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【カーリング協会広報】近藤学【お前何様??】

43 :雪と氷の名無しさん:2010/02/28(日) 01:59:17 ID:SalZz5HJ.net
■かけ離れていた競技環境(チーム青森とチーム長野)
このように日本一を懸けて、あるいは五輪の切符を懸けて、接戦を繰り返してきた。
両チームの対戦は、日本で唯一のエリートチームと、すべて手作りのチームとの
対決だったとも言える。
青森市から就職支援や斡旋(あっせん)を受け、正社員ながら秋と冬は競技に専念できるチーム青森
に対し、チーム長野の面々は、一般のカーリングチームと同じように自分で仕事を探し、競技と両立
させてきた。
土屋はJR軽井沢駅前の飲食店で働き、園部淳子はスポーツクラブの事務員をやりながら 夏の観光
シーズンにはレストランで臨時のアルバイトもやってきた。妹の智子は雑貨店の販売員。
大会の時は休めるように基本的には時給のアルバイトだ。
「高校のころからカーリングのお金は自分たちで出していました。カーリングクラブの会費とか
チームの遠征費とか。チームで通帳を作って、当番制で会計担当を決めて」(園部淳子)
チーム青森はトリノ五輪当時から地元後援会が寄付金を1000万円以上集め、年間約1カ月の
海外遠征を敢行していた。
 同じころ、チーム長野が初めて行ったカナダ合宿は10日間、時差ボケ調整をする日程もない強行軍だった。
そんな競技環境の差を考えれば、チーム長野がたびたびチーム青森を土俵際まで追い詰めた
「日本のNo.2」だったこと自体、驚きだと言える。
08年の日本選手権決勝は、第9エンドを終えて8−7でチーム長野がリードしていた。
最終の第10エンド、スキップ土屋の最後の1投は難度の高いショットだったが、わずか数センチ横
にズレて決まらず、逆転負け。あの1投が決まって優勝していれば、バンクーバー五輪の代表決定戦
で、チーム青森に2勝のアドバンテージが与えられることはなかった。1勝のアドバンテージに止ま
っていたはずで、1勝なら結果はどうなっていたか。
もちろん、今ごろそんなことを言っても始まらない。結局、代表決定戦は0勝2敗。
13年間、軽井沢で働き、自分たちのお金をつぎ込んで五輪を目指してきた3人の夢は、2回挑戦して
2回とも届かなかった。五輪を目指している限り、仕事とカーリングで、はっきり言って結婚もできな
かった。「後悔はしていない。競技を続けるか、今は考えられない」と土屋。チーム長野の見果てぬ夢。

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