三国時代の文学スレッド
- 1 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/12(月) 22:09:48.11 .net
- | 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚) ∧ ∧ ∧ ∧ .∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` ) . (´ー` ) (゚∀゚ *) (´<_,` ) (´∀` ) (・∀・ ) (‘∀‘ )
 ̄ //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
.\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 驕@ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
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/ 丕 o━ヽニニフ )) | (⌒) 〔~植∪ ̄〕=
しー-J 彡 _ し⌒^ ◎――◎=
後漢末期の建安年間とその前後には、唐代以前の詩聖・曹植や
曹操・曹丕・曹叡など曹家の偉大な詩人たち、建安の七子などが
たくさんの優れた文学作品を残し、中国文学を著しく発展させました。
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、
それらの漢文の重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文芸の題材にも、
三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、
真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。
三曹でも西晋でも蘇東坡でも土井晩翠でもなんでもおkかとミ ・∀・ ミ
まとめサイト
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
- 61 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/22(木) 02:47:24.93 .net
- http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/luoshenfu.html
2.
ここには、四つの注目すべき点があります。
@具体的な旅の経路が書かれている
曹植は、洛陽から藩国に帰るために、伊闕を後にし、轘轅山を越え、通谷を通り、景山に登ります。
曹植好きとしては、曹植が旅をしている姿が浮かんでいいなと思います。
が、私はここでちょっと突っ込んだ視点を提示してみます。
「人生は旅である」
という隠喩は、文学の世界だけではなく、人間一般に自然に共有されているものだと思います。
生誕は旅の始点。死は到達点です。
曹植が旅の描写をしたのは、もしかしたら死へ至る人生の旅を仄めかしたかったのかも、なんて思いました。
A日がすでに西に傾いている
「一生は一日である」
という隠喩も、広く無意識に理解されているものです。
生誕は夜明け、成熟は正午、老年は黄昏、死は日没、死後は夜です。
@を前提にして話すと、人生という旅の中で、曹植は斜陽、つまり自分自身の衰退期を見たのではないでしょうか。
年齢的には若いですが、実際、40年余りの人生の中では黄昏時ですしね。
車は傷み、馬は疲れている。
これは人生の困難と挫折を思わせます。
ぱっと思いついた具体例が西洋文学で申し訳ないのですが、
「人生の道半ばにして、
わたしは暗い森の中に我を見出した。」(ダンテ『神曲』)
と似たような雰囲気を感じます。
人生の成熟期に及んで、明確な目標やそこへのはっきりした道筋を持たない、迷った状態にあった、
と気づいたということですからね。
- 62 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/22(木) 02:51:14.36 .net
- B香草、霊芝、柳
どれも、神を思わせる植物です。古代中国の祭祀では、シャーマンは香り草を用いていました。
「楚辞 九歌 東皇太一」でも、「盍将把兮瓊芳(巫女はまた、美わしい芳り草の束を手に取り持って)」とあります。
霊芝は、「巫山の夢」の故事の神女が身を変えていたものです。
柳も、強い陽の気を持つ植物として縁起の良いものです。
この時曹植は、この世ならぬ領域(霊界ではなく、神界)に半ば身を置いていると考えられます。
Cこころは別世界に誘われ、思いは遥か彼方に飛翔していく
これは、漢詩によく使われる表現で、いいな、と私も思っていたんですが、この「心」「思い」とは何でしょうか。
原文では「精」「神」「思」という漢字で表されています。
精神、とは中国人の考え方としては、肉体に宿るものです。つまり、魂です。
思考も、生きている人間のするものですよね。
@ABと併せて考えると、魂や思いが肉体から解放された自由な状態、つまり、死に近い状態に
なっているんじゃないでしょうか。
死はネガティブなイメージが強いですが、
「生は束縛であり、死は解放である」
という考え方もあります。
- 63 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/22(木) 02:52:29.54 .net
- こうやって見ると、曹植は、気まぐれに降臨した神女と逢ったんじゃないんです。
彼が神女と出会うタイミングは、この時でなければいけなかったんです。
死という到達点に向かう人生の旅の中で、自分の衰えを自覚し、困難と挫折を噛みしめている最中に、
ふと人ならざる世界、神の世界へ足を踏み入れてしまわなければ、会えなかったんです。
だから、蒼天航路で、少年曹植が洛神賦を披露して孔融をやり込めるなんてシーンは、
不適切だったんです。
(蒼天は、前に出た孔融の人物像からみても、間違いが多いですね)
だとすれば、曹植が神女と結ばれなかったのは良かったんです。
結ばれていたら、曹植は命を落とさなければならなかったと思います。
そういう発想があるからこそ、古代中国文学で、人と神は「絶対に結ばれない」ものだったんだと思います。
私が洛神=甄皇后説を支持するのは、「人と神」、つまり結ばれない関係が、「生者と死者」と重なるからなんです。
甄皇后が死んですぐに作られたっていうのは、関係があると思います。
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