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三国時代の文学スレッド

1 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/12(月) 22:09:48.11 .net
| 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚)   ∧ ∧    ∧ ∧   .∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧    ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` )  . (´ー` )  (゚∀゚ *)  (´<_,` )  (´∀` )  (・∀・ )  (‘∀‘ )
 ̄  //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
   .\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 驕@ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
   ./ ◆<  ./..◆ <  ./..◆< ./ ◆<  /..◆<  ../..◆<   ./ ◆<  
  /  '´ ヽ).../  '´ ヽ...)../  '´ .ヽ. .((操)))/  '´ヽ..) ./  '´ヽ..)/  '´ヽ )
∠/   ノノ∠/ ∧ ∧/   .  ノノ  (・∀・)っ   ∧ ∧    .ノノ     .ノノ
           (; ゚Д゚)  。・゚・⌒)  (つ   /.  .  (゚∀゚,, )
            / 丕 o━ヽニニフ )) |  (⌒)  〔~植∪ ̄〕=
           しー-J    彡   _ し⌒^    ◎――◎=


後漢末期の建安年間とその前後には、唐代以前の詩聖・曹植や
曹操・曹丕・曹叡など曹家の偉大な詩人たち、建安の七子などが
たくさんの優れた文学作品を残し、中国文学を著しく発展させました。
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、
それらの漢文の重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文芸の題材にも、
三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、
真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。
三曹でも西晋でも蘇東坡でも土井晩翠でもなんでもおkかとミ ・∀・ ミ

まとめサイト
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/

228 :無名武将@お腹せっぷく:2012/12/17(月) 19:34:27.63 .net
>>224の件についてだが、晋書帝紀の1、2巻だけじゃ判らん
司馬懿の諡号・魏晋禅譲がらみの時系列を上げてみるテスツ。晋書 帝紀第1、第2から抽出。あくまで晋書ということに注意

嘉平
元年
 春正月、曹爽が魏皇帝とともに高平陵へ。司馬懿、司馬師、対曹爽クーデター。
 冬十二月、九錫の礼を加えられ、朝会において拝礼せぬことを許された。九錫は固辞。

二年
 春正月、魏皇帝が司馬懿に「洛陽に廟をたてる」よう命じる。司馬懿が病みがちのため、大事があるときは、魏皇帝が司馬懿の屋敷に訪れた。

三年
 春正月、王?の乱。
 夏四月、司馬懿が王?の乱を鎮圧。
  皇帝が使節を派遣、「司馬懿を相國となし,安平郡公に任ずる」。司馬懿は相国を固辞し、安平郡公を受けず。
 秋八月、司馬懿死去。
  皇帝は喪服で弔問。葬儀の威儀は漢の霍光の故事にならった。相国と郡公を追贈。
  弟の司馬孚は、故人の遺志を理由に、郡公および??車(始皇帝陵からも出土した銅車馬)は受けなかった。
(葬儀について、漢書霍光伝の該当部分抄訳:喪は皇帝、皇太后他お偉いさんが臨席した。色々賜った。棺を??車にのせた。諡を宣成侯にした。祠には村を置き、長く旧法のごとく守らせた)

 司馬懿が死去したとき
  議者「伊尹既卒,伊陟嗣事」、天子は司馬師に命じて、撫軍大将軍として政を補佐させることとした。
 九月庚申、司馬懿を河陰に埋葬。文と諡し、のちに改めて宣文と諡した。司馬懿の遺言>>203

四年
 春正月、司馬師が大將軍に。侍中,持節、都督中外諸軍、録尚書事。
  百官に命じ賢才をあげ,年齢の少長を明らかにし,窮者獨人を思いやり,廢滯(廃棄品、もしくは人)を整理。
  制度を変えようという意見があったが、詩経の故事をあげ、魏の制度のうち、軍事以外のものは変えないとした。

五年、呉、諸葛恪の侵攻。

229 :無名武将@お腹せっぷく:2012/12/17(月) 19:35:11.39 .net
正元
元年
 春正月、天子、李豊、張緝らにより、補政を司馬師から夏侯玄に移そうとする動き。
  司馬師、首謀者の李豊を捕らえ、また関係者を三族まで皆殺しにした。
 三月、司馬師、魏皇帝に皇后張氏を廃するよう密上奏。
  これを受け、魏皇帝は「周勃が呂氏を亡ぼし、霍光が上官桀を捕らえた」ことになぞらえ、司馬師の増邑を詔する。
  司馬師は受けず。
 ?、正月春の事件を受け、司馬師、密かに魏皇帝廃立を皇后に申し出る。
 秋九月、皇后、「今の皇帝が政治に親しまず、女色や芸人に溺れており、宗廟を奉るには相応しくない」とし、皇帝廃立の令を下す。
  皇后の令をうけ、司馬師は霍光の故事にならい、皇帝の印綬を取り上げ〔帝を〕斉王に。
  曹氏最年長の曹拠を皇帝にしようとするが、皇太后の意見により曹髦を皇帝にする。皇帝の格好や振る舞いを諌める。
 癸巳の日、曹髦、司馬師の位を相国とし、邑九千戸加増、大都督・仮黄鉞に昇進、参内の際には小走りしないこと、上奏の際には名前を名乗らないこと、履剣上殿を許す。銭五百万、帛五千匹を下賜。相国を固辞。
  司馬師、帝を諌める上奏文。皇帝は受け入れる。

二年
 二月、毋丘倹と文欽の乱。司馬師、死亡。
  司馬昭の上奏>>217
  大將軍に位をすすめる。輔政、劍履上殿。帝固辭不受。

甘露元年
 春正月、大都督,奏事不名。
 夏六月、高都公,地方七百里,九錫, 斧鉞,大都督,劍履上殿。又固辭不受。
 秋八月庚申、加假斧鉞、摯侮O縣。

二年
 夏五月〜 諸葛誕の乱
三年
 諸葛誕の乱鎮圧
 五月、晋公に封じられる。九錫,相國,晉國置官司焉。九譲し、止む。
 秋七月,先世名臣元功大勳の子孫を,才能に応じて登用するよう上奏。

五年
 夏四月、甘露2年5月と同じ詔。九讓して受けず。
 五月、曹髦が殺される事件。曹奐が皇帝になる。
 六月、改元。

230 :無名武将@お腹せっぷく:2012/12/17(月) 19:42:16.68 .net
景元
元年六月、二年秋八月甲寅、甘露2年5月と同じ詔。受けず。
四年
 春二月丁丑、甘露2年5月と同じ詔。受けず
 夏、蜀攻略開始
 冬十月、詔で司馬氏の功を称え、晋公とする

>故齊魯之封,於周為弘,山川土田,邦畿七百,官司典策,制殊羣后。惠襄之難,桓文以翼戴之勞,猶受錫命之禮,咸用光疇大コ,作範于後。
(斉・魯の封地は、周において広くなり、〜。(周)恵襄王の難のとき、斉桓公・晋文公は国を助けた労をもって、錫命の礼を受け〜)

  翼戴之労というのは、周宣王の臣下、山甫の話。晋盧湛《贈劉昆》「伊陟佐商。山甫翼周」。曹操の善哉行にも出る。
  司馬師はいったん晋公を固辞するが、司空鄭沖の発言を受け、受諾
 十一月、蜀降伏

咸熙元年
 三月己卯、公→王に進む
 夏五月癸未、天子は舞陽宣文侯に追贈して晋宣王とし、舞陽忠武侯(司馬師)を晋景王とした

二年
 八月、司馬昭死去、9月に諡文王

武帝授禅
 司馬懿を宣皇帝、司馬師を景皇帝。司馬昭を文皇帝。

読む限りでは、>>218の葬式の理由は、それでいいと思う。
司馬師が霍光の故事にならって皇帝を廃したことを、皇帝も天下も認めたことだと言える品

司馬懿が死去したころは安平郡公(これも判らん。宗室の諸王に与えられた爵位、郡王に準じるってことか?)の話が出ていた。
まだ晋とあまり関係がなかったため、文でも問題はなかった。
司馬師の死後、司馬昭が>>217を上奏し、晋公になり、死後に司馬昭が文王となった。
司馬昭を晋公にする詔の中で、周西伯昌で別々に分けていた斉桓晋文を同列にしている。
それを元に「周西伯昌と関係がある。晋文の名が斉桓と対等になることで、晴れて晋を名乗ることが出来た」とか言う事もできるが、ビミョー。

霍光伝「霍叔(霍叔処)封於晋。晉即河東,光豈其苗裔乎?」
史記と違い、霍光から晋が興るという立場であれば、司馬懿の時点で、晋は予測されうる事項になっている。
司馬師の斉王廃立のくだりが、漢書霍光の記述に似てるんだよなー。

つまり、偶然にしては色々とあてはまりすぎている。司馬師がなぞったんでもなければ、偽造を疑う。
資料が足りないので、正史や他の本(詩や文章)も探す必要があるんだが、気力ゲージ尽きてきたので保留。そのうちまた挑戦する

231 :無名武将@お腹せっぷく:2012/12/17(月) 19:45:40.25 .net
っと、誤解がありそうなので。
>>228
??車が化けているので、wikiへのリンク:ttp://ja.wikipedia.org/wiki/銅車馬
>>229
甘露3年の晋公は、まだ拒否している。

他にも間違ってたらスマソ

232 :無名武将@お腹せっぷく:2013/01/23(水) 21:33:42.24 .net
ここやまとめ読んでると自力で漢文読みたくなってるくるね
ただ日本も漢字文化圏だからこそ、漢文読めないなりに何となく意味は分かったりして、それも楽しいww
漢字って奥深いよなあ
とりあえず前スレの時からドキドキ五熟釜が気になってるから、自分はそれからだw

233 :無名武将@お腹せっぷく:2013/01/24(木) 19:58:44.29 .net
私は自分で読みはじめてみたよ
わからないことばかりではあるけど
少しずつ理解出来るようになってきてすごく楽しい!

234 :無名武将@お腹せっぷく:2013/01/28(月) 08:25:04.98 .net
>>232
ドキドキ五熟釜ってなんぞw

235 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/06(水) 05:16:17.40 .net
独りで三国時代の漢詩を訳していると、時々投げ出したくなると同時に
三国志って本当に人気あるか?って思う

何で三国時代の文学を取り扱っている日本語サイトは、質量ともに少ないんだろう
昔はもっとあったけど消滅したのかな

光栄さんとか三国志検定とか、あんなに反応を掘り起こせるのは凄いわ
たとえ悪い反応であってもね

236 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/06(水) 21:05:04.51 .net
三国志が人気あるとかじゃなくて歴史系講談が三国志以外全部死んだってのが正しい

237 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/08(金) 10:42:14.57 .net
>>236
一文で言い尽くされてしまった。

必要とされるのは、歴史講談としての三国志というガワだけか

238 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/20(土) 22:14:37.47 .net
最近知ったんだが「画餅」って曹丕の言葉だったんだな
曹丕の時代から現代にまで伝わってる言葉があるのって、考えてみればすごいことだよなあ
典論で書いてたのはまさにこのことなんだね

そしてやっぱり食い物なのかwとなんか笑ってしまったよw

239 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/21(日) 03:02:01.77 .net
>>238
「画餅」は曹叡の言葉だよ
出典は正史の盧毓伝にある詔
『全三国文』では曹叡の言葉として載せていて
『通典』で曹丕の詔とされているのは誤りだとしている

でもまさしく曹丕が『典論』で言いたいことは
そういうことでもあるのだろうね

240 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 08:42:24.05 .net
>>239
曹叡の方だったのか……訂正ありがとう!
食べ物関連だからって安易に曹丕だと思ってたww

でも伯仲の間とか左顧右眄とか、当時の人の言葉が今の時代にまで残っているっていうのはやっぱりすごいね
そういうのはある意味、その人がその時代を確かに生きていた証でもあるのかなって考えさせられるよ

241 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 13:00:31.45 .net
たまに偽作が紛れ込むけどね

242 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 22:26:31.87 .net
改変も作者混同も多いしな
七歩詩の3パターンとか曹操と曹丕の善哉行とか魏晋楽所奏とか

243 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 22:42:02.86 .net
昔の人は今ほどは原典を重んじないから「この方がいい」って
自分で勝手に手直ししちゃう場合とか結構あるんだよね

244 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/27(土) 12:30:18.77 .net
そうだね
しかも正統な後継者と自負している場合ほど、書き足すから質が悪い
注ならともかく、原文部分を追加するから、さぁ大変

そういう面では、儒教も邪魔だな
青青子衿は学生同士の親交を詠んだとされていたが、朱子注等で男女の密会を詠んだものとされたせいで、曹操短歌行の対酒當歌まで女への思慕が隠されているとか言われることになる
詩繋がりで言うなら、浮雲翳日も、孔融と古詩19首の行行重行行、古詩19首の方が古いのに、中には孔融が出典とか言う例もでてくる

245 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 14:38:14.01 .net
   | \
   |Д`) ダレモイナイ・・オドルナラ イマノウチ
   |⊂
   |

     ♪  Å
   ♪   / \   童子、又童子
      ヽ(´Д`;)ノ    刀を銜んで游いで江を渡る
         (  へ)    岸上の虎を畏れず
          く        但水中の龍を畏れる


   ♪    Å
     ♪ / \   わらべ、わらべ、また、わらべ
      ヽ(;´Д`)ノ   刀を口にくわえて江を泳いで渡る
         (へ  )    陸上の虎なんてコワクナイ
             >     ただ水中の竜だけがコワイノサ

   | \
   |Д`) <晋書五行志等に掲載されている、孫皓の時代に歌われた童謡ですね。
   |⊂    これを聞いた晋武帝が、呉討伐総司令官の王濬に龍驤将軍を与えてみたら
   |       呉討伐軍が、破竹の勢いになっちゃったと。

   |\
   |`) <童謡のノリで追加されちゃった将軍位ってのも、アレですな
   |
   |

   |
   | ミ  ピャッ!
   |

246 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 18:26:42.68 .net
>>245
童謡のノリで追加されたんじゃなくて
「童謡を流行らせてその童謡の予言を実現させて住民の動揺を誘う」という
古代〜中世では有名な謀略だろ

247 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/08(土) 21:28:03.32 .net
| |д゚) マジレスktkr。
| と ) 童謡が政治工作を兼ねた例については、古くは堯の鼓腹撃壌(康衢童謡)からして有名ですな。

| |Д`) でも全部が全部、当時の皇帝や権力者が主人公と言うわけではないし、
| と /  勿論彼らにとって、都合が良かったわけでもないデスナ。

| |-`) 何にしても調べてみると、歴史の裏面、童謡が広まった背景も見える気になれマスね。
      よく笑い話になっている司馬懿の讌飲詩も、景初中童謠と合わせると、合わせなくてもチョイ意味深トカ、でもナイトカ。

| ミ  ピャッ!

248 :無名武将@お腹せっぷく:2014/02/25(火) 22:07:37.40 .net
ど、動揺・・・  ((( (;゚д゚) )))

249 :無名武将@お腹せっぷく:2014/02/26(水) 12:40:38.38 .net
>>248
どうよう違い(´・ω・`)

250 :無名武将@お腹せっぷく:2014/03/02(日) 22:31:53.26 .net
杜預「どよどよ」

鯖復活して、やっと口をきけるように

251 :無名武将@お腹せっぷく:2014/03/03(月) 09:19:04.79 .net
今日はひな祭りだな
事実かどうかはともかく、上巳と重陽の日付を定めたのが曹丕と知ったのはこのスレのまとめがきっかけだったw

252 :無名武将@お腹せっぷく:2014/03/06(木) 16:55:40.48 .net
そのせいでだっけ、自分の詩を元ネタに菊の歌舞伎だか作られたね文帝さん

253 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/09(月) 16:48:27.84 .net
典論の
譬諸音樂、曲度雖均、節奏同検、至於引氣不斉、巧拙有素、雖在父兄、不能以移子弟。
という部分は色々考えてしまうね

254 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/26(木) 21:38:04.70 .net
ふむふむ、たとえば?

>>253と言ったお兄さんと、辞賦を小道と言った弟さんの違いはあるけども

255 :無名武将@お腹せっぷく:2014/07/12(土) 14:48:43.20 .net
曹操の短歌行を受けて曹丕が詠んだ短歌行比べると
雄大かつ高らかに大志を歌いあげる曹操とその父を喪った悲しみとそれを継がなければならない苦悩を繊細に綴る曹丕の作風の違いがわかるし
同じ宴会の時に詠んだ曹丕と曹植の歌を比べても
こんなに楽しい日々が永遠に続けばいいのに!という前向きな曹植と人間は有限だからこんな楽しさも一瞬のことなんだなぁという無常感を感じる曹丕の視点の違いが分かる


骨は何も感じないんだから派手な葬式や大きな墓は不要という薄葬令の記述や
人間なんてすぐ死んでしまう有限なものっていう詩や手紙に書かれてる曹丕の考え方が
なんとなく仏教的な無常感に近いように思えてならない
それくらい人間をちっぽけで無常なものだと考えてるからこそ、その人間の考えや存在した証を未来に伝えることができる文章の無限さを大きく評価した結果が
例の>>253の言葉なんじゃないかなぁ、と久しぶりに長文で語ってみる

256 :無名武将@お腹せっぷく:2014/07/27(日) 16:19:08.10 .net
 んー。こちらも長文でいくか。言ってることはあんまりかわらんけど

●無常の認識について
 仏教の雪山偈や三法印(四法印)の諸行無常について。
 単に命が短いというだけなら、古今東西よくある認識にすぎない。
 形ある物は変わる現実を正しく認識しよう。認識せず、若さや美しさが永遠に続くと思うから、考えを裏切られて苦しむ。
 古詩十九首で言う「生年不満百、常懷千歳憂」、ここまでが、仏教の無常。

 曹丕の作品は、感情的な面はあるが、折楊柳行(西山一何高)の後半を見るに、現実を認識した上での悲しみであって、裏切られて悲しむ無常とは違うな。
 むしろ寿命の限界を認めた上で限界まで生きようという、曹操に似たというか、似せた印象を持っている。
 芙蓉池作(乘輦夜行遊)の「壽命非松喬。誰能得神仙。遨遊快心意。保己終百年」、百年というのも、左氏伝の中寿をさすもので、つまり古典から引用する当時の風潮から来るものともとれる。

 仏教、曹操、曹丕とも、無常という事実を認識してはいる。違うのは、どうすれば乗り越えられるか、という回答。
 文章に不朽不変を見出したのが曹丕だと。

257 :無名武将@お腹せっぷく:2014/07/27(日) 16:21:18.68 .net
●典論-論文の特徴
 まずは以前にこのスレであがった訳 ttp://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_hi/tenron.html
 特徴は、「六朝芸術論における気の問題(ttp://hdl.handle.net/2433/66784)」でも指摘されたように、気の概念を文に持ち込んでいること。

・人は何らかの「気」を、生まれつき持っている
 「徐幹は時に斉気有り」「孔融は体気高妙、人に過ぐる者有り」、「輿呉質書」の「逸気」
・気は、人によって違う。>.503で指摘されているとおり、親子兄弟でも違うし、勉強してどうこうというものでもない
 「文は気韻を以て主となす。気韻の清濁は始めより定体あり」
 これは努力しても父親のようにはなれないという考えもあるか。曹丕は父親作と疑われる作品(善哉行)があるぐらいで、似せた説の根拠のひとつ。
・気は文章に反映される
 たとえば斉気を持つ徐幹の作品には、斉気が反映される。

 最後に、おなじ文でも栄達目的の文は駄目で、後世に残すには、千年後に残そうという意思が必要とある。
 これは詩人玉屑(宋代)では、「魏文帝曰『文、以意為主、以気為輔、以詞為衛』」、ようは意志を主とし、気を補佐とし、詞文が周りを囲む(容器)という概念だと指摘されている。

 曹丕がここで触れたのは、文章にも、人間の体と魂のような概念を見出せる、というもの。
 曹丕の作品は短歌行、寡婦、秋胡行など、楚辞の単語を引用している。
 楚辞は、国殤に「身は死ぬも精神は霊となり、魂は鬼雄となる」とあるように、肉体と魂の違い、魂や精神の永続性を基点に置いている。
 文章は、翰墨という体と、意気という魂を持つ。
 人の体は朽ちるけど、文学は不朽の形に永遠の魂がこもるから、不朽であり大業となりうる。
 なのに人間の寿命と一緒に消えてしまう栄楽をもとめて書くから、文章に魂がこもらず、脱け殻だけが残り、散逸していく。
 あるものを、あるがままに評価できるからこその、合理的な文章だと思っている。
 居るかどうかも判らない仙人と違い、文章が実際に千年以上受け継がれてきたという意義と実績を認めるから、その不朽と大業を評価したのが典論だとね。

 ちなみに曹植が論文の章で挙がっていないのは、記述された時は曹植が生存しているため、肉体の定命と魂の永遠を対比させる例として不適切だからという一面もある。
 まとめに掲載されていないぽい折楊柳行、善哉行の原文と訳、解釈は、今回は長くなるのではしょる。必要ならうpるけど。

258 :無名武将@お腹せっぷく:2014/09/09(火) 23:46:24.17 .net
保守がてら重陽記念カキコ

259 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/13(月) 12:45:36.28 .net
人のいる気配もないが、取り敢えずまとめサイトに無かった曹丕のやつ置いていく
白文だけでスマンけど
訂正やら補足やらあったらしてね

「善哉行 其二」
有美一人,婉如清揚。
研姿巧笑,和媚心腸。
知音識曲,善為樂方。
哀弦微妙,清氣含芳。
流鄭激楚,度宮中商。
感心動耳,綺麗難忘。
離鳥夕宿。在彼中洲。
延頸鼓翼,悲鳴相求。
眷然顧之,使我心愁。
嗟爾昔人,何以忘憂。

「猛虎行」
與君媾新歡,托配於二儀。
充列於紫微,升降焉可知。
梧桐攀鳳翼,雲雨散洪池。

「丹霞蔽日行」
丹霞蔽日,彩虹垂天。
谷水潺潺,木落翩翩。
孤禽失群,悲鳴雲間。
月盈則沖,華不再繁。
古來有之,嗟我何言。

「清河作」
方舟戲長水,湛淡自浮沈。
弦歌發中流,悲響有餘音。
音聲入君懷,淒愴傷人心。
心傷安所念,但願恩情深。
願為晨風鳥,雙飛翔北林。

「於明津作」
遙遙山上亭,皎皎雲間星。
遠望使心懷,遊子戀所生。
驅車出北門,遙望河陽城。

260 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/14(火) 21:39:24.52 .net
乙です
とりあえず「善哉行 其二」は、其二ではないとも言える
宋書樂志には記載されておらず、あとから追加されている説もあるから

ちなみに樂府詩集では其の一、其の二といった区分はされていない
中央研究院漢籍電子文獻での順番は、朝日樂相樂→上山採薇→朝遊高臺觀→有美一人の順

(以下、樂府詩集からの又引き)
>《荀氏録》所載十五曲,傳者九曲。武帝「朝日」「自惜」「古公」,文帝「朝遊」「上山」,明帝「赫赫」「我徂」,古辭「來日」,並《善哉》
《樂府解題(樂府古題要解とも)》
>魏文帝辭云『有美一人,婉如青揚。』言其妍麗,知音,識曲,善為樂方,令人忘憂。此篇諸集所出,不入樂志。

261 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/14(火) 21:46:38.15 .net
ネット上をざっと検索して訳がなかったもののみ、訳。前に別のwikiで仮訳したもので悪いが

*善哉行(有美一人)瑟調曲
美しき一人あり。婉如にして清揚。
うるわしき姿にして巧笑を浮かべ。心膓をなだめ和ませる。

音を知り曲を識り。善く樂方を為す。
哀弦のひびきは微妙にして。清気は芳しさを含む。

鄭曲は流れるように、楚曲は激しく。宮音が過ぎ商音へと変わる。
心に感じ耳を傾ければ。綺麗な調べは忘れがたい。

離鳥の宿る夕べ。彼の中洲に在り。
くびを伸ばし、翼で身を叩き。悲しく鳴いて相求める。

心引かれて、顧みれば。我が心を愁いに沈ませる。
ああ、なんじ、いにしえびとよ。何をもって憂いを忘れしや。

*於明津作
遙遙たり山上の亭,皎皎たり雲間の星。
遠景は心をして懐古せしめ,遊子は生まれし所を恋しがる。
車を驅せ北門を出で,河陽城を遙望す。

262 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/14(火) 21:52:56.63 .net
おお、乙です!
wikiというと三國志7の漢詩大会の項を編集しているお方には敬服してまう

263 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/14(火) 22:02:13.82 .net
( ゚∀゚)・;'.、グハッ!!

……はい、その三國志7の漢詩大会の項(+三国志の漢詩wiki仮)でやんす>前に別のwikiで仮訳
閲覧および過大評価有難うございまつorz

264 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/15(水) 00:51:38.55 .net
すげースレに人がいるww
乙です!

>心引かれて、顧みれば。我が心を愁いに沈ませる。
>ああ、なんじ、いにしえびとよ。何をもって憂いを忘れしや。
漢詩には全く詳しくないけどこの辺読むといかにも曹丕っぽい感じだなーと思うw

曹丕の詩なら於玄武陂作が好きだ、何となく

265 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/15(水) 19:53:01.25 .net
>>264
兄弟で一緒に出かけて、アチコチの景色をみてたら、悩み事が吹き飛んだよ、って作品でしたっけ

曹丕はあと二十年は長生きして欲しかったです
史書の記述も違っていたでしょうし、老境に入った曹丕の作品も見たかったし、
陳琳に代筆してもらった手紙を曹丕にあっさり見抜かれた上にpgrされて、言い訳を陳琳に代筆して貰った曹洪さんみたいな被害者が他にも…

266 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/31(金) 18:46:31.09 .net
>陳琳に代筆してもらった手紙を曹丕にあっさり見抜かれた上にpgrされて、言い訳を陳琳に代筆して貰った曹洪さん
曹洪ワロスww
借金の話しか知らんかったけどそんなエピソードまであるのか

曹洪と曹丕ってそもそもあんまり相性よくないんだろな
逸話見る分には面白いけどw

267 :無名武将@お腹せっぷく:2014/11/09(日) 19:22:46.42 .net
>>266
文選に掲載されている為曹洪與世子書(為曹洪與魏文帝書)という奴ね
じっさいには曹洪か陳琳か断言できないけど、文選の編集者は陳琳の代筆と判断したってこと

ちなみに仮訳はこんなん↓

 十一月五日、洪が申しあげます。さきに初めて賊を破り、ついつい喋ってしまい、誇大報告が過ぎたようです。
 九月二十日の書を戴き、拝見し喜笑し、手に取ったまま飽きず、陳琳に頼み返事を書いてもらおうと思いましたが、琳も多事多忙にして作ることができません。
 ただ若君に楽しんでいただきたく、ゆえに自ら老夫の思いを尽くします。
 言いたい事が多すぎて、いちいち述べるのも何ですから、おおまかな要点だけあげます。笑い話の話題にして下さい。

 漢中の地形は誠に堅固なこと、四方の嶽や三塗山も及ばないほどです。
 敵側は、数万の精兵が高所にたてこもり要所を守っております。一人が戟を振れば、万人が進むことも出来ません。
 しかし我が軍がこれを進むこと、鯨が小さな網からはみ出し、元気の良い獣が魯の薄絹を破るが如し。などといっても、この容易さを表現するには足りません。
 王者の軍隊は出征あり戦いなしと言えども、不義にして強いものも、古から常にいるとおりです。
 故に唐虞の時代、蛮族が夏の地を乱し、周宣王の最盛期ですら、大国に仇なすものがおりました。詩書に掲載された欺きも、その難しさを言うものです。
 いずれも険阻の地を拠点として、中原からの遠さを当てにしていました。ゆえに難しい、全く良く言ったものです。
 ここで改めてこの地形を察するに、中才(中ほどの才能)の武将が篭れば、一挙に落とす事はほとんど不可能と言えましょう。

268 :無名武将@お腹せっぷく:2014/11/09(日) 19:24:45.24 .net
 頂いた手紙には敵の妖感の罪が陳列され、我が王軍の広く溢れんばかりの徳があがっております。いや全く手紙に記された通り。
 これこそ夏殷の滅びた理由、三苗氏が討たれ有扈氏が夏啓に征服された理由、吾々の勝つ理由、敵の破れる理由であります。
 そうでなければ殷と周はどうして敵対したでしょうか。
 昔、鬼方は聾味、崇虎は護凶、殷辛は暴虐、三人ともみな罪人の中でも下に置くべき存在です。
 しかし殷の高宗は三年かけて異民族を討伐し、周の文王は退脩の軍を率い、武王は盟津に再戦して勝利し、しかる後に戎を倒し殷に勝ちました。
 いまだ星流景集、旋奮雷撃、山河を長駆し朝に到着して暮れに勝つこと、我が軍のごとき者はおりません。
 こうしてこの他を見ますに、敵はもとより下愚に及ばず、すなわち中才の守りではないことは明らかです。

【来命】曹丕からの手紙?
【鬼方聾昧】鬼方は旬奴、聾味は暗愚
【崇虎護凶】殷の臣、崇侯虎
【殷辛】殷最後の暴君
【文王〜】崇侯虎の乱を聴き、文王は征伐に向かったが、三旬たっても降伏しなかったので、いったん退いて徳を修め力を蓄え、また討伐した

 敵将が中才か否かと言われれば、否と言えます。
 しかるに若君の手紙を拝見しますに、「思うに敵の悪は熟しており、古の孫武、田単、墨子、?の類がいたとしても、これを救う事はできまい」と。
 密かにこれを疑うております。
 なんなれば古の用兵は、敵国が乱れたと言えども、なお賢人が居れば討伐しなかったものです。
 ゆえに三仁が未だ去らないうちは武王は軍を返し、宮奇が虞国にいるうちは晋国も軍事を行なわず、季梁が在るうちは楚も謀略をかけませんでした。
 賢者らが他国に、或いは野に出奔し退いたとき、三国は廃墟となりました。
 国に道がなくとも、人がいれば救うべきことは明らかです。
 墨子の守りは、帯をめぐらせて作った垣でも、高くして登ることも出来ないものです。箸を折って作った械としても、硬くて入ることも出来ないでしょう。
 もし陽平関に防ぎ、石門鎮に拠り、八陣の列を並べ、斉将田単が牛の尾に火をつけ敵に走らせれば、どうして敵の崩れ崩壊しないことがあるでしょうか。
 もし(若君の手紙にあるように)守将の巧拙は関係なく、城を攻めるに全軍で一気に城壁をよじ登るべしと言うならば、公輸はとうに宋城を凌ぎ、楽毅は即墨を落としていたでしょう。それが出来なかったのは何故でしょう。
 墨子の術、田単の智が賞賛するに足らないといった評価は、私はまだ聴いたことがありません。

269 :無名武将@お腹せっぷく:2014/11/09(日) 19:28:39.18 .net
 さて。高唐(斉国の都市)を過ぎるものは王豹の歌に習い、唯換に訪ぶ者は藻?の綵を学ぶ(郷に入れば郷に従う)と聞いたことがあります。
 このごろ益州に入ってからは、司馬楊王の威風を仰ぎ、子勝の仁徳をもって文をしたためたいと志しております。ゆえにすこぶる文辞をなすこと、昔と異なります。
 もしや、魯人が孔子を知らずに軽んじたように、私の文章は人を雇って書かせたものだと言い合っていませんでしょうな。どうしてそんなことを言うのですか。
 それは駿馬が耳を野外で垂らし、鴻雀が翼を湿原に休ませるようなものです。
 これらの誤解をするものは固より庭園の凡鳥、厩の外にいななく駄馬のようなものです。
 馬の筋肉を鍛え、或いは強く翼を奮い、高く飛び、清い空に身を浮かべ、千里を見下ろすに及んで、ようやく他人は翼を晨風に借り、足を六駁に借りたのではないと理解します。私の文辞も同様です。
 恐れるのは、若君が、いまだ私の言を信じないで、大いに笑い飛ばすようなことであります。以上、洪が申し上げました。

【高唐】孟子「綿駒高唐に処りて云々」
【推換】唯河、換河。この間の地域では、藻績(あやぎぬ)が特産
【司馬楊王】司馬相如、楊雄、王褒。いずれも蜀の文人
【子勝斐然】子勝は墨子公孟篇、斐然は文章。論語に「斐然として章を成す」

原文はタイトルで検索すれば出るから略。適当に入力したものなので、誤字とかあったらスマン

270 :無名武将@お腹せっぷく:2014/11/09(日) 22:52:15.25 .net
曹洪の曹丕への謝罪文もそうだけど、
どこか人を食ったようでもあり、近しい関係でなければ出来ないような文面だと思う。
例の曹洪死罪事件てさ、ブック説ってないのだろうか。2代目当主権力誇示のための。

皇帝「アイツを死刑にしてやるーーッ」→家臣や親族による諫言「◯◯は先代よりの功臣」→皇帝「じゃあ、やーめた♪」
って結構、お決まりのパターンじゃないかな。実際に鮑ナントカさんみたいに殺されてしまったヒトもいるけどww

271 :無名武将@お腹せっぷく:2014/11/10(月) 14:15:26.75 .net
>>270
>近しい関係でなければ出来ないような文面

同感です。

>例の曹洪死罪事件てさ、ブック説ってないのだろうか。2代目当主権力誇示のための。

ブックなど政策上の態度+権力抗争の一環でしょうね。

前漢に王族の反乱が起きたことから、後漢は王族抑制政策上をとりました。
後漢は外戚と宦官の抗争がおきたことから、魏は王族や宦官の抑制政策をとりました。
曹丕は夏侯氏、曹叡は血の繋がりが弱い曹氏に権力を与えているので、外戚によってバランスをとろうとしたのかもしれません。

これに対し、曹植は周代の宗族政治に戻れ、兄弟のなかで不満をもった者が謀叛をおこすぞと恫喝めいた文章を送っています。
これも同族に甘えた馴れ合いの一種と言えます。
こうした馴れ合いは必要な面もありますが、ある程度は厳しくしないと、他の家臣に示しがつきません。

272 :無名武将@お腹せっぷく:2014/12/12(金) 22:09:14.66 .net
ttp://zh.wikisource.org/
何となくしか分からなかったけど色々読めて面白かった

273 : 【かん吉】 :2015/01/03(土) 09:58:52.89 .net
>>267
遅ればせながら乙です
何かこれだけ読むとそんな仲悪いって感じしないなw

手紙って人柄なり本音なり思いっきり出てて、詩歌とまた違う面白さがあるから好きだ

274 :無名武将@お腹せっぷく:2015/03/04(水) 07:34:49.35 .net
上巳記念カキコしようと思ってたのに忘れてた

酒にむかいてはまさに歌うべし(´・ω・)ノ▽甘酒ウメェ

275 :無名武将@お腹せっぷく:2015/07/26(日) 10:00:34.97 .net
>>255
>こんなに楽しい日々が永遠に続けばいいのに!という前向きな曹植と

それ前向きっていうんだろうか…

276 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/01(土) 20:24:52.68 .net
>>275
当時の公讌詩は、宴の見事さを詠んだうえで、宴の主人の栄光を詠んで〆る傾向があるから、前向きだと解釈するのは普通にアリだと思うよ

ただこの作品が場面上前向きなのであって、曹植の作品傾向が前向きなものかどうか、などとは別の話だな

277 :無名武将@お腹せっぷく:2015/09/09(水) 06:41:28.46 .net
重陽記念カキコ

(´・ω・)ノ▽菊酒飲むぜ

278 :無名武将@お腹せっぷく:2015/12/29(火) 00:39:16.42 .net
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1263390388/l50

279 : 【1等組違い】 【664円】 :2016/01/01(金) 01:48:45.37 .net
あけおめ(´・ω・)ノ▽

280 :無名武将@お腹せっぷく:2016/01/01(金) 06:59:54.51 .net
謹賀新年

281 :無名武将@お腹せっぷく:2016/02/12(金) 07:49:12.58 .net
三國志13で、演義の「遷帝于長安,以應童謠。近日街市童謠曰『西頭一個漢、東頭一個漢、鹿走入長安、方可無斯難』」を元にしたイベントがありました

探せば他にも文学関連の会話があるかもしれないけど、演義を根拠にしているみたいだから、三國時代の文学と、ずれてしまうのかな

282 :無名武将@お腹せっぷく:2016/02/29(月) 00:58:56.26 .net
保守

283 :無名武将@お腹せっぷく:2016/03/03(木) 23:00:14.42 .net
  (⌒)
 (⌒※⌒)
 /(_人_)⌒)
_//(⌒(⌒※⌒)⌒)
三(⌒※(_人_) ※⌒)
( (_人_(⌒)(_人_)
(⌒※ (⌒※⌒) )
(_人_)(_人_)※⌒)
      (_人_)、

_,..、-''"~""''':.‐-..
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                    _,,..,,,,_  zzzzz
                   ./ ,' 3/⌒ヽ-、_
傘 傘  傘 傘       /l.  /____/ 傘   傘 傘
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 ,; :ヽ|〃                          ヽ|〃

284 :無名武将@お腹せっぷく:2016/03/18(金) 01:25:20.97 .net


285 :無名武将@お腹せっぷく:2016/03/20(日) 13:09:27.73 .net
何か保守する必要ができたの?

286 : ◆WpEgOxXb5Y :2016/03/20(日) 13:31:47.58 .net
すぐ落ちるんだって

287 :無名武将@お腹せっぷく:2016/03/20(日) 19:47:31.85 .net
dクス
それで2週間に1回ぐらいの保守なのね

288 :無名武将@お腹せっぷく:2016/03/21(月) 13:41:18.29 .net
糞スレが乱立して良スレが大量に落ちてしまった

なんか色々と良スレが落ちてる [無断転載禁止]2ch.net
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1457098678/

289 :無名武将@お腹せっぷく:2016/04/02(土) 22:49:41.71 .net
保守

290 :無名武将@お腹せっぷく:2016/04/14(木) 01:16:05.17 .net
     キ        //   /::::: //O/|      /
      ュ     / |''''   |::::://O//|     /
      .ッ       \ |‐┐ |::://O/ ノ   ヾ、/
       :       |__」 |/ヾ. /    /
         ヽ /\  ヽ___ノ / . へ、,/
        /  ×    /  { く  /
        く  /_ \   !、.ノ `ー''"
  /\        ''"  //
 | \/、/           ゙′
 |\ /|\ ̄
   \.|

291 :無名武将@お腹せっぷく:2016/04/26(火) 01:27:28.82 .net
ダンソン!
フィーザキー!
ドゥーザディーサーザコンサ!

…ニーブラ!

アパーアナァーガァーマーポー!

292 :無名武将@お腹せっぷく:2016/05/08(日) 18:55:54.51 .net
ちまき食べ忘れました

293 :無名武将@お腹せっぷく:2016/05/09(月) 23:02:18.17 .net
菊と保守を忘れなければ良いんじゃないかな

294 :無名武将@お腹せっぷく:2016/05/22(日) 11:03:27.55 .net
保守だわ

295 :無名武将@お腹せっぷく:2016/05/25(水) 20:49:49.25 .net
ネットの同人訳で、明らかに訳が間違っている本が見受けられるけど、こんなんでも評価する人がいるのか…
検索したり少し中国語をかじれば、もっと質がいいものを只で読めるのに

296 :無名武将@お腹せっぷく:2016/06/10(金) 14:05:43.37 .net


297 :無名武将@お腹せっぷく:2016/06/17(金) 19:43:25.06 .net


298 :無名武将@お腹せっぷく:2016/06/28(火) 08:32:45.23 .net


299 :無名武将@お腹せっぷく:2016/06/30(木) 10:15:06.86 .net
 
 
    膨張する集団の頂点に君臨

300 :無名武将@お腹せっぷく:2016/07/16(土) 22:17:33.77 .net
ホシュ

何かこの人の漢詩読みたいって居るのかな
手持ちはソウソウとかオウサンとかショウカイとか魏面子になっちまいます

301 :無名武将@お腹せっぷく:2016/07/16(土) 23:22:37.93 .net
紹介してみて欲しい
自分かたよっているので色々な人の作品を読んでみたい

302 :tester:2016/07/22(金) 20:54:03.22 .net
うーん。量が多いので誰か絞れるといいかなと思ったんですが。ためしに幾つかリストあげてみます?例として曹操楽府

短歌行
  其之一:短歌行(對酒當歌) 其之二:短歌行(周西伯昌)
 歩出夏門行(隴西行、碣石篇)
  序:艶(雲行雨歩)
  其之一:觀滄海(東臨碣石)
  其之二:冬十月(孟冬十月)
  其之三:土不同(郷土不同)
  其之四:亀寿雖(神亀寿雖)
 善哉行
  其之一:善哉行(古公亶甫)
  其之二:善哉行(自惜身薄祜)
  其之三:善哉行(朝日楽)※作者を曹丕とする説あり
 気出唱
  其之一:気出唱(駕六龍)
  其之二:気出唱(華陰山)
  其之三:気出唱(遊君山)
 秋胡行
  其之一:秋胡行(晨上散關山)
  其之二:秋胡行(願登泰華山)
 薤露(惟漢廿二世)
 苦寒行(北上太行山)※作者を曹丕とする説あり
 蒿里行(関東有義士)
 却東西門行(鴻雁出塞北)
 對酒(對酒歌)
 度關山(天地間)
 精列(厥初生)
 陌上桑(駕虹蜺)
 謡俗詞(甕中無斗儲)
 董卓歌詞(徳行不虧鈌)
 塘上行(蒲生我池中)※作者は曹操他諸説あり
 滄海賦
 登臺賦
 鶡雞賦序
 有南篇
 城窟行

303 :tester:2016/07/22(金) 21:00:06.86 .net
訂正
 城窟行→飲馬長城窟行

304 :tester:2016/07/22(金) 21:11:17.52 .net
みたいな感じで、手持ちは
 曹操、曹丕、曹植、曹叡
 王粲、応瑒、阮瑀、徐幹、陳琳、劉
 応璩、阮籍、何晏、繆襲、鍾会、甄夫人、左延年
 韋昭
 前漢武帝、李陵他、古楽府、古詩十九首
 張衡、宋子侯(馬子侯)、蔡邕、孔融
 諸葛亮、関羽
 傅玄、陸機、潘岳、羊祜他

以上、文選と古詩源、あとは楽府詩集から銅雀台の初音ミクとか

305 :無名武将@お腹せっぷく:2016/07/23(土) 08:48:14.06 .net
乙!
自分は文選と古詩源と玉台新詠、あと三曹集と陸機・陸雲の詩集なら手元にあります

306 :無名武将@お腹せっぷく:2016/07/23(土) 17:00:35.94 .net
急に人が現れた感w

ぼんやりした意見で申し訳ないけど
個人的にその漢詩を読んだ人の特徴や人となりが表れてるようなのがあれば読んでみたいな

307 :無名武将@お腹せっぷく:2016/07/24(日) 14:45:43.93 .net
>>302
すごい量ですねw
全部...は無理だと思うので、まず曹操と何晏が読みたいです

308 :tester:2016/07/30(土) 18:10:14.14 .net
何晏の手持ちは、まとめさんにある3つ+注釈(論語や史記の注釈)で、
詩や賦の類で全文だと景福殿賦のみ
あと楽府詩集で、引のひとつ「烏夜啼」は、何晏が獄に繋がれたとき、
何晏の娘が作成したという伝承が掲載されている

景福殿賦は文選にも掲載されているので、文選もちの>>305さん、どうですかね?

手持ちというか自分の主な参考元:文選
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1912763/216

曹操の作品で、特徴や人となりが出ているもの…やっぱ短歌行かなぁ
あとは駕六龍 、願登泰華山?

単純に個性だけで言うなら代筆屋陳琳タソや真面目な羊祜タソが面白いかしら

309 :無名武将@お腹せっぷく:2016/08/07(日) 13:22:10.36 .net
楽府詩集の烏夜啼について
李勉《琴説》曰:「《烏夜啼》者,何晏之女所造也。
初,晏繫獄,有二烏止於舍上。女曰:『烏有喜聲,父必免。』遂撰此操。」
按清商西曲亦有《烏夜啼》,宋臨川王所作,與此義同而事異。

私の知識程度で訳すると、

李勉という人の《琴説》によると
「《烏夜啼》は、何晏の女が作ったとされる。
初め,何晏が監獄に入れられたとき,二羽の烏が屋敷の上に止まった。
女は『烏の喜聲が聞こえる,父は必ずや免(免職)される。』
遂に此の操(曲調)を撰んだ。」

みたいな感じですね。ちなみに楽府詩集で、紹介されている作品(烏夜啼引/張籍)

秦烏啼啞啞,夜啼長安吏人家。吏人得罪囚在獄,傾家賣産將自贖。少婦起聽夜啼烏,知是官家有赦書。下床心喜不重寐,未明上堂賀舅姑。少婦語啼烏,汝啼慎勿虛,借汝庭樹作高巣,年年不令傷爾雛。

秦烏は啞啞と啼いている,夜に長安は吏人の家で啼いている。
吏人は罪囚となり獄にある,家は傾き財産を売っては罪をあがなう。
少婦が起きて夜啼烏を聽く,この官家に赦しの書あるを聴く。
下床に心喜び眠りを重ねず,未明の上堂に舅姑は賀す。
少婦は啼烏に語る,汝啼き慎みて虚なかれ。
かりに汝が庭樹に高巣を作らば,年々お前の雛を傷めろと命じまい。

310 :無名武将@お腹せっぷく:2016/08/23(火) 21:34:24.94 .net
>>308のリンク先をもとにサックリ訳したものになります。適当すぎて何かとちってたらすんません

まこと思うに魏は大いなる国家で、時代にあった聖人が現れたものであります。
武帝は魏国を創始なさり、文帝は天命を受け天子となられ、制度を定められました。今の陛下にあらせられましては、ますます繁華隆盛を遂げられました。
遠くは陰陽自然に、近くは人情にもとづき、上は太古からの王道を尊重し、下は後世へと続く善道を開かれ、民衆に安寧をもたらし、天の秩序をはなはだ明らかになさいました。
故に年号を定めて6年にして、国は富み刑罰が下されることもなくなりました。
陛下は今年三月に東へ巡行なさり許昌へ到り、山川を祀られ、時を選び方角をはかり、老人を慰問せられ、民衆を率いて農耕に励まれました。
6月16日、星辰の配列正しく、月の暮れにはアンタレスが南方に輝き、桑梓は生い茂り、時には大雨が降りました。
しかし三公九卿から大学者にいたるまで、皆が蒸し暑過ぎると感じ、この暑さが生命に等しく訪れることを危惧しました。
蜀呉定まらず、遠征いまだ終わらずと言えども、よき言葉を選び奏上しました。
「蕭何、荀子ら古の賢者は、『宮城は壮麗でなければ宮城をもって民をまとめ威光を示すに足らない。飾らず美しくなければ、後世に名を示すことは出来ない』と、城を壮麗にするよう進言しました。
為政者のうち、かの発言を取り入れ功績を評価することで、後世に英名を示さなかった者はおりません。
かつ許昌は天運がやどり、吉兆あらわれた地であります。まこと徳義とは、かくの如し。どうして宮城を建築せずにおれましょう」
その上奏を陛下は「よし」となさいました。
孟冬の月、陛下は礼記に従い身なりを整え、責任者に命じ、日程費用をはかり、農閑期に造営のための庶民を集め、東征軍および呉からの献上品を材として、景福殿の建設を命ぜられました。高殿は奥行、高さを兼ね備え…

あとはまとめサイトにもあるのと、何晏らしいとは言え、宮殿描写の羅列なので中断。こういうのも調べて訳するあたり、プロの翻訳はすげーと思います。

司馬懿との派閥抗争に何晏らが敗れた結果、何晏らの奏上による宮殿造営も曹叡の悪行として残されたのか、曹叡の悪行が過ぎて言い訳しないといけないくらいだったのか判りませんが、曹叡の造営を臣下の上奏によるものと明言してますね。

311 :無名武将@お腹せっぷく:2016/08/23(火) 21:48:19.48 .net
あと、

>故に年号を定めて6年にして、国は富み刑罰が下されることもなくなりました。

のくだりは、曹操の作品ぽいですなあ
当時の文学は、意図的に長いものに巻かれる必要があったでしょうが、何晏は古典だけではなく曹操からの影響も強い印象っす

312 :無名武将@お腹せっぷく:2016/09/09(金) 22:41:20.22 .net
菊酒じゃ菊酒じゃ〜(´・ω・)つ▽

313 :無名武将@お腹せっぷく:2016/09/26(月) 22:06:17.97 .net
菊といや曹植の菊賦、鍾会の菊花賦ですかね、他にもあるけど(文帝陛下のアレとか)
鍾会の菊花賦いってみますか

出典は以下、漢魏六朝百三名家集のアドレスです
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2551361/123
主に参考にしている出典なので、今後も基本的にここから引用します
いずれも、もっと長い文章の一部ですね
出典による違いはやりません、即興で訳したので適当です


何秋菊之可奇兮、獨華茂乎凝霜。提威?於蒼春兮、表壮観乎金商。
延蔓蓊鬱、緑坂被岡、縹幹緑葉、青柯紅芒、芳寔離離、暉藻煌煌、微風扇動、照曜垂光。
於是季秋九月九日數并、置酒華堂、高會?情。百卉彫瘁、芳菊始榮、紛葩曄曄、或黄或青。
乃有毛?西施、荊姫秦?、妍姿妖艶、一顧傾城。擢纖纖之素手、雪皓腕而露形。仰撫雲髻、俯弄芳榮。

秋菊のなんと不思議なこと、一輪咲き誇るのだ!霜にこごえてなお。
春さかりに華麗な姿を見せ、壮観な姿を現すのだ!秋の風音と共に。
のびゆくさまは鬱蒼として、緑は土を覆い、縹(はなだいろ)の幹と緑の葉、青い枝に紅のつぼみ、香りは遠くまで広がり、姿は煌々と光かがやき、そよ風は姿を揺らす扇、差し込む光はスポットライト。
秋の終わり9月9日、酒を華堂に置き、高きに登り菊を楽しもう。
百草の丘に苦しみ、菊の芳香に喜ぶ。乱れ咲くさまよ、或いは黄色、或いは青く。
毛?や西施ら古の美姫、姿は妖艶にして、一たび省みれば城を傾けた。
繊細な素手、新雪のような腕もあらわに、仰げば髪をなで、俯けば花をもてあそぶ


(故)夫菊有五美焉、黄花高懸、準天極也。黄不雜、后土色也。早植晩登、君子徳也。冒霜吐穎、象勁直也。流中輕體、神仙食也。
これについては、ネットに良訳があるので勝手にリンクさしていただきます
ttp://blog.nagano-ken.jp/kamiina/nature/8609.html

>菊花賦:鍾會賦以五美
>謂圓華高懸 準天極也 純黄不雜
>杯中體輕
などと違いがあるんで、別のソースなのでしょう。ご存じのかた教えていただけると助かります
菊酒というのは杯(体)中を流れれば体軽く、ということから酒という訳を選んだかと


維基文庫によると《初學記》に
>?以纖手,承以輕巾。揉以玉英,納以朱脣。服之者長生,食之者通神。
があるそうですが、漢魏六朝百三名家集には掲載されていないので、今のところノータッチです
単語から見るに、菊を扱うさまを神仙術になぞらえた感じがします

314 :無名武将@お腹せっぷく:2016/09/26(月) 22:13:31.57 .net
化けてる…まあいいか
つぎの保守にしようかと思いましたが、めんどくさいので同じ作者の葡萄ネタもいきます

余植蒲桃於堂、嘉而賦之、命荀勗並作、
美乾道之廣覆兮。佳陽澤之至淳。覽遐方之殊偉兮。無斯果之獨珍。
託靈根之玄圃。植崑山之高垠。
緑葉蓊鬱。曖若重陰翳義和。秀房陸離。混若紫英乘素波。
仰承甘液之靈露。下歙豐潤于醴泉。總衆和之淑美。體至氣于自然。
珍味允備。與物無儔。清濁外暢。甘旨内遒。滋澤膏潤,入口散流。

余は蒲桃を堂前に植えた。記念に賦を作り、荀勗に命じて同様に蒲萄賦を作らせた。
美しきかな、ひなた道を廣く覆うさまよ。佳きかな陽澤の至淳たること。
ご覽よ遐方の殊に偉なるや。斯果の獨珍なる無く。
果物の一粒だけが良いということもなく。
靈根を玄圃(仙人の庭)に託し。崑山の高垠に植え。
緑葉は蓊鬱として、曖(あいまい)なること重陰の義和を翳す若(ごと)く。すぐれた一房がぶら下がるさまは、紫英の素波に乗るごとく混じる。
仰げば甘液の靈露を承け,下れば豐潤なる醴泉の水を飲む。
總衆和之淑美、體(からだ)は自然の気に至り。珍味をまことに備え,與物に儔(ともがら)無し。
清濁が外に暢び,甘み旨みが内に遒(せま)る。滋澤膏潤,口に入るや流れ散じる。


同じ葡萄で賦を作らされた挙げ句、一部が残存してしまった荀勗さんが気の毒な気もします
というか何やらしてんでしょうかショーカイさん

315 :無名武将@お腹せっぷく:2016/09/26(月) 22:29:22.72 .net
>>313
> 春さかりに華麗な姿を見せ、
と何となく訳しちまいましたが、提は見せるというよりささげ持つ、隠し持つといったニュアンスですかね
このへんは春に準備し、秋に一気に見せつけるといったイメージのほうが近いかも

316 :無名武将@お腹せっぷく:2016/10/06(木) 00:27:56.31 .net
鍾会好きなので嬉しい、乙です
これでもか!ってくらい装飾的なのがいかにも彼らしくて良いよね

317 :無名武将@お腹せっぷく:2016/10/20(木) 18:55:48.87 .net
装飾的、表現の華美性は前漢や蔡ヨウそれ以降の作品にも見られるという、指摘はあります
それでも単純に派手というのではなく、鍾会には鍾会なりの派手さが出ているのが良いですよね

318 :無名武将@お腹せっぷく:2016/10/22(土) 07:17:35.18 .net
>>313-314
遅ればせながらおつです!蒲萄賦でワラタ
荀勗とばっちりw

曹丕もだけど、食べ物を熱心に讃えてる詩を見ると何となく可愛げを感じてしまう
誰だか失念したが柿を詠んだ人とかもいたよね

319 :無名武将@お腹せっぷく:2016/10/24(月) 12:25:29.86 .net
柿の作品は三国志の方ですか?
唐代以降でしたらあるようですが、三国志の作品だと誰だったかな

《文選》で柿を見たようなうろ覚えを辿ってみたら、こんなのがありました
潘岳《閑居賦》梁侯烏?之柿
左思《蜀都賦》林檎、枇杷,橙、?(柿)
《齊民要術》張衡曰、山柿。左思曰、胡畔之柿。潘岳曰、梁侯烏?之柿。
全三國文だと呉の韋昭《御覽》九百七十一引《陽武賦》
あと柿で忘れちゃあかんのが晋書王濬伝の「濬造船於蜀,其木柿蔽江而下。呉建平太守吾彦取流柿」
晋が蜀で船をつくり呉征伐を狙っていた時,柿(木材)を長江に流していたという話ですね
|∀゚)φ..蜀は柿の産地っと
柿をワードにさっくり携帯検索しただけですので、?(柿別字)でしらべれば足元にあるかもですが

うろ覚えついでに、古典的に十月は新酒を試し飲みしたり柑橘類をたべる月だったとか、蔡文姫の父親蔡ヨウが酒で酔いつぶれて「酔虎」という称号を頂いた、という記憶も時間があったら確認してみます
蔡ヨウを酔い潰したのは、このスレの酒ネ申だったりするんでしょうか

320 :無名武将@お腹せっぷく:2016/10/24(月) 22:41:11.52 .net
↑下部について手持ちを確認したところ、「中国飲食文化(青土社)」に、季節ごとの食事を紹介している章がありました
周代から朝廷では初物を祖先に供える決まりごとがあったので、季節の初物、特に歴代皇帝の好物が朝廷に沢山集まるため、臣下もおこぼれに預かれたようです

民間では宋代《賞心楽事》だと9月は菊、新酒を飲む、10月は暖炉で蜜橘をなめる、11月は冬至の饂飩
《荊楚歳時記》10月朔日に黍羮(詳細不明)を食べる、北では麻羹(あつもの)と豆飯を作る。初物を食する為だろう
…少なくとも南北朝時代には10月1日や雪の初めて降った日など、特に今年初めて火を起こしたときには、暖炉を囲んで一族や仲間と餅や熱いもの、甘いものを食べる慣わしがあったようです
後には、葡萄やむかごなどを串にさしたものに、氷糖をかけて食べたとか

酒の章に、蔡?が途中で酔いつぶれたので「酔虎」と呼ばれた、という伝承も載っていました
漢代、投壷の礼で負けると罰ゲームに酒を飲まされたという話もありますが、詳しくは蔡先生の名誉のために伏せますん


中国史全体からネタを取り上げているので、三国志ネタはあまり無いですが、それでも面白い本ですね

321 :無名武将@お腹せっぷく:2016/11/05(土) 00:13:06.87 .net
>>319-320
わざわざありがとう!
柿は魏の人だった気がするんだがうろ覚え過ぎてぁゃιぃww申し訳ないw
三国時代でも見てると結構色んなものを食べてたりして面白いね

罰ゲームに酒といえばスレチだが日本でも平安貴族の日記で
「罰ゲームで酒飲む事になった奴がずっと拒否ってて白けた」とか
作法として「下戸なら酌人に目配せしろ、気付いて貰えなかったらその時は諦めろ」とかあったりして
酒絡みの話は尽きないなあ…(蔡先生を見ながら)

322 :無名武将@お腹せっぷく:2016/11/12(土) 09:30:32.37 .net
魏の人(かもしれない)かー、うわあ気になるw
こちらこそ教えてくれて有難う、漢詩を語り合える場所って少ないから嬉しいw


>酒絡みの話は尽きないなあ…(蔡先生を見ながら)

平安の方はあまり知らないから、勉強になります
酒とメシの話は、どこでも盛り上がるもんですね(その辺のグルメ面子を眺めながら)

323 :無名武将@お腹せっぷく:2016/11/12(土) 09:50:26.43 .net
ついでに蔡先生の漢詩を置いてみます
当時は「張蔡」と称えられる文学的な有名人だったことに加え、関係者の努力もあってか結構な数の作品が残っていますね
曹操、建安七子の孔融、王サンサンや阮ウも関係者だと言われてますし、当時の文人の多くはすくなからぬ影響を受けているようです
無理せず昔に訳した有名どころから二つ。例によって誤訳御免でヨロです

出典《古詩源》
翠鳥
庭陬有若榴。緑葉含丹栄。
翠鳥時来集。振翼修容形。
回顧生碧色。動揺揚縹青。
幸脱虞人機。得親君子庭。
馴心托君素。雌雄保百齢。

庭の片隅にザクロの木が有り、緑葉に紅色の花が混じっている。
翠鳥が時に集いきて、翼を振って身なりをととのえる。
首を回せば碧色を生じ、身をふるわせては淡い水色をみせる。
さいわいにも狩猟官の刃から逃げ、良い人の庭にやってきた。
心穏やかに名君のもとにあって、雌雄ともに百歳までも生きよう。

琴歌
練余心兮浸太清。滌穢濁兮存正霊。
和液暢兮神気寧。情志泊兮心亭亭。
嗜欲息兮無由生。
☆宇宙而遺俗兮。眇翩翩而獨征。
☆=「足卓」


余心を練り、混沌自然に同化し。
精神の汚れをすすぎ、あるべき姿に戻す。
呼気も血流ものびやかに、精気の流れも規則正しく。
感情も理想も休ませ、心は凛として威儀を正し。
欲望が消え、生まれ出ずる必要もなく。
時を空を踏みこえ、俗世間を忘れ。
高く遠く翻り、ひとり旅に往こう。

兮は楚辞の技巧ですね
而に切り替えるタイミングが巧いということになるのでしょうか

次あたり、この作品に関する、前に訳した曹操の作品を見直してうPできたらと思います

324 :無名武将@お腹せっぷく:2016/12/01(木) 12:44:21.23 .net
まずは忘れていたので、↑の古詩源のリンク先
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958952/1

というわけで曹操の陌上桑ですよ
漢魏六朝百三名家集と黄節戔を元にざっくり訳したものです。誤訳御免

駕虹?。?赤雲。登彼九嶷。歴玉門。
濟天漢。至崑崙。見西王母。謁東君。
交赤松。及羨門。受要秘道。愛精神。
食芝英。飲醴泉。柱杖桂枝。佩秋蘭。
絶人事。游渾元。若疾風游?飄翩。
景未移。行數千。壽如南山。不忘愆。

訳っぽいもの
虹の神獣を御し。赤雲の車に乗り。かの九嶷山をめぐり玉門を通る。
天の河を渡り。崑崙に至る。女王西王母に出会い、東君に拝謁する。
仙人の赤松と交わり。羨門の前にいたり。神仙の奥義を受け。精神を鍛錬する。
長寿の茸を食し。不老の醴泉を飲み。仙界の桂枝を杖とし。秋蘭を腰に吊り下げる。
人の営みを絶ち。渾元に遊ぶ。疾風や火の粉が舞うように各地にあそび。
陽光のうつろうよりも速く。数千の地を行けば。壽は南山の如く。ゆるぎなし。

単語の扱いがいまいち難しいです
羨門は「墓の入口」、仙人の「羨門高」の二つの意味があると思われます
柱杖桂枝。佩秋蘭。のあたりは楚辞ですね
寿如南山は詩経小雅。南山は、以前は終南山だと書いていましたが、その後調べたところ他にも南岳衡山や、城から不老長寿を司る寿星(南極老人星)を観測するとき南にある山を目印にしたことから、後に南極星に結びつけられた山など、時代や背景によって色々あるようです
不忘愆は今風に直訳すると「忘れや誤りは無い」。黄節は詩経大雅からとったのだろうと言っています

325 :無名武将@お腹せっぷく:2016/12/15(木) 22:30:03.73 .net
文字化け対策や読み下し説明のために原文を画像にしようかと思ったのですが、upロダを探すのがめんどくせーので、しばらくはこの形式でgdgdといきます

對酒(對酒歌)/曹操
對酒歌。太平時。吏不呼門。
王者賢且明。宰相股肱皆忠良。咸禮讓。
民無所爭訟。三年耕有九年儲。倉穀滿盈。
斑白不負戴。雨澤如此。百穀用成。
郤走馬以糞其土田。
爵公侯伯子男。咸愛其民。
以黜陟幽明。子養有若父與兄。
犯禮法。輕重隨其刑。路無拾遺之私。
囹圄空虚。冬節不斷人。
耄耋皆得以壽終。恩澤廣及草木昆蟲。

酒に対して歌おう。太平の世。官吏が戸を叩き、呼ぶこともなく。
王者は賢明、宰相や股肱の臣は皆忠良であり。ことごとく礼儀を尽くしては謙虚であり。
民に争いの種はなく。三年耕せば九年の収穫があり。穀物は倉に滿ち盈(み)つ。
白髪の老人よ、重い荷物を背負わずとも良いのだ。雨はこの地を潤し、五穀はみのりを成す。軍馬を御し、もって田畑を耕そう。
公侯伯子男の爵位をもつものは。ことごとく其の領地の民を愛する。
人材の評価を、適切に行い。父のように、兄のように、その子らを養う。
礼法を犯さず。罪の軽重に従い適切な刑罰を下せば。道路の落し物を拾い、自分のものとする輩は居ない。
牢屋に誰も入ることなく。刑罰を下すべき冬至に誰も斬ることなく。
いついつまでも皆が長寿を謳歌し。天寿を全うし。治世の徳が草木昆虫にまでも行き渡らんことを。

自分の理想、理想とかけ離れた現実への憂いを読み込んだ作品ですかね
最後のは漢書成帝紀に昆蟲草木、漢書杜周伝の杜欽にも草木昆蟲という言い方が出ます
問題は杜欽が盲杜子夏と呼ばれた人で、ネット上には盲夏侯の元ネタという説もあるんですが、だとしたら
・この作品が作られた頃には、夏侯惇もいちいち気にもかけてなかった
・左目を怪我した後の夏侯惇に、大将軍を支えた盲杜子夏のように自分を支えろみたいなニュアンスを持たせた。
詩に特定の人物への思いを込めたという説は黄節戔にもみられます。例えば短歌行は曹操が荀イクと対立した頃に、仲直りを意図した作品みたいな説もあげられてます
とまあ自分で書いといて何ですが、個人的にはナイナイモードです
・その他
さあ実際はどうでせうね

326 :無名武将@お腹せっぷく:2016/12/18(日) 17:12:07.81 .net
(´┌┐`)あげてに

327 :無名武将@お腹せっぷく:2016/12/26(月) 01:32:57.99 .net
疑問の多かった短歌行。
何故、三度も回った鳥を乞うのか?
三顧の礼に対し、曹操らしい気質が描かれてるのか?と思いましたが

もしや、私らの対酒当歌。
演義同様の創作なのでしょうか?
対酒当歌では旧知の劉備・関羽らに和睦と割譲を解きながら曹操の隠れたライバル孔明に対するジェラシーが歌われているのですが、、、

328 :無名武将@お腹せっぷく:2016/12/26(月) 06:29:44.16 .net
……(どうコメントしようか、いっそクマーAAを貼ろうかorzドコヲドウヨメバソウナルンダ)

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