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【Nepheshel】Studio Til総合 2【ネフェシエル】

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:AZewSlas.net
死の剣の素体はデミウルゴス自身が冒険者に与えた。
ただし、それを本来の姿にするには人間の力が必要であった。
要するに、デミウルゴスがやったのは間接的な自殺である。
なぜなら、「死」という属性を持っているのは人間の側だからである。
それをデミウルゴスに注入することでデミウルゴスは人間と同じように死ぬのだ。
リトは何も知らないのでデミウルゴスを、苦難に満ちた世界を創造した悪神だと思って手に掛ける。
そしてエンディングでリトは新しい創造神として世界を創り直すことになった。
エンディングで女神だった者が普通の人間になっているのは、前の世界で魔神の存在が悲惨な結果を招いたことに対する反省のせいである。
実はこれ以前にもデミウルゴスの世代交代は何回か行われていた。
オープニングで、世界は幾度目かの転機を迎えた、とあるのはそれを示している。
このゲームは新たな創造主が生まれるための試練だったのだ。
エンディングの段階で既にリトは全てを超越した存在となっており、普通の人間は存在を知覚することができないが、かつてリトとともに旅をした者には残滓のように記憶が残っており、彼の生み出した世界を肯定している。
ところで、ここまで読んでくれた人はあれ? と思うかもしれない。
ネフェシエルのデミウルゴスは悪神でも何でもない! 実は人と同じように人間に同情し苦悩する所がグノーシスの解釈とまるで違う。
さて、ここからがようやく本題なのだが、私は邪悪だとか不完全だとか愚かだとか蔑まれるデミウルゴスにゲーム製作者の姿を重ね合わせていた。
だから完全な悪役と解釈することができなかった。
ネフェシエルのデミウルゴスは元々は人間であり、自分を越えていく者をずっと待っていた。
そのために一芝居打ったというのがこのゲームでの役回りである。
ゲーム製作者は世界を創ることはできるが、それが完全なものであるとは限らない。
苦労して創りだしたゲームがクソゲーの謗りを受けることもある。
創造者が万能であらゆる人間を幸せにできるとは限らないのだ。
だがしかし、そういったゲームを前にして、創造する行為自体無駄だったのかと問われた時、我々は何と答えればよいのだろうか?
グノーシスの邪悪な創造者というデミウルゴスの解釈は、自分で世界を創ったことのない人間の無責任な解釈だ。
人には創造する能力が備わっている。
世の不条理を嘆くよりは手を動かしたほうが早いこともあるのだ。
さらに言うなれば、理想のゲームが無ければ自分で作ってしまえという同人ゲームの精神を暗に肯定してみせたわけである。
ネフェシエルを元にしてイストワールなどが作られたことを思うと、私のデミウルゴスとしての役割は、少しだけ達成されたのかなと思っている。
そんな感じで、ネフェシエルのネタバレを終わる。
私の近況はと言えば、時間的な余裕がなく、以前ほどゲームの制作に関われなくなったのが悔しいところである。
しかし、機会があればまた何かやりたい。
いつになるかは分からないけれど。

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