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ネトウヨ「日本軍の強制はなかったことが証明された」→国立公文書館で強制連行を裏付る資料530枚発掘 [409866914]

411 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/09/15(月) 22:36:17.94 ID:puntUrbA0.net
>>404
■慰安婦高給説のウソーー軍票・現地紙幣の価値は戦中から暴落(ネトウヨ本では教えてくれない日本史)
  これは兵士と違い生活費自腹の慰安婦には大問題だった
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○「軍医のビルマ日記」
三月三日 酒一本一〇〇円、砂糖一ビース一二〇円、餅一〇〇円等、物価頗る高し。
三月四日 馬鈴薯、玉葱、豆腐、玉子<一個六円>わたる。
三月二九日(パトゴエ)砂糖一ビース五〇円、セレ<ビルマ煙草>一本一円五〇銭。
三月三〇日(タジ)酒一本六〇円、砂糖一ビース一〇〇円、卵一個五円、コーヒー一杯五〇円、玉葱一ビース一五円、煙草一本一円なり。
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130223/1361634834

○南発券と物価
私はフィリピンに従軍中(十八年四月〜二十一年一月)、この100ペソB券、1000ペ
ソ券は勿論のこと、500ペソ券(十九年十一月中旬以降に東京からマニラへ輸送)も見たこ
はなかった。また、十九年末から、私は月給(陸軍中尉待遇・120ペソ)を受け取ってい
なかったし、請求もしたことはなかった。十九年末のマニラは、正に狂乱インフレで、月給を
もらっても無意味だったのだ。二十年二月、バギオではバナナ1本150ペソ、卵1個1,000
ペソ、甘藷1キロ1,000ペソであった。私の月給ではバナナ1本、卵1個すら買えな
かったのである。当時、フィリピンの物価は、一時間毎に高騰しているといわれていた。
[書き残しておきたいフィリピン戦秘史より] (筆者は大東亜省から比島軍政監部勤務となりフィリピンへ)
http://www18.ocn.ne.jp/~jmn/

○平原一男(大隊長)『山砲の正江作戦』
慰安所の開設に当たって最大の問題は、軍票の価値が暴落し、兵たちが受け取る毎月の俸給の中から支払う軍票では、慰安婦たちの生活が成り立たないということであった。
そこで大隊本部の経理室で慰安婦たちが稼いだ軍票に相当する生活物資を彼女たちに与えるという制度にした。経理室が彼女たちに与える生活物資の主力は、
現地で徴発した食糧・布類であったと記憶している。兵の中には徴発に出かけた際、個人的に中国の金品や紙幣を略奪し、自分が遊んだ慰安婦に与える可能性もあると思われたので、
経理室の供給する物資は思い切って潤沢にするよう指示した。
http://fightforjustice.info/?page_id=798

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