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【三戦板】 自治新党その389【新秩序】

618 :無名武将@お腹せっぷく:2024/01/19(金) 10:30:46.92 .net
薩摩は人材教育も独特でした。薩摩には郷中(ごじゅう)教育という有名な教育法があります。6歳から25歳までの武士の子息たちが異年齢混合の縦割りグループ(郷中)をつくり、互いに教育し合う*1のです。そこで重視されたのが「詮議(せんぎ)」という手法で、「起こり得るが答えのないような問い」を出し、答えを皆で議論し合います。「君主の敵、親の仇、両方持っている場合にどちらから打つべきか」「義とは、どのようなことか」なんてやつです。問われれば必ず答えなくてはなりません。普段からものごとを深く考えていることが求められます。

 なぜそのような教育をしていたのでしょう。島津家33代目の方によれば「薩摩はとにかく辺境」「だから江戸や長崎、琉球に人を派遣しても、いちいち本国からの指示を待っていたら仕事が全く進まない」と。現場でパッと判断ができる人を育てるためにそういう教育をしていたのだそうです。それが明治維新で見事に花開いたのでしょう。革命期には、「集団指導で上意下達(じょういかたつ)、上の言うことを聞け」などとやっていたらダメなのです。西郷隆盛と大久保利通も同じ郷中の先輩後輩です。2人とも下級武士の子でしたが、ここで頭角を現し登用されました。

https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00132/110200003/

薩摩藩の武士は自分の頭で考えるように教育されているから一人一人が現場判断できる
それが強さの源

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