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【フリー版】戦略級SLG 戦国史41【シェア版】

883 :873:2014/04/20(日) 06:36:11.80 ID:lo+ENPkf.net
しかしついにプレイ開始以来の快進撃を支えてきた太閤秀吉の遺産(であろう)大量の資金が底を尽き、
借金生活に入ったため緊縮財政に転換せざるを得なくなる。

また和歌山を奪取したことで思いもよらぬ問題が発生。
和歌山には徳川幕府軍の軍船約40隻があったのだが、和歌山が失陥し徳川幕府が大阪湾に軍港を持たなくなったため、
それらの軍船が四国松山と九州府内を繋ぐ水路に移動してしまった。
そのため、九州でこれまでぼけっとしていた黒田長政ら徳川幕府方2万5000がその軍船を使って四国松山へ攻撃を開始することに。

借金生活に入り、兵の増強も出来なくなった状況で二正面作戦は非常に辛いため、
これまで控えていた(というか久しぶりのプレイの為、その存在を忘れていたw)守備的な釣り出しを駆使することにする。
守備的な釣り出しとは、通常の釣り出しと違い敵の兵力が減少してもとどめを刺さず、しつこく釣り出しを繰り返し
敵兵をほぼ兵糧を消費しない兵20くらいまで減らしたのち、こちらは兵40くらいで出陣、包囲、移動、出陣を延々繰り返すことで
敵は後詰を出さないが、こちらも当該敵拠点を占領しないままにしておき、
その方面からの敵の侵攻を防ぐという(ややチートな)テクニックである
正しい?名称は知りませんw

そこで、水路とつながる四国松山が落とされると大変面倒なため、
和歌山から田辺に守備的な釣り出しを仕掛け、紀伊半島の徳川義直らの侵攻を防ぎ、真田信繁ら主力は松山の守備に当たらせる。
それから松山で軍船の建造を急ぎ、約1年後出来上がった軍船15隻を使い1620年2月真田信繁ら1万5000を府内に出陣させ、
黒田長政ら徳川幕府方2万5000を撃破、府内を包囲し、以降は長宗我部盛親らに松山から守備的釣り出しにより防御させた。

九州方面からの攻撃を防ぐことに成功したため、いよいよ主力を東に向ける。
新宮に籠る徳川義直ら約4万を真田信繁ら約3万で攻撃、自軍も大きく兵を減らしたが、紀伊半島の幕府方を壊滅させることに成功。
つづいて1620年5月約3年ぶりに大坂城の包囲を破る。
そのまま京都へ進撃し、主力の真田信繁らを東海道を東に進ませ、毛利勝永ら騎馬兵7000を中心とした軍は北陸方面に進出。
そのまま順調に東国を征服していき1622年5月江戸制圧に成功。
この時点で豊臣家95万石でランキング11位、徳川幕府は45万石あるものの兵力は激減しており、
討幕は時間の問題と云うことで本リプレイは終了ってことで。
でも九州はマニラから来たスペインに南半分を抑えられて、徳川幕府、豊臣家、スペインの三国時代になってるし
明は順調に強大化しているしで、このままプレイしてもまだまだ息を抜けない状況ではあるけれど

長文連投失礼しました。

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