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【朗報】シンディ・ローパーさん(65)デビュー35周年の今年、4年ぶり来日公演決定 ケンモジサンもダンステリアへ集合しろ [541636285]

23 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2019/06/03(月) 18:57:09.29 ID:unQcTWdpa.net
シンディは苦労人

12歳の時に、ギターの弾き方を学び、作詞を始める。学校では周りになじめず、授業を受けるかわりに、絵を描いたり、歌を歌ったりして過ごす。
17歳の時、自分のおかれている環境に嫌気がさし、高校を退学しついに愛犬スパークルと共に家をでる[2]。
General Educational Developmentをパスし高校卒業認定資格を受け、en:Johnson State CollegeでArtのクラスの講義などを受けた。
その間、生活のためウェイトレス、絵のモデル、競馬調教師の助手、空手教室の呼びこみ等様々な職につきながら、アートスクールに通ったり、トロント北部にある森でテントを張り、スケッチをしながら過ごした。
このころ、付き合っていた男性からの提案で名前をCindyではなくCyndiと綴るようになる[3]。カナダを旅行した後、ニューヨークに戻る。

ロングアイランド出身のバンドDoc Westに加入し、バックグラウンドシンガーとして活動するが、後に別のバンドFlyerに加入しリード・シンガーとして働く。

1977年、歌い続けることによって喉を酷使してしまい声帯に損傷を受けたために声が出なくなり、1年間音楽活動を休止し、
ヴォイス・トレーナー、ケイティ・アゲストラの指導のもと、集中的なヴォーカルトレーニングを受けて、歌声を取り戻す。

1978年、キーボード兼サックス・プレイヤーのジョン・テュリと知り合い、意気投合し、自身のバンドブルーエンジェル(Blue Angel)を結成する。

1980年、ポリドール・レコードより、アルバム『Blue Angel』でデビュー。
多くの評論家に絶賛されたにもかかわらず、ロカビリーサウンドが理解されなかったり、商業的成功を収められず、バンドはその後すぐに解散。
彼女は自己破産を申請し、小売店で働き始め、生活のためにまた歌い始める。
ブルーエンジェル解散後、活動を続けていた頃に後の恋人兼マネージャーとなるマネジメント業のデビッド・ウルフと知り合い、ウルフの紹介を経て、ポートレート・レコードと契約を結ぶ。

ポートレートレーベルのエクゼクティブ・プロデューサー、レニー・ペッツやプロデューサーのリック・チャートフ、
後にザ・フーターズを結成する、ロブ・ハイマンの全面的な協力によって制作されたアルバムで1983年に『シーズ・ソー・アンユージュアル/She's So Unusual』でソロ・デビュー。

1984年、ファースト・シングルの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」がヒット・チャートに急上昇して第2位に輝き、
セカンドシングルの「タイム・アフター・タイム」は全米第1位になり、サードシングルの「シー・バップ」は第3位、
「オール・スルー・ザ・ナイト」が第5位とデビューアルバムから4曲連続トップ5入りした初の女性ソロ・アーティストとなった。
「タイム・アフター・タイム」はマイルス・デイヴィスらにもカヴァーされるスタンダードとなる。

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