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三国時代の文学スレッド

103 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/21(土) 21:18:38.31 .net
長くスレを放置してしまって、すみませんでした。
昨日、北京の故宮博物院展を観に上野に行ってきました。
南宋の皇族で元に仕えた、趙孟頫の筆の洛神賦がありました。
本当はじっくり一字一字を追いたかったのですが、後ろから「早く行けよ」みたいなプレッシャーをかけられて
断念しました。
すごく混雑していて、何度ぶつかられ、押されたことか!
平日だし寒い雪の日だったのに。
二月末に台湾に行って来るので、そっちの故宮博物院にも行き、
このスレで出せそうな話題を探してきます!

>>93
すごく興味ぶかい話題、ありがとうございます。
新版のドラマ三国演義を観ていて、戦のときに「ホウ! ホウ! ホウ!」「(太鼓)ドン、ドン、ドンドンドン!」
とやっているのが印象的でしたが、実際には歌も歌っていたんですね。
紹介していただいたタイトルや本文を見ると、これって、物語で開戦前に将帥が陣頭に出て自国の正当性を主張したのの
元ネタなのかな? と思いました。
「歌と共にあった」のは、やっぱり、歌は人の口に歌われて歌い継がれていくものだし、
文字を書けない民衆の歌が、歌われてからずっと後に本にまとめられているのを見ても
「どれだけ残るものなのか」がわかるし、
政事や祭祀などに活用するにはもってこいだからでしょうね。
近代ヨーロッパでも、ラ・マルセイエーズだとかファシズム国家の軍歌とかありますが、
中国は遙か昔にそれをやっていたのがすごいですね。

ただ、いつも思います。
どうして当時の中国人は歌詞を記録しながら、メロディーを記録することはなかったんでしょうか。
音の配列から、どう歌われていたのかを類推する、ということは今されていると思いますが、
結局答えはわからず、楽府も、韻文として鑑賞するしかないじゃないですか。
楽譜という発想がなかったんでしょうか?


魏の鼓吹曲ありがとうございます。
確かに、黄巾の乱がないのは不思議です。
前王朝の衰微と曹操の華々しい登場を一度に書けて一石二鳥だと思うんですけどね。
辺章、韓遂の乱を書くなら、なおさら黄巾の乱のほうがインパクトがあるのに…
それに比べて、河北平定にはかなり重点が置かれていますね。

歌い方として、「楚之平」、「克官渡」、「應帝期」なんかはすごく勇ましく歌われ、
「舊邦」はあえて兵の悲憤を煽るために余情・悲哀たっぷりに歌われたんじゃないかと想像します。

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