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岡本里帆ちゃん選手

1 :fusianaasan:2012/07/22(日) 08:07:22.32 ID:yOeG+bxc.net
大好きだ
福見選手許さないぞ

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 19:55:22.66 ID:FsDcqbnp.net
リオデジャネイロ五輪柔道競技2日目、男子66キロ級の海老沼匡(26=パーク24)が銅メダルを獲得した。過去の五輪で金メダルを逃してきた海老沼は、
今大会での雪辱を目指したもののかなわず。それでも、銅メダリストには新たな“野望”が芽生えている。
決勝を目前にして涙をのんだ。準決勝で対戦したのは昨年の世界王者の安バウル(22=韓国)。最初に安が指導をもらうと、続いて海老沼も指導をもらう、
こう着した展開。最後は延長戦で世界王者が海老沼の背負い投げを潰して有効を奪い、勝負あった。
「気持ちで負けました。お互いキツい場面で、引いてしまったのは僕のほう。そこを追い詰めた安選手に実力があったということ。そういう意味では心残り。
情けない気持ちでいっぱいです」
今後については「全然考えていない。東京五輪も…。少し休みたい」と言葉少なだったが、関係者によると階級を73キロ級に上げる可能性もあるようだ。
「減量がきつい」というのが、その理由。まだ流動的ではあるが、この先で確かなこともある。
2014年12月に香菜夫人(28)と結婚後は話し合いの末、子づくりを控えてきた。「モチベーションにはなると思うんですけど、ボクと奥さんで考えたのは
『子供第一にならず』でした。五輪が終わってから、ゆっくりつくったほうがいい」とリオに集中した。
キャリアの集大成と位置づけた2度目の五輪が終わり、これからは夫婦の時間を最優先させる。「たくさんつくりたいです」と海老沼はジュニア誕生を
心待ち。柔道界屈指の努力家の遺伝子が未来に引き継がれる。

【柔道】銅メダル・海老沼が「子づくり解禁」宣言 | 東スポWeb ? 東京スポーツ新聞社
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577011/

海老沼は「準決勝は気持ちの部分で僕は負けてしまった。あそこで踏ん張れなかったのが僕の敗因だと思う」と振り返り、「準決勝で体を痛めた? いえ、
そんなの関係ないです。(3位決定戦で)メダルを取るのと取らないとでは違う。本当にぶざまな試合ですけれど、それでもメダルだけは取って帰ろうと
思いました」と表彰台を懸けた思いを口にした。
会場では夫人も応援していた。「金メダル取って一緒に喜びたかったんですけど…」と話し、声を詰まらせながら「僕の力不足です。済みません」と声を
振り絞った。
井上康生監督
「海老沼は今まで困難や苦労、葛藤と闘ってきた。最高のプレーヤーだけに金メダルを取らせてあげたかった。準決勝は試合途中に脇腹や足がつったようで、
あそこから流れが変わった」

2大会連続銅の海老沼「ぶざまな試合だけどメダルだけは取って帰ろうと思った」/柔道 - リオ五輪2016 - SANSPO.COM(サンスポ)
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160808/rio16080806050051-n1.html

リオデジャネイロ五輪第3日(7日=日本時間8日、カリオカアリーナ)柔道男子66キロ級で、前回ロンドン五輪に続く2大会連続の銅メダルを獲得した
海老沼匡(26)=パーク24=は表彰式後、「後悔はない。最高の舞台で戦えたことを誇りに思う」と完全燃焼を口にした。
表彰台で実際にメダルを首にかけた気持ちは
「ロンドンのときと同じ(銅)メダルですけど、思いとしては少し違うかなと思っています」
どんなところが違うか
「うーん、そうですね、いや、ちょっと分からないです」
悔しさもあるとは思うが、さまざまな苦労を乗り越えてつかんだ重いメダルではないか
「今までの過程においては後悔もない。やるべきことをやって、この地に来て、五輪という最高の舞台で戦えたことを誇りに思う」
勝った試合は全て一本勝ち。柔道のすばらしさを見せられたのでは
「ありがとうございます」
日本へメッセージを
「明日は(73キロ級の)大野将平、(81キロ級の)永瀬貴規と続いていく。(日本では)夜中になるとは思いますけど、日本柔道への応援をよろしくお願いします」

【表彰式後の一問一答】2大会連続銅メダルの海老沼「後悔はない。最高の舞台で戦え誇りに思う」/柔道 - リオ五輪2016 - SANSPO.COM(サンスポ)
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160808/rio16080807230057-n1.html

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 20:02:39.76 ID:FsDcqbnp.net
中村の準決勝は、初対戦のケルメンディの力強い組み手に最初の1度だけ対応できなかった。それが原因で受けた指導が致命傷となってしまった。
その後は完全に対応していたので、本当にもったいない結果だと思う。
この日の中村は堅実な試合運び、特に寝技の巧みさが光っていた。場外際で相手の頭を試合会場に向けさせたり、逃げようと必死の相手から正確に
脚を抜いたりと細かい技術まで磨かれていることを印象づけた。銅メダルとはいえ、内容は素晴らしかったと思う。
女子の試合時間が5分から4分に変わって最初の五輪。勝負に「たら」「れば」はないのだが、もし5分あれば指導を引き出し並ぶか、逆転のポイントを
奪えていたのでは、と思う。たった1分の差ではあるが、序盤から飛ばしてくる外国勢には有利。日本勢はその対処法をもう一度、考えていく必要があると感じた。

金に届かなかった中村 準決勝での指導が致命傷に 試合時間5分なら
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/08/kiji/K20160808013122060.html

海老沼の準決勝は非常にハイレベルな戦いで見応えがあった。相四つの相手が徹底してきたのが、左組みの海老沼の釣り手、つまり左手を下へと下げること。
密着した状態からの海老沼の投げ技を警戒したのだと思う。最後の場面は指導を嫌った海老沼がやや強引に技に入ってしまい返し技を受けることになったが、
10回戦えば5勝5敗だろうという拮抗した相手。紙一重だったとしか言いようがない。
国内選考会の内容(一本負け)などで海老沼の代表選出に意義を唱える方もいらっしゃったが、銅メダルという結果はともかく、この日の海老沼は素晴らしい
柔道を見せてくれた。相手の研究による対策も練られており、相当な反復練習をしてきたことをうかがわせた。例えば釣り手の取り方ひとつを見ても、正面から、
横から、スピードを変えてと変幻自在だった。練り上げられた戦術、多彩な技は海老沼のひたむきな姿勢から生まれたもの。メダルの色は彼が望むものでは
なかったかもしれないが、その姿勢は金メダルに値すると私は思っている。

金メダルに値する海老沼の姿勢 ハイレベルな準決勝、紙一重の差
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/08/kiji/K20160808013122150.html

リオデジャネイロ五輪第2日(6日=日本時間7日、カリオカアリーナ)金メダルが取れなかったのは残念だ。2人とも「これが五輪」という試合をしてしまった。
高藤は日本代表の最終合宿で井上監督から「調子はいい」と聞いていたし、実際に状態は上々だった。それが、準々決勝で普通だったら、かからないはずの
隅返しで一本負けした。
近藤も準決勝開始19秒で一瞬の隙をつかれ、袖釣り込み腰で技ありを奪われた。実力からすれば、パレトには10回やれば9回は勝てるだろう。ただ、残りの
1回が出る大会だ。準々決勝で過去に負けたことがあり嫌な相手だとみていたガルバドラフに逆転勝ちし、本人も気づかない油断が生まれたと思う。
2人とも4年後の東京五輪を狙える年齢。高藤とは所属先の監督として、今後のことを話し合っていきたい。近藤には大石道場の先輩として、通算4個目の
金メダル(過去に吉田氏1、谷本歩実2)を期待したい。4年間は長いようで、あっという間。この経験を生かし、同じ失敗を繰り返さないようにしてほしい。

【吉田秀彦一本締め】高藤、普通ならかからない技で一本負け/柔道 - リオ五輪2016 - SANSPO.COM(サンスポ)
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160808/rio16080805000044-n1.html

高藤選手はまだ若いが、19歳で世界選手権を制した13年と比べると、パワー、スピード、技のキレが落ちていると感じた。一番良いときは水をはじくように、
相手をはじき飛ばすもの。過去の自分と比べてしまい、自信を持てていないように見えた。昔は投げたいときに投げられていたのが、この日はかからないの
を知っていて技に入っているようだった。早熟タイプだから、以前の自分とかみ合わないのだと思う。
次の五輪を狙うなら、この負けを新しく自分の柔道を作るターニングポイントにしたい。これからは若手に追われる立場。「負けたらどうしよう」などと不安が
出てくるだろうが、いまの自分をレベルアップして「ニュー高藤」を見せてほしい。

高藤、敗戦を「新柔道」のきっかけに/古賀稔彦 - 日刊スポーツ リオ五輪評論家
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/column/analyst/news/1691501.htm

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 21:05:45.29 ID:HtpcxUVb.net
6日(日本時間7日)、リオ五輪の柔道男子60キロ級で銅メダルを獲得した高藤直寿(23=パーク24)は悔しさをにじませつつも、新たな野望に動きだす。
準々決勝でパピナシビリ(ジョージア)の隅返しに一本負け。敗者復活戦を勝ち上がったが、素直には喜べない。「自分自身、バカだなあと。以前も同じ技で
投げられてしまったのに…」。師匠の全日本男子・井上康生監督(38)も「調子が良かった分、焦ったのではないか」とメンタル面を敗因に挙げた。
ただ、代表での規律違反や学生デキ婚など、数々の話題を振りまいてきた高藤はへこたれてはいない。4年後のリベンジに加えてもう一つの夢も追う。
「柔道選手である間に、いろんなところで自分の名前を残せたらなって思っている」
特にこだわっているのは技だ。変幻自在の柔道で、高藤スペシャル(変型大腰)、直車(変型肩車)など数々のオリジナル技を生み出した。講道館が認める
柔道技は投げ技、固め技合わせて96存在するが、高藤は「97番目」の枠を狙う。「まずは足を持たない肩車を違う名前で入れてほしいですね」
「シライ」(床の後方伸身宙返り4回ひねり)など自身の名のついた4つの技を開発した体操の白井にも刺激を受けた。「僕もルール改正とかいろいろあって、
悩んだ時期もあった」。原則「既存の技の中に当てはめる」(講道館関係者)と敷居が高いのは百も承知だ。高藤が100年を超える伝統に新たな
1ページを加える。

【柔道】銅メダル獲得の高藤直寿「オリジナル技」で柔道史に名を残す!
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577072/

リオ五輪柔道女子の史上最年少金メダルを目指した6日(日本時間7日)48キロ級の近藤亜美(21=三井住友海上)は銅メダルに終わった。
準決勝でパレト(アルゼンチン)に敗れて号泣。なんとか短時間で立て直し、3位決定戦ではムンフバト(モンゴル)から終了間際の隅落としで
有効を奪って今大会日本人メダル1号となった。「情けない。銅メダルはあまりうれしくはないが、続く選手には頑張ってもらいたい」と声を落とした。
“小姑”を自称する所属の貝山仁美コーチ(38)と歩んだ2年間だった。五輪金メダリストの吉田秀彦氏(46)らを輩出した愛知の名門・大石道場出身ながら、
ある実業団監督が「ウチも獲ろうと思って調査したが、チームへの影響を考慮した」と言うほど、2014年4月の入社時は“おてんば娘”だった。
指導役の貝山氏も骨を折った。新人にもかかわらず、忠告から言い合いになり、険悪ムードのケンカに発展したことも「数え切れないです」(貝山氏)。
報道陣が見ている前でやり合ったこともあった。しかし、服装から寮での生活まで社会人としてのマナーも植え付けていった。食堂でスマホ片手に
“ながら飯”を取る。物を大事にしない――。そんな面をチクチクと注意されているうちに、近藤の意識は大きく変わった。
準々決勝で左目のコンタクトレンズを落としたが、予備を忘れる失態。「外国人選手の目の色が違った」と五輪の怖さも痛感した。リベンジは4年後。
「ひと皮もふた皮もむけて臨みたい」と近藤は前を向いた。

【柔道】銅メダル・近藤亜美 「おてんば娘」を変えた「小姑」とのケンカ二人三脚
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577070/

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 21:06:11.66 ID:HtpcxUVb.net
リオデジャネイロ五輪の柔道競技は日本時間8日、男子66キロ級と女子52キロ級の試合が行われ、海老沼匡(パーク24)と中村美里(三井住友海上)が
ともに銅メダルを獲得した。
男子66キロ級では、ロンドン五輪の銅メダリスト・海老沼が、準決勝で韓国の安バウルに対し延長戦の末に敗れたが、3位決定戦でアントワヌ・ブシャール(
カナダ)から背負い投げで一本を奪い、2大会連続となる銅メダル。一方、女子52キロ級も中村が準決勝で今年のヨーロッパ選手権覇者マイリンダ・ケルメンディ
(コソボ)に敗れたものの、3位決定戦で地元ブラジルのエリカ・ミランダを延長戦の末に破り、08年北京五輪以来2大会ぶりの銅メダルに輝いた。
以下、試合後の海老沼と中村のコメント。
海老沼「気持ちの面で負けた」
たくさんの人が、金メダルを取ることを期待してくれていたと思うので、銅メダルという結果に終わって本当に情けない思いでいっぱいです。ロンドン(五輪)は、
若さもあってがむしゃらにつかんだ銅メダルでした。今回の銅メダルとは少し違うと思います。
今回の方が悔しい?
そうですね。でも、僕の中では最高の準備をしてこの時を迎えたので、悔しさはあるけど、最後まで腐らずに3位決定戦を戦えて良かったと思います。
準決勝は(ゴールデンスコアに突入して)僕も安選手もきつい場面で僕が引いて、気持ちの面で負けてしまいました。あの一戦が心残り。一番
引いてはいけなかった戦いだと思います。
相手のかけ逃げが指導にならなかった。
ああいうことをやってくるぞという意識の中で試合に臨んだので、(自分の)力のなさだと思います。
リードしている中で最後に指導を取られて追いつかれたが?
あと一歩、最後に一歩攻めないと指導を取られるというところ。そういう場面に追い込んだアン選手が一枚上手だったと思います。
金メダルを取るために必要なものは?
それを探し求めて4年間やってきたのですが、僕には分かりません。僕の中では4年間、ここで金メダルを取るために走り続けてきたので、
その点に関して悔いはないです。でも、あの準決勝で気持ちで引いてしまった一戦は、僕の人生でも悔いの残る試合になると思います。
3位決定戦の前の心境は?
僕に期待して選んでくれた先生方がいるので、腐って負けるのも自分、最後まで戦うのも自分と思い(後者を)選びました。
今後は?
まだ全然考えられません。
東京五輪は?
少し休んで考えます。
表彰台に上がった時の気持ちは?
ロンドンのときは、悔しさでいっぱいで全然覚えていなかったです。この舞台に立てて、たくさんの人に応援していただきました。井上先生にも胸を
張れということを言われたので、表彰台を記憶に残すような気持ちで表彰台に立っていました。
ノーマークのイタリアの選手(ファビオ・バシレ)が優勝したり、強豪選手が次々に敗れたりしたことについて、どう思うか?
五輪は、難しいですね。イタリアの選手は、まだジュニア上がり。ロンドンのときもそういう選手が勝ちました。何が起こるか分からないのが五輪。でも、
今日勝った選手が一番強い。今日は、あの(イタリアの)選手が強かったということです。
奥さんに、どんな思いがあるか?
金メダルを取って喜びを分かち合いたかったです。銅メダルだけど、受け止めてほしいというか、一緒に頑張ってきたので、かけてあげたいと思います。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 21:10:32.53 ID:HtpcxUVb.net
中村「成長した自分が勝てなかったのが悔しい」
2大会ぶりのメダルは銅メダル、今の気持ちは?
やっぱり金メダルが取りたかったんですけど、最後の3位決定戦に勝てたのは良かったなと思います。
準決勝のケルメンディ戦では序盤に指導を取られ、追いかける展開になった。どのような4分間だった?
取り返せる自信はあったんですけど、相手も必死でなかなか取り返せなかったし、今の実力だなと思いました。
序盤以外は優勢に見えたが?
(相手の)力が強くてあのような組手になってしまったのがすごく反省点だと思います。
足技以外があまり出なかったように見えたが?
担ぎ技も練習してきて出してはいたんですけど、なかなか、かからなかったです。調子は悪くはなく、いつも通り戦えました。
(初戦敗退に終わった)ロンドン五輪後の4年間、金メダルを見据えて練習してきたと思うが、今の気持ちは?
ロンドンが終わってすぐにはリオを考えていなかったし、この舞台に立っているとは思っていませんでした。挑戦できたことは良かったですけど、
目標を達成できなくて、やっぱり悔しいです。
組手争いで相手の力の強さを感じた?
力が強いのは分かっていたんですけど、思っていたより強かったというか……。(襟や袖を)持ってからはあまり(強さを)感じなかったのですが、
切る力が強かったです。
良い展開もあったが、紙一重だった。
そうですね。やっぱり自分が良い組手になるのはほとんどないと思うんです。そこであまり出しきれなかったと思います。
大会前に「4年間やってきて良かった」と言っていたが、この結果を受けてもその思いは変わらない?
ロンドンを終えて手術とか、いろいろな経験をして、いろいろな人と会ってすごく幅が広がったので、4年間やってきて良かったと思います。
これまでの2回の悔しさと今回の悔しさは違う?
違いますね。北京(五輪)のときも悔しさを感じたんですけど、今回はいろんな経験をして成長した自分で戦って、勝てなかったのが悔しいです。

柔道の海老沼、中村が2度目の銅 メダルは「奥さんにかけてあげたい」(スポーツナビ)
http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608080002-spnavi

銅メダルを獲得した柔道女子52キロ級の中村美里(27)の所属先、三井住友海上は都内でパブリックビューイングを行い、約140人の社員らが声援を送った。
準決勝で、優勝したケルメンディ(コソボ)にわずか指導1の差で敗れると、社員らも声を失った。だが、3位決定戦でメダル獲得の瞬間を迎えると、
会場のボルテージは最高潮に。健闘をたたえる拍手が巻き起こった。
中村が在籍する東京本部の中川滋部長(50)は「頑張りましたね、最後まで。こっちは興奮しっぱなしでした」と喜んだ。
中川部長は、職場で仕事の流れを変えるためにはどうしたらよいかと中村に問い掛けたことがあった。それに対して中村は柔道に置き換えて答えたという。
「最初の入りを変えると言っていた。そういう感じでまだ冷静だったのでしょうね」と、準決勝敗退を引きずらずに戦った中村をたたえた。

「冷静だった」中村美里の同僚140人がPVで声援 - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1691252.html

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 21:10:48.33 ID:HtpcxUVb.net
海老沼匡(26=パーク24)が2大会連続の銅メダルを獲得した。ロンドン五輪から起伏の多い道のりには、常に寄り添う兄聖(さとる)さん(32)の姿があった。
3兄弟の長男で、5学年上の「兄ちゃん」は常に匡のヒーローだった。兄は栃木の実家から、古賀稔彦らを生んだ私塾・講堂学舎に入るため中学から東京に
出た。幼い匡は全国で行われる柔道の大会に赴き、兄の雄姿を追った。客席で事細かに試合のメモをノートに書く姿は有名だった。短く刈った丸刈りをまねて、
青々とした頭を誇らしげに、兄のようになりたいと柔道に打ち込んだ。
それから20年あまり…。同じ講堂学舎に進み、いまは所属先を同じにする。全国大会での優勝など華々しい成績を残していた兄は、ロンドン五輪直前に匡を
支援するために引退。いまは練習パートナーとして行動を共にする。「いつも二人三脚で、合宿もついてきてくれて、『いまの柔道はこうだね』ということを
練習前後ずっと話す。ずっとそうやってきた」と匡。「かけがいのない存在。僕の良き理解者。常々、試合で勝っても負けても、『五輪で勝てばいい』というのを
ぶらさずにいたのが兄」とも話す。この数カ月は特にその言葉が身に染みた。
代表選考会となった4月の全日本選抜体重別選手権準決勝で、18歳の阿部一二三に幾度も担がれた。技あり、有効、最後は背負い落としで一本負けした。過
去2年間の大会成績を重視する選考方法で代表には決定したが、「今日の試合で(五輪に)勝てるのか」と山下泰裕強化委員長が疑問をあらわにするほど、
周囲からは批判的な声が飛んだ。
そんな時、思わず、兄の前だけでは本音が出た。だらしなさを指摘する言葉に「○○さんがこう言われた」など、悩みを吐露した。2月に国際大会をパリで戦った
調整期間の短さ、さらに全日本体重別前には事実上代表が内定していたモチベーションの問題などがあったが、周りは状況を鑑みてはくれない。弱音、愚痴も
口をついた。
その様子にも長年連れ添った兄は、動じない、ぶれない。「視野が狭くなっていると思った。そういうときは『こう思う』とこっちが言ってもだめなので」。あえて
距離を取る。そして頃合いを見計らい、食事に誘って心を落ち着かせた。
さらに、調整方法の変更にも着手。真面目な性格ゆえに練習から思い詰めて追い込んでしまい、試合で100%の力を出せない姿に、思い切った提案をした。
ベテランでケガが増え、若い頃のように稽古から力を出し切れない。そこで、「本数を決めて集中して何本やろうと決めよう」と量より質にかじを切った。
昔はやれるだけ本数をこなさないと不安だった弟も、兄の真摯(しんし)な提案に首を縦に振った。リオへ向けた調整はすこぶる順調だった。
目標の金メダルには届かなかったが、勝った試合はすべて一本。攻める柔道を見せ続けた。表彰式後には「やるべきことをやって、この地に来て
オリンピックで戦えたことを誇りに思います」と話した。一時の成績不振に左右されず、五輪に集中できるよう弟の最善を考えてくれた頼もしい兄との歩みが、
2大会連続のメダルをたぐり寄せた。

海老沼、あこがれた兄に導かれた連続銅メダル - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1691233.html

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 21:56:28.59 ID:HtpcxUVb.net
8月7日、試合を終えた柔道52kg級の中村美里は言った。金メダルだけを目指してきた3度目のオリンピックで、銅メダルに終わった。
だがその表情には、悔しさとは異なる思いも、浮かんでいた。
組み合わせが決まったときから、山場は準決勝で当たるであろうマイリンダ・ケルメンディ(コソボ)であることは分かっていた。
中村が手術、リハビリで出場しなかった2013、2014年の世界選手権女王である。
2015年の世界選手権で中村が優勝したときは、ケルメンディが怪我で出ていなかった。この大会のみならず、過去、一度も対戦したことのない相手だ。
力で抑えられ……最後は逃げ切られた。
世界屈指の技巧派として細かな技術を磨いてきた中村、世界でもトップと言っていい圧倒的なパワーを誇るケルメンディと、スタイルも真逆である。
初戦となった2回戦、準々決勝と勝ちあがると、待ち受けていたのは、大方の予想通りケルメンディだった。
試合が始まる。開始早々、相手に頭を下げさせられ、消極的と指導を受ける。
「力が強いのは分かっていました。思ったより強かったと言えば強かった。力が強くてああいう組み手になったのが反省点です」
中村は振り返る。
日本女子代表の南條充寿監督は言う。
「奥襟をとって、ペナルティを狙ってくるということは予測していました」
予測していてもはまってしまったのは、対戦していないことから来る未知の部分があったからにほかならない。
ただし、対応できなかったのはその時までだった。以降は徐々に自分のペースに引き戻し、ケルメンディを封じる。残り時間が数十秒となると、逃
げ切ろうという姿勢がうかがえたケルメンディに場内からブーイングが飛ぶ。指導があるかと思われたが……試合はそのまま終わった。
試合時間の短縮は中村にマイナスだったが……。
試合時間が5分から4分と短くなったことも、スタミナに自信がある中村にはマイナスにしかならなかった。
ケルメンディとの試合から約20分後の3位決定戦を制したあと、中村は「悔しい」と涙を浮かべた。だが、表彰式では、柔らかな表情も見せた
「このメダルを大事にしたいです」
引き上げてくると、こうも口にした。そう思わせたのは何だったか。
ロンドン五輪後、柔道から離れて知った別の世界。
中村は、ロンドン五輪が終わったあと、リオデジャネイロの畳に立っている自分の姿を想像できなかったという。ロンドンでの金メダルを思い描いていたから、
大舞台で初戦敗退に終わったあと、すぐにリオを目指そうとは思えなかったのだ。
2012年の秋には、古傷の膝の手術に踏み切った。柔道のためというよりも、これからの長い人生を考えて、治しておきたいと思った。
その後、長期間のリハビリ生活が始まる。それまでになかったほど長く柔道から離れることになった。そして、それは新鮮な時間だった。
同じようにリハビリに励むほかの競技の選手と交流を持つ中で、自費で海外遠征に行かざるを得ない競技があることも知り、自分の環境が恵まれていたことを
実感したという。知り合った選手の試合を観戦に行ったり、新しい趣味を持ったり、生活に、視野に、広がりが持てた実感があった。
その中で中村は、柔道への気持ちを取り戻した。もう一度前を向いて畳の上に戻ろうと思えた。挑戦すると決めて一歩足を踏み出し、日本代表をつかみ、
たどり着いたのがリオだった。
どん底からの再スタートの銅メダルに、大きな意味が。
悔しさはある。
北京五輪で銅メダルを手にしながら、「金メダル以外は同じです」と悔しがってから、追い続けてきた目標には3度目も届かなかったことになる。悔しいのは
当然だろう。
でも、三度目の大舞台は想像もできないという状態からスタートして、手術とリハビリを乗り越えた。いろいろな経験を積んで、新たな仲間の応援も得た。
その末に手にしたメダルだから、大事にしたいと思う。
南條監督は言う。
「波がありながら出場をつかんでの結果です。いろいろな評価はできると思います。これから柔道を続けていくのか分かりませんが、それをかみしめて、
人生にトライしてもらいたいなと思います」
中村が手にしたのは、ロンドン五輪後に歩んできた時間の証であり、これからの人生にとって財産となる銅メダルだった。

中村美里がついに微笑んだ日――。金以上の価値ある、復活の銅メダル。 -リオオリンピック特集
http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160808-00826231-number-spo

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 01:42:23.65 ID:KEs/LtM0.net
柔道女子57キロ級準々決勝で、前回ロンドン五輪金メダルの松本薫(28=ベネシード)はパビア(フランス)との7分50秒にわたる大激闘を制して準決勝に進出した。
長身の相手に松本は自分のペースで試合を進めたが、ポイントを取れずにゴールデンスコア方式の延長戦へ。大内刈り、大腰と積極的に仕掛けて一方的に
攻め込んだ。相手の大内刈りにヒヤリとする場面もあったが、“野獣”はひるまず前に出る。最後は延長3分50秒、袖釣り込み腰で技ありを奪い優勢勝ちした。
5月のマスターズ大会では初戦敗退。柔道界では「力が落ちた」などと厳しい声も上がる中、松本はここ一番に強いのも事実。野獣健在を証明するまであと2つだ。

【柔道女子】松本薫 7分50秒の激闘制し準決勝進出
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577388/

柔道競技3日目、女子57級で前回ロンドン五輪金メダルの松本薫(28=ベネシード)が初戦の2回戦でダボンヌ(コートジボワール)に寝技で一本勝ちして
準々決勝に進出した。
冷静だった。格下の相手に慌てず、寝技で仕留めにいく。右腕を足で挟み相手の体をクルリと回転させて押さえ込み。卓越した寝技の技術を披露した。
一度は外され「有効」どまりだったが、再び横四方固めにとらえて、1分19秒で完勝した。
女子代表は金メダルの期待の高かった初日、2日目で銅メダル2つ。前回覇者の“野獣”が再び頂点まで駆け上がり、意地を見せられるか注目だ。

【柔道女子】“野獣”松本薫 寝技一本で準々決勝進出
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577377/

男子73キロ級の大野将平(24=旭化成)が初戦の2回戦でムリジョ(コスタリカ)に横四方固めで一本勝ちして3回戦に進出した。
貫禄たっぷりだった。序盤からプレッシャーをかけてくる大野に、ムリジョは何もできない。逃げ回る相手に「指導」が3回与えられると、
大野は相手の体をコントロールして冷静に寝技へ。そのまま横四方固めでがっちり押さえ込み、1分50秒で圧勝した。

【柔道男子】73キロ級・大野 圧勝発進「金」へ視界良好
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577365/

柔道男子73キロ級の大野将平(24=旭化成)が、3回戦でスクボルトフ(UAE)に内股で一本勝ちして準々決勝に進出した。
大野はケンカ四つの相手に内股で技ありを奪ったが、これをすぐに取り消される。それでも全く焦ることなく、狙い澄ました内股一発。2分50秒で鮮やかに
宙を舞わせた。
数々のメダリストを輩出した柔道の名門私塾「講道学舎」(昨年3月に閉塾)の出身。同塾の先輩にあたる古賀稔彦、吉田秀彦、滝本誠ら五輪金メダリスト
と同じく切れ味鋭い投げ技と精神力の強さが持ち味だ。柔道エリートの大野は頂点まであと3つだ。

【柔道男子】大野将平 鮮やかな一本勝ちで準々決勝進出
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577382/

柔道男子73キロ級の大野将平(24=旭化成)が、準々決勝でシャフダトゥアシビリ(ジョージア)に優勢勝ちして準決勝に進出した。
相手はロンドン五輪男子66キロ級金メダルの強敵だ。がっちり組んでくる相手に、大野は大外刈りから腰車でぶん投げる。豪快に決まっていきなり技あり。
その後は無理することはなく、引き込んでの腕ひしぎ十字固めを狙う余裕も。相手の必死の攻撃も難なくさばいて快勝した。
2013年の天理大在籍時には柔道部で暴力問題の不祥事があり、大野も登録停止の処分を受けた。苦難の時期を乗り越えてつかんだニッポン柔道の
エースの座。残り2つ、勝つしかない。

【柔道男子】大野将平 ロンドン金メダリストに快勝し準決勝進出
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577398/

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 19:50:54.33 ID:n5XnOu9d.net
柔道女子57キロ級3位決定戦で、前回ロンドン五輪金メダルの松本薫(28=ベネシード)は連珍羚(台湾)に優勢勝ちして銅メダルを獲得した。
連は今年5月の「マスターズ大会」で一本負けした嫌な相手。松本は気合満点の表情で畳に上がると、序盤から積極的に攻めた。開始2分で
寝技で押さえ込みに入ったが、これはすぐに逃げられた。それでも攻め続ける松本は、相手の体重が後ろにいったところに小内巻き込みで
あわせて「有効」。そのまま逃げ切って2大会連続のメダルをゲットした。
ニッポン柔道はこれで今大会5個目の銅メダルとなった。
松本の話「もう、一度負けているので、負けられないと思って戦った。金メダルを目指していたので、そこで負けてどう切り替えようかと思った。
でも何も持たないでは、日本に帰れないと思った」

【柔道女子】松本薫は銅メダル「日本に帰れないと思った」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577427/

リオデジャネイロ五輪柔道女子57キロ級で、ロンドン五輪の金メダルに続く2大会連続となる銅メダルを獲得した松本薫(ベネシード)は
「何も持たないで日本に帰れないと思って戦った」と語った。試合後の一問一答は以下の通り。
3位決定戦が一番気合が入っているように見えた
「一度負けているので、もう負けられないという思いで戦った」
メダルへの思いは強かった?
「金メダルを目指していたので…。最初、負けてしまったときにどう切り替えようかと思ったが、何も持たないで日本に帰れないと思って戦った」
ロンドンで金、リオで銅。自分を褒めてもいいのでは?
「(首を横に振る)」
みんな拍手を送っていると思いますよ
「送ってくれていたらうれしいです」

【五輪柔道】銅メダルの“野獣”松本薫「何も持たないで日本に帰れない」 女子57キロ級
http://www.sankei.com/rio2016/news/160809/rio1608090038-n1.html

「何も持たないのでは、日本に帰れないと思った」。2大会連続の金メダル獲得を目指した柔道女子57キロ級の松本薫選手(28)。何とか気持ちを
切り替えて銅メダルをもぎ取ったものの、試合後のインタビューでは悔しさを隠しきれなかった。
目つきの鋭さからついた異名は「野獣」。準決勝はあっさり一本負けを喫し、思わず額を床につけた。ただ、1時間もたたないうちに始まった3位決定戦では、
いつもの気迫に満ちた目に戻った。
「一度負けてるので、負けられない」。試合前に高く両足でジャンプして気合を入れると、その後は集中が途切れることなく、優勢勝ちに持ち込んだ。
勝利を手にした後、観客に声援を送られると一瞬、泣きそうな表情を浮かべ、続いて照れたような笑顔をみせた。

柔道で銅の松本「何も持たずに帰れない」 悔しさ隠せず
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG09H03_Z00C16A8000000/

金メダルの約束を果たせず、観客席の両親に手を合わせて謝る顔からは「野獣」の鋭さは消えていた。銅メダルを獲得した柔道女子57キロ級の
松本薫選手(28)。父賢二さん(63)は、悔しさと誇らしさを感じながら「十分伝わった。お疲れさま」とつぶやいた。
一本負けした準決勝から切り替えて臨んだ3位決定戦。決意を込めた、この日一番の鋭い目に、賢二さんは松本選手が金メダルを獲得した前回の
ロンドン五輪を思い出した。けがに苦しんだ4年間を思い「あの強さによく戻したな」と感じた。
年に1回くらいしか帰らない娘。連絡はなくても、けがを抱えていることは察していた。「元気か」と送ったメールの返事はいつも「けがしてないよ、ありがとう」。
少しでも足しにと好物のスペアリブなど手作りの料理を送り続けた。
 これまで娘に頼み事をしたのは1回だけ。代表選考に大きな影響がある2015年の世界選手権に出発する当日、空港にいた娘に「ブラジルに連れていってくれよ」
と電話した。ロンドン大会のとき「オリンピックで家族を海外旅行に連れていく」という約束をかなえたことを思い出させて、少しでも気持ちを奮い立たせようという
親心だった。
 リオデジャネイロの会場には応援する家族6人の姿が。「必ず金を取る」というもう一つの約束は果たせなかった。それでも表彰台に上がった娘の笑顔を
見る父の顔も、笑みをたたえていた。


父との約束、力に=戻った「野獣」で銅−柔道松本選手〔五輪・柔道〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080900385

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 19:51:20.05 ID:n5XnOu9d.net
銅メダルの気持ちは?
「うれしいのと悔しいのと。甘酸っぱい気持ちです」
力は出し切りましたか?
「出し切ってきました」
ロンドン五輪からの4年間は?
「長かったです」
いろいろな思いがあると思うが
「今はこの銅メダルをちゃんと受けとめて日本に帰りたいです」

【銅メダル獲得後の一問一答】松本薫、2大会連続のメダルも「うれしいのと悔しいのと。甘酸っぱい気持ち」/柔道
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160809/rio16080906120069-n1.html

3位決定戦で、ようやく本来の泥くさい柔道を見せた。終盤に足技で有効を奪って優勢勝ち。女子57キロ級で連覇を狙った松本は、銅メダルに終わり
「腹の中は煮えくり返っています」と悔やんだ。
準決勝。相手の背負い投げをこらえたところで一瞬、棒立ちになった。その隙を世界ランキング1位は見逃してくれない。2度目の背負い投げで松本の体
がきれいに宙を舞った。「1回目を防げたので、こういう感じか、大丈夫だと思って重心が上がったところにスコンと入られた。試合中に大丈夫なんてことは
ないのに」。開始わずか24秒。顔を覆って畳に突っ伏した。
歯をむきだし、上目遣いで相手をねめつける。右脚を前に踏ん張って低く構える。そのさまは、金メダルを獲得して“野獣”と呼ばれたロンドン五輪を
ほうふつさせた。日本勢に金メダルがない状況で登場したのも前回と同じ。しかし、周囲の状況と自身の内面は明らかに違っていた。
出場者の顔触れは普段の国際大会と大きく変わらないが、「何が何でもメダルを取りに来る執念が違った」という。五輪王者は次の五輪までの間、
国際大会で金色のゼッケンを背中につける。松本はどこの会場でも「金ゼッケン」と指をさされ、「それにふさわしい人間にならなければ」と過剰に意識した。
「みんなが私を見て、研究してくる」と涙を流したこともある。
28歳になり、体調管理にも気を使う中で、さらなる進化を模索。「しんどかった。ないと自分に言い聞かせているだけで、実際にプレッシャーはたくさんあった」。
再び表彰台の真ん中に立った時、どんな思いが胸に去来するのか。その答えを追い求めて走ってきた。
迎えた本番。足技が思うように出せず、リズムに乗れない試合展開が続いた。最後に持ち味を発揮したが、「ああ、終わったー、という感じ」。自分と戦い
続けた4年間が終わった。 

柔道・松本、食らいつき「銅」 最後は泥くささ発揮
http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/list/201608/CK2016080902000234.html

柔道女子57キロ級が行われ、松本薫(ベネシード)は、3位決定戦で連珍羚(台湾)に勝ち、銅メダルを獲得した。
畳に立つ松本に野獣の目が戻っていた。まなざしの鋭さと、他を圧する力で、連覇はならなかったが、2大会連続の表彰台。女王の座に戸惑い、苦悩を続けた4年間だった。
4年前。ロンドンから帰国した松本はマスクで顔半分を隠すようになった。時の人となり、故郷の金沢市に帰省しても周囲の目が張り付く。軽装で出歩くと、
周囲からは女王としての振る舞いを諭された。マスクは「放っておいてほしい」とのサインだった。
古傷の右ひじを2012年11月に手術して約1年後に復帰した。だが海外遠征に行くのも気が重かった。全日本女子の谷本歩実コーチに「遠征に行きたくない。
皆が自分のことを見て研究している」と弱音を吐いたこともある。
04年アテネ、08年北京五輪で連覇している谷本コーチは言った。「皆、あこがれの目で見ているだけ。それにライバルは敵ではない。自分の力を引き上
げてくれる仲間だよ」。少し肩の力が抜けた。
五輪5大会連続メダルの谷(旧姓田村)亮子さんと、松本を帝京大時代に育てた稲田明さん(70)が2人の目つきについて、こう語った。「田村の目は相手
をしびれさせ、吸い込む。強かった相手がなぜだろうというぐらい力を出せなくなる。松本はまた違う。松本の目は相手をねじ伏せる気迫に満ち、
相手を萎縮させる」
元の目つきに戻った時、女王の呪縛から解けていた。大技で貫禄ある勝ち方を求めて調子を崩していたことにも気づいた。世界選手権は一昨年、
2回戦敗退していたが、昨年は頂点に返り咲いた。
リオ五輪で、7分50秒の消耗戦となった準々決勝は疲れが顔に出たパビアに対し、松本は眼光が衰えなかった。悔やまれるのはドルジスレンとの準決勝。
相手の実力を甘くさえ見なければ、開始24秒での敗退は避けられた。銅メダルに「うれしいのと、悔しいのと、甘酸っぱい感じです」。4年間の戦いは終わった。

五輪柔道:戸惑いと苦悩の4年間 松本薫「銅」
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160810/k00/00m/050/047000c

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 19:51:39.32 ID:n5XnOu9d.net
リオデジャネイロオリンピックは8日、柔道女子57キロ級で2大会連続の金メダルを目指した松本薫選手は、準決勝で敗れたあとの3位決定戦に勝って
銅メダルを獲得しました。
オリンピック2大会連続の金メダルを目指した松本選手は、初戦の2回戦を一本勝ちし、続く準々決勝は延長戦の末、優勢勝ちで勝ち上がりました。
準決勝では、去年の世界選手権銅メダリストでモンゴルのスミヤ・ドルジスレン選手と対戦し、開始から僅か20秒余りで背負い投げで一本を取られて敗れ、
3位決定戦に回りました。
3位決定戦では、台湾の連珍羚選手と対戦し、残り31秒で小内巻き込みで有効のポイントを奪って優勢勝ちし、銅メダルを獲得しました。松本選手は前回、
ロンドン大会に続く金メダル獲得はなりませんでしたが、2大会連続でメダルを獲得しました。
また、柔道女子で日本はこれまで行われた3階級すべてで銅メダルとなっています。金メダルはブラジルのハファエラ・シルバ選手で、開催国の
ブラジルにとって今大会、初めての金メダルとなりました。
「何も持たずに日本に帰れないと思った」
松本薫選手は「金メダルを目指していたので負けたときにどう切り替えようかと考えたが、何も持たずに日本に帰れないと思った。一度負けているので
負けられないという思いで戦った」と話していました。
ロンドン五輪後 けがなどで苦戦続くも復活
女子57キロ級の松本薫選手は石川県出身の28歳。2大会連続のオリンピック出場です。ロンドン大会では、豊富なスタミナと競り合いのなかでの
勝負強さを発揮し、柔道で男女を通じて日本唯一の金メダルを獲得しました。
その後、けがの影響などで苦戦が続きましたが、去年の世界選手権で4大会ぶりに優勝し、再び世界の頂点に返り咲きました。リオデジャネイロでは
目指していたオリンピック2連覇はなりませんでしたが、2大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得しました。

柔道女子57キロ級 松本薫が銅メダル
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160809/k10010627821000.html

「ごめん」。柔道女子57キロ級で銅メダルを獲得した松本薫(28)は、スタンドで応援していた家族を見つけると、そう口を動かした。ロンドン五輪に続く連覇の
願いはついえたが、父親の賢二さん(63)は「前回のときより進化した。あのときの強さをよくぞ復活させた」とたたえた。
「薫らしいポカやっちゃったね」。準決勝で敗退したとき、賢二さんはそう思った。しかし3位決定戦では、ロンドン五輪を制した狼のような目付きが戻ってきたように
感じた。
五輪前の2カ月間、松本は家族と距離を置いた。家族がメールで「元気か、けがしてないか」と送ると、「けがしてないよ。ありがとう」とだけ返ってきた。
松本はプロフィル欄に得意技を「気持ち」と記す。5人きょうだいの4番目(三女)。やんちゃだった。木に登ったり屋根に上ったりして怒られた。6歳から
柔道とレスリングを始め、母親の恵美子さん(57)は夫の中華料理店を手伝いながら車で送り迎えした。
学校が終わった後、練習は毎日夜10時まで。土日も休みがなく、12時間続くこともあった。だから両親には娘が学校の友達と遊んでいたという記憶もない。
ロンドン五輪で一躍スターになった松本は戸惑っていた。両親によると、握手を求められ、カメラに追いかけられることに疲れていた様子だったという。鋭い眼光で
「野獣」とあだ名が付けられたが、実家の金沢に帰ってもマスクをして隠れるようになった。両親は次の五輪を目指す娘を支え続けた。野菜や肉をバランス
良く調理したチャーハンを冷凍して送ったりした。
試合後、柔らかな笑顔に戻った松本。「笑顔がやはり似合う子だな」。父親の目に光るものがあった。

【五輪柔道】銅メダルの松本薫、家族に「ごめん」 狼の目から笑顔に
http://www.sankei.com/rio2016/news/160809/rio1608090064-n2.html

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 19:57:34.66 ID:n5XnOu9d.net
2大会連続の銅メダルにも無念の思いしかなかった。海老沼は、世界ランキング1位の安バウル(韓国)に屈した準決勝を悔やんだ。
「4年間、金メダルを取るために走り続けてきた。気持ちで負けて引いてしまった。僕の人生の中で最も悔いの残る一戦になった」
序盤から攻め立て終盤まで指導1つリードしたが、背負い投げを連発する相手に動きが止まった。残り28秒で指導を受け、延長にもつれこんだ。
「攻めないと指導を取られる」と焦り、強引な一本背負いにいって返し技を食らった。
一進一退の攻防が続く中盤、はだけた柔道着からのぞく脇腹を指さした。「脇腹や足がつったようで流れが変わった」と日本男子の井上康生監督。
海老沼は「言い訳になる」と首を振ったが、脱水症状の影響だった。
中学時代と同じ66キロ級に出場するため、試合では10キロ以上落とす。26歳になり、体重は落ちにくくなった。計量1週間前から通うサウナは
以前の3度から8度に増えた。
この日の朝、無作為に指名される当日計量が当たり、厚手の服装で会場入りした。前日の計量から制限体重の5%分が増えていれば失格となるシステムで、
海老沼はその数人に選出された。
2012年ロンドン五輪で銅メダル。同年9月に実家に帰省すると「銅メダルおめでとう」の旗が掲げられていた。母・道子さん(56)に「いつまでも置かないで。
次の目標があるから」と伝えた。居間には幼少期から積み重ねてきた50個以上のメダルやトロフィーが並んでいるが、ロンドンの銅メダルはケースに
入れたままだ。
金メダルだけを目指して過ごしてきた4年間。今後については「少し休んで考えます」と答えるのが精いっぱいだった。 

海老沼、また金届かず銅…準決は「人生で最も悔いが残る一戦」
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160809/rio16080905030042-n2.html

俳優の坂上忍(49)が9日、MCを務めるフジテレビ系「バイキング」(月〜金曜前11・55)で、五輪で銅メダルを獲得した日本の柔道代表選手を巡る
発言について言及。ジャーナリストの木村太郎氏(78)が「銅メダルで謝罪するのはやめましょう」と見解を示したことに対し「トンチンカン」と噛みついた。
今回の五輪で目立つのは、銅メダルを獲得した柔道選手が「申し訳ない」などと謝罪していること。番組では、木村氏が「謝罪はやめましょう。もう日本は
柔道大国ではない」と意見を示したことを紹介した。
この木村氏の発言を受け、坂上は「大先輩ですけど」と前置きしつつ「トンチンカン」と反発。「金メダルを狙いにいっているのに、お情けをかけられたら選手は
どう思うだろうか?」と疑問を投げかけた。
12年ロンドン五輪で代表監督を務めていたタレントの篠原信一(43)は「一般の人は“立派な銅メダル”と声を掛けてもいいと思う」と木村氏の姿勢を擁護。
ただ、柔道家としての立場からは「私は、選手が金メダルのために4年、8年とかけて頑張っている姿を見ている。“お疲れさまでした”は言えても、
どうしても“おめでとう”とは言えない」とコメントしていた。

坂上忍「トンチンカン」“柔道銅での謝罪やめて”発言に反発
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/09/kiji/K20160809013129560.html

国際柔道連盟(IJF)は8日、五輪初参加のコソボで初の金メダルを7日に獲得した柔道女子52キロ級のマイリンダ・ケルメンディが6月にフランスで
ドーピング検査を拒否していたと明らかにした。ロイター通信などが伝えた。
IJFによると処分が科される場合はフランス国内のみで適用される見込み。フランスでの検査は手順などに疑問があったという。ケルメンディは8月7日に
実施されたものを含め、今年に入って複数回のドーピング検査を受けている。
英紙ガーディアンはコソボ連盟の会長が、6月の検査は拒否したが薬物違反は犯していないと述べたことを報じた。

柔道女子金メダルのケルメンディが検査拒否…6月にフランスで - リオ五輪2016
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160809/rio16080911090103-n1.html

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 19:58:53.67 ID:n5XnOu9d.net
リオデジャネイロ五輪柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平(旭化成)は試合後、「柔道という競技の素晴らしさ、強さ、
美しさを伝えられた」と語った。一問一答の詳細は次の通り。
ついに(金メダルを)取った。宣言通りだった
「ありがとうございます。うれしいです」
しかも勝ち方が強かった
「内容的に満足できるものではなかったですけれど、柔道という競技の素晴らしさ、強さ、美しさを、見ている皆さまに伝えられたんじゃないかなと思います」
金メダルを取った瞬間も笑顔が見えるかと思ったら、ほっとしたような表情だった
「そうですね。プレッシャーが大きかったし、周りの声、『金メダルを獲得して当たり前』という声が聞こえていたので、当たり前のことを当たり前にやるという
難しさを改めて感じました」
やっぱりオリンピックというのは独特の雰囲気があるのか
「そうですね。独特な雰囲気はありますけれど、普通の国際大会と一緒ですし、気の持ちよう一つだと思います」
日本柔道に後半に向けて、いい流れが作れた
「明日も旭化成の後輩の永瀬(貴規)がやってくれると信じているので、いいバトンパスができたのではないかと思います」

【五輪柔道】金メダルの大野将平「柔道の美しさ伝えられた」「当たり前のこと当たり前にやる難しさ感じた」
http://www.sankei.com/rio2016/news/160809/rio1608090041-n1.html

ニッポン柔道を救った! 柔道男子73キロ級決勝で大野将平(24=旭化成)がオルジョフ(アゼルバイジャン)に小内刈りで一本勝ち。金メダルを獲得した。
これが日本のエースだ。決勝でも大野の技が冴えまくる。豪快な投げ技でまずは技ありを奪うと、最後は相手の腰をつかんでから鮮やかな小内刈り。
見事に決まって3分15秒、世界の頂点に立った。
それでも大野はニコリともせず、勝ち名乗りを受けた。畳を下りると、ようやく笑顔。プレッシャーから解放されたのか、すがすがしい笑みを浮かべた。
ここまで金メダルゼロのニッポン柔道に待望の金第1号。日本のエースが柔道母国の意地を見せた。
大野の話「(金メダルは)うれしいです。内容的には満足できていないが、柔道の素晴らしさを伝えられたと思う。金メダルを取って当たり前という周りの声も
聞こえてきてプレッシャーは大きかったが、冷静にやれた。オリンピックも普通の国際大会と変わらなかった」

【柔道男子】大野将平が金メダル!「冷静にやれた」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577435/

2015年世界選手権金メダルで世界ランク4位の大野将平(24)=旭化成=が、日本男子では2大会ぶりの金メダルを獲得した。
決勝も一本勝ち。全5試合中、準々決勝を除く4試合で一本勝ちで勝利するなど、圧倒的な力で頂点に立った。
以下、大野のコメント。
「うれしいです。内容的に満足できるものではなかったですけど、柔道の素晴らしさ、強さ、美しさを見ている人に伝えられたと思います。
プレッシャーが大きかった。(勝つのが当然という)周りの声が聞こえていたので、当たり前のことを当たり前にやる難しさを味わいました。
(五輪は)独特な雰囲気はありますけど、ふつうの国際大会ですし、気持ちの持ちようだと思います」

【柔道】金メダルの大野将平、「五輪はふつうの国際大会、気持ちの持ちよう」…男子73キロ級
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160809-OHT1T50017.html

重みがあった
大野将平 気持ちが折れず、冷静かつ大胆にやれた。(金メダルは)重みがあった。インパクトを与えられるダイナミックな柔道、強くて美しい柔道をできることを
証明したかった。金メダリストにふさわしい人間に、もっと成長しなくては。
高レベルの総合力
井上康生男子監督 絶対的な強さを持っていれば勝てることを大野は証明してくれた。高いレベルの総合力を持ち、海外の選手と対等に組み合って勝負できる。
あえて金メダルと言い続ければ、いい形でエネルギーに変えてくれると思っていた。
柔道女子57キロ級の銅メダルを手に笑顔を見せる松本薫(右)=8日、リオデジャネイロ
甘酸っぱい
松本薫 悔しさと、一応メダルを取ったという安心感で甘酸っぱい。準決勝は一瞬の気の緩みが出た。隙をつくらずに自分の柔道をすれば、前回は金メダルを
取ったので、勝てる実力はあった。
厳しい戦い
南條充寿女子監督 動きは悪くなかったが、松本は一瞬の隙を突かれたのが悔しいところ。最初の3日間で何としても金メダルとの思いがあったが、
厳しい戦いを強いられている。

リオ五輪・談話(柔道)〔五輪・柔道〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080900157

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:00:17.54 ID:n5XnOu9d.net
柔道の男子73キロ級が8日に行われ、五輪初出場の大野将平(24=旭化成)が決勝でルスタム・オルジョイ(24=アゼルバイジャン)を下し、
日本柔道男子に08年北京五輪以来となる2大会ぶりの金メダルをもたらした。
4試合中3試合を一本勝ちで決勝進出を決めた大野は、オルジョイにも小内刈りで一本勝ちした。
井上監督から「7人の中で一番金メダルに近い男」とハッパを掛けられている男子のエースが柔道男子を2大会ぶりの頂点に輝いた。
大野は初戦の2回戦でミゲル・ムリジョ(コスタリカ)に横四方固めでまず一本勝ち。3回戦はビクトル・スクウォルトフ(UAE)を内股で仕留めた。
準々決勝はロンドン五輪の66キロ級金メダリスト、シャフダトゥアシビリ(ジョージア)から技ありを奪い、優勢勝ち。準決勝ではバンティヘルト(ベルギー)に
ともえ投げで一本勝ちし、決勝に進出した。

大野将平 初出場で悲願金 柔道男子日本勢では2大会ぶり頂点
http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2016/08/09/kiji/K20160809013128561.html

危うさも、一分の隙もなかった。男子73キロ級を制した大野は決勝で序盤からオルジョフに圧力をかけ続けて技ありを奪い、3分すぎに決着をつけた。内股を強く意識させ、
相手が防御のために重心を
かけた右足を狙って小内刈り。上体を巻き込んで仕留め、一本を奪った。「気持ちが折れず、冷静かつ大胆にやれた」。まさしく圧巻だった。
畳を下りると笑みがこぼれ、表彰台では神妙に一礼。井上監督の顔を見ると涙腺が緩んだ。求道者のような男がのぞかせた感情に、通ってきた試練の
道が重なる。金メダルの重みを感じながら「重圧に打ち勝ち、人として一皮むけた」と自ら言えた。
圧倒的な強さを誇り、己の技術にも絶対の自信がある。それでも4年に一度の五輪で頂点に立つ厳しさを過剰なまでに意識した。「負ける要素を1%でも
削っていく」と言って、常にさまざまな最悪の状況を想定し、それをつぶしていった。
大外刈りと内股を軸に組んで投げる正統派。日本柔道の王道としての期待を真正面から受け止めながら、「根本的な(相手との)差」を求めた。
強さと美しさだけでなく「泥臭く、我慢強く、執念深く」。きれいとはいえない勝ち方を時にはいとわないのも、結果にこだわるからこそだった。
世界王者になった後の13年夏、主将を務めていた天理大の暴力事件で処分を受けた。荒波に飲まれても言い訳せず、「ただただ柔道と向き合うしかない」
と耐えてきた。過去は消せなくても、自身と対話し、頂点への道を追い求めてきた。
4年前のロンドン五輪で史上初めて金メダルゼロの屈辱にまみれた日本男子の姿は「淡々と」見ていた。その雪辱ではなく、あくまで己のため。妥協せず
自我を突き詰め、日本柔道の誇りも取り戻した孤高の人。もう、胸を張っていい。

孤高の王者、隙なく=大野、圧巻の金〔五輪・柔道〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080900196

「自信に満ちた大野らしい柔道で見事だった」。リオデジャネイロ五輪柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平と同じ天理大柔道部の出身で、同級生だった兵庫県
加古川市の公務員、横山広伸さん(24)は、テレビで試合を見守った。
柔道部時代は同じ73キロ級で何度も対戦したライバル。五輪という大舞台での戦いぶりに「危なげなく、安心してみることができた。学生時代に増して、
技の豊富さや応用力が際立っていてすばらしかった。特に準決勝で決めた、ともえ投げは見事だった」と絶賛した。
「リーダー的存在で、いつも部員をひとつにまとめてきてくれた。憧れの存在であり、かつよきライバルだった」という大野。「帰ってきたら同級生らで集まって、
お祝いに飲みにいきたい。心から『お疲れさまでした』と声をかけてあげたい」と感動した様子で話していた。


【五輪柔道男子】金メダルの大野 「自信に満ちた柔道見事だった」 天理大柔道部時代のライバルも祝福 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/rio2016/news/160809/rio1608090062-n1.html

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:00:49.02 ID:n5XnOu9d.net
リオデジャネイロ五輪の柔道は日本時間9日、男子73キロ級の決勝戦と女子57キロ級の3位決定戦が行われ、大野将平(旭化成)が金メダル、
松本薫(ベネシード)が銅メダルを獲得した。
大野は決勝でルスタム・オルジョイ(アゼルバイジャン)に小内巻き込みで一本勝ち。「中量級の僕でもインパクトのあるダイナミックな柔道、
本当に強くて美しい柔道をできるんだということを証明したかった」と語るとおりのフィナーレを飾った。
今大会の日本柔道チームにおける初の金メダルとなったのと同時に、日本男子柔道にとっては2大会ぶりの金メダルとなった。2人のメダル獲得によって、
日本柔道はこの日まで行われた6階級全てでメダルを獲得したことになる。
以下、競技終了後の大野、松本のコメント。
大野「自分を貫き、孤独と戦った」
達成感より安心感の方が強い。いつも通りにやるということを心がけていました。今年は「圧倒的な差」を目標に掲げてやってきた。その稽古を日本で
積み重ねてきた自信はあったので、五輪で出すだけでした。皆さまや周囲から「勝って当たり前」じゃないけれど、そういう声も聞こえていた。そのプレッシャーに
打ち勝つことができて、人間としてひと皮むけることができたのではないかと思います。まず、井上(康生)ジャパンの一員として誇りを持って戦うことが大事。
最強かつ最高の選手を目指す集団なので、そういう目標に少しは近づけたのかなと思います。(ガッツポーズが出なかったが?)相手がいる対人競技なので、
相手を敬おうと思っていました。冷静にきれいな礼もできたのではないかと思います。日本の心を見せられる場でもあるので、よく気持ちを抑えられたと思います。
(表彰式を終えて)井上監督と(母校である天理大学の)穴井隆将監督に会ったら、泣けてきました。井上監督には、よくプレッシャーに耐えたと言ってもらいました。
穴井監督は、本当に一番身近で兄貴みたいな存在です。すべて苦しいことも辛いことも共有してきた仲で、4年前のロンドン(※穴井は2回戦で敗れ、
日本男子は金メダルなしに終わった)は僕も実際に会場で見ていました。穴井先輩の分も、ではないけれど、本当に2人でつかんだ金メダルだと思います。(
表彰式でメダルをかけてもらったときは)重みがありました。でも、これからだぞという気持ちの方が今は強いです。勝った涙というか、今までのことが
思い出せて泣けてきました。ここまでは長かったけれど、あっという間でした。(組んで投げて一本で勝つ、日本の柔道を体現したが?)実際に自分の
柔道を見ていないけれど、逆に聞きたいです。どうでしたか? 日本柔道は、やはり重量級がピックアップされる。そういった面で悔しい部分もありました。
軽量級というか、中量級の僕でもインパクトのあるダイナミックな柔道、本当に強くて美しい柔道をできるんだということを証明したかったし、柔道界の
シンボルみたいな選手になれるように、これからも精進したいです。(もともとは超エリートではないが、ここまで上り詰められた要因は?)負けん気ですかね。
心が折れなかったことです。
自分の強みは?)今日にいたっては、気持ちが折れなかったことです。そして、いつも通り冷静かつ大胆にやれたこと。一番は、集中、執念、我慢。この3つだと
思います。また、それだけじゃなくて、(初めて世界選手権を制した)2013年から「心・技・体」で外国人選手に全部勝って、圧倒的な差を付けるということを
目標にしていたので、自分では分からないけれど、皆さんにそう思っていただけるならありがたいです。(一昨日、昨日は日本勢が金メダルを取れなかったが、
どう感じたか?)井上ジャパンの流れとかはもちろんあるけれど、良い意味で孤独になれて、あまり気にせずに自分は自分というスタンスを貫きとおして、
孤独と戦っていました。(日本柔道の強さをあらためて示せたのでは?)そうだとうれしいです。
(今後は)金メダリストとしてふさわしい人間に、もっともっと成長しないといけない。最強かつ最高の選手、子どもたちに憧れられるような選手を目指しつつ、
少し休んでから東京五輪のことは考えたいと思います。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:02:43.84 ID:n5XnOu9d.net
(銅メダルの味は)甘酸っぱい。悔しさと、メダルを取った安心感と……。銅かあ、と。結果は結果なので納得するしかないのですが。ああ、終わったあ、と。
4年前と今大会の差は?)違っていたのはたぶん(ドルジスレンスミヤとの)準決勝のときに一瞬の隙を作ってしまったこと。(背負いにやられたが)相手が
一回目の背負いに入ったときに全然効いていなかったので大丈夫と思ってしまって、その一瞬の気の緩みのせいで2回目の背負いにきたときに反応
できなかったのだと思います。ストンと入ってしまった。試合中に「大丈夫」なんてことはない。でも思ってしまった。(相手に研究されていた?)いつも
されているので、それは当たり前のことです。ちゃんと隙を作らずに自分の柔道をやれていれば……。今まで彼女と対戦したときは一回しか、
それも自分の調子が本当に悪かった1試合しか負けていなかったので、どこかで勝てると思ってしまっていたんだと思います。
(五輪と他の大会との違いは感じるか?)技のきれが違うということはありませんが、何が何でもメダルを取りにいく執念には違いを感じます。
(自分の執念はどう感じた?)それがあったからこそ、銅メダルを取れたのだと思っています。でも、腹の中は煮えくり返っていますよ(笑)。
(自分らしい柔道はできましたか?)うーん……。たぶん……。でもまだちゃんと考えられていないです。
(体調は?)コンディションは良かったです。(準決勝では相手のどこを警戒していたのか?)どんどん攻めて指導を取りにくるのが彼らの戦い方。
攻め合いになると思っていました。最後まで戦い切るというのが私の想定した戦いでした。(ここまで金メダルを逃した選手の分までという気持ちは?)もちろん、
ありました。私たちは個人戦だけれど、団体戦のつもりで戦っています。みんなで金メダルを取りにいくという気持ちでやっていました。(前の階級の結果は
影響した?)それは関係ないです。彼女たちが届かなかった分まで決勝へ行こうと思っていて、自分の力になっていたので、それは違います。
(連覇への気負いやプレッシャーは?)初戦からなかったですし、試合に関してはなかったと思います。ただ、試合に入るまでの過程について言えば、
あったと思います。「ない」と自分に言い聞かせてきたけれど、実際はプレッシャーもあったんだと思っています。(この4年間を振り返ると?)しんどかったあ……。
その一言。見えないもの。それを自分でどんどん作り出してしまっていたのだと思います。(今後については?)分かりません。(やり残したという思いがある?)
それを言い出したら、きっときりがないと思います。
(いまやりたいと思っていることは?)いまパッと出てきたやつなのですが、試合前に明治製菓さんから(チョコレート菓子の)ガルボを本当にたくさんもらえて、
本当に大量にもらえたので、もうこれをすごく気持ち悪くなるくらい食べられるんだな、と(笑)。それくらいですかね。(最後、スタンドのご家族には?)
「ごめんなさい」をしました。

金メダルの大野「自分を貫いた」 柔道大野、銅メダル松本コメント(スポーツナビ) - リオオリンピック特集
http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608090003-spnavi

今の気持ちは
大野:達成感よりも安心感のほうが強いです。
何を考えて試合に臨んだ
大野:「いつも通り」を心がけていました。圧倒的な差を目標に掲げて、その稽古を積み重ねてきた自信はあったので、あとはそれを出すだけ。「勝って当たり前」というような声も聞こえていたし、プレッシャーを乗り越えて、人間的にもひと皮むけられたと思う。
男子柔道は2大会ぶりの金メダル
大野:井上ジャパンの一員として誇りを持って戦えた。最強かつ最高の選手を目指す集団なので、それに少し近づけたかなと思う。
表彰式後の涙はいつから
大野:井上(康生)監督と会ったら、泣けてきました。勝った涙というより、今までのことが思い出されて、泣けてきました。
メダルを手にして
大野:重みがありましたね。今はこれからだぞという思い。金メダリストとしてふさわしい人間に成長していかなくてはならないと改めて思いました。
今大会もここまで日本柔道は金メダルがなかった
大野:流れというのはあるけど、いい意味で孤独になれた。自分は自分のスタンスで行こうと孤独と闘っていました。
2020年は東京五輪だ
大野:「最強、最高」を目指しつつ、まずは少し休んでから考えたい。もちろん、東京でも金メダルを目指したいと思っています。

【柔道男子】金メダル・大野「井上監督と会ったら泣けてきました」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577490/

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:04:11.58 ID:n5XnOu9d.net
表彰台で下げた金メダルに重みを感じていた。日本男子に8年ぶりの金メダルをもたらしたのは優勝が本命視されていた大野将平だった。
井上康生監督から「重圧によく耐えた」と声を掛けられた瞬間、ぐっとこらえていた涙があふれた。
 オルジョイとの決勝も前に出続けた。押し込んだ場外際で、内股から転じた小内刈りで相手を畳に打ちつけて頂点に立った。頭が畳につくほど足を
はね上げる内股や、相手を翻弄(ほんろう)する、ともえ投げなどを繰り出し、全5試合のうち4試合で一本勝ちした。
男子は金メダルゼロに終わったロンドン五輪の雪辱を目指した。初日の60キロ級の高藤、2日目の66キロ級の海老沼とも銅メダル。同じ
世界選手権優勝経験者でも頂点にたどり着けなかった。その重苦しい空気を払うに十分な圧倒的な勝利だった。
救世主的存在となったが、もとから目を引く選手だったわけではない。故郷の山口を離れ、中学から進んだ東京都の柔道私塾「講道学舎」では、
最初は周囲との実力差が歴然としていた。だが次第にレギュラー級が大野との練習を避け始めた。脅かす力を蓄え始めたからだ。2学年上にいた
海老沼も「負けても負けても将平は向かっていった。高校で強くなった」と振り返る。
一本勝ちを狙う柔道を貫く天理大で技を磨き、2013年世界選手権を制覇。旭化成に進み、15年世界選手権も制覇した。所属先で指導する1996年
アトランタ五輪金メダリストの中村兼三監督が「組み合って大野に勝とうと考える選手は、もういないだろう」と評価する域に達した。
日本柔道は重量級が看板となってきた。だが窮地からの復活劇の主役は大野が担った。「中量級でもインパクトのあるダイナミックで、強くて美しい
柔道をやっていけることを証明したかった」。負けん気を力に半歩ずつ進化をしてきた24歳が、リオで大きく輝いた。

五輪柔道:「重圧によく耐えた」大野、男子8年ぶりの金
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160809/k00/00e/050/169000c

圧倒的な強さにスタンドを埋めた観客は総立ちになった。「泥臭く執念深くやる姿を見せたい」。柔道男子73キロ級を制した大野将平(24)は、
リオデジャネイロに出発前にそう話していたが、むしろ華麗で豪快な柔道に観客は魅了された。
「弟には『よく頑張った。ご苦労さん』と声を掛けてあげたい」。共に柔道を習った兄の哲也さん(26)はリオのスタンドで満面の笑みを浮かべた。
大野は兄の影響で5歳から柔道を始める。「大きな人を投げ飛ばせるのが面白くて、柔道にはまった」。だが、小学生のときはすぐに泣く子だった。
勝っても泣いた。
大野が入団していた松美柔道スポーツ少年団長の植木清治さん(65)は「強くなりたいとよく言っていた。彼はなんといっても心がある。負けん気だ。
とにかく攻める子で、チャンスを身につける癖を持っていた」と語る。
結果が出るようになったのは小学校高学年。体は小さかった。他の子と比べ、頭一つ小さく、横幅も半分ぐらい。体重を増やすため1日4食にし、
あえて太りやすい就寝前に食べた。
3年前の夏、主将を務めていた名門・天理大柔道部で、先輩から後輩への暴行事件が発覚する。「柔道を辞めたい」とつぶやいたこともある。
謹慎処分になり山口の実家へ身を寄せた。天理大の柔道部の数人とやってきて泊まった。一人になるのが怖かった。毎日、かつて通ったスポーツ団に来る
子供に稽古を付け、「ここが僕の原点だ」とかみしめた。
騒動は乗り越えたが、頭には白髪が増えた。「感謝の気持ちを忘れたら、人生はおしまいだからね」。母親はそう念を押した。
2014年世界選手権で負けたとき、「母さん、世界で一番強いのは俺でしょ」と意地を張った。でも文子さんは「負けを認めないと強くなれないよ」と発破をかけ、
五輪に視線を向けさせた。
リオのスタンドには騒動の舞台となった天理大柔道部のOBも大勢駆け付けた。会社経営の脇谷政孝さん(54)は「天理柔道の神髄を見せたいと言っていた。
いろんな辛いことがあったけど、必ず頂点を取ってくれると信じていた」と胸を張った。

【五輪柔道】「柔道辞めたい」暴行事件から飛躍 圧倒的な強さで金メダルをつかんだ大野将平
http://www.sankei.com/rio2016/news/160809/rio1608090069-n1.html

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:05:12.74 ID:n5XnOu9d.net
リオデジャネイロオリンピック、柔道男子73キロ級で大野将平選手が金メダルを獲得しました。柔道の日本勢としては、今大会、初めての金メダルです。
オリンピック初出場の大野選手は、初戦の2回戦と、3回戦をいずれも一本勝ちし、準々決勝は優勢勝ちで順当に勝ち上がりました。
準決勝はベルギーのディルク・ファンティヘルト選手と対戦し、終始、攻め続けて「技あり」と「有効」のポイントを奪い、さらに残り1分余りでともえ投げを決め
て一本勝ちしました。
決勝はアゼルバイジャンのルスタム・オルジョフ選手と対戦し、1分40秒すぎに内股で「技あり」のポイントを奪うと、3分すぎには小内巻き込みを決めて
一本勝ちしました。
柔道の日本勢では今大会、初めての金メダルで、柔道の日本男子としては史上初めて金メダルなしに終わった前回、ロンドン大会のあとの強化を経て、
2大会ぶりの金メダル獲得となりました。
また、今の階級で行われるようになった2000年のシドニー大会以降、日本が男子73キロ級で金メダルを獲得するのは今回が初めてです。
「金メダル当たり前という重圧が・・・」
大野将平選手は「柔道という競技のすばらしさや強さ、美しさを伝えられたと思う。金メダルを取って当たり前というプレッシャーが大きかったし、当たり前のことを
当たり前にやることの難しさを感じたが、試合中は案外、冷静になれた」と話していました。
井上監督「潰されそうになったときも」
日本の柔道男子では2大会ぶりとなる金メダルを獲得した大野将平選手について井上康生監督は、「彼はプレッシャーを乗り越えられると思って、あえて
『金メダルに最も近いのは大野だ』と言い続けてきたが、それを乗り越えて金メダルを獲得して本当にすばらしい柔道家だと思う」とたたえました。
そして「国内の最終合宿では、プレッシャーから練習がうまくいかないこともあって、時に潰されそうになった彼の姿も見た」と大野選手が思うような練習ができず、
精神的に苦しんだ時期もあったことを明かしました。
日本の柔道陣はここまですべて銅メダルで、競技3日目に登場した大野選手が最初の金メダルとなり、井上監督は、「皆さんの期待に応えられてほっとした
気持ちはある。大野選手が自分やチームを救ってくれたと思うし、この金メダルがこれからの柔道チームに大きな力を与えてくれる」と力強く話しました。
大野選手の母親は
大野将平選手の母親の文子さんは、「たくさんの人が応援してくれて、夢がかなったのでよかったと思います。本人には『お疲れさま、おめでとう』と言いたいです。
8日午後6時すぎに、本人から『よく眠れた。いつもどおりやる』と連絡があったので、大丈夫かなという思いで決勝を見ていました」と話していました。
切れのある内股と大外刈りが得意技
男子73キロ級の大野将平選手は山口県出身の24歳。切れのある内股と大外刈りが得意技で、世界選手権では3年前と去年の2回、優勝しています。
高い技術に加えて、外国選手にも負けないパワーをあわせ持ち、攻撃的な姿勢で相手を圧倒する持ち味の柔道を初めてのオリンピックでも発揮して、
柔道の日本男子に2大会ぶりの金メダルをもたらしました。
東京にあった柔道の私塾、講堂学舎の出身で、オリンピック金メダリストの古賀稔彦さんや吉田秀彦さん、それに66キロ級銅メダルの海老沼匡選手が
先輩になります。73キロ級は、世界選手権は2010年から日本選手が5大会連続で優勝していますが、オリンピックでは現行の階級区分で
行われるようになった2000年のシドニー大会から金メダルがなく、前回の中矢力選手の銀メダルが最高でした。
出身地の山口市で大歓声
大野将平選手の出身地、山口市では地元の人たちが集まって試合を観戦し、金メダルが決まった瞬間、大きな拍手と歓声がわき起こりました。
大野選手の出身地の山口市にある吉敷地域交流センターでは大野選手が小学生のときに稽古を積んでいた「松美柔道スポーツ少年団」の関係者や
子どもたちなど地元の人たちおよそ80人が集まり、大型スクリーンで決勝の様子を見守りました。
集まった人たちは開始とともに大きな声援を送り、大野選手が技を繰り出すたび、旗を振ったり拍手したりして応援しました。
そして、開始から3分すぎ、大野選手が一本勝ちして金メダルが決まった瞬間、大きな拍手と歓声が沸き起こりました。
スポーツ少年団で柔道の稽古をしている男子児童は「金メダルを取ると思っていました。うれしいです」と話していました。
また、大野選手がスポーツ少年団時代に指導した植木清治さんは、「見事な金メダルでした。すばらしい選手に育ってくれて感無量です」と話していました。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:06:24.35 ID:n5XnOu9d.net
出身大学ある奈良の天理市でも歓声
リオデジャネイロオリンピック、柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平選手の出身大学がある奈良県天理市では地元の人たちが集まり、柔道の
日本勢として今大会、初めての金メダルに喜びを分かち合いました。
大野選手は奈良県天理市の天理大学を卒業し、今も大学院に通っています。
試合が行われた8日夜から9日朝にかけては市の施設に応援会場が設けられ、地元の人や大学の学生などおよそ80人が大型テレビの中継映像を見ながら
声援を送りました。
決勝まで勝ち上がった大野選手が序盤で「技あり」のポイントを奪うと会場では歓声が上がりました。
さらに3分すぎに小内巻き込みを決めて一本勝ちすると大歓声が沸き起こり、集まった人たちは「金メダルおめでとう」と書かれたくす玉を割って勝利を祝いました。
夜通し応援した天理大学の女子学生は「柔道のすばらしさと感動を世界中に見せてくれたと思います。先輩の雄姿が見られて本当にうれしいです」と話していました。
また、大野選手が在籍した天理大学柔道部OBの60代の男性は「金メダルのプレッシャーがあるなか、すばらしい精神力で戦ってくれました。金メダルを
獲得できてほっとしています。とにかく『おめでとう』と声をかけてあげたい」と話していました。

柔道男子73キロ級 大野将平が金メダル | NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160809/k10010627841000.html

深々と一礼し、畳を下りると、ようやく白い歯がのぞいた。柔道日本男子2大会ぶりの金メダル。「気持ちを抑えるのに必死でした」。決勝では小内刈りで
一本勝ち。決まった瞬間、ガッツポーズは見せなかった。「相手を敬う心が日本の柔道」。男女2階級ずつを終え、金メダルなしで迎えた3日目。
大野将平選手が日本柔道の誇りを取り戻した。
「最高かつ最強に少し近づけた」。因縁のリオで強さを証明した。2013年8月。この地で世界選手権を初制覇した。その1週間後、主将を務めていた
天理大柔道部の暴力事件が発覚。凱旋(がいせん)は追及会見に変わった。
その夜、逃げるように大学のある奈良県天理市に帰った。ハンドルを握ったのは世田谷学園高(東京)監督だった持田治也さん。柔道私塾「講道学舎」の
師範として中学から高校まで大野選手を指導した。「窓の外をずっと見つめ、サービスエリアに寄ってもトイレも行かなかった。ずっと思い詰めていた」。
約5時間の長い道のり。大雨が容赦なく車をたたきつけた。
手を振り下ろす行為は、いかなる理由があっても許されるものではない。3カ月の選手登録停止処分を受け、謹慎生活。山口市の実家に身を寄せ、
全日本柔道連盟(全柔連)に強化指定選手の辞退届を提出した。トップ選手にとって実質的な「引退届」を意味するものだ。
多くを語る男ではない。「あの時を抜きに今の僕はない」とだけ振り返る。再起のきっかけをつくってくれたのは柔道を始めた同市内の松美スポーツ
少年団の子どもたち。「純粋に柔道を楽しむ姿に接して笑顔が戻るようになった」。母の文子さんと、付き添った同級生で天理大の副主将だった
安田知史さん(現福岡県警)の言葉は一致する。帰省中は優勝した世界選手権の映像を繰り返し見て安田さんと議論を交わした。強くなりたい
欲求は失われていなかった。
「先生やチームメートに支えられた」と24歳は実感を込める。「辞退届」は全柔連に受理されずに留め置かれていた。
同階級の日本人金メダルは所属先の旭化成の監督でもある中村兼三氏が1996年アトランタ大会で当時71キロ級を制して以来の快挙。
「今日は気持ちが折れなかった。集中、執念、我慢が自分の強み」。内面を見つめ直した男の強さは、リオの畳で凝縮されていた。

柔道金の大野、因縁リオで強さ証明 「最高かつ最強に近づけた」 - 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nsp/riodejaneiro_kyushu/article/265203

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:08:19.55 ID:n5XnOu9d.net
決勝で一本勝ちしても直後の大野に笑顔はなかった。「柔道は相手のある競技。礼も含め五輪は日本の心を見せる場」。一方で表彰式に向かう際、涙を拭った。
柔道のエリートコースを歩いた。小学1年の時、兄哲也さん(26)=山口県警=の後を追い、山口市の「松美柔道スポーツ少年団」で柔道を始めた。居
残り練習を欠かさず、小学4年から全国大会で活躍し、中学生になると兄に続いて、東京の柔道の私塾・講道学舎に入門した。
柔道の名門・天理大に進み、1年時から国際大会で優勝するなど活躍して、4年時は主将を務めた。しかし、その夏から秋にかけ、部の体罰問題が発覚する。
複数の4年生部員が1年生部員十数人の顔を平手打ちするなど暴力を振るい、うち1人が鼓膜を破るけがをした。大野は現場に居合わせたほか、自らも
1年生1人に2回平手打ちをしたことがあるとされた。
その夏にリオで開かれた世界選手権を制した直後。世界王者も体罰に関わったとするニュースは社会に衝撃を与えた。大学から30日間の停学処分を受け、
全日本柔道連盟からは3カ月間の登録停止処分を受けた。
殺到する取材を避けるため大野は天理大のある奈良を離れ、山口市の実家に2週間ほど身を寄せた。原点である松美柔道スポーツ少年団の練習場に通い、
子どもの練習を眺め、時に稽古(けいこ)をつけた。心労で一気に白髪が増え周囲は心配したが、「他の部員を守らないといけない」と批判を甘んじて受けた。
東日本大震災の被災地でのボランティアも経験し、程なくして一線に復帰するが、すぐに結果は出なかった。14年世界選手権は4回戦敗退。徐々に復調して
15年世界選手権と今年春の選抜体重別選手権で、相次いでロンドン五輪代表の中矢力(27)=ALSOK=を決勝で降し、リオ五輪の出場権を得た。
「しんどい時は俺らが背中を押すから」「俺らの誇り将平行けよー!!」。この日、スタンドで応援した哲也さんは、大野の天理大柔道部時代の同級生が
メッセージを記した日の丸を掲げた。
大野は日本男子柔道の金メダル候補筆頭格として、無難な試合運びで決勝に駒を進め、鮮やかな小内刈りで締めくくった。「もっと強くなれるし、
金メダルにふさわしい人間に成長していかなければいけない」。東京五輪に向け最強で最高の柔道家を目指す。

五輪柔道:大野、逆境バネに 体罰問題乗り越え
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160809/k00/00e/050/225000c

二〇一三年夏に世界選手権を初制覇。リオ五輪に向けて最高のスタートを切った直後、当時主将だった天理大柔道部内の暴力問題が明るみに出た。
自身も後輩部員を平手打ちしたとして、大学は停学処分に。全日本柔道連盟からは三カ月の競技者登録停止処分を科された。
近しい人たちは「大野はむしろ、上下関係など理不尽な慣習をなくそうとしていた」とかばった。本人は黙して処分を受け入れたが、もんもんとする日々。
周囲の視線と「天国から地獄」という声が胸に刺さった。山口市に帰省し、母の文子さんに「もう柔道をやめようかな」と弱音も漏らした。しかし、少年時代に
通った道場で子どもたちに胸を貸すと、喜々として向かってきてくれた。柔道への意欲を取り戻した。「俺は大丈夫。ゼロからやり直してもまた一番になれる」。
少年時代に指導した松美柔道スポーツ少年団団長の植木清治さんは自らに言い聞かせるような大野の言葉が忘れられない。文子さんには「東京五輪まで頑
張ってみるよ」と決意を伝え、新たな一歩を踏み出した。
処分が解かれた後も清掃活動などに従事し、リオの選手村でも落ちているペットボトルを拾い集めた大野。葛藤を乗り越えての戴冠に「最強かつ最高の選手、
金メダルにふさわしい人間に成長しなければいけないと思う」と力強く話した。 

東京新聞:柔道・大野「金」 葛藤乗り越え「最強、最高に」:
http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/list/201608/CK2016080902000235.html

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:12:12.53 ID:n5XnOu9d.net
本家復権を期す日本男子に2大会ぶりの金をもたらしたのは、73キロ級の大野だった。井上監督が「根こそぎ持っていく」という鋭い技と、そ
れを生み出す肉体が強さを裏付ける。
 オルジョフ(アゼルバイジャン)を下した決勝で一本を取った技は内股と見せかけて惑わせ、防ごうとした相手が体重を乗せた右足を捉えた小内刈り。
上体を巻き込んで倒した。重心をずらすテクニックは、大野の真骨頂だった。
 軸とする得意技は同じ刈り技の大外刈り。組み手で襟や肘のみならず脇の下を取り、脇が開いて力が抜けた相手の体を横にずらすことでバランスを
崩して右足を刈る。この理論を高校までに身に付けて武器にしてきた、と恩師の一人は言う。
 それでいて自分の軸はぶれない。大野の体について、ある指導者は「中に太い軸があって、外側にあるバネとともにダブルで動くから体が支えられる」と分析。
自動車で安定性と衝撃吸収の役目を果たすサスペンションに例え、そう評す。
 強靱(きょうじん)な力をいつでも、何度でも使える。決勝の一本は残り1分45秒。技ありを奪った内股を始め、技をかけ続けてもなお、切れのある決め技
を終盤に繰り出した。試合の5分間で筋肉を全力で何度も使える能力は先天的なものもあるという。「体をフルに使う柔道だから負担が大きい」と自覚し、
計画的にケアしてきた。
 国立スポーツ科学センターで筋量の変化を緻密に記録している。毎年世界選手権がある8月をめどにして、過去にいい状態で迎えた試合のデータと
照らし合わせて細かく調整してきた。リオにピークを合わせて、力を出せたのは必然だった。

強さ裏付ける技と肉体=大野、必然の金−柔道男子〔五輪・柔道〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080900698

こんな柔道が見たかった。こんな柔道家が見たかった。組む、投げる、一本で勝つ。そして、五輪という最高峰の舞台で勝ち、なおかつ武道の礼節を示す。
「最強かつ最高の選手」を目標に掲げてきた大野将平(旭化成)が、見事にやってのけた。
リオデジャネイロ五輪の柔道は日本時間9日に第3日を行い、大野は男子73キロ級の決勝戦でルスタム・オルジョイ(アゼルバイジャン)を
小内巻き込みによる一本で下して初の金メダルを獲得した。前回のロンドンで初めて金メダルなしに終わった日本柔道男子にとって悲願の金メダルだったが、
大野は喜びを爆発させることなく静かに一礼をして畳を去った。
試合直後には「対人競技なので、相手を敬おうと思っていた。冷静にきれいな礼もできたのではないかと思う。日本の心を見せられる場でもあるので、
よく気持ちを抑えられたと思う」と冷静に話してもいたが、表彰式後に井上康生日本男子監督や、先輩である穴井隆将天理大学監督と言葉を交わすと、
こみ上げる思いを抑えられずに落涙。ストイックな求道者の一面と、人間味あふれる青年の一面がわずかな時間に交錯した。
磨いた内股と大外で織り成す超攻撃的柔道
試合は、とにかく強さが際立った。組んで投げる柔道を身に付けてきた道のりをそのまま再現するかのような勝ち上がりだった。初戦は、組むやいなや
足払いで相手を倒し、寝技で一本勝ち。3回戦は、内股で一本を奪った。準々決勝は、ロンドン五輪66キロ級の王者に腰車で技ありを奪い、その後も
得意の大外刈りを仕掛けて試合を押し切った。柔道私塾・講道学舎で鍛錬していた当時、高校進学と同時に恩師の持田治也監督から「担ぎ技だけでは
頭打ちになる。正面から組め。前に出ろ。内股と大外を磨け」とスタイルの変化を要求され、超攻撃型柔道を磨いてきた成果だった。
大野は「内股は兄貴のまねをして作り上げた技。大外はゼロから自分で作った技。持田先生に言われて、とにかく自分よりも大きな相手にかけ続けたし、
打ち込みも毎日1000本くらいやった。当時はやる意味が分からなかったけれど、ふとしたきっかけで掛かるようになって、初めて自分の得意技と
言えるものになった。原点は、あの一言だった」と振り返る。内股と大外刈りを武器に攻め続け、隙を待つのではなく、積極的に揺さぶって技を
たたき込む柔道は、リオの舞台でも世界の強豪を圧倒した。準決勝は、巴投げで一本。決勝は、大内刈りで技ありを奪ってさらに攻め続け、
最後は小内巻き込みで一本勝ち。全4試合を通じて、ひたすら大野が攻めて技を決めるという圧勝劇だった。

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:13:55.62 ID:n5XnOu9d.net
大野は「2013年の世界選手権(初優勝)の後、外国人に心技体のすべてで勝って圧倒的な差をつけることを目標にしてきた。日本柔道は、
やはり重量級がピックアップされる。そういった面で悔しい部分もあった。軽量級というか、中量級の僕でもインパクトのあるダイナミックな柔道、
本当に強くて美しい柔道をできるんだということを証明したかった」と攻撃柔道を貫いてきた裏にあった思いを明かした。
そして、今大会の優勝で大野が見せた凄みがもう一つあった。優勝後の振る舞いだ。柔道を通じて見せたいものは、強さだけではなかった。
畳の上で相手を無視して喜びを爆発させることなく、礼を重んじて静かに畳を降りた大野は、笑顔を見せるだけに留めていた。当然、いきなりできることではない。
礼節に関しては、講道学舎で技を磨いた中高生時代にもよく教えられていた。一つのきっかけは、まだ大野が中学2年生だった05年の世界選手権にあった。
男子90キロ級の決勝戦は、講堂学舎の先輩である泉浩(アテネ五輪、同級銀メダル)と内戦が起きていたグルジアからギリシャに17歳で亡命したイリアス・
イリアディス(アテネ五輪、81キロ級金メダル)の対戦だった。
多くの関係者が激励に駆け付けた泉に対し、亡命先で指導してくれる監督もコーチもいないイリアディスは、その場で他選手に頼んで打ち込みをしているほど
孤独だった。試合は、泉が一本勝ち。初めて世界王者になった喜びを爆発させたのは、当然だ。すると、イリアディスが泉の手を掲げ、彼こそが王者だと
アピールしてみせたのだ。
応援に駆け付けていた泉の恩師・持田は一部始終を見て大きなショックを受け、「あの瞬間に、人として負けたと思った。若くして相当な苦労をしている
イリアディスのことを思うと、オレたちは、あんな選手を育てられるだろうかと思った。手柄を挙げて称えられたいと思うのが悪いとは思わないけれど、
あのときから、メダルを取ることだけに執着するような器の小さい人間を量産したところで、オレたちの仕事に意味はあるのかなと思うようになった。だから、
教え子である海老沼匡や大野には、圧倒的な強さを求めつつも、冷静にたくさんのものを愛せる選手になってほしいと思って、この話は常にしていた」と
当時の教え子だった大野らに、自分一人の欲に走らない柔道家になる大切さを伝えてきた。
柔道界のシンボルを目指して
だから、大野は自分のために泣くことなく、周りの人を思って涙を流した。強くなりたい。それも圧倒的に。しかし、強いだけになってはいけない。
大野が歩いてきたのは、金メダルへの道だが、その先の「最強かつ最高の柔道家」へと続く道だった。井上監督は、リオ入りしてからの様子を見る中で、
ゴミとして放置されていた空のペットボトルを大量に拾い集めて歩く大野の姿を見たと話す。
世界選手権を2度制し、五輪の金メダルを獲得してもなお、道半ば。大野は、今後について「メダルには、重みがあった。でも、これからだぞという
気持ちの方が今は強い。柔道界のシンボルみたいな選手になれるように、これからも精進したい。金メダリストとしてふさわしい人間に、もっともっと
成長しないといけない。最強かつ最高の選手、子どもたちに憧れられるような選手を目指しつつ、少し休んでから東京五輪のことは考えたい」と話した。
メダルは、金色だから最高に価値がある。そして、最強かつ最高の男のメダルだから、もっと価値がある。

金の大野、最強かつ最高の柔道家へ 超攻撃型柔道と勝って忘れぬ礼節の心 
http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608090005-spnavi

柔道の女子57キロ級で銅メダルを獲得した松本薫(28=ベネシード)が、9日放送のフジテレビ「とくダネ!」(月〜金曜前8・00)に生出演。柔
道五輪3連覇の野村忠宏氏(41)が放った“天才発言”を暴露した。
松本は、男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平(24=旭化成)とともに出演。番組MCの小倉智昭キャスター(69)と野村氏が、
現地の別スタジオから出演した。
3位決定戦を制した直後、野村氏と言葉を交わしたことを明かした松本。すると「野村さんに『悔しいです』と言ったら、『いや〜俺、銅獲ったことないから
分かんねえや』と言われました。そうだ、この人天才だったんだと思った」と暴露。スタジオが笑いに包まれた。
小倉キャスターは「野村さん、そういう時はもっと言い方変えなさいよ」と笑顔でツッコミを入れ、野村氏は「素直にです」とニヤリ。和やかな雰囲気で
番組は進行した。

松本薫 野村忠宏氏の“天才発言”を暴露「俺、銅獲ったことないから」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013129370.html

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:18:29.96 ID:n5XnOu9d.net
柔道の女子57キロ級で銅メダルを獲得した松本薫(28=ベネシード)と男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平(24=旭化成)が、
9日放送のフジテレビ「とくダネ!」(月〜金曜前8・00)に生出演。大舞台での戦いを振り返った。
大野は五輪初出場で金メダル。「自分の持ち味が出せました。5試合とも投げて勝つことができたのでよかったです」と充実の表情で語った。
一方、松本は「やっぱり金メダルが…」と五輪連覇を逃した悔しさを率直に吐露。隣に座る大野の金メダルを見つめ、「大野の金メダルを
見れば見るほど…、くそ〜、甘酸っぱい気持ちでいっぱいです」と笑顔で語った。
また、小倉智昭キャスター(69)から今後について聞かれた松本は「まだ考えられてないです」と進退については明言せず。金メダルを獲得した
ロンドンからの4年間を「ゼッケンが金に変わるので、その重みがとても大きかったですね」と振り返った。

松本薫 大野将平の金メダル見つめ「くそ〜、甘酸っぱい気持ちでいっぱいです」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013129180.html

デジャネイロ五輪は第4日の8日(日本時間9日)、柔道女子57キロ級の3位決定戦を行い、松本薫(28=ベネシード)が連珍羚(28=台湾)
を優勢勝ちで下し、銅メダルを獲得した。
前回ロンドン大会では金メダルを獲得。連続金メダルとはならなかったが、2大会連続でメダルを手にした松本。惜しくも準決勝では世界ランク1位の
ドルジスレン・スミヤ(モンゴル)に1本負けし、「金メダルを目指していたので、負けた時はどう切り替えようと思ったが、何も持たないまま日本に帰れないと
思って闘った」と3位決定戦に臨み、見事メダルを獲得した。
表彰式を終え、松本は9日放送(日本時間)の日本テレビ系の情報番組「スッキリ!!」(月〜金曜前8・00)にVTRで生出演。「目指していたものは
金メダルですが、メダルを取れたという安心感で…甘酸っぱい気持ちです」と心境を告白した。
前回ロンドン大会からの4年間は「すごく長かった。何回もやめようかと思ったことがあった」と明かしたが「父をリオに連れて行くという約束をしていたので、
それが大きな原動力になりました」と笑顔で語った。プレッシャーも強く感じていたといい、重圧から解き放たれた松本は「(日本に帰ったら)温泉に入りたい」と話し、ほっとした表情を見せた。

松本薫 2大会連続メダル 帰国したら「温泉入りたい」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013129150.html

4年前の松本は体が勝手に動いている、という感じだったが、この日はしっかり相手の対策を練り、計算された組み手を展開していた。
ふわふわしている感じもなく、試合にきっちり集中できてもいたと思う。だが、準決勝でたった1度だけ、その組み手を間違った。松本の右手、
つまり釣り手を持てないうちに、ドルジスレンの強烈な背負い投げを受けたシーンだ。
準決勝前には長いブレークがあるが、その後のファーストコンタクトでの過ちが勝負を分けるのだから、やはり試合は怖い。ただし、直後に行われた
3位決定戦できっちり勝ち切ったのは、28歳の精神的成長のたまものだろう。また、以前なら「金以外は負け」と気持ちが切れている選手もいたが、
今大会の日本はすべての階級でメダルを獲得し続けている。これは現在の強化スタッフが「メダルの重み」を理解し、価値観を共有できている証拠だと思う。

松本薫 計算された組み手が乱れた準決勝 それでも集中切らさず
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013128960.html

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:20:10.55 ID:n5XnOu9d.net
畳を降りるまですっかり顔色が抜け落ちていた。平静なわけではなかった。空っぽの心に悔しさが満たされると、中村の瞳に涙があふれた。
「いろいろな人の支えがあってここまで来られた。いろいろな人の思いを乗せて戦って取った銅メダル。凄く重みのある銅メダルです」
4年前にロンドン五輪で初戦敗退した時、中村は“支え”を失っていた。1つは左膝を支えるじん帯だ。09年に前十字じん帯を損傷したが、
翌年に東京での世界選手権を控えていたために温存療法を選択。壊れた膝はどんどん無理が利かなくなっていった。
ロンドン五輪後にじん帯の再建手術を受けたのも、あくまでも「普通の生活をするため」。引退を考えていた。北京五輪で銅メダルを獲得してから、
一心不乱に金メダルだけを目指してきた4年間。その夢がかなわず、それでなお柔道を続ける心の支えは自分の中でのどこを探してもなかった。
しかしリハビリ生活が競技を続けるきっかけを与えてくれた。スキーやサッカーなど他競技のアスリートに出会う中で、柔道の恵まれた環境に気づき、
競技とのさまざまな向き合い方も気づいた。彼女たちの応援に出かけ、今度は自分が応援される番だった。引退するわけにはいかなくなった。
「競技によってルールも違えば試合時間も違うし、その中での集中力の出し方も違う」。彼女たちからトレーニング法を学んだり、フェイントを
組み手に生かせないかとボクシングにも実際に挑戦した。上野雅恵コーチは「手術をすると刈る力が弱くなる。それが戻ってきている。ロンドンの時とは
体も足の粘りも全然違う」と話していた。膝の支えも、心の支えも万全だった。
「いろいろな人に出会って、いろいろな経験をしてきた。柔道だけをやってきたロンドンまでで終わるより、またリオに挑戦できて良かった。北京の時よりも
全然成長していると思う」。そのことを証明するためにも金メダルが欲しかった。
ロンドン五輪後に世界女王の座を分け合ってきたケルメンディと初対戦した準決勝。相手のパワーに押されて開始26秒で受けた指導1つの差を詰められずに
敗れた。「向こうのほうが一枚上だった」。3位決定戦では地元のミランダを延長戦で下してメダルだけは死守した。
2大会ぶりの銅メダル。これまでの五輪との違いを問われると声を震わせて言った。「北京は実力差を感じたけど、今回はいろいろな経験をして成長した自分
で勝てなかったのが悔しい」。頂点に届いたはずと思うからこそ悔しさが募る。中村の3度目の五輪が終わった。

中村美里 五輪3度目も金には届かず…「重みある」けど「悔しい」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013126170.html

アスリート仲間で中村が「師匠」と呼んで慕っているのが、アルペンスキー女子の清沢恵美子(32)だ。
清沢も12年と13年に右膝のじん帯を損傷するケガを負い、東京都北区の国立スポーツ科学センターのリハビリ施設に通っていた。親しくなったのは
中村から「おいしいクレープ屋さんがあるので今度一緒に行きましょう」と誘われたこと。話をするうちに清沢は「この子はなんか無知だなと思った。
言い方は悪いけど、もっと伸びるんじゃないかな」と感じたという。
治療といえば「アイシング」と答えていた中村にトレーナーを紹介し、サプリメントの適切な摂取方法なども指南。現役続行を悩んでいた時期には
「まだまだやれるよ!あと2大会できる」とエールも送った。この日、自宅のテレビで観戦した清沢は「悔しそうでしたが、頑張る姿に感動しました」と
3位決定戦でのこん身の勝利に中村の凄みを感じていた。

中村 クレープで親しくなった“師匠”清沢「頑張る姿に感動しました」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/09/kiji/K20160809013127300.html

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:25:52.04 ID:n5XnOu9d.net
1分44秒に内股で技ありを奪って先手を取った。激しくなった相手の攻めを冷静にさばき、技を出し続けた。最後は3分15秒、小内巻き込みで
美しい一本を奪った。
勝敗が決まった後も笑顔より先にホッとしたした表情が出た。畳を降りるとようやくわずかに笑みが出た。「うれしいです。内容的に満足できるもの
ではなかったですけど、柔道という競技の素晴らしさ、強さ、美しさを見ているみなさんに伝えられたんじゃないかなと思います。(ホッとした表情は)
プレッシャーが大きかったので。金を取って当たり前という声も聞こえてきたので、当たり前のことを当たり前にやる難しさを感じました。冷静にできたかな
と思います。(五輪は)独特な雰囲気がありますが、ほかの国際大会と違わないし、気持ちの持ちようだと思います。明日も旭化成の後輩の永瀬がやってくれると信じているので、いいバトンパスができたんじゃないかと思います。
表彰式では照れもあるのか笑顔は見せなかったが、金メダル授与で名前がコールされるとようやく笑顔が出た。柔道会場では初の君が代では
胸の日の丸に手を当てて口ずさんだ。記念撮影でも最初は硬い表情だったが、回数を重ねるごとにテレが消えたのか笑顔になった。
セレモニーを終え「(金メダルは)重みがありますね。やっと安心して実感が湧いてきました。(最低でも金という言葉があったが)最高ですね。
内容は反省するべき点もありました。もっと強くなっていきたいです」とメダルの実感を口にした。入場時に目を拭っていたことを聞かれると
「井上(康生)監督と会って涙が出ました」と正直に話した。最後は「まずはゆっくり休むこと。そして金メダルにふさわしい人間に成長していかないと。
まだどうなるか分かりませんが、20年に日本で東京オリンピックがあるので、目指していかないといけないなと思います」と早くも次の目標を掲げた。

大野将平が一本で頂点!日本男子2大会ぶり金メダル - 柔道 : 日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1691675.html

男子66キロ級の海老沼匡(26)も、ロンドンに続く2大会連続の銅メダルに終わった。
止まらぬ汗をしたたらせ、海老沼は実直に敗者の弁を口にした。「情けない気持ちでいっぱいです」。
準決勝の試合中に体に異変が起きた。「いや、なんでもないです」。決して言い訳をしない男は、2度目の夢舞台でもそのさがを変えない。
代弁した井上監督によれば、「脇腹から足をつった状態」。昨年世界王者の安バウル(韓国)を相手に優勢に進めた中盤だった。しつこい背負い投げに、
普段ならしない審判へのアピールを多用。終盤に指導差で追いつかれると、延長戦では返し技で有効を奪われ、敗れた。「引いてしまった。あの一戦は
僕の人生の中においても悔いが残る」。言葉に失望が満ちていた。
変えようとしたものもあった。旗判定が覆る事件の動揺を引きずり準決勝で敗れたロンドン五輪。その後、精神的な弱さを克服しようと「冒険」を続けた。
せんべいを手土産に、1人でフランスに武者修行。東京・渋谷でもジャージー姿で歩いた服装も、14年に結婚した香菜夫人(28)の勧めも受けながら、
オシャレに挑戦した。「広く冷静に対処できる自分をもっともっと増やしたい」。その一心で4年間を過ごしてきた。
約11キロの減量苦から、近年は100%の力を試合で発揮できなかった。この日の異変も関係ないとは言いきれない。「少し休んで考える」今後は、
73キロ級へ階級変更する可能性が高い。

海老沼匡は銅「あの1戦は悔いが残る」準決中に異変 - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1691826.html

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:38:32.73 ID:n5XnOu9d.net
柔道女子57キロ級で前回ロンドン五輪金メダルの松本薫(28=ベネシード)は3位決定戦に勝ち、銅メダルを手にした。準決勝で一本負けして2連覇はならなかったが、2大会連続でメダルを手にして
“野獣”健在を証明。次回の2020年東京五輪出撃も視野に入れている。
開始24秒、背負い投げでの一本負け。準決勝は、あっという間の決着だった。世界ランキング1位の強敵ドルジスレン・スミヤ(25=モンゴル)の
背負い投げは警戒していたものの「1回目が効かなかったので大丈夫と思ってしまった。気の緩みが対応できなかった原因」。持ち味の粘り強さを
発揮する前に試合が終わった。
それでも、3位決定戦では連珍羚(28=台湾)に優勢勝ちして銅メダルを獲得。連は今年5月の「マスターズ大会」で一本負けした嫌な相手だったが、
大舞台でリベンジを果たした。
ロンドンでは日本柔道唯一の金メダルを獲得。連覇の重圧は「試合中はなかったけど、それまでの過程でありました。この4年間は、しんどかった」。
表に出さない苦悩があった。
今後について聞かれた瞬間、館内に大音量で雑音が流れ「こんな感じです」と苦笑い。「分かりません。やり残したなんて言いだしたら多分、
キリがない」と続けた。
実際、これで最後になるとは限らない。松本はリオ五輪を最後に引退することを示唆していたが、最近、親しい関係者に現役続行をにおわせる言葉
を口にするようになった。
「東京五輪って、すぐそこでやるんですよね。後輩に強い選手がいなければ、やってみたいな」
実は、衰えとは無縁。東京・八王子の高尾山を上り下りするランニング練習では初めて往復合計48分を切り、自己ベストを更新した。28歳にして、
なんと体力も進化。成長が止まらないそうで「ロンドン前に追い込んでいた時より速いんですよ。4年たって伸びているって、すごいですよね!」と
胸を張るほどだ。
母国開催の東京五輪で“野獣”が3大会連続のメダル獲得に動くのか。3位決定戦で見せた眼光の鋭さからすれば、どんでん返しの展開が
現実味を帯びている。

【柔道】“野獣”健在の銅・松本薫 2020年東京五輪出撃も
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577657/

と分かってましたから。ふと、かけました。計算はしません。
もうそろそろ出発の日だなと。そうしたらちょうど成田にいましたので」。娘のモチベーションを上げるために、初めて注文を出した。
その短い一言を受けて戦った世界選手権。娘は見事に世界女王となって応えた。道はリオにつながった。
親子の絆。石川・金沢で暮らす調理師の父は、今でも定期的に東京にいる娘に食事を送る。プラスチックの食品保存容器に入れて、温めれば
食べられるようにして。遠征が少ないときは2カ月半に1回のペース。リクエストが必ずある。「スペアリブの香味ソース炒め」。骨付き肉の脂肪を完全に抜く。
ニンニクショウガは強め。幼少期から好んだ味だ。
父は「スーパーに出ている肉は全部買いますね。5パックとか。そんなに簡単に作れないので、リクエストがきたら2日間はもらいます」と、恒例行事を説明する。
食事を通してつながる親子関係に、松本は「めちゃくちゃおいしいですよ」と感謝は絶えない。サポートをし続けてくれた父の初めての願い。だからこそ、「
お父さんのために私は頑張る」と公言してきた。
その言葉を受けた父も娘と一緒に戦った。多いときは40本以上吸っていたたばこを控えたのは理由がある。リオまでの長時間フライトに耐えられるように。
娘にはなぜ禁煙していたのかは説明していないが、「きついなあ」と明かす顔はどこかうれしそうだった。
この日、松本は準決勝で一本負けし、顔色を失った。3位決定戦では相手を射抜くような鋭い視線で襲いかかり、銅メダルを獲得した。「何も持たないで
日本に帰れないと思いました」。試合直後、首を小刻みに左右に振って悔しさをにじませた。表彰式を終えると「うれしいのと悔しいのと、甘酸っぱい感じです」
と少しだけ笑みを浮かべた。その雄姿は観客席から見守った賢二さんにしっかりと届いた。

松本薫を銅に導いた「スペアリブの香味ソース炒め」 - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1691731.html

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:42:24.41 ID:n5XnOu9d.net
初日の日本柔道は金メダルに届かなかった。男子60キロ級の高藤直寿(パーク24)も、女子48キロ級の近藤亜美(三井住友海上)も銅メダル。
どちらも力はあった。動きもよかった。それでも負けた。これがまさに五輪ということ。金メダリストになるには何かが足りなかったこと、
それでもあきらめずにメダルへの執念をみせたことに価値がある、2つの銅メダルだった。
高藤23歳、近藤21歳で迎える初めての五輪だった。率直な感想を言えば、2人ともよくやった。ただ、負けた試合は特にそうだが、やはり若さがみえた。
なまじ調子が良かったために「いつでもチャンスがある」と2人は思い、2人に勝った選手たちはそれぞれ「チャンスは一瞬」と考え、その一瞬にかけた。
その差が出たのだと思う。
近藤は長所も短所も含めて、近藤そのものだった。準々決勝、技ありを先にとられ後が無くなった直後に、カザフスタンの選手を執念で横四方に組み伏せた。
あそこからのギアチェンジと逆転勝利は実力者であっても難しい。あれこれ頭で考えずに開き直って、自分を信じて突き進むことができる。3位決定戦でも、
延長に備えたペース配分など考えず、4分間の最後の最後で投げを打ってポイントと勝利をものにした。だが、準決勝で対戦した海千山千の
パレト(アルゼンチン)にはその良さも勢いも封じ込まれた。
けんか四つで珍しく右のつり手が引けた。しめたと近藤が思った瞬間に逆に先に担がれた。パレトが本気で投げの勝負に出たのはこのときだけで、
あとは技ありのリードで逃げ切るべく、ほとんどの技は場外近くで仕掛け、寝技への展開も許さなかった。一度転がりだした負の流れを近藤は最後まで
止められなかった。準々決勝の逆転勝ちの意識もあって、寝技にこだわり過ぎた部分もあった。立ち技でプレッシャーをかけ、パレトへの指導が重なるように
仕向けながら、機を見て寝技で勝負という選択もあった。近藤にはルールも生かした二段構えの「ずる賢い柔道」ができるほどの成熟さはまだない。
高藤は、彼らしい思い切りが少しばかり鈍ったようだった。これは気後れというより、責任感がそうさせたのだろう。彼ならもっとおおらかに戦えると思っていたが、
五輪に立って、これまで隠れていた一面が表出したのかもしれない。初めてみる慎重な高藤だった。
多くの日本選手が嫌う接近戦もかって出る、型にはまらない独特の技や攻めは相手に予測させない強さがある。それゆえに変則と異端の頭目のように
見られてもいる。そんな高藤だが、この日ばかりは勝手が違って、攻めがやや無難なものになった。そうはいっても根っこのところは攻め一徹の選手である。
手堅くいこうと思っても、急に守りが堅くなるものでもない。
準々決勝で背後に回られ、浮技のような技で一本を取られた。相手に先に指導が与えられたとき、一息つけたようにみえた。その虚を突かれて、相手の
技をふわっと受けた。防ぐなら防ぐで、あそこは両手を離して畳に這いつくばってでも技を防ぐべきだった。
頂点に立てる外国人選手は、こういう半端なことをしない。ふわっとした時間を一瞬たりとも作らない。日本人はリードした後の守りは休みの時間と思いがちだが、
そこに落とし穴がある。ただ一度のチャンスにすべてをかけてくる技は半端な気持ちでは防げない。柔道の強さと勝負の強さはイコールではない。
高藤は変則ともいわれる自分の柔道を貫こうとして負けたのだろうか。スタイルを捨ててまで勝ちを欲して、それでも勝てなかったのか。答えは本人
にしかわからないし、本人にも整理して考える時間が必要かもしれない。
ただ、これだけは言っておきたい。柔道に正統も異端もないと私は思っている。異端が悪いわけでもなく、チャンピオンになる者は、必ず異端児の
性格を持っているものである。彼らの個性は、何かしらの形で鋭くとがっている。しかしまた、いざ勝負となると余計な角がとれ、いくらでも丸くなれる。
それが経験というもの。年季を経るほどに、異端と正統を自分のなかで都合よく使い分けられるようになるのである。
近藤に勝ったパレトは母国アルゼンチンに柔道で初めての金メダルをもたらした。今回の最軽量を制した選手が男女ともにやや盛りを過ぎた
ベテランだったことを、日本の若い2人には覚えていてもらいたい。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:48:42.11 ID:n5XnOu9d.net
「柔道ニッポン」背負うことの重圧
世界選手権とも違う、五輪で「柔道ニッポン」を背負うことの重圧を高藤も近藤も初めて味わったことだろう。だがパレトにも母国で柔道のパイオニア
として背負ってきたものがある。乾坤一擲(けんこんいってき)にかけた長い歳月がある。2日目以降に出てくる日本選手たちにも、そのことに想い
をめぐらせてみてほしい。
負けというのは後日になってみないと意味が定まらないところがある。触れられて痛いだけの古傷で終わるのか、苦い良薬として稽古や試合に役立てるのか、
すべては本人次第。2日目が出番となる男子66キロ級の海老沼匡と女子52キロ級の中村美里は、4年前のロンドン五輪では「負け組」だった。海老沼は
銅メダル、金を確実視された中村はメダルに届かなかった。いまも地力はあるが、両人ともにいささか「旬」は過ぎたと見られている。
悔しさに震える高藤と近藤の姿は、4年前の自分たちを思い出させて、身につまされるかもしれない。しかしまた海老沼と中村は、初日の勝者にいまの
自分を重ねて、色めき立ってもいるのではないだろうか。「追い風が吹いてきた」と。

高藤と近藤、若さ出た柔道初日の銅メダル
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO05783560X00C16A8000000/

これほどの強さを満座の前で示した日本の柔道家を見るのはいつ以来だろうか。男子73キロ級の大野将平は、このリオ大会をもって一つの完成をみたと思う。
近年、柔道の国際化が進むにつれて、他国の格闘技にルーツを持つ多様なスタイルが流入し、本家である日本柔道といえども不動の規範ではなくなっていた。
そこへ、この大野の戴冠である。大げさでなく、これは日本柔道の「教科書」だ。井上康生や野村忠宏が五輪を去った後、十数年にわたって絶版になっていた
教本の新装版がお披露目された。「こういう柔道をしましょうよ」と日本の選手が国内外に手本を示した値打ちは、金メダル1個分にとどまらず、
計り知れないものがある。
ムラなし大野、力勝負も平然と
5戦を通じて、大野が示した立ち技の多彩さはどうだ。彼の柔道の中心には内股と大外刈りという2つの大技があり、対戦相手は常にその影におびえていたが、
本人はそこにこだわらなかった。決勝の相手オルジョイ(アゼルバイジャン)を仕留めたのは小内刈り。バンティヘルト(ベルギー)との準決勝は足技あり、
担ぎ技ありで、ポイントで相手を追いこんだ後の「一本」は意外にも、ともえ投げで仕留めた。
自分の身を捨ててかけるともえ投げとは、相手に返される危険が少ないため、反則を避けてポイントリードを守るための偽装攻撃として用いられることが多いが、
大野は決め技の確信をもってこれを仕掛けた。内股に備えていたところに「まさか」のともえ投げ。相手の予測や用心を超えていた。
ロンドン五輪の66キロ級金メダリスト、シャフダトゥアシビリ(ジョージア)との準々決勝で奪った技ありは、力勝負を制したものだった。こういう力自慢の
外国人選手との対戦で、日本選手は技にいったところを裏投げなどでよく返される。このため相手との距離を極力保ち、飛びこんで技に入るようにとコーチに
諭される。対して、多くの外国人選手は接近戦に持ち込むことに日本選手との試合の勝機を見いだそうとする。
大野は接近戦で相手に譲らなかった。踏ん張る相手を、大外刈りから腰車へと体勢を移しながら強引に横倒しにした。「日本人が柔道をするのに、
何を譲ることがある」と語っているようだった。
もともと大野には技の切れがある。王様然とした風格がある。技が切れるがゆえに「いつでも仕留められる」と思うのか、ひところは様子見が続いて勝ちみが
遅れたり、相手の逃げやじらしにイライラして、無理な体勢から技をかけては返し技を食ったりしていた。そういうムラが今回、いささかも見られなかった。
終始一貫ポーカーフェース。勝った後のインタビューに「五輪もいつもの国際大会と変わらない」と、平然と答えた。
五輪がほかの大会と同じであるはずがない。そしてまた、井上監督に「おまえがエースだ」と責任を負わされた大野が、五輪の怖さに無自覚で
いられるわけもない。自覚したからこそ、五輪を「いつもと同じ」と思えるまでに自分を鍛え上げたのだ。「大野は完成した」と私が思うのは、
そんな精神面も含めてのことである。
相手の逃げやごまかしを討つのには虚々実々の駆け引きを辞さないが、真っ向勝負なら受けて立つ。見ているこちらを一度もハラハラさせず、
「次はどうやって料理するの?」とワクワクさせて、しかも最後の「一本」には予測のつかない技を持ってくる。胸のすく思いがしたし、楽しかった。
大野についてはそれ以上、語る言葉がないと思う。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:50:25.89 ID:n5XnOu9d.net
かつてのオーラなかった松本
男子に新チャンピオンが誕生した日、女子の旧チャンピオンは五輪連覇の夢を絶たれた。57キロ級の松本薫は、銅メダル獲得という自分の仕事を全うしたが、
4年前の彼女でないことは、柔道とは縁遠い人がテレビ画面越しに見ても伝わっていたのではないだろうか。
かつてのオーラがない。足の運びはいつものように前進していても、往時はあったフィジカルの迫力を感じない。野獣は野獣でも手負いの獣。
上背のあるパビア(フランス)との準々決勝をどうにか制したが、技が出ずに延長を含めて8分近くを戦った。3時間あまりの休憩を挟んで体力は回復しても、
気力までは立て直せなかったのかもしれない。準決勝の開始24秒でドルジスレン(モンゴル)に背負われ、きれいに1回転した。
五輪連覇の道はあまりに遠い。一つの階級にめぼしい選手がいくらもいない国ならいざしらず、日本選手には特に。長丁場の代表選考レース、
うち続く国内外の試合と合宿に著しい損耗を強いられる。初めて頂点を極めるまでの旅はつらいながらも楽しいが、既に知っている眺めをまた見るため
に4年の風雪を耐えるのは気が重い。たとえそれが、どれほどの絶景であってもだ。
2度目の頂点を目指した松本は9合目で倒れたが、それでも後に続く選手のためにメダルリレーというロープを断ち切らないでくれた。ありていに言えば、
今回の女子チームには男子の大野ほどの強者(つわもの)はいない。だから、金メダルとは言わない。7人によるメダルリレーを最後まで全うしてもらいたい。

日本柔道の強さ示した大野、完成形の新王者  :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO05853360Z00C16A8000000/

世界一美しい。こう評される柔道は、初出場の舞台でも揺らぐことはなかった。8日(日本時間9日)の男子73キロ級で、大野将平(24)は、
圧倒的強さで2大会ぶりに日本男子柔道に金メダルをもたらした。「もっと強くなれる」。柔道界のエース誕生の裏には、先輩から後輩に託された思いもあった。
4試合中3試合を1本で勝ち上がり、迎えた決勝戦でも、大野は、冷静さを欠くことはなかった。3分15秒。内またで追い込み、最後は小内刈りで仕留めた
畳を下りてから、ようやく笑みが漏れ、「柔道という競技の素晴らしさ、強さ、美しさを見ている皆さまに伝えられたんじゃないかと思う」と力を込めた。
4年前に開催されたロンドン五輪では、大野の姿は観客席にあった。当時は天理大3年で、大学の研修で現地に派遣され、全階級の試合を間近で見た。
だが男子は史上初の金メダル「ゼロ」に終わった。
エースとして信頼を置かれていた大学の先輩、穴井隆将(現・天理大柔道部監督)が100キロ級で2回戦負けを喫する場面にも間近に見た。大野の母、
文子さんによると、試合後、大野と穴井は、泣きながら2人で話し合ったという。穴井は大野に引退の意向を示し「後はお前に託す」と告げたという。
ただ、翌年、大野自身に試練が訪れる。主将になった天理大柔道部で先輩から後輩への暴力が発覚。停学処分を受け、一時試合からも追われた。
多くの人の支えと努力で苦難は乗り越えた。そして、勝ちの難しさや負ける悔しさを肌で感じた大野。だからこそ「リオでは勝てるはずだ」と、穴井は話していた。
一方の大野は、リオは穴井の借りを返す戦いではなく、あくまでも「自分自身のために戦う」と言ってきた。ただ、文子さんは「穴井さんの分も無念の気持ちを
晴らすという思いはきっとある」と確信していた。
迎えたリオの舞台。大野は、期待通りの強さを見せつけた。そして試合後、大野は穴井の元に駆け寄ると、首に、そっと金メダルを掛けた。
 「もっと強くなれる。金メダルにふさわしい人間に成長していかなければならない」。名実ともに柔道界のエースを継ぎ、大野は早くも4年後の東京五輪を見据えた。

【五輪柔道男子】大野に託された元全日本柔道エースの思い…金メダルをとり「もっと強くなれる」
http://www.sankei.com/west/news/160809/wst1608090077-n1.html

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 22:48:32.91 ID:n5XnOu9d.net
柔道男子73キロ級で金メダルに輝いた大野将平(24=旭化成)と柔道女子57キロ級銅メダリストの松本薫(28=ベネシード)が、一夜明け会見に臨んだ。
リオ五輪柔道日本の金メダル1号となった大野は「昨日は興奮して寝つけなかったけど、心地よい疲労感。金メダルを獲得して安心感が強かったけど、
達成感も感じられるようになってきた」と徐々に喜びも増してきている様子。続けて「試合は勝負だし、甘くないので勝ち方にこだわって色気を出すのは捨てた。
結果、一本勝ちが多かっただけ。戦っているときは指導ひとつでもいいと、泥臭く戦えた」と勝因を振り返った。
4年後の東京大会では連覇の期待もかかる。「出たいですね」と話すものの「あと4年あるので今はしっかり休みたい。何が起こるかわからないので
小さな目標を立てて、一日一日大切に過ごしていきたい」と慎重だった。
また松本は「勝ちたかった気持ちとメダルを取れた安心感は今も同じ。甘酸っぱい気持ち」と試合後と同じ心境を語り、東京五輪については「う〜ん。
東京五輪は出たいですね。出たいね〜。だけど現実的にはどうなるかわからないので考えます」と語った。

【柔道】金・大野「泥臭く戦えた」銅・松本「東京五輪は出たいですね」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577998/

柔道で8日に金メダルを獲得した男子73キロ級の大野将平(旭化成)と、銅メダルだった女子57キロ級の松本薫(ベネシード)が試合から一夜明けた9日、
リオデジャネイロ市内で記者会見した。
大野は「心地よい疲労感がある。きのうは安心感が強かったが、だんだん達成感を感じられるようになった」と心境を語った。
柔道の日本男子にとって2008年北京五輪以来、2大会ぶりの金。「結果的に一本勝ちが多かったが、勝ち方にこだわって色気を出すことは捨てた」と、
勝負に徹していた戦いを振り返った。本家の復権を「体が強い外国選手を日本人が心技体で上回れると証明したかった」と喜び、満足感に浸った。
松本は連覇を逃し、「勝ちたかった気持ちとメダルを取れた安心感で今も甘酸っぱい」と試合直後と変わらない言葉。9月には29歳になる。4年後の
東京五輪に水を向けられると、「出たいけど現実的にどうなるか分からないので、考えます」と明言しなかった。

大野「だんだん達成感」=金メダルから一夜明け〔五輪・柔道〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080900950

一瞬の気の緩みで、連覇の夢がついえた。女子57キロ級準決勝で敗れた松本は銅メダルの味を「甘酸っぱい」と表現した。悔しさと、メダルで果たした
責任感が同居する。でも、「腹の中は煮えくり返っている」。これが本心だった。
 開始24秒、相手につかまれていた右袖を切った瞬間、膝をつく低い姿勢からの背負い投げを浴び、回転して畳に落ちた。ドルジスレンとの相性は良く、
その前にかけられた背負い投げに怖さがなく油断した。「試合中に大丈夫なんて絶対にないのに」と思っても、後の祭りだった。
 前回ロンドン五輪で不振を極めた日本柔道にあってただ一人、金メダリストになった。成し遂げた後の空虚感と重圧。手術もあった。次に目指すものも
定まらなかった。授かった教えと勢いで手にした金とは違うものを求めてもがき、答えを探した4年間だった。
 進化をテーマに幅を広げようとした。得意の形は足技で崩して寝技に持ち込む泥臭いスタイル。内股など大技で一本を取る形を求め、その限界も知った上で
原点に戻った。その過程を経て「今は自分で考えて畳に立っている」と感じていた。
 ひと回り成長した姿で取る二つ目の金メダルに意味を求めてきた。それだけに、力を出し切れず手にした銅メダルへの悔いは、ことさら深い。

銅の悔い「煮えくり返る」=松本、隙突かれ連覇逃す―柔道女子〔五輪・柔道〕 -リオオリンピック特集 - Yahoo! JAPAN
http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160809-00000088-jij-spo

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 23:40:15.30 ID:n5XnOu9d.net
柔道男子73キロ級で初出場の大野将平(旭化成)が頂点に立った。柔道の金メダル獲得は今大会初。170センチの小柄な大野が長身の海外勢を
投げ飛ばしていく秘訣(ひけつ)は、道着の中に隠されている。力強さを生み出しているのが、隆起した背中の筋肉だ。競技人口も多く、高い身体能力を
持つ選手が集まると言われる中量級を制した原動力なのだ。
奥襟を取られると、動きが押さえつけられるものだが、大野の強みは奥襟を取られるのを苦にしないこと。たいていは長身の相手の方が覆いかぶさるように
奥襟を取ってくるが、背筋と体幹の強さで崩されない。逆に引き手で相手の重心を崩して意のままに操る。180センチのオルジョイとの決勝も引きながら左右
に振り、最後は内股からの連絡技の小内刈りで一本。内股やともえ投げで、5試合中4試合で一本勝ちを収めた。
「全日本男子の筋力強化のテーマは、一貫して『引く力』。背中の筋力を鍛えるため、引いて、引いて、引きまくる」と、代表チームでトレーニング指導を
担当する守田誠氏は言う。合宿ではロープのぼりや、ロープ引き、懸垂など引く力を鍛えるメニューが並ぶ。
2013年6月から担当する柔道競技歴のない守田さんが動きを観察し、「柔道で押す力は相手との距離を保つためのもの。相手を崩すのは引く力だ」と感じた。
それを実証するように海外有力選手は分厚い背中を持っていた。
筋力強化は金メダルゼロだったロンドン五輪からの再起を使命に立ち上がった井上康生監督体制の特色だ。柔道界では伝統的に「動きが硬くなる」と筋トレ
を敬遠する風潮があったが「固定観念だ」と見直した。人一倍、熱心に取り組んだのが大野。拠点の天理大(奈良)から筋トレのため定期的に1週間単位で
上京して味の素ナショナルトレーニングセンターに通った。「体幹が弱い」との評価は過去のものとなった。井上監督も大野について「技術力は他を寄せ付けず、
海外の選手と対等に組み合って勝負できる肉体的な強さもある」と評する。
ロンドン五輪で味わった日本男子史上初の金メダルゼロは、国際化した「JUDO」で遅れが出始めたことを示していた。「心技体全てで海外選手に勝ち、
圧倒的な差をつけたい」と誓った大野の有言実行は日本柔道の前途に明るい光を照らした。

五輪柔道:大野、鋼の背で金つかむ
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160810/k00/00m/050/124000c

リオ五輪柔道男子73キロ級金メダルの大野将平(24)=旭化成=と、女子57キロ級銅メダルの松本薫(28)=ベネシード=が競技から一夜明けた9日、
リオデジャネイロ市内で揃って会見した。
試合について大野は「今回は勝ち方にこだわることは捨てた。指導ひとつでも良いという気持ちで我慢強く、執念深く、泥臭く戦った。近年、外国人選手に
なかなか勝つことができなくなったのは事実だけど、日本人でも心技体で上回ることが出来ることを畳の上で証明できたと思う」と語った。次回の20年
東京五輪について、松本は「出たいよね〜。出たいよね〜」と大野や取材陣に投げかけ、笑いを誘っていた。

【柔道】松本、20年東京五輪「出たいよね〜」…一夜明け会見
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160809-OHT1T50154.html

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 19:16:55.19 ID:Q5W/Wm7B.net
柔道女子63キロ級準決勝で、昨年世界選手権3位の田代未来(22=コマツ)が難敵クラリス・アグベニュー(23=フランス)に
優勢負けを喫して金メダル獲得はならなかった。
パワフルな柔道が持ち味のアグベニューには過去5戦全敗。大会前から田代が最も意識していた相手だ。序盤から激しい組み手争いを
繰り広げたが、どうしても相手に先に技を仕掛けられてしまう。攻め手が見いだせないまま、大内刈り、内股の猛攻を浴びた。
なんとかしのいでいたが、残り30秒というところで場外に足が出てしまい、痛恨の「指導」を取られた。わずかな残り時間で必死の反撃を試みるも及ばず、
3位決定戦に回ることになった。

【柔道女子】田代未来 フランスの天敵に敗れ3位決定戦へ
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/578084/

リオデジャネイロ五輪は大会第5日の9日、カリオカアリーナで柔道女子63キロ級を行い、田代未来(みく)=コマツ=は3位決定戦で、
ヤーデン・ジェルビ(イスラエル)に優勢負けし、メダル獲得はならなかった。今大会の柔道競技で日本勢がメダルを逃したのは初めて。
田代は試合開始34秒、腰車で有効、さらに56秒に大内返しで技ありを奪われた。その後、攻め続けた田代に対し、積極的戦意に欠けるなどとして
ジェルビに相次いで指導が与えられたが、及ばなかった

【五輪柔道】田代未来が3位決定戦敗退、今大会の柔道で初めてメダル逃す 女子63キロ級
http://www.sankei.com/rio2016/news/160810/rio1608100032-n1.html

田代は序盤から果敢に攻めたが、34秒に腰車で有効を奪われると、56秒には大内返しで技ありも奪われ劣勢に立たされた。逆転を狙い何度も
内股を繰り出すもあと一歩及ばず、悔し涙を浮かべた。
田代は「たくさんの方々が支えてくれて、背中を押してくれたのにも関わらず、こういう結果になってしまって本当に申し訳なく思ってます。
勝たなきゃ意味がない」と言葉を絞り出した。
準々決勝では、クラリス・アグベニェヌ(23)=フランス=に優勢負けを喫し3位決定戦へ回った。

南條充寿・女子監督の話
田代はやってきたことを全て出したが、攻めるべきところでいけない弱さが出た。(4日間で金メダルゼロに)チャンスである軽い方の階級で
銅3個は非常に厳しい結果だ。

田代未来、銅メダルならず涙「本当に申し訳ない」/柔道 - リオ五輪2016
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160810/rio16081004590042-n1.html

相手は一枚上だった。組み手で優位に立たれると、腰車で「有効」、勝負にいった内股もすかされて「技あり」を奪われた。ポイントで後のなくなった田代は必死に
前に出た。相手には「指導」が3度与えられたが、あと一歩及ばす。メダルに届かず5位に終わった。
田代は目に涙を浮かべながら「本当にここまでたくさんの方々が支えてくれて背中を押してくれたのに、こういう結果になって申し訳ない。(準決勝で
難敵アグベニューに健闘したが)勝たなきゃ意味がない」と話した。
ここまで銅メダル3個の女子代表では、初めてメダルを逸した。この悔しさは4年後に東京で晴らすしかない。

【柔道女子】63キロ級・田代未来は5位 涙浮かべ「申し訳ない」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/578093/

弱さが出た
 永瀬貴規 金メダルしか狙っていなかったので、悔しい。思い切りのなさが敗因。臆病になって本来の動きを出せず、縮こまった。
自分の弱さが出た。4年後の東京へ向けて頑張りたい。
まだ強くなれる
 井上康生男子監督 彼の力の50%も出せていなかった。敗れた後に気持ちを切り替えて、よく3位を勝ち取った。まだまだ強くなれる選手。こ
の経験が必ず彼を成長させてくれる。
怖かった
 田代未来 本当に五輪を大きく感じていて、怖かった。勝たないと意味がない。ここまでたくさんの方が支えてくれて、背中を押してくれたにもかかわらず、
こういう結果になって申し訳なく思う。
残念でならない
 南條充寿女子監督 (準決勝は)田代がこれまでやってきたことを全て出せたが、最後の最後で場外の指導でぼろが出たのが残念でならない。
もう少し支えてあげたかった。

リオ五輪・談話(柔道)〔五輪・柔道〕:時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081000067

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 19:30:44.35 ID:Q5W/Wm7B.net
リオデジャネイロオリンピック柔道男子81キロ級で9日、永瀬貴規選手が銅メダルを獲得しました。
オリンピック初出場の永瀬選手は、去年の世界選手権のチャンピオンで、前日の大野将平選手に続く金メダルが期待されていました。
しかし、準々決勝でアラブ首長国連邦の選手に袖釣り込み腰で有効をとられたあとポイントを取り返すことができず敗れ、敗者復活戦に回りました。
敗者復活戦では、前回のロンドン大会の銅メダリストで、カナダのアントワンヌ・バロアフォレスチエ選手と対戦し、3分すぎに背負い落としで一本勝ちしました。
そして3位決定戦では、世界ランキング1位でジョージアのアブタンディル・チリキシビリ選手と対戦し、終盤にさしかかる3分40秒に、得意の内股で有効の
ポイントを奪って優勢勝ちし、銅メダルを獲得しました。
この結果柔道男子は、4日連続でメダルを獲得しました。
また、金メダルは、ロシアのハサン・ハルムルザエフ選手でした。
永瀬「表彰式で改めて悔しさ」
永瀬選手は、「準々決勝で負けてから気持ちを切り替えてメダルを獲得できたのはうれしいが、表彰式では改めて悔しさがこみ上げてきた。次のオリンピック
まで長いが、この悔しさを忘れず、まずは目の前の大会を勝っていきたい」と話しました。
準々決勝の敗因については「勝ちたいという気持ちから安全策を取って臆病になってしまった。思い切り踏み込めず、自分の力を出し切れなかった。
足りなかったのは技術ではなく気持ち」と反省していました。
永瀬選手とは
永瀬選手は長崎県出身の22歳。初めてのオリンピック出場です。
長い手足を生かした足技や寝技が得意で、世界選手権は初出場だったおととしは5位でしたが、去年はこの階級の日本選手で初めて優勝を果たしました。
柔軟な組み手や巧みな体の使い方で外国選手のパワーをいなす戦いぶりは、相手の力を吸収しているようだと高く評価されています。
81キロ級は外国勢の層が厚く、オリンピックで日本選手がメダルを獲得したのは、現行の階級区分となった2000年のシドニー大会で金メダルの
瀧本誠選手以来、4大会ぶり2人目です。

柔道男子81キロ級 永瀬が銅メダル
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160810/k10010629541000.html

がっぷり組んでくる相手に対して、永瀬は得意のディフェンス力で対抗。相手が焦って出てきたところを得意の足技で倒して「有効」を奪った。
その後は消極的になり、「指導」2つをもらう危うい展開となったが、何とか逃げ切ってメダルを確保した。
井上康生監督(38)からエース指名を受け、大きな期待を背負った永瀬だが、銅メダルどまり。この無念は2020年東京五輪で“絶対エース”となって晴らす。
永瀬の話「悔しい気持ちでいっぱい。(準々決勝で)負けてからの試合は自分の動きができたが、それまでは縮こまって自分の柔道が出せなかった。
一番は自分の実力不足です」

【柔道男子】81キロ級・永瀬貴規は銅メダル「自分の力不足」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/578098/


リオデジャネイロ五輪の柔道男子81キロ級で銅メダルを獲得した永瀬貴規(旭化成)は「『オリンピックがんばって』という応援メッセージを思い出し、
それが力になった」と話した。試合後の一問一答は以下の通り。
今の素直なお気持ちを
「そうですね、準々決勝で負けたときは敗者復活戦なんて考えられない状況だったんですが、皆さんの応援があるということを改めて思い出した。
皆さんの期待に、金でなくてもメダル獲得で恩返しができたらいいなと思い、敗者復活戦と3位決定戦に臨み、メダルを何とか獲得できました」
気持ちをどうやって切り替えたのか
「周りの付き人だったり、監督、コーチ、色んな人から声をかけてもらって、『オリンピックがんばって』という(周囲の)人の応援メッセージを思い出しながら、
それが力になって何とか気持ちを切り替えることができました」
柔道男子の流れを切らさずに銅メダルを獲得できた
「そうですね。次に(流れを)渡すためにも、何が何でもメダルは取ろうと思っていたので、何とかがんばりました」

【五輪柔道】81キロ級銅メダルの永瀬貴規「応援メッセージが力になった」
http://www.sankei.com/rio2016/news/160810/rio1608100046-n1.html

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 19:34:12.74 ID:Q5W/Wm7B.net
2015年世界選手権王者の永瀬は、井上康生監督が「金メダルに最も近い選手」と期待を寄せていたが、準々決勝で優勢負けを喫し、
頂点には立てなかった。しかし敗者復活戦を勝ち上がると、3位決定戦ではアフタンディリ・チリキシビリ(ジョージア)相手に、3分40秒に
内股で有効を奪うなど優勢勝ち。00年シドニー五輪を最後にメダルから遠ざかっている同階級で、久々のメダル獲得を果たした。

 以下、試合後の永瀬のコメント。
「臆病になった」
3位という結果はどうですか?
もちろん金メダルしか狙ってなかったので、悔しい気持ちでいっぱいなんですけれれど、メダル獲得に向けて、敗戦してから2戦で本来の自分の動きが
できたというのは、良かったと思います。
準々決勝の敗因は?
ちょっと臆病になって自分の本来の動きが出せず縮こまってしまいました。もちろん実力不足もありますけれど、そういった自分の弱さが出た試合
だったのかなと思います。
初戦から硬さを感じていた?
そうですね、毎回初戦が課題だと自分のなかでは感じています。今回もあまり良い試合ではなかったんですけれど、まだそこは課題なのかなと思います。
それは五輪の重圧から?
そういった面も含めて、気持ちの面だったり、自分の弱さだと思います。
試合を重ねても修正ができなかった?
やっぱり勝ちたい勝ちたいという気持ちがあって、その「勝ちたい」が安全策というか、思い切り踏み込めなかったっていうのはあるのかもしれないです。
五輪独特の雰囲気があった?
そう……ですかね。他の国際大会と同じって言ったらあれですけれど、自分が思ってたよりはそこまで(なかった)。五輪という大会で自分の実力が
出せなかったのは確かだったと思います。
昨年の世界選手権を制したことで、相手に研究されていると感じた?
やりづらいという部分はあったんですけれど、それは世界チャンピオンであろうがなかろうが、どんな相手でも研究してくるので、そこまで意識はしなかったです。
海外選手の気迫、動きというのは他の国際大会と違った?
どうですかね、もちろん気迫はありました。実力不足が第一の敗因で、なおかつ自分の持っている力を100パーセント出しきれずに終わったというのがあったと
思います。
男子81キロ級のメダルはシドニー五輪以来となるが?
周りどうこう、歴史どうこうよりも、自分が金メダルを取りたいという気持ちしかなかったので、本当に悔しかったです。
昨日大野将平(男子73キロ級/旭化成)が金メダルを取ったが、なにか話したか?
昨日、将平先輩は帰ってくるのが遅かったので、自分は早めに寝ていて(話していません)。自分が準々決勝で負けて、敗者復活戦の前にちょうど将平先輩が
来てくださって、「しっかり気持ちを切り替えろ。まだメダルが残っているからそこを必死こいて取りにいけ」っていう言葉をいただいて、そこでしっかり頑張らなければ
いけないなと感じました。
「五輪はハングリー精神が違う」
実際に銅メダルをかけてみた感想は?
やっぱり優勝者に金メダルがかけられるシーンを見て、やっぱりこのメダルが、金メダルが欲しかったなという気持ちになりました。
今後はどのような面を鍛える必要があると感じた?
思い切りのなさが敗因にもなりましたし、技の威力もそうですし……。大きな舞台なので、しっかり自分の柔道ができるぐらいの精神面、思い切りの良さを
身に付けていきたいと思います。
井上康生監督は「いつもの半分の出来」としていたが、自身ではどうか?
100パーセント出し切ることはできなかったんですけれど、それも含めて今の自分の実力だと思います。
舞い上がってしまったということか?
舞い上がってしまったわけではないのですが、気持ちのどこかでちょっと臆病になった、様子を見てしまったという部分がありました。
世界選手権と五輪の一番の違いは?
選手村のなかで、柔道だけでなく世界のいろいろな競技の方と一緒に過ごすというところですかね。
柔道そのものについてはどうか?
誰しもが命懸けでこの大会に勝ちにくるので、そういったハングリー精神というか、気持ちの面が違うのかなと思います。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 19:41:43.27 ID:Q5W/Wm7B.net
東京五輪へ向けての気持ちは?
この悔しい気持ちのままで終わりたくないので、4年後の東京五輪を笑顔で終えられるように頑張りたいなと思います。
準々決勝のポイントを失った場面、相手の担ぎ技は崩れていたように見えたが?
自分もよく分からないのですが、転がったというか……。
ポイントを取られるような感じではないと?
自分のなかでは投げられないと思っていたので、気を抜いたじゃないですけど、なんかぐらっといっちゃいましたね。耐えたことで逆に後ろに返っちゃったっていう、
相手のうまさだったのかなと。
受けが強いだけに、投げられないだろうという感覚があった?
もちろん受けには自信があって、ある程度の技は耐えられる自信がありました。(しかし)取られてしまいましたね。
相手の動きが想定外だった?
袖釣り(込み腰)がきてることは知っていたので想定内ではあったんですが、それでも投げられたということは、相手の実力が上だったということだと思います。

銅の柔道・永瀬、視線はすでに4年後 「東京五輪は笑顔で終えたい」(スポーツナビ) - リオオリンピック特集
http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608100001-spnavi

銅メダルについて
「金メダルが欲しかったです。悔しかったけど銅を持ち帰れます。しっかり胸を張って帰りたいです」
昨年の世界選手権優勝後に出場した今回の五輪
「外国人も五輪で勝つためにやってきた。死にものぐるいで。その中で勝つことの厳しさ、難しさを感じました」
チリキシビリとの3位決定戦の心境は
「本当は決勝で対戦したい相手でした。3位決定戦で戦うことになったが、どっちが強いか証明してやろうと思った」
初出場の五輪で銅メダル
「みんなプレッシャーを感じますが、自分しか味わえないという気持ちで臨みました」
次は東京五輪
「東京でこの悔しさを生かして、東京で金(メダル)を取りたいです」

3位決定戦制した永瀬貴規「金メダルが欲しかったけど、銅を持ち帰れます」/柔道
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160810/rio16081008270076-n1.html

柔道男子73キロ級で銅メダルを獲得したベルギーのディルク・ファン・ティヘルト(Dirk van Tichelt)が9日、リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)市内の
コパカバーナビーチ(Copacabana Beach)で何者かに襲われ、顔に青あざができたことが分かった。ベルギー五輪協会(BOIC)が明かした。
銅メダル獲得から数時間後の9日未明、ファン・ティヘルトはトレーニングパートナーと世界有数のビーチで祝杯をあげていたが、そのときに事件は起きた。
BOICの広報担当はAFPに対し、「トレーニングパートナーの携帯電話が盗まれたので、ディルクはその盗人を追いかけたが、ほかの誰かに顔を殴られた」
と話している。
「付近に警察がいたので彼は事情を説明し、その後念のため医者の診察を受けた。けがの状態は深刻ではなかった」
ファン・ティヘルトは同日柔道会場に戻り、青あざのある顔でメダルとともに写真撮影を行っている。
ベルギーのメディアはファン・ティヘルトの青あざは試合中にできたものだと報じているが、BOICの広報担当は暴行によるものだと発表している。
またブラジルのメディアは、地元のコールガールがファン・ティヘルトに暴行を働いたとしているが、同広報担当はこれを否定している。
「それ(ブラジルメディアの報道は)は誤った情報だ。彼を殴ったのは間違いなく男だ。警察もそう発表している」

柔道男子の銅メダリスト、コパカバーナビーチで襲撃される
http://www.afpbb.com/articles/-/3097023

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 19:50:15.43 ID:Q5W/Wm7B.net
表彰台に上り銅メダルを手にしても柔道男子81キロ級、永瀬貴規の顔に笑顔はなかった。「悔しい気持ちはたくさんある」。初めての五輪は、ほろ苦さが残った。
長崎市で育ち、6歳で柔道を始めた。3年間を過ごした長崎日大高で、顧問の松本太一さん(36)からたたき込まれたのは、徹底した「考える柔道」だった。
平日の練習時間はわずか2時間。永瀬自身は国公立大進学クラスに在籍し、授業もおろそかにできなかった。どうすれば無駄を省き、内容の濃い練習が
できるか、部員全員で考えた。
一流選手の試合のビデオを見て、イメージトレーニングにも取り組んだ。「この場面、貴規はどう考えるんだ」。松本さんの問いかけに、永瀬は真剣な表情で悩み、
答えていた。
身につけた考える柔道は、進学した筑波大学でも生きた。卒論で選んだテーマは「81キロ級の世界上位選手の試合分析」。
狙いは「筆者がリオデジャネイロ五輪で勝つため」だった。ライバルとみる海外7選手の傾向を試合映像から独自分析し、
「多彩な攻めに注意」「前半からリードが必要」など、各選手の特徴に応じた対策をまとめた。
この日、永瀬は準々決勝で敗れたが、それでも3位決定戦では、卒論で“研究対象”としていたチリキシビリ(ジョージア)に優勢勝ちを収めた。
「4年後は一番輝くメダルを取ることができるように精進したい」。悔しさを胸に奮起を誓った。

【五輪柔道男子】卒論でライバル研究、文武両道の「銅」永瀬 「考える柔道」で挑んだ五輪
http://www.sankei.com/rio2016/news/160810/rio1608100070-n1.html

リオ五輪第5日の9日、男子81キロ級の永瀬貴規(旭化成)は準々決勝で敗れたものの敗者復活戦を勝ち上がり、3位決定戦でチリキシビリ(ジョージア)に
優勢勝ちして銅メダルを獲得した。
表彰式で銅メダルを手にした永瀬。いつものように感情は表に出さないが、隣を眺めて胸中には悔しさが満ちた。「やっぱり、金メダルが欲しかった」。
昨年の世界選手権王者は不完全燃焼だった。
初戦から永瀬の動きのぎこちなさに、井上監督は「力の50%も出せていない」と感じた。地力の差で勝ち上がったが、嫌な予感ほど当たるもの。それが致命傷
になったのがトマとの準々決勝だった。
国際大会で2連勝している相手に技が出せない。様子見を続けているうちに時間だけが過ぎていく。残り2分。トマに先に仕掛けられた。強引に右袖を取られて
担がれた。わずかに崩れ、右肩から落ち、有効を取られた。
両手を広げた時の永瀬のリーチは189センチ。股下は90センチ。身長は181センチだが、手足は海外勢と比べても長い。懐の深さで相手の圧力を全て
吸収してしまう受けの強さが特長だ。
本来の永瀬なら、トマの担ぎ技も軽くいなせたはずが、動きが硬い分だけ対応が遅れた。初めて経験する五輪舞台の重圧か。「ちょっと臆病になり、
安全策を考えていた。自分の本来の動きを出せずに縮こまっていた」と永瀬。敗れた後の銅メダルまでの2戦が、本来の動きに戻っただけに悔やんでも
悔やみきれない。
まだ22歳。初出場で5位だった2年前の世界選手権の後も悔しさをバネに筋力強化に励み、昨年は優勝した。「力からすれば優勝できたので無念さはある。
ただ大舞台では難しい、気持ちの切り替えで銅メダルにつなげた。まだまだ強くなる」と井上監督は見ている。
表彰台を降りた時点で気持ちは次を向いている。「この悔しい気持ちのまま終わりたくない。東京五輪では笑顔で終わりたい」。決意をリオから持ち帰る。

五輪柔道:22歳永瀬 「臆病になった」技出せず銅
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160810/k00/00e/050/237000c

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 19:52:56.15 ID:Q5W/Wm7B.net
永瀬を支えたのは母・小由利さんだ。型の経験者で小学校時代には柔道着を着て、練習を見守った。永瀬によれば「審判の資格は持っているかも」。
中学に入ると、部活がなかったため永瀬を同級生の親と交代で毎日出稽古に連れて行った。乱取りの相手は社会人や女子高生が多く、独特の柳の木のような
スタイルを身につけていく。「女の子は柔らかい。男子にも時々そういう相手がいるので慣れることができた」と永瀬は振り返る。
長崎日大高にスカウトした松本太一監督(36)は中3の永瀬と初めて乱取りをした際、小由利さんにこう話した。「自分は10年たって、組んで投げられない
位置をだいたい分かったんですけど、この子はすでに投げられない位置にいる」。鉄壁の防御も母との二人三脚のたまものだった。
そんな小由利さんも、脇においやられる時がある。永瀬は帰省すると、飼っている2匹のトイプードルに会いたくいて仕方がない。玄関では「
お母さん入らんといて、おいがまず入るけん」。犬に芸を教え込み、寝る時も一緒。そんな姿を母はほほえましく見ている。

【柔道】銅メダル永瀬を支えた母 親子で築いた「鉄壁の防御」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/578137/

「金しか狙っていなかった」。銅メダルを決めた直後のインタビュー。ひょうひょうとした表情とは裏腹に、永瀬貴規選手(22)の言葉は悔しさに満ちていた。
「世界で最も層が厚い」とされる階級の厳しさに加え、大舞台の重圧。本来の動きが出ないまま迎えた準々決勝で敗れ、首をひねるようなしぐさを見せて畳を
降りた。
敗者復活戦からは柔らかな身のこなしで相手の攻撃をいなしつつ、一瞬の好機を仕留める持ち味が戻った。「(最後に)しっかり勝って、自分が強いということを
証明したかった」。世界ランク1位の選手を迎えた3位決定戦では試合後半で得たリードを守り切り、コーチと握手を交わす際には白い歯をのぞかせた。
柔道を始めたのは小学1年生の時。中学校の卒業文集で将来の夢を「無敵の柔道家になること」とつづった。支えてきたのが母、小由利さん。中学時代は毎日、
出稽古に通う息子を往復約1時間20分かけて車で送迎。毎朝の食事にヨーグルトを出すなど、健康面でも応援してきた。試合会場には一度も欠くことなく足を
運んだ。
9日のリオ。戦いを終えた永瀬選手は「4年後の五輪で一番輝くメダルを取れるよう精進したい」と初の五輪をリベンジの誓いで締めくくった。
「悔しいのと、ホッとしたのと両方です。でも小さい頃は夢にも思わなかったので、よくここまで来れたなと思う」。小由利さんは結果を受けて目を潤ませた。

柔道・永瀬、悔しい銅 「4年後に一番輝くメダルを」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H0Q_Q6A810C1CC0000/?uda=DGXZZO0218874021122009000000

女子57キロ級で前回ロンドン大会金メダルの松本薫(28)=ベネシード=は3位決定戦で連珍羚(28)=台湾=に優勢勝ちし、銅メダルを獲得。
日本は男子73キロ級で大野将平(24)=旭化成=が優勝し、ここまで男女6階級すべてでメダルを獲得した。
南條充寿・日本女子監督は金メダルが見込まれた序盤の3階級がいずれも銅メダルに終わり、表情をこわばらせた。「世界女王の先鋒から次鋒、
中堅を送り込み、金メダルを取って勢いをつけるというのが当初の目標だった。非常に厳しい戦いを強いられている」。悪い流れを断ち切るために
「より戦う姿勢、気持ちを高ぶらせて畳に上がらせたい」と語気を強めた。

南條監督、銅3つに「厳しい戦いを強いられている」/柔道 - リオ五輪2016
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160810/rio16081005010038-n1.html

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:14:34.85 ID:Q5W/Wm7B.net
両親や所属チームの応援団が陣取るスタンド席の前で立ち止まった田代。一礼すると、なかなか顔を上げられなかった。3位決定戦に敗れ、
日本柔道陣で今大会初めてメダルを逃し、大粒の涙。初舞台で厚い壁にはね返された。
正念場は準決勝。相手は過去に個人戦で全て「一本」で4連敗している天敵のアグベニェヌ(フランス)だ。男子大学生の胸も借りてのパワー対策も奏功して
互角に組み合っていたが、残り39秒。受け続ける圧力がそうさせたのか、不意に回り込んだ足が場外に出た。消極姿勢と見られての「指導」を受け、
この差が勝敗を分けた。
世界選手権で2年連続銅メダルを獲得し、同じ63キロ級で五輪2連覇した谷本歩実さんと容姿が似ていることから「谷本2世」として期待される22歳。
所属先のコマツでも代表でも指導を受けるその谷本さんが畳脇のコーチ席から鼓舞する中、飛躍を期したが、試練を突きつけられた。
素直で穏やかだが、ここ一番で気後れするところがある。コマツの松岡監督は「谷本も今は丸くなったが、現役時代はもっと、とんがっていた」と言う。
「自分がどう変わっていくか、真剣に考えないといけない」と田代。壁を打ち破る力を求める歩みが始まる。

五輪柔道:22歳田代が大粒の涙 勝敗を分けた「指導」
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160810/k00/00e/050/301000c

女子の田代は、チグハグな柔道のままメダルを逃してしまった。
本来は、しっかりと組み、得意の足技を使って勝つ柔道だが、初戦から、自分から間合いを詰めて強引に攻める場面が見られ、危ないシーンもあった。
海外の選手は接近戦が強いだけに、そこまで強引にいかなくても、と思うほどだった。
最大のヤマだった準決勝のアグベニュヌ戦は、逆に強引にいけないまま指導1で敗れた。今まで完敗が多かった相手だが、しっかりと研究した成果で
相手の持ち味を消していただけに、この試合こそ、もう少し強引に攻めてよかった。
3位決定戦では、今度は相手の土俵に自ら乗ってしまった。相手が接近戦が得意なのは知っていたはずだが、間合いを詰めて攻め、返し技でポイントを
奪われた。本来の柔道をしていれば、勝てる相手だっただけに、チグハグさが残念だった。
田代にとっては苦い経験の五輪となったが、まだ21歳。この経験を糧にして東京五輪を目指してほしい

初戦からチグハグ…自分の柔道ができなかった田代
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013135920.html

男子の永瀬は初戦から硬さが見られ、自分の柔道ができないまま準々決勝で敗れてしまった。敗戦後の2試合は、本来の姿に戻って危なげなく
銅メダルを獲っただけに、残念だった。
永瀬は足を使って相手を動かしながら、上半身と下半身を連動させて相手を崩すのが持ち味。それが、初戦から守りから試合に入った印象で、
腰が引けて間合いが遠くなり、攻められなかった。
敗れたトマ戦は、最後まで淡々と相手ペースで試合をしてしまった。受け(守り)が強い永瀬だが、気持ちが前に出ていない分、相手の攻撃を防ぎきれず、
袖釣り込み腰で有効を奪われた。しかも、その後も勝負に出なかった。緊張や重圧という言葉で片付けてはいけないが、体を動かすのは気持ちだとすれば、
金メダルを獲るための勝負に出る度胸も足りなかった。
決勝の顔合わせでもおかしくなかったチリキシビリとの3位決定戦は、本来の柔道を取り戻し、全く危なげなく勝って銅メダルを決めた。敗れて吹っ切れた後の
柔道を最初からできていれば、十分に金メダルを獲れていただけに、悔しさが残る結果となった。

五輪の重圧か…守りから入った永瀬 体を動かす“気持ち”足りなかった
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013135910.html


柔道男子81キロ級2回戦でエリアス(レバノン)が立った状態で相手の肘をきめる危険行為で反則負けを宣告された。
納得できないエリアスは激高し、礼もせずに畳を下り、わめき散らして退場した。試合から約1時間後、国際柔道連盟に促されて畳に上がり、礼をして敗戦を
受け入れた。
エリアスは「感情をコントロールできなかった。柔道家として恥ずかしい。全ての人に謝りたい」と反省した。

判定に激高のレバノン選手、1時間後に反省し謝罪 - 柔道
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1692502.html

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:16:27.31 ID:Q5W/Wm7B.net
柔道の男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平(24=旭化成)について9日、現地の大手メディア「グローボ」電子版が「大野の金メダルによって
柔道発祥の国が生き返った」と報じた。
大会前には井上監督から「7人の中で一番金メダルに近い男」とハッパを掛けられた中での栄冠。日本は前回の12年ロンドン五輪で初めて金メダルなしに
終わったが、大野の金メダルでお家芸復活の第一歩となった。ブラジルの柔道の競技人口は約200万人とも言われ(日本は約16万人)、バレーボールと
並びメダルの獲得なるかどうか注目される競技。それだけに、発祥の地である日本の復活が大きく報じられていた。

現地紙が大野将平の金称える「柔道発祥の国が生き返った」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013135520.html


男子73キロ級で大野将平(24)=旭化成=が決勝でオルジョイ(アゼルバイジャン)に小内刈りで一本勝ちし、今大会の日本柔道最初の金メダルを獲得した。
日本男子では2008年北京大会の100キロ超級・石井慧(当時国士舘大)以来2大会ぶりの優勝となった。女子57キロ級の松本薫(28)=ベネシード=は
準決勝で敗れて2連覇は逃したが、3位決定戦で連珍羚(台湾)に優勢勝ちし、銅メダル。開催国ブラジルのシルバが優勝し、今大会の同国金メダル第1号
となった。
決勝は欧州王者オルジョイを小内刈りでなぎ倒して一本勝ち。大野はその瞬間、日本男子8年ぶりの五輪王者となったが表情を全く崩すことなく深々と一礼。
畳を下りて担当の金丸雄介コーチと抱き合ったときようやく爽快な笑みが浮かんだ。
「柔道は対人競技で、相手への尊敬や敬意、日本の心を見せられる場。気持ちを抑え、冷静にきれいな礼ができた」。強いだけでなく、高潔な王者でありたいと、
大野は思い求めてきたのだ。
ロンドン五輪銀メダルの中矢力(ALSOK)と競り合いながら力をつけ、初出場の2013年世界選手権で頂点へ。だが、その後3年近くは荒波にもまれた。
凱旋(がいせん)となるはずだったその日に、当時主将だった天理大柔道部内の暴力問題が明るみに出た。関与した大野は全日本柔道連盟から3カ月の
競技者登録停止を科され、学内の稽古も禁じられ、主将も解任された。
その直後に山口市の実家へ帰郷。母文子さんに「俺、柔道やめようかな」と漏らしても引き留める言葉をもらえず、迷いは深まった。吹っ切れた場所は
12歳まで鍛えた道場。子どもたちに胸を貸すうちに、彼らや幼なじみが大野を郷土の誇りと思っていることを知り、柔道への意欲を取り戻した。中矢とともに
代表に選ばれた15年世界選手権では決勝で中矢を下して2度目の世界王者となり、リオ五輪へ大きく前進していた。
大野の強さの源は「負けん気」。2学年上の兄哲也さんを追いかけ、小学校卒業後に東京の柔道私塾「講道学舎」(現在は閉校)へ。やはり兄に倣って進んだ
天理大では2年時のレギュラー選考会で、兄を押しのける形でメンバー入りした。「俺、あんちゃんを超えたね」と電話を受けた母は「将平が世界を意識したのは
それからですね」と明かした。
最強を証明するために臨んだ五輪で、圧倒的な強さと誇り高さを世界に知らしめた。「柔道界のシンボルみたいな選手になれるように精進していきたい」。
4年後へ向け「少し休んでから考えたい。できれば東京を目指したい」。頂点を極めても、柔道を究めたとはさらさら思っていない。

[柔道]大野将平、スカッと一本で金 この瞬間を日本中が8年間待った
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sports/news/CK2016081002000141.html

母・文子さんは山口市内のパブリックビューイング会場で約80人とともに声援を送った。試合前、携帯電話に「この舞台で、戦う姿をこの目に焼き付けようと思う。
ありがとう。信じてる。祈ってる」とメッセージを送り、大野からは「よく眠れた。いつも通りやるわ!」と返信があったという。頂点に立った息子の姿に「ありがとう。
将平の夢がかなってよかった」とうれし涙だった。

大野の金メダルに母・文子さんも涙「将平の夢かなった」/柔道
http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160810/rio16081005010032-n1.html

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:17:37.91 ID:Q5W/Wm7B.net
柔道女子57キロ級で前回ロンドン大会金メダルの松本薫(28)=ベネシードは準決勝開始24秒で一本負けしたが、気持ちを切り替え3位決定戦で
優勢勝ちし、銅メダルを死守した。だが、連覇を逃し「甘酸っぱい。納得するしかないが、腹の中は煮えくり返っています」と“野獣”は独特の表現で感想を語った。
一瞬の油断で連覇の道が絶たれた。準決勝のドルジスレン戦。開始24秒で相手の背負い投げに耐えきれず宙を舞った。「最初の投げには対応できたので
大丈夫と思ってしまった自分がいた」。気を取り直して直後の3位決定戦ではコマツに所属する台湾の連に優勢勝ちし、メダルは死守したが「甘酸っぱい。
悔しさと、メダルを取った安心感。結果は結果なので納得するしかない。でも、腹の中は煮えくり返ってます」。目は少しだけ赤くなっていた。
ロンドンでは柔道唯一の金メダル。「白いご飯は味がないから嫌い」など、不思議な言動と本能に任せた野性的な柔道で一躍、時の人となった。ラーメン店で
食事しているだけでSNSでアップされたことには「ラーメンくらいいいじゃん」と思ったこともあった。代表チームでも年長になり、周囲に目を配らなければ
ならないことも多くあったが、昨年秋に米国の柔道場に1週間ほど赴いた際に、純粋に競技を楽しむ人たちと触れ合い「楽しめばいいじゃん、と思えるようになった」。
集大成として挑む今回のテーマは「知性」を持った野獣。ロンドンの時の前に突き進むだけでなく、相手を探りながらの攻撃も意識した。準々決勝の
パビア(フランス)戦では無理に組むことをせず、延長3分50秒まで相手のスタミナを消耗させて袖釣り込み腰で技あり。冷静な戦い方ができていただけに、
準決勝の一本負けが悔やまれた。
今後のことを報道陣から質問された松本は「まだ分かりません」と言葉を濁した後、すぐにこう返した。
「いまパッと出てきたのですが、試合前に明治さんから(チョコレート菓子の)ガルボを本当にたくさんもらえて。もう、これをすごく気持ち悪くなるくらい
食べられるんだな、と」
海外遠征の必需品。どこに持って行っても溶けないチョコの名前を挙げ、報道陣を笑わせた。減量と極限の稽古に耐え抜いた体をまずは休め、次の道に進む。

【柔道】松本、銅!連覇逃し「ごめんね」お父さん
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160809-OHT1T50265.html

松本は準決勝の開始早々の背負い投げで、一本負けを喫してしまった。悪い時の松本は、一瞬気持ちが抜けてしまった時に不用意な技を食らい、
対応できずに負けてしまう。今回は油断していたわけではないだろうが、その心配していた部分が出てしまった。
3位決定戦で銅メダルを争った連は、私が指導するコマツの所属選手。お互いが、手の内を知り尽くしていた。5月のワールドマスターズでは連に
一本負けしており、警戒はしていたと思う。一進一退の攻防で延長までもつれ込む流れだったが、終了30秒前に組み際の小内巻き込みで有効を奪った。
競った試合の中での感性、そして五輪王者としての執念において、松本が一枚上だった。
ロンドン五輪で金メダルを取った後は、右肘の手術などもあり、屈辱的な負け方をしたこともあった。昨年の世界選手権で王者に返り咲いたが、
戦いに安定感はなく、ピークは過ぎていた。それでも気持ちでリオまで頑張ってきた。五輪連覇はならなかったが、4年間の過程を見れば、よくやったと思う。

【柔道・松岡義之Point】松本よくやった執念メダル
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160809-OHT1T50273.html

野獣という異名通り、話を聞くたびに松本の感覚は動物的だなと驚かされ、笑わされた。
「試合当日に必ずやることは自然体でいること」。自分のリズムが変わるからと音楽も聴かない。試合当日はもっと敏感だ。「機械のものは遠ざけます。
電波が邪魔なので昔から自然のものだけ」。日焼け止めを塗ると太陽光から感じるものが減って「体のインスピレーションが遅くなる」。常人には計り知れない。
28歳という年齢を考えれば今回が最後の五輪でもおかしくはない。将来の夢は「田舎でゆっくりと老後を過ごしたい。空に浮いて、仙人になりたい」。
仙人になるとどうなるのか。「何も感じなくなる。穏やか」。すみません、これまた常人には計り知れない世界でした。

常人には計り知れない松本の感覚 将来の夢は「仙人になりたい」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013134810.html

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:17:57.26 ID:Q5W/Wm7B.net
メダルセレモニーを終えた松本は、首から下げた銅メダルを見て「甘酸っぱい」と笑った。悔しさとメダルを確保した安堵(あんど)感。「あー、終わった」と
笑顔で包みながらも「腹の中は煮えくりかえってますよ」と本音も漏らした。
「試合中は感じなかったが、その過程にはもちろんあった」。準決勝、相手の最初の背負い投げをこらえ「1回目が効かなかったので大丈夫と思ってしまった。
試合中に“大丈夫”なんて絶対にないのに」。少し腰が高くなったところに、すぐ二の矢が飛んできた。4年前にはなかった連覇の重圧。それが野性の勘を
鈍らせたのかもしれない。食うか食われるかの状況で、あってはならない「一瞬の気のゆるみ」。気付けば畳に転がされていた。
ロンドン五輪では男女を通じて唯一となる金メダルを獲得した。“野獣”として注目され、ラーメンを食べに出かければツイッターにつぶやかれた。
「ラーメンぐらい食べさせてよ!って最初は嫌でした」と戸惑いも大きく、慣れるには時間がかかった。
13年には女子代表で暴力的指導問題が起こり、代表の環境も激変した。指導者が一新され、「自立と自律」をテーマに選手に委ねられる部分が
圧倒的に増えた。そんなときも金メダリストの嗅覚は抜群だった。いくつもの選択肢を用意し選手に選ばせる時、代表の谷本歩実コーチは
「選択力も選手の力」だという。コーチ陣はどれが正解か分かっている場合もある。「松本薫はそれを一発で選んでくる」。追い込む練習が必要と
思えば追い込む、休む時は休む。しっかりと自分で判断できる能力があった。
「ロンドン五輪の時は(前監督の)園田先生に引っ張ってもらってついていくだけだった。それで獲れた金メダル。今回は自分で考えて獲る金メダル」と
リオ五輪の意義を語っていた松本。誰かに尻を叩かれたわけではない。自分の力で走り続けてきた4年間。「しんどかったあ」。4年間を振り返る言葉に
実感がこもった。

松本 連覇ならず…銅にも「腹の中は煮えくりかえってます」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013132460.html

3位決定戦に勝ち、引き揚げてきた松本の報道陣への一言は、やはり松本だった。「ここ(取材エリア)にいたから見えなかったと思うんですけど、
ごめんなさい(手を合わせるしぐさ)しました」。質問は客席にいた家族へのあいさつ。取材者が「ここ」にいたことに気づき、気にしてしまう気遣い、
実は繊細な心は、銅メダルで「煮えくりかえってます、腹の中は」と言えど、変わらなかった。
野獣のニックネームが先行し、本人も沿うように発言していたが、本性はイメージとは異なる。代表選考会の4月選抜体重別選手権の準決勝で敗れると、
ロンドン五輪銀メダルの杉本美香さんに連絡。「厳しく指摘してくれる人がいない。足りないものがある」。勝てない。時には親友の前でだけ泣いた。
稽古中は泣けなかった。不安に揺れる心は、日本代表チームのために隠した。「金メダリストだから」。常にイメージを追った。
五輪の重圧は「ないと言い聞かせているだけで感じていた」と認めた。準決勝のドルジスレン戦、不用意に背負い投げをくらい24秒で一本負けした。
その前の背負い投げで、「全然効かなくて大丈夫」と過信した。通常ありえない警戒の解除こそ、重圧のなせる仕業だったかもしれない。
鋭い眼光に、特異な発言。柔道界に松本ありを発信し続けた4年間を終えた。昨年、「今の役割は今度の五輪で終わり。20年(東京五輪)の時には、
違う役割になっていると感じています」と述べた。この日は「分からない」としたが、引退後については既に考えているだろう。その気の使い方が生きる、
彼女だけの道はきっとある。

松本薫銅「煮えくりかえってます」野獣一瞬のスキ
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1692371.html

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:19:10.19 ID:Q5W/Wm7B.net
柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した大野を柔道私塾「講道学舎」で指導した全日本柔道連盟理事でソウル五輪銅メダリストの北田典子さん(50)は、
スポニチ本紙の取材に「祈るような思いでテレビを見ていました。ホッとしました」と喜びを語った。
大野は中高時代に講道学舎で学んだ。北田さんは「柔道も勉強も、生活の全てにおいて全力を尽くしていた。天才と言われるけど、一番の努力家。
思い通りに投げられなかった時には悔し涙を流していた」と振り返る。当時は2歳上の兄哲也さんが頭角を現し注目されていたが、大野が中2の時、
北田さんに「みんなは兄が日本一になると言うけど、僕が日本一になるって信じてもらえますか」と告げたという。北田さんは「思い続けた人がそうなる。
頑張って」と背中を押し、「それが実った。よかったねと言いたい」と金メダリストとなった教え子を祝福した。

大野、中2で日本一宣言 背中押した恩師が祝福「ホッとしました」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013135080.html

大野の「強さ」は同級の選手では抜きんでたフィジカルの強さ、技の力強さ、相手が出てきた時に合わせられる技のキレ、そのいずれも持っているところにある。
ただ、これまでは内股と大外刈りが軸で、寝技の必要性を感じていなかった。しかし、最近は寝技にも取り組み、進化を見せている。
今大会は2回戦で崩れけさ固め、準決勝では巴(ともえ)投げで一本勝ちするなど、技の幅が広がった。相手に「何が来るのか分からない」と思わせられたのも
勝因だ。序盤にポイントを取っても守りに入らず、常に一本を取りに行く姿勢。これも相手には脅威だった。
正しく組んで、正しく投げる。ニッポン柔道の本来の姿も見せてくれた。国内の五輪代表選考で、世界一レベルの高い代表争いを勝ち抜き、自信になっている。
73キロ級には大野(13、15年)、秋本啓之(10年)、中矢力(11、14年)と3人の世界選手権王者がそろう。世界王者らに勝って代表となり「五輪では負けられない」
という気持ち、そして「その中で勝ってきた」という自負があったはずだ。
あとは精神面。金メダリストになっても、謙虚さを持って再び柔道に取り組むことで、また成長できる。東京五輪へ向け「一流」から「超一流」のエースに
なることを期待している。

【柔道・中村兼三Point】大野、寝技に取り組み進化
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160809-OHT1T50210.html

古賀稔彦や吉田秀彦らを輩出してきた柔道の名門私塾「講道学舎」で過ごした日々が大野の根幹を成している。弦巻中、世田谷学園に通いながら
中高一貫での全寮生活。過剰なほどに乱取りを繰り返すことで心技体を磨き上げていった。
2学年先輩だった66キロ級銅メダルの海老沼匡によれば「将平はいつも負けて泣いていた。高校から強くなった。なにくそ根性、負けず嫌いの選手」、
持田監督も「8人入ってきたうちの7番目。みそっかすだった」と当時の大野を振り返った。
講道学舎は1975年に初代会長の横地治男氏や作家の井上靖氏らによって創設された。77年にはジョン・レノンも日本文化を学ぶために
オノ・ヨーコとプライベートで訪問。座礼を気に入り、数日後には次男のショーンを連れて再び訪れたという。大野を含めて4人の五輪王者、
7人の世界王者を輩出した。だが、年間1億円ともされる維持費がネックとなって昨年3月に最後の塾生が卒業し、39年の歴史に幕を閉じた。
近年は競技レベルが落ちていたため“学舎魂”を受け継いだ五輪王者は、大野が最後となりそうだ。

大野 古賀、吉田ら輩出…「講道学舎魂」継承!
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013132400.html

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:19:38.05 ID:Q5W/Wm7B.net
リオ五輪柔道競技3日目、待望の金メダル第1号だ。男子73キロ級で日本のエース、大野将平(24=旭化成)が圧勝の連続で優勝。
柔道の日本勢では今大会初、男子代表では2大会ぶりとなる金メダルを獲得した。大舞台で下馬評通りに実力を発揮したメンタルの強さは特筆もの。
暴力問題という“負の過去”を乗り越えて、ニッポン柔道の強さと心を世界に示した。本紙は悲願成就の裏に隠された「涙の真相」を緊急公開――。
ガッツポーズもなければ笑顔もない。大野は金メダルを決めても、喜びを表現することはなかった。「柔道は対人競技なので相手がいる。敬意を忘れず、
きれいな礼ができたと思う。日本の心を見せられる場なので、よく気持ちを抑えられたと思う」。畳を下りた瞬間、一気に笑顔がはじけた。
今年に入り「心・技・体、すべてで外国人選手に勝つこと」を目指して精進を重ねてきた。強さは文句なし。決勝では技ありを奪った後も攻め続け、3分15秒、
下がる相手を小内刈りで完璧に仕留めた。
自身の初戦となった2回戦では前に出てこない相手をつかまえて、横四方固めで一本勝ち。3回戦は華麗な内股で一本を奪った。準々決勝では
シャフダトゥアシビリ(24=ジョージア)に優勢勝ち。ロンドン五輪男子66キロ級金メダリストの壁を乗り越えると、準決勝では鮮やかなともえ投げで
一本を取って圧勝した。
「自分の柔道をまだ見ていないので分からないが、心・技・体すべてで勝ったと思っていただけるならうれしい」。金メダルを手にした後は笑顔から一転、
涙でこう話した。
転機となったのは、2013年の天理大の暴行問題。大野は1年生に平手打ちをしたとして登録停止、主将解任、停学などの処分を受ける。
世界選手権初優勝の祝福ムードは一転、大野には「暴力男」というイメージがまとわりついた。
しかし、この問題は情報が二転三転している。天理大は最後に大野の関与を認めた。実は、これには理由があるという。同大関係者は
「将平は『ボクは暴力をふるってないですよ』と言ってました。大学を守るために犠牲になったんです」と声を潜める。
どういうことなのか。当時、暴力問題は大騒動となり連日報道された。「このままでは天理が終わってしまう」。4年生の内定取り消しなど影響を恐れた大学側は、
秘密裏に知名度のある大野に火消しを頼み込んだのだという。当然、大野は激怒。一度は要請を突き返した。それでも、関係者から説得され“汚れ役”を
引き受ける覚悟を決めたというのだが…。実際、この問題で実名が出たのは大野1人となった。
当初、罪を認めた大野の発言に変化が見えたのは処分からの復帰後。本紙が暴力問題を問うと「分かってくれる人だけ分かってくれればいいです」と
意味深に語った。14年世界選手権、4回戦敗退に終わった大野は母・文子さんとの電話の最中に涙を流した。圧勝して世間を見返すはずが、
力が及ばなかった自分への悔しさを抑えきれなかったからだ。
もともと暴力とは無縁の男だ。恩師の有川宣文氏は「本人から意図的にすることは絶対ない」と断言する。別の恩師、植木清治氏は大学1年時の
大野から暴力の相談を受けていた。「天理に暴力がある。どうしたらいいんだろう」。もちろん、“真相”は大野のみが知る。しかし、内定を取り消された4年生は
1人もいなかったのは事実だ。
騒動の渦中、大野は文子さんに言った。
「他の子は内定取り消しになったら次はない。オレはいい。どこでも頭を下げて頼むから。だから我慢してくれ――」
文子さんは「今考えると将平は天理も守ったし、同級生も守ったんです」と振り返る。苦難を乗り越えつかんだ意地の金メダル。失われた3年間を取り戻し、
大野はようやく心の底からの笑みを浮かべた。

【柔道】大野 悲願の金メダルの裏に隠された「涙の真相」
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/577537/


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241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:23:42.79 ID:Q5W/Wm7B.net
リオデジャネイロ五輪柔道男子73キロ級で大野将平選手(24)が金メダルを獲得した9日、所属する旭化成柔道部がある延岡市では、
柔道部員約20人を含む社員約50人が会社に集まって声援を送った。日本男子柔道、そして同部としても8年ぶりとなる五輪金メダルに歓声が上がった。
参加者は、細長いバルーンを手に応援。大野選手が決勝で小内巻き込みで一本を奪って金メダルを決めると、会場は大きな喜びに包まれた。
柔道部の西潟健太主将(28)は「日本中が柔道の金メダルに期待するプレッシャーの中でよく結果を残してくれた。最後まで一本を奪いにいく
柔道を貫き通した結果だと思う」と笑顔。
延岡市の首藤正治市長は「市ゆかりの選手の一番手として日本柔道復活の金という素晴らしい偉業を達成されたことに心からお祝い申し上げます」との
コメントを発表した。

柔道・大野選手「金」、延岡の旭化成社員ら歓喜
http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/sports/olympiad/20160810-OYS1T50059.html

決勝も小内刈りの一本で勝ちきった。完璧な柔道で柔道日本男子に2大会ぶりの金メダルをもたらした73キロ級の大野は、それでもガッツポーズも笑顔も
見せなかった。勝ってなお冷静に、いつも通りに。その姿は、王者の心技体の群を抜いた完成度を物語っていた。
5試合のうち4試合が一本勝ち。五輪の大舞台でも、圧倒的な強さを見せた。現役ボディービルダーでもある日本男子の岡田隆総務コーチが「
筋肉がパンパンに詰まっている」とほれぼれするほど鍛え上げられた肉体がパワーの源。組み手や投げる技術は中高の6年間を過ごした柔道私塾の
「講道学舎」で下地を培い、「一本柔道」を掲げる天理大で強さを生かすうまさに磨きをかけた。
対戦相手の研究はほとんどしない。それよりも最終段階で自分を完璧に仕上げることが最優先。「ピーキングとコンディショニング」も必勝の鍵にあげる。
精神面の成長は、天理大の穴井隆将監督が自らの体験を伝えることで促した。ロンドン五輪で穴井監督は2回戦敗退。「五輪を(特別なことと)意識するのでは
なく、常に意識して、自分は五輪に出る人間だと自覚することが大事」と心構えを伝授した。
転機となったのは、2014年の世界選手権。前年にオール一本勝ちで世界一になり、「同じくらいインパクトのある形で連覇しようと色気が出た」。格下の
相手に足をすくわれ、敗因を探る中で緻密な調整の重要さに行き着いた。体をつくる時期、稽古で追い込む時期など綿密に計画し、試合当日は「
普通にやれば一番強い」が答えだった。
日本男子の井上康生監督は「非常にそつのない調整をしていた。現地入りしてから彼に言ったことはほとんどない」と説明。持てる力を十二分に
発揮した結果の金メダルに、大野は「いつも通りを心掛けた」と当然のように語った。 
強さ、美しさ 伝えられた
歓喜の瞬間も主役は全く表情を変えず、静かに畳を下りた大野。「内容的に満足できるものじゃなかったけど、柔道という競技のすばらしさ、強さ、美しさを
伝えられた」
1日1000本の打ち込みなど、地道に作り上げた投げっぷりは井上康生監督をして「世界一美しい技」と言わしめる。さらに、特筆すべきはその破壊力。
稽古ですら見る者を圧倒する迫力は、柔道の魅力そのものだ。
日本柔道、特に男子は伝統的に重量級が花形とされ、「悔しい気持ちもあった。中量級の僕でもインパクトのあるダイナミックな柔道、本当に強くて美しい柔
道をできると証明したかった」
現代の柔道界はモンゴル相撲やロシアのサンボなど、各国が伝統の格闘技の要素を生かしており、井上監督は「さまざまな国の格闘技の複合体に
なりつつある」。その中で正統派復活を告げる価値ある大野の金メダル。日本柔道の強さを示せたかと問われ、大野選手は「だとすればうれしいですね」。
自信に満ちた笑みを見せた。

柔道男子73キロ級・大野、心技体の頂点 「普通にやれば一番強い」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/list/201608/CK2016081002000124.html

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:24:22.71 ID:Q5W/Wm7B.net
天理大の穴井監督は大野から金メダルをかけてもらい、「生きてて良かった」と感涙した。
4年前は自らが100キロ級代表で出場して2回戦敗退。観戦していた大野に「次はお前だ」と託した夢が叶った。普段から自宅に招いて食事をするなど、
兄弟のように接しながら自分の経験を伝えてきた。暴力問題で処分を受けた時にも何度も話し合い、寄り添って支えてきた。「あの問題も一言で言うならば
マイナスではなかった。むしろプラスだったと書いてください」と立ち直った大野を語った。

大野に託した夢かなった…天理大・穴井監督「生きてて良かった」
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/10/kiji/K20160810013135580.htm

持ち前の「受けの強さ」が、まさかの災いを引き起こした。現地時間9日、リオデジャネイロ五輪の柔道男子81キロ級に出場した永瀬貴規(旭化成)は、
銅メダルを獲得した。日本男子の井上康生監督から大きな期待をかけられて金メダル候補とされてきたが、準々決勝で敗退。敗者復活戦を経て、
自身初となる五輪のメダルを手に入れた。
昨年の世界選手権を制して実力を示している永瀬だが、敗れた試合では課題が出た。組み付いた際に相手が狙って来る巴投げは、バランスを
保って逃れていたが、3分が過ぎたところで相手が仕掛けた袖釣り込み腰で有効を奪われた。袖をひっぱりながら倒れ込む相手に対してこらえ、
相手の技が潰れていたようにも見えたが、体の横から引っ張られる形になって倒れた。
永瀬は「よく分からない。(倒れて)転がったというか……。自分では(耐えられているから)投げられないと思っていたので、気を抜いたということじゃない
ですけれど、なんかグラッといった。耐えたことで逆に後ろに返ってしまった。受けには自信があって、ある程度の技は耐えられる自信があったけれど
(ポイントを)取られてしまった」と意外な失点だったことを明かした。取り柄が仇となったと言うと言葉が過ぎるが、長所が出ている場面でポイントを
取られたのは痛恨だった。
技にかからない、永瀬の地味な強さ
永瀬は、相手が技をかけてきても、こらえられるバランス感覚とフィジカル能力がある。自分からどんどん技を仕掛けて投げ切る派手なタイプではないが、
相手の力を利用するのはうまい。永瀬の地味な強さに気付き、日本代表クラスに引き上げたのは、長崎日大高校にスカウトした松本太一監督だ。
小・中学生時代に長崎県代表として全国大会に出場し、上位に入る実力者だった永瀬を、松本太一監督は当初、スカウトをしない方針だった。「そもそも、
彼の兄が長崎南山高校に進んでいて同じ道に行くだろうと思っていたので、声をかけても無駄かなと思っていた。それでも、教え子の対戦相手になる場合も
あるので見ていると、攻めが遅く、相手に合わせて、相手のペースで進んでしまうという欠点があった。これなら、他の子を強化すれば、十分に勝てると思った」
と最初に見た永瀬の印象を語った。
ところが、評価は一変した。永瀬が中学3年生のとき、国体代表で練習し、成年の部で参加していた松本監督と乱取りをする機会が生まれた。松本監督は、
いつも中学生を相手にするときくらいに手を抜いて対戦したが、技がかからない。おかしいなと思って少し強めにかけても、技が決まらない。「見ていたのと、全
然違う。これは、強いぞ!」と肌で感じ取った松本監督は、方針転換をして永瀬のスカウトに踏み切った。当時、インターハイを制したことのなかった長崎県で
育ち「九州大会で優勝したい」と話した永瀬に「そこを目指すのでは、もったいない。もっと上を目指せる力がある。日本一を狙おう」と頂点を目指す世界へ
引きずり込んだ。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:29:35.72 ID:Q5W/Wm7B.net
永瀬は、今の自分の持ち味を「相手が嫌がる柔道」と説明する。相手の得意技を封じながら、技を仕掛け、相手が対応したところで別の技につないでいく
といった崩しを長所としてきた。敗者復活戦を勝ち抜いて銅メダルを獲得し、受けの強さと相手の力を巧みに利用する永瀬の柔道がトップクラスのもので
あることを再び証明できたと言える。しかし、世界の頂点に君臨し続けるためには、経験値と精神面および技術面で攻め切る強さが足りなかった。
井上康生監督は「やってきたことをすべて出そうと言って送り出したが、普段とはまったく違った。いつもの50パーセントも出せていないと感じた」と本来の
パフォーマンスを発揮できないまま敗れたことを悔やんだ。積極的に技をかけて自分のペースに持ち込む点は、永瀬の課題だ。キレ味のある必殺の武器を
持たないだけに、先にポイントを奪われると苦しい。準々決勝は、結局、ポイントを取り返すことができなかった。
永瀬は「ちょっと臆病になって本来の動きが出せずに縮こまってしまった。自分の弱さが出た試合。勝ちたいという思いから、安全策というか、思い切り踏み
込めなかったという部分はあるかもしれない。五輪は思っていたほど(他の国際大会と)違うということはなかったけれど、五輪という大会で自分の実力が
出せなかったのは確かだったのかなと思う」と敗因を語り、敗者復活戦になってようやく本来の動きができたことについて、手応えと悔しさを漂わせた。
永瀬「思い切りの良さを身に付けたい」
銅メダルを首にかけられたとき、金メダルを見て「このメダルがほしかったなと思った」という永瀬は、まだ22歳。4年後の東京五輪の頃には、円熟期を
迎えるはずだ。どんな相手とも安定して戦える土台は、整っている。だからこそ、銅メダルにはたどり着いた。次は、上積みを増やして金メダルを取りたい。
永瀬は「実力不足が第一の敗因で、なおかつ自分の持っている力を100パーセント出しきれずに終わった。思い切りのなさが敗因になったし、技の威力もそう。
大きな舞台で、しっかりと自分の柔道ができるぐらいの精神面、思い切りの良さを身に付けていきたい。悔しい気持ちのままで終わりたくないので、4年後の
東京五輪を笑顔で終えられるように頑張りたい」と今大会を総括し、次回大会に目を向けた。
東京では、攻める永瀬が輝く姿を見たい。

銅の永瀬、足りなかった精神面の強さ 攻撃力改善で東京五輪に再挑戦へ  リオオリンピック特集
http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608100005-spnavi

大野に聞く
優勝確実といわれての頂点。
「プレッシャーが大きかったし、当たり前のことを当たり前にやるという難しさをあらためて感じた。それに打ち勝ち、人間として一皮むけた」
初めての五輪。
「独特の雰囲気はあるが、普通の国際大会と一緒だし、気持ちの持ちようだと思う」
日本男子で2大会ぶりの金メダルとなった。
「井上ジャパンの一員として、誇りを持って戦った。最強かつ最高の選手を目指す集団。そこに少し近づけたと思う」
派手に喜ばなかった。
「柔道は対人競技で相手への尊敬や敬意、日本の心を見せられる場だ。気持ちを抑え、冷静にきれいな礼ができた」

【柔道】「井上ジャパンの誇り持って」…大野に聞く : スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160809-OHT1T50255.html

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:29:52.38 ID:Q5W/Wm7B.net
「金に同じ」と書く銅メダルといっても、五輪に出場する柔道家にとっては、金メダルとはまるで意味の違うものだ。前回のロンドン五輪で、日本勢として
唯一の金メダリストとなった女子57kg級の松本薫(ベネシード)であればなおさらだろう。
初日、2日目に出場した4選手がいずれも準決勝までに敗れる流れを、松本は食い止められなかった。準決勝の開始24秒、一瞬の隙を、モンゴルの
ドルジスレン・スミヤに狙われた。
「相手が最初に背負い投げに入ったときに、全然だったから大丈夫と思ってしまって......。その一瞬の気の緩みのせいで、2回目の背負い投げに対応
できなかったんだと思います。ストンと入ってしまった。今まで彼女と対戦したときは、1回しか、自分の調子が本当に悪かった1試合しか負けていなかった。
どこか勝てると思い込んでしまっていたんだと思います」
松本は初戦の2回戦から"野獣"モード全快だった。眉毛と目を鋭い「への字」にして前方を凝視し、「オリンピックチャンピオン!」の場内アナウンスとともに、
畳に上がっていった。
コートジボアールの選手を視線の先にとらえたら、厳しい表情で「一本」を奪うまで技を仕掛け続ける。寝業で下になった状態から、腕を決めて体勢を
入れ替えるオモプラッタというブラジリアン柔術の技で抑え込み、「一本」勝ち。もともとロンドンの頃から寝業を得意としていたが、柔術の技で
勝ち上がるところに、彼女の4年間の成長を見た。
準々決勝は柔道大国フランスのオトーヌ・パヴィアが相手。お互い決め手に欠く展開で、2度も2分間のゴールデンスコア(延長戦)に突入し、
最後は松本の袖釣り込み腰が決まった。
準決勝までのインターバルに、この日、観戦に訪れていた同じ57kg級の次世代のホープ、芳田司(コマツ)に話を聞く機会があった。松本のすごさを彼女は
こう話していた。
「ご自身の雰囲気を作るのがすごく上手。戦う者としては、それに飲まれないようにしなきゃならない。粘り強く相手を追うし、だから準々決勝みたいに
最後の最後、決めきれるんだと思います」
準決勝の相手であるドルジスレンは、世界ランキング1位の強豪で、松本の対抗馬と目され、この試合が事実上の決勝戦と言われていた。
「研究されるのは当たり前のこと。これまで何度も戦っているし、五輪だから相手の技のキレが鋭いということもない。ただ、何がなんでもメダルを獲りに
行くという執念には違いを感じました」
わずか24秒での一本負けは、松本にとって屈辱だったに違いない。だが、潔く敗戦を認めた。悔いが残るとすれば、ここまで金メダルがゼロに終わっている
女子の流れを食い止められなかったことだ。
「柔道は個人戦だけれども、団体戦のつもりで戦っている。みんなで金メダルを獲りに行くという気持ちだったし、彼女たち(銅メダルに終わった近藤亜美や
中村美里)が届かなかった分まで、決勝まで行こうという思いが力になっていたから......」
敗戦後、3位決定戦に臨んだ松本は、連珍羚(台湾)から小内刈り「有効」を奪って勝利した。
「銅メダルの味は、甘酸っぱい。悔しさと、メダルを獲った安心感と......。結果は結果なので、納得するしかない」
金メダリストとして過ごした4年間は、「しんどかった」と松本は振り返った。
「今日も連覇に向けて気負いやプレッシャーはなかった。ただ、ここに至る過程においては、プレッシャーがあったと思う。今後に関してはわかりません。
やり残したこと? それを言い出したらきりがないですよ」
野獣は美しき敗者として、リオの畳を降りた。

女子柔道・松本薫がリオ五輪の悔恨を語る 「銅メダルの味は、甘酸っぱい」
http://news.livedoor.com/article/detail/11872728/

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 19:45:03.29 ID:xzFMokIi.net
リオデジャネイロオリンピック、柔道女子70キロ級で田知本遥選手が金メダルを獲得しました。
オリンピック2大会連続出場の田知本選手は1回戦で一本勝ちしたあと、2回戦と準々決勝を、いずれも延長戦の末、勝ち上がり、準決勝に進みました。
準決勝ではドイツのラウラ・バルガスコッホ選手と対戦し、序盤から積極的に攻めた田知本選手は、大外刈りで技ありを奪って優勢勝ちしました。
決勝ではロンドン大会の銅メダリストでコロンビアのジュリ・アルベアル選手と対戦し、谷落としで技ありを奪ったあと、抑え込みで一本勝ちし、金メダルを
獲得しました。
田知本選手は「最後に抑え込んだときは、もう絶対離さないと思ったし、自分で秒数は見えなかったのですが、あと何秒って思って耐えました」と話していました。
オリンピックのこの階級での日本選手の金メダル獲得は、北京大会の上野雅恵さん以来2大会ぶりで、今大会の柔道女子では初めての金メダルです。
田知本選手「試練のすべてが成長させてくれた」
田知本遥選手は2回戦で世界ランキング1位のオランダのキム・ポーリング選手と対戦し、終始、積極的に技を繰り出して延長戦の末、有効を奪って勝ちました。
田知本選手は「この試合が山で、自分は金メダルか、メダルなしか、どちらかだと思っていたが、勝てれば絶対に金メダルを取れると思っていた」と振り返りました。
決勝で対戦した、コロンビアのジュリ・アルベアル選手は日本人が指導し、頻繁に日本でも練習している選手で、田知本選手は「手の内を知られていて少し嫌だったが、最高の舞台で自分の力を出しきろうと思った。技に気持ちを乗せると言い聞かせて戦った」と話しました。
そして、抑え込みで勝負がついたことについて、「オリンピックで勝つなら確実な抑え込みでと、ずっとイメージしていた。想像どおりになって、うそみたい」と笑顔を
見せました。
田知本選手は去年、海外での国際大会の前に不注意から市販の風邪薬を飲んだため、出場を取り消すことになって処分を受けたときや、ともにオリンピック
出場を目指した姉の愛選手が、ことし4月の最終選考会で敗れて出場を逃した時など、精神的に苦しい時期もありましたが、それを乗り越えての金メダルでした。
田知本選手は「姉が負けたあと、ショックで一時、練習に集中できかなったが、ずっとそばにいてくれていると感じていた。きょうの日のために今までの試練が
あった。いっぱいありすぎて『なんで』とも思っていたが、そのすべてが自分を成長させてくれた」と感慨深そうに話しました。
南條監督「人間的成長が金メダルに」
柔道女子日本代表の南條允寿監督は「当初は最初の4階級で金メダル量産と考えていた。うれしい誤算ではないが、女子の7人の代表選手でただ1人、
世界選手権やオリンピックのメダルを取ったことのない田知本が最高の結果を出し、あすからの2人にもつながる」と話し、今大会日本女子初の金メダルを
喜んでいました。
そのうえで、田知本選手が去年、海外での国際大会の前に不注意から市販の風邪薬を飲んだため、出場を取り消すことになって処分を受けたことについて、
「多くの人に迷惑をかけ騒ぎにもなったが、代表選手として責任感を持って行動しないといけないという思いが強くなった。人間的に成長するきっかけになり、
それがきょうの金メダルにつながった」と分析していました。
田知本選手のこれまで
女子70キロ級の田知本遥選手は富山県出身の26歳で、2大会連続のオリンピック出場です。
初出場だったロンドン大会では準々決勝と敗者復活戦で敗れ、7位に終わりました。その後3年間は世界選手権の代表の座を国内のライバルたちに
奪われましたが、去年7月と10月に国際大会を2連勝し、ことし2月の国際大会でも2位に入るなど実績を残しました。そして、4月の国内最終選考会で優勝し、
2大会連続でオリンピック代表の座を勝ち取りました。
田知本選手は世界選手権でも個人でのメダルはありませんが、今大会は快進撃を続け、日本のこの階級では北京大会まで2連覇した上野雅恵さん以来となる
オリンピックの金メダルを獲得しました。

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 19:53:15.16 ID:xzFMokIi.net
地元の富山で後輩らが声援
田知本選手の地元、富山県射水市では中学校や高校の柔道部の後輩などが集まって声援を送りました。
射水市にあるアイザック小杉文化ホールでは10日午後10時からパブリック・ビューイングが行われ、田知本選手が通った小杉中学校や小杉高校の卒業生や
柔道部の後輩など、およそ200人が集まりました。
会場には大型のスクリーンが設置され、決勝でロンドン大会の銅メダリスト、コロンビアの選手を抑え込むと会場は大きな歓声に包まれ、一本勝ちが決まった
瞬間、抱き合って喜んでいました。
中学校時代の柔道部の先輩に当たる男性は「田知本選手の快挙に心が震え、金メダルが決まった瞬間は鳥肌が立ちました。心から『おめでとう』と伝えたい」
と話していました。
高校時代に監督として指導した二瀬寛之さんは「高校時代から非常にまじめで、1つ1つの課題に対しきっちりやる選手だった。きょうは隙のない柔道で目標の
金メダルを取ってくれて本当にうれしいです」と笑顔で喜んでいました。


柔道女子70キロ級 田知本が金メダル
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160811/k10010631011000.html

リオデジャネイロ五輪第6日の10日、柔道女子70キロ級決勝で田知本遥(26)=ALSOK=がジュリ・アルベアル(コロンビア)を下し、
日本選手団女子の金メダル第1号に輝いた。日本の「金」は競泳男子400メートル個人メドレーの萩野公介(21)=東洋大、柔道
男子73キロ級の大野将平(24)=旭化成、体操男子団体総合を含め4個目。
田知本は組み手を封じられる苦しい試合が続いたが、我慢強く戦った。闘争心やスタミナは衰えず、勝負どころで得意技の大外刈りが威力を発揮した。
7位だった前回ロンドン五輪の悔しさを晴らした。
柔道女子は前日までの4階級で頂点を逃したが、田知本の優勝で、1996年アトランタ五輪から6大会連続の金メダル獲得となった。

柔道女子・田知本が「金」 日本女子第1号
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK11H04_R10C16A8000000/

きょうの日のために
田知本遥 最高の舞台で決勝を戦えることを幸せと思った。相手の対策もしてきたけど、自分の柔道をして終わろうと思った。最後は絶対に抑え込んで
離さないつもりだった。時計は見えなかったが、自分であと何秒、と思っていた。(4年間)本当に苦しいことが多かった。でも、きょうの日のために
あったのかなと思う。
歴史に名刻んだ
ベイカー茉秋 朝からすごく調子が良くて、いけるんじゃないかと思った。(この階級で日本勢初の金メダルで)歴史に名を刻んだ。井上監督が
五輪でチャンピオンになったのを見て柔道を始めたので、小さい頃からの夢だった。それが達成できて、すごくうれしい。(監督からは)
一番オーラがあると言われていた。
恐るべし
井上康生男子監督 ベイカー茉秋、恐るべし。彼は大舞台になればなるほど燃えるタイプだが、90キロ級は非常に強豪が多く、厳しい戦いになると思っていた。
最後まで諦めずに泥臭く戦った姿は、初出場で若いのに見事だった。
驚いている
南條充寿女子監督 (日本女子で初の金メダルが)予想とは違うところからだったので、正直驚いている。田知本が出だしのつまずきを全て吹き飛ばしてくれた。
全体的に集中が切れなかったことが一番の勝因。

リオ五輪・談話(柔道)〔五輪・柔道〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081100075

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 19:59:44.88 ID:xzFMokIi.net
「本当に苦しくて、柔道をやめたいと思った。でも、今日のためにあったのかなと思う」。田知本遙選手(26)は試合後、メダルに届かなかった
ロンドン五輪からの4年間の苦闘の日々を「走馬灯のようにこみ上げてくる」と振り返った。
日本柔道陣では1人だけシード権を得られず1回戦から登場した。「最高の舞台で戦えることは幸せだ。自分の柔道を全部出し切ろうと思った」。
決勝は消極的とみなされ指導を受けたが、相手の足技を返して横四方固めに持ち込んだ。「もう絶対離さないと思った」。20秒抑え込んでの一本勝ち。
今大会の日本柔道女子に初めての金メダルをもたらした。
ロンドン五輪ではけがで力を出し切れず7位。「正直若さだけ。目の前しか見えていなかった」と父の又広さん(52)。技を研究され、国内の大会でも勝てない
時期が続き、引退を考えたこともあったという。
昨年2月の国際大会では市販の風邪薬を服用したためドーピング違反の懸念から欠場し、警告処分を受けた。もがき苦しんだが、家族や周囲の励ましを
受けて畳に上がった。4月の全日本選抜体重別選手権で優勝し、下馬評を覆してリオへの切符をつかんだ。
表彰式で金メダルを首にかけられると、手にとってその重みを確かめた。君が代が流れ、掲げられた日の丸を見つめる目に涙が浮かんだ。
表彰式の後、「ずっとほしかったものが今こうして手元にあることが信じられない。本当にこういうふうに報われて最高」と笑顔で話した。
故郷の富山県射水市では市民ら約200人が公共ホールに集まり試合を見守った。「金」という最高の結果に「やった」「おめでとう」と大歓声に包まれた。
田知本選手が県立小杉高に在学中に柔道を指導したという二瀬寛之さん(51)は「ロンドン五輪での悔しい思いを力に変えて本当によくやってくれた。
逆に励まされました」と感慨深げ。小杉高3年で柔道部員の野原陽万里さん(18)は「憧れの先輩。私もうれしいです」と笑顔で話した。

田知本「苦しさ、今日のため」柔道女子金1号
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG11H9X_R10C16A8CR8000/

女子70キロ級の田知本遥(26)が、決勝でジュリ・アルベアル(30)を合わせ技一本で破り、金メダルを獲得した。
2012年のロンドンでは準々決勝で敗れ、敗者復活戦にも敗れる屈辱で7位に終わっていただけに、見事にリベンジを果たした。2分19秒、
谷落としで技あり、横四方固めで押さえ込み、合わせ技一本。天を仰ぎ、目を押さえた。
田知本は、1回戦で周超(29)に谷落とし、けさ固めの合わせ技一本で突破。2回戦は第1シードのキム・ポリング(25)と
延長1分33秒、大外刈り(有効)で勝利。準々決勝はケリタ・ズパンチッチ(26)を延長28秒、谷落とし(技あり)で突破。準決勝では
ラウラ・ファルガスコッホ(26)に大外刈りで技ありを奪い優勢勝ちしている。
田知本遙「苦しかったんですけど、一戦一戦、この日までも苦しかったんですけど、本当に言葉にできないくらいうれしいです。ずっとほしかったものが、
こうして手元にあるのが信じられない。最高です」

【柔道】田知本、女子勢初の金!涙の奪取…女子70キロ級
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160811-OHT1T50083.html

リオデジャネイロ五輪の柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した田知本遥(ALSOK)は、表彰式でメダルを授与された後、
「ずっと欲しかったものが今こうして手元にあることが信じられない」と話した。 田知本は表彰式の後、涙を流す姉の愛(めぐみ)
に金メダルをかけ、喜びを分かち合った。
改めておめでとうございます
「ありがとうございます」
メダルを首にかけてもらったときにちらっと見ましたけど、まだじっくり見てないんじゃないんですか、どうですか、金メダル眺めて
「ずっと欲しかったものが今こうして手元にあることが信じられないです」
ロンドン五輪のときは首が寂しかったですもんね
「そうですね。手ぶらで日本に帰る辛さを知っているので、何が何でもという思いはありました」
「金メダルが決まってから、お姉さんと話すチャンスはありましたか」
「たぶん今そこになんかいました」
目線は合いましたか 「はい」
目ではどんな会話しました
「えへへ、目ではって、ふふふ。『やったよ』っていう」
4年間が報われましたね 「そうですね。こういう風に報われて最高です」
今度は首もとちょっと重い金メダル、持って日本に帰ってください 「噛みしめて。ありがとうございます」

【五輪柔道】女子70キロ級「金」の田知本遥が表彰式で「ずっと欲しかったものが手元にある…」
http://www.sankei.com/rio2016/news/160811/rio1608110044-n1.html

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