのための中郎将だろうし。

ただ劉封は軍事の専門家である孟達の意見を聞き尊重せねばならない立場だった。
少なくとも孟達はそれを期待しただろうが、二人は反目しあって劉封は孟達の「鼓吹」を奪うなどしてしまった。
当時の劉備軍の軍制がどうだったかはもはやわからないが、鼓吹とは本来、将軍幕府の属員として
正式に賜るものと百官志などに明記があるもので、軍中の権威を維持する重要な儀礼要員だったはず。
関羽を救えなかったことの危機感とは別に、この二人の確執は小さくないものがあったのだろうね。

74 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/23(月) 12:44:06 .net
二度も主君を裏切った孟達なんかと関わってしまったのが劉封の一番の不幸
結局運がなかったんだよ

75 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 09:20:36 .net
とりあえず人を引き付ける「魅力」なるものは存在するよね、現在でも

容姿を含めた、こいつの雰囲気いいなあって奴

76 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 10:23:31 .net
孟達はついてない
劉封は状況が理解出来てない

どうでもいいがあの辺りは流刑地らしい

77 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 11:24:55 .net
寝返り常習の孟達が印象悪いのは仕方ないが
劉封も初めての大仕事で度量の無さを露呈してる。
この時期に上庸攻略したんなら漢水上流の掌握が目的だろうから
何らかの形で関羽のサポートを期待されてたと思うんだが揉めてる場合か?

78 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 18:00:39 .net
揉めたというか
上庸は本国との連絡線なんだからおいそれと手薄に出来ないよ
元を正せば守備兵まで投入した関羽が先を見れてない

79 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 18:36:47 .net
>>78
そっちに踏み込むと話が逸れて行くから禁止。
ここはあくまで劉封について語るスレだから。

あと、劉備もこの件で劉封を責めているから、状況的に必ずしも劉封が援軍を出せなかったとは考えにくい。

80 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 20:21:00 .net
>>71
劉封に責任転嫁する為の劉備の演義でしょ
ペテン師の劉備らしい見事な策略

81 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 20:22:26 .net
演義×
演技〇
でした

82 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 20:24:12 .net
孟達が寝返ったのは関羽が敗死したことと劉封との不仲からだが、
劉封の罪状のメインは孟達に裏切られて上庸周辺を失ったことじゃないかな

83 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 22:04:21 .net
期待に添えず、任務も果たせず、弁護もしてもらえず、言い訳すら出来ないんじゃ
殺されても文句は言えんよなぁ

84 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/25(水) 01:43:22 .net
一応賜死だけどな
対した違いじゃないけど

85 :無名武将@お腹せっぷく:2009/11/27(金) 12:31:24 .net
劉封?封殺してやんよ
 ∧_∧
 ( ・禅・)=つ≡つ 
 (っ ≡つ=つ
 /   ) ババババ
 ( / ̄∪

劉禅?禅上させてやんよ
 ∧_∧
 ( ・封・)=つ≡つ 
 (っ ≡つ=つ
 /   ) ババババ
 ( / ̄∪

跡目争い?備えてやんよ
 ∧_∧
 ( ・備・)=つ≡つ 
 (っ ≡つ=つ
 /   ) ババババ
 ( / ̄∪

86 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/18(月) 04:39:46 .net
一時は家督を継がせる気で養子にしたが、実子が生まれて跡目相続で揉める前に
敗戦の罪を押し付けて殺させた、と割り切ると孔明も黒いなあ。

それだけ劉封の気性が激しいのか、
劉禅に器量が足りないのが見えたか。

87 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 17:49:25 .net
秀吉=劉備
秀頼=アホ
秀次=劉封

88 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 18:44:08 .net
実子が生まれたら養子が粛清されるのは

豊臣秀吉
福島正則

の例からも当然のこと

89 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 15:03:58 .net
>>87
スレチな話題だが秀頼はむしろ母親の馬鹿さ加減がひどいと思う
あの過保護モンスター母親がムチャクチャしなきゃ豊臣政権は家康とも張り合えた

90 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 19:22:39 .net
孟達が劉封に降伏を勧めた手紙
「貴殿は劉備の実子でも無いのに多くの軍を任され、
高い官職にあります。
劉禅が太子に立てられ、先の関羽の出来事もあり、
劉備は貴殿へ疑念を抱いております。
貴殿がこの戦に敗るような事があれば劉備は貴殿を許さないでしょう。」

91 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 19:39:08 .net
向朗伝

謖逃亡、朗知情不挙

92 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 19:39:52 .net
すいませんミスです

93 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 22:06:23 .net
>>89
こいつも原因↓
石田三成=孔明

馬岱がおらず魏延が沢山いたら孔明も敗れてた。

94 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 09:44:33 .net
>>90
孟達って 実はいいヤツ?

横山でも劉封自信が
「いささかの友情を感じていた」なんて言っているし


95 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/11(土) 13:17:42 .net
劉封があとをついだら劉禅どうなってしまうん?

96 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/11(土) 13:18:53 .net
妾さんはとても妊婦には見えんかったけどなぁ〜
単に腹が弛んでるようにしか・・・・
満州の件は、ケンちゃん本人にしか分からんけど。

97 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/11(土) 17:30:49 .net
>>94
疑心暗鬼にさせて優しい手を差し伸べるのは現代の詐欺にも使われる謀略の常道

98 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/11(土) 19:23:37 .net
>>95
なんにもならないでしょ。
正史でも酒と女に溺れた以外、自主的に何かをやった形跡が無い人物だし。

>>97
でも現に孟達の予言通りになり、
劉封も孟達の言葉を信じなかった事を悔やみながら殺されてるけどね。

99 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/12(日) 11:22:32 .net
予言どおりとか関係ない。縦横家も詐欺も、相手を気遣って言ってるんじゃ
なくて自分の利益のために言ってる。

100 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/12(日) 12:54:56 .net
縦横家は予測したことを言う、詐欺は嘘を言う

101 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/03(日) 16:56:00 .net
>>97
むむむむむむむむむーーーーーーー
気をつけなければ

102 :無名武将@お腹せっぷく:2010/12/26(日) 04:34:15 .net
仮に劉封が劉備の後を継ぐ事があったとしても
北伐に諸手を上げて賛成そうだ

結果、劉禅とそれほど違う結末を迎えたとも思えん

103 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 11:39:15.65 .net
正直劉封っていい所が分からない

104 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 15:09:02.09 .net
>>103
劉禅みたいなアホでないところ

105 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 16:37:10.90 .net
自分で軍を率いれるから将兵の士気は上がるし孔明は内政に専念できるから過労死することも無かったかもな
でも能力が未知数すぎる

106 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 16:48:13.43 .net
劉備が漢中王に即位した時点で劉禅が太子になっている
これは劉封生前のこと
だから劉禅が死ぬか廃されない限り劉封に帝位継承の話しが転がりこむことはない
また、劉禅が死ぬか廃されても劉備には永と理の2人の実子がいる
この2人の方が継承順位が高いであろうから劉封が帝位を継ぐ状況はほぼありえないだろう

107 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 19:49:32.49 .net
劉備って別に劉禅以外に子供がいなかった訳でも無いし、
劉禅が後継になったのは普通に優秀だったから、と考えるのが妥当。
劉璋の例なんかもあるし

108 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 20:43:02.88 .net
劉備ってそんなに子供いたの?
将軍とかになってないの??

109 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 21:47:42.62 .net
>>107
劉璋が劉焉の後を継げたのは、兄達が全員劉焉よりも先に死んだから。
別に 劉璋が優秀だったから というわけではない。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 22:28:41.36 .net
>>108
劉永:劉備の漢中王に即位すると魯王に封じられ、9年後の劉禅時代に甘陵王に改封
   黄皓と対立して讒言されて、朝廷参内が出入禁止を受ける
劉理:劉備の漢中王に即位すると粱王に封じられ、9年後の劉禅時代に安平王に改封
   244年に死去

111 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 22:52:01.25 .net
姜維の北伐を止めるわけでもないし
自分は黄皓みたいなカスを重用する
どう考えても暗君だろ

112 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 23:15:24.82 .net
宦官ってのは皇帝にとっては特別な存在なんだよ。
皇帝の周りに集まる連中なんてのは、どいつもこいつも野心家で腹黒い奴等ばっかだからな。
その点生殖能力の無い宦官は、帝位を脅かす心配がないので皇帝にとって唯一信用出来る人間と言ってもいい。

まあ劉禅はクズだけどな!

113 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 23:31:29.93 .net
確認するけど劉禅って基本的には北伐賛成派だよね?

114 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 00:13:58.74 .net
劉永と劉理がもっと賢かったら・・・
劉備の遺言を守って勉強しなかったのかね?

>>113
諸葛亮に反対してないし、そうかも?

115 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 00:18:31.67 .net
仮にも成人皇帝なのに、劉禅ほど傀儡皇帝という呼び名が相応しい皇帝も珍しい
恐らく誰かに強く言われると逆らえなかったんだろう
魏で言えば、曹爽が皇帝になるようなもんだろうな

116 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 01:19:36.11 .net
曹爽って傀儡なの?

117 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 01:34:55.72 .net


    孟達が丞相になっていたのは確実。




118 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 02:05:05.54 .net
>>116
曹真の長男
明帝が病床についたおりに大将軍の位を賜り司馬懿と共に曹芳の補佐を命ぜられる
しかし司馬懿を名誉職に追いやって権力を独占、数々の特権を賜る
次第に専横しだし国政を壟断して乱す
そしてクーデターを画策するが司馬懿に先手を打たれ降伏、投獄された後に三族皆殺しの刑に処せられる

とても傀儡皇帝になるようなお方じゃ御座いません

119 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 05:48:32.52 .net
>>114
というか、兄ちゃん差し置いて帝位つくのは、
やっぱ世間体的に難しいんじゃね?

演義では劉備は諸葛亮に跡目を継がせたかい・・みたいな感じだったが、
あながち嘘ではないかもしれん。

劉備は人を見る目と危機察知能力はずば抜けてるし。

120 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 08:06:00.07 .net
蒋琬に関しては劉備より諸葛亮の方が人を見る目があった

121 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 15:47:33.74 .net
>>120
蒋琬の場合、人を見る目以前の問題
与えられた仕事を全うせずに飲んだくれている部下がいたら上司としてクビを言い渡すのは普通
でないと組織として秩序を維持できない

才能あるから大目に見ろって考えの方が異端
大役でないとやる気を出せないなんてどこぞのニートの発想だ
先に才能を見せているなら話しは多少変わるけどな

122 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 18:32:17.44 .net
>>120
寧ろどんなに才能あっても、全うなリーダーであれば罰する。
組織はそういった細かいところから、簡単に崩壊するから。

何も不思議な事はない。

123 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 23:11:04.89 .net
>>120
ホウトウの時も似たようなエピソ−ド有ったね

124 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/04(月) 10:09:13.07 .net
寧ろホウスウとすら言われてた人物を、
何故か真っ先に幕僚に加えなかった劉備w

125 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/04(月) 11:41:18.08 .net
>>124
ホウトウ先生を熱烈歓迎したのは曹操だけ!

126 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/04(月) 17:01:41.02 .net
騙されたけどな

ってことは劉備すげーな!

127 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/04(月) 17:55:41.91 .net
>>118
曹爽はそもそも、曹叡が考えていた曹宇後見体勢を司馬懿、劉放・孫資と組んで政権を奪取したからな
皇帝独裁色を強めていた曹叡から「皇族を除外し、準皇族と有力士大夫の連立によって政権を維持する」という
曹丕死後の国体へと戻した上で、曹丕が進めていた有力士大夫の発言力を削ぐ方向を進めて、一度は司馬懿を政権から遠ざける事に成功した。



128 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/05(火) 00:25:35.92 .net
>>123
荊州出身で劉備の元に集ったのは才あっても人品、素行の悪さから普通に出世できない若者ばかりって所だろうな
水鏡先生の門下生やら関係者は才があってもろくでもない人材が多いな

129 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/05(火) 11:02:19.33 .net
>>113
国の方針策定は誰かに任せる派。
先代からの重臣でも、占い師でも。

130 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/05(火) 11:33:11.96 .net
劉禅は劉備の子というだけで一生遊んで暮らせたから勝ち組だよな

131 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/14(木) 20:26:33.62 .net
>>124
劉備
「じっくり話し合わないと人間の才能なんてわかんねぇよ」
「孔明の時は先に孔明が話に来た時に採用を決めた」
「三顧の礼はお互いの評判を高めるための演出」

132 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/15(金) 20:26:24.58 .net
魯粛と孔明に責められても自分で面接しないととりたてない劉備さんさすが
だな。虚名嫌いだもんな。

133 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/16(土) 23:35:23.43 .net
劉封が継ぐ可能性は低いが生きていれば、
将の人材不足が多少でも解消されただろうな

134 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/17(日) 10:07:50.80 .net
脳筋が一人増えたところでな…

135 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/17(日) 18:14:18.10 .net
その脳筋すら頭数が全く足りない状態になったんだけどね〜
劉備が夷陵の戦いで有望株を根こそぎ連れて逝ったから
そのために馬謖のような実績もなく失敗ばかりの人材を持ちいらなければならない
状態になってたのよ?

136 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/24(日) 16:34:35.78 .net
>持ちいらなければならない

日本語学習中ですか?勉強頑張ってね

137 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/05(木) 00:50:11.83 .net
孟達はきっと、魏にいても蜀にいても首を落とされてたねw
劉封に行くなって言って援軍を止めたのは孟達だし、
関羽はホウ徳と善戦してたわけだし、
呉の陸遜を劉封が食い止めれば、撤退の時間もあったろうし、
うまく行けば徐庶と内通して魏の進軍を止めさせて
呉に反撃も出来たろうねw
時間がたてば馬超も援軍に来ただろうしw

138 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/05(木) 00:55:00.30 .net
>137
そうすれば劉封もいい経験になったでしょうね
そこで関羽も劉封に感謝して服従を誓いますでしょうし
関平や関興も劉封に協力するでしょうw
間違えなくそれで、呉は落ちるでしょうw
まさに天下二分の計w

139 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/05(木) 09:21:00.72 .net
>>137-138
いやいや、それは都合よすぎ・・・
劉封の出兵を止めたタイミングは関羽がピンチでもう無理な状況だし
すでに江陵は落ちてる。
劉封がリクソンとやりあえるかは疑問だ。

関羽が江陵を取り戻そうとせずに上庸へ撤退していればねぇ。
曹仁、ジョコウを押さえて成都からの援軍を待って・・・
とかの方がまだ

140 :ジャイアニズム:2011/05/05(木) 18:41:59.35 .net
呉を滅ぼすには長江に糞と毒を流すことだ。

141 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/05(木) 18:56:57.83 .net
拡散されるのでただちに問題はない

142 :ジャイアニズム:2011/05/05(木) 19:40:34.70 .net
拡散されてもなお高濃度を維持するため、特別に濃縮したものを使うべし

143 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/05(木) 22:54:18.52 .net
長江を堰きとめて、水攻めなんかどう?
蜀は上流だから、ダイナミックな規模のができるぞ!

144 :ジャイアニズム:2011/05/06(金) 05:39:33.78 .net
一つ問題がある。当時の技術力をして如何に長江を堰き止めるか…

145 :ジャイアニズム:2011/05/08(日) 21:09:41.26 .net
呉を滅ぼすには、刺客を送って山林に放火し、住民を殺し、井戸に毒を投じることだ

146 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/24(火) 14:07:10.83 .net
劉禅とは違って、増長する諸葛亮と対立して、いらん皇族関係の争いを巻き起こしてそうだ。
劉禅の方針は褒められたもんではないが、権力争いが武力闘争にまで発展しなかったことは長所だと思う。


147 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/24(火) 21:25:01.66 .net
永と理がまだいるよ><
劉備jrが優秀だったらね〜。戦場で劉3兄弟として活躍を・・・(^^;;;

148 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 23:43:47.45 .net
>>147
それよりも、蜀次世代はフィクションとしては魅力的な素材だ。
劉禅、関興、張苞の2世三兄弟に趙統。孔明の弟子の姜維にちょっと上世代のサポートキャラ馬岱。

149 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/04(月) 02:17:48.42 .net
劉備に実子がいなかったら、そもそも劉封は太子として成都にいることになる。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/24(金) 05:00:29.49 .net
孔明に煙たがられて殺されたあたりが魏延とかぶる。
扱いづらい人。

151 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/16(金) 23:35:27.59 .net
諸葛亮は劉備にいずれは劉封が災禍を起こすであろうと判断し、これを機会に排除すべきと進言した

ふざけるな、て感じだけどな。てめーも災禍を起こしてる癖にと。

152 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/17(土) 10:22:16.42 .net
袁紹や劉表の前例があるしね〜

丁原、董卓、馬トウも、養子や後継ぎ問題にまとめていいのかな?

153 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/23(水) 22:48:48.65 .net
備は孔明の讒言を簡単に信じすぎた

154 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/23(水) 23:11:49.96 .net
ショクホーカイ最悪のシナリオ

劉備が崩御
劉封が跡継ぎに
李厳とモーチャンが全力で補佐する

しかし劉封は諸葛亮と仲が悪くなる

そこを漬け込まれ離間の計によってモーチャンどころか李厳までギに下る
そして劉封はこれが諸葛亮のせいだああっと怒り内乱勃発

漢中には諸葛亮(投降者続出により最前線で指揮を高めたいと言う名目で赴任していたが)

成都には劉封がいてぎえんも居る

しかし
漢中攻略作戦時劉封が成都を手薄としたため永安から来た呉軍にまず江州やラクーが占領され
成都も簡単に落ち
奪回に巻き返した劉封軍は呉軍に撃破され全滅

劉封死亡

そして諸葛亮は漢中に閉じこめられ身動きが取れず

ギと呉に攻撃され
王平、馬忠らとともに大月氏経由でシルクロードを通りローマ帝国へと落ち延びていく



155 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/24(木) 11:00:21.94 .net
劉邦って家臣に軽んじられてなかったっけ?
実子じゃないのって当時的には、かなり意味のないものなんじゃ?

156 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/24(木) 12:03:02.29 .net
そりゃあ、実子が生まれたらそうなっちゃうわな

157 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/24(木) 14:04:34.06 .net
当時の養子縁組はかなり強力だよ。
劉備がただの群雄で終わったら、劉封が継ぐ可能性もあっただろう。
ただ皇帝や王になるとそういうわけにはいかない。
少なくとも始祖(この場合は劉備)の血を継いでいなくてはならない。
劉封はこの劉備陣営の環境の変化に犠牲になったということだろう。

158 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/24(木) 23:36:13.30 .net
この情報は本当なの?

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/joke/1331190435/1-100



159 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/25(金) 00:49:40.11 .net
孟子度の言葉を採用しなかったのが残念だ


160 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/01(金) 20:28:42.23 .net
分裂するんだろう。
例えば、関羽張飛のような血筋派と、後から武将になったような派閥に。

161 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/21(土) 17:07:03.91 .net
劉禅のほかに劉永と劉理もいるし、クーデターでも起こさないかぎり
跡を嗣げないんじゃないの?

162 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/26(木) 02:12:17.36 .net
劉封が後継者になってたら、そりゃあ劉封自身も北伐に出陣するだろう
将兵の士気は大きく違ってただろうな
まあ夷陵の大敗北があったから北伐は魏延の策を用いない孔明をどうにかしない以上は成功しなかっただろうけど
劉封ならただの内政家の孔明より征西大将軍として魏との戦いで実績の大きい魏延の策を用いた可能性大だから長安奪取はできたかもしれない


163 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/26(木) 04:01:01.37 .net
>>162
夷陵の敗北は関羽の死(荊州失陥)があり、
関羽が死んだとなれば、劉封は援軍に向かわなかったか
向かっても間に合わなかったかで、後継争いの大きな失点になる

関羽救出は、劉封後継の最低限の前提条件じゃね?

164 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/26(木) 13:47:28.80 .net
・五千人という大兵力を率いて、軍道としては数十年未整備の敵領子午谷100キロを十日で走破
・都督所在で軍備を持つ長安が一戦も交えず瞬時に逃走を決断する
・長安の大都市民を一瞬で服従させ、兵糧及び篭城用装備は全て現地調達して一ヶ月篭城
・一切の滞りなく漢中からの劉封本隊が洛陽からの敵増援よりも早く到着する

この策が上手くいくコンビだというなら、確かに諸葛亮を越えられるな

165 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/26(木) 18:29:19.50 .net
>>164
魏延が長安に現れたら、「遼来来」じゃないけど、結構簡単に陥落しそうだけどな
ただ、そういう意味も込めて防御向きの城ではないから、劉封が本軍として漢中から出陣しても、魏延は長安で孤立してた可能性が大きいかもな
魏延は長年漢中を守り通せたけど長安を数日守り通せたかは未知数

166 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/26(木) 19:54:59.29 .net
長安はでかすぎて5000人程度だと守れないから
孤立とかいう前に普通に落とされるだろ

167 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/26(木) 21:54:36.88 .net
>>165
故道に複数の県があったくらいだから、子午谷にも集落があると判断できる。
数日は前に長安に急報が届くわけで、対蜀としては油断していたとしても
世情不安定な雍涼州鎮撫の拠点である長安があっさり逃げ支度するのは難しい。
歴史上では漢中に諸葛亮が到着して出陣準備をしていた情報は洛陽に届いていたので
尚更警戒シフトが上がっていたとはず。

魏延案が成功するには、それよりもっと前から、諸葛亮(劉封)の漢中行まで秘匿する
レベルでの戦略的奇襲が必要。

168 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/27(金) 00:07:03.99 .net
後世の歴史学者達の研究でも、蜀が北伐時に魏に勝てる可能性が断トツで一番高いのは魏延の奇襲策だったとされてるぞ。というかそれ以外は蜀の勝利は不可能って言われてる。
最前線の漢中で魏軍と戦って魏のことを一番肌で知ってる魏延の策を用いなかった時点で北伐は終了。ただの国力浪費。孔明はやっぱり軍略ではアホなだけ。

169 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/27(金) 00:08:41.08 .net
ギエンは凄いなあ〜

170 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/27(金) 00:32:55.47 .net
小が大に挑むのに安全策で事が成就出来るはずがない
魏延の策も低い可能性の中でもマシなだけで一か八かの大博打
失敗=滅亡になりかねない事だけに文治畑の孔明には
魏延の策を用いる選択はできないだろうね
この件でアホと断ずる方が考えが浅はか

劉備が生きていたらあるいは実行したかもだが
夷陵に逝っちゃったからね〜


171 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/27(金) 00:50:57.93 .net
>>170
失敗しても魏延が死ぬだけだろ・・・・滅亡には程遠い

172 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/27(金) 01:03:10.45 .net
こらこら、どちらにしても殺された魏延に失礼だよ

173 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/27(金) 02:11:38.80 .net
>>171
魏延の策を実行するとき、
魏延が率いるであろう兵は漢中の熟練の精兵
多くの熟練兵と次代を担う将は
劉備とともに夷陵で失われている当時の蜀では数少ない熟練兵
これら熟練兵が随一の将とともに失ったら蜀の屋台骨が大いに揺らぐ

魏延を失ったら漢中の防衛を誰に任せられる?

174 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/28(土) 15:22:11.04 .net
魏延以外は郭淮撃破とかできないよな
魏延がいたから漢中は10年以上持ったわけだからな

175 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/29(日) 00:57:26.38 .net
>>174
郭淮、孔明が北伐の遠征軍を率いてきたら
戦わずに撤退したからな〜

176 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/29(日) 08:22:25.36 .net
>>168
誰よその歴史学者って

177 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/31(火) 18:19:59.35 .net
>>175
それ、どこの創作??

178 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/31(火) 19:32:29.05 .net
魏延の話はスレチだ
よそでやれ

179 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/31(火) 19:57:11.33 .net
長安て当時夏候楙が守ってたんじゃなかったか?
さすがに子午道行かせるべきだろ、その間に孔明は勝手に出師の表でもなんでも書いて馬謖と盛り上がって本業の内政に勤しんでれば良かったのに・・・
そもそも劉備が用いてはダメと言った楊儀や馬謖を重用してる時点で孔明は蜀漢照烈帝の意志に反してるだろ

180 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/31(火) 20:28:36.75 .net
>>178
if後継者・劉封の話になったら北伐の話がメインになるから孔明や魏延が出てくるのは仕方ない
というかそれ以外論点ないだろ

181 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/31(火) 23:44:28.11 .net
>>177
正史。
諸葛亮伝。
俗に言う第三次北伐。

郭淮伝にはこの旨の記述はない。

182 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/31(火) 23:52:07.77 .net
>>179
楊儀は劉巴と仲たがいしたから左遷しただけで用いるなとは云ってないよ。
そもそも関羽のお墨付きで劉備が抜擢してるんだから、用いるなとはいわんだろ。

183 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/01(水) 01:10:48.29 .net
>>182
楊儀は左遷されたどころか官職剥奪されて平民におとされたほどの問題児だろ
魏延殺した後もやっぱり官職剥奪されて殺害されてるし、楊儀は使えないどころか、劉備は楊儀を使うのをやめたんだよ
用いるなどころか用いるのを完全に辞めた

184 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/01(水) 01:42:50.91 .net
>>183
官職剥奪?
実のない名ばかりといえど弘農太守は官職ですよ?

平民におとされる?
孔明が死去する以前にその旨の記述も見当たりませんけど?

閑職にまわしたからには、ほとぼりが冷めたらまた戻すつもりだった可能性もある
何せケンカ相手の劉巴は高齢(222年死去)だけにね
劉備が呉へ親征(221年)して帰らぬ人(223年)となったため、どうするつもりだったか闇の中
使うのを完全にやめたなどと言い切れるほど、判断材料はないと思うけど?

楊儀の擁護なんてしたかないけど、不公正なのは好きじゃない

185 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/01(水) 07:00:27.98 .net
個性的であることがそんなに素晴らしいことであるならば「制服」なるものは必要ない。
髪を染めて通学、通勤する者は称賛されるであろう。
しかし現実には「制服」は必要なものであるし髪を染めて通学、通勤する者は怒られてしまう。
何故なら彼らは「個性を履き違えいる」からだそうだ。では具体的に「個性」とは何かについて答えられる者はいない。


しかし「正しい個性」かどうか判定してくれる人はいる。「親」「教師」「上司」、その他、エライ人たちだ。
つまりエライ人たちが評価してくれることが「正しい個性」でありそうでないものは「間違った個性」なのだ。


結論から言えば「個性」とは勉強スポーツ仕事において成績をとる。社会的に認められている良い趣味を持つこと。
社交的で友人がたくさんいること等のことなのであろう。つまり立派な人ってだけなのではないか?


最後に私は「個性」が嫌いだ。「没個性的」な平和な社会がいい。
どのような意味にせよ「個性的な人間」はやはり良く言えばエネルギーがありすぎ悪く言えば攻撃的だから苦手だ。怖い。
もっと没個性を正しく認識して没個性の穏和で真面目で平和な社会になるといいですね。

186 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/01(水) 15:52:09.65 .net
>>185
「没個性的」ほど、つまらないものはない
断っておくが個性を攻撃するのは個性のない人間なのだよ。
>良く言えばエネルギーがありすぎ悪く言えば攻撃的だから
ってあるけど、なら黙っていればいいのに何を吠えているw

あと、エライ人たちばかり見てたら
後ろから蹴落とされるから注意する事だ
「正しい個性」なんてない、「間違った個性」もない
ありのままがキミ自身であり、キミの個性だ
以上、スレチでした by孔明

187 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/01(水) 16:03:18.59 .net
277 名前:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs :2012/08/01(水) 15:26:42.88
いかん。間違って自分のレスに返事を書いてしまったよ。あらためて。



>>274

人間、考えていることや話している内容に大きな違いはない。ということですね。





278 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/08/01(水) 15:59:38.40
佐倉△


188 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/23(土) 18:22:45.89 .net
>>52
軍才はあっても物事を情緒的にしか考えられない政治的欠陥があったのかもね
司馬遼太郎の義経みたいなものかな
政局や自分の立場に敏感な孟達からはさぞアホにみえて仕方なかったろうw
でも腰軽く立ち回った孟達も結局死んでるのが面白い

189 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/23(土) 19:37:46.76 .net
諸葛亮の傀儡に素直になれないやつはみんな死んで当然

190 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/23(土) 22:39:41.82 .net
諸葛亮の暗殺を恐れて、劉禅は傀儡に甘んじてたかもな。
親父から、無能だったら自分を始末してもいいよ!てお墨付きを貰ってる品

191 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/23(土) 23:34:34.77 .net
しかも何回も戦場に置き去りにされたトラウマまで持ってるからな

192 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/24(日) 02:27:21.50 .net
劉封に対する処遇は劉備だからこそ許されてるみたいなところが有るよね
他の領主がやってたら絶対もっと非難されてるよw
陳寿にせよ、え?そこで劉封の方叩くのかよ、という感じだし
劉備は嫌いじゃないが、なんだかなって思うわ

193 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/24(日) 08:16:09.80 .net
いや、陳寿ってかなり劉備関羽諸葛亮に傾いた価値観持ってるから、仕方ないよね

194 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/24(日) 10:38:55.75 .net
>>183
>何せケンカ相手の劉巴は高齢(222年死去)だけにね

おいおいw劉巴は若くして死んでるぞw
劉巴は多分諸葛亮あたりよりは年少

195 :194:2013/02/24(日) 10:48:06.69 .net
×>>183
>>184
でしたスマソ

196 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/24(日) 13:29:57.65 .net
>>192
劉備がどうってよりも、ミスったのが劉封だからこそ処刑くらったという見方をするべき
政治的にみれば有能な養子って、劉備が死んだ後の蜀にとって不安分子以外の何者でもないからな
立場的にも性格的にもコウメイが抑えれるかわからない人物なんだから、そりゃ全力で殺しにかかるだろう
その辺の事情が考えられず、関羽を助けれなかった理由等をちゃんと話せば
劉備様ならわかってくれるとでも思ったのだろうか
孔明や孟達からすればそんな話しじゃないんだよって感じだが
まぁ武闘派の劉封が後継いで、魏延と結託して長安急襲をやってたら〜なんて妄想は楽しいけどね

197 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/24(日) 15:17:27.05 .net
邪魔になったのは分かるけど、
養子から臣下に格下げとかできないものなのかな

198 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/24(日) 16:12:51.60 .net
俺だったら、頼もしい義兄なんかいたらすげーありがたいわ。
君主の座が欲しいなら喜んで譲るし。

199 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/24(日) 22:07:14.45 .net
>>197
あなたがその養子の立場だったとしたら納得できる?
劉禅が生まれる前に養子になったからには、後継者として望まれた意味合いも強かろう
将来性を見込んで養子にしたとすれば才も志も高いはず
そんな者に対して、世継ぎが生まれたから今日から臣下なって通じるとは思えない。
封自身がそれを是としても、周りは疑心暗鬼になること間違いない。

>>198
義兄からすれば、嫡流の義弟の存在は自分の地位を脅かす危険な存在だぞ
本人にその気がなくても周りがほっとかない
それを考えれば、君主の座を譲ったとしても安穏とした生活は送らせてもらえない
辺境に飛ばされて、厳重な監視体制をしかれ、何か事あれば殺されかねなくなるが
それでもありがたい?

200 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/24(日) 23:37:17.42 .net
ありがたいな。
無能な俺が国を背負うより有能な義兄に任せた方がいい。
自分が生き延びたおかげで、国が滅んだら本末転倒だぜ!

201 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/24(日) 23:38:54.72 .net
劉禅は十分有能やねん

202 :197:2013/02/24(日) 23:48:36.16 .net
>>199
理由が無いわけじゃなくて関羽を見殺しにしたこと等の罰として、だから
死罪よりは格下げの方がいいだろ

納得できるかどうかはやり方による
演技でいいから、死罪を叫ぶ奴が多数いる中で
義父が「死罪は可哀想だからせめて格下げで」って言ったなら納得しやすいんじゃないかな


西洋で失敗を理由に王位継承権を失うってことがあった気がするんだけど
中国にはないのかな。平時には明確な継承の順序を決めないせいだろうか

203 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 01:32:20.14 .net
劉封は元々継承権は無かったでしょ

204 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 01:42:53.40 .net
劉備「養子にするとは言ったが後継者にするとは言っていない」

205 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 02:38:16.42 .net
じゃあ尚更殺す必要なかったんじゃw

206 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 04:40:05.65 .net
>>202
だから劉封がただのいち将軍なら格下げですんだろうよ
養子だったからこれを機に処刑されたんだ
劉備がどこまで冷静だったかはわからんけど、孔明はバリバリ劉封殺す気だったろう

>>205
そもそも正史だと劉封を養子にした時点で劉禅は生まれてるから
劉封に後継ぎさせる気はもともとなかっただろうけど
そんなもん劉備が死んだ後、国の情勢がどうなるかなんてわからんだろう
本人にその気がなくてもだれが担ぎあげるかもわからんし
それこそ劉禅が本当にバカで劉封が優れた人物だったらなおさらだし
なんにせよ劉禅や孔明政権にとって劉封は危うい存在だった

207 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 20:52:48.32 .net
劉禅も成長せずに直ぐに死ぬ可能性もあったし、養子の後継も劉備は考えてたんじゃね?

しかし、劉備に徐州時代やその前の時も子供がいなかったての変だよな?
他にも劉禅より年長の庶子或いは正嫡な息子はいたと思うんだけど。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 21:06:46.41 .net
だって劉備さんすぐ子供捨てるじゃん

209 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 23:47:20.91 .net
まあ儒教下だと子供の価値そのものが低いみたいだしな
曹操にしろ父親殺した相手には烈火の如く怒ったが
長男殺した相手にはかまへんかまへんみたいな感じで部下にしてたし

210 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/26(火) 00:29:49.23 .net
>>209
曹沖さんを忘れてませんか?

211 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/26(火) 01:11:50.20 .net
史実だと劉封が劉備の後を継ぐ事はほぼできないけど
ゲームだとだいたい劉備が死んだ後、劉封が後を継ぐ事になるんだよなw

212 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/26(火) 01:44:48.18 .net
>>206
劉備に実子劉禅が生まれる207年以前、当時荊州に滞在し、
未だ世継ぎの無かった劉備から養子に迎えられた。

213 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/26(火) 01:52:37.96 .net
ちなみに劉禅が産まれているのに劉封を養子にしたのは演義の方です。
蜀志劉封伝の一行目に書かれている事なのに何で間違うかなw

214 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/26(火) 19:23:31.01 .net
この時代の子供の価値はやっぱ低いのか。
曹操も自分の馬が傷ついて、息子から馬を奪って逃げ延びてるし。

215 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/26(火) 20:55:40.92 .net
奪って?
そんな記述あったっけ?

216 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/27(水) 07:48:33.80 .net
曹操嫌いだから奪ったということにしときたいw

217 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/27(水) 19:19:15.34 .net
好き嫌いで嘘言うような奴は信用できないな

218 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/27(水) 19:19:46.59 .net
呂布「まったくだ」

219 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/27(水) 22:30:02.48 .net
少しでも隙を見せれば貶められる曹操さん可哀想に

220 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/27(水) 23:02:06.98 .net
親が子供を犠牲にするのは、別にこの時代では貶める理由にならんだろう。

221 :無名武将@お腹せっぷく:2013/02/27(水) 23:56:07.12 .net
劉封と魏延は良いコンビになれたかも
諸葛亮なんて国を乗っ取りたかっただけ

222 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/03(日) 15:54:58.61 .net
>>220
曹操の一件は、曹操が強いたとしても
息子が身を挺して親を救った美談でしかないな
彼の国、彼の時代なら

223 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/05(火) 07:08:01.89 .net
>>221その二人がコンビ組んでも国を滅ぼすだけだわ

224 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/05(火) 13:16:11.26 .net
>>223
でも面白そうではあるなw

225 :無名武将@お腹せっぷく:2013/12/28(土) 12:04:12.12 .net
仲の悪い孟達は魏から戻ってこない

226 :無名武将@お腹せっぷく:2014/08/01(金) 23:19:01.49 .net
孟達を処断、適当な理由つけて孔明も処断

227 :無名武将@お腹せっぷく:2014/08/02(土) 02:12:37.53 .net
法正も生きていたら・・・な。

228 :無名武将@お腹せっぷく:2014/08/31(日) 03:23:39.17 .net
沙郡の1県である羅侯国の寇氏の末裔 とあると
ようするに お金には困ってない一般大学生レベルの平凡な
優秀青年だったことがうかがえる。 しかもそれを当時の乱世の漢中王の養子
に見出したということは相当な風貌と賢才を兼ね備えていた可能性がある。

つまり、この人物に後を託すほど周りの視線も 一目おくほど優秀で繊細で風貌も
よろしかったのではなかろうか?

つまり、それだけ 劉備の周りには性向性の嗅覚が卓越しており
かつそういった人間率に忠誠を向けやすい叔向にあったと言っていい。

劉封はとにかく抜群のなにかをもっていたが、5000の人間を殺したとあってはわしの跡取りには
なれない と、厳しく談破したのでは

229 :無名武将@お腹せっぷく:2014/08/31(日) 03:25:52.38 .net
で、その劉封の心良き部分が 兵士を殺したという乱世はあるが

彼の良き部分が生きていたら
 周りの部下がどう動くか、注目される所ではある。 面白い。

三国志とはまったく違った処世術が見えてきそうで・・・。  戦争しなさそうw

230 :無名武将@お腹せっぷく:2014/08/31(日) 05:46:04.48 .net
俺が劉封で、劉備の後継いだとしたら、劉禅を将軍にして前線に突っ込ませて、討死させる。

231 :無名武将@お腹せっぷく:2014/08/31(日) 05:55:24.14 .net
そーいえば、昔、劉封って偉い人だと思ってた。項羽と劉邦のりゅうほうと勘違いして。

232 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/22(水) 22:03:54.45 .net
人間関係の機微を読むのが下手くそぽい人だから
君主の器ではなさそう。劉禅よりも。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2015/02/25(水) 19:56:53.09 .net
後継、劉封でもどちらにせよ蜀漢は滅亡するような気がする

234 :無名武将@お腹せっぷく:2015/02/25(水) 20:45:32.96 .net
孔明が国主になればなあ
そんな蜀見たかっただーよ

235 :無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 18:34:11.86 .net
>>234
滅ぶのが早まっただけじゃね?

236 :無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 19:05:41.74 .net
結局は劉備・諸葛亮という圧倒的なカリスマがあってこその国だったからな
その両方がいなくなってしまったら未来はない

237 :無名武将@お腹せっぷく:2015/03/17(火) 21:29:04.08 .net
関羽の最後のくだりをみると、どう考えても凡人。

238 :無名武将@お腹せっぷく:2015/03/22(日) 16:29:27.14 .net
>>234

孔明が国主になる選択が出来るゲームがあるよ。

239 :無名武将@お腹せっぷく:2015/03/22(日) 18:41:19.35 .net
関羽の失敗の尻拭い
スケープゴートとしては適任

240 :無名武将@お腹せっぷく:2015/03/28(土) 10:55:36.28 .net
孟達は正しかった

241 :無名武将@お腹せっぷく:2015/06/07(日) 02:07:16.26 .net
>>170
あくまで蜀の存在意義を示す為の出師で本気で勝敗を決する気が無かった政治家孔明と、本気で勝つ為の最善の策を示した軍人魏延の差だろう。

242 :無名武将@お腹せっぷく:2015/06/07(日) 08:02:34.53 .net
>>157
特に漢の再興を旗印にしてるわけだから、劉の血統じゃないのが継ぐのはありえないわな。

243 :無名武将@お腹せっぷく:2015/07/29(水) 17:14:39.67 .net
魏延は劉封派らしいから一層重用されそう

244 :無名武将@お腹せっぷく:2015/07/30(木) 01:37:40.16 .net
>>243
孟達、法正あたりとひと悶着やらかしそうだが。

245 :無名武将@お腹せっぷく:2015/07/30(木) 12:15:16.26 .net
孔明にしたら最悪だよ
そこそこ実績のある将軍が跡を継いだら皇族が強くなるじゃねえか
史実のように丞相府の独裁体制を敷けない
劉封が孟達を討とうが討つまいが、理由つけて消そうと言うのは必然

246 :無名武将@お腹せっぷく:2015/07/31(金) 09:21:21.59 .net
劉備は劉封の何を見込んだのだろう

247 :無名武将@お腹せっぷく:2015/07/31(金) 14:24:45.85 .net
劉禅に兄もいたはずなのにな

248 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/01(土) 10:20:30.11 .net
トマトは野菜の中では栽培しやすいよ。
春に園芸店行けば、色んな種類の苗が売ってるから栽培してみれ。

鉢植えでも、元は簡単に取れる程、収穫出来るよ。

249 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/01(土) 10:41:04.91 .net
>>247
劉封以外の実の兄?

250 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/01(土) 11:09:45.30 .net
劉禅の兄はそれ以前にどっかで死んでいたはず…

251 :teku-teku ◆NfEGRcEbns :2015/08/01(土) 12:08:12.52 .net
http://yakigashiyatekuteku.com/

252 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/01(土) 13:01:09.84 .net
泣いて馬謖を切る、の伏線かと。
荊州陥落は事実上の天下三分の計の破綻で劉備政権は崩壊の危機にあった。
劉封を切ることで綱紀粛正を計り、体制維持が出来たのだと思う。

253 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/01(土) 13:05:26.11 .net
taime strip

254 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/01(土) 18:17:30.32 .net
劉備に劉禅以外の実子がいた話は初めて聞くな
蒼天にはなんか創作で一人いたけど

255 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/01(土) 18:18:47.59 .net
間違えた劉禅以前に実子がいた話、だ

256 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/02(日) 13:36:19.00 .net
>>247>>250>>254
劉公仲だっけ?
劉封をアオムシにした時にも生きてたはずなんだよね

257 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/02(日) 14:08:20.24 .net
にょろたんのはなしは?

258 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/02(日) 14:11:01.52 .net
>>256
仲ってことは次男?
更に兄がいるってことに…

259 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/02(日) 15:00:38.49 .net
なるほどそんな人物がいたとする説もあるのかぁ
しかも劉理の本当の親とする説があるんだな
そんでさらにその上にもう一人いたと

出典の「元本」という資料にどこまで信憑性があるのか分からんけど面白いなぁ

260 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/03(月) 06:51:43.66 .net
小遊三師匠が、10年前の5代目円楽師匠が休演のしていた時に司会をした時は、
当時解答者だった歌丸師匠の座布団を9枚にしてたね。昨日の円楽師匠の座布団を9枚から1枚ずつ取っていって、
最終的には、円楽師匠に座布団をあげて、8枚にしていたね。
来週以降の円楽師匠の座布団は、どうなっていくのかな。

261 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/03(月) 11:26:14.30 .net
「元本」って資料は日本人が集解を著したんだけど
今かなり品薄になってるらしいね

262 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/03(月) 11:41:11.70 .net
そのweekペディアってサイトには元本由来の
正史三国志にも後漢書にも載ってないことが色々書いてあって興味深いな。
原典でもいいから中国語勉強してでも元本とやら読んでみたい

263 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/03(月) 13:22:27.84 .net
バイキング 9/25(金)最終回

264 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/03(月) 13:31:37.53 .net
これかhttp://weekpedia.myht.org/wiki/%E5%8A%89%E5%85%AC%E4%BB%B2
董白が白起の末裔だとか兪渉が孫堅の血縁だとか色々と珍しい情報が載ってるな

265 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/03(月) 22:34:35.95 .net
元本とか何よ初めて知ったわ
すっげー読みたい

266 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/04(火) 12:50:25.41 .net
兪渉って架空の人物じゃなかったのね

267 :無名武将@お腹せっぷく:2015/10/30(金) 16:13:56.21 .net
>>264
肖像画はなんだよw

268 :無名武将@お腹せっぷく:2015/12/29(火) 00:20:51.18 .net
肖像画はオリジナルかな?
どっから拾ってきたんだって肖像画多いよねそのサイト

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