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【三戦板】 自治新党その389【新秩序】

602 :無名武将@お腹せっぷく:2024/01/18(木) 21:04:03.20 .net
近現代の九州出身将兵の強さの源泉には、戦国~江戸時代に培われた藩校教育をはじめ、その土地ならではの「武士道」があるのではないだろうか。

 熊本県境にある鹿児島県西北端の城下町、出水市は薩摩・島津藩の時代から武道や武勇を重んじる「尚武の地」として有名だ。

 九州以外の出身者に怒られるかもしれないが、やはり、日本男児といえば、九州男児、九州男児といえば薩摩隼人、薩摩隼人といえば出水兵児(へこ)というほど「男の中の男」を自認する。

 その薩摩藩最強の武士団が幼少時から骨の髄までたたき込まれたのが、「出水兵児修養掟(しゅうようおきて)」だ。兵児とは男性、特に青年男性を指す。

 「士は節義を嗜(たしな)み申すべく候」で始まり、「上に諂(へつら)わず、下を侮らず…」と続く。大まかな意味は、「武士は(人としての道を説いた)節義を心がけねばならず…」「地位の低い者を見下さず、地位の高い者にこびず…」といったところか。

 1600年、天下分け目の関ヶ原の戦いで、敗れた西軍に属しながら、わずかの兵で敵中突破し、徳川家康を恐れさせたのは島津軍だ。その少し前の16世紀後半、朝鮮出兵で獅子奮迅の活躍をしたのも島津軍だった。こうした島津軍の強さの背景に、出水兵児修養掟に代表される武士道教育がある。

 鹿児島出身の陸上自衛隊幹部は、戊辰戦争を共に戦った長州藩と違い「薩摩武士は明治維新後も政治に首を突っ込まないところが長所でもあり短所である。だが、武士、軍人としてはその分強いと思っている」と胸を張る。

 ここでは薩摩藩を例に挙げたが、九州には福岡黒田藩、加藤清正、そして細川家と連なる肥後藩など雄藩が多い。九州の将兵最強説を支える歴史と伝統がそこにあると言っても過言ではなかろう。

https://www.sankei.com/article/20140930-67PBW5QW4BINTFT2PVOGE5TJMM/?outputType=amp

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