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ロスト・スペラー 10

1 :創る名無しに見る名無し:2014/12/10(水) 18:25:08.91 ID:BmNqdeNl.net
やっと二桁に到達

過去スレ
ロスト・スペラー 9
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1404902987/
ロスト・スペラー 8
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1392030633/
ロスト・スペラー 7
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1377336123/
ロスト・スペラー 6
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1361442140/
ロスト・スペラー 5
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1347875540/
ロスト・スペラー 4
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1334387344/
ロスト・スペラー 3
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1318585674/
ロスト・スペラー 2
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1303809625/
ロスト・スペラー
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1290782611/

2 :創る名無しに見る名無し:2014/12/10(水) 18:27:01.78 ID:BmNqdeNl.net
今から500年前まで、魔法とは一部の魔法使いだけの物であった。
その事を憂いた『偉大なる魔導師<グランド・マージ>』は、誰でも簡単に魔法が扱えるよう、
『共通魔法<コモン・スペル>』を創り出した。
それは魔法を科学する事。魔法を種類・威力・用途毎に体系付けて細分化し、『呪文<スペル>』を唱える、
或いは描く事で使用可能にする、画期的な発明。
グランド・マージは一生を懸けて、世界中の魔法に呪文を与えるという膨大な作業を成し遂げた。
その偉業に感銘を受けた多くの魔導師が、共通魔法を世界中に広め、現在の魔法文明社会がある。

『失われた呪文<ロスト・スペル>』とは、魔法科学が発展して行く過程で失われてしまった呪文を言う。
世界を滅ぼす程の威力を持つ魔法、自然界の法則を乱す虞のある魔法……。
それ等は『禁呪<フォビドゥン・スペル>』として、過去の『魔法大戦<スクランブル・オーバー>』以降、封印された。
大戦の跡地には、禁呪クラスの『失われた呪文』が、数多の魔法使いと共に眠っている。
忌まわしき戦いの記憶を封じた西の果てを、人々は『禁断の地』と名付けた。


ロスト・スペラー(lost speller):@失われた呪文を知る者。A失われた呪文の研究者。
B(俗)現在では使われなくなった呪文を愛用する、懐古趣味の者。偏屈者。

3 :創る名無しに見る名無し:2014/12/10(水) 18:29:46.98 ID:BmNqdeNl.net
魔法大戦とは新たな魔法秩序を巡って勃発した、旧暦の魔法使い達による大戦争である。
3年に亘る魔法大戦で、1つの小さな島を残して、全ての大陸が海に沈んでしまった。
魔法大戦の勝者、共通魔法使いの指導者である、偉大なる魔導師と8人の高弟は、
唯一残った小さな島の東岸に、沈んだ大陸に代わる、1つの大陸を浮上させた。
それが現在の『唯一大陸』――『私達の世界<ファイセアルス>』。
共通魔法使い達は、8人の高弟を中心に魔導師会を結成し、100年を掛けて、
唯一大陸に6つの『魔法都市<ゴイテオポリス>』を建設して世界を復興させた。
そして、共通魔法以外の魔法を『外道魔法<トート・マジック>』と呼称して抑制した。

今も唯一大陸には、6つの魔法都市と、それを中心とした6つの地方がある。
大陸北西部に在る第一魔法都市グラマーを中心とした、砂漠のグラマー地方。
大陸南西部に在る第二魔法都市ブリンガーを中心とした、豊饒のブリンガー地方。
大陸北部に在る第三魔法都市エグゼラを中心とした、極寒のエグゼラ地方。
大陸中央に在る第四魔法都市ティナーを中心とした、商都のティナー地方。
大陸北東部に在る第五魔法都市ボルガを中心とした、山岳のボルガ地方。
大陸南東部に在る第六魔法都市カターナを中心とした、常夏のカターナ地方。
共通魔法と魔導師会を中心とした、新たな魔法秩序の下で、人々は長らく平穏に暮らしている。

4 :創る名無しに見る名無し:2014/12/10(水) 18:35:51.84 ID:BmNqdeNl.net
……と、こんな感じで容量一杯まで、設定を作りながら話を作ったりする、設定スレの延長。
時には無かった事にしたい設定も出て来るけど、その内どうにかしたい。
規制に巻き込まれた時は、裏2ちゃんねるの創作発表板で遊んでいるかも知れません。

5 :創る名無しに見る名無し:2014/12/11(木) 03:03:11.58 ID:VwLFn2bs.net
まってました

6 :創る名無しに見る名無し:2014/12/11(木) 18:20:10.69 ID:w9/85EKA.net
物足りない用語集


魔力(magenergy)


あらゆる魔法を使うのに必要な力。
ファイセアルスに有り触れており、気体分子の様に流動的。
魔力を魔法陣に、電気の様に流す事によって、共通魔法は発動する。
詠唱の場合は、発声で魔力を誘導して発動する。
魔力は人体には蓄積せず、魔法を使う際には、その場の魔力を消費する。
よって、場の魔力が尽きると、魔法が発動しなくなる。
一度魔力が尽きても、時間が経てば、少しずつではあるが、どこからとも無く魔力が湧いて来て、
場の魔力は回復する。
場によって魔力の性質は異なり、それが描文や詠唱に影響する。


魔法資質(sence of magic)


魔法の才能、特に魔力感知能力を指す。
生まれ付きで限界が決まっている為、心身が成長しても上限が伸びる事は無いが、
体調や環境条件によって上下するので、訓練で変動幅を少なくする事は出来る。
大体は視覚とリンクして、魔力の濃淡を目に映す働きをするが、ファイセアルスの人間の大多数は、
態々そんな事をしなくても、空間の魔力を直観的に捉えられる。
これが低いと、弱い魔力を感じられなくなる為、呪文を完成させるのが困難になるが、
魔法資質自体は魔法を発動させる必要条件ではない。
魔法資質が高い者は、自然と魔力を纏う様になり、より魔法資質が低い者を威圧する。
しかし、魔法資質が極端に低い者は、逆に全く威圧されなくなる。


魔法色素(magical pigment)


ファイセアルスの人間や動植物の大多数に具わっている、魔力に反応する特殊な色素。
魔法を使用する等して、多量の魔力に触れると、美しく発光する。
但し、人によって濃淡がある上に、魔法の才能とは全く関係が無い。
赤、青、緑の光の三原色で構成され、その合成の水色、黄色、紫、白を加えた7パターンが存在する。
三原色で遺伝し、血液型の様な働きもする。
例えば、赤と青の親から生まれた子は、赤、青、紫の何れかになる。
稀に全部の魔法色素を持つ者や、全く魔法色素を持たない者も居る。
これも生まれ付きで、後天的に変色したり、濃くなったりしない。

7 :創る名無しに見る名無し:2014/12/11(木) 18:26:35.96 ID:w9/85EKA.net
主な登場人物


ワーロック・「ラヴィゾール」・アイスロン


多分、最も登場が多い人物。
ティナー地方出身の、元落ち零れ共通魔法使いの男性。
巻き込まれ体質で、優柔不断、中肉中背の冴えない奴。
魔法資質が低い為に、殆ど魔力を感じられない。
禁断の地にて、大魔法使いアラ・マハラータ・マハマハリトに救われた際、本名に代えて、
Laveisallと言う名を与えられ、彼に弟子入りする事となる。
その後、自分の名前を取り戻し、独自の魔法「素敵魔法」の使い手になる。
普段は旅商をしており、行く先々で外道魔法使いと顔を合わせている。
基本的には、共通魔法と外道魔法の間に立つ存在。


サティ・クゥワーヴァ


最近出番が余り無いけど、一応主人公格。
非常に高い魔法資質を持つ、共通魔法使い。
グラマー地方の良家の第三子。
魔導師会に所属し、古代魔法研究所に勤務していた。
出来心で禁断の地に入り、そこで自分の知らない世界に触れて、各地を巡る旅に出る。
その後、現生人類の秘密を知り、魂の故郷デーモテールへと渡った。
緑の魔法色素を持つ。
そろそろデーモテールの他世界の話も書きたいので、今後は出番が増える予定。

8 :創る名無しに見る名無し:2014/12/11(木) 18:32:20.01 ID:w9/85EKA.net
ジラ・アルベラ・レバルト


共通魔法社会の治安を守る、魔導師会の執行者。
紫の魔法色素を持つ女性。
ブリンガー地方出身。
サティ・クゥワーヴァの護衛兼監視役として、彼女の旅に同行していた。
その後は魔導師会の八導師親衛隊に入隊する。
魔導師会の側から、色々な事件を追う事になるかも。


コバルトゥス・ギーダフィ


青の魔法色素を持つ、精霊魔法使いの男性。
幼くして両親と死に別れ、現在は独りで各地を渡り歩いている。
女好きの遊び人で、根無し草の放蕩者。
顔が良いのと社交的なのが取り得。
素手の喧嘩は弱いが、剣を持たせれば一級品。
魔法資質は高い方で、精霊の存在を感じて、会話する事が出来る。


レノック・ダッバーディー


ティナー地方を中心に活動する、魔楽器演奏家。
特に笛の演奏が得意で、常に木笛や石笛を持ち歩いている。
見た目は少年でも、中身はン百ン千歳。
上から目線で生意気。
実際は定まった形を持たないが、好んで少年の容姿を取っている。
音楽さえあれば、睡眠も食事も必要としない、便利な体の癖に、人の真似が好き。
偶に遠出をして、見聞を広める。
多くの外道魔法使いと知り合いで、知恵者と呼ばれ、頼りにされている。

9 :創る名無しに見る名無し:2014/12/11(木) 18:34:53.29 ID:w9/85EKA.net
バーティフューラー・トロウィヤウィッチ・カローディア


色欲の踊り子と呼ばれる、舞踊魔法使い。
「トロウィヤウィッチの魔法」と言う、強力な魅了の能力を持ち、別に踊っていなくても、
その気になれば男女や種族を問わず、魅了出来る。
魔法色素は七色に変色し、人の好みによって、印象も変化する。
禁断の地の村で暮らしていたが、ラヴィゾールと出会った事で、外の世界に興味を持ち、
共通魔法社会に飛び込んだ。
ティナー市に潜伏しながら、男を引っ掛けて暮らしていた所、ラヴィゾールと再会して、
何や彼やあって、恋愛相談所を経営する事になる。
その後、又も何や彼やあって、ラヴィゾールと結婚する。


リベラ・エルバ・アイスロン


元貧民街の孤児で、ワーロック・アイスロンの養娘。
養父から習った、共通魔法と擬似素敵魔法を使える。
魔法色素は黄。
実父を知らず、実母とは死別して、ワーロックの養子となった後に、カローディアを義母として迎える、
複雑な経緯から、人に言えない悩みを抱えている。
表向きには、父を慕う素直な良い子。

10 :創る名無しに見る名無し:2014/12/11(木) 18:37:25.11 ID:w9/85EKA.net
ヒュージ・マグナ


ティナー中央魔法学校の中級課程に通う男子。
魔法資質が高く、運動神経が良く、それなりに頭も回る、恵まれた才能の持ち主。
お調子者で人望もあるが、授業態度は不真面目で、悪戯好き。
その為、問題児四人組の1人とされている。
生まれは極々一般的な家庭。
周囲からは期待されているが、本人に魔導師になる積もりは無い。
将来の夢は、機巧の技術者。
魔法色素は赤……?
未だ設定してなかったと思う。


グージフフォディクス・ガーンランド


ヒュージと同じくティナー中央魔法学校の中級課程に通う女子。
裕福な家に生まれ育ち、将来は魔導師になろうと思っている。
才能はヒュージ程ではないが、彼とは逆に真面目で、教師の覚えも良い優等生。
愛称はグー、グーちゃん、グーちゃんさん。
座布団蛙のアドローグルと言う使い魔を持つ。
ヒュージとは公学校が同じで、その頃の付き合いから、彼には「委員長」と呼ばれているが、
止めて欲しいと思っている。
一方で、グージフフォディクスもヒュージを、当時の渾名であるヒューと呼ぶ。
周囲には誤解され易いが、両者は馴染みがある分、気安いだけで、特別に仲が良い訳ではない。
魔法色素は青……?
どこかで設定していた様な気がする。
ヒュージとグージフフォディクスには、魔法学校での日常を紹介する役割を果たして貰う予定。

11 :創る名無しに見る名無し:2014/12/12(金) 18:21:17.13 ID:ifkoz8ED.net
プラネッタ先生の授業


皆さん、お早う御座います。
今回は旧暦の信仰について、勉強しましょう。
魔法の歴史を学ぶのに、信仰や宗教は避けては通れない道です。
旧暦の信仰は、人々の心の拠り所であると共に、魔法と深く結び付いて、社会に根付いていました。
最も有名な物は、やはり神聖魔法使いと関連した、一神教の神聖教です。
神聖教は他の魔法勢力を、悪魔の使徒と呼んでいましたが、神聖教も一枚岩ではありませんでした。
神聖教自体は一神教であるにも拘らず、最大派閥が多神派だったと言う事実があります。
元始の神聖教は、宇宙の創造神を父とし、大地を母とする物でした。
神は宇宙の創造神のみで、他の物を神とは呼びません。
これが神聖教一神派と呼ばれる、最も純粋な原理主義者の態度です。
所が、元始神聖教が起こると同時期に、母なる大地も神として信仰対象に含めた、
二神派が誕生します。
父神は無名で、『主』、『長』、『父』等と呼ばれました。
母神も無名で、『大地』、『礎』、『母』等と呼ばれました。
当初2つの派閥は、殆ど衝突せずに、共存していました。
しかし、二神派が母星も神とした事で、他の天体も神として信仰対象にする者が現れました。
それが星神派です。
星神派は父神を主神として、母神と同格の位置に、以下の神を設けました。
主神の分身である太陽神シェンと、母神の姉妹である月の神ルン、そして、
天の無数の星々の神々セステリア。
星神派は個々の星の神をセステと称し、母神もセステの一と位置付けました。
母神の扱いが軽い事で、星神派と二神派は折り合いが悪かったと言います。
逆に、一神派とは関係が良好で、二神派との仲立ちを依頼する事もあったそうです。

12 :創る名無しに見る名無し:2014/12/12(金) 18:45:41.19 ID:ifkoz8ED.net
更に、星神信仰が変形して、他地方の土着の信仰と組み合わさり、複数の下位神を信仰する、
神聖教多神派が誕生します。
先ず、精霊信仰の影響で、火、水、土、風の下位神上位四柱が設定されました。
土と力の神フォルティス、火と知の女神ウィザージ、水と能の神エルゴーン、風と運の女神ガルーカ。
次に、人の生死や物事の始終を司る、下位神中位三柱が生まれます。
生の神ベルティス、終の神アンティス、自然神ナスカ。
更に、人間が日常的な生活を送る中で、無数の下位神が生まれます。
戦争の神ヴァル、商売の神ビューク、農耕の神カロー、海の神セヒ、人の神ゴーマ、
動物の神デクー、川の神レイ、家の神ハイマ、植物の神グレフ等……。
単純に「人の役に立つ」、「人を幸せにする」と言った、俗的な側面を持つ下位神は、
その性質が故に、多くの人々の支持を得ました。
一神派の人々にとっては、多神派は邪道なのですが、余りに庶民的な人気があった為に、
信仰を禁じる訳にも行かず、辻褄を合わせる為に、神聖教の指導者達――神聖教会は、
創世神話に続く新たな神話を創作します。
父なる神は母なる星神との間に人を創った後、シェンとルンを配して人を見守らせ、人の営みの中で、
物事が全て恙無く運ぶ様に、地上の法を司る下位神を創った――と言う風に。
「多数の神」を受け容れられない一神派にも配慮して、『神<ゴッド>』と『星神<デーイ>』を使い分け、
下位神を全て『天使<エル>』とする事で、何とか折り合いを付けました。

13 :創る名無しに見る名無し:2014/12/12(金) 18:51:07.55 ID:ifkoz8ED.net
神聖教会は精霊信仰を元にした下位神上位四柱や、その他の信仰や崇拝を元にした神々を、
自らの神話体系に組み込み、神聖教を各地に広めました。
そして、当時の陸地の殆どを影響下に置く大勢力になりましたが、それに関連する魔法――
精霊魔法や呪詛魔法までは受容しませんでした。
下位神の魔法は外道と言う事を示す為に、火と知の女神ウィザージが人間に魔法を与え、
惨事を引き起こして、主神に罰せられると言う神話があります。
概略は次の通りです。
主神は『聖君<ホリヨン>』と敬虔な祈り子のみに、「聖なる力」を与えました。
その様な力を持たない辺境の蛮族の王は、隣の小さな国を攻め滅ぼす為に、野心を隠して、
火と知恵の神ウィザージに、「選ばれた者にしか魔法を使えないのは不公平だ」、
「私にも魔法を使わせて欲しい」と訴えます。
ウィザージは王に同情して、全てを焼き尽くす炎の力を授けました。
……知の神なのに、杜撰な裁定をした事には、目を瞑りましょう。
その後、今度は小さな国の王がウィザージに、隣の国の侵攻を防ぐ為に、魔法を使わせて欲しいと、
訴えて来ます。
両者の関係を知らない儘、ウィザージは2人の王に炎の力を授けました。
結果、2つの国は燃え尽きて消滅してしまいます。
これを知った主神は怒って、ウィザージの力を制限しました。
四大属性でありながら自然の中に火が見られず、多くの動植物が人間程の賢さを持たないのは、
この為だと言われます。

14 :創る名無しに見る名無し:2014/12/12(金) 18:52:32.81 ID:ifkoz8ED.net
お伽噺と言ってしまえば、それまでなのですが、これは重要な寓話でもあります。
私達『共通魔法使い<コモン・スペラー>』は、火の力を与えられた王と同じです。
力の使い方を間違えれば、自らの身を滅ぼし兼ねません。
今は魔導師会が、魔法を管理する立場です。
旧暦の共通魔法使いは、魔法を使う権利を人々に解放しました。
後世、それが過ちであったと言われない様に、私達は気を付けなければなりません。
今日の授業は、ここまで。
次回は、他の宗教や信仰についても、触れて行きましょう。

15 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 18:27:53.39 ID:C85dXvrR.net
悪夢


第四魔法都市ティナー繁華街 アパート・エーブルにて


この日、旅商の男ラビゾーは、バーティフューラーに誘われて、彼女が住んでいるアパート・
エーブルの一室に一泊する運びになった。
事の起こりは、何時ものデートが終わって別れ際の、それと無い一言。

 「ね、ラヴィゾール……。
  今日は家に泊まって行かない?」

 「それは不味いでしょう」

初め、ラビゾーは断った。
大人の男女が一つ屋根の下で一夜を共にすると言う事は、男女の契りを結ぶと同義である。
少なくとも今の時点では、そう言う関係になるには早いと、ラビゾーは思っていた。

 「変な勘違いしないでくれる?
  アンタが貧乏暮らしだって言うから、偶には泊めてやっても良いって、それだけの話よ」

 「でも、非常識ですよ」

唇を尖らせるバーティフューラーを、ラビゾーは諌めるも、それが通じる彼女ではない。
外道魔法使いのバーティフューラーは、共通魔法社会の常識に縛られない者なのだ。

 「常識とか非常識とか、アタシには何の関係も無いわ。
  妙な下心が無いと胸を張って言えるなら、泊まって行っても良いでしょう?
  それとも……自制心を保てる自信が無いのかしら?」

彼女はラビゾーを挑発した。

 「そうじゃなくて……」

ラビゾーは否定から入って、上手い断り方を探るも、それを許さない様にバーティフューラーは、
間を置かず食い下がる。

 「だったら――」

 「わ、分かりました。
  有り難く、お世話になります」

こうなったら拗れるのは必至。
こんな事で仲違いしても仕方無いと、ラビゾーは直ぐに折れるのだった。

16 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 18:29:55.24 ID:C85dXvrR.net
バーティフューラーに案内され、アパート・エーブルの3‐3号室に入ったラビゾーは、
小綺麗に片付いた中を見て、何だか申し訳無い気持ちになった。
長旅をするラビゾーの身形は、如何にも貧相で、この場に不似合いなのだ。

 「どうしたの?
  早く上がってよ」

バーティフューラーは入り口で立ち尽くしているラビゾーの背を押し、中に上がらせると、続けて言う。

 「取り敢えず、その服脱いで」

 「えっ……」

突然何を言い出すのかと、ラビゾーは身構えた。
その反応を受けて、バーティフューラーは深い溜め息を吐く。

 「汚いでしょう?
  着替えて欲しいの。
  シャワー・ルーム、使って良いから」

 「あぁ、はい……」

面と向かって汚いと言われてしまい、ラビゾーは落ち込んだ気持ちで、浴室に向かった。

17 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 18:35:10.12 ID:C85dXvrR.net
シャワーを浴びながら、バーティフューラーは一体何の積もりで、自分を招いたのだろうかと、
ラビゾーは丸で物を知らない少女の様に思い耽る。
単なる善意からの誘いとは、余り思えなかった。
彼がバーティフューラーに抱いている印象は、即物的で回り諄い事を嫌い、押しが強くて、
少し面倒臭い、自分を気に掛けてくれる、「割と良い人」だ。
そして、「割りと良い人」なのは、自分に気がある為ではないかと、思っている。
だが、バーティフューラーは男を引っ掛けて遊んでいる様な女なので、毎回「デート」する度に、
その好意が「恋愛感情」から来る物か、それとも顔見知りに対する気安い「親切」や、
「冷やかし」に過ぎないのか、判断が付かない。
それを明確にする度胸も、今のラビゾーには無かった。
仮にバーティフューラーが本気だったとしても、未だ男女の仲になる時ではないと、彼は信じていた。
しかし、それはラビゾーの勝手な都合だ。
一般的な男女が、どの様にして至るのか、色恋に疎い彼が熟知している訳も無いので、もしかしたら、
バーティフューラーの方は既に十分だと思っているかも知れない。
もう2人は、何度目か数えなければならない程、デートを重ねている。
「普通」ならば、何らかの進展があっても、おかしくはない付き合いなのだ。

 「はぁ……」

浴室の棚に並べられた、化粧品の数々を見て、ラビゾーはバーティフューラーが女である事を、
一層強く認識し、思い切れない自分が悪いのだろうかと、深刻に悩むのだった。

18 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 18:46:21.97 ID:C85dXvrR.net
簡素な軽装に着替えて、浴室から出たラビゾーを、食欲を刺激する良い香りが迎える。

 (何か作ってるのかな?)

そう思ってラビゾーがL&Dルームへ移動すると、エプロンを着けたバーティフューラーが、
丁度盛り付けをしている所だった。
彼女は鼻歌を遊んでいて、とても機嫌が良さそうで、ラビゾーは吃驚する。
それは今まで彼が見た事も無い、愛らしく魅力的な姿だった。

 「こんな物かな?
  さ、座って。
  一緒に食べましょう」

最後の仕上げを終えて、ラビゾーに微笑み掛けるバーティフューラー。
これは夢ではないかと、ラビゾーは頬を抓った。
余りに自分にとって都合が好過ぎる。
家庭の温もりが独り身に沁み、異様な程の安心感に包まれ、逆に落ち着かなくなる。
言われる儘、浮付いた心地で着席したラビゾーに、バーティフューラーは含羞みながら尋ねる。

 「こうして人に食べて貰うのは初めてだから、少し張り切ってみたの。
  良かったら、感想を聞かせて。
  どうかな……?」

ラビゾーは舌を噛んで、緩む頬を引き締めた。
少しでも気を抜けば、忽ち腑抜けにされて、再び立ち上がれなくなるだろう確信があった。
魅了の魔法なのか、本当に心が揺れているのか、どちらかは判らないが、今の精神状態が、
尋常でない事だけは解っていた。

19 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 18:12:11.93 ID:VVTKFPjt.net
ラビゾーは慎重に料理を口に運ぶ。
真面目な彼は、真剣に料理を評価する事が、真摯さの証明だと思い込む事で、
この恐ろしい魅了の罠を回避しようとした。

 (惑わされては行けない。
  バーティフューラーさんは『料理の感想を聞きたがっている』んだ。
  実際に食べてみるまでは……口に入れてみるまでは、判らない)

客観的に見れば、難癖を付けようとしている、嫌らしい男だろう。
どうして、そこまで頑なになる必要があるのか?
それはラビゾーが自分を未熟者だと思っている為だ。
バーティフューラーは美人だし、好意を持たれているなら、悪い気はしない。
だが、自分の魔法を見付けて、一人前の男にならなければ、人並みの幸せを求める資格は、
得られないと決め付けている。
ここで絆されては、彼は永遠に惨めな男の儘で、生きて行かなければならない。
そんな強迫観念めいた妄執がある。

 「頂きます」

ラビゾーは小声で言うと、先ずは卵綴じを匙で掬い、口に運んだ。

20 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 18:18:31.83 ID:VVTKFPjt.net
湯上りの乾いた喉に、温かいスープが沁みる。
仄かな甘味の中に、程好く塩味が利いた、妙の一品だった。
甘過ぎず、辛過ぎず、丸で自分に合わせたかの様な口当たり。
普段、出来合い物や即席物を食べているラビゾーには判る。
これは手作りの味わいだ。

 「どう……?」

一口分を長らく味わうラビゾーに、バーティフューラーは少し緊張して尋ねる。

 「とても普通と言うか、不思議な……何時も食べ慣れているかの様な……。
  あ、美味しいんですよ、勿論。
  美味しいんですけど……、どう言えば良いのか……。
  絶品とは行かないんですけど、落ち着くと言うか、安心すると言うか……。
  『優しい』味ですね」

「毎日食べたくなる味だ」と言ってしまえば、簡潔に済むのだが、それは禁句だろうと、
ラビゾーは敢えて、その表現を封じた。
よく分からない評価に、バーティフューラーは呆れた様に、忍び笑った。

 「『優しい』って……。
  アンタ、面白い感性してるのね」

彼女は自らも料理に手を付ける。
同時に、ラビゾーの浮付いた感覚は消え、漸く脱力出来る様になる。

 「ニュアンスが伝わりませんか?
  『美味しい』には変わり無いんですけど、飽きが来ないと言うか……。
  バーティフューラーさん、料理、出来たんですね。
  意外に家庭的で――」

 「ん、意外って何?
  聞き捨てならないわね」

バーティフューラーに鋭い眼で睨まれ、ラビゾーは失言だったと焦った。

 「いや、何時も外食だった物ですから……」

 「そうね、薄々そう思われてるんじゃないかとは、思ってたの。
  だから、こうして出来る所を見せたのよ」

 「あ、そうなんですか……。
  誤解して済みません」

 「良いのよ、別に。
  謝らないでよ」

以後は和やかな雰囲気で、2人は楽しい時を過ごした。

21 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 18:20:26.20 ID:VVTKFPjt.net
後は眠るだけとなって、果たして、何事も無いのだろうかと、ラビゾーは兢々としていた。
女性の独り暮らしで、部屋に余裕がある訳も無く、寝室もベッドも1つのみ。
深い意図が無ければ、ラビゾーはL&Dルームのソファーで眠る事になるだろう。
そうなる事を望んでいた。
泊まらせて貰っている立場で、自分から寝床は別に用意してくれと言うのも、厚かましい気がして、
取り敢えずラビゾーはバーティフューラーの出方を待つ。
湯浴みを終えたバーティフューラーは、バスローブだけと言う危うい格好で、ラビゾーに尋ねる。

 「家にはベッドが1つしか無いんだけど、どうする?」

 「ソファーで寝ます」

ラビゾーは彼女から目を逸らして、即答した。
バーティフューラーは小さく笑うと、軽い調子で再び尋ねる。

 「一緒に寝ない?」

 「……僕は、そんな風にはなれないです」

「そんな風」と言うのは、気軽に女性と肌を重ねる男性の事だ。
千載一遇の機会だったとしても、自分の気持ちの整理が付かない内に、関係を持つ事は出来ない。
ラビゾーは自分の気持ちと向き合うのにも時間が必要な、面倒臭い男なのだ。
それを聞いたバーティフューラーは、少し寂しそうに俯く。

 「そうじゃなくて、本当に隣で寝てくれるだけで良いの」

本気で言っているのかと、ラビゾーは眉を顰めた。

 「僕達は良い大人ですよ」

22 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 18:31:22.10 ID:VVTKFPjt.net
彼にしては正論である。
大人の男女が臥所を共にして、何事も無く済むと思うのは、非常識だ。
如何にラビゾーが、自分からは手を出せない臆病者と言っても。
バーティフューラーは外の常識が通じない、禁断の地の村で暮らしていたが、そこだって、
大人の分別まで存在しない白痴の土地ではない。
密かに事を期待しているならば、口では何もしないと言いながら女を宿に連れ込む男の様な、
馬鹿な嘘は吐かないで欲しいと、ラビゾーは思う。
突き放されたバーティフューラーは、俯いた儘でラビゾーに問い掛けた。

 「ラヴィゾール、独りが寂しいと思った事は無い?」

ラビゾーは彼女の真意を量り兼ね、暫し答に迷った。

 「……思わない事も無いです。
  でも……、これでも僕は大人の男です」

 「強いのね」

強がりに過ぎないと、笑われると思っていたラビゾーは、予想外の反応に戸惑う。

 「バーティフューラーさんは……寂しい――ん、ですか……?」

 「何時だったか、話したよね?
  アタシの父さんと母さんの事」

バーティフューラーの両親は幼い頃に亡くなっており、姉妹2人で暮らして来たと、
ラビゾーは聞いていた。

 「小さい頃はルミーナと抱き合って眠ったわ。
  暗闇に怯える様に。
  今は、もう怖くはないけれど……時々無性に虚しくなるの。
  これだけ人が沢山いる街で、アタシは外道魔法使いとして独り……」

そう言う気持ちは、ラビゾーにも解らないではなかった。
彼も共通魔法使いとも外道魔法使いとも言えない立場で、長年両者の間を揺蕩っている。
どっち付かずの存在だ。

23 :創る名無しに見る名無し:2014/12/15(月) 18:22:19.73 ID:K8aByIrR.net
バーティフューラーはラビゾーの手を取る。
ラビゾーは反射的に引き掛けて、僅かに身動ぎするだけで、思い止まった。

 「アタシ、村を出て、この街でアンタと再会した時、何て言うかな……安心したの。
  他の男と居ても、その時のアタシは偽りで……。
  アンタだけが、本当のアタシを知ってる」

 「別に、僕だけじゃないでしょう。
  村の人とか、他の魔法使いとか……」

 「あのね、そう言う事じゃないの。
  解るよね?」

 「……はい」

妙な雰囲気に、いよいよ告白されるのだろうかと、ラビゾーは心構えた。
そして、どう応えるべきか、どうするのが『賢明<スマート>』なのか、今の内から懸命に知恵を絞る。

 「どんなに身を寄せても、心の隙間は埋められない」

そう言いながら、バーティフューラーは体を密着させる。
柔肌の温もり、洗髪剤の匂い……。
だが、ラビゾーは欲情よりも、ここで答を出さなければ行けないのかと言う、焦りの方が勝っていた。
彼女の台詞も全く上の空。

24 :創る名無しに見る名無し:2014/12/15(月) 18:25:29.55 ID:K8aByIrR.net
バーティフューラーは切ない声で囁く。

 「一晩だけで良いの。
  本当に何もしないわ」

あれこれ悩んでいた所で、そう言われた物だから、ラビゾーは思わず噴き出した。
呆気に取られた後、どうして笑うのかと、剥れて無言で抗議するバーティフューラー。
ラビゾーは困り顔で問う。

 「他の男の人に、同じ台詞を言われた事があるんですか?」

 「どうして今、そんな話を?」

 「全く立場が逆ですよ。
  丸で女の子を誘う悪い男みたいな」

バーティフューラーは赤面して、否定した。

 「違うのよ、本当に全然そんな積もりじゃなくて!」

 「……本当に全然、何の期待もしてないんですか?」

それはそれで悲しい事だと、ラビゾーは思う。

 「ム、ム、ムム、そ、それは……」

虚を突かれたバーティフューラーは、暫し思案した後、開き直った。

 「別に良いのよ?
  したいって言うなら、好きにすれば?」

答を急かされている訳ではないと知って、ラビゾーは安堵した。

25 :創る名無しに見る名無し:2014/12/15(月) 18:27:58.76 ID:K8aByIrR.net
彼は苦笑いして、気恥ずかしそうに言う。

 「いや、したい訳じゃないんですけどね……」

 「何なのよ、アンタ!
  巫山戯てるの?」

バーティフューラーに詰め寄られ、ラビゾーは平謝った。

 「いえ、済みません。
  バーティフューラーさんが、そんな事を言うとは思わなくって」

彼女は不満を抑えて納得し、ラビゾーに決断を迫る。

 「――で、どうなの?
  イエスかノーか、答えてよ」

 「……やっぱり不味いんじゃないですかね?」

憖、行けそうな雰囲気だっただけに、バーティフューラーは酷く落胆した。
確かに、心は揺れ動いていたが、後一押しが足りなかったのだ。

 「はぁ……、そんなに嫌?」

がくーっと気落ちしたのが、ラビゾーの目にも判った。
彼とて何の罪悪感も湧かない訳ではないが、一時の感情に流されてはならないと、毅然と振舞う。

 「嫌とか、嫌じゃないとか、そんな次元の話ではありません。
  解って貰えませんか?」

 「……じゃあ、責めてアタシが眠るまでは側に居てよ」

 「その位なら」

バーティフューラーの妥協案に、ラビゾーは素直に乗った。

26 :創る名無しに見る名無し:2014/12/15(月) 18:33:03.19 ID:K8aByIrR.net
ナイトガウンに着替えたバーティフューラーは、鏡台の前に座ると、慣れた手付きで髪を結って、
顔に化粧水を塗る。
何気無い仕草の艶妙さに、ラビゾーは目を奪われるも、直ぐ我に返って視線を逸らした。
年齢相応の恥じらいや慎みを持つなら、こうした所作は先ず他人には見せない物だ。
それを隠さずラビゾーに見せるのは、親愛の証なのか、それとも男として見ていないのか?
どちらだろうと思いながら、ラビゾーは立ち尽くして待つ。
本当に異性として好意を持っているなら、他の男を誘うのは止めて欲しいと、彼とて思う。
しかし、それを言ってしまうと、ラビゾーは責任を取らなくてはならなくなる。
彼は自分の魔法を未だ見付けていない所か、その目処さえも立たない現状。
更には、師に名と共に封じられた過去に、顔も名前も思い出せない、大切な人々を残している。
自分の魔法を見付け、己の名前を取り戻した時、ラビゾーは変わらず今の自分で居られる、
自信が無かった。
彼にとって過去は重大な物であり、取り戻さなければ先に進めない物。
半端者の儘、惰性で妥協した様にバーティフューラーを迎える事は出来ない。
弱い心で彼女に応じるのは失礼だと思っていたし、「逃げ」の様で小さな誇りが許さなかった。
バーティフューラーを縛る権利を、今のラビゾーは持たない。
待っていてくれと言う事も出来ない。
何時か彼女は他の男を見付けて、離れて行ってしまうかも知れない。
それは悲しいが、そうなっても仕方無いと思っていた。

27 :創る名無しに見る名無し:2014/12/15(月) 18:37:15.57 ID:K8aByIrR.net
バーティフューラーは布団に潜り込み、照明を消して、ラビゾーを呼び寄せる。

 「ラヴィゾール、こっちに来て。
  手を取って」

ラビゾーはベッドの脇に腰掛け、バーティフューラーと互いの左手を繋いだ。

 「ラヴィゾール、アタシ達、村では付き合ってたよね?
  覚えてる?
  アンタはアタシに捧げられた、生け贄で――」

 「違いますよ、生け贄なんかじゃありません」

 「うん……、そうだね。
  アタシ、アンタと一緒で楽しかった」

バーティフューラーは魅了の能力を持つために、禁断の地の村では避けられていた。
そこに宛てがわれたのがラビゾーで、彼と共に居る間は、バーティフューラーも村人と交流出来た。

 「……外(こっち)は、どうですか?」

 「アタシは外道魔法使いだから。
  やっぱり、少し寂しいかな……」

 「他に良い人は見付かりませんか?」

 「顔が良くて、お金持ちで、紳士的で、そんな男なら一杯居るわ。
  実際に付き合いもした。
  でも、アタシが外道魔法使いだと知っても、受け容れてくれるかな?」

共通魔法社会では、外道魔法使いは良い目で見られない。
どこに居ても、バーティフューラーは孤独なのだ。

28 :創る名無しに見る名無し:2014/12/16(火) 18:38:21.74 ID:jBw2oQxa.net
ラビゾーは慰めの言葉を掛ける。

 「バーティフューラーさんなら、受け容れてくれる男の人も居ますよ」

 「そうね、アタシの魔法があれば、断れる男なんて居ないわ。
  アタシを拒める男なんて――……。
  でも、それじゃ駄目なのよ、ラヴィゾール。
  言い成りの奴隷が欲しいんじゃないの」

 「難儀ですね……」

 「アンタも人の事は言えないでしょう?」

ラビゾーが答に窮して苦笑いすると、バーティフューラーは意地悪く笑った。
彼女は目を閉じて、安らかな表情で続ける。

 「……何だか、可笑しいね。
  ラヴィゾール、こうして傍に居てくれるのって、初めてなんだよ?
  あんなに一緒に居たのに。
  アタシ、もっと近い積もりだった」

禁断の地の村で、ラビゾーとバーティフューラーは毎日の様に会っていたが、
互いに踏み込む事は無かった。
それは何年も前の話……。

 「あの頃は何も不足に感じていなかったの。
  太陽が見ている間、一緒に居るだけだったのに……。
  若かったのね」

ラビゾーと出会ったばかりのバーティフューラーは、未だ少女と言える年齢だった。
今でも素顔は然程変化無いのだが、心とて同じ儘ではない。

29 :創る名無しに見る名無し:2014/12/16(火) 18:42:25.29 ID:jBw2oQxa.net
バーティフューラーは目を閉じた儘、深呼吸を1つして、ラビゾーに問い掛ける。

 「アンタは……どうだったの?
  アタシと一緒に居て……。
  アタシの事、どう思ってた?」

繋いだ手から、彼女の脈が早くなっているのが伝わり、ラビゾーは申し訳無く思った。
望まれているだろう答を、彼は口には出せないから。

 「……バーティフューラーさんは、楽しそうでした。
  だから、それで良いと、僕は思っていました」

 「そう……。
  そうね、アンタもアタシも、『それで良い』と思っていた。
  肌や唇を重ねるだけが、愛じゃない物ね……。
  でも……」

バーティフューラーは深い溜め息を漏らす。

 「んーん、良いのよ、別に良いの。
  今の関係を、ずっと続けるなら、それはそれで。
  アタシがアンタに飽きるまで……」

彼女は独りで納得する。
それは本当に言いたい事を押し止めて、強引に自分に言い聞かせている様だった。

30 :創る名無しに見る名無し:2014/12/16(火) 18:44:01.39 ID:jBw2oQxa.net
本心は違うだろうと、ラビゾーは感じた。
今の儘で良いなら、態々家に誘ったりしない。
では、バーティフューラーは自分を何だと思っているのだろうか?
そう尋ねようとして顔を窺うと、彼女は既に静かな寝息を立てていた。
やはり聞かない方が良いと思い止まり、ラビゾーは肩の力を抜く。
バーティフューラーはラビゾーの手を確り握っていて、起こさずには放せそうに無い。
己の腑甲斐無さに、胸が痛い。

 (どうしよう……。
  寝付いた所で、起こすのも悪いし……)

ラビゾーは何針も迷った後、仕方無く、跪く様にベッドの端に寄り掛かった。
少々寝苦しくはあったが、やがて睡魔の方が勝り、深い眠りに落ちる。
そして、彼は夢を見た――……。

31 :創る名無しに見る名無し:2014/12/16(火) 19:20:47.24 ID:jBw2oQxa.net
場所は、どこかの魔法学校。
その日は実技の授業があった。
皆が魔法を使える中で、自分だけが魔法を使えない。
呪文を何度も確認し、詠唱と描文を繰り返す。
……やはり魔法は発動しない。
教師や同級生の憐れむ様な視線が刺さる。
焦燥ばかりが募り、集中力を乱す。

 「大丈夫?」

誰かが優しく声を掛けて来る。
視線を上げれば、深い青髪の女の子。

 「ここは、こうして――」

彼女はお手本を見せてくれる。
青い魔法色素が綺麗な、誰よりも華やかで美しい人……。
呆と見惚れるも、直ぐに気を取り直す。

 (これじゃ行けないんだ!
  彼女の厚意に甘えてばかりいられない!
  もっと努力して、魔法が上手くならないと!
  僕は立派な魔導師になる!
  そして、何時かは君に――)

何度も何度も魔法陣を描く。
呪文は合っている筈なのに、全く魔法は発動しない。
泣きそうになるのを堪える。

 (こんな所で躓いてはいられない!
  泣いてる暇があったら、走れ!
  止まるな、膝を突くな!
  僕は……)

懸命の努力も虚しく、皆の影が遠ざかって行く。
最後は自分独りになる。

32 :創る名無しに見る名無し:2014/12/16(火) 19:26:26.25 ID:jBw2oQxa.net
横合いから、「仲間」が優しい言葉を掛ける。

 「もう良いんだ。
  よくやった」

 (良い物か!
  何が『良い』んだ!?
  『良い』って何なんだよ!)

 「向いてないんだって」

 (そんな事は解ってる!
  でも、認められるか!
  認めて堪るかっ!)

 「諦めて楽になりなよ。
  誰も君を責めやしない」

 (未だ、未だ、出来るんだ!
  やり切っていない!
  頼むから、黙っててくれ!
  最後まで意地を貫かせてくれ!)

皆、悲しい目をしている。
自分に同情している。
違うのだ。
必要な物は、「それ」ではない。
「十分だ」、「頑張った」、そんな慰めの言葉は聞き飽きた。
憐れみも承認も感動も要らない。
だから、実力が欲しい。
人並みで良いから、才能が欲しい。
時間は有限で、誰も自分を待ってはくれない。

33 :創る名無しに見る名無し:2014/12/16(火) 19:45:50.93 ID:jBw2oQxa.net
後から又、人が来る。
後輩達だ。

 「先輩、未だ残ってるんですか?」

 (こうでもしないと、僕は這い上がれないから……)

 「私だったら、諦めてしまいます。
  尊敬します」

 (良いんだ、そんな事は言わなくて!)

 「どうして、そこまで?」

 (……言える訳が無い)

だが、そんな後輩達にも追い越されてしまう。
魔法は未だ発動しない。
又しても、独りになる。
疲れも、痛みも、何も苦にはならない。
それで魔法が上手くなるのなら。
しかし、現実は違う。
幾ら自分を追い込んでも、何にもならない。
望みは唯一つ、魔法が上手くなりたい。
それが叶わぬばかりに、苦しい思いをしなければならない。

 「どうして僕じゃ駄目なんだ!
  どうして僕は出来ないんだ!
  どうして僕は――――」

余りの苦しさに耐え兼ねて、泣きながら叫んだ時、目が覚めた。

34 :創る名無しに見る名無し:2014/12/17(水) 19:50:09.75 ID:u13rIIGg.net
周囲は仄明るく、朝の気配。
ナイトガウン姿のバーティフューラーが、ベッドの上から、心配そうにラビゾーの顔を覗き込む。

 「大丈夫?
  凄く魘されてたけど……」

ラビゾーは安堵すると同時に、恥じ入った。
夢とシンクロして、現実でも涙を流していた事に気付いたのだ。

 「だ、大丈夫、大丈夫です」

彼は慌てて涙を拭い、取り繕う。
同時に、眠る前までは繋いでいた筈の手が、放れている事に気付いた。
怪訝そうな目付きのバーティフューラーに、ラビゾーは言い訳する。

 「嫌な夢を見たので。
  でも、所詮は夢ですから」

 「フーン……、どんな夢?」

何気無く尋ねて来たバーティフューラーに、ラビゾーは俯くばかりで答える事が出来なかった。
余りにも……余りにも、惨めで恥ずかしい夢だったのだ。
あれが真実の過去なのか、それとも断片的な情報を繋ぎ合わせただけの悪い夢なのか、
ラビゾーには判らない。
だが、単なる夢だと捨て置く事は出来なかった。
彼が魔法学校に通っていた事と、魔法資質の低さに悩んでいた事は、間違い無い「事実」なのだ。
安易に両者を結び付ける事は出来ないが……。

 (あの青い魔法色素の子に憧れて、僕は魔導師を目指していたのか?
  そして、追い付けないと諦めて……。
  駄目だ、顔も声も名前も思い出せない。
  彼女は実在したのか、それとも……)

禁断の地で暮らしてから、ラビゾーの記憶は風化が進んでいる。
それは本当に、師に名前を奪われたからなのか、それとも自分が忘れたかったのか……。
魔法資質が低い者が、魔導師になる道は険しい。
盲が絵描きを、聾が歌手を志すが如く。

35 :創る名無しに見る名無し:2014/12/17(水) 19:51:24.28 ID:u13rIIGg.net
バーティフューラーはベッドから出て、ラビゾーの前で着替え始める。
ラビゾーは俯いた儘で、バーティフューラーに確認した。

 「寝ている間、僕は変な事を口走りませんでしたか?」

バーティフューラーは僅かな間を置いて、否定する。

 「別に……」

 「本当に?」

 「譫言みたいに、『どうして、どうして』って寝言ってたけど?
  それだけよ」

 「そう……ですか……」

 「どんな夢だったの?」

バーティフューラーの2度目の問いに、ラビゾーは重い口を開いた。

 「魔法が使えない夢です」

 「……御免ね」

ラビゾーの魔法資質が低い事は、バーティフューラーも理解している。
それが「魔法使い」にとって、どれだけ致命的な欠陥なのかも。

 「謝らないで下さい。
  もう何とも無いですから。
  高が夢の話です」

ラビゾーは努めて明るく振舞ったが、嘘は明白だった。

36 :創る名無しに見る名無し:2014/12/17(水) 20:02:13.59 ID:u13rIIGg.net
普段着に替え終わったバーティフューラーは、未だ跪いた姿勢のラビゾーの背に、
覆い被さる様に抱き付く。

 「ラヴィゾール、無理に自分の魔法を見付ける必要は無いんじゃない?
  辛くなるだけなら――」

彼女の甘い囁きに、ラビゾーは猛烈な悪寒を感じた。
それは夢と全く同じ、諦めを促す響きだった。
ラビゾーは今更ながら、あの夢が現実ともリンクしている事を悟った。
或いは、夢の内容は真実の過去で、今の自分は同じ轍を踏もうとしているのかも知れない。
それなら進む先には絶望しか無いのだろうかと、ラビゾーは愕然とする。

 「ラヴィゾール?」

バーティフューラーに気遣われ、彼は自らを奮い立たせた。

 「ラビゾー、それでも僕は…………。
  いえ、『だから』僕は、今度こそ自分の手で未来を掴む必要がある……のかも、知れません……」

ラビゾーの目には再び生気が宿っていた。
もし、あの夢が真実なら、師は再び立ち上がる機会を与えてくれたのではと、思い直したのだ。

 「大丈夫です、放して下さい」

肩に絡むバーティフューラーの腕を解き、ラビゾーは気丈に告げる。

37 :創る名無しに見る名無し:2014/12/17(水) 20:07:15.96 ID:u13rIIGg.net
そうは言っても、直ぐに解決する問題ではない。
前向きになった位で、全てが上手く行くなら、もう疾っくに彼は自分の魔法を見付けている。
バーティフューラーは未だ気懸かりな様子だったが、ラビゾーを信用して身を離した。
そして、話題の転換に、自分が見た夢の話を始めた。

 「夢なら、アタシも見た」

 「どんな夢だったんです?」

ラビゾーが乗ると、彼女は目を閉じて、思い返す様に語る。

 「不思議な夢だったわ……。
  どう言えば良いのかなー?
  何かね、妖精の国みたいな、浮わ浮わーっとした所でー、アタシは女王様なの」

 「女王様って……。
  お姫様じゃなくて?」

ある意味、魅了の魔法使いのバーティフューラーらしいと、ラビゾーは内心で呆れた。

 「そうよ、女王様。
  国で唯一の大きな城で、アタシは貝に閉じ篭もって眠っているの。
  沢山の妖精の家臣達に囲まれてね。
  そう言う夢、実は何回も見るんだ」

 「はぁー……。
  眠り姫みたいですね」

可愛らしい少女趣味な夢を見るのだなと、彼は意外そうに息を吐く。

38 :創る名無しに見る名無し:2014/12/17(水) 20:12:54.83 ID:u13rIIGg.net
バーティフューラーは尚も続ける。

 「そう、それそれ、眠り姫。
  家臣達は、アタシが目覚めるのを待ってるの。
  アタシも起きたいと思うんだけど、体が動かなくて。
  心配そうにしてる家臣達に、アタシは何時もテレパシーで、『もう少し待って』って言ってた」

「何時も」と「言ってた」の組み合わせに、ラビゾーは違和感を覚える。
過去完了形だ。

 「昨夜は違ったんですか?」

 「……『もう直ぐだ』って答えてた。
  『私を目覚めさせてくれる人が居る』って」

意味深に目配せをするバーティフューラーに、「それは誰?」と尋ねる勇気はラビゾーには無かった。

 「はー、不思議な夢ですねー」

彼が逸らかすとバーティフューラーは不満そうな顔をした後、エプロンを身に着けて、
朝食の用意をしにL&Dルームへ向かう。

 「手伝いましょうか?」

立ち上がるラビゾーを、彼女は制した。

 「要らないわ。
  勝手の分からない人が居ても、邪魔になるだけよ。
  賢い犬の様に、行儀良く待ってなさい」

反発する気概も無く、その通りラビゾーは言い付けを守るのだった。

39 :創る名無しに見る名無し:2014/12/17(水) 20:13:41.18 ID:u13rIIGg.net
結局、一夜を共にしても、2人に具体的な進展は無かった。
しかし、互いの心理的な距離は確実に縮まっていた。
2人は又、それぞれの日常に戻るが、何度でも落ち合うだろう。
ラビゾーが己の魔法を見付ける、その時までは……。

40 :創る名無しに見る名無し:2014/12/18(木) 20:31:29.62 ID:3EdRC4HJ.net
北の遺跡


ガンガー北極原 氷下壕にて


ガンガー北極原の氷下壕は、旧暦四大遺跡の一にして、遺跡巡り最大の難所。
極北人のイグルーから、無人の大氷原を、更に北東に移動した所にある。
ガンガー北極原は厚い氷が大地を覆う、年中吹雪が止む事の無い、極寒地獄。
極北人のイグルーを除いて、休憩地点となる様な集落や施設は無く、動物さえも見掛けない。
魔法暦全体を通しても、この氷下壕を訪れた者は少ない。
過去に魔導師会が調査した結果、「よく分からない所」と結論付けられた事が、全てを物語っている。
この不可思議な遺跡を、サティ・クゥワーヴァが調査に訪れたのは、8月の事。
単独で氷下壕を調べてから、ガンガー山脈の頂に挑むと言う、常識的には考えられない、
無謀な予定を彼女は熟す積もりだった。

41 :創る名無しに見る名無し:2014/12/18(木) 20:34:45.97 ID:3EdRC4HJ.net
氷下壕の外観は、氷雪に埋もれた小さなイグルーである。
吹雪の中、これを発見するのは困難で、サティも探査魔法を使いながらでなければ、
辿り着けなかった。
いや……、如何に優秀な魔法資質を持ち、探査魔法を使えたとしても、単独で辿り着く所からして、
既に異常なのだ。
極寒の冷気は、魔法の発動に必要な精密な動作に加えて、思考力、判断力、そして体力を、
容赦無く奪う。
極北人のイグルーから氷下壕までは、最短距離でも半旅弱。
帰還も考慮すれば、食料と体力には十分な余裕を持っていなければならない。
真面な判断ならば、数人掛かりの集団で、入念な準備をする。
しかし、サティは衣服と調査資料以外、殆ど何も持たなかった。
全く飲まず食わずで、相応の防寒具さえ無く、サティは氷下壕に辿り着いた。
集めた魔力で体を動かすと同時に、空気を纏って冷気を断つ。
真実に近付いた彼女の魔法資質は、嘗て無い程、極まっていた。

42 :創る名無しに見る名無し:2014/12/18(木) 20:41:11.20 ID:3EdRC4HJ.net
氷下壕の入り口は、宛ら天然の洞穴。
如何なる構造か、内部から微風が吹いて、風に舞う雪の進入を拒む為に、
入り口が氷雪で埋まる事は無い。
サティは荒れ狂う風雪から逃れる様に、内部に足を踏み入れる。
当然、照明等と言う物は無く、真っ暗。
先ず彼女が感じたのは、異質な魔力の流れ。
自然に乱れているのではなく、共通魔法とは異なる魔力の流れがある。
探査魔法が数身程度しか効かない。

 (遺跡全体に、魔力が作用している……。
  構造的な物?)

サティは明かりの魔法と探査魔法を同時に使い、慎重に歩みを進める。
断面2身平方の四角い通路の内壁には、奇怪な幾何学文様が描かれている物の、
それ自体には魔力の流れは感じない。
果たして、誰が何の目的で造ったのか……。

43 :創る名無しに見る名無し:2014/12/19(金) 18:52:03.96 ID:NZa3Te6+.net
通路は石造で、菱形に成形されたブロックを積み上げてある。
幾何学的な文様は、このブロックの配置による物だと判る。
ブロックは隙間無く積まれている物の、大きさや形は微妙に不揃い。
適当に積んだ後で、隙間を小さなブロックで埋めたと予想される。
この事から、建造当時の技術レベルは然程高くなかったと読み取れる。
だが、環境の為なのか、材質の為なのか、摩耗や劣化は殆ど見られない。
通路は直ぐに行き止まりになり、その代わりに地下へと続く階段が現れた。
ここまで何の気配も無い。
サティは一応、階段を照らして、目視でも観察する。
緩い風が階下から吹き上がって来る。
一段ずつ静かに降り、次の階の『床<フロア>』が見えた所で、彼女は通路の脇に塊を発見した。
明かりを向けたサティは目を見張る。

 (ミイラ……!)

それは人の死体だった。
冷気の為に腐敗が進行せず、乾燥して骨と皮だけになっている。
衣服は不自然に軽装で、その首には小さなプレートが掛かっていた。
サティは屈み込んで、プレートを検める。

44 :創る名無しに見る名無し:2014/12/19(金) 19:02:10.32 ID:NZa3Te6+.net
彼女の予想通り、それはタグ・プレートで、古風な文章が刻まれていた。

――勇敢なる魔導師 アシハ・ダルジーア 極寒の地に死す。
――前途有る者の 志半ばに倒るる 無念を悼む。
――其の御霊 安らかなる事を祈り、願ふ 後達を見守り給へ。
――後達 若し此人 見留めさば 祈り捧げ賜らむ。

 (……昔の調査隊の人?)

恐らくは、調査の途中で力尽きたのだろう。
目立った外傷は無く、凍死と思われる。
所持品は仲間が持ち帰ったので、この様な薄着なのだ。
更にプレートの裏側にも文字が刻まれている。

――畏る可きは氷の死神 一夜にして生者を屠る。
――影は人声を真似 迷路に我等を誘ふ。
――努 本旨を忘るる勿れ。
――用果たさば 速やかに退出す可し。

 (氷の死神……)

極寒の暗喩だろうかと、サティは首を捻る。
ここは不気味ではあるが、今の所、恐ろしさは感じない。
要するに、長居するなと言う事なのだろうが……。

45 :創る名無しに見る名無し:2014/12/19(金) 19:06:21.42 ID:NZa3Te6+.net
取り敢えず、サティは死体の前で黙祷した。
そして、再び探索を始める。
地下1階は通路の幅こそ変わらないが、上階と比較して明らかに広い。
5身毎に交差点が並び、全体像が中々把握出来ない。
その上、「全く」何も無い。
装飾や小物は疎か、部屋や窓の一つも無いのだ。
延々と通路が続くのみ。
暫く歩くと、更に地下へと降りる階段が見付かる。

 (少なくとも、住居ではない。
  宗教施設かな?
  旧暦の王墓とか……)

地下の不気味さにも慣れて来たサティは、警戒を少し緩めて、地下2階へ向かう。
過去の調査でも、この氷下壕は構造その物より、極地の環境の方が危険視されていた。
冷気や空腹を問題にしない、今のサティにとっては、安全に等しい。

46 :創る名無しに見る名無し:2014/12/20(土) 17:55:15.25 ID:5XgxLV+9.net
暫く探索した結果、地下2階は地下1階よりも更に広い事が判明した。
構造から想定される平面積は、地下1階の約2倍。
恐らく、氷下壕の全貌は錐状と予想される。
「努、本旨を忘るる勿れ、用果たさば、速やかに退出す可し」との警告を、サティは思い出す。
成る程、常人が限られた備品で、全てを調べて回るのは困難を極める。
地下何階まで続いているかは不明だが、更に下の階があるなら、より広くなっているに違い無い。
旧暦の建造物が、魔法大戦による大陸沈没で、地中に埋まってしまったのだろうか?
それにしても、これ程の物を極地に建造するとは正気ではない。
魔法大戦は全ての大陸を海に沈めたと言うが、そればかりでなく、急激な地殻変動まで、
引き起こしたのか?
将又、遙か昔の建造物が、通常の大陸移動によって、緩やかに北へと移動したのか?
疑問は尽きない。
流石、魔導師会が公式に、「よく分からない所」と結論付けただけはある。
――ならば、自分が真実を解き明かそうと、サティは一層探究心を燃やした。

47 :創る名無しに見る名無し:2014/12/20(土) 18:08:51.26 ID:5XgxLV+9.net
サティが何故、この遺跡を探索しているのかと言うと、純粋な好奇心以外に無い。
敢えて理由を付けるとすれば、それは約3年前に断念した、「禁断の地」に再挑戦する為。
共通魔法の支配を受けない、化外の地に慣れる訓練。
それは誰かに頼まれた訳でもなく、況して任務でもない。
彼女は古代魔法の研究の為に、僻地を含めた大陸全土の民俗調査を行う名目で、
古代魔法研究所から出張許可を貰っている立場。
寄り道も1〜2日程度なら、羽休めと大目に見て貰えるが、それ以上道草を食っていると、
誤魔化しは効かない。
氷下壕の探索は、学術的な調査と言い張れなくもないが、監視も付けられない遙か北の、
僻地に在るのを良い事に、無許可で侵入したと知られては不味い。
よって、真実を知ったとしても、独り胸の内に収める事になる。
……それでも良いのだ。
『現生人類<シーヒャント>』の秘密を知った、今のサティにとって、真実以上に価値のある物は無い。

48 :創る名無しに見る名無し:2014/12/20(土) 18:17:09.28 ID:5XgxLV+9.net
地下3階に降りて、未だ探索を続けるサティの耳に、奇怪な音声が届いた。
よく聞き取れないが、何と無く人の話し声に似ている。
それも非常に冷静さを欠いた、口論にも似た響き。
全く知らない言語で、激しく言い合っている様な……。
だが、人の気配は無い。
相変わらず、探査魔法は妨害されている。
彼女は『口性無い徘徊者<ジャッバリング・ウォーカー>』を思い浮かべた。
この氷下壕で発見されたのが、最初の報告だったと記憶している。

 (魔法生命体……なのか?)

過去の調査でも、その正体に就いて、明確な回答は得られていない。
仮に魔法生命体ならば、それと判明していそうな物だが……。
サティは躊躇無く、声のする方へと向かう。
途中、これは余りに静かで孤独な状況が引き起こした、幻聴ではないかとも思う。
この地下3階でも、緩やかな風が吹いている。
空気の通る音が、人の声の様に聞こえているだけなのかも知れない。

49 :創る名無しに見る名無し:2014/12/20(土) 18:22:33.52 ID:5XgxLV+9.net
ある程度サティが近付いても、声は余り大きくならない。
方向は確かに合っているのだが、音源が移動している様に感じる。

 (遠ざかっている?)

サティは礑と、ミイラが首から提げていた、プレートの裏側の文字を思い出した。
「影は人声を真似、迷路に我等を誘ふ」……。
これはジャッバリング・ウォーカーの事だと、サティは理解した。

 (尚更、正体を突き止めなくては)

人を惑わす邪悪な物なら、退治しなければならないと、サティは気合を入れる。
過去の調査隊員の無念を晴らすのだ。
そんな彼女の決意に応える様に、明かりの魔法が黒い影を捉えた。
「それ」は明かりから逃れて、2つ先の角に逃げ込む。
通路は交差点が多く、魔力場も不安定な為に、探査魔法や探知魔法が中々届かないので、
下手をすれば直ぐ見失ってしまうだろう。

 (上手く追い込まないと、捕まえるのは難しそうだ……)

サティは魔法で浮遊すると、加速して、急いで後を追った。

50 :創る名無しに見る名無し:2014/12/21(日) 19:46:15.01 ID:ecS0pBYK.net
所が、追っても追っても、距離が縮まる気配は無い。

 (やっぱり、普通に追ってるだけじゃ駄目かぁ……)

影は彼女の感知能力を、本の僅かに越えた先を移動している。
感知距離の限界付近で、常に微かな反応がある事から、それが判る。
丸でサティの能力を見切って、揶揄っている様に感じられる。
では、感知能力を高めると、どんな反応をするのだろうかと、彼女は試してみたくなった。
精神を集中して呪文を唱え、感知能力を高める……と、影は瞬間移動でもしたかの様に、
拡大した感知距離の端まで一気に「跳んだ」。
この不可解な現象に、普通は戸惑うだろうが、サティは呑気に感心していた。

 (へーェ、面白いなぁ。
  『跳躍<ワープ>』するんだ……)

その原理を彼女は解き明かそうとする。

 (正体不明とは言われていたけれど、やっぱり魔法生命体っぽい?
  あれが『人工精霊<スピリタス>』の様な魔力の塊なら……。
  そう、体全体が魔力で構成されているなら……。
  旧い伝承の様に、『精』と『霊』が異なる物なら……)

現生人類に隠された秘密を知った今、自らも跳躍出来るのではないかと、サティは想像した。
そして、実際に試みる。
知覚の限界に精神を集中させる。
肉体は分解され、音が空気を伝う様に、意識が魔力を伝って跳ぶ。
あらゆる障害物を無視して、一直線に目的地まで。

51 :創る名無しに見る名無し:2014/12/21(日) 19:47:27.17 ID:ecS0pBYK.net
サティは逃げる影を、完全に自らの知覚範囲内に捉えた。

 (逃げないのか?)

影は彼女の精霊の出現に、狼狽しているかの様に動かない。
影の正体は、人形の黒い影。
他に形容の仕様が無いのだ。
全く扁平な癖に、立体を投影したかの様な変形を見せる、それは「影」としか言い様が無い。
サティは呪文で分解した肉体を再構築し、移動を完了した。
それと同時に、影は床に潜って消える。

 (下に行ったみたい……)

精霊は物体を透過しても、肉体までは壁を抜けられない。
流石に肉体を置いて行く訳にも行かず、サティは地下4階へ通じる道を探した。
同時に各所に魔法陣を描いて、共通魔法の支配を強化する。
魔法陣を中心に、十数身程度は感知能力が強化される。
この効果が下の階でも通じれば良いと言う企みだった。

52 :創る名無しに見る名無し:2014/12/21(日) 19:48:58.27 ID:ecS0pBYK.net
地下4階に降りたサティは、上階の魔法陣が働いている事を、直ぐに察した。
彼女の優れた魔法資質なら、本来は氷下壕全体を支配下に置けるのだ。
探査魔法を使えば、上階分の範囲は簡単に網羅出来る。
魔力の網が張られると、先程の影と同じ反応が大量に掛かった。

 (10、20、30……39匹。
  フフッ、慌てて逃げて行く)

それ等は住処を暴かれた小虫の様に、一斉にフロアの中央へと逃げ込む。
中央の空間だけは強力な妨害が働いていて、探査魔法が効かない。

 (そこが巣か……)

サティは焦らず、悠々とフロアの中央へと向かった。
何か起こるかも知れないと、一応の警戒はする。
探査魔法が効かない場所は、壁に仕切られた大部屋だった。

 (この壁は魔法で防御されている。
  共通魔法とは全く違う……。
  私の知らない外道魔法?)

壁を破壊して強引に進入する事も出来そうだったが、遺跡を傷付けるのには躊躇いがあり、
サティは素直に入り口を探した。

53 :創る名無しに見る名無し:2014/12/22(月) 18:34:09.64 ID:V+9oDhmb.net
壁を半周して、大部屋の入り口を発見したサティに、テレパシーで声が届く。

 (我が眠りを妨げしは、何者ぞ……)

明確な人語と、やや強目の圧迫感。
遂に大物が来たなと、サティは戦闘を予想して、呪文の仕込みを始めた。
明かりを室内に向けると、内部は真っ黒だった。
……黒く塗られている訳ではなく、闇が広がっている訳でもなく、正体不明の影が犇いているのだ。
それ等はサティが向けている魔法の明かりを嫌って、相変わらず不明の言語を発しながら、
ぐねぐねと蠢いている。
よく観察すれば、一つ一つの影が、明かりから逃れる為に、群の中に割り込んで、
他の仲間を押し出している。
黒い影の塊の中から、ずるりと暗青色の塊が這い出す。
他の影と同様に、それも人の形をしていたが、確り厚みと輪郭を持っていた。
男性とも女性とも言えない、中間的な体付きで、獣の様に毛皮に覆われている様に見える。
顔の辺りには眼窩らしき物があるが、それだけで、しかも眼球は無い。

 (貴様は何者……)

テレパシーの送り主は、この物だった。

54 :創る名無しに見る名無し:2014/12/22(月) 18:35:36.62 ID:V+9oDhmb.net
話が出来るのだろうかと期待して、サティは問い返す。

 「貴方こそ、何者ですか?
  名乗って下さい」

遺跡の主だとすれば、サティは侵入者だろうが、そうと言う確証も無いので、全く引かず堂々と、
寧ろ相手の方にこそ非があるのではと、強気な態度。
青い塊は何の感情も窺えない平坦な調子で、普通に応える。

 (我は王の従僕)

 「王?
  誰の事ですか?」

 (ニビリョーカ様。
  偉大なる『少侯爵<スティア>』にして、『領主<ランデッド>』)

聞いた事の無い人物だと、サティは首を捻った。

 「どこの領主なのですか?
  国名は?」

 (遠けきニビリョーカ)

旧暦では、王の名が国の名になる事もあったと言う。
然程有名でない小国なのか?
ニビリョーカが一つの名詞なのか、それとも複数の名詞の集合なのか、サティには全く判らない。
それにしても、随分と従順――余りに従順に質問に応えてくれるので、サティは拍子抜けした。

 「それで、貴方は誰?」

 (我は名も無き従僕。
  主無く、命も無き物)

55 :創る名無しに見る名無し:2014/12/22(月) 18:37:34.64 ID:V+9oDhmb.net
青い塊の真意は不明だが、これ幸いと彼女は質問を続ける。

 「ここは、どう言う所?」

 (我が主の嘗ての居城にして、最期の地)

ここまでサティは、青い塊は旧暦の君主が使役した、魔法生命体だと予想していた。
そして、この場所は墳墓で、王の亡骸を埋葬した所だと。
だが、青い塊は居城と答えた。
こんな居城は無いだろうと、サティは又も首を捻る。
「嘗ての」とは、即ち「生前の」と言う意味だろう。
しかし、長い年月が過ぎ去った事を除いても、ここは余りにも生活の臭いがしなさ過ぎる。
凡そ人が住めた所ではない。
余程、特殊な文化や事情でも無い限りは……。
疑問に思ったサティは、足を前に進めて、大部屋の中を観察しようとした。
この内部だけでも、人が生活していた痕跡や、副葬品があれば、納得は出来る。
突飛な行動に対して、青い塊は「敵対的な」反応を見せると、予想していた彼女だったが、
そんな事は無かった。
寧ろ、道を譲る様に脇に退く。

 (何故……?
  王墓の守護者ではない?)

肩透かしの連続に、サティは不気味さすら覚える。

56 :創る名無しに見る名無し:2014/12/23(火) 18:54:57.72 ID:7vA2x5+k.net
サティが進み入ると同時に、黒い影は壁の中に逃げ込んだ。
只管に彼女を恐れているだけで、攻撃の意思は無い。
害は無いと認め、サティは室内の観察を続ける。
大部屋の内壁には、びっしりと奇怪な魔法陣が描かれていた。
図形にも配置にも、サティには全く覚えが無い。
子供の落書きの様に、歪で規則性が薄いのだ。
その割には、魔力が確り働いている。
少なくとも、共通魔法に組み込まれた外道魔法の物ではない。
サティは青い塊に尋ねた。

 「これは何と言う魔法?」

 (魔力の集積と保護)

サティが知りたいのは「如何なる流派の魔法か?」だが、青い塊が答えたのは魔法の種別だった。
共通魔法や外道魔法は後世の概念だ。
恐らくは魔法生命体であろう、青い塊にとっては、自分達の魔法が唯一の魔法だろう。
どう言えば通じるだろうかと、サティは悩む。

 「……『神聖魔法<ホーリー・ブレス>』は知っていますか?
  貴方の主と、『神聖魔法使い<ホーリー・プレアー>』は、どう言う関係でした?」

取り敢えず彼女は、旧暦の最大勢力である神聖魔法との関係を質した。

57 :創る名無しに見る名無し:2014/12/23(火) 19:12:14.62 ID:7vA2x5+k.net
青い塊は何の疑問も差し挟まず、やはり素直に答える。

 (神聖魔法使いは我が主の仇。
  然れど、我が主は不速の客が故、淘汰されしは宿業……)

 「不速の客――招かれざる?」

 (我が主、人の王に招かれし、異空の物なり。
  我も亦然り)

主を異物と認めるとは、一体何だろうと、サティは首を傾げた。

 (……この物達の主は旧暦の伝承に言う、『悪魔<オールド・コンクエラーズ>』なのか?
  単なる気狂いの可能性もあるけれど……。
  悪魔によって創られた、魔法生命体だと?
  それ程、力は感じない。
  所謂『小悪魔<インプ>』、『使い魔<サーヴァント>』の類……?)

旧暦の伝承によれば、神の法に守られた世界を、侵略せんと現れた「外敵」が悪魔だと言う。
他国からの侵略軍なのだろうか?
そう思ったサティだが、改めて室内を見回して、ある事実に気付く。

 (ここは魔法陣以外に何も無い……。
  こんな所が居城?
  正か、主も魔法生命体?
  この位の知能を持った魔法生命体を創れる、魔法生命体とは?
  遙か古代の文明は、今よりも魔法技術が発達していた?
  それとも……本当に伝承の『悪魔』が……?)

浮かび上がる数々の謎。
思考の中で、サティは新たな、そして、最も重大な疑問に思い至った。

58 :創る名無しに見る名無し:2014/12/23(火) 19:20:57.09 ID:7vA2x5+k.net
 (――では、私達は?
  どうやって私達は生まれたの?
  私達を生み出したのは誰?)

現生人類は魔法大戦の後に生まれた、半魔法生命体。
それが、サティが知った現生人類の秘密。
「共通魔法の呪文で人体を構成している存在」だから、魔力さえあれば生きられるし、
瀕死の状態からでも復活する。
そして――何より、魔力を感覚的に捉える、「魔法資質」を持つ。
誰が現生人類を生み出したのかと言えば、魔導師会が関係しているだろう。
しかし、青い塊の「主」に、サティは自らと共通する点を感じていた。
創られ方が違うだけで、自分達も本質的には同じ存在ではないかと、感付いたのだ。
もし「悪魔」が実在するのなら、現生人類も「同じ」なのではないかと……。

 (旧暦の人類を絶滅させて、私達が『取って代わった』?)

旧暦の人類は、少なくとも史料にある限りでは、半魔法生命体ではない。
類似しているが、別種の存在だ。
妖獣と普通の動物の様に。
サティは悪い想像を働かせ、魔法大戦とは邪悪な戦争だったのではないかと、戦慄した。

 (待って、待って、落ち着いて……。
  『悪魔』が実在すると決まった訳じゃない。
  旧暦の『悪魔』だって、人が創った物かも知れない。
  私達を創った技術があるなら、悪魔だって何だって……。
  あー、でも、創造物の反乱と言うのも……)

下手に物を知っているだけに、悪い想像は止まらない。
魔導師会とて絶対の正義ではない。
その位はサティも心得ているので、尚更。

59 :創る名無しに見る名無し:2014/12/24(水) 18:19:26.40 ID:Kr8N5+sY.net
独り悩み耽るサティに、青い塊は自ら働き掛けた。

 (力ある者よ、名乗られたし。
  我に名と命を与え給え)

サティは吃驚して尋ねる。

 「どう言う意味?」

 (主無き我に命を与え、我が新たなる主と成らん事を)

 「新たなる主?」

 (主無き我に命を与え給え……)

この魔法生命体は、命令者を失ったので、サティを新たな主として迎えたいと言っている。
所詮は魔法生命体なので、自分で物を考えて行動する事が出来ないのだ。
だが、信用して良い物か、彼女は迷った。

 「何か企んでいませんか?」

 (主無き我に謀は為せず。
  お力を見込み願う、我に慈悲を賜らん)

魔法で嘘を封じようにも、人間と同じ精神構造をしているとは限らない。
虚偽を認識する意識を持たなければ、嘘を封じる魔法は効かない。

60 :創る名無しに見る名無し:2014/12/24(水) 18:22:06.89 ID:Kr8N5+sY.net
どう応えるべきか、サティは知恵を絞る。
気分的には主になっても構わないのだが、自分は魔導師会の魔導師。
好き嫌いではなく、外道魔法で生み出された魔法生命体とは、生理的に相性が悪い。
加えて言えば、この青い塊が共通魔法社会に受容されるとは思えなかった。
願いを断って放置しても良いのだが、遺跡に留まって、悪さをされても困る。
悩み抜いた末に、サティは青い塊に問うた。

 「どんな命令でも従えますか?」

 (構わぬ)

断言されたので、サティは再び問う。

 「『死ね』と言われても?」

彼女が出した結論は、始末する事だった。

 (我は死を持たぬが故、自ら死するは叶わず……。
  但、死を賜るならば、謹んで享受致したく)

 「良いのですか?」

 (嘗ての主と同じ物を賜るは、慈悲と存ず)

やはり精神構造が違うと、サティは少し残念がると同時に、安堵もした。
これで遺跡に迷う人も居なくなる。

61 :創る名無しに見る名無し:2014/12/24(水) 18:24:04.58 ID:Kr8N5+sY.net
意を決して彼女は宣告する。

 「解りました……。
  我が名はサティ・クゥワーヴァ。
  汝に名を与えよう。
  ――『終<ハッダ>』。
  汝はハッダ。
  これを受け容れるべし」

 (是、我はハッダ。
  新たなる主、サティ・クゥワーヴァに命ぜられり)

 「今、汝に終を与えん。
  I1EE1・I3L4・F1D5O1H1・F1D5O1H1――」

互いに主従を認めた後、サティは魔力分解魔法を唱えた。

 (有り難き幸せ……)

ハッダと名付けられた青い塊は、唯々畏まって傅き、何の抵抗もしない。
その他の黒い影も、青い塊に倣う様に、逃げも隠れもせず、分解されるが儘だった。
サティは何と無く嫌な気分になった。
自分の意志を持たない為に、主の命であれば死をも厭わない存在……。
仮にハッダが共通魔法の側に属する物ならば、この様な残酷な命令はしなかった。
いや、ハッダには名付けの残酷さも、命令の残酷さも伝わっていない。
そもそも死を忌むべき物とすら捉えていない。
その事に、とても虚しい物をサティは感じていた。

62 :創る名無しに見る名無し:2014/12/24(水) 18:28:14.76 ID:Kr8N5+sY.net
北の遺跡のジャッバリング・ウォーカーは消えた。
再び姿を現す事は無いだろう。
完全に反応の無くなった遺跡内で、サティは暫し立ち尽くし、物寂しさに暮れる。
最後の仕上げに、彼女は大部屋の内側の壁に、浅く傷を付けた。
魔法陣は分断されて、忽ち魔力の流れを失う。
今後、誰かが復元しても、正しい描き方を知らなければ、一度断たれた魔法は発動しない。
共通魔法が支配する世界に、異空の魔法は存在してはならないのだ。
これで良いのだと、僅かな罪悪感に折り合いを付けて、サティは遺跡を後にした。
次に彼女が目指す場所は、大陸最高峰ガンガー山脈の「天の座」――。

63 :創る名無しに見る名無し:2014/12/25(木) 18:47:00.39 ID:yBKbW/bH.net
嘘の無い生活


嘘を封じる「愚者の魔法」は、作為的な虚偽を禁じる物。
「これは正しくない情報だ」と認識していると、それを言ったり書いたり出来なくなる。
よって、単なる間違いや勘違いは嘘と認識されない。
記憶障害や度忘れ、心変わりも同様だ。
その場では「正しい積もり」なら、愚者の魔法は働かない。
しかし、意味を認識していれば、軽い世辞や冗談、皮肉も言えなくなる。
より強力な物になると、話題逸らしや沈黙も出来なくなる。
この魔法は精神に作用する魔法だが、A級禁断共通魔法ではない。
公学校では教わらない物の、呪文自体は教書に記載されている為に、広く知られている。
だが、正当な理由無く、これを使用して人の名誉や信用、精神を傷付けた場合は、罪に問われる。
又、同系統の嘘しか吐けなくなる「狂者の魔法」や、秘密を進んで明かす「自白の魔法」、
効果時間の長い「愚直の魔法」等は、確りA級禁呪に認定されている。
但し、精神障害の治療や矯正の為であれば、専門家のみ使用が許可されている。
愚者の魔法は、重要な会談や会議、面接、取り調べ、裁判で使われる。
一方で、日常的に使うのは面倒な上に、昨今の魔力不足問題もあるので、小さな嘘は見過ごして、
ここぞと言う重大な場面で使用するのが一般的だ。
愚者の魔法の使用は、当人の個人的な領域に踏み込む事であり、濫用は人格を疑われる。

64 :創る名無しに見る名無し:2014/12/25(木) 18:48:25.42 ID:yBKbW/bH.net
愚者の魔法は強力な兵器にもなる。
復興期、魔導師会は大陸東方(現ボルガ地方)で、旧来の支配者勢力である地方豪族と、
長期に亘り対立したのだが、この時に愚者の魔法は活躍した。
共通魔法は「誰にでも使える」と言う点を利用して、魔導師会は愚者の魔法の情報を、
敵対国に流したのである。
権謀術数の渦巻く大陸東部は、身体能力に優れて凶悪と名高い、極北人でさえ攻め倦む程、
戦争の研究が進んでおり、戦略や戦術、兵器が発達していた。
常に面従腹背を疑い、時には味方をも欺き、蹴落とす様は、宛ら蠱毒。
極北人も親兄弟で殺し合ったが、正面から腕力を競うのと、裏から手を回して策に嵌める点で、
大きく異なる。
彼の残虐な極北人に「嘘と裏切りの国」と言わしめた、大陸東方の歴史の闇は深い。
投降を認めてから皆殺しにしたり、降伏を宣言しながら逆襲したり、同盟相手を背後から撃ったり、
友好国の機密情報を売り渡したり、複数の国と条件が相反する密約を交わしたりと、
世のあらゆる邪悪を煮詰めた様な所だった。
これを無効化したのが、愚者の魔法である。

65 :創る名無しに見る名無し:2014/12/25(木) 18:52:58.85 ID:yBKbW/bH.net
魔導師会の目標は、口先だけの条約を見破り、幾らかの小国を大国から離反させる事だった。
だが、それ「だけ」ならば、支配者層に限定して、愚者の魔法を教えれば良い。
魔導師会は民衆にも愚者の魔法を広めた。
即ち、人間(じんかん)の不和を増大させて、内紛により社会を混乱に陥れる、
恐ろしい意図があったのだ。
人の評判や評価を素直に受け止められるならば、大きな混乱には陥らなかっただろうが、
権謀術数に長けた東方の民族は、悉く自らの首を絞めた。
「少数の賢人が多数の愚衆を率いる」と言う東方の賢人支配は、民衆を愚衆の儘に留める所に、
最大の欠点がある。
それは「愚衆でも賢人に従っていれば利益がある」と信じているからこそ、成り立つ体制。
賢人が明確な将来のビジョンを持っていなかったり、或いは持っていたとしても、
権力や権利と言った旧来の体制を維持する為に、民衆を切り捨てる方策を採るなら、
忽ち民心は離反する。
組織内では粛清や下克上が相次ぎ、個人間でも協調が崩れて、生活や産業に重大な支障が生じ、
本格な戦闘を始める前に、多くの国が衰退した。
しかし、それは愚者の魔法だけの成果ではない。
快楽や安心感を与えて廃人化を進める「極楽の魔法」や「怠惰の魔法」で活力を奪ったり、
人を思うが儘に操る「傀儡の魔法」や「影繰りの魔法」で支配欲や権力欲を肥大化させたりと、
現在ではA級禁断共通魔法となっている、間接的に緩やかに「人の心を壊す魔法」を、
魔導師会は支配者層に密かに流した。

66 :創る名無しに見る名無し:2014/12/25(木) 18:57:06.80 ID:yBKbW/bH.net
これ等の恐るべき戦略は、後世『悪魔の囁き<デビル・ウィスパー>』作戦と名付けられた。
魔導師会は一貫して、支配者層には「即効性」があり、「支配的」で、「非情」且つ「堕落した」、
人の精神を腐らせる魔法を、逆に被支配者層には虚偽を見破り、魔法を防ぐ魔法を撒いた。
魔法に浮き足立つ民を纏める為に、同じく魔法と言う安易な手段を採れば、一時は上手く行くが、
味を占めると必ず信頼を失う、支配者層に対するブービー・トラップ。
それが悪魔の囁き作戦の要旨。
人間の知性と理性に対する挑戦である。
魔導師会は自ら武力攻撃を仕掛けず、相手が貧窮するまで待ち続けた。
既に、唯一大陸の半分以上を支配している魔導師会にとって、戦火を伴わない持久戦は、
寧ろ望む所であった。
作戦の効果は十年前後で収まったが、立て直しは難しく、悪魔の囁きに耐えた賢い王が残っても、
大勢が決した後では無力だった。

67 :創る名無しに見る名無し:2014/12/25(木) 19:02:45.27 ID:yBKbW/bH.net
現在の公学校に於ける歴史の授業でも、悪魔の囁き作戦は教えられる。
これは魔導師会の恐ろしさを知らしめると言うより、同じ手を使われない様に注意せよと言う、
将来への警告の意味合いが強い。
人を煽てて不当に高い地位を与え、堕落させる方法は、現実でも標的を陥れる為に、
よく使われる手段である。
「旨い話には裏がある」……野心強く、高い地位を望む者は、足元が疎かになる傾向がある。
主として敵対者が、そう言う物を狙って、悪魔の囁きを仕掛ける。
但、実際には必ず上手く行く物ではなく、偶に担ぎ上げた者が「本物」の時がある。
「地位が人を作る」のだ。
担ぎ上げるに相応しい人材は、「名ばかりの栄誉に執着」があり、「無神経」で、「思慮が浅く」、
「果断さを欠き」、「自尊心と責任感が反比例」し、「本質的に怠惰」で、「基本的に無能」である事。
要するに、強力な上昇志向の割に、能力が足りておらず、更に自分を省みる事も、
決断も出来ない者。
こう言う者は、一度得た名声や地位に獅噛み付く為、文字通り「何でも」する。
それも大局を考えず、目先の利益優先で、楽な事ばかりしたがる。
愚かな事に、悪魔の囁きを知っていて、白羽の矢を立てられたと理解した上でも、
自分は「地位が人を作る」に当て嵌まり、困難を乗り切れると信じて疑わない。
煽てれば木に登る(そして下りられなくなる)豚だ。
どの組織にも、この様な人物は存在し、これの扱いを巡って、日夜影で静かな戦いが起こっている。
真に困難なるは、「自己を偽らず」、正しく評価する事。
魔法で嘘を封じても、人の慢心や過大評価までは封じられない。

68 :創る名無しに見る名無し:2014/12/25(木) 19:04:33.35 ID:yBKbW/bH.net
年末年始の為、今日から2週間前後休みます。

69 :創る名無しに見る名無し:2014/12/26(金) 09:21:39.50 ID:8mUzw+a9.net
乙です!! よいお年を

70 :創る名無しに見る名無し:2015/01/04(日) 19:37:33.35 ID:q5WyPS/K.net
あけましておめでとうございます。
三箇日も終わったので、今日から再開します。

71 :創る名無しに見る名無し:2015/01/04(日) 19:40:06.03 ID:q5WyPS/K.net
怪盗現る


第二魔法都市ブリンガー中央区にて


ブリンガー市の中央区には、ブリンガー中央美術館がある。
復興期から存在する、歴史ある美術館だ。
ブリンガー地方は復興期から豊かな土地だったので、人々は生活に余裕があり、
芸術文化が発展し易い環境だった。
その為に目利きも多く、ブリンガー中央美術館には、旧暦魔法暦、古今地方を問わず、
特に値打ちのある美術品が、数多く収蔵されている。
美術品と一口に言っても、絵画、彫刻、伝統工芸品、骨董品、宝飾品、奇品、珍品と様々だ。
美術館は月・週・日によって展示品を変えている。
値打ち物が揃っているとなれば、当然狙う者も出て来る。
ブリンガー中央美術館は設立当初から、何度と無く貴重な美術品が狙われた。

72 :創る名無しに見る名無し:2015/01/04(日) 19:56:13.03 ID:q5WyPS/K.net
中でも開花期に登場した、ロワド・アングールヴァンと言う美術品の専門泥棒が有名だ。
ロワド・アングールヴァンは『仮面の怪盗<ヴォラー・マスク>』であり、男とも女とも言われ、
300年以上が経過した現在でも、正体に関して議論が続いている、謎の人物だ。
上記の様に性別不明ではあるが、便宜上「彼」と表される事が多い。
徒党は組まず、単独で盗みを行う(逃走を幇助する相棒が居ると噂された事はある)。
必ず所有者に対して予告を行い、「本物」しか盗らない。
鋭い鑑識眼を持ち、盗みに入って直に真贋を検め、贋作であれば放置した上で、
態々メッセージ・カードを残して行くと言う傾奇者。
名前は「Roi de Engoulevent(夜鷹の王)」の捩りとされている。
窃盗の為でも進んで殺人は行わず、飽くまで「忍び込んで奪う」事に拘った。
こうした性質から、怪盗ロワドに狙われる事は、寧ろ名誉だと、盗まれた事を誇る者もあったと言う。
活動範囲は大陸全土に及び、狙われない美術品は無いと言われた。
それでも流石に、魔導師会は恐ろしかったのか、犯行に魔法を使ってはいない。
怪盗ロワドを題材にした、ピカレスク演劇や小説が流行する程、彼は人気があったのだが、
「正体不明の犯罪者」の常か、模倣犯が続出した。
当時ロワドの犯行とされた大部分は、全く無関係の窃盗団の仕業だったり、単なる紛失だったり、
美術館の自作自演だったり、職員による横流しだったりで、解決している。
最初に予告状を送った事件は魔法暦219年だが、予告状を送る前から彼の仕業らしい事件は、
報告されている。
開花期が終わる魔法暦248年の12月に、ロワドはブリンガー中央美術館に宛てた犯行予告状に、
最後の挑戦と明記し、翌年の4月に予告を完遂した後、一旦活動を休止した。
所が、犯行様態がロワド本人としか思えない事件が、十数年〜数十年間隔で、度々起こっている。
これ等は年代毎にロワド何世、何代目ロワドと言われる。
今や怪盗ロワドは個人ではなく、ロワドの犯行形式を完璧に模した者に与えられる、称号の様な物だ。

73 :創る名無しに見る名無し:2015/01/04(日) 19:56:40.46 ID:q5WyPS/K.net
魔法暦502年4月、約50年振りに、遂に「現代の」怪盗ロワドが現れる。
ブリンガー中央美術館から、天然の金塊「黄金の拳」が盗まれた。
重さにして約1桶、名前の通り、形状も大きさも人の拳に酷似していると言う、珍しい金塊だ。
発掘場所はディアス平原、時期は魔法暦413年。
余りにも形が綺麗過ぎるので、当時から、これは天然ではなく人工ではないかと、
偽物呼ばわりされ続けていた。
当たり前だが、天然で人の拳に似ているのと、人工で人の拳に似せたのとでは、
価値に雲泥の差が生じる。
そこに怪盗ロワドが現れた事で、やっと本物なのだなと言う落ちが付いた。
都市警察の懸命の捜索にも拘らず、事件から1月が経過しても、犯人逮捕所か、
手掛かりすら無い状態。
斯くして、伝説は生き続ける……

74 :創る名無しに見る名無し:2015/01/05(月) 19:54:36.21 ID:f+c/QDE0.net
第二魔法都市ブリンガー クトゥー地区の民宿にて


この日、旅商の男ラビゾーは、民宿で一人の男と相部屋になった。
見ず知らずの者と民宿で相部屋になる事は、旅行者にとっては、よくある出来事で、
旅の趣の一でもある。
彼は如何にもブリンガーの都市部の生まれと言った風貌の、洒落た若い男で、顔付きこそ違う物の、
ラビゾーは第一印象で何と無く、知り合いのコバルトゥスに似ていると思った。
初対面で自らラビゾーに働き掛け、ファルコ・ウィントと名乗った彼は、明るく人懐こい性格。
それでいて、適度な距離の取り方を心得ており、ラビゾーは余り不快な思いをしなかった。
だが……夜、ファルコは荷物の整理をするラビゾーに、声を掛けた。

 「それ、何?」

彼が注目したのは、ラビゾーがバックパックから取り出した、板張りの『画布<カンバス>』。
そこに描かれた絵。
描画魔法使いシトラカラスの作だ。

 「絵だよ」

素っ気無く答える彼に、ファルコは詰め寄って、了解を得る前に絵を手に取る。

 「よく見せてくれない?
  ……ああ、これは『飛来せし物』だね」

「飛来せし物」とは旧暦の物と言われる、有名な絵の題。
街の遠景が主で、その上空右側に、奇妙な円盤が1つ描かれていると言う、風変わりな絵。
然程、精巧と言う訳でもない、下手をすれば落書きにも見えてしまう様な物。
「それは私達の日常に、ひょっこり現れるかも知れない――もしかしたら既に」と言う、
意味深な添え書きが、古代言語エレム語で右下隅に記されている。
作者は不明。

 「オー、レ・ヴィジター、キ・ヴィアン・ヴォレ――はぁ、でも……偽物だ」

 「『模造品<レプリカ>』と言ってくれないか?
  僕が本物を持っている訳無だろう」

 「フフーン?
  『模造品<レプリキ>』ね……」

ラビゾーが眉を顰めると、ファルコは興味深気に呟いた。

75 :創る名無しに見る名無し:2015/01/05(月) 19:57:50.93 ID:f+c/QDE0.net
彼は目を細くして、変わらず絵を見詰めながら、楽しそうに言う。

 「小父さん、芸術が解るの?」

 「さぁ、どうだろうね……」

 「これってさ、模造品としては良く出来てるよ。
  凄く、良く出来てる。
  本当に模造品を作る目的で描いたんならさ」

ファルコが何を言いたいのか、ラビゾーには解らなかった。

 「残念だけど、僕は本物を知らないんだ。
  名前位は聞いた事があるけどね」

 「小父さん、旅商なんだろう?
  本物と偽物の見分け位、付けられないとさぁ……」

呆れた様子のファルコに、ラビゾーは取り合わない。

 「美術品には興味が無いんだ。
  これは模造品で、それを前提とした商売をしている。
  この先も本物を扱う事は多分無いよ」

そうラビゾーが断言すると、ファルコは急に話題を変えた。

 「小父さん、この絵の作者を知ってるんだね?」

断定的な口調が気になった物の、ラビゾーは素直に答えた。

 「……ああ、知り合いだよ。
  売値の2割が僕の、8割が彼の取り分って約束で、直接取り引きしている」

76 :創る名無しに見る名無し:2015/01/05(月) 19:59:54.41 ID:f+c/QDE0.net
ファルコは続けて問い掛ける。

 「『贋作家<アール・フォセール>』?」

 「アール……?」

 「失礼、『贋作家<アート・フォージャー>』なのかと」

 「確かに、模倣だから似せて描いている訳だけど、それを専門にしている訳じゃない。
  これは……彼にとっては、言うならば、習作だ。
  エチュードだよ」

ラビゾーは作者のシトラカラスと知り合いなだけに、贋作家との評を聞き捨てられなかった。
未だ描画魔法使いとして完成しない彼の苦心を、我が事の様に感じる程、見知った仲なのだ。

 「嫌に肩を持つね」

 「彼とは出会ってから、それなりの付き合いになる」

絵とラビゾーを見比べ、少し間を置いて、ファルコは言った。

 「……贋作家って言うのは、本物になれなかった落ち零れがなる。
  虚栄心に囚われた盲を騙す、楽な仕事さ。
  そう言う連中も必要だけどね……」

 「それが何なんだ?」

 「この絵、本当に『模造品として作った』の?」

ファルコの質問に、ラビゾーは答え倦ねた。

77 :創る名無しに見る名無し:2015/01/05(月) 20:02:54.73 ID:f+c/QDE0.net
彼はシトラカラス本人ではない。
描画魔法の神髄を掴む為に、名画を参考にしているとは言っていたが、どう言う心持ちだったか、
そこまで知る事は出来ない。

 「さあね……」

ラビゾーが答を逸らかすと、ファルコは申し訳無さそうに告げる。

 「贋作家の絵には特徴がある。
  魂が無いんだ。
  見た儘を、そっくり写そうとするから、心が宿らない。
  上手い贋作家は、心を真似る。
  でも、やっぱり本人じゃないから、どこかで『違い』が出て来る」

 「……それで?」

 「この絵は模造品としては一級だけど、魂を感じない。
  はっきり言うと、『芸術家<アルティスト>』らしさが無い。
  夢も希望も失くして、贋作ばかり描き続けて来た人の絵に似ている」

辛辣な評価に、ラビゾーは誤解されてはならないと、言い返した。

 「言われるまでも無く、その人は自分が未熟だと理解しているよ」

 「贋作家でも、自分の『色』がある。
  本物と同等の評価を得たいと言う欲があれば、こんな絵にはならない。
  絵を高く売ってやろうと言う欲があれば、こんな絵にはならない。
  知り合いの絵が、こんな哀れみを誘う物になってしまう心当たり、小父さんには無いかな?」

 「僕に言われても、知らないよ。
  それ、返してくれないか?」

芸術に疎いラビゾーは、ファルコを鬱陶しく思い、突き放した。
そして、カンバスを奪う様に取り返すと、彼を真似て絵を見詰める。

78 :創る名無しに見る名無し:2015/01/05(月) 20:07:21.03 ID:f+c/QDE0.net
――その値打ちは、やはりラビゾーには解らない。

 「大体、贋作贋作と言うけれど、真作、本物って何なんだ?
  多くの人に評価された物?
  それとも高値で売れた物?
  世の大半は贋作家に騙される程度の連中なんだろう?
  『本物』である事に、どれだけの価値があるって言うんだ」

苛立ち紛れにラビゾーが吐き捨てると、ファルコは真顔で答えた。

 「本物は本物。
  それを知る者だけの、崇高な世界。
  素人が安易に理解出来る物じゃない」

 「仮令、売れなくても?」

 「その為に、鑑定士と言う職業がある。
  優れた感受性と審美眼こそ、世界で唯一信頼出来る物だ。
  オークションの値段なんて、競争心で幾らでも吊り上がる。
  そこに価値を置く様になったら、もう芸術家じゃない。
  でも、芸術家だって人間だ。
  食べて行く為には、下らない物を売る事だってある。
  それが偽物――詰まり、贋作さ」

ファルコは何らかの信念を持っている様だったが、煙に巻かれていると感じたラビゾーは、
早々に理解を諦めた。

 「君は何者なんだ?
  『崇高な』鑑定士?」

 「当たらずとも遠からずと言った所かな」

 「古物商?」

 「……不動産を扱ってるんだ。
  土地を見るのにも、目が要るからね。
  家が欲しくなったら、良い物件を紹介するよ」

ファルコは笑顔で名刺を差し出しながら、そう言う。

79 :創る名無しに見る名無し:2015/01/06(火) 19:48:05.64 ID:UJGoZt2I.net
ラビゾーは名刺を受け取ると、真面に見もせず、適当に財布に突っ込んだ。
旅の身の自分には、縁の無い人物だと思ったのだ。
数点、2人は無言だったが、ファルコは改めて口を開く。

 「所でさ、物は相談なんだけど……その絵、売ってくれない?
  他にもあるんだろう?
  出来れば、全部」

散々偽物と扱き下ろされた絵を、買いたいと言われた物で、ラビゾーは困惑した。
値切る為に、態と難癖を付けたのではないかとも、邪推する。

 「買い叩く積もりなら――」

 「誤解しないで貰いたいけど、偽物には偽物の価値があるんだ。
  言っただろう?
  『模造品としては一級だ』って」

それなら多少吹っ掛けても、大丈夫なのだろうかと、ラビゾーは何時も売っているより、
少し高目の値段を提示する。

 「……1枚4万だ」

 「桁が1つ違うんじゃないの?」

ファルコに怪訝な顔をされ、やはり高過ぎたのだろうかと、ラビゾーは反省するも、
桁を下げる事は出来ない。

 「流石に、4000では売れない」

突如、ファルコは目を剥いて怒った。

 「40万だよ!
  これだから芸術の解らない奴は……。
  物には相応の価値がある。
  安ければ良いと言う物じゃない!」

彼の剣幕に圧され、ラビゾーは目を白黒させるばかり。

80 :創る名無しに見る名無し:2015/01/06(火) 19:54:20.39 ID:UJGoZt2I.net
ファルコの説教は続く。

 「買う側にとって、『4万で買った』のと『40万で買った』のとでは、天地の差がある。
  額縁に飾る様な絵を、高々数千で買ったと胸を張れるかい?
  目の肥えたパトロンや収集家が、『良い物を高値で買う』と言う文化によって、
  真の芸術は育てられる。
  詰まり、『良い物を高値で買う』行為は、価値の創造であり、芸術を愛する者の義務なんだ。
  言い値で買う金満家では駄目、何でも買い叩く吝嗇家でも駄目。
  『芸術を愛する者』と言う『地位<ステータス>』が目的の俗物なんか、以ての外。
  真の芸術を育てられる者は、確固たる信念と価値観を持つ、真の好事家だけ」

行き成り大仰な話になって、ラビゾーは閉口するも、ファルコは構わない。

 「その絵は確かに模倣だけど、『手描き』だ。
  解る?
  この意味が」

突然の問いにラビゾーが硬直していると、ファルコは自分で答を言う。

 「魔法じゃなく、手描きで同じ質感を出すには、高い技術が必要なんだよ。
  それこそ贋作専門になる位の!
  単に線を擦(なぞ)るのとは訳が違う。
  その技術に敬意を表して、40万と言う値段を付けようと言うんだ!」

 「いや、でも……」

そんな大金を貰っても困ると、ラビゾーは及び腰になるも、ファルコは構わない。

 「安ければ良いと言うのは、浅ましい貧乏人の考えだよ!
  小父さんも商売人なら、勿体付ける事を覚えたら、どうなんだい?
  一体今まで、どれだけ損をして来たんだか……」

概ね、その通りだとラビゾーは認めたが、一つだけ言わなければならなかった。

81 :創る名無しに見る名無し:2015/01/06(火) 19:56:46.12 ID:UJGoZt2I.net
 「本気で、40万も出せる……?」

 「ああ、二言は無い」

あの絵の、どこに惹かれたのだろうかと、物の価値が分からないラビゾーは内心疑問に思う。

 「元絵違いのが、5枚あるんだけど……全部で200万だよ?」

ファルコの表情が一瞬凍り付いた。

 「待ってくれ。
  一先ずは、全部見せて貰おう。
  値段の話は、それからでも」

流石に200万MGは持ち合わせていないのだなと、ラビゾーは微笑ましい気持ちで、
半ば呆れつつも快く絵を見せた。
ファルコは他4枚の絵を、一枚一枚凝視して唸る。
そして、4針と少し経過した後、気落ちした様に項垂れた。

 「……御免。
  手持ちが全然足りない」

 (素直に白状しなくても……)

適当に誤魔化せば良い物を、どうして馬鹿正直に言うのかと、ラビゾーは一層呆れた。

82 :創る名無しに見る名無し:2015/01/06(火) 19:58:57.00 ID:UJGoZt2I.net
ラビゾーは芸術に造詣が深い訳ではないので、妥当な値段か否か判断出来ない。
そもそもファルコが何故、40万MGと言う値段で、シトラカラスの絵を買おうとしているのか、
それが解らない。
彼は丸で、「自分こそが価値を創造する真の好事家だ」と言っている様。
確かに、目利きではあるのだろうが、自惚れではないかと、ラビゾーは怪しんでいた。
訝し気な目付きのラビゾーに、ファルコは絵を指しながら言う。

 「『小春日和』が50……60万。
  『伯爵の愛人』が30万……いや、35万にはなる。
  『王の肖像』が25万。
  『精霊達の小夜』が80万。
  『飛来せし物』と合計で240万。
  その位の価値はあるんだ、本当に」

 「へー……」

然して興味無く、ラビゾーは聞き流した。
余りに価値観が違い過ぎて、話にならないのだ。
その値段で買ってくれる伝手がある訳でもない。
旅商の彼にとっては、どんなに高価な物でも、売れなければ意味が無い。

 「じゃあ、全部で40万で良いよ」

そうラビゾーが言うと、ファルコは一瞬睨み付けた物の、直ぐに視線を落として脱力し、
溜め息を吐いた。

 「……僕の話、聞いてたかい?
  その発言は、僕の鑑識眼を疑っているだけじゃなくて、小父さんの知り合いの絵をも、
  貶めてる事になる訳だけど」

83 :創る名無しに見る名無し:2015/01/06(火) 20:00:54.35 ID:UJGoZt2I.net
彼の言う事は尤もだと思いつつ、ラビゾーは首を横に振る。

 「それ程の価値を、彼は感じていないんだ。
  絵を売るのは画材を買う為で、僕は駄賃を貰っているに過ぎない。
  一流を目指しているのに、贋作家って評価なんか貰っても……」

 「『一流の贋作家』は立派な評価だよ。
  会わせてくれない?
  その彼に」

ファルコはシトラカラスの絵に、輝きを見出していたが、ラビゾーは頷かない。

 「……お互いの為に、それは止めた方が良いと思う。
  『一流の贋作家』と言う評価は、彼を大きく傷付ける」

 「何事も極めれば、評価の対象になる。
  『独自性<オリジナリティ>』だけが、芸術じゃない」

 「だから、彼は贋作家じゃないって――」

 「そこは問題じゃない」

そう言い切るファルコに、ラビゾーは同じ言葉を返した。

 「ああ、『そこは問題じゃない』。
  彼は芸術家として人々に認められたい訳じゃない。
  唯、『満足する絵を描きたい』と思っているだけなんだ。
  この絵は、『そう』じゃない。
  彼にとっては、それが全てなんだよ」

ファルコは漸く沈黙した。
運命は残酷である。
才能は望み通りに得られる物ではない……。

84 :創る名無しに見る名無し:2015/01/07(水) 20:18:49.60 ID:MzyWQhyI.net
結局、ファルコは5枚の絵を計40万MGで買い取った。
悄気た様子の彼を見て、ラビゾーは可哀想に思ったが、シトラカラスは外道魔法使い。
その存在を表沙汰にする訳には行かなかった。
暫く間を置いて、ファルコは諦め切れない様子で、ラビゾーに話し掛けた。

 「小父さんも芸術が解れば、これ程の才能を埋もれさせておく事は出来ないよ」

夜も更けて、気の緩みから、感傷的になっていたラビゾーは、静かに答える。

 「僕は……道端に咲いている花の美しさが解れば、それで良い」

 「あぁ、そう……。
  小父さんみたいな人、嫌いじゃないけど好きでもないよ」

ファルコはラビゾーに好感と反感を同時に抱いていた。
確固たる信念と価値観を持つ者は、誰でも尊敬に値する。
その反面で、2人は住む世界が違い過ぎる。
話が合う訳も無い。
だが、こうした出会いも旅の醍醐味だ。
深い溜め息を漏らして、ファルコはラビゾーに言う。

 「……小父さんの知り合いは、良い友達を持ったね」

皮肉なのか、本心からの褒め言葉なのか、判断が付かなかったラビゾーは、何も応えなかった。

85 :創る名無しに見る名無し:2015/01/07(水) 20:24:59.41 ID:MzyWQhyI.net
魔法暦502年6月、怪盗ロワド復活の翌々月の事、ティナー中央美術館に再び予告状が届く。

「来る今月末 名画展覧会にて 貴館の威信を頂きに参上する――ロワド・アングールヴァン」

ティナー中央美術館は警備を強化し、予定通り6月21から名画展覧会を開いた。
それから展覧会が終了する6月30日まで、何事も無く過ぎて行ったのだが……。
問題が発覚したのは、展覧会が終了した後だった。
1点の作品が偽物と掏り替えられていたのである。
題は「精霊達の小夜」、復興期三画仙の一「ルシャンバル・ルーホル」によって描かれた物。
旧暦に描かれた「精霊達の夜」と言う絵をオマージュしている。
精霊達の夜では不気味な容姿の3体の精霊が、向き合って輪を作り、怪し気に踊っているが、
ルシャンバルは精霊のデザインを少し変え、小物を増やして賑やかなパーティーを描いた。
偽物が余りに精巧だったので、誰も気付けなかったが、発覚した理由は至って単純。
額縁に隠れた秘密の落書きが、再現出来ていなかったのだ。
贋作の作者は額縁に入れられた物しか、知らなかったと思われる。
或いは、贋作と言う事を明確にする為に、敢えて似せなかったのか……。

86 :創る名無しに見る名無し:2015/01/07(水) 20:29:54.14 ID:MzyWQhyI.net
一体何時の間に掏り替えられたのか?
真贋を見抜けなかったティナー中央美術館と、その関係者の信用は地に堕ちた。
怪盗ロワドは予告状の通り、美術館の威信を奪ったのだ。
関係者は自分達の地位を守る為、贋作の価値を認めざるを得なかった。
所が、似た様な贋作が多数、「模造品」として売られていた事が判明する。
名も無き驚異の贋作家に、芸術界は『本物の偽物<フォー・レール>』と言う仮名を付け、
その正体を探ろうとした。
しかし、絵に高値が付くと判ってから転売が相次いで、情報が錯綜し、偽物の偽物も現れ始めて、
真実は覆い隠されてしまう。
結局、誰もフォー・レールの正体に辿り着けない儘、月日は過ぎて行った。
数年は大騒ぎになった物の、人の心は移ろい易く、次第に熱は冷めて話題にならなくなる。
それでも贋作騒動が芸術界に残した影響は大きく、あらゆる作品の、あらゆる技術に対して、
どれだけ本物に似せられるかと言う、「贋作」の出来を評価する、『真似事<ミミック>』と言う分野が、
開拓される事になった。
それと同時に、「簡単には似せられない」芸術の価値が、一層高まった。

87 :創る名無しに見る名無し:2015/01/08(木) 18:24:44.24 ID:/iig5Qn3.net
新たなる命


異空デーモテールの小世界エティーにて


その日、小世界エティーの海で、新たな命が生まれた。
エティーに暮らす多くの命が、それを感じていた。
エティーの海から陸に這い上がった、未だ名も無き命は、人の形をしてはいるが、人ではない。
男の様であり、女の様でもある、性が分化する前の少年少女の様な、これがエティーの命だ。
エティーの管理主サティ・クゥワーヴァは仲間達と共に、「それ」を出迎えた。

 「ようこそ、私達のエティーへ」

「それ」は皆が待ち望んでいた命の誕生だった。
新たなる命は、サティに続く2人目の伯爵相当なのだ。

88 :創る名無しに見る名無し:2015/01/08(木) 18:31:00.66 ID:/iig5Qn3.net
「それ」はエティーの皆に見送られながら、サティ達に日の見塔へと連れて行かれる。
エティーの管理主として、この日からサティは、「それ」を教育する事になった。
日記係のデラゼナバラドーテスは言う。

 「この方は将来、サティさんの片腕となって、エティーを支える事になるでしょう」

 「……それで、私が教育すべきだと」

神妙な面持ちで確認するサティに、エティーの古老ウェイル・ドレイグー・ジャイルが頷く。

 「その通りだ。
  君の姿を見て、『これ』は育つ」

 「でも、私に出来るでしょうか……」

少し自信無さそうに、サティは零した。
未婚の彼女には子育ての経験が無いし、抜きん出た才能を持っていたので、他人と感覚が合わず、
人に物を教えるのも余り得意ではない。
ウェイルはサティを励ます。

 「大丈夫、何も君一人に背負わせようとは思っていない。
  私達も協力するよ」

デラゼナバラドーテスも同意した。

 「私も微力ながら、お手伝いします。
  先ずは、この子の名前を決めて上げましょう」

 「そうね……」

サティは両腕を組んで、悩み始める。

89 :創る名無しに見る名無し:2015/01/08(木) 18:34:26.62 ID:/iig5Qn3.net
「それ」は白痴の様に仇気無く、唯々サティを見詰めている。
エティーの海から生まれた物は、皆々海の青の魔法色素を持ち、それが体色に反映されている。

 「マティア……と言うのは、どうでしょう?」

 「良いんじゃないかな」

サティが意見を求めると、ウェイルは頷いてくれたが、デラゼナバラドーテスは無表情で無言だった。

 「ゼナは、どう思う?」

何か変なのだろうかと、サティが尋ねると、デラゼナバラドーテスは遠慮勝ちに言う。

 「良いとは思いますが、但、短いのでは……と」

エティーの物は基本的に名前が長い。
これは被りを避ける為だ。
エティーは違うが、他の世界では名前被りの為に、存在意義を賭けて決闘になる所もあると言う。
ファイセアルスの一部の地域でも、名前被りを避けて、長大な名付けをする。

 「長い方が良い?
  マティアバハラズールとか?」

デラゼナバラドーテスを参考に、サティは適当に語を並べた。

 「良い感じですね」

やっとデラゼナバラドーテスは満足気に頷く。

90 :創る名無しに見る名無し:2015/01/09(金) 18:18:38.22 ID:9+Mzys5V.net
サティは向き直り、新たな命に名を与えた。

 「今から貴方はマティアバハラズール。
  ……解る?」

所が、マティアバハラズールは呆けた顔をしている。
どう言う事かと、サティがウェイルに振り向くと、彼は苦笑した。

 「マティア君は生まれたばかりで、赤子も同然だ。
  だが、心配は要らない。
  人間の赤子と違い、直ぐに何でも覚える」

その遣り取りを先程から興味深く見ていた、外界からの客人バニェス伯爵は、感心して言う。

 「随分と構ってやるのだな。
  エティーの如き小世界では、この程度でも大仰に迎えねばならぬのか……。
  私は生まれてから、誰かに教育された覚えは無いぞ」

悪意は無い。
大世界マクナクの大伯爵と言う立場からの、率直な意見だ。
ウェイルはバニェスに棘を含んだ言葉を返す。

 「小世界には小世界なりの苦労があるのだ。
  戦ばかりはしておれぬ」

 「戦の事しか考えておらぬかの様な物言いは止めて貰おう。
  我等が主マクナク公様は、能力に応じて知能をお与えになる」

 「その知能で戦ばかりしてたのでは、世話無い」

バニェスとウェイルは仲が良いのか悪いのか、大体この様な調子だ。

91 :創る名無しに見る名無し:2015/01/09(金) 18:21:20.41 ID:9+Mzys5V.net
一方で、バニェスと同じく客人のバーティ侯爵はサティに微笑み掛けた。

 「子育てなら、この私にも経験がある。
  何でも相談するが良いよ」

バーティは外界の侯爵ながらファイセアルス育ちで、人として生きた経験を持つ。
しかし、ファイセアルスでのバーティは魅了の能力を持つ、妖艶な魔女だった。
それを知っているサティは警戒する。

 「頼むから、変な事は教えてくれるな。
  余計な事はせず、見守るだけにしろ」

 「信用無いなー。
  人生経験は私の方が豊富なのだから、助言に従って損は無いぞ?」

 「要らぬ!」

丸で孫を取り合う嫁と姑の争いだ。
頑ななサティをバーティは鼻で笑った。

 「大体、男と付き合った事も無い小娘が、母親気取り等、片腹痛いわ」

 「そ、それは関係無いだろう!」

 「本当に関係無いと?」

 「……た、多少は関係するかも知れないが、私とて両親の愛を受けた身!
  真っ当に育て上げて見せる!」

そこまで言い切って、礑とサティは気付く。

 「待てよ?
  異性と付き合った事があるとか無いとか、そんな事が判るのか?」

 「いいえ、何と無く初心娘いから……」

要らぬ恥を掻いたとサティは俯くも、その意味が解るのは、この場ではウェイル位の物。
彼はバニェスとの言い合いで、話を聞いていなかった様なので、少し安心するのだった。

92 :創る名無しに見る名無し:2015/01/09(金) 18:31:52.30 ID:9+Mzys5V.net
マティアバハラズールはエティーの物達に愛され、すくすくと育った。
外見こそ変わらないが、表情は段々豊かになり、知性的な行動を取り始める。
エティーの時間で3日も経てば、独りで歩き回る様になった。

 「待ちなさい、マティア!!
  悪戯で砂時計を引っ繰り返すなと、あれ程言ったでしょう!
  時間が狂うと皆が迷惑するの!」

怒り露に声を荒げるサティに追われ、マティアバハラズールは楽しそうに、
日の見塔の窓から空へと逃げる。

 「だ、大丈夫です、サティさん。
  多少時間が狂っても、気にする物は少ないですから……。
  それに、太陽の位置で時計を元に戻せます。
  大砂時計の件は持ち場を離れた私の失態です。
  どうか、マティアには御容赦を」

 「いいえ、貴方は悪くない。
  懲罰を受けるべきはマティア。
  如何に伯爵相当、エティーに不可欠な物とは言え、特別扱いは許されない」

困った事に、マティアバハラズールは悪戯好きになってしまった。
見張りの目を盗んで大砂時計を狂わせたり、格下の物を揶揄って遊んだりと、
他の物に迷惑ばかり掛けて笑っている。

 「好い加減にしなさい、マティア!
  何度も何度もっ!
  聞き分けの無い子は仕置く!
  H5K5MM5!!」

空を飛んで逃げるマティアバハラズールに、サティは魔法の雷を落とした。
雷に打たれたマティアバハラズールは、煙を噴きながら、エティーの大地に真っ逆様。
幸いにも、マティアバハラズールの能力は、サティより少し劣る程度。
魔法の技量には天地の差があるので、返り討ちになる虞は無い。
もし自身よりも強ければ、どの様に躾けた物か……。
それを想像すると、己を教育した父は偉大であったと、今更ながらにサティは思い知る。

93 :創る名無しに見る名無し:2015/01/10(土) 17:14:33.15 ID:dKqzhQhU.net
豊富なエティーの魔力を使い、強目の雷を落としたので、サティは手当てをせねばなるまいと、
マティアバハラズールが落ちた地点を探した。
落下地点に偶々居合わせたウェイルは、降下して来るサティに忠告した。

 「そう簡単に死なないとは言え、少しは加減してやれないか?
  今は悪戯盛りなんだ。
  何、直ぐに落ち着くよ。
  エティーの物は老成が早い」

 「しかし、悪い事は悪いと、確り教えなくては」

 「力で抑え付けて育てれば、力を頼る物に育つ。
  それは良くない」

 「いえ、マティアは既に能力で劣る物を軽視する傾向が――」

 「幼子は大人の振る舞いを見て、それを真似る物だよ」

 「私がエティーの物達を見下していると仰るのですか?
  そんな事は……無いとは思いますが……」

サティは自省する。
管理主と言う立場上、あれこれと指示を出す姿が、権威者の様に映っているのかも知れない。
或いは、他の物がサティに畏まる姿を見て、能力の優劣で判断する癖が付いたのかも知れない。
サティは半死半生のマティアバハラズールに近付くと、共通魔法で傷を癒やしてやった。
意識を取り戻したマティアバハラズールは、サティを恐れる様に、ウェイルの後ろに隠れてしまう。

 「貴方は自分より弱い物に、庇って貰おうと言うの?
  恥を知りなさい」

ウェイルはサティに配慮しつつ、マティアバハラズールを説得する。

 「前に出なさい。
  何も怖い事は無い。
  正しい振る舞いをしていれば、彼女は優しいよ」

そう言われても、未だ愚図るマティアバハラズールに、益々苛立ちを募らせるサティ。
ウェイルは彼女を宥める。

 「ここは年寄りに任せてくれ」

サティは心配ではあったが、彼に良い案があるのならばと引き下がった。

94 :創る名無しに見る名無し:2015/01/10(土) 17:37:20.07 ID:dKqzhQhU.net
胸に靄々した物を溜め込んで、日の見塔へと戻るサティに、バーティが声を掛ける。

 「フフフ、厳しい躾け方をするのだな。
  中々立派な教育ママじゃないか?
  雷鳴を轟かせマティアを追う姿は、今やエティーの名物だ」

サティは深い溜め息を吐いて、バーティに助言を求める。

 「……出来れば、こんな事はしたくない。
  でも……、言葉は理解している筈なのに、マティアは言い返しもせず、態と反発している様だ。
  性根の曲がった畜生を躾けている気分になる。
  こう言う時に母親は、どうすれば良い?」

弱った様子の彼女を見て、バーティは意外そうな顔をした後、同情した。

 「大分、参っている様だな。
  貴女にとって、マティアは謂わば養子。
  しかも、精神構造が人間とは異なり、常識や共感が通じ難い。
  腹を痛めて産んだ子の様に、心の底から信じて愛する事は、難しいだろう」

そうだろうなとサティも思う。
マティアバハラズールが何を考えているのか、自分を信頼してくれるのか、彼女は不安だった。

 「貴女の態度は、母親と言うより姉だ。
  能力は同程度。
  マティアにとっても、貴女は姉の様な物だろう。
  世話焼きで口煩い」

 「私にはマティアを教育する事は出来ないと……、教え諭す資格は無いと?」

サティは自信無さそうに零すも、バーティは否定した。

 「そうは言ってない。
  マティアはエティーの皆で育てると、ウェイルが言った筈。
  姉なら姉の接し方があるだろう」

 「姉の……」

 「無理に母親を気取るよりは、気楽だろう」

バーティの指摘に、サティは目の覚める思いだった。

 「有り難う」

彼女が謝意を示すと、バーティは苦笑する。

 「……俄かに素直になられると、気味が悪いな。
  礼には及ばぬ」

エティーは今日も平和である。

95 :創る名無しに見る名無し:2015/01/11(日) 17:53:30.75 ID:61/II+WD.net
立身出世物語


第四魔法都市ティナー中央区 ティナー中央市民会館にて


身分の低い者が身分の高い者と結ばれる。
そんな話は古今を問わず数あるが、基本的に女性は高貴な存在に見初められ、
男性は立身出世を志す。
この日、ティナー中央市民会館で行われていたマリオネット演劇の題は、「リアディーン」。
旧暦の王国の物語で、リアディーンとは何でも願いを叶える悪魔の名前だ。
粗筋は以下の通り。
遙か昔、ダシンと言う国にラアルと言う貧しい青年が居た。
彼は自国の王女ファーマに一目惚れし、立身出世を志して戦争に志願するも、軍は大敗を喫し、
大した戦果も上げられずに、命辛々逃げ帰る。
敗残兵として国に戻った彼は腰抜けと笑われ、夢叶わず酒浸りで自棄になっていた所、
悪魔リアディーンが何でも願いを叶えましょうと囁き掛ける。
ラアルは酔っ払った頭で半信半疑ながら、先ずは大金持ちにしてくれと願った。
リアディーンは直ぐに大量の金や宝石を用意し、その金でラアルはダシン国王に取り入った。
ラアルは毎日国王への献上品を用意して、ファーマ姫への目通りを許して貰い、
彼女にも貢ぐ事で次第に好い感じになる。
しかし、国王はラアルとファーマ姫との付き合いを認めない。
金だけでは駄目だと言う事で、ラアルはリアディーンに名誉が欲しいと願う。
その結果、大規模な戦争が始まって、ラアルは再び武勲を立てる機会を得た。
リアディーンの助力があれば、どんな戦況でも楽勝だと考えていたラアルだったが、
実は人間同士を争わせる事がリアディーンの真の目的で、より多くの戦死者を出す為に、
リアディーンは戦闘中にラアルを見放してしまう。
ラアルは己の愚かしさを呪い、死力を尽くして戦った。
彼は何とか生き残って、戦争もダシン国の勝利に終わったが、両軍の被害は甚大だった。

96 :創る名無しに見る名無し:2015/01/11(日) 18:01:09.79 ID:61/II+WD.net
ラアルは英雄として迎えられ、勇敢な戦士と称えられるが、彼の心は罪悪感で一杯で、
国王に褒賞を与えられても、戦争で家族を失った遺族に全て寄付してしまう。
ラアルは人格者と噂され、国王もファーマ姫との結婚を認めるが、乗り気になれず、
酒浸りの日々に戻ってしまった。
そこで彼は悪魔リアディーンと再会する。
何でも願いを叶えると言うリアディーンに、ラアルは時間を巻き戻して欲しいと頼み込んだ。
願いを叶えると言った手前、リアディーンはラアルの頼みを聞き入れざるを得ず、
渋々時間を巻き戻す。
当然ラアルも、金も名誉も無い貧乏な青年に戻った。
心を入れ替えたラアルは、今度は真面目に城に仕えて、死に物狂いで腕を磨き、
雑兵から遂には騎士になる。
そしてファーマ姫と出会い、再び恋に落ちる。
だが、隣国との戦争が始まると言う噂が立ち、過去の繰り返しになると感じたラアルは、
無礼を承知で国王に思い止まる様に進言する。
ラアルがファーマ姫に好意を持っている事に付け込んで、国王は戦争で武勲を立てれば、
結婚を認めても良いと揺さ振るが、ラアルは肯かない。
国王はラアルを臆病者と罵り、勇気の証明に騎士長との果たし合いを命じて、
それに勝ったならば、戦争を取り止めても良いと言う。

97 :創る名無しに見る名無し:2015/01/11(日) 18:04:54.64 ID:61/II+WD.net
果たし合いは、闘技場での一騎打ち。
その前日、リアディーンがラアルの前に現れ、自分は騎士長と契約したと告げる。
更に、悪魔の自分が付いている限り、万に一つもラアルの勝ち目は無く、死にたくなければ逃げろと。
しかし、ラアルは肯かず、リアディーンを追い返すと、翌日悪魔祓いの銀の短剣を隠し持って、
果たし合いに参上した。
国王から平民まで、国中の者が見守る一戦。
リアディーンは騎士長の従者に扮していたが、ラアルは直ぐに気付き、騎士長に斬られながらも、
従者に接近して銀の短剣を投げ付け、一撃で仕留める。
リアディーンが死んで動揺する騎士長を倒して、遂にラアルは誰憚る事の無い、真の栄誉を手にし、
改めてファーマ姫に結婚を申し込んだのだった。
ダシン国王もラアルの強い意志を認めざるを得ず、2人は目出度く結ばれて、ハッピーエンドとなる。
後半の流れは強引ではあるが、よくある立身出世物語とは違い、一度楽をして得た地位を手放し、
再び自力で登り詰める所に、「リアディーン」の魅力があると言われる。
邪な物の力を借りてはならないと言う、旧暦の信仰も関係しているのだろう。
だが――……。

98 :創る名無しに見る名無し:2015/01/12(月) 18:21:49.69 ID:l9UvJ8QF.net
演劇が終わり、観客が次々と席を立つ。
その中で、着席した儘の一組の男女があった。
男の方は神妙な顔をしており、女の方は呆れた顔をしている。

 「随分、真面目に観てたわね」

 「……好きな話なんです。
  演劇ではないんですが、子供の頃、本で読んだ事があります。
  確か、『ラアルの物語』と言うタイトルで」

 「アタシは今一だったかな。
  ラアルって人、自分の事ばっかりで、少しも王女様の事、考えてないし。
  王女様も王女様で、金持ちが好きなのか、強い人が好きなのか、よく分からないし。
  王女が地位と名誉の象徴的な扱いになるのは目を瞑るとしても、人格も主体性も無くて、
  取り敢えずラアルに惚れるみたいな感じ、酷くない?」

不満気な女に、男は苦笑いして言う。

 「その辺りは、劇にならない部分だったんでしょう」

 「恋愛物なら、そこ重要よ?」

 「これはラアルの立身出世物語ですから……。
  お話的にも、ラアルは地位と名誉のある人を好きになって、それに自分が釣り合う様に、
  努力しないと行けない訳です。
  何事も釣り合いは大事でしょう?」

 「そうだけど……。
  好き合って、漸く結婚出来る様になったのに、それでも待たされた王女様の気持ちは?」

 「だから、ラアルは申し訳無さそうにしてたじゃないですか……」

男は困り顔でラアルを擁護する。

99 :創る名無しに見る名無し:2015/01/12(月) 18:23:16.80 ID:l9UvJ8QF.net
そんな彼を見て、女は尋ねた。

 「本当に、これ、好きな話なの?」

 「……そうだったんですけど、今は――耳が痛いと言うか、胸が苦しいと言うか……、
  複雑な気持ちですね……。
  自分と比べて、どうも……」

この演劇を見ようと誘ったのは、女の方だった。
その意図は知れないが、男はラアルに自分を重ねて、女に申し訳無く思っていた。
女は女で、悄気返る男を見て、気不味い思いをする。

 「あのね、違うのよ?
  お説教とか、そう言うのじゃなくて……。
  話の内容も全然知らなくて、平凡な青年と王女様の恋物語って触れ込みだったから――」

 「そ、そうなんですか?」

 「そうそう、本当、予想外だったわー。
  恋愛じゃなくて、男の話ばっかりで期待外れって言うか?」

何とか雰囲気を変えようとする女に合わせて、男も話に乗った。

 「あ、ハハハ、そりゃ確かに……。
  男の詰まらない拘りは、現実で十分間に合ってますよね。
  ハハハ……はぁ……」

自虐で勝手に傷付いて気落ちする男に、女は何と声を掛けて良いか悩むのだった。

100 :創る名無しに見る名無し:2015/01/12(月) 18:24:08.53 ID:l9UvJ8QF.net
女の言う通り、「リアディーン」の主題は色恋ではない。
貧しい青年ラアルが、ファーマ姫に惚れるのは、彼の人生が動く切っ掛けでしか無い。
本題はファーマ姫と結ばれる事より、ラアルが自分の意志と自分の力で、歩み始めて行く所にある。
王女との結婚は、当初の目的であり、最終的に達成されて終わるが、飽くまで添え物だ。
極端に言えば、ファーマ姫の存在を除いても、他に地位を求める動機さえ用意出来れば、
「リアディーン」は趣旨を変えずに成り立つ。
端的に「王女と結婚する為にラアルと言う青年が頑張る」と紹介すると誤解されるが、
内容を知っていれば、罷り間違っても、これを恋愛物と評しはしない。
「リアディーン」は「英雄ラアルの物語」と改題されて、児童書の棚にも並んでいる。
話の筋が単純で、内容も教育や訓示に向いている為だ。
「リアディーン」では通じないが、「ラアルの物語」、「英雄ラアル」と言えば分かる者も多い。

101 :創る名無しに見る名無し:2015/01/13(火) 18:43:38.05 ID:XVFadlTa.net
高速馬車鉄道の歴史


通常、馬車鉄道は角速2街。
現在でも殆どの馬車鉄道は、この速度を標準にしている。
しかし、これでは1旅以上の長距離移動には、余りに時間が掛かり過ぎると言う事で、
高速馬車鉄道と言う物が、魔法暦118年に誕生した。
何の事は無い、単に移動速度が倍になった、所謂『特急馬車<ハイスピード・コーチ>』の事だ。
所が、人の往来が活発になる開花期の盛りを前に、高速馬車鉄道でも未だ遅いと言う事で、
長距離高速馬車鉄道と言う物が、魔法暦147年に誕生した。
移動速度は馬車鉄道の4倍を目指し、主要都市にしか停車しない。
重大事故を想定して、馬も御者も通常の馬車鉄道以上の、専門的な訓練を受けなければならないと、
明確に規定された。
平穏期、魔力不足の煽りを受けて、高速馬車鉄道の在り方の見直しが議論される。
そこで、魔法暦282年に路線整理計画が立ち上がり、30年以上後の魔法暦316年に、
幾らかの線路と運行本数を統合して、減らす事となった。
魔法暦347年、魔力の消費を抑える技術が一定の成果を獲得したのを機に、
更なる高速馬車鉄道の計画が始まる。
それが新高速馬車鉄道である。
計画当初は馬車鉄道の6倍程度を目指していた。
だが、御者の育成や路線の整備に時間が掛かり、グラマー地方での最初の運行は魔法暦374年、
グラマーからブリンガー、エグゼラ、ティナーの各地方間を往来する様になったのが404年、
全ての路線が開通したのは451年。
その間にも技術開発は進み、移動速度は通常の馬車鉄道の7倍前後となった。

102 :創る名無しに見る名無し:2015/01/13(火) 18:48:54.34 ID:XVFadlTa.net
馬車鉄道を牽く馬は、大抵は霊馬だ。
通常は長距離になればなる程、馬は巨大になり、要求される魔法資質も高くなるが、
長距離高速馬車鉄道(LHCL)並びに新高速馬車鉄道(NHCL)の場合、体格は重視されない。
余り小さくても駄目だが、標準的な体格と同程度か、やや上回る程度。
これは身体に掛かる負荷を考慮している。
但し、魔法資質が十分に優れていれば、1頭牽引でのみ、稀に超大型の物も見られる。
御者も魔法資質の高い者でなければならず、魔導師が多い。
一時は態々貴重な霊馬を使わずとも、魔力機関の方が良いのではないかと言われたが、
魔力効率が落ちては本末転倒だと却下された。
一応、どの鉄道馬車も、非常時に備えて、先頭車両と最後尾は魔力機関車となっている。
非常時以外でも、人員や物資の輸送目的でない、除雪や回送運転では、
魔力機関車が使われる事もある。
他に熱機関車や電動機関車もあるにはあるが、普及はしていない。
大規模な炭鉱や油田、大型電源が無いので、活用には魔力の補助が必要な上に、
慣れた霊馬に牽かせた方が、魔力効率は良い為である。
他に馬の飼い主や御者の雇用の問題もある。
魔法を使う関係上、馬車鉄道は大魔力路と同様に、魔導師会と都市の共同管理になっている。

103 :創る名無しに見る名無し:2015/01/13(火) 18:50:44.54 ID:XVFadlTa.net
唯一大陸の馬は、丁寧に面倒を見れば、30年以上も生きる位に頑健だが、鉄道馬車を牽く馬は、
長くても5年以内に引退する。
殆どの馬が5歳で成体になり、軽い馬車を牽かせるなら、20年位は使えるとされるが、
それ程に『鉄道馬<レール・ホース>』を務める事は、過酷な労働なのだ。
魔法で補助をしても、身体に重大な負担が掛かるのは避けられない。
基本的に鉄道馬は賢く優秀なので、引退した鉄道馬は引き取り手も多い。
中には競走馬に転向する物もある。
その場合は主に長距離を走り、大陸一周やクロス・リージョン、その他の超長距離レースでは、
必ず上位に食い込むが、普通の競走馬と比較して引退も早い。


※:『馬車鉄道』と『鉄道馬車』と『鉄道馬』は全て意味が異なる。
  馬車が通る鉄道が『馬車鉄道<コーチ・レール>』、鉄道を走る馬車が『鉄道馬車<レール・コーチ>』、
  鉄道馬車を牽く馬が『鉄道馬<レール・ホース>』。
  態々馬車鉄道と言うからには、他の鉄道(例:トロッコ、カート、ローラー・コースター等)もあるし、
  当然ながら鉄道を走らない馬車もある。
  但し、馬車鉄道と鉄道馬車は、同じ意味で使われる事もある。
  例として、「馬車鉄道に乗る」と「鉄道馬車に乗る」は、どちらも移動手段を表し、
  どちらも問題無く通用する。
  鉄道馬は競走馬と同じで、生物学的分類に基づく、亜種名や品種名ではない。
  だが、特定の品種が鉄道馬に向いていると言う傾向はある。

104 :創る名無しに見る名無し:2015/01/14(水) 18:10:50.30 ID:Io+KU8FT.net
大陸一周レース!


第四魔法都市ティナー中央区 ティナー中央競馬場にて


大陸一周レースは毎年3月、唯一大陸の中心、第四魔法都市ティナーの競馬場からスタートする。
そこからグラマー、ブリンガー、カターナ、ボルガ、エグゼラと回り、再びグラマーまで行ったら、
ティナーに入り直してゴール。
ティナーとグラマーの往復がある分、実際の走行距離は大陸一周より長い。
レース期間は2箇月で、それまでにティナー中央競馬場に戻れなければ、失格となる。
主要都市や地方境にはチェック・ポイントがあり、規定日までに通過出来なくても失格となる。
但し、それさえクリアしていれば、ペース配分は自由。
走行コースは、馬車鉄道大陸一周路沿いの、大道路。
開拓道路やハイウェイがあるので、線路沿いの大道路は余り人通りが多くない。
故に、長期間レースに使用しても、大きな混乱は起こらない。
季節は酷寒と酷暑を避けて、春を選んでいるが、余りに長く、余りに過酷なので、
通常の競走馬はエントリーしない。
完走するだけでも大した物だと言われる。
大陸中を回るので、観客の集まりも悪い。
一応賭博の対象にはなっているが、大体はラジオで日毎の順位を聞くのみである。
余裕を見込んだ2箇月と言うレース期間も、中弛みの原因になっている。

105 :創る名無しに見る名無し:2015/01/14(水) 18:12:50.24 ID:Io+KU8FT.net
猫道中


第五魔法都市ボルガ中央区にて


馬車鉄道の線路沿いの大道路、その道端で、ナンバー34のビブを着た、痩せた中年の男が、
馬を連れて歩いていた。
馬は足取りが重く、暫く歩くと足を止めてしまう。

 「辛いか?
  少し休もう」

異変に気付いた男が、振り返って馬の背を軽く数度叩くと、馬は脚を折って座り込んだ。
男は馬の右前脚に両手を添えて、低い声で呪文を唱える。

 「どうなさいましたかな、コレ?」

不意に横合いから声を掛けられて、男は吃驚して顔を上げた。
そして、2度吃驚。
そこには草色の羽根付き帽子を被った、2本足で歩く、手足の黒い大きな猫が居たのだ。
唯一大陸には、人語を解す動物が存在する。
流暢に人語を話す物もあるが、非常に珍しい。

 「お、おおぅ……。
  ああ……っと、これは……」

先程まで何を考えていたのかも失念して、男は何と言って良いか分からず、間抜けな声を出す。
彼の反応に2本足で歩く猫は、顎に左前足を沿え、両目を右上に逸らして、済まなそうに言った。

 「コレ、これは失礼。
  我輩はニャンダコーレ。
  コレ、何やら、お困りの様子だったので、コレ」

男は漸く正気に返り、事情を説明した。

 「あ、ああ、私はグランデュアと言う。
  馬が脚を悪くしてね。
  大陸一周レースの途中だったんだけど……」

 「ニャフ……それは災難でしたなァ、コレ」

そう言うと、猫は男の隣に座り込む。

106 :創る名無しに見る名無し:2015/01/14(水) 18:15:03.18 ID:Io+KU8FT.net
天気は快晴、穏やかで心地好い春風を感じて、目を細める謎の猫に、男は戸惑った。
彼は馬の治療を再開しながら、猫に尋ねる。

 「あの……何か?」

 「ニャ、お構い無く。
  面白い――と言っては、コレ、失礼ですな。
  コレ、初めて目にする物で、見学したいと思いまして、コレ」

 「そ、そう……?」

邪魔をしないなら別に良いかと、男は治療に集中した。
約半点後、猫は再び男に話し掛ける。

 「コレ、骨折ですか?」

 「いや、筋を痛めた程度だ。
  安静にしていれば回復は早いけど、制限時間があって……。
  何とかチェック・ポイントまでは持って貰いたい。
  でも、余り無理をして、後に響くと行けないし……」

男が答えている途中、彼とはナンバー違いのビブを着た者を乗せた馬が、蹄の音を轟かせて、
通り過ぎて行く。
男は焦りの混じった目で、寂しそうに後姿を見送った。
薄情に思えるだろうが、長距離レースに故障は付き物だ。
一々他人に構ってはいられない。

107 :創る名無しに見る名無し:2015/01/15(木) 15:30:35.25 ID:pDOgGLzx.net
かわいいw

108 :創る名無しに見る名無し:2015/01/15(木) 18:45:46.06 ID:c0mG3Zoj.net
男は項垂れて、深い溜め息を吐く。

 「難しい所だよ」

別に、男は優勝争いをしている訳ではない。
トップ・グループは既に、エグゼラ地方との境まで行っているだろう。
今、男が居る中央区からは、4旅以上も先だ。
それでも……完走するだけでも、意味を持つのが、大陸一周レース。
参加条件は、資格を持つ調教師の指導の下、乗馬に訓練を受けさせる事と、
体力検査で人馬共に合格する事、この2点さえ満たしていれば良い。
一方、「大陸一周レースを走破した馬」と言うだけで、馬の価値は高まる。
馬を売る気が無くても、価値のある馬を持っている事は、名誉なのだ。
家や車を飾ったりして、金を掛けるのと同じである。
勿論、馬の事を考えずに、名誉だけが目的で参加する者も居る。
しかし、この男は無謀でも馬鹿でもない。
馬は鉄道馬の子で、素質も能力も申し分無いし、身元の確かな調教師の下で、
人馬共に十分以上の訓練を受けた。
どんなに訓練していても、どんな名馬でも、どんな名騎手でも、予期せぬ事態で脱落するのが、
大陸一周レース。
だからこそ、完走する価値がある。
馬にとっても、大陸一周レースに参加する事には、大きな意味がある。
頑健であれば牝馬に持てるし、お見合いでも良い馬を選べる様になる。
更に言えば、訓練もレース費用も只ではない。
そう言う訳で、人馬共に多少の無理はしたくなるのだ。

109 :創る名無しに見る名無し:2015/01/15(木) 18:47:17.33 ID:c0mG3Zoj.net
道行く人々は、誰も男の方を見る。
レース中の自分達が注目されているのか、それとも奇妙な2本足で歩く猫が注目されているのか、
男は判らなかったが、とにかく余り好い気はしなかった。
男が眉を顰めると、馬が徐に立ち上がる。

 「もう大丈夫なのか?」

男が尋ねると、馬は2度首を縦に振った。

 「コレ、話が通じるのですか?」

驚いた声を出す猫に、男は答える。

 「言葉は通じなくても、心は通じる。
  魔法の補助もあるが、もう何年も付き合っているんだ。
  どんな時に、どんな風に感じるのか、何を考えているのか、お互いに解っている」

彼は立ち上がって、馬の背に乗り、具合を確かめた。

 「本当に大丈夫みたいだな。
  良し、ゆっくり行こう。
  焦るなよ」

そして、馬上から猫を見下ろす。

 「……じゃあ、ニャンダ君、また会おう」

110 :創る名無しに見る名無し:2015/01/15(木) 18:50:37.29 ID:c0mG3Zoj.net
猫も立ち上がって、応じた。

 「ニャ、お元気で、コレ。
  無事に完走出来る様、コレ、祈っております」

 「有り難う、頑張るよ」

男は猫と別れ、次のチェック・ポイントへと向かう。
残された猫も姿勢を正して、蹄の跡を辿りながら、のんびり歩き始めた。
その後からも、ナンバー・ビブを着た騎手を乗せた馬が、結構な速度で駆け抜けて行く。
中には、鉄道馬車と並んで走る馬もある。
唯一大陸春の風物詩である。

111 :創る名無しに見る名無し:2015/01/16(金) 23:18:09.52 ID:S69Rttgd.net
大世界マクナク


異空デーモテールの小世界エティーにて


エティーにマティアバハラズールが生まれてから、20日が経過した。
マティアバハラズールは嘗ての様に悪戯こそしなくなったが、無口で余り言葉を発さず、
自ら殆ど動かずに、命令に従うだけの物になった。
何も命令されていない時は、日の見塔の上で呆っとしている。
マティアバハラズールにエティーを支えさせようと考えていたサティ・クゥワーヴァは、
これを良い傾向とは捉えていなかった。
大人しいのは良いが、自ら問題を見つけ出し、解決に向かって動く主体性が無ければ、
管理者としては不適当なのだ。
その事をサティはエティーの古老ウェイルに相談する。

 「――厳しく躾け過ぎたのでしょうか?」

 「マティア君は愚鈍ではないよ。
  あの子は考えながら、物を見ている。
  観察しているんだ」

 「何を?」

 「この世界の全てを」

サティは驚くと同時に、疑問に思った。

 「……何の為に?」

 「所謂、思春期なんだ。
  人間で言うなら、二次性徴の強い反抗期。
  私達は私達の都合で、マティア君にエティーを管理して貰おうとしている。
  その事に、マティア君は疑問を感じているんだろう。
  無言の抵抗なのだよ。
  悩んでいるんだ。
  自分の存在意義に」

ウェイルは何でも見透かしているかの様。

112 :創る名無しに見る名無し:2015/01/16(金) 23:20:20.62 ID:S69Rttgd.net
サティはウェイルの言葉に、思う所があった。
彼女はファイセアルスでは並ぶ者が無い、優れた魔法資質の持ち主だった。
その為に、幼い頃から他人とは違う事を自覚し、自らの存在に疑問を抱いていた。
マティアバハラズールも、嘗てのサティと同じなのだ。

 「それなら、相談してくれても――」

 「いやいや、賢いマティア君は理解している。
  私達の口から出る言葉は、マティア君の為の物ではなく、私達の都合に合わせた物だと」

 「私達とマティア、皆の為になる事ならば、それは善い事です」

 「ある事柄を『正しい』、『善だ』と感じるには、それなりの背景が必要なのだ。
  理屈を承知していても、その通りに実行するか否かは、マティア君の心一つだよ。
  生まれ付いて負わされた使命の重要性、宿命の様な物を、受容するには時間が必要だ。
  私達が教えるだけではなく、マティア君が身を以って経験しなくては」

 「難しい物ですね……」

サティが呟くと、ウェイルも同意する。

 「肯(うむ)、全く。
  もしかしたら、マティア君にとっては、この世界は面白くないかも知れない」

ウェイルの何気無い一言が、サティの胸に響いた。
「面白くない」のはサティも同じだった。
彼女はファイセアルスに居た時から、ずっと不満を抱えていた。
ファイセアルスもエティーも、サティにとっては狭く、退屈過ぎるのだ。
サティと同等の魔法資質を持つマティアバハラズールも、同じ思いをしているのだとしたら……。

113 :創る名無しに見る名無し:2015/01/16(金) 23:24:27.18 ID:S69Rttgd.net
ウェイルと別れ、サティが気晴らしに散歩していると、別世界からの来客バニェスが声を掛けた。

 「どうした、サティ・クゥワーヴァ?
  マティアバハラズールの事で悩んでいるのか?」

マティアバハラズールが誕生して以降、サティが浮かない顔をする時は、決まっていた。
サティは話しても詮無い事とは思いつつ、バニェスに尋ねる。

 「貴方はエティーで暮らしていて、退屈しない?」

バニェスは全身の鱗を一瞬だけ動かして、驚きを表す。

 「今の所は、そんなに退屈していない。
  何せ、エティーは私の生まれた世界とは違うからな。
  色々な発見があって面白い。
  他の世界の連中も来ているし、話を聞くだけでも退屈しない」

 「そう……」

バニェスにとっては、エティーの何も彼もが初めて見る物に等しい。
生まれた世界の体験が根底にあるので、エティーの小さな出来事にも気付き易い。
元気の無いサティを見て、やはりマティアバハラズールの事で何かあったのだろうと、
バニェスは察した。

 「マティアバハラズールが退屈だと言ったのか?
  生まれた世界に長らく留まっていれば、そう感じるかも知れんな。
  斯く言う私も、退屈していたから、戦争を繰り返していた」

やはり、それなりの力を持つ者は、一つの世界に留まれないのだろうかと、サティは感じる。

114 :創る名無しに見る名無し:2015/01/17(土) 15:50:30.44 ID:u0OfwbsT.net
悩み晴れない様子のサティに、バニェスは言った。

 「それならば、大世界マクナクに行かせてみるか?
  どうやら私の元預領地に、生意気な少侯爵が触手を伸ばして来ているらしい」

どう言う事かと、サティが怪訝な眼差しを向けると、バニェスは詳細を説明する。

 「私は預領地の管理を放棄して、このエティーに来たのだから、別に未練は無いのだが……。
  其奴は私と同じくマクナク公様を主とする、フィッグ侯爵と言う物でな。
  私と然程能力が変わらぬ少侯爵如きに、元預領地を掠め取られるのは癪なのだ。
  そこで、適当に奴の配下を散らして来て欲しい。
  フィッグ侯爵が自ら赴く事は無かろうが、もし危なくなったら逃げ帰れば良い」

だが、サティは軽々に頷けない。
余所の世界に他世界の物が入り込んで、侵略者扱いされはしないかと、彼女は心配していた。
撃退されるだけなら未だしも、逆に進攻されては不味い。
大世界を管理する公爵級を相手にするには、エティーは小さ過ぎる。
中世界メトルラと併合し、更にバーティ侯爵の助力を得られる、今のエティーであっても、
公爵級に対抗出来るかは怪しい。
異空に於いて階級の差とは、それ程に決定的な物なのだ。
少なくとも同階級でなければ話にならないし、同階級でも大と少の間には天地の差がある。
サティが知る中で、対抗出来そうなのは、ファイセアルスを含む向こうの世界の「神」か、
狭間の世界の管理者デューサーしか居ない。
しかし、過去にバニェス伯爵がエティーに攻めて来た時、「神」もデューサーも不干渉だった。
協力は期待出来ない。

115 :創る名無しに見る名無し:2015/01/17(土) 15:52:14.20 ID:u0OfwbsT.net
サティの内心を推し量って、バニェスは言い添える。

 「私の影がマティアバハラズールに付いて行く。
  領内の物とは私が交渉する」

 「信じて良いのか?」

 「『貴族<アリストクラティア>』は嘘を吐かぬ。
  偽計は弱者の業故に」

成る程と、サティは妙に納得した。
彼女は無自覚だったが、バニェスとは精神や思考が似ているのだ。
だが、それだけではマティアバハラズールを任せられない。

 「……しかし、マティアは未熟。
  他の世界では弱体化するだろう。
  万一にも、あの子を失う訳には行かない」

 「『箱舟形態<アーク・フォーム>』になれば良い。
  やり方なら教えてやる」

 「何故、自分で帰って片付けない?」

至極当然の疑問に、バニェスは一旦黙った。
バニェスは少し間を置いて、重い口を開く。

 「見得を切って飛び出した手前、何も無しには帰れまいよ」

悪魔貴族と呼ばれる存在でも、その様な事を考えるのだなと、サティは幾分好意的に捉えた。

116 :創る名無しに見る名無し:2015/01/17(土) 15:55:44.32 ID:u0OfwbsT.net
それでも何が起こるか分からないのが、異空と言う所だ。
如何に管理主とは言え、エティーの将来に関わる事を、自分の一存では決められない。

 「大世界への修学旅行か……」

 「前向きに考えてみてくれ」

 「そうだな……」

返答を濁して、サティは他の皆と相談する事にした。
隠れて話を進める必要も無いだろうと、彼女はエティーの主な物を日の見塔に集めて、
その旨を伝える。
エティーの古老ウェイル準爵相当、メトルラの海から生まれたネメスメリスス子爵相当、
ファイセアルスからの帰還者ギルフート子爵相当、エティーの海を纏めるバーマルシュカミ準爵相当、
エティーの陸を纏めるガッスブベルシシ、中世界アイフの創造主にして管理主バーティ侯爵、
大世界マクナクのバニェス伯爵、そしてマティアバハラズール自身とサティが一堂に会す。

 「今日は重要な案件があります。
  バニェス伯爵から、大世界マクナクにマティアバハラズールを連れて行きたいと、
  申請がありました。
  私自身は、特に反対する物ではありませんが、皆さんの意見を伺いたいと思います」

彼女は中立を装い、皆に尋ねた。
これにネメスメリスス、バーマルシュカミ、ガッスブベルシシの3名は特に反応しなかった。
3名の役割はエティーの住民の意見を聞き、サティに報告する事。
それ以外の事には、余り関心を持たない、異空育ちの物達だ。

117 :創る名無しに見る名無し:2015/01/18(日) 17:20:56.05 ID:WE4WN8gN.net
当事者であるマティアバハラズールも反応しないが、やはりウェイルとギルフートが動いた。

 「危険ではないのか?」

ギルフートが疑問を呈すと、ウェイルも続く。

 「安全は保障出来るのか?」

2人の視線はバニェスに向いている。

 「危険に決まっている。
  安全?
  寝惚けた話だ」

堂々と言い切るので、サティも目を見張った。
確かに、嘘は吐かない。
誤魔化そう等と言う考えが、そもそも無いのだ。
バニェスは続ける。

 「貴様等はマティアバハラズールに、エティーの守護を期待しているのだろう?
  外界に滞在した経験も無く、私の様な存在と渡り合えると思うのか?」

 「一理あるが、時期尚早だ」

ウェイルはバニェスの意見に流されず、強く断った。
大体ウェイルとバニェスは反りが合わないので、こう言う時には誰かが間に入らなければ、
押し問答で話が進まない。

118 :創る名無しに見る名無し:2015/01/18(日) 17:22:35.58 ID:WE4WN8gN.net
そこで割り込んだのはアイフの主バーティ。

 「それならば、我が領内で良いのではないか?
  私の下であれば、少なくとも戦いになる事は無い。
  先ずは、体を外界に慣らす事から始めては如何だろう」

ウェイルはバーティの案に賛同する。

 「ああ、マティア君は精神的に難しい頃だ。
  戦わせるにしても、気を遣ってやらねば」

 「甘やかし過ぎては、肝心な時に役に立たぬ、腑抜けに育つぞ。
  外界の多くはエティーの様に穏やかではない。
  何れにしろ戦わせる積もりなら、命の遣り取りを学ばせるべきだ。
  小世界には稀な伯爵級だろうと、一々惜しんではならぬ」

バニェスの言う事は正論である。
混沌の海が広がる異空では、今も無数の命が生まれていて、能力の弱い物は、
存在を維持出来ずに回帰する。
偶々生まれた能力の強い物が、安定した空間を創り出して、そこに能力の弱い物が適応し、
初めて世界が誕生する。
通常、その世界の中では創造主より強い能力を持つ命は、存在しない。
何故なら、より強い能力を持つ物は、世界を塗り替えて、新たな創造主となる為だ。
弱く小さい世界は、それだけ崩壊し易い。
エティーとて例外ではない。

119 :創る名無しに見る名無し:2015/01/18(日) 17:27:43.77 ID:WE4WN8gN.net
混沌から生まれる命には、どの階級が多い少ないと言った、法則性が無い。
公爵級が連続して生まれる事もあれば、平民以下しか生まれない事もある。
一応、安定した世界の周辺では、より高い能力を持つ存在が頻出しなくなる傾向がある物の、
絶対に生まれない訳ではない。
エティーで伯爵級が生まれる頻度と、外界から攻め込まれる可能性を、秤に掛けて考えれば、
時間を掛けて大事に育てるより、多少危険を冒してでも、即戦力にした方が良いだろう。
外界の脅威からエティーを守るためには、仕方の無い事だ。
しかし、それではエティーも他の世界と同様に、戦いに明け暮れる殺伐とした世界になる。

 「命を軽く見る物に育っては、本末転倒なのだ」

故に、ウェイルはバニェスには同意しない。
ネメスメリスス、バーマルシュカミ、ガッスブベルシシが中立、バーティは否定的、
ウェイルとギルフートが反対ならば、マティアバハラズールを派遣する訳には行かない。

 「マティア、貴方の意見は?」

念の為に、当事者の意向をサティは伺ったが、マティアバハラズールは感情の無い目で、
彼女を見詰め返すばかりで、一言も発しなかった。

 「ええと、それでは……バーティ侯爵が提案した、アイフにマティアを行かせる案に就いては、
  どうでしょう?」

サティは改めて、ウェイルとギルフートに尋ねる。

120 :創る名無しに見る名無し:2015/01/19(月) 19:19:47.63 ID:P01lowPk.net
ウェイルとギルフートは互いに見合い、頷き合った。
そして、ギルフートが言う。

 「十分に準備をした後なら、良いと思います。
  今直ぐと言うのは……」

サティは了解し、結論を出す。

 「では、マティアバハラズールをマクナクには行かせないと言う事で……。
  代わりに、私がマクナクに行っても、宜しいでしょうか?」

今度はウェイルとギルフートのみならず、ネメスメリスス、バーマルシュカミ、ガッスブベルシシ、
更にはバニェス自身も反応する。
管理主であるサティがエティーを離れるとは、誰も予想していなかったのだ。

 「何か理由でもあるのか?
  差し迫った事情が?」

ウェイルが尋ねると、サティは深刻な様子で答える。

 「実は、大世界マクナクに於ける、バニェス伯爵の預領地が、他の貴族に脅かされているのです」

 「待て、無理に来いとは――」

バニェスが発言を訂正しようとすると、サティは視線で制する。

121 :創る名無しに見る名無し:2015/01/19(月) 19:24:35.67 ID:P01lowPk.net
ウェイルは驚いた顔で、サティに問うた。

 「助けに行くと?」

 「はい。
  バニェス伯爵はエティーに滞在するに当たり、自らの半身を差し出した上で、
  エティーの防衛に協力すると約束しましたが、それは余りに不公平で不可解です。
  今回援助する事で、互いに貸し借りを作った方が、一方的に援助されるより、
  余程安心出来るでしょう。
  御心配には及びません。
  危険だと判断したら、引き下がります」

サティはバニェスに目配せをする。
それを受けて、バニェスは了解したと静かに頷いた。
ウェイルとギルフートは再び互いに見合って、困惑の色を浮かべる。

 「そうしたいと言うなら、構わないが……」

ギルフートが理解を示すと、サティは透かさず感謝の意を示した。

 「有り難う御座います。
  直ぐに片付けて戻って来ます」

早々に話を付けようと試みた彼女だが、直後にガッスブベルシシから待ったが掛かる。

 「待て、その間のエティーの守護は、どうなる?」

ネメスメリススとバーマルシュカミも頷く。
サティは一応ではあるが、エティーの管理主だ。
エティーの中では最も高い能力を持つ者であり、数少ないエティーの真実を知る者でもある。

122 :創る名無しに見る名無し:2015/01/19(月) 19:26:01.60 ID:P01lowPk.net
サティはマティアバハラズールに目を遣った。

 「マティアに任せてみては?
  ウェイルさんとギルフートさんが補助に付いて下さるなら、そう問題は起こらないでしょう。
  いざと言う時の、予行演習と思って。
  今ならバーティ侯爵も滞在していますし――」

 「ああ、頼りにして貰って構わんよ。
  エティーは岳家の様な物だ」

バーティが快諾した事で、ネメスメリススは納得するも、バーマルシュカミとガッスブベルシシは、
未だ不満気な様子。
2名はエティーで生まれ、エティーで育ったので、外界の物に守護を任せる事に、抵抗があるのだ。
今度はウェイルが2名の説得に回る。

 「気持ちは解るが、彼女にばかり頼ってもいられない。
  外界の物と手を組むのも、弱いエティーには必要な事だ」

 「意外だな、貴様が賛同するとは」

バニェスが揶揄いに横槍を入れると、ウェイルは不機嫌そうに眉を顰める。

 「貴方の為と言う訳ではない。
  エティーの今後を見据えての話だ。
  貴方を信頼は出来ないが、嘘を吐かない分は、信用しても良いと思っている」

 「少しは印象が変わったと言う事か?
  これは『恐悦至極に御座います』」

バニェスは冗談めかして慇懃に振る舞ったが、ウェイルは外方を向いて、取り合わなかった。

123 :創る名無しに見る名無し:2015/01/19(月) 19:27:03.12 ID:P01lowPk.net
協議を続けた結果、サティはバニェス伯爵の半身を持って、大世界マクナクへ行く事になり、
マティアバハラズールが中世界アイフに出掛けるのは、次の機会に回された。
出立前、ウェイルはサティに念入りに忠告する。

 「罷り間違っても、マクナク公爵と事を構えようとは思わない様に」

 「承知しています。
  そこまで無謀ではありません」

 「直接マクナク公爵とは対峙せずとも、大世界マクナクを敵に回す様な行為は厳に慎むのだぞ」

 「その為にバニェスが付いています」

ウェイルは何度も頷き、サティが片手に持っているバニェスの半身にも言った。

 「バニェス、分かっているだろうな?」

 「ああ、私とてマクナク公様と敵対する積もりは無い。
  エティーを潰す気もな」

サティは初めてエティーから離れ、混沌の海へと突入する……。

124 :創る名無しに見る名無し:2015/01/20(火) 19:09:46.38 ID:ndGn8w8T.net
武器と力


第五魔法都市ボルガ アイロ地区の非公式取引所にて


非公式取引所は事前に届出さえすれば、商人でも素人でも、誰でも物を売れる所。
但し、品質は保証されていない。
客は買いたい物を買う訳で、全ては自己責任だ。
この日、付与魔法使いのゲントレン・スヴェーダーは、非公式取引所で安い刀剣を探していた。
特に理由は無い。
彼は魔法剣士を自称している事もあって、色々な剣を集めるのが好きなのだ。
錆びて刃の欠けた、丸で使い物にならない様な、昔の古い刀剣でも、非公式取引所ならば、
偶に出品される事がある。
真面な刀剣は非常に高価だが、小さな道場主のゲントレンは生憎と金持ちではないので、
こうした所謂「訳有り」の刀剣を買って、直したり磨いたりするのが趣味だ。
どこかに良い物は売っていないかと、彼が物色している所、大声が上がった。

 「泥棒だ!」

声のする方を見ると、逃げ去って行く男が居る。
かなり足が速い。
内部を見張っていた警備員が男に駆け寄り、防壁の魔法を使って足止めしようとする。
男は不可視の壁に弾き返される筈だったが、咄嗟に身構えて対抗呪文を使い、強引に突破した。
反応速度から、それなりの魔法資質か、共通魔法の知識を持っていると判る。
或いは、この様な事態に慣れているのか……。

125 :創る名無しに見る名無し:2015/01/20(火) 19:11:16.04 ID:ndGn8w8T.net
犯罪に魔法を使うと、魔導師会裁判の対象となる。
その為、余程の命知らず以外、犯罪者は逃走には魔法を使わないが、自らの身に危険が及べば、
それを退ける為に、魔法を使う事は許される。
自らに戦闘、又は殺傷の意思が無い状況――逃走中に追走者が武器を持ち出す等すれば、
防衛の為に「相手を傷付けない範囲で」魔法を使っても罪にはならない。
これが微妙な加減で、前述の例では、武器を持つ相手から逃げ切る為に魔法を使えば、
逃走に魔法を使用したと見做される可能性がある。
他にも、逃走中に馬車に撥ねられるのを防ごうと、魔法を使う事は許されるが、
予め馬車が来ると知っていて、追跡から逃れる為に、魔法を使う事は許されない。
要は、身体に危険が及ぶ、その緊急性と切迫性に依るのだ。
逃走中、誤って高所から落下した場合、怪我を防ぐ為に魔法を使っても罪に問われないが、
逃走の為に高所から落下するのであれば、魔法の使用は許されない。
とにかく目的が重要。
何れにしろ、逃走に成功した時点で、魔導師会が出張る可能性が高いので、
後ろ目痛い者は魔法を使わない方が無難ではある。

126 :創る名無しに見る名無し:2015/01/20(火) 19:13:50.02 ID:ndGn8w8T.net
ゲントレンは正義感に駆られて、逸早く窃盗犯と思しき男を追走した。
警備員も含めて他にも数名が、ゲントレンに続き、男を追走する。

 「泥棒だ!!
  捕まえてくれ!」

警備員は大声を上げて、居合わせた者に逮捕協力を呼び掛ける。
だが、そう言われて、急に反応出来る者は少ない。
男は戸惑う人を押し退け、非公式取引所から通りに出る。
それから約2極遅れて、ゲントレンも続いた。
人通りは疎ら。
男との距離は約10身。

 (行けるか?)

ゲントレンは非公式取引所の出入り口にある、貸し傘置き場から、蝙蝠傘を拝借すると、
その間に15身も離れた男の脚を狙って、素早く放り投げた。
傘は水平に回転しながら飛んで行き、見事に逃走する男の脚に絡まる。

 (腕は鈍っていなかった様だな)

狙い通りの結果に、ゲントレンは安堵した。
男は派手に転倒し、後から出て来た警備員達が、ゲントレンを追い越して、必死に捕まえようと、
距離を詰める。

 「居たぞ!!
  捕まえろー!!」

捕まって堪るかと、男は再び立ち上がって走り出す。

127 :創る名無しに見る名無し:2015/01/21(水) 19:04:49.66 ID:HEzq7fpg.net
しかし、一瞬後ろを向いたのが悪かった。
男は前に居た巨漢に衝突して、尻餅を搗いてしまう。
警備員達は巨漢に向かって、声を掛ける。

 「あんた、そいつを捕まえてくれ!!」

それを聞いた巨漢は、男を睨め下ろした。
これは不味いと、男は慌てて姿勢を低くした儘、巨漢の脇を擦り抜け様とする。
体の大きい者は、足元が弱いと思っての行動だ。
だが、彼の予想は裏切られる。
巨漢は、その体型からは想像も出来ない俊敏さで、男の胸座を掴んで吊り上げた。

 「放せ!」

暴れる男に構わず、巨漢は彼を掴んだ腕を振り回して、地面に叩き付ける。
男は目を回して完全に伸びた。

128 :創る名無しに見る名無し:2015/01/21(水) 19:06:26.02 ID:HEzq7fpg.net
男が盗んだ物は、指輪や首飾りと言った、宝飾品だった。
盗人は都市警察に引き渡され、盗品は持ち主の手に帰り、万事解決。
目出度し目出度しで、解決した筈だが、ゲントレンは巨漢に呼び止められた。

 「そこの御老人、先程の傘の投擲、徒者ではないと見た」

 「いやいや、あれは偶然ですよ」

ゲントレンは惚けるも、巨漢には通じない。

 「この己の目は誤魔化せぬ。
  計算していただろう。
  傘の投擲速度と回転速度、奴の移動速度と足運び、それによる相対距離の変化、全て」

 「年寄りを揶揄う物ではない。
  買い被って下さるな」

話を流そうとしても、巨漢の目は鋭い儘。

129 :創る名無しに見る名無し:2015/01/21(水) 19:13:46.94 ID:HEzq7fpg.net
次の瞬間、人の顔程もある拳が、ゲントレンの目の前に現れた。
不意打ち……と思いきや、殴り飛ばされはしない。
寸止めである。
余りに拳速に突風が起こり、ゲントレンの髪とマントが大きく煽られる。
ゲントレンは直立姿勢から、指一本すら動かさなかった。

 「やはり、徒者ではない」

傍から見れば、突然の出来事に、ゲントレンは対応出来ず、呆然と立ち尽くしていた様に、
映る事だろう。
しかし、巨漢は1極にも満たない間に、ゲントレンの異常さを読み解いていた。
ゲントレンの瞳は正確に巨漢の拳を捉え、刹那ではあったが、殺気を放っていた。
そこまで見えていながら、全く避けなかったのは、当たらないと覚った為である。
更には、マントが翻る程の突風を受けても、少しも体が動かなかった。
これは何が起こるかを理解して、身構えていなければ、到底不可能な芸当だ。
常人なら、恐怖と風圧に負けて、後方に足を引くか、バランスを失って倒れている。
そして……、

 「魔力の流れが共通魔法の物と違うな」

僅かに周囲の魔力が乱れていた。

130 :創る名無しに見る名無し:2015/01/22(木) 19:38:00.57 ID:AnmvkcGR.net
ゲントレンは深い溜め息を吐いて、視線を逸らす。

 「君は何者なんだ?」

巨漢は拳を下げて、姿勢を正した。

 「己は巨人魔法使いのビシャラバンガ。
  貴方の実力が知りたかった。
  気分を害したのならば、非礼を詫びよう」

名乗った彼に、ゲントレンも倣う。

 「私はゲントレン・スヴェーダー。
  道場で剣術を教えている」

 「流派は?」

 「一千万日流剣術」

 「剣術ではなく、魔法の流派だ」

 「そんな物は無い。
  剣は我流」

ゲントレンは突き放す様な言い方をして、背を向ける。
ビシャラバンガと名乗った巨漢は、慌てて呼び止めた。

 「待たれよ。
  手合わせ願いたい」

ゲントレンは足を止めて振り返る。

 「剣の心得が?」

 「否(いな)」

真顔のビシャラバンガに、ゲントレンは思案した。

131 :創る名無しに見る名無し:2015/01/22(木) 19:39:31.67 ID:AnmvkcGR.net
彼が見た所、ビシャラバンガは未だ若い。
強さを求め、血気に逸る頃なのだろうと、推察する。
剣の達人であるゲントレンにも、同じ様な時代があった。
普段ならば相手にしないのだが、趣味の刀剣漁りに窃盗犯の騒動が来て、気が削がれた所。
これも何かの縁と、少し付き合ってみる事にした。

 「……付いて来なさい、ビシャラバンガ君。
  話の序でに、茶でも点てよう」

 「解った」

ビシャラバンガは素直に頷いて、ゲントレンに付いて行く。
巨人魔法使いを自称するだけはあり、彼は誰もが振り返る様な巨体。
虎の威を借る狐の絵面を思い出し、ゲントレンは少し心地が悪かった。

132 :創る名無しに見る名無し:2015/01/22(木) 19:41:45.79 ID:AnmvkcGR.net
ボルガ地方メートドリ市ラクライ山ユーシャンクュ城跡にて


鉄道馬車と公共馬車を乗り継ぎ、ゲントレンとビシャラバンガはユーシャンクュ城跡に着いた。
この古城の離れが、ゲントレン・スヴェーダーの生活拠点である。
不法滞在ではなく、歴とした住所だ。
ゲントレンはビシャラバンガを座敷に上げ、茶菓を供する。

 「大した持て成しは出来ないが……」

ビシャラバンガの巨体では、茶碗も猪口の様。
胡坐を掻いた彼は、作法も風流も無く、茶碗を鷲掴みにして一口に飲む。
茶の渋味に口を真一文字に結び、顰めっ面のビシャラバンガを見て、ゲントレンは微笑ましくなった。
孫を持った心持ちである。

 「菓子もある。
  食べてくれ」

 「否(いや)、己は勝負をしに来た。
  呑気に茶を飲みに来たのではない。
  世話をされる道理は無い」

 「何の勝負かは知らないが、腹が減っては戦は出来ぬと言うだろう。
  互いに万全の状態で戦ってこそ、勝負の意味があるとは思わないか?
  それとも甘い物は嫌いだったかな?」

ゲントレンが説得すると、ビシャラバンガは真面目な顔で逡巡し、遠慮勝ちに手を付け始める。

 「安心しなさい、毒は入っていない」

 「そんな心配はしていない」

ビシャラバンガは向きになって、茶菓子を口に放り込んだ。

133 :創る名無しに見る名無し:2015/01/23(金) 20:19:28.20 ID:aY1quEDw.net
ゲントレンは可笑しみを堪えて、ビシャラバンガに尋ねる。

 「それで、何の勝負をするのだ?」

 「剣でも魔法でも、何でもありの勝負だ。
  全力で戦って欲しい」

彼は真剣な表情で応じたが、ゲントレンは連れ無い。

 「それは出来ない。
  義の無い戦いはしない事にしている」

 「義があれば良いのか?」

揚げ足を取る様なビシャラバンガの物言いを、ゲントレンは窘めた。

 「止めておきなさい」

ビシャラバンガは反感を抱き、顔を強張らせる。
ゲントレンは彼と目を合わせず、淡々と宣告する。

 「余り、こんな事は言いたくないが……。
  私が本気なら、君は既に負けている」

ビシャラバンガは声を荒げたり、腕力に訴え出たりこそしないが、静かに怒っている。
空気の変化から、その事をゲントレンは鋭く察していた。

134 :創る名無しに見る名無し:2015/01/23(金) 20:22:08.76 ID:aY1quEDw.net
感情を隠せない辺りに、ビシャラバンガの未熟さがある。
ゲントレンは穏やかに続けた。

 「君は私を共通魔法使いでないと見抜いたな。
  そして、私は剣を使うと言った。
  剣は我流であるとも」

ビシャラバンガは無言の儘。
空気が張り詰めて、息苦しさが漂い始める。

 「私の魔法は、即ち『剣』」

 「無手では剣に勝てぬと言うのか?」

漸くビシャラバンガが発した一言は、抑え目ではあった物の、やはり怒気が残っていた。

 「私の魔法は『魔法剣』だ。
  振るう剣すら持たぬ、真の魔法剣。
  ……少し私の話を聞いてくれ。
  君が勝てない理由を教示しよう」

そう言いながら、ゲントレンは空になったビシャラバンガの茶碗を下げた。

135 :創る名無しに見る名無し:2015/01/23(金) 20:28:49.79 ID:aY1quEDw.net
ゲントレンは座敷の戸を開け放ち、ビシャラバンガに背を向けて、縁側から広い中庭を眺める。
吹き下ろす山風が、高所の木の葉を運んで来て、ひらひらと庭先に舞い積もらせている。

 「ビシャラバンガと言ったね。
  君は何の為に、私と勝負したいと思った?」

直ぐには勝負に応じないと見て、ビシャラバンガは大きな溜め息を吐き、怒りを逃す。

 「貴方に達人の気配を感じた。
  巨人魔法は戦いの魔法。
  だが、今は戦の時代ではない。
  それは理解している」

 「理解していながら、何故?」

 「貴方も己と同じなのではないか?
  時代に置いて行かれた、旧い魔法使い……」

その言葉に、ゲントレンは内心で自嘲気味に苦笑する。
ビシャラバンガは真実を言い当てていた。

 「君は若いだろう」

 「己の師が、そうであった。
  新しい時代に、新しい生き方を見出せず、この様に山に篭もって、独り修練を続けながら、
  衰えて逝った」

ゲントレンは耳が痛い思いをした。
己の未来を予言された様な気がしたのだ。

136 :創る名無しに見る名無し:2015/01/23(金) 20:33:31.11 ID:aY1quEDw.net
当然ビシャラバンガには、挑発の意図があっただろう。
しかし、それだけではないと、ゲントレンは感じていた。

 「己は新しい時代に相応しい、新しい生き方を求めている。
  それは……、やはり戦いの中で見出せるのではないかと。
  只管に鍛え、戦う事しか、己は知らぬが故に」

嘘偽りの無い発言と認めたゲントレンは、唐突に宣言する。

 「私は無敵だ。
  如何なる者も、我が魔法剣の前では無力。
  故に、戦いの虚しさ、強さの虚しさは、誰より知っている」

面食らって閉口するビシャラバンガに、ゲントレンは昔話を始めた。

 「嘗て、私は剣を極める道半ばで、剣その物になった。
  私の求めた強さは、剣の強さ。
  即ち、全てを断つ必殺の剣だ。
  我が剣に断てぬ者は無く、遂には剣を持たずに断つ術を身に付けた」

静寂の中、パチッパチッと奇妙な乾いた音が連続して聞こえる。
これは何の音だろうと、ビシャラバンガは目を凝らし、耳を澄ます。

137 :創る名無しに見る名無し:2015/01/24(土) 16:55:41.59 ID:Dccg+V3m.net
その正体に気付き、彼は目を見張った。
風に舞う全ての木の葉が、2枚に分かれ、4枚に分かれ、次々と細切れになって行く。
終いには、丸で灰燼の様に風に溶けて消え……。
魔力の揺らぎは微かで、よく注意しなければ判らない。
適当に小さく切っているのではなく、2枚、4枚、8枚と、飽くまで段階を踏んで切断している。
それも正確に。
人間の業ではない。
仮に、これが自分に向けられたとして、ビシャラバンガは防ぐ術が思い浮かばなかった。
彼には解る。
これは防御が可能な「斬撃」ではない。
分子や力場が云々等の物理的な作用は何も無く、そこに「斬った」と言う結果だけが残る、
極めて魔法的な業だ。

 「馬鹿気た業だろう?
  ここまで来れば、最早勝負等、考えもしなくなる。
  ビシャラバンガよ、君の求める強さは何だ?」

 「強さ……」

 「敵を倒す強さを得ても、それだけでは何も変わらぬ。
  君は何を目指す?」

そう訊かれたビシャラバンガは、暫しの沈黙後、ゲントレンに問い返した。

 「貴方は何を?」

 「私は最期まで剣士として生きる決意をした。
  断つべき物を断ち、守るべき物を守る」

ゲントレンが断言すると、ビシャラバンガは両目を閉じて考え込んだ。

138 :創る名無しに見る名無し:2015/01/24(土) 16:59:34.05 ID:Dccg+V3m.net
直ぐに結論を出せる訳が無いと、ゲントレンは小さく笑う。
小馬鹿にしているのではなく、真面目な若者に有り勝ちな反応を懐かしく思っているのだ。

 「目的の無い強さ程、虚しい物は無い。
  強くなる事自体が目的化しては、果ての無い修羅の道を歩む事になる。
  修羅に堕ちた者は、目に映る物、全てが敵となり、出会う者、全てを倒さねばならなくなる。
  何故なら……誰もが敵になる可能性があり、誰もが君を殺す可能性を持つのだから。
  ある日、偶々擦れ違っただけの者に、背中を刺されないとも限らない。
  嘗ては、その様な時代もあった。
  幸いな事に、今は違う。
  君は喜ぶべきだ」

 「本当に喜ぶべきなのか?」

ビシャラバンガの疑問に、ゲントレンは堂々と答える。

 「少なくとも、剣しか使えない私より、君は現代でも生き易い様に思えるが?
  俗世に埋もれて生きる事が、怖いのか?
  何も成せず倒れる事が、恐ろしいのか?」

ビシャラバンガは何も答えられなかった。

139 :創る名無しに見る名無し:2015/01/24(土) 17:02:24.92 ID:Dccg+V3m.net
ゲントレンは深呼吸をして、初めて振り返る。

 「焦る事は無い。
  誰でも若い時分は、そんな物だ。
  若くして妙に老成しているよりは、余程健全で良い」

彼は元の場所に座り直して、2人分の茶を淹れた。

 「……再び動乱の時代が来る可能性も、無くは無いのだからな」

平穏な時代が続き、人々の心は倦み始めている。
時偶、外を出歩いてみれば、そうした雰囲気が伝わって来る。
ゲントレンは茶を啜ると、一際深い息を吐いて、遠くを見詰めながら、ビシャラバンガに問い掛けた。

 「もし、共通魔法社会を破壊せんと目論む者が現れ、動乱の時代が幕を開けたとしたら……。
  君は……どちらの側に付く?」

不意の質問に、ビシャラバンガは戸惑い、答えに迷った。

 「分からぬ……」

 「私は共通魔法に付くと思う。
  勝ち馬に乗りたい訳ではないが……。
  この平穏を乱して良いとは思わぬ」

ビシャラバンガには、未だ我が事よりも大切な物が無いのだろうと、ゲントレンは感じた。
修羅道に堕す者は、我執、自尊、猜疑の心が強い者である。
只管に、自分の事しか考えず、他人を顧みない者。
この先、どの様な道をビシャラバンガが選ぶのか、ゲントレンには分からない。
似た部分を持つとは言え、ゲントレンは剣士であり、ビシャラバンガは巨人魔法使い。
ビシャラバンガが巨人魔法使いであり続けようとする限り、道を示す師となる事は出来ない。

140 :創る名無しに見る名無し:2015/01/25(日) 18:44:23.27 ID:0OOFb3Vl.net
気不味い沈黙を破り、ビシャラバンガは改めて、哀願する様にゲントレンに尋ねた。

 「どうしても、勝負はして貰えぬか?」

 「只、勝ちたいならば、君が勝てる方法で勝たせて上げよう。
  互いに条件を付ければ、好い勝負を演じる事も出来るだろう。
  だが、果たして、そんな勝負に意味があるのか?」

黙り込んだビシャラバンガに、追い討ちを掛ける様に、ゲントレンは続ける。

 「君が望むなら、戦闘技術の指導位は出来る。
  だが、それは君の魔法とは何の関係も無い事だ」

余りに一方的な上からの物言いに、ビシャラバンガは苛立って、僅かに殺気を発する。
説教は聞き飽きたのだ。
口先だけでなく、本当に自分を倒せるのか、強引に腕力勝負に出ようと、攻撃の意思を持つ。
瞬間、ゲントレンは指一つ動かさず、座した儘で魔法剣を放った。
ビシャラバンガの左肩の腱が、痛みも無く切れる。

 「未熟者め。
  鋭気を発すは、即ち、抜刀と同義」

 「何と……」

だらりと下がった左肩を右手で押さえて、ビシャラバンガは驚愕する。
――同時に彼は懐かしさも感じる。

 「笑うのか……」

ゲントレンは呆れた様に零した。
ビシャラバンガは涙を溜めて、大きな笑みを浮かべていた。

141 :創る名無しに見る名無し:2015/01/25(日) 18:48:57.33 ID:0OOFb3Vl.net
ビシャラバンガは嬉しかった。
彼はゲントレンに師と同じ物を感じていた。
巨人魔法で即座に腱を再生させると、懲りもせず、再び攻撃に移る。
魔力の鎧を纏って防御を固め、一撃でも食らわせようと腕を伸ばす。
だが、その手は空を切る。
ゲントレンは素早く飛び退りつつ、又も魔法剣を放っていた。
一切都在瞬間斬。
ビシャラバンガの両腕が肩口から、両脚が腿から動かなくなる。
魔力の鎧は完全に無意味だった。
更には、魔力の流れさえも断たれて、巨人魔法が発動出来ない。
ビシャラバンガは不恰好に前伸めりになって倒れる。
茶碗が引っ繰り返り、菓子が散らばる。
巨体が地響きを立てて、離れを揺らす。

 「み、見事……」

這い蹲った状態から動けないビシャラバンガは、首だけを起こして称賛の言葉を吐く。
ゲントレンは構えも取らず、無様な彼を詰まらない物の様に見下した。

 「愚かな。
  敗北を知りたかったのか?」

 「我が師と、アラ・マハラータ・マハマハリトと……。
  ゲントレン・スヴェーダー、己が勝てなかったのは、貴方で3人目だ」

ビシャラバンガは不気味に低い声を立てて笑う。

142 :創る名無しに見る名無し:2015/01/25(日) 18:55:17.82 ID:0OOFb3Vl.net
ゲントレンは茶碗を元に戻しながら、ビシャラバンガに言った。

 「負ける所から始まる戦いもある。
  食わず嫌いが食を語れぬ様に、敗北を知らぬ者が戦いを語る資格は無い。
  しかし、自棄になるのは頂けない」

ビシャラバンガは聞く耳を持たない様子で、溜め息と共に返す。

 「己は弱い。
  未だ敗北が足りない」

 「……魔法剣が無ければ、私は君には勝てないだろう。
  その位には、君は強い」

 「強さを語るに言葉は不要。
  己は、己の強さとは如何なる物か、それが知りたい」

ゲントレンは布巾を持って来て、零れた茶を拭き取る。

 「知って、どうする?」

 「強くなる。
  己には己のやり方がある」

 「強くなって、どうする?」

 「それは強くなってから考える。
  他に物を知らぬが故に」

 「余り人に迷惑を掛けてくれるな。
  無知は免罪符にはならぬ」

 「留意しよう」

その淡々とした遣り取りは、相通ずる物を持つ者同士の、理解に基づいていた。

143 :創る名無しに見る名無し:2015/01/26(月) 15:51:59.14 ID:l+sky7u9.net
☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html

☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
そして、私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆

144 :創る名無しに見る名無し:2015/01/26(月) 19:30:56.65 ID:0wqH0zKK.net
父母を訪ねて


第四魔法都市ティナー南部の貧民街にて


旅商ワーロック・アイスロンは、この日、ティナー市南部の貧民街にある、物乞いの集落に来ていた。
彼は恵みを求めて群がる子等に、500MG硬貨を渡して散らすと、年長者らしき、痩せて背の高い、
色黒の少年に声を掛ける。

 「そこの君、話が出来る大人を探している。
  呼んで来てくれないか?」

ワーロックは更に500MG硬貨を差し出した。
少年は警戒しながらも受け取り、澄んだ声で応える。

 「少し待ってて下さい」

彼は駆け足で、廃屋の中へと消えた。
ワーロックは路地の壁に寄り掛かり、暫く待つ事にする。

145 :創る名無しに見る名無し:2015/01/26(月) 19:32:45.46 ID:0wqH0zKK.net
約1針後、4人組の中年の男達が、ワーロックを取り囲む。
その中の1人、赤い目の男は、ワーロックと面識があった。
「ここは任せてくれ」と、彼は他の男達を控えさせ、進み出てワーロックと交渉する。

 「あんたか……。
  何の用だ?」

 「人を探している。
  エルバ姓の者を知っているか?」

エルバとはワーロックの養娘リベラの本姓である。
赤い目の男は深い溜め息を吐く。

 「例のガキの事だな?
  悪いが、答えられない。
  類縁を頼ろうったって、あいつを引き取る訳には行かない」

 「今更そんな積もりは無い」

ワーロックが断言すると、赤い目の男は更に付け加えた。

 「余所者に、あれこれ探られるのも不快だ。
  あいつと俺達は、もう何の関係も無い」

 「身元の判る者を探している」

 「だから、知らねーっつーの!」

赤い目の男は声を荒げて唾を吐き、明確な拒絶の意思を表した。

146 :創る名無しに見る名無し:2015/01/26(月) 19:36:15.23 ID:0wqH0zKK.net
ワーロックは眉を顰め、何とか取り縋ろうとする。

 「迷惑を掛ける気は無い。
  あの子の出自が知りたい。
  確か、話では母親は売女(ばいじょ)で、父親は不明と言う事だった」

 「知らんよ」

 「貴方が言った事だ」

赤い目の男は、食い下がるワーロックに辟易した様子で、聞こえよがしに溜め息を吐く。
そして、手で払う仕草をして、他の男達を無言で追い払った。
一対一でワーロックに向き直った彼は、苛立ちを込めて言う。

 「あのな、そう言うのが『迷惑だ』っつってんだ」

 「解っている」

赤い目の男は舌打ちした。

 「……大体あんたが知って得する事なのか?」

 「損得の問題ではなく……。
  あの子は将来、自分の存在に疑問を持つかも知れない。
  その時、責めて救いになる物があれば良いと」

 「逸れ者の女が、外で男を拵(こさ)えて身篭った。
  救いも何もある物かよ」

 「売春婦ではなかったのか?」

ワーロックが尋ねると、赤い目の男は椀を差し出す。
情報料を寄越せと言う意味だ。

147 :創る名無しに見る名無し:2015/01/27(火) 18:05:39.81 ID:TVKp+vWE.net
ワーロックは小銭入れを引っ繰り返して、持っている硬貨を全部出した。
椀は忽ち一杯になり、溢れた硬貨が数枚、路上に散らばる。
金の音に反応して、子供達が物陰から顔を覗かせるが、飛び出したりはせずに、
遠巻きに様子を窺っている。

 「ああ、済みません」

ワーロックは小銭を拾い上げて、改めて椀にいれた。
赤い目の男は呆れ顔で、小さく溜め息を吐く。

 「あんた、本当に変な奴だな。
  まあ良い、話してやるよ。
  あの女は元々外者だ。
  だから、俺達の中に類縁は居ない。
  身元も誰も知らないって訳だ。
  残念だったな」

 「名前は?」

 「ルーナだか、イーナだか……。
  ああ、イルーナだ。
  イルーナ・エルバ。
  確か、そうだった」

 「不義理が何とか……」

 「奴は外者と繋がっていたんでな。
  どう言う経緯かは知らねーが、外の男の世話になるなら、出て行って貰うのは当然だ」

物乞いには物乞いの掟がある。
集落の外の人間から、抜け駆けの様に援助を受けるなら、物乞いの仲間とは認められない。

148 :創る名無しに見る名無し:2015/01/27(火) 18:08:12.16 ID:TVKp+vWE.net
元々物乞いの集落とは無縁の者ならば、手掛かりは余り得られないだろうと、
ワーロックは内心厳しく思っていた。

 「その男とは?」

 「分かんねーけど、真面な人間じゃないだろうさ。
  こんな所に身篭った女を置いて行くんだからな。
  俺みたいなのが言うのも何だが、屑だよ、屑。
  あんただって、そう思うだろう?」

 「それは……」

 「考えてもみろよ。
  女を孕ませて、ガキが生まれても知らん顔だぜ?
  少しでも人情が残ってりゃ、こんな非道な真似は出来やしない」

 「已むに已まれぬ事情があったかも知れない」

 「それで母子共々見殺しにするか?
  どんな事情があっても、許されないと思うがなー。
  悪い事ぁ言わない。
  父親探しは止めとけって。
  世の中にゃ、知らない方が幸せな事もあるんだ」

赤い目の男の言う通りかも知れないと、ワーロックは低く唸る。

149 :創る名無しに見る名無し:2015/01/27(火) 18:14:12.78 ID:TVKp+vWE.net
やはり諦めた方が良いのかと、彼が考えていた時、赤い目の男は自ら口を開く。

 「……どうしても知りたいって言うなら、盗人連中に当たってみるんだな。
  話は通しといてやるから、明日小銭を用意して来い」

先程まで、全く教えてくれる雰囲気ではなかったのに、どう言う風の吹き回しかと、
ワーロックは訝った。
しかし、余計な質問をして、機嫌を損ねられても困るので、そこには触れないでおく。

 「男は盗人と関係が?」

 「ここら一帯は俺達と盗人連中の縄張りだ。
  あの女は縄張りの中で、外の男と会っていたが、最初の内は誰も気付かなかった。
  縄張りに外者が入ったのに、誰も見てないってのは考え難い。
  俺達は余所者を招き入れた覚えは無い。
  誰か了解していたら、あの女を追い出す所まで、騒ぎは大きくならなかった。
  俺達じゃないなら、盗人連中だろう。
  奴等の中には、外と繋がりを持つ者も居る」

成る程とワーロックが頷くと、赤い目の男は俄かに声を落とした。

 「……覚悟しなよ。
  こんな所まで来て、盗人連中と接触する外者が、真面な奴の訳が無い。
  止めた方が良いと思うぜ?」

 「話を聞くだけで――」

 「認識が甘い!
  ここが瀬戸際だ。
  一歩でも踏み込んだら、引き返せなくなる覚悟をしろ。
  出来ないなら、止めておけ。
  何が起こっても、俺は責任を取れない」

赤い目の男は脅しを利かせて、ワーロックに詰め寄る。

150 :創る名無しに見る名無し:2015/01/28(水) 18:12:25.19 ID:qX3fIi6C.net
ワーロックは悩んだ。
仮に地下組織の類が絡んでいたとして、あれこれ嗅ぎ回っていると知られては、命が危ない。
だが、ここで退いては何の為に来たのか、分からない。

 「……頼む」

ワーロックは小声で呟く様に依頼した。
赤い目の男は、それをどう受け取ったのか、念押しせずに頷く。

 「了解した。
  調整に手間取るかも知れんが、明日、南南西の時に、この場所で。
  合言葉を決めておこう。
  『汚れた服』には『綺麗な目』、『荒んだ心』には『花飾り』だ。
  金を忘れるなよ」

そう言うと、赤い目の男は背を向けて去る。
ワーロックも大人しく出直す事にした。

151 :創る名無しに見る名無し:2015/01/28(水) 18:13:35.46 ID:qX3fIi6C.net
翌日、南南西の時、同じ場所でワーロックが待っていると、頭巾で顔を隠した、
見慣れない男が寄って来た。
ワーロックが警戒して身構えると、男は言う。

 「汚れた服だ」

合言葉だと気付いたワーロックは、自分の服を見た後で答える。

 「……綺麗な目」

 「荒んだ心」

 「花飾り」

頭巾を被った男は、ワーロックに命じた。

 「両手を開いて、こちらに見せろ」

武器を隠し持っていないか、確かめる為だ。
ワーロックは言われた通り、素直に両手を差し出す。

 「良し。
  お前が例の親探しの奴だな」

 「ああ」

 「場所を移そう。
  付いて来い」

ワーロックが頷くと、頭巾の男は周囲を警戒して、指示する。
危険な予感がしたが、逆らう訳にも行かず、ワーロックは黙って従った。

152 :創る名無しに見る名無し:2015/01/28(水) 18:15:12.11 ID:qX3fIi6C.net
通りから少し離れた狭い路地裏で、ワーロックは頭巾の男と向き合う。
頭巾の男は溜め息を吐いて、切り出した。

 「先ず、何から話せば良いか……。
  お前の探している男の事だが、多分もう死んでいる」

 「何だって?」

 「地下組織の構成員だったが、何年か前に大きな抗争があって、以降何の音沙汰も無い」

 「組織って、どこの?
  マグマか?」

 「俺は何も知らない」

 「知らないって事は無いだろう。
  どんな小さな事でも良いから、教えてくれ」

 「正気かよ。
  お前、堅気の人間じゃないのか?」

頭巾の男はワーロックを怪しんだが、直ぐに態度を改める。

 「いや、悪かった。
  今の質問には答えなくて良い。
  お前の事なんか知りたくない。
  だから、俺の事にも触れないでくれ」

彼等なりの暗黙の了解があるのだろうと、ワーロックは追及しなかった。

153 :創る名無しに見る名無し:2015/01/29(木) 19:01:30.73 ID:NeJafm+B.net
頭巾の男は咳払いをして続けた。

 「――で、どこまで話したっけか?
  とにかく、どこの組織かは知らない」

 「男の名前は?」

 「知らないね」

 「本名でなくても構わない。
  通称とか、愛称とか……」

ワーロックが尋ねると、頭巾の男は腕組みして考え込む。

 「いや、知らな――あっ!
  待て、確か……、待ってくれ。
  女が名前を呼んだのを聞いた。
  ああー、何て言ったかな……」

そう言いながら、頭巾の男は片手の平をワーロックに見せた。
それの意味する所が解らず、ワーロックが呆っとしていると、頭巾の男は苛付いた調子で言う。

 「思い出すから、情報料をくれ」

 「……幾ら?」

 「気が利かない奴だな!
  額を言わせる気か?」

頭巾の男に怒られたワーロックは、赤い目の男が先日、金を用意しておけと、
言っていた事を思い出し、大量の小銭が入った袋を取り出した。
自ら金額を明示しないのは、盗人の風習なのか、それとも彼の個人的な信条なのか判らないが、
相場を知らなくても、足りないなら足りないで、向こうから言ってくるだろうと、開き直る。

154 :創る名無しに見る名無し:2015/01/29(木) 19:08:14.79 ID:NeJafm+B.net
見るからに重そうな小銭が入った袋に、頭巾の男は困惑しつつ、それを恐る恐る受け取ると、
中身を確かめて、呆れた風に溜め息を吐く。

 「何で小銭?」

 「昨日、金を用意しとけって言われて……」

 「俺等は乞食とは違うんで」

 「あ、はい……」

物乞いと盗人の間で手違いがあったのだろうと察し、ワーロックは小銭の入った袋を返して貰おうと、
手を伸ばしたが、頭巾の男は軽く叩いて振り払う。

 「要らないとは言ってない!」

 「いえ、紙幣と交換しようかと」

 「……別に良いから」

何なんだとワーロックが顔を顰めると、頭巾の男は再び溜め息を吐いた。

 「それで何だったっけ?」

 「男の名前」

 「ああ、そうだった、そうだった。
  待ってくれな。
  えーと、何だったかな……」

頭巾の男は又も腕組みして考え込む。

155 :創る名無しに見る名無し:2015/01/29(木) 19:10:31.89 ID:NeJafm+B.net
本気で思い出す気があるのかと、ワーロックが懐疑の眼差しを向けると、
頭巾の男は焦って言い訳した。

 「お前が余計な事するから、頭から飛んじまったよ!」

 「……返して貰える?」

 「思い出すから!
  確か……、あー、動物の名前に似ていた気がする!」

 「『熊<ベア>』?
  『狼<ウルフ>』?」

ワーロックが適当に言ってみると、頭巾の男は首を横に振った。

 「違う違う、鳥だった様な……」

 「『鷹<ホーク>』?
  『鷲<イーグル>』?」

頭巾の男は反応する。

 「イーグル……、そうそう、そんな感じの。
  イー何とか……。
  そうだ、イーガー!
  イーガーだか、イーガと言っていた。
  もしかしたら、イーグとかイーゴーかも知れないが、とにかく『ガ行』だ」

 「イーガーと言う名の、地下組織の男?」

ワーロックが情報を纏めると、頭巾の男は頷いた。

 「そう言う事になるな」

156 :創る名無しに見る名無し:2015/01/30(金) 20:14:14.58 ID:99o3BZ48.net
ワーロックは更に尋ねる。

 「どこの組織かは判らないんだな。
  幹部とか下っ端とか、その辺は?」

 「結構良い身形をしていたから、下っ端って事は無いんじゃないかな……。
  幹部とまでは行かなくても。
  本当の所は、よく知らないんだけどさ。
  地下組織の連中が、身元を明かす訳は無いし、俺だって地下組織の連中とは、
  関わり合いになりたくない。
  ……誰だって、そうだろう?」

頭巾の男の言い分は、ワーロックにも理解出来る。

 「男の特徴は?
  顔とか、髪型、見た目の年齢、体型とか、口調、訛りとか……」

 「黒い中折れ帽とロングコートの、典型的なマフィアン・スタイルだった。
  魔法資質は程々で、年齢は……俺と同じ位か?
  お前よりは年上に見えたな。
  短い黒髪で髭は無かった。
  肌は暗い『白ワイン色<ゴルド・ブランコ>』で、瞳は菫色、顔の彫りが深くて、
  左目の下から鼻の横に掛けて傷があった。
  体型は……何時もコートを着ていたんでな……。
  極端に痩せても太ってもいなかった。
  口調や訛りは、分からない。
  余り喋らない奴だった」

ワーロックは一応、メモ帳を取り出して、書き留める。

157 :創る名無しに見る名無し:2015/01/30(金) 20:18:04.60 ID:99o3BZ48.net
頭巾の男に魔法の知識があればと、彼は残念がった。
貧民街で暮らしている者は、真面な教育を受けておらず、共通魔法が余り、又は、殆ど使えない。
脳内の映像を絵に起こす魔法を使えば、頭巾の男に似顔絵を描かせられたのだが、
本人に魔法の心得が無ければ用を成さない。
テレパシーの応用でイメージの転写をすれば、正確に伝わるのだが、これには同意が必要で、
余計な情報まで拾ってしまう可能性がある為に、大抵は拒まれる。

 「似顔絵は描ける?」

駄目元でワーロックが尋ねると、頭巾の男は意外にも頷いた。

 「下手でも良ければ」

 「有り難い」

ワーロックがメモ帳を渡すと、頭巾の男は1点前後で簡単に描き上げる。

 「……大体、こんな感じだな」

その絵は、写真の様とは言い難かったが、見事に特徴を押さえていた。
角張った顔、細い目、尖った鼻、大きな口。

 「上手いなー」

 「そ、そう?」

頭巾の男は照れ臭そうに頭を掻く。

 「十分だ。
  有り難う」

 「礼なんて止めてくれよ。
  ……何か判ると良いな」

ワーロックと頭巾の男は和やかな雰囲気で別れた。

158 :創る名無しに見る名無し:2015/01/30(金) 20:20:23.43 ID:99o3BZ48.net
情報を総合した結果、リベラの母親はマフィアの情婦だった可能性が、最も高いのではないかと、
ワーロックは考えた。
抗争に巻き込まれるのを恐れたイーガー(仮名)が、イルーナを物乞いの集落に退避させた。
イーガーとイルーナは人目を忍んで、定期的に密会していたが、それを他の物乞いに見付かって、
イルーナは追放。
折り悪く、イーガーは抗争で死亡し、帰りを信じて待っていたイルーナも……。
それが今の所、あり得そうな話。
イーガーが所属している地下組織と言うのは、この近辺を拠点にしているマグマだろうと推測する。
他の組織の者が、身内の退避場所として選ぶには、余りに危険過ぎる。
彼が地下組織の関連人物だとして、どんな悪人でも人の子には違い無い。
祖父母に当たる人物が居るだろうと、ワーロックは希望を捨てなかった。
関係者が揃いも揃って、堅気の人間ではない可能性もあるが、それでも居ないよりは良い。
そうワーロックは信じて、地下組織マグマの拠点がある区画へと向かった。

159 :創る名無しに見る名無し:2015/01/31(土) 17:23:05.58 ID:Jij/ZDLo.net
マグマとは複数の地下組織から成る、同盟の様な物である。
同じ拠点を持つ者同士、過度の干渉は控えつつ、防衛の為に連携を取っている。
その中でも、特に影響力の大きい組織の幹部が、マグマの幹部として、全体を仕切っている。
組織同士で共通する最優先事項が、「拠点の防衛」なので、不用意に危険を呼び込む様な、
大間抜けは排除される。
その為に、内部抗争も多い。
ワーロックはマグマの相談役である、予知魔法使いのノストラサッジオと知り合いなので、
内部の幾つかの組織に顔が利く。

 「ラヴィーさん、久し振り」

マグマの縄張りに踏み入ったワーロックは、早速顔馴染みの構成員に出会した。
ワーロックが何らかの用事で拠点に近付くと、必ずマグマの構成員が出迎える。
これはノストラサッジオの差し金だ。
予知魔法使いは伊達ではない。
ワーロックは構成員に挨拶し返す。

 「お久し振りです」

地下組織の人間とは言え、礼節を尽くしていれば、特に恐れる事は無い。
彼等は都市の秩序に縛られない者達だが、無法者とは違い、自分達の秩序を持っている。
中には、そうでない者も居るが、その様な者はマグマの中での地位も低い。

160 :創る名無しに見る名無し:2015/01/31(土) 17:25:28.92 ID:Jij/ZDLo.net
マグマの構成員は若い部下を2人連れていた。

 「お前達も御挨拶しろ。
  先生の客人だ。
  間違って絡まない様に、顔を覚えとけよ」

 「はい」

部下の2人は同時に返事をすると、ワーロックに頭を下げる。

 「初めまして、以後お見知り置き下さい」

 「初めまして、以後宜しゅう」

片方は強面で堅苦しく、片方は中央訛りが濃い。
2人は名乗らないし、ワーロックの名を尋ねようともしない。
ワーロックは堅気の人間で、互いに深入りは禁物だと教わっているのだ。
ワーロックも形だけの挨拶を返す。

 「どうも、初めまして」

その後、マグマの構成員は顎を抉って、無言で2人の部下に指図した。
強面の方が進み出て、ワーロックに阿る様に言う。

 「では、私が案内させて頂きます」

 「あ、はい」

ワーロックは3人と共に、ノストラサッジオの元へと向かう。

161 :創る名無しに見る名無し:2015/01/31(土) 17:29:54.34 ID:Jij/ZDLo.net
狭い路地裏を通り、建物に出入り、階段を昇降し、その繰り返しで、マグマの拠点は迷路の様。
これは部外者の侵入を拒む造りである。
強面の若者が先導する無言の道中、マグマの構成員は中央訛りの方の部下に命じた。

 「オゥ、気が利かねーな。
  客人を退屈させるな」

 「はい、済んまへん!」

中央訛りの若者は、緊張した声で答え、ワーロックの横に並んだ。

 「あのー、お客人、ワンコは好きでっしゃろか?」

 「わ、わんこ?」

何の話かと、ワーロックは慌てた。
そもそも余り話したいと思っていなかったのだ。

 「イヌ、犬の事です!
  最近、犬を飼い始めましてん。
  それが――」

話の途中で、マグマの構成員は中央訛りの部下を叱り飛ばす。

 「阿呆!
  世間話にしても、話題を選べや!
  客人は旅の身で、犬なんか飼ってる訳無いだろう?
  少しは頭を働かせんかい!」

 「いやー、でも、動物好きそうな――」

 「口答えすんな!」

 「はい、済んまへん!」

何だか可哀想になり、ワーロックは振り返って、マグマの構成員に言う。

 「そんな気を遣って頂かなくても……」

 「いや、礼儀作法の練習みたいな物で、気にせんでくれな。
  ラヴィーさん堅気だし、お優しいんで、丁度良くて。
  本番(チャン)で偉いさん相手に下手したら、腹詰まされるんで」

組織も組織で大変なんだなと、ワーロックは同情した。

162 :創る名無しに見る名無し:2015/02/01(日) 17:11:30.93 ID:ioxQZfot.net
マグマの構成員に耳打ちされて、中央訛りの部下は、改めてワーロックに尋ねる。

 「えー、あー……お客人、本日は、どんな御用で?」

マグマの構成員は透かさずフォローした。

 「障りがあるなら、答えて頂かなくても結構なんで」

好い機会だと、ワーロックはメモ帳を取り出して、事情を説明した。

 「人探しをしているんです。
  イーガーと言う男」

部下を差し置いて、マグマの構成員が反応する。

 「どんな奴で?
  そいつが何か?」

 「ある地下組織の、幹部だか、班長だかで……」

 「身内から捜索の依頼でも?
  官憲絡み?」

 「いえ、それなら警察に届け出ます。
  人の依頼ではなく、私の個人的な……」

マグマの構成員は怪しみながらも、ワーロックの話に乗った。

 「組織名は?」

163 :創る名無しに見る名無し:2015/02/01(日) 17:13:29.66 ID:ioxQZfot.net
ワーロックは困り顔で答える。

 「それが判らないんです。
  数年前の大規模な抗争以来、音沙汰が無いと言う事しか……」

 「数年前って……、あれか?
  最近のと言えば、ミングル・デュアルの――」

聞き覚えのある組織名に、彼は反応する。

 「ミングル・デュアルが何か?」

 「ああ、いや、ラヴィーさんは知らないのか……。
  因果だね、何とも」

 「どう言う事です?」

真剣な表情で問い掛けるワーロックを見て、マグマの構成員は2人の部下に命じた。

 「お前等、事務所に戻っとけ。
  俺は客人と大事な話をする」

 「了解」

2人の部下は、近くの建物の中に姿を消した。

164 :創る名無しに見る名無し:2015/02/01(日) 17:26:21.60 ID:ioxQZfot.net
魔法で気配が消えたのを確認して、マグマの構成員はワーロックに話を始める。

 「ラヴィーさん、昔、ミングル・デュアルを潰したよな」

 「ああー……、いえ、でも、潰したくて潰した訳では……。
  私が潰したと言うのも、語弊が……」

 「結果的にとは言え、潰れちまった物は仕方無い。
  そのミングル・デュアルのリーダーのベズワンって野郎が、都市警察に捕まった後、
  司法取引で全部吐いちまったらしいんだ」

 「そ、それで?」

 「マグマの中にもミングル・デュアルと組んでた所があってな……。
  証拠が挙がって芋蔓式に縛(パク)られると不味いってんで、累が及ばない様に、
  関係者を纏めて処分する事になった。
  そん時に、一騒動……。
  まぁ、誰も只では死にたくないんで」

ワーロックは蒼褪めた。
自分の与り知らぬ所で、自分の行動が原因で、多くの命が失われたのだ。

 「それなりの規模の組織が、3つか4つ位、潰れたんだよなー。
  木っ端の事務所も合わせれば、10箇(コ)以上。
  マグマ全体から見れば、本の一部だがよ」

暗い表情のワーロックに、マグマの構成員は慰めの言葉を掛ける。

 「ラヴィーさんが気にする事じゃない。
  奴等も俺達も、後ろ暗い所だらけの、闇の住人なんだ。
  こうなったのは当然の報いで、誰もラヴィーさんを恨んだりしちゃいない。
  尤も、関係者は全員死んだから、恨むも恨まないも無いんだが……。
  もし何か言う奴が居たとしたって、そりゃ逆恨みって奴だ。
  手を下した俺達が気にしてないんだから、善人振るのは止めてくれな」

彼の理屈は分かるのだが、ワーロックは直ぐには気を取り戻せなかった。

165 :創る名無しに見る名無し:2015/02/02(月) 19:22:09.80 ID:EmjSkWZN.net
ワーロックの心に引っ掛かっているのは、養娘リベラの事だ。
マグマの構成員の話を聞いて、リベラの母親が死んだ責任は、自分にもあるのではと、
彼は思い始めていた。
たらればの話をしても詮無いが、抗争が起きなければ……。

 (善し悪しは別として、確かに、知らない方が幸せだったかも知れない)

ワーロックは険しい顔付きで、自分自身を皮肉る。
幾ら自分だけは清く正しい積もりで居ても、完全に潔癖に生きる事は出来ないのだ。

 (何時か、この話をリベラに聞かせるんだろうか?
  あの子は私を許さないと……――言うかも知れない。
  父親に親しみは無くとも、母親が死んだのは、父親が帰らなかった所為で……)

既に知ってしまった事を、簡単に忘れる事は出来ないし、事実を無かった事にも出来ない。
寧ろ、決して忘れてはならないと、ワーロックは罪悪感と共に心に刻む。
リベラと顔を合わせる度に、気不味い思いをするだろうが、それは当然と受け止めた。

 (初心に帰ろう。
  私はリベラの身元を調べる為に、ここに来たんだ。
  やるべき事は変わらない)

自分が落ち込んでいる場合ではないと、ワーロックは自らを奮い立たせ、前向きになる。

166 :創る名無しに見る名無し:2015/02/02(月) 19:25:35.28 ID:EmjSkWZN.net
マグマの構成員は、部下に代わってワーロックを案内した。
彼は歩きながら、先の話を続ける。

 「イーガーって男が生きている可能性は低い……って言うか、先ず無いと思う」

 「ええ、それは覚悟しています。
  彼の生死自体よりも、身内の有無や出自の方が重要なんです」

 「それも難しいと思うぞ。
  大体、この世界に入る奴は、親兄弟とは縁を切っている。
  律儀に仕送りする様な孝行者も、居るには居るが、絶対に他人には話さない。
  そもそも抗争で組織自体が潰れていたら、お手上げだ。
  仮に、そう言う事を話せる、親しい仲間が居たとしても、抗争で一緒に死んでるだろう」

 「それでも、出来るだけの事は、やっておきたいんです」

ワーロックの答えに、マグマの構成員は何度も頷く。

 「分かってるなら、煩くは言わないけどよ……。
  『何の為に』って部分は、話せないのかい?」

 「余りに個人的な事情なので……」

マグマの構成員は冗談めかして尋ねた。

 「ラヴィーさんの生き別れの兄弟だったりとか?」

 「はは、そんな訳――。
  いや、当たらずとも遠からずって所ですかね……」

ワーロックの答に、マグマの構成員は驚いた顔をして、口笛を吹いた。

167 :創る名無しに見る名無し:2015/02/02(月) 19:28:25.77 ID:EmjSkWZN.net
それから数点後、ワーロックはノストラサッジオの居る部屋に通された。
ノストラサッジオはマグマの構成員を追い返し、ワーロックと一対一になると、心配そうに声を掛ける。

 「どうした?
  顔色が悪いぞ」

 「少し考えさせられる事がありまして……。
  それより、お願いがあるんです」

 「分かっている。
  人探しだな」

予知魔法使いのノストラサッジオは、大抵の事は見通している。
話が早いと、ワーロックは直ぐ様本題に入った。

 「イーガーと言う男を探しています。
  彼に関する情報なら何でも良いので、教えて欲しいんです」

ワーロックはメモ帳を取り出して、ノストラサッジオに見せる。

 「こう言う男です」

ノストラサッジオはメモ帳の似顔絵を凝視し、眉を顰めた。

 「何だ、これは?
  お前が描いたのか?」

 「いえ、私ではなく、彼を知っていると言う人に……」

 「悪いが、私は知らない」

ノストラサッジオは然して長考せず、メモ帳を閉じて、ワーロックに突き返す。

168 :創る名無しに見る名無し:2015/02/03(火) 19:44:05.18 ID:dGgikBGD.net
連れ無い態度に、今日は機嫌が悪いのかと、ワーロックは感じた。

 「ええ、そうでしょうから、何とかマグマの人達に話を付けて貰えないかと」

 「その依頼は断るべきだと、私の魔法は告げている」

ノストラサッジオは際(きっぱ)りと断る。

 「良くない事でも起こると言うんですか?」

 「そんな所だ」

やはり止めた方が良いのだろうかと、ワーロックは怯み掛けたが、弱気にならず突っ張った。

 「構いません、お願いします」

ノストラサッジオは倦んざりして、深い溜め息を吐く。

 「無理だ。
  気が乗らない。
  大体、私にもマグマの連中にも、何も得が無いではないか?」

そう言われると、ワーロックは困ってしまう。
ノストラサッジオやマグマに利益を齎す様な物を、彼は何も用意出来ない。
ノストラサッジオは旧い魔法使いらしく、金や物に興味を示さない気紛れな性格だし、
地下組織マグマは規模が大き過ぎて、とても個人が動かせる物ではない。

169 :創る名無しに見る名無し:2015/02/03(火) 19:49:29.06 ID:dGgikBGD.net
ワーロックは難しい顔で、数点立ち尽くしていた。

 「用が無いなら、帰ってくれ」

ノストラサッジオは無下に彼を追い払う。

 「分かりました。
  確かに、ノストラサッジオさんに頼るのは、筋違いでした。
  甘えていた所があると思います。
  私は私に出来る範囲で、やってみます。
  失礼しました」

ワーロックは抗弁せず、一礼をして退室しようとした。
予想外の行動に、ノストラサッジオは慌てた。
彼が「行うべきでない」と言ったら、それは間違い無く、「行うべきでない」のだ。
冷たく当たるのは、気遣いでもある。
それを理解していながら、ワーロックは敢えて逆らっている。

 「待て、私の話を聞いていなかったのか?
  ……伝わり難かったかも知れんな。
  『碌な結果にならないから、止めておけ』」

 「そうは行きません」

頑固な所のあるワーロックは、譲れないと思ったら梃子でも動かない。
ノストラサッジオは何か言いたそうにしていた物の、憮然とした表情で、吐き捨てた。

 「……好きにするが良い」

ワーロックは無言で改めて礼をし、退室する。

170 :創る名無しに見る名無し:2015/02/03(火) 19:55:14.70 ID:dGgikBGD.net
ワーロックは独り、マグマの顔見知りを当てにして、直接聞き込みを行った。
しかし、それは決して安易な方法ではない。
都市の秩序に縛られない者達は、堅気の者を威嚇して遠ざける。
「市民に恐れられる」地下組織として、ワーロックだけに例外的に甘い顔をする事は、
本来許されないのだ。
元々ワーロックはマグマの外の人間であり、中にはノストラサッジオに贔屓されている彼の事を、
好意的に思っていない者も多い。
ノストラサッジオを介しているからこそ、今までワーロックは危害を加えられなかったのだ。
仲立ちが無ければ、マグマの者達の態度は、厳しい物だった。

 「部外者に話せる事は何も無い」

 「邪魔だ、失せろ」

 「出す物、出せんの?」

 「堅気の者と馴れ合えるか!」

 「家の縄張りで勝手な事してんじゃねえぞ」

嫌味を言われたり、冷たく遇われたり、時には脅され、殴られても、彼は諦めなかった。
数少ない好意的な人物を探し当て、金や物との交換条件で、偽の情報を掴まされたり、
盥回しにされたりしながらも、2日掛けて、何とかイーガーを知る人物に辿り着く。

171 :創る名無しに見る名無し:2015/02/04(水) 18:16:48.69 ID:i4LC52z4.net
人伝に紹介された彼は、非常に用心深かった。
マグマの拠点から少し離れた、人通りの無い川辺で、南東の時、一対一で落ち合う事になる。
時間より少し早目に、待ち合わせ場所でワーロックは待っていたが、それから半角も遅れて、
約束の男は到着した。
彼は目元を金縁の黒眼鏡で隠し、ハンティング帽を被って、灰色のフォーマル・スーツを着崩し、
ネクタイの代わりに金煌の首飾りを下げ、革靴を履いている。
上着のポケットに両手を突っ込み、肩を怒らせて背を屈めた、柄の悪さをアピールする様な姿勢。
身長はワーロックと殆ど同じだが、背が曲がっている分、低く見える。

 「あんたがイーガーを探してるって奴か?」

男の声は低いが、発音は明瞭で聞き取り易い。
喫煙者なのだろう、少し黒脂の臭いを漂わせている。

 「はい」

ワーロックが答えると、男は更に問う。

 「余所の回し者でないと言う証明は?」

ワーロックは頷いた。

 「魔法を使いましょう。
  お互い、嘘が吐けない様に」

彼は内側に魔法陣が描いてある、中空の筒を取り出す。
これは嘘を封じる『真実のバトン』だ。
両者が端を握っていれば、愚者の魔法の効果が発揮される、魔法道具の一種である。
普通の人は持ち歩かないが、ワーロックは旅商と言う性質上、人の信用を得る為に使う事があった。
男は僅かに躊躇いを見せた物の、直ぐに応じた。

 「良いだろう」

172 :創る名無しに見る名無し:2015/02/04(水) 18:18:15.33 ID:i4LC52z4.net
ワーロックと男は互いに筒の端を持ち合う。
男が途中で魔法を無効化して誤魔化さないか、ワーロックは注意深く、彼の口元と手元を監視した。

 「先ず、あんたはイーガーの何だ?」

その質問にワーロックは答えず、逆に質問し返す。

 「イルーナと言う女性を知っていますか?」

男は驚いた顔をして、質問を重ねた。

 「彼女の身内なのか?」

 「直接の血の繋がりは、ありませんが……」

 「イルーナは生きているのか?」

 「いいえ、死にました」

ワーロックが淡々と答えると、男は沈痛な面持ちになる。

 「……イーガーの奴も死んだよ」

ワーロックは「ああ」と小さく零し、本題に入った。

 「イーガーさんか、イルーナさんの身内を知りませんか?」

173 :創る名無しに見る名無し:2015/02/04(水) 18:20:32.24 ID:i4LC52z4.net
それを聞いて、男はワーロックを警戒した。

 「イルーナの?
  あんた、イルーナの身内じゃなかったのか?
  巫山戯るなよ、小細工は止めろ。
  少しでも妙な真似をしたら撃つ!」

彼は短気を起こし、素早く懐から短銃を取り出して、ワーロックに向ける。
内心では銃に驚き、拙ったと思う物の、ワーロックは平静を装った。

 「わ、私は未だ、貴方を信用し切れていません。
  あなたはイーガーさんと、どう言う関係だったんですか?」

 「何を貴様……!」

男は突き付けた短銃を、ワーロックの顔に近付ける。
ワーロックは恐怖から身を引くが、筒から手を離しはしない。
銃口がワーロックの鼻を潰す様に、軽く押し当てられる。
何かの弾みで暴発でもすれば、確実に命に関わる重傷を負う。
ワーロックは歯を食い縛って、下腹に力を入れ、震えを必死に抑えた。
緊張の余り、激しい動悸と眩暈に襲われるも、倒れてなるかと踏ん張る。
10極近く、その状態の儘で、ワーロックと男は対峙する。

 「俺は組織こそ違うが、それなりにイーガーとは親しかった。
  あいつは抗争で斃っちまって、奴の組織も潰れて、今は何の縁も無い――が、
  友人だった……と言えると思っている。
  手前は何だ?
  どう言った事情で、イーガーの身辺を探っている?」

鬼気迫る表情で、男はワーロックの疑問に答えながら、詰め寄った。

174 :創る名無しに見る名無し:2015/02/05(木) 18:23:14.54 ID:4MjZ6+Mo.net
ワーロックは震える声で、途切れ途切れに言った。

 「私は……、イルーナ、さんの……娘を……預かっています」

彼は自分でも惨めになる位、弱々しい態度になっていた。

 「娘?
  イーガーとイルーナの子供?
  ……それで、何を企んで身内を探していた?
  金でも脅し取る気だったのか?」

男の疑う様な声に、誤解されてはならないと、ワーロックは気迫を引き出した。
人間性を疑われる事は侮辱である。
その怒りを取っ掛かりに、無理繰り恐怖を塗り潰し、強気に反論する。

 「違うっ、保護したんだ!
  母親を失い、彼女は孤独死する所だった!」  

銃口は変わらず、ワーロックの鼻筋に当てられている。
ワーロックと男は互いの目を見合う。
未だ2人共、筒を握っている。
互いに嘘は言っていない。
男は深い溜め息を吐いて、漸く銃を下ろす。

 「詰まり、親探しが目的だと?
  身内に引き取らせる積もりで?」

同時にワーロックは極度の緊張から解放され、呆けた様に締まりの無い笑みを浮かべた。

175 :創る名無しに見る名無し:2015/02/05(木) 18:25:27.68 ID:4MjZ6+Mo.net
ショックで吃逆が止まらず、暫く口が利けない彼に、男は舌打ちして謝る。

 「悪かったな。
  命が懸かってるのは、お互い様だ」

気遣われたワーロックは、何とか声を絞り出した。

 「いッ、いえッ……だッ、大丈夫ッ、大丈夫ッですッ……」

 「そうは見えないが……。
  やれやれ、大した度胸だよ。
  お人好し過ぎる。
  他人の子供の為に、そこまでするか?
  イーガーやイルーナと、過去に何か?」

ワーロックは深呼吸を繰り返し、漸く落ち着きを取り戻して答えた。

 「ちょ、直接の面識はありません。
  イルーナさんは既に亡くなっていて、独り残された子供を私が……。
  少ない手掛かりを頼りに、ここまで辿り着いたんです」

男は目を見張る。

 「あんたみたいなのって、偶に居るけどさ……。
  どう言う神経してんだか……。
  命を懸けるにしても、相手を選べよ」

 「私だって命は惜しいです。
  でも、あの子は既に私の娘でもあるので……。
  それに、マグマの方々とは面識がありますし、信用していますから」

 「信用だァ?」

頓狂な声を上げる男に、ワーロックは苦笑いした。

176 :創る名無しに見る名無し:2015/02/05(木) 18:27:06.65 ID:4MjZ6+Mo.net
彼は表情を引き締めて言う。

 「余所者とは言え、武器を持たない、それも堅気の私を、脅しはしても、殺しはしないでしょう。
  貴方々は無法者ではない。
  誠意を持って向き合えば、理解して貰えると――」

 「それ以上、知った風な口を叩くな。
  あんたは堅気で、俺等とは違う。
  舎弟になりたいなら話は別だが、所詮は相容れない存在だと言う事を忘れるな」

冷や水を浴びせる様に、男はワーロックの話を遮った。
ワーロックは悄然と項垂れる。

 「済みません……」

男は苛立った口調で、再び話を戻した。

 「あんたはイーガーの身内を見付けて、どうする積もりなんだ?」

 「どうもしません……。
  少なくとも、今の所は」

 「は?」

 「あの子の為に、救いが欲しかったんです。
  両親や親戚は、どんな人達で、あの子は望まれ、愛されて生まれたのか……とか」

 「そんな事の為に?」

 「……重要な事ですよ」

含羞んで小声で呟くワーロックに、男は複雑な表情で理解を示す。

 「お、おう……、まあ、な……」

177 :創る名無しに見る名無し:2015/02/06(金) 18:31:59.94 ID:m2hAVvL4.net
自己の生まれや育ちは、人格の大半を決定付ける程、重要な物だと言う事を、男は知っていた。
彼に限らず、地下組織の者は、生まれや育ちの重要さを、痛感している。
今を嘆く者こそ少ないが、心から今を望んだ者も少ないのだ。
話を始める前に、男はワーロックに覚られない様に、そっと真実のバトンから手を離した。

 「離さないで下さい。
  どうか、その儘で」

ワーロックは目敏く見咎め、制止する。
男は困り顔になった。

 「真実を知る事が、必ずしも良いとは限らない。
  ……分かるだろう?」

 「有耶無耶で終わらせる事は出来ません。
  偽りの慰めで良いなら、そもそも、ここには来ませんでした」

 「救いが欲しいんじゃなかったのか?
  娘は今、何歳(いくつ)だ?」

 「多分、5歳前後……。
  正確な年齢は判りませんが……」

 「だったら、実の親だの何だの教えられるのは、10年は後だろう。
  その頃まで、俺も生きてられるか分からない。
  誰も過去を知る者が居なければ、真相も何も無くなる。
  それで良いだろう?
  あんたは十分やった」

 「……そんなに不味い事なんですか?」

余りに予防線を張られるので、ワーロックは不安になって尋ねる。

178 :創る名無しに見る名無し:2015/02/06(金) 18:33:56.31 ID:m2hAVvL4.net
男は不機嫌な顔で答えた。

 「イーガーとイルーナは愛し合っていた。
  だがな、マフィアの男と連む女が、真面な訳無いだろう」

 「構いません。
  全て話して下さい」

 「……知りたがったのは、あんただからな」

念押しして、男は筒を握り直し、語り始める。

 「イーガーに血縁は居ない。
  孤児だった訳じゃなく、『組<クラン>』の一員になる為に、堅気を捨てた証として、
  自分の手で両親を殺した」

凄惨な事実に、ワーロックが顔を顰めると、男は一旦沈黙して、様子を窺う。

 「続けて下さい」

ワーロックに促され、男は軽く息を入れた。

 「イルーナの方は元娼婦。
  それをイーガーが引き取った。
  組織への納金を断った娼館を潰した、その序でと言う形でな。
  余り頭の良い女ではなかった」

179 :創る名無しに見る名無し:2015/02/06(金) 18:38:31.11 ID:m2hAVvL4.net
男は同情を込めるでもなく、露悪的になるでもなく、淡々と語り続ける。

 「娘の頭は大丈夫か?」

彼はイルーナの薄弱な精神が、娘にも遺伝していないか、尋ねていた。
配慮を欠いた言動に、ワーロックは不快感を覚えるも、受け流す。

 「利発な子ですよ」

イルーナの娘リベラは、依存気味な所はある物の、知能には問題が無く、人の事も考えられる。
ワーロックが堂々と答えると、男は感傷的な素振りを見せた。

 「……それは良かった。
  案外、イルーナも本当は賢い女だったのかも知れん。
  こんな所で女が生きて行く為には、余計な知恵は無い方が良いからな」

男も思う所があるのだろうと、ワーロックは話題を変える。

 「イルーナさんの身内は?」

 「両親や故郷を懐かしむ様子は無かった。
  それに物を知らな過ぎた。
  無垢を装っていただけかも知れないが……。
  本人に聞いた訳じゃないが、哀れな女だったんだと思う」

それは「真面に育てられなかった」と言う意味だ。
イーガーにもイルーナにも身内は居ないと判明し、ワーロックは肩を落とす。

180 :創る名無しに見る名無し:2015/02/06(金) 18:43:31.31 ID:m2hAVvL4.net
男はワーロックを慰める様に言った。

 「そう気を落としなさんな。
  血縁ったって、良い物ばかりじゃない。
  碌でもない身内に囲まれてるよりは増しだと思えば」

彼は身内や血縁に、好い感情を抱いていない様子だった。
地下組織に入る者は、大抵は劣悪な家庭環境で育っている。
中には、真面な環境で育ちながら、自ら好んで悪の道に走る者も居るが、そうした連中は、
「ならざるを得なかった」者達には蔑まれている。
もう尋ねる事は無いのだが、ワーロックは話を終わらせては行けない気がして、
取り敢えず質問を続け、引き延ばした。

 「……他に何か、ありませんか?
  何でも良いので」

恐らく、ワーロックがイーガーの話を聞けるのは、これが最後。
言い残しや聞き残しがあってはならないと、慎重になっていたのだ。

 「何でも良いって言われても……。
  何が知りたい?」

男の疑問に、ワーロックは思案しながら言う。

 「為人とか、付き合いのあった人とか……」

 「はぁ、そう言われてもねェ……」

男は溜め息を吐き、両腕を組んで考え込んだ。

181 :創る名無しに見る名無し:2015/02/07(土) 18:08:03.88 ID:BlDrs4xO.net
数極して、男は改めて筒を持ち、点々と語り始める。

 「あいつは……イーガーは、良い奴だったよ。
  義理堅くて、口下手で、付き合いも面倒見も良くて、身内には優しいが、敵には容赦無い。
  マフィアの鑑みたいな男だった。
  俺とは飯を奢ったり、奢られたり、愚痴を零し合ったり、街へ遊びに出掛けたり、偶に喧嘩したり、
  そう言う仲だった。
  ――ああ、後、奴は射撃が上手くて、空き缶撃ちで右に出る者は居なかった」

 「何故、そんな人が両親を?」

 「実の父親が死んで、母親の再婚相手が下衆野郎だったとか何とか……。
  詳しくは知らんが、殺す位だから、余っ程だったんだろう」

瞬きも忘れて聞き入るワーロックに、男は一つ咳払いをした。

 「お喋りと思われたくはないが、もう死んだ奴の事だ。
  この際だから全部話してやるよ」

彼は一呼吸置いて、語りを続ける。

 「元々イーガーは堅気の人間で、組織とは無関係だった。
  母親の再婚で家逸(やさぐ)れて、組織に近付いたが、当然相手にされなかった。
  そこで出された条件が、『身内を殺せ』――こいつは拒絶の以外の何物でもない。
  だが、イーガーは殺った」

 「警察に捕まらなかったんですか?」

 「そりゃ捕まったさ。
  家庭内の不和が原因、未成年って事もあって、幾らか減刑されこそしたがな。
  刑期を終えて出て来たイーガーを、組織は迎え入れない訳には行かなかった。
  一度交わした約束は違えないのが、マフィアの掟だ」

 (何も彼も擲って、闇の世界に飛び込んだのか……)

その気持ちは、ワーロックにも少しだけ理解出来た。
背景は全く違うが、彼も真面に生きるのが辛くなって、道を踏み外した。
イーガーにとっては、闇の世界が逃避先だったのだ。

182 :創る名無しに見る名無し:2015/02/07(土) 18:10:08.36 ID:BlDrs4xO.net
ワーロックは先の語りの間に、思い付いた事を尋ねる。

 「イーガーさんのフルネームと、所属していた組織の名前は判りますか?
  イルーナさんがエルバ姓なのは知っていますが、他の事は未だ何も……」

 「イーガーのフルネーム……。
  悪いが知らないな。
  イルーナがエルバと言う姓なのも、俺は知らなかった。
  ここは表とは縁を切った世界だから、名字には意味が無い。
  それより肩書きや愛称、通り名の方が重要になる。
  イーガーの通り名は『狩人<ハンター>』だった」

 「組織名は?」

 「教えられない。
  何の為に組織を潰したと思ってるんだ?」

都市警察は司法取引で、ミングル・デュアルと関係していた組織名を把握している。
それがマグマと関係していると、知られては不味いのだ。
ワーロックは都市警察とは無関係だが、どこで情報が漏れるか分からない。

 「……では、イルーナさんが働いていた、娼館の名前は?」

そう来るかと、男は感心する。

183 :創る名無しに見る名無し:2015/02/07(土) 18:12:17.75 ID:BlDrs4xO.net
彼は真面目な顔で忠告した。

 「教えても良いが、関係者は見付からないと思うぞ。
  潰された娼館で働いてた何て過去は、隠しておきたい物だ。
  往時の事を赤の他人に教えると思うか?
  それに……イルーナに帰る家があったなら、娼館が潰れた時点で帰っている。
  見知らぬマフィアの男なんかに、付いて行く訳無いだろう」

流石に、ここで手詰まりかと、ワーロックは諦め掛けていたが、未だ何か分かるかも知れないと、
聞くだけ聞いてみる事にする。

 「教えて下さい。
  お金が必要なら、払います」

仕様が無いなと、男は小さく息を吐いた。

 「いや、金は要らない。
  あんたの熱意に免じてやるよ。
  娼館の名前はプリーズ・ハーレムだ」

 「有り難う御座います」

ワーロックが頭を下げると、男は外方を向いて、吐き捨てる。

 「知った所で、どうにも出来ないと思うがな。
  他に何も無いなら、帰らせて貰うぞ」

 「済みません。
  お時間を頂いて」

 「あんたと俺は、もう関係の無い人間だ。
  二度と会わない事を期待している」

彼は冷たく別れの言葉を告げて、去って行った。

184 :創る名無しに見る名無し:2015/02/07(土) 18:13:24.21 ID:BlDrs4xO.net
その後、ワーロックは周辺で「プリーズ・ハーレム」の事を尋ねて回った。
酒場の人脈で数人の常連を見付ける事には成功した彼だったが、残念ながら娼館の内情にまで、
詳しい者は居なかった。
後ろ暗い組織なのだから、仮令常連であっても、客との間で裏話はしない。
嬢が身の上話をするのも、客が身元を探るのも禁物。
そうした了解が双方にある。
イルーナ・エルバは本名なのか、商売名なのか、それを知っている者も無く……。
真相に繋がる全ての道は潰えた。
ワーロックは心残りだったが、これ以上悪い話を聞かされなくて済んだと、前向きに捉える事にした。

185 :創る名無しに見る名無し:2015/02/08(日) 18:09:46.68 ID:XL8ZlFed.net
ファイセアルス人の肌の色


ファイセアルスには複数の人種が存在しており、当然肌の色も違う。
魔法資質の関係もあって、肌の色は細かく分かれる。
大抵は飲み物で表される。

薄い・明るい

クリア/ペール(青味掛かった白)
ミルク(白)
クリーム(黄味掛かった白)
白ワイン(薄く緑掛かった黄)
エール/ビール(薄い黄色系)
チェリー(桃色系)
ロゼ(薄い赤、薄い紫色系)
ティー/小麦(薄い茶色)
バター/カッセ(濃い黄色系)
赤ワイン(赤、赤紫系)
ブラッディー(濃い赤)
レッド・ティー(赤褐色)
ミルク・カフェ(褐色系)
コーヒー(黒系)

濃い・暗い


カッセ(チーズ)、白ワイン、赤ワイン、小麦は品種名で更に細かく色の濃淡を表す。
他にも花の名前や、混合酒(カクテル)の名前が用いられる事もある。

186 :創る名無しに見る名無し:2015/02/08(日) 18:26:48.59 ID:XL8ZlFed.net
地域によって、ある程度は肌色の分布が決まっている。
クリアはグラマー地方の女性に多いが、余り魅力的とは捉えられておらず、
クリームやエールが良いとされる。
グラマー地方の男性はエールやティーが多い。
グラマーの辺縁部には、レッド・ティー、ブラッディー、赤ワインが少数分布している。
北部には色白が多く、南部には色黒が多い。
ブリンガー地方は白ワイン、エール、ティーが多く、北東部にバターが少数。
ミルクやクリームよりは、ティーや赤ワインの様に、確り色が付いている方が好まれる。
但し、余り濃過ぎるのは逆に好まれない。
大陸北方はミルク、チェリー、ロゼに纏まる。
基本は真っ白で、血の気の多少によって、肌の色が変わる。
同じ北方住民でも、やはり少し色付いている方が好まれ易い。
酒を飲んでも、赤くならない様な者は駄目。
大陸中央や東方はクリーム、バター、ティーが多い。
こちらは色白が好まれるが、ペールまで行くと人気が無い。
カターナ地方はバター、ミルク・カフェ、レッド・ティー、コーヒー等の濃い色が多い。
濃ければ濃い程、良いとされる地域もある。
全体の傾向として、とにかくクリアやペールは不人気。
ミルク、クリーム辺りで漸く好みの範疇になる。

187 :創る名無しに見る名無し:2015/02/08(日) 18:29:21.49 ID:XL8ZlFed.net
次に、人種には以下の種類がある。


旧暦人
├・ハイエル語圏人
├・エクセリス人
├・スナタ語圏人
├・南方系人
├・オリゾンタ系人
└・アンテ・オリゾンタ系人
   ├・東オリゾンタ系人
   └・西オリゾンタ系人

新大陸人
├・グラマー人
│ ├・古グラマー人(旧暦人の流入で純血は少ない)
│ ├・新グラマー人(旧暦人との混血)
│ ├・冷砂の民(グラマー地方北部に分布、北方南部人と交流)
│ ├・グラマー南部砂漠の民
│ └・乾いた草の民(グラマー地方東部に分布、遊牧民)
├・ブリンガー人
│ ├・草原の民(ブリンガー北西部に広く分布、遊牧民)
│ ├・南部高原人
│ └・農耕民
├・極北人
│ ├・ガンガー南極北人(ガンガーみなみ・きょくほくじん)(北方南部人の影響大)
│ ├・凍土の民
│ └・ガンガー北東部の民(ガンガーきた・とうぶのたみ)(絶滅)
├・エグゼラ人
│ ├・北方南部人(グラマー、ティナー、ボルガと広く交流)
│ └・雪原の民(エグゼラ地方の雪原及び山岳地帯に少数分布、狩猟民)
├・ティナー人
│ ├・ティナー平野人(グラマー、エグゼラ、ボルガと広く交流)
│ ├・南部ティナー人(ブリンガーとカターナの影響有)
│ └・ティナー新人類(全地方の混血)
├・ボルガ人
│ ├・北海人(ボルガ地方北部に分布、ガンガー北東部の民と合流)
│ ├・東部人(エグゼラ、ティナーと交流)
│ ├・東部沿岸人
│ └・南東部人(みなみ・とうぶじん)(カターナの影響大)
├・カターナ人
│ ├・南国人
│ └・ブリンガー・カターナ人
└・南方島嶼住民


人口や集落規模で、人と民に分かれ、少数民族は民となる。
しかし、「草原の民」や「農耕民」の様に大規模な民もあれば、「南部高原人」や「ガンガー南極北人」、
「北海人」の様に比較的少数でも人と記されている物もある。

188 :創る名無しに見る名無し:2015/02/08(日) 18:31:40.70 ID:XL8ZlFed.net
この設定は忘れてなければ後でも使います。

189 :創る名無しに見る名無し:2015/02/08(日) 21:32:07.80 ID:6xkSiAJj.net
すごいっ

190 :創る名無しに見る名無し:2015/02/09(月) 19:38:04.02 ID:ObswTgJd.net
>>189
思い付く儘に書き散らせば良いので、適当に設定を捏ち上げるのは楽ですが、問題は整合性を持たせられるかと、
お話に活かせるかなので、本当に凄くなるかは今後の描写次第です。
一応こう言う風に決めた理由は考えてありますが……。
精進します。

191 :創る名無しに見る名無し:2015/02/09(月) 19:45:33.65 ID:ObswTgJd.net
研究は爆発だ!


第一魔法都市グラマー 禁断共通魔法研究施設 通称「象牙の塔」にて


白昼に爆音が轟き、黒煙が上がる。
空を伝う衝撃が、周辺の建物を震わす。
現場には瓦礫が散らばり、熱気が立ち込める。
すわ大事件かと思われるだろうが、ここはC級禁断共通魔法研究棟。
徹底的に魔法の規模と威力の最大化を求める、破滅願望者達の巣窟。
奇人変人揃いの禁呪研究者の中でも、最も頭の狂(イカ)れた人間が集まる所。
この程度の事故は日常茶飯事。
曰く、「失敗は成功の母」ならば「母無くして子無し」、拠って「失敗無き成功は成功に非ず」、
「失敗しなければ真の成功は得られない」。
そんな馬鹿気た信念を堂々と掲げている。
所謂、「エラッタ」と呼ばれる者達だ。
C級禁呪研究者は、他の禁呪研究者からも敬遠されている。
余りに実験失敗事故が多いので、C棟が改築される度に、他の研究棟から離される位だ。
その内、「象牙の塔」は名前の由来の一とされる、牙の形を模しなくなるとさえ言われている。

192 :創る名無しに見る名無し:2015/02/09(月) 19:48:51.84 ID:ObswTgJd.net
C級禁断共通魔法の実験失敗事故は、当然怪我人を伴う。
失敗する事が前提なので、研究者は確り防御を固めていて、大抵は軽傷で済むのだが、
稀に想定を超えた事態に遭遇する。
それでも――いや、それこそを喜ぶのだから、尽く尽く度し難い。
研究者も優秀な共通魔法使いなので、殆どの怪我は自力で治せるが、流石に手足が飛んだり、
胴体に穴が開いたりすると、手に余ってしまう。
そんな時は、どうなるかと言うと、B棟に運ばれる。
ここで多くのC級禁呪研究者は、肉体と精神の改造手術を受ける。
神経を弄って痛覚を鈍くしたり、肉体が再生し易い様に機能を単純化したり、造り替えたりする。
B級禁呪研究者の人間はC級禁呪研究者程、理性が壊れてはいないが、その代わりに、
倫理観が飛んでいる者が多い。
強化改造されたC級禁呪研究者は、一層無謀な実験に励む。
実験の失敗で壊れたC棟は、C級禁呪研究者が自分達で魔法を使って直す。
時間も金も掛からないが、より頑丈に造って、より無謀な実験で壊す。
丸で、それが使命の様に、C級禁呪研究者の習慣と化している。

193 :創る名無しに見る名無し:2015/02/09(月) 19:52:00.97 ID:ObswTgJd.net
「新人は取り敢えず壊して改造して貰う」のが、C棟の先輩研究者の一般的な認識だ。
実の所、C棟の禁呪研究者は、他棟と異なって、真面な学校や研究機関の出身者が少ない。
中には魔法学校を卒業する所か、入学さえしていない者も在籍している。
勿論、独学で魔法の勉強をした訳でもない。
真面な魔法知識を持たないのに、どうして魔法の研究が出来るのかと言うと、
これも壊れた倫理観の成せる業だ。
使えない新人を適当に実験に付き合わせて、死なない程度に大怪我をして貰い、意識の無い間に、
大改造を施すのである。
「新人は取り敢えず壊して改造して貰う」とは、そう言う意味だ。
実行するのはB棟の研究者。
先ず、出来るだけ人間の外見を保ちつつ、肉体機能を別物にする。
次に、出来るだけ人格を残しつつ、知識と知能を強化する。
基本的に事後承諾なので、偶に本人に抗議されるが、「便利になるんだから良いじゃないか」と、
取り合わない。
B級禁呪研究者達の認識は、眼鏡を掛けたり、差し歯にしたりするのと、同程度なのだ。
環境に毒されて来ると、利便性の追求の為に、自ら進んで人間の外見を捨てたりもする。

194 :創る名無しに見る名無し:2015/02/09(月) 19:59:07.40 ID:ObswTgJd.net
一方で、研究班と実験班と言う関係もある。
研究班が開発した呪文を、実験班が試用して、その繰り返しで、新しい呪文が完成する。
研究班には比較的真面な人間が多いと言われるが、それは実験現場に直接赴かず、
データだけを参照する為である。
良心的で熱心な研究班の者は、実験現場でエラッタの異常な実験風景を目の当たりにし、
トラウマを植え付けられる。
そうでなくとも、施設内では度々「今日は何の実験で失敗した」だの、「どこを改造して貰った」だの、
恐ろしい会話が耳に入る。
稀に「お前が開発した魔法の所為で、こうなってしまった」等と、因縁を付けられる事もある。
基本的に頭の狂ったエラッタ共は、本気で恨んでいる訳ではなく、揶揄いや冗談半分で言うのだが、
言われた方は精神的に追い詰められる。
それで「研究が手に付きません」等と言われては研究所は困るし、本人も働けなくなるので困る。
そんな訳で、研究を継続出来る様に、カウンセリングの名目で、同意の上で精神を少し弄る。
要領の良い研究班の者は、なるべく現場には近寄らない様にして、データだけに注目する。
勿論、それでは分からない事も多い。
開発者自身が実験を見ていなければ、気付かない事も多々ある。
過去、偉大な成果を上げた研究者は、机上の研究だけに専念していた訳ではない。
理論と実践の2つが揃って、初めて一人前の研究者である――等と言う、尤もらしい論に惑わされ、
今日も犠牲者が増えて行くのだ。

195 :創る名無しに見る名無し:2015/02/10(火) 19:42:25.48 ID:qxBIZJDZ.net
不死身のパラディーン


殆どが親から貰った体を捨てているC級禁呪研究者の中で、珍しく元の体で働く研究者が居る。
その名はパラディーン・ランポールス――通称「不死身のパラディーン」。
優れた魔法資質を持つ防御魔法の研究者で、魔法耐久試験の『被検体<サブジェクト>』として、
日々即死級の魔法を浴びせられている。
彼を傷付けられる魔法を作る事が、一部の研究者の目標でもある。
逆に、パラディーンにとっては傷付かない事が、自らの防御魔法の有用さの証明。
今の所、誰もパラディーンに重傷を負わせるには至っていない。
彼曰く、「人を殺す方法は限られている」、「肉体を損壊させるか、精神を破壊するか、
この2つしか無いので、対処は容易い」と。
パラディーンは研究者だが、自身が開発した魔法は少ない。
大抵の攻撃は、既存の魔法の組み合わせで防げる為だ。
中でも、究極の防御魔法『停止領域』の存在が、完全な防御を実現している。
この魔法は限定された領域内の時間を停止させる物である。
時間が停止した空間は、あらゆる変化を受け付けない。
領域は完全な剛体と化し、熱も衝撃も表面を伝って逃れる。
その性質から、D級禁断共通魔法に分類される。
パラディーンはC級禁呪研究者であり、D級禁断共通魔法に関しては専門外なのだが、
D級禁呪研究者のリャド・クライグ博士より、これの試用を持ち掛けられてから、実用に関しては、
開発者のリャド博士を差し置いて、最高の使い手になっている。

196 :創る名無しに見る名無し:2015/02/10(火) 19:43:39.90 ID:qxBIZJDZ.net
今日も今日とて、パラディーンの防御魔法を打ち破ろうと、同輩が実験を持ち掛けてくる。

 「今度こそ観念して貰うぞ、パラディーン。
  親から貰った体とも、お別れだぁ!
  早く俺達と同じ、本物の『不死身<インヴァルナーラビリティ>』になろうぜ!」

同輩の肌は爬虫類の様な鱗に覆われ、その額には鋭い一本角が生えている。
現在、C級禁呪研究者で真面な人間の体を保っているのは、パラディーンのみ。
負の感情を隠しもせずに、自分達と同じ目に遭わせてやろうと、同輩は勝負を持ち掛ける。
個人的な因縁ではなく、正式な実験の申請なので、パラディーンは断る術を持たない。
彼は溜め息を吐いて応じる。

 「好い加減、その台詞も聞き飽きた。
  そろそろ口先だけじゃない事を証明してくれ」

 「言ったな、この野郎!
  今度の今度こそ、絶対だからな!」

 「はいはい」

だからと言って、悲観的になる事も、憎しみを抱く事も無い。

 「あ、これ実験の仕様書。
  宜しく」

 「あいよ」

これが禁呪研究者達の日常なのだ。

197 :創る名無しに見る名無し:2015/02/10(火) 19:55:27.84 ID:qxBIZJDZ.net
今回、同輩が試験するのは、2つの魔法。
一つは、「連鎖式乗算展開型圧縮魔法」。
連鎖とは、魔法の発動で新しい魔法陣を描いて、更に魔法を発動させる魔法。
乗算展開とは、乗数計算で次々と魔法が発動する物を言う。
これによって、効果時間の延長と、効果自体の増大が期待出来る。
11乗展開、総計2050連続発動、効果時間は約200極、最大圧力は262万AP(※)。
詰まり、1点の間、徐々に圧力を高めながら、外力によって範囲内を圧縮し続ける魔法である。
もう一つは、「連鎖式乗算展開型真空閉鎖加熱魔法」。
基本的には上記の魔法と同じで、圧力の代わりに熱を加える。
それだけでは熱が空気を伝って外に逃げてしまうので、真空魔法で断熱。
こちらは31乗展開、総計285連続発動、効果時間は約4000極、最大温度はA12万。
どちらも、生身の人間が到底耐えられる魔法ではない。
魔法性能実験と言う名目上、魔法を発動前に封じる事は出来ない。
発動した後の状態から、耐え切るなり、破るなりしなくてはならない。
どうして態々生身の人間が、こんな物を受けるのかと言うと、魔法の発動は自分を対象にした方が、
余計な干渉を受け難く、最も効果が高い為だ。


※:圧力の単位で、1AP≒標準気圧。

198 :創る名無しに見る名無し:2015/02/11(水) 17:30:28.39 ID:XcsmCfi4.net
C棟の外に建てられた、掘っ立て小屋の様な外観の、不動鉄製の頑丈な実験室の中で、
魔法の試用は行われる。
パラディーンも含めて、中に居るのは計10人。
実験の主任が1人、観測者が3人、魔法実行者が1人、補助制御者が5人。
パラディーンの同輩は、魔法の実行者である。

 「フハハハ、良くぞ逃げずに来たな!
  その度胸は褒めてやろう!」

異様なテンションで、同輩はパラディーンを指して言う。

 「いや、仕事だから……」

パラディーンが呆れて返すと、主任も彼の肩を持つ。

 「馬鹿やってないで、試験に移るぞ」

所が、同輩は全く応えていない。

 「そんな顔してられるのも、今の内だからなぁ……!
  グヘヘヘヘ……」

これは精神強化の影響だ。
精神を保護する為に、他の事が目に入らない様になっている。
実験失敗事故でトラウマを抱えてしまった者は、大体こうなってしまう。
主任もパラディーンも、彼の状態に就いては承知しているので、早々に言咎めるのは諦めた。

199 :創る名無しに見る名無し:2015/02/11(水) 17:32:05.74 ID:XcsmCfi4.net
パラディーンは約4身の距離を置いて同輩と相対する。
更に2人を取り囲む様に、補助制御者が配置される。
彼等は魔法の暴発を防ぎ、場合によっては実験を中止させる為に居る。
だが、それにしても余りに近過ぎる。
調整に失敗すれば、全員死亡までとは行かなくとも、重症は免れない。
それなのに、何故十分な距離を取らないのかと言うと、やはり威力を高める為だ。

 「仕様書は読んで来たかぁ?
  先ずは『連鎖式乗算展開型圧縮魔法』だ」

 「ああ」

 「この環境だと展開率は94%、予定出力は80%前後。
  どうだ、防げそうか?」

 「知らん。
  多分、大丈夫なんじゃないか?」

 「ククク、透かした野郎だぜ!
  だが、それも今日までだ!
  危(や)ばいと思ったら、早目に言えよぉ?
  死なない程度に痛め付けた所で、止めてやるからな!」

滔々と前口上を述べる同輩に、主任は苛付いた声で命じる。

 「さっさと始めろ」

 「良っしゃー!!
  死にさらせェー!!」

それに押される様に、同輩は呪文を描き唱え始めた。

200 :創る名無しに見る名無し:2015/02/11(水) 17:35:34.79 ID:XcsmCfi4.net
肉体と精神を強化した呪文完成速度は、常人より断然早い。
10極と掛からず、複雑な魔法陣を完成させて、魔法を発動させる。
同時に、パラディーンに強い圧力が掛かる。
全体から均等に圧力が掛かり、直立姿勢から殆ど動く事が出来ない。
この状態から描文を行う事は容易でない。

 「縮んで潰れろォ!!」

同輩が邪悪な笑みを浮かべると、パラディーンは発動詩を唱える。
彼は圧力を掛けられる前に、『仕込み』を済ませていた。

 「K56M17!!」

その一言で、パラディーンを黒い鏡の様なドームが包み込む。
これが「停止領域」の魔法。
ドームの内部にある全ての物は、完全に運動を止めている。
しかし、ドームを外から押し潰さんとする圧縮魔法は止まらない。

 「空間諸共、潰けちまえェ!」

同輩は呪文を唱えていないが、圧力は勝手に増大し続ける。
これが乗算展開型魔法の恐ろしさ。
魔力供給が絶えるまで、魔法は自動的に継続される。
同輩は魔力のコントロールさえしていれば良い。

201 :創る名無しに見る名無し:2015/02/12(木) 19:26:26.26 ID:robz6HPZ.net
圧力が増して行くに連れて、黒いミラー・ドームに変化が現れる。
行き場を失ったエネルギーが熱に変換されるのだ。
熱放射によって、ドームは鏡の性質を失い、赤、黄、白、青へと、眩く変色し発光して行く。
人体に有害な光線がドームから発せられているにも拘らず、誰も退避も防御もしない。
ローブや手袋、長靴と言った、身に着けている物には、防護処理が施されているが、
肝心の顔面は素の儘。
常人なら顔は焼け爛れ、目は失明している。
……その通り、実験室に居合わせた全員、肌は黒く焼け焦げ、目は白濁化して行く。
だが、誰も怯みもせず、魔法が中断される様子は無く、実験は継続される。
同輩と補助制御者は魔力を正確にコントロールし、観測者は計器を見ながらデータを取り、
主任は実験の様子を見守る。
丸で命無き、機械の様。
実験開始から約1点、漸く魔法は展開しなくなり、激しい発光も徐々に収まって行く。
黒いドームは、全く変形せずに、完全な状態で残っていた。
補助制御者が真っ黒な顔の儘で、魔法陣の完成を急ぐ。
空間の冷却と、有害な放射線の放出を抑える物だ。
完全に室内の状態が安全になってから、全員黒くなった顔の皮を剥いだ。
仮面の様に、黒くなった表皮が取れ、その下からは元の顔が出て来る。
皆々揃って、深い溜め息。
誰も彼も当然の様に、実験に不便な人間の体は捨てているのだ。

202 :創る名無しに見る名無し:2015/02/12(木) 19:28:46.01 ID:robz6HPZ.net
同輩は停止魔法発動後から、何ら変わらぬドームを見て、悪態を吐く。

 「はぁ、駄目か……。
  忌々しい程に頑丈だな」

彼はドームに近付き、部屋のドアを叩く様にして、中のパラディーンに訴える。

 「実験は終わったぞ。
  お前の勝ちだ。
  出て来い、この野郎!」

その声に応える様に、ドームは薄れて解除された。

 「どうやら、終わった様だな」

静止していたのは、中のパラディーンも同じ。
彼にとっては、実験は一瞬だった。
同輩は顔を顰めて、質問する。

 「理論的には、停止させる力を上回る外力が掛かれば、破壊出来るんじゃないのか?
  範囲内の運動を停止させているだけなんだろう?」

 「その辺の理屈は、リャド博士に聞いてくれな。
  D級禁断共通魔法には不明な点が多い。
  だからこそ、こうして実験している。
  取り敢えず、200万AP程度では、中身も何とも無い事は確かだ」

パラディーンは魔法資質が高く、魔法の扱いも上手いが、本職は防御魔法の開発で、
D級禁呪に詳しい訳ではない。

203 :創る名無しに見る名無し:2015/02/12(木) 19:30:31.76 ID:robz6HPZ.net
パラディーンは大きく溜め息を吐いた。

 「しかし、訳の解らない物を、訳も解らない儘、使い続けるのは、何とも気味が悪い……。
  どうなるかも分からんのだから、不安にもなる。
  応用すれば、面白い物が出来そうではあるんだが……」

同輩は目を輝かせる。

 「じゃあ、精神改造だけでも受けようぜ!
  そしたら、詰まらない事で悩まなくても良い様になる」

 「嫌だよ。
  頭の螺子が飛んだみたいになるのは……」

パラディーンが明から様に嫌な顔をすると、同輩は忍び笑った。

 「生身でC級禁呪の実験台になるのも、相当だぜ?」

 「俺は未だ理性的な積もりだ」

強い調子でパラディーンは断言する。
傍から見れば五十歩百歩。
改造を受けようが、受けまいが、異常な物は異常だ。

 「私語は慎め!!
  パラディーン、早く精密検査を受けろ!
  それが終わったら、次の試験だ!」

2人に向かって、主任の怒号が飛ぶ。
こうしてC級禁呪研究者達の一日が過ぎて行く。

204 :創る名無しに見る名無し:2015/02/12(木) 19:35:59.25 ID:robz6HPZ.net
「不死身、不死身と言われちゃいるが、こんなのは偶然なんだ。停止領域の魔法を、
 リャド博士が開発してなけりゃ、今頃どうなってたか分からない」

「じゃあ、明日にでも改造手術を受けようぜ!」

「嫌だっての! 何が、「じゃあ」だ! 事故で大怪我したら、否応無く改造させられると言うか、
 やらなきゃ死ぬんだから、そりゃ受けるけどな、そうでもなけりゃ改造なんて絶対に断る!」

「何が嫌なんだよ」

「体を弄られて、何とも思わない方が、どうかしてる」

「改造した体は便利だぜ。歯が何本折れても生え変わる。切り傷、擦り傷でも直ぐ塞がる。
 寒くても霜焼けしないし、火傷の再生も早い。夜目は利くし、頭は冴えるし、勘も鋭くなる。
 ストレスで体調が悪くなったりもしない。新しい世界の扉が開くぜ! 本気で世界が変わるんだ!
 生まれ変わる! 欠点は……見た目が少し人間離れする位かな」

「俺は未だ人間辞めたくないから」

「傷付くなァ……。俺は人間じゃないってか?」

「手前だって、真面な人間だとは思ってない癖に」

「ああ、そうだよ。一つ上の男になった感じだ」

「改造前が惜しくならないのか?」

「全然。懐かしむ事はあっても、戻りたいとは思わない。幼年期みたいな物だな」

「それも精神改造の所為とは考えないのか……」

「分からないな。そうかも知れない。でも、後悔してないから、良いんだ。別に」

(どう考えても、額に角を生やす必要は無かったと思うんだよなぁ……。趣味なのか?)

205 :創る名無しに見る名無し:2015/02/13(金) 20:05:27.67 ID:JxvzaSH8.net
混沌を渡る


異空デーモテール 混沌の海にて


サティ・クゥワーヴァは大世界マクナクを目指して、マクナクの伯爵バニェスの半身と共に、
エティーのフローの果てから混沌の海へと飛び込んだ。
混沌の海は有であり無であり、陸であり海であり空であり、無機質ながら有機質で、広くて狭く、
温かくて涼しく、暑くて寒く、暗くて明るく、喧騒ながら静寂で、とにかく不安定な所である。
その異様さに、サティは困惑した。
遥か遠くまで見渡せるのに、振り返っても既にエティーは無く、周囲は不規則に揺れ動く。
丸で、撹拌されている濁水の中に、放り込まれた様。
現在位置を見失った彼女は、俄かに不安に襲われる。
それを察して、バニェスの半身はサティに語り掛けた。

 「これが混沌の海だ。
  先ずは結界を張れ」

バニェスの指示通り、サティは結界を張る。
彼女を襲っていた不安も、多少和らいだ。
バニェスは感嘆の息を吐く。

 「流石に、この程度は出来るな。
  これで暫くは、混沌の侵食を防げるだろう」

しかし、それだけでは何の解決にもならない。

 「マクナクは、どの方角?」

サティが尋ねると、バニェスは声を抑えて笑った。

206 :創る名無しに見る名無し:2015/02/13(金) 20:07:22.43 ID:JxvzaSH8.net
 「『混沌の海<カオス・ワイルド>』を低次元の空間と勘違いしている様だな。
  エティーの常識は捨てろ、サティ・クゥワーヴァ。
  ここに距離や方角の概念は無い」

混沌の海は世界が誕生する以前の姿。
あらゆる物ばかりか、法則までもが定まる以前の儘。

 「では、どうやってマクナクへ?」

サティが疑問を呈すと、バニェスは得意気に答える。

 「道を創るのだ」

 「……どうやって?」

何も知らないサティを小馬鹿にする様に、バニェスは尋ね返す。

 「何の為の知性と能力だ?」

その挑発的な物言いに、サティは反発した。

 「ああ、その為の共通魔法……」

聡い彼女は、早速共通魔法で道を創る。
異空を満たす混沌の海は、魔力の根源その物。
能力のある者だけが、そこに世界を創れる。
道を創るのも、同じ事……。
サティは描文で、混沌に狭い地面を敷き、そこに着地する。

207 :創る名無しに見る名無し:2015/02/13(金) 20:10:09.41 ID:JxvzaSH8.net
だが、問題は何ら解決していない。
混沌に道を創る事は出来ても……、

 「――それで、マクナクの方角は?」

行く先が分からないのでは、どこにも道を繋げられない。
バニェスは呆れる。

 「混沌の海は、どこでもあり、どこでもない場所だ。
  遠くも近くも無く、故に、エティーにもマクナクにも、遠くもなければ、近くもない」

今一つ理解が及ばず、サティは小首を傾げる。
永遠に落下している様で、上昇している様でもある、奇妙な感覚に不快な物を感じながら。

 「詰まり?」

 「教えを請うならば、それなりの態度があるだろう」

バニェスは強気に出る。
この儘では、サティはマクナクに向かう所か、エティーに帰る事すら出来ない。
歯噛みするサティを、バニェスは揶揄う。

 「何時までも混沌の海を漂っていたいなら、構わないが……。
  自らの居場所を見失えば、忽ち混沌に回帰するぞ?
  それが『混沌の海』」

 「教えては頂けませんか、バニェス伯爵」

 「未だ謙り方が足りんな」

 「……どうか、この私めに御教授下さい、バニェス大伯爵」

 「フフフ、良いだろう」

悔しさを滲ませるサティに、バニェスは大いに満足気な様子だった。

208 :創る名無しに見る名無し:2015/02/14(土) 17:33:49.03 ID:uS37SzNv.net
バニェスは勿体付けつつ、語り出す。

 「想像力は知性だ。
  知性の無い物に、想像は出来ない。
  荒唐無稽でも構わぬ。
  確固たる想像を具現化する事で、世界は創造される。
  故に、如何に能力があろうと、知性の無い物は貴族になれぬ」

早く本題に入って欲しいサティは、詰まらなそうな顔をして、不満を表した。
そんな彼女をバニェスは言い腐す。

 「やはり貴様はエティーの存在で、法に縛られた創造物なのだな。
  ここには時間も存在しない。
  焦る必要も、急ぐ必要も無いと言うのに、そうして答を急ぐ」

バニェスの言う通り、混沌の海に定まった時間の流れは無い。
止まっている、動いているではなく、時間の概念が意味を成さないのだ。
しかし、そう言われた所で、素直に受け取れるサティではない。
言葉の意味は理解出来ても、実感して消化するまでは、簡単に納得出来ない物。
険しい表情のサティに、バニェスは態度を軟化させた。

 「成る程、貴様は創造主の器ではないのだから、当然か……。
  聞かぬ説教を聞かせても、仕様が無い。
  私は寛大な心でマクナクへの行き方を教えてやろう」

一々嫌味を言う必要があるのかと、サティは一層不快になるが、聞き流して堪えた。

209 :創る名無しに見る名無し:2015/02/14(土) 17:36:16.01 ID:uS37SzNv.net
 「先も言ったが、道を拓くに必要な物は、能力と想像力だ。
  混沌には時間も距離も方角も無い。
  その混沌を漂う世界を渡るには、『世界の方を』引き寄せねばならぬ。
  マクナクを思い描くのだ。
  正確に、そこに在る物を、そこに在るとして」

無理を言うなと、サティは眉を顰める。

 「私はマクナクを知らないけれど……?」

 「そうだな。
  しかし、全く無理な訳ではないぞ。
  貴様は既に『私<バニェス>』と言う、マクナクの物を知っている。
  私と同じ気配を辿れば良いのだ。
  尤も、能力が低い程、そして、情報が少ない程、辿り着くのは困難になる。
  貴様が無限の混沌の海から、マクナクを探し当てる確率は、マクナクが突然滅亡する確率より、
  更に低いだろう」

好い加減、バニェスの態度に嫌気が差して来たサティは、立腹して外方を向く。

 「どこまで本気なの?
  これ以上、詰まらない話に付き合わせるなら、私はエティーに帰らせて貰う」

バニェスの言う通り、サティがエティーを思い浮かべて探査魔法を唱えると、近くに反応が現れて、
フローの端が見える様になる。
バニェスは笑って引き止めた。

 「ハハハ、そう不機嫌にならないでくれ。
  少々戯れが過ぎたな。
  悪気は無いのだ」

価値観の相違である。
サティは協力して貰うなら、それなりの姿勢が必要だと思っている。
一方バニェスは、協力して貰う事と、先の話は無関係だと思っている。
そもそも本来の能力はバニェスが上なので、エティーの外でサティに礼を尽くす必要を感じていない。

210 :創る名無しに見る名無し:2015/02/14(土) 17:39:11.86 ID:uS37SzNv.net
バニェスは変わらず楽し気な調子で、サティに言う。

 「心配は無用だ。
  私が案内しよう。
  その為に付いているのだからな」

「余計な事をせずに最初から案内しろ」と思ったサティは、抗議の意味で冷めた視線を送ったが、
バニェスには全く応えていなかったので、以後は構わない事にした。

 「思念を受け取れ」

バニェスはサティに大世界マクナクのイメージを送る。
強大なマクナク公爵の圧力、黒い土、赤い空、訳の解らない紫色をした植物の様な物が地上に茂り、
顔の無い単色の奇怪な動物が跋扈する。

 (気持ち悪!)

異質な世界に、サティは驚くと同時に拒絶の感情が働いた。
見た目の不快さだけでなく、精神を侵蝕される様な異物感がある。

 「少々刺激が強かったかな?
  概容はエティーと然程変わらないと思うのだが……」

バニェスはサティの反応が意外だった様子で、少々戸惑う。

211 :創る名無しに見る名無し:2015/02/15(日) 19:07:38.57 ID:itz9yLsY.net
サティとしてはバニェスの反応が意外で、思わず尋ねる。

 「どこが?」

 「天地があり、同じ様な形を持つ知性体と、自由意志を持つ生命と、何か小さい物が、
  地に溢れているだろう」

 「他の世界には天地も無いと?」

 「ああ。
  そんな事より、マクナクに向かうのではなかったのか?
  急かした癖に、悠長ではないか……」

不満そうにバニェスが零すので、サティは咳払いして話を戻した。

 「このイメージを頼りに、探知すれば良い?」

そう言いながら、彼女は魔法を唱える。
所が、反応は全く無い。

 「掛からないけれど……」

どう言う事かと、サティがバニェスの半身を見ると、呆れた声が返って来た。

 「私が妨害しているからな」

 「巫山戯ているの?」

 「落ち着いて、私の話を聞け」

サティが苛立ちを露にすると、バニェスは彼女を窘める。

212 :創る名無しに見る名無し:2015/02/15(日) 19:10:10.24 ID:itz9yLsY.net
バニェスは別に意地悪をした訳ではないのだ。

 「エティーを案じるならば、大世界マクナクを近くに喚ぶな。
  強大な世界は弱小世界に多大な影響を及ぼす。
  可能な限りマクナクを遠くにイメージし、エティーから距離を置くのだ」

 「あ……はい」

バニェスはエティーの事を考えていたのだと、サティは恥じ入った気持ちになる。
それとは別に、「早く言え」とも思ったが、先走ったのは自分なので、胸の中に押し込めた。

 「移動の手間は掛かるが、その位は許容しろ」

 「ええ」

サティは頷くと、星の彼方をマクナクのイメージと重ねた。
マクナク公爵の強大な力を思い浮かべながら、それが星明りの如く、辛うじて自分に届く様に。
やがて目では確認出来ない程、遠くにマクナクの存在が感じられる様になる。

 「……遠いな」

 「何か問題でも?」

一言呟いたバニェスに、サティは食って掛かった。

 「いや、小器用だと思って。
  私より遙かに劣る分際でありながら」

 「褒めているの?」

 「少なくとも腐してはいない」

サティとバニェスは漸く大世界マクナクへと向かう。

213 :創る名無しに見る名無し:2015/02/15(日) 19:12:27.63 ID:itz9yLsY.net
混沌の海には時間が無いのだが、距離を設定した事で、時間の概念が生まれる。
マクナクは余りに遠く、道を創らなければ先に進めないのだが、一々道を創っていては、
時間が掛かり過ぎる。
基本不老不死の異空の生命でも、何も無い長距離移動は退屈だ。

 「もう少し早く移動出来ないのか?」

バニェスはサティに注文を付けた。

 「時間の概念は無いのだから、焦る必要は無い筈。
  自分で言った事なのに。
  ……まあ、手間が掛からないに越した事は、無いとは思うけれど。
  何か良い案でも?」

素っ気無いサティの問い掛けに、バニェスは答える。

 「『箱舟形態<アーク・フォーム>』だ」

 「『箱舟<アーク>』?」

 「私と戦った時の事を憶えているか?」

 「ええ」

 「当然だな、忘れて貰っては困る。
  私がエティーに来た時に見せた、黒い球体。
  あれが私の箱舟形態」

サティは道を創って進みながら、バニェスの話を聞いていた。

214 :創る名無しに見る名無し:2015/02/15(日) 19:16:00.89 ID:itz9yLsY.net
 「箱舟形態は、混沌の海を渡る為の物だ。
  侯爵級以上の貴族は、大抵独自の箱舟形態を持つ」

サティはバニェスとの戦いを思い返す。
巨大な黒い球体、疑似餌の様な人形の像、強固な結界、無数の触腕が生える、
内部と外部で歪んだ空間……。

 「私にも箱舟形態を持てと?」

 「正是(まさしく)。
  今後、エティーの外で活動する機会があると思うなら、持っていて損にはならない。
  貴様になら、出来るだろう。
  無理だと言うなら、何か退屈を凌げる芸でも見せてくれ」

態々バニェスの為に、暇潰しを考えるのも面倒なので、サティは早速箱舟形態を試す事にした。
イメージ自体は既にある。
バーティ侯爵の箱舟形態に挑んだ時の様な、鋭い錐状。
空を裂く流線型。
――混沌の海にある魔力は無限。
鎧を纏う様に結界を張り、自分を中心とした世界を形成するのだ。
更に、外部と内部で時間の流れを変え、体感時間を短縮する。
それはエティーとは異なる法の世界で、活動する為には、必ず必要な技術。
或いは、バニェスはサティが平和なエティーで退屈していると、見抜いていたのかも知れない。

215 :創る名無しに見る名無し:2015/02/15(日) 19:23:01.81 ID:itz9yLsY.net
サティは魔力を集める魔法陣の描文を始めた。
そして、虫が繭を張る様に、人間体を内部に仕舞い込む感覚を得る。
結界を人体で言う皮膚や骨に当て、目に相当する魔力感知器官を設置する。
サティの箱舟形態は、緑色の紡錘(つむ)の様だった。
バニェスの半身はサティの人間体と共に、箱舟の内部に格納される。

 「思ったより小さくなったな」

 「無駄に大きい物は好かない」

意外そうに零すバニェスに対し、サティは無愛想に明言する。

 「箱舟の大きさは、即ち能力の大きさ。
  もう幾らか、大きく出来るのではないか?」

 「自分を大きく見せる事に拘りは無い」

 「こんな形(なり)では侮られるが……。
  それでも良いなら、何も言うまい」

 「黙っていてくれると助かる」

箱舟形態のサティは冷淡に言い放つと、尖った方を前にして発進した。
マクナク公爵の圧力が強くなる方に向かって、真っ直ぐ、真っ直ぐ。

216 :創る名無しに見る名無し:2015/02/16(月) 19:31:02.46 ID:kxGoxu+v.net
神聖魔法教書 降臨の章


見よ、大空を東の果てから西の果てまで、一文字に切り裂いて現れる物を!
見よ、空の裂け目から覗く、太陽よりも遙かに巨大で、眩く、そして美しい金色の瞳を!
あれが神!
この宇宙と我々を創造し、その存在を許し給うた物!
我々には彼の全貌を捉える事すら適わない!
ああ、永久の無に還れ、邪悪なる物よ!
憐れ、最早命運は尽きたり!
神の一睨で、不法者共は完全に滅せらる!
おお、神の神聖なる!
如何な勇者も力及ばず倒れた、絶大な邪悪が瞬きで潰えたり!
おお、神の偉大なる!
仰ぎ見しば、膝を折り、平伏せずには居られない!
恥じよ!
神に愛され、許されながら、罪深く欲深き、惨めで浅ましい己の姿を!
邪悪な心根を持つ者は、不法者と何ら変わらぬ!
汝は不法者か否か?!

217 :創る名無しに見る名無し:2015/02/16(月) 19:33:58.09 ID:kxGoxu+v.net
旧暦の神聖魔法使いの記録を調べると、時々神が降臨している事が判る。
神は世界の危機に、聖君の呼び掛けに応じて降臨する。
大抵は国を沈める様な、強大で恐ろしい「悪魔」を退治する為だ。
神が悪魔を退治する方法には、大別して5種ある事が確認出来る。
一は「追放」、一は「幽閉」、一は「無力化」、一は「消滅」、一は「完全な消滅」。
原文では「追放」、「幽閉」、「存在の改変」、「存在の消滅」、「完全な消滅」。
「追放」は世界から追放する事で、最も軽い神罰とされる。
「幽閉」は別世界に完全に閉じ込める事で、2番目に軽い神罰。
「無力化」は能力を奪う事で、程度によっては、それだけに留まらず、人間や動物にもする。
「消滅」は殺害する事だが、単に殺すのではなく、塵や魂も残さず、転生さえ許さない、
2番目に重い神罰。
「完全な消滅」は歴史からも抹消する事で、最も重い神罰。
「消滅」までなら(偽物でない限り)聖君でも出来るが、「完全な消滅」のみは、
神でなければ出来なかった。
基本的に、強大な悪魔に対しては、与える神罰も重い。
旧暦の裁判では、同じ罪でも当人の地位に応じて、より重い刑罰を科す傾向があったが、
それと関係があるのではと、推測する意見もある。
……これ程の能力を持つ物が、魔法大戦に現れなかった理由は、不明である。
伝説上の存在で、実在していなかったと考えるのが普通だ。
共通魔法使いで神と相対した物は、未だ現れない。

218 :創る名無しに見る名無し:2015/02/16(月) 19:36:41.01 ID:kxGoxu+v.net
神は争い事を厭う。
特に、人間同士の争いを。
神聖魔法使いは、神の意に従って、民の祈り子化を進めた。
それは人を疑わず、人を欺かず、唯々そこにある物を信じる、白痴化だ。
祈り子は支配者に都合好く、善にも悪にも染まる。
多くの外道魔法使いは、神聖魔法使いに代わって、自らが支配者となろうとした。
旧暦の歴史は、神聖魔法使いと外道魔法使いの、支配権を巡る戦いの連続と言っても良い。
共通魔法使いは、これに反発して、魔法大戦を起こす決意をした。
人は支配される物でも、人を支配する物でもないと言うのが、旧暦の共通魔法使い、
そして現在の魔導師会の主張である。
だが、果たして今の世界は、魔導師会が主張する通りになっているだろうか?
対等な立場の者が、互いに反する主義を持てば、そこには対立が生じる。
小さな対立が積み重なれば、大きな歪みになる。
世界の安定の為には、誰もが納得して、価値観を共有しなければならない。
必要な物は共感と妥協だ。
理解する事と受け容れる事を区別し、取捨選択しなければならない。
しかし、どこまでが正解なのか、それは誰にも分からない。

219 :創る名無しに見る名無し:2015/02/17(火) 19:31:41.91 ID:ziaTzUs/.net
童話「運命の子」シリーズA 奇跡の者


『盗賊退治<マローダーズバスター>』編


クローテルは王様の命令で、これまでどおりナクト男しゃくの元で暮らすことになりましたが、
ナクト男しゃくはクローテルを気味悪がり、うとみました。
死なせるつもりで、戦争に行かせたはずが、生きて帰ったばかりでなく、
相手国の王様を降ふくさせてしまったのです。
クローテルのあつかいに困ったナクト男しゃくは、かれを一たん生まれ故郷に帰すことにしました。

 「クローテルよ、たまにはアルス家にもどってみないか?」

 「なぜですか?」

本気で分からない様子のクローテルに、ナクト男しゃくは頭をかかえます。

 「ひまをやるから、実の親に立派になった姿を見せてやれ。
  親というものは、いつまでも子を案じておるのだ」

クローテルは訳も分からないまま、ナクト男しゃくに言われたとおり、アルス家に帰ることにしました。

220 :創る名無しに見る名無し:2015/02/17(火) 19:34:56.95 ID:ziaTzUs/.net
馬車にゆられて、クローテルは遠い生まれ故郷にもどります。
ところが馬車の窓から見える景色は、かれが知っているものではありませんでした。
家はこわされ、畑はあらされ、領地の人びとは、だれもうつむいて暗い顔をしていました。
お屋しきに着いても、出むかえる人はおろか、使用人のひとりも見当たりません。
そのお屋しきもぼろぼろにあらされていました。
クローテルは道行く男をつかまえて、何があったのか、たずねました。

 「これは一体どうしたことですか?」

 「おとつい、とうぞく団が現れたのです。
  領主様は勇かんに戦われましたが、お亡くなりになってしまいました。
  守りを失った今、わたしたちはとうぞく団におびえる日々を過ごしています。
  間もなく、となりの領主様が兵を派けんしてくださいます。
  それまでのしんぼうです」

かれの話を聞いたクローテルは、きしの務めを果たそうとします。

 「わたしはきしです。
  とうぞく団を退治しましょう」

男はおどろいてクローテルにたずねました。

 「あなたはとなりの領主様がつかわされた、兵隊の方ですか?」

 「いいえ、ちがいます」

 「まさか、おひとりでとうぞく団に立ち向かわれると?」

 「はい」

とても信じられないと、男は首を横にふりました。

221 :創る名無しに見る名無し:2015/02/17(火) 19:39:11.60 ID:ziaTzUs/.net
かれはクローテルに忠告します。

 「きし様、無ぼうなことは、おやめください。
  とうぞく団の規模は、領主様が兵を率いて戦っても、敵わなかったほどです。
  とても、おひとりで戦える相手ではありません」

 「では、あなた方は再びとうぞく団におそわれても、だまってたえしのぶというのですか?」

 「それはしょうがないことです」

つらそうな男に、クローテルは身分を明かしました。

 「わたしはアルス家で生まれました。
  きしとして、父のかたきをうち、人びとを守らなければなりません」

はっとして、男は顔を上げます。

 「白いかみ、白い目……も、もしや、あなたはクローテル様!
  何というめぐり合わせでしょう。
  このような悲劇があって良いものでしょうか……。
  いえ、これも神様のお導きなのかもしれません。
  クローテル様、わたしと共に教会へお越しください。
  お屋しきを追われた元使用人が、あなた様のお帰りを待ち望んでいます」

かれの案内でクローテルは領内の教会に向かいました。

222 :創る名無しに見る名無し:2015/02/18(水) 19:16:32.09 ID:+N4PGQnj.net
教会に着いたクローテルたちを出むかえたのは、ランバート先生でした。
ランバート先生は男と話をすると、目を丸くして、クローテルに対して頭を下げます。

 「クローテル様、お久しぶりです。
  大きくなられましたな……。
  ご勇名は聞きおよんでおります。
  よくぞ今までご無事で」

 「ランバート先生こそ。
  事情は聞きました。
  無事で何よりです」

 「では、お父上のことも……」

 「はい。
  残念です」

 「心中お察しいたします。
  とりあえず、中へ。
  積もるお話もありましょう」

ランバート先生は男に代わって、クローテルを教会の中へ案内します。
教会の中には、家を失った人や、傷ついた人が運びこまれていました。
ランバート先生は、教会の長いすで毛布にくるまって横たわっている、おばあさんに声をかけます。

 「ナーニャ殿、クローテル様のお帰りです」

かの女はクローテルのうばでした。
うばは重いまぶたを開けて、クローテルを認めると、起き上がろうとします。

 「おお、クローテル様!
  わたくしは夢でも見ているのでしょうか……。
  公子様がこの地ごくのような所に、お出でになられるはずがございません。
  それとも、ここは本当の地ごく?」

 「これ、無理をしてはなりません」

ランバート先生はうばをおさえて、ねかそうとしましたが、かの女はクローテルの存在を確かめようと、
手をのばして、ていこうします。

223 :創る名無しに見る名無し:2015/02/18(水) 19:20:43.02 ID:+N4PGQnj.net
クローテルはかがみこんで、うばの手を取り、ローレルの首かざりを見せました。

 「わたしは間ちがいなく、アルス家に生まれたクローテルです。
  ただ今もどりました、めのと様」

 「本物のクローテル様……!
  ああ、どうしてこのような所に!
  今すぐ、おもどりください!」

うばはクローテルのうでにしがみついて、必死にうったえます。
クローテルはうばを安心させるために言いました。

 「わたしはきしになりました。
  きしの本分を果たすため、わたしはとうぞく団をうちます。
  めのと様は安心してお休みください」

 「クローテル様……立派になられて……。
  しかし、いけませんよ。
  決して無理はなさりませぬように」

そう言うとうばは、つかれたようにねむってしまいました。
ランバート先生は心配そうな顔で、クローテルに問いかけます。

 「本当に、とうぞく団を退治なさるのですか?」

 「はい」

よどみなく答えるクローテルに、ランバート先生はますます心配になります。

 「そのように、どなたから命令をお受けになったのですか?」

 「いいえ」

 「おひとりで考えなさったことですか?」

 「はい」

ランバート先生は、とたんに険しい顔になります。

224 :創る名無しに見る名無し:2015/02/18(水) 19:24:07.36 ID:+N4PGQnj.net
ランバート先生はクローテルに厳しい言葉を投げかけました。

 「なりません、クローテル様。
  わたくしはクローテル様の並ならぬ才能を存じておりますが、ここは無礼を承知で、
  申し上げさせていただきます。
  おひとりでとうぞく団に立ち向かわれるなど、それはうぬぼれでございます」

クローテルの活やくを知らないランバート先生は、かれを真けんに説得しようとします。
そんなランバート先生に、クローテルはおだやかな声で言いました。

 「だいじょうぶです。
  正しき道には神のご加護があると、わたしは先生に教わりました」

 「それは……」

 「義理の父上もおっしゃっていました。
  正しき道に理あり。
  理ある所に負けは無しと。
  天には天の理、地には地の理、人には人の理、そして戦には戦の理。
  今のわたしには、そのすべてがあります」

ランバート先生はクローテルの白いひとみに、神がかったものを見ていました。

 「わたくしには、クローテル様のおっしゃる理が分かりません……。
  それなのに、クローテル様のおっしゃることが正しいと感じています。
  クローテル様はわたくしには分からないものを、さとっていらっしゃる……。
  わたくしが無知なのでしょうか?
  それとも……」

人知をこえたものを前に、かれの声はふるえていました。

225 :創る名無しに見る名無し:2015/02/18(水) 19:30:44.92 ID:+N4PGQnj.net
クローテルはランバート先生に言います。

 「とうぞく団は増兵される前に、もう一度現れるでしょう」

 「なぜ、そう思われるのですか?」

 「まだ多くの物資が残っているのに、しゅうげき後にてっ退したということは、
  せん領して支配する能力、または勢力が無いということです。
  うばった財産をかくれ家に移した後、まだ無防備な内に、必ず2度目のしゅうげきを行います。
  その時は根こそぎでしょう。
  これ以上の無法を許さないために、こちらから打って出ます」

ランバート先生は絶句しました。
これほどまでにクローテルが、しっかりした考えを持っているとは、思わなかったのです。

 「とうぞく団は西の山にひそんでいます」

 「なぜ、お分かりになるのですか?」

 「この辺りで、かくれ家になりそうな所は他にありません。
  軍団の移動が無いと思って、油断している今が、きしゅうをかける好機です」

 「では、せめて兵士をお連れください。
  数は少ないですが、とうぞく団との戦いで生き残った者たちです。
  当主様に従ったように、クローテル様にも忠義をつくし、お力になるでしょう」

 「いけません。
  わたしととうぞく団が、おたがいに行きちがいにならないとも、限りません。
  ここに残って、みなさんを守る者が必要です。
  わたしはあくまで守るために、せめるのです」

 「それでもひとりは危険です。
  どうか、お連れをお選びください」

 「では、ひとりだけ」

クローテルはランバート先生に説得されて、連れの兵士を手配してもらうことにしました。

226 :創る名無しに見る名無し:2015/02/19(木) 19:07:57.15 ID:9tLIhp4N.net
残った兵士の中で、ディーリトという若者がクローテルと同行することになりました。
西の山へ向かう道中、勇むクローテルにディーリトは後ろから声をかけます。
かれはクローテルが無理をしないように、ランバート先生から足止めを言いつかっていました。

 「クローテル様、待ってください。
  進む足が速すぎます。
  これではとうぞく団のかくれ家に着いても、戦うどころではありません」

ディーリトはつかれたふりをして、クローテルにうったえました。
ところが、クローテルはふり返ると、有無を言わさず、かれを背負いました。

 「急がなくてはなりません。
  とうぞく団が再び動き出す前に、何としても止めなくては」

重い装備のディーリトは、自分を軽がると持ち上げたクローテルにおどろきます。

 「や、やめてください!
  公子様におぶっていただくわけにはまいりません!」

 「しかし、この先でたおれられてもこまります。
  あなたを置いて行く訳にもいきません」

 「で、ですが……」

 「気にしないでください。
  今は言い合いをする時間もおしいのです。
  わたしも気にしません」

クローテルはディーリトをおぶったまま、かけ足で西の山へ向かいます。
その速さは、まるで早馬のようでした。

227 :創る名無しに見る名無し:2015/02/19(木) 19:08:50.93 ID:9tLIhp4N.net
クローテルの予想どおり、西の山のどうくつには、とうぞく団がたむろしていました。
ディーリトは心配そうな顔で、クローテルにたずねます。

 「どうなさるのですか、クローテル様?」

 「正面から乗りこみます。
  えん護してください」

 「無ぼうです!」

ディーリトは青ざめて止めましたが、クローテルは聞いていません。

 「見張りは高所に3人、どうくつの入り口に2人。
  外には他にふく兵はいません」

 「危険です!
  相手は足弓を持っています」

 「足弓なら平気です」

 「そればかりではありません!
  わたしの話を聞いてください!」

ひときわ真けんになったディーリトの声に、クローテルはようやく耳をかたむけました。

228 :創る名無しに見る名無し:2015/02/19(木) 19:10:15.93 ID:9tLIhp4N.net
ディーリトはクローテルにうったえます。

 「本来ならば、とうぞく団ごときに負けるような、我われではありません。
  もちろん、当主様もです。
  やつらの強さにはひみつがあります。
  とうぞく団の頭目は、まけんを持っているのです」

 「まけん?」

 「おそろしい風のまけんです。
  ひとなぎでたつ巻を起こし、あらゆる物を切りさきます」

クローテルはうなずきました。

 「分かりました。
  気をつけます」

ディーリトは目を丸くして、クローテルを引き止めます。

 「わたしの話を聞いていましたか!?」

 「ええ、風のまけんでしょう。
  だいじょうぶです。
  わたしに考えがあります」

クローテルは自信に満ちた様子で、ディーリトに作戦を伝えました。

229 :創る名無しに見る名無し:2015/02/20(金) 19:50:19.40 ID:DyQ7/LwA.net
クローテルは岩かげから飛び出すと、一直線にどうくつへ向かってかけ出します。

 「何者だ!
  止まれ!」

すぐに見張りが気づいて、足弓を構えますが、クローテルは足を止めません。

 「敵しゅう、敵しゅうー!」

見張りは警かいの声を上げて、矢を放ちました。
クローテルは目にもとまらぬ速さで、矢をよけながら、入り口の見張りを切りふせ、
あっと言う間にどうくつの中にとつ入します。

 「やつは何者だ!?」

高所の見張りはひとりを残して、あわてて地上に下りました。
ディーリトは作戦どおり、待ちぶせして、下りてきた見張りをひとりずつたおします。
最後のひとりも、気づかれないように上っていって、つき落としました。

 「早くクローテル様の後をおわなくては……」

他にだれもいないことを確認したディーリトは、ひと息つくと、クローテルをえん護するために、
どうくつにかけこみました。

230 :創る名無しに見る名無し:2015/02/20(金) 19:54:11.97 ID:DyQ7/LwA.net
先にとつ入したクローテルは、げいげきに出てきたとうぞくたちを切りふせながら、
どんどん入り組んだどうくつのおくへと進みます。
とうぞくたちは、どうくつの暗がりの中で、クローテルの白いかみを目印に、わなを使いながら、
遠くからこうげきをかけてきます。
しかし、暗いどうくつの中で、明かりがなくても、クローテルには全部見えていました。
まったくひるまず、かれは前進を続けます。
その時、どうくつの中だというのに、とっ風がふいて、クローテルをはじき飛ばしました。
クローテルが目をこらすと、どうくつのおくから、かがやくけんを持った大男が出てきます。

 「きしゅうとは、なめたまねをしてくれたな!」

かれこそとうぞく団の頭目です。
身構えるクローテルに、とうぞく団の頭目は言いました。

 「きっかいな風ぼうゆえ、どんなやつかと思えば、若ぞうがひとりではないか!
  何とだらしない部下どもだ!」

とうぞく団の頭目が再びけんをふるうと、またもとっ風が起こります。
クローテルは姿勢を低くして、足をふみ張って堪えました。

 「ばかめ!」

とうぞく団の頭目は、さらにけんをふり回します。
風がやいばとなって、クローテルを切りさきました。

 「このまけんがある限り、おれ様は無敵だ!」

何度も切られて、クローテルは血だらけになってしまいます。

231 :創る名無しに見る名無し:2015/02/20(金) 19:57:46.25 ID:DyQ7/LwA.net
それでもなかなかたおれないクローテルに、とうぞく団の頭目は一たん手を止めました。

 「ええい、しぶといやつめ!
  上手く急所をさけているな。
  なるほど、それなりの実力はあるようだ」

クローテルは流れる血をぬぐって、不思議そうに、とうぞく団の頭目に問いかけます。

 「あなたは仲間を傷つけても、何とも思わないのですか?」

まけんが巻き起こした風は、そこにある物を無差別にこうげきします。
頭目がでたらめにまけんをふるうので、周りの部下たちも無事では済みませんでした。

 「敵の心配とは、ずい分と余ゆうだな!
  命がかかっている時に、足手まといに構っていられるか!
  弱いやつが悪いのだ!」

どうぞく団の頭目は、悪びれもせずに言い切りました。
クローテルはけんを収めると、まっすぐとうぞく団の頭目に向かってかけ出します。

 「やけを起こして、死にに来たか!」

頭目はクローテルがよけられないように、十分に引きつけてから、まけんをふり下ろしました。
風のやいばが、クローテルの左うでを深くさいて、おびただしい血が飛び散ります。
風のまけんにもクローテルの血がべったりつきました。

232 :創る名無しに見る名無し:2015/02/21(土) 19:03:51.21 ID:05Wr0aCV.net
ところが、クローテルはひるみもせずに、ばっけん術でとうぞく団の頭目に切りかかります。
頭目はあわてて、まけんでクローテルのけんを受けようとしましたが、
まけんは風を起こすこともなく、クローテルのけんに負けて、折れてしまいました。

 「何っ!?
  ばかな!」

クローテルはとうぞく団の頭目ののど元にけんをつきつけて、言います。

 「降ふくしてください」

頭目は冷やあせをかきながら、たずねました。

 「降ふくしたら、命を助けてくれるのか?」

 「とうぞく団の首かいとして、公に裁きを受けてもらいます」

 「死けいになったら、どうする!」

 「それはしょうがないことです」

クローテルのたんたんと答える様が不気味で、頭目はおそろしくなりました。

 「ふざけるな!
  むざむざ殺されると分かっていて、だれが降ふくするものか!」

とうぞく団の頭目は、まけんを手放すと、こしの大なたをぬいて、ふりかぶります。
しかし、大なたが下ろされるより、クローテルのけんが頭目ののどをつらぬきました。
すかさずクローテルは大声で、その場にいるとうぞくたちに命令します。

 「命がおしい者は、投降しろ!
  にげた者は追いつめて殺す!」

233 :創る名無しに見る名無し:2015/02/21(土) 19:06:43.33 ID:05Wr0aCV.net
頭目がたおされたことで、とうぞくたちは全員降ふくしました。
あまりに人間ばなれしたクローテルがおそろしく、だれひとりとして、にげることはできませんでした。
それからおくれて、ディーリトがとう着します。

 「クローテル様、ご無事ですか!?」

ぼろぼろのディーリトを見て、クローテルは心配しました。

 「そのかっこうは?
  外で何かあったのですか?」

 「何かどころの話ではありません!
  どうくつの中からとっ風がふいて、何度も飛ばされたのです!
  クローテル様こそ、血まみれではありませんか!」

そうディーリトに言われて、クローテルは自分の体の傷を見ます。

 「もう血は止まっています」

血しぶきがまい散ったほどのクローテルの傷は、きれいにふさがっていました。
クローテルの体についた血を、返り血とかんちがいしたディーリトは、安心して大きな息をつきます。

 「とうぞく団の頭目をしとめられたのですね。
  風のまけんは?」

とうぞく団の頭目の死体を見下ろして、ディーリトはたずねました。

 「そこに折れて転がっている物が、そうです」

 「まけんを折ったのですか!?
  そんなことが……」

ディーリトは折れたまけんと、立ちつくすとうぞくたちをながめて、しばらくぼう然としていましたが、
やがて気を取り直して、言います。

 「とにかく、これで領地に平和がもどりました。
  みなが待つ教会に帰りましょう」

クローテルはうなずくと、けんをふって血のりをはらい、さやに収めました。
その様にディーリトは王の器を見た気がしました。

234 :創る名無しに見る名無し:2015/02/21(土) 19:10:12.18 ID:05Wr0aCV.net
クローテルとディーリトは武器を捨てたとうぞくたちを連れて、教会へともどりました。
教会に残っていた兵士たちは、大勢のとうぞくにおどろきました。
クローテルがほりょだと説明すると、ひとりの兵士がとうぞくをなじります。

 「よくもやってくれたな、とうぞくめ!」

とうぞくは縮こまって、許しをこいます。

 「ご容しゃください。
  わたしたちは貧しい農民にすぎません。
  まけんを持った男に、おどされていたのです」

 「見えすいたうそをつくな!」

兵士はとうぞくをけり飛ばして、クローテルにうったえました。

 「ぞくにかける情(なさけ)はありません。
  処けいしましょう。
  こやつらはクローテル様のお父上のかたきです!」

ところが、クローテルはうなずきません。

 「かれらを率いていた頭目は、わたしがたおしました。
  無法に無法をもって報いることは、きし道に反します」

かれのき然とした口ぶりに、兵士たちは言葉を返すことができませんでした。

235 :創る名無しに見る名無し:2015/02/21(土) 19:14:55.29 ID:05Wr0aCV.net
静まり返った中で、クローテルはとうぞくたちを見回すと、体格の良いひとりを選んで、
前に連れ出しました。

 「あなたは農民ではありません。
  よう兵でしょう。
  だれにやとわれたのですか?」

いきなりの問いかけに、兵士からもとうぞくからも、どよめきが起こります。

 「ち、ちがいます!」

かれは必死に否定しましたが、クローテルには通じません。

 「あなたは人殺しの目をしています。
  降ふくしてからも、ずっとすきをうかがっていました。
  それに、体形も貧しい農民の物ではありません」

 「お見あやまりでございます!
  わたくしはかりうどです」

 「この地はきんりょう区で、かりはわなを張るだけです。
  となり合う、どの領地も同じです。
  あなたのような弓を引きしぼるうでを持つ、弓兵のようなかりうどは、ここにはいないのです。
  やとい主の名を言いなさい」

よう兵は観念して、平ふくしました。

 「いつわりを申し上げましたこと、どうかお許しください!
  まけんを持った男にさそわれたのです。
  かれについて行けば、何でも思うがままだと……」

これはゆゆしきことだと、みなまゆをひそめました。
民が無法にはしるのは、王の治世が上手くいっていない証です。
だれもが大きな混乱の予兆を感じていました。

236 :創る名無しに見る名無し:2015/02/22(日) 17:39:49.01 ID:d7/2Hyit.net
クローテルはとうぞくを兵士たちに預けて、教会の中へ入りました。
かれはランバート先生とうばに、とうぞく団を退治したことを報告しようとしましたが、
それはかないませんでした。
うばの周りには人だかりができていました。
ランバート先生はクローテルを見つけると、人をかき分けて、かれをうばの元へ連れて行きました。
うばは長いすの上で毛布をかけられて、安らかにねむっていました。

 「何があったのですか、ランバート先生?」

クローテルがたずねると、ランバート先生は静かに答えました。

 「ナーニャ殿は亡くなられました。
  ご高れいに、こたびの心労が重なって、こたえたのでしょう」

とつ然のことに、クローテルは何と言って良いか、分かりませんでした。
教会の神父がうばの側に立って、とむらいの言葉をかけます。

 「この者は生をまっとうしました。
  その精は父なる天に、その肉は母なる地に、お返しいたします。
  そのたましい、安らかならんことをお祈りください」

みなが顔をふせて、もくとうする中で、クローテルはランバート先生に言いました。

 「とうぞく団は退治しました。
  もう何も心配はありません」

ランバート先生は小さくうなずきます。

 「ありがとうございます。
  お父上もナーニャ殿も、安心してお休みになられることでしょう」

クローテルは立ちつくして、簡易なとむらいのぎ式が行われるのを、見ていました。

237 :創る名無しに見る名無し:2015/02/22(日) 17:42:16.15 ID:d7/2Hyit.net
やがて、となりの領主の兵隊がとう着して、とうぞくたちを連行しました。
それまでクローテルは、ずっと飲まず食わずで、うばがまいそうされたお墓の前で、
立ちぼうけていました。
そこにお屋しきのしつじが、ランバート先生をともなって来て、深ぶかと礼をします。

 「クローテル様、このような時に節度がないことは承知で、折り入ってお願いがございます。
  どうか、アルス家と領主の地位をついではいただけませんか?」

クローテルは返事をしませんでした。
お屋しきのしつじは、あきらめずにうったえます。

 「クローテル様がルーンはくしゃくと、養子えん組をなさったことは存じております。
  行く行くは、ルーンはくしゃく領を引きつがれるのでしょう。
  その権利を放きしてくださいとは、申しません。
  新しい領主様をむかえるまでの間だけで、構いません。
  もちろん、ずっと領主を務めていただけるならば、なお良いですのが……。
  どうか、どうか、我われをお救いすると思って、お引き受けください。
  領主のお仕事に、ご不明な点が無いよう、じん力いたしますので、どうか……」

クローテルはしつじの話をまったく聞いていませんでした。
ランバート先生は、しつじをひかえさせて、クローテルに話しかけます。

 「あれから、ずっとナーニャ殿のお墓を見つめていらっしゃいますね」

 「考えごとをしていました。
  この胸が空っぽになったような感覚は何でしょう……」

クローテルはローレルの首かざりをにぎりしめて言いました。

 「それは『悲しい』という感情です」

ランバート先生が答えると、クローテルは不思議がります。

 「養父であるルーンはくしゃくが目の前でうたれた時も、父上の死を聞かされた時も、
  このようなことはありませんでした」

 「それだけ、クローテル様にとって、ナーニャ殿は大切な方だったのでしょう。
  ナーニャ殿もクローテル様を、愛(いと)し我が子のように想っておりました」

 「そうだったのですか……」

まるで他人事のように、クローテルはつぶやきました。

238 :創る名無しに見る名無し:2015/02/22(日) 17:45:41.41 ID:d7/2Hyit.net
その後、クローテルはアルス家と領地を受けつぐことを決めました。
ナクト男しゃくは、養子えん組はそのままでも、ルーンはくしゃく領を引きつぐ権利だけ放きすれば、
それを認めても良いと言ったので、クローテルはそのとおりにしました。
ナクト男しゃくの進言を受けて、王様もクローテルを新しい領主と認め、子しゃくの地位を与えました。
かつてはクローテルをおそれていた、お屋しきの者たちでしたが、今はちがいます。
正当で強く勇かんな領主として、お屋しきの者たちも領民も、クローテルをかんげいしました。
しつじたちの補さを受け、クローテルは自らもあせして、とうぞく団にあらされた領内を建て直し、
受けついだ領地を善く治めました。

239 :創る名無しに見る名無し:2015/02/23(月) 19:53:45.31 ID:INMRgEyM.net
童話「運命の子」第二章「奇跡の者」盗賊退治編は、第一章から続く、最初の小編である。
内容は第一章と同じく、最後の聖君ジャッジャス・クロトクウォース・アルセアルの逸話を元に、
編集した物。
冒頭ナクト男爵は、「クローテルの扱いに困っている」とあるが、これは第一章終盤からの続きで、
一旦彼を領内から追放した物の、国王の命令で再び預からざるを得なくなった為だ。
ナクト男爵が帰郷を勧めたのは、本人の里心よりも、既に勇士として名を馳せていたクローテルに、
アルス子爵が親心を働かせて、引き取る事を期待していた部分が大きい。
その目論見は結局上手く行かなかったが、結果としては成功した。
ナクト男爵の懸念は終始、養子のクローテルが従弟の自分を差し置いて、
ルーン伯爵領を引き継ぐ事にあった。
クローテルは未だ若く、ルーン伯爵領とアルス子爵領を、同時に管理する政治力を持たない。
そこで、無欲なクローテルに、どちらか一方を選ばせる方策を採ったのである。
時を計ったかの様に、アルス子爵領に盗賊団が侵攻したのは、全くの偶然であり、
ナクト男爵の暗躍ではない。
少なくとも、現段階の当時の資料には、ナクト男爵を疑う文言は無かった。
勿論、ナクト男爵の関与を疑う意見もあるが、以後の話で全く触れられない事から、
本題ではないと見做される。

240 :創る名無しに見る名無し:2015/02/23(月) 19:57:24.93 ID:INMRgEyM.net
クローテルは馬車で故郷に帰っているが、これは数日掛かりと見られる。
当時の馬車は然程速くない上に、ルーン伯爵領はアーク国の東端に在って、
マルセル国との国境に接しているのに対し、アルス伯爵領は西側に位置している為だ。
具体的な距離は不明だが、アークレスタルト法国の推定人口や国力から計算すると、
少なくとも半旅はあると思われる。
当時の情報伝達速度を考慮すれば、クローテルが盗賊団の襲撃を知らなくとも、不自然ではない。
更に、旧暦では領民の移動は制限されている。
領民は領主の許可を得なければ、勝手に余所の領地へ移る事は出来ない。
故に、土地を守る意識が強い。
それでも流石に、盗賊団の侵攻時には避難民が発生していたが、近隣の領主は受け入れなかった。
その代わりに、兵隊を派遣して治安の維持を計っている。
緊急時でも避難民を受け入れないのは、余所者が流入する事による諸問題を避ける、
避難民に紛れる工作員を弾く、民衆を犠牲にして時間を稼ぐ等の意味があるとされる。
この様な事情から、領民、殊に外敵の侵攻を受け易い土地の者は、強い領主を求める傾向にある。
ここで言う「強い」とは、領主の軍事面の手腕である。

241 :創る名無しに見る名無し:2015/02/23(月) 19:59:39.12 ID:INMRgEyM.net
盗賊団襲撃の際、教会は避難所となっていた。
教会を攻める事は、神教国家であるアーク国と全面的に敵対する行為である。
よって、如何に無法な盗賊団とは言え、教会にまで攻め入る事は自殺行為に等しい。
こうした背景から、教会は避難所であると同時に、財産を預かる銀行の役割も持っていた。
教会は集まった財産を保険や投資に運用しており、その権力は相当な物だった事が窺える。
旧暦では、武力蜂起によって領主が交代する事態は、度々起こっている。
武力蜂起は基本的には禁忌ではあるが、国と教会の権威を認め、面子を立たせていれば、
成り代わって統治する事が許される場合も、極稀にだがあった様だ。
しかし、領地を管理する貴族の殆どは、周辺の貴族や教会と繋がりを持っているので、
大抵は一時の支配に成功しても、直ぐに鎮圧されるのが落ちだった。
余程の道義か信念、又は武力が無ければ、武力蜂起は許されない事だった。
作中の盗賊団は、領主に成り代わろうと言う物ではなく、単なる強盗集団である。
偽装した他国の兵隊でもなければ、領主の支配に不満を持った義士でもない。
旧暦当時は、領内でも中々監視や支配が及ばない地域があり、その様な所を転々として、
守備の弱い地域から略奪を繰り返す、流浪の盗賊団が多かった(※)。
それ等は国力を削ぐべく外国から援助を受けた、実質的な工作員だったり、或いは、
職に溢れて食うに困った者や、放逐された犯罪者の集団だったりした。
中には、逃亡した奴隷や農民が、貴族に復讐すべく集まった物もあった様だが、
真っ当な信念を持つ物は少数だった。


※:この様な不法者の集団は、魔法暦でも絶滅した訳ではない。

242 :創る名無しに見る名無し:2015/02/23(月) 20:01:11.08 ID:INMRgEyM.net
クローテルが地理に明るく、戦略的な観点を持っている事に関して、原作に当たる逸話の原文では、
ルーン伯爵から教わった物とされている。
ルーン伯爵はクローテルの能力を高く評価し、「国内と周辺国全ての地理と、その内情、
あらゆる作戦、謀略の知識を授けた」。
そして、「彼が道を誤らぬ様に、道義と道理を諭した」。
旧暦当時に、どれだけの戦略、戦術研究が進んでいたかは定かでないが、逸話通りなら、
戦闘に関する幅広い知識を備えていたのだろう。
盗賊団の頭目を倒すのに用いた抜剣術は、呼吸を読まれない為の物である。
所謂、「居合い抜き」とは似て非なる、旧暦の奇策剣技。
知識と技術に加えて、道義と道理を学んだクローテルは、自己の利害や損得よりも、
騎士の心得を行動の第一の指標としている。
これがルーン伯爵の思惑通りかは知れないが、結果として、彼の教育方針は正しかったと言える。
所が、クローテルは騎士を名乗ってはいるが、前章では騎士見習いの儘である。
伯爵領を継ぐ予定の養子なので、所謂『従騎士<エスクワイア>』とは異なるが、似た様な身分だった。
何時の間に、彼が騎士の称号を得たのか、明確でない。
素直に考えるなら、戦後に戦功者として、騎士の称号を得たのだろう。
軍団に随伴した非戦闘員(特に司祭の娘シスター・ローラ)を無事に帰した功績で、
教会の推薦を受けた可能性が最も高い。
後の話では、教会は既にクローテルに目を付けている。
シスター・ローラは前章で、「司祭の娘」と名乗ったが、平民と口を利く事を禁じられている、
丸で貴族の令嬢の様な司祭の娘は、そうそう居ない。
シスター・ローラの父は位の高い神殿や聖堂の司祭と考えるのが自然だ。
聖職者でありながら、司祭が平民を差別しているなら、教会が腐敗していると言うのも頷ける。
或いは、シスター・ローラの母親が貴族の息女であり、その様に躾けたのかも知れないが……。
貴族階級と聖職者階位は、飽くまで別物であり、身分的にも貴族と平民に上下はあっても、
貴族と聖職者、平民と聖職者に上下は無いとされるが、実質は異なった様だ。

243 :創る名無しに見る名無し:2015/02/23(月) 20:43:07.61 ID:INMRgEyM.net
アーク国(アークレスタルト法国)の教会は、神の代理であり、聖君である統治者の王を頂点に、
教会全体の方針を決定する枢密院と、個々の教会を運営する司祭、司祭を纏める司教があった。
枢密院(政治家の枢密院と区別して「神託枢密院」とも言う)[※]は、王を承認する教皇と、
教皇を補佐する枢機卿から成り、個々の教会への指令や、教会からの陳情は、司教が受け持つ。
教皇が実質的な頂点ではあるが、教皇は枢機卿によって決まり、枢機卿は司教によって決まり、
司教は司祭によって決められる。
枢密院が政治に大きく関与するのに対し、神事や祭事に関わる司教や司祭は、
政治から一定の距離を置かれた。
王を選任する相談や、教会の方針を決定する会合は、名前通り枢密だったのだ。
司祭の下には助祭があり、修道院から教会に入った修道士は、先ず助祭になった。
教会の権力を上から並べると、教皇、枢機卿、司教、司祭、助祭となる。
所謂「神父」とは、司祭や助祭を言う。
しかし、必ずしも、その順序通りではなく、司祭であっても、受け持つ教会や聖堂によっては、
司教よりも高い権力と地位を持った。
王宮に並ぶ権威を持つ、大神殿、大聖堂の司祭は、それ等を纏める司教以上の、
地位があったとされる。
司祭には神の声を聞く事が出来る者が多かったと言うが、真偽は定かでない。
真に神の声を聞き、重大な預言をした者は、階位を1つ上げられ、継続的に神の声を聞ける者は、
更に高い階位が与えられたと言う。
但し、途中で神の声が聞こえなくなる事もあり、それに関する事件や騒動も起きている。
神聖十騎士の一、祈り子長は祈り子や修道士を纏める存在で、多くは女性である。
任命方法は不明で、正式な階位ではないが、教会内では司教に相当し、時に政治力を持って、
枢密院に関与する事もあった。
一方、神教国家ではない他国では、魔法使い(魔術師や魔道士)が、教会の様な立場だったり、
或いは、魔法使いの階級が貴族制度と一体化していた。
一部の神教国家(過去のアークレスタルト法国を含む)でも、貴族と聖職者が同一だったりしている。


※:「sacred council」と「secret council」が紛らわしいので、「oracle」を付けた。

244 :創る名無しに見る名無し:2015/02/24(火) 19:32:19.80 ID:o/rBtPxH.net
兵士ディーリトに就いて。
クローテルに同行したディーリトと言う若者は、アルス伯爵領の兵士である。
騎士の身分ではなく、領主に従って領地を守る衛士と思われる。
初期の原文訳では「臆病者のディーリト」とあるが、慎重ではあっても、臆病と言う程では無いので、
偶々『臆病<ティメオ>』と綴りが似た名字か名前(又は称号?)と考えられている。
それでも敢えて、臆病者と言えそうな描写を取り上げるなら、何度もクローテルを引き止めた所と、
見張りを不意打ちで倒した所、それとクローテルと盗賊の頭目との戦闘に間に合わなかった所か?
だが、原文でもディーリトは、その行動に関して特に臆病だと記されていないので、
最初の訳者が誤訳したのであろう。
不意打ちとは言え、3人の見張りを倒した事から、彼は若くとも優秀な兵士である事が窺える。
当初「重装備」と書かれていたが、不意打ちの際に装備を外したのか、それとも重装備の儘で、
身軽な動きが出来るのか、抑、どの程度の重装備なのかも定かではないが、とにかく、
若者ではあっても未熟者や新兵ではない様だ。
後の逸話でも、度々登場しているが、これと言った活躍はしていない為、存在を省かれ勝ち。
基本的には、アルス伯爵領を守りながら、時々クローテルの遠征に同行したり、
伝令の役割を負ったりする。

245 :創る名無しに見る名無し:2015/02/24(火) 19:38:33.08 ID:o/rBtPxH.net
魔剣シュレッディンガーに続く、第2の魔剣として、盗賊団の頭目が風の魔剣を持っていたが、
これの出処は定かでない。
一応、原典では『暴風扇<ウェ・ガーラ>』と言う名前が付いており、似た様な名前と性能で、
微妙に異なる魔剣が、より古い時代の文献にも数種ある。
しかし、何れとも言い難い(一説には全て同一の剣とも)。
風の魔剣は折られて以降、回収も修復もされず全く登場しない。
シュレッディンガーと同様に、クローテルの鉄錆の奇跡(血を浴びると魔法効果が失われる)によって、
価値を失ったと見られる。
但し、この時点のクローテルが、自らの血の秘密(鉄錆の奇跡)を理解していたかは定かでない。
実際は鉄錆の奇跡ではなく、単純に力任せに魔剣を叩き折ったとも考えられる。
風の魔剣は名前通り、風を自在に操る剣で、振るう事で突風を起こしたり、風の刃や大竜巻を、
発生させたりする。
使用者の意図によって効果が変わるのか、それとも振り方で効果が変わるのかは不明。
アルス伯爵が率いる、守衛隊を退けた事から、その恐ろしさが窺える。
だが、具体的な描写は、「突風で大人の男を吹き飛ばした」、「風の刃で人間の皮膚を切り裂いた」、
「竜巻で地方領主の兵隊を撃退した」だけで、それ以上の事が出来るかは不明。
クローテルは人並み外れて頑丈なので、もしかしたら、風の刃には人を殺害する程度の威力が、
あったかも知れない。

246 :創る名無しに見る名無し:2015/02/24(火) 19:40:18.20 ID:o/rBtPxH.net
賊団の頭目(名は不詳、「頭」を意味する「カプト」が名と言う説も)は、元傭兵であり、
風の魔剣を手に入れて、傭兵仲間と組んで、略奪を繰り返していた。
盗賊団の大半は脅されて徴用された、逃亡奴隷や貧農だったが、戦闘は殆ど元傭兵が行っていた。
しかし、人数の割に戦闘員は多くなく、その為に、実際は風の魔剣を持つ頭目が、
戦闘の大勢を決めていた模様。
貧農の役割は雑用や財産の回収、運搬で、組織の中でも冷遇されていた。
盗賊団は領主の支配が及ばない山間の小村落から、貧農を徴用したとされている。
アルス伯爵領内の男は、クローテルに対して、規模の大きい盗賊団だと言ったが、
これは直接戦闘を見ていない為の、誤解と思われる。
非戦闘員は盗賊襲来の際には、避難する。
隣の領主(原文ではデルフォス伯爵)の兵隊に連行された盗賊団の内、元傭兵は投獄され、
徴用された奴隷や貧農は元の土地に帰された。
貧農の一部は子爵領に留まり、復興を手伝ったと記されている。

247 :創る名無しに見る名無し:2015/02/24(火) 19:44:35.31 ID:o/rBtPxH.net
傭兵を問い詰めるシーンで、クローテルは近隣一帯は禁猟区であると言った。
これは神教国家に関係無く、他の国であっても、狩りをする者は貴族か騎士、又は、
それに従事する者と限られている場合が多かった。
主要な理由は、庶民が武器を持つ事を禁じる為である。
狩猟許可地域以外では、専門職の狩人と言えば、身分の高い者の従属だった。
但し、農作物への被害を防ぐ為に、罠を仕掛ける事は許可された。
平民が狩りに、不要に長射程の長弓や足弓(弩)を用いる事は許されておらず、又、
当時の弩は性能が悪い為に、弦を引くのに相当な腕力を要した。
一応、高性能な物もあった様だが、それこそ貴族や騎士専用だった。
その為、同じく弓を扱う者でも、平民の狩人と兵士では、体格が異なった。
弓で獲物を仕留める、所謂「娯楽としての狩猟」は、貴族の嗜みであると同時に、
軍事訓練でもあった。
罠では仕留め切れない、大型の獣が出没すれば、領地を預かる貴族は、兵士に命じて、或いは、
自ら赴いて、それを退治しなければならなかった。
私兵を持たない貴族は、領内で獣害が発生した際は、自らの命を賭けるか、余所から兵を借りるか、
傭兵を雇わなければならなかった。

248 :創る名無しに見る名無し:2015/02/24(火) 19:48:55.95 ID:o/rBtPxH.net
アルス国と周辺の幾つかの国の制度では、兵士には王の兵(=国軍兵)である『騎士<ナイト>』、
貴族の私兵の『衛士<ノブ・ガード>』、土地に縛られない『傭兵<マーセナリアス>』の3種がある。
騎士は国によって身分と給与が保証され、待遇こそ良いが、戦争の際には先ず駆り出される。
軍隊の中では、主に隊長や班長を務め、衛士や傭兵を率いる。
その他、王や貴族、教皇、司教、国賓と言った、主要人物の警護、王宮や神殿、大聖堂と言った、
主要施設、国境の警備も行う。
騎士の中にも格差があり、騎士団に所属して、王や教皇の警護を務める者が、
最も優遇されているのに対して、騎士団に所属せず、公人や公共施設の警備、
警護の任に就かない(就けなかった)者は、安い給料で小さな土地を借りて細々と暮らすか、
他の貴族の衛士を務めた。
戦争で大軍を率いる者は、高位の貴族の他に、高位の騎士の場合もあり、立場的には、
下級貴族より上位の者もあった。
騎士は貴族の領内に居を構えても、領地の警備や警護に関する以外の命令には従う必要が無く、
領主への納税も免除されるが、同時に副業が禁止(公務員扱い)されているので、贅沢は出来ない。
故に、貴族の子息が騎士になった場合は、「騎士の称号を得た」と言う実績だけを得て、
務めを果たさない例もあった様だ。
衛士は国の代わりに、貴族や領主によって、身元と給与が保証されている。
身分的には庶民と変わらず、領主の裁量次第ではあるが、特別な権限を与えられてもいない。
厳密には「衛士」は貴人の『警護<ガード>』を指し、騎士の衛士も存在した。
衛士も騎士と同様、戦争に駆り出される人種ではあるが、領主が出兵を断れば行かずに済んだ。
衛士の多くは下層民で、暇があれば農民と共に、農業をする衛士も珍しくなかった。
一方で、位の高い貴族の衛士は、特に領内では騎士や下級貴族より強い権限を与えられ、
戦場でも騎士を差し置いて(時には貴族や騎士を率いて)指揮を執る事があった。
傭兵は対価を貰って、期間を区切って衛士の代わりをする者で、土地には付かない。
その為に、衛士程の信頼は無く、生活も不安定で、しかも領主の許可が無ければ、
他の領地へ移動出来ない為に、貴人や商人、芸人の護衛として日銭を稼がなければ、
奴隷に転落するか、貧乏生活を余儀無くされた。
こうした事情から、傭兵の中には、衛士に転向する者が多くあった。
逆に、何らかの事情(雇主の没落、犯罪の嫌疑等)で傭兵に転落せざるを得ない、
元騎士や元衛士もあった。

249 :創る名無しに見る名無し:2015/02/25(水) 19:17:58.86 ID:s9zjaTjv.net
クローテルに領主となる事を嘆願した執事は、屋敷の『家令長<ヘッド・チェンバレン>』(主計)である。
同じ貴人の『雇用人<エンプロイー>』でも、『家令<チェンバレン>』、『執事<ステューワード>』、『給仕<バトラー>』、
『従者<ヴァレット>』、『小姓<ペイジ>』、『従僕<フットマン』、『女中<メイド>』、『衛士<ノブ・ガード>』は、
それぞれ仕事や立場が異なる(※1)。
但し、兼業も多くあった。
例えば、給仕が全ての業務を仕切ったり、執事が家令や給仕、従者の代わりを務めたり、
女中と少数の給仕のみで業務を行ったり、従僕が従者の仕事を兼ねたりと言う具合に。
家令と執事が上下したり、『給仕長<ヘッド・バトラー>』や従者が、全ての使用人の統率者だったりもした。
下級使用人を纏める『使用人頭<ヘッド・サーヴァント>』が、家令だったり、執事だったり、給仕だったり、
或いは、単独で存在したりもした(※2)。
各使用人を全て揃えている家は稀だった。
身分の高い者の使用人は、身分的には平民であっても、高い地位を持った。
『王家の家令長<ロイヤル・グランド・チェンバレン>』は爵位を持ち、時に政治的な影響力を発揮した。
王家の衛士とは即ち騎士であり、王家の人間や王宮を警護する騎士は、
『王室衛士<ロイヤル・ガード>』と呼ばれた。
同様に、高位の貴族の宮廷を守る衛士は、『宮廷衛士<パレス・ガート』と呼ばれる。
新しい領主が就任する際、元の使用人は冷遇されるのが常で、多くは職を失い、
他の土地へ移転させられる。
これは新しい領主が、「従来の方法」より、「自分の方法」を優先させる為である。
そうする事で、領主の権威を示すのだ。
旧暦は家臣が主に忠義を尽くす事を善しとする風潮があったが、一方で新しい領主としては、
何時までも過去の領主に忠誠を誓われては困るし、比較されても困る。
特に、家令は一新され(会計を預かる為)、『衛士長<ガード・コマンダー>』も入れ替えられた。
当然ながら、余程優れた才能を持っていない限り、排除された使用人は没落した。
新しい領主は時に、大勢の使用人を引き連れて、小姓や下級使用人以外の全てを、
入れ替える場合もあった。
特に拘りの強い領主は、そればかりか、領地の名前まで変えた。


※1:他に屋敷で働く者には、『奴隷<スレイブ>』があるが、奴隷は『使用人<サーヴァント>』であっても、
   雇用人には含まれない。
   下級使用人の男女を纏めて、『下男<メール・サーヴァント>』、『下女<フィーメール・サーヴァント>』と、
   表す事もあった。
   下男には従僕が、下女には女中が含まれる場合もある。
※2:但し、女性の使用人は総じて地位が低かった。
   『女性執事<ステュワーデス>』は『女主人<ミストレス>』が従えた少数例のみ。

250 :創る名無しに見る名無し:2015/02/25(水) 19:23:17.99 ID:s9zjaTjv.net
盗賊退治編の要旨は、クローテルが領主になる事と、人間らしい感情に目覚める所にある。
クローテルは乳母が死ぬまで、人間らしい感情を見せない。
ナクト男爵に、実家に帰って親に会えと言われても、理解出来ない。
実父の死にも驚いた様子は無く、恩師ランバートの前でも「残念です」の一言。
盗賊団を退治する事を決意したのは、それが「騎士の本分」だからであり、
義憤に駆られたのではない。
仲間を傷付ける盗賊団の頭目を見て、不思議がっても怒りはしない。
魔剣で斬られても、痛みを感じる素振りは無い。
深く切られて、大量の血液が噴出しても、傷は直ぐに塞がり、失血の影響も無い。
そんな非人間性の塊の様な彼が、乳母の死で初めて悲しみを知る。
その後もクローテルは、人間らしい感情を中々見せないのだが、人の死に対しては、
幾らか反応が変わる様になる。
今回、クローテルの乳母への呼び方は『傅(めのと)様<ナース>』だが、原文では、
それ以前は『乳母様<ナニー>』と呼んでいた。
乳母の名前「ナーニャ」は、乳母から連想される名で、本名か仮名か判然としない。
「傅様」と言う畏まった呼び方は、ルーン伯爵の教育を受けた結果と思われる。
ローレルの首飾り(ローレルを模った飾りの付いた指輪を通した首輪)は、
前章でクローテルが屋敷を離れる際、乳母から渡された物(お守り)。

251 :創る名無しに見る名無し:2015/02/25(水) 19:25:13.12 ID:s9zjaTjv.net
もう一つの要旨、クローテルが領主になった事で、ナクト男爵との対立は落ち着く。
クローテルがルーン伯爵領の相続権を放棄した事で、彼の後見人だったナクト男爵は、
伯爵の地位を得る事になり、クローテルを敵視する理由が無くなった。
彼は自らが伯爵になる為に、クローテル以外にも手を回して、数々の工作をしているのだが、
それはクローテルにとって殆ど関係が無い事で、当然物語にも関係が無い。
子爵の息子、騎士見習い、伯爵の養子、騎士、子爵と、順調に地位と名声を高めた、
クローテルの立身出世物語は、ここで一旦止まる。
子爵は然程高い階級ではなく、アーク国王としても、クローテルを適当な地位に封じて、
これで一安心となる筈が、マルセル国王の対応が原因で、思わぬ騒動になる。
次にクローテルを待ち受ける物は、火山の大火竜と、アーク国王の息子にして神槍の継承者。

252 :創る名無しに見る名無し:2015/02/25(水) 19:30:00.26 ID:s9zjaTjv.net
こう言う風に思い付いた儘に書き散らすのは、楽に文章量が稼げるので好きです。
しかし、落ち着いて読み返すと、要点が纏まっておらず、中々酷い文章です。

253 :創る名無しに見る名無し:2015/02/26(木) 19:17:03.22 ID:QvMlefnJ.net
童心に帰る


ティナー地方北部の都市ラサーラにて


木枯らしが吹く10月、平日昼間の人気の無い公園で、長椅子に座って呆然としている男が居た。
壮年と言うには若い、仕事盛りの、しかし、疲れの見える、三十前後の風貌。
溜め息ばかり吐いている様からして、何か悪い事があったのだろうと推測出来る。

 「小父さん、どうしたの?」

不意に横から声を掛けられて、男は吃驚して振り向いた。
彼の隣には、大き目のケープをマントの様に羽織っている、10歳前後の男の子が座っていた。
先客は居なかったのに、何時の間に座ったのだろうと、男は小首を傾げるも、それを問う気にも、
男児の問いに答える気にもなれず、再び虚空を見詰めて、溜め息を繰り返す。

 「感じ悪いよ、小父さん」

男児は小生意気にも、男の対応を注意するが、男は無視を貫く。

 「嫌な事でもあったの?」

その何気無い一言が、男の癇に障った。
横隔膜の辺りから、肺を灼く様な暗い怒りが沸々と湧き上がる。

254 :創る名無しに見る名無し:2015/02/26(木) 19:20:36.22 ID:QvMlefnJ.net
だが、子供相手に声を荒げるのも大人気無いと思い、彼は又も溜め息を吐いて、
肺に冷たい空気を送り込んだ。
怒鳴ると言う行為は、存外体力を使う物だから、そこまでする気力も無かった。
そして、遣り返す積もりで、嫌味に尋ねる。

 「そう言う君こそ、こんな時間に、こんな所で何をしてるんだ?
  普通の子は公学校に通っている時間だぞ」

 「僕は普通じゃないからさ」

飄々と答える男児を、男は少し羨ましいと思ってしまった。
男自身も未だ少年と言える身分なら、そんな風に答えたかも知れない。

 「……そんな事を言ってられるのも、今の内だけだ。
  大人になったら、普通に学校に行かなかった事を後悔するぞ」

一際大きな溜め息を吐いて、男は過去を懐かしむ想いを振り払う。
そして、真っ直ぐ清い瞳を向けて来る男児に、詰まらない現実を語り始めた。

 「普通じゃない事に、妙な憧れは持つなよ。
  平凡に生きられるなら、それで良いんだ。
  平均か、少し下でも満足しなきゃ、上を見上げたら限が無い。
  唯一とか、個性とか、そんな戯言(たわごと)に踊らされるな」

 「……小父さん、どうしたの?」

突然何を言い出すのかと、男児は怪訝な顔付きになる。

255 :創る名無しに見る名無し:2015/02/26(木) 19:26:50.77 ID:QvMlefnJ.net
男児の未来の為だと、男は自分の現状を告白した。

 「仕事で大ポカやらかしちまってなぁ……。
  普通にしてれば、先ず起こらないミスだった。
  どう言えば良いかな……。
  例えば……、ああー、上手い例が出て来ないな……。
  とにかく、よくあるだろう?
  良かれと思って失敗するって事。
  蛇足って言うのか?
  色気を出して、それが裏目った」

 「よくある事なら、別に良いじゃん」

透かさず男児に突っ込み返されて、男は肩を落とす。

 「ああ、その通りだよ。
  でも、何事にも程度って物がある。
  取り返しの付く事なら、良かったんだけどなー……。
  新人なら未だしも、そうじゃないから、こんな事になる訳で……。
  上司に一生只働きが良いかって言われて、もう居た堪れなくなって、辞表出して来た。
  だーれも止めてくれなかったし、自分でも何と無ーく、気付いてたんだよなー。
  俺、要らない人間じゃないかって……」

 「そんな事は無いよ」

男児は気軽に慰めの言葉を掛けるも、男の心には響かない。

 「出来る人間の積もりだったんだ。
  いや、実際出来てたと思う。
  同期だけじゃなくて、先輩と比べても。
  ……この期に及んで、何だけどさ」

最早、男児は関係無く、男は独白していた。
胸の内を吐露する相手が欲しかったのだ。
見ず知らずの男児なら、問題は起こらないだろうと考えていた。

256 :創る名無しに見る名無し:2015/02/27(金) 19:03:24.44 ID:zVlMDgP9.net
彼は繰り返し溜め息を吐く。

 「他の連中とは違う積もりだった。
  意識も、熱意も。
  今考えれば、嫌味な奴だったんだろうなー。
  周りが見えてなかったっつーか?
  一人前の男になろうって、肩肘張って生きて来たけど、なーんか分かんなくなっちまったなー。
  俺、何で生きてんだろう……」

 「死んでないからじゃないの?」

 「そうだよなー。
  心臓は勝手に動いてる物な。
  休まず仕事してて偉いよ」

男児は小首を傾げて、同情を込めて男に問う。

 「小父さん、もしかして、友達とか居ない?」

 「そこまで侮るなよ。
  親は生きてるし、友達(ダチ)だって、学生時代のとか、会社の同期とか……。
  結婚はしてないけど、付き合ってた人も居る。
  ……はぁーあ、でも誰にも会わせる顔がねーや。
  調子乗ってた過去を、無かった事にしたい……」

男は両手で顔を覆って俯いた。

257 :創る名無しに見る名無し:2015/02/27(金) 19:12:18.49 ID:zVlMDgP9.net
男児は両腕を組み、生意気に大人振って、難しい顔をしていた。

 「素直に、御免なさいすれば?」

 「小さい会社なら、打っ飛ぶ位の損害だぞ?
  御免じゃ済まないから、こうなってる。
  あーあ、プロジェクト・リーダーに選ばれて、これからって所だったのに……。
  手前のミスな物だから、自業自得過ぎて、はぁ、溜め息ばかりで涙も出ねぇ……」

ティナー地方の多くの会社は、肩書きに見合った権限を、職責と同時に与える。
自分の裁量で手柄を得れば、それは自分の成果だが、失敗すれば首が飛ぶと言う、
解り易い信賞必罰だ。
都市法の雇用制度は単純で、落ち度がある社員は簡単に契約を切られる。
自己の過失の比重が大きければ、不当解雇と訴える事も出来ない。

 「小父さん、仕事って何してたの?」

その一言は、男の心を深く抉った。
男児に悪気は無いのだろうが、今まで一所懸命に働いていた積もりだったのに、
実は何の役にも立っていなかったのではと言う疑問が、浮かんでしまったのだ。

 「広告企画設計(APD)……」

 「どんな事件だったか、新聞に載ってる?」

 「事件って……。
  いや、事件と言えば事件だけど、新聞には載らないよ。
  でも、決算の時に、何が原因の損失とか……あー、もう……。
  消えたい。
  何も彼も忘れて、人生やり直したい……」

塞ぎ込んでばかりの男を、男児は憐憫の眼差しで見詰めている。
男は情け無い姿を晒していると理解していたが、取り繕う事も諦めていた。

 「良いな、君は。
  未だ修正の利きそうな年で。
  俺も何の心配も無かった、子供の頃に帰りたいよ」

 「帰らせて上げようか?」

 「んん?」

唐突な男児の発言に、男は聞き違いではないかと、耳を疑った。

258 :創る名無しに見る名無し:2015/02/27(金) 19:17:47.16 ID:zVlMDgP9.net
帰れる物なら帰りたいが、そんな事は不可能だと、彼は理解している。
時の流れは残酷なまでに不変で、何があっても眠って目覚めれば、次の日なのだ。
過去に帰る等、万に一つ所か、億兆に一つの望みも無い。
現実逃避にしても、妄想以上の馬鹿気た事には縋れない。
何を言い出すのだと、男が怪訝(かいが)の目を向けると、男児はハーモニカを吹いていた。
その音色は、どこか懐かしく、彼の過去を思い起こさせた……。
彼女との出会い、会社に入社したばかりの頃、アルバイトをしながら専門学校に通っていた事、
公学校時代と、どんどん過去へと意識が遡る。
振り返って、改めて男は、これまでの人生が概ね順風満帆だった事を確認した。
そして、今の自分が順路から外れた存在だと言う事を思い知らされ、無性に寂しく、不安になった。

259 :創る名無しに見る名無し:2015/02/28(土) 17:55:01.65 ID:mIqgfViL.net
ハーモニカの音色は、男の心と記憶を更に幼少時代へと、誘い導く。
それは初めてハーモニカを吹いた時の事。
覚えている筈も無い、男が未だ物心が付く以前……。
ハーモニカを咥えて吹けば、綺麗な音色が簡単に出せるので、彼は他者には聞くに堪えない様な、
適当な音を奏でて喜んでいた。
だが、飽きるのも早く、直ぐに放り投げて、他の遊びに夢中になった。
遊び疲れた後は、母の膝元で子守唄を聞きながら、安らかに眠った。
何を恐れ、何に怯える事も無い、温かく、幸福だった日々……。
男は知らぬ裡に、胎児の様に蹲っていた。
薄れ行く意識の中、男児の声が聞こえる。

 「今、貴方の前には3つの道がある。
  一つは、今直ぐ目覚めて、再び歩き出す道。
  もう一つは、この微睡に永久に身を委ねる道。
  最後の一つは――……」

後半の方は上手く聞き取れなかった。
それよりも、この安らぎを邪魔をされたくないと言う気持ちの方が強かった。
男は強く目を閉じて、何も考えず、何も聞かなかった事にした。

260 :創る名無しに見る名無し:2015/02/28(土) 17:58:35.21 ID:mIqgfViL.net
どこからとも無く、冷たい風が吹いて来た。
男は温もりを求め、一層身を丸くして、母に擦り寄った。
そうすれば、再び温かくなった。
凍える様な寒い日に、温もりを得られる事程、有り難く、幸福な事は無い。
――だが、体を押し付けられて、母は迷惑していないかと、男は気に掛かった。
だから、少し目を開けて、母の顔を窺おうと、視線を上へ向けた。
母は男に向けて、悲しそうな微笑みを浮かべていた。

 (ああ、お母さん……どうして、そんなに悲しそうなの……?)

父と何かあったのか、それとも祖父母が原因なのか、子供の頭で男は考えた。
理由は直ぐに分かった。

 (俺が確りしないから……)

温もりは忽ち薄れ、急に肌寒くなって、男は目を覚ました。
目覚めれば、もう温もりの中には帰れないが、そこまで考えが及ぶ前に、自然に目が開いた。

261 :創る名無しに見る名無し:2015/02/28(土) 18:00:16.01 ID:mIqgfViL.net
日は暮れ掛かり、カラスが汚い声で鳴いていた。
男児の姿は既に無く、どこから夢だったかも、分からない。
男児の実在さえ、疑わしくなっていた。

 (全部夢だったのか?)

あれは現実逃避したかった自分が見た、奇妙な夢だと男は思う事にした。
あの儘、温もりの中に埋もれたい誘惑が、確かにあった。
だが、そうしなかったのは……。

 (やり直せるかな……)

男は大きな溜め息を吐いた。
今度は絶望の溜め息ではない。
もう元の会社には戻れないが、本当に自分が出来る人間なら、立ち直れる。

 (その前に、暖を取らないと)

体は冷え切って、震え始めていた。
しかし、心臓は強く脈打っている。

 (取り敢えず、未だ生きている。
  皆、生きている)

今まで自分を支えていた物を思い出した彼は、這い上がる気力を取り戻した。

262 :創る名無しに見る名無し:2015/03/01(日) 17:33:57.30 ID:4spIXY+3.net
迷い子達


『第六魔法都市<エクトゴイテオポリス>』カターナ ビラー地区にて


旅商の男ワーロック・アイスロンは妻バーティフューラー・カローディア、そして養娘リベラと共に、
家族3人で旅をしていた。
禁断の地で婚儀を挙げた後、未だカローディアが子を宿す以前の事である。
3人の仲は良好で、特に問題と言う問題は無かったのだが、ワーロックには気懸かりが一つあった。
それは養娘リベラの素行。
彼女は時々ワーロックの監視の目を逃れて、行方を晦ました。
その度にワーロックは必死に探し回るのだが、リベラを見付けられる事は稀で、
大抵は知らぬ間に戻って来ているのだった。
どうせ無事に帰って来るのだから、心配して探し回る必要は無いと、カローディアは言うのだが、
それでは本当に何か起こった時に困ると、ワーロックは聞かなかった。
実際はカローディアの言う通りである。
リベラが行方を晦ますのは、養父に自分を探して貰う為だった。
交感の魔法を切られて以後、実子でない彼女は、そうする事で、養父の愛を確かめていたのである。
必死な表情のワーロックを、リベラは陰から盗み見て喜んでいた。
その度に、彼女は自分が確かに愛されていると、実感出来た。
そして、義母のカローディアは、そんなリベラの心理を見透かしていた。
リベラにとってカローディアは、養父との仲を裂こうとする、疎ましい存在であった。

263 :創る名無しに見る名無し:2015/03/01(日) 17:38:20.85 ID:4spIXY+3.net
このカターナ市ビラー地区でも、リベラはワーロックの前から姿を消した。
――と言っても、そう遠くへは行かず、探知魔法の掛かる範囲で、逆にワーロックを監視していた。
彼女は子供ながらに賢しく、魔法資質の低いワーロックには、逆探知が出来ない事を、
見越していたのである。

 「はぁー……」

街に着く度に、養娘が行方知れずになる物だから、ワーロックは気が重くなる。
好い加減に疲れの見える彼を、カローディアは気遣った。

 「リベラの姿が見えないの?」

 「ああ、早く探さないと」

 「放っとけば良いのに」

カローディアは呆れた様子で、そう言う。
それをリベラは隠れ聞いて、何時も嫌な思いをしていた。
だが、養父が義母の誘惑に負けない事を、信じて疑わなかった。

 「一緒に探してくれない?」

 「手分けして?」

 「いや、探す序でに街を歩こうって言うか……」

 「序で?」

 「街を歩く序でに探すって言うか……」

養娘を放って置く訳にも、新妻を放って置く訳にも行かず、ワーロックは2人の間で苦労していた。

264 :創る名無しに見る名無し:2015/03/01(日) 17:48:51.81 ID:4spIXY+3.net
それはカローディアも理解していて、苦笑しながら彼の提案を受け容れる。
自分を蔑ろにしているのではないと、気遣う姿勢を見せてくれるならば、不満はあっても、
我慢出来る範囲。
所謂、大人の余裕、正妻の余裕だ。

 「フフッ、良いわよ。
  早く行きましょう」

カローディアはワーロックの腕を取り、寄り添って微笑む。
彼女の視線が、一瞬だけ隠れているリベラの方に向けられた。
それは偶然かも知れないが、リベラは当て付けられたと感じ、嫉妬で腸が煮え繰り返る思いだった。
どうせ夕方には帰って来ると思って、侮られているのだ。
或いは、義母は自分を疎んでいるのかも知れないと、リベラは思う。
その根拠は他ならぬリベラ自身が、義母を疎んでいるからなのだが……。

 (本当に行方不明になってやる!)

もう何度も、日中に姿を消しては、日没前に帰って来る事を繰り返している。
余程の間抜けか、お人好しでなければ、慣れて飽きられる頃だ。
リベラは自棄を起こして、ワーロックから遠く離れる様に駆け出した。
これ以上、夫婦の仲睦まじい姿を見ていられなかったのだ。

265 :創る名無しに見る名無し:2015/03/02(月) 19:53:01.70 ID:ywcO6gyu.net
慣れない街を、態と迷子になる様に、リベラは適当に走り回る。
養父が見付けてくれると信じて、後の事は全く考えもしなかった。
辿り着いたのは、街を見下ろせる小高い丘の上の広場。
常夏のカターナに吹く風が、急な運動で上気した彼女の肌を、心地好く冷やした。
走り疲れたリベラは、広場のベンチに腰掛けて、茫然とカターナの青い空を眺める。

 (あの時も、空は青かった……)

リベラは抜ける様な青空が、余り好きではなかった。
それは未だリベラが実母と共に、貧民街で暮らしていた頃――遊び回りたくて心と体が疼くのに、
母は病に冒されていて、一緒に出掛けられなかった。
ある日、リベラが独りで遊びに出ている間に、母は血を吐いて苦しんでいた。
それがトラウマで、リベラは母の側を離れられなかった。
周囲の全てが、母の元気を奪っている様な気がしていた。
長らく忘れていた事を思い出して、リベラは知らず涙を流していた。
特に悲しい訳ではなかったが、暫く涙は止まらなかった。
彼女は声を上げも、嗚咽を漏らしもせず、仕方無く溢れる涙を拭った。

266 :創る名無しに見る名無し:2015/03/02(月) 19:54:34.29 ID:ywcO6gyu.net
平日の公園には、疎らに親子の姿があった。
未だ公学校に通えない、赤子や幼子を伴って、母親達が談笑している。
リベラは無性に孤独感に襲われて、親子の姿を見ない様に、声を聞かない様にした。

 (きっと、お養父さんが迎えに来てくれる)

今頃、養父は何をしているのだろうと、リベラは考えた。
そして、彼の側には義母が付いている事を思い出して、不安になった。

 (あの人が邪魔してるんじゃ……)

養父が自分を見捨てるとは思わなかったが、義母が養父を自分から遠ざける事は、
十分に考えられた。

 (どうしよう……。
  帰らないと……)

途端に心が落ち着かなくなる。
だが、戻ろうにも戻り方が分からない。
養父には優柔不断な所があり、義母より自分を優先してくれるとは思いたいが……。

267 :創る名無しに見る名無し:2015/03/02(月) 19:55:46.86 ID:ywcO6gyu.net
涙目で途方に暮れるリベラに、声を掛ける者があった。

 「貴女は何をしているのですか?」

何者だと思って振り返ると、そこに居たのは自分よりも幾らか年上だろう、白い少女。
真っ白い髪に、真っ白な目、そして真っ白なローブ。
余りの白さに眩さを感じて、堪らず薄目になる。

 「貴女が心配なさる必要はありません。
  私は貴女に危害を加えません」

言葉を喋り慣れていないかの様な、奇妙な言い回し。
白い少女は徐々にリベラに近付いて来る。
しかし、不思議と警戒心は起こらない。
彼女はリベラの隣に座った。

 「私に貴女の心を癒させて下さい」

リベラは白い少女が何を言っているのか、理解出来なかった。
全く不思議の一言、不思議だらけ。
それでも不快感は無く、今の今まで寂しいと思っていた気持ちは、この不思議な少女を前に、
どこかへ飛んでいた。

268 :創る名無しに見る名無し:2015/03/03(火) 19:01:27.86 ID:lAz6IqQz.net
リベラは白い少女に尋ねる。

 「貴女は誰?」

 「私は人に寄り添う者」

 「……何なの?
  何で私に?」

 「貴女が寂しそうなので、私は貴女に惹かれました」

白い少女が然り気無く手を取ろうとするので、リベラは慌てて身を引いた。

 「変だよ、何か……」

それでも、少女は微笑みを絶やさない。
理解不能な、迷いの無い慈しみ目が、只管に不気味である。
それは、どこと無く母を思わせて……。

 「私に何の用なの?」

 「私は貴女に、特に用と言う用はありません。
  唯、私には貴女が寂しそうに見えたので……」

 「それで?」

 「私は貴女の悩みを解決したいと思ったのです」

この人は何を言っているのだろうと、リベラは益々怪しんだ。

269 :創る名無しに見る名無し:2015/03/03(火) 19:03:34.11 ID:lAz6IqQz.net
「不快ではないが怪しい」と言うのは、中々奇妙な感覚である。
その根源は何なのか、リベラは白い少女を観察しながら、探っていた。

 「でも、お母さん……お養父さんも、知らない人とは喋っちゃ行けないって……」

 「私は決して、貴女の知らない人ではありません」

そう答えられて、白い少女の何が怪しいのか、リベラは理解した。
白い少女は以前からリベラの事を知っている様で、リベラの方も彼女を知っていて当然かの様に、
振る舞っている。
そして、リベラ自身も白い少女に覚えがある様な気がして来ている。
不快にならない事こそが怪しいのだ。
全く知らない人なのに、警戒する気持ちが湧き起こらない。
本能的に怪しくないと判断している者を、理性で拒んでいるのだ。

 「知らない人だよ!
  会った事も無い!」

 「貴女は正しいです。
  私は貴女と会った事がありません」

 「何なの?
  さっきは知らない人じゃないって!」

 「しかし、貴女と私は会った事は無くても、知らない人同士ではありません。
  私は貴女を知っていますし、貴女も私を知っています」

 「何言ってるのか、全然解んないよ……」

変な人に絡まれたと思い、リベラは対話を拒んだ。

270 :創る名無しに見る名無し:2015/03/03(火) 19:06:30.05 ID:lAz6IqQz.net
しかし、白い少女の方は、全く諦める様子が無い。

 「私が貴女を知っているか、貴女が私を知っているかは、些細な事です。
  今、貴女は困っていて、私は貴女を助ける事が出来ます。
  それ以上に、私達にとって重要な事、理解すべき事はありません」

もしかしたら良い人なのかなと、リベラは考えた。

 「……どうやって助けてくれるの?
  お養父さんの居場所知ってる?」

 「貴女が私と一緒に、貴女が愛する人を探せば、それは程無く見付かる事でしょう。
  しかし、そうした所で、貴女が抱える問題の、根本的な解決にはなりません」

 「どう言う事?」

迂遠な言い回しに、理解が追い付かないリベラに、白い少女は微笑んで言う。

 「貴女が直面している問題の原因は、貴女自身にある事を、貴女は受け止めなくてはなりません」

彼女の言う『問題』とは、「迷子になってしまった事」だとしか、リベラには受け取れなかった。

 「そんなの解ってる」

確かに、リベラが迷子になった原因は、彼女以外にあり得ない。
何を当たり前の事を言うのかと、リベラは少し不機嫌になって答えた。

271 :創る名無しに見る名無し:2015/03/04(水) 19:15:21.12 ID:uaRW0HTc.net
根本の一つはリベラの独占欲にあるのだ。
彼女にとっては、養父と自分が先ず在って、後から義母が入って来た。
その関係は幼い兄姉が、後から生まれた弟妹を疎むのと似ている。
自分が義母に譲歩するのではなく、義母の方が自分に歩み寄るべきだと、リベラは信じている。
余りにも幼く、我が儘な思考だが、養父には自分が第一であって欲しいのだ。
白い少女は静かに彼女を諭す。

 「貴女は自分が目を向ける小さな愛だけに囚われず、貴女を取り巻く多くの愛に気付くべきです」

 「……愛?」

 「貴女が、お養父様を愛する様に、他の物にも愛を向ける事が出来たなら……。
  貴女の人生は、より輝かしい物になるでしょう」

行き成り、そんな大仰な事を言われても、幼いリベラに解る筈も無い。
他人に愛を与えるより、他人の愛が欲しくて堪らない頃なのだ。
理解し兼ねて難しい顔をするリベラに、白い少女は続ける。

 「貴女は人を愛すると言う事を知っている筈です。
  貴女が、貴女の小さな愛を向ける、その人が貴女を愛した様に。
  その手を差し伸べ、そして優しく寄り添う事だと。
  貴女が真心の愛で人に接すれば、人も真心の愛で貴女に応えるでしょう。
  『汝、其を欲するならば、其を与えよ』。
  貴女は愛を区切るべきではありません。
  貴女は多くの人を愛し、多くの人に愛される人になるべきです。
  先ずは、貴女の身近な人から、愛する事を始めましょう」

 「本当に、それで……?」

リベラは義母を実母の代わりにして良い物か、迷っていた。
彼女にとっては、義母が自分を受け容れるか否か、それだけが問題だった訳ではない。
――どちらかと言えば、リベラ自身が義母を受け容れるか否かと言う問題の方が、大きかった。

272 :創る名無しに見る名無し:2015/03/04(水) 19:17:18.52 ID:uaRW0HTc.net
間違えました。
>>270の続きは、こっちです。


白い少女は初めて、微笑を消して真顔になる。

 「貴女の本当の問題は、今、貴女が考えている物とは違います」

 「私が何を考えてるのか解るの?
  じゃあ、問題って何なの?」

問い掛けるリベラに、白い少女は遠慮無く答える。

 「それは貴女の御家族の事でしょう」

心当たりが有り過ぎて、リベラは沈黙した。
白い少女は容赦無く畳み掛ける。

 「貴女が心配する事は何もありません。
  貴女が心を開きさえすれば、お義母様とも良い関係を築けるでしょう。
  血の繋がりは、貴女方にとって、重要な問題ではありません」

見知らぬ他人に、心の問題に踏み込まれていると言うのに、リベラは不快に感じなかった。
彼女は、何でも知っている白い少女を、人間離れした神聖な存在に違い無いと思っていた。

 「でも……」

だが、そう言われて素直になれるなら、問題は拗れていない。


ここから>>271に続きます。

273 :創る名無しに見る名無し:2015/03/04(水) 19:18:56.90 ID:uaRW0HTc.net
蟠りを捨て、養父と義母の子として、家族関係を築けるなら、何も彼も上手く行くだろうと、
リベラは心の底では理解していたし、期待もしていた。
そう出来たら、どんなに良い事だろうかと。
しかし、義母を受容したら、実母への想いは、どうなるのだろうか?
独占欲とは別に、リベラの心を支配していた、もう一つの物は、実母を忘れたくないと言う気持ちだ。
母親でない女性の安寧に埋もれる事は、実母を否定する事だと、無意識に思い込んでいた。

 「貴女の周りを、よく御覧なさい。
  貴女を愛する人は、貴女が愛する人以外にも居る筈です。
  貴女は、貴女が愛する人だけを愛していれば、それで良いと思いますか?
  善意には善意で、真心には真心で応えるべきだと、貴女は思わないと言うのですか?」

責められている気がして、リベラは心を痛めたが、白い少女から顔を背ける事は出来なかった。
金縛りに遭った様に体が動かない。
だが、不思議と怒りや恐怖は無く、今は動けない事が正しい様に感じられた。

 「貴女も、貴女の愛する人が望む様に、偽らざる心で人と向き合いなさい。
  忍ぶべからざるは忍ばず、素直に貴女の苦しみを吐き出しなさい。
  そして、貴女が良いと思う道を、貴女の愛する人達と共に探しなさい」

それは天啓の如く、リベラの胸に深く刻み込まれた。

 「さあ、貴女の愛する人達が、貴女を迎えに来ますよ」

白い少女は徐に立ち上がって、去って行く。
何が何だか解らず、唯々茫然とリベラは彼女を見送った。
解放されたと言う気分でも、名残惜しい気分でもなく、不思議の一言に尽きる別れだった。

274 :創る名無しに見る名無し:2015/03/05(木) 19:48:56.22 ID:zLzoM3jZ.net
リベラが白い少女の背を見送っていると、背後から影が差す。

 「リベラ、ここに居たのか……」

低く落ち着いた、安堵した様な男の声。
振り向けば、養父の姿があった。
その隣には剥れっ面の義母。
リベラは養父が自分を見付けてくれた事に、嬉しくなるも、同時に、義母が側に居る事で、
少し残念な気持ちになる。

 「何を見ていたんだ?」

養父の問いに、リベラは答え倦ねる。

 「……あのね、変な人が居たの」

 「変な人?」

彼女の語彙が足りないばかりに、養父は怪訝な顔をする。

 「真っ白なの。
  髪も目も肌も服も」

 「その人が、どうかした?」

 「お話をして……」

 「どんな?」

リベラは黙り倒(こ)くる。
どんなと言われても、愛が云々と説教されただけ。
その内容まで告げる事は躊躇われた。

275 :創る名無しに見る名無し:2015/03/05(木) 19:52:18.62 ID:zLzoM3jZ.net
リベラは視線を義母に向ける。
簡単に言えば、この人の事も愛しなさいと、彼女は白い少女に諭された。
それは理解していたが、何か切っ掛けが無いと、今まで避けていた人と和解するのは難しい。

 「とにかく、無事に見付かったんだし、良かったじゃない」

助け舟を出す様に、義母は横槍を入れる。
リベラは悔しくてならなかった。
これが義母でなければ話は違った。
義母には、嫌な人間であって欲しかった。
もし義母が自分を嫌っていなければ、間違っていたのは自分の方だと、認めなければならなかった。
屈辱に塗れた儘、リベラは沈黙を貫いた。

 「もう勝手に離れたら駄目だぞ。
  僕も、彼女も心配したんだ」

養父ワーロックがリベラの前で、彼の妻カローディアを「お義母さん」と言わないのは、
リベラに対する配慮である。
養父としては、カローディアを妻とし、リベラは2人の子として、家族関係を築きたい。
故に、リベラの前でカローディアを「彼女」と呼ぶ事に、抵抗を感じている。
隠し事の下手な養父は、そうした感情が表に出易いので、リベラも察してしまう。
複雑な事情が絡み合って、リベラの頭をぐるぐる巡り、それは呪縛となって、彼女の体を拘束する。
養父に手を引かれても、石の様に硬直して動かない。

276 :創る名無しに見る名無し:2015/03/05(木) 19:55:30.24 ID:zLzoM3jZ.net
養父は深い溜め息を吐いた。

 「仕方無いな。
  行くぞ、リベラ」

そう言うと、彼はリベラを抱き上げる。
リベラは抱っこするには、過ぎた年齢。
抱えて歩くのは結構な労働だが、養父は表情に出さない。
リベラの中で様々な感情が混ざり合って、気分が悪くなる。
そんな時、彼女は何時も養父に縋って、現実から逃れる様に目を閉じるのだ。
養父の温もりと鼓動を感じて、心を落ち着ける。

 「甘いのね」

義母が拗ねた様に、養父に嫌味を言う。
リベラは聞こえない振りをしながら、やはり義母は好かない人だと再確認した。
そうして答は先延ばし……。
蟠りが解ける日は、暫く後になる。

277 :創る名無しに見る名無し:2015/03/05(木) 20:14:14.30 ID:zLzoM3jZ.net
「時には叱る事も重要よ」

「解ってるよ。でも、構って欲しいリベラの気持ちも、解らなくは無いんだ。僕も弟が居たからね」

「相変わらずね、アナタは。構って欲しいのは、あの子だけじゃないって、解ってる?」

「あ、ああ……。解ってる。君には申し訳無く思っている……」

「んー、あのね、もっと堂々として良いのよ? アタシはアナタと、もっと深い所で繋がってたいの」

「どう言う事?」

「体は離れていても、心は一つ。そう言う感じ? アナタは未だアタシを信用してない」

「信用はしているよ」

「嘘。アタシを放っといたら、どっかに行っちゃうと思ってる」

「それは……いや、今までの事もあるし……。埋め合わせをしたいと言うか……」

「アタシを信じて。アナタが愛すると決めた子なら、アタシも愛せるわ」

「……有り難う」

「良いのよ」

「何か、僕は許して貰ってばかりだ」

「それは違うわ。アタシ達は許し合っているのよ」

「そうだね」

278 :創る名無しに見る名無し:2015/03/05(木) 20:15:48.72 ID:zLzoM3jZ.net
『魔法都市<ゴイテオポリス>』


各魔法都市には、次の様な呼称がある。

グラマー市:『第一魔法都市<プロトゴイテオポリス>』
ブリンガー市:『第二魔法都市<デフテロゴイテオポリス>』
エグゼラ市:『第三魔法都市<トリトゴイテオポリス>』
ティナー市:『第四魔法都市<テタルトゴイテオポリス>』
ボルガ市:『第五魔法都市<ペンプトゴイテオポリス>』
カターナ市:『第六魔法都市<エクトゴイテオポリス>』

これは正式な名前ではないが、よく知られている。
飽くまで、どの魔法都市も公文書等では『市<シティー>』であり、他の市との立場も対等。
但し、魔導師会によって、「魔法都市」に認定される事は大きな意味を持つ。
各地方に一つずつある魔法都市は、大抵の地方では中心都市となっている。
首都ではないが、それに近い扱いだ。
魔法都市に認定されている都市と、そうでない都市の違いは、都市内の魔法関連施設の充実度。
魔法都市は魔導師会によるインフラストラクチャーの整備を、優先的に受けられる。
魔法都市になるには、魔導師会の認定を受けなければならないが、魔導師会は既存以外の、
魔法都市の新設には慎重な姿勢を示している(※)。
今後、他の市の魔法関連施設が幾ら充実しようと、そこに於ける魔導師会の重要性が増すのみで、
魔法都市認定は行われないだろう。


※:理由は1スレ目『魔法都市』参照。

279 :創る名無しに見る名無し:2015/03/05(木) 20:23:13.05 ID:zLzoM3jZ.net
各地方には、都市法を定める議会があり、それぞれ名称が異なる。

グラマー地方行政運営委員会 [Grammar Region Administrative Management Committee]
ブリンガー地方代表者会議 [Bringar Regional Representatives Council]
エグゼラ地方代表者会議 [Exera Regional Representatives Council]
ティナー地方都市連盟 [Tainer Region Poleis Union]
ボルガ地方代表者会議 [Wolga Regional Representatives Council]
カターナ地方代表者会議 [Katana Regional Representatives Council]

どの議会も開催されるのは、その地方の魔法都市にある地方議事堂。
グラマー地方行政運営委員会は、略して「GRAM-C」と呼ばれる。
その他の地方は「地方代表者会議(RRC)」で纏められているが、唯一ティナー地方だけは、
「地方都市連盟(RPU)」と言う独自の名称を用いている。
これはティナーが他の都市より独立心が強かった為である。
今でもティナー市民の多くは、ティナーこそが大陸の中心で、最も栄えていると自負している
(地理的にも統計データ的にも間違ってはいない)。

280 :創る名無しに見る名無し:2015/03/05(木) 20:38:18.77 ID:zLzoM3jZ.net
ティナー地方都市連盟は正確には「ティナー地方・都市連盟」。
Poleis Union of the Tainer Region.
「poleis」は「polis」の複数形。

281 :創る名無しに見る名無し:2015/03/06(金) 19:44:00.71 ID:xqT/6pyy.net
童話「運命の子」シリーズA 奇跡の者


『火竜退治<フレイムドラゴンバスター>』編


クローテルがアルス子爵領を受け継いで、3つの月がめぐった時、彼はアーク国王に、
呼びつけられました。

 「最近、西の国で火竜が暴れているらしい。
  クローテルよ、お前が私の忠実な臣下であると言うならば、我が息子と共に、
  これを退治してみせよ」

そう命じると、王様は一人の若者を呼びます。

 「ヴィルト!」

彼は王様に礼をすると、クローテルに挨拶をしました。

 「私がアーク国王の第一王子にして、つばさの騎士団団長ヴィルトだ。
  クローテル殿、あなたの勇名は聞いている。
  活躍を期待しているぞ」

クローテルは領主なので、簡単に領地を離れる訳にはいきませんが、王様の命令なので、
引き受ける他にありませんでした。
彼は屋敷の執事たちに領地を任せて、ヴィルト王子と西の国に出かけました。

282 :創る名無しに見る名無し:2015/03/06(金) 19:54:29.38 ID:xqT/6pyy.net
ヴィルト王子には若い騎士たちが大勢護衛についていました。
全員つばさの騎士団の者たちです。
その中のハイン副団長が、クローテルに命じます。

 「騎士クローテル、あなたには先導を願いたい」

 「分かりました」

クローテルは何の疑問も持たず、ハイン副団長に従いました。
クローテルの横には、地図を持った若い騎士見習いが付いて、案内をします。
西の国に入ると、領主である公爵の使いの者が、ヴィルト王子を迎えました。

 「ようこそ、お出でくださいました、ヴィルト王子。
  どうか、私たちを火竜からお守りください」

 「うむ、安心せよ。
  神槍コー・シアーが、災厄から君たちを守るだろう。
  ランスベアラーである聖槍家の名にかけて、必ずや私が火竜を征伐して見せる」

ヴィルト王子は、そう言って白い布に包まれた槍を、高く掲げました。
公爵の使いと、つばさの騎士たちは、膝を突いて頭を下げます。
聖槍家と神槍のことはクローテルも知っていましたが、皆が示し合わせた様に平伏すのが、
彼には不思議でなりませんでした。

283 :創る名無しに見る名無し:2015/03/06(金) 20:05:26.14 ID:xqT/6pyy.net
つばさの騎士団は領内の宿に泊まり、ヴィルト王子と副団長、そして数人の側付きの者たちは、
公爵の宮廷に行きました。
クローテルは貴族でしたが、他の騎士たちと一緒に、街の宿に泊まらせられました。
――その夜、突然地震が起こって、騎士たちも領民たちも皆、飛び起きます。
何しろアーク国では地震なんて起こらないものですから、これは何事かと、皆あわてていました。
地鳴りと同時に、ドーン、ドーンと、大砲の様な恐ろしい音が、遠くから響いて来ます。
どこか外国が攻めて来たのかと、つばさの騎士たちは武器を手に外へ飛び出しました。

 「あれは何だ!?」

騎士の一人が、高い山を指差して、さけびます。
山の頂は、太陽が昇るかのように、真っ赤に燃えていました。
赤熱する溶岩がほとばしって、つばさの様に広がります。
そこには確かに、赤々と燃える炎の竜が居ました。

 「火竜だ!
  バルカンの火竜が怒っている!」

領民は口々にさけびました。
火竜がほえる度に、溶岩が弾け飛び、花火のように夜空を照らします。

 「あれが大火竜バルカンレギナ……」

あまりに巨大な竜の姿に、騎士たちは呆然と立ち尽くしていました。

284 :創る名無しに見る名無し:2015/03/07(土) 19:20:40.43 ID:Qx//phO+.net
朝を迎えて、つばさの騎士たちは火竜の棲むバルカン山に向かうことになりました。
ところが、誰も嫌そうな顔をしていて、気が進みません。
ヴィルト王子だけが、はりきっています。

 「これより我々は、バルカンレギナを退治するため、バルカンの頂に向かう!」

ヴィルト王子が号令をかけると、その後にハイン副団長が続けました。

 「その前に情報を集めたい。
  5名を先遣隊として、バルカン山に偵察に向かわせる。
  我こそはと言う者は、名乗り出よ。
  残りの者は街で聞き込みだ」

つばさの騎士たちは、尻込みするばかりで、誰も名乗り出ません。
ヴィルト王子はハイン副団長に言いました。

 「偵察だの聞き込みだの、何を悠長な!
  この国は長らくアーク国の属領だ。
  今更何を知ろうと言うのだ?」

ヴィルト王子は早く火竜を征伐するべきだと考えていましたが、ハイン副団長は慎重でした。

 「しかし、殿下も御覧になったでしょう。
  たとえ神槍のご加護があろうとも、あの巨大な怪物に無策で挑むのは、無謀です」

 「殿下と呼ぶな!
  私は騎士だ、団長と呼べ!」

ハイン副団長は万が一にも、王子を危険な目にあわせるわけには行きませんでした。

285 :創る名無しに見る名無し:2015/03/07(土) 19:24:36.06 ID:Qx//phO+.net
ハイン副団長はヴィルト王子を無視して、先遣隊を決めます。

 「騎士クローテル、あなたの勇名が確かなら、先遣隊の隊長を務めてもらいたい」

 「分かりました」

クローテルが素直に答えたので、ハイン副団長は驚きましたが、これを利用しない手はありません。
彼はクローテルをおだてて、騎士たちをたきつけます。

 「さすがは、勇士クローテル。
  つばさの騎士諸君は、彼を見習いたまえ!
  困難を前にしても、臆さず、堂々とした、たたずまい!
  さあ、彼に続く勇者はいないのか、つばさの騎士団!」

勢いづくハイン副団長に、ヴィルト王子は抗議しました。

 「ハイン、貴公は団長を何と心得る!
  私が王子というだけで団長になったと思って、軽んじているのか!」

 「私は副団長として、団長を補佐し、お守りするのが役目です。
  団長が無謀な指揮を執られるなら、それを止め、いさめるのは当然のこと」

ハイン副団長が冷静に答えたので、ヴィルト王子は言い返せなくなり、黙ってしまいました。

286 :創る名無しに見る名無し:2015/03/07(土) 19:28:26.57 ID:Qx//phO+.net
ハイン副団長は改めて、つばさの騎士たちに問いかけます。

 「誰か勇気ある者はいないのか!」

彼は他に誰も名乗り出なければ、クローテルを一人でバルカン山に行かせるつもりでした。
誰もが顔を見合わせる中で、ヴィルト王子が声を上げます。

 「では、私が行こう!」

ハイン副団長は呆れました。

 「指揮官は、みだりに前線に出る物ではありません」

まったく取り合わない彼に、ヴィルト王子は食ってかかります。

 「ハイン、貴公のことだ、分かっているのであろう!
  いかに勇猛な戦士でも、あの火竜を相手にはできぬことを!
  この神槍をあつかえる私を措いては!」

 「……ですから、先遣隊に調査を――」

 「何を調査するというのだ!
  貴公は撤退の口実を探し、時間稼ぎをしているだけだろう!」

ヴィルト王子の指摘は、ハイン副団長の心理を正しく言い当てていました。

287 :創る名無しに見る名無し:2015/03/07(土) 19:34:50.93 ID:Qx//phO+.net
ヴィルト王子は更に問いかけます。

 「この国を見捨てるのか?」

 「それを判断するための調査です」

 「では、とうてい敵わないと認めたら、撤退するというのだな!」

 「場合によっては、そういう選択もあるかも知れません」

淡々と答えるハイン副団長に、ヴィルト王子は失望しました。

 「よく分かった。
  貴公は信仰心を持たないのだな……。
  我が聖槍家の神威(しんい)も信じていないと見える」

 「そのような事は――」

 「取りつくろうな!
  伝承の通りならば、バルカンレギナはアルアンガレリアの子だ。
  即ち、聖君ディケンドロスが、人の敵として生み出した竜が一。
  それを倒せずして、何のための神槍、何のための聖槍家か!」

ヴィルト王子の言うとおり、ハイン副団長は神槍に秘められた力を信じていませんでした。
彼はアーク国王が王だから、その命令に従っているに過ぎないのです。
反論できないハイン副団長に、ヴィルト王子は言います。

 「私はクローテル殿と火竜征伐に向かう。
  ハイン、貴公は神槍の加護を信じるか?
  信じられるならば、ついて来い。
  命が惜しいならば、騎士たちと共に、アーク国へ引き返せ!」

ヴィルト王子の決意は固く、ハイン副団長は最早止める言葉を持ちませんでした。

288 :創る名無しに見る名無し:2015/03/07(土) 19:54:56.15 ID:Qx//phO+.net
ハイン副団長は苦々しさを顔に表して、ヴィルト王子の情に訴えます。

 「殿下を置いて国に帰るなど、私たちにできようはずがございません。
  つばさの騎士団は、殿下の剣にして盾。
  殿下を見捨てたと思われては、騎士の資格無しと断じられ、陛下に処罰されてしまいます」

 「処罰が恐ろしくて、帰らないと言うのか?
  では、どうする?」

 「殿下、少しは我々のことも顧みてください。
  つばさの騎士たちは若く、殿下のように神槍も持たぬのです」

 「国には帰れぬ、竜とは戦えぬ、何もできぬと言うならば、ただ果報を待つが良い。
  その間に領民を避難させるなり何なり、つばさの騎士団の指揮は任せるぞ、ハイン」

勇むヴィルト王子を見て、ハイン副団長も覚悟を決めました。

 「団長が無謀な指揮を執られるなら、それを止め、いさめるのが、副団長である私の務め。
  つばさの騎士たち、殿下を取り押さえろ!」

何が何でも王子を危険にさらせなかったのです。
彼にとっては王子よりも、王様が絶対でした。

289 :創る名無しに見る名無し:2015/03/07(土) 20:02:05.66 ID:Qx//phO+.net
団長に従うのか、副団長に従うのか、つばさの騎士たちは戸惑います。

 「騎士が団長に、このアーク国の第一王子に逆らうのか!」

ヴィルト王子が騎士たちを一喝すると、ハイン副団長も騎士たちに言います。

 「ここで殿下を止めても、陛下は我々を処罰なさらないだろう!
  逆に、殿下を止めなければ、どうなるか考えてみよ!」

お互いに権力を振りかざした、醜い言い争いでしたが、理はハイン副団長の方にありました。
つばさの騎士たちは、ヴィルト王子を取り囲みます。

 「お前たちは、それでも騎士か!
  アーク国の若き精鋭、つばさの騎士の名が泣くぞ!」

 「何とでも仰ってください。
  殿下も今一つ大人になられれば分かるでしょう」

ハイン副団長の無礼な振る舞いに、ヴィルト王子は憤慨しました。

 「戦いもせず逃げ帰って、民には何と言い分ける!
  神槍も火竜には敵わなかったとでも言う気か?
  王の権威は揺らぎ、その正当性が疑われるだろう!」

 「ご安心ください、殿下。
  そこまで民は信仰心を持っておりませぬよ」

信じられない事実を、ハイン副団長に告げられたヴィルト王子は、がく然として、
つばさの騎士たちの顔を見渡しました。
誰も彼も怯えた顔をして、王子をにらんでいました。

290 :創る名無しに見る名無し:2015/03/08(日) 17:40:55.58 ID:EDYtxAt/.net
ヴィルト王子は抵抗をあきらめて、つばさの騎士たちに取り押さえられました。
ハイン副団長は騎士たちに命じて、失意のヴィルト王子を、宿の部屋に押し込めます。
その様子をクローテルは、何もせず見送っていました。
そして、騒ぎが落ち着いたところで、彼はハイン副団長に尋ねます。

 「私と共に先遣隊として、バルカン山に同行する騎士はいないのですか?」

ハイン副団長は、今までの流れをまったく無視したクローテルの発言に、眉をひそめました。
昨晩の火竜を見て、誰もバルカン山に行きたがるはずがありません。
しかし、撤退の名目を立てるために、先遣隊は必要でした。

 「残念ですが、今は騎士たちを動かせません。
  その代わり、従騎士シャルティスをつけましょう。
  山頂まで行っても、火竜の姿が無ければ、戻ってください」

ハイン副団長はクローテルを火竜と戦わせて、見捨てるつもりでした。

 「分かりました」

クローテルは騎士見習いのシャルティスと一緒に、バルカン山へ向かいます。
バルカン山のふもとで、クローテルとシャルティスは、槍を持った男に呼び止められました。

 「待っていたぞ、クローテル殿」

彼はフードで顔を隠していましたが、クローテルには誰だか分かりました。

 「ヴィルト王子?」

 「ははは、よく分かったな」

王子はフードを取って、素顔を見せます。

291 :創る名無しに見る名無し:2015/03/08(日) 17:43:12.35 ID:EDYtxAt/.net
シャルティスは驚きました。

 「ど、どうして団長が!?」

 「どうしても何も、抜け出して先回りしたのだ。
  クローテル殿、無理な願いだとは承知しているが、何も言わずに、私も同行させて欲しい」

まっすぐな瞳でヴィルト王子は、クローテルに頼み込みます。
クローテルが答えるより先に、シャルティスが言いました。

 「いけません、ヴィルト王子!
  ここは危険です!」

 「君には聞いていない」

ヴィルト王子はシャルティスを冷たく突き放します。
あまり悩まず、クローテルは答えました。

 「構いませんよ」

簡単に了承されたので、ヴィルト王子の方が、逆に驚いてしまいます。

 「良いのか!?」

 「ええ」

 「しかし、なぜ?」

 「何も言わずにと仰ったではありませんか……」

ヴィルト王子はクローテルの答に、しばらく呆気に取られていましたが、やがて大笑いしました。

 「ははははは、なかなかおもしろい男だ!
  気に入ったぞ、クローテル殿!」

292 :創る名無しに見る名無し:2015/03/08(日) 17:45:09.64 ID:EDYtxAt/.net
ヴィルト王子は改めてクローテルに理由を尋ねました。

 「先の言葉は撤回する。
  理由を教えてくれ」

 「それは陛下の命令だからです。
  ヴィルト王子と共に火竜を退治せよと、私は陛下から命じられました。
  その命に背くわけには参りません。
  それに私も一領主です。
  領地と領民を守ることの大切さは知っているつもりです」

 「なるほど、なかなか舌が回る」

感心するヴィルト王子ですが、シャルティスは呆れて何も言えません。
クローテルとシャルティスとヴィルト王子は、3人でバルカン山を登りはじめました。
山肌には昨夜の噴火で、熱い溶岩が張りついています。
クローテルとヴィルト王子は溶岩を避けて、平気な顔で登っていきます。
2人から少し遅れて、シャルティスも懸命に付いていきました。
ところが、山頂が近くなると、溶岩を避けようがなくなってきます。

 「もう帰りましょう。
  これでは先には進めません」

シャルティスは必死に訴えました。
ヴィルト王子は難しい顔で、両腕を組んで、立ち尽くします。

293 :創る名無しに見る名無し:2015/03/08(日) 17:49:05.50 ID:EDYtxAt/.net
シャルティスはヴィルト王子に言いました。

 「私たちの目的は調査だけです。
  火竜と戦うことはできません」

ヴィルト王子はシャルティスに言い返します。

 「君は騎士でもないから、引き返せば良い。
  しかし、私は神槍を受け継ぐ者として、民に信仰心を取り戻させなければならない」

ヴィルト王子は使命に燃えていました。

 「ランスベアラーは神槍に触れることを許された、選ばれし者。
  神槍を持ち、悪しき者共から人々を守るのが務め。
  だからこそ、いくつもの国を束ねる王に選ばれたのだ。
  今ここに火竜に怯える民が居るというのに、神槍を振るわねば、聖槍家とは何なのだ?
  玉座で反り返り、冠をいただくだけの者が、王だというのか!
  君も聖槍家の神威を疑うのか?」

シャルティスは答えられませんでした。
彼も王子を無事に帰したいと思っていましたが、火竜を倒せないと決めつけてしまうと、
神槍と王家の正しさを信じていないことになってしまいます。

 「クローテルさん、何とか言ってください」

困り果てたシャルティスはクローテルに助けを求めました。

294 :創る名無しに見る名無し:2015/03/08(日) 17:55:28.19 ID:EDYtxAt/.net
クローテルは白い煙を噴く、山の上を見つめていました。

 「神槍があれば何とかなるのであれば、神槍で何とかすれば良いのではないでしょうか?」

素直なクローテルの疑問に、ヴィルト王子は面食らいました。

 「そこまで言うならば、目に入れよう!
  この神槍の力、しかと見よ!」

ヴィルト王子は槍を構えて、道をふさぐ溶岩に振り下ろします。
すると、まばゆい閃きが走り抜けて溶岩を消し飛ばし、まっすぐ山頂まで道を開けました。

 「す、すごい!」

シャルティスは初めて見る神槍の力に、目を丸くして驚きました。

 「これで文句は無かろう!
  だが、神槍は本来、濫りに振るうものではないことを、ゆめゆめ忘れるな!
  神槍は神より賜ったものではない!
  代々聖槍家が、『お預かりしている』のだ!
  大いなる災厄に立ち向かう時のみ、特別に振るうことが許されているに過ぎない!」

シャルティスは膝を突いて、王子に許しを請います。

 「すみませんでした。
  どうか、お許しください。
  私は神槍の力を目にするまで、神威を疑っておりました」

 「良い。
  見えぬ物を信じろと言っても、難しい話だ。
  ……なげかわしいことだがな。
  先を急ぐぞ」

ヴィルト王子が歩き出すと、シャルティスは急いで付いていきます。
クローテルも黙って後に続きました。

295 :創る名無しに見る名無し:2015/03/09(月) 19:29:35.33 ID:S1DIYZ/x.net
山頂に着いた3人でしたが、そこに火竜の姿はありません。
ヴィルト王子とシャルティスは、ゆっくり火口に近づいて中をのぞき込みました。
すり鉢状の大きな穴の中央には、煮えたぎる溶岩が溜まっています。

 「この中に火竜が眠っているのでしょうか?」

シャルティスが尋ねると、ヴィルト王子は生つばを飲んで答えました。

 「おそらく」

 「どうしましょう?
  眠っている内に、しとめますか?」

 「ししの尾を踏むことはしたくないが……」

この中に火竜が眠っているのは、間違いありません。
しかし、一撃で倒せなければ、竜が暴れて大変なことになります。
ヴィルト王子が槍を構えると、いきなり山が震えはじめて、じわじわと溶岩のかさが増しました。
溶岩は火口のふちから見る見るあふれて、流れ出してきます。

 「いかん!
  2人は火口から離れて、私の後ろに下がれ。
  神槍よ、私たちを守りたまえ!」

ヴィルト王子はクローテルとシャルティスを下がらせると、槍を地面に突き刺しました。
溶岩は槍を避けて、二叉に分かれ、山谷へ流れ落ちていきます。

296 :創る名無しに見る名無し:2015/03/09(月) 19:31:42.02 ID:S1DIYZ/x.net
その後、ドーンと大砲のような音が鳴り、ヴィルト王子とシャルティスは耳をふさぎました。
溶岩が天まで弾け飛び、ばらばらと地上に降り注ぎます。
火口から炎のように真っ赤な竜が姿を現しました。
体は王様の城より巨大で、つばさを広げれば空が隠れます。
ヴィルト王子は槍を構えて言いました。

 「お前が大火竜バルカンレギナか!
  長年おとなしく眠っていた物が、何ゆえに人々を困らせる?」

バルカンレギナは答えます。

 「愚かにも、人が信仰と結束を失ったためだ。
  我はアルアンガレリアの子として、竜の役(つとめ)を果たす」

 「ならば、私は君主として、お前を討ち果たす!」

 「その槍はコー・シアーだな。
  お前が神槍を持つに相応しい者か、見定めてくれよう」

問答が終わると、バルカンレギナは溶岩を吐き出しました。
クローテルは腰の抜けたシャルティスを下がらせ、ヴィルト王子は槍で溶岩を切りさきます。

 「神槍よ、私に力を!」

ヴィルト王子はバルカンレギナの前足に、槍を突き刺すと、大きく振り上げました。
バルカンレギナの前足が縦に割れて、胴体をつらぬき、つばさの先まで、半身を切りさきます。

297 :創る名無しに見る名無し:2015/03/09(月) 19:38:30.92 ID:S1DIYZ/x.net
ところが、バルカンレギナの傷口からは溶岩が流れ出るだけです。
溶岩はすぐに冷えて固まり、たちまち傷口をふさいで、火竜の体を元のとおりにしました。

 「非力なり。
  神槍をあつかうに足るも、我を討つには及ばず」

バルカンレギナが落雷のような声で鳴くと、再び山が大きく震えて、方々から火柱が上がります。
ヴィルト王子は立っていられず、膝を突いてしまいました。

 「屈するは王に非ず」

バルカンレギナはヴィルト王子を目がけて、溶岩の炎を吐き出します。
これで死ぬのかと、ヴィルト王子が目を閉じた時でした。
クローテルが剣を抜いて、ヴィルト王子をかばいに前へ出ました。
彼が剣を振るうと、炎が真っ二つにさけて、かき消えます。

 「むむ、何者だ、こやつ」

バルカンレギナは驚いて、大木のような太さの、燃え盛る炎の尻尾をむちのように振るって、
クローテルを叩き払おうとしました。
クローテルは左腕一本で尻尾を受け止めてしまいます。
岩をも溶かす炎が、クローテルの腕を焼きましたが、彼は熱がりもしません。

 「奇怪な。
  化生のたぐいか?
  神の法の国も落ちたものだ」

バルカンレギナは大きなつばさを羽ばたかせて、熱風を起こしました。
地面から噴き上がる火柱と、溶岩を巻き上げる炎の大竜巻が、クローテルをおそいます。
ヴィルト王子とシャルティスは伏せて、小さくなっている他にありませんでした。
それは地獄が地上に現れたようでした。

298 :創る名無しに見る名無し:2015/03/10(火) 19:47:50.06 ID:4ZA8tEsM.net
クローテルは全身を真っ赤に燃やされながらも、踏み止まります。
炎に包まれても、その白い髪と目は、霊銀(アルベース)のように輝きを失いません。

 「まだ耐えるか!
  いかなる邪法を用いれば、お前のような者が生まれるのか?
  よほど、おそれを知らぬと見える」

バルカンレギナは鋭い爪で、燃えないクローテルを引きさこうとしました。
さすがにクローテルは飛び退いて、かわします。
ヴィルト王子はクローテルに言いました。

 「クローテル殿、もう良い!
  私の判断が間違っていた!
  バルカンレギナは強すぎる、私たちの敵う相手ではない!
  引き返そう!」

しかし、クローテルは聞きません。
彼は王子に頼みます。

 「その槍を貸してください」

ヴィルト王子は断りました。

 「無理だ!
  神槍は選ばれた者にしか、あつかえない!
  資格の無い者には、神威を持たぬ重鉄(プルトン)の槍だ!」

 「構いません。
  重鉄のごときであれば、それだけ威力も増すでしょう」

クローテルはヴィルト王子が持つ槍に、手をかけました。
それと同時にヴィルト王子は、自然と手を放していました。

299 :創る名無しに見る名無し:2015/03/10(火) 19:49:19.69 ID:4ZA8tEsM.net
クローテルは槍を軽々と振り回して見せます。
すると、驚くべきことに、触れてもいないバルカンレギナの前足が砕けました。

 「これは一体どうしたことだ!?」

驚いたのはバルカンレギナだけではありませんでした。
ヴィルト王子も、クローテルが神槍の力を引き出していることが信じられませんでした。

 「クローテル殿、あなたは一体……」

クローテルが何も無い空間に向けて槍を突き出すと、バルカンレギナの胴に風穴が開きます。
その場でクローテルが槍を繰(く)っているだけで、バルカンレギナは細切れになりました。

 「た、倒せたのか?」

ヴィルト王子は目を疑いました。
バルカンレギナは跡形も無くなり、火山も鎮まっています。
王の血筋以外で神槍をあつかいこなせる者は、この世に一人しかいません。

 「クローテル殿、もしや、あなたは――」

ヴィルト王子は立ち上がることができませんでした。
彼はクローテルに神聖な物を感じていました。

300 :創る名無しに見る名無し:2015/03/10(火) 19:56:29.84 ID:4ZA8tEsM.net
ヴィルト王子もシャルティスも、これで安心だと思った時、再び山が震えj出しました。
山頂の溶岩から、無数の火柱が上がって、それが竜の形になります。
クローテルが槍を構えると、炎の竜となったバルカンレギナは彼を制止しました。

 「もはや我に敵対の意思は無し。
  矛を納められよ」

クローテルはバルカンレギナの言うことを信じて、槍の先を逸らします。

 「そなたが降臨されたということは、時が来たのであろう。
  王を認め、我は再び眠りにつく。
  願わくば、人に信仰が、世に平穏が、戻らんことを」

そう言うと、バルカンレギナは溶岩の中に沈んでいきました。
クローテルは何を言われたのか、さっぱり分からないので、首をかしげます。
とりあえず問題は解決したようなので、彼は槍を王子に返しました。

 「ヴィルト王子、大丈夫ですか?
  この槍は、お返しします」

片膝を突いて、献上の姿勢をするクローテルに、ヴィルト王子は言います。

 「おやめください!
  あなたが膝を突くことはありません!」

 「しかし、あなたは王子で、私は王の臣下です」

 「そ、それは、そうですが……。
  いえ、あなたこそが真の王なのです」

 「何を仰るのですか?」

まじめな声でクローテルはヴィルト王子を心配しました。

301 :創る名無しに見る名無し:2015/03/11(水) 18:07:07.63 ID:tzmcRPFP.net
本気で何も分かっていない様子のクローテルに、ヴィルト王子は何と言って良いか、困りました。

 「クローテル殿……いえ、クローテル様、あなたは神槍の真の力を引き出しました。
  我が聖槍家以外で、神槍の真の力を引き出せるのは、神に選ばれし真の王だけなのです」

 「神槍の真の力とは何ですか?」

 「まこと神のように、偉大で強大な力です」

クローテルは少し考えて、やはり槍を王子に差し出しました。

 「強い力を持つだけで、王と認めてはいけないと思います。
  それに私には神というものが、今ひとつ分かりません。
  このような者が、神の名の下に人を束ねる、王となって良いはずがありません」

ヴィルト王子はクローテルの話を聞いて、そうかも知れないと思いました。
しかし、彼は神槍が人を選ぶことを知っています。
資格の無い者を神槍が選ぶのだろうかと、ヴィルト王子は悩みました。
しかたなく槍を受け取った彼は、シャルティスを呼びました。

 「時に、そこの従騎士君。
  この神槍を持ってみてくれ」

 「わ、私が!?
  よろしいのですか?」

シャルティスは突然の指名に驚きながらも、うれしそうに応じます。

302 :創る名無しに見る名無し:2015/03/11(水) 18:08:30.09 ID:tzmcRPFP.net
シャルティスはヴィルト王子から槍を渡されました。
ところが、ヴィルト王子が槍から手を放すと、槍は突然重くなってしまいます。
シャルティスは重み耐えられず、槍を落としてしまいました。

 「ああっ、すみません、ヴィルト王子!
  神聖な槍を汚してしまいました!」

何とか持ち上げようとするシャルティスですが、槍は少しも動く気配はありません。
ヴィルト王子は両腕を組んで、うなりました。

 「やはり無理か……。
  では、クローテル殿、槍を拾い上げてみてください」

クローテルは難なく拾い上げて、ヴィルト王子に渡します。
ヴィルト王子はクローテルに尋ねました。

 「重くありませんでしたか?」

 「いいえ、全然重たくありませんでした。
  バルサの杖のようです」

 「そうですか……」

やはりクローテルは神槍の正しい持ち主ではないかと、ヴィルト王子は考えます。
それでも本人が認めなければ、意味がありません。

303 :創る名無しに見る名無し:2015/03/11(水) 18:11:23.76 ID:tzmcRPFP.net
いつまでも山頂に留まっているわけにもいかず、3人は下山することにします。
ヴィルト王子は山を下りる道すがら、クローテルに言いました。

 「ともかく、バルカンレギナを鎮められたのは、クローテル殿の功績です。
  その点に異論は無いでしょう」

 「そうでしょうか?
  私は神槍あっての成果だと思います」

 「そうかも知れませんが、実際に火竜を倒したのは、クローテル殿です。
  私は正直に、そのことを皆に報告しましょう」

ヴィルト王子は晴れやかな顔をしていました。
クローテルはヴィルト王子が、うれしそうな理由が分かりませんでしたが、水を差すのも悪いと思って、
何も言いませんでした。

 「クローテル殿、あなたは神とは何だと思いますか?」

いきなりのヴィルト王子の質問に、クローテルは答えあぐねます。

 「それが分からないのです。
  おそれながら私は今まで神を見たことも、感じたこともありません」

 「神槍を手にした時は、何か感じませんでしたか?」

 「いいえ」

さすがにヴィルト王子は驚きました。

 「あれほどの神威を目の当たりにしても?」

ヴィルト王子が神槍を初めて振るった時は、その力を恐ろしいと思って、おののきました。
誰でも過ぎた力を持てば、それを恐れるものです。
しかし、クローテルには恐れる心がありませんでした。

304 :創る名無しに見る名無し:2015/03/12(木) 19:52:44.22 ID:By02eNJh.net
クローテルは足を止めて、ヴィルト王子に言います。

 「ご覧ください、ヴィルト王子」

クローテルは剣を抜いて、天にかざしました。
彼が何をするのか、ヴィルト王子とシャルティスは見守ります。
クローテルが剣で大空をなぐと、まるで剣先を避けるように、空の雲が割れました。
開いた口がふさがらないヴィルト王子とシャルティスに、クローテルは尋ねました。

 「これが神威でしょうか?」

ヴィルト王子は困惑して、クローテルに聞きました。

 「その剣は何か特別な力を秘めているのですか?
  まさか魔剣?」

クローテルはヴィルト王子に持っている剣を渡します。

 「普通の剣です。
  お確かめください」

ヴィルト王子はクローテルの剣を振ってみますが、何も特別なことは起こりません。

 「……確かに、普通の剣ですね。
  それならば、クローテル殿が特別な力を持っていることに……。
  いや、それは分かったことです。
  クローテル殿は正に神の子」

 「人より力が強ければ、神の子ですか?
  それを人が決めて良いものでしょうか?」

クローテルの口振りに、ヴィルト王子は神がかったものを感じていました。

 「クローテル殿は神を信じていらっしゃるのですか?」

 「もし神というものが、誰もの語るとおりならば、私が真の王を名乗ることはできないでしょう。
  私は天啓も神託も受けたことがないのですから」

それでもヴィルト王子は、クローテルこそが神の子だと、信じて疑いませんでした。
そして、クローテルの言い分を信じて、彼が使命に目覚める時を待つことにしました。
クローテルが真の王ならば、やがて運命が彼を選ぶと思ったのです。

305 :創る名無しに見る名無し:2015/03/12(木) 19:55:33.68 ID:By02eNJh.net
山のふもとに下りた3人を、つばさの騎士たちが迎えに来ました。
ハイン副団長が青い顔でヴィルト王子に駆け寄ります。

 「おお、殿下、ご無事でしたか!」

 「ははは、私が出る幕は無かったぞ。
  クローテル殿が火竜を倒してしまった」

ヴィルト王子は笑って何でもないことのように言いました。
わざと彼は神槍のことは伏せました。
クローテルに気が無い以上は、話が複雑なるだけで、民を混乱させてしまうと思ったのです。

 「騎士クローテルが!?」

 「ああ、彼の勇名は本物だ。
  バルカンレギナは再び眠りにつき、この国の安全は守られた」

誰もが驚いた顔でクローテルを見ますが、まったく彼は反応しません。
ヴィルト王子は彼にささやきました。

 「戦いの様子を聞かせてやってください」

クローテルは少し考えてから言います。

 「なかなか手強い敵でした。
  ヴィルト王子の協力なくしては、倒せなかったでしょう」

 「ははは、クローテル殿、お上手でいらっしゃる!」

愉快そうに笑うヴィルト王子を不審に思い、ハイン副団長はシャルティスに小声で尋ねます。

 「本当なのだろうな?」

306 :創る名無しに見る名無し:2015/03/12(木) 19:57:56.13 ID:By02eNJh.net
シャルティスは畏まって言いました。

 「本当です。
  クローテルさんは勇気ある偉大な方です」

ハイン副団長はクローテルを認めざるを得ず、複雑な顔になりました。
そこへヴィルト王子が声をかけます。

 「どうした?
  喜ばしいことだろう、ハイン。
  さっそく公爵に朗報を伝えなくてはな。
  クローテル殿も共に」

 「しかし、クローテル殿は……」

ハイン副団長は何か言いたそうにしていましたが、ヴィルト王子は気にしませんでした。

 「何をぐずっている。
  戦功者を称えないわけにはいかないだろう」

ヴィルト王子はクローテルとハイン副団長、それと数人の側付きを連れて、西の国の公爵に、
火竜征伐の報告をしに行きました。
公爵は大変喜び、ヴィルト王子に感謝の印として、宝章を献上すると言い出しました。

 「我が領地と領民を守っていただき、ヴィルト殿下には感謝の言葉もありません。
  私と領民たちの気持ちを表す、殿下の勇気を称える宝章を、お受け取りください」

公爵はヴィルト王子に宝章を差し出しましたが、彼は断りました。

 「それを受け取るのは、クローテル殿が相応しいと思います。
  火竜征伐は、つばさの騎士団の功績ではありません」

公爵は驚いた顔で、クローテルを見ました。

307 :創る名無しに見る名無し:2015/03/12(木) 19:59:40.28 ID:By02eNJh.net
クローテルは子爵で、身分は王子よりも公爵よりも下です。
クローテルも公爵も困りました。

 「殿下を差しおいて、私が宝章を受け取るわけには参りません」

クローテルは遠慮しますが、王子は聞きません。

 「クローテル殿、あなたこそが勇気ある者だと、私は認めています。
  それともクローテル殿は、公爵の感謝の印を受け取れないと仰るのですか?」

王子に取り成されて、公爵はクローテルに宝章を渡します。
それはクローテルが初めて授かった勲章でした。
その夜は盛大なパーティーが開かれ、翌朝クローテルとつばさの騎士団は、アーク国に帰りました。
クローテルが大火竜バルカンレギナを倒した事実は、1月もしない内に国中に広まりました。

308 :創る名無しに見る名無し:2015/03/13(金) 19:33:39.57 ID:gZ2o5UAy.net
童話「運命の子」第二章「奇跡の者」火竜退治編は、盗賊退治編に続く、第二編に当たる。
背後の事情を省略しているが、アーク国王がクローテルを火竜退治に向かわせた裏には、
彼を君主とするマルセル国があった。
クローテルはアーク国王に認められていないが、マルセル国を従えている為、
実際は公爵相当の権力を持っている事になる(本人は行使していない)。
クローテルがアルス子爵領を引き継いた際に、マルセル国王はアーク国王に一応の断りを入れ、
使節団を送って祝福している。
だが、その内容は「クローテルは子爵に止まる様な人物ではない」と言う評だった。
アルス子爵領の復興にも、マルセル国の支援があった。
マルセル国王はアーク国王よりも、クローテルとの関係を重視していた。
これがアーク国王は気に入らなかったらしく、神槍を持つ息子ヴィルト王子に火竜を退治させて、
王家の威信回復を図ったのである。
火竜退治にクローテルを同行させた理由は、よく分かっていない。
火竜にクローテルを殺させる積もりだったとも、ヴィルト王子と神槍、そして聖槍家の偉大さを、
国民と彼に知らしめる為だとも、言われている。
以上の様に、話の根底にはアーク国王とマルセル国王の確執があったのだが、
第一章で政治的な話が省かれた関係上、無かった物として扱われている。

309 :創る名無しに見る名無し:2015/03/13(金) 19:36:50.17 ID:gZ2o5UAy.net
西の国は原典ではワートス国と呼ばれている。
ワートスの由来は、西、風、山、穀物の何れか、又は何れかの複合、又は全て。
この国はディボーパリョーン公爵が統治する、アークレスタルト法国の属国である。
一部の書籍では、ディボーパリョーン公爵はディボー公爵、又は西山敢闘公と紹介されている。
詳細は不明だが、ワートスを支配していた地方豪族を祖先に持つと言う。
「西の国」の名前通り、アーク国の西に位置し、北西部は海に面する。
南側は山地だが、火竜の棲むバルカン山は、その中から少し外れてワートス国の中心近くにある。
位置関係から、バルカン山はワートスの臍とも言われていたらしい。
バルカン山は休火山で、火竜が棲むと伝えられていた物の、これまで火山活動は無かった。
それが証拠に、国土が隣接しているアーク国の騎士が、「地震」を知らないと記されている。
アーク国やワートス国は、然程巨大な国土を持つ国家ではないので、火山活動が継続しているなら、
騎士が地震を知らないとは考え難い。

310 :創る名無しに見る名無し:2015/03/13(金) 19:41:59.67 ID:gZ2o5UAy.net
『翼の騎士団<ウィング・ナイツ>』は、国内の若年騎士を集めた、ヴィルト王子を団長とする、
百人単位の騎士団である。
若年の王族や高位貴族の子息の為に設けられた騎士団で、若き精鋭とは言う物の、
訓練ばかりで実際に戦う事は殆ど無い、名ばかりの騎士団だった様だ。
しかし、団員は貴族の子息ばかりではなく、平民の騎士も在籍していた。
これは下働きや雑用を務める者が必要だった為である。
ヴィルト王子に随伴した騎士は18名で、個人名は不明だが、何れも下級貴族の子息か平民だった。
ハイン副団長は、翼の騎士団内に於ける、王子の目付け役の騎士。
ヴィルト王子を含めて、翼の騎士団は全員20歳前後だが、ハイン副団長だけは一回り年上。
普通、翼の騎士は三十路が近くなれば、他の騎士団に移るので、ハインの役割に就いては、
全員承知していたと思われる。
クローテルに危険な役割を負わせようと画策する辺り、アーク国王から何らかの指示を、
受けていた可能性が高いが、詳細は不明。
歴代の隊長や副隊長、その他の役職は、殆ど貴族の子息が務めていたのだが、
ハインは貴族ではなく騎士の家系。
因みに、原典ではヴィルト王子はヴィルトロス、ハイン副団長はハインジェンス。
ヴィルトロスは名であり、ハインジェンスは姓。
ヴィルトロスはヴィルトゥーロス、ヴァーチュラスとも表記される。

311 :創る名無しに見る名無し:2015/03/13(金) 19:55:18.94 ID:gZ2o5UAy.net
聖槍家とは、アーク国王のセクレタメンタム姓を「聖なる槍(sacred amentum)」と、
訳した事に由来する。
厳密にはランスとアーメントゥムは異なるのだが、如何なる経緯でランスベアラーとなったのか、
何時からセクレタメンタム姓を名乗っているのか、来歴は定かでない。
神槍コー・シアーは騎槍である。
作中でヴィルト王子が語った通り、セクレタメンタムは代々神槍コー・シアーを受け継ぐ事で、
近隣諸国を統括する正当な王家と主張し、認められていた。
この年代は前聖君が没してから、百年以上が経過しており、完全に聖君の存在が伝説化している。
元々神聖魔法使いの伝承では、聖君とは血統で決まる物ではなく、民の救いを求める声に応じて、
出現する物と決まっている。
最初の聖君は農奴、3代聖君は兵士で、後の聖君も多くは、王家や貴族とは関係が薄い。
よって、代々神槍を受け継いでいても、セクレタメンタムは聖君ではなく、代理の統治者と言う扱い。
教会の支持を得ているとは言え、聖君ではない者が、神の名を借りて、貴族制度の下、
長らく統治を続けている事に、違和感や不満を持つ国民は多かった様だ。
しかし、それに反逆するでもなく、信仰を捨てて制度化された支配を受け入れている辺り、
既に神教国家の崩壊は始まっていたと言える。
ヴィルト王子は自身の正当性と信仰を証明する為に、神槍コー・シアーを持って火竜に挑んだが、
ハイン副団長の言う通り、翼の騎士達もワートス国民も、何も期待していなかったのだ。
数多の魔法勢力が跋扈する旧暦では、安定した統治を続けられる者であれば、
王は誰でも良かったと言うのが、実情であろう。

312 :創る名無しに見る名無し:2015/03/14(土) 18:02:16.43 ID:0BsOblEj.net
人々の信仰心の無さは、『童話』の主題と言うよりは、『原典』の主題である。
童話ではクローテルを取り上げて、彼の成長と躍進を主に描いている。
一方で、原典からは迂遠ではあるが、形骸化した信仰への批判が読み取れる。
後に聖君となるクローテルは、人の心は未だしも、全く信仰心を持っていない。
神槍に対して敬意を払う事もしないし、神や信仰が分からないと堂々と言っている。
それはクローテルが「神に等しい存在」だから、神や神の道具に敬意を表す必要が無いのだと、
考える事も出来るだろう。
だが、クローテルを神と断じている書は無い。
飽くまで、彼は「神の使い」だ。
形骸化した信仰への批判とは、即ち、王家や貴族、教会に対する物である。
原典の著者は信仰を形式化、儀式化し、権力の拠り所として、その本来の意味や教えを忘れて、
信仰心を競ったり、試したり、優劣を付ける事を戒めている。
信仰心が権力や他者の信頼、承認を得る手段になっては、本来の「信仰」が薄れるのは当然だ。
クローテルに対して好意的なヴィルト王子さえも、批判の対象外ではない。
特別な力を持ったクローテルは、後に聖君となるが、それは特別な力を持っていた為に、
聖君となったのだろうかと、原典では読者に問い掛けている。
神聖魔法は祈りを集める者の資質や、心根の善悪を問わない。
故に、偽聖君が誕生するし、神聖魔法の存在も、神の存在の証明にはならない。
神聖魔法使いの教えでは、聖君は生まれ付いて特別な力を持っている必要は無い。
純粋な人々の祈りが集まれば、特別な力を持った聖君が誕生するのだ。
クローテルが神器を扱えるか否かではなく、王になる宿命や運命を持っているかでもなく、
どれだけ人の心に寄り添えるか、真の信仰心を持っているか、それが重要なのである。

313 :創る名無しに見る名無し:2015/03/14(土) 18:03:20.06 ID:0BsOblEj.net
従騎士シャルティスは、クローテルが翼の騎士団を率いて、西の国に向かう際、
案内役をした者とは別人である。
従騎士とは騎士見習いとして、貴人の下で働く騎士ではない者。
多くは貴族や騎士の子弟。
シャルティスは貴人に仕える代わりに、翼の騎士団で雑用をしている。
シャルティスの出生や家柄は不明だが、死んでも良いクローテルに同行させる辺り、
貴族や高位の騎士の子弟ではないと思われる。
シャルティスが名か姓か(或いは役職名か)不明。
この編に登場するのみで、原典でも以降は名前も出て来ない。

314 :創る名無しに見る名無し:2015/03/14(土) 18:09:19.75 ID:0BsOblEj.net
大火竜バルカンレギナは、バルカン山に棲む炎の竜であり、聖竜アルアンガレリアの子の一。
描写からして「竜」と言うよりは、バルカン山のマグマが命を得た様な物。
自然現象その物が命を持った様な描写は、旧暦には珍しくない。
大戦六傑「灼熱のセキエピ」然り、四大精霊子「火のマッワル」然り、共に炎の化身と言われる。
バルカン山の標高や面積は不明だが、バルカンレギナの大きさに関する描写は大袈裟なので、
信憑性に欠ける。
バルカン山に棲んでいる事を知られていながら、誰も実態を把握していなかったので、
少なくとも直近の百数十年から数百年は、活動していなかったと思われる。
一応、火山活動再開以前からワートス国では、地鳴りを竜の唸りと言っていた。
バルカンレギナは以降登場せず、魔法大戦関連史料にも名が無い所か、類似の物も見られない。
火山活動の擬獣化説が強く、実在したかは疑わしい。
では、火竜退治とは何だったのかと言う疑問が残る。
原典が書かれた当時は、それなりに記録が取られていた時代で、逸話となるからには、
相応の出来事があったのでなければ、直ぐに嘘と見抜かれる。
新しい聖君の逸話が、嘘で塗り固められた物では、信仰も何も無い。
バルカン山の異変を受けて、騎士団を派遣、火山が噴火した所までは事実として、
クローテルとヴィルト王子は活動中の火山に登ったのだろうか?
そこで逸話通りの事があったかは不明だが、以後は火山活動が収まったと言うので、
何かしらの魔法的な儀式は行われたと見られる。

315 :創る名無しに見る名無し:2015/03/15(日) 16:46:16.39 ID:ZxcvnLyw.net
神槍コー・シアーは魔法史料館に展示される物と、同一と見られる。
やはり描写は大袈裟で、多少魔法的な力を持っていた事は間違い無いだろうが、
逸話にある様な事が出来たとは、思われていない。
復元予想図は長さ1身半の刃付きの大型騎槍で、魔法無しでは大人でも振り回すのは困難。
火山活動を封じる様な、特別な効力は、現在確認されていない。
これを扱う条件は史料によって変わり、「正しい王」とされていたり、「正しい血統」とされていたり、
「正しい信仰心」とされていたりする。
後者2つに当て嵌まらないクローテルは、「正しい王」に該当するのだろう。
神槍の初出は第4代聖君の時代に、3代聖君が創造した竜に対抗する為に、各国の勇士を集め、
神聖十騎士が誕生した時。
聖竜アルアンガレリアの子、皇竜ベルムデライルを長とする大竜群が、戦争の災禍を絶やすべく、
地上を荒らし回って、軍事国家を悉く壊滅させた。
ベルムデライルの暴走を止める為に、聖竜アルアンガレリアが4代聖君に授けた武器が、
神槍コー・シアーである。
4代聖君と初代十騎士が大竜群を退けた後、コー・シアーはランスベアラーの家系に託された。
これの末裔の一がセクレタメンタム姓を持つ聖槍家である(と言う事になっている)。
世界に危機が訪れる度に、神聖十騎士は新しい聖君の下、終結と解散を繰り返している。
因みに、4代聖君は大竜群によって壊滅させられた、亡国の王子だった。

316 :創る名無しに見る名無し:2015/03/15(日) 16:49:11.16 ID:ZxcvnLyw.net
霊銀(アルベース)、重鉄(プルトン)は、恐らくは想像上の金属。
霊銀(alb-aes/-ays)は、直訳して「白い鉱石」。
銀鉱、白銅、白銀とも言われる。
紙の如く軽く、酸に浸けても、火に掛けても、変質も変色もせず、銀の輝きを保った儘とされる。
自然の物ではなく、何らかの魔法効果を持つ人工的な物だったかも知れない。
重鉄は、重金、富鉄とも言われる。
どんな物質よりも重たく、更に持っているだけで徐々に重くなるとされる。
先ず存在しないので、確実に想像上の物質。
鈍色とあるので、似た様な色の重い金属(又は鉱石)を指したとも考えられる。

317 :創る名無しに見る名無し:2015/03/15(日) 16:51:49.96 ID:ZxcvnLyw.net
第二章は他の章と比較して、非常に英雄的な性格の強いストーリーである。
クローテルは相変わらず掴み所の無い性格で、言われる儘、流される儘ながら、腐敗した権力者と、
神に縋る人々、そして信仰を忘れた人々を、批判こそしないが、どこか冷めた目で見ている。
対して、第三章で王となったクローテルは、全く別人の様になる。
クローテルは確かに、生まれながらに特別な力を持ち、更には神器を扱う資格を持っていた。
しかし、彼が本当に王になるべき人物だったとは、言い切れない。
物語の落ちは、魔法大戦に於ける神聖魔法使いの敗北と言う形で付いている。
民衆が信仰心を失った時から、神教国家の崩壊は始まっていた。
偉大な聖君の誕生を以ってしても、それは止められなかった。
神王ジャッジャスとなった史実のクロトクウォースは、次の様な言葉を残している。
――王が強権的になるのは、それを望む者が居るからである。
第三章から、クローテルは俄かに強権を振るう様になり、不正を働く貴族や教会を排除して、
外道魔法使いの弾圧に動く。
これを王としての指導力を発揮したと喜ぶのか、それとも他の王と変わらないと嘆くのか、
クロトクウォースの逸話を纏めた、名も知れぬ編著者は、どちらの態度も示していない。

318 :創る名無しに見る名無し:2015/03/16(月) 18:45:48.08 ID:6xhx6hgF.net
DIY


第四魔法都市ティナー ベイヤン地区にて


このベイヤン地区の一角にある、平屋の家には一組の夫婦が住んでいた。
子供は既に独立して、夫婦だけの侘しい生活。
ある休日、陽が西に沈み掛かるも、未だ明るさを保っている夕刻。
台所で料理をしている妻に不意の出来事が。

 「あら、あら?
  あーらら……」

魔法灯が明滅を始め、切れたのである。
俎板の上で野菜を切っていた彼女は、一旦手を止めて、夫を呼んだ。

 「あんたー!
  ちょい来てーなー」

 「はぁ、何やねん、もう……。
  灯りも点けんと何しとん」

面倒臭そうに答えながら、夫は台所へ顔を出す。

 「好きで暗んしとると違うわ!
  急に切れたん」

 「はー、さよか……」

妻に突っ込み返された夫は、灯りを見上げて、暫く呆っとしていた。

319 :創る名無しに見る名無し:2015/03/16(月) 19:06:13.68 ID:6xhx6hgF.net
妻は苛立った調子で夫に言う。

 「見てくれへん?」

 「はいはい」

夫は灯りを見上げた儘、生返事をすると、1つ息を吐いて、踏み台を持って来た。
彼は踏み台に乗ると、灯りの覆いを外して、中の魔力回路を見る。
魔法陣を描く魔力伝導体の一部が切れて、魔力が流れなくなっていた。

 「切れとるなぁ、こりゃ……」

魔力調整の関係で、近年は細い魔導回路が主流だ。
発熱や発光によって、回路の一部が損傷する事は珍しくない。

 「替え無かった?」

 「無い無い。
  何時だったか、使い切ったわ」

 「直せんの?」

 「直せん事は無いけどなぁ……」

 「本職さん呼ぶ?」

 「もう夕方やろ。
  儂に任せ」

夫は魔力回路を取り外して、庭先に出た。
急場の凌ぎに、妻はランタンを持って来て、料理を続ける。

320 :創る名無しに見る名無し:2015/03/16(月) 19:12:54.75 ID:6xhx6hgF.net
夫は物置から、魔導合金のワイヤーと、ニッパーと『焼き鏝<ソルダリング・アイロン>』を持ち出して、
溶接を試みる。
先ずはニッパーでワイヤーを適度な大きさに切る。
魔導回路の切れた部分に、ワイヤーの切れ端を当てる。
そして、小声で魔法の呪文を唱え、焼き鏝に熱を通し、ワイヤーを溶接する。
一見簡単な作業に見えるが、実は相応の熟練を要する。
魔法陣の形が少し崩れただけで、魔法の効果が落ちるのだ。
その為、溶接部分が冷えて固まったら、紙鑢で丁寧に削いで整形する。
夫は整形し終えた魔導回路を、矯めつ眇めつ、不要な出っ張りや凹みが無い事を認めて、
試しに魔力を流してみる。

 「A17」

魔導回路が暈んやりと醗酵する。
魔力は効率良く白い可視光線へと変換され、発熱は抑えられている。
これで大丈夫だろうかと、夫は小首を傾げた。
何にせよ、実際に接続してみないと判らない。
彼は修理した魔力回路を持って、台所に戻った。

321 :創る名無しに見る名無し:2015/03/16(月) 19:17:53.68 ID:6xhx6hgF.net
夫は灯りに魔力回路を嵌めて、発動詩を唱える。

 「A17」

少し眩しい位の照明が点く。
料理中の妻が振り向いて、夫に尋ねた。

 「あ、直ったん?」

 「直った、直った」

 「頼りになるわぁ」

 「これでも工業(※)の出やさかい」

 「流石やなー」

しかし、いざ覆いを取り付けてみると、以前より明るさが弱い。
継ぎ接ぎした素材が、魔力の円滑な流れを阻害しているのだ。

 「んー……。
  なぁ、ちぃと暗い事あらへん?」

妻が不満を零すと、夫は剥れた様子で応える。

 「文句言うなや」

 「やっぱ、本職さんやないとあかんな」

 「明日、替えを買うて来るさかい、今日は我慢せえ」

何でも無い、平凡な一家の一時。


※:工業専門学校の事。
  唯一大陸には高校の概念が無く、公学校の卒業後は就職するか、各種専門学校に通うか、
  魔法学校に通うかの三択で、専門学校は高校と大学を兼ねている。
  多くの専門学校は実技系と研究系に分かれ、実技系は職業訓練校に近い。

322 :創る名無しに見る名無し:2015/03/17(火) 19:38:20.98 ID:U6zDYFRH.net
少侯爵フィッグ


異空デーモテール 大世界マクナク 元バニェス伯爵領にて


大世界マクナクに侵入したサティ・クゥワーヴァは、地獄を味わっていた。
到着早々、迎撃に出て来たマクナクの複数の準爵級を相手に、苦しい戦いを強いられたのである。
言葉で戦いを止める事は出来ない。
何故なら、ここは戦好きのバニェス大伯爵が治めていた土地……。
当然そこで生まれた物も、好戦的になる。
外界から正体不明の侵入者を発見したとなれば、急襲に何を躊躇う事も無い。
万全の状態ならば、準爵級相手にサティは、然程苦労はしなかっただろうが、ここは大世界マクナク。
エティーとは訳が違う。
マクナク公爵の強力な魔力場が、重力の様に自由を奪い、濃密なマクナクの大気が、
毒の様に箱舟を蝕む。
これが「異世界」に降りると言う事。
何より自由に扱える魔力が少な過ぎるのが辛い。
有翼準爵級の物理的な攻撃は、サティの箱舟を覆う空間を越える事すら出来ないが、
逆にサティの方から手出しも出来ない。
迂闊に適応を試みれば、自身は大幅に弱体化し、相手からの攻撃が通る様になってしまう。
バニェスには「遊んでやれ」と言われた物の、そんな余裕は無い。

 「どうした、動きが鈍いぞ?」

バニェスが心配して声を掛ける。

 「どうも勝手が分からない……」

困惑するサティを、バニェスは嘲笑った。

 「意外に要領が悪いのだな。
  もっと器用な物だと思っていたが……」

相変わらずの挑発的な言動に、サティは何とか自力で状況を打破してやろうと、
沈黙して思考を巡らす。

323 :創る名無しに見る名無し:2015/03/17(火) 19:41:32.61 ID:U6zDYFRH.net
バニェスがエティーに侵攻して来た事を思えば、マクナクでのサティは全く無様である。
確かに、サティの能力はバニェスに比して劣っている。
だが、それだけが理由で、サティは思う様に動けないのではない。
より大きな違いは、マクナクとエティーの差だ。
仮にサティとバニェスの生まれが、互いに入れ替わっていたなら、バニェスとて思う様には、
動けなかっただろう。
それだけ公爵級の能力は圧倒的なのだ。
サティは衰弱して行く様に、徐々に高度を下げて、マクナクの地表へ近付く。

 「ん?
  この程度で力尽きるのか?
  地表は上空よりも、マクナク公様の魔力支配が強くなるぞ」

地上に降りるのは下策だと、バニェスは暗に警告するも、サティは聞かなかった。
マクナクの黒い土の上に、緑色の錘が突き刺さる。

 「撤退するか?」

バニェスは真剣な声で尋ねるも、サティは強い調子で否定する。

 「これから遊んでやろうと言うのよ」

緑色の錘から、丸でオタマジャクシの様に手足が生え、徐々に変形して、遂には甲冑を着込んだ、
人型になった。

324 :創る名無しに見る名無し:2015/03/17(火) 19:45:01.10 ID:U6zDYFRH.net
マクナク公爵の法の支配から逃れられないならば、その法の下で戦おうと言うのだ。
幸い、マクナクはファイセアルスやエティーと同じく、天地を持つ。
基本的な法則は変わらない。

 「こう言うのは得意ではないけれど……。
  成る様に成るでしょう」

有翼準爵はサティを追って、地上に降下する。
サティは魔法が思う様に使えない以上、やる事は決まっている。
格闘戦だ。
箱舟の鎧があるのを良い事に、サティは襲い来る準爵級に殴り掛かった。
彼女は素手の喧嘩は素人だが、圧倒的な能力の差を前に、格闘技術は余り意味を持たない。
敵の攻撃は空間に吸い込まれ、魔力で強化されたサティの攻撃が一方的に当たる。
戦っている内に、体は熟れ、マクナクの魔力にも慣れて来る。

 「成る程、面白い!
  良いぞ!」

バニェスは興奮を抑え切れない様子で喜んだが、サティは人を殴る感触に、眉を顰めていた。
こうした肉体的な暴力を振るう事は、生まれて初めての経験で、余り気持ちの良い物ではなかった。
彼女は第一の魔法都市に生まれた、誇り高き市民として、腕力に訴える事は下の下であると言う、
価値観を持っているのだ。
それに、異空では殴り合いの戦いは意味を持たない。
基本的に異空の物は疲れを知らず、どんなに肉体が損壊しても死なない為だ。
場の魔力が尽きない限りは再生出来る。
それが証拠に、サティが殴り飛ばした準爵級は、直ぐに立ち上がる。
本気で相手を傷付けたいなら、霊体を狙って魔力分解攻撃を掛ける他に無い。

325 :創る名無しに見る名無し:2015/03/18(水) 19:53:34.89 ID:57j/MRsO.net
殺しても良いなら、簡単に片付く事なのだが……。
先ずは話し合いが出来ない物かと、サティは考える。
本来の目的は、バニェスの元領地を狙う、侯爵が放った配下を、退散させる事。
戦えれば誰でも良いのではない。
余り乗り気でない彼女の様子を察して、バニェスは言う。

 「どうした、楽しまないのか?
  ああ、準爵如きでは詰まらないのだな。
  確かに、格下を甚振ってもな……」

 「下級の物を幾ら叩いても、限が無いでしょう。
  フィッグ侯爵とやらの直属の部下を倒すだけで良い筈。
  ――と言うか、『これ』はフィッグ侯爵の部下なの?
  もしかして、無関係と言う事は無いでしょうね?」

今戦っている相手が何物なのか、サティはバニェスに尋ねた。
仕掛けて来たから、返り討ちにした物の、無意味な戦いで消耗する事は避けたかった。

 「ああ、フィッグとは無関係だが?
  準爵と言う物は、大した知能も無い、好戦的なだけの馬鹿なのだから、適当に痛め付けて、
  実力の差を思い知らせ、屈服させてやれば良いのだ」

 「は?」

バニェスは全く悪気も無く言って退ける。
価値観の違いに、サティは頭痛がする思いだった。

326 :創る名無しに見る名無し:2015/03/18(水) 19:56:16.71 ID:57j/MRsO.net
立ち直って襲い来る有翼準爵の胴に、サティは手刀を突き立て、魔法で内部から破壊した。
準爵級は死にこそしない物の、自己の体を構成する魔力を失って、暫く動けなくなる。
同じ調子で、他の準爵級も仕留めて、落ち着いた所で、サティはバニェスに抗議する。

 「フィッグ侯爵と無関係なら、戦う必要は無いでしょう。
  貴方が説得すれば、従ってくれるのでは?」

 「言葉に従う様な物ならば、苦労は無い。
  縦しんば私を認めたとしても、貴様を認めるかは別問題だ」

 「それでも流石に、今ので認めるでしょう。
  マクナクの準爵は獣の様に知能が無いと言うなら、話は別だけれど……。
  コルタ準爵の例からして、真面な知能がある様に思える」

サティは緑の甲冑の胸部を抉ると、バニェスの半身である赤い球体の封印を解いて、掴み出す。

 「ム、何の真似だ?」

 「降伏勧告をしたい。
  余所者の私が言うより、貴方が呼び掛けた方が良いでしょう」

 「面倒な事をせずとも、1匹消滅させてやれば、直ぐに従うと思うのだがな。
  所詮は雲霞の如き連中だ」

バニェスは格下のサティの言う通りにするのが不満だったが、協力して貰う立場だったので、
渋々従った。

327 :創る名無しに見る名無し:2015/03/18(水) 20:00:43.06 ID:57j/MRsO.net
バニェスは半身から声を発する。

 「相手を見てから喧嘩を売るのだな、身の程知らずの準爵共」

準爵の1人が、直ぐに声の主が誰かを理解して、翼を畳み、鱗を寝かせて、地面に蹲った。
平伏の姿勢である。

 「バ、バニェス大伯爵!」

それに倣って、他の準爵も平伏する。

 「この私が不在の間に、不逞にも領地を侵さんとする物がある様だが、貴様等は何をしている?
  私は的限り面白い事になっていると思ったのだがなぁ……。
  今の状況も、面白いと言えば、面白いのだが!」

バニェスが怒った振りをするだけで、準爵級は震え上がり、益々小さくなった。
それだけ異空では上下が絶対なのだ。
格上の貴族は気に入らなければ、何時でも格下の物を抹消出来る。

 「寛大な私は貴様等を見過ごしてやろう。
  雑魚には雑魚なりの処世術があろう物な。
  虫螻に一々腹を立てるのも馬鹿らしい。
  だが、この私が治める地の物でありながら、領外からの侵入を易々と許し、剰え、
  戦う意志すら無いとは、虫にも劣る!
  それも他の侯爵なら、いざ知らず……少侯爵如きに!
  我が支配下にある物は、須らく戦闘狂であれ!」

 「お、仰せの通り……」

 「では、行け!」

有翼準爵級は直ぐに飛び去って行った。

328 :創る名無しに見る名無し:2015/03/19(木) 19:27:02.94 ID:9PHrIZ3W.net
サティは唖然として見送り、バニェスに尋ねる。

 「あの物達は、どこへ向かったの?」

 「決まっておろう。
  フィッグ少侯爵の配下と戦いに行ったのだ。
  我等も向かうぞ。
  どの面を下げて、今更喧嘩を売りに行くのか、楽しみではないか?」

バニェスに指示され、その底意地の悪さにサティは呆れながらも、再び箱舟形態に戻り、
有翼準爵の後を追った。
移動中、有翼準爵は声を張って、主の帰還を報せる。

 「バニェス大伯爵の御帰還なり!
  侵入者共を排除せよ!
  命の限り戦え!」

口も無いのに大声を出せるのは何故かと、サティは不思議がった。
恐らくは空気の振動ではなく、思念を魔力に乗せて拡散しているのだろうと、彼女は予想する。
テレパシーがマクナクの物の基本的な、意思伝達手段なのだ。
それに呼応して、方々から魔力の波動が起こるのを、サティは感じた。
不在の主が何の前触れも無く帰還した事に、住民達は動揺している。

329 :創る名無しに見る名無し:2015/03/19(木) 19:33:31.83 ID:9PHrIZ3W.net
暫く飛んだ所で、サティは不気味な建築物を見た。
分子モデルの様に、幾つもの球が細い管で繋がって、上空へ伸びている。
あれは何だろうと訝るサティに、バニェスが言う。

 「あれは我が居城だ、サティ・クゥワーヴァ。
  どうだ、中々の物だろう」

 「ああ言う建築様式が、この世界の標準なの?」

 「そうだな。
  どこも似た様な物だ」

構造力学的に正しいのだろうかと、サティは首を捻る。
恐らくは、球の一つ一つが部屋で、管が通路なのだろう。
法則の違う世界なので、あれが強い構造なのだと言われたら、何も返せないのだが……。
やがてバニェスの城から、有翼準爵とサティに、1体の有翼の子爵級が向かって来る。

 「どうした事だ?
  バニェスが戻って来たのか?
  その後ろの物は何だ?」

子爵は準爵に尋ねたが、返答は拳であった。

 「問答無用!!」

準爵級は子爵を袋叩きにして、突き落とす。
上級の物には逆らわないのが、異空の常だが、後ろ盾があるなら話は違う。
それに、ここは元々バニェスの領地。
バニェスが戦闘狂なので、生まれる物も影響を受けて好戦的になる。

330 :創る名無しに見る名無し:2015/03/19(木) 19:40:17.76 ID:9PHrIZ3W.net
異変を察して、バニェスの居城から、蜂の巣を突いた様に、わらわらと子爵級と準爵級が、
飛び出して来た。
サティは嫌厭を露に、バニェスに尋ねる。

 「あれを全部相手しろと?」

異空では教育と言う物をしないので、殆どの子爵級は物理的な攻撃しか出来ない。
よって、魔法を自在に使えない今のサティでも、倒す位は訳無いが、流石に数が多いと面倒になる。

 「そうは言わぬ。
  先ずは、私に話をさせろ」

バニェスの半身は勝手にサティの箱舟の外に出る。
伯爵級上位の能力が、一帯の魔力を支配した。
その圧力の強さは、サティも感じるが、バニェスが配慮しているのか、息苦しさは無い。
バニェスの半身が赤い輝きを放つと、迎撃に出た物の大半は、空中で静止し、その場で羽撃いて、
頭を垂れた。
揃って高度はバニェスより下。
敬礼の姿勢である。
直ぐに動きを止めた物は、バニェスの「元」配下。
敬礼姿勢を取らず、右顧左眄している物は、フィッグ侯爵の配下だと判る。

 「私の留守中に随分と好き勝手してくれた様だな」

バニェスが声を発すると、バニェスの元配下は震え上がった。
正当な主の留守中に、他の主に靡いたのだから、只で済む訳が無い。

331 :創る名無しに見る名無し:2015/03/20(金) 18:42:47.85 ID:M7v0Wh74.net
バニェスは自らの元配下に命じる。

 「今、消されたくなければ、フィッグの手の者と戦え!
  この地から徹底的に排除せよ!
  他の誰に降ろうとも、フィッグに降る事だけは許さぬ!!」

バニェスが怒号を上げると、元配下は闘争心を取り戻し、フィッグ侯爵の配下に襲い掛かった。
主の不在中は別の物に従い、主の帰還で直ぐ寝返る。
何とも現金な態度だが、これがマクナクの「普通」。
城の上空は大混戦となるも、サティとバニェスには向かって来ない。

 「行くぞ、サティ・クゥワーヴァ」

バニェスに促され、サティは周囲を警戒しながら、城へと向かう。
幾らかバニェス側の物が数的に優位とは言え、全くサティとバニェスを止める物が無いのは、
異様だった。
一定以上の実力差がある上級の物には逆らわないと言う、暗黙の了解がある。
これもマクナクの「普通」だ。
異形の城の、どこから入れば良いのかと、サティが迷っていると、バニェスが指示する。

 「地上に降りて、最も大きい球殿の正面から入れ。
  それが堂々たる領主の振る舞いだ」

大世界マクナクの領主としての、正しい行動をサティに要求するのは、強い自負と自認の為。
実力と階級が完全に比例する異空ならではの儀礼。

332 :創る名無しに見る名無し:2015/03/20(金) 18:45:45.98 ID:M7v0Wh74.net
再び箱舟を甲冑形態にして、サティは城内に踏み入る。
バニェスの半身を胸部装甲の前面に貼り付けていれば、誰も恐れを成して傅いた。

 「決して急ぐな。
  貴様には私が付いている。
  私は領主だ。
  威容を見せ付けるが如く、闊歩せよ」

サティはバニェスの指示通り、徒歩で進入する。

 「……どこへ行けば良い?」

 「領主の座だ。
  そこにフィッグが寄越した指揮官が居るだろう。
  私が帰還しても、誰も撤退しない所を見ると、それなりの能力を持つ貴族に違い無い。
  本来の領主である、この大伯爵を出迎えもせず、座して待つとは、何とも不遜ではないか!」

そう言いながらも、バニェスは嬉しそうだった。

 「サティ・クゥワーヴァ、貴様は私の案内通り、進行方向だけを見ていれば良い。
  迷い人が如き、左右を窺う振りをするな。
  先ずは、右へ行け。
  そして、上へ、上へ」

一々指図するバニェスを、サティは小煩いと思ったが、地位のある者には、それなりの礼節や、
振る舞いを要求されるのが常である。
名家に生まれたサティも、父母や使用人から、礼儀作法を叩き込まれた覚えがある。
ファイセアルスもマクナクも、そこの所は変わらないのだなと、サティは小さく溜め息を吐いた。

333 :創る名無しに見る名無し:2015/03/20(金) 19:00:38.57 ID:M7v0Wh74.net
球殿を抜けて、階段を上り、これを何度か繰り返すと、初めてサティとバニェスの行く手を、
塞ぐ物が現れる。
それはコルタ準爵――以前、バニェス伯爵の使者と名乗り、エティーに訪れた物。
バニェスはコルタ準爵に呼び掛ける。

 「コルタよ、殊勝にも主の帰還を迎えに来た……と言う訳ではない様だな」

 「その通りに御座います、バニェス伯爵。
  貴方が不在の間に、我輩は正式にフィッグ侯爵の配下となりました」

 「寝返ったか、成る程な。
  それで、何故に我が前に立つ?」

怒るでなく、悲しむでもなく、落胆でさえなく、バニェスは淡々と尋ねた。
より地位のある物の下に付くのは、異空では珍しくない。
そもそも忠義や忠誠と言った価値観が無いのだ。
それよりも、自らの主義や主張を貫く事に、重きが置かれる。

 「フィッグ侯爵より託(ことづけ)が御座います。
  領地の管理を放棄した貴方に、領主たる資格無し。
  大人しく領地を明け渡し、退散せよと」

 「貴様では話にならぬ。
  そこを退け、コルタ」

バニェスはコルタ準爵には全く取り合わない。
上級の物が下級の物を相手にしないのも、異空では当然の事。
だが、幾ら「言われた事を伝える」だけの『使者<メッセンジャー>』でも、その無礼な言動を許すか、
許さないかは、完全に心一つである。
少しでも気に入らない所があれば、消しても良いのだ。
それをしない時点で、大分配慮している。
格下に退散を警告するのは、度量を示す意味もあるが、優しさでもある。

334 :創る名無しに見る名無し:2015/03/21(土) 15:36:26.67 ID:HlpeH+pP.net
だが、コルタは退かなかった。

 「御命令に従いたい所なのですが、そうも参りませぬ」

 「退かぬと言うなら、この場で貴様を滅するのみだが?
  よもや私に敵う等とは思っておるまい。
  私は貴様の様な物が何度翻意しようが、一々気には掛けぬ。
  何度も言わぬぞ、命が惜しくば下がれ」

それは詰まり、寝返り返れば許すと言う事だ。
バニェスの実質的な降伏勧告だった。

 「我輩はフィッグ侯爵に……しっ……は……べっ……!」

コルタは何か言い掛けた所で、突然膨張し、爆散して姿を消す。
気配は完全に絶え、存在が全く確認出来なくなる。
サティは驚いてバニェスに尋ねた。

 「……バニェス、貴方が抹殺した?」

幾ら楯突いたとは言え、問答の最中に消滅させるとは、余りに無情。
元々下級の物に情を掛ける文化の無さそうな世界なので、これが当然の仕置きと言うなら、
サティが口を挟む事では無いのだが……、

 「いや、私ではない……」

バニェスも動揺した様子で返す。

 「準爵級を一瞬で消滅させられる……。
  何物が領主の座に居るのだ?
  フィッグの下で新しい伯爵級が生まれたのか?」

長考するバニェスに、サティは呼び掛けた。

 「先に進んでも良い?」

 「……ああ。
  どの道、進まなければ始まらないからな」

バニェスは俄かに慎重になり、真剣な声で応じる。
その緊張はサティにも伝わった。

335 :創る名無しに見る名無し:2015/03/21(土) 15:39:13.89 ID:HlpeH+pP.net
コルタ準爵が居た球殿を抜けた、次の球殿が領主の間である。
領主の座には、バニェスに似た容姿の、1体の悪魔貴族が座している。
マクナクの物らしい、野箆坊に鱗肌の容姿だが、バニェスとの違いは、山羊の様に大きく捩れて、
反り返る2本の角。

 「ようこそ、異世界の客人」

サティとバニェスを、余裕のある態度で出迎える、この物こそフィッグ侯爵。

 「フィッグ少侯爵、そこは私の席だ!」

バニェスの半身が真っ赤に輝いて、怒声を発する。
あれが少侯爵なのかと、サティは甲冑の下で目を見張った。
フィック侯爵は笑いながらバニェスに言う。

 「ハハハ、敗走者の伯爵風情が偉そうに!
  最早この地に貴様の居所は無いのだ!
  何をしに、恥知らずにも戻って来た?」

 「確かに、貴様の言う通り、自ら戦を仕掛けながら、小世界1つ押さえられなかった私は、
  惨めな敗走者だろう。
  領主の資格無しと断じられても、言い返せぬ。
  だが、フィッグ少侯爵!
  貴様にだけは領地は譲れぬ」

バニェスとフィッグ侯爵は、お互い瞳を持たないながらも、睨み合いの雰囲気。

336 :創る名無しに見る名無し:2015/03/21(土) 15:48:47.00 ID:HlpeH+pP.net
バニェスは恐れ知らずにも、階級が上のフィッグ侯爵に喧嘩を売る。

 「大体、貴様こそ己の領地の管理は、どうしたのだ?
  この地を支配下に収めた所で、手に余るのが落ちだろう!
  その『少侯爵級<スティラー>』の能力では!」

 「『伯爵<グラフ>』バニェス、私は寛大な『侯爵<フューア>』だ。
  下級の貴様の戯言に一々取り合う事は無い……が、我が名誉を誹毀する放言を、
  聞き過ごしてやる訳には行かぬ。
  私を『少侯爵』と言うな」

フィッグ侯爵は口調こそ穏やかな物の、髪と鱗を逆立たせ、体色を波打つ様に変化させて、
怒りを露にする。

 「随分と偉そうな口が利ける物だな、フィッグ少侯爵。
  貴様に侯爵の階級は相応しくない。
  他の侯爵と比しても、明らかに劣るではないか?」

 「それでも貴様よりは上だ!
  伯爵級の貴様に、とやかく言われる筋合いは無い!」

徐々に険悪になって行く雰囲気に、サティは焦った。

 (バニェス、どう言う事か説明を!)

 (悪いな、サティ・クゥワーヴァ。
  格下の物共を追い散らすだけの筈だったが……。
  フィッグの奴が直々に出向くとは思わなかった。
  ここで貴様が危険を冒す義理は無かろう。
  帰って良いぞ)

 (貴方は?)

 (ここで果てようとも、奴を叩き返す!
  不在の間に領地に踏み込まれたのだ。
  戦う理由は十分過ぎる)

バニェスは戦好きと言われるだけあって、格上に挑む事に抵抗は無い様だった。
寧ろ、嬉しそうな様子であり、マクナクに於いてもバニェスは異端な存在ではないかと、サティは思う。

337 :創る名無しに見る名無し:2015/03/22(日) 17:28:21.15 ID:XxXwwN5W.net
バニェスは尚もフィッグ侯爵を挑発する。

 「大体、このマクナクで貴様が『侯爵』を名乗れるのは、この私より実力が上だからに他ならぬ。
  仮に私と言う存在が無ければ、貴様は伯爵と言う格付けだっただろう」

 「何が言いたのだ!」

異空の貴族階級に明確な基準は無い。
フィッグ侯爵がマクナクに誕生したのは、バニェスより後だった。
バニェスが既に「侯爵には及ばないが、伯爵としては上級」の「大伯爵」だった為に、
それより上だったフィッグは自然とマクナクに於ける侯爵級に認定された。

 「私と戦えば、貴様と言えど、只では済まぬだろうなぁ……。
  伯爵に負けた侯爵と言うのも、中々面白いとは思わぬか?」

サティはバニェスの半身が、徐々に力を取り戻しつつあるのを感じた。
エティーに出張している、片割れを呼び戻しているのだ。
フィッグ侯爵も、それを察して能力を徐々に解放し、バニェスを牽制する。

 「マクナク公様は、その膝下で我々が争う事を、快くは思われないだろう。
  身内の諍いで領地が荒れれば、お手を煩わせる事になる。
  貴様には格上の物に対する、配慮や敬意が無いのか!」

 「それは違うな、フィッグ少侯爵。
  貴様に払う敬意は無いと言っているのだ。
  大体、自ら仕掛けておきながら、配慮も何も……領地を侵したのは、貴様だろう」

 「隙を見せたのは貴様だ。
  乗っ取られる方が悪い」

互いに口論をしながら、バニェスとフィッグは競り合う様に、能力を高め合う。
2体は出会った時から、この様に小競り合いを繰り返して来たのだなと察して、サティは呆れた。

338 :創る名無しに見る名無し:2015/03/22(日) 17:34:49.87 ID:XxXwwN5W.net
バニェスはサティから分離すると、周囲の魔力を掻き集めて、真っ赤な大球となる。
フィッグ侯爵も、負けじと魔力を掻き集めて、身に纏い、巨大な青い球体となる。
膨張し続ける2体を見て、これは危険だと感じたサティは、箱舟形態で離脱した。
巨大化した2体は城壁を突き破っても、未だ止まらず、月の様にマクナクの空に浮かぶ。
程無く、双方の能力は極みに達し、城内は疎か、バニェス領内全体まで、その影響が及んだ。
領内の生物は悉く、鬩ぎ合う大伯爵と少侯爵の能力を感じ取って、畏怖した。
人型の生物ばかりか、草木の様な物さえ、項垂れて平伏する。
その中にあって、サティだけは空間の鎧に守られていた。
彼女は冷静に互いの能力の差を見切っていた。

 (同等――いえ、フィッグ侯爵が少し上?
  実力を隠していなければの話だけれど……。
  もし本当に戦いを望んでいないなら、実力差を見せ付ける筈。
  ……成る程、バニェスが威張られたくないと言うのも、理解出来る)

両者の差は本当に僅かだった。
その「僅か」が、伯爵と侯爵を分け、仲違いの原因となっている。
先に仕掛けたのは、バニェスだった。

 「マクナク公様、マクナク公様と煩い奴だ。
  では、事の是非はマクナク公様に、お伺いを立てるとしよう。
  貴様を打ち伸めした後でな!」

巨大な球体が衝突し、その接触面に波紋が生じる。
魔力分解攻撃を互いに仕掛け合っているのだ。

339 :創る名無しに見る名無し:2015/03/22(日) 17:41:12.96 ID:XxXwwN5W.net
マクナクの高位悪魔貴族が戦う様は、何とも壮大だか、どこか間抜けにも見えると、
サティは傍観していた。
それは沈み行く連星の如く。
2体は周囲に強力な魔力の渦を巻き、波動を散らしながら、引き合い、潰し合う。
その煽りを受けただけで、子爵未満の能力の物は、消滅してしまう。
ある物は魔力吸収に巻き込まれ、ある物は魔力分解の余波を受け……。

 (……バニェスが不利だ)

距離を取って傍観していたサティは、バニェスが徐々に圧されつつあるのを感じていた。
双方、捨て身の全力攻撃で、纏った魔力の鎧を削られながらも、青い球体の方が僅かに、
赤い球体より崩壊が遅い。
正しく決闘の様相。
引き分けは無く、お互い確実に相手を潰す気だ。

 (この儘では負ける)

これが侯爵と伯爵の差。
本の僅か――だが、確かに、そこに「有る」物。
バニェスが負けたら、どうなる物だろうかと、サティは考える。
事情を正直に話せば、見逃しては貰えるだろう。
フィッグは面子に拘り、寛大さを主張していた。
伯爵級で、しかもバニェスより劣る、敵意の無いサティを、一々排除しようとはしないだろう。
そもそも格上に対して喧嘩を売り続ける、バニェスに問題があったのだ。

340 :創る名無しに見る名無し:2015/03/23(月) 19:22:54.73 ID:oXsh3BrW.net
然りとて、見知った物が潰え行くのを見過ごす事は出来ず、サティはバニェスにテレパシーで、
会話を試みた。

 (バニェス、バニェス!)

だが、余裕が無いのか、反応は返って来ない。
その間にも、赤い球体の崩壊は進んでおり、今や半月の如くだ。
何もせず、バニェスを見殺しにして良い物か、サティは迷った。
大伯爵バニェスと少侯爵フィッグの能力差は、サティの能力より小さい。
詰まり、サティが少し手を貸せば、形勢は逆転する。
……しかし、ここでバニェスに手を貸す事は、マクナクへの敵対行為と取られ兼ねない。
それは完全なる実力上位の、マクナクの秩序を乱す行動だ。
自分だけが敵視されるなら良いが、エティーにまで累が及んでは困る。
全面戦争となれば、小世界エティーに、大世界マクナクを相手取る事は不可能。
侯爵級が束になっても敵わないのが、公爵級である。

 (上位の物は下位の物に、一々拘らない。
  それが本当なら、明らかに下位のエティーは見逃されるだろうか……?)

サティはマクナク公爵が、エティーに構わない可能性に、賭ける事にした。
決闘に横槍を入れられて、バニェスは怒るかも知れないが、それでも消滅するよりは良いと思った。
彼女は箱舟形態の儘、フィッグ侯爵に向かって突撃する。

341 :創る名無しに見る名無し:2015/03/23(月) 19:27:25.17 ID:oXsh3BrW.net
魔力嵐に煽られながらも、魔力分解魔法の余波を掻い潜り、サティは青い球体に突入した。
魔力嵐の中で擂り潰されて行く数多の命が、マクナクの理によって、怨嗟の断末魔を上げる。
正に地獄……。
サティは懸命に集中力を保ち、呪文を詠唱し続ける。
異世界の生命であるサティは、マクナクの生命にとって、毒その物。
そこに存在するだけで、害になる。
大した攻撃は出来なくとも、フィッグ侯爵の注意を逸らすには十分過ぎる。
しかし、サティがマクナクの生命にとって毒になるなら、逆も然り。
空間の鎧も、魔力を媒介にした干渉に対しては、無敵ではない。
能力で劣っていれば、圧殺される。
長居は出来ない。

 「き、貴様、何の積もりだ!?」

フィッグ侯爵はサティに気付いて動揺した。
その間隙を埋める様に、拮抗していた魔力が、一気にフィッグ侯爵側へ流れ込む。
魔力分解魔法の大海嘯。
これに巻き込まれては、サティ程度では一溜まりも無い。
サティは直ぐに離脱を試み、フィッグ侯爵は押し寄せる魔法に必死に抵抗する。
形勢は完全に逆転した。
無事に離脱したサティは、暫し戦局を見守る。
フィッグ侯爵は懸命に崩し返そうとするが、サティが妨害した分の差は埋まらない。
互いに損耗し切り、バニェスとフィッグは遂に肉体まで失って、本体の霊を剥き出しにしていた。
放置すれば、僅かの差でバニェスが勝つだろう。

 「そこまで!」

決着が付く寸前で、サティは両者の間に割って入った。

342 :創る名無しに見る名無し:2015/03/23(月) 19:33:07.70 ID:oXsh3BrW.net
先ず、バニェスが傷付いた霊体で抗議の声を上げる。

 「何をする、サティ・クゥワーヴァ!
  これは決闘なのだ!
  どちらか倒れるまで、終わりは無い!」

サティは直ぐに弱体化したフィッグを封印して、バニェスに言った。

 「私が手を貸さなければ、貴方は負けていた。
  この勝負を決めたのは、私。
  よって、私が勝負を預かる」

 「何を勝手な!」

 「今の貴方の消耗した体なら、私でも封印出来るよ。
  悪い様にはしないから、ここは私に任せなさい」

事実を告げられ、バニェスは悔しさを堪えて、沈黙する。
今この場では、サティに敵わないと認める他に無い。
だが、今度は封印されたフィッグ侯爵が、声を上げる。

 「バニェス、恥知らずにも下級の物の手を借りるか!」

 「知らぬ!
  其奴(そやつ)が勝手にやった事だ!」

バニェスとフィッグはサティを置いて、勝手に口論を始めた。

 「異世界の物と組んで、貴様は何を企んでいる!?
  これはマクナク公様に対する、重大な反逆行為だぞ!」

 「ハハッ、自惚れも大概にしろ!
  少侯爵風情が敗れた所で、何が起こると言うのだ?
  それとも何か?
  マクナク公様が弱小世界に脅かされるとでも?
  手前の狭い了見が全てだから、その様な発想になるのだ」

 「貴様、言わせておけば!」

 「その封印された体で何が出来る!
  伯爵に負けた惨めな侯爵!」

 「異世界の、それも格下の物の手を借りた、貴様の卑小さの方が余程惨めだ!」

 「敗者が吠えおるわ!」

程度の低い言い争いに、サティは嫌気が差して、バニェスも序でに封印した。

 「少し黙ってて貰える?」

343 :創る名無しに見る名無し:2015/03/24(火) 19:32:28.84 ID:0/ejh39R.net
サティは無力化したバニェスとフィッグを、箱舟に納める。
傍目には完全に漁夫の利を得た形で、フィッグは危機感を露に反発した。

 「やはり、潰し合わせるのが狙いだったのだな!
  貴様は何を企んでいる!?」

 「別に何も」

サティは心底軽蔑した風に吐き捨てる。

 「この下らない争いを終わりにしたいだけ。
  貴方達、少しは周りの迷惑を考えたら?
  こんなに荒らしてしまって……」

バニェスとフィッグの戦いで、領地は完全に荒廃していた。
子爵級が幾らか生き残っている以外に、生命の影は無い。

 「サティ・クゥワーヴァよ、エティーの感覚を持ち込むな」

バニェスは苦言を呈したが、サティは堂々と返した。

 「では、流儀に従って、マクナク公に判断を仰ぎましょう」

強者絶対が本当なら、バニェス伯爵もフィッグ侯爵もマクナク公爵の決定には逆らえない。
しかし、フィッグはサティを貶して嘲笑う。

 「貴様如きの呼び掛けに、マクナク公様が応じて下さるとでも思っているのか?」

上級の物は下級の物に一々取り合わないのも、異空の流儀。
下級の物は下級の物同士で、勝手に争わせておけば良いと判断するのが普通だ。

344 :創る名無しに見る名無し:2015/03/24(火) 19:39:23.95 ID:0/ejh39R.net
それでもサティは敢えて呼び掛けた。
無視されるのが落ちだとしても、この2体を納得させるには、他に方法が無いのだ。

 「マクナク公、マクナク公!
  聞こえなば、お応え願う!」

サティは「大世界マクナク」に対して呼び掛ける。
マクナク公爵とは即ち、大世界マクナクその物。
この空、この大地、ここに生きる命、全てがマクナク公爵。
だが、中々答は返って来ない。

 「マクナク公!」

 「無駄だ。
  我等も貴様も、マクナク公様にとっては、取るに足らぬ存在と言う事よ」

自虐を込めて、バニェスが言う。
サティは困った。
2体を預かる気は更々無いが、解放すれば下らない争いを再開するだろう。
今なら殺して片付ける事も容易だが、マクナクに敵対したとは思われたくない。
どうした物かと彼女が天を仰いで悩んでいると、視界にマクナクの茜色の雲が映った。
夕焼けの様だ等と、少し思考が逸れた時、気付く。
茜色の雲が人の形をしている事に。
地平線から胸像の様に上半身が出ていて、丁度サティ達の真上に、野箆坊の顔がある。

 「マクナク公!?」

 「無駄だと言っておろうに……」

サティは頓狂な声を上げたが、バニェスは何も気付いていない。

345 :創る名無しに見る名無し:2015/03/24(火) 19:44:44.59 ID:0/ejh39R.net
雲の巨人は緩やかに手を動かして見せ、サティに挨拶する。

 (今日は、小さき客人。
  如何にも、私はマクナクである)

 「は、初めまして……『大領主<オーバーロード>』」

侯爵級の様な威圧感は無く、これが本当に公爵級なのかと、サティは困惑した。
或いは、能力差が感受の限界を振り切って、逆に何も感じなくなっているのかも知れないと、
彼女は独り戦慄する。

 「どうしたのだ、サティ・クゥワーヴァ?」

バニェスは未だ気付いていない。
フィッグ侯爵も不機嫌に黙り込んでいるだけで、敬意を払っている様子は無い。
サティが現状を教えようとすると、マクナク公爵に制される。

 (待ちなさい、その儘で良い。
  私は君だけに働き掛けている)

サティは送る魔力を絞って、外に漏れない様に、マクナク公だけにテレパシーを向けた。

 (何故です?)

 (その方が面白い)

やはりマクナクの物の主だと、サティは呆れて脱力する。

346 :創る名無しに見る名無し:2015/03/25(水) 18:21:08.13 ID:d20vxyOa.net
フィッグやバニェスの様な尊大で傲慢な物達の主は、同じく尊大だとばかり思っていた彼女は、
少々肩透かしを食った気分だった。
その一方で、この感じは覚えがあると、サティは記憶を辿る。

 (あー、「神」と同じなんだ……)

やたらと気削(きさく)な、ファイセアルスを含む向こうの宇宙の神と似ているのだと理解し、
サティは妙に納得していた。
強大な力を持つ物は、似た様な性質になるのだろうか?
それなら話も通るだろうと、サティは嘆願する。

 (マクナク公、どうかバニェスとフィッグ侯爵の仲裁を――)

 (ああ、知っている、知っている。
  この世界は私の物。
  全ての事情は見通している)

より神に近い存在だけあって、公爵級は偉大な物だと、彼女は感心した。
だが、マクナク公爵の答は冷淡だった。

 (詰まらない争いは放置するが良い。
  貴女が関知する事ではない。
  私は一々、下々の物共の争いに興味を持たない)

 (それでは困ります!)

超越した態度は、確かに大世界の主に相応しい物だろうが……。

347 :創る名無しに見る名無し:2015/03/25(水) 18:22:46.89 ID:d20vxyOa.net
マクナク公爵は焦るサティを諭す。

 (困ると言われても……。
  私の世界で起こる出来事に、私が一々干渉しなければならないと、君は言うのか?)

 (そ、その様な事は……し、しかし、伯爵級と侯爵級の争いを放置すれば、悪影響が……)

 (だから、それは君の関知する所ではないだろう。
  同様に、私の問題でもない。
  理解出来るか?)

マクナク公爵の理屈は、サティにも理解は出来る。
それは詰まり、どうでも良いと言う事だ。
どちらが消えようとも、或いは共倒れになったとしても、幾ら領地が荒れようとも、
マクナク公は何とも思わない。
何故なら、マクナク公の強大さに比すれば、余りに些事だから。

 (この物達が災禍の種となる事を懸念しているのならば、今直ぐ滅して解決しよう)

偉大な公爵マクナクも、悪魔貴族――愛を持たない存在なのだ。
サティに興味を持ったから、働き掛けているに過ぎず、他の物は一切どうでも良いと思っている。

348 :創る名無しに見る名無し:2015/03/25(水) 18:27:11.07 ID:d20vxyOa.net
それぞれ赤い球体と青い球体になって封じられたバニェスとフィッグは、何も知らないで、
弱い魔力を放ち合い、牽制し合っている。
今、自分達が主の心一つで抹消される立場にあるとは、考えもせず……。
いや、逆に全て悟っているので、こうしているのかも知れないが……。
儚い命が故に、上位の物に諂いつつも、我を通す事に必死になるのかも知れない。

 「好い加減にしなさい、フィッグ、バニェス!!
  先程からマクナク公が御覧になっていると言うのに、詰まらない小競り合いばかり!!」

サティが激憤すると、バニェスとフィッグ侯爵は驚いて牽制を止めた。

 「何っ、マクナク公様が!?」

揃って周囲を窺う2体にサティは言う。

 「空を見なさい」

赤い空に浮かぶ人型の雲を見て、バニェスとフィッグ侯爵は緊張した。

 「あ、あれが……マクナク公様……?」

2体の疑問と戸惑いが混じった奇妙な反応が、サティには引っ掛かる。
一見して、それと判らないと言う事があるだろうか?

 「何なの?
  もしかして、マクナク公と面識が無い?」

 「そんな訳無いだろう!
  私は確かにマクナク公様を知っている!
  マクナク公様は偉大で強大な方だ!」

混乱するサティに、テレパシーで抑えた笑い声が届く。
マクナク公が失笑している。

349 :創る名無しに見る名無し:2015/03/26(木) 19:59:37.34 ID:t2uYOzHA.net
茜色の雲の巨人は、陽炎の様に揺れていた。
それを見て、フィッグ侯爵がサティに意見する。

 「あの奇妙な動きをする雲が、マクナク公様だと言うのか?」

 「はぁ、違うの?」

あれは確かに、サティの呼び声に応えて現れ、マクナクと名乗った。
サティを苦しめていた、大世界マクナクその物だ。
それ以外の何物でもない。

 「フーム……雲を動かしながら、その気配を全く感じさせない。
  マクナク公様なら可能なのかも知れぬが……」

バニェスが唸る。
どうやらバニェスとフィッグは、大世界マクナクその物が、マクナク公爵だと知らない様だった。
マクナク公爵を自分達と同じ、個体の生命だと理解しているのだ。

 (無知なるかな……)

マクナク公は嘲る様な、嘆く様な、呆れた様な声を発する。
だが、それは仕方の無い事だと、サティは思う。
バニェスもフィッグもマクナクに生まれた物だから、余りにマクナク公の存在が自然過ぎて、
感じる事が出来ないのだ。
いや、正確には存在を感じてはいても、それがマクナク公だとは気付けない。
サティとて元居た向こうの世界では、父神や母神の存在を感じた事は無かったのだから。

350 :創る名無しに見る名無し:2015/03/26(木) 20:05:48.48 ID:t2uYOzHA.net
サティは未だ困惑しているバニェスとフィッグ侯爵に言う。

 「今回は引き分けと言う事で、お互いに下がって。
  フィッグ侯爵はバニェスの領地を諦める。
  バニェスは……誰でも良いから、代理の統治者を置く。
  それで手打ちにしない?」

儚い希望ではあるが、当事者同士で話が付けば、マクナク公に仲介を頼む必要は無い。
しかし……と言うか、やはりと言うか、素直に従う2体ではなかった。

 「サティ・クゥワーヴァ、貴様は私の味方ではなかったのか?
  何よりフィッグの奴が大人しく引き下がる訳無いだろう」

 「その通りだ!
  格下に虚仮にされて黙っていては、貴族の名が廃ろうと言う物。
  大体、異世界の伯爵級風情が、侯爵級に指図するとは何事だ!」

大きな大きな溜め息を吐くサティに、マクナク公がテレパシーを送る。

 (やはり、滅した方が良かろう?
  領地の管理等、誰にでも出来る。
  私には奴等に拘って、領主に置き続ける理由が無い)

 (しかし……!)

何も消す事は無いだろうと、サティは抗議しようとしたが、中々良い言い訳が思い浮かばない。
大世界マクナクでは、何も彼もマクナク公爵の心一つである。
そして、マクナク公爵は最早バニェスとフィッグに、存在価値を認めていない。

351 :創る名無しに見る名無し:2015/03/26(木) 20:08:09.85 ID:t2uYOzHA.net
マクナク公は何とかならないかと願うサティに言った。

 (ならば、君が引き取るが良い)

 (ええっ!?
  それは……)

流石に自分より能力がある、大伯爵と少侯爵を預かるのは手に余ると、サティは躊躇する。
サティ自身の能力は伯爵級中位から下位相当だ。

 「バニェス、フィッグ侯爵!
  仲違いは止めて、マクナク公に謝罪して!」

サティは慌てて2体に言うも、マクナク公は既に見切りを付けていた。

 (何も謝罪する必要は無い。
  自分の領地を守らぬ物を、領主には置けぬと言うだけの事。
  この地には、新しく侯爵級を生んで配す)

 (お待ち下さい!)

 (一体どんな風に貴女が対処するのか、見物だな)

マクナク公爵の愉快そうな声を聞いて、それが本音かとサティは察する。
遊び半分なのだ。
途端に人型の雲が威圧感を帯びて、周囲にも聞こえる声を発する。

 「バニェス、フィッグ、貴公等には失望したぞ」

 「マ、マクナク公様!?」

バニェスとフィッグは今更ながら俄かに畏まって、声を揃えて驚愕した。

352 :創る名無しに見る名無し:2015/03/27(金) 20:45:42.24 ID:bRzGnkEW.net
茜色の雲は炙り出される様に、徐々に陰影を濃くし、明らかな人型となった。
バニェスとフィッグにも理解し易い様に、顕現したのである。

 「両者共、今より領主の地位を剥奪する。
  後継に関しては、直ちに代理の侯爵級を立てるので、安心するが良い。
  最早この地に、貴公等の居場所は無い。
  そこな異世界の伯爵の下で、反省せよ」

フィッグは慌てて居直り、嘆願する。

 「マクナク公様、今の今まで気付かず……。
  どうか、お許しを!」

 「ファッファッハッ、去ねぃ!!」

マクナク公爵が全く聞く耳を持たずに喝破すると、世界が揺れて、空間が歪み、景色が溶け、
飛んで行く。
サティとバニェスとフィッグは、揃って大世界マクナクの外、混沌の海へと瞬間移動させられた。
三者は三様に茫然とする。
最もショックを受けていたのは、フィッグ侯爵だった。
フィッグは長らく領主として生きて来たので、他の生き方が分からないのだ。
マクナク公爵に仕える事で、地位と共に自己を確立していたのに、領主の座を追われては、
存在理由が無くなってしまう。
生意気な下等貴族のバニェス等、放っておけば良かった物を、下らない嫌がらせを企んだ所為で、
この様な破目に陥ってしまった。
呪っても呪い切れず、憾んでも憾み切れない。

353 :創る名無しに見る名無し:2015/03/27(金) 20:50:17.61 ID:bRzGnkEW.net
その怒りは、当然バニェスに向けられる。

 「バニェス、貴様がっ、貴様の所為で!!」

 「私に当たるのは止めて貰えるか?」

フィッグとは違い、バニェスは余りショックを受けていない。
元々預領地だけでは不満で、外界に支配地を求めて侵出する程、行動的、且つ、野心的であり、
エティーで敗れて以降は管理主失格と、バニェスは自認していた。
それをフィッグは歯痒く思った。
共に痛い目に遭ったのなら、少しは気が晴れようが、これでは一方損……。
フィッグとしては行き場の無い怒りを、どこでも良いから発散したい所だが、封じられた体では、
それも儘ならない。

 「ああ、これから私は、どうすれば良いのだ……」

嘆きの余りに、情け無い声で零すフィッグを無視して、バニェスはサティに話し掛けた。

 「奴は放って、エティーに帰ろう」

 「貴方は領主でなくなっても、何とも思わないの?」

サティが尋ねると、バニェスは自嘲気味に笑う。

 「踏ん切りが付いたと言うか、清々したと言うか、そんな感じだな。
  最早階級に拘る事も無い。
  長らくエティーに厄介になるが、構わないだろう?」

 「これまで通り、エティーの法に則ってくれるならね」

 「ああ、これまで通り」

吹っ切れた様子のバニェスを、サティは幾らか好意的に受け容れる。

354 :創る名無しに見る名無し:2015/03/27(金) 20:52:05.45 ID:bRzGnkEW.net
後はエティーに帰るだけだが、彼女はフィッグ侯爵を放置する事は出来なかった。

 「フィッグ侯爵、貴方もエティーに来ませんか?」

サティが声を掛けると、バニェスが制止する。

 「止めておけ。
  逆恨みされるのが落ちだ。
  ここに置いて混沌に還らせるか、それを哀れと思うなら止めを刺してやれ」

バニェスは私怨も込めて、言いたい放題だが、フィッグは全く反応しない。
ショックの余り放心状態なのだ。
強者絶対の理に支配された、異空の大世界マクナク……。
能力を誇示して、階級の中で面子に生きる物達。
上級の物は下級の物を顧みず、準爵や子爵を滓扱いする、バニェス伯爵やフィッグ侯爵さえ、
マクナク公爵の前では塵同然。

 「いいえ、連れて帰る」

サティはバニェスの忠告を考慮して、尚、フィッグをエティーに連れて行く決意をした。
何をしてやれる訳でもないが、憐憫の情を抱いたのだ。

 「……好きにするが良い」

バニェスは呆れはしても、咎めはしなかった。
自分もフィッグと立場が同じ事は理解していた。

355 :創る名無しに見る名無し:2015/03/28(土) 16:20:48.80 ID:3x3SMy1b.net
化猫の恋


カターナ地方タルタモ市にて


タルタモ市は海に面した、カターナ地方東部の都市である。
漁業が盛んで、魚介類や海藻類の養殖も行われている。
偶に大海獣が迷い込み、養殖場や漁場を荒らしたり、人に攻撃を仕掛けたりするので、
漁民や船乗りは、誰も逞しく、腕っ節が強い。
生活環境の影響か、この街の出身者は共通魔法の中でも、海に関する魔法が得意だ。
人々は大海獣に対する厳しさとは裏腹に、海鳥や野良猫には優しい。
海鳥や野良猫は非常に大人しく、余り物や残飯以外には手を出さない。
半ば飼育されている様な物である。
これは長年共に生活して、どの様な行動で人間が怒るのか、学習していると思われる。
よく観察すれば、人々は海鳥や野良猫を可愛がっているのではなく、追い立てないだけで、
殆ど配慮していない事が判るだろう。
迂闊に作業中の漁師の足元に近付いた猫が、蹴転がされていたりするが、漁師は憎々し気でなく、
悪意を持っているでなく、然りとて、罪悪感を持っているでもない。
天然無為である。
可愛いからと言って、観光客は無闇に動物に餌をやらない事。
「人が食べる物」を与えては、長い時を掛けて築かれた、地元民と動物達の良好な関係を、
崩す事になり兼ねない。
時折、仕来たりを知らぬ観光客が、漁師に怒鳴られている様が見られる。

356 :創る名無しに見る名無し:2015/03/28(土) 16:23:10.38 ID:3x3SMy1b.net
旅の化猫ニャンダコーレは1年半振りに、タルタモ市に来ていた。
ニャンダコーレは、誇り高きニャンダコラスの子孫である。
人語を解すだけでなく、喋りもする上に、2本足で歩く。
そこらの妖獣――ニャンダカニャンダカの子孫とは違うのだ。
よって、姿は猫でも、卑しい野良猫の様に、人から餌を恵んで貰ったりはしない。
確り、お金を払って買う。
その金は、どこで手に入れるのか?
街で弾き語りの芸をして稼ぐのである。
それでもニャンダコーレは、見た目は少し変わった化猫に過ぎない。
猫の嫌いな人や、猫が好かれない地域では、不当な差別や迫害を受ける。
仕方の無い事である。
そうした苦労を、ニャンダコーレは自分が特別な物の証として、受忍している。
単なる野良猫や妖獣では、それを差別と感じる事さえ出来ないのだから。
知恵の実は、恐らく苦いのだ。

357 :創る名無しに見る名無し:2015/03/28(土) 16:24:26.09 ID:3x3SMy1b.net
このタルタモ市には、幸いにも猫を毛嫌いする者は居ない。
それは上述の通り、猫が分を弁えているからなのだが、この秩序が守られているのは、
動物同士の協調の結果でもある。
猫ならば猫同士、縄張りを持っていて、礼儀知らずな余所者の猫を、追い立てるのだ。
旅のニャンダコーレは、他の猫に排斥されないのか?
されないのだ。
何故か?
この街にはボス猫が居る。
カトランと言う名の、真っ白な雌の化猫。
ニャンダコーレはカトランと顔見知りだった。
当然、最初から知り合いだった訳ではない。
カトランがニャンダコーレを認めるまで、紆余曲折があった。

358 :創る名無しに見る名無し:2015/03/29(日) 15:29:44.00 ID:pdL3TqpB.net
化猫は普通の猫と比較して、倍以上長生きするが、ニャンダコーレは化猫としても、
途方も無く長命である。
既に数百年も生きていて、余りに長いので、自分で歳を数える事も止めている。
ニャンダコーレは何度もタルタモ市を訪れているが、大抵は数年の間にボス猫が変わっていて、
その度に取っ組み合いの喧嘩をして、秩序を乱さない訪問客と認められていた。
カトランは5年前、タルタモ市に引っ越して来た一家の使い魔である。
使い魔の性質として、知能が高く、ニャンダコーレと同じく、人語を喋れる。
流石に、2本足で歩きはしないが……。
通常、化猫の寿命は、健康管理に気を配っていれば、30〜40年。
カトランは8歳なので、今後10年はボス猫として君臨し続けるだろう。
さて、ニャンダコーレとカトランのファースト・コンタクトは、意外にも友好的な物だった。
先述の通り、ニャンダコーレは数年に一度はタルタモ市を訪れており、彼の事を覚えている、
地元の人間や動物は少なくなかった。
問題は代々のボス猫が、ニャンダコーレを認めるか否かで、その点、カトランは知能が高く、
無用な争いを嫌ったので、初めの内は衝突は起こらなかった。

359 :創る名無しに見る名無し:2015/03/29(日) 15:32:40.20 ID:pdL3TqpB.net
所が、ニャンダコーレの滞在が長引くに連れて、カトランは彼を許容出来なくなって来た。
それは何故かと言うと、単純な話で、ニャンダコーレの方が街の者に人気があった為だ。
ニャンダコーレの素行は、動物達からは然程でもないが、非常に人間受けした。
人間に可愛がられると、餌を多く貰えたり、何かと庇って貰えたり、色々と得がある。
そんな訳で、「人間に可愛がられる=地位が高い」と言う認識が、タルタモ市の動物達の間では、
一般化していた。
他ならぬカトランが、そうだったのだから、ニャンダコーレはカトランを差し置いて、
一目置かれる存在となった。
人語を喋れる上に、人間の様に2本足で歩き、自立した意思を持っているニャンダコーレは、
完全にカトランの上位互換であった。
そこもカトランは気に入らなかった。
又、ニャンダコーレはカトランを殆ど相手にしなかった。
彼は紳士振って、雌相手に本気で喧嘩する気は無かったし、更に言えば、妖獣神話を信じていて、
ニャンダカニャンダカの子孫である化猫を、全体的に見下していた。
それもカトランは気に入らなかった。

360 :創る名無しに見る名無し:2015/03/29(日) 15:34:45.85 ID:pdL3TqpB.net
カトランは波止場にニャンダコーレを呼び出して、決闘を申し込んだ。

 「コレ、何の用ですかな?」

ニャンダコーレは偉そうに髭を伸ばしながら、カトランに尋ねる。
カトランは正直に決闘と言っては、相手にして貰えないかも知れないので、目的を伏せて、
彼を誘っていた。

 「おんしゃ、家と勝負しちゃくれん?」

カトランは男勝り……雄勝り(?)の口調で言う。
突然の申し出に、ニャンダコーレは戸惑った。

 「それは……コレ、どうして?」

 「何ちうかな、家にも面子があるんにゃ。
  こがなんでも家はボスやけん、余所者に太い面はされたくないんよ」

 「ナァ、成る程、コレは失敬。
  長居するべきではありませんでしたな、コレ」

ニャンダコーレは羽根付き帽子を取って、深い礼をする。

 「コレ、では……、明日にでも、コレ、立ち去る事としましょう」

カトランは深い溜め息を吐く。

 「ンにゃ……、違うにゃあ。
  ボスん面(おもて)立たそうっち思うたら、そがなじゃ行かんち分かりゆうがや?」

ニャンダコーレは港の人間の人気を掻っ攫って行った。
何事も無くニャンダコーレが出て行っては、カトランの立場が無い。
事ここに至っては、最早決着を付ける他に、彼女の威信を回復する手段は無いのだ。

361 :創る名無しに見る名無し:2015/03/29(日) 15:42:05.00 ID:txq8s90Z.net
かわいい

362 :創る名無しに見る名無し:2015/03/30(月) 18:29:28.22 ID:HlAxTMf2.net
しかし、ニャンダコーレはカトランの言い分を理解はしても、受け容れはしない。

 「コレ、困りましたな。
  雌を相手に喧嘩はしない性分な物で、コレ」

闘争の意思が無い証に、決して目を合わせず、澄まし顔で語り続けるニャンダコーレに、
カトランは爪を伸ばして不意打ちする。
それを見切った様に、ニャンダコーレは難無く避けた。

 「奇襲の積もりですかな、コレ?」

 「家ん事、馬鹿にしちゅうか!?
  ほいが気に食わんのじゃ!
  げぇムカつくんじゃ、ボケぇー!!」

全身の毛を逆立たせて、カトランは乱暴な言葉を吐き、尚も攻撃を続ける。
ニャンダコーレは身軽な動きで、カトランの攻撃を捌く。
彼女が怒るのも、当然ではある。
ニャンダコーレは透かした顔で、ニャンダカニャンダカの子孫である全ての妖獣を、
見下しているのだから……。

 「コレコレ、貴女と戯れ合う積もりは無い」

ニャンダコーレは羽根付き帽子を放り投げると、カトランの背後を取って、首を踏み押さえた。
彼は並みの妖獣と比べて、倍は体格が良い。
一度押さえ付けられると、跳ね返すのは容易ではない。

363 :創る名無しに見る名無し:2015/03/30(月) 18:43:21.54 ID:HlAxTMf2.net
化猫にとって、背後から押さえ付けられると言うのは、屈辱である。
その気は無くとも、これは交尾の体勢に他ならない。
雌であるカトランは、ニャンダコーレの雄性を意識しない訳には行かなかった。
必死に暴れるカトランに、ニャンダコーレは言う。

 「動くな。
  我輩はニャンダコーレ、コレ、偉大なるニャンダコラスの子孫である。
  お前達、ニャンダカニャンダカの子孫を殺すのに、コレ躊躇いは無い」

 「ニャンダコラス……!?」

カトランは目を剥いて驚いた。
ニャンダコラスとはニャンダカニャンダカの仇敵である。
妖獣神話では、嘗て大国を築いていたニャンダカニャンダカは、家臣ニャンダコラスの反乱で、
このファイセアルスに追放された。
妖獣となったニャンダカニャンダカの子孫は、来るべき日の為に爪と牙を研き、何時の日か、
元の世界に帰って、王国を取り戻すのだと言う。
ファイセアルスに存在する全ての妖獣、霊獣はニャンダカニャンダカの子孫である。
ニャンダコラスの子孫と聞いて、驚かない妖獣は居ない。

 「馬っ鹿じゃにゃあか!
  ニャンダコラスっち、大概にしいや!」

 「嘘ではないのだ、コレ。
  我輩は無限の時を生き、ニャンダカニャンダカの子孫をコレ、監視している。
  愚昧なるニャンダカニャンダカの、コレ子孫共よ……。
  コレ、何故にファイセアルスにまで、コレ飛ばされて、未だ争い続けるのか……」

 「ほ、本真に……?」

カトランはニャンダコーレの話を俄かには信じられず、反抗よりも混乱が先に来る。

364 :創る名無しに見る名無し:2015/03/30(月) 18:51:06.81 ID:HlAxTMf2.net
ニャンダコーレは、困惑して固まっているカトランから前足を離して、彼女を解放した。

 「おんしゃあ、一体……」

化猫は普通の猫より強く賢く、使い魔である自分は、その化猫の中でも格段に強く賢い。
そうカトランは自負していた。
そこに想像もしない物が現れた事で、カトランは天地が引っ繰り返った思いだった。

 「やはり、コレ、獣を制するは力の理か……」

主の下で甘やかされて育って来たカトランには、意味深な事を呟くニャンダコーレが、
魅力的に映っていた。
不良少年に憧れる、少女の気持ちとでも言うべきか……。

 「コレ、どちらが上か下か等と、馬鹿な事を考えるのは止めにするのだ。
  我輩はコレ、ニャンダコラスの子孫で、お前達ニャンダカニャンダカの子孫とは、コレ相容れぬ。
  どうしても祖先の仇を討つと言うなら、コレ、受けて立たつが……そんな様子でもない。
  我輩はボス等と言う立場には、コレ、興味を持たぬのだ」

 「……あい、分かったじゃ」

カトランは項垂れて、萎らしい声を出した。
ニャンダコーレは普通の化猫相手に、大人気無い事をしたと思い、直ぐにタルタモ市を発った。

365 :創る名無しに見る名無し:2015/03/31(火) 18:08:51.20 ID:vc2WfSRH.net
……以上が、ニャンダコーレとカトランの馴れ初めである。
ニャンダコーレに敗れてから、カトランは従前の様な威厳とカリスマこそ失った物の、
だからと言って地位を脅かす物も現れず、彼女は変わらずボスの座に君臨し続けた。
だが、心は全く変わってしまい、市内の猫達の諍いに殆ど干渉しなくなった。
その代わり、波止場で独り、空と海を眺める事が多くなった。
これまでカトランは、避妊手術を受けた訳ではないが、雄猫に興味を示さず、子も生さなかった。
別に誰かに操を立てていた訳ではない。
その様な感覚を、多くの妖獣は持たない。
カトランは単純に、長らく自分に釣り合う存在を知らなかったのだ。
使い魔の悲しい定めで、下手に賢い分、同格の相手を見付け難い。
これが雄であれば、その辺の野良猫を集めて、ハーレムを作る事も出来るのだが、
カトランは雌であり――いや、雌でも雄を侍らす事は出来るのだが、詰まらない雄に、
体を許す気は無かった。
使い魔ならば、他家の同種の使い魔と、お見合いをする事もあったが、カトランは必ず喧嘩して、
相手に怪我を負わせ、全部破談にした。

366 :創る名無しに見る名無し:2015/03/31(火) 18:11:18.06 ID:vc2WfSRH.net
話は少し変わるが、カトランが直接的な支配をしなくなると、秩序を維持する為に、
bQが台頭して来る。
それがトイメオと言う雄の三毛化猫だった。
トイメオは黒・茶・白の三色の体毛の中で、黒と茶の割合が高く、一見して黒茶と見紛う様な、
特異な外見をしていた。
彼は使い魔ではなく、野良の化猫で、体格が良く、喧嘩も強かったが、カトランには敵わなかった。
改良種である使い魔の化猫は、普通の化猫より強く賢いのだ。
しかし、トイメオはトイメオで中々賢く、片言ではあるが人語を喋れた。
トイメオはカトランの代わりをよく務めた。
実力はカトランに及ばないながらも、ボスとしての資質はあったと言えよう。
そして、トイメオはカトランに岡惚れしていた。
自らカトランに想いを伝えていない癖に、心の中では街を支配する夫婦……とまでは行かないが、
良きパートナーの積もりであった。

367 :創る名無しに見る名無し:2015/03/31(火) 18:13:05.39 ID:vc2WfSRH.net
そんな訳で、トイメオはタルタモ市を再訪したニャンダコーレを、目の敵にした。
鈍感なトイメオは、カトランがニャンダコーレに懸想しているとは、露も知らなかったが、
普段彼女の元気が無いのは、ニャンダコーレの所為に違い無いと決め付けていた。
それと言うのも、やはりニャンダコーレがタルタモ市を訪れてから、カトランの様子が、
変わってしまった為だ。
そこは間違っていないのだが、トイメオはニャンダコーレを完全に外敵と見做し、
カトランの目が無い所で嫌がらせをした。
堂々と喧嘩を売らなかったのは、トイメオにとってもニャンダコーレは不気味な存在だったが故。
何しろ、ニャンダコーレはトイメオより大きく、上手に人語を話す上に、2本足で歩くのだから。
正面から喧嘩を吹っ掛けては、どう転ぶのか分からないので、警戒するのは当然である。
一方、ニャンダコーレの方はトイメオを歯牙にも掛けなかった。
彼にとってトイメオは、他の地方のボス猫と同じく、取るに足らない存在だった。
トイメオに従うタルタモ市の街猫達に嫌がらせをされても、ニャンダコーレは本気で怒ったりせず、
人前で行動する以外の時は、余り他の猫が近寄らない場所で休んだ。
一際高い屋根の上や、波止場の岩礁、消波ブロックの上……。
しかし、これもニャンダコーレにとっては、苦痛でも何でも無かった。
ニャンダコーレはニャンダコラスの子孫、ニャンダカニャンダカの子孫に恨まれるのは当然で、
馴れ合う積もりは無かった。

368 :創る名無しに見る名無し:2015/04/01(水) 18:57:48.49 ID:+CUGRG5x.net
そんな中、カトランはニャンダコーレが独りの時を見計らって、静かに傍に寄り添った。
尻尾を立てて、体を擦り付け、ニャンダコーレが反応を示さないと、その儘、隣に座る。

 「……何なのだ、コレ」

ニャンダコーレが不可解な顔で言うと、カトランは俯き加減で呟いた。

 「おんしゃ、家と似ちゅうじゃ」

 「コレ、どこが?」

 「みーんな馬鹿じゃき、やちも無い事で喧嘩しゆう。
  付き合えんわっち気にもなりゆう物よ」

カトランは過去の自分を棚に上げて、知った風な口を利く。
それを指摘しようとニャンダコーレが言い掛けると、カトランは先を制した。

 「おんしと会って、家は変わったんよ」

 「コレ、我輩はニャンダコラスの子孫であるが故に、コレ……」

 「関係にゃあよ。
  ニャンダカニャンダカもニャンダコラスも、大元は同(おんな)しやけん」

カトランは甘えた様な声を出すが、こうした雰囲気がニャンダコーレは苦手だった。
数百年の歳月で、ニャンダコーレは雄としての振る舞いを、全く忘れてしまっていたのだ。
ニャンダコーレは動揺して固まり、何も出来ない。
だが、その場で盛らずとも、カトランは彼の側に居るだけで、幸せを感じられた。
ニャンダコーレが明確に拒否しなかったので、カトランは何時か彼が自分を受け容れてくれると、
信じていた。
化猫の寿命は普通の猫に比して長く、使い魔は人間に近い精神を持つ。
使い魔達は人間の様な、そして時に、人間以上に人間らしい振る舞いを見せる……。

369 :創る名無しに見る名無し:2015/04/01(水) 18:59:28.85 ID:+CUGRG5x.net
そんな2匹の姿を、トイメオは遠巻きに見て、嫉妬の炎を燃やしていた。
生憎と、ニャンダコーレはカトランに、どう接して良いのか分からず、一緒に居るのが気不味くなって、
又も早々にタルタモ市を発ってしまったので、トイメオと顔を合わせる機会は無かったのだが、
トイメオの方は次にニャンダコーレと会ったら、勝敗は別にして決闘を挑まねば気が済まなかった。
ここで時系列は冒頭に戻る。
1年半振りにタルタモ市を訪れたニャンダコーレ。
毎度、嫌がらせをされはしても、直接排除されるまでは行かないので、今年も同じなのだろうと、
彼は考えていたのだが、どうも様子が違う。
街猫達は余所余所しく、ニャンダコーレを見るや、怯える様に逃げて行く。
そして、彼を出迎えたのは、雄の三毛化猫トイメオ。

 「おんし、儂と勝負しぇえ」

 「コレ、今度のボスは貴方ですかな?」

カトランはボスの座を退いたのかと、ニャンダコーレは誤解する。

 「お、おう……。
  んで、勝負しょん、しぇん?」

歯切れの悪い答え方だが、それは単に滑舌が悪い為だと、ニャンダコーレは気にしなかった。

 「コレ、生憎ですが、勝負する意味が、コレ無いと思いますな……。
  別に我輩は、コレ貴方の地位を脅かす積もりは、全く無いので、コレ」

 「怖じくそか!」

 「コレ、何とでも」

トイメオは挑発するも、ニャンダコーレは全く相手にしない。

370 :創る名無しに見る名無し:2015/04/01(水) 19:03:06.50 ID:+CUGRG5x.net
立ち去ろうとするニャンダコーレの行く先を、他の化猫達が塞ぐ。
トイメオは気勢を上げた。

 「誰、逃がすっちゆった?」

 「コレ、無益な争いは好まないのですが……」

 「生意気にゃあ!」

トイメオは野良の化猫らしい、俊敏な動きでニャンダコーレに飛び掛かる。
ニャンダコーレはマントを翻して、トイメオの視角を制限した。
トイメオは標的を見失い、マントに突っ込んでしまう。

 「ニャシチッ!」

ニャンダコーレは気合を入れて、擦れ違い様に、トイメオの頭を猫手で叩く。
爪を立てなかったので、ダメージは無いが、衝撃と屈辱は大きい。
トイメオは直ぐに距離を取って、背を丸めてニャンダコーレを威嚇する。

 「マントに傷が付いたではないか、コレ……」

ニャンダコーレはマントに残った爪跡をトイメオに見せ付け、溜め息を吐いて静かに怒った。
魔法資質の高まりが、ニャンダコーレの周りに魔力を集めて、水色のオーラとなる。
その威圧感に、トイメオは震えた。
彼は今直ぐにも逃げ出したい気持ちだったが、爪を地面に食い込ませて堪える。

371 :創る名無しに見る名無し:2015/04/02(木) 18:08:08.33 ID:Fpf7DJAk.net
丁度そこで、両者の間に割って入る物があった。

 「おんしゃ等、何しちゅう」

カトランである。
威厳のある声の響きに、タルタモ市の街猫達は一斉に身を縮め、恭順の姿勢を取った。
街猫達の取り締まりはトイメオに任せ、些事には関わらない様にしていた彼女だが、
全くボスの責任を放棄していた訳ではなかった。

 「トイメオ、おんしゃ、家に黙って勝手に何しゆう?
  何じゃ、家が頼んじょったがか?
  そいとも何か?
  誰ぞ何かせぇって、おんしにゆうたがか?」

カトランが詰問すると、トイメオは決まりの悪そうな顔をした後、敢えて反抗する。

 「こい、儂と奴(やっち)、問題じゃき。
  何ぼボスゆうたち、聞かんぜよ!」

 「トイメオ!!」

カトランの制止も聞かず、トイメオは再びニャンダコーレに飛び掛かる。

372 :創る名無しに見る名無し:2015/04/02(木) 18:16:42.78 ID:Fpf7DJAk.net
だが、トイメオは空中で動きを止められた。
ニャゴニャゴと不気味な詠唱が聞こえる。
その場の街猫達は疎か、カトランも身動きが取れず、唯々驚愕し恐怖した。
ニャンダコーレが呪文を唱えている。
共通魔法でも、一般に知られている獣魔法でもない、「ニャンダコーレの獣魔法」……。
トイメオは絞首刑の様に、空中に吊り下げられ、藻掻きつつ苦悶の表情を浮かべる。

 「止めや!!」

カトランは恐慌の余り、ニャンダコーレを突き飛ばした。
詠唱が中断され、魔法が解けて、トイメオは落下する。
カトランは彼に駆け寄って、無事を確かめた。

 「息しゆうな……」

トイメオは気絶こそしている物の、命に別状は無かった。
カトランは安堵するも、ニャンダコーレを睨む。

 「何で?
  何で、こがな事しよん?」

彼女の目は潤んでいた。
裏切られたと言う気持ちだった。

 「我輩はコレ、ニャンダコラスの子孫……。
  お前達ニャンダカニャンダカの子孫とは、コレ、相容れぬ存在なのだ」

ニャンダコーレは冷淡に吐き捨て、太々しく何の謝罪も弁解もせず、悠々と歩き去る。

373 :創る名無しに見る名無し:2015/04/02(木) 18:22:09.17 ID:Fpf7DJAk.net
その場では強気だったニャンダコーレだが、次第に興奮が冷め、冷静になると、段々居辛くなって、
直ぐにタルタモ市を発った。
ニャンダコーレはニャンダコラスの子孫である。
自ら妖獣を監視すると言う使命を課し、各地を旅して歩いている。
仇敵ニャンダカニャンダカの子孫と、馴れ合うことはしないのだ。
……それから暫く、ニャンダコーレはタルタモ市に足を向けなかった。
彼がタルタモ市を再訪したのは、7年後の事。
流石に、カトランはボス猫の地位を退いており、別の若い雄が街猫達を仕切っていた。
その若い雄化猫は、やはりニャンダコーレを敵視して、喧嘩を売りに来る。

 「おんしゃ、どこの者がかや」

 「コレ、我輩はニャンダコーレ。
  旅の者です、コレ」

ニャンダコーレが答えると、一部の街猫が一目散に逃げ出した。
7年も前の、彼の事を覚えている者が居たのだ。

 「……我輩は偶々立ち寄っただけで、争う気はありませんので、コレ……この場は、
  穏便に収めて頂けると、コレ助かります」

ボス猫はニャンダコーレの不気味さに、少し怯んだが、ボスとして情け無い所は見せられないと、
堂々と振る舞う。

 「そだいか……。
  まあ、面倒起こさにゃあ、見逃しちゃるき」

彼は面子を保った儘、その場を収める事に成功した。
街猫達はニャンダコーレを警戒して、遠巻きに観察している。
これが普段通り。
漸く例年の様になったと、ニャンダコーレは落ち着いていた。

374 :創る名無しに見る名無し:2015/04/03(金) 20:48:45.62 ID:IpBrMICx.net
『男嫌い<アンドロフォビア>』の魔法使い


第四魔法都市ティナー ライヤン地区にて


旅商の男ラビゾーは、繁華街の裏通りを歩いている時、偶々目を向けた狭い路地で、
1組の男女が向き合っているのを見た。
フードを被った黒いローブ姿の怪しい女と、近場の専門学生らしい若い男。
気にしないのが正解なのだろうが、彼は何と無く注目した。

 (何をやっているんだ?)

その瞬間、女の方がラビゾーに気付いて振り向く。
人形の様に白くて、薄気味の悪い顔に、爛々と明かる金の目。
一瞬目が合ったラビゾーは、不味いと思って直ぐに顔を背け、足早に去った。

 (見ては不味い物だったか?
  いや、深く考えるのは止そう)

ラビゾーは見なかった事にして、どこへ向かうでなく、とにかく場から逃れる事を優先する。
適当に角を曲がり、人目の多い表通りへ出れば、絡まれる事も無いと考えていた彼だが、
そうは問屋が卸さない。

375 :創る名無しに見る名無し:2015/04/03(金) 20:50:18.64 ID:IpBrMICx.net
幾つか角を曲がった所で、先程の女と全く同じ格好をした人物が、ラビゾーの行く手を塞いだ。

 (ど、どう言う事だ?)

同一人物なのか、それとも仲間なのか、正体は分からないが、全く無関係ではないだろうと、
彼は戦慄する。

 (先回りされた?
  地下組織の者?
  嫌な予感が止まらない……)

警戒するラビゾーに、女は低く不気味な声で言う。

 「今日は稀日だ。
  獲物が2匹も掛かった」

言葉の意味を問い質すよりも、逃走を優先して、踵を返そうとするラビゾー。
しかし、女は彼を呼び止める。

 「そう怖がらずとも良い。
  お前の願いを――って、あっ!」

ラビゾーは何も聞こえない振りをして、駆け出した。
幸い、ティナー市の繁華街には、脇道や細道が多い。
その全てを塞ぐのは困難だ。
どうにか回り込んで、表通りに出ようと、彼は必死に走る。

376 :創る名無しに見る名無し:2015/04/03(金) 20:59:38.65 ID:IpBrMICx.net
だが、3つ角を曲がった所で、又も同じ格好の人物が行く手を塞ぐ。
真面な人間の業ではない。

 (どうなってるんだ!?
  ええい、こうなったら――)

相手が真面でないなら、真面に相手をする必要は無い。
ラビゾーは思い切り、三角跳びの要領で、壁を蹴って頭上を跳び越そうと試みた。
狭い路地を利用して、2段階の跳躍をすれば、1身近くは軽く跳び越せる。
ラビゾーは助走を付けて、地面を蹴った。

 「トォッ!」

次に確りと壁に足を掛け、気合を入れて飛翔。

 「トゥアー!!」

そして、2段目に移る、その時!

 「ハッ、あ!?」

足が滑ってバランスを崩し、壁に激突する……。
ラビゾーはベタッと壁に体の側面を打ち付けて、無様に落下した。
その下にはフードを被った人物が……。

 「危ない!」

ラビゾーは声を上げるが、間に合わない。
彼は図らずも、フードを被った人物に、頭上から襲い掛かる形になる。
フライング・ニー・ドロップだ。
膝が側頭部を直撃し、その儘、雪崩れ落ちて押し倒す。

 「うわー!!
  大丈夫ですか!?」

ラビゾーは直ぐに立ち上がると、慌てて飛び退き、相手の様子を確認した。

377 :創る名無しに見る名無し:2015/04/04(土) 15:08:12.00 ID:701Ull3F.net
フードを被ったローブ姿の人物は、仰向けに倒れた状態で、微動だにしない。

 (死んだ!?
  いやいや、こんな事で死なれては困る!)

交錯の際の接触した感覚では、然程体格の良い人物とは思えなかった。
細い男か、もしくは女……。
ラビゾーは恐る恐る近付いて、意識の有無を確かめようとする。

 「だ、大丈夫ですか?
  生きてます?」

ラビゾーは長旅で鍛えられている上に、今回は比較的軽量ではあったが、荷物を背負っている。
服装と合わせれば、1体重前後。
それが頭上から落下して、何とも無い方と言うが難しい。
魔法で治療すれば何とかなるだろうかと、ラビゾーは不安になった。
フードに隠された顔を覗き込もうとすると、ローブの人物はラビゾーの腕を掴んで、ゾンビーの様に、
ゆらりと起き上がる。

 「フフフ、初めてだよ。
  この私が奇襲を受けるとはね……」

鉤の様に長くて分厚い、ラメの塗られた爪が、ラビゾーの腕に食い込んだ。

 「ご、御免なさい!
  言い訳させて貰うと、悪気は無かったんです!」

フードの所為で顔は見えないが、声は落ち着いた女性の物である。
その事にラビゾーは兢々としていた。
幸いにも、大した怪我は無さそうだが、当たり屋の様に、延々と賠償や誠意を、
要求されるかも知れない。

378 :創る名無しに見る名無し:2015/04/04(土) 15:17:02.73 ID:701Ull3F.net
ローブ姿の女は、徐にフードを剥いだ。
青白い肌に、金の目……数点前に見掛けた女と全く同じ顔で、ラビゾーは驚愕する。
髪は茶色の癖毛のピクシー・カット。
ローブの襟首や袖からは、銀の輝きを放つアクセサリーが覗く。
彼女は怒っている様子ではなかったが、ラビゾーは安堵するより困惑していた。

 「お怪我はありませんか?」

外傷は無さそうだが、頬か耳の辺りに膝が当たっていた筈だと、ラビゾーは不思議がる。
それは勘違いで、実際は怪我をさせていないなら、それに越した事は無いのだが……。

 「軟な人間と一緒にして貰っては困るね」

 「ああ、良かった。
  それでは失礼します。
  どうも済みませんでした」

話が面倒になる前に、ラビゾーは食い気味に謝罪して、立ち去ろうとする。
「人間と一緒にして貰っては困る」と、意味深な事を言っていたのも、敢えて無視した。
見逃してくれと、心の中で彼は祈っていたが、案の定、止められた。

 「待ちなよ。
  只で帰ろうっての?」

 「いや、お元気そうですし……。
  僕は急ぐんで……」

どこか不機嫌な女に、ラビゾーは引き攣った顔で答える。

379 :創る名無しに見る名無し:2015/04/04(土) 15:32:47.90 ID:701Ull3F.net
女は不気味な笑みを浮かべて、掴んでいるラビゾーの腕を、強く握り締めた。

 「痛い、痛いです」

ラビゾーが抗議すると、女は変わらない表情で言う。

 「申し訳無いって気持ちが少しでもあるならさぁ、家の商品を買って行きなよ」

麻薬の売人か、それとも高額商品詐欺か、ラビゾーは一層警戒する。
いざとなれば、全力で振り切って逃げる覚悟を決めた。
しかし、それは間違った対応だ。
今は未だ様子見をしようと思う当たりに、彼の未熟さがある。

 「……買うって何をです?」

 「『希望』さ」

 「希望?」

 「Hope、Elpida、Xiwang、Umeed、Speranza……詰まり、そう言う物」

 「はぁ……」

女が何を言っているのか理解出来ず、ラビゾーは生返事をする。

 「買ってくれるだろう?
  いや、買わずには居られない筈だ」

 「え、えー?
  それは一寸……要らないです」

 「何、希望は要らないと言うのか!?」

女は喜びを抑え切れない風に、声音を高くして、金の両目を爛と輝かせた。
これは不味いと直感して、ラビゾーは焦る。

380 :創る名無しに見る名無し:2015/04/05(日) 15:42:10.04 ID:drpScZlR.net
彼は薄々、女が外道魔法使いだと感付いていた。
同時に、余り関わり合いになっては行けない人物だと言う事も。

 「そうじゃないですけど……」

こう言う類の外道魔法使いに、迂闊な返事をすると、未来の希望まで奪われ兼ねない。

 「じゃあ、買ってくれよ」

買え買えと言われても、大概理不尽なので、自分の持ち物を買わされるのと同じだ。
隙があれば逃げ出したいのだが、女の細腕とは思えない怪力で掴まれているので、振り解けない。
ラビゾーは思い切って尋ねた。

 「貴女、外道魔法使いですよね?」

 「ああ、それが何か?」

 「こんな所で、こんな事をして良いんですか?」

 「意味が分からないな。
  どこで何をしようと、それは私の自由じゃないのか?」

 「魔導師会が怖くないんですか?」

 「全然。
  奴等は番犬と同じだ。
  敷地に入らなければ、噛み付かれる事は無い」

その答から、ラビゾーは女を完全に『外側<アウトサイド>』の存在と見做した。
少なくとも、共通魔法社会に順応しようと言う姿勢ではない。

 「貴女は一体何なんです?」

 「人に尋ねる前に、自分から名乗っては?」

 「……僕はラビゾー。
  各地を旅をして、色々な物を売ったり買ったりしています」

381 :創る名無しに見る名無し:2015/04/05(日) 15:44:15.17 ID:drpScZlR.net
出来るだけ友好的な接触を試みるラビゾーだったが、女は付き合わない。

 「ラビゾー君だね。
  私は『人の望みを叶える』魔法使いだ。
  私の姿は、現状(いま)に不満のある人間にしか映らない」

 「はぁ……」

 「叶えて欲しい願いがあるんだろう?」

女に詰め寄られて、ラビゾーは苦笑した。
過去に何度も同じ様な質問をされた事があるのだ。

 「叶えたい願いはありますけど……、貴女に叶えて欲しい様な望みは……」

 「何でも良いよ、取り敢えず言ってみな」

 「その前に質問なんですけど、代償とか無いんですか?」

 「無いよ。
  そんな吝嗇に見えるかい?」

これは話が旨過ぎると、ラビゾーは取り合わない様に心を固めた。

 「……僕には外道魔法使いの知り合いが居ます」

 「ん?」

 「だから、貴女みたいな人の話には、真面に付き合っては行けないと知っています」

 「ははは、余程意地の悪い奴と当たったんだな。
  私は違うから安心しなさい」

遣り取りを繰り返す毎に、彼女は信用出来ないと、ラビゾーは猜疑心を深めて行く。
敵意の無い、余裕さえ窺える取り繕った笑顔は、旧い魔法使い達が「商売」をする面。
『信用詐欺<コン・トリック>』と同じで、怪しい商品を売り付ける為の物。

382 :創る名無しに見る名無し:2015/04/05(日) 15:48:01.82 ID:drpScZlR.net
そこに、代償が無い訳が無いのだ。
商売とは取引である。
買うからには、対価を払わなければならない。
こいつは胡散臭いと思い、ラビゾーは正体を暴く積もりで追及した。

 「貴女の名前を教えて下さい」

 「名前なんて、どうでも良いだろう。
  君は商品を買う時に、店員の名前を気にするかい?」

 「少なくとも、『店の名前』と『商品の名前』は気にしますよ」

 「私は『望みを叶える魔法使い』で、『希望』を売っている」

 「僕が知りたいのは、『商標<ブランド>』です」

 「済まないが、弱小ブランドでね」

 「構いませんよ。
  語らない理由にはならないでしょう」

ラビゾーは鋭い目付きで詰問するが、女は飄々とした態度で躱す。
寧ろ、言葉の投げ合いを楽しんでいる風情さえ感じられる。

 「……取り敢えず、手を放して貰えますか?」

 「『希望』を言ってくれたら、放して上げるよ」

ラビゾーと女は互いに目を合わせた儘、数針も動かなかった。
こうなったら、どちらが折れるかの勝負である。
普通の人間――真面な職業を持っている者なら、明日や家庭の事を考えてしまい、折れるだろう。
睨み合いで貴重な時間を潰したりはしない。
だが、ラビゾーは違った。
彼とて全くの暇人ではないが、今の所は急ぎの用事は無いし、旅の日程には猶予がある。
先に「急ぐ」と言ったのは、その場を凌ぐ為の方便だ。

383 :創る名無しに見る名無し:2015/04/06(月) 18:35:40.22 ID:dPCK90el.net
ラビゾーは徹底的に根競べに付き合う気だったが、女の方は予想外と言う風でもなく、
余裕を持って応じる。

 「中々の強情っ張りだね。
  構わないけど。
  1月位、この儘で居てみるかい?」

相手は不死の魔法使いだと理解し、ラビゾーは溜め息を吐く。
真面な生物ではないから、飲まず食わずの上に眠らずでも平気なのだ。

 「何の意味があって、こんな事をするんです?」

 「意味も何も、趣味だからさ。
  私は人が困っている姿を見るのが大好きでね!」

どうした物かとラビゾーが困っていると、そこに1組の少年少女が通り掛かる。

 「おや?
  ラヴィゾール、そんな所で何を?」

 「ラヴィゾール?」

先に声を上げたのは魔楽器演奏家のレノック・ダッバーディー。
それに反応して、言葉の魔法使いワーズ・ワースも顔を向ける。
レノックはラビゾーの腕を掴んでいる女に気付き、「あっ」と小さな声を上げて、にやにや笑った。

 「お邪魔したかなぁ……?」

 「いや、お邪魔じゃないです!
  助けて下さい!」

ラビゾーは慌てて呼び止め、助けを求める。

384 :創る名無しに見る名無し:2015/04/06(月) 18:44:29.32 ID:dPCK90el.net
女は見知らぬ少年少女が自分を認識している事に、動揺していた。

 「な、何故、私が見える?」

レノックとワーズは迷い無く歩み寄って来る。
女の顔を覗き込んで、レノックは大声で言った。

 「何だ、『女好き<レズ>』のエピレクティカじゃないか!
  ハルピュイア・エピレクティカ!」

 「違うっ、女好きじゃない――って言うか、あんた誰なの!?
  私をエピレクティカと呼ぶな!」

 「悪かったよ、『小煩い小鳥ちゃん<ピッキー・バーディー>』、エピレクティカ」

忽ち余裕を失って声を荒げる女に、レノックは嫌味で返す。
エピレクティカと呼ばれた女は目を見張って、レノックを指差した。

 「あぁーっ!!
  あんたは……!!
  その憎たらしい笑い方、人を小馬鹿にした態度……間違い無い!
  笛吹きのレノック!!」

 「思い出してくれた様だね。
  所で、何をしているのかな?
  女好きの君が、暗い路地裏に男を誘い込むなんて……。
  いやはや、長生きはしてみる物だ」

 「女好きじゃないって言ってるだろう!!」

先までの人形の様な顔は見る影も無く、エピレクティカは感情を露にする。

385 :創る名無しに見る名無し:2015/04/06(月) 18:52:42.68 ID:dPCK90el.net
レノックは彼女を無視して、ラビゾーに尋ねた。

 「ラヴィゾール、何をしているんだ?」

レノックとエピレクティカの間の抜けた遣り取りに、呆気に取られていたラビゾーは、
我に返って答える。

 「何って……。
  彼女が僕を放してくれなくて困っているんです」

エピレクティカの腕は、未だラビゾーを掴んだ儘だ。
レノックは苦笑する。

 「惚気?
  自慢?」

 「いや、本気で」

 「大の男が何を馬鹿な……。
  振り解こうと思えば、簡単だろう」

 「それが出来ないから、困っているんです」

ラビゾーの訴えを聞き入れ、やれやれとレノックは小さな横笛を取り出す。
エピレクティカは元から白い顔を一層蒼白にして、ラビゾーの腕を掴んでいた手を放して、
両耳を塞ぎ、ローブの下に隠していた背中の黒い翼を、大きく広げた。
翼開長3身はあろうか。
翼の先端を狭い路地裏の壁に擦り付けながら、彼女は羽撃き、飛翔する。
そして、ラビゾーとレノックの頭上を飛び越え、怯える様に背を屈めて、ワーズの後ろに隠れた。

386 :創る名無しに見る名無し:2015/04/06(月) 19:07:44.63 ID:SqaWZDd0.net
レズキマシタワー

387 :創る名無しに見る名無し:2015/04/07(火) 19:33:54.93 ID:lChSqVis.net
何なのだとラビゾーとワーズは呆れ顔になり、レノックは嫌らしく笑う。
ともあれ助かったと、ラビゾーはレノックに礼を言った。

 「有り難う御座います、レノックさん」

 「軟弱だぞ、ラヴィゾール。
  紳士的である事と、臆病は違う。
  女の言い成りで、情け無いとは思わないのかい?
  僕等が通り掛からなかったら、どうする積もりだった?」

レノックに窘められたラビゾーは、反論出来ずに俯いた。
一方で、ワーズはエピレクティカに声を掛けた。

 「あいつに酷い目に遭わされでもしたの?」

ワーズは明らかに自分より大きいエピレクティカの頭を撫で、良し良しと慰める。
それを見て、レノックは彼女を咎めた。

 「気を付けろ、ワーズ・ワース。
  そいつはレズだぞ」

 「私は同性愛に偏見を持っていない」

ワーズはエピレクティカを庇う様に位置取りした。
レノックは眉を顰めて、少々不機嫌な様子。

 「レズは扨置いても、性悪だ」

 「人の事を言えた性格か?
  私は基本的に中立だ。
  誰の味方と言う訳でもない」

 「だったら、そいつを庇うのは止めなよ」

 「私の勝手だろう。
  指図されたくは無い」

レノックとワーズは仲が悪く、一寸した事で直ぐに対立する。
毎度の事なので、困った物だと、ラビゾーは小さく息を吐く。

388 :創る名無しに見る名無し:2015/04/07(火) 19:36:36.65 ID:lChSqVis.net
庇って貰えたエピレクティカは、これ幸いとワーズに泣き付こうとしたが……、

 「わぁーん、怖いよぉー!」

 「止めてくれ。
  同性愛に偏見は無いと言ったが、その気は無いんだ」

ワーズは軽い身の熟しで、ひらりと避ける。

 「ぐへーっ!」

抱擁は空振りして、エピレクティカは地面に倒れ伏す。
土埃と共に、黒い羽根が舞い散る。

 「何なのさぁ……」

弱々しく零して、涙目で起き上がる彼女に、ワーズは手を差し伸べつつ言った。

 「下手な演技をしなければ、普通に接して上げるよ」

エピレクティカは悄気て、大人しく再びワーズの背後に下がる。
ワーズが何故エピレクティカを庇うのかと言えば、大きな理由はレノックへの対抗心から。
他には何も無いだろう。
その事にレノックは呆れ返って、彼女に尋ねた。

 「君はハルピュイア・エピレクティカを知らないのか?」

 「知らないね。
  私が知らないと言う事は、大した魔法使いじゃないんだろう?」

 「確かに、フーヴランと言う辺鄙な田舎の害鳥だったけどさ……」

2人が話している間、エピレクティカは何時でも逃げ出せる様に、周囲に気を配って、構えている。
隙を見て逃げる気だなと、ラビゾーとレノックは察していた。

389 :創る名無しに見る名無し:2015/04/07(火) 19:52:57.87 ID:lChSqVis.net
その通り、エピレクティカは直ぐに飛翔した。
但し、全員にとって予想外だった事が1つだけ。
エピレクティカは猛禽の如き趾で、ワーズの両肩を掴み、持ち上げたのだ。
不意の事に、ワーズは狼狽する。

 「何、何、何!?」

エピレクティカは疑問に答えず、羽撃きで激しい風を起こし、ワーズを連れた儘で飛び去った。
ラビゾーとレノックは土埃が目に入らない様に、腕で顔を覆って防御する。
エピレクティカは瞬く間に高度を上げ、数極後には小さな点になる。
取り残された2人は風が収まった後も、暫し呆然としていたが、ワーロックが先に正気に返って、
レノックに言った。

 「あ、あの……、追い駆けなくて良いんですか?」

何を思って、エピレクティカがワーズを連れ去ったのかは不明だが、ラビゾーは悪い予感がしていた。
レノックは同じ旧い魔法使い達からも、『小賢人<リトル・セージ>』と呼ばれる程の知恵者である。
その彼が害鳥だの性悪だの言うのだから、それは相当だろうと考える。

 「魔法使いとしての実力なら、ワーズ・ワースの方が上だから、心配は要らないと思うんだけど……。
  面白そうだし、追ってみるかい?」

「そんな理由で?」とラビゾーは内心で思ったが、旧い魔法使いとは大体自分の興味が向く事でしか、
働こうとしないので、動機は何であれ、一緒に行ってくれるなら、それで良いと問題にしなかった。
或いは、普段仲の悪いワーズを助けに行くのに、照れがあるのかも知れない。
巫山戯ている様に見えて、レノックは親切な所がある。
人の助けになるからこその、『小賢人<リトル・セージ>』の称号だ。
2人はエピレクティカを見失わない様に、そして、通行人に打つからない様に、追走する。
ティナー市街の高層建築が、地上から見上げられる空間を狭めている。
急がなければ、直ぐにエピレクティカを見失ってしまう。

390 :創る名無しに見る名無し:2015/04/07(火) 20:00:21.15 ID:lChSqVis.net
エピレクティカは付近で最も高い建物の屋上に着地した。
ラビゾーとレノックは、そこを目指して走りながら、話を続ける。

 「ハルピュイア・エピ何とかって、何なんですか?」

 「旧暦の魔物さ。
  屍食鳥の一が魔性と知性を得た存在。
  悪魔の肉を食らったとも、魔法使いの肉を食らったとも言われる」

 「魔物?
  魔法使いではない?」

 「どっちでも似た様な物だよ」

レノックは物知りなのだが、これと言った確定的な事は余り喋りたがらない。
これは彼に限った事ではなく、殆どの旧い魔法使いに言えるのだが……。

 「知り合いなんですか?」

 「僕が退治した。
  正確には、村人の依頼で退治に協力した。
  僕の演奏で、動きを封じてね」

 「退治って事は、何か悪さを?」

 「人を食っていた。
  比喩じゃなくて、文字通りの意味で。
  特に女子を狙って」

 「それでレズ……」

 「ああ、所謂『女食い<ウーマン・イーター>』って奴だ」

人を食うのであれば、ワーズも危ないのではと、ラビゾーは勘を働かせる。

 「では、ワーズさんを連れ去ったのは――!」

391 :創る名無しに見る名無し:2015/04/08(水) 18:57:00.83 ID:80EjBe5A.net
レノックは至って冷静に頷いた。

 「『食う』積もりだろうね。
  魔法使いだろうが、何だろうが、奴には関係無いだろう」

 「急いで助けないと!」

ラビゾーはレノックを急かしたが、彼は気が進まない様子。

 「そう慌てなくても、ワーズの奴なら、大丈夫だと思うけどなぁ……。
  あんな形(なり)だけど、中身は婆さんだし。
  いや、でも、そう言えばエピレクティカの奴も、封魔の声を持ってたんだった」

 「大丈夫じゃないじゃないですか!」

独りで唸るレノックを、ラビゾーは抱え上げて、全力で駆け出す。
レノックは全く構わず、腕を組んで唸り続けていた。

 「しかし、旧暦の時は、もっと魔物魔物していたんだけどなぁ……?
  魔法使いの真似事でも始めたのかな。
  そう言えば、ラヴィゾール!
  エピレクティカの奴は、君に何を?」

 「はぁ、獲物が何とか……。
  願いを叶えてやるとか、そんな事を言ってました」

 「何か願ったのかい?」

 「いいえ、余りに怪しかったので……」

 「フム、賢明な判断だ」

そんな話をしている場合ではないと、ラビゾーは内心焦っていたが、知恵者のレノックの事、
何か対策を考えている可能性もあるので、余計な事は言わない様にしていた。

392 :創る名無しに見る名無し:2015/04/08(水) 19:05:39.56 ID:80EjBe5A.net
だが、そこで話は終わってしまい、ラビゾーは慌てる。

 「その、エピレティカに弱点とか無いんですか?」

 「エピレクティカな。
  あいつの弱点は『男』だ」

 「男?」

 「男と言うか、男性に弱いんだな」

 「僕も男ですけど……?」

男に弱いと言うなら、何故エピレクティカは自分に強気に出たのか、ラビゾーは不思議がった。
そんな彼を見て、レノックは鼻で笑う。

 「男らしくないんじゃないの?」

確かに、普段のラビゾーは弱気で、余り男らしいとは言えない。
痛い所を突かれて、彼は口を閉ざす。

 「『男性<マスキュリニティ>』とは、野蛮であり、勇猛であり、武力であり、支配であり、征服であり、
  恫喝であり、厳格であり、筋肉であり、理性に拠らない粗暴さなのだ」

レノックに男性の負の面ばかり並べ立てられ、ラビゾーは眉を顰めずには居られない。

 「それが『男』だと言うのは、余りに極端です」

 「ああ、君の言う通り、先に述べた物は、男性の一面でしかない。
  しかし、エピレクティカが苦手とする物は、その様な『男の男性』なのだよ」

 「……脅して押し切れば、何とかなると?」

 「やれやれ、そんな風に理性で物を考えている内は駄目だ。
  唯一つ、有無を言わせぬ男性さえあれば、あの様な物は取るに足らない。
  だからこそ、奴は『男嫌い<アンドロフォビア>』なんだ」

レノックは解る様な解らない様な事を言う。

 (話し合いには応じるな言う事か?)

ラビゾーは理解に苦しむ。

393 :創る名無しに見る名無し:2015/04/08(水) 19:09:07.30 ID:80EjBe5A.net
ワーズが連れ去られたのは、オフィス・ビルの屋上だった。
こうした建物には大抵真面目な警備員が居り、部外者は容易に侵入出来ない。
ラビゾーとレノックはビルの前で立ち尽くす。

 「これは参りましたね……。
  確り警備員が居ます」

 「裏口とか無い?」

 「非常階段を使えば、人と会わずに行けるでしょうが……。
  その非常階段も、敷地内では……」

ビルの周りは高さ2身半程の塀で囲われており、乗り越えるのは困難。
魔法を使って飛んでも、警備員に察知されてしまう。
それに不法侵入は立派な犯罪だ。
共通魔法を犯罪に利用しては、魔導師会を呼び込んでしまう。

 「仕方無いね。
  諦めよう。
  ワーズの奴なら、多分大丈夫さ」

レノックが何の未練も無く言い切ったので、ラビゾーは慌てて引き止めた。

 「待って下さい!
  レノックさんの魔法で、どうにか出来ないんですか?」

 「出来ない事も無いが……」

嫌に渋るレノックに、どうした事だろうと、ラビゾーは不信感を持つ。

394 :創る名無しに見る名無し:2015/04/08(水) 19:12:49.67 ID:80EjBe5A.net
語尾を濁した儘で、レノックは続きを言おうとせず、煮え切らない態度。
そんなにワーズと関わるのが嫌なのかと、ラビゾーは彼の薄情さが腹立たしくなって来た。

 「何が嫌なんです?
  ワーズさんはレノックさんと同じ、旧い魔法使いの仲間でしょう!」

 「同類だとしても、仲間とは限らないさ。
  ワーズの奴だって、自分で言ってただろう?
  飽くまで『中立』ってね。
  そんな奴を助ける義理は無いんだ」

 「じゃあ、本気で面白半分で、付いて来たんですか!?」

 「『本気で面白半分』とは、中々奇妙な言い回しだなぁ……ハハハ」

 「笑い事じゃないですよ!」

ラビゾーに怒られて、レノックは漸く真面目な顔になった。

 「君は勘違いしてるんじゃないか?」

 「……勘違いって何です?」

ワーズは仲間でも何でも無い、或いは、自分は正義の味方ではないと言いたいのかと、
ラビゾーは一層鋭い目でレノックを睨む。
レノックは彼を試す様に睨み返して、こう言った。

 「どうして君は自力で助けに行かない?」

 「どうしてって……僕の力だけでは、ここの警備を突破出来ませんし……。
  魔法を使って強引に突破に成功しても、魔導師会に追われる事になってしまいます」

ラビゾーが答えると、レノックは大きな溜め息を吐く。

395 :創る名無しに見る名無し:2015/04/09(木) 18:14:10.88 ID:WmMwaxwJ.net
 「それは僕も同じなんだ。
  僕だって万能じゃないんだよ。
  物知りではあるけどね。
  何のリスクも負わないと、勘違いされては困る。
  僕だって、魔導師会は怖いんだ」

彼の言う事は、果たして本当だろうかと、ラビゾーは怪しんだ。
レノックはラビゾーの疑う様な眼差しに気付いて、不快そうに言う。

 「買い被られては困るな」

嘘か真かは置いて、ここで言い合いしても始まらないと、ラビゾーはレノックに構わない事にした。
ワーズの無事を願うなら、今は一点一極を争うのだ。

 「分かりました」

 「おいおい、何が分かったって言うんだい?」

レノックは呆れてラビゾーに問い掛ける。
ラビゾーは不機嫌な顔で言った。

 「僕は正面から行ってみます。
  レノックさん、ここまで有り難う御座いました」

 「こらこら、短気は良くない」

レノックはラビゾーを宥めるも、彼は聞かなかった。

 「でも、レノックさんはリスクは負いたくないし、やれないと言うんでしょう?」

 「いや、それは……そうなんだが……」

レノックは言い淀んだ。
今更、実は何でも出来るとは言えない。
ラビゾーは完全に臍を曲げている。

396 :創る名無しに見る名無し:2015/04/09(木) 18:15:41.68 ID:WmMwaxwJ.net
レノックは少し思案して、知恵を働かせる。

 「落ち着き給え、落ち着き給え。
  魔法を使わなくても、僕に良い考えがある」

ラビゾーは不信の眼差しをレノックに向けた。

 「本当ですか?」

 「まあ、聞いてくれよ。
  要は、合法的に進入出来れば、良い訳だ」

 「ええ、そうです」

 「その為の、上手い言い訳が欲しいんだろう?」

 「はい」

 「耳を貸してくれ」

レノックはラビゾーに耳打ちして、作戦を説明する。
聞き終えたラビゾーは、それで本当に大丈夫かと、不安を顔に表した。
レノックは彼の心内を察して、口を開く前に言い添える。

 「確実とは言えないが……。
  やるだけ、やってみようじゃないか?」

他に妙案がある訳でもないので、ラビゾーはレノックの言う通りにすると決めた。

397 :創る名無しに見る名無し:2015/04/09(木) 18:20:11.08 ID:WmMwaxwJ.net
ラビゾーとレノックは偶然を装い、ビルの前を横切った。
レノックの肩には、1羽の野鳩が止まっている。
丁度、ビルの真正面で、野鳩がレノックの肩から飛び立ち、ビルの屋上へと消えてしまう。
ラビゾーとレノックは互いに見合って、揃ってビルの警備員に近付いた。

 「済みません、少し良いですか?」

 「はぁ、はい、何でしょう」

ラビゾーが警備員に話し掛けると、彼は面倒そうに応じた。
先の展開を予想しているのだ。

 「この子の鳩がビルの屋上に逃げてしまって……。
  鳶や鷹に襲われでもしたら、大変です。
  どうにか入れて貰えませんか?」

 「駄目ですよ、困ります」

警備員は取り敢えず断った。
特に許可の無い者を、敷地内に入らせる訳には行かない。
それが彼の仕事なのだから。
ラビゾーは一旦、隣のレノックに視線を落とす。
警備員も釣られて、レノックに目を遣る。
レノックは涙目になって、上手い具合に、今にも泣き出しそうな演技をしている。
高いビルを見上げれば、屋上の角に、非常に小さくではあるが、野鳩の姿が見えている。

398 :創る名無しに見る名無し:2015/04/09(木) 18:24:13.47 ID:WmMwaxwJ.net
ラビゾーは警備員に交渉を持ち掛けた。

 「お願いします、屋上に行ければ良いんです。
  本の数点で片付く事です。
  荷物は預けて行きますから」

ラビゾーに続いて、レノックも頭を下げる。

 「お願いします……」

警備員は難しい顔をして、少し考え込んだ後、承諾した。

 「じゃあ、記録簿に名前を書いて貰えます?
  用件の欄は、ペットが逃げ込んだとか、そう言うので結構です。
  大きな荷物は警備室に預けて行って下さい。
  帰り際に返すので、その時に声を掛けて頂ければ」

 「はい」

ラビゾーは素直に応じ、記録簿に「ワーロック・アイスロン」と書き込む。
それを確認して、警備員は小さく頷いた。

 「はい、良いですよ。
  一応、ゲスト・バッジを渡すんで、敷地内では身に着けて下さい。
  後で返して貰うので、失くさない様に。
  屋上に行くには、非常階段を使って下さい。
  建物左側に回り込んで頂くと、直ぐ見えるんで……」

 「有り難う御座います」

ラビゾーが頭を下げると、レノックも倣う。

 「有り難う、小父さん」

未だ若い警備員は、小父さんと言われて、苦笑いした。

399 :創る名無しに見る名無し:2015/04/10(金) 19:34:32.52 ID:CCOUs/lx.net
長い非常階段を上りながら、人目が無い事を確認して、ラビゾーはレノックに話し掛ける。

 「上手く行きましたね」

 「僕は無力な子供の姿で、君は魔法資質が低いから、脅威にはならないと思われたんだ。
  伊達に賢者と呼ばれている訳ではないよ」

ラビゾーは複雑な気持ちだったが、結果として上手く行ったので、適当に頷くだけに止めた。
ビルの屋上に止まっている野鳩は、レノックが演奏魔法で飼い馴らした物。
街中を群れで歩いていた所を、適当に1羽だけ選んで、ペットに見せ掛けた。
屋上へ飛んだのも、偶然ではなく、レノックが指示したのだ。

 「所で、レノックさんは何でワーズさんと一緒に居たんです?」

 「一緒に居ちゃ悪いかい?」

唐突なラビゾーの問い掛けに、レノックは剥れ顔で返す。

 「悪くは無いですけど……、寧ろ、良い事だと思いますけど、仲悪かったじゃないですか」

 「そう見えるかい?」

 「見えるって言うか……、実は仲が良かったりするんです?」

 「どうだろうな」

 「……何で一緒に居たんです?」

 「偶々だよ。
  街中で目が合って、無視するのも何だったから、他愛(たわい)も無い話をした。
  ワーズの奴は嫌そうにしてたけど、僕は別に彼女を嫌っている訳じゃないんだ」

レノックは迷惑そうにするワーズを面白がって、揶揄いに纏わり付いたのだろう。
その姿が容易に想像出来て、ラビゾーは呆れた。

400 :創る名無しに見る名無し:2015/04/10(金) 19:39:53.09 ID:CCOUs/lx.net
ビルの屋上が近くなると、レノックは足を止める。

 「どうしたんですか?」

ラビゾーが尋ねると、レノックは言った。

 「僕が行くと、話が拗れるだろう」

 「いや、戦いになったら困るんで、一緒に来て貰えた方が、有り難いんですけど……」

ラビゾーは過去にエピレクティカを退治した、レノックの魔法を頼りにしていた。

 「だが、エピレクティカは僕を恐れている。
  僕の姿を見た途端、又しても飛んで逃げられては困るだろう。
  空が飛べる分、追い駆けっこでは、あっちが有利だ。
  心配しなくても、危なくなったら助けるよ。
  僕は陰で見守っている」

本当に、それだけの理由なのか、ラビゾーは怪しんだ。
或いは、レノックが嫌に及び腰なのは、ワーズに嫌われている自覚があるからなのかも知れないと、
ラビゾーは推察する。
ワーズに恩を着せる絶好の機会なのだが、逆に、それが嫌なのかも知れない。
彼に頼り切りも悪いと思い、ラビゾーは決断した。

 「解りました。
  危なくなったら、頼みますよ」

ラビゾーはレノックを置いて、ビルの屋上に出る。

401 :創る名無しに見る名無し:2015/04/10(金) 19:43:27.49 ID:CCOUs/lx.net
青空の下、強い風が吹く、ビルの屋上。
その真ん中で、黒い翼を広げている、エピレクティカ。
彼女の足元には六芒星の魔法陣が描いてあり、その中心にワーズが俯せで転がっていた。

 (手遅れだったか!?)

それを認めたラビゾーは、エピレクティカに近付き、問い掛けた。

 「何をした!!」

俯せなので、前面の状態は判らないが、一見してワーズに外傷は無く、流血も見られない。
未だ彼女は生きていると信じて、ラビゾーは更にエピレクティカに詰め寄る。
エピレクティカはラビゾーを牽制する様に、ワーズを踏み付け、趾で彼女の胴体を掴んだ。
ここで飛び去られたら、後を追うのに又一苦労。
逃がして堪るかと、ラビゾーが駆け出そうとすると、エピレクティカは高い声で言った。

 「寄るな!」

途端に、ラビゾーの体が動かなくなり、声も出せなくなる。
魔法資質の低いラビゾーは、それが魔力の篭もった、金縛りの声だと気付くのに、
少し時間が掛かった。

 (しまった……!)

今更、後悔しても遅い。
彼はエピレクティカが単なる有翼人ではなく、旧い魔法使いだと言う事を失念していた。
「願いを叶える」と言う、回り諄い遣り口は、単なる遊戯。
魔法暦まで生き残っている、多くの旧い魔法使い達は、その気になれば、普通の人間等、
どうとでも出来るのだ。

402 :創る名無しに見る名無し:2015/04/10(金) 19:47:21.51 ID:CCOUs/lx.net
エピレクティカは満足気に笑う。

 「ここまで追って来るとは、御苦労な事だ。
  レノックの奴は居ないのか?
  これは重畳」

彼女はワーズを踏み付けていた趾を退け、代わりに頭を鷲掴みにして持ち上げた。

 「お前に良い物を見せてやろう。
  魔法使いの死に様をな!」

エピレクティカは鉤爪を長く伸ばすと、ワーズの鳩尾に突き立て、緩やかに深く沈めて行く。
見るからに痛そうだが、ワーズは全く反応しないし、流血も無い。

 (死に様……と言う事は、未だ生きているんだな。
  しかし、どうにかしなければ、この儘では……)

エピレクティカは指を捻って、ワーズの体を内側から抉りながら弄る。

 「フフン、巧く化けているな。
  全く人間の様だ。
  成る程、霊体は心臓の位置か……」

彼女が何をしているのか、ラビゾーには解らないが、危機的状況と言う事だけは確かだ。
だが、相変わらず体は動かない。

403 :創る名無しに見る名無し:2015/04/11(土) 18:19:49.13 ID:k8rtbu0r.net
その時、ラビゾーの頭にレノックの声が届いた。

 (油断したな、ワーズの奴め。
  眠りの呪いを掛けられている。
  エピレクティカは彼女の霊を食らって、更なる力を得る積もりだ)

冷静に解説する彼に、ラビゾーは心の中で問い掛ける。

 (レノックさん、どうにかならないんですか!?
  出て来て下さいよ!)

 (駄目だ。
  言っただろう?
  僕が出て行っては、エピレクティカを取り逃がしてしまう。
  奴の性根は邪悪だ。
  ここらで一度、痛い目に遭わせておく必要がある)

 (それって、僕が奴を倒すって事ですか?)

 (その通りだ。
  人間も馬鹿にした物ではない事を、思い知らせてやれ)

 (でも、どうやって?)

ラビゾーとレノックが話している間に、エピレクティカはワーズの体から、手に収まる位の赤い塊を、
抉り出していた。
エピレクティカは長い鉤爪で、それを確り掴み、ラビゾーに見せ付ける。

 「これが魔法使いの魂さ。
  美しいだろう?」

彼女は宝玉の様な赤い塊を掲げ、恍惚の眼差しで見詰めた。
それは陽光に照らされて、赤、黄、白と脈打ちながら揺らめき、変色を繰り返している。

404 :創る名無しに見る名無し:2015/04/11(土) 18:22:06.32 ID:k8rtbu0r.net
 「良い魔力に満ちている……」

エピレクティカはラビゾーが見ている前で、それを丸呑みにした。

 (ああーーーーっ!!
  レノックさん、間に合わないですよ!!)

 (落ち着いてくれ。
  今、呪いを解くから)

 (早く!!)

ラビゾーが急かすと、爽やかな音楽が聞こえて来る。
レノックが音楽をテレパシーの様に、彼の頭の中に送り込んでいるのだ。

 (これで少しは動く様になるだろう)

 (……あの、未だ動かないんですけど!)

音楽で呪縛は完全に解けていると思っていたラビゾーだったが、いざ走り出そうとしても、
一歩も踏み出せない。
痙攣する様に、腕や脚が小刻みに震える程度だ。

 (動こうと言う意志が無ければ、そりゃ動かないさ。
  もっと気合を入れて!)

 (気合って……。
  うぉおおおおおお!!!!)

 (未だ未だ!)

 (ぐぁああああああ!!!!)

405 :創る名無しに見る名無し:2015/04/11(土) 18:24:55.41 ID:k8rtbu0r.net
レノックの声援を受けて、ラビゾーが苦心している間にも、時は刻々と流れ続けている。

 「中々美味だったぞ。
  この様にして、霊も肉も我が糧となるのだ」

エピレクティカは艶のある声で満足気に言うと、ワーズの喉笛に食らい付き、肉を噛み千切った。
彼女は鳥の如く、殆ど咀嚼せずに嚥下する。

 (ギャーーッ!?
  何て事を!!)

残酷なエピレクティカの本性に、ラビゾーは恐怖する。
レノックの言う通り、彼女は魔性を得た屍食鳥なのだ。
しかし、幾ら恐ろしくても、ここで退く訳には行かない。

 (旧い魔法使い達の本質は、肉には無い。
  霊を吸収するのにだって、時間が掛かる筈……。
  完全に消化される前に、取り戻さなくては!)

ラビゾーの強い意志が、エピレクティカの呪縛を破る。
少しだけ足が動いて、ラビゾーは前方に倒れ込んだ。

406 :創る名無しに見る名無し:2015/04/12(日) 17:23:38.49 ID:P0kbmA4t.net
それに反応して、エピレクティカはワーズの体を啄食むのを、一旦止める。

 「ん?
  私の魔法を破ったのか?
  魔力は全く感じなかったが……、はぁ、未だ満足に動けない様だな。
  今は食事中なのだ。
  邪魔をしないでくれ」

彼女は一層強力な呪縛の魔法で、ラビゾーの行動を完全に封じに掛かった。
ラビゾーの体は強い力で押さえ付けられた様に、動かなくなる。

 (畜生、侮るなよ!
  こっちにはレノックさんの音楽があるんだ!)

ラビゾーは諦めずに足掻いた。
頭の中では音楽が続いている。
それに魔を打ち破る力があると信じて。

 (負けて堪るか!
  動けっ、這ってでも!!)

強く念じれば、指先が動く。
音楽に乗って、レノックの助言が聞こえる。

 (戦え、ラヴィゾール。
  君の名前が持つ意味を思い出すんだ)

 「あ゛……、ラ゛……、ラ゛……」

 (叫べ、君の名を!
  奴を倒せ!)

レノックの命令が引き鉄となって、遂に、その呪文が飛び出す。

407 :創る名無しに見る名無し:2015/04/12(日) 17:36:38.71 ID:P0kbmA4t.net
 「ラ゛ァア゛ア゛ア゛、ヴィ、ゾォオ゛オ゛オ゛」

無理に搾り出した声は、嗄れて濁った物だったが、それは確かに彼の名前だった。
不可視の力に逆らい続けて、何とか背を起こし、片膝を突く所まで漕ぎ着けると、
今まで押さえ付けられていたのが嘘の様に、体が軽くなる。
ラビゾーは敢然と立ち上がって、エピレクティカを睨み付けた。

 (ラヴィゾール、解っているな?
  エピレクティカの言葉には、耳を傾けるな。
  問答無用で叩き伏せるんだ。
  今、この場では、暴力こそが正義。
  話を聞くのは、奴の抵抗力を奪ってからにしろ!)

 「な、何故動ける!?
  魔力は少しも――」

驚愕するエピレクティカに構わず、レノックの助言に従って、ラビゾーは全力で突進する。
エピレクティカは回避を試みたが、ラビゾーは彼女の大きな翼を掴んで、逃がさなかった。

 「痛い、痛い、折れる!!」

エピレクティカの悲痛な叫び声に、彼が怯み掛けても、透かさずレノックが喝破する。

 (怯むな、良心を殺せ!
  奴の魔法は、その隙を突いて来るぞ!)

ラビゾーは握力を込め、エピレクティカの翼を引っ張って、暴れる彼女を手繰り寄せると、
手羽先の関節を、曲がらない方向に折った。

408 :創る名無しに見る名無し:2015/04/12(日) 17:46:22.86 ID:P0kbmA4t.net
 「いっ、あぁっ……!」

エピレクティカの顔が恐怖の色に染まる。
一瞬の隙に、ラビゾーは体術を駆使して、エピレクティカを屋上に転がした。
彼女は見る見る力を失い、簡単に組み伏せられる。
ラビゾーはエピレクティカを俯せの状態で取り押さえ、漸く一息吐いた。
彼の頭の中で続いていた音楽は、何時の間にか止んでいた。
格闘が終わったのを見計らって、レノックが屋上に姿を現す。
エピレクティカは彼を認めて、忌々しさを露に言った。

 「お前が裏で手を回していたのか!」

 「馬鹿だなぁ。
  姿が見えないから、居ないと思っていたのかい?
  魔性と知性を得ても、『鳥頭<バードブレイン>』は治らない様だね」

 「このっ……くっ……!」

皮肉を言われて、エピレクティカが暴れ出そうとすると、ラビゾーが力を入れて締め付ける。
エピレクティカは反抗的な態度を、直ぐに引っ込めて大人しくなった。
レノックはエピレクティカの前に屈み込んで、顔を上げさせる。

 「取り敢えず、あれだ、ワーズ・ワースの魂を返して貰おう」

 「無理だね!
  一度呑み込んだ物を、吐き出せるか!」

 「あっ、そう言う事を言うんだ?
  ラヴィゾール、吐き出させてやってくれ」

 「……えっ、僕が?
  どうやって?」

ラビゾーが困り顔で尋ねると、レノックは呆れて溜め息を吐く。

 「腹を殴るとか、咽喉に手を突っ込むとか、方法は決まっているだろう」

409 :創る名無しに見る名無し:2015/04/13(月) 19:38:49.75 ID:fbinUY3Q.net
しかし、抵抗しない相手を痛め付けるのは、ラビゾーの良心が咎めた。

 「いや、一寸、それは……」

 「嫌々言ってる場合か!
  ワーズの命が懸かっているんだぞ!
  どうせ、こいつは簡単には死なない。
  医療行為だと思って、遠慮無くやれ!」

レノックに叱咤され、やっとラビゾーは思い直して覚悟を決める。

 「解りましたよ……」

 「な、何が解った――!?
  や、止めろ!!」

エピレクティカは恐怖で戦慄くが、ラビゾーは心を鬼にした。
下手に躊躇ったり、手加減したりすると、余計に相手を苦しめる事になるのだ。
彼は馬乗りの儘、エピレクティカの首に腕を回して顔を固定した後、背面に膝を入れて腹部を圧迫。
反射で開いた口に手を突っ込む。

 「うぇえええ!」

エピレクティカの胃から、半分消化された生温かい肉片が吐き戻される。
それをラビゾーは掻き出して、レノックに確認を求めた。

 「これは違います?」

 「違うね」

レノックは吐瀉物の悪臭に顔を顰めて、首を横に振る。
ラビゾーは肉片を投げ捨て、とても嫌そうな顔をした。

410 :創る名無しに見る名無し:2015/04/13(月) 19:40:30.69 ID:fbinUY3Q.net
エピレクティカは完全に怯えて、抵抗する気力を失っている。

 「うぅ、止めて……止めてぇ……」

ラビゾーは哀れに思ったが、ワーズを死なせる訳には行かなかった。
レノックは冷淡に、エピレクティカに言う。

 「仕方無いだろう。
  君が魔法使いの魂を食ってしまったんだから。
  自分で吐き出せるか?」

 「無理ぃ……」

そんな訳で、同じ事を3度は繰り返したが、エピレクティカが何も吐かなくなっても、
ワーズの魂は返って来なかった。
三者は三様に絶望する。
レノックは見限った様に、外方を向いた。

 「これが長らく生きた魔法使いの最期か……。
  呆気無い物だな」

 「そんな!!
  何か方法は無いんですか!?」

 「もう嫌ぁ、許してぇ……」

諦め切れないラビゾーが、縋る思いでレノックに尋ねると、これ以上は耐えられないと、
エピレクティカは泣きを入れる。

411 :創る名無しに見る名無し:2015/04/13(月) 19:46:22.53 ID:fbinUY3Q.net
レノックは最早完全にワーズが死んだ物と扱って、小さな竪琴を取り出しつつ独り言つ。

 「歌にして語り継ごう。
  間抜けな魔法使いの最期を、末々まで永久(とこしえ)に」

彼は竪琴を弾いて歌い始めた。

 「ああ、言葉の魔法使い、永遠の命も一呑みか……。
  ああ、哀しき魔法使い、許多の力も役立たず……」

本気で悲しんでいるのか、それとも貶しているのか、何とも言えない歌詞に、抗議の声が上がる。

 「ええい、馬鹿な歌は止めろ!!
  巫山戯ているのか!」

ラビゾーは驚いて周囲を見回し、声の主の姿を探した。
彼が目にした物は、死んだ筈のワーズ・ワース。
衣服は引き裂かれ、体には穴が開いた儘だが、両の目には生気があり、2本の足で立っている。

 「何だ、生きていたのか……」

レノックは詰まらなそうに、竪琴の弦を撫でながら言った。
ラビゾーは安堵の息を吐き、エピレクティカは驚愕して目を剥く。
三者三様の反応に、やれやれとワーズは自身の秘密を明かした。

 「私は言葉の魔法使い。
  言葉の魔法を極め、既に概念的な存在だ。
  諱を知る者が居る限り、死にはしない」

彼女は続けて、ラビゾーを見ながら言う。

 「心配してくれたのは、有り難いけどね。
  悪いが、無用な手間だった訳だ。
  その子は放してやってくれ」

危害を加えられたにも拘らず、エピレクティカの解放を願う……。
真っ当な手段では死なないワーズにとっては、猫に引っ掛かれた程度の認識なのだ。

412 :創る名無しに見る名無し:2015/04/14(火) 18:15:55.94 ID:nREbWSnq.net
しかし、ラビゾーは素直に頷けなかった。
今までエピレクティカは、どれだけの人間を毒牙に掛けて来たか知れない。
ラビゾーもレノックとワーズが通り掛からなければ、今頃どうなっていたか分からないのだ。
これで懲りてくれるなら良いが、逆恨みで逆襲しないとも限らない。
そんなラビゾーの心中を察して、レノックが代わりにワーズに口を利く。

 「死なない君は良いかも知れないが、人間達にとっては彼女は脅威なんだよ」

 「もう十分に痛め付けただろう?」

 「こいつは鳥頭だから、直ぐに忘れるさ」

 「分かった。
  2度と悪事を働けない様に、私が呪言を掛けよう」

ワーズはエピレクティカに歩み寄ると、その目を見て言った。

 「お前が人間を襲う度に、その苦しみを思い出すが良い。
  悪辣な企みは悉く暴かれ、人の血肉を味わえば、吐き戻さずにはいられない」

彼女の呪言はエピレクティカの魂に、消えないトラウマとして刻み込まれる。
だが、外見に表出する変化は無く、ラビゾーは魔法が効いたのか、そもそも先の言葉が、
魔法だったのかも解らない。
一仕事終えた感じのワーズに対して、難しい顔をするラビゾーに、レノックは助言する。

 「大丈夫、効いているよ。
  当分は人を襲おうともしないだろう」

ラビゾーはレノックを信じ、エピレクティカの上から降りて、彼女を解放した。

413 :創る名無しに見る名無し:2015/04/14(火) 18:18:32.53 ID:nREbWSnq.net
エピレクティカは直ぐに駆け出し、嗄れた声で小鳥の様にヒーヒー鳴きながら、バタバタ羽撃いて、
大空へと消えて行った。
それを見送り、3人は非常階段から地上に戻る。
レノックは何時の間にか、野鳩を回収して肩に止めていた。
警備員にワーズの事を、どう説明しようかと思っていたラビゾーだったが、彼女は警備員には、
存在しない物として扱われた。
目の前を通っても、ワーズは完全に無視されている。

 「遅かったですね」

 「はい、少々手間取りまして……」

時間が掛かった事を警備員に指摘され、ラビゾーは苦笑いで返す。
幸いにも、屋上での騒ぎは聞こえていなかった様子。

 「クルックは無事だったよ、小父さん!」

レノックは子供の演技で、警備員に勝手に名付けた野鳩を見せた。
ラビゾーとレノックが警備員に礼を言っている間に、他人に認識されないワーズは、
何食わぬ顔で敷地の外に出る。
これにて一件落着。
オフィス・ビルから離れて、ラビゾーは大きく息を吐く。
レノックは得意顔で、彼に言った。

 「勉強になっただろう。
  共通魔法使いに好意的じゃない、外道魔法使いだって多いんだ。
  特に、ああ言う、隠れて悪事を働く、『悪質な悪戯者<メリシャス・ミスチフ>』がね」

 「肝に銘じます……」

疲れた様に応じるラビゾーを見て、レノックは嫌らしく笑う。

 「今後は気を付ける事だ。
  なあ、ワーズ・ワース」

彼に話を振られたワーズは、解っていると言う様に、剥れて外方を向いた。

414 :創る名無しに見る名無し:2015/04/14(火) 18:57:51.88 ID:nREbWSnq.net
Q.走りながら会話してラビゾーは疲れないの?
A.命のスカーフの効果(4スレ目参照)。

Q.霊(魂)を食われたのにワーズ・ワースは平気なの?
A.概念化した魂が本体なので、精があれば霊は復活するが、全然平気と言う訳ではない。
  精の浪費で霊が消耗すれば復活には時間が掛かる。

Q.屋上であれだけ騒いで聞こえない訳が無い。
A.レノックの魔法で防音していた。

Q.レノックは何がしたかったの?
A.相手の強い希望があり、序でに自分の気が向けば、取り敢えず協力はするが、
  自分は本気じゃないので、結果どうなっても構わないと言う、嫌らしく卑怯な態度を、
  取り続けるのが旧い魔法使い。

Q.吐瀉物の処理は?
A.ワーズの肉片以外は水みたいな物だったので放置。
  ラビゾーの手に付いた吐瀉物は塵紙で拭いて、消臭魔法で元通り。

415 :創る名無しに見る名無し:2015/04/15(水) 19:39:24.91 ID:OPxRHuNr.net
インベル湖


インベル湖はブリンガー地方にある大陸最大の湖である。
ブリンガー地方西部にあるソーダ山脈から流れる水が集まり、平地に溜まって湖となった物。
第二魔法都市ブリンガーの北に位置し、複数の市町を跨ぐ。
水温は低く保たれ、夏には遊泳する者も多い。
ブリンガー地方民の多くは海水浴をしないが、その代わりにインベル湖に出掛ける。
この湖の水はベル川を伝って南下し、海へと流れる。
ベル川は夏期には降雨による大氾濫が、秋期には母川回帰魚による大溯上が起こるが、
何れもインベル湖と深く関わっている。

416 :創る名無しに見る名無し:2015/04/15(水) 19:42:39.21 ID:OPxRHuNr.net
秘境探検隊


秘境探検隊とは毎週第5日目、休日の昼に放送されるラジオ・ドラマ・シリーズである。
唯一大陸には電気を利用したテレビジョンこそ無い物の、魔力ラジオウェーブを受信する事で、
脳内に映像が送り込まれる。
これは魔力通信を利用した、長距離テレパシーや感覚共有の応用で、優れた魔法資質を持つ者は、
特に道具を使わなくても、魔力ラジオウェーブを受信する事が出来る。
魔法資質が低い者でも、魔導機を使えば容易に受信して番組を楽しめる。
そうした魔導機の中には、一般に言うラジオやテレビと類似した物もある。
秘境探検隊の内容は、ブリンガー地方内の秘境に、探検隊員が体を張って潜入し、
その様子を実況すると言う物。
1角の放送時間を存分に使い、出来るだけ編集は入れずに、受信者に冒険を疑似体験させる。
同様の番組は他地方にもある。

 「ブリンガー秘境探検隊!
  今週の冒険は、大陸最大の湖、インベル湖!
  湖の底に潜むと噂されている、怪獣ベラック・モンスターの謎に迫る、シーズン14!
  去年は惜しくもベラック・モンスターを捉えられなかったが、今年こそは!?」

番組は毎度お馴染みのイントロダクションで始まり、次は隊員の紹介だ。

 「今回は探検隊の新人、エレヴィー・ドージュ隊員が潜水に初挑戦!
  毎年毎年今年こそと言っているが、本当に今年こそ探検隊はベラック・モンスターを、
  発見できるのか!?」

417 :創る名無しに見る名無し:2015/04/15(水) 19:45:09.50 ID:OPxRHuNr.net
秘境探検隊は結構な長寿番組で、種(ネタ)に苦しみながらも、手を変え品を変え、
今日まで続いている。
ベラック・モンスターの調査は夏の恒例行事の様な物で、成果は全く上がっていないのだが、
実際は滅多に見られない湖底の映像が主体で、ベラック・モンスターは序での様な物だ。
人によっては、水浴びに来ている一般人や、探険隊員の水着の方に目が行くかも知れないが……。
エレヴィー・ドージュは2枚目タレントとして有名な、金髪の好青年。
3人の水着姿の若い女性隊員に、黄色い声援を送られて、彼はボートに乗り込む。
さて、ここまでの展開から、お察しの通り、これは純粋な娯楽番組だ。
受信者は主に公学校生で、記録映像的な側面はある物の、とても教養番組とは言えない。
インベル湖にベラック・モンスターは存在しないし、他の怪物が棲息している訳でもしない。
真面な大人なら、皆知っている事だ。
ベラック・モンスターを調査する等と言う行為は、金の掛かった茶番以外の何物でも無い。
それでも人気は衰えず、他の番組は疎か、同番組の他の回よりも好評と言うのだから、
世の中は解らない物である。

418 :創る名無しに見る名無し:2015/04/16(木) 19:24:28.64 ID:tfiQPz2W.net
探検隊の面々とアシスタント達を乗せたボートは、1角掛けて湖の中央へ。
インベル湖の広さは、水平線が出来て、対岸が見えない程だ。
流石に、放送時間を丸々単なる移動で潰す事は出来ないので、大部分は編集でカット。
天気が云々、気温が云々と、他愛無い話をした後に、ウェットスーツに着替えたエレヴィーは、
記録用の魔導機を持って、湖に飛び込む。
水中に垂らされた長いロープを伝い、エレヴィーは沈んで行く。
インベル湖の水は綺麗に澄んでおり、水深十数身までは湖中を泳ぐ小魚まで、明確に見える。
潜水中は喋れないが、エレヴィーはテレパシーを利用して、実況する。

 (綺麗な小魚が群れを成して泳いでいます。
  あぁー、綺麗だなぁ……。
  何て言う魚なんだろう?)

エレヴィーは然程魚類に詳しい訳ではない。
語彙も乏しく、感想は子供の様になってしまう。

 「群れて泳いでいるのは、パッセロペッシェ。
  『デイス』、『ダーチェ』と呼ばれる、石斑魚の仲間だ」

ナレーションが後付けでフォローする為、問題無いとは言え、これでは役者にはなれない。

 (あっ、大きな魚!
  1身近くあるかも知れません……。
  こっちに来る?
  ……逃げて行きました)

呑気な感想を述べつつ、水深20身まで潜行。
徐々に視界が暗んで行く。
ここで一旦、2点程のコマーシャル・メッセージ。

419 :創る名無しに見る名無し:2015/04/16(木) 19:47:14.90 ID:tfiQPz2W.net
何にでもスラスラ書ける!
消す時はスッキリ綺麗!
これが最新のマジカル・ペン!
薄ぅ〜く、濃ゆ〜く、濃淡も自在!
文房具はパルカ、パルカ・カルトレリア。


喉が渇いたら……アクア・オー!
運動の後に……アクア・オー!
勉強で疲れたら……アクア・オー!
仕事帰りにも……アクア・オー!
手軽に水分補給、沁み渡ぁ〜る!
清涼飲料水アクア・オー!
オーユ・ビバレッジ。


ベコさぁ〜牽いて〜行くべぇさ〜。
空のぉ〜山のぉ〜丘までぇ〜。
「はぁ、遠いなぁ……」
お疲れさん。
放牧は放牧地で。
ブリンガー農協。


夏野菜と言えば?
ズッカ、シトマ、ポルク、クルカ、ファジャ、ペンカル、ドルカ!
来たれ、夏野菜コンテスト!
今年も大物が揃っているー!
中には、驚きの珍品も!?
寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!
特売会も行われているぞ!
試食してみる?
ここでしか手に入らない物だって!
さあ、皆で出掛けよう、夏野菜コンクール!
ブリンガー農協。


早い、速い!
お急ぎなら、レンタ・エクース!
旅行にも、本の少しの外出にも、お気軽に!
カンパニエ、コーサモンターニ、シュヴァラピード、ノーブル、ロワイヤル!
馬種も色々取り揃え、あなたの側に、全国2万店が付いています!
人の営みは馬とあり、レンタ・エクース!


魔力ラジオウェーブ放送は公共の福祉です。
嘘や誤解を招く表現、放送の乗っ取り、その他、番組や広告の内容に問題があった場合は、
ブリンガー魔導師会運営部公共放送課放送審査委員会へ、お知らせ下さい。
共通魔法は人々の為に。
魔導師会。

420 :創る名無しに見る名無し:2015/04/16(木) 19:50:10.38 ID:tfiQPz2W.net
CM明け、水深30身が近付いた所で、エレヴィーは息苦しさを感じ始めた。

 (そろそろ、息が続きません。
  未だ底は見えないですね……。
  一旦、浮上します)

エレヴィーは潜行を止めて、緩やかに浮上する。
魔法で身体能力を強化した状態でも、無理な物は無理なのだ。
水から上がった彼は、ボートに上がって体を温める。

 「どうだ、エレヴィー隊員。
  何か見付かったか?」

探検隊の先輩隊員に声を掛けられ、エレヴィーは首を横に振る。

 「いいえ、怪物は見付かりませんでした。
  素潜りじゃ、底まで行けませんよ。
  全然駄目です」

それを聞いて、探検隊の隊長は腕組みしながら、含み笑いした。

 「フッフッフッ、そうだろうと思って、良い物を用意してある。
  ソレジャート隊員、例の物を!」

 「了解しました!」

先輩隊員は敬礼をして、隊長の指示に従い、大きなトランクを持って来る。
一体何なのかと、エレヴィーは不安と期待の混じった面持ち。
隊長はエレヴィーに命じた。

 「開けてみ給え」

421 :創る名無しに見る名無し:2015/04/16(木) 19:52:15.32 ID:tfiQPz2W.net
エレヴィーは戸惑いながら応じる。

 「は、はい」

中を確認して、エレヴィーは大袈裟に驚く。

 「こ、これは……!?」

隊長は得意気に解説した。

 「フッフッフッ、潜水服――それも深海探査に使われる、本格的な奴だ。
  高かったんだぞぉ……。
  ボートのレンタル料と合わせて、予算が半分以上飛んでしまった。
  大切に使えよ!」

 「うぅ、プレッシャーが……」

エレヴィーは隊長に肩を叩かれ、苦笑いで応じる。
アシスタントに手伝って貰い、潜水服を着た彼は、再度湖底へ挑む。
前半の素潜りは全く無意味に思われるだろうが、一種の様式だ。

 「頼んだぞ、エレヴィー隊員!」

エレヴィーは親指を立て、潜水服の重みに任せて、静かに潜行する。
ここで2度目のCM。

422 :創る名無しに見る名無し:2015/04/16(木) 20:01:01.96 ID:rpIMTx32.net
受信者「またCMか……これ、長いんだよな」

423 :創る名無しに見る名無し:2015/04/16(木) 20:03:10.08 ID:tfiQPz2W.net
ブリンガーの名所は大体知ってるしぃ……。
やっぱり他の地方に行ってみたいよね。
グラマー、エグゼラ、ティナー、ボルガ、カターナ。
今度の休みは、どこに行こうかな〜?
良し、夏はエグゼラ!
そうと決まったら、あれも、これも……。
あぁ、どうすれば良いの!?
そんな時は、お任せ下さい!
ブリンガー旅行代理店。
日程の調整も、移動手段も、宿の手配も、お食事処まで、計画は完璧!
旅行するなら、先ずは相談、ブリンガー旅行代理店。


夏はぁ……暑いぃ……。
暑過ぎて暑過ぎて、やる気が起こらない、そんな君に問題だ!
暑い夏を涼しくするには?
ピシーナ!
ジェラート!
お化け屋敷だぁ!
夏は夏のイベント盛り沢山!
皆で行こう、ブリンガー・マーベラス・ランド!


賭ける、一戦。
夏の暑さをも吹き飛ばす、熱い勝負の季節がやって来る!
栄冠を手にするのは誰か!?
向日葵賞、芙蓉賞が迫る!!
ブリンガー競馬会。
可愛い仔馬さんとの、触れ合い広場もやってるよ!


く、空調が壊れたぁー!!
夏だって言うのに、最悪だぁー!!
しかも、西北西の時じゃないかぁー!
どこの店も閉まってるよぉー!
何て時には、お呼び下さい、ヴェル・コンストルトーレ。
魔導師会認可、魔導機だって大丈夫!
修理、買い替え、お見積もり、何時でも御相談頂けます!
法人、個人、どなたでも!
ヴェル・コンストルトーレ!


虫……虫……虫、虫、虫!
「ギャーッ、もう嫌だー!!」
虫退治にはルコル・フロリストのアルモワズ・ヴァポリゼ!
除虫成分が霧状に拡がり、置いておくだけで、虫が寄り付かない。
虫には効果絶大、人体には無害で、爽やかな香り。
これで虫の羽音に悩まされずに済む!
ルコル・フロリストのアルモワズ・ヴァポリゼ!


はぁ……御主人様は、どうして僕を捨てたんだろう……。
御主事様、どうして……?
あなたに心当たりはありませんか?
最近、使い魔を捨てる心無い主人が増えています。
使い魔を捨てる行為は、法律により厳しく罰せられます。
困った時は素直に、最寄の魔導師会に相談しましょう。
使い魔は大切な家族の一員。
魔導師会僕の会。

424 :創る名無しに見る名無し:2015/04/16(木) 20:04:32.14 ID:oQbdeUbP.net
CMまでとは細かいw

425 :創る名無しに見る名無し:2015/04/16(木) 20:11:42.00 ID:tfiQPz2W.net
>>419
1箇所、間違えました。
夏野菜コンクールが正式です。
ブリンガー内ではコンテストじゃなくてコンクール。

426 :創る名無しに見る名無し:2015/04/17(金) 13:02:41.01 ID:cWEv46qX.net
水深20身から、エレヴィーは潜行速度を落として、一層慎重に進んで行く。
潜水服の内側には魔法陣が刻まれており、空気が自動的に供給されるので、溺れる心配は無い。
エレヴィーは腕部に備え付けてある、圧力計を確かめながら実況した。

 「水深30身です。
  大分、暗んで来ました。
  ここからは、僕にとっては完全に未知の世界……。
  小魚は殆ど居ません。
  時々見掛ける、大きな魚は何でしょう?
  『鯉<キャルパ>』かな?」

1身以上ある大きな魚が、群れを成しているのが見える。
魚は見慣れない物を警戒している様子で、やや離れた位置から、エレヴィーを取り巻いている。

 「何か、怖いですね……。
  襲われたりしない?」

彼の不安は思い過ごしに終わり、何事も無く沈み続けた。
沈黙と静寂が、不気味な緊張感を演出する。
水深50身が近付くと、俄かに視界が悪くなった。

 「うわー……、これ、どうなってるんでしょう?
  凄く濁っています。
  何なんでしょう?
  沈み続けて良いんですか?
  引き返さなくても大丈夫?
  隊長ー!」

エレヴィーは魔力通信で水上の隊長に指示を仰ぐ。

427 :創る名無しに見る名無し:2015/04/17(金) 13:03:23.21 ID:cWEv46qX.net
隊長は緊張感の無い声で返した。

 「どうしたー?」

 「濁ってます!
  何か細かい泥みたいなのが浮いてて、凄く視界が悪いです!
  これ大丈夫ですかー!?」

危機感を露に訴えるエレヴィーに、隊長は言う。

 「大丈夫、大丈夫、落ち着けー。
  今、水深何身?」

 「えーと、51身です!」

 「了解、その儘、ゆーっくり降りてー。
  60身位から、少しずつ晴れる筈だー」

 「本当ですかー!?」

 「本当だー。
  隊長を信じろー」

この企画は十年以上続いているので、先輩タレントの隊長は、この現象が何なのか知っている。
インベル湖の底は綺麗な椀型の地形をしていない。
湖底は階段状に、幾つかの棚を形成している。
湖から川に繋がる水の流れが、その棚の上に積もった泥を吹き上げているのだ。

428 :創る名無しに見る名無し:2015/04/17(金) 13:05:10.83 ID:cWEv46qX.net
エレヴィーが泥の中を進んでいると、背中に強い衝撃があった。

 「うわっ、何だぁ!?
  た、隊長ーー!!」

エレヴィーの叫び声に、隊長は直ぐに反応する。

 「どうした!?」

エレヴィーの横を、2身はあろうかと言う、巨大な鯰が通り過ぎる。
これが彼に体当たりを食らわせたのだ。
濁水の中から、突如出現した巨大生物。
潜水服は高い水圧に耐えられる様、頑丈に作られているので、ダメージは余り無かったが、
未知の恐怖に、エレヴィーは半狂乱になる。

 「でっかい魚が、襲って来て……!」

巨大鯰はエレヴィーに対して、急接近と急旋回を繰り返す。
激しい水流に煽られ、彼は命の危機を感じた。

 「うわ、うわ、無理無理、限界です!
  一旦、浮上します!!
  浮上、浮上ー!
  引き上げて下さい!!」

 「落ち着けー!
  今、引き上げる!」

エレヴィーは引き上げられる前に、自らロープを伝って浮上する。
濁水の中を抜けても、彼は安心出来なかった。

 「水面は未だかよぉ……!
  こんなに深く潜ってたのか!?」

エレヴィー隊員は無事なのか、探検隊は調査を続けられるのか?
気になる所で、CM。

429 :創る名無しに見る名無し:2015/04/17(金) 13:06:32.30 ID:cWEv46qX.net
何もせずに、暈んやり雨音を聞きながら、滴る雨水を眺めて……。
偶には休みたい時もある。
頑張ってばっかりじゃ、疲れる物ね。
確り息抜き。
テ・ド・バカンス。
オーユ・ビバレッジ。


薬缶、お鍋、水筒、包丁、下ろし金、皮剥き器、金束子。
あれも、これも、アズマ・ウージン。
釘、金槌、針金、鑢、鋏、螺子、トルネヴィス。
どれも、これも、アズマ・ウージン。
金物ならアズマ・ウージン。


「引っ越したいけど……、どこが良いかしら?」
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夏服上下で1万MG!
ヴェスティーティ、ローブ・ド・ソワレが8千MG!
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オーラ・エ・ウン・カーゾ!
正装、礼装はサルト・モデラートで!


入社して、結婚して、子供も生まれて、人生順風満帆だなぁ……。
これからも幸せな毎日が続くと良いなぁ……。
良し、今日も頑張って行くぞ!
「……あ、あれ、皆どうしたの?」
「課長が今朝、事故に……」
あの元気な課長が!?
「全治10箇月の重傷だってさ」
ああ、こんな事って……。
人生、何が起こるか分からない。
万一の為に、備えあれば憂い無し。
トレディヴィータ保険会社。


「水道の水は、どこから来るの?」
雨が降って、川に流れて、貯水池に溜まって、水道局の浄化槽へ……。
濾過装置で汚れを取り除き、消毒して黴菌を取り除き、綺麗になった水が配水管を通って、
皆さんの元に届きます。
「水を飲める様にするのって、大変なんだね」
水は大切に。
ブリンガー水道局。

430 :創る名無しに見る名無し:2015/04/17(金) 13:07:49.10 ID:cWEv46qX.net
ボートに引き上げられたエレヴィーは、アシスタントにダイビング・ヘルメットを外されると、
恐怖に蒼褪めた顔で、肩で息をする。
隊長は半笑いで心配そうに声を掛けた。

 「エ、エレヴィー隊員、大丈夫か?」

 「ハァー、ハァー、いや、危ないッス!
  こう、背中から、ドンッって来て!」

 「どう?
  もう1回行ける?」

 「危ないって言ってるじゃないですか!
  無理、無ぅー理ぃー!!」

必死に首を横に振って、情け無い姿を見せるエレヴィーを見て、先輩のソレジャートは言う。

 「トラウマになった?」

 「トラウマって物じゃないですよ!」

こうなっては美形も台無しだ。
隊長は溜め息を吐いて、他の隊員を見渡す。

 「仕様が無いなぁー……」

431 :創る名無しに見る名無し:2015/04/17(金) 13:09:16.42 ID:cWEv46qX.net
準備運動をして、何時でも行けるアピールをするソレジャートを、隊長は暫く見詰めて、決意した。

 「良し、クハスタ隊員、君に行って貰おう!」

指名したのは、ソレジャートの隣の隊員。
ソレジャートは肩を落として、恨みがましい目を隊長に向けるが、全く意に介されない。
こう言う役回りなのだ。
色黒で筋肉質なクハスタは、エレヴィーの代わりに潜水服を着込む。
やや落ち着きを取り戻したエレヴィーは、クハスタに声を掛けた。

 「大丈夫ですか、クハスタ先輩。
  危ないですよ」

 「大丈夫、大丈夫、毎年なんだから」

クハスタは心配無用と、エレヴィーの肩に手を置く。
ソレジャートはエレヴィーを揶揄った。

 「あの位で参ってたら、この先どうするよ?
  エレヴィー君は、来年再挑戦だな」

 「うわー……」

露骨に嫌な顔をするエレヴィー。
2人が遣り取りしている間に、クハスタは準備を終えていた。

 「それでは、クハスタ隊員、行きます!」

クハスタ隊員は、どこまで潜れるのか……と言った所で、放送時間は終了。
秘境探検隊は次回に続く。

432 :創る名無しに見る名無し:2015/04/17(金) 13:09:53.57 ID:cWEv46qX.net
このスレは、ここまで。
また次スレで。

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