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ロスト・スペラー 11

1 :創る名無しに見る名無し:2015/05/02(土) 19:37:10.19 ID:j4Sp+PM5.net
アイディアの投棄場と言うか、そんな側面もあったり。


過去スレ
ロスト・スペラー 10
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1418203508/
ロスト・スペラー 9
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1404902987/
ロスト・スペラー 8
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1392030633/
ロスト・スペラー 7
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1377336123/
ロスト・スペラー 6
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1361442140/
ロスト・スペラー 5
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1347875540/
ロスト・スペラー 4
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1334387344/
ロスト・スペラー 3
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1318585674/
ロスト・スペラー 2
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1303809625/
ロスト・スペラー
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1290782611/

2 :創る名無しに見る名無し:2015/05/02(土) 19:38:55.10 ID:j4Sp+PM5.net
今から500年前まで、魔法とは一部の魔法使いだけの物であった。
その事を憂いた『偉大なる魔導師<グランド・マージ>』は、誰でも簡単に魔法が扱えるよう、
『共通魔法<コモン・スペル>』を創り出した。
それは魔法を科学する事。魔法を種類・威力・用途毎に体系付けて細分化し、『呪文<スペル>』を唱える、
或いは描く事で使用可能にする、画期的な発明。
グランド・マージは一生を懸けて、世界中の魔法に呪文を与えるという膨大な作業を成し遂げた。
その偉業に感銘を受けた多くの魔導師が、共通魔法を世界中に広め、現在の魔法文明社会がある。

『失われた呪文<ロスト・スペル>』とは、魔法科学が発展して行く過程で失われてしまった呪文を言う。
世界を滅ぼす程の威力を持つ魔法、自然界の法則を乱す虞のある魔法……。
それ等は『禁呪<フォビドゥン・スペル>』として、過去の『魔法大戦<スクランブル・オーバー>』以降、封印された。
大戦の跡地には、禁呪クラスの『失われた呪文』が、数多の魔法使いと共に眠っている。
忌まわしき戦いの記憶を封じた西の果てを、人々は『禁断の地』と名付けた。


ロスト・スペラー(lost speller):@失われた呪文を知る者。A失われた呪文の研究者。
B(俗)現在では使われなくなった呪文を愛用する、懐古趣味の者。偏屈者。

3 :創る名無しに見る名無し:2015/05/02(土) 19:40:01.47 ID:j4Sp+PM5.net
魔法大戦とは新たな魔法秩序を巡って勃発した、旧暦の魔法使い達による大戦争である。
3年に亘る魔法大戦で、1つの小さな島を残して、全ての大陸が海に沈んでしまった。
魔法大戦の勝者、共通魔法使いの指導者である、偉大なる魔導師と8人の高弟は、
唯一残った小さな島の東岸に、沈んだ大陸に代わる、1つの大陸を浮上させた。
それが現在の『唯一大陸』――『私達の世界<ファイセアルス>』。
共通魔法使い達は、8人の高弟を中心に魔導師会を結成し、100年を掛けて、
唯一大陸に6つの『魔法都市<ゴイテオポリス>』を建設して世界を復興させた。
そして、共通魔法以外の魔法を『外道魔法<トート・マジック>』と呼称して抑制した。

今も唯一大陸には、6つの魔法都市と、それを中心とした6つの地方がある。
大陸北西部に在る第一魔法都市グラマーを中心とした、砂漠のグラマー地方。
大陸南西部に在る第二魔法都市ブリンガーを中心とした、豊饒のブリンガー地方。
大陸北部に在る第三魔法都市エグゼラを中心とした、極寒のエグゼラ地方。
大陸中央に在る第四魔法都市ティナーを中心とした、商都のティナー地方。
大陸北東部に在る第五魔法都市ボルガを中心とした、山岳のボルガ地方。
大陸南東部に在る第六魔法都市カターナを中心とした、常夏のカターナ地方。
共通魔法と魔導師会を中心とした、新たな魔法秩序の下で、人々は長らく平穏に暮らしている。

4 :創る名無しに見る名無し:2015/05/02(土) 19:41:04.35 ID:j4Sp+PM5.net
……と、こんな感じで容量一杯まで、設定を作りながら話を作ったりする、設定スレの延長。
時には無かった事にしたい設定も出て来るけど、少しずつ矛盾を無くして行きたいと思います。
規制に巻き込まれた時は、裏2ちゃんねるの創作発表板で遊んでいるかも知れません。

5 :創る名無しに見る名無し:2015/05/02(土) 20:21:22.25 ID:J2PUz0tl.net
乙です!!!!!!

6 :創る名無しに見る名無し:2015/05/02(土) 22:19:15.54 ID:YagRqybw.net
今スレも期待

7 :創る名無しに見る名無し:2015/05/03(日) 18:07:46.75 ID:W8VqR7Ea.net
ありがとうございます。
励みになります。

8 :創る名無しに見る名無し:2015/05/03(日) 18:12:50.07 ID:W8VqR7Ea.net
魔法道具と魔力理論


魔法道具 magical tool
魔法補助道具 spell aiding tool
魔力伝導性道具 magenegy conductive tool
魔力伝導体 magenergy conductor
魔導回路 magenergy conductor circuit(魔力伝導体回路)
魔導機 magenergy conduction machine(魔力伝導機械)
魔導兵器 magenergy conductive weapon(魔力伝導性兵器)
魔力伝導測定器 magenegy conductivity meter
魔力伝導係数 magenegy conductivity coefficient
魔力の質 quality of magenergy
魔力の粘性 viscosity of magenergy
魔力の易動性 mobility of magenergy
魔力場 magenergy field
魔力揺らぎ magenergy flickering
魔力偏差 deviation of magenergy(標準偏差によって求められる)
魔力の重偏 multiple deviation of magenergy
重偏値 multiple deviation value
魔力濃度 concentration of magenergy
魔力分布 distribution of magenergy
魔力の地理的特性 geographical characteristics of magenergy
魔力地理学 magenergy geography
魔力特性 magenergy characteristics(地理的)
魔力特性 magenergy properties(魔力の特質)

9 :創る名無しに見る名無し:2015/05/03(日) 18:14:25.07 ID:W8VqR7Ea.net
魔力 magenergy(マージェナージー/メイジェナジー)
The coined word means magic energy or magical energy.
語感的には「魔法のエネルギー」として「magic energy」を当てるのが妥当であろうが、
本質的な意味では、「魔法の様なエネルギー」である「magical energy」が近い風に思われる。

10 :創る名無しに見る名無し:2015/05/03(日) 18:15:50.78 ID:W8VqR7Ea.net
魔法道具とは、基本的には魔法補助道具の事である。
訳語が「magic tool」ではないのは、魔法の仕組みが知られる以前から、存在する為。
共通魔法が広まった以後は、「magic tool」と「magical tool」を区別しようとする運動もあったが、
未だ決着は付いていない(後述)。
その多くは魔力伝導性道具であり、これによって共通魔法の発動を補助する。
魔力伝導性道具とは、魔力を導く事で用を成す道具の総称である。
これは魔導合金鋼線や、魔導繊維糸、魔導杖の様に、魔力を誘導する道具、又は、
それ等を組み込んだ道具が、例に挙げられる。
魔力を貯蔵する『魔力石<エナジー・ストーン>』は、魔法補助道具ではあるが、魔力伝導性道具ではない。
尤も、近年の人工魔力石は改良が加えられており、魔力伝導性道具の機能も持っている。
広義の魔法道具は、必ずしも共通魔法の物を指すとは限らない。
外道魔法の魔法道具も存在する。
魔力伝導性道具の内、魔力伝導体で構成された魔導回路を内蔵する機械を、魔導機と言う。
魔法陣が描かれていても、魔法書や魔法織布は機械ではないので、魔導機とは呼ばれない。
こちらを「magical tool」と区別して、「magic tool」と呼称しようと言う運動もあったのだが、
魔法道具協会(magical tool association)を擁する魔導師会の協賛は無く、今日まで魔法道具は、
「magical tool」と呼ばれ続けている。
以前にも解説したが、厳密な魔導機の定義は、使用者の詠唱や描文を全く必要としない、
「自動魔法発動機」である。
故に、魔法補助道具の多くは魔力伝導性道具だが、魔力伝導性道具である魔導機は、
魔法補助道具とは言えない。
魔導兵器とは魔導機の性質を持つ兵器である。
一方で、魔導回路を内蔵しない魔導兵器もあり、そちらは魔導機とは呼ばれないが、
厳密に区別しない場合では、度々混同される。

11 :創る名無しに見る名無し:2015/05/03(日) 18:20:51.27 ID:W8VqR7Ea.net
魔法道具の訳は飽くまで、「magical tool」=「魔法の様な道具」「魔法的な道具」である。
どれを「magic tool」と呼んで、どれを「magical tool」と呼ぶべきか、議論は長年続いている。
1つの区分として挙がるのが、「原理の明解さ」。
共通魔法を用いた道具を「magic tool」、それ以外の魔法を用いた道具を「magical tool」と、
区別する方法。
しかし、、共通魔法ならば「magic」ではなく、「spell」を用いるべきだとする意見があり、
そこから魔法補助道具(spell aiding tool)と言う呼称が誕生した。
もう1つの区分は、「魔法陣の有無」。
魔法陣を組み込んだ道具を「magic tool」、魔法陣を組み込まない道具を「magical tool」と、
区別する方法。
しかし、態々「magic tool」と呼ばなくても魔法補助道具や魔力伝導性道具、魔導機で十分だと、
反論もされる。
他には、「原理の複雑さ」を区分にしようと言う者もある。
原理が単純な物を「magic tool」、専門知識が無ければ内部の処理が理解出来ない様な、
複雑な物を「magical tool」と、区別する方法。
しかし、理解が難しい物を「magical」で片付けるのは良くないと言う主張もある。
魔導師会や魔法道具協会としては、「全ての魔法に関する、魔法的な道具」と言う意味で、
「magical」の持つ幅広い意味、懐の深さを理由に、「magical tool」を採用している。
基本的に魔導師会は、「共通魔法」に関連する言葉に「magic」を使いたがらないので、
新たに「magic tool」と言う用語が、魔導師会に公式採用される事は無いと思われる。

12 :創る名無しに見る名無し:2015/05/03(日) 18:23:25.87 ID:W8VqR7Ea.net
全ての物には魔力伝導係数が存在する。
魔力伝導係数とは、魔力の通し易さであり、これが0と言う事は、全く魔力を通さない。
これの正確な測定は、魔力伝導測定器と言う、専用の魔導機で行われるが、魔法学校の授業では、
実際に魔力を流して魔法を使い、その発動時間や効果から推計する、古典的な手法を使う。
一見同質の物に見えても、魔力伝導係数が異なる事は、珍しくない。
水や空気でさえ、組成成分が少しでも変化すれば、魔力伝導係数も変化する。
しかし、そればかりではない。
魔力伝導係数には魔力の質も深く関係している。
魔力の粘性は魔力の質に係わる、重大な要素の一である。
粘性の高い魔力は、魔法陣の素早い形成を妨げる。
その代わりに、一度形成すれば、長らく魔法陣を保持させる事が出来る。
逆に粘性の低い魔力は、魔法陣を素早く形成するには有利だが、効果が長続きしない。
これとは別に、魔力の易動性と言う指標もある。
易動性が高く、粘性の高い魔力は、塊として動かし易いと言う性質がある。
但し、これは魔力場に関係する表現である。
即ち、強い魔力場では、魔力の易動性は低くなる。
逆に、弱い魔力場では、魔力の易動性は高くなる。
魔力の粘性と共に、魔力の質を語る上で欠かせないのが、魔力揺らぎである。
これこそが魔力の持つ最大の謎であり、神秘である。
魔力揺らぎは魔力の定量測定に際する振れを言うが、安定しないのが基本である。
魔法資質を持つ者には、魔力揺らぎは蛍の微光の様に映ると言われる。
より詩的に、精霊の灯火(glimmer of elemental spirits)とも。
揺らぎにも大小があり、これを魔力偏差と言う。
魔力偏差は標準偏差と同様の式で計算される。
所が、厄介な事に、通常の方法で算出された魔力偏差は、全く当てにならない。
状況によって、魔力偏差も大きく変動する為である。
この性質を魔力の重偏と言う。
魔力の重偏値とは、魔力揺らぎによって取り得る、最大の振れ幅である。
これは偏差の偏差と言う形で表される。

13 :創る名無しに見る名無し:2015/05/03(日) 18:26:03.57 ID:W8VqR7Ea.net
上記の様に魔力は非常に不安定だが、更に環境によっても、測定値は大きく変動する。
何しろ、観測者が1人から2人に増えただけでも変動するのだから、困り者だ。
気温、湿度、水流、気流、地質、設置物、天体運動、生命の有無、全てが変動要因である。
これ等を全て計算に取り入れる事は困難なので、大雑把に魔力の地理的特性が定められた。
土地によって、魔力の性質に一定の傾向が見られる事は確かであり、後に魔力の地理的特性は、
「場の魔力理論」に発展して行った。
魔力濃度とは体積や面積当たりの魔力量を表す指標である。
土地による魔力濃度の変化を、魔力分布と言う。
一般に「魔力特性」と言う時、それは魔力の地理的特性を表す事が多い。
魔力自体の性質と言う意味で、魔力特性と言う単語が使われる事もあるので、注意が必要。
「場の魔力理論」は「魔力場の理論」とも言われ、近代魔力学の発展には欠かせなかった、
非常に重要な概念である。
魔力の粘性、易動性、揺らぎ、地理的特性、これ等は全て魔力場の強弱に起因すると言うのが、
場の魔力理論である。
未だ完全には証明されていない理論だが、幾つかの成果を挙げる事には成功している。
その代表例が、魔力揺らぎの安定化に関する諸法則(The laws of stabilization of magenergy
flickering)である。
魔力揺らぎは魔法資質を持つ者や、魔力を行使する者が一定範囲内に多数存在すると、
安定する性質を持っている。
これは魔力を行使したり観測したりする際に、魔力場が形成される為であると言うのが、
場の魔力理論学者の主張である。
一方で、魔力揺らぎを逆手に取って、より多くの魔力(最大重偏値)を引き出そうと言う、
研究も行われている。
古の精霊魔法使いに倣って、魔力揺らぎで増減する魔力を「生きている魔力(living magenergy)」、
安定化した魔力を「死んでいる魔力(dead magenergy)」と表現する学者も居る。

14 :創る名無しに見る名無し:2015/05/03(日) 18:29:34.98 ID:W8VqR7Ea.net
近年は魔導機と魔力石の高機能化により、魔力効率も格段に改良されている。
中級者程度が使う共通魔法ならば、魔導機を使った方が有利になる位だ。
但し、これには「魔導機」と「魔力石」の2つが相当高性能であると言う条件が付く。
当然、高性能な魔導機や魔力石は高価で、気軽に購入出来る物ではない。
特に魔力石の所持数制限と高価さが問題になる。
魔導機の性能を活かす為には、一定の魔力の質が必要である。
魔力の質が悪いと、魔法陣に流れる魔力が不十分で、魔法の効果が落ちたり、発動が遅れたり、
最悪発動しない事もある。
人間の詠唱や描文の様に、魔力の質に合わせて魔導機を変えるのは、現実的ではない。
一応、魔導回路の交換で、魔力の質に合わせる事も出来るが、一々条件が変わる度に、
魔導回路を交換するのは非効率である。
諸条件に合致する、予備の魔導回路を、多数用意するのも現実的ではない。
良質な魔力(この場合は粘性が低く、魔力場の影響を受けない物)を得る方法は、3通りある。
1つは、良質な魔力石を用意する事。
硬水を嫌い、軟水を購入する様な物である。
もう1つは、魔導機の機能で、魔力の質を整える事。
浄水器を取り付け、硬水を軟水に変える様な物である。
しかし、これには2つの問題点がある。
先ず、魔力の質を整える為に、魔法を使う必要があるので、魔力を余分に消費してしまう。
次に、魔力の質を整える魔法さえも、魔力の質に合わせなければならない。
この2点があるので、呪文完成の完全な自動化は、2重に非効率である。
最後の1つは、使用者自身が、魔力の質を整える事。
現実的には、これが最も優良な解決策とされる。

15 :創る名無しに見る名無し:2015/05/04(月) 17:27:51.84 ID:xyWkxAh7.net
魔力伝導性が低い事は、一見して良くない事の様に思われるが、これも場合によっては、
非常に重要である。
最も魔力伝導性が低い事が重視される場面は、教書や辞書に魔法陣を描く際である。
魔法が発動する条件は、魔法陣に魔力が流れている状態で、発動詩が唱えられるか、描かれる事。
魔力伝導性の低い塗料で、魔法陣を描けば、魔力が流れないので、魔法が発動しない。
古い時代には、魔力を通さないとされる、黒モールの木の黒い樹液(又は花や実を潰した液)、
通称「黒脂(くろやに/こくし)」を教書に用いていた。
旧暦からモールの木(モールス、モール・ツリー)は魔除けの染料として知られ、
家の戸や窓枠にモールの木の樹液を塗る風習もあった。
一般にモールの木の樹液は白い物と知られているが、黒モールの木は黒褐色で、
その実も濃い赤紫である。
モールの木種の実には食用になる物もあり、聖なる食物として、儀式や祝祭に供された。

16 :創る名無しに見る名無し:2015/05/04(月) 17:32:19.04 ID:xyWkxAh7.net
魔力量の基本単位はF(firing-spell)である。
これは簡易な火の魔法を1回発動させるに足る魔力量である。
理論通りならば、魔法陣の形状や大きさが全く同一であれば、火力(効果)は変わらない筈だが、
肝心の消費量が、魔力の質によって安定しない為、余り当てにならない。
本来なら、効果も変わらない筈だが、魔力の流れ方によって、実際には効果も変動する。
ここに更に魔力揺らぎが加わるので、自然な環境での計測には向かない。
魔力量は粘性の低い魔力、且つ、魔力場の影響が少ない状態で、測定される。
人間が魔法を使うと、消費量の振れ幅が大きくなるので、魔導機によって測定するのが一般的。
基本的には、効果が倍になれば、必要な魔力量も倍になると予測されているが、
描文や詠唱の難度によって、振れ幅が大きい。
魔力の消費は発動時に最も大きく、描文や詠唱でも僅かながら消費する。
時間の掛かる描文や詠唱では消費量が無駄に大きくなり、高速で描文や詠唱を済ませられるなら、
消費量が少なく済む。
魔力の質に応じた、適切な魔法陣を素早く描けるなら、最小の魔力量で最大の効果を発揮出来る。
単純で規模の小さい魔法程、発動までに要する魔力は少なくなり、魔力の質の影響も受け難い。
魔力量Fは理想的な魔力状態で、火の魔法を同時に何回発動出来るかの目安であり、
仮に魔力量が100Fだとしても、実際に火の魔法を100回発動出来るとは限らない。
よって、実際に大量の魔力を必要とする魔法を使用する際には、熟練者でも2割増し程度を、
魔力の質の影響として見込む。
これが全くの素人になると、2倍は必要と見積もるのが妥当とされる。

17 :創る名無しに見る名無し:2015/05/04(月) 18:10:01.91 ID:xyWkxAh7.net
どうして、こんなにも扱い難い物を、主要なエネルギーとして認めているのかと言うと、
それはファイセアルスの多くの人間が、魔法資質を持っているからに他ならない。
魔法資質が極端に低いのでなければ、魔力を感覚的に捉えて、効率的に魔法が使える。
地域や習慣によって、描文や詠唱に癖が付くので、見知らぬ土地では、慣れない魔力に戸惑うが、
一定の魔法資質と魔法に関する知識があれば、魔力の流れを的確に捉えて、直ぐに適応する。
例外は、強力な魔力場に支配されて、魔力の流れを上手く制御出来ない場合に限られる。
魔法色素を利用した魔力の可視化も、既に進められているが、魔法補助道具を使うと言う事は、
即ち魔法が下手と言う事の証明に他ならないので、積極的に使う人は少ない。
そこには「機械に対する人間の優位」や「効率重視」の感情が存在する。
但し、専門的な知識を必要とする場合や、複雑な呪文を完成させる必要がある場合、
長時間魔法を使用する場合は、魔導機や魔法補助道具の使用を躊躇わないので、
ファイセアルス人は結構現金だ。
魔法資質が「高い」、「優れている」と言う事は、魔力を正確に捉えられると言う事。
より広範囲の魔力の流れや、魔力の微細な変化にも反応する。
高い魔法資質を持つ者は、魔力を身に纏う様になる。
これは魔力を感知する際に、魔力場を形成する為と考えられている。
詰まり、無意識に魔力感知魔法を唱えている状態なのだと、場の魔力理論学者は理解している。
しかしながら、魔法資質が高い者が存在するだけで、魔力が大きく減少する事は無い為に、
未発見の特殊な魔法か、理論が間違っているか、謎が残る。

18 :創る名無しに見る名無し:2015/05/05(火) 19:25:23.67 ID:y93GgwNo.net
登場人物紹介





ファイセアルスを含めた宇宙の神。
巨人が支配する最初の宇宙、ファイセアルスのある人間が暮らす宇宙、過去世界の宇宙と、
少なくとも3つの無限に広がる宇宙を創造している。
宇宙を終わらせる事も出来る。
神が観測しているだけで、世界は神の意の儘に変わる。
……その割には、最初の宇宙は荒廃して閉鎖する事になってしまった。
神も最初から完璧ではなく、学習して知恵を付けるのだろうか?
ファイセアルスのある母星の事は、太陽や聖君を通じて、密かに様子を窺っているが、
常時監視している訳ではなく、基本は放任で、普段どこで何をしているのか不明。
仮の姿は天体で、性別は無い。

19 :創る名無しに見る名無し:2015/05/05(火) 19:39:45.15 ID:y93GgwNo.net
皇帝級


アラ・マハラータ・マハマハリト


強大な能力を持つ、魔法大戦の大魔王アラ・マハイムレアッカの従弟。
血縁がある訳ではなく、巨大世界アル・アルアの中で、別々の土地で生まれたので従兄弟。
同じ土地で生まれたら、兄弟になる。
当時の名はアラ・マハエルファタリート。
従兄と同じく強大な能力を持ちながらも、大魔王の地位には興味を持たず、自ら世界を管理したり、
配下を率いたりしない、道楽者だった。
アラ・マハイムレアッカの降臨前から、人間の世界に興味を示し、身分を隠して忍び込んでいたが、
これは後に、アラ・マハイムレアッカが人間世界に進出し、征服を開始する遠因となる。
従兄とは不仲ではなかったが、人間世界が荒廃する事も好ましく思っていなかったので、
当人は魔法大戦には参加しない積もりだった。
しかしながら、従兄は中立を認めず、敵となるか、味方となるか、決断を迫られた彼は、
身内同士の衝突を避ける為、開戦前に自ら能力の大半と「マハエルファタリート」を捨て、
自己の存在を「マハラータ・マハマハリト」に変更した。
異空には珍しい、戦嫌いの事勿れ主義者であった。
自分が大魔王の従弟だった過去は、歴史や他者の記憶のみならず、彼自身の中でも、
無かった事になっている。
その為、上記のマハマハリトの素性を知る者は、旧い魔法使いを含めても、数える程しか居らず、
大多数には「長老故に尊敬されるべき」魔法使いとしか認識されていない。

20 :創る名無しに見る名無し:2015/05/05(火) 19:43:54.09 ID:y93GgwNo.net
公爵級


デューサー


「導く者」の名を持つ、狭間の世界の管理人。
神の僕として、ファイセアルスと異空デーモテールの狭間に存在する、過去世界を管理している。
神に代わって、無限の過去宇宙を管理しているだけあり、能力は相当な物。
だが、堅物で融通の利かない性格が故に、過去世界を管理し、世界の境界を守る以外の、
余計な仕事はやりたがらない。
異空に渡るには、この者の試練を乗り越えなくてはならない。
幽霊の様な、半透明の影で、性別は無い。
常に顔が隠れるローブを纏っており、人の形をしているかも定かでない。


ソーム


禁断の地で暮らす、夢の魔法使い。
人の数だけある夢の世界を、自由に操ったり、渡り歩いたり出来る。
自称「夢の世界の管理人」。
禁断の地の住民には、「夢の支配者」、「夢の神」と呼ばれ、恐れられている。
夢落ちを利用して、過去を改変する、危険人物。
能力の底が知れず、もしかしたら、実力は皇帝級に匹敵するかも知れない。
夢の世界を領分としており、そこから出ようとしないのが救い。
夢の中では饒舌だが、夢の外では寝間着の儘で、寝惚けて彷徨う夢遊病者。
性別不明。

21 :創る名無しに見る名無し:2015/05/05(火) 19:51:13.88 ID:y93GgwNo.net
ルヴィエラ・プリマヴェーラ


暗青色の肌を持つ美女だが、性格は悪女の中の悪女。
人が悩み苦しむ姿が好きで、自己の愉悦の為には、平然と悪事を実行出来るが、少なくとも、
そこに憎悪や憤怒と言った、負の感情は無い。
同じ様な性格の旧い魔法使いは多いが、その中でも邪悪で、知恵が働き、実力があるだけに、
性質の悪さは群を抜いている。
旧暦では、悪魔公爵の叔母と悪魔侯爵の伯母が居たので、伯爵嬢と呼ばれていた。
人間の勇者の手を借りて、この2人の叔伯母を打ち倒した後、能力を吸収して悪魔公爵となる。
悪魔だが、人間の様に男女が交配して誕生した。
男の方は無名で、代々女系が強い血統の様だ。
旧暦では割と大人しかった方だが、目障りな存在が無くなった魔法暦では、実に伸び伸びしている。
勿論、悪い意味で。


グランド・マージ


本名不詳。
他の悪魔から遅れて人間世界に降臨し、種々の魔法を元に共通魔法を開発した、悪魔貴族の一。
公爵級にしては能力は低い方。
エティーに分裂する以前の、エトヤヒヤの主要領主の一。
人間世界を参考に、エトヤヒヤの法を創り、緩やかな繋がりを以って、エトヤヒヤの拡大を図った。
しかし、その試みは半ばで破れ、エトヤヒヤは崩壊してしまう。
グランド・マージの正体に就いて、正確に言える者は少ない。
共通魔法使いでは、歴代八導師の最長老のみ。
旧い魔法使いでも、その正体を予想する事は出来ても、確信までは持てない者が殆ど。

22 :創る名無しに見る名無し:2015/05/06(水) 18:08:44.99 ID:xbctZagi.net
迷宮公


異空デーモテールの小世界エティーにて


マティアバハラズールは誕生から幾年……。
この物は精神的に完全に成熟して、伯爵相当の自覚を持ち、落ち着いてエティーの事を、
考えられる様になっていた。
マティアバハラズールは既に、エティーを守る管理代行者と認められている。
一方で、先任の管理代行者であるサティ・クゥワーヴァは、マティアバハラズールの成長を喜びつつ、
退屈な毎日を送る事に厭いていた。
然して広くなく、争いも少ない平和なエティーに、サティとマティアバハラズール、2人の伯爵相当、
そして2人の管理代行者は余剰であった。
元より管理代行者となる事を宿命付けられていたマティアバハラズールは、自らの意義を果たさんと、
能く働いたが為に、当人に気は無かろうが、サティの役割を奪った。
今日も今日とて、サティ・クゥワーヴァが暇を持て余していると、エティーに滞在中のバニェスが、
退屈凌ぎの話を持って来た。

 「サティ・クゥワーヴァよ、迷宮公を知っているか?」

 「誰、それは?」

 「エティーの近くに棲む公爵級らしい」

迷宮公。
サティは全く、噂すら聞いた事が無い。
伝聞形の言い回しを、彼女は怪しんだ。

 「……誰から聞いたの?」

 「さて、誰だったかな?
  相当古い時代に聞いた覚えがある」

 「それで?
  迷宮公が何か?」

 「解っている癖に」

バニェスは表情を持たないが、声音と雰囲気で、にやりと笑ったのが、サティには判った。
バニェスは浮付いた調子で、サティを誘う。

 「行ってみないか?
  迷宮公に会いに」

恋人をデートに誘う様に……と言うよりは、幼い子供が近所の探険に友達を誘う様な感覚。

23 :創る名無しに見る名無し:2015/05/06(水) 18:10:20.22 ID:xbctZagi.net
サティは眉を顰め、慎重に対応する。

 「迷宮公って、どんな人なの?」

 「知らぬ。
  だから、会いに行こうと言うのだ」

バニェスの誘いに乗ろうか否か迷う彼女に、バニェスは言い添える。

 「退屈しているのだろう?」

 「そうだけど……」

否定出来ずに、サティは再び眉を顰める。
一応、エティーを預かる身として、軽々に離れる訳には行かない。

 「許可を取らないと」

 「誰に?」

 「……ウェイルさんとか……」

 「では、許可を取りに行こう」

バニェスは何時に無く張り切って、サティを急かす。
迷宮公に会うのが、そんなに楽しみなのかと、サティは呆れるやら不審に思うやら。

24 :創る名無しに見る名無し:2015/05/06(水) 18:13:03.09 ID:xbctZagi.net
サティとバニェスが、ウェイルに迷宮公の事を話すと、彼は意外にも簡単に許諾した。

 「好きにすれば良いのでは?」

否……許諾と言うよりは、そもそも「許可が必要無い」、「どうでも良い」と言う様な扱いで、
迷っていたサティは肩透かしを食った気分。
厳しく不可と断じられるのも困るが、それも如何な物かと、彼女は不満気な顔をする。

 「良いんですか?」

 「新たな世界と繋がりを持つ事は重要だ。
  今までとは違い、こちらにはマティアも居る。
  バニェスも最近は角が取れて来たし、何より君が付いているから、心配はしていないよ」

複雑な表情のサティに、ウェイルは付け加える。

 「『信頼している』のだ。
  君が判断する事なのだから、間違いは無いと思っているよ」

詰まり、自分で考えて行けと言う訳で、サティは思案する。
そこに空気を読まないバニェスが、勇んで話し掛けた。

 「話は付いたな!
  良し、早速出掛けようではないか!」

25 :創る名無しに見る名無し:2015/05/07(木) 19:25:08.91 ID:ia9bpg0N.net
しかし、サティは乗り気になれない。
彼女は未だ、自分がエティーに必要不可欠な存在であると、自惚れているのだ。
同じくバニェスに、大世界マクナクに誘われた時は、未だ緊急性があったが、単なる暇潰しの為に、
浮ら浮らと出掛けて良い物かと、真剣に悩んでいた。
そんなサティの様子に、バニェスはウェイルと別れた後になって、漸く気付く。

 「どうした?
  気分でも悪いのか?
  それとも、出掛けたくないのか?」

 「そうじゃなくて……」

 「何なのだ?」

 「私が離れたら、エティーは――」

 「『心配無い』と、ウェイルは言ったぞ」

 「言ったかな……」

 「少なくとも、出掛ける事に反対はしなかった」

本当に良いのだろうかと、サティは仕様の無い事を考え続けていた。

26 :創る名無しに見る名無し:2015/05/07(木) 19:29:17.58 ID:ia9bpg0N.net
彼女はバニェスに改めて尋ねる。

 「迷宮公は危険ではないの?」

 「それは心配無いと思うぞ。
  迷宮公はエティーと関わりのある物だったと言う」

 「エティーと?」

サティが食い付くと、バニェスは嬉しそうに言った。

 「興味を持った様だな。
  エティーは元々大きな世界の一部だったと言う。
  それが何かの理由で分裂して、今のエティーになった」

 「その頃の管理主が迷宮公?」

 「正確には管理主の一だな」

 「どこで、誰から、そんな話を?」

 「さて、何分古い時代の事なのでな。
  生まれ付いての知識か、それとも伝え聞いた話なのか……。
  どうでも良いではないか?」

 「どうでも良くはないでしょう。
  事の真偽に関わるんだから」

バニェスの記憶は随分と曖昧だが、本人は大して関心を持っていない様子。
元々異空の物達は、無限の命を持つ存在。
そうでなくても、自分と余り関係の無い情報に頓着しないのは、人間とて同じ事なので、
仕方無い事なのかも知れないが……。

27 :創る名無しに見る名無し:2015/05/07(木) 19:37:55.89 ID:ia9bpg0N.net
バニェスは意地悪くサティを挑発する。

 「ははぁ、怖いのか?」

サティは瞬きを繰り返して、真面目に考え込んだ。

 「怖い……?
  どうなのかな……、そう言っても良いかも知れない……。
  恐れている事は間違い無い。
  恐怖で震えると言う訳ではないけれど、何しろ未知の領域だし。
  何が起こるのか、分からないのはね……」

予想に反して冷静に返されたので、バニェスは面白くない。

 「臆病なのだな。
  良い。
  では、私が持つ迷宮公の知識を全て話そう」

サティを揶揄しても詰まらないと思い、バニェスは口調を改めて、真面目に語り出す。

 「迷宮公は相当な変わり者らしい。
  迷宮と名が付くだけあって、世界を外ではなく、内に求めたと言うのだ」

 「内に?」

 「そう、侵略とは無縁に、内へ内へと。
  迷宮の最下層で、果て無き果てを求めて、今も潜り続けていると言う。
  公爵級でありながら、配下を率いもせず、只管に……」

バニェスの語り口に、サティは強く興味を惹かれた。
公爵級と関係を結ぶ事は、エティーの更なる安定にも繋がる。
エティーと関係のあった存在なら、敵意を持たれる可能性は低い。
そうした「冒険に繰り出す為の」大義名分も、頭に浮かぶ。

28 :創る名無しに見る名無し:2015/05/08(金) 19:51:26.08 ID:R1WgxA9+.net
思い切るまで少し時間は掛かったが、結局サティはバニェスと迷宮公に会いに行く事に。
彼女は関係者に、自分が不在の間、問題が起こらない様に配慮して欲しいと、念を押して付託した。
フローの果てから混沌の海へ飛び出し、緑色の錘になったサティは、同乗者のバニェスに尋ねる。

 「迷宮公の居場所は?」

 「エティーの気配を探れば、見付かるのではないか?
  どうしても見付からなければ、私の封印を解いてくれ。
  手分けして探そう」

妙に素直なバニェスを、サティは気味悪がりながらも、エティーの気配を求める。
先ず引っ掛かるのは、当然エティー。
これに似た気配を探していると、幽かに、「それらしい」物の反応がある。
エティーより遥かに小さく、強大な能力も感じない、丸で小島の如き世界。
エティーの切れ端と言っても信じるだろう。

 「あれかな?」

サティは問い掛けつつ、バニェスにイメージを送る。
それを受け取って、バニェスは頷く。

 「そうかも知れん。
  行ってみよう」

サティはバニェスを乗せて、混沌の海に浮かぶ、極小世界へと飛んだ。

29 :創る名無しに見る名無し:2015/05/08(金) 19:56:53.83 ID:R1WgxA9+.net
極小世界に降り立ったサティは、箱舟形態を解除する。
そこは法がエティーと然して変わらず、彼女にとっては苦しくなかった。

 「こんな所があったなんて……」

一見して何も無い、芝の様な短い草だけが生えている、100身平方の平坦な世界。

 「しかし、尋常な空間ではないぞ。
  普通なら、こんな土地は疾うに混沌の海に沈んでいる。
  これを管理している物が存在するのだ」

バニェスの意見に、その通りだとサティは気を引き締めた。
領主無き土地は、混沌に回帰するのが、この異空の定めである。
サティとバニェスが何か無いかと探索していると、草原の中心に丁度人が入れそうな大穴があった。
穴の中は階段状になっていて、明らかに人工物と判る。

 「ここが迷宮の入り口と言う訳だな」

 「そうみたいだね……」

慎重に穴の周囲を調べるサティとバニェス。
バニェスが洞穴入り口の低い天井に手間取り、どうやって入ろうかと苦慮している所で、
サティは内部の壁面に埋め込まれた、一枚の石板に気付いた。
よく調べようと、明かりの魔法で照らすと、そこに文字が浮かび上がる。

30 :創る名無しに見る名無し:2015/05/08(金) 20:00:35.16 ID:R1WgxA9+.net
サティが魔法を使った事に反応し、バニェスが興味を持って、寄って来る。

 「何だ、それは?」

 「石板。
  文字はエレム語だと思う」

 「エレム?」

 「ファイセアルスがある世界の、昔の文字」

古代魔法史を勉強していて良かったと、サティは心から思う。

 「成る程、これが文字と言う物か……」

バニェスは物珍し気に呟いた。
サティは気になって尋ねる。

 「マクナクに文字は無かったの?」

 「嘗ては、あったらしいが……。
  今まで使う機会が無かったのでな。
  遠隔通信ならば、思念や分身を送るだけで、事足りるだろう。
  それより、何と書いてあるのだ?」

バニェスに急かされ、サティは石板の文字を読み上げた。

 「ここの主に用がある者は、この石板の対面にある壁を押す」

 「こうか?」

バニェスは全く無配慮に、サティの言った通り、石板の向かいの壁に手を当て、ぐっと押す。

31 :創る名無しに見る名無し:2015/05/08(金) 20:09:17.76 ID:R1WgxA9+.net
変化は直ぐに表れた。
バニェスが押した壁が瞬時に消失して、底の知れない深い縦穴が出現したのだ。

 「あっ。
  あぁーーーー……」

警戒していなかったバニェスは、無気力な声を上げて、落下してしまう。

 (バニェスは飛べる、飛べない?
  どっち!?)

普段のバニェスなら、どうと言う事は無いだろうが、今は能力をサティに制限されている。
封印状態のバニェスが飛行出来るか、サティは知らなかったし、飛んでいる所を見た事も無かった。

 「バニェス!!」

サティは躊躇無くバニェスの後を追い、真っ暗な穴の中に飛び込んだ。
だが、落ちても落ちても、底が見えないし、バニェスにも追い付かない。

 (どうなってるの……?)

サティは段々不安になって来た。
後先を考えず飛び込んだが、罠と言う可能性もある。

 (でも、態々エレム語が解読出来る前提で罠を張る意味は?
  文字が読めなかったら意味無いのに)

そんな事を考えながら、暫く落ちていると、漸く底が見える様になる。
そこにはバニェスの姿もあった。

32 :創る名無しに見る名無し:2015/05/09(土) 18:51:18.50 ID:5fV5FvZO.net
バニェスは落下の衝撃で、見るも無残な形になっていた。
丸で漫画表現の様に、全身が平たく叩き伸ばされている。
それは見事に、頭から足の先まで。
しかし、生命反応は失われていない。

 「大丈夫?」

サティが声を掛けると、バニェスは俯せの状態で応えた。

 「どうと言う事は無い。
  再生には時間が掛かるが……。
  少し待ってくれ」

痛覚を持たず、本体の霊さえ無事なら、何度でも再生するのが、異空の命である。

 「封印、弱めようか?」

 「頼む」

サティはバニェスの封印を弱めてやった。
能力を少し取り戻したバニェスは、忽ち身体を再生させて、元通りの姿になる。

 「こう言う時は、礼を言うのだったな」

 「別に良いよ。
  制限を掛けているのは、こちらの都合なんだし」

 「それでも一応、礼は言わせて貰う。
  有り難う」

 「……どう致しまして」

普段とは違うバニェスの態度に、サティは違和感があって、落ち着かなかった。
マクナク公に追放された事で、心境に変化があったのだろうかと、勘繰ってしまう。

33 :創る名無しに見る名無し:2015/05/09(土) 18:53:10.41 ID:5fV5FvZO.net
そんなサティの心配を余所に、バニェスは好奇に満ちた声色で、明るく振る舞う。

 「見よ、サティ・クゥワーヴァ。
  何とも奇妙ではないか!
  地下だと言うのに、空がある」

バニェスに言われて、サティは天を仰いだ。
そこには夜空の如く、無数の星が瞬いている。
星明かりが迷宮の床を、薄らと照らし出す。
地下だから薄暗いと言うより、夜だから暗いかの様だ。
サティは魔法資質で、天井までの大凡の距離を測ろうとしたが、感知距離外で測定出来ない。
周囲に壁の様な物は見当たらないし、彼女等が落ちて着た穴も無い。
完全に開放された空間だ。
ここは何なのだろうと、サティは不気味さと共に、途方も無さを感じた。

 「バニェス、私は空を飛んで、少し様子を見て来る」

サティが断りを入れると、バニェスは彼女の手を掴んで止める。

 「待て、私も連れて行け。
  貴様だけが自由に動けて、先に物を知るのは、狡(ずる)いぞ」

サティは小さく溜め息を吐いて、バニェスの我が儘に応じた。

34 :創る名無しに見る名無し:2015/05/09(土) 18:58:09.16 ID:5fV5FvZO.net
サティはバニェスの両手を持ち、吊り下げる形で、地下の空を巡る。
少し高度を上げると、遠くに高さ数身程の建造物が見えた。
近付いてみると、それは街だと判る。

 「何だ、あれは?」

バニェスの疑問に、サティは答える。

 「人が住んでいるみたい」

整然と並んでいる箱型の建物の中に、蠢く命の存在を、彼女は感じていた。

 「これが迷宮か?」

バニェスの疑問は至極尤もである。
迷宮公と言うからには、その領地は、もっと複雑で入り組んだ物だと、サティも考えていた。

 「でも、所詮は他人が付けた名前だろうし……」

本人が名乗ったのでなければ、地下に暮らしているだけで、迷宮公と呼ばれたのかも知れないと、
サティは推測する。

35 :創る名無しに見る名無し:2015/05/09(土) 19:00:36.28 ID:5fV5FvZO.net
サティとバニェスは「街」に降下してみた。
相手からしてみれば、こちらは外界からの闖入者なので、敵対を想定して身構える。
住民はサティ達の存在に未だ気付かない様子で、特に慌てたりはしていない。
ある程度、住民に接近してみて、その姿形を理解し、サティは硬直した。

 「どうした?」

バニェスがサティの異変を察して、声を掛ける。

 「い、いえ、少し吃驚しただけ……」

地下の住民は……「虫」の姿をしていた。
手足こそ4本だが、全身は甲殻に覆われており、2身程の長い長い触角を生やしている。
具体的に言うなら、巨大な『蟋蟀<スルスール>』に近い。
目は殆ど利かない様で、長い触角を前方に投げ出して、壁に沿わせながら、2本足で歩いている。
近付いて来る1体に対して、サティは勇気を出して、対話を試みた。

 「こ、今日は」

昆虫人はサティの声に反応して、糸の様な触角を彼女の方に向けた。
そして、触れるか触れないかの距離で、暫く触角を揺らし続ける。
異空では意思疎通を思念で行うので、言語は然して重要ではない。
問題は思考と知能の差だ。
話が通じる相手なのか、サティは緊張して出方を窺う。

36 :創る名無しに見る名無し:2015/05/10(日) 16:45:30.73 ID:02f5g1oT.net
数極の間を置き、昆虫人は警戒を露に、思念を返した。

 「あんた、誰?」

真面な会話が出来る事に、サティは安堵の息を吐く。

 「私はエティーのサティ・クゥワーヴァ。
  外界の住人です」

 「外界?」

 「はい、外の世界から来ました」

昆虫人は改めて、サティに触角を向ける。
そして、彼女の頭の辺りを丹念に探った。

 「触角を……お持ちでない?」

昆虫人は困惑した様子で尋ねる。

 「種族が違うので、多少機能に差異があります」

サティは右手を差し出して、昆虫人の触角に当てた。
触角が目の代わりならば、こうすれば判ると思ったのだ。

 「これが手で――」

 「ヒャッ!?
  あんた、恥を知りなさい!
  無礼な!」

 「えぇっ??
  す、済みません……」

昆虫人は慌てて触角を引っ込め、激怒した。
勢いに圧されて、サティは思わず謝る。

37 :創る名無しに見る名無し:2015/05/10(日) 16:49:28.16 ID:02f5g1oT.net
昆虫人はサティに常識を諭した。

 「私達は触角同士で軽く触れ合い、お互いを感知するんだ。
  行き成り触角を体に当てるのは勿論、体を触角に当てるのも失礼だろう!」

 「は、はい……。
  いえ、しかし、私は触角を持たないので……」

 「全く困った人だな」

昆虫人は憮然として呟く。
困惑するサティの横で、バニェスは呆れた様に彼女に言った。

 「伯爵級の気配を察知出来ない時点で、相手は平民か無能。
  何を慮って下手に出る必要がある?」

 「迷宮公に会うんでしょう?
  厄介事は避けるに限る」

 「……ならば、触角を生やせば良い。
  髪の毛を何本か前方に伸ばせば、それらしく見えよう。
  感覚毛の機能は無くとも、あちらが認識出来れば良いのだから、問題はあるまい」

バニェスは自ら率先して、魔法で赤い獅子髪の数本を束ね、2身半程度の長い触角を作る。
昆虫人より半身長くしたのは、見栄である。
更に、少々太目だ。
サティもバニェスに倣い、髪の毛を2本だけ長く伸ばして、昆虫人の触角に似せる。

38 :創る名無しに見る名無し:2015/05/10(日) 16:56:36.63 ID:02f5g1oT.net
バニェスは昆虫人の触角に、自らの触角を当てた。

 「これで文句は無かろう。
  私は同じく外界人のバニェスと言う。
  貴様も名乗れ」

昆虫人は触角を慌しく動かし、バニェスの体の周辺を調べる。

 「はー、大層立派な触角をお持ちで……。
  私はククチャーチャと言います」

気圧されて、バニェスの触角を褒める昆虫人。
どうやら触角の長さと太さは、昆虫人のステータスだった様で、サティの時とは打って変わって、
謙っている。
バニェスは怯み気味の昆虫人を詰問した。

 「それより貴様、迷宮公を知らぬか?」

 「迷宮公?」

 「この地の主だ」

 「私達の長の事でしょうか?」

 「そんな小さな物ではない。
  ……見た目は、この物に似ていると思う」

バニェスはサティを指して、昆虫人に説明する。

39 :創る名無しに見る名無し:2015/05/11(月) 18:44:02.73 ID:4ueH9kbw.net
昆虫人は触角を真っ直ぐ立て、高い声で答えた。

 「あぁ、それなら……。
  この街の中央にある大穴で――」

 「解った。
  行こう、サティ・クゥワーヴァ」

それを聞くや、バニェスは昆虫人が言い終わらない内に、サティに向き直り、天を指す。
「上空から大穴を探そう」と言う合図だ。
サティは頷いた後、昆虫人に謝辞を述べた。

 「貴重な情報を頂き、有り難う御座いました」

昆虫人は返事に戸惑うが、サティは気にせず、バニェスを連れて、再び飛翔した。
50身程上昇すると、昆虫人の言う通り、街の中央に大穴が見える。

 「然程、能力は感じないが……」

大穴に意識を集中させるバニェスに、サティは指摘する。

 「迷宮公とは限らないのでは?」

 「ああ、その可能性もあるな。
  どこかで迷い込んだ、エティーの物かも知れぬ」

サティとバニェスは緩やかに、大穴の中へ降りて行く。

40 :創る名無しに見る名無し:2015/05/11(月) 18:46:13.64 ID:4ueH9kbw.net
バニェスは何時に無く饒舌で、その最中も絶えずサティに話し掛ける。

 「サティ・クゥワーヴァ、こう言う『探険<エクスプロア>』を貴様は、どう思うのだ?」

 「どうって?」

 「沸く沸くしないか?」

 「しない事も無いけれど……」

 「楽しいか?」

 「少し」

 「他の感情は何だ?」

 「不安と恐怖」

 「嫌か?」

 「違う。
  それが楽しい」

 「フフフ、私と同じだ」

サティは独り嬉しそうなバニェスに、尋ねずには居られなかった。

 「最近、何か変だよ」

バニェスは不快にも意外にも思わず、彼女の言う事を肯定する。

 「ああ、私は変わった。
  私はエティーを訪れ、貴様と出会って、今、生まれて初めて幸福であるよ。
  禁じ得ぬ歓喜!」

 「本当に、どうしちゃったの?」

 「私にも解らぬ。
  だが、悪い気分ではない。
  これは恐らく良い事なのだ」

サティは呆れて追究を諦め、無言でバニェスと共に、大穴の底に降りた。

41 :創る名無しに見る名無し:2015/05/11(月) 18:48:39.45 ID:4ueH9kbw.net
穴の底には、1人の男が居た。
背格好は標準的な成人男性と同程度。
能力は感じるが、強大と言う訳ではない。
サティ達に関心を払う様子も無く、魔法陣の描かれた土竜の様な両腕で、轟音を上げながら、
黙々と斜め下方向に掘削を続けている。
掘削音の煩さに顔を顰めつつ、サティは男に話し掛けた。

 「もしもし、済みません!」

所が、彼は全く反応しない。
異空での会話は思念なので、魔力の乱れが無ければ、騒音の中だろうが関係無い筈である。
男は敢えてサティを無視しているのだ。
サティの代わりに、バニェスが立腹して男の肩を掴む。

 「無能でもあるまいに、伯爵級を無視するとは良い度胸だ。
  貴様が迷宮公と言うなら、話は別だが!」

 「バニェス、そんな言い方は――」

相変わらず、伯爵級の実力を笠に着るバニェスを、サティは諌めようとした。
しかし、その前に男は手を止めて振り向く。
男の姿は、丸で作業員の様。
溶接面に似た鉄仮面と、鉄の前掛けを付けている。

 「私は忙しいんだ。
  話は聞こえている。
  用があるなら構わず言え」

男は再び掘削を始めた。
砕けた岩盤が飛んで、バニェスの直ぐ横を掠める。

 「……無礼な奴め」

バニェスは誰に言うでなく吐き捨てる。

42 :創る名無しに見る名無し:2015/05/12(火) 19:13:04.11 ID:exaFT0Tw.net
サティは間に然り気無く割り込み、バニェスが怒って事を荒立てない様に、下がらせて宥めた。
そして、掘削を続ける男に尋ねる。

 「迷宮公を御存知ですか?」

 「私の事だ」

その答えに、サティとバニェスは驚いて顔を見合わせる。

 「あ、貴方が?」

公爵級と言うには、能力が低い。
この世界を維持しているのが彼ならば、相応の圧力を感じて然るべきである。
だが、彼は子爵級が精々で、伯爵級程の能力も無い。

 「戯けた事を!」

バニェスが食って掛かるも、男は平然と返す。

 「嘘は言っていない。
  地中に篭もってばかりの私を、人は迷宮公と呼んだ。
  私は只、この世界の果てを知りたいと思っているだけなのだが……」

サティとバニェスは再び顔を見合わせて、どう言う訳かと戸惑う。

43 :創る名無しに見る名無し:2015/05/12(火) 19:19:47.25 ID:exaFT0Tw.net
自称「迷宮公」は、又も一旦手を止めて、サティに小さな辞書の様な物を投げ渡した。
何だろうと開いてみると、一面隙間無くエレム語の文字と、簡易な挿絵で埋め尽くされていて、
サティは解読に難儀する。

 「何が書いてあるのだ?」

バニェスに問い掛けられ、彼女は理解出来る部分だけ、読み上げた。

 「96層、海の階。
  広大な塩水湖か、又は海。
  水平線が見える。
  砂浜から水中へ、深い。
  海洋生物。
  魚類、節足動物、軟体動物、棘皮動物、刺胞動物。
  藻類。
  他の生物は視認出来ず。
  海底に大穴。
  謎の力場で水が落ちない。
  大穴から次の層へ。
  ……次のページは97層。
  ――――これって!?」

サティは急いでページを捲り、何層まで書かれているか確認する。

 (979層……。
  しかも、ページが最後まで埋まっている……と言う事は――)

彼女は迷宮公に話し掛けた。

 「ここは第何層ですか?」

 「1万飛んで226層。
  果ては未だ見えぬ」

 「でも、私達は――」

 「ショートカットを使ったんだろう?」

1万層も降りていないと、サティは言いたかったが、迷宮公は先を読んで指摘する。
空間を歪めて、近道を作れると言う事は、相応の実力が無くては出来ない。
子爵級の能力で、それが可能かは不明だが……。
本当に彼が迷宮公なのかも知れないと、サティは考える。

44 :創る名無しに見る名無し:2015/05/12(火) 19:23:56.43 ID:exaFT0Tw.net
サティは続けて迷宮公に尋ねた。

 「何時から、地中に?」

 「何時……?
  知らんなぁ、『随分前』だ。
  それより、お前達は何者か、名乗らないのか?
  ……いや、強制している訳ではない。
  名乗らないなら、名乗らないで構わない。
  然程、興味は無いからな。
  私の邪魔をしないなら、それで良い」

迷宮公は自己完結して話を終わらせようとするが、ここで途切れさせては不味いとサティは名乗る。

 「私はサティ・クゥワーヴァと言います。
  エティーから来ました。
  そして、こちらがバニェス、マクナクの物です」

序でに、バニェスも紹介したが、当人は迷宮公の態度が気に入らないと、無言を貫き会釈もしない。
無視される事を覚悟していたサティだったが、迷宮公は意外にも反応を示す。

 「マクナク?
  成る程、目も鼻も耳も口も無い訳だ。
  それが素顔なのだな。
  このエトヤヒヤに何の用だ?」

それもサティではなく、バニェスの方に。
バニェスは漸く真面に取り合う気になったかと、呆れ半ばで答える。

 「ここはエトヤヒヤと言うのか?
  用と言う程の用は無い。
  迷宮公とやらが、どの様な物か、会ってみようと思っただけだ」

 「マクナクの物が?」

迷宮公はマクナクを知っているらしく、伯爵級のバニェスを怪しんだ。

45 :創る名無しに見る名無し:2015/05/13(水) 19:31:57.25 ID:UNxPag4M.net
大世界マクナクの貴族は、余り外には出掛けない。
いや、マクナクに限らず伯爵級以上の存在は、大抵管理地を持っているので、土地を離れない物だ。
そして、土地を離れて他世界を訪れる時は、大抵「碌でもない事」を考え付いた時である。

 「悪いか?
  尤も、今はマクナクではなく、エティーに身を置いているが……」

それが何だと、バニェスは開き直った。
迷宮公は少し思案し、更に尋ねる。

 「エティーとは何だ?
  そこの女性体もエティーから来たと言っていたな。
  私の知らぬ間に、エトヤヒヤが拡がったのか?」

その疑問に、答えたのはサティ。

 「エティーはファイセアルスに繋がる、デーモテール側の小世界です」

 「エティーとはエトヤヒヤではないのか?
  お前の姿と魔法は、ファイの地に由来するエトヤヒヤの物だろう?」

 「エトヤヒヤとは何ですか?」

彼女に尋ね返され、迷宮公は苛立ちを込めて言う。

 「ここがエトヤヒヤだ。
  私はエトヤヒヤの地下が、どこまで続いているか知る為に、潜り続けている」

それを聞いて、バニェスは大凡の事情を理解し、2人の会話に割って入った。

 「ははぁ、解ったぞ。
  エトヤヒヤとは、エティーが誕生する以前の土地の名だ」

バニェスの一言で、サティも理解する。

46 :創る名無しに見る名無し:2015/05/13(水) 19:40:40.05 ID:UNxPag4M.net
唯一人、話に付いて行けない迷宮公。

 「お前達は何を言っている?」

困惑する彼に、バニェスは説明した。

 「エティーは嘗て、1つの大きな世界だった。
  それがエトヤヒヤなのだろう。
  エトヤヒヤは崩壊し、分裂して、既に無く、その後に生まれたのがエティーだ」

 「エトヤヒヤが崩壊……分裂?
  では、地上は?
  今、どうなっている?」

 「『ここ』は混沌の海に浮かぶ小島に過ぎぬ。
  周囲には何も無い」

バニェスの発言に、迷宮公は動揺して立ち尽くす。
暫くして、彼は両腕の魔法を解き、人の手に戻した。

 「お前達の言葉が本当か確かめたい。
  一緒に地上へ出ろ」

バニェスは命令口調に反感を抱いたが、サティが「行きましょう」と言うので、大人しく従った。
迷宮公の先導で、2人は大穴から飛び出し、星の瞬く空へと上昇する。
バニェスは飛べないので、相変わらずサティに吊り下げて貰っている。

47 :創る名無しに見る名無し:2015/05/13(水) 19:49:27.84 ID:UNxPag4M.net
迷宮公はサティとバニェスを一顧だにせず、飛び続けた。
昆虫人が暮らす街の存在を感知出来なくなる程の高高度に、サティは不安を抱く。
やがて、直径1〜8身程度の眩い光球が、無数に浮かぶ空間に突入する。

 (本物の星空じゃなかったんだ……)

1万226層の地上から見えた星空は、偽物だった。
サティは内心で密かに納得した。
1万層以上の地下に、無限の星空が広がっているとなれば、この土地は益々得体が知れない。

 「おい、ここは何だ?」

バニェスが迷宮公に声を掛けると、彼は淡々と答える。

 「1万225層、『飛び星』。
  中空の階層」

 「悠長に一層ずつ上がって行くのか?」

 「ここに仮設の近道がある。
  直ぐ近くだ」

迷宮公は余計な事は語らず、只管に星々の間を飛行する。
暫く進むと、空中に直径1身程の黒い球体があった。
迷宮公は特に説明もせず、球体に突入する。
サティとバニェスも後に続いた。
如何なる原理か、球体の中は蟻の巣の様に、幾つも枝分かれた通路になっている。

 「逸れるなよ」

それだけ言うと、迷宮公は再び先に行く。

48 :創る名無しに見る名無し:2015/05/14(木) 18:29:04.86 ID:Ban8+Y24.net
分岐路の側には、数字を刻んだ石板が、必ず設置してある。

 (案内板かな?)

「10221〜」「10211〜10220」「10201〜10210」と十刻みの数字が並んだ後に、
「10201〜」「10101〜10200」「10001〜10100」と百刻みが並ぶ。
その次は「10001〜」「9001〜10000」「8001〜9000」……と千刻み。
桁毎に空間を制御して管理しているのだ。
何の気無しに、サティが石板を見流していると、迷宮公が唐突に話を始める。

 「1万層まで行くとは思っていなかった。
  3万、4万まで行く様なら、ショートカットを整理し直さなければならん」

バニェスは疑問に思い、迷宮公に尋ねた。

 「貴様が近道を作っているのか?
  空間制御は容易な事ではないぞ」

 「言っている意味が解らないな。
  原理さえ理解していれば、誰にでも出来るだろう。
  少なくとも、私にとっては簡単だ」

空間を弄るには、少なくとも伯爵級か、それに迫る能力が無ければならない。
幾ら原理を理解していようが、出来ない物は出来ないのだ。
仮に空間を弄れたとしても、維持するのが負担になる。
「過大気味に評価して」、迷宮公が子爵級上位に相当する能力を持っていたとしよう。
それでも空間の多次元管理は、軽々に「簡単」とは言えない。
サティもバニェスも迷宮公の正体を掴み倦ねていた。

49 :創る名無しに見る名無し:2015/05/14(木) 18:34:56.16 ID:Ban8+Y24.net
空間を弄って、多次多元的に管理する事の困難さを、サティは知っている。
単純に1層、2層と重ねて行くだけなら、能力さえあれば、大抵の者は出来る。
だが、迷宮公は空間を別の空間と繋げて、そこへ更に上位の空間を作り、近道に利用している。
伯爵相当のサティでも、精々空間を移動する事と、幾つかの層を維持する事しか出来ない。
大伯爵のバニェスでも、それ以上の事が出来るかは未知数だ。
一方でバニェスは、「この迷宮公」とは別に、「真の迷宮公」が存在するのではないかと、
当たりを付けていた。
人型の迷宮公は真の迷宮公の分身か、その寵愛を受けている存在で、
サティの様な管理代行者に近い存在ではないかと、踏んだのである。
分身にしても、管理代行者にしても、何故地下に潜り続けているのかは、不明だが……。

50 :創る名無しに見る名無し:2015/05/14(木) 18:38:02.92 ID:Ban8+Y24.net
近道を抜けた3人は、洞窟の入り口に戻る。
そこはサティ達が来た時と、何も変わらない平原。
迷宮公は変わり果てた土地を目の当たりにして、茫然と立ち尽くした。

 「何と……。
  私が潜っている間に……」

こんな時に、どう声を掛けるべきか悩むサティとは違い、バニェスは突飛な事を言い出す。

 「サティ・クゥワーヴァよ、彼奴(あやつ)を殺してみないか?」

サティは目を剥いて驚いた。

 「何の為に!?
  そんなに迷宮公の態度が気に入らなかった?」

 「気に入る、気に入らないではなくてだな……。
  殺してみれば、奴の正体が判ると思うのだ」

 「待って、『殺す』以外に方法は無いの?
  常識で考えてよ」

当然、彼女は提案を却下したが、それを無視する様に、バニェスは迷宮公に話し掛ける。

 「なあ、迷宮公とやら、貴様を殺しても良いか?」

 「良い訳無いでしょう!?」

正か本人に直接聞くとは思わず、サティは唯々驚愕を繰り返す。

51 :創る名無しに見る名無し:2015/05/14(木) 18:43:14.98 ID:Ban8+Y24.net
所が、迷宮公の反応は淡白な物であった。

 「構わんよ」

これにはサティは疎か、バニェスも出し抜かれて喫驚(きっきょう)する。

 「本気か?
  脅しや冗談ではないぞ?」

当の提案者であるバニェスが、慌てて確認を求める様に、サティは呆れ笑う他に無かった。
しかし、迷宮公は変わらず泰然と構えている。

 「実は、過去の地中探索で、私は何度も死んでいるのだ。
  その度に、私は何時の間にか、地上に戻されていた。
  探索に不慣れな初期は死に捲っていたが、ここ暫くは死んでいない……と思ったら、この有様だ。
  死んで何とも無い訳ではないが、殺してみたいと言うなら、殺してみるが良い」

 「肉体を傷付けるだけでなく、魔法で霊を消滅させるが、本当に良いのか?」

 「諄いな、臨死経験は豊富だ。
  霊の喪失は、記憶の喪失に置き換えられるのみで、済まされる。
  地下で起こった出来事の一部を、忘れてしまうのだ。
  それだけで何と言う事は無い……が、1つだけ。
  復活した際は、お前達の事を忘れているだろうから、そこは承知してくれ」

バニェスと迷宮公の間で、淡々と進む遣り取りに、サティは笑っていられなくなる。

 「バニェス、本気なの?」

 「私が冗談を言った事があったか?」

彼女は殺意の変わらないバニェスの説得は諦め、迷宮公を見遣る。

52 :創る名無しに見る名無し:2015/05/15(金) 19:13:04.76 ID:qXgYclGP.net
迷宮公は初めて仮面と前掛けを外し、怪訝な顔をするサティに言った。

 「心配するな。
  この地の謎を解き明かすまで、私は死なん。
  それが私の存在意義なのだ」

その容貌は白髪白髭で金色の目をした、中背の筋肉質な色白の男。
髪も髭も白いが短く整えられており、老人と言う風ではなく、精悍な中年と言った所。
長らく掘削を続けていた為か、背は曲がった儘で、その分だけ低身長に見える。

 「これを持っていてくれ」

迷宮公はサティに仮面と前掛けを預ける。
そして、バニェスに向き直った。

 「さあ、殺るなら殺れ」

 「そう急くな。
  サティ・クゥワーヴァよ、私の封印を解け。
  七分程度で構わぬ」

サティは不承不承と言った様子で、緩っくりと詠唱し、解呪する。
詠唱が終わり、バニェスが能力を取り戻した途端、魔力が一瞬で千々に乱れた。
容赦の欠片も無い攻撃で、迷宮公は消し去られた。
バニェスは物足りなさそうに吐き捨てる。

 「脆い。
  余りに弱い」

…………長い沈黙が訪れる。
迷宮公が復活する気配は無い。

53 :創る名無しに見る名無し:2015/05/15(金) 19:21:57.18 ID:qXgYclGP.net
異空とは何が起こっても不思議ではない場所である。
消滅した霊が復活する事もあるかも知れない――等と、一瞬でも思った事を、サティは後悔した。
迷宮公が余りに自信に満ちていた物で、彼女は重大な過誤を看過してしまった。
バニェスも迷宮公が甦らない事に、拍子抜けする。
迷宮公が消えても、極小エトヤヒヤが消える気配は無い。

 「バニェス……?」

どうするのだとサティが非難の感情を込めて、その名を呼ぶと、バニェスは冷静に返した。

 「奴は迷宮公ではなかった。
  それが証拠に、この土地が消える気配は無い。
  ……良いではないか、子爵級の1体や2体、失われた所で、どうと言う事は無い」

 「そうじゃなくて、彼には未だ話を――」

サティが言い掛けると、洞窟の中から迷宮公が現れて、呑気に2人に手を振る。

 「おーい、復活したぞー。
  幸いにも、お前達の事は忘れていなかった様だ」

サティは安堵し、バニェスは彼の正体を確信した。
バニェスは不躾にも、迷宮公に告げる。

 「貴様は『予備<リザーブ>』を持っているのだな。
  その存在は連続している様で、実質は別の個体だ」

 「馬鹿を言うな。
  私は私だ」

迷宮公は面食らった様子で、強気に言い張るが、僅かな動揺は隠せなかった。

54 :創る名無しに見る名無し:2015/05/15(金) 19:25:47.80 ID:qXgYclGP.net
そこをバニェスは突いて、情報を引き出そうとする。

 「如何に不死と言えど、完全に霊を失っては復活出来ない。
  それは如何なる能力の持ち主だろうが、同じ事。
  故に、高位の貴族は分身や予備を持つ。
  その程度は貴様とて知っていよう」

 「何が言いたいのだ?
  私が高位の貴族だと?」

 「……違うな。
  私は確かに、貴様の霊が消滅するのを確認した。
  今の貴様は、私達と出会った貴様ではない。
  この土地が新たに貴様を生み出した」

 「私が土地に依拠する付属物だと言うのか?
  それは誤りだ。
  私自身は、この土地の生まれではないぞ」

 「成る程、本来は性無い子爵級だったのだろう。
  だが、貴様は既に、この地に――『真の迷宮公』に取り込まれている」

迷宮公はバニェスの説明を理解してか、それとも消化し切れず、思考が止まっているのか、
暫し呆っと途方に暮れていたが、やがて気を取り直し、サティに話し掛けた。

 「私の装備を返してくれ」

断る理由も無く、サティは素直に、預かった仮面と前掛けを、迷宮公に渡す。

 「何にせよ、私のやる事は変わらない。
  今の話が本当なら、尚の事、掘り進まなければならなくなった。
  何万層降ろうが、『真の迷宮公』とやらに、会ってやろうではないか!」

彼は装備を整えると、強い意志の宿った瞳で、そう宣言し、再び洞窟に入って行った。

55 :創る名無しに見る名無し:2015/05/15(金) 19:30:30.62 ID:qXgYclGP.net
サティが止める間も無く、迷宮公は洞窟の中に姿を消す。

 「あっ……あーぁ、行っちゃった。
  聞きたい事があったのに……」

エティーの前身であるエトヤヒヤの事を、聞きいておきたかった彼女は、肩を落とした。

 「追い掛ければ良いではないか?」

バニェスは気安く言うも、サティは顔を顰める。

 「今の話を聞いて、中に入る気は起きないよ。
  何時の間にか、取り込まれてしまうんでしょう?」

 「ハハハ、そうだな。
  しかし、より高位の貴族に霊を預かって貰えば、死を恐れずに済むぞ」

 「嫌だよ、勝手に分身を作られるのは……。
  でも、『真の迷宮公』は何の為に、彼を取り込んだの?」

サティが当然の疑問を呈すと、バニェスは飄々と答えた。

 「遥か高位の存在が何を考え付こうと、それを下位の物が推し量ってはならぬ。
  その決定は絶対で、従わねばならず、抗う事は疎か、言を挟む事さえ無意味である。
  それが長らく、この混沌に満ちた宇宙の――『私の』常識だった……。
  基本、我々は退屈な存在なのだ。
  そうしたいから、そうするのであり、退屈凌ぎに理由は要らぬ」

異空デーモテールとは、能力が絶対の世界である。

56 :創る名無しに見る名無し:2015/05/16(土) 18:40:27.72 ID:9expLqFt.net
今六傑ラムナーン


今六傑(current 6 heroic players)とは、娯楽魔法競技の頂点に君臨する、
6人のトップ・プレイヤーである。
魔法大戦の六傑に準えた称号で、その年の成績によって、都度入れ替わる。
フラワリング、ストリーミング、マリオネット、マックスパワーの4競技から、6人が選ばれる為に、
基本的には各競技で最も優秀な者で、4枠が埋まる。
残りの2枠は、最も人気のある競技フラワリングの競技者から選ばれる事が多い。
しかし、必ずしも1競技最低1人が確定するとは限らず、傑出した人物が現れなかった競技が、
六傑選外となる事がある。
英雄が誕生するには、相応の環境が必要で、その為に競技人口や資金は多い方が良い。
故に、どの競技も競技者やファンの獲得には熱心だ。
今六傑を決めるのは、魔法競技会の委員達だが、毎年人物の選定には様々な思惑が絡んで、
異論噴出する上に、決定後にも各競技のファンから何や彼や言われる為、候補の段階から、
実力と実績を鑑みて、慎重に判断している。

57 :創る名無しに見る名無し:2015/05/16(土) 18:55:33.95 ID:9expLqFt.net
娯楽魔法競技フラワリングは、魔法の組み合わせで華やかさを競う。
予め決められた時間内で、演技の主題と使用する魔法を事前に決めて審査員に提出し、
その難度と完成度で配点が決まる加点方式。
だが、高難度の魔法だけを組み合わせても、「美しさ」、「華やかさ」と言った、芸術点があるので、
見栄え優先の方が得点が高くなる。
大陸共通のランキングがあるが、これは各大会の得点を合計して決まる訳ではない。
勿論、個々の大会の得点は重要だが、それよりも大舞台での成績が重視される。
大舞台とは、毎年度末(2月10日)に行われる6地方の最終大会と、春のボルガ、夏のカターナ、
秋のブリンガー、冬のエグゼラで行われる四季大会、初夏のグラマーで行われる266記念大会(※)、
四季大会の裏で行われる裏四季大会、同じく266記念大会の裏で行われる裏266記念大会、
そしてランキング上位20人によるティナーでのグランド・フィナーレ・チャンピオンシップである。
それ以外の大会では、ランキングに入る事すら出来ない。
逆に言えば、大舞台に出場しているだけで、ランキングに名前が並ぶ。
各大会には出場人数に制限があり、自動的にランキングは下限が決まっている。
出場選手の被りを考慮すれば、400位未満が最下位層、201〜400位が下位中層、
101〜200位が下位上層、51〜100位が中位層、50位以内で上位層、20位以内が一流、
5位以内で超一流と言った所。
そこには歴然とした実力の差がある。
但し、ここで言う下位層とは、飽くまで大陸レベルの話であり、当然これ未満の実力の競技者も、
山と控えている。


※:魔法暦266年6月18日、娯楽魔法競技が魔導師会に公認された日を記念する大会。

58 :創る名無しに見る名無し:2015/05/16(土) 18:58:46.58 ID:9expLqFt.net
ランキングのポイントは、大会で審査員に付けられた得点に、大会毎の倍率を掛けて、算出される。
ランキング上位になるには、より大きな大会に、より多く出場する事が欠かせない。
しかし、勝ち上がり方式ではない為に、それだけでは低い得点でも数を多く熟した者が、
上位になってしまうと言う事で、ポイントの計算に出場大会数が考慮される様になった。
現在のランキング計算方法は、次の通りである。

(合計ポイント)/√(出場大会数)

数を熟すだけでは上位には行けないとは言え、個別の大会の得点だけを重視する訳にも行かない。
1回や2回では、偶然出来が良かった、調子が良かったと言う事も有り得る。
自分に有利な地方だけで活動するのも、好ましくない。
よって、出場大会数が余りに少なくても、ランキングの参考にはならない。
有名な競技者には多くの大会に出場して、盛り上げて貰わなくては困ると言う、興行的な事情もある。
最も倍率が低い大会のは、各地方の最終大会である。
ここでは出身者制限が掛けられ、実質これから大舞台へ挑戦する、新人達の為の場となっている。
地方最終大会で良い成績を収めると、ランキング下位に記載されて、裏四季大会や、
裏266記念大会に挑める様になる。
そこで更にランキングを上げる事で、四季大会、266記念大会に出場出来るのだ。
大会の格は上から、グランド・フィナーレ>266>四季>裏四季>裏266>地方最終の順。
大会で得たポイントは、翌年の同じ大会で失効するので、順位の変動は激しい。

59 :創る名無しに見る名無し:2015/05/16(土) 18:59:56.88 ID:9expLqFt.net
地方最終大会に出場出来るのは、ランキング対象外の小さな大会で、優秀な成績を収めた者。
小さな大会の賞金だけでは、食べて行けないので、下位のフラワリング競技者は、副業をしたり、
路上パフォーマンスをしたりで、日銭を稼いでいる。
誤解してはならないが、そうした者達は決して無才ではない。
フラワリングに要求されるレベルが、余りに厳しいだけなのだ。
先ず、「高い」魔法資質を備えている事は当たり前。
「平均以上」、「やや優れている」では、話にならない。
競技時間中、詠唱と描文を絶えず続けても、息を切らさない体力も必要だ。
更に、大衆の前でも動じない強い精神力。
魔法を美しく見せる、芸術的感覚。
多種多様な魔法を扱う為の記憶力。
魔力の変質にも即応出来る、対処能力も無ければならない。
不器用な者は地方レベルに留まり、大成しない。
フラワリングのプロフェッショナルを目指す者は、幼少の頃から大会に出場する等して、
才能を磨いている。
真のプロフェッショナルへの道は、斯くも険しい。

60 :創る名無しに見る名無し:2015/05/17(日) 19:39:56.52 ID:ZuXckKeD.net
2月20日 第四魔法都市ティナーにて


ラムナーン・ンドナン・ブァヴィア・トラン・ルは、カターナ地方出身のフラワリング競技者であり、
今六傑の1人である。
長身で褐色肌、そしてフラワリング競技者には珍しい、脱色しない黒髪。
魔法色素は眩い黄だが、地肌や髪色との兼ね合いで、やや燻んで見える。
それが人目には金の如く映る事から、付いた渾名は『絢爛たる<グリッタリング>』ラムナーン。
毎年の年度末は、グランド・フィナーレ・チャンピオンシップに出場する為、ティナー市に滞在中。
今日2月20日は、グランド・フィナーレ・チャンピオンシップの開催日。
出場登録は付き人が既に済ませており、後は出番までに会場に行けば良い。
今六傑の一にして、最高のフラワリング競技者と名高い彼の出番は、最後まで取ってある。
そんな訳で、ラムナーンは時間潰しに街中を散歩中だった。
演技中は派手な彼も、普段は只の好青年。
街中を歩いても、個性的なティナー市民に埋もれて、ラムナーンと気付く者は少ない。
フラワリングと言う競技が、飽くまで「人」ではなく、「技」の美しさに重きを置く性質である事も、
関係しているだろう。
それにしても、前の競技者の演技や、会場の空気は気にならないのだろうか?
普通は、この栄誉ある舞台で最高の演技をしようと、気を張る物だが、ラムナーンは違った。
人は人、己は己、グランド・フィナーレも仕事の内と、冷静に割り切っている。

61 :創る名無しに見る名無し:2015/05/17(日) 19:52:43.15 ID:ZuXckKeD.net
グランド・フィナーレの会場から少し離れた、小さな通りを歩いていたラムナーンは、
小やかな結婚式に出会した。
赤の他人の結婚式なので、別に参加する義理も意味も無いのだが、賑わいと人集りに釣られて、
彼は事情を知らない儘、首を突っ込んだ。
好奇心が強く、生来の祭り好きなのだ。
だからこそ、フラワリングの競技者になった。
人集りの外側に居る、人の好さそうな小母さんに、ラムナーンは声を掛ける。

 「何事ですか?」

小母さんはラムナーンの正体に気付く様子も無く、気削に答える。

 「何事て……結婚式やん。
  見て判らん?」

 「ああ、結婚式!
  それは……お目出度う御座います」

 「はい、有り難さん。
  もしかして余所の人?
  あれか、グランド・フィナーレの観光客?
  何か用?」

 「いえ、偶々通り掛かっただけで……」

 「ほーん、まぁ、これも何かの縁や。
  お祝いの言葉でも掛けてってや」

ティナー地方の古い習慣では、慶事には大勢人を呼ぶ。
通り掛かりの誰かでも、祝ってくれるなら大歓迎だ。

62 :創る名無しに見る名無し:2015/05/17(日) 20:09:21.59 ID:ZuXckKeD.net
他の地方にも、似た様な古い習慣がある。
尤も、そうした大らかさを現代まで受け継いでいる所は少ない。
所謂「未発達」で「洗練されていない」、「庶民的」な、昔ながらの風情が残る場所に限られる。
幸い、カターナ地方出身のラムナーンも、似た様な環境で育った為に、「昔ながらの風情」には、
理解があった。

 「では、お邪魔します」

 「乗りが良えなぁ!
  男前やわ、格好良いわ」

小母さんは感心した様に言うと、人込みを掻き分けて、ラムナーンを中へ押し入れる。

 「はいはい、退きや退きや!
  飛び入りさんやで!」

誰も彼も流れの儘に、ラムナーンが通る道を開ける。
新郎新婦の前に押し出されたラムナーンは、苦笑いしつつ祝辞を送った。

 「初めまして、この度は御結婚お目出度う御座います」

飛び入りの参加者に、新郎新婦も仲人も戸惑いながら、会釈で応じる。

 「えー……、私は通り掛かりの者で、フラワリングをやっておりまして……。
  こうして祝い事に逢い着きましたのも、巡り会わせと言う物で御座いましょう。
  宜しければ、御両人の新しい門出を祝福する、一芸を披露させて頂きたく存じます」

新郎新婦と、その親戚、そして仲人は、お互いの顔色を窺い、頷き合う。
一同を代表して、新郎が許可を出した。

 「そ、そら、どうも。
  どうぞ、どうぞ」

63 :創る名無しに見る名無し:2015/05/18(月) 19:49:18.79 ID:Is3ZdmVP.net
 「有り難う御座います」

ラムナーンは恭しく礼をすると、両手の指を鳴らして、手の平に赤と青の炎を灯した。
本物の炎ではなく、照明に利用される彩光魔法である。
ラムナーンが両腕を交差させると、赤と青の炎は球状になって、絡み合う様に昇って行き、
1つの大きな紫色の光球になる。
そして、ラムナーンが交差した両腕を、2つの円を描く様に広げると、紫色の光球が再び、
赤と青に分かれ、無数の小さな白い光球が出現し、式場を明るく照らした。
光球は維持した儘で、ラムナーンは指を鳴らしながら、参加者の一人一人を指す。
指された人の前に、その人の魔法色素と同じ色の、温かく穏やかな光球が出現する。
中には触れてみる人も居るが、当然害は無い。
指が温かな光球の中を、透り抜けるだけ。
この時点で、出席者の何割かは、ラムナーンの並外れた魔法資質の高さに気付いた。
彼は何者だろうか?
グランド・フィナーレに出場する、競技者の一人だろうか?
しかし、今はグランド・フィナーレの最中で、それに参加する人物が、こんな所に居る筈は無い。
残念ながらランキング上位20名の内に入れず、選定から漏れた人物なのだろう。
……誰もが、そう思っていたのだが、ラムナーンの魔法資質の高まりに応じて、魔法色素が反応し、
金色に輝き始めたので、何人かは彼の正体に気付いた。

64 :創る名無しに見る名無し:2015/05/18(月) 19:53:14.49 ID:Is3ZdmVP.net
その中の一人が声を上げる。

 「絢爛たるラムナーン!」

式場は騒然となるも、ラムナーンは全く動揺せず、寧ろ笑顔で返してパフォーマンスを継続する。
流石のプロフェッショナル。
彼は全ての光球を会場の中央に集めて、1つの巨大な白い光球にした。

 「この良き日、良き出会いを、お喜び申し上げます。
  新しき夫婦に、そして式場の皆様にも、幸いあれ!」

ラムナーンが高らかに祝言を掛けると、光球から眩い光のシャワーが、花火が散る様に、
優しく降り注ぐ。
式場は拍手に包まれた。
直後、空気を読まない若い子が数人、ラムナーンに詰め寄る。

 「本当にラムナーン!?」

その問いにラムナーンは答えず、若い子等を諭す。

 「今は結婚式。
  結婚式の主役は新郎新婦だよ。
  私は只の通行人、解ってくれるね?」

若い子等は何度も頷くが、ラムナーンから離れようとしない。

 「サ、サイン良いですか?」

 「ツーショットお願いします!」

65 :創る名無しに見る名無し:2015/05/18(月) 19:56:25.67 ID:Is3ZdmVP.net
ラムナーンが困り顔で応じ兼ねていると、新郎新婦も寄って来る。

 「あの、ラムナーンさん、集合写真に入って貰えませんか?
  こんな偶然、一生に一度の奇跡なんで、記念と言うか……」

 「良いですよ」

彼が快諾すると、新郎新婦は顔を綻ばせた。

 「有り難う御座います!
  こちらです。
  ああ、本真に何て言ったら良いんでしょう!
  奇跡ですよ、奇跡!」

新郎は興奮した様子で、会場の全員に呼び掛ける。

 「集合写真撮るでー!
  ラムナーンさんも一緒やー!
  皆、入りー!」

それに反応して、一斉に人が押し掛ける。

 「うわっ、詰め過ぎやで!
  潰れてまうがな!」

 「未だ行けるやろ?
  全員入れたってな」

 「無理無理、2回に分けよ!」

 「花婿と花嫁が真ん中で、ラムナーンさんは1つ後ろの真ん中に立って……。
  一寸、写真屋の小父ちゃん何しとんの!?」

 「いや、せやかて、儂も有名人と映りたいし……」

 「誰が写真撮んねや!」

 「それなら私が撮りましょうか?」

 「お願いします――って、ラムナーンさんは外れたらあかんですよ!」

どの写真も端から端まで一杯で、それは賑やかな物となった。

66 :創る名無しに見る名無し:2015/05/19(火) 20:18:44.15 ID:6HKHmMmo.net
その後も、大勢の出席者にサインや写真を頼まれたラムナーンは、開き直って応じる事にする。
出席者が友人を呼んで、その友人が友人を呼んで、人が人を呼ぶ状態。
会場に人が収まらず、路上まで溢れ返っている。
誰とも知らない人が、ラムナーンに酒を勧める。

 「ラムナーンさん、一杯どうでっか?」

 「済みません、この後、一仕事控えているので」

 「仕事て、グランド・フィナーレ?」

 「はい」

 「急がんで良えんですか?」

 「取(トリ)なんで、未だ時間はあります」

 「流石はラムナーンさん、大役やね。
  応援してまっせ!」

余裕で受け答え出来るのは、ラムナーンが緊張感や義務感と言った物を、余り感じない為である。
こうした彼の性質は、大衆の前で演技を披露するフラワリングに向いていた。
どんな状況でも、普段通りの実力を発揮出来ると言う事は、この上無い強みである。
逆に言えば、そうした緊張感が齎す、「底力」の様な物を発揮出来ないと言う事でもあるが、
「事前に計画した通りの演技を熟す」フラワリングでは、余り関係が無い。
勿論、普段通りの実力を発揮するには、「普段の実力」が無ければ話にならない。
あらゆる面で、ラムナーンは才能に恵まれた男なのだ。

67 :創る名無しに見る名無し:2015/05/19(火) 20:21:25.53 ID:6HKHmMmo.net
宴も酣を過ぎ、人の出入りが落ち着き始めた頃、新郎の父が彼に話し掛けた。

 「ラムナーンさん、グランド・フィナーレは良えんですか?
  参加して貰っといて何ですけど、好え加減、早う急がな間に合いまへんで。
  何ぼ大取(オオトリ)言うても、会場遠いですやん」

ラムナーンが式に参加して、既に1角半が経過している。

 「そうですね、そろそろ急がないと行けませんね……」

 「ああー、こらあかん!
  『式の所為で遅れた』とか、堪忍ですよ!
  直ぐ馬車の手配します!」

新郎の父は慌てたが、ラムナーンは落ち着き払った様子で答える。

 「いえ、結構です、それには及びません。
  『急げば』間に合いますから」

 「本真ですか?」

 「多分」

 「多分じゃあきませんて!
  呑気に笑うてる場合やないですよ!」

 「本当です、本当です。
  飛んで行けば、馬車より早いので」

至って平静にラムナーンは言うも、新郎の父は式場の全員に大声で知らせた。

 「皆さん、済んまへん!!
  ラムナーンさん、お帰りや!
  グランド・フィナーレに出なあかんって!
  道、開けたってや!」

全員が一斉にラムナーンの方を向く。

68 :創る名無しに見る名無し:2015/05/19(火) 20:24:51.18 ID:6HKHmMmo.net
それに僅かも動じず、ラムナーンは決して急がず、式場の出入り口へと向かった。
事情を余り知らない出席者は、素直に道を開けると同時に、激励の声を掛ける。

 「頑張って下さい!」

 「優勝してや!!」

ラムナーンは一人一人に、笑顔で頷く。
新郎の父はラムナーンを一極でも遅らせてはならないと言う焦りから、強張った表情で、
出席者を制した。

 「ラムナーンさんは、お急ぎやから!
  早う、退いた、退いた!」

式場内の全員が、ラムナーンを見送ろうと、屋外まで付いて出る。
ラムナーンは振り返って、新郎の父に謝辞を述べた。

 「どうも、有り難う御座いました」

新郎の父は畏まって答える。

 「そら、こっちの台詞ですがな!
  本当に有り難う御座います!
  満足な礼も出来んと、何か追い立てるみたいになって、豪い済んまへん!」

 「いえいえ、お気持ちだけで結構です。
  折角の吉事吉日なのですから、細かい事は、お気になさらず。
  私は只の通行人、好きで立ち寄ったのです」

大様なラムナーンの態度に、新郎の父は感服するばかり。

 「いや、もう、何て言えば良いやら……。
  皆、確り礼言わなあかんで」

彼に促されて、出席者は口々に言葉を掛ける。

 「有り難う、ラムナーンさん!」

 「有り難う御座います!」

 「頑張ってー!」

ラムナーンは最後に新郎新婦に言った。

 「それでは、お幸せに!」

そして、高く跳躍すると、浮遊魔法で高速で飛び去る。
皆々感嘆の声を上げて、呆然と遠ざかる彼の影を眺めていた。

69 :創る名無しに見る名無し:2015/05/20(水) 19:20:16.60 ID:66h7O7B+.net
ラムナーンは街の上空10身を飛行しながら、魔力ラジオウェーブ放送を拾う。

 「万華百色競咲(ばんかひゃくいろきそいざき)。
  流石は今六傑の1人、『熾燈の<キャンデセント>』ライトネス。
  レベルが違います。
  美しいパフォーマンス」

静かだが、強い調子で、解説者は今六傑ライトネス・サガードの魔法を称える。

 (ライトネスは取の2つ前だったな。
  十分、間に合いそうだ)

ラムナーンとて出場者を全て記憶している訳ではないが、自分の前に演技する数人と、
ランキング上位の競技者位は把握している。
間に合うと確信した彼は、魔力ラジオウェーブ放送を繋げた儘で、更に付き人に連絡を取った。

 「アデルフ君、アデルフ君、聞こえる?」

 「ラムナーンさん!
  どこ行ってたんですか!?」

 「暇だから散歩してた」

 「暇って……」

 「今、そっちに向かってるんだけど、どうなってる?」

 「ライトネスさんの演技が始まったばかりです。
  今の所、最高点はヴェラー選手の904点。
  恐らくライトネスさんが更新するでしょう。
  彼女、大分調子が良さそうです」

 「ライトネスの独走か……。
  例年通りだなぁ」

ラムナーンは詰まらなそうに零した。

70 :創る名無しに見る名無し:2015/05/20(水) 19:24:45.10 ID:66h7O7B+.net
ここ数年、フラワリングのランキング1位はラムナーン、2位はライトネスに固定された状態で、
変動が無い。
毎年才能のある新人は出て来るのだが、中々上位まで食い込まない。
中堅が伸びて来ても、最上位には届かない。
そんな事態が繰り返されている。
幾ら娯楽魔法競技の中で、フラワリングの人気が飛び抜けているとは言え、余り長らく上位2人の、
独走状態が続くと、停滞感や倦怠感が蔓延して来る物だ。
下位が腑甲斐無い分、最上位のラムナーンとライトネスが、互いに競い合い、新技を編み出して、
素晴らしいパフォーマンスを見せるが、そうなると益々下位が霞んでしまう。
魔法競技会やマス・メディアも、業界全体を考えて、少しでもラムナーンとライトネスに、
対抗出来る目がありそうな競技者が現れたら、積極的に取り上げる様にしているが、今の所は、
それが裏目に出ている状況だ。
ラムナーンやライトネスも、エクシビションに積極的に参加する等、後進の育成に力を注いでいるが、
これと思う者は現れない。
フラワリングの才能は、魔法資質に拠る所が大きいので、努力で埋め難い部分があるのは、
事実なのだが……。

71 :創る名無しに見る名無し:2015/05/20(水) 19:33:37.53 ID:66h7O7B+.net
ラムナーンの付き人のアデルフは、落ち着かない様子で尋ねた。

 「どの位で着きそうですか?」

 「2針は掛からない。
  とにかく、私の出番には間に合わせる。
  ステージに直で降りるから、その様に手配してくれ」

 「直で!?
  プログラム確認しなくて平気ですか?」

 「何百回と繰り返した事さ」

遣り取りの最中、アデルフはラムナーンの不審な点に気付く。

 「……もしかして、ラムナーンさん、飛んでます?」

 「ああ」

 「都市法違反じゃないですか!」

私有地や特別に許可された場所、又は事前に許可された場所以外で、魔法で飛行する事は、
大事故に発展する可能性が高いとして、都市法で禁じられている。

 「解っている。
  だが、私にとってはファンを落胆させてしまう事の方が、余程重罪だ」

 「格好付けても駄目ですよ!
  故意犯は罪が重くなります!」

 「構わないさ。
  グランド・フィナーレが終わった後なら、どうなったって」

 「今まで何してたんです!?」

詰問調のアデルフに、ラムナーンは顔を顰めて、答を逸らかす。

 「パフォーマンスの前に、やる気を削ぐ様な発言は止してくれないかな?
  善良な市民、結構。
  規範的な遵法意識、大いに結構。
  しかし、その前に私は人々を楽しませる、フラワリングの競技者だ。
  今、『何が重要か』、君なら解ってくれるだろう?」

アデルフが小さく溜め息を吐いたのが、ラムナーンには伝わった。

 「……詳しい話はグランド・フィナーレの後で伺いましょう。
  ステージに直接、降りるんですね?」

 「ああ」

 「手続きは済ませておきます。
  心置き無く」

 「有り難う」

彼に申し訳無さを感じつつ、ラムナーンは時間丁度に到着する様に、飛行速度を調整する。

72 :創る名無しに見る名無し:2015/05/21(木) 19:03:09.32 ID:kbLsc4km.net
本来ならば、グランド・フィナーレ・チャンピオンシップ会場への、飛行での入場は認められない。
入場パフォーマンスは自由だが、流石に会場外から飛来するとなると、先ず却下される。
そこらの競技者が、「遅刻しそうだから飛行して入場したい」と言った所で、特別な事情が無い限り、
相手にされず失格になるのが落ちだろう。
ラムナーンが今六傑で、大取だからこそ、許される事だ。
最高のフラワリング競技者を欠いて、グランド・フィナーレは成り立たない。
然りとて、彼だけを特別扱いしたのでは、他の競技者や、そのファンから抗議される。
ラムナーンの「新しい入場パフォーマンス」が、今後議論を引き起こす事は明白である。
ラムナーン自身は、もっとフラワリングは自由で、形式に囚われなくても良いではないかと言う、
思想を持っているが、今回の影響を企図してはいない。
彼の中にある正義は、唯一つの純粋な物。
「フラワリング競技者として人々を楽しませる」――それだけなのだ。
ある意味では、社会不適合者と言えるだろう。
そんな彼が活躍出来るのは、フラワリングと言う魔法競技が存在するから。
ラムナーンは人生の全てを、自らの存在価値まで、「今六傑であるラムナーン」に投じ、
娯楽魔法競技フラワリングに殉ずる覚悟なのだ。
決して口外しないが、そこには静かに狂った信念がある。
だからこそ、今六傑ラムナーンは偉大な競技者たり得る。

73 :創る名無しに見る名無し:2015/05/21(木) 19:13:31.00 ID:kbLsc4km.net
ラムナーンは前の競技者の採点が終わっても、未だ会場に姿を現さなかった。
拡声魔法のアナウンスが、会場に流れる。

 「ラムナーン選手は遅れて到着する予定です。
  皆様今暫らく、お待ち下さい」

観客席から、響(どよめ)きが起こる。
間を持たせる為に、何か出し物でも必要かと、大会運営陣が頭を悩ませていた所、約2点遅れで、
ラムナーンが金の輝きを纏って、空から舞い降りた。
予想外の登場に、沸き起こる歓声。
彼は両腕を大きく振って応える。
大会運営陣も、競技者も、観客も一安心。
再び会場が熱気に包まれる。
魔力ラジオウェーブ放送でも、実況者が安堵の息を吐く。

 「一時は、どうなる事かと思いましたが……。
  間に合って何よりです。
  歴代最高と名高い、今六傑『絢爛たるラムナーン』のパフォーマンスを御覧頂きましょう!」

ラムナーンが息を整える間も無く、会場のアナウンスも演技の開始を宣言する。

 「20番、ラムナーン・ンドナン・ブァヴィア・トラン・ル」

遅刻したのだから、この位の仕置きは当たり前。
待ったを掛けても良いのだが、ラムナーンは敢えて流れに任せた。

74 :創る名無しに見る名無し:2015/05/21(木) 19:16:23.97 ID:kbLsc4km.net
ラムナーンが軽く飛び跳ね、着地すると、金の輝きが地を伝って、会場中に拡がる。

 「あっ、えっ!?
  ここは虹玉円舞の筈……。
  プログラムにありません!
  何か意図があっての事でしょうか……?」

 「分かりません……。
  プログラムを忘れてしまったと言う事は、無いと思いますが……」

 「と、ともかく、流石はラムナーン。
  仰っけから大技で飛ばします」

 「魔力が持つか心配ですね……。
  後半魔力切れになると、全体の見栄えが大変悪くなります」

実況も解説も戸惑いを隠せない。
しかし、観客席は派手な大技に盛り上がっていた。
ラムナーンも全く気にする素振りは無い。
彼が徐に両腕を上げると、観客席から疎らに、色彩々の光球が浮かび上がる。

 「あ、ここで虹玉円舞に移る様ですね」

 「この儘プログラムに復帰するのでしょうか……?
  遅刻にプログラム軽視、審査員の心証は確実に悪くなっています。
  しかし、それは別として、パフォーマンスは天晴れの一言です。
  流石は今六傑、これだけ広範囲に――!?」

解説者は台詞の途中で息を呑んだ。
只の虹玉円舞ではない。
ラムナーンは空気を救い上げる様に、両腕を上げる動作を繰り返す。
その度に、浮かび上がる光球の数が増えて行く。

75 :創る名無しに見る名無し:2015/05/22(金) 20:38:50.64 ID:H+6AGrfT.net
通常の虹玉円舞は、魔法で作った複数の色の玉を、環状に配置して、回転させる技である。
「虹」と言うからには、赤、青、緑の最低3色が無ければならず、「玉」が大きく、数が多い程、
高得点となる。
だが、ラムナーンの技は標準的、常識的な物から、余りに掛け離れていた。
彼が出現させた光球の数は、約10万。
それは会場の観客数と粗(ほぼ)同じである。

 「こ、これを虹玉円舞と言って、良い物でしょうか!?」

興奮して声を高くする実況者とは対照的に、解説者は顔を顰めて低い声を発する。

 「不味いですね……。
  直ぐ魔力切れになりますよ」

魔力とは人体に宿る物ではなく、場に遍在する物。
よって、大量の魔力を蓄えておく事は出来ないと言うのが、一般常識だ。
魔力揺らぎや、他所からの流入、他所への流出と言った変動要因があるので、どこまでが限界と、
言い切る事は困難だが、限られた魔力と自分の力量を考え、演技に必要な配分を計算するのも、
立派なフラワリグの技術である。
何人もが同じ場所で入れ替わり演技すると言う、フラワリングの性質上、魔力状態は刻々と変化し、
自分の番が来るまで判らない。
いざ本番となって、魔力が不足した時に、プログラムを変更する事は、恥では無い。
難度を下げるのではなく、魔力を抑える意味で、プログラムに大きな支障が無い様に、
使う魔法のグレードを落とすのも、必要な判断である。
逆に、魔力が余る様なら、グレードを上げて、プログラムより高難度の技に挑戦したりもする。
それなのに、考え無しに大技を連発していては、場の魔力が尽きて、演技を続けられなってしまう。

76 :創る名無しに見る名無し:2015/05/22(金) 20:44:40.77 ID:H+6AGrfT.net
解説者の予想は概ね正しいが、ラムナーンは一向に趣向を変える素振りを見せない。
彼は10万の光球を一斉に動かす。
会場全体を無数の虹色の玉が巡る。
過去に例を見ない、最大規模の虹玉円舞。
更に、赤、青、緑、紫、黄色、水色と、色毎に纏めて、操り始める。

 「確かに、魔力の残量は心配な所ではありますが……。
  流石のラムナーン、見事なパフォーマンスです!
  何と壮大な魔法!
  流石、見事、他に言うべき言葉がありません!」

実況者が必死に盛り上げようとする横で、解説者は深刻な表情で黙り倒(こ)くる。
6色の光球は次第に、各色の巨大な光球へと統合されて行く。
その様子に、解説者の表情が、少し和らいだ。

 「フーム……巧みです!
  パフォーマンスの華美さを失わせず、使用する魔力量を調整しました」

 「どう言う事ですか?」

実況者が水を向けると、解説者は頷いて応じた。

 「質量が同程度ならば、無数の小さな物を一斉に動かすより、少数の大きな物を動かす方が、
  魔力の消費は少ないのです。
  小さな光球を集めて、1つの大きな光球にする事で、明るさが増しているので、見た目は派手に、
  しかし、実際は扱い易くなっていると言う訳ですね」

 「成る程、魔力切れの心配は無いと」

 「それは……分かりません。
  そうだと良いんですが……。
  この後のパフォーマンス次第です」

しかし、解説者の表情は、未だ晴れたと言う程ではない。
約30極後に、彼の不安は的中してしまう。

77 :創る名無しに見る名無し:2015/05/22(金) 20:48:36.41 ID:H+6AGrfT.net
演技時間も半分を過ぎた所で、ラムナーンは新たな大技を繰り出した。
6色の光球を、それぞれ巨大な鳥に変形させたのだ。
6色の鳥は何度も翻りながら、会場中を飛び回る。
解説者の表情が、再び強張ってしまう。
そればかりか、ラムナーンは巨大な鳥を無数の小鳥に変えて、丸で生きているかの様に、
自由に飛ばせた。

 「何なんでしょう……?
  私にはラムナーンの意図が全く読めません。
  どうやって最後を締め括る積もりなのか……」

魔力消費を全く考慮していないかの様なラムナーンの演技に、解説者は職務を放棄してしまった。
実況者が何とか取り繕う。

 「逆に考えてみましょう。
  大技を連発していると言う事は、ラムナーンには完遂出来る自信があるんじゃないでしょうか?
  魔力状況は豊潤と言う程ではありませんが、直ぐに枯渇する様子もありませんし」

実況者の指摘に、解説者は我に返って、冷静に考察する。

 「そう……ですね……。
  奇妙です。
  普通なら、疾うに会場の魔力は枯渇している筈ですが……。
  ラムナーンが魔力を放っている訳ではありません……。
  会場外から魔力が流入しているんでしょうか?」

もしかしたら不正ではないかと、実況者も解説者も暗に疑ったが、決して口には出さなかった。
公共放送で、当て推量で選手の名誉を傷付ける訳には行かない。

78 :創る名無しに見る名無し:2015/05/23(土) 17:48:31.17 ID:jUjilT5Q.net
ラムナーンは自由に飛ぶ無数の小鳥に、今度は隊を組ませて飛ばす。
そして、再び6羽の大きな鳥に纏めて、それを更に1羽の白い巨鳥へと変えた。
白い巨鳥は観客の頭上を掠める様に低空飛行した後、ラムナーンの元へ向かうと、垂直に上昇して、
遥か天空で花火の様に砕け散り、6色の無数の小さな光球になって、観客席全体に降り注ぐ。
通常では考えられない、大技の連発。
圧巻の演技だった。
結局、魔力が不足する事は、最後まで無かった。
フラワリングの知識がある者と、何も考えず演技を楽しんだ素人で、ラムナーンの印象は、
大きく異なる。
後者が素晴らしい演技だったと、純粋に彼を称えるのに対し、前者は一貫して不可解な顔。

 「ラムナーン、大取に相応しい、素晴らしいパフォーマンスでした!
  歓声と拍手が止みません!」

実況者は実況に終始し、素直にラムナーンを絶賛したが、解説者は釘を刺すのを忘れない。

 「演技自体は全ての出場者の中で、最高だったと思います。
  しかし、問題はプログラム軽視を、如何様に審査員が受け止めるか……ですね。
  大筋はプログラムに沿って、グレードを上げた感じですが、幾らかの小技を飛ばしています。
  フラワリングは見た目の派手さだけではなく、技巧も求められますから……。
  幾らか大味な印象は拭えません」

 「さて……採点結果は、どうなるでしょうか?
  ここまでの最高点は、ライトネスの1265点です」

 「予想は難しいですねぇ……。
  審査員の間でも、評価は大きく分かれるのではないでしょうか?」

解説者の言う通り、採点は長引き、中々結果が出ない。

79 :創る名無しに見る名無し:2015/05/23(土) 17:51:12.39 ID:jUjilT5Q.net
余りに採点時間が長いので、会場が騒めく中、演技を終えたラムナーンは舞台脇で休憩していた。
採点を待つ場所は、『審判の間<ジャッジメント・プレイス>』と呼ばれ、誰も祈る様に過ごす。
余程自信があるか、点数自体には関心を持たない者は、堂々と構えているが、そんな者は少数だ。
その少数に、ラムナーンは当て嵌まるのだが、今回は珍しく、点数が表示される掲示板を、
見詰め続けていた。
無謀な事をしたと言う、自覚はあるのだ。
付き人のアデルフが、彼に飲み物が入ったボトルを持って来る。

 「お疲れ様です。
  素晴らしいパフォーマンスでした」

 「未だ結果は出てないから」

慎重な言い回しでボトルを受け取るラムナーンに、アデルフは違和感を覚える。
普段の彼は、もっと自信に溢れて、泰然としている。
毎年、審判の間でラムナーンは、黙して結果を待ったりせず、冷静に自己評価を下し、
点数を予想して軽口を叩く。
特に、ライトネスと比較して、あれが良かった、これが悪かったと、饒舌になる。
裏を返すなら、今のラムナーンにとって、ライトネスは眼中に無いと言う事だ。

 「採点結果を発表します。
  20番、ラムナーン・ンドナン・ブァヴィア・トラン・ル――」

アナウンスが聞こえて、ラムナーンも、アデルフも、会場の誰も彼も、息を呑む。

80 :創る名無しに見る名無し:2015/05/23(土) 17:59:33.43 ID:jUjilT5Q.net
 「――1309点」

ラムナーンの得点が告げられると、会場は大いに沸いた。
ライトネスの得点を上回ったので、この瞬間に彼の優勝が決定。
例年通りではあるのだが、やはり最後の点数を発表する時は盛り上がる。

 「フラワリング・グランド・フィナーレ・チャンピオンシップの結果は、以下の様になりました。
  優勝、ラムナーン・ンドナン・ブァヴィア・トラン・ル、1309点。
  準優勝、ライトネス・サガード、1265点。
  3位、ソラム・デノ・グラマル、944点。
  各選手は舞台上の表彰台へ」

ラムナーンはアデルフにボトルを投げ渡すと、誰よりも先に表彰台に上がり、最上段で手を振る。
遅れて、ライトネス、ソラムの順に表彰台へ。
大会主催者である会長の手から直接、優勝者のラムナーンには半身程の柱状のトロフィーが、
準優勝のライトネスには両手で持つ大きな盾が、3位のソラムには片手で持てる小さな盾が、
贈呈される。
フラワリングのランキングも、この順番で上位3名が決定する。
ランキング4位も、同じくグランド・フィナーレ4位のヴェロー。
グランド・フィナーレでの成績は、それだけ大きいのだ。
大歓声に送られて、3人は表彰台から降りて、舞台裏に消えた。

81 :創る名無しに見る名無し:2015/05/24(日) 18:36:22.14 ID:nq8Ju1IL.net
各選手は舞台裏の控え室に入る。
ラムナーンはトロフィーをアデルフに預けて、激しいパフォーマンスで汗を吸った服を着替え、
疲れた体を長椅子に横倒(た)えた。
そこにラムナーンと同じ今六傑の1人である、ライトネスが訪ねて来る。

 「ライトネスさん、どうしました?」

応対に出たアデルフの問い掛けを無視して、彼女は堂々と入室し、ラムナーンの前に立った。

 「先ずは、優勝お目出度う、ラムナーン」

ラムナーンは徐に起き上がり、ファンの前では決して見せない、気怠そうな顔をするが、
ライトネスは構わず続ける。

 「やってくれたな。
  お前程の者が、奇手に走るとは思わなかった」

奇手とは心外だと、ラムナーンは顔を顰めるが、ライトネスは相当機嫌が悪い様子。

 「何故、堂々と勝負しなかった?」

 「それは『プログラム通りにしなかった』と言う意味か?」

ラムナーンが言い返すと、ライトネスは目付きを一層鋭くする。

 「お前の実力なら、プログラム通りに熟しても優勝出来た筈だ」

 「それでは面白くない」

 「……誰にとっての話だ?
  誰が面白くない?」

ライトネスは取り乱しこそしないが、静かに怒っている。
アデルフは同じ部屋に居ながら、競技者同士の話に割って入る事は憚られたので、
聞こえない振りをした。
ラムナーンとライトネスは、フラワリング競技者として、長い付き合いである。
大会後に、お互い控え室を訪ねる事は、偶にあった。

82 :創る名無しに見る名無し:2015/05/24(日) 18:39:41.72 ID:nq8Ju1IL.net
ライトネスはラムナーン程ではないが、自己中心的な人物だ。
自分の気が向いた時しか話をしたがらないし、逆に、話したいと思えば相手の都合は構わない。
因縁を付ける様な話の振り方から、彼女が不満を抱えている事は明白。
何が気に入らないのかと、ラムナーンは単刀直入に尋ねた。

 「遠回しな言い方は止してくれ。
  不満があるなら、はっきり言え」

 「では、言わせて貰おう。
  私は今回、完璧に演技する事が出来なかった。
  調子自体は良かったのだが、些細なミスが多かった。
  自己最高点にも及ばず、消化不良で苛々している」

八つ当たりではないかと、ラムナーンは辟易する。

 「それが私と何の関係があるんだ?」

彼の問いを受けて、ライトネスは至って真面目な顔で返した。

 「私が失策を犯したので、あの様な暴挙に出たのではないか?」

 「意味が解らない」

 「私を侮ったのではないか?
  そうでなければ、私を慮ったのではないか?」

彼女が不安気な顔をする物だから、ラムナーンは失笑した。

 「自意識過剰だ」

 「では、どう言う積もりで、あんな真似をした?
  遅刻して登場し、プログラムを無視……。
  知り合った頃から、お前は自由人だったが、節度は弁えていた。
  今回は度が過ぎている」

途端にラムナーンの顔から笑みが消え、神妙な面持ちに変わる。

83 :創る名無しに見る名無し:2015/05/24(日) 18:42:16.88 ID:nq8Ju1IL.net
ラムナーンは変わらない信念を口にした。

 「私はパフォーマンスを見てくれる人、皆を楽しませたいと思っている」

 「本当に、それだけなのか?」

 「……ここ数年、フラワリングのランキングは私が1位で、君が2位。
  この儘で良いのかと、疑問に思わないか?」

同意を求められたライトネスは、余りに傲慢だと眉を顰める。

 「私は何時も、お前を追い落とす積もりでいるが……。
  お前を下せない私が腑甲斐無いと、嘆いているのか?
  それとも新たな対抗者が欲しいのか?」

 「自分でも、よく解らない。
  だが、今の私はランキング1位に君臨する事に、余り価値を感じなくなってしまった。
  グランド・フィナーレで優勝しても、どこか虚しい。
  ……初めの頃は違った。
  只管に上を目指す事が、自分に出来る全てだと思っていた」

 「はぁ、勝者の余裕か?
  私には嫌味にしか聞こえないが……」

 「毎年、同じ様なパフォーマンスでは、飽きられるんじゃないだろうか?
  技を組み替えた所で、所詮は既存の物。
  何れは種が尽きて、行き詰まってしまうんじゃないか?」

ラムナーンは現状に満足せず、更に上を見ているのだ。
しかし、それは余りに強迫観念めいている。

84 :創る名無しに見る名無し:2015/05/25(月) 19:56:19.72 ID:tVMpSl3C.net
ライトネスは呆れて、大きな溜め息を吐く。

 「それでプログラムを無視したと?」

 「……いや、違うな。
  何と無く、何時も通りでは良くないと思ったんだ」

ラムナーン自身も、どうしてプログラム通りにしなかったのか、動機を明確に出来ない。
だが、ライトネスは全てを見切ったかの様に、話を締める。

 「よーく解った。
  次は私が勝つ。
  その次も、その次も。
  2度と下らない事を考えられない様にしてやる」

彼女は対抗心を剥き出しにして、そう宣言すると、アデルフに小さく「邪魔したな」と告げて、
速やかに退室した。
ラムナーンは頭を掻き、恥ずかしい話をしてしまったと、俯き加減になる。

 「今の話、本当なんですか?
  そこまでランキング1位の責任を感じて……」

アデルフに怪訝な顔で問われ、ラムナーンは決まりの悪そうな笑顔で答えた。

 「嘘じゃないけど、それが全部って訳じゃない。
  ライトネスの言う通り、長らくランキング1位で、退屈してたってのが大きいんだろうな」

それは全く他人事の様で、本気にされない為に誤魔化したのだと、アデルフは感じた。

85 :創る名無しに見る名無し:2015/05/25(月) 20:00:35.26 ID:tVMpSl3C.net
優勝インタビュー


「優勝お目出度う御座います、ラムナーンさん!
 素晴らしいパフォーマンスでした」

「有り難う」

「今回、入場が遅れましたが、何が起こったんですか?」

「会場で待っていると、緊張が移ってしまいそうで、外を散歩をしていたんだ。
 重い空気は苦手でね。
 遅れたのは、私の悪い癖で、皆を驚かせようと思って」

「そ、そうですか……。
 では、プログラムを変更した理由は?」

「予定したプログラムでは、ライトネスに勝てないと判断して――」

「勝利に拘ったと」

「――と言うのは嘘で、純粋に限界に挑戦してみたかった。
 そもそも私はプログラム通りに演技を完遂する事に、余り価値を感じていない。
 プログラムは競技としての都合上、採点を速やかに済ませる為に、組まされている。
 その日の状態で、何を披露するか位は、自分で自由に決めさせて貰いたい」

「は、はぁ……確固たる信念があっての事なんですね?」

「んー、大袈裟だなぁ。
 『どうすれば皆を楽しませる事が出来るか』を考えた結果だよ」

86 :創る名無しに見る名無し:2015/05/25(月) 20:04:17.80 ID:tVMpSl3C.net
「しかし、最初からプログラムに組み込んでいれば、1400点台、それ所か、歴代最高得点の、
 1500点台も狙えたのでは?」

「それは無理な話だ。
 自分の番が来るまで、魔力の状態も判らないのに、大技ばかりプログラムに組み込むのは、
 私から見ても無謀過ぎる」

「いやいや、ラムナーンさんは、その無謀な事を……。
 あれだけの大技の連発、魔力切れは心配していなかったんでしょうか?」

「確証や確信があった訳じゃないけど、今日は調子が良かったので。
 先も言ったけど、限界に挑戦する積もりで」

「失敗した時の事は考えなかった?」

「そうだね。
 失敗したら……その時は、その時で、後の事は考えなかった。
 でも、仮に魔力が足りなくても、無難に纏める位は出来たと思う。
 そしたら優勝はライトネスだったかな」

「余裕ですね。
 私には想像も付かない事で、敬服します」

「いやいや、そう畏まる必要は……。
 私は適当にやっているだけなので。
 今回は運が良かった。
 遅刻した私を受け入れてくれた、会場の運営の皆さんや、プログラムの変更にも対応してくれた、
 審査員の方々にも助けられた」

「お話、有り難う御座いました」

「どう致しまして」

「以上、舞台裏からの中継でした」

87 :創る名無しに見る名無し:2015/05/25(月) 20:08:48.92 ID:tVMpSl3C.net
2月22日付 ティナー市民新聞 社会面


今六傑ラムナーン 6度目お騒がせ
今度は書類送検 競技会は懲戒を検討


ティナー市都市警察は、無断で市街地を飛行したとして、2月21日にフラワリング競技者、
ラムナーン・ンドナン・ブァヴィア・トラン・ルに対し事情聴取を行い、書類送検した。
同都市警察によると、2月20日北北西時頃に中央区小南町から中央フラワリング会場まで、
約7通の距離を飛行したと、ラムナーンさん自身が同月21日南東時に自首。
真偽を確かめる為に目撃者を探した所、複数の証言を得たので、交通法違反として罰金刑を科し、
書類送検した。
魔導師会裁判に通告する予定は無いとの事。
ラムナーンさんはグランド・フィナーレ・チャンピオンシップに出場し、5度目の優勝を果たした。
魔法競技会は「競技会としても独自に調査をし、全容が判明し次第、処分が必要か含めて、
検討する」としている。
ラムナーンさんは過去にも5度、軽微な都市法違反で、訓告処分や微罪処分を受けており、
反省の意思が問われる。

88 :創る名無しに見る名無し:2015/05/25(月) 20:12:24.89 ID:tVMpSl3C.net
ジャッジメント・プレイス

キス・アンド・クライの様な洒落た名前ではない。


ラムナーンの飛行速度

直線距離で7通の所を2針未満。
自転車と同じ位(時速10〜15km程度)を想定。
ティナーの都市部は通行人や交差点が多いので、人も馬車も中々進まない。


都市法と魔法に関する法律

魔法を使った飛行自体を禁じる、魔法に関する法律は無い。
飛行は都市法によって制限され、飛行魔法を犯罪に利用したり、魔法で危険な飛行をしたり、
飛行魔法で事故を起こした場合は、魔導師会裁判に通告される。

89 :創る名無しに見る名無し:2015/05/26(火) 20:07:27.87 ID:hJXAYgLq.net
第477回全国使い魔コンテスト都市予選


第四魔法都市ティナー 中央区 中央公園にて


魔導師会内部の非公式組織「僕の会」は、使い魔と、その主達の集いである。
非公式ながら、組織としては最大規模。
僕の会が主催する「使い魔コンテスト」は、魔導師に限らず、多くの使い魔と、その主が参加する。
使い魔コンテストは、4月30日に都市予選が行われ、そこで勝ち抜くと、7月30日の地方予選に、
出場する権利を得る。
そこでも勝ち抜けば、10月30日の全国に出場出来るのだが、各予選で選ばれるのは1人と言う、
狭過ぎる門。
しかも、予選を通過する明確な基準は無い。
賞金が貰えるとは言え、そもそも余り真面目な大会ではないので、本気にならない方が良い。
使い魔や主の交流に重きを置き、参加する事に意義があるのが、使い魔コンテストなのである。

90 :創る名無しに見る名無し:2015/05/26(火) 20:09:09.50 ID:hJXAYgLq.net
この日、ティナー市中央区中央公園では、使い魔コンテスト都市予選が行われていた。
老若男女、個人、団体――家族、友人、恋人と、参加者の顔触れは様々である。
その中に、ティナー中央魔法学校中級課程に通う、2人の女子学生の姿があった。
グージフフォディクス・ガーンランドと、ベヘッティナ・ストローマットである。

 「グー、手続は済ませたよ」

ベヘッティナが声を掛けると、グージフフォディクスは尋ねる。

 「私達、何番?」

 「410番」

 「随分、後だね」

 「エントリー順だから」

不安気なグージフフォディクスとは対照的に、ベヘッティナは手慣れた様子。
グージフフォディクスが使い魔コンテストに参加したのは、ベヘッティナが誘った為だった。

91 :創る名無しに見る名無し:2015/05/26(火) 20:10:09.33 ID:hJXAYgLq.net
遡る事、1月程。
中級課程で1年を共にした、グージフフォディクスとベヘッティナは、それなりに仲良くなっていた。

 「グー、使い魔コンテストに出場してみる気、無い?」

突然の誘い掛けに、グージフフォディクスは戸惑う。

 「使い魔コンテストって……、あの?」

 「他に無いでしょう」

 「えーと、そんな予定は無いけど……」

グージフフォディクスはアドローグルと言う、蛙の使い魔を持っている。
最近は学校にもバッグに忍ばせて連れて行く。
使い魔コンテストが何なのか知らないグージフフォディクスではなかったが、彼女は自分の使い魔を、
コンテストに参加させる積もりは無かった。
使い魔が蛙と言う事に、グージフフォディクスは引け目を持っていた。
愛らしい外見ならば未だ良いのだが、アドローグルは成長するに連れて、段々厳つくなって行く。
同性の友人の殆どは、犬や猫を使い魔にしている。
グージフフォディクスの使い魔が蛙と知ると、顔を引き攣らせる者ばかり。
人目が気になる年頃なのだ。
彼女は強制参加ではない使い魔コンテストに、態々出場する積もりは無かった。

92 :創る名無しに見る名無し:2015/05/27(水) 18:26:26.84 ID:4+2E8vVf.net
所が、ベヘッティナは構わず、強く押す。

 「何で出ないの?」

 「何でって……」

 「参加するだけしてみらた良いじゃない。
  心配なら、私と一緒に出よう?」

無神経なのか、それとも敢えて言っているのか、グージフフォディクスは判断に困った。

 「一緒に?」

 「私、去年もエントリーしたんだけどさ。
  同じ芸だと相手にされないの。
  家のシーダーはハーモニカの演奏しか出来ないから」

シーダーとはベヘッティナの使い魔である、植林リスの事だ。
これぞ女子の使い魔と言う、可愛らしい動物。

 「……それで?」

 「使い魔同士で組んだら、面白いんじゃないかと思って。
  私のシーダーが演奏して、グーの蛙が歌うの。
  良いアイディアだと思わない?」

絵面を想像して、そう上手く行くのかとグージフフォディクスは懐疑的になる。

93 :創る名無しに見る名無し:2015/05/27(水) 18:41:37.72 ID:4+2E8vVf.net
彼女はベヘッティナに断りを入れた。

 「歌うって言っても、アドローグルは綺麗に歌えないよ?
  リズムを取って、グーグー鳴く事しか……。
  それも余り良い声じゃないし……。
  今まで真面に芸を仕込んだ事も無いし……」

ベヘッティナは眉を顰めて、グージフフォディクスに苦言を呈する。

 「芸を仕込んでないって、あれから何も進歩してないの?
  もっと自分の使い魔を信じて上げたら?
  グーの話を聞いてると、何だか可哀想だよ、あの『蛙ちゃん<フロッギー>』」

グージフフォディクスはベヘッティナに一度だけ、アドローグルの芸を披露した事がある。
指で机を叩くのに合わせて、グワッグワッと鳴かせると言う、芸と言うには寂しい物だったが……。
グージフフォディクスは言い返そうにも、少々後ろ目痛さがあり、無関係な反論をした。

 「『蛙ちゃん』じゃなくて、ザブトンガエルのアドローグル」

 「アドちゃん、可哀想。
  蛙が嫌いなら、何で使い魔にしたの?」

 「別に嫌いって訳じゃないけど……。
  お店の人に勧められたから……」

 「えっ、断り切れなくて買ったの?」

 「そうじゃなくて、アドローグルが私を選んだの」

使い魔は稀に自ら主人を選ぶ。
魔法的な相性の良し悪しを感じ取り、主人を認めるらしいが、詳しい事は不明だ。
仕えるべき主人を定めた使い魔は、他の主人には懐かず、只管に忠義を尽くすと言う。

94 :創る名無しに見る名無し:2015/05/27(水) 18:45:47.36 ID:4+2E8vVf.net
どんな使い魔でも、仕えるべき主人を探していると言うが、そんな運命的な出会いをする物は、
千人に一人とも、一万人に一人とも言われている。
正確な割合は判らないが、とにかく少ないのだ。
話には聞く物の、実際に見るのは初めてだと、ベヘッティナは目を丸くした。

 「『真の使い魔<ジェニュイン・サーヴァント>』!?」

 「そ、そうだよ……」

 「初めて見た!!
  普通の使い魔と、どこが違うの!?」

 「どこって……何も変わらないけど……」

「蛙に選ばれるなんて!」と、笑われると思っていたグージフフォディクスは、予想外の食い付きに、
引き気味。

 「真の使い魔は、普通の使い魔より賢いとか聞いたよ?
  芸を仕込んでないって、勿体無くない?」

 「勿体無いって言われても、させたい事なんて……」

 「だったら、丁度良いから、使い魔コンテストに出よう!」

勿体無いと言われて、そんな気がしてくるグージフフォディクスは、典型的なティナー市民だ。
金や物の損失よりも、機会の損失に重きを置く、商人気質。

95 :創る名無しに見る名無し:2015/05/28(木) 18:36:49.16 ID:0D+vG3he.net
後一押しと感じたベヘッティナは、話術でグージフフォディクスの興味を惹こうとする。

 「使い魔コンテストは、色んな人が、色んな使い魔を連れて来るの。
  蛙なんて全然珍しくないよ。
  蛇とか、虫とか、草とか使い魔にしてる人も居たし!」

 「えっ、虫は未だ解るけど……草って?」

 「植木鉢を抱えてたり、蔦を絡ませてたり。
  根を服にして着てる人も居たし」

俄かには信じられない話を聞いて、グージフフォディクスは好奇の心を擽られた。

 「本当に?」

 「本当、本当。
  尖り過ぎで、全国とか地方だと、先ず見られない様な人が、一杯居るんだから」

 「植物で、どんな芸をするの?」

手応え有りと、ベヘッティナは満足気に笑う。

 「音楽に合わせて躍らせたり、蔦を伸ばして物を取らせたり」

 「踊るんだ……」

 「踊るって言っても、少し動くだけなんだけどね。
  そんな感じで、詰まらない芸でも何でもありって訳。
  だから、一緒に出よう!」

 「わ、分かった。
  出てみる」

彼女の勢いに圧されて、グージフフォディクスは頷いた。
色々な使い魔の主と知り合えると思えば、そう悪い気はしなかった。
もしかしたら、自分と同じ蛙の使い魔を持つ人にも、会えるかも知れない。
そう言う人と話をしてみたかったし、見聞を広める意味でも、価値があると考えていた。

96 :創る名無しに見る名無し:2015/05/28(木) 18:46:33.98 ID:0D+vG3he.net
そんな訳で、グージフフォディクスとベヘッティナは、今この場に居る。
ベヘッティナの言う通り、コンテスト会場には、人も様々なら、使い魔も様々だ。
犬猫は当然の事ながら、狐、狸、鳥、鼠、トカゲ、水槽に入れられた魚まで……。
「それって使い魔?」と言いたくなる様な、普通の動物にしか見えない物もある。
グージフフォディクスは自分が蛙の使い魔を持っている事は、全く小さな事だと思い知らされた。
半ば圧倒されて、彼女は他人が連れている様々な使い魔を、呆(ほう)と眺める。
その儘、暫し立ち尽くしていると、人込みの中に、覚えのある顔を発見した。
黒いウィッチハットに黒いマントを羽織り、黒髪を長く伸ばす、黒一色の「同級生」は、
メラニー・マールレダ・ドナントレダ・ディスラース。
無口で大人しく、そして何を考えているか解らない、陰気な女子だ。
虐められている訳ではないが、付き合いが悪いので、根暗のメラニーと呼ばれている。
一見して使い魔は連れていないので、見物にでも来たのだろうかと思い、グージフフォディクスは、
彼女に話し掛けた。

 「メラニーさん!」

 「だ、誰!?」

メラニーは吃驚した様子で身を竦ませると、素早く振り返り、怯えた小動物の如く背を丸める。

 「……グージフフォディクスさん?」

 「グーで良いったら。
  同級生なんだし」

グージフフォディクスとメラニーは全く知らない間柄ではない。
しかし、メラニーの方は他人と距離を置きたがる節があり、今一つクラスに馴染めていない。
交友関係も不明だ。
学校の成績は中の下と言った所で、良くはないが、全く駄目でもない。

97 :創る名無しに見る名無し:2015/05/28(木) 18:51:18.69 ID:0D+vG3he.net
グージフフォディクスとメラニーの会話に、ベヘッティナも加わる。

 「あ、メラニー!
  貴女も使い魔コンテストに出るの?
  ――ってか、使い魔持ってたんだ?
  それとも誰かの応援?
  見に来ただけ?」

 「あ、あぅ……」

会話に不慣れなメラニーは、ベヘッティナが一遍に質問した物だから、何から答えるべきか、
分からなくなって押し黙ってしまう。
そして、恥じ入る様に、マントで顔を隠した。
ベヘッティナは目を瞬かせ、小首を傾げる。

 「何、どうしたの、メラニー?」

 「ベ、ベヘッティナさんに、お、お声を掛けて頂き、おぉ、畏れ多い事で御座います……」

 「何言ってんの?
  顔を隠す必要は無いでしょう」

 「私には眩し過ぎるのです……」

 「何が?」

 「あ、明るい貴女の存在が……」

 「冗談の積もり?
  それとも皮肉?」

不必要に謙るメラニーに、ベヘッティナは苛立った。

98 :創る名無しに見る名無し:2015/05/29(金) 19:34:33.00 ID:oLfuKtQR.net
グージフフォディクスもメラニーの反応を不審に思い、優しく注意する。

 「取り敢えず、顔を隠すのは止めようよ」

そう言ってマントに手を伸ばすと、裾の辺りから艶のある黒い甲が覗いた。
何だろうと彼女は目を凝らす。
初めは革の手甲かと思ったが、金色の無数の脚が見えたので、直ぐに違うと判った。
正体は頭が大人の拳程もある、大百足だ。

 「ヒィッ!?」

グージフフォディクスは息を詰まらせて、小さく悲鳴を上げ、距離を取る。

 「グー?」

 「……だ、大丈夫、少し吃驚しただけ」

ベヘッティナが心配そうに声を掛けたので、彼女は取り繕った。
だが、鼓動は激しい儘だ。
今のが見間違いではなかったか、いや、見間違いである様に、グージフフォディクスは願った。

 「あっ、グー!
  アドちゃんが……」

硬直していた彼女は、ベヘッティナに指摘され、アドローグルが鞄から顔を出している事に気付く。
アドローグルはメラニーを睨み、喉を膨らませて、低く恐ろし気な声で、「グルル」と唸った。

99 :創る名無しに見る名無し:2015/05/29(金) 19:37:14.23 ID:oLfuKtQR.net
アドローグルは主人の恐れを感じ取って、メラニーを敵視しているのだ。
重く響く「グルル」と言う鳴き声は、威嚇である。
グージフフォディクスは慌てて、アドローグルの頭を撫で、宥める。

 「何でも無いよ、何でも無い、何でも無い」

それでもアドローグルは顔を引っ込めない。
異様さを感じ取り、ベヘッティナもメラニーを睨む。

 「メラニー、何を隠しているの?」

 「駄目、出て来ないで!
  2人共、見ないで!」

メラニーは顔を隠した儘で、切羽詰まった声を出す。
彼女のマントから、巨大な百足が姿を現す。
肩口からは巨大な蜘蛛も。
百足は頭の大きさから推測するに、全長が1身はある。
蜘蛛も脚を除いた大きさで、人の頭位はある。
余りに巨大なので、グージフフォディクスは失神しそうだった。
ベヘッティナも息を呑む。

 「貴女……、虫の使い魔を持っているのね」

所が、彼女の口から出たのは、意外に冷静な台詞。

 「使い魔?」

グージフフォディクスは脱力した。
化け物染みた大きさの百足と蜘蛛は、メラニーの使い魔なのだ。

100 :創る名無しに見る名無し:2015/05/29(金) 19:47:03.05 ID:oLfuKtQR.net
メラニーは相変わらず顔を隠した儘で、2人に謝罪する。

 「ご、御免なさい……。
  驚かせてしまって……」

大百足で大蜘蛛は、再びメラニーのマントの中に引っ込んで行く。
グージフフォディクスは彼女を心配して尋ねた。

 「メラニー、大丈夫なの?」

 「な、何の話でしょう……?」

 「いや、百足とか蜘蛛とか……」

 「わ、私は平気です……。
  いえ、あの、本当は虫、駄目なんですけど、こ、この子達なら平気です。
  ほ、ほら……こんなに可愛い……」

メラニーは顔を隠すのを止めて、俯き加減で、百足の頭と蜘蛛の脚を撫でる。

 (可愛い……かなぁ?)

全く可愛くは見えないのだが、グージフフォディクスは突っ込みを堪えた。
メラニーにはメラニーの好みがあるのだ。
個人の趣味に一々何を言っても仕方が無い。
グージフフォディクスだって、蛙の使い魔を持っているし、それなりに愛着もあって、
可愛い――とまでは行かないが、愛嬌があると思っている。
ベヘッティナはメラニーに問う。

 「その子達、真の使い魔だったりする?」

 「い、いいえ……。
  私達、お互いに未だ小さかった頃から、一緒に居るだけです……。
  しょ、紹介しますね。
  こっちがキンアシシッコクオロチムカデのペタ。
  こっちがトビイロトビトガリグモのグーグラ。
  どっちも女の子……です」

メラニーは百足と蜘蛛を、それぞれ左右の肩口に乗せて、2人に見せ付けた。

101 :創る名無しに見る名無し:2015/05/30(土) 17:51:24.36 ID:kGvt8w6x.net
決して虫が好きな訳ではないが、怖い物見たさで、グージフフォディクスは2匹を凝視する。
グーグラは犬猫の様に、全身が房々の毛で覆われている。
やたらと毛並みが良い。
眼と脚が多い所に目を瞑れば、可愛く見える……かも知れない。
彼女はグージフフォディクスとベヘッティナを見詰めながら、長い脚を一本一本丁寧に咥えて、
掃除している。
ペタは蟹や蠍の様な、硬い甲に覆われており、巨大な牙が剥き出しになっている。
触角も太く、悪魔の様な貌付き。
やたらと甲の艶が良い。
だが、触角の後ろに隠れた眼は円らで、意外と可愛い。
但、その他の部分が余りに凶悪過ぎる。
波打つ様に動く金縁の脚、背面とは逆に生白い腹、全てが生理的嫌悪感を催す。
蜘蛛は慣れるかも知れないが、百足は駄目だと、グージフフォディクスは感じた。
彼女は恐る恐る、メラニーに質問する。

 「噛まれたりしない?」

 「私は慣れていますから……。
  でも、他の人は触らない方が良いと思います」

メラニーは一貫して、目を会わせないし、そうしようと言う素振りも見せない。
グージフフォディクスもベヘッティナも呆れたが、顔を隠された儘よりは良いと思って、
何も言わなかった。

102 :創る名無しに見る名無し:2015/05/30(土) 17:55:17.91 ID:kGvt8w6x.net
メラニーが使い魔を紹介したので、それに倣い、ベヘッティナも自分の使い魔を紹介する。

 「私の使い魔、ショクリンリスのシーダー」

 「は、はい……。
  よく存じております……」

メラニーは自分の中で階級を作っているらしく、ベヘッティナに対しては異様に卑屈だ。
ベヘッティナは気を悪くしたが、突っ掛かるのも大人気無いと、受け流す。
グージフフォディクスもベヘッティナに続いて、使い魔を紹介する為に、鞄を前に差し出した。

 「私の使い魔は蛙。
  ザブトンガエルのアドローグル」

それを聞いて、メラニーは数歩後退り、身構えた。
百足や蜘蛛よりは増しだと思っていたグージフフォディクスは、メラニーの行動に少し傷付く。

 「え、えーと……蛙は嫌い?」

 「ああ、ああああ、ち、違うんです!
  確かに、蛙は余り好きではないんですけど……!
  そうじゃなくて……危ないんです!
  大きな蛙は、この子達の天敵なので!」

グージフフォディクスとしては、逆にアドローグルの方が食われるのではと思ったのだが、
ザブトンガエルは成体になれば、人が乗れる程と言うから、それを恐れているのではと考えた。

 「大丈夫、未だ大きくないし。
  この子は私の言う事を、確り聞いてくれるから」

彼女はメラニーを安心させようとするも、ベヘッティナが横槍を入れる。

 「シーダーは1回食べられたけどね」

安堵し掛かっていたメラニーは、瞬く間に顔を強張らせた。
俯き加減の所為で、泣きそうにも見える。

103 :創る名無しに見る名無し:2015/05/30(土) 18:03:18.49 ID:kGvt8w6x.net
グージフフォディクスは焦りを露に言い訳する。

 「未だ根に持ってるの!?
  あの時は悪かったと思うけど、アドローグルは賢いから、もうしないって!」

彼女の慌て振りに、ベヘッティナは忍び笑い、話題を転換した。

 「私達はコンテストに参加しに来たんだけど、メラニーは?」

改めて問われたメラニーは、恥ずかしそうに答える。

 「わ、私達もコンテストに……」

 「その子達と?」

 「は、はい……」

 「そう、じゃあ、頑張ってね」

 「は、はい、ど、どうも……。
  え、えっと、で、では、これで私達は、失礼します……」

メラニーは深く礼をすると、立ち去ってしまった。
ベヘッティナは真面目な顔で呟く。

 「使い魔の出来次第では、メラニー、優勝するかもね」

 「な、何で?」

 「ティナーの使い魔コンテストはインパクト重視だから。
  珍しい使い魔ってだけで有利なの。
  2匹が真面に芸を披露出来たら、行けると思うよ」

好い加減な判定基準だなと、グージフフォディクスは腑に落ちない気持ちになる。
だが、優勝する積もりは最初から無かったので、恨みに思う程ではなかった。

104 :創る名無しに見る名無し:2015/05/31(日) 18:35:49.93 ID:S1EzqLGB.net
それからグージフフォディクスとベヘッティナは、自分達の出番が近付くまで、コンテストを見物した。
出場する使い魔の多くは犬猫、次いで鳥や鼠で、やはり他の物は少数派だ。
全体の半分は、主の言う事を聞かず、真面に芸もしない。
一方で、確り芸を熟す物もあり、正に玉石混交。
こんなに適当で良いのかと、初出場のグージフフォディクスは、安堵を通り越して、憮然とする。
自分達が披露する芸も、余り大した物ではないのだが、幾ら何でも不真面目過ぎないかと思うのだ。
奔放にステージを駆け回るだけで終わった、ある魔犬の使い魔の、芸と言えるかも怪しい行動に、
グージフフォディクスは眉を顰めて、ベヘッティナに尋ねる。

 「ベッティー、コンテストで見せる芸って、あんなのでも良いの?」

 「虐待でもなければ、何をさせるかは主人の自由だし。
  使い魔が、その通りに動いてくれるとは限らないし」

 「それにしても……」

 「真面目に考え過ぎだって。
  コンテストって言っても、お遊びなのよ、お遊び」

 「お遊び?」

 「そう、お遊び。
  優勝だけが目的じゃないんだから。
  どっちかって言うと、自慢の使い魔の、お披露目が主なの」

ベヘッティナは「詰まらない芸でも何でもあり」と以前に言っていたのだが、本当に何でもありなのかと、
グージフフォディクスは今更ながらに驚くやら呆れるやら。

105 :創る名無しに見る名無し:2015/05/31(日) 18:37:46.49 ID:S1EzqLGB.net
400番の参加者が芸を披露し終えた所で、グージフフォディクスとベヘッティナは舞台裏へ向かう。
他人の芸をとやかく言うからには、自分達の芸が疎かではならない。
芸をするのは自分ではないので、緊張する必要は無いが、グージフフォディクスはアドローグルを、
鞄から出してやり、目と目を合わせて言い付けた。

 「良い?
  シーダーの演奏に合わせて鳴くのよ。
  私がリードして上げるから」

アドローグルは「グワー」と気の抜けた鳴き声で返事をする。
心配になって来たグージフフォディクスは、ベヘッティナに言った。

 「最後の確認、お願い出来る?」

 「良いよー」

ベヘッティナはシーダーにハーモニカを吹かせる。
ドレミパタツィドの音階に合わせて、アドローグルも綺麗に鳴いた。
D、G、R、Y、M、F、P、S、T、L、Z、C。
12の音階全てに、アドローグルは声の高さを合わせられる。
これは1月の特訓の成果である。
グージフフォディクスもベヘッティナも、当初アドローグルに過度な期待はしていなかった。
ベヘッティナとしては、シーダーの演奏の合間に、アドローグルが適当に合いの手を入れる位で、
丁度良いと考えていた。
しかし、アドローグルはグージフフォディクスの指示の下、脅威の学習能力を発揮し、
少ない鳴き声を高低で調節して、器用に12音に対応する事に成功したのだ。

 「大丈夫みたいだね。
  本当に凄いよ、アドちゃん」

ベヘッティナに褒められたアドローグルは、少し嬉しそうに小声で「クワー」と鳴いた。

106 :創る名無しに見る名無し:2015/05/31(日) 18:45:54.66 ID:S1EzqLGB.net
409番が芸を終えると、ベヘッティナとグージフフォディクスは係員に案内され、ステージに上がる。
司会者がメモを片手に、2人と使い魔の名を読み上げる。

 「410番、ベヘッティナ・ストローマットさんと、その使い魔、ショクリンリスのシーダー!
  そして、グージフフォディクスさんと、その使い魔、蛙のアドローグルです!」

会場から拍手が起こる中、ベヘッティナは堂々と、グージフフォディクスは気恥ずかしそうに、
ステージ中央へ移動した。

 「それでは、早速披露して頂きましょう。
  シーダーとアドローグルの『六都の歌』!」

司会者は2人を残して、ステージ脇に退く。
ベヘッティナはシーダーを肩に乗せ、グージフフォディクスはアドローグルを床に置いた。
シーダーがハーモニカで演奏するのは「六都の歌」。
6つの魔法都市の風景を歌にした、誰もが知っている簡単な音楽だ。

 一はグラマー 白沙の町
 乾いた風が 砂運ぶ
 昼は暑しも 夜寒し
 かはたれ時に サボテンの 影伸びる…
 グラマー人は マントをはおる

 二はブリンガー 草原の町
 豊かな土に 清き水
 良し春祭り 秋祭り
 恵みを受けて 野ら人ら のどかなり…
 ブリンガー人は 大きく伸びる

――と言った調子で、6番まである。
基本的には同じ曲を6回演奏するのだが、歌詞を意識すると所々リズムが変わる為に、
そこを上手く乗り切らなければならない。

107 :創る名無しに見る名無し:2015/06/01(月) 19:54:13.29 ID:Z+zpJkfN.net
グージフフォディクスとベヘッティナは使い魔から距離を置いて、テレパシーでの指示に専念する。
一緒に歌う事も出来るのだが、使い魔コンテストで主が使い魔より目立っては意味が無い。
稀に、使い魔より注目されてしまう困った主人も現れるのだが、当然ながらコンテストでは、
何一つ有利にはならない。
寧ろ、使い魔の評価が相対的に下がってしまう。
グージフフォディクスとベヘッティナは、それぞれの使い魔と同時に、お互いもテレパシーを送り合う。
使い魔同士は主人を通して、間接的に結び付いている。

 三はエグゼラ 雪花の町
 厚い氷が 地を覆う
 いのち鎮まり 音も無し
 凍てつくばかり 極寒の 恐ろしき…
 エグゼラ人は 毛皮をまとう

 四はテイナー 人波の町
 六都の民が 集い来て
 夢咲く処 華々し
 都落ちても 栄えの日々 懐かしみ…
 テイナー人は 時間を惜しむ

シーダーもアドローグルも、今の所はノーミスである。
ベヘッティナとグージフフォディクスは、テレパシーで音を取り合いながら、2匹を導く。

108 :創る名無しに見る名無し:2015/06/01(月) 19:56:32.93 ID:Z+zpJkfN.net
テレパシーが直接使い魔にも伝わるので、ベヘッティナもグージフフォディクスも気が抜けない。
主がリズムや音程を外したら、使い魔も釣られてしまうのだ。

 五はボルガ 山間の町
 一都一王 群雄の
 歴史が残る 古都古城
 過去を重ねて 脈々と 伝え継ぎ…
 ボルガ人は 未来を紡ぐ

 六はカターナ 海沿いの町
 水平線と 青い空
 地に緑々と 木々繁る 
 昨日は昨日 日と共に 明け暮れて…
 カターナ人は 自然に生きる

6番が終わると、温かい拍手が起こる。
ベヘッティナとグージフフォディクスは、笑顔で自分達の使い魔を回収した。
司会者がベヘッティナとグージフフォディクスに駆け寄って、集音機を向ける。

 「異色のデュオ、素晴らしい芸でした!」

 「有り難う御座います」

応じたのはベヘッティナ。
随分と慣れた様子で、グージフフォディクスは彼女の社交的な部分に、改めて感服する。

 「ベヘッティナさんは、去年も参加して下さったそうで」

 「はい、その時は残念だったんですけど、今回は再挑戦と言う事で、学校の友達と一緒に」

 「お友達は、初めての参加で、どうでしたか?」

急に司会者に話を振られて、グージフフォディクスは戸惑った。

109 :創る名無しに見る名無し:2015/06/01(月) 19:59:53.61 ID:Z+zpJkfN.net
 「ど、どうって……、緊張しました。
  あっ、芸をするのは使い魔なんですけどね、フフフ」

上がってしまい、独り呆け突っ込みする彼女だったが、司会者は軽く流す。

 「有り難う御座いました!
  410番、ベヘッティナ・ストローマットさんと、シーダー、そしてグージフフォディクスさんと、
  アドローグルでした!」

後が閊えているのだ。
司会者はステージの袖を差して、2人に退場を促す。
ベヘッティナもグージフフォディクスも、流れの儘に従った。
舞台裏で、ベヘッティナはグージフフォディクスに簡素な感想を伝える。

 「優勝は難しいと思うけど、まあまあ良かったんじゃない?」

 「そ、そうなの?
  よく分かんないけど……。
  取り敢えず、失敗しなくて安心してる」

アドローグルの入った鞄を両手で抱え、大きな息を吐くグージフフォディクス。
そこに係員が声を掛ける。

 「お疲れ様でした。
  最後に表彰式があるので、閉会まで残って貰えませんか?」

これから芸を披露する者が、未だ多く残っているのに、もう表彰式の話をするのかと、
グージフフォディクスは目を瞬かせる。

110 :創る名無しに見る名無し:2015/06/02(火) 19:48:00.99 ID:T2DvpYuL.net
係員の依頼に、グージフフォディクスが答えるより早く、ベヘッティナが応じる。

 「分かりました」

 「有り難う御座います。
  それでは、どうか閉会まで御緩くり」

係員は丁寧に感謝の言葉を述べて、去って行った。
ベヘッティナはグージフフォディクスに尋ねた。

 「表彰式、私1人で出ても良いけど、グーは先に帰る?」

 「表彰って……?」

今一つ事情が理解出来ず、グージフフォディクスは尋ね返す。
ベヘッティナは面倒な顔をせず、親切に教える。

 「使い魔コンテストには、優勝以外にも、優秀賞や努力賞があるの。
  正確には、優勝候補に、優秀賞や努力賞を上げるのね。
  優勝は最後まで判らないけど、コンテストは長いから、最初の方の参加者は閉会を待てなくて、
  帰っちゃうかも知れないでしょう?
  だから、予め候補者には『入賞』を伝えておくの。
  それ以外の人は、参加賞を貰って、後は自由」

 「私達、優勝出来るかもって事?」

期待を込めたグージフフォディクスの問いに、ベヘッティナは苦笑した。

 「可能性は0じゃないけど、優勝は先ず無理。
  結構多くの人が入賞するから、その中の一組ってだけ」

客観的で冷静な評価に、グージフフォディクスは唯々感心する他に無かった。
多くの経験があると言う事は、それだけで尊敬に値するのだ。

111 :創る名無しに見る名無し:2015/06/02(火) 19:58:01.48 ID:T2DvpYuL.net
グージフフォディクスはベヘッティナと共に閉会まで残り、表彰式に参加する事にした。
最終の481番が芸を披露し終えると、いよいよ表彰式に入る。
優勝は意外な事に、メラニーのペタとグーグラだった。
グージフフォディクスとベヘッティナは、彼女達の出番を見損なったので、どんな芸を披露したのか、
気になって少し惜しがった。
メラニーは照れから顔を赤くし、例の俯き加減で、係員から賞状と盾と、賞品が入った箱を受け取る。
同時に、彼女は地方予選への出場権を得た。
優秀賞と努力賞は、該当者が多いので、代表して1組が選ばれる。
グージフフォディクスとベヘッティナは努力賞だったが、代表には選ばれず、他人が表彰されるのを、
見ているだけ。
それでも2人共、初めての入賞だったので、新鮮な気持ちで表彰式が終わるのを待った。
表彰式が終わると、2人に努力賞のバッジと賞品が入った封筒が渡される。
努力賞の賞品は、1万TG分の商品券。
参加賞が500TG分の商品券なので、合計1万と500TG。
TGはティナー地方のみで使える、地域単位通貨である。
初参加で努力賞と言う望外の結果に、グージフフォディクスは概ね満足だった。
一方で、ベヘッティナの心中や如何にと気になった彼女は、閉会後それと無く話し掛けた。

 「ベッティー、努力賞だってさ」

 「良かったね、グー。
  アドちゃんに感謝しないと」

ベヘッティナはグージフフォディクスを祝福したが、どうも他人事の様。

 「『私達の』成果だよ」

努力賞では不満なのかと、グージフフォディクスは内心で疑った。
実は優勝を狙っていたのか、それとも努力賞に価値を感じていないのか?

112 :創る名無しに見る名無し:2015/06/02(火) 20:01:03.79 ID:T2DvpYuL.net
少し位は喜んでも良いのにと、面にこそ出さないが、彼女は不服に思う。

 「……嬉しくないの?」

 「グーは?」

 「んーー……よく分かんない。
  嬉しくないって事は無いけど、努力賞って、喜んで良いの?」

 「何も無いよりは良いと思うわ。
  私は去年、入賞出来なかったし」

 「……いや、私の事は別に良いんだよ。
  ベッティーの事だよ。
  嬉しくないの?」

グージフフォディクスは真っ直ぐな瞳で、ベヘッティナを見詰めた。
ベヘッティナは飄々と答える。

 「私は去年、入賞出来なかったの」

 「それは聞いたよ」

 「……今年入賞出来たのは、何でだと思う?」

 「えっ……」

グージフフォディクスは言葉に詰まった。
ベヘッティナはグージフフォディクスを誘う際、「同じ芸だと相手にされない」と言った。
だから、彼女はグージフフォディクスを誘った。

 「まあ、そう言う訳だから。
  商品券は全部グーに上げるわ」

詰まり、自分の成果ではないと、ベヘッティナは言いたいのだ。

113 :創る名無しに見る名無し:2015/06/02(火) 20:05:51.91 ID:T2DvpYuL.net
話は途中ですが、訂正です。


気になって1スレ目を見返してみたら、使い魔コンテスト参加は「魔導師限定」とか書いてありました。
4年越しに見付かる直したい設定。
それでは余りに閉鎖的なので、「僕の会」に届け出ているなら、誰でも参加可能にした方が、
良いと思います。
相性の良い使い魔を手に入れるには、伝手が必要になりますし、使い魔に芸を仕込むには、
専門知識があった方が有利なので、都市予選は未だしも、地方予選や全国になると、
魔導師の内輪の集いと言う印象が拭えませんが……。
「僕の会」は使い魔を持つ魔導師達の集まりであると同時に、魔法道具協会と共に、
全国の使い魔を管理する役目を負っています。
しかし、魔導師会内の最大の「非公式組織」に変わり無く、重要な職責を担う一部の人員以外は、
基本的にボランティアです。
使い魔を飼う時は、必ず僕の会に届け出ましょう。
使い魔の一時預かりや葬儀と言った、幾つかのサポートを割安で受ける事が可能になります。
但し、登録には使い魔1匹に就き、毎年100MGが必要です。
それにしても4年か……。
全国コンテストは魔導師会本部で開催と言う設定も発見して驚いています。
忘れている物ですね。

114 :創る名無しに見る名無し:2015/06/02(火) 23:09:48.07 ID:bn92tYsa.net
それほど長く連載してらっしゃるからね
すごい

115 :創る名無しに見る名無し:2015/06/03(水) 10:39:27.23 ID:N50CqoAe.net
だいじょうぶ
年を取ると、1年前に作ったキャラの口調ですら記憶から消え去ってるから……

116 :創る名無しに見る名無し:2015/06/03(水) 20:28:15.07 ID:D6tR0Bio.net
初期の設定は怪しい所が多いので、何とかしたいと常々考えています。
矛盾が出ない様に出来れば良いのですが、こうした不都合な設定の改変が必要になるのも、
1スレ目から想定していた事なので、御容赦下さい。

117 :創る名無しに見る名無し:2015/06/03(水) 20:30:20.18 ID:D6tR0Bio.net
グージフフォディクスは慌てて言い繕う。

 「そんな事は無いよ!
  シーダーの演奏が無いと、アドローグルは歌えなかったし!
  2人で取った賞なんだから――」

だが、ベヘッティナは冷静だ。

 「どうかなー?
  アドちゃん単独でも、努力賞は行けたと思うよ。
  もう少し、確り訓練させて上げてればねー」

拗ねている様子でも、面白くなさそうな様子でも無い。
グージフフォディクスは彼女の内心を測り兼ね、困り顔で尋ねた。

 「どうして私をコンテストに誘ったの?
  入賞するのが目的じゃないの?」

ベヘッティナは遠い目をして、小さく溜め息を吐く。

 「去年の時点で、シーダーの限界は見えていたのよ。
  リスの使い魔に音楽をやらせるのは、在り来たりって言うか……。
  でも、シーダーに演奏を仕込んだのは、コンテストの為って訳じゃないから」

 「だったら尚の事、何で――」

 「あ、メラニー!
  優勝、お目出度う!」

自分を誘った理由を、グージフフォディクスが追求しようとした所、ベヘッティナは態と無視する様に、
側を通り掛かったメラニーに声を掛けた。

118 :創る名無しに見る名無し:2015/06/03(水) 20:34:09.31 ID:D6tR0Bio.net
不意を突かれたメラニーは吃驚して、小さな声を上げ、身を竦める。

 「わぁっ!?
  あ、あああ、有り難う御座います……」

彼女の使い魔のペタとグーグラが、何事かとマントから顔を覗かせたが、ベヘッティナは動じず、
話を続ける。

 「地方予選、出るの?」

 「え、ええ、はい……」

やはりメラニーはベヘッティナと目を合わせず、俯き加減で答えた。

 「地方予選は甘くないわよ。
  芸に更なる磨きを掛けておく事ね」

謎の上から目線の激励に、メラニーは畏まるばかり。

 「き、肝に銘じます……。
  御忠告、痛み入ります……。
  え……と、では、私、失礼しますね」

彼女はベヘッティナが苦手な様で、足早に退散した。
グージフフォディクスは先の話を一旦置いて、ベヘッティナに注意を促す。

 「そんな高飛車な言い方しなくても……」

 「事実よ。
  下手物が受けるのは、都市予選まで。
  強豪が勝ち上がって来る、地方予選では通じないわ」

 「下手物って……」

他人の使い魔に対して、それは余りではないかと、グージフフォディクスは眉を顰めるも、
ベヘッティナは構わない。

 「地方予選は毎年、少数の『普通の使い魔』と、多数の下手物が上がって来るの。
  最後に勝ち残るのは、大体普通の使い魔。
  下手物が全国まで行けた例は少ないわ。
  変な話よね」

「変な話」と言うのは、個性重視を謳うティナー地方が、最後には普通の使い魔を選出する、
不一致振りを指している。
全国使い魔コンテストでは、他地方が「下手物」を選出する割合が高い。

119 :創る名無しに見る名無し:2015/06/03(水) 20:39:34.05 ID:D6tR0Bio.net
グージフフォディクスは物知りなベヘッティナに、舌を巻くばかりだった。
彼女が呆けていると、ベヘッティナは流し目で言う。

 「グーもメラニーを見習ったら?」

 「な、何を?」

唐突にメラニーを引き合いに出され、グージフフォディクスは目を白黒させる。

 「使い魔の事」

 「……見習う?」

 「使い魔コンテストは、芸を披露するだけの場所じゃないの。
  マイナーな使い魔を持つ人にとっては、自分の使い魔を認めさせる場でもある」

ベヘッティナが何を良いたいか、グージフフォディクスには今一つ解らなかった。
察しの悪い彼女に、ベヘッティナは小さく息を吐く。

 「どうして、アドちゃんを隠したがるの?
  何時もバッグに閉じ込めて」

 「……だって、学校には蛙が苦手な人、多いし……」

同級生は男子も含めて、大半が大きな蛙を気味悪がる。
多数に配慮するのは当然だが、それがベヘッティナは気に入らない様だった。

 「真の使い魔で、都市予選とは言え、使い魔コンテスト努力賞。
  それでも、未だ自慢出来ない?
  優秀賞じゃないと、駄目かしら」

 「別に自慢する積もりは……。
  えっ、もしかして、その為に私をコンテストに……?」

ベヘッティナの深謀に、グージフフォディクスは後に続ける言葉を失った。
そんな彼女を見て、ベヘッティナは伏し目になり、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う。

 「そう思いたいなら、思っていれば?」

 「思いたいならって……ベッティー!」

早足になって、会場を後にするベヘッティナを、グージフフォディクスは追い掛ける。
使い魔コンテストに懸ける想いは人それぞれだ。

120 :創る名無しに見る名無し:2015/06/04(木) 19:51:00.66 ID:HSVaoB+Z.net
酔生夢死


ボルガ地方タイファン市の酒場にて


旅商の男ラビゾーは、暇があると酒場に立ち寄る癖を持つ。
しかし、然程酒が好きと言う訳ではないし、酒処特有の賑わいを好む訳でもない。
彼が好むのは、寂れた静かな酒場。
人の少ない潰れ掛けの所で、軽い酒を吝嗇に飲む。
偶に、外見に反して繁盛している所があり、間違えて入った時は、隅の方で小さくなっている。
決して深酔いはしない――積もりだが、その日の気分によっては、過ごしてしまう事もある。
特に、未だ各地を旅し始めたばかりの頃は、加減が判らず、よく目を回していた。
一人旅で酔い潰れるのは、危険である。
気付いたら、財布から金を抜かれている事も、珍しくは無い。

121 :創る名無しに見る名無し:2015/06/04(木) 19:55:44.27 ID:HSVaoB+Z.net
それはラビゾーが旅商として、初めてボルガ地方を訪れた時の事。
宿に荷物を預け、幾らかの紙幣だけを持って、タイファン市の街を散策していると、
目立たない街角に、感じの良い酒場を発見した。
「イーイージャ」と黒墨で書かれた、半分朽ちている看板が、彼の心を捉えた。
入店してみると、思った通りの、薄暗い店内。
客が全く居ないだけでなく、厨房にも店員の姿が無い。

 「済みません」

ラビゾーが呼び掛けると、奥から緩慢な所作で、初老の男が出て来る。
どうやら彼が店主の様だ。

 「やってますか?」

 「はい。
  御注文は?」

嗄れ声の店主に問われて、初めてラビゾーはメニューを探す。
初めて入る店で、勝手が分からないのだ。
頻りに周囲を窺う彼を見て、店主は聡く察し、品書き札の掛けてある壁を指した。

 「そこ」

 「あ、どうも……」

店主の指示に、ラビゾーは小さく頭を下げ、暫し品書き札と睨み合う。

122 :創る名無しに見る名無し:2015/06/04(木) 19:58:37.42 ID:HSVaoB+Z.net
中々ラビゾーが決断しないので、その間、店主は口寂しさに火の無い煙管を銜え、吸う真似をして、
格好付けながら、世間話を始める。

 「お客さん、飲み屋は初めて?」

 「あ、いえ、この地方では……」

 「ああ、余所の人。
  どこから?」

どこからと問われ、ラビゾーは困り顔になった。
一応の出身地はティナーだが、余り実感が無い。

 「……生まれはティナーで、今は旅商をしています」

 「へー、行商さん。
  この辺で何か取引を?」

 「いや、立ち寄っただけで、特に用事とか予定は無いです」

 「……所で、品書きが読めないとか?」

 「あ、はい、恥ずかしながら……」

店主に指摘されて、ラビゾーは苦笑いしながら応える。
各地方には独特の名称がある物だが、それ以前に、品書き札に書かれている文字は、
かなり崩れていて、読み取れない。

123 :創る名無しに見る名無し:2015/06/05(金) 19:11:48.40 ID:zLwIjmva.net
店主は深い溜め息を吐いた。

 「こう言うのは、時代遅れなんかのぉ……」

品書き札の文字は、現在使われている物と同一だが、古い書体である。
この書体は伝統を感じさせる。
数十年前まで、ボルガ地方では独特の古い書体を使う事が流行していた。
手軽に老舗の雰囲気を演出する、よくある手段だったのだ。
そうした流行は何もボルガ地方に限った事ではないが、ボルガ地方は伝統を売りしにているだけに、
他地方よりも広い分野で、長く流行が続いた。
しかし、時代が進むと、他地方の新しい流行に押され、堅苦しいイメージが敬遠された事もあり、
特に若者の間で馴染みが薄れ、徐々に廃れて行った。
この酒場は一代店で、特に伝統とは関係が無く、店主の趣味で斯様な装いになったのであり、
昔を懐かしむ人で何と無く保っている物の、客足は遠退く一方。
後継者も不在で、衰えるのが必然ではある。
勿論、そんな事情は赤の他人のラビゾーの知る所ではない。
唐突な呟きに、ラビゾーが当惑していると、店主は気弱に零し出す。

 「お客さん、行商なら色んな飲み屋を知っとるでしょう?
  昔ながらの店っちゅうのは、やはり流行らん物かのぉ……」

そう聞かれても、ラビゾーは偶に酒場に入る位で、そんなに多くの店を知っている訳ではない。

 「そ、そんな事は無いと思いますけど……」

 「そうやんなぁ……。
  『昔ながら』に甘えて、営業努力をせなんだら、寂れるんも仕方無しやな……」

店主の中では既に結論が出ているらしく、ラビゾーの返事とは噛み合わない言葉が続く。
嫌な予感にラビゾーが眉を顰めていると、彼が予想した通りの展開になって行った。

 「時に行商さんや、繁盛する店の条件、知っとらんけ?」

どうも店主はラビゾーを商売人として過大評価している様子。
見込み違いも良い所だが、ラビゾーは真面目に考え込む。

 「……取り敢えず、メニューは読み易い方が良いと思います」

 「ああ、そらぁ確かに、仰る通りで」

 「店内が暗いのも……」

 「フーム、明るさのぉ……」

 「他は立地とか、宣伝とか?」

 「宣伝は未だしも、店は動かせんじ……」

ラビゾーは尤もらしい助言をしながら、余り本気にされても困ると、兢々としていた。

124 :創る名無しに見る名無し:2015/06/05(金) 19:24:19.33 ID:zLwIjmva.net
注文するのも忘れて、彼は店主の話に付き合う。

 「でも、何だ彼んだ言っても、やっぱり大事なのは味の方ですよね」

 「酒も肴も味は悪くない積もりなんやけど……。
  今時の者の舌には合わんのかのぉ……」

 「いや、僕は未だ飲んでないので、何とも言えませんけど……」

店主は慌てて取り繕った。

 「おっと、済まんね。
  注文は?」

 「あの……ですから、メニューが……」

 「あぁ、そうやった。
  普通の飲み屋にある物は、大抵あるから、適当に注文してくれや」

 「ライト・カクテルあります?」

ラビゾーが尋ねると、店主は顔を顰める。

 「んな洒落た物は無いじ」

 「……何があるんです?」

 「清酒とか甜酒とか麦酒とか。
  家には酒と肴しか無いから」

 「そうですか……。
  度の低い軽い酒はありますか?」

ラビゾーは少し残念な顔をして、改めて尋ねた。

125 :創る名無しに見る名無し:2015/06/05(金) 19:34:11.99 ID:zLwIjmva.net
店主は余り思案せず、直感的に彼に合った酒を勧める。

 「んなら、甜酒で。
  肴は?」

 「揚げ物を」

 「あいよー」

ラビゾーの注文を受けて、店主は厨房に引っ込んだ。
そして、直ぐに2本の瓶と湯呑みを持って来る。

 「こっちが酒で、こっちが水。
  匂いで判るじ。
  適当に割って飲んで。
  揚げ物は少し待ってくたい」

 「はい」

店主は酒を先に置くと、再び厨房に入った。
ラビゾーは言われた通り、甜酒の濃さを確かめながら、割って飲む。

 (これは良いな。
  飲み易い)

この酒は弱くて甘いので、酔い難く、喉に優しい。
未知の味わいの小発見に、ラビゾーは機嫌を良くした。
揚げ物が出来るまで、薄めに薄めて吝嗇に飲む。

 「はい、お待ち遠」

数点後、店主は揚げ物を皿に盛って運んで来た。
立ち上る湯気と漂う匂いからして、どうあっても美味いに違い無いと、ラビゾーは食べる前から、
確信する。

 「頂きます」

美味しい料理に対する敬意が、自然と言葉になる。

126 :創る名無しに見る名無し:2015/06/06(土) 18:22:06.70 ID:qNMCyZeU.net
酒と肴を交互に味わうラビゾーに、店主は尋ねた。

 「どうだい?」

ラビゾーは満足して答える。

 「美味しいですよ。
  でも、そうなると……人が来ない原因は、取っ付き難さでしょうか?
  大きな通りからも外れていますし……」

 「……その話は、もう止しまい。
  美味い物食う時は、余計な事考えんで良えが」

店長に諭され、ラビゾーは飲食に専念した。
だが、黙っているのも気不味く、彼は店長に自ら話し掛ける。

 「お酒は、どこのですか?」

 「どこのって?」

 「仕入れ先です」

 「ああ、自家製やが」

自家製と聞いて、ラビゾーは驚いた。
これなら売り物になると思ったのである。

 「他の店に売ったりしないんです?」

 「個人だから、量は作れんじ」

儘ならぬ物だなと、ラビゾーは溜め息を吐いた。
店主としても酒造りがしたいのではなく、酒場を経営したいのだから、酒の売り先だけ見付けても、
仕方が無いのだ。

127 :創る名無しに見る名無し:2015/06/06(土) 18:23:53.46 ID:qNMCyZeU.net
ラビゾーに程好く酔いが回った所で、新たな客が入店する。
その人物は空席が他にあるにも拘らず、態々ラビゾーの隣に座った。
誰かと思って目を遣ると、それは彼の知る人物であった。

 「ぅえ、師匠!?」

 「ラヴィゾール」

 「ラ、ラビゾー」

鍔の広いウィザード・ハットに、真っ白な髭を蓄えた老人は、ラビゾーの師マハマハリト。
偶然の出会いに、ラビゾーは目を白黒させる。
微酔いは一気に飛んだ。

 「お客さん、行商さんの知り合い?」

店主に訊かれたマハマハリトは、ラビゾーを見て嫌らしく笑う。

 「ラヴィゾール、行商人になったのか?」

 「い、いや、それは、成り行きと言うか……。
  行商って訳じゃないんですけど……」

 「結構、職が見付かるのは良い事だ」

マハマハリトはラビゾーの言い訳を聞かず、独りで納得して何度も頷いた。

128 :創る名無しに見る名無し:2015/06/06(土) 18:27:59.52 ID:qNMCyZeU.net
何かしら事情があるのだなと、店主は2人を見比べた後、マハマハリトに尋ねる。

 「お客さん、御注文は?」

 「上等な酒を頼もう。
  焼ける様に辛い奴が良い」

マハマハリトの注文に、店主は苦笑いした。

 「そんなに強い奴は無いよ。
  高いのでも精々2割だ」

 「では、一番強いので構わん」

 「肴は?」

 「要らん、要らん。
  酒は酒だけで楽しみたい」

 「あい、承知」

店主が厨房に引っ込むと、マハマハリトは小声でラビゾーに尋ねる。

 「……魔法は見付かったかな?」

ラビゾーは気不味そうに応じた。

 「いいえ……。
  そもそも、魔法って何ですか?」

 「それを決めるのだ」

 「僕には解りません……。
  決めた所で、そんなに都合好く、魔法が身に付く物ですか?」

マハマハリトはラビゾーに「己の魔法を見付けよ」との試練を課している。
だが、ラビゾーは師の言葉を理解し兼ねていた。
そもそも魔法とは探して見付かる物なのか?
「自分に合った魔法」等と言う物が、存在するのだろうか?
考えれば考える程、解らなくなって行く。

129 :創る名無しに見る名無し:2015/06/07(日) 20:01:46.44 ID:R/KA3tNd.net
 「これが家で一番強いの。
  純清酒『耀燃』」

店主が酒瓶を持って来ると、マハマハリトは話を一旦中断して、早速飲み始めた。
焼き物の湯呑みに6分目余り注ぎ、一気に煽る。

 「ウム、美味い。
  儂の様な辛党には物足りないが、それでも味の良し悪しは判るぞ」

 「ハハ、そらぁ、どうも……」

声高らかに褒め称えるマハマハリトに、店主は半信半疑の愛想笑いで返す。
マハマハリトは調子に乗って、ラビゾーにも勧めた。

 「ラヴィゾール、君も飲み給え。
  美味い酒を味わえないのは損だ」

 「いや、僕は強い酒は駄目なんで……」

 「お前さん、下戸ではなかろう」

 「飲める事は飲めますけど、そんなに美味しいと思わないんですよ。
  別に酔っ払いたい訳でもないですし」

 「酔わずして酒は語れんよ。
  取り敢えず、飲んでみ給え。
  何事も経験、新たな道が拓けるかも知れぬ」

ラビゾーは断る姿勢を見せながらも、マハマハリトに押し切られる形で、酒を呷った。
嚥下すれば、体が芯から燃える様な感覚がある。
同時に、彼は後口の上品さに驚いた。
淡い香りで後を引かない。
余り酒を飲み慣れないラビゾーは、強い酒と言えば、酒気も強い物と思い込んでいた。
それは別として、これ以上飲む気はしないのだが……。

130 :創る名無しに見る名無し:2015/06/07(日) 20:03:02.90 ID:R/KA3tNd.net
嫌々渋りながらも、真面目な顔で味わうラビゾーを、マハマハリトは冷やかす。

 「はは、行けるではないか、ラヴィゾール。
  もう1杯どうかな?」

マハマハリトは再び、ラビゾーの湯呑みに酒を注いだ。

 「行ける事は行けますけど、好んで飲む事はありませんよ」

ラビゾーは堅物な口振りだが、注がれた酒は確り飲む。

 「連れ無いのォ……。
  年寄りの酒に付き合うてくれたら、魔法のヒントを教えてやっても良いと思っとったが……」

 「本当ですか?」

マハマハリトが寂し気に零すと、話半分だと思っていても、ラビゾーは期待せずには居られなかった。
そんな彼を見て、マハマハリトは豊かな顎鬚を撫で、小さく笑う。

 「嘘は吐かんよ」

 「教えて貰いましょう」

ラビゾーは自ら湯呑みを差し出す。
耀燃は後口が爽やかなので、彼は幾らでも飲める気がしていた。
それが罠だ。

131 :創る名無しに見る名無し:2015/06/07(日) 20:06:46.80 ID:R/KA3tNd.net
ラビゾーが1杯飲む毎に、マハマハリトは魔法に就いて語る。

 「魔力を扱う法、それが魔法。
  だが、元始魔法とは人の数だけあった。
  各々が各々の定めた法に従い、魔法を使う。
  それが旧い魔法だ。
  ラヴィゾール、もし君が使えるとしたら、どんな魔法が良い?」

 「どんなって……。
  どんな魔法でも良いんですか?」

 「ああ、良いとも。
  宝石を生み出す魔法かな?」

マハマハリトが右手を握って、開いて、握ると、小さな緑の宝石が1個、手の平から零れて転がった。
ラビゾーは目を剥いて、その瞬間を見られていないか、店主の様子を窺う。
店主は気を利かせて、厨房で洗い物をしていた。
胸を撫で下ろすラビゾーを余所に、マハマハリトは話を続ける。

 「それとも、酒を増やす魔法?」

マハマハリトが空になったラビゾーの湯呑みに手を翳すと、底から湧き上がる様に、嵩が増す。

 「宝石も酒も、大して欲しいとは……。
  生きて行くのに、お金は必要ですけど、錬金術師になりたい訳じゃないので……」

 「ホーゥ、ホゥ、ホゥ、では、どんな魔法?」

マハマハリトの声は、緩緩として夢に誘うが如き。

132 :創る名無しに見る名無し:2015/06/08(月) 20:04:44.89 ID:D7AkSnQD.net
1杯、もう1杯と飲んでいる内に、ラビゾーは酔いが回って、舌が滑らかになる。

 「どんな魔法でも良いんです?」

 「ああ、良いとも」

 「……だったら、師匠みたいな魔法が良いですね。
  何でも出来る」

 「フフフ……」

マハマハリトは可笑しみを堪え切れない風に、声を抑えて笑い出した。
ラビゾーは眉を顰める。

 「何なんです?」

 「いや、嬉しいやら悲しいやら……。
  師として弟子に、そう言って貰えるのは、有り難い事だがね……。
  本当に、何でも出来るかな?」

 「先の魔法は何なんです?
  宝石を出したり、酒を増やしたり、何でも思いの儘でしょう?
  違うんですか?」

彼の問い詰める様な口調に、マハマハリトは苦笑した。

 「儂が本当に『何でも出来る』なら、お前さんに苦労はさせんよ」

 「自分の魔法を見付けろって、師匠が言ったんですよ?」

 「『親の心子知らず』ならぬ、『師の心弟子知らず』かな」

溜め息を吐いて嘆くマハマハリトに、ラビゾーは一層不機嫌になる。

133 :創る名無しに見る名無し:2015/06/08(月) 20:06:50.36 ID:D7AkSnQD.net
しかし、マハマハリトを恨む気持ちは、彼には無かった。
全ての原因は、己の腑甲斐無さにあると、ラビゾーは固く信じていた。

 「……解っています。
  余りに僕が未熟だから、師匠は試練を課したんでしょう?」

マハマハリトは黙って首を横に振る。
それが何を意味するのか、ラビゾーは理解していなかった。
師の想いも知らず、やはり自分は未熟なのだと、勝手に解釈して、彼は自責の念を強めていた。

 「人は何故、因業に縛られて生きなければならぬのか……」

 「何です、急に?」

俄かに神妙な面持ちで呟いたマハマハリトに、ラビゾーは小首を傾げる。
マハマハリトは酒を呷って、ラビゾーに言った。

 「お前さんが未熟なのは、お前さんが未熟だからであり、他に理由は求めるべくも無い」

言葉の意味は解らないが、何と無く責められていると感じて、ラビゾーは口を噤む。

 「或いは……、お前さんに試練を課した事、それ自体が間違いだったのかも知れぬ。
  お前さんが試練を放かしたとしても、儂ゃ恨みはせんよ」

 「そんな事はありません!
  僕は必ず乗り越えて見せます」

失望した様な師の顔を見て、ラビゾーは強気に返し、勢い好く酒を呷った。
……だが、マハマハリトの表情は暗くなって行く一方。

134 :創る名無しに見る名無し:2015/06/08(月) 20:10:00.79 ID:D7AkSnQD.net
マハマハリトは湯呑みを揺らしながら、少し間を置いて、ラビゾーに問い掛けた。

 「お前さん、魔法使いになって、どうしたい?
  その志が無ければ、如何なる魔法も無用の長物と化す。
  古の魔神共の様に、召喚されて望みを叶えるだけの道具にはなりたくなかろう……」

 「『どうしたい』って……」

一人前の魔法使いになって、自分は何をしたいのか?
師の問いに、ラビゾーは酔いの所為で回らぬ頭を必死に働かせて考えた。

 「儂に命じられたからではなく、己が心に従うべきだ。
  魔法使いになる事、それ自体が目的になっては行かん」

 「でも、魔法使いになれないと、僕は……自分を取り戻す為に……」

 「それが行かんと言うのだ。
  こんな事は、言うまい言うまいと思うておったが、お前さんは本当に……。
  いや、止そう」

呆れの余りマハマハリトは忠告しようとしたが、途中で思い止まり、大きく息を吐いた。
ラビゾーは気になって、追究する。

 「何を……何を言い掛けたんです?
  い、言って下さいよ。
  中途半端は気持ち悪いじゃないですか……」

 「言わずとも、解っておる筈だ」

憮然として断じるマハマハリト。
ラビゾーは「はい」と小さく呟くと、俯いて黙り込む。

135 :創る名無しに見る名無し:2015/06/08(月) 20:17:00.85 ID:D7AkSnQD.net
ラビゾーとて自分の何が悪いのか、全く解らない訳ではない。
ここで愚痴を零しても良いのか、彼は悩んだが、酒の席なのだし、酔っ払っていると言う事にして、
醜態を晒す事にした。

 「はぁ……僕、どうすれば良いんですか?
  師匠の言う事が全然解らないんですよ。
  いや、本当に全然って訳じゃないんですけど……。
  師匠の言いたい事は解ります。
  詰まり、余り気にするなって事ですよね、何にしても。
  因業ってのも、要するに……原因があって結果があるけど、何も落ち度が無くても、
  駄目になる事もあるのだからして……。
  時勢と時運って言うんですか?
  しかし、僕は自分に落ち度が無いとは思えないんですよ」

マハマハリトは相槌を打ちながら、ラビゾーの話を聞いている。
いや、本当に聞いているかは定かではない。
何食わぬ顔をして、聞き流しているかも知れない。
それでもラビゾーは構わなかった。
傾聴に値する様な事は、何一つとして言っていないのだから。
店主の存在も忘れて、彼は訥々と続ける。

 「こう言うのが、駄目な所なんですよね、はい。
  『何が悪い』と開き直る位でないと、辛くなるばかりだとは承知しています。
  魔法の事だって、『こうでなければならない』と言う固定観念を捨てて、純粋に自分が願う形の、
  『魔法』を追求すべきだと……。
  詰まりは、僕が拘る過去こそ、今の僕には無用の物だと、それは何回も何回も、
  禁断の地に居る時から、師匠に言われて来ました。
  でも、心の中では『僕は師匠みたいにはなれない』と思ってるんです。
  師匠みたいになりたいと思いながら、どこかで拒んでいる。
  憧れの様な物を持っているんだと、告白します」

マハマハリトは何も言わない。
唯、静かに酒を飲んでいる。

136 :創る名無しに見る名無し:2015/06/08(月) 20:21:43.35 ID:D7AkSnQD.net
ラビゾーは重い瞼を懸命に持ち上げ、酔い潰れまいと耐えた。

 「僕と師匠は違うんです。
  それは、どう仕様も無く、決定的に……。
  憧れではあっても、目指す所ではない……。
  理屈ではなく、そう思うんです。
  憧れは憧れの儘であって欲しい……」

 「では、お前さんは何時までも未熟な儘で良いのか?」

鋭い一言だが、マハマハリトが自分の話を聞いてくれている事に、ラビゾーは少し嬉しくなった。

 「いいえ、やっぱり僕は、一人前の魔法使いになりたい」

 「何の為に?」

 「……分かりません。
  それが分からない内は、一人前にはなれないんでしょう。
  でも、その為には名前を取り戻さないと行けない訳です」

 「何故、そう思う?」

 「恐らく、名前があった頃の僕の人生は、胸を張れる様な物じゃなかった。
  今でも後ろ暗い感じがして、堂々とは出来ません。
  一人前の魔法使いになる事で、それを払拭したい……。
  ――ええ、解っていますよ。
  それでは魔法使いになる事自体が、目的になっている……。
  でも、魔法なら何でも良い訳じゃないんです。
  僕は僕の魔法を見付けなくては行けない……。
  師匠の言う事は、とても……とても、よく解る……」

ラビゾーは眠気に耐え切れなくなって、台の上に突っ伏す。

 「それは、どんな魔法かな?」

体が動かず、師の問いにも、伏せた儘で応えた。

 「難しいですね……。
  名前……。
  それまで僕が、どんな思いで過ごして来たか……。
  僕にだって、夢や希望はあった筈なんです。
  どうにか思い出したい……。
  思い出した所で、魔法が身に付くかってのは、別問題な訳ですけど……」

137 :創る名無しに見る名無し:2015/06/09(火) 20:13:03.69 ID:IIOrlLZn.net
ラビゾーは意識を保つのが、困難になっている。
酔い覚ましの魔法を使えれば良いのだが、ここまで酔いが回っては、自己治療は出来ない。
見上げる様に、彼がマハマハリトの顔色を窺うと、その目は悲しみを帯びていた。
――――「ラビゾーには」、そう見えただけなのかも知れない。
瞼が落ちそうで、視界が暈やける。
完全に酔い潰れるのは時間の問題。
今の彼では、何を聞いても記憶が持つか怪しいが、マハマハリトは話を続けた。

 「名前を取り戻しても、それが吉となるかは分からんよ。
  更なる絶望を味わうかも知れぬ」

ラビゾーは目を閉じ、譫言の様に返す。

 「……受け止めて見せ……いや、どうなんでしょう……。
  覚悟が出来てないから、こんな事になってるのか……?
  ああ、そうだ……。
  僕、家に帰れなかったんですよ……。
  あれは何……呪い?」

 「答は目の前にあるのに、それを知りながら、君は遠回りばかりしたがる。
  丸で、儂は君と根競べをさせられている様だ」

 「済みません。
  でも、僕は――」

 「良い。
  君は既に、儂とは異なる『理想像<ヴィジョン>』を捉えつつある」

 「いや、全然見えてないんですけど……」

 「君が一体どんな答を導き出すのか、楽しみにしておこう」

 「困りますよ……」

過大評価されては堪らないと思いつつ、ラビゾーは遂に意識を失った。

138 :創る名無しに見る名無し:2015/06/09(火) 20:19:37.37 ID:IIOrlLZn.net
ラビゾーが目覚めたのは、酒場ではなく、宿だった。
何時の間に移動したのか、彼は何度も首を捻る。
欠伸をすると、自分でも判る程、酒臭かった。
嫌に気怠い体を、下手な共通魔法で癒す。

 (宿に荷物を置いて、街を歩いて、酒場を見付けて、少し飲んで、師匠が……?)

師と酒を飲んで、魔法が何のと話をした事までは覚えているが、具体的な内容は思い出せない。
酔っ払っている間の記憶が飛んでいた。
飲み代は支払ったのかと、懐を探ると、持ち出した金が全部無くなっている。
その代わりに、小さな宝石が何個か入っていた。

 (僕が立て替えて、師匠に宝石を貰った?
  それとも師匠が勝手に払ったのか?)

宝石を換金すれば、元は取れると考え、ラビゾーは損した気分にはならなかった。
今は、それよりも重要な事がある。

 (何か大事な話をした様な……。
  僕が愚痴を零して、師匠は何て言ったっけ?
  とても大事な話だった気がする……)

ラビゾーは両腕を組んで、話の内容を思い出そうとする。
しかし、時間を掛けても無駄だった。
何気無く時計を確認すると、日付が変わって、翌朝である。

 (何て事だ!
  一晩寝過ごしたのか!?)

ラビゾーは慌てて身支度をするのだった。

139 :創る名無しに見る名無し:2015/06/09(火) 20:23:37.13 ID:IIOrlLZn.net
宿を発ったラビゾーは、昨日の酒場を探して街を歩く。

 (確か、名前は『イーイージャ』……。
  古い看板の寂れた店……)

約1角後に、それらしい酒場を彼は発見したが、どうも記憶にある物と違う。

 (名前は同じだけど、看板が新しい……。
  いや、看板だけじゃなくて、建物全体が新しい。
  場所は合ってるよな?)

ラビゾーは見せの前で右往左往して、何度も首を傾げた。
一晩で店を建て替えられる訳は無い。
印象違いにしても、そこまで変わる物かと、ラビゾーは疑う。
区画を1つ2つ間違えたとしても、大通りから外れた所なので、他の酒場は無い……。
酔っ払う前の記憶まで、狂ってしまったのだろうかと、彼は不安になって来た。

 (入ってみるしか無いか……)

取り敢えず、店主に昨日の事を尋ねようと、ラビゾーは入店を決意した。

140 :創る名無しに見る名無し:2015/06/10(水) 19:35:10.58 ID:NBq9kW5L.net
 「お早う御座います……」

自信の無い声で、ラビゾーは店に踏み入る。
店内の装いが、記憶にある物と全く違う事に、彼は戸惑っていた。
昨日は薄暗かった筈なのに、今日は嫌に明るい。
店の造りが違うのだ。
照明ではなく、外からの明かりを自然に取り込める様になっている。

 (間違えたかな?)

ラビゾーは益々自分に自信が無くなって来る。
時刻は南東に4針前。
流石に、朝から酒場に入り浸る者は居らず、店内は静まり返っている。
間違いなら、今の内に店から出た方が良いのではと、ラビゾーは悩んだ。

 「入らっしゃい。
  お客さん?」

ラビゾーが逡巡していると、厨房から主人が現れる。
その顔には見覚えがあり、ラビゾーは安堵の息を吐いた。

 「あ、あの、済みません、昨日来店した者ですが……」

 「おお、行商さん、何か用?」

店主の方もラビゾーを覚えている。

141 :創る名無しに見る名無し:2015/06/10(水) 19:42:15.13 ID:NBq9kW5L.net
先ず、疑問に思った事をラビゾーは尋ねた。

 「……店、改装したんですか?」

 「ん、何の話?」

 「いや、昨日とは違って見える物で……」

店主は訳が解らないと言った様子で、ラビゾーに怪訝な目を向ける。

 「昨日って、何言っとるが?
  何ぞ勘違いしとらんけ?」

 「え、でも、古い店は流行らないって話を……」

 「そやから、改装したんだじ。
  昨日話したろうが」

ラビゾーの記憶では、昨日まで改装されていなかったのだが、店主の口振りでは、
改装したのはラビゾーが訪れる前の様。
店主の話と自らの記憶の食い違いに、ラビゾーは納得行かない顔をする。
それを見て、店主は独り合点した。

 「あー、行商さん、酔っ払っとったな」

 「た、確かに酔っ払ってましたけど……」

 「大分、深酔いしとったね」

 「はい……。
  それで、僕の後から、お爺さんが来ましたよね?」

 「行商さんの知り合いで、師匠だとか」

 「そうです、そうです」

ラビゾーは食い違う部分は無視して、合う話にだけ合わせる事にした。

142 :創る名無しに見る名無し:2015/06/10(水) 19:44:27.37 ID:NBq9kW5L.net
店主も食い違いは全く気にせず、話を続ける。

 「その人が何か?」

 「昨日、僕は酔い潰れてしまって、どうやって店を出たか憶えてないんです。
  どうなったか教えて貰えませんか?」

ラビゾーが真剣に尋ねると、店主は苦笑いした。

 「普通に、飲み代払って出てったが……。
  行商さんが2人分払ったじ?」

 「えっ、そ、そうなんですか?
  僕は酔い潰れて眠ってしまったと思っていたんですが……」

 「うわぁ、相当やね……。
  そこまで酔っとるとは思わんかったじ。
  困った事でも、起こったんけ?」

店主は引きながらも、ラビゾーを心配する。

 「いや、困った事って言うか……。
  師匠から何か話を聞いていませんか?」

 「話って?」

 「何でも良いので……」

 「聞いとらんじ。
  飲み終わったら、行商さんと一緒に出てったやろうが……憶えとらんのな」

 「はい……。
  済みませんでした」

何も憶えていないのは、酔い潰れてしまった自分が悪いので、ラビゾーは何も言えなかった。

143 :創る名無しに見る名無し:2015/06/10(水) 19:47:21.57 ID:NBq9kW5L.net
元気の無さそうな彼を、店主は一層心配する。

 「行商さん、大丈夫?」

 「あ……ああ、はい、御迷惑をお掛けして、済みませんでした」

呆けていたラビゾーは、店主の声に対する反応も鈍い。

 「本当に大丈夫なんけ?」

 「はい、失礼します」

 「お大事に。
  又、来てくたい」

 「はい」

ラビゾーは店を出て、暫く立ち尽くし、両腕を組んで考える。
一体何が夢で、何が本当だったのか……。
今となっては、確かめる術は無い。

 (過去や真実に囚われるなと、そう言う事なんだろうか……)

胸に靄を抱えた儘、ラビゾーは重い足取りで、タイファン市を離れるのだった。

144 :創る名無しに見る名無し:2015/06/11(木) 20:08:25.47 ID:CNt6y/op.net
魔導師殺人事件


第二魔法都市ブリンガー ブリンガー魔導師会本部にて


風薫る5月、ブリンガー地方タハデラ市で、魔導師が殺害される事件が起こる。
魔導師会への挑戦かと、ブリンガー魔導師会は名誉を懸け、全力を挙げて犯人を探し当てた。
何と、容疑者として逮捕されたのは、同じ魔導師。
魔導師とて人であり、個人間のトラブルは起こり得る。
誰もが清廉潔白な人物ではない。
本来あってはならないが、怨み剰って殺人に走る事も、あろうと言う物。
所が、この魔導師、殺人に覚えが無いと言う。
執行者の捜査の切り札、過去を読む「心測法」は、彼が犯人と告げている。
しかし、嘘を封じる「愚者の魔法」は、当人の潔白の主張が真実と告げている。
一体どちらが間違っているのか?
共通魔法を欺くは、外道魔法か、それとも……。
今回の一件はグラマー市の魔導師会本部にも報告され、結果、八導師親衛隊の1人が、
ブリンガー地方へ赴く事と相成った。

145 :創る名無しに見る名無し:2015/06/11(木) 20:09:42.84 ID:CNt6y/op.net
八導師親衛隊ジラ・アルベラ・レバルト


八導師親衛隊となった、ジラ・アルベラ・レバルトの初任務が、この事件であった。
魔導師が魔導師を殺すのは、魔導師会にとって重大事件ではあるが、親衛隊が出張る程ではない。
しかし、今回の様に不可解な事態が起こったとなれば話は別だ。
ジラは親衛隊の性質上、身分を隠し、「本部運営部の下部組織に所属する監査員」と言う肩書きで、
ブリンガー魔導師会法務執行部を訪ねた。
彼女を出迎えたのは、補導員時代の上司であった。

 「補導員から監査員とは、豪い出世振りだ、ジラ君」

 「いえいえ、下っ端の使い走りですよー。
  お久し振りです、ミヤール生安課長」

 「法務から運営に移ったの?」

 「はい、条件が良かった物で」

それを聞いたミヤールは、俄かに怪訝な表情になる。

 「私は君を、情熱を持って仕事が出来る人間だと、評価していたんだけどなぁ……。
  ああ、深刻に受け止めないで。
  本気で咎めている訳じゃない。
  理想だけでは飯は食えないしな」

 「……それより、どうしてミヤールさんが?
  刑事部の方は?」

ジラは話題を逸らす様に訪ねた。
殺人事件を担当するのは、刑事部だ。
殺人事件で本部から監査が来たのに、警備課や生活安全課を擁する、治安維持部の人間に、
対応させるのは非常識と言う物。
業務が忙しくて人員を割けなくとも、部内には庶務課がある。

146 :創る名無しに見る名無し:2015/06/11(木) 20:14:00.21 ID:CNt6y/op.net
ミヤールは困った顔で言った。

 「実は、本部の法務執行部からも監査が来ているんだ。
  あっちは団体さんで、その対応で刑事部は手一杯と言う訳」

 「運営と法務で、監査が被ってしまったんですね」

 「選りに選って、やっちまったのが、刑事部の執行者だった物だから……。
  本部としても、見過ごせなかったんだろう。
  魔導師会の面子にも係わるし、お冠だよ」

魔導師会に本部と地方支部がある様に、その内部組織である魔導師会法務執行部にも、
本部と地方支部がある。
それにしても、個人の犯罪、被害者も個人と言う事件の規模に比して、扱いが大き過ぎると、
ジラは感じていた。
態々本部が団体で出向く様な事とは思えないのだ。

 「ミヤールさんは、今回の事件の詳細を聞いていませんか?」

 「畑違いだからね。
  結論が出た訳でもないし、刑事部も不確定な情報は流さないよ」

 「私が聞いた限りでは、普通の事件の様でしたけど……。
  心測法と本人の供述では、どちらを優先するか決まり切っていますし」

ジラの言う通り、嘘を封じる「愚者の魔法」は、飽くまで本人が虚偽の供述とは思っていないと言う、
証明にしかならない。
過去の事実を読み取る心測法に比べれば、信用度は大きく落ちる。

147 :創る名無しに見る名無し:2015/06/12(金) 20:25:04.20 ID:Oah57s0s.net
ミヤールも両腕を組んで、悩まし気に唸った。

 「どうも、その心測法が厄介らしい」

 「……どう言う事ですか?」

 「小耳に挟んだ程度だから、真偽は定かでないが……。
  心測法の結果が食い違ったとか……」

 「そんな事があるんですか?」

 「精度の問題もあるかも知れない……けど、それなら本部が動くのも解る。
  ジラ君は上から何か聞いてないの?
  本部の運営も何かあると睨んだから、君を送り込んだんだろう?」

 「いいえ、特には聞いていません。
  何かを嗅ぎ付けたと言うより、何も分からないので、監査するんだと思いますよ。
  上の意図は知りませんが、私は中立の積もりです」

魔導師が魔導師相手に起こした殺人事件と言う事で、親衛隊としてのジラの任務は、
ブリンガー魔導師会内部の規律が保たれているか、それに加えて、外道魔法の影響が無いか、
調べる事である。
執行者が犯人ならば、法務執行部が不利な情報を隠蔽する事もあり得る。
ジラ・アルベラ・レバルトの本当の肩書きは、魔導師会運営部八導師親衛隊内部調査班。
運営部の下部組織ではなく、運営部の正式な、それも特殊な地位にある一員だ。

148 :創る名無しに見る名無し:2015/06/12(金) 20:36:07.20 ID:Oah57s0s.net
ジラはミヤールの案内で、ブリンガー魔導師会法務執行部の司法長官に面会した。
魔導師会法務執行部の司法長官は、魔導師会地方支部法務執行部の最高責任者であり、
一地方の魔法秩序維持を担う。
親衛隊は性質上、他組織の如何なる役職の人物とも対等なのだが、それでもジラは緊張してしまう。
司法長官室に通されたジラは、司法長官に加えて、もう1人の人物と顔を合わせた。
それは本部法務執行部から送られた、監査官である。
法務執行部の監査官と言えば、通常ならば、運営部を監視する役割の監査官だが、
今回は身内の監査が目的。
しかし、余りジラの事を、快く思っていない様で、彼女を睨み、口を結んでいる。
その態度の偉そうな事。
両腕を組んで、来客用の椅子に座った儘、反り返って、礼の一つもしない。
睨み合うジラと監査官に構わず、ミヤールは司法長官に用件を述べる。

 「長官、本部運営部の……特設監査委員会からの、監査員をお連れしました」

特設監査委員会とは、魔導師会に関係する問題が発生した場合に、運営部の要請によって、
その時々で設置される物。
監査が終了すれば、報告書を纏めて解散する。
親衛隊が名義借りに利用する事もあれば、内外から専門家を募る事もある。

 「特別設置監査委員会の選任監査員ジラ・アルベラ・レバルトです。
  今回は『執行者の犯罪』、及び特殊事例と言う事で、『全容解明まで』捜査を見届ける様、
  仰せ付かりました。
  こちらが委任状です。
  御理解と御協力を、お願い申し上げます」

ジラが委任状を提出し、礼をすると、司法長官も応じて名乗った。

 「私がブリンガー魔導師会法務執行部司法長官のユーベント・レガーリツです」

149 :創る名無しに見る名無し:2015/06/12(金) 20:42:42.41 ID:Oah57s0s.net
挨拶が終わると、ジラは早速司法長官に申し出る。

 「今回の事件に就いての、詳細を伺いたいのですが……」

司法長官は途端に難しい顔をした。

 「済みませんが、未だ詳細と言える程の事は何も」

 「進行状況が知りたいのです。
  スタッフを貸して頂けませんか?」

 「そうしたいのは山々ですが、人員に余裕が無いのです」

司法長官の態度は非協力的である。
相手の申し出を待ち、消極的な回答しかしない。
ジラが内心で苛立ちを感じていると、横合いから本部法務執行部の監査官が口を挟んだ。

 「只でさえ忙しいのに、運営部の世話まで見ていられないんだ。
  解決まで大人しく黙って待ってな」

余りに邪険な扱いに、ジラは監査官を睨み付け、彼に尋ねた。

 「貴方は誰ですか?
  所属と氏名を名乗って下さい」

 「魔導師会本部法務執行部上級監理官アルドール・セードロ」

上級監理官と聞いて、ジラは横柄な態度にも納得が行く。
法務執行部には、重大な犯罪や組織犯罪を扱う「刑事部」と、市民生活を守る「治安維持部」、
魔導師会裁判を担当する「裁判部」、魔法刑務所を管理する「刑務部」等の、大きな部署がある。
それを纏めるのが、司法副長官や司法次官で、最高位が司法長官。
上級監理官は、それ等とは別枠の存在で、各地方魔導師会の監督監理を担う。
当然、不祥事が発生した際の内部監査も、上級監理官の役割だ。

150 :創る名無しに見る名無し:2015/06/13(土) 18:45:19.08 ID:TmJbsNWN.net
この上級監理官と言う役職は、本部法務執行部にしか存在しない。
本部には上級監理官の他に、各地方支部を統轄する統合室があり、縦割りで纏める統合課長と、
同統合部長、横割りで纏める長官代理、それ等の長である統合室長、そして法務執行部全体の、
最高責任者として司法総長官(総裁)が存在する。
上級監理官は6名が存在し、地位的には支部司法長官より格下だが、強力な監査権限を持ち、
時に地域を跨ぐ重大事件の指揮を任される。
アルドールは30そこそこの外見年齢で、如何にもエリートと言った風貌。
彼はジラに向かって、言い放つ。

 「部外者に出張られても、捜査の邪魔になるだけだ。
  大体1人しか遣さない所からして、運営部の連中も本気じゃないんだろう?」

ジラは滅げずに言い返した。

 「お暇そうですね。
  ここで何をなさっているのか、お伺いしても宜しいですか?」

 「ははは、断る。
  君の権限はブリンガー地方支部限定だろう。
  上級監理官の私に言う事を聞かせたければ、新しい委任状を持って来るんだな」

今回の事件に関する監査だけが目的なら、然程広範囲に権限を行使する必要は無い。
徒に強い権限を持たせては、現場に余計な混乱を招くだけだ。
そうアルドールは見切っていたのだが、ジラは不敵に笑う。

 「どうして、委任状を読まない内から決め付けるんです?」

彼女はアルドールに堂々と委任状の控えを見せ付けた。

151 :創る名無しに見る名無し:2015/06/13(土) 19:00:32.84 ID:TmJbsNWN.net
そこには、こう書いてある。

ブリンガー地方タハデラ市魔導師殺害事件(仮称)に就いて、特別設置監査委員会は、
魔導師ジラ・アルベラ・レバルトを監査員に選任し、本件の全容解明に至る過程に於いて、
不明・不正な点が無い様にさせる。
本件に関わる全ての魔導師及び、関連する機関の職員は、この者から要請があった場合、
本件の捜査に関する情報を、この者に対して明らかにする義務を負う。
上記の者は、この者の疑問に可能な限り答え、不明な点を無くさなければならない。
又、この者が監査を行う際に、支障が生じない様、努めて配慮しなければならない。
この者が任務上知り得た全ての情報に関する権利は、この者には一切存在せず、
その処理は特別設置監査委員会に一任される。

アルドールは目を剥いて驚いた。

 「全ての魔導師!?」

 「そう言う訳ですから、どうか御協力を」

 「運営部め、先手を打って来たか……」

委任状の隅に、八導師の署名があるのを認め、アルドールは憎々し気に呟く。
治安維持部の方は、そうでもないのだが、刑事部の関係者は運営部の干渉を酷く嫌う。
それは逆も然り。
運営部と法務執行部は、非常に仲が悪い。
それは強大な権力を持つ組織同士、互いに監視し合う役割を持つ為だ。
どちらも組織の領分を侵されたくないと言う思いがある。

 「アルドールさん、ここで貴方は何を?」

 「何もしていない。
  部下からの報告を待っている」

 「本部は何の目的で、上級監理官である貴方を派遣したんですか?」

ジラの質問に、アルドールは返答を躊躇った。

152 :創る名無しに見る名無し:2015/06/13(土) 19:04:12.29 ID:TmJbsNWN.net
少し間を置いて、アルドールはジラに尋ね返す。

 「……答える前に、幾つか質問しても良いだろうか?」

 「ええ、答えられる範囲なら、お答えしましょう。
  但し、私の質問には必ず答えて貰います」

 「君は魔導師には違い無い様だが、本来の所属は?」

 「どうしても答えなければ行けませんか……?」

 「言えないのか?」

親衛隊と明かす訳には行かず、ジラは返答に悩む。
こんな時の為に、仮の身分があるのだが、それを口にするのは憚られた。
しかし、黙っていると疑われるので、彼女は渋々答える。

 「……運営部所属です。
  本部の業務相談室で、相談員をしています」

 「室長?」

 「平です」

それを聞いたアルドールは、硬直して、暫し思案する。

 「一相談員を監査員に選ぶとは……。
  運営部の考える事は解らない」

アルドールは肩書きで相手を判断する人間だ。
彼にとっては大抵の人物が格下なので、そこを論って侮る積もりだったのだが、ジラが役職の無い、
想像以上の下っ端だったので、吃驚していた。

153 :創る名無しに見る名無し:2015/06/14(日) 20:42:30.52 ID:Ti+oMRbi.net
エリート意識を持つ相手に、格下と思われて侮られる事がジラは嫌だった。
彼女は誤魔化す様に、改めてアルドールに尋ねる。

 「私の事は、もう良いでしょう。
  貴方は何の目的で、ブリンガー魔導師会に?」

 「事件を解決する為だ」

率直で明快な回答に、ジラは虚を突かれた。
アルドールが態度を変えたのには、明確な理由がある。
彼はエリートが全くの平を相手に張り合う事は、恥だと認識しているのだ。
舌戦を交わすならば、相手にも格が欲しいと考えている。

 「本部が主体的に動くと?」

 「ああ、その為に統合刑事部を引っ張って来た」

これは大事だと、ジラは内心で驚愕する。

 「――と言う事は、ブリンガー魔導師会だけでは解決出来ない『問題』があった訳ですね?
  そこの所を詳しく伺いましょう」

ジラの請願に、アルドールはミヤールを一瞥した。

 「その前に、彼は下げて貰えないか?
  刑事部の人間ではないんだろう?」

アルドールの要請に応じて、司法長官はミヤールに退室許可を出す。

 「下がって良いよ」

 「はい、失礼しました」

ミヤールは司法長官とアルドールに対し、丁寧に礼をして退室した。

154 :創る名無しに見る名無し:2015/06/14(日) 20:51:30.74 ID:Ti+oMRbi.net
アルドールはジラに優しく声を掛ける。

 「立ちっ放しは疲れるだろう。
  ここに座ると良い」

裏がありそうで君が悪いと思った物の、ジラは彼に言われる儘、対面の椅子に腰を下ろす。
アルドールは勿体付ける様に、落ち着いて間を取り、緩くりと話し始めた。

 「今回の事件、魔導師が同じ魔導師を殺害した容疑で逮捕された。
  それも市民を守る筈の執行者が……。
  更に、その執行者は刑事部の者だった。
  これだけでも大きな問題だが、私達が来たのは内部監査の為ではない。
  監査は事件が解決した後の話だ。
  先ずは、事件の全容解明に全力を尽くす」

 「一体、何が問題だったんですか?」

 「魔導師が殺されたと言う事で、ブリンガー魔導師会は『魔法に関する法律』第十一条、
  『魔導師会への敵対行為』の疑いがあるとして、捜査に心測法の使用を許可した。
  その結果、1人の執行者が捕まった訳だが……、彼は犯行を否定した」

 「しかし――」

ジラが口を挟もうとすると、それをアルドールは遮る。

 「君の言いたい事は解る。
  愚者の魔法を使っても、本人の供述は当てにならない。
  明確なアリバイを証明する第三者の存在も無かった。
  そこで話を終わらせる事も出来たのだが……、『幸い』と言うべきなのだろうな、
  彼は同僚達からの厚い信望があった。
  彼の無実を信じる同僚達は、犯行現場ではなく、彼の周辺に心測法を試みた。
  その結果、アリバイが成立したのだ」

 「それで――」

 「ああ、本部の鑑識に、より精密な心測法を使わせている所だ。
  今は結果を待つより他に無い」

成る程とジラは頷いた。
本部の鑑識の結果、その執行者が有罪となるか無罪となるかが、一つの焦点なのだ。

155 :創る名無しに見る名無し:2015/06/14(日) 21:03:05.82 ID:Ti+oMRbi.net
ジラは司法長官に向き直り、彼に依願する。

 「ユーベント司法長官、監査を円滑に進める為に、刑事部内での自由行動を許可して下さい」

司法長官は躊躇い勝ちに、アルドール上級監理官の顔色を窺った。
アルドールが無言で頷くと、司法長官はジラに答える。

 「解りました。
  お手数ですが、刑事部の総務課へ行って、書類を貰って来て下さい。
  それを再度、私の所へ持って来て頂ければ、判を押しますので」

ジラは少なからず面倒臭いと思ったが、治安維持部に所属していた経歴を持つ彼女は、
これが法務執行部と言う組織だと知っているので、然程腹は立たなかった。
早速許可証を発行して貰い、ジラは監査を開始する。
先ず彼女が向かったのは、捜査一課。
刑事部捜査一課は、魔法を使った殺人事件や傷害事件を扱う、刑事部の花形である。
今回の事件も、当然捜査一課の担当。
捜査一課の刑事部屋を訪れたジラは、書類整理をしている副課長に話し掛けた。

 「済みません、タハデラ市魔導師殺害事件の担当は、こちらでしょうか?」

副課長は迷惑そうに、顔を顰める。

 「あんた、誰?」

 「申し遅れました、私は特別設置監査委員会の選任監査員ジラ・アルベラ・レバルトです」

ジラの名乗りを聞いた副課長は、一層顔を顰めた。

 「ああ、あんたが例の……。
  はいはい、話は聞いてます」

協力的な態度は望めそうも無く、ジラは先行きに不安を感じる。

156 :創る名無しに見る名無し:2015/06/15(月) 19:33:25.89 ID:+AdYTvxZ.net
副課長は大きく溜め息を吐いて、ジラに告げた。

 「残念ですけど、捜査権は統合捜査一課に移りました。
  資料も人員も持って行かれたんで、ここには何も無いです」

 「統合捜査一課は、どこに捜査本部を置いていますか?」

 「3階、第三会議室」

 「有り難う御座います。
  失礼しました」

 「はいはい」

好い加減に遇われても、ジラは最後まで礼を失さない。
刑事部が冷淡な事は、治安維持部に所属していた時から、判っていた事。
加えて、刑事部内では運営部の者は疎まれているので、この程度の扱いは覚悟していた。
寧ろ、打っ切ら棒だが、素直に答えて貰えたので、安堵していた位だ。
彼女は直ぐに第三会議室へ移動する。
「タハデラ市魔導師殺害事件捜査本部」と書かれた置き看板のある第三会議室では、
疎らに人が屯していた。
どうやら、大半は捜査に出掛けている様である。

157 :創る名無しに見る名無し:2015/06/15(月) 19:37:07.74 ID:+AdYTvxZ.net
ジラは会議室内の上座に掛けている人物に問う。

 「失礼します、私は特別設置監査委員会の選任監査員ジラ・アルベラ・レバルトです。
  タハデラ市魔導師殺害事件の指揮官は、どなたですか?」

彼は真顔で、隣の人物を親指で差した。
ジラが目を遣ると、差された人物は座した儘で一礼する。

 「私が捜査本部長のロンジェヴィト・ロブストデーノ・シンセラデーノ・フィオリトです。
  何か御用ですか?」

 「捜査状況を知りたいのですが……」

 「済みませんが、部外者には教えられません。
  貴女の権限を示す、法的な根拠を提出して下さい」

 「どうぞ、御確認を」

ジラが委任状の控えを提示すると、ロンジェヴィトは本当に内容を確認したのか怪しい位に、
さっと目を通して、詰まらなそうに答えた。

 「では、向こうで資料を作成している、ジグニト捜査官に聞いて下さい」

 「解りました」

運営部の者と話す舌は持たないとでも言う様な、高慢な姿勢に、ジラは流石に反発心を覚えるも、
口論して物事が進む訳でもないと、素直に従った。

158 :創る名無しに見る名無し:2015/06/15(月) 19:39:49.07 ID:+AdYTvxZ.net
ジラはジグニト捜査官の傍に寄り、声を掛ける。

 「特別設置監査委員会の監査員ジラ・アルベラ・レバルトです。
  ジグニト捜査官ですか?」

 「はい、そうですが……」

ジグニト捜査官は時間を惜しむかの様に、資料を整理する手を止めずに答えた。
真面目で気弱そうな印象だったので、彼なら意地の悪い事は言わないだろうと、ジラは気を抜く。

 「捜査状況を教えて下さい」

 「はぁ、それは出来ません」

所が、確り断られて、ジラは驚いた。

 「私は特別設置監査委員会から指示を受けています」

彼女が委任状を提示しても、ジグニトは一読しただけで、素知らぬ顔。

 「私達は直属の上司の命令以外には、従えません」

 「司法長官の許可もあります」

 「ブリンガー支部の司法長官は、私達の直属の上司ではありません」

杓子定規な受け答えに、ジラは頭痛がする思いだった。

159 :創る名無しに見る名無し:2015/06/15(月) 19:46:44.23 ID:+AdYTvxZ.net
直属の上司から許可が出れば良いのだろうと、ジラはロンジェヴィト捜査本部長の元に戻る。
ロンジェヴィトは惚けてジラに尋ねた。

 「どうされました?
  『運営部の』監査員殿」

 「直属の上司以外の命令は聞けないと言われました」

立腹した様子でジラが応えると、ロンジェヴィトは半笑いで言う。

 「成る程、それは尤もな事です。
  では、許可を貰って来て下さい」

 「貴方が許可を出せば済む話では?」

 「私が許可を出すのにも、上の許可が必要なのですよ」

盥回しではないかと、ジラは面にこそ出さないが、腸は煮え繰り返っていた。
こんな嫌がらせをされるとは、予想外だったのだ。
爆発しそうな怒りを抑えて、彼女はロンジェヴィトに問う。

 「誰から許可を取って来れば良いんです?」

 「アルドール上級監理官。
  恐らく、長官室で待機しているでしょう」

 「アルドールさんとは、最初に話をしましたが?」

 「でも、許可されたと言う証拠が無いと」

魔法があるのだから、嘘でない事は直ぐに判るのだが、こうなったら何を言っても無駄である。

 「……解りました」

ジラは聞こえよがしに深い溜め息を吐いて、司法長官室に戻った。

160 :創る名無しに見る名無し:2015/06/16(火) 20:27:27.12 ID:iy7Q9XOO.net
友好的に行きたかったのに、儘ならない物だと、ジラは悶々としながら歩く。
司法長官室に入ったジラは、アルドールを認めると、八つ当たり気味に食って掛かった。

 「アルドールさん、捜査本部の人達は、私の話を全く聞いてくれませんでした。
  何をするにも貴方の許可が必要だそうで」

 「ははは、そりゃ運営部の回し者は嫌われるよ」

丸で、こうなる事を予見していたかの様に、アルドールは涼しい顔。
ジラは苛立ちを爆発させた。

 「笑い事ではなく!
  どうにか貴方から話を通して下さい。
  お願いを聞いて貰えないのであれば、刑事部は非協力的な態度だったと報告せざるを得ません」

 「おっと、それは困る。
  仕方無い、一筆書いて上げるから、少し待ってなさい。
  司法長官、綺麗な白紙はありませんか?
  印刷用紙で構いません」

司法長官はデスクの引き出しから、白紙を取り出して、アルドールに手渡す。
アルドールは白紙をテーブルの上に置き、自筆で指示書を作成した。

 「良し」

最後に判を押して、彼はジラに指示書を渡す。
そこには、こう書かれている。

 「51012038捜査本部各位へ上級監理官より通達

  運営部の監査員に、この文書を提示され、本件に関する質問を受けた場合は、
  諸君の上司に応えるが如く、速やかに回答せよ。

  アルドール・セードロ上級監理官 (印)」

結構な達筆は扨置き、余りに簡素な文書だったので、これで通じるかジラは心配になった。

161 :創る名無しに見る名無し:2015/06/16(火) 20:30:55.10 ID:iy7Q9XOO.net
或いは、自分を揶揄っているのかも知れないと、彼女は疑念を抱く。

 「本当に、これで通じるんですか?
  又、戻って来るのは嫌ですよ」

 「大丈夫、大丈夫。
  これでも聞かなかったら、怒鳴り込んでやるよ」

アルドールが自信満々に言い切るので、ジラは信用する事にして、再び捜査本部へ向かった。
ジラが指示書を見せると、ロンジェヴィト捜査本部長は特に詫びもせず、改めて彼女に、
ジグニト捜査官から話を聞いてくれと言う。
ジラは釈然としない物を抱えながらも、ジグニト捜査官に指示書を見せ付け、話し掛けた。

 「ジグニト捜査官、捜査状況を教えて下さい」

ジグニトは初めて手を止め、指示書の、特にアルドールの印を睨む。
指示書を本物と認めた彼は、資料作成作業に戻りながら、ジラに説明する。

 「……解りました。
  捜査状況ですね。
  現在は心測法の結果待ちです」

不親切にも、それだけでジグニトは言葉を切った。
これは自分から働き掛けないと、話が動かないと思ったジラは、彼に尋ねる。

 「被害者と被疑者の氏名、所属は?」

 「被害者はブリンガー魔導師会魔法競技会所属のシェーロ・スビーロ・ジェラーダ。
  被疑者は刑事部捜査一課のドワット・セリユス・オートコリン」

 「両者の関係は?」

 「……パッチ君、パッチ君!」

ジグニトは一々質問して来るジラに、応えるのが面倒になったのか、若い捜査官を呼び付けた。

162 :創る名無しに見る名無し:2015/06/16(火) 20:33:53.90 ID:iy7Q9XOO.net
パッチと呼ばれた若い捜査官は、小走りで駆け寄る。
ジグニトは彼に命じた。

 「彼女に付き合ってやって」

 「この方は?」

 「運営部の監査員。
  捜査に関して質問があるそうだ」

 「へ!?
  あぁっ、はい!」

若い捜査官はジラに向かって、一礼をする。

 「私はパトリシオ・イディリカレド・シュダーです。
  この様な事は不慣れな物で、不手際もあるかも知れませんが……お願いします」

 「ジラ・アルベラ・レバルトです」

合わせてジラも名乗ると、パトリシオは又も礼をする。
かなり緊張しているであろう事が窺える。
恐らくは新人だろう若者を宛がわれて、ジラは少し不満だったが、話を聞き出せるなら、
誰でも良いと割り切った。

 「では、パトリシオさん、どの様な経緯で捜査が進められて来たのか、説明して頂けますか?」

 「ど、どの様な経緯……とは?」

 「事件の発生から、ブリンガーの法務執行部の捜査、そして貴方々統合捜査一課が訪れるまで、
  一連の経過です」

 「あ、そう言う事ですか……。
  了解しました」

163 :創る名無しに見る名無し:2015/06/17(水) 18:56:43.36 ID:dwWC08/U.net
パトリシオは順を追って説明を始める。

 「事件発覚は5月12日、南時4針です。
  被害者はブリンガー魔導師会魔法競技会の魔導師シェーロ・スビーロ・ジェラーダ。
  シェーロの自宅から、『ベッドの上で人が死んでいる』と、都市警察に通報がありました。
  通報したのは彼の友人のリシェ・ボナーレド・テル。
  その日は、午前中にシェーロと会う予定があったそうですが、来なかったので不審に思い、
  シェーロの自宅を訪ねたそうです。
  ……続けて良いですか?」

 「どうぞ」

ジラは相槌を打ちながら、彼の話を書き留めた。

 「死因は正面から両手で首を絞められた事による窒息死。
  かなり強い力だった様で、内出血で首の周りが紫に変色し、頚椎が折れていました。
  死亡推定時刻は12日の北北東時、真夜中です。
  明らかな殺人事件で、これは魔導師を狙った物ではないかと、都市警察に代わって、
  ブリンガー支部の刑事部捜査一課が事件解決に乗り出しました」

 「続けて」

 「ブリンガー捜査一課は、聞き込みと並行して、現場検証で心測法を用いました。
  聞き込みの結果、容疑者の1人として浮かび上がったのが、ドワット・セリユス・オートコリン。
  ブリンガー魔導師会法務執行部刑事部捜査第一課第一係に所属する執行者です。
  心測法で浮かび上がった影が、彼の容貌と一致したので、ブリンガー捜査一課は身柄を確保。
  ドワットは逮捕されるまで、本件でも捜査官として動いていたそうです」

 「ドワットさんは、どうして容疑者に?」

 「3週間前に、シェーロと女性関係で揉め事を起こしています」

 「具体的には?」

 「ドワットが長年付き合っていた彼女を、シェーロに取られたと……。
  名前はエミー・アリュールダ・メッテ。
  商社に勤めている一般人です」

ジラは納得した事を示す為に、何度も頷く。

164 :創る名無しに見る名無し:2015/06/17(水) 19:07:32.15 ID:dwWC08/U.net
 「ドワットさんが逮捕された、その後は?」

 「ドワットは逮捕・勾留に抵抗しませんでしたが、犯行は頑なに否定しました。
  彼は独身で、親元から離れて独り暮らし。
  事件当夜は一人自宅で眠っていたと言う事で、アリバイが無かったのですが……。
  ドワットは誰に聞いても、非常に真面目で、謹厳実直が服を着た様な人だと言う評価で……。
  とても人殺しは考えられないし、嘘を吐くとも思えないと、ブリンガーの刑事部捜査一課は、
  彼の無実を証明する為に――」

ジラはパトリシオに続けて言った。

 「ドワットさんにも、心測法を用いたと」

 「ええ、ドワットの自室で心測法を試した結果、事件当夜は外出していない事が判明しました。
  それでも動機は十分、被害者宅での心測法で見えた影も無視出来ないと言う事で、
  本人の同意を得て、身柄の拘束は継続中です」

 「ドワットさんに兄弟は?」

 「ありません」

 「そっくりさんの可能性は?」

 「……無いとは言い切れませんが、考え難いかと。
  それ程、心測法の影は明確でした。
  モンタージュとの比較を御覧下さい」

パトリシオはジラに3枚の資料を差し出す。
それを受け取って、ジラは目を見張った。
1枚目は顔写真との、2枚目は全身像との比較。
どちらも輪郭が殆ど重なっている上に、細かい特徴も一致している。

165 :創る名無しに見る名無し:2015/06/17(水) 19:14:06.94 ID:dwWC08/U.net
ジラは確認の為に、パトリシオに尋ねた。

 「私は最新の心測法の技術が、どれだけ進んでいるか知らないのですが……。
  心測法の影は、もっと曖昧な物だと思っていました」

 「はい。
  しかし、事件の翌日と取り掛かりが早かったのと、証拠を隠滅した形跡が無かったので、
  綺麗な影が撮れたそうです」

 「心測法は禁呪で、使用には特別な許可が必要だったと思いますが……。
  ドワットさんの無実を証明する為に、心測法を使った事には、問題は無かったんですか?」

 「その件に関しては、魔法に関する法律第八条一項の三に基づく、事後承諾を申請中だそうです。
  それはブリンガー支部の問題なので、私達には直接関係ありません。
  問題と言えば、問題なのですが……。
  処遇を決めるのは、上の判断ですので」

心測法は禁呪だが、心測法の効果は、時間の経過が短い程、高くなる。
一々許可を求めていては、決定的な証拠を見す見す取り逃すかも知れない。
その為に、手続は簡略化されており、緊急の事情があるならば、事後承諾も認められる。

 「解りました。
  事件の話に戻りましょう。
  本部が動いたと言う事は、ブリンガーの法務執行部から要請があったのですか?
  例えば、心測法の結果が食い違ったので、より精密な心測法を試して欲しいとか」

この問いにだけ、パトリシオは回答を躊躇った。

 「……どうしました?」

 「いえ、それは……、どうなんでしょう……。
  心測法に関する報告が上がった事は、私も聞いていますが……。
  要請があったのか、それとも上の判断なのかは、分かりません」

心測法は今日まで、幾多の難事件を解決して来た。
どんなに偽装しようが、心測法だけは誤魔化せないと言うのが、ファイセアルスの常識である。
だからこそ、魔法を悪用しようとする者は少なく、犯罪抑止に大いに役立っている。
それが食い違うと言う事は、見過ごせない重大な問題である。
下の要請が無くとも、上が判断して介入する事は、あり得るとジラは思った。

166 :創る名無しに見る名無し:2015/06/18(木) 20:20:53.26 ID:AUQaxnRe.net
上の意図は上に聞くとして、ジラはドワットと話をしなければならないと感じた。

 「ドワットさんは拘束中と言う話でしたね。
  今、どこに?」

 「ここの留置場内です」

 「会えますか?」

パトリシオは難しい顔をして、答え倦む。
彼の権限を越えた事なのだろうと、ジラは察した。

 「それは……私の独断では……」

 「そうですか……。
  どうも有り難う御座いました。
  又、何か分からない事があったら、お聞きするかも知れません」

 「ああ、はい」

ジラはパトリシオと別れ、ロンジェヴィト捜査本部長の元へ向かう。
迷惑そうな顔をされても、全く意に介さず、ジラは話し掛けた。

 「ロンジェヴィトさん、事件の被疑者であるドワットさんと面会したいのですが」

 「はぁ、構いませんよ。
  おーい、パッチ君!
  運営部の監査員殿が、被疑者との面会を御希望だ。
  案内してやってくれ」

再び呼ばれたパトリシオは、「何故自分が」とでも言いた気に、驚きと不満の混じった表情をする。

 「いや、しかし、ロンジェヴィト捜査本部長……。
  捜査の方は……」

 「君が居なくても大丈夫だから」

ロンジェヴィトに平然と断じられたパトリシオは、肩を落として項垂れ、ジラに歩み寄った。

 「……行きましょう、ジラさん」

元気の無い声を出す彼を、ジラは少し可哀想だと思うのだった。

167 :創る名無しに見る名無し:2015/06/18(木) 20:22:11.64 ID:AUQaxnRe.net
ジラとパトリシオは、ドワットが勾留されている留置場へ向かう。
途中、ジラはパトリシオに話し掛けた。

 「そう言えば、ドワットさん以外に疑わしい人物は、居なかったんですか?」

 「シェーロも恨みを買う様な人物ではなかった様ですから……。
  エミーとの付き合いも順調で、特にトラブルを抱えていたと言う訳でも……。
  本当に奇妙な事件です」

 「ドワットさんを陥れようとした可能性は?」

 「確かに、執行者と言うのは、恨みを買い易い職業ではありますが……。
  今の所、これと言った人物は特に……」

 「第一発見者の――リシェさんとか?」

 「彼は彼でアリバイがあるので……」

ジラの素人意見は、当然ながら何の参考にもならない。
パトリシオは困った顔をするだけ。
留置棟に着くと、ジラとパトリシオは看守に呼び止められた。

 「どうされましたか?」

パトリシオは看守に説明する。

 「この方は運営部の監査員のジラさんです。
  魔導師殺害事件の捜査の監査に入らっしゃいました。
  ドワット・セリユス・オートコリンとの面会を希望されています」

看守は疑いの眼差しで、ジラを見ている。

168 :創る名無しに見る名無し:2015/06/18(木) 20:37:53.71 ID:AUQaxnRe.net
ジラは顔色一つ変えず、看守に委任状を見せた。

 「この通りです」

看守は委任状を確認すると、物珍し気に長い息を吐く。

 「はぁーー……はい、了解しました。
  管理簿に記入をお願いします」

ジラとパトリシオが管理簿に氏名を記入すると、看守は守衛室の中に向かって声を掛けた。

 「イパ君、面会希望者が2名、面会室に案内して。
  ジャン君は4番を面会室に連れて来て」

 「了解」

男女の返事が同時に聞こえる。
ジラとパトリシオを案内するのは、イパと呼ばれた女性看守。

 「……こちらへ」

目は半開きで、如何にも不機嫌そうな、愛想の悪い顔をしている。
彼女はジラとパトリシオを、面会室に通すと、ドアの前で直立した。
それから少し遅れて、強化ガラスを隔てた向こうに、2人の男が入室する。
1人はジャンと呼ばれた看守。
もう1人が、恐らくドワット。

169 :創る名無しに見る名無し:2015/06/19(金) 19:44:42.14 ID:0tm10lV0.net
ドワットは精悍な顔付きで、体格も立派。
勾留中の身で、魔導師のローブではなく、運動着の様な私服姿だが、これぞ執行者と言う容貌。
殺人の嫌疑が掛けられているにも拘らず、落ち着き払っていて、自信に満ちた印象を受ける。
ジラはガラスを挟んで、ドワットと向かい合って座り、挨拶をした。

 「初めまして、ドワットさんですね?」

 「はい。
  ドワット・セリユス・オートコリンです」

 「私は特別設置監査委員会の選任監査員ジラ・アルベラ・レバルトです」

 「私に何の用でしょうか?」

彼女の名乗りを聞いて、ドワットは表情をやや険しくする。
勾留されていても、心は刑事部の執行者なのだ。
身内に迷惑は掛けられないと、考えている。

 「そう構えないで下さい」

ジラが宥める様に優しく言っても、ドワットは気を抜かない。

 「……何が目的なんですか?」

 「少し、お話を伺いたいだけです」

 「何の?」

 「それは勿論、事件に就いて……」

ドワットに睨まれ、ジラは参ったなと眉尻を下げる。

170 :創る名無しに見る名無し:2015/06/19(金) 19:48:16.35 ID:0tm10lV0.net
ジラはドワットに尋ねた。

 「先ず、事実の確認をさせて下さい。
  貴方は殺人の疑いで勾留されている。
  これに間違いはありませんね?」

 「はい」

 「御自分は無実と、お考えですか?」

 「はい」

 「違法な取り調べを受けましたか?」

 「いいえ」

ドワットは低い声で淡々と答える。

 「その他、現在の捜査本部の捜査に不満はありますか?」

 「いいえ。
  強いて挙げるなら、自分の手で無実を証明出来ない事が惜しい位です」

 「では、どうして勾留された儘なのですか?
  捜査に復帰は出来ずとも、自粛命令や自宅軟禁が妥当だと思いますが……」

 「本部の方々は、然程面識の無い私を信用しないでしょう。
  監視に捜査の人員を割くよりは、こちらの方が手間が掛からないかと。
  意に反して拘束されている訳ではありません。
  それに……私は仲間を信じています。
  絶対に真犯人を見付けてくれると」

そう口では言うドワットだが、よく観察すれば、顔は少し窶れており、やや憔悴している様子。
不安を押し込めて、強引に自分を納得させているのだろう。

171 :創る名無しに見る名無し:2015/06/19(金) 19:51:41.17 ID:0tm10lV0.net
心掛けは立派だが、こんな状況で精神的に参らないのか、ジラは心配になった。

 「健康診断は受けていますか?」

 「身体は健康その物です」

 「精神の方は?」

 「必要ありません」

強気に断じるドワットを見て、ジラは困った人だと小さく息を吐く。
彼は運営部の者に、弱さを見せる訳には行かないと、考えているのかも知れない。
ジラは他に聞くべき事は無いかと、少し思案した。

 「……ドワットさんは、今回の事件を、どう考えていますか?」

 「どう――とは?」

質問の意図が理解出来ず、ドワットは尋ね返す。
ジラは真剣な表情で、問い直した。

 「シェーロさんを恨んでいませんでしたか?」

 「……エミーが決めた事です。
  私が恨む恨まないと言うのは、違うでしょう」

押し殺した様な言い方に、ジラは動揺を感じ取り、続けて問う。

 「シェーロさんが殺害されたと聞いて、『貴方は』、どう思いましたか?」

 「それは……どう言う意味ですか?
  何ですか?
  私が人死にを喜んだのではないかと?」

ドワットは怒気を孕んだ声で問い返したが、ジラは謝らない。

172 :創る名無しに見る名無し:2015/06/19(金) 19:55:49.72 ID:0tm10lV0.net
これは必要な質問なのだ。

 「重要な事です。
  答えて下さい」

 「喜ぶ訳が無いでしょう!
  私は魔導師会の執行者です!」

数極の間、ジラとドワットは互いに目を合わせる。
睨み付けるドワットと、冷たい瞳のジラ。
先に視線を逸らしたのは、ジラだった。

 「解りました。
  御協力、有り難う御座いました。
  又、お話を伺うかも知れません」

ドワットは嘘を吐いていない。
彼はシェーロを恨んではいたが、その死を喜びはしなかった。
ジラは席を立ち、ドワットに礼をして、パトリシオに声を掛けた。

 「行きましょう」

ジラとパトリシオは連れ立って面会室を後にする。
パトリシオは退室後、ジラに尋ねた。

 「次は何を?」

 「エミーさんに話を伺いたいと思います」

 「何か気付いた事があるんですか?
  ドワットの何が、そんなに引っ掛かるんです?
  彼を疑っているんですか?」

統合刑事部の捜査を監査するなら、ドワットの周辺を探る必要は無い。
全く無意味と言う訳ではないが、普通はエミーよりも、心測法の現場を優先する。
パトリシオにはジラの思考と行動が不可解だった。

 「私にも、よく解りません。
  女の勘と言う奴でしょうか?」

ジラ自身も理由は上手く説明出来ないが、彼女はドワットに違和感があった。

173 :創る名無しに見る名無し:2015/06/20(土) 19:26:09.23 ID:YAOc1zIW.net
ジラとパトリシオはブリンガー魔導師会本部から、ドワットの元恋人エミーの自宅へ移動する。
時刻は西の時に2針前、エミーは仕事を終え、帰宅している時間。
呼び鈴に反応して玄関に出たエミーは、魔導師のローブを着たジラとパトリシオを認めて、
倦んざりした顔を見せた。

 「今日は」

ジラが挨拶をすると、エミーは小さく溜め息を吐いて尋ねる。

 「今度は何の用ですか?」

 「あぁ、誤解なさらないで下さい。
  私は刑事執行者ではありません。
  運営部の者で、選任監査員のジラ・アルベラ・レバルトと言います」

 「選任監査員?」

 「捜査に逸脱が無いか、調べる役割です。
  エミーさん、貴女は刑事執行者の捜査に問題を感じませんでしたか?
  令状も無く捜索を受けたとか、誘導的な質問を受けたとか、何か嫌な思いをさせられたとか」

ジラの説明に、エミーは納得して、肩の力を抜いた。

 「苦情を受け付けてくれるの?」

 「それが刑事部の裁量を逸脱した物であれば」

174 :創る名無しに見る名無し:2015/06/20(土) 19:29:26.04 ID:YAOc1zIW.net
エミーは不満そうに腕組みをし、ジラに話を始めた。

 「シェーロやドワットとの事を、根掘り葉掘り聞かれて、執拗(しつこ)かったわ」

 「捜査に関係無い、個人的な領域にまで踏み込まれたんですか?」

 「どこまで事件に関係あるか、私には判らないけど……。
  シェーロと付き合った理由とか、ドワットと別れた理由とか、聞く必要があったの?
  今まで何人彼氏を作ったとか、丸で人を尻軽みたいに」

 「……恐らく、男女間のトラブルを疑われたのでしょう」

ジラの推測に、エミーは静かな怒りを表す。

 「シェーロとは直ぐに別れたのよ?
  お互いに納得尽くの事だから、トラブルになり様が無いわ」

 「別れた?」

 「ええ、刑事の執行者さんにも話したけど、元々シェーロと付き合う気は無かったの」

 「それは余計にトラブルの元では?」

何故そんな真似をしたのかと、ジラはエミーに問うた。
エミーは溜め息を吐いて答える。

 「……ドワットと別れたかったの。
  それでシェーロと一芝居打った訳」

 「芝居?」

 「シェーロには間(あわ)良くばって気持ちがあったみたいだけど。
  私は確り断った。
  友達付き合いは続けてるけどね」

それは余りに身勝手ではないかと、ジラは思ったのだが、言葉を呑んで堪えた。

175 :創る名無しに見る名無し:2015/06/20(土) 19:31:01.43 ID:YAOc1zIW.net
彼女は感情より、情報の獲得を優先する。

 「どうして、そこまでしてドワットさんと別れる必要が?」

エミーは少し不快そうに顔を歪めた物の、素直に話した。

 「彼――ドワットは、付き合い初めは、真面目で頼れる人だったんだけど……。
  何箇月か経つと、泣き言を言う事が多くなって。
  真面目な人だから、弱音を吐ける人が欲しいのかなと思ってたわ。
  でも、段々重く感じて……」

 「あの――」

ジラが口を挟もうとすると、エミーは先を制して遮る。

 「解ってる、言わないで。
  少し位は受け容れるべきだって言いたいんでしょう?
  刑事の執行者さんにも言われたわ。
  でも、違うのよ。
  あの人達は真面目に聞いてくれなかったけど、ドワットは普通じゃなかったの」

 「普通じゃない……とは?」

真剣な顔で尋ねるジラに、エミーは語る。

 「暴力を振るうとか、そう言うんじゃなくて……。
  彼の泣き言を聞けて、初めは私も嬉しかったの。
  ドワットは、あの性格だから、裏があっても不思議じゃないでしょう?
  他人には絶対に見せない、弱味を見せてくれたって言うか……。
  でも、そうじゃなかったのよ」

ジラは今一つ彼女の話が読めないでいたが、静かに聞き手に努めた。

176 :創る名無しに見る名無し:2015/06/21(日) 19:39:15.79 ID:9k8LT+/m.net
 「ドワットの泣き言は、日に日に酷くなって行ったの。
  自分は人間の屑だとか、存在価値が無いだとか、そんな事ばかり。
  私が『仕事で何かあったの?』って言っても、全然答えてくれない。
  どうしようも無いから、私は『そんな事無いよ』って慰めるだけ。
  勿論、ずっと塞ぎ込んでるんじゃなくて、普段は本当に頼れる良い人なのよ。
  ……何故かは知らないけど、時々そうなっちゃうの。
  落ち着いてる時に聞いても、彼は『全然知らない』、『そんな訳は無い』って。
  もう何が何だか……」

 「それでも、何年かは付き合ったんでしょう?」

 「ええ、それさえ直ってくれたらと思っていたけど……限界だったの。
  他の部分は完璧でも、泣き言は収まる所か、酷くなる一方で……。
  こっちまで気が滅入って来ちゃって。
  もう付き合い切れないなって。
  そこでシェーロに……」

仕事場でのドワットと、全く違う人物評に、ジラは首を傾げる。
真面目過ぎるので、裏がありそうと言うのは理解出来るが、そこまで酷いのだろうか?
それとも……。
ジラは悩まし気に眉間を押さえた。
一方で、エミーは安堵した晴れやかな表情で言う。

 「はぁ、胸の閊えが取れた感じ。
  有り難う、監査員さん。
  刑事の執行者さんは、言い訳だと思って全然聞いてくれなかったから」

 「……シェーロさんは御友人だったんですよね?」

友人の死を悲しんだり、犯人に怒りを感じたりしないのか、ジラは不審に思った。
エミーは気不味そうに俯き加減で答える。

 「御免なさい、事件の事は早く忘れたいの。
  シェーロは友人って言うか、公学校時代の同級生で……。
  別に、そんな親しい訳でもなくて……。
  同窓会で偶々再会して、向こうから話し掛けて来たのよ?
  元気無いけど、どうしたのって。
  だから、ドワットとの事で悩んでいた私は……」

177 :創る名無しに見る名無し:2015/06/21(日) 19:44:34.10 ID:9k8LT+/m.net
彼女は徐に面を上げて、不安気にジラに尋ねた。

 「私は事件には関係無いでしょう?
  幾ら何でも、あのドワットが人殺しをするとは思えないし。
  ドワットがシェーロを殺したんじゃなければ、私は無関係。
  そうよね?」

 「貴女自身が疑われている可能性はありますよ」

 「私の無実は、私が一番よく知ってるわ。
  疑われるのは気分良くないけど……。
  執行者さんは心測法で過去を読むから、どんな嘘も誤魔化しも効かないんでしょう?
  だったら、私の無実も判ってる筈。
  現に私は逮捕されていない物」

嫌に自信を持って、エミーは断言する。
彼女の心配は、自分が原因で事件が起こったのではないかと言う所にある様だ。

 「ええ、そうですね……。
  話を戻しましょう。
  刑事部の執行者は貴女に、ドワットやシェーロとの関係を尋ねた。
  その中で、個人的な事情に踏み込む部分があったと」

 「聞いて来るのは良いのよ?
  でも、だったら、私の話も聞いて欲しいわ」

 「成る程、そこが不満な訳ですね。
  他には、ありませんか?」

 「……色々あった様な気もするけど、貴女と話していたら、気が抜けたわ。
  刑事の執行者さんに、丁(ちゃん)と言っといてね」

 「解りました。
  御協力感謝致します」

ジラはエミーに礼をして、パトリシオを連れ、ブリンガー魔導師会本部に戻った。

178 :創る名無しに見る名無し:2015/06/21(日) 19:47:11.61 ID:9k8LT+/m.net
パトリシオは帰路の途中、ジラに話し掛ける。

 「何だか感じの悪い人でしたね」

 「でも、少なくとも犯人ではない様です。
  それに貴方から聞いた話とは、幾らか違っていました」

ジラの答えに、パトリシオは決まり悪そうに苦笑いで返した。

 「いや……、それは……」

 「先ず、シェーロとエミーは『友人』と言う間柄だった。
  知り合いや友人からは、男女の付き合いがある様に見えたかも知れません。
  しかし、本人の話を聞かないのは、不味いでしょう。
  幾ら言い訳染みていたとしても」

パトリシオが黙ってしまったので、ジラは話を続ける。

 「次に、ドワットの性格。
  どうやら表裏がある様ですね」

 「しかし、どちらも事件の本質には、余り関係が無いと言うか……。
  だからこそ、敢えて問題にしなかったのでは?
  真実を追う余り、細事に拘って、徒に話を複雑するのは、解決を遠ざける悪手ですし……。
  『今の所』ではありますが、エミーは犯人とは目されていない訳ですから……」

パトリシオの言い分に、ジラは理解を示して頷いた。

 「ええ……。
  エミーはシェーロを利用して、ドワットと別れた。
  その事実には、何も変わりが無い……。
  ドワットに動機は十分、心測法にも彼の影が残っていた……」

事件の真相を追うのは、自分の仕事ではないと解っていても、気に掛けずには居られない。
低く唸って考え込むジラに、パトリシオは声を掛ける。

 「明日になれば、より精密な心測法の結果が出ます。
  それを待ちましょう」

パトリシオの言う通りだと思い直したジラは、これで本日の監査を終えて、休む事にした。
翌日、全てが明らかになる事を祈って……。

179 :創る名無しに見る名無し:2015/06/22(月) 20:01:02.52 ID:LRBJXH1L.net
明くる東南東の時、ジラは改めて魔導師会本部法務執行部へ行き、司法長官に挨拶をする。
司法長官室には、昨日と同様にアルドールも居た。
折好く、捜査本部で早朝の報告会が行われると言う事で、ジラは同席する運びに。
アルドールとジラは共に、捜査本部が置かれている第三会議室へ向かう。
アルドールが第三会議室に入ると、既に集合していた刑事執行者が、揃って起立した。
アルドールはジラを上座に招き、その場の全員に向かって、彼女を紹介する。

 「お早う、諸君。
  既に何人かは聞いていると思うが、昨日から運営部の監査員が来ている。
  彼女が特設監査委員会の選任監査員ジラ・アルベラ・レバルト君だ。
  皆、失礼の無い様に。
  では、ロンジェヴィト捜査本部長、始めてくれ」

 「はい。
  では、これより報告会を始める。
  着席!」

ロンジェヴィトの号令で、一同は席に着いた。
そして、班毎に昨日の捜査結果を報告し合う。

180 :創る名無しに見る名無し:2015/06/22(月) 20:11:04.15 ID:LRBJXH1L.net
そこで驚愕の事実が続々と明らかになった。
先ず、ブリンガーの刑事部が行った心測法の結果は、両方とも正しいと証明された。
即ち、シェーロを殺害した犯人はドワットと全く同じ容姿であり、同時にドワットにはアリバイがあった。
更に、心測法の映像では、犯人は家の中に忽然と現れ、シェーロの居る寝室まで移動して、
彼を殺害した後、律儀にも玄関で、現れた時と同様に忽然と、姿を消していた。
これを説明する時の、統合鑑識課の捜査員の表情は、忸怩たる物であった。
恐らくは、心測法を以ってしても、解明出来ない現象に出会したのは、初めてなのだろう。
加えて、犯人は現場に体毛一本も証拠品を残さなかった。
そんな筈は無いのだ。
心測法が映し出した犯人の影は、何の偽装も隠蔽も行っていない。
マスクを被って顔を隠す事も、手袋を嵌めて指紋を残さない事も、怠っている。
協力者の存在も無かった。
何の配慮も無く、犯行の際に証拠が残らないとは考えられない。
導き出される結論は一つ、――外道魔法の関与であった。
外道魔法は共通魔法とは原理が異なり、未解明な部分が多い。
共通魔法も大概便利な物だが、外道魔法は更に「何でもあり」になってしまう。
心測法も未知の魔法にまでは対応出来ない。
タハデラ市魔導師殺害事件捜査本部は、事件解決の為に、外道魔法の対処を専門とする、
統合捜査六課の出動を要請する事になった。

181 :創る名無しに見る名無し:2015/06/22(月) 20:29:44.40 ID:LRBJXH1L.net
しかし、統合捜査六課が到着したとして、必ずしも事件が解決するとは限らない。
捜査六課の切り札、魔法の逆探知も万能とは言い難い。
捜査本部は事件の捜査を継続し、可能な限りの情報を集めに奔走する。
心測法にドワットの影が映ったからには、少なくとも彼に関連している何者かの仕業なのだ。
ドワットを陥れようとしたのか、その意図は知れないが……。
第三会議室を飛び出す捜査官達。
ジラも完全に付き人となったパトリシオを連れて、監査に赴いた。
彼女が向かったのは、刑事部捜査一課の刑事部屋。

 「捜査の現場は見ないんですか?」

監査が目的なら、何れかの捜査班に同行するのではないのかと、パトリシオは訝った。

 「今、出来る事と言ったら、関係者の洗い直し位の物でしょう。
  パトリシオさん、貴方は昨日のエミーの話を、捜査本部に報告しましたか?」

 「え?
  ええ、一応は……」

 「どんな反応をされました?」

 「それは……何とも言い兼ねます。
  聞いては貰えましたが……」

余り本気にされなかったのだなと、ジラは察した。
それは仕方の無い事なのかも知れない。
誰でも多かれ少なかれ、裏表がある物だ。
事件の解決に繋がりそうな情報ではない。

182 :創る名無しに見る名無し:2015/06/23(火) 19:20:52.24 ID:6h5MCzF6.net
しかし、ジラは既に事件の真相に当たりを付けていた。
先の報告会で、外道魔法が関係している可能性が高いと聞いて、それは確信に変わりつつある。
そして、『何を』『どう』監査するのか、彼女は方針を固めていた。
ジラは捜査一課の刑事部屋に入ると、課長のドミノン・グロース・フォレに話し掛けた。

 「お早う御座います。
  捜査第一課課長ですね?
  私は特別設置監査委員会の選任監査員ジラ・アルベラ・レバルトです」

 「ああ、はい、何ですか?
  捜査の事なら、何も教えられませんよ。
  何も知らないんですから」

ドミノン課長は副課長と同じく、余り好意的な態度ではない。

 「いえ、ドワットさんに就いて、お聞きしたい事がありまして。
  課長は事件前のドワットさんに、何か変化は感じませんでしたか?」

 「未だドワットが犯人と決まった訳じゃないでしょう」

 「そうではなくて、健康状態の話です」

 「……少し疲れていたかな。
  ドワットは真面目過ぎるから、少し休めと言った覚えがあります。
  結局、休みはしませんでしたが……。
  あいつは根っからの仕事人間で、元々余り休みたがらないんです。
  今回の件が休暇代わりになれば良いんですがね」

皮肉なのか冗談なのか、それとも真面目に心配しているのか、ドミノンは溜め息混じりに言う。

183 :創る名無しに見る名無し:2015/06/23(火) 19:26:26.12 ID:6h5MCzF6.net
次にジラは医事課に移動した。
そこでも彼女は、ドワットの健康状態に就いて訊ねる。
そうした所、医療魔導師の1人が、心当たりがあると言った。

 「ドワットさんなら、今月2日に来ましたよ」

ジラは落ち着いて問う。

 「どんな様子でした?」

 「眠れないと言うので、睡眠導入剤を処方しました。
  溜め息が多くて、結構参っている感じでしたね。
  個人的に色々あった後の様なので、何と言いましょうか……。
  神経が昂っていると、自己催眠魔法は掛かり難くなりますから」

医療魔導師もドワットが拘束された経緯は知っている様子。

 「処方箋はありますか?」

 「はい。
  ドンルレーヴを3日分、1回1錠寝る前に。
  市販の物と同じで、そんなに強い物ではありません」

処方箋を確認したジラは、続けて問うた。

 「その後は?」

 「よく眠れる様になったと言う事で、特には……」

 「捜査第一課の課長や副課長に話は?」

 「……していません。
  本人が他言無用と。
  それに、健康状態も回復した様ですし……」

彼女は何を問題にしているのだろうと、パトリシオは終始不可解に思っていた。

184 :創る名無しに見る名無し:2015/06/23(火) 19:29:50.47 ID:6h5MCzF6.net
医事課を出た後で、パトリシオはジラに尋ねる。

 「ジラさん、やはり貴女はドワットを疑っているんですか?」

 「いいえ、ドワットは無実でしょう」

 「では、何故ドワットの周辺を嗅ぎ回る様な真似を?」

 「捜査第六課が参加すれば、この事件は直ぐに解決すると思います」

独り考え込んで、どこか上の空のジラに、パトリシオは不満を持った。

 「どう言う事です?
  犯人が誰か、知っているんですか?」

 「大凡見当は付いています。
  的外れの可能性もありますが……」

ジラは少し自信無さそうに答えたが、パトリシオは食い付いた。

 「構いません、教えて下さい」

 「『2人の魔法使い<デュアル・マジシャン>』だと思います。
  恐らくは、無自覚の『二重人格<ダブル>』」

 「二重人格……。
  成る程、それなら愚者の魔法も通じない……。
  でも、裏の人格が偶然外道魔法に目覚めたと言うんですか?
  そもそも、ドワットは何時から二重人格に?」

次々と質問して来るパトリシオに、ジラは困り顔になる。

 「詳しくは本人に聞く他にありませんが……。
  二重人格なら、『ドワットを』幾ら問い詰めても無駄です。
  精神魔法で引き出すか、深部心測法を試すか……」

 「ドワットが二重人格だと報告して、信じて貰えるでしょうか?」

 「私は刑事ではないので、何とも言えません。
  報告の仕方次第だと思います。
  精神魔法を使うのであれば、私も立ち会わせて下さい」

果たして、その翌日……パトリシオの提言は通じ、捜査六課と医療魔導師の立会いの下、
ドワットは精神魔法を掛けられた。

185 :創る名無しに見る名無し:2015/06/24(水) 20:05:34.08 ID:cWmvpMy5.net
ドワットは両手足を拘束された状態で、医事課の診療室のリクライニング・チェアに寝かされる。
ドワットに対し、医療魔導師が2人掛かりで精神魔法を試みる。
他の者達は、片側からしか見えないガラスを隔てた別室で、その様子を観察していた。
監査員のジラは誘導が無いか監視する為に。
捜査六課の捜査官は外道魔法の気配を探る為に。
ドワットの同僚達は普段との差異が無いか見る為に。
捜査一課の捜査官も、特に役割がある訳ではないが、事件の真相を知るべく、同座していた。
アルドール監理官、ロンジェヴィト捜査本部長も、責任者として付いている。
診療室の2人の医療魔導師は、1人は部屋中に魔法陣を描き、もう1人はドワットに声を掛け、
彼をリラックスさせていた。
精神魔法の準備が進められる中、アルドールはジラに話し掛けた。

 「さて、どうなる事やらね……。
  これで本当にドワットが二重人格だったら、刑事部の面目は丸潰れだ」

彼は他人事の様な口振りだが、事実そうなのだろう。
捜査指揮権は捜査本部長にあり、アルドールは捜査の障害となり得る権利上の問題を解消する為、
同行しているに過ぎない。
監理官は刑事ではないのだ。
アルドールの隣のロンジェヴィト捜査本部長は、両腕を組み、無言でドワットを見詰めて、
険しい顔をしている。

186 :創る名無しに見る名無し:2015/06/24(水) 20:12:58.14 ID:cWmvpMy5.net
今回の処置は、確たる根拠があって使用される訳ではない。
仮に、ドワットが民間人だったならば、説得も含めて、施術に幾らかの手続が必要になっただろう。
ドワットは自らの無実を証明する為に、進んで精神魔法を受ける事に同意した。
どちらかと言えば、疑いを晴らす性格が強いのだ。
もし彼が二重人格だとしても、それが外道魔法によって強制的に植え付けられた物であれば、
未だ同情の余地はある。
ドワットの同僚達は、祈る思いで注視していた。
やがてドワットは両目を閉じ、安らかな寝息を立てる。
今から試される魔法は、精神分析魔法。
催眠魔法で心の壁を解した後、共感魔法を通じて、徐々に被術者の内に入り込み、記憶を引き出す。
そうやって無意識を意識させるのだ。
共感魔法自体は有り触れた物で、それは相手が拒絶しようと思えば出来る程度に過ぎない。
当人が知られたくない内面にまで踏み込む物は、扱いの難しい禁呪になる。
そこで催眠魔法を用いて、警戒を解かせる。
精神に作用する催眠魔法は、比較的呪文が簡単で、余り魔力を必要としない為に、悪用され易い。
この様な「簡単な魔法の組み合わせ」でも、危険と判断されると『禁呪<フォビドゥン>』指定になる。
その為に、医療魔導師と言う、特別な資格が必要となるのだ。

187 :創る名無しに見る名無し:2015/06/24(水) 20:26:25.65 ID:cWmvpMy5.net
医療魔導師は静かに緩くりと、優しい声で、ドワットに語り掛ける。

 「ドワットさん、記憶を巻き戻しましょう。
  貴方は女性と付き合っていました。
  彼女の名前はエミー・アリュールダ・メッテ。
  そこに1人の男性が現れます。
  彼の名前はシェーロ……」

ドワットは譫言を漏らす。

 「シェーロ……。
  奴がエミーを……」

激しい憎悪を感じ取り、医療魔導師は顔を顰めた。
共感魔法は悪意や敵意も受け容れる。
受けた側は、それが丸で自己の内部から発生した様に、感じてしまう。
当然、「良くない」、「落ち着け」、「これは自分の物ではない」と、抑制や拒絶の反応を示す。
だが、これがドワットに伝わってしまうと、感情が振れて、記憶の再現にならない。
医療魔導師は呪文を切り替え、自分の感情を遮断して、ドワットの心を読む事に専念する。
ドワットの表情は次第に苦悶に歪んで行く。

 「憎しみを懐くな……。
  エミーが決めた事……」

ドワットは当時の感情を思い出しているのだ。
必死に憎悪を抑える様を、観察者達は憐れに思った。
ドワットの同僚達は正視に堪えないと俯く。
我が事に置き換えれば、とても他人には見せられない姿。
余りに痛々しい。

188 :創る名無しに見る名無し:2015/06/24(水) 20:40:50.71 ID:cWmvpMy5.net
ドワットは暫く言葉にならない譫言を繰り返していたが、唐突に信じられない言葉を口にした。

 「……シェーロ、打っ殺してやる!」

余りに明瞭だったので、一同は驚いて身を竦める。
次の瞬間、彼の目が開いた。
催眠魔法が切れたのかと、焦った医療魔導師は目を泳がせる。

 「はぁ……、安らかに眠っていたのによぉ……。
  よくも俺を呼び覚ましたな?」

ドワットは鋭い目で、医療魔導師を睨んでいる。
彼は明らかに意識がある。
だが、細目で瞳に精彩は感じられず、、口元は薄ら笑いを浮かべ、声は奇妙に嗄れている。
体格も筋肉量が減ったかの様に、少し萎んで見える……。
ドワットの変貌に、医療魔導師は魔力状況を警戒しながら、努めて冷静に尋ねた。

 「貴方は?」

 「俺はラーシュ……。
  ドワットの主人、基本人格だ」

 「主人?」

 「ああ、だから全部把握している。
  今の状況にも混乱は無い。
  お前は俺に話があるんだろう?
  それと……向こうの連中も」

ラーシュと名乗った人格は、観察者達が向こう側に居る壁に、目を遣って言う。
不意に起こされた割には、受け答えに随分と余裕がある。

189 :創る名無しに見る名無し:2015/06/25(木) 18:58:28.52 ID:gYjOO0jh.net
医療魔導師は直ぐに落ち着きを取り戻し、淡々とした口調で、ラーシュとの会話を続けた。

 「貴方が基本人格と言う事は、ドワットさんは?」

 「俺みたいな屑は、世間では生き辛い。
  だから、完璧な人格を創って、日常の面倒事を全部押し付けた。
  正義を愛する、公明正大な理想の男……ドワット。
  俺が生きて行く為には、あいつが必要だった」

ラーシュに催眠魔法は効いていないが、共感魔法は残っている。
医療魔導師は僅かに伝わる感情から、ラーシュは自棄になっていると察した。

 「では、何故ラーシュと?
  貴方はドワットさんでは……」

 「止めろ。
  ドワットの名は、あいつに呉れてやった。
  俺はラーシュで十分だ」

ラーシュは基本人格と言う割には、嫌に卑屈である。
少なくとも、ドワットには無かった面だ。
ガラスの向こうで、ドワットの同僚達は信じ難い事実に蒼褪めていた。
完全な二重人格ではなく、深刻な演技性人格障害の可能性もあるが、それでも異常には変わり無い。
医療魔導師は慎重に尋ねる。

 「ドワットさんが……貴方の人格が別れたのは何時ですか?」

 「そうじゃねえだろう?
  回り諄い真似をするな。
  聞けよ、『お前がシェーロを殺したのか?』って」

医療魔導師が言葉に詰まると、シェーロは嘲笑うかの様に続けた。

 「ああ、俺が殺した。
  呪詛魔法を使ってな」

 「……どこで呪詛魔法を覚えたのですか?」

 「ドワットは魔導師会の刑事執行者。
  一課は外対との共同捜査も多い。
  機会は幾らでも……」

 「ドワットさんは貴方の存在を知っているのですか?」

 「知っている訳が無い。
  奴は何も知らない……。
  俺の存在は邪魔なんだ……」

ドワットが覚醒中でも、ラーシュの意識はあったが、心までは共有していないのだと、
医療魔導師は共感魔法で読み取った。

190 :創る名無しに見る名無し:2015/06/25(木) 19:02:50.31 ID:gYjOO0jh.net
一方、ガラスを隔てた隣室では、関係者が揃って頭を抱えていた。
一々何が問題だと言う事も出来ない。
何も彼もが問題である。

 「やれやれ、参った参った。
  監査員殿と新人君の大手柄と言う訳だ」

アルドールはジラに対し、肩を竦めて戯けて見せた。
しかし、ジラは返答せず、黙って考え込んでいる。

 「未だ懸念が?」

 「ラーシュがドワットさんの基本人格と言うのは、本当なんでしょうか……」

 「それは然したる問題ではないと思うが?
  どちらにせよ、『彼』の仕出かした事に変わりは無い」

問答無用で即座に裁くのか、治療を受けさせた上で裁くのか、処罰の仕方はあろうが、
ともあれ犯人は確定した。
アルドールは今回の事件を、それで片付けようとしている。
それで良いのかも知れない。
病気だろうが何だろうが、所詮は個人の事情である。
だが、ジラは気懸かりな事が1つあった。

 「どうしてラーシュは、あんなに素直に白状するんでしょう?」

 「追い詰められて、開き直っているのでは?」

 「それにしては、随分余裕と言うか……」

 「覚悟は出来ていたのではないかな?
  もしかしたら、ドワットも別の人格に薄々感付いていたのかも知れない」

アルドールとジラが話していると、医療魔導師がロンジェヴィト捜査本部長に、テレパシーを飛ばした。
それに気付いたアルドールは、横からロンジェヴィトに尋ねる。

 「何事だ?」

 「ラーシュが捜査官と話をしたいと」

 「それで?」

 「希望通り、話をさせてみます」

 「結構」

ロンジェヴィトは捜査官を診療室に入れ、ラーシュと話をさせた。

191 :創る名無しに見る名無し:2015/06/25(木) 19:11:43.46 ID:gYjOO0jh.net
ラーシュは捜査六課の捜査官達に、洗い浚い犯行の手口を自供した。
彼がシェーロ殺害に用いた魔法は、『影煩いの法』。
所謂「ドッペルゲンガー」の魔法である。
ラーシュは自己の人格に、呪詛魔法で構成した影の体を与え、ドワットから分離して犯行に及んだ。
驚くべき事に、犯行の1週前から分離状態だったと言う。
犯行後は1日間を置いて、ドワットの体に戻り、眠っていた。
捜査六課と話を終えると、ラーシュは次にドワットの同僚達を呼んだ。
そして、一人一人と顔を合わせ、ドワットからの人物評と、ラーシュからの人物評を告げる。
嫌がらせの様な所業だが、ジラと医療魔導師は、そこに明確な意図を感じ取っていた。
医療魔導師はドワットと交替出来るかと、ラーシュに問うたが、彼は拒んだ。
曰く、「今は表に出られる状態ではない」と。
医療魔導師は陰で、「ラーシュが自殺するかも知れない」と、捜査本部長に警告した。
ドワットとラーシュは、どちらに主導権があるのか判然としない。
自由に人格を入れ替えられるかも不明。
ラーシュが自らを基本人格としたのは、飽くまで自己申告だが、無視は出来ない。
強制的に人格をドワットに戻しても、目を離した隙にラーシュに入れ替わり、自殺されでもしたら、
刑事部は恥の上塗りである。
捜査本部長はラーシュを表出させた儘で、監視を強化して、留置場に戻す事にした。

192 :創る名無しに見る名無し:2015/06/25(木) 19:45:07.45 ID:gYjOO0jh.net
>>189
訂正があります。
「医療魔導師が言葉に詰まると、シェーロは嘲笑うかの様に続けた」は、
「医療魔導師が言葉に詰まると、ラーシュは嘲笑うかの様に続けた」が正しいです。

193 :創る名無しに見る名無し:2015/06/26(金) 19:43:57.33 ID:Azd0EcW1.net
……人格をドワットに戻さなかったのは、彼自身がラーシュの存在を認められるか、
不安だった為だ。
事実を知ってしまえば、ドワットが自殺し兼ねない。
誰に何を恥じる事も無く、立派に生きて来た積もりが、裏で別の人格に憂さ晴らしをさせていた等、
想像を絶する痴態。
真面な神経であれば自己嫌悪に陥るだろう。
どの道、ドワットはラーシュの存在を知らされるのだが、今は誰も覚悟が出来ていなかった。
各々が事実を受け容れるので、一杯だったのだ。
しかし、ジラは違った。
監査の為には、ラーシュにも話を聞く必要があると思っていた彼女は、捜査本部から改めて、
パトリシオを借り、留置場へ向かった。
当のパトリシオは、自らの報告が事件解決の一因となった事を自覚して、興奮していた。

 「ジラさん、私は何と言って良いか……!
  言葉にならない位、感動しています。
  後学の為に教えて欲しいんですが、どうしてドワットを怪しいと思ったのですか?」

どうやら彼はジラを買い被っている様子。

 「初めから怪しいと思っていた訳ではありません。
  但(ただ)――……」

 「但?」

 「ドワットさんには、人望がありました。
  ブリンガーの刑事執行者達は、彼の無実を証明すべく動いていた様に思えます」

 「フムフム、先入観ですね。
  同僚が悪事を働く訳が無いと言う思い込みが、真実を覆い隠していたと」

 「ええ、でも、それは半分正解でした。
  悪事を働いたのは、彼自身ではなかった……」

ジラは浮かない顔だが、パトリシオは余り気にしない。

 「どの時点で二重人格の疑いを持ったんですか?
  やはりエミーの話から?」

 「そうかも知れないと感じたのは、確かにエミーさんの話を聞いてからなのですが……。
  ドワットさんには……上手く言えないんですけど、危うさを感じたんです。
  強い使命感と責任感、そして仲間との厚い信頼関係。
  刑事執行者としては理想だと思いますが、出来過ぎていると言うか、嘘臭いと言うか……。
  人を疑って掛かる、嫌らしい性格だと思われるでしょうが……」

 「いや、ジラさんは監査員ですし……。
  私達刑事執行者も、疑うのが仕事みたいな所がありますから……。
  性善説では仕事になりませんよ」

パトリシオはジラを励ますも、彼女は答えず、気不味い沈黙が訪れた。

194 :創る名無しに見る名無し:2015/06/26(金) 19:46:53.91 ID:Azd0EcW1.net
焦ったパトリシオは、話を続けて沈黙を破る。

 「ジラさんは報告会の後で、直ぐにドワットの事件前の精神状態を、確認しに行きましたよね?
  その時には、もう確信を持っていたんですか?」

 「確信と言うか……。
  私が考えていたのは、『2人のコリゼタ』です」

唐突なジラの発言に、パトリシオは小首を傾げた。

 「コリゼタ?」

 「旧暦の逸話に登場する少女の名前です。
  人は『善』と『悪』を認識した時から、自己の中に如何ともし難い葛藤を得る。
  欲求の儘に『悪に誘われる自分』と、清く正しく『善でありたい自分』。
  ある所にコリゼタと言う、善良な娘が居ました。
  ある日、彼女は旅の老人が宝石を落とす所を目撃します。
  善良なコリゼタは拾って上げようと思いますが、老人は気付かず歩き去ってしまいました。
  老人に宝石を渡す機会を逸した彼女は、自分の中の悪に気付いてしまいます。
  『拾った宝石を自分の物に出来るのではないか?』と……。
  コリゼタは三日三晩悩み続け、4日目の朝に善と悪に別れてしまいます」

 「その後コリゼタは、どうなるんですか?」

 「悪のコリゼタは好き放題に遊び回り、善のコリゼタは悪の自分の振る舞いに心を痛めます。
  悪のコリゼタは人に迷惑を掛け通しでも、自由で楽しそう。
  反面、善のコリゼタは悪のコリゼタの所為で、何時も苦しそう。
  やがて善のコリゼタは悪のコリゼタを憎み、最後には悪のコリゼタを殺してしまう……」

 「それで?」

 「『そして最後に悪が残った』……。
  これで終わりです」

何とも後味の悪い話に、パトリシオは眉を顰める。

 「詰まり、ドワットはコリゼタと同じかも知れないと、ジラさんは連想した訳ですか……。
  あのー、関係無い話で申し訳ありませんが、ジラさんはコリゼタの話を、どこで?
  私が物を知らないだけかも知れませんが、童話にしても聞いた覚えが無い物ですから……」

ジラは遠い目をして答えた。

 「去年まで、旧い話が好きな人と、付き合っていたんです……」

 「童話作家?」

 「いえ、研究者。
  『2人のコリゼタ』は、偶にマリオネット演劇で公開されますよ」

 「はぁー、そうなんですか……。
  教養は大事ですねぇ……」

パトリシオは感心して溜め息を吐く。

195 :創る名無しに見る名無し:2015/06/26(金) 19:49:46.44 ID:Azd0EcW1.net
留置場に着いた2人は、前回と同様に、看守を伴って面会室に移った。
ラーシュはジラを見て、開口一番皮肉を飛ばす。

 「有り難う、運営部の監査員さん。
  あんたが俺に気付いてくれなければ、事件は解決しなかったのに」

ジラは彼の言葉を軽く流した。

 「私でなくとも、何れ誰かが真実に辿り着いたでしょう。
  二重人格の外道魔法使いは、珍しくはありますが、類例が無い訳ではありません」

 「いいや、それは違うね」

ラーシュは自分にしか解らない真実を抱えている様だったが、ジラは敢えて無視した。

 「どうでも良い事です。
  それより、貴方は本当にドワットさんの基本人格なのですか?」

ラーシュは無理解なジラを嘲笑う。

 「俺達は元々1つだった。
  だが、俺にはドワットが必要で、ドワットも俺を必要とした。
  だから、『こうなった』。
  日常の煩わしい事は全部ドワットが肩代わりした。
  そして、俺は……」

行き成り、ラーシュは泣きそうな声を出す。
余りの情緒不安定振りに、ジラは戸惑った。
ラーシュは弱々しい声で語り始める。

 「俺は間も無く消える。
  だから、事件の解決が遅れていたら、真実は闇に葬られていた。
  俺に気付いてくれた、あんたには全部話す」

徒ならぬ雰囲気に、ジラは緊張して固唾を呑む。
どうせ都合の好い言い訳をするのだろうと、邪推もしたが、先ずは耳を傾けた。

196 :創る名無しに見る名無し:2015/06/27(土) 19:49:12.51 ID:BShwo2Op.net
 「全部?」

 「俺は殺人の手段は明かしたが、動機までは明かしていない」

エミーと別れた事で、シェーロを恨んでいたのではないのかと、ジラは興味を持つ。

 「ここでは内緒話は出来ないが、関係無い。
  『あんたに教える』んだ。
  ……俺がシェーロを殺したのは、復讐の為だ」

勿体振った割に、ラーシュの告白は然して驚く様な内容では無く、彼女は肩透かしを食った気分。

 「復讐とは、シェーロさんに対して?
  それとも、エミーさんに対して?」

だが、ラーシュの答は意外な物だった。

 「少なくとも、シェーロは関係無い。
  俺が復讐したかったのは、ドワットとエミーに対してだ」

 「ドワットさんに……?
  殺人の嫌疑を掛けて、同僚に逮捕させる事で?」

 「違う、何も彼も違う。
  ドワットは俺を憎んでいた」

 「しかし、ドワットさんは貴方の存在を知らないと、貴方が――」

矛盾するラーシュの発言に、ジラは混乱する。

 「ドワットは人間なら誰もが持つ、恨みや憎しみを忌避していた。
  だから、マイナスの感情は全て俺が引き受けた。
  ドワットは完璧な人間でなければならない。
  俺にとっても、ドワットにとっても。
  何故なら、それがドワットの存在意義だから」

彼女は「ドワットがラーシュを生み出した」と思い込んでいた。
日常でもドワットが主に表出しており、彼が窮した時にラーシュが表出している。
「完璧な人間でありたい」と願うドワットの心が、人間的な醜さを引き受けるラーシュと言う人格を、
生み出したと考えるのが自然だ。
それに、多重人格者は自我の消失を恐れるので、各々の人格が「自分こそ本来の人格である」と、
主張すると聞いていた。

197 :創る名無しに見る名無し:2015/06/27(土) 19:53:16.71 ID:BShwo2Op.net
ラーシュは尚も続ける。

 「俺はドワットを維持する為に、ラーシュを演じた。
  気付けば、俺は人生の大半を、ドワットに譲っていた。
  誰も彼も、俺がドワットである事を望んだ。
  そう、エミーも……。
  俺はラーシュである事に限界を感じていた」

ジラは未だラーシュの言っている事を理解出来ない。
ドワットが仮の人格ならば、何故自らラーシュを名乗ったのか?
基本人格である自分に、仮の名前を付ける理由が解らないのだ。

 「ドワットは恨みや憎しみを嫌う。
  それを生み出しているのは、俺だ。
  ドワットは完璧な人間で、恨みや憎しみに囚われない。
  だから、ドワットは俺を嫌っている……。
  だったら、お望み通り、居なくなってやろうじゃないか!
  誰も彼も俺が不要な存在だと言うなら!
  その前に、ラーシュと言う存在を全員に認知させて、どれだけドワットが歪な存在だったか、
  思い知らせてやってからな!!」

啖呵を切ったラーシュに、看守は慌てて反応し、彼を取り押さえる。
しかし、ラーシュは抵抗せずに吐き捨てる。

 「安心しろよ、俺は自殺なんかしない。
  俺を殺すのはドワットだ。
  ドワットは俺を抑圧したがっている。
  長い年月を掛けて、あいつは俺の中で肥大化し、既に俺を圧し潰そうとしている!」

そしてジラを睨(ね)め上げた。

 「『御機嫌よう<ボン・ジュルネ>』、監査員殿。
  ドワットに宜しく……」

ラーシュは嫌らしい笑みを浮かべ、両目を閉じて、気を失う
それは間違い無く、彼の呪言であった。

198 :創る名無しに見る名無し:2015/06/27(土) 20:04:21.34 ID:BShwo2Op.net
ラーシュは気絶したが、代わりにドワットが目覚めると言う事も無い。
面会を続けられる状態ではなくなり、ジラとパトリシオは留置場を後にした。
パトリシオはジラに話し掛ける。

 「ラーシュの話、本当だったら不味いですね……。
  ラーシュが消えてしまったら、何も知らないドワットを裁く事になります。
  最初から全部計算尽くで、勝ち逃げする積もりだったんでしょうか?」

 「勝ち逃げとは違うと思いますが、間違い無く計算はしていたでしょう。
  でも、私達には何も出来ません。
  全てはドワットさんの心の中で起こる事です」

 「……ドワットは事実を受け容れられるでしょうか?
  自分が作られた人格だとか、裏の人格が外道魔法を使ったとか……」

 「分かりません。
  ラーシュには虚言癖がある様です。
  幾つか、事実と異なる発言がありましたよね。
  全くの嘘ではないにしても、彼の言う事を鵜呑みには出来ないと思います」

 「虚言癖?
  じゃあ、どこまで信じられるんですか?」

 「それは私の仕事ではないので……」

ジラが苦笑いで返すと、パトリシオは唇を尖らせた。

 「狡いですよ、ジラさん」

 「私は飽くまで監査員です。
  確りして下さい、パトリシオさん。
  貴方は刑事執行者でしょう?」

 「はぁ、そうですね……」

当たり前の事だが、ジラは刑事執行者ではない。
確かに、その通りだと、パトリシオは大きな溜め息を吐いた後、気合を入れ直すのだった。

199 :創る名無しに見る名無し:2015/06/28(日) 19:21:11.70 ID:UCb4rj+e.net
パトリシオは改めて、ジラに話し掛ける。

 「ジラさんは未だ監査を続けられますか?」

 「はい。
  捜査が終わるまで、監査は終わりませんよ」

 「では、次は?」

 「犯人が犯行を自供しても、裏付け捜査が残っているでしょう。
  捜査第六課と医療魔導師に話を伺います」

 「解りました。
  行きましょう」

ジラの監査任務は、捜査本部が解散するまで続いた。
……その間、特に新しい発見や問題は無く、事件の犯人はドワットで確定。
監査を終えたジラは、本部へ帰還する前に、司法長官室に最後の挨拶に行く。

 「私の監査任務も本日で終了です。
  お世話になりました、ユーベント司法長官」

 「ああ、御苦労様」

ユーベントの対応は最後まで淡白だった。
ジラが到着した時には、事件の捜査指揮権は、ブリンガー支部から統合刑事部に移った後で、
ユーベントは司法長官ながら、特に権限を発揮出来なかったので、礼を言われる筋合いは無いと、
思っているのかも知れない。
その場に居合わせたアルドール上級監理官にも、ジラは謝辞を述べる。

 「アルドール上級監理官も、御協力有り難う御座いました」

 「どう致しまして。
  いや、礼を言わないと行けないのは、こちらの方かな。
  ――っと、そうだ、君に言伝がある」

アルドールは途中で思い出した様に、指を鳴らして言った。

 「何でしょう?」

 「ドワットが君と話をしたいそうだ。
  嫌なら断っても構わないが……」

 「いえ、丁度好いです。
  私も伺いたいと思っていたので」

ジラは最後の最後に、ドワットと面会に留置場へ向かう。

200 :創る名無しに見る名無し:2015/06/28(日) 19:22:07.83 ID:UCb4rj+e.net
何を言われるのだろうかと、ジラは緊張して面会室で待っていた。
ドワットはラーシュが消えた後、心神喪失状態で、正気に返ったとは聞いていなかった。
真面な精神状態に戻っていれば良いがと、ジラは心配する。
看守と医療魔導師に連れられて、ドワットが面会室に入って来る。
足取りは確りしており、少なくとも異常がある様には見えない。
両目も拮(きち)んと開いている。
ドワットはジラに対し、先ず謝意を示した。

 「ジラさん、有り難う御座いました」

何に就いて感謝しているのか、ジラが困惑していると、ドワットは続ける。

 「貴女が居なければ、事件の解決は遅れていたでしょう。
  どうしても、直接お礼を言いたかったのです」

ジラは腑に落ちない顔で、ドワットに尋ねる。

 「もう大丈夫なのですか?」

 「ええ、御心配をお掛けしました。
  ラーシュの事は、吃驚しましたが……。
  今は大丈夫です」

何が大丈夫なのだろうかと、ジラは疑問に思う。

 「ラーシュとは和解出来ましたか?」

 「え……?
  いや、和解も何も……。
  どうやって?」

何も知らない様子のドワットに、この儘で本当に良いのかと、ジラは悩んだ。

201 :創る名無しに見る名無し:2015/06/28(日) 19:23:53.17 ID:UCb4rj+e.net
ラーシュとドワットが分かれた経緯は、他の者を通じて、関係者に伝わっている筈である。
ドワットに人並みの心があれば、ラーシュの事情を知って、平静では居られない。
恐らくは、ドワットの精神安定の為に、医療魔導師は全てを話していないのだろう。
人格の統合も簡単ではない。
それは専門家の領分で、自分が口を出すべきではないと、ジラは判断した。
ラーシュが本当に消えたのか、確認する術は無い。
これからドワットが治療を受ける過程で、判明する事だろう。

 (俺が復讐したかったのは、ドワットとエミーに対してだ)

それで片付けようと思っていたジラだったが、不意にラーシュの言葉が思い浮かんだ。

 (だったら、お望み通り、居なくなってやろうじゃないか!
  誰も彼も俺が不要な存在だと言うなら!
  その前に、ラーシュと言う存在を全員に認知させて、どれだけドワットが歪な存在だったか、
  思い知らせてやってからな!!)

彼の無念は、どこへ行くのだろうか?
何も伝えない儘で良いのだろうか?
悩み抜いた末に、ジラは大きく溜め息を吐く。

 「ラーシュも確かに、貴方だったのです。
  それを忘れないで下さい」

 「はい。
  私は自らへの戒めとして、生涯その名前を忘れない事でしょう」

「そうじゃない」とジラは言いたかったが、今は時期ではないと思って堪えた。
ラーシュは復讐の為に事件を起こした。
ドワットの心に傷を残すのが目的なら、態々それを達成させてやる義理は無いと、
刑事部の者達は判断したのかも知れない。
何が正しいのか、ジラは胸に靄を抱えた儘、留置場を後にする。

202 :創る名無しに見る名無し:2015/06/28(日) 19:33:05.33 ID:UCb4rj+e.net
ジラは鉄道馬車に揺られて、グラマー市の本部へ帰る。
事件には外道魔法が関わっていたが、魔導師会を狙った物ではなく、被害者への怨恨が原因で、
それも恋愛絡みの上に、二重人格と言う特殊な例で……。
彼女は自ら作成した報告書を、確認の為に何度も読み返しながら、コリゼタとドワットに就いて、
取り留めも無く考えを巡らせていた。
善のコリゼタは悪のコリゼタを殺した後、どうなったのだろうか?
ドワットは半身であるラーシュを欠いて、普通の人間に戻れるのだろうか?

 (俺はラーシュ……。
  ドワットの主人、基本人格だ)

ラーシュはドワットの主人を自称した。
ドワットの名は譲ったとも。

 (俺はドワットを維持する為に、ラーシュを演じた)

ラーシュは本当に「悪」なのだろうかと、ジラは思う。
彼は全ての記憶を持ち、自らの負の部分を抱え込んで、『卑怯者<ラーシュ>』と名乗った。
それはラーシュも根は善人だったからではないだろうか……?
自らの卑小さを知るからこそ、彼は完璧な人間――ドワットを「別に」生み出し、己は影に徹した。
ラーシュの「望み通り」、ドワットは人望を集めた。
その過程で、ラーシュは自分の存在に疑問を持ってしまったのだろう。
ドワットは信頼されていた。
殺人事件に巻き込まれても、同僚達に無実を信じて貰える程に……。
ラーシュの片鱗を垣間見たエミーも、ドワットを疑いはしなかった。
誰も彼もドワットだけを認め、ラーシュに気付こうとしなかった。
ラーシュの犯行は、「ドワットを完璧だと信じる者達」への復讐だったのではないか……。
ジラは今更ながらに、ラーシュの言い分が気に掛かり、報告書の内容は、これで良いのかと、
自問自答するのだった。

203 :創る名無しに見る名無し:2015/06/29(月) 20:23:02.91 ID:HePRtzGs.net
「やあ、監査員殿」

「アルドール上級監理官……。その呼び方は止めて下さい。監査任務は終わりました」

「残念、驚いてくれないの?」

「お互い任務が終わったら、本部に帰るんですから、乗り合わせる事もあるでしょう」

「それは、その通りなんだが……。参ったな」

「何か御用ですか?」

「難事件を解決に導いた名探偵殿が、物憂げな顔をしているから、気になってね。
 パトリシオ君から聞いたよ。二重人格に感付いた切っ掛けが、『2人のコリゼタ』とは畏れ入った」

「偶々知っていただけです」

「――ヴィルトケルン・シュターカイン・ヴェッテルの『嘘吐き達<ロイテ・レーグン>』を知っているかな?」

「いいえ」

「開花期の初期に書かれた古典SFだ。愚者の魔法が世間に広まり、人々は嘘が吐けなくなった。
 それでも秘密にしたい事がある。だから、人類は愚者の魔法に対抗して、『人格管理』と言う、
 新たな進化を遂げる。そんな未来を描いた話さ」

「人格管理?」

「主人格が幾つもの副人格を管理して、それぞれに与える情報を限定する。日常では、
 副人格が表出して、各々与えられた役割を熟す。家庭では親の人格、仕事場では職人の人格。
 秘密にしたい事は、表出しない主人格に預けて、忘れてしまう。こうして秘密は守られる。
 未来では、多重人格が常識と言う訳だな」

204 :創る名無しに見る名無し:2015/06/29(月) 20:27:18.10 ID:HePRtzGs.net
「そんなに都合好く行く物ですか?」

「勿論、そんな訳が無い。作品中でも、人格管理を完璧に行える人間は少数だ。
 主人公のフェストクラフトは、人格管理で社会的に成功した青年だが、ある日、
 副人格が自分の知らない秘密を抱えている事に気付く。彼は乗っ取りの恐怖に怯えて――と、
 サイコ・サスペンス風に物語は展開する」

「面白そうな話ですね」

「しかし、残念ながら映像化も舞台化もされていない。SF小説の古典の名作なんだけどね。
 作者のヴィルトケルンは、エグゼラ地方民だ。エグゼラ地方は厳しい環境が故か、合理的、
 実用的な物を好む。それは思考や行動も同じく。人格を管理すると言う、機械的な発想は、
 如何にもエグゼラ的だと言われる」

「どうして、そんな話を? 今回の事件と何か?」

「君は去年まで、旧い話が好きな研究者と付き合っていたと聞いたから、対抗してみたのさ。
 こう見えて、魔法学校では文学青年だった」

「その人は女の子ですよ」

「Oh……、あぁ、何だ……。ハハハ、いや、参ったな、本当」

205 :創る名無しに見る名無し:2015/06/29(月) 20:28:28.47 ID:HePRtzGs.net
「ジラさん、社交会からメールが届いています。反応は良いみたいですよ」

「社交会?」

「お見合いの話です。忘れたんですか?」

「あ、ああ、はい!」

「お付き合いしてみます?」

「ええっ、行き成りですか!?」

「何方も社交会に入っているのが、不思議な位に評判の良い方ですよ。こう言うのは、
 早い者勝ちですから、浮ら浮らしていると横から取られてしまいます」

「そ、そう言われても……」

「取り敢えずは、メールを確認して下さい。ジラさんとの交際を希望されている方の、
 プロフィルが添付してあります」

「……社長に、運営委員に、代議員……」

「容姿、収入、性格、何れも申し分無い方々ですよ」

「眩暈がしそう。これ、全部本当なんですか?」

「魔導師会の登録情報ですから、プロフィールは偽れません。どの程度結婚願望があるか、
 その本気度合いは人によって違いますが……」

「で、でも、話が旨過ぎて、何だか怖いですよ……。やっぱり、普通の人が良いです……。
 身の丈に合っていると言うか……」

「どうしたんです?」

「いえ、少々思う所がありまして……。完璧過ぎると言うのも、考え物ですよね……」

「刑事執行者の職業病が伝染(うつ)りましたか?」

「そ、そうかも知れません」

206 :創る名無しに見る名無し:2015/06/29(月) 20:36:25.04 ID:gXs4rdWd.net
かわいい

207 :創る名無しに見る名無し:2015/06/30(火) 19:25:27.22 ID:N84LK9zo.net
魔導師会法務執行部 組織図
Common spell Missionary Organization
Judicial section and Legal enforcement station
Organization chart

○本部 Integrated Division

司法総長官 Judicial president
├・統合司令室 Integrated Control Room
│ ├・司法長官代理会議 Congress of Attonys of Judicial minister
│ ├・統合刑事部(一部軍隊に近い側面を持つ) Integrated Criminal Department
│ │ ├・統合総務課
│ │ ├・統合捜査第一課
│ │ ├・統合捜査第二課
│ │ ├・統合捜査第四課
│ │ ├・統合捜査第五課
│ │ ├・統合捜査第六課
│ │ ├・統合留置管理課
│ │ ├・統合鑑識課
│ │ ├・統合医事課
│ │ └・統合備品管理課
│ │  ※統合捜査第三課は存在せず
│ ├・統合治安維持部 Integrated Security maintenance Department
│ │ ├・統合総務課
│ │ ├・統合警備課
│ │ ├・統合生活安全課
│ │ └・統合交通安全課
│ ├・統合裁判部 Integrated Court and Judge Department
│ │ ├・本部魔導師会裁判所
│ │ ├・本部鑑定所
│ │ ├・統合判事会
│ │ └・統合資料保管課
│ └・統合刑務部 Integrated Prison and Penalty Department
│    ├・本部魔法犯罪者収容所
│    ├・本部医事課
│    ├・本部処理課
│    └・統合情報管理課
└・組織監理局(上級監理官は、ここの所属) Organization supervision Office

208 :創る名無しに見る名無し:2015/06/30(火) 19:27:53.30 ID:N84LK9zo.net
○支部 Branch

司法長官 Judicial minister
統轄局(司法副長官・司法次官は、ここの所属) Coordination Office

├・刑事部(魔法に関する法律が制定された後組織)
│ ├・総務課
│ ├・捜査第一課(主として魔法での殺人・傷害事件を扱う) 通称「一課」
│ ├・捜査第二課(主として魔法での知能犯事件を扱う) 通称「二課」
│ ├・捜査第三課(他の魔法犯罪事件を扱う) 通称「三課」、以上を纏めて刑事課とも言う
│ ├・捜査第四課(処刑人を擁し、処分・制圧を担当) 通称「処理課」、数字では呼ばれない
│ ├・捜査第五課(組織犯罪事件を扱う) 通称「組対(そたい)課」、こちらも数字では呼ばれない
│ ├・捜査第六課(主として外道魔法関連を扱う) 通称「外対(げたい)課」、知名度が低い
│ ├・初動対応係(通報や緊急事態に対応する) 通称「駆付(かけつけ)」、課と同等の扱い
│ ├・留置管理課(確保した被疑者の勾留・保護を担当する)
│ ├・鑑識課(心測法を扱うのは、この部署)
│ ├・医事課(刑事部は仕事柄、怪我人が多いので、各課の医療班とも連携)
│ └・備品管理課(刑事部が扱う備品を管理する)

├・治安維持部(魔導師会治安維持部の後継で、歴史は刑事部より古い)
│ ├・総務課
│ ├・警備課(個人・団体・土地・施設の警備を担当する)
│ ├・生活安全課(軽微な魔法犯罪、注意・警戒の呼び掛け、市街地や住宅地の警邏を担当する)
│ ├・交通安全課(道路・鉄道・航路等の警戒・警邏・事故対応を担当する)
│ ├・保護課(留置場の管理。相手は主に酔っ払い、不良少年少女)
│ ├・地域課(派出所、駐在所勤務)
│ ├・医事課(こちらの医事課は、主に事故や喧嘩での怪我人に対応)
│ └・備品管理課(治安維持部が扱う備品を管理する)
├・裁判部
│ ├・魔導師会裁判所(裁判所の一般職員は、ここの所属)
│ ├・鑑定所(被告人の精神鑑定や人格検査を行う他、裁判中の保護も担当する)
│ ├・判事会(魔導師会裁判官は、ここの所属)
│ └・資料保管課(裁判資料や判決文の保管)
└・刑務部
   ├・魔法犯罪者収容所(刑務官は、ここの所属) 所謂「魔法刑務所」
   ├・医事課(主として収容者・刑務官の健康維持・精神治療を目的とする)
   ├・処理課(魔法刑罰を担当、こちらも処刑人を擁する)
   └・情報管理課(収容者の情報を扱う)

209 :創る名無しに見る名無し:2015/06/30(火) 20:03:09.05 ID:N84LK9zo.net
執行者とは、法務執行部に所属する者の総称で、特に現場で働く者を言う。
魔導師会法務執行部の前身は、魔導師会治安維持部であり、後に機能を整理・追加して、
現在の法務執行部になった。
刑事、裁判、刑務が1つの組織に纏まっているのは、偏に共通魔法で真偽が明らかになる為である。
刑事部捜査第三課は、一課や二課の範疇が出動するまでも無い、比較的軽い犯罪に対して動く。
統合捜査第三課が存在しない理由は、統合刑事部が出動する様な規模になると、
必然的に大事件となる為である。
四課を「処理課」、五課を「組対」、六課を「外対」と呼ぶのは刑事部内の隠語であり、
外部の人間は、こうした呼び方を余りしない。
五課以降は後から整理・追加された組織。
それぞれの課は独立しているが、特に大事件では共同して捜査に当たる事が多い。
その場合は刑事部の次長(稀に副部長)が指揮を執るか、特別に捜査本部長を任命する。
統合司令部の人員は然程多くないが、刑事部だけは人員・機能共に充実している。
これは大規模事件に備えている為で、例えば統合備品管理課は、通常用いない特殊な魔導機を、
多数管理している。
非常時は通信魔導機の緊急連絡釦(赤い『○』)と100を押せば、最寄の地域課派出所に繋がる。
重大事件では同様に101番を押せば、初動対応係に繋がる。
魔法が関係無い事件では991番、救急は999番。
テレパシーの応用で、魔力通信を使って通報も出来るが、周辺の魔力状況によっては、
通信に乗れない場合もある。

210 :創る名無しに見る名無し:2015/06/30(火) 20:04:17.84 ID:N84LK9zo.net
これ等の設定は仮なので変更するかも知れません。

211 :創る名無しに見る名無し:2015/06/30(火) 20:58:37.45 ID:N84LK9zo.net
>>207
Congress of Attonys of Judicial ministerは、AttonysじゃなくてAttorneysです。
司法大臣の代理人達の議会。
英語力が怪しいので英語表現が正しいかは分かりませんが……。
役職や部署は似た様な意味の単語が多くて困ります。

212 :創る名無しに見る名無し:2015/07/01(水) 19:29:06.95 ID:NHXNNqxm.net
心動かす物


第四魔法都市ティナー 繁華街にて


旅の描画魔法使いシトラカラスは、一人前の描画魔法使いになる為に、修行中の身。
理想の絵を描く為に、心動く物を求めて、各地を放浪中。
街に寄って街を描き、山に入って山を描き、川に沿って川を描き……、彼は昼夜を問わず、
絵を描く事に没頭した。
ある日、偶々立ち寄ったティナー市の繁華街で、シトラカラスは1人の女性に惹かれる。
それまで、彼は様々な女性を見て来た。
路上でフラワリングをする人、商売をする人、男性を連れている人、路上に固まって喋り倒す人、
サイドウォーク・カフェで食事をする人、酔っ払って都市警察の世話になる人。
しかし、その女性に感じた物は、これまでの何れとも違った。
一見、彼女と他の女性と何が違うのか判らないし、理由も不明だが、とにかく惹き付けられたのだ。
普通ならば、これを一目惚れと言うのだろうが、シトラカラスは自らの内に生じた感情を、
何と呼んで良いのか知らなかった。
だが、強く「絵に描き留めたい」と感じ、彼女を呼び止める事にしたのである。

213 :創る名無しに見る名無し:2015/07/01(水) 19:34:12.28 ID:NHXNNqxm.net
シトラカラスは人込みを掻き分け、彼女の背中を追って、声を掛けた。

 「済みません、待って下さい!」

彼女は振り返って、シトラカラスと目を合わせる。
シトラカラスは自分の感覚が狂っていない事を信じて、必死の形相で彼女に申し出た。

 「わ、私の絵のモデルになって頂けませんか?」

 「……良いですけど」

彼女は怪しんで、少々迷う素振りを見せたが、断りはしなかった。
シトラカラスは安堵し、大袈裟に何度も謝辞を述べた。

 「有り難う御座います!
  本当に、本当に有り難う!」

彼は長らく絵を描いて来たが、中々自分で納得出来る物を描けず、描画魔法使いとして、
行き詰まりを感じていた。
絵を描く為の、あらゆる技法・技巧を極めたと言うのに、未だ何か足りない……。
それが何か、シトラカラスは考え続けていた。
ここで彼は漸く自らの心を動かす物に巡り逢え、真の描画魔法使いに近付けると、
希望を持ったのだ。

214 :創る名無しに見る名無し:2015/07/01(水) 19:39:06.62 ID:NHXNNqxm.net
絵のモデルになる事を了承した彼女は、シトラカラスに尋ねる。

 「所で、お礼は頂けたりするのか知らん?」

 「えっ……」

シトラカラスは目を瞬かせ、短時間硬直した後、恐る恐る提案した。

 「その、相場は知らないんですが……。
  1角1万MG……いえ、2万……あぁっ、吝嗇(ケチ)な事は言いません!
  今日お付き合い頂ければ、20万MG支払います!」

余りに必死な彼の様子に、彼女は苦笑して受け容れた。

 「はぁ、私は良いけど……。
  貴方が困らない?
  お金持ちには見えないのに」

シトラカラスは外見には無頓着で、特に身形を整える事をしない。
金には縁の無さそうな風貌だ。

 「いや、構わないんです!
  今、使わないと、後悔しますから!」

 「そんなに……?」

 「はい!」

徒ならぬ勢いに、彼女は引き気味だったが、シトラカラスは尚も形振り構わなかった。
これは千載一遇の機会で、今を逃せば次があるか分からない。
何百年と求め続けた物が、彼女には有るのだ。
それを得られるならば、金は疎か、命をも投げ捨てる覚悟であった。

215 :創る名無しに見る名無し:2015/07/02(木) 19:37:42.30 ID:qsUzyoRe.net
シトラカラスは絵を描くのに適した場所は無いかと、周辺を窺って、取り敢えず彼女を、
手近なサイドウォーク・カフェに誘う。

 「ここにしましょう。
  どうぞ、掛けて下さい」

 「どの位で仕上げられるの?」

 「お時間は取らせません。
  半角もあれば十分です」
  
時間を気にする彼女に、シトラカラスは告げる。
絵筆の速さには自信があった。
2人向かい合って席に着くと、シトラカラスは早速スケッチブックを広げる。

 「何かポーズを取らなくて良い?」

 「いえ、お気遣い無く。
  楽になさって下さい」

彼女は腑に落ちない様子ながら、寛ぎ始めた。
間も無く、給仕が注文を取りに来る。

 「御注文を伺います」

 「私は『軽食<ライト・ミール>』で」

全く悩まず給仕に注文したモデルの彼女は、シトラカラスに目を遣った。
給仕もシトラカラスに視線を送る。

 「あ、私は要りません」

シトラカラスは即座に断った。
カフェテリアで、席に着きながら注文しない事は、非常識なのだが、シトラカラスは気にしない。
給仕は迷惑そうな顔をしたが、連れの女性が注文したので、それで良しとして下がった。

216 :創る名無しに見る名無し:2015/07/02(木) 19:41:02.35 ID:qsUzyoRe.net
給仕が軽食を持って来る前に、シトラカラスは絵を1枚仕上げていた。
しかし、出来が気に入らなかったので、難しい顔をして絵を切り離し、一から描き直す。

 「お待たせしました」

給仕が軽食を持って来ると、シトラカラスは2枚目の絵を諦める。
給仕もモデルの彼女も、不思議そうな目をして、絵を描くシトラカラスを見ていた。
モデルの彼女が食べ終わるまで、シトラカラスは10枚以上の絵を没にした。
難しい顔をしてばかりのシトラカラスが気になり、彼女は没になった絵を取り上げる。

 「……わっ、上手……って言うか、凄い!」

それは丸で動画の様に、彼女の一瞬一瞬の動作を描き出していた。
しかし、シトラカラスは憮然として謙遜する。

 「そんな事はありません。
  余り没にした絵を見ないで下さい」

 「あ、御免なさい。
  でも、何が悪かったの?
  よく描けているのに」

彼女に問われ、シトラカラスは小さく溜め息を吐いた。

 「いいえ、少しも描けてなんかいません。
  魂の無い絵は虚しいだけです」

 「芸術家肌なのね……」

強く我を通すシトラカラスを、そう彼女は評する。

 「私が貴女に感じた物を、少しも表現出来ていないのです。
  これが私の限界なんでしょうか……」

 「『感じた』って何を?」

 「私にも解りません……。
  只、貴女には他の人と違う物を感じて、惹き付けられたのです」

217 :創る名無しに見る名無し:2015/07/02(木) 19:44:03.74 ID:qsUzyoRe.net
俯き加減で告白するシトラカラスに、彼女は小声で囁いた。

 「貴方は自分の中に生まれた感情を知らないのね……」

 「……激しい感動がありました。
  しかし、確かに、貴女の言う通り……。
  それを何と呼ぶのか、私は知りません」

 「御免なさい、私の所為で」

彼女に唐突に謝られ、シトラカラスは控え目に驚く。

 「何故、貴女が謝るんです?」

 「貴方が感じた物を、私は知っているから。
  貴方には人の心の勉強が必要みたいね、描画魔法使いさん」

 「確かに、私は描画魔法使いですが……。
  貴女は一体……?」

呆と彼女を見詰めるシトラカラス。
彼女は妖しい響きの声で答えた。

 「舞踊魔法使い――色欲の踊り子、バーティフューラー・トロウィヤウィッチ・カローディア」

218 :創る名無しに見る名無し:2015/07/03(金) 20:12:13.84 ID:ELWbQpSF.net
相手が芸術魔法使いの仲間と知って、シトラカラスは畏まった。

 「はわっ、済みません、同業とは気付かず……。
  私はシトラカラスと言います。
  シトラカラス・クドーシュ」

それを見てカローディアは小さく笑う。

 「謝らなくても良いわ。
  共通魔法使いじゃないって、知られない様に過ごしてるんだから。
  アナタは思う様な絵が描けなくて困っているのね?」

 「は、はい、そうです」

カローディアは改めて、シトラカラスが没にした絵に目を通した。

 「……よく描けてるけど、確かに『本物』には及ばないわね。
  『絵にも描けない美しさ』って奴?」

彼女は鼻を鳴らして、自慢気に言う。
冗談半分だったのだが、やはり芸術魔法使いには見抜かれる物かと、シトラカラスは感服していた。

 「わ、解りますか……?」

 「ええ、勿論。
  アタシの魔法の性質を考えると、当たり前なんだけど」

 「教えて下さい。
  原因は何ですか?」

懸命な態度で教えを請うシトラカラスに、カローディアは同情した。

219 :創る名無しに見る名無し:2015/07/03(金) 20:21:20.93 ID:ELWbQpSF.net
 「……本来は、気軽に他人に教えられる物じゃないのよ?」

魔法の原理や仕組みは詮索しないのが、旧い魔法使いの暗黙の了解なのだと言う事を、
彼女は予め断っておく。
シトラカラスは小さくなって謝罪した。

 「あっ、はい、存じています。
  不躾で済みませんでした……」

 「解ってるなら良いの。
  先ず、アタシの魔法は人を魅了する物なんだけど……アナタにはアタシが、どう見えてる?」

 「どう……って……」

 「アナタの描いた絵と、アナタの目に映るアタシ、違って見えるんでしょう?」

カローディアに問われて、シトラカラスは自分が描いた絵と、彼女を見比べる。
何も違わない筈なのに、決定的な違いを感じる。
それは何かと、シトラカラスは考えた。

 「輝き……?」

曖昧な事しか言えず、彼は恥じ入る気持ちになる。
だが、嘘は無い。
カローディアの美しさを、十分に表現出来ていないと感じるのだ。

 「その『輝き』こそが、アタシの魔法の神髄。
  トロウィヤウィッチの魔法に掛かった者は、術者に最も魅力的な存在を投影する」

 「幻惑の魔法?
  詰まり、私は魔法で『貴女に魅了されていた』……?」

シトラカラスが考察を述べると、カローディアは意地の悪い笑みを浮かべた。

220 :創る名無しに見る名無し:2015/07/03(金) 20:29:11.98 ID:ELWbQpSF.net
 「惜しいけど、外れ」

 「では……?」

シトラカラスは尋ねる事しか出来ない擬かしさを堪え、忍耐強くカローディアの答を待つ。

 「確かに、アタシは見る人によって印象が変わる。
  でも、それは小手先の技。
  アタシの魔法の本質は、そこには無いの。
  美しさが人によって変わるなら、大勢の関心を惹いたとしても、全員を魅了する事は無理よね。
  印象だけでは、どうにもならない物があるんだから。
  でも、トロウィヤウィッチの魔法は、それを可能にする。
  どうやって?」

行き成り問われたシトラカラスは、吃驚して硬直した。
カローディアの甘い語りに聞き入っていたのだ。
慌てて居住まいを正す彼に、カローディアは妖しく微笑んだ。

 「『アタシが美しい』のよ。
  それがアタシの魔法の神髄。
  『美しい』とは『アタシ』の事。
  幻覚や精神操作とは、別種の能力。
  『美しい』と言う概念と、アタシの存在を結び付けるの」

理解が及ばず、シトラカラスは唯々呆然とする。

 「そんなに難しい話かしら?
  アタシが美しいのは、血が赤い、空が青い、氷が冷たいのと同じ事」

 「炎が熱く、夜が暗く、砂糖が甘い様に?」

シトラカラスが続けると、カローディアは頷いた。

 「『その通り<セ・ヴレ>』、単純な話でしょう?
  だから、美醜を弁別する能力があるなら、何にでも通用するの。
  動物にでもね」

シトラカラスは漸く話を消化し始めた。

 「私は貴女を美しいと感じていた……?
  しかし、それは『貴女が美しい』から……?」

しかし、自らが口にしたトートロジーに違和感を覚えて、彼は眉を顰める。

221 :創る名無しに見る名無し:2015/07/03(金) 20:33:08.18 ID:ELWbQpSF.net
不可思議な話だが、それが魔法だと言われてしまうと、反論し様が無い。

 「惑わせてしまって、御免なさいね。
  はぁ……美しさは罪……」

冗談めかし、自己陶酔気味にカローディアは謝罪したが、シトラカラスは酷く落胆した。
やっと自らの心を動かす物に巡り逢えたと言うのに、それが自然な心の発露ではなく、
魔法で惑わされた結果なのだから、衝撃は大きい。
いや、真実それだけなら許容出来ても、「心が動いたのに満足の行く作品が出来なかった」事が、
心の傷を一層深くした。

 「私は真の魔法使いにはなれないんでしょうか……」

絶望したシトラカラスは消え入りそうな声で尋ねる。
カローディアは思う所があって、彼の話に付き合う事にした。

 「『真の魔法使い』って?」

 「私の絵には魂が無いんです……。
  それは自分の描きたい物が無い所為だと。
  どんなに技を研いても、魂の無い絵しか描けないのでは、真の描画魔法使いにはなれない……」

 「でも、アタシに惹かれたって事は、アナタには少なくとも、『美しさを知る心』はあるのよ。
  本当に心が死んでいるなら、アタシを見ても何も感じない筈。
  アナタに足りない物は、自分の心を理解する事じゃないかしら?
  情動の正体が判らないから、見た儘を写し取る事に固執してしまう……。
  そうじゃなくって?」

222 :創る名無しに見る名無し:2015/07/03(金) 20:36:12.08 ID:ELWbQpSF.net
カローディアの助言に、シトラカラスは考え込む。

 「自分の心……」

 「アナタが描画魔法使いを志した切っ掛けは何?」

 「師匠の絵を見て……。
  それからは師匠に近付く為、絵の修行に、名匠達の絵を真似て……」

 「名匠って、『アナタの判断』?
  それとも――『世間の評価』?」

シトラカラスは俯いて、小声で答えた。

 「師匠の絵以外にも、『良い』と思った絵はあります……。
  こんな絵を描きたいと……。
  それは……」

カローディアは静かに、シトラカラスの言葉を待つ。
彼は過去を顧みて、自らの心を掴もうとしている。

 「でも、それは……『憧れ<ロンギング>』……。
  私は『憧れ』で絵を描いて……。
  だから、真似る事ばかり上手くなって……。
  そう、『だから』――仮令、名匠達と同じ物を見たとしても、同じ絵は描けない……」

だが、導き出した答は否定的。
シトラカラスは項垂れて、黙り込んでしまった。

223 :創る名無しに見る名無し:2015/07/04(土) 19:03:52.23 ID:xrvx0WxD.net
カローディアは微笑を浮かべて、呆れ混じりの溜め息を吐き、優しい言葉を掛ける。

 「アナタはアタシの『友達』に似ているわ。
  一人前の魔法使いを目指している所も、どうすれば良いか悩んでいる所も、
  自分に自信が無い所も」

そして、彼が思いもしなかった事を告げた。

 「アナタは身に付けた技術を、活かせてないだけだと思う。
  絵に魂が無いのは、心の表し方を知らないだけ。
  悩んだり、落ち込んだり出来るなら、楽しんだり、喜んだりも出来る筈でしょう?
  アナタの楽しみや喜びは何?」

 「楽しみ……?」

 「絵を描くのは楽しくない?
  好きだから、やってるんじゃないの?」

 「考えもしませんでした……。
  何を描いても、思う様に仕上がらなくて、苦しくなるばかりで……。
  それを絵に表すまい、表すまいと、知らずに心を殺していたんでしょうか……。
  だから、詰まらない絵になるんですね……」

俯いてばかりのシトラカラスに、カローディアは愈々苛立つ。

 「真面目過ぎる!
  詰まらない絵を描いたって良いじゃない!
  見た儘を描いて、詰まらない物になるなら、詰まらない世の中が悪いんだって。
  楽しくもないのに笑ったって虚しい様に、詰まらない物を面白くしようったって、土台無理な話よ。
  益々詰まらなくなるだけ。
  詰まらない物を、詰まらない儘に描いて、何が悪いの?
  もっと我が儘になりなさいよ」

 「では……、面白い絵を描きたい時は、どうすれば?」

 「アナタの面白いって何なの?
  腹を抱えて大笑いする事?
  好奇心を持って没入する事?
  それとも、涙を流す程に感動する事?」

シトラカラスが答え倦ねていると、カローディアは呆れ果て、外方を向いた。

 「先ず、そこから始めないとね……」

224 :創る名無しに見る名無し:2015/07/04(土) 19:10:51.14 ID:xrvx0WxD.net
彼女は改めて、没になった絵を取り上げ、シトラカラスに見せ付ける。

 「もっと自分の情動を意識して描くべきよ。
  自分を感動させる積もりで、自分に酔って、自画自賛する勢いで!
  アタシを見なさい、こんなにも自信に満ち溢れて、自惚れている!」

 「自分を感動させる……」

カローディアは暗に、「もっと美しく自分を描け」と注文を付けていたのだが、それを解っていながら、
シトラカラスは不思議と爽やかな気持ちだった。
彼はカローディアの言葉で、より真の魔法使いに近付いた気がしていた。

 「心……情動……感情……。
  今の私には、余りにも難しい話です」

 「難しいと思う、その気持ちも立派な心」

 「……では、難解な絵を描けば、良いんでしょうか?」

 「フフッ、そうかもね」

失笑を漏らしたカローディアを見て、シトラカラスは再び心が動いた。
胸の内から、じわりと温かい物が広がると同時に、世界が開ける感覚。
彼は恐る恐る提案する。

 「あの……、もう1枚だけ描かせて貰えませんか?」

カローディアは腕時計を確認しながら答えた。

 「良いけど」

2人が席に着いてから、半角は疾うに過ぎており、早くも1角が経とうとしていたが、彼女は了承した。

 「有り難う御座います……!」

シトラカラスは逸る心を抑え、今一度描画に取り掛かる。

225 :創る名無しに見る名無し:2015/07/04(土) 19:13:46.41 ID:xrvx0WxD.net
これまでは2点前後で絵を没にしていたシトラカラスだが、今回は約1針を掛けて絵を仕上げた。
彼は完成した絵を、堂々とカローディアに見せる。

 「こんな感じです」

それは没にされた絵とは、全く異なっていた。
没にされた絵は、全体的に細部の書き込みが甘いのだが、そんな瑣末な事ではなく、
より根本的な所で違いがある。

 「これがアタシ?」

カローディアは目が点になる位、驚いた。
シトラカラスが最後に描いたカローディアは、女神の様に優しく微笑み、無上の美しさと、
無限の慈しみを湛えていた。

 「そうです」

シトラカラスは恥ずかし気も無く答えるが、逆にカローディアが恥じ入る。

 「お、大袈裟よ……。
  綺麗過ぎる――って言うか、アタシのイメージじゃないわ。
  もっと、こう、色気のある……」

カローディアは自身を妖艶な魔女と認識していた。
それなのに、聖母の様に神々しく描かれては、違和感しか無い。
だが、シトラカラスは耳を傾けない。

 「会心の出来です。
  ――いや、会心は言い過ぎかな……。
  でも、それなりに良い絵が描けたと思っています」

彼は絵の事になると、他の物が全く見えなくなる。
如何にも芸術家らしいと、カローディアは呆れつつも、我が儘になれと自分で言ったのだから、
仕様が無いと受け流した。

226 :創る名無しに見る名無し:2015/07/04(土) 19:16:27.19 ID:xrvx0WxD.net
シトラカラスは満足気な表情で、カローディアに礼を言う。

 「本当に有り難う御座いました。
  感謝を表し尽くすには、言葉が足りません。
  貴女と出会えて良かった……。
  これで漸く、私は描画魔法使いとしての道を、歩み始められます!」

そう言うと、彼はカローディアに仕上げたばかりの絵を差し出した。

 「受け取って下さい。
  それと、これは約束の……」

次いで、ベストのポケットから、有り金を全部取り出す。
紙幣の扱いは雑で、裸金の上に皺だらけ。
カローディアは困り顔で確認した。

 「20万MG以上あるみたいだけど……良いの?」

 「はい、私の気持ちです!
  これでも未だ足りない位なのですが……」

 「呉れるなら、貰うけど……。
  この絵も良いの?
  本当に?」

 「ええ、作品は一期一会。
  手元には置かない主義です」

 「御立派だ事」

 「今日は本当に、本当に有り難う御座いました。
  私は貴女との出会いを、一生忘れません」

シトラカラスは興奮を抑え切れず、胸の高鳴りに任せて、駆け出した。
どこへ行く訳でもない。
只、嬉しかったのだ。
彼の目には、街の全てが、先程までとは違って見えた。
有りと有らゆる物が、輝かしく色付いている。
人々も、動物も、木々も、風も、建物も。

227 :創る名無しに見る名無し:2015/07/04(土) 19:43:03.08 ID:xrvx0WxD.net
 (描き留めよう、熱情が冷めない内に!
  この世界を!)

シトラカラスは目に映る全てを留めたいと思い、街を一望出来る展望台へ向かった。
感激の極みにある彼は、道中の風景さえも描き写したくて堪らなくなり、心と腕の疼きを開放して、
駆けながらスケッチブックに絵筆を走らせる。
スケッチブックの狭い紙面には到底、全ての風景は収まらないが、構わなかった。
心の儘に、絵筆はスケッチブックを食み出して、空を走る。
今のシトラカラスには、無限の絵筆とカンバスがあった。
スケッチブックは消失し、空間に溶け込んで――、絵筆と一体となった指先で線を描けば、
忽ち世界が映し出されて輝く。
これぞ描画魔法の極み……。
シトラカラスが駆け上がる階段は、展望台を超越して、遥か天空へと続いていた。

228 :創る名無しに見る名無し:2015/07/04(土) 19:44:26.38 ID:xrvx0WxD.net
――――その後、シトラカラスを見た者は居ない。

229 :創る名無しに見る名無し:2015/07/04(土) 19:49:39.24 ID:f7PJk+ZD.net
なんと

230 :創る名無しに見る名無し:2015/07/05(日) 20:31:14.21 ID:koWzmBdZ.net
「この絵、どうしたんですか?」

「ああ、それ? 絵描きのモデルになったの。『どうしても』って頼まれて」

「隅にあるのは、サイン? ……シトラカラ――シトラカラス!?」

「どうしたの? 知り合い?」

「ええ、彼は描画魔法使いで、数年来の付き合いです」

「世間は狭いわね……。あー、でも、旧い魔法使いは少ないから、そんなに不思議でもないかー」

「……この絵、本当にシトラカラスさんが描いたんですか?」

「どう言う事?」

「あの人の絵は、写実的と言うか、写真の様と言うか……。とにかく、画風が違うなと思って。
 確かに、色々な絵を描ける人で……、技術的には不可能ではないんでしょうが……。
 余りバーティフューラーさんに似てない……ですよね?」

「それね、同じ芸術魔法使いとして、アタシが助言して上げたのよ」

「それで、この絵を?」

「そう。彼、開眼って言うか、切っ掛けを掴んだ様子だったわ」

「彼が……。あぁ、それは、良かった。良い事です」

231 :創る名無しに見る名無し:2015/07/05(日) 20:33:14.76 ID:koWzmBdZ.net
「成る程、未熟者同士、通じる物があった訳ね。所で、アンタは何時、一人前になれるのかしら?」

「……そ、それは……」

「フフッ、嫌そうな顔。はぁー、未だ未だ先の事になりそうね……」

「……済みません」

「はいはい。話は変わるけど、アンタ、この絵、アタシに似てないって言ったわよね?」

「え゛っ! い、言いましたけど、それが何か……?」

「どう違うの?」

「……こ、この絵は……昔の宗教画みたいで……。女神とか聖女とか、そう言う類の絵と、
 似ていると思いませんか?」

「で、アタシとは似てないと。女神でも聖女でもないと」

「は、はぁ……、そうですね……。そんな感じではないですね……」

「へーェ、フーン……。だったら、どんな感じ?」

232 :創る名無しに見る名無し:2015/07/05(日) 20:38:14.46 ID:koWzmBdZ.net
「……若々しいと言うか、ガーリッシュ? コケティッシュ? しっくり来る形容は思い付きませんが、
 悪戯っぽい雰囲気です。この絵は落ち着き過ぎじゃないでしょうか……」

「Wow、意外と言うのね……。そんな風に見てるんだ……」

「あっ、悪い意味ではなく! 元気と言うか、積極的と言うか、良いと思いますよ、ええ!
 悪い事だとは思いません!」

「じゃあ、どっちが好み? この絵と、アタシと」

「ハハハ、絵と本物とでは、比較になりませんよ」

「へっ?!?!」

「どうしたん――って、あ゛っ! 違っ」

「違う!?」

「いや、その、え、絵は所詮、絵ですから……!」

「あ、ああ、そう言う事ね! そうよね、絵は絵だからね! ――――じゃなくて!
 ……はぁ、やっぱり何でも無いわ。無し、今の無し! 忘れて」

「は、はい……」

233 :創る名無しに見る名無し:2015/07/05(日) 20:41:05.97 ID:koWzmBdZ.net
トロウィヤウィッチの魔法


トロウィヤウィッチが対象を魅了する魔法は、幾つかの魔法の複合である。
概念操作で『美しさ』を刷り込む事が、全ての基礎。
それ自体には、然程強力な魅了の効果は無いが、魅力的な物、美しい物を求める心が、
強ければ強い程、高い効果を発揮する。
逆に、具体的に魅力的な存在を確立している者には、効果が薄くなる。
漠然とした「好み」ではなく、特定の者に好意を寄せていると、掛かり難いのだ。
しかし、概念操作が通じずとも、「見る者の好みが投影される」と言う、幻惑の性質が働く。
加えて、トロウィヤウィッチは相手の働き掛けから、性向や願望を読み取って、
期待通りに振る舞える。
上述の能力は、相通じ合う「両想い」には殆ど効果が無くなる。
だが、熱烈に愛し合える存在があったとしても、最後の手段に精神操作がある。
この様に3つの段階で、トロウィヤウィッチは対象を篭絡するのだが、実用に際しては、
各段階に明確な区別がある訳ではない。
概念操作と幻惑と精神操作は、相互に複雑に絡み合って作用する。

234 :創る名無しに見る名無し:2015/07/05(日) 20:42:33.41 ID:koWzmBdZ.net
成長期のトロウィヤウィッチは魔法で広範囲を魅了し、良い獲物が掛かるのを待つ。
それが何時も良い方向に作用するとは限らない。
美しい物に対する反応は様々で、服従する者もあれば、攻撃したり、嫌悪したりする者もある。
熟練すれば、概念操作でも「強弱」(美しさの範囲や程度)を制御出来る様になるが、
そうなるまでは苦労が絶えない。
相手の性向や願望を読み取る能力は、こうした「外れ」を避ける為でもある。
これと相手を定めた後のトロウィヤウィッチは、その心に寄り添い、深く根を張る。
大抵は直接精神操作をしなくとも、心理掌握術で好い様に転がされる。
悦楽を与えてくれる内は良いが、長らく共に居ると、魔法の影響で精神が蝕まれ、
他の事が一切考えられなくなる。
又、概念操作は半ば無意識の物であり、本人が制御し切れない内は、その「美しさ」故に、
無差別に魅了して、絶えず狙われ続ける。
本人に浮気が無くても、横恋慕から取り合いになり、鞍替えを繰り返す事になる。
無事に守り通しても、その先に待つ物は廃人化の未来なので、性質を知っていれば、
避けるのが賢明。
トロウィヤウィッチの中には、徒に破滅を招くばかりの、自らの能力を忌避する物もあったが、
魅了する性質は生理現象であり、意図して抑えなければ、常に発動している。
それは呼吸の様な物で、潜める事や、一時的に止める事は出来ても、止め続けられはしない。

235 :創る名無しに見る名無し:2015/07/06(月) 20:15:11.55 ID:nnYWukvb.net
エティーのフィッグ


異空デーモテールの小世界エティーにて


大世界マクナクを追放されたフィッグ侯爵は、サティによってエティーに連れて来られたが、
マクナク公爵に見放された事が余程応えたのか、長らく茫然として立ち直る気配が無かった。
それを放置する訳にも行かないので、サティはフィッグを抱えて行動する事になる。
同じく大世界マクナクを追放されたバニェス伯爵は、フィッグに嫌味を言いに、度々サティを訪ねた。

 「サティ・クゥワーヴァ、フィッグの奴は相変わらずか?」

 「ええ、あれから活力を取り戻さない儘……」

 「見せてみろ」

バニェスに言われて、サティは懐から、青い濁水を閉じ込めた様な球体を取り出す。
これがフィッグの霊体。
本来はバニェスと同じく、相貌を持たない人型の種族だ。
封印を施して、能力を弱めてあるので、然程怖さは無いが、間違い無く侯爵級である。
霊体を見るなり、バニェスは行き成りフィッグを罵倒した。

 「大世界マクナクの恥晒しめ。
  それでも貴様は一端の『貴族<アリストクラティア>』か?」

しかし、フィッグは何の反応も示さない。

236 :創る名無しに見る名無し:2015/07/06(月) 20:17:28.78 ID:nnYWukvb.net
バニェスは詰まらなそうに、サティに言う。

 「こいつは捨てろ。
  庇う事は無い。
  最早、何の役も立たぬ。
  意思も無く、存在しているだけの滓だ。
  石塊(いしくれ)と同じく、地に捨て置かれているのが似合う」

そう言って、バニェスはフィッグの霊体を奪い取ろうとしたが、サティは拒んだ。

 「結論を急ぐ事は無いでしょう」

 「恩を売る積もりか?
  止めておけ。
  恩義が通じる奴ではない」

フィッグがマクナクを追放された原因は、バニェスとの仲違いである。
2体が互いの存在を賭けた決闘に、サティが横槍を入れた事も、無関係とは言えない。
バニェスの言う通り、恩を着せる事は出来ないだろうと、サティは思っていた。
正気を取り戻して、反逆される可能性を考慮すれば、今の内に処分した方が良いと言うのは、
それなりに理に適っている。

237 :創る名無しに見る名無し:2015/07/06(月) 20:19:28.18 ID:nnYWukvb.net
だが、サティにはバニェスの意見を聞き入れる積もりは無かった。

 「マクナクでの因縁を、こちらに持ち込まないで。
  そんなだから、追放されたとは思わないの?」

 「私は気にしておらぬ。
  元より独立する積もりだったのだ。
  時期が早まっただけに過ぎない」

 「貴方は良くても、フィッグには心の整理をする時間が必要でしょう」

バニェスは不機嫌な声で、再びフィッグに話し掛ける。

 「おい、何とか言え、少侯爵!
  格下の物に庇われて、恥ずかしいとは思わぬか!」

……フィッグは何の反応も示さない。
バニェスは益々苛立った様子で、サティに背を向ける。

 「時間の無駄だな。
  フィッグよ、私は貴様を多少は気骨のある奴だと思っていたが、どうやら過大評価だった様だ。
  マクナク公様の権威と、侯爵級の能力が無ければ、意思を表す事も出来ないのか、屑め。
  何の反論も無ければ、私は貴様を格下と見做す。
  意思を持たぬ貴様は、最早下級貴族ですらない。
  平民、いや、無能、それ以下だ。
  私は格下の貴様とは取り合わない。
  恥を知る心があれば自決しろ」

言うだけ言って、バニェスは去って行った。
バニェスは何度も同じ様な事を、フィッグに告げに来ている。
その本心は知れないが、フィッグが憎いからではなく、同郷の仲間を叱咤している様に、
サティは感じるのだった。

238 :創る名無しに見る名無し:2015/07/07(火) 18:41:37.75 ID:KkprATSX.net
フィッグの精神は完全に死んでいる訳ではない。
霊体は緩やかに、幽かにではあるが、揺らめいている。
サティはマクナクから帰還して以降、フィッグを預かって観察していたので、それに気付いていた。
フィッグは黙っているだけで、意思があるかも知れない……。
サティは独り言の様に、フィッグに話し掛ける。

 「言われっ放しで良いの?」

 「……格下の物には、一々取り合わない」

フィッグが初めて言葉を返したので、然して期待していなかったサティは少し吃驚した。
あれだけバニェスに言われては、流石に反発せずには居られなかった様子である。

 「黙り込んで、何を考えていたの?」

 「貴様は伯爵級の分際で、口の利き方がなっていないな」

尊大な口振りに、サティは怒りより呆れが先に立つ。

 「これからの身の振り方でも考えていた?」

 「口の減らない奴め」

お互い様だと、サティは涼しい顔。
フィッグは少し間を置いた後、強気に提案した。

 「貴様等が私を領主として迎え入れたいと言うなら、乗ってやっても良い」

239 :創る名無しに見る名無し:2015/07/07(火) 18:48:04.08 ID:KkprATSX.net
サティは苦笑いで返す。

 「それは無理かな……。
  今は信用出来ない」

 「『今は』?
  何時なら良いのだ?」

フィッグもバニェスと同じく、強者絶対の理の中で生きて来た存在。
皮肉や冗談で、何時と尋ねているのではなく、信用や信頼と言う物を、余り理解していないのだ。

 「バニェスに訊いてみたら?」

 「選りに選って、奴に教えを請えと言うのか!」

 「ここはエティー。
  マクナクでの因縁は忘れなさい」

サティは冷徹に断じたが、フィッグは反抗しなかった。
霊体が弱った所で、能力が封じられてしまったので、今のフィッグはサティには敵わない。
異空の物だけに、能力が上の物には、下手に逆らうべきではないと、理解している。
それは好ましい事ではない。
フィッグはエティーとは、異なる価値観と法の中の存在。
エティーの常識を学習するには、時間が必要だと、サティは思った。

 「エティーの理を知らない物に、領地を任せる事は出来ない。
  エティーを小さなマクナクにする積もりは無いの」

 「詰まり、エティーを理解したならば、私を領主にすると言う事か?」

 「本当に理解出来たなら、一考に値するんだけど……」

嫌に領主に拘るフィッグに対し、サティは溜め息混じりに答える。

 「私を侮っているな?
  もう良い、私を解放しろ。
  能力はバニェスの奴と、同程度で構わぬ。
  直ぐに、エティーの理を解き明かして見せよう」

240 :創る名無しに見る名無し:2015/07/07(火) 18:51:18.24 ID:KkprATSX.net
強気な要求をするフィッグに、サティは条件を付けた。

 「では、揉め事を起こさないと、約束してくれる?」

 「ハン、それは分からぬ。
  礼を失した物は、無礼討ちにするやもな」

 「はぁ……。
  勝手にしなさい。
  出来る物ならね」

サティは深い深い溜め息を吐いて、そう言うと、フィッグの霊体を手放した。
自由になった霊体は、魔力を蓄えて蘇る。
青い肌に、緑の鱗が生えた翼と脚、無貌の頭部には短い縮れ毛と、凶悪に捩れた2本の角。
双角侯フィッグ。

 「ん……?
  何だ、この体は?」

しかし、フィッグは直ぐに違和感を覚えた。

 「飛べぬ。
  それに変形も出来ない!
  肉体を維持するだけで限界だ……。
  どうした事だ?
  これでは無能と同じではないか!
  貴様、どう言う積もりだ!?」

フィッグはサティに抗議したが、彼女は静かに突き放す。

 「エティーの理を知るだけなら、それで十分でしょう。
  少なくとも、死ぬ事は無いと思うから、頑張って」

そして、サティは彼方へ飛び去った。
追い掛けようにも、フィッグは飛ぶ事も、速く走る事も出来ない。
慣れない土地で置き去りにされた、フィッグ元侯爵の運命や如何に……。

241 :創る名無しに見る名無し:2015/07/08(水) 19:07:50.53 ID:MOdu/Cio.net
フィッグはエティーの理を、身を以って知る事となった。
弱体化した身では、重力に逆らえず、地上を歩かなければならない。
異空の物は、基本的に疲労を知らないが、今のフィッグは魔力を殆ど扱えないので、
強力を発揮したり、急激な運動をしたり出来ない。
その惰弱さと言ったら、穏やかな向かい風でも、歩行速度が落ちてしまう程だ。
平民以下の能力となったフィッグは、周囲を警戒しながら移動する。
今のフィッグは平民相手でも危ない。
余りの腑甲斐無さに、フィッグは自分が情け無くなるも、エティーの理を解するまでの辛抱だと、
前向きになって堪えた。
注意して見れば、エティーは実に様々な命に満ちている。
人型の物ばかりではない。
動物の様な物や、植物の様な物、定形を持たない液体生物もある。
暫く歩くと、フィッグは巨大な丸い鳥を発見した。
「鳥」と言っても、丸々と太っており、短足で、羽毛と翼を持たない、艶々して柔らかい、
珊瑚色の奇怪な生き物だ。
恐らくはエティーの物であろう平民が、それの腹を叩いたり、背に攀じ登ったりしている。
フィッグは驚愕した。
その鳥は明らかに高い能力を持っている。
伯爵級……下手をすると、それ以上かも知れない。
それが自分より劣る物達に集られ、好き勝手に遊ばれている。
マクナクでは先ず目に出来ない物で、フィッグは興味を持った。

242 :創る名無しに見る名無し:2015/07/08(水) 19:08:58.34 ID:MOdu/Cio.net
フィッグが巨大な鳥に近付くと、エティーの平民の1人が反応する。

 「お前、見掛けない奴だなー。
  どこから来たんだ?」

平民に馴れ馴れしい口を利かれ、フィッグは苛付くも、今の能力では喧嘩を売っても勝てないので、
素直に答えた。

 「大世界マクナク」

 「マクナク?
  バニェスの知り合い?」

 「知り合いは知り合いだが……。
  私の前で、奴の名を口にするな」

急に不機嫌になったフィッグに、エティーの平民は申し訳無さそうな顔をする。

 「訳有りかー……。
  悪かったよ。
  それで、何か用?」

 「……いや、貴様等は怖くないのかと思ってな。
  これは伯爵級の能力を持っている。
  少しでも機嫌を損ねれば、消されてしまうぞ」

エティーの平民達は、顔を見合わせて大笑いした。

 「あはははは、バニェスと同じ事を言うんだなー。
  やっぱり同じ世界の育ちなんだ」

243 :創る名無しに見る名無し:2015/07/08(水) 19:25:25.83 ID:MOdu/Cio.net
フィッグは又も不機嫌になる。

 「奴の名は口にするなと言った筈だ」

 「ああ、御免、御免。
  でも、その威張った言い方は止めた方が良いよ。
  マクナクでは、どうだったか知らないけど……」

そう言われて、フィッグは自分が無能だった事を思い出し、独り内心で悔しがった。
能力を封じた儘、自分を置いて行ったサティが怨めしい。

 「どうでも良いだろう。
  そんな事より、私の質問には答えないのか?
  ……答えて貰えないのか?」

フィッグは高圧的な言い方を、少しだけ丁寧に変えた。
平民相手に謙る事はしたくなかったので、フィッグなりの最大限の譲歩だった。
エティーの平民は余り気にせず、素直に先のフィッグの問いに答える。

 「これは極楽鳥フーイ。
  蹴られても叩かれても、何とも思わないんだってさ。
  何も考えずに、その辺を適当に歩き回ってる」

 「『無知の存在<イグノランス>』か?」

無知の存在とは、その名の通り、知性を持たない物。
高位貴族に匹敵する高い能力を持っていようが、知性の無い物は貴族ではない。
知性が無ければ、法によって世界を維持する事が出来ない為だ。

 「判んないけど、何をしても傷付かないし、怒りもしないよ。
  『神』が創った旧い世界の命だって。
  エティーが生まれる、ずーーっと昔から存在してるとか」

フィッグは試しにフーイの脇腹を蹴った。
足先がフーイの体に埋まり、少し遅れて、強い力で弾き返される。
惰弱なフィッグは上手く反応出来ず、吹っ飛ばされて無様に地面に転がった。

244 :創る名無しに見る名無し:2015/07/09(木) 20:20:41.96 ID:BvLDSKfC.net
エティーの平民達は醜態を晒したフィッグを笑う。

 「アッハハハ!
  不細工ー!」

平民に馬鹿にされたフィッグは、起き上がって怒りを露にした。

 「……笑うなっ!!」

しかし、能力を発揮出来ないので、迫力が無い。
平民達は笑いを堪えて謝る。

 「御免、御免、悪かったよ」

そして、フィッグを遊びに誘った。

 「一緒に遊ぼうぜ、マクナクの人。
  名前は?」

フィッグは平民の馴れ馴れしい態度よりも、「遊び」が何を意味するのか解らず、恐怖した。
マクナクの物の「遊び」と言えば、同格で殴り合うか、格下を虐める事……。
エティーの平民達が浮かべる笑みが、とても残酷な物に見えて来る。
だが、逃げ出そうにも、弱体化しているので、速く移動出来ない。
逃げ切れずに、捕まってしまうのが落ちだ。
逆らえば酷い目に遭うと直感したフィッグは、観念する。

 「フィッ――フィクティル……だ」

フィッグは偽名を使った。
高位貴族は嘘を嫌う物だが、大世界マクナクの侯爵フィッグが、斯様にも零落れた物であると、
思われたくなかった。

245 :創る名無しに見る名無し:2015/07/09(木) 20:21:32.90 ID:BvLDSKfC.net
エティーの平民達は、フィッグに対して、それぞれ名乗る。

 「フィクティル!
  俺はスッゴヴァブロム」

 「トーンヴルグパズルッフ」

 「ファムヴォバファヴヴーラ」

 「ノキドニテスウィークテ」

 「ヘグイッワジャグニヴワッセ」

 「トルミコラペコ」

平民の名前等、一々憶えていられるかと、フィッグは内心で毒吐いた。
異空の一部の物は、被りを避ける為、無駄に長い名前を付ける。
その習慣も、フィッグが平民達の名前を記憶する気を削ぐ、大きな一因となった。
エティーの平民達はフィッグを取り囲むと、持ち上げてフーイの元へ運んだ。

 「な、何をする?」

フィッグの問い掛けに、ノキドニテスウィークテが答える。

 「フーイに乗るのさ」

 「それで?」

 「楽しいさ。
  そーれ!」

エティーの平民達はフィッグをフーイの背に投げ上げた後、自分達も乗り上げた。

246 :創る名無しに見る名無し:2015/07/09(木) 20:25:32.27 ID:BvLDSKfC.net
フーイの背はトランポリンの様で、フィッグは何度も跳ねて、漸く落ち着く。
これから何が行われるのか、フィッグは未だ小動物の様に警戒している。

 「ど、どうする気だ?」

 「どうもしないよー。
  フーイの気が向く儘に任せるの」

フィッグに訊かれたトルミコラペコは、困った顔をして答えた。
フィッグ等を乗せて、フーイは徐に歩き始める。

 「おっ、動いた、動いた!」

トーンヴルグパズルッフが声を上げると、フィッグは益々不安になって、トルミコラペコに尋ねた。

 「どこへ向かっている?」

 「知らないよ」

 「知らない!?」

 「だから、楽しいんじゃん」

トルミコラペコが余りに呑気なので、こいつは当てにならないと思ったフィッグは、別の物に尋ねる。

 「貴様等の目的は何だ?」

答えたのは、ファムヴォバファヴヴーラ。

 「目的?
  遊びに行くんだけど……」

 「どこへ、何をしに?」

 「この方角はバコーのメトルラの海かな……。
  海で何して遊ぶ?」

ファムヴォバファヴヴーラが誰と無く問い掛けると、前に乗っているスッゴヴァブロムが、
高い声で反応する。

 「メトルラの海!
  泳ぐ、潜る?」

エティーの平民達は全く無邪気で、丸で子供の様。

247 :創る名無しに見る名無し:2015/07/10(金) 18:33:43.97 ID:tNdOh8yL.net
その乗りに付いて行けないフィッグは、大人しく黙っている事にした。
どうにでもなれと、半ば投げ遣りな気分のフィッグに、ヘグイッワジャグニヴワッセが話し掛ける。

 「フィクティルはエティーに来て、どう?」

 「何の話だ?」

 「マクナクと比べて」

ヘグイッワジャグニヴワッセの質問に、フィッグは詰まらなそうに答えた。

 「生まれ育った世界が良いに決まっている」

何が悲しくて、能力を制限される他世界に行かなければならないのか……。
それはマクナク公爵に追放された所為だと自答して、フィッグは虚しくなった。
今のフィッグは『追放者<アウトキャスト>』。
最早、帰る世界は無いのだ。

 「そうかな……。
  エティーに来るのは、皆、平民とか無能なんだよ。
  偶に、準爵も来るけど」

 「何が言いたい?」

自分は平民でも無能でも準爵でもないと、フィッグは不機嫌になる。
能力を取り戻しさえすれば、侯爵級なのだ。
下位の物と一緒にされては困ると、思っていた。

248 :創る名無しに見る名無し:2015/07/10(金) 18:37:56.20 ID:tNdOh8yL.net
ヘグイッワジャグニヴワッセはフィッグに告白する。

 「私は無能なんだ。
  それも他世界の。
  ヘグイッワジャグニヴワッセって言う名前も、こっちで初めて名乗った。
  あっちでは名前も無かった」

 「どこの生まれだ?」

 「鏡の世界、ルグ・カタレ」

 「知らぬな」

フィッグは大世界マクナクから出た事が無いので、余り他世界を知らない。
マクナクでは自分の領地を管理していれば良かったので、興味も無かった。
ヘグイッワジャグニヴワッセはルグ・カタレの事を語り始める。

 「ルグ・カタレの物は、生まれ落ちて、直ぐ他者を真似る。
  本物は9つの姿を持つ、大領主の公王様だけ。
  他の物は、公王様の姿を映す鏡。
  公王様の9つの姿を、9体の侯爵様が借りて、それを下位の物が更に借りる。
  下位の物は上位の物を真似るのが慣わしで……。
  だから、下位の物は自分の姿を持てない。
  無能は姿を真似る事すら、上手く出来なくて、暈やけた形になってしまう。
  余りに下手だと不興を買って消されてしまうから、無能は隠れて生きるしか無い。
  平民達にも笑われる」

 「どこの世界も、そんな物だ。
  下位の物は常に、上位の物の顔色を窺って過ごす。
  それが賢い処世術」

 「でも、エティーでは普通に生きて行けるよ。
  この姿は、私が最初に見た物。
  公王様の姿を真似た、侯爵様の姿を真似た、伯爵様の姿を真似た、子爵の姿を真似た、
  準爵の姿を真似た、一平民の姿。
  他の姿にも変われるけど、途端に暈やけちゃう」

ヘグイッワジャグニヴワッセはフィッグの姿を真似て見せた。
しかし、やはり輪郭が暈けて、真面な形にならない。

 「エティーでは姿を変える必要が無いんだ」

フィッグは冷淡に吐き捨てた。

 「成る程、無能だな」

 「フィクティルは違うの?
  マクナクは、どんな所だった?」

フィッグは堂々と「貴様の様な無能とは違う」と言いたかったが、今の様で侯爵を名乗る事は憚られ、
黙り込んだ。

249 :創る名無しに見る名無し:2015/07/10(金) 18:40:39.62 ID:tNdOh8yL.net
ヘグイッワジャグニヴワッセは改めてフィッグに言う。

 「エティーは良い所だよ」

 「どうだかな」

フィッグとしては、エティーは自分の能力を制限する、忌々しい土地だった。
平民や無能が暮らす分には良い所だろうが、自分の様な高位の貴族には相応しくないと、
勝手に決め付けている。
エティーは謂わば、弱者達の吹き溜まり。
ヘグイッワジャグニヴワッセはフィッグを同じ無能だと思って、心を開かせようとしているが、
それはフィッグにとっては全く失礼な事。
――そうこうしている内に、フーイはメトルラの海が見える砂浜まで来ていた。

 「イィヤッハーー!!
  海だー!!」

平民達は歓声を上げて、フーイから飛び降りる。
何が楽しいのかと、白けた気分のフィッグに、スッゴヴァブロムが声を掛けた。

 「降りて来いよ、フィクティル!
  降りられないのかー?」

スッゴヴァブロムに挑発する意図は無く、単に可不可を尋ねる純粋な問い掛けだったのだが、
フィッグは向こう意気を起こした。
しかし、フーイの背でバランスを取るのが予想外に難しく、無様に転げ落ちまいとすれば、
身動きが取れない。
これまで能力に頼り切りで、身体感覚を養う機会が無かったのだ。

250 :創る名無しに見る名無し:2015/07/11(土) 19:35:03.96 ID:lW2KUrTt.net
散々時間を掛けた挙句、結局地面に転げ落ちて、見っ度も無い姿を晒す。
又も平民達に笑われたフィッグだが、もう取り合わない事に決めた。
独りで起き上がろうとするフィッグに、ファムヴォバファヴヴーラが手を差し伸べる。

 「掴まって」

 「不要だ」

しかし、フィッグは手を借りずに立った。
意地っ張りだなと平民達は呆れる。
スッゴヴァブロムはフィッグに尋ねた。

 「フィクティル、マクナクにも海はあったか?」

 「知らぬ」

フィッグは愛想も無く言い切るも、スッゴヴァブロムは気にしない。

 「フム、海を知らない……なら、潜ろうぜ!
  トーン、ノキド、トルミー!」

スッゴヴァブロムが号令を掛けると、トーンヴルグパズルッフとノキドニテスウィークテ、
トルミコラペコの3体が、フィッグを担ぎ上げて、浜辺へ運ぶ。

 「1、2ー、3!
  ヘーイ!!」

3体は示し合わせて、フィッグを海に放り込んだ。

251 :創る名無しに見る名無し:2015/07/11(土) 19:39:00.31 ID:lW2KUrTt.net
異空の物は呼吸をしなくても生きて行けるので、水中に放り込まれた所で、どうと言う事は無い。
況して、目耳鼻口を持たないマクナクの物は、一層影響が弱い。
だが、初めての感覚に、フィッグは混乱した。

 (な、何だ!?
  全身に負荷が掛かる!)

フィッグの体は構造上、エティーの重い水にも浮かない。
落水した勢いで、徐々に徐々に沈んで行く。
エティーの平民達もフィッグに続いて、海中に飛び込んだ。
ノキドニテスウィークテが真っ先にフィッグに泳ぎ寄って、問い掛ける。

 「どうだい、初めての海は?」

基本的に異空の物の会話はテレパシーなので、水中でも通じる。

 「体が思う様に動かぬ!」

 「水中だからね」

 「何でも良い、助けろ!
  流されて行く!」

 「おっと、泳ぎ方を知らないのか……。
  体の動かし方が全体的に下手だし、今まで余り動かない生活してたの?」

惰弱なフィッグは海流に逆らえず、次第に沖へ流された。

252 :創る名無しに見る名無し:2015/07/11(土) 19:43:38.49 ID:lW2KUrTt.net
海と言う物が初めてなので、流された果てに何があるのか知らないフィッグは、
未知への恐怖を感じる。
強く大きな流れに、恐ろしい力を見て、巨大な物に吸い込まれると錯覚しているのだ。
後から来たヘグイッワジャグニヴワッセが、フィッグに水泳を教える。

 「フィクティル、落ち着いて。
  両腕で水を掻きながら、バタ足で進むんだ」

助言を聞き入れる余裕の無いフィッグは、両手足を必死に動かして藻掻くが、当然、
そんな方法では流れに逆らえない。
ヘグイッワジャグニヴワッセはフィッグの横に沿って、泳ぎ方の手本を見せる。

 「体を真っ直ぐ伸ばして、進みたい方向に顔を向けて、両腕で大きく水を掻き分ける。
  脚は伸ばした儘で、腿を意識して、交互に大きく上下に振って」

 「あ、ああ……。
  こうか?」

 「そうそう」

フィッグは言われた通りにして、不恰好ではあるが、漸く泳げる様になった。

 「おお……」

初めて「自分の体を使って何かを成す」感覚に、フィッグは感動していたが、平民達の前で、
大袈裟に驚いて見せるのは、侯爵らしからぬ態度だと思って、平静を装った。
直後、鰭状の手足を持った半透明のメトルラの命が、騒ぎを聞き付け、何事かと駆け付ける。
スッゴヴァブロムとファムヴォバファヴヴーラが事情を説明すると、メトルラの海人は納得して、
沖へ帰って行った。

253 :創る名無しに見る名無し:2015/07/12(日) 19:45:54.08 ID:UoGfppf4.net
ある程度、水中で自由が利く様になったフィッグは、エティーの平民達より速く泳げる様になった。
スッゴヴァブロムはフィッグを称賛する。

 「凄いな、フィクティル!
  こんな直ぐに泳げる様になるとは!」

 「当然だ、そこらの物と一緒にされては困る」

臆面も無く言って退けるフィッグを、エティーの平民達は微笑ましく見守っていたのだが、
当人の知る所では無い。
フィッグは伸び伸びと水中を泳ぐ。
角や翼と言った、余計な装飾が無ければ、未だ速く泳げるのだが、生憎と体を変化させるには、
能力が不足している。
ルグ・カタレの無能を笑えないなと、フィッグは内心で自嘲した。
それからフィッグはエティーの平民達と遊んだ。
メトルラの海の貝を集めたり、魚の様な生き物を追い掛けたり……。
そんな事をしている内に、メトルラの空に在った太陽が、本土へと帰り始める。
夜の訪れである。
トーンヴルグパズルッフが皆に呼び掛ける。

 「そろそろ夜だ、陸に上がって帰ろう」

 「もう、そんな時間か……」

スッゴヴァブロムは残念そうに零して、陸に向かった。
他の物達もスッゴヴァブロムに続く。

254 :創る名無しに見る名無し:2015/07/12(日) 19:47:11.00 ID:UoGfppf4.net
夜を知らないフィッグは、トーンヴルグパズルッフに尋ねた。

 「夜とは何だ?」

 「太陽が見えなくなって、世界が暗くなる事」

 「太陽とは?」

 「空で地上を照らす星」

海から出たフィッグは、体が重く感じる。
水の浮力が無くなった為だ。
それを覚って、手を貸そうとするファムヴォバファヴヴーラを制し、フィッグは話を続ける。

 「夜になると、何故都合が悪い?」

 「夜になると、眠くなる。
  そう言う性質を、エティーの物は持っているんだ」

 「『眠くなる』とは何だ?」

 「不活発になる事。
  死とは違う。
  一時的な休眠」

トーンヴルグパズルッフの答を受けたフィッグは、それ以上追求しなかった。
異空の世界は、それぞれの世界毎に異なる法がある。
エティーの物が夜になると眠くなるのであれば、その様に造られたからに過ぎない。
何の目的で、その様な法が創られたのか、その様な性質が与えられたのか等、理由を求める事は、
無意味だと知っている。
大抵は上位の物の気紛れ、或いは、執着。
それを下位の物が幾ら推し量っても、仕方が無い。

255 :創る名無しに見る名無し:2015/07/12(日) 19:48:18.20 ID:UoGfppf4.net
エティーの平民達とフィッグは、気分屋のフーイには乗らず、歩いて太陽を追う。
道中、フィッグはヘグイッワジャグニヴワッセに話し掛けた。

 「貴様も夜には眠くなるのか?」

 「私はエティーの命じゃないから、眠くはならない。
  でも、世界全体が不活発になるから、その影響で弱るよ」

エティーとは面倒な所だなと、フィッグは思った。
もしかしたら、自分も世界の影響を受けて、夜には弱るかも知れないと考えたのだ。
同時に、これだけ複雑な法はマクナクにも無かったと、不思議がる。
複雑な法を管理するには、高い能力と知能が必要だ。
マクナクには天地はあるが、海や昼夜は無い。
しかし、エティーには公爵級は疎か、侯爵級の支配者も不在だ。
どう言う理屈なのかと、フィッグが思案に耽っていると、空からバニェスが降りて来て、
エティーの平民達に話し掛けた。

 「やぁ、諸君」

 「バニェス!」

スッゴヴァブロムが高い声を出すと、フィッグは反射的に身を竦める。
不味い所で、嫌な奴に出会したと、フィッグは緊張していた。

256 :創る名無しに見る名無し:2015/07/13(月) 18:49:25.07 ID:TL+u26KA.net
バニェスはフィッグに気付いていながら、敢えて触れない様にして、エティーの平民達に話し掛ける。

 「何をしていたのだ?」

 「海で遊んでた!」

トルミコラペコが元気良く答えると、バニェスは孫の話を聞く老爺の様に、何度も頷いた。
スッゴヴァブロムがトルミコラペコの言葉に、付け加える。

 「フィクティルとね!
  バニェスはフィクティルを知ってる?
  同じマクナクの出身だろう?」

それを聞いたバニェスは、フィッグに顔を向けるも、素っ惚けた。

 「フィクティル?
  知らぬ。
  私位の伯爵級になると、平民や無能の名を一々憶えては居られないのだ」

フィッグは沈黙を貫く。
バニェスが正体に触れようとしないのは、フィッグにとって在り難い事ではあるのだが、
小馬鹿にされている様で、気に入らなかった。
いや、事実バニェスはフィッグを小馬鹿にしている。

257 :創る名無しに見る名無し:2015/07/13(月) 18:53:39.90 ID:TL+u26KA.net
エティーの平民達は、それに感付く気配も無い。
全く無邪気な物だ。
ファムヴォバファヴヴーラはバニェスに尋ねる。

 「どうしてバコーの方角に?
  もう夜になりますよ」

 「少し心配でな。
  バコーの果てに近い所で、夜になるまで遊ぶのは危険だぞ」

バコーの果ては、混沌の海に繋がっている。
そこは外敵が侵入した時に、真っ先に接触する場所の一だ。
果てには守護者が居るとは言え、平民や無能が能力の弱る夜まで滞在するには、危険が多い。

 「御心配をお掛けして、済みません。
  今、帰る所ですから、大丈夫です」

ファムヴォバファヴヴーラが謝ると、バニェスは鷹揚に頷いた。

 「それなら良い。
  ……所で、何をして遊んでいたのかな?」

バニェスはフィッグを一顧して、直ぐに顔を逸らし、エティーの平民達に問い掛けた。
ノキドニテスウィークテが素直に答える。

 「メトルラの海で泳いでたんだ。
  フィクティルも一緒に」

 「ホーゥ、一緒に?」

フィッグは俯いて、我関せずを決め込む。
侯爵が平民や無能と戯れる事は、恥だと認識していた。

258 :創る名無しに見る名無し:2015/07/13(月) 18:56:28.17 ID:TL+u26KA.net
ノキドニテスウィークテはフィッグの内心も知らず、軽い調子で続けた。

 「フィクティルは最初泳げなかったんだけど、直ぐ泳げる様になって、上達が早くて吃驚したよ。
  バニェス、マクナクには本当に海が無いの?」

 「私の知る限りでは、無かったな。
  だから、この物が泳げなくとも不思議は無い」

 「そうなんだー」

ノキドニテスウィークテの問いに答えたバニェスは、今一度フィッグを一顧して言った。

 「私はフィクティルとやらに話がある。
  君達は先に帰りなさい」

 「はーい」

エティーの平民達は特に詮索せず、素直にフィッグを置いて帰る。
しかし、ヘグイッワジャグニヴワッセだけは心配そうにフィッグを見ていた。

 「どうした?」

バニェスが尋ねると、ヘグイッワジャグニヴワッセは小声で言う。

 「バニェスさん、フィクティルを虐めないで」

 「虐め等せんよ」

 「でも……」

ヘグイッワジャグニヴワッセは、バニェスが来てからフィッグの態度が変だと、気に掛けていた。
無能に気遣われた事が不快で、フィッグは冷たく突き放す。

 「貴様が関知して良い事ではない。
  去ね」

259 :創る名無しに見る名無し:2015/07/14(火) 20:20:15.30 ID:l3N0Vd4n.net
ヘグイッワジャグニヴワッセは悄気て、仲間達の後を追った。
バニェスはフィッグに向かって、嫌らしく言う。

 「可哀想になァ」

 「可哀想?
  何だ、それは?」

 「今の貴様には、理解出来ぬ感覚か……」

物を知らない様に扱われて、フィッグは益々不機嫌になった。

 「バニェス、何の用だ?」

 「そう急くな、フィッグ。
  所で、『フィクティル』とは何かな?」

 「……知らぬ」

フィッグは惚けるも、バニェスは察しが付いていた。

 「偽名か」

 「判っているなら訊くな」

 「何故、偽名を?」

 「私は貴様程、恥知らずではない」

外方を向いて、打っ切ら棒に答えるフィッグ。
揶揄いに来ているバニェスを、心底鬱陶しく思っているが、今の能力では追い払う事も出来ない。

260 :創る名無しに見る名無し:2015/07/14(火) 20:22:17.96 ID:l3N0Vd4n.net
バニェスは呆れて見せる。

 「貴様は未だ『侯爵』等と言う身分に、拘っているのか……。
  この世界では、誰も貴様を侯爵とは認識せぬぞ」

 「ならば、私は『フィクティル』だ」

 「フィッグの名を捨てると言うのか?」

 「大世界マクナクの侯爵フィッグは、斯様な弱体者ではない」

 「やれやれ、その『フィッグ』はマクナク公様に追放されたのだが?」

 「それでも侯爵級の能力を失ってはいない」

 「失っておろうが……」

 「今は封印されているだけだ」

 「小理屈にもならぬな。
  状況に応じて、名を使い分ける方が、余程恥知らずだとは思わぬか?」

 「知った風な口を利くな!」

フィッグが激昂しても、バニェスは態度を改めない。

 「私は仮令無能に封じられたとしても、偽名を使いはせぬだろう。
  私は常に『私の判断で』、ここに居るのでな」

 「何だと?」

 「上位の物の機嫌を窺ってばかりの貴様には、解らぬか?
  私は何時も、私の事は私の意思で決めて来た」

 「見栄を張るな。
  全てが本意だと言うのか?
  伯爵級の能力を封じられ、この世界に縛り付けられている分際で!」

 「そう見えるのか?
  フィッグよ、エティーが嫌ならば、出て行けば良かろう」

 「気安く言うな。
  無能では混沌の海を渡れぬと、知っていよう。
  能力無き物は、混沌に回帰するのみ」

今のバニェスは伯爵級から、準爵相当の能力に抑えられている。
それでも今の無能に等しいフィッグの、何千何百倍もの能力だ。
階級が高い為に、好き勝手言えるのだと、フィッグはバニェスの話を本気にしない。

261 :創る名無しに見る名無し:2015/07/14(火) 20:27:56.07 ID:l3N0Vd4n.net
だが、バニェスは明らかに、フィッグに何かを伝える意思を持っている。
唯、素直でないばかりに、皮肉が混じって、遠回しになってしまい、通じない。

 「では、貴様は存えたい一心で、望まぬ世界に獅噛み付いているのか?」

嫌な事を言う奴だと、フィッグは反感を抱き、バニェスの問いに答えなかった。

 「答えよ、フィッグ。
  これは真面目な話だ」

バニェスは改めて問い質す。
フィッグは答える積もりこそ無かったが、自らの本心を冷静に内観する切っ掛けにはなった。

 (……侯爵級の能力を取り戻したい。
  これだけは確かだ。
  しかし、取り戻して、どうする?
  マクナク公様の下には帰れない。
  本当に、エティーの管理主となる積もりか……?)

長らくフィッグが沈黙しているので、バニェスは別の問いを投げ掛けた。

 「エティーは詰まらぬか?」

 「……そうでもない。
  暫くは、退屈せぬだろう」

フィッグにとって、エティーとは不可解な事だらけの世界である。
マクナクと比較して、奇妙な所だとは思っていたが、嫌な気分はしていなかった。
意外な返答に、バニェスは内心驚きつつも、それを好意的に受け止めていた。
フィッグがエティーを理解して、適応するのは、早いかも知れない。

262 :創る名無しに見る名無し:2015/07/15(水) 18:39:28.20 ID:fst7k/as.net
偽書偽典偽君より


王になる事を戒める言葉


誰が貴方に「王になれ」と言ったのか?

貴方は王になるべきではなかった。

望まれて成り、疎まれて退く。

信頼出来る家臣を持たぬ者は王にならない方が良い。
だが、王になる者は家臣を信頼してはならない。

誰もが貴方を裏切る。

恐怖せよ、家臣の首が飛ぶ時、王の首も飛ぶ。
然れど、奸臣生かすべからず。
断じて処刑せよ、己をも。

他有衆望、有才能、有大志、却唯没有天命。

妻は妃、息子は王子、友は臣下、王は頂に独り。

民は王に全てを捧げるだろう。
その財産、その命、その心、責任や罪までも。
拒む事は出来ない。

許せば侮られ、罰せば謗られ。

王になって得る物と、王になって失う物と、王になる為に失う物。

近付く者は刃を持つ。

貴方自身よりも、冠や玉座の方が、余程魅力的だ。

愚衆を率いる王は、愚衆に倒され、民を愚かと嘆く、最も愚かな王となる。

263 :創る名無しに見る名無し:2015/07/15(水) 18:42:27.36 ID:fst7k/as.net
強国の王は罪、弱国の王は罰。

王になる為の才能と、王としての才能は異なる。

王に自由は無い。

貴方は大国を成し、美しい妃を迎え、息子を立派に成人させた。
然らば、覚悟召されよ、安らかには逝けない。

最も幸福な王とは、民を顧みず、放蕩の限りを尽くす王である。
縦令、明日殺されようとも、国亡びようとも。

喜びなさい、人が望む限り王には死すら許されない。

家臣は賢くなければならないが、貴方を陥れる程に狡猾であってはならない。
難題、有能且つ貴方に忠実な家臣を揃えよ。

冠も杖も何の働きもしない。

王に嫌疑有らば、求むらるは潔白のみ。

誰もが貴方の前では口を閉ざす。

僭王は皆の敵。

王の心得。
そこに座って、出来るだけ動かず、必要な事だけ喋る様に。

王道に退路無し、前進あるのみ。

即使奸臣成為国王、於乱世没用人、這不是應該国王。

王の下に家臣あり、家臣の下に民あり。
家臣を厚遇すれば立処(たちどころ)に民心離れ、民の声に耳傾ければ裡で家臣が叛く。
土台は常に危うく、王とは綱渡り芸人なり。

圧政によって国は保たれ、故に恨まれ崩落する。

264 :創る名無しに見る名無し:2015/07/15(水) 18:46:21.75 ID:fst7k/as.net
ローライ革命演義


ボルガ地方南東部に、旧暦オリゾンタ人の譚(かたり)がある。
オリゾンタとは地平線。
現在唯一大陸に最も大きな影響を与えている、エクセリス人、スナタ語圏人、ハイエル語圏人の、
3人種が暮らす大陸の、東の大陸に暮らしていた人種が、オリゾンタ人だ。
旧大陸の正確な配置は判っていないが、当時の好い加減な文献に拠れば、2つの海を隔てた先に、
オリゾンタ人が暮らす東の大陸が在ると言う。
そこには、ライ、ロー、シンの3つの部族が在った。
シン族は武力を以って、ライ族とロー族を併呑し、東の大陸を統一した。
しかし、ライ族とロー族は完全に降伏した訳ではなかった。
シン族の支配を受け容れなかった、ライ族とロー族の一部の者達は、解放軍を結成し、
シン族を元の領地から撃退する為に、戦い続けた。
そして、シン族を撃退した後、逆に解放軍が、大陸の新たな支配者となったのである。
これをローライ革命と言う。
ローライ革命は実際に起こった革命なのか、魔法大戦が起こって、全てが海に沈んだ今となっては、
判らない。
唯、ボルガ地方南東部に、遥か古の伝説として残っているのみである。

265 :創る名無しに見る名無し:2015/07/16(木) 20:26:10.34 ID:oKTmInXt.net
ローライ革命の主役は3人。
ロー族の勇者ゼンショーと、ライ族の勇者ゾンソン、そしてシン族の皇帝フェンファン。
大陸の完全な支配を進めるフェンファンに対し、ゼンショーとゾンソンが立ち向かうと言うのが、
物語序盤から中盤に掛けての大筋である。
ゼンショーはロー族ではあるが、族長の血筋と言う訳ではなく、単なる勇猛な戦士である。
ゾンソンはライ族の族長の遠縁で、血筋は確かだが、解放軍の中心となれる人物ではない。
この2人とは別に、シン軍に討たれた族長の親族が存在し、それぞれ解放軍に協力したり、
敵対したりする。
シン族に支配された地域では、ロー族やライ族、その他の少数民族は差別的な扱いを受けており、
奴隷と言う程ではないが、侮られ、軽んじられている。
ロー族ではあるが出自の知れない、風来者のゼンショーが、シン族の兵士に絡まれ、
彼等に反抗して殴り倒してしまった事が、全ての始まり。
ゼンショーは怪力の持ち主で、暴れる牛馬を軽々と持ち上げ、矢も槍も彼の肌を貫けないと言う、
とても人間とは思えない設定だ。
このゼンショーが解放軍とシン軍との巻き込まれ、戦場で活躍して行く内に、英雄と認められて、
次第に解放軍を指揮する立場になって行く。

266 :創る名無しに見る名無し:2015/07/16(木) 20:27:05.32 ID:oKTmInXt.net
旧暦の歴史を知る者は、ゼンショーと神聖魔法使いの聖君との共通点を指摘する。
東の大陸にも、「天命を受けた者が王となる」信仰があり、ゼンショーとフェンファンの戦いは、
聖君と偽聖君との戦いと同じ構図。
偶然の一致なのか、西の信仰が伝わったのか、それとも逆に信仰を伝えたのか、
関連は不明である。
血族による支配と、それを天命によって打破する新たな王の誕生は、東西を問わない、
不変のテーマなのかも知れない。
ゾンソンはゼンショーと異なり、最初から解放軍に在籍しているが、戦闘が得意ではない。
解放軍に参加しているのも、族長の遠縁だからと言うだけで、成り行き上、仕方無くと言った風。
一言で表すと、「気弱な育ちの良い坊ちゃん」。
しかし、ゼンショーと出会った事で、「天命」を信じる様になり、彼の参謀的な立場に収まる。
2人の活躍で、解放軍はロー族とライ族の領地を取り戻す。
そこから解放軍はシン族の領地へ逆襲を掛けるのだが、ここで大きな問題が起こる。
激化して行く戦いに、ロー族とライ族の多くの者は、戦争の継続を望まなかった。
これを利用してフェンファンは、解放軍に「元の領地」での手打ちを申し出る。

267 :創る名無しに見る名無し:2015/07/16(木) 20:29:42.59 ID:oKTmInXt.net
だが、この提案は偽りの物だった。
「天命を受けた者が王となる」信仰は、フェンファンの王権の正当性を危うくしていた。
フェンファンは是が非でもゼンショーを討ち果たし、正当なる王は己独りだと言う事を、
証明しなければならなかった。
フェンファンは和平工作の裏で、自ら大軍を率いて、解放軍に止めを刺そうとしていた。
策略を見抜いていたゾンソンは、「フェンファンを討たねば真の平和は訪れない」と、
仲間達を説得しに回ったが、結局は寡兵でフェンファンとの決戦に臨む事になってしまう。
決戦の地は3部族の領地の境にある、ガーシェンワン峡谷。
解放軍は寡兵ながら善戦するも、数に圧されてゼンショーが峡谷に落下。
一方、フェンファンも弓矢を受けて負傷し、撤退を余儀無くされる。
両軍共に決定打を欠いた儘、決戦は痛み分けとなった。
以後、ゼンショーは行方知れずになり、一時的にシン軍が盛り返す。
ゼンショーに代わって、ゾンソンが解放軍の指揮者となり、何とか持ち堪えていたが、
フェンファンが決戦で受けた傷の悪化で病死し、状況は一変。
天命はゾンソンに有りと、解放軍が活気付く。
フェンファンと言う巨大なカリスマを失ったシン軍は、解放軍の勢いを止められず、
遂に解放軍が東の大陸を制圧した。
斯くして第一次ローライ革命は成り、新たな皇帝となったゾンソンは東の大陸を、
平和に治めるかと思われた……。

268 :創る名無しに見る名無し:2015/07/16(木) 20:31:54.82 ID:oKTmInXt.net
所が、新皇帝ゾンソンはフェンファン以上の圧政を布いた。
侵略を始めたシン族に対しては勿論、ロー族とライ族には、それ以上に苦しい生活を強いた。
その根底にある物は、ゼンショーを死なせる遠因となった、戦わない者達への憎悪だった。
この仕打ちも自業自得と、ロー族とライ族は耐えていたが、それも数年で限界を迎え、
次第にゾンソンへの不満を募らせる様になった。
ゾンソンはシン軍の大半を取り込み、自らに従わない残党狩りを進めていたが、その裏で、
ロー族とライ族が反旗を翻す。
第二次ローライ革命の始まりである。
反乱軍の指揮者は、行方不明になっていたゼンショーであった。
ゾンソンは自らが皇帝となった後も、真の天命はゼンショーにあったと信じて疑わなかった。
彼は喜んでゼンショーを新皇帝に迎えたかったが、そうする訳には行かなかった。
新皇帝ゾンソンの悪名は既に大陸中に知れ渡り、帝位を禅譲した所で、許される道理は無かった。
皮肉にも解放軍の指揮者だったゾンソンは、シン軍を率いて、ゼンショーの反乱軍と戦う破目に、
陥ってしまったのである。

269 :創る名無しに見る名無し:2015/07/16(木) 20:34:37.16 ID:oKTmInXt.net
ゾンソンは敗北を覚悟しつつも、天命を試すべく、あらゆる策謀を用いてゼンショーと戦った。
そして、ゼンショーは悉くゾンソンの策謀と、彼が率いるシン軍を打ち破った。
ゾンソンは最期にはゼンショーに討たれたが、彼の手によって篤く葬られた。
2度に亘ったローライ革命は、こうして終わった。
東の大陸を統一したゼンショーは、3つの部族を差別せず、長らく平和で安定した善政を布いた。
ローライ革命演義は、目先の平和を求める人々への戒めとして、後世に伝えられたと言う。

270 :創る名無しに見る名無し:2015/07/17(金) 19:50:16.02 ID:tbv3LY1l.net
世直し組


嘗て、魔法とは一部の魔法使いだけの物であった。
旧い魔法使い達は、魔法技術を秘匿して、自らを特別な存在とした。
それを打ち破ったのが、共通魔法使いの祖である、『偉大なる魔導師<グランド・マージ>』。
魔法大戦と呼ばれる、魔法使い達の大戦争に勝利した共通魔法使いは、魔導師会を結成し、
共通魔法を人々に広めた。
斯くして、共通魔法の時代――魔法暦が始まった。

271 :創る名無しに見る名無し:2015/07/17(金) 19:54:58.03 ID:tbv3LY1l.net
時は流れ、魔法暦も百と十有余年を過ぎた頃。
共通魔法は大陸中に広まり、魔法技術の発展と共に、人々の暮らしは豊かになって行った。
しかし、人間(じんかん)に憂苦の種は尽きぬ物。
開花の勢いに任せ、横暴になる地方魔導師会、未だ僻陬にて人に害を為し続ける妖獣、
暗躍する旧い魔法使い達……。
艱難辛苦を潜り抜け、人々に魔法を解放したのは、何の為だったのか?
歴史は繰り返す物なのか?
否、世に悪党は蔓延らせぬ。
魔導師会の頂点、八導師の名の下に、世直し組が悪を討つ!
見よ、鉄簡に刻まれし、八角八芒星の御印を!


「世直し組」とは、現在でも根強い人気を誇る、勧善懲悪の物語である。

272 :創る名無しに見る名無し:2015/07/17(金) 20:00:07.60 ID:tbv3LY1l.net
ブリンガーのマフィア達


「ブリンガーのマフィア達」は、世直し組の序盤の物語である。
馬車鉄道の路線計画を推進する横暴な地元の魔導師会と、農地を守りたいマフィアとの抗争に、
巻き込まれる市民。
そこへ、世直し組が訪れ、両者の仲介をして、何とか路線計画を進める。
この「魔導師会」と「何者か」の対立が、以降の展開の主要なテンプレートとなる。
必ずしも魔導師会が悪役とは限らず、外道魔法使いや盗賊団が悪役として登場する事もある。
「ブリンガーのマフィア達」では、魔導師会とマフィア、どちらが悪とは言い切れない。
強いて言うならば、どちらも悪だ。
金と権力に物を言わせて、強引に土地の買収を進める魔導師会。
計画に協力的な市民を脅して、反対運動を展開するマフィア達。
両者共、自分達の矜持と利権を守りたいだけなのだ。
その間で苦悩する市民を見兼ね、世直し組は両成敗を決意する。

273 :創る名無しに見る名無し:2015/07/17(金) 20:03:59.29 ID:tbv3LY1l.net
落ちでは、路線計画の一部を変更し、マフィアに鉄道警護を任せる事になった。
魔導師会とマフィアの対立を脚色してはいる物の、この流れは大凡史実通りであり、
マフィアの鉄道警備隊は、後に鉄道保安巡視隊となる。
元々ブリンガー・マフィアは広大な農地を、妖獣や盗賊から守る為の集団であり、
魔導師会が到着して、治安が安定すると、徐々に役割を失って行った。
早期に都市警察や政治家に転身した者は良かったが、時代の波に乗り遅れた集団は、
不法行為に手を染めた。
「世直し組」に登場するマフィア達は、丁度その境にあったと言える。

274 :創る名無しに見る名無し:2015/07/17(金) 20:06:54.58 ID:tbv3LY1l.net
世直し組の原作は小説であり、1冊完結型でグラマー地方を除く各地方毎に2〜3エピソードを配し、
計15巻に収めた物だった。
当初は余り注目されなかった物の、徐々に購読者を獲得し、続編の「新・世直し組」も大ヒット。
同時期に、マリオネット演劇で舞台化もされ、爆発的なブームが起こる。
しかし、「新・世直し組」の20巻辺りから人気が衰え始め、外伝含め全34巻で完結した。
後年、魔力ラジオウェーブ放送でブーム再燃。
伝説的なヒットを記録し、原作者原案で別作者による「世直し組・Reformers」が刊行された物の、
こちらは殆ど注目されない儘に、全9巻で終わってしまった。
魔力ラジオウェーブ放送では、1話を週1回1角放送して1巻分消化する進行を基本に、
15巻分を全21話で構成。
「新・世直し組」の内容を2期として、同じ進行配分で外伝除く29巻分を全40話で放送した。
都合上、原作からの改変が多かった物の、原作を知らない受信者が多かったので、
大きな問題にはならなかった。
外伝は2話を除いて、特別番組で放映された。
又、マリオネット演劇では舞台オリジナルのエピソードも作られた。

275 :創る名無しに見る名無し:2015/07/18(土) 18:22:25.45 ID:sAtQs5SA.net
主な設定は以下の通り


シューヴァーン


フルネームはシューヴァーン・ハリス。
魔導師会八導師親衛隊に所属する男性魔導師で、本作の主人公。
出身地は明確に定められていないが、グラマー地方を意識して名付けられたと言う。
しかし、グラマー地方民らしい言動は無く、他地方の文化への理解も普通にある。
肌はレッド・ティー、髪は黒、瞳はライトグリーン、魔法色素は青と言う、目立つ容姿をしている。
基本的に真面目な性格で、強い正義感を持つが、同時に自制心も強く、冷静沈着で無口な為に、
冷酷にも見える。
だが、口下手と言う訳ではなく、時々冗談や皮肉を飛ばす。
話の都合か、エピソード毎に特異な能力が披露されるも、固定された設定になる事は少ない。
基本設定として、優れた魔法資質と運動神経を持ち、夜目が利く事は一貫している。
口癖は「魔法学校では主席だった」。
魔導師なので一通りの魔法は使えるが、特に行動制限系の魔法を得意とし、多数が相手でも、
一瞬で動きを止められる。
次いで身体能力強化を使う事が多く、巨大な岩石を受け止めたり、格闘術を披露したり。
八導師の署名入りの鉄簡を、常に懐に忍ばせており、それを展開して名乗りを上げながら、
正体を明かすシーンは、多くのエピソードで「見せ場」になっている。

276 :創る名無しに見る名無し:2015/07/18(土) 18:24:52.92 ID:sAtQs5SA.net
シストガ


フルネームはシストガ・ド・フォロア・カイ・メドラート。
魔導師会八導師親衛隊に所属する女性魔導師で、もう1人の主人公。
シューヴァーンと2人で組み、各地の問題を解決する。
シューヴァーンと同じく、グラマー地方を意識して名付けられたと言うが、特有の言動や習慣は無い。
後にエグゼラ地方出身と設定された(当初はシストガ・ドフォロアだった)。
しかし、やはりエグゼラ地方民らしさは余り見られない。
肌は白ワイン、肩までの髪はダークブラウン、瞳はダークレッドで、魔法色素は赤。
ローブを着て、フードを被っているが、肌を完全には隠していない。
無口なシューヴァーンの代わりに、率直な感想を口にし、行動を提案する役割。
その為、やや直情的に見えるが、決して軽率な訳ではない。
シューヴァーンを補助する性質上、大抵の事は難無く熟せる設定が付いた。
地方の文化や歴史に詳しく、折に触れて博識振りを披露する。
料理も得意で、宿を借りる際は、厨房も借りる。
回復魔法と攻撃魔法が得意で、怪我人を治療する半面、爆発で敵を蹴散らす。
シューヴァーンに代わって、鉄簡を展開する場面がある。

277 :創る名無しに見る名無し:2015/07/18(土) 18:29:21.03 ID:sAtQs5SA.net
八導師


言わずと知れた、魔導師会の最高意思決定者。
時々鉄簡を読み上げる際に、最長老の名前が出る位で、直接登場する事は少ない。
作中で確認出来るのは、ルシュス・アレッド・フィニー、エルリャー・シェッディ、モーダモード・ロンフ、
ホー・シーフェン・ワン、ブラドナート・アットマの5人。
実在した八導師だが、その儘で流用するのは、流石に出版社も不味いと判断してか、
在任期間や序列を変えられている。
無知が故の間違いではないとの事。


鉄簡


八導師親衛隊である事を示す、金属製の書簡。
文字を刻んだ金属製の板を10枚連ねて、折り畳み式の書簡にしている。
シューヴァーンとシストガが、身分証明書として所持。
材質は謎で、重くて頑丈。
作中では頑丈さを利用して、武器や防具代わりにされた他、幾らか魔力を通すのか、
魔法陣を描くのにも使われた。
悪党に鉄簡を見せ付けるシーンは、「見せ場」ではある物の、必ず行っている訳ではない。
正体を明かさずに事態を解決出来るなら、単なる旅人として片付けている。
当然だが、実際の八導師親衛隊は鉄簡を持っていない。
鉄簡自体は、復興期に紙の代用品として用いられたが、製紙技術と量産体制が確立されると、
直ぐに廃れた。

278 :創る名無しに見る名無し:2015/07/19(日) 20:04:25.80 ID:3QPGVG+V.net
踊れ踊れ


1月 カターナ地方南西部の都市ウェーンにて


冬のカターナ地方は涼しいと言うよりは、温かい。
非常に過ごし易い時期であり、訪客数も最大になる。
旅商の男ラビゾーは、舞踊魔法使いのバーティフューラーに誘われて、ここウェーン市に、
避寒旅行に来ていた。
ティナー市から新高速馬車鉄道でカターナ市へ、そこから高速馬車鉄道を乗り継いでウェーン市へ、
1日掛かりの移動。

 「はぁー、偶には遠出してみる物ねー」

冬麗、バーティフューラーは青天を仰ぎ、潮の香りを胸一杯に吸い込んだ。
ラビゾーも彼女に倣って、深呼吸をする。

 「行楽日和で良かったです」

 「こう言う景色も、アンタは見慣れてるのよね……」

溜め息を漏らすバーティフューラーの意図が読めず、ラビゾーは狼狽えた。

 「ど、どうしたんですか?」

 「何でも無いわ。
  世界は広いなーと思って。
  確りガイドしてよね、ラヴィゾール」

 「は、はぁ……はい、ラビゾー」

何やら含みがある様子の彼女に、ラビゾーは生返事しか出来ず、出端から気分が重かった。

279 :創る名無しに見る名無し:2015/07/19(日) 20:06:10.14 ID:3QPGVG+V.net
時は1週程前に遡る。
バーティフューラーに年始の挨拶をしに行ったラビゾーは、こう切り出された。

 「今度、1週間位の休みが取れるから、旅行しようと思うの」

 「どこへですか?」

 「どこでも良いけど。
  アンタ、良い所、知らない?」

 「……カターナとか、どうでしょう?
  冬のバカンスには良いと思います」

 「良いわね、そうしましょう。
  それじゃ、来週の今日。
  宜しく」

 「えっ?」

 「アンタも行くのよ。
  それとも何か予定でも入ってる?」

 「いや、特には……」

 「だったら良いでしょ。
  シェデュール、組んどいてね。
  お金は出したげるから、心配しないで」

浅(あっさ)りと決められ、ラビゾーは1週間を兢々と過ごす破目になった。
これまでも彼はバーティフューラーと何度か一緒に出掛けた事はあるが、大抵はティナー市内、
遠出しても近隣の都市までだったので、日を跨ぐのは初めて。
彼女の真意は知れないが、単なる旅行で終わるとは限らない。
独り深読みするのも馬鹿らしい――と思いつつ、ラビゾーは計画に頭を悩ませ、眠れぬ夜を過ごした。

280 :創る名無しに見る名無し:2015/07/19(日) 20:08:57.85 ID:3QPGVG+V.net
そんな訳で、今のラビゾーは心身両面で、余り調子が好くない。
鉄道馬車の中でも、浮っかり眠ってしまっていた程だ。

 「さーてと、どこに行けば良いのかしら?」

バーティフューラーの問いに、ラビゾーは自作の予定表を見ながら応える。

 「先ずは宿に行きましょう。
  そこを拠点にして、午後からライシ花苑に出掛けます」

 「はいはい。
  じゃあ、案内お願い」

 「解りました、付いて来て下さい」

バーティフューラーは特に疑問を抱かず、ラビゾーの後を歩いた。
しかし、ラビゾーが大通りから狭い路地に入ると、彼女は困惑を露に尋ねる。

 「近道なの?」

 「近道と言うか、順路ですね」

 「どこに宿を取ったの?」

 「近くの『民宿<ビー・アンド・ビー>』です」

 「民宿!?」

バーティフューラーが頓狂な声を上げたので、ラビゾーは吃驚して立ち止まった。

 「何か不味かったですか?」

 「……お金の心配は要らないって言ったわよ?」

 「そう言う訳じゃなくて……。
  取り敢えず、行けば分かります」

ラビゾーも金の心配をしなかった訳ではないが、豪華なホテルよりは民宿の方が良いと考えていた。
それは決して、彼自身の個人的な好みの問題ではなく。
バーティフューラーは「民宿」に不満ながらも、ラビゾーに任せたのは自分なのだからと、
一先ず堪えて大人しく従う。

281 :創る名無しに見る名無し:2015/07/20(月) 18:31:58.55 ID:Mi7SZG5i.net
狭い路地は初め緩やかな上りだったが、徐々に勾配を屹(きつ)くして行く。
カターナ地方の海岸沿いには、坂の斜面に建物を密集させた地形が多い。
基本的に建物は方型(はこがた)で、遠くから見れば丸で大きな階段。
ラビゾーはバーティフューラーを気遣い、声を掛けた。

 「荷物、持ちましょうか?」

 「……お願い」

バーティフューラーは不満気に顔を顰めた後、ラビゾーにトランクを渡す。
大荷物と言う訳でなくとも、急な坂道を上るのは辛い。
況して、女の腕力と脚力では。
彼女は内心、こんな道を通らせて何の積もりだと思っているに違い無いと、
ラビゾーは申し訳無く思っていた。

 「あそこに泊まります」

暫く歩いた後、ラビゾーは民家と然程変わらない、石造りの建物を指す。
民宿なのだから当然だが、バーティフューラーの深い溜め息が聞こえ、ラビゾーは心苦しくなった。
立派なホテルとは違うので、何かと不満が出るのは仕方無い。
ラビゾーとしては、バーティフューラーが実際の泊まり心地を気に入る事を、祈るのみである。

282 :創る名無しに見る名無し:2015/07/20(月) 18:33:56.94 ID:Mi7SZG5i.net
民宿に着いたラビゾーは、庭掃除をしている家主の小母さんに挨拶をする。

 「今日は」

 「あらー、ラビさん!
  待っとったんよ。
  はい、鍵」

 「どうも」

ラビゾーが旅商をしている関係で、2人は顔馴染みだった。
家主の小母さんは、ラビゾーに鍵を渡すと、バーティフューラーに目を遣りつつ、小声で囁いた。

 「あん娘、ラビさんのコレ?」

 「……違います。
  少なくとも、今の所は」

ラビゾーの微妙な答に、彼女は嫌らしい笑みを浮かべる。

 「男ば見せんね。
  頑張りぃや」

 「は、はい……」

背中を叩かれ、ラビゾーは愛想笑いで返した。
彼はバーティフューラーを連れて、民宿の一室の鍵を開ける。

283 :創る名無しに見る名無し:2015/07/20(月) 18:35:19.99 ID:Mi7SZG5i.net
バーティフューラーは部屋に入るなり、査定を始めた。
部屋の広さは16平方身と中々だが、殆ど物が無いので、無駄に広いと言う印象を受ける。
洗面台は付いているが、浴室は無い。
内装を気にするバーティフューラーとは対照的に、ラビゾーは真っ先に窓辺に向かった。
彼は窓を開放して、外気を取り入れる。

 「バーティフューラーさん、見て下さい」

ラビゾーが呼び掛けると、爽やかな風に誘われ、バーティフューラーも窓辺に寄った。
茫然と外を見詰めて沈黙した彼女に、ラビゾーは期待と不安の混じった問い掛けをする。

 「良い眺めでしょう?」

窓の外は一面の海。
遥か彼方には水平線が見える。

 「環境権の問題で、大きなホテルは高い所にあって、海から遠いので――」

 「薀蓄は良いから、黙ってて」

バーティフューラーに話を遮られたラビゾーは、悄気て引き下がった。
彼女は一通り風景を堪能すると、目を閉じて深呼吸し、振り返ってラビゾーに言う。

 「……気の利いた『選択<チョイス>』ね。
  悪くない。
  +20点」

 「そ、それは、どうも……」

素直に褒められ、照れ臭くなったラビゾーは、含羞んで俯いた。
感触は良さそうである。

284 :創る名無しに見る名無し:2015/07/21(火) 20:03:01.18 ID:8V0f+mxE.net
荷物を置いて一息吐いた2人は、ライシ花苑に向かう。
その道中のカフェテリアで、昼食を取る事に。
メニューを眺めるバーティフューラーに、ラビゾーはカターナの食文化を説明する。

 「常夏のカターナでは季節を問わず、新鮮な青果が味わえます。
  軽食ではフルーツのフレークやドライド・フルーツの他に、パンに生の野菜や果物を乗せたり、
  挟んだりして食べます」

 「このパドノーンって何?」

話を聞き流して尋ねるバーティフューラーに、ラビゾーは引き攣った笑いで答える。

 「あ、それは止めた方が良いです」

 「何で?」

純粋な問い掛けに、ラビゾーは苦笑いするばかりで、詳細を答えられない。
バーティフューラーは益々気になって、質問した。

 「どんな料理なの?」

 「揚げ物……です」

 「あぁ、カロリーの心配をしてくれちゃってるのかしら?
  脂っ濃いのは確かにねー」

バーティフューラーは悩む素振りをして、メニューを睨んでいたが、やがて『給仕<ウェイター>』を呼んだ。

285 :創る名無しに見る名無し:2015/07/21(火) 20:04:35.57 ID:8V0f+mxE.net
彼女はメニューを指しつつ、ウェイターに注文をした後、ラビゾーを見た。

 「アンタは決めた?」

 「僕はミックス・ベリー・パウンドと、フルーツ・プティングを。
  あ、それと冷たい紅茶も」

ウェイターが下がると、バーティフューラーは点(ぽつ)りと言う。

 「甘党なんだ」

 「はい」

 「初めて知った」

 「……やっぱり、可笑しいですか?
  男が甘い物好きと言うのは」

 「そうじゃなくて、結構食べるんだなって。
  いや、量食べる事は知ってたけど。
  本当に甘いのが好きなんだ」

 「甘い物は別腹と言うでしょう」

2人が他愛(たわい)も無い話をしていると、ウェイターが注文の品を運んで来た。
それを見て、ラビゾーとバーティフューラーは表情を強張らせる。

286 :創る名無しに見る名無し:2015/07/21(火) 20:09:20.39 ID:8V0f+mxE.net
2人が注目したのは、1つの皿の上。
中皿に大盛り、焦んがり狐色に焼けた、大きな芋虫達。
ラビゾーはバーティフューラーに問う。

 「パドノーン……頼んだんですか?」

 「御免、好奇心で」

申し訳無さそうに項垂れるバーティフューラーを、ラビゾーは小さく息を吐いて許した。

 「まあ、これも旅の醍醐味と言う奴です。
  カターナは南国特有の青果の他に、海鮮料理と虫料理が有名です。
  但、魚介や虫は人によって、好き嫌いが大きく分かれるので……。
  食欲を削いでは悪いと思って、イメージさせない様に避けていたんですが……。
  裏目でした、済みません。
  芋虫の空揚げは、僕が頂きます。
  パウンド・ケーキと交換しましょう」

バーティフューラーは気不味そうに、ラビゾーに尋ねる。

 「そう言ってくれるのは嬉しいけど……。
  虫、食べられるの?」

 「僕も最初は吃驚したんですけど、エビみたいな物だと思えば。
  流石に生は無理ですけどね……っと、済みません、今話す事ではありませんでした」

平然と対応するラビゾーに、バーティフューラーは頼もしさを感じた。

 「もしかして、甘い物を多目に頼んだのって――」

 「てへへ、それは単に好きなので。
  元々食い意地が張ってるんです」

気恥ずかしそうに笑うラビゾーを見て、バーティフューラーも小さく笑った。

 「気遣い上手。
  +10点」

287 :創る名無しに見る名無し:2015/07/22(水) 19:58:01.75 ID:51wan19z.net
ラビゾーはバーティフューラーが食べ終えてから、芋虫に手を付け始める。
バーティフューラーは紅茶に口を付けながら、眉を顰めて、その様子を眺めていた。
平気な顔で黙々と食べ続けるラビゾーに、彼女は問い掛ける。

 「美味しいの?」

 「美味しいと言うか……。
  塩味が程好く利いて……、普通のスナクですよ」

 「『普通の』、ね……。
  1つ貰っても良い?」

バーティフューラーは、ぱりぽりと芋虫を齧るラビゾーに尋ねた。
最初は見た目で敬遠した物の、好奇心には勝てなかったのだ。

 「どうぞ」

バーティフューラーは1匹の芋虫を摘抓んで、恐る恐る口に運んだ。
そして、遠慮勝ちに尻の端を齧る。
一齧りずつ、半点掛けて食べ終えると、彼女は何度も頷いた。

 「成る程、普通……かな。
  エビと言われると、そんな感じかも……。
  でも、これ以上は遠慮するわ」

昼食を終えた2人は、カフェテリアを後にし、改めてライシ花苑に向かう。

288 :創る名無しに見る名無し:2015/07/22(水) 19:58:52.12 ID:51wan19z.net
ライシ花苑はカターナ中の珍しい植物を集めた、小さな人工密林である。
500MGの入場料を支払えば、閉園時間まで滞在出来るが、何か特別な目的でも無い限り、
1角程度で一通り園内を回って満足するだろう。
大木が聳え、枝葉が天を覆い隠す様を見て、バーティフューラーは感想を述べた。

 「故郷の森みたい」

彼女の言う「故郷」とは、禁断の地の事。

 「懐かしいんですか?」

植生こそ異なるが、薄暗く冷んやりしている所は似ている……かも知れない。
余り共通点を感じられず、ラビゾーが意外そうな声を上げると、バーティフューラーは難しい顔をして、
郷愁の心を否定する。

 「そんなんじゃないけど……。
  あっちでの事を思い出さない?
  こんな風に、よく2人で過ごしたよね」

そう言われると、そんな気がしてくる、単純なラビゾー。
しかし、カターナ地方の海沿いは避寒地として知られており、周囲には多くの旅行者の目がある。
危険な魔法生命体が徘徊しており、殆ど人と出会さない、禁断の地の森とは大違いだ。

 「……あの赤い花、大きくて綺麗でしょう。
  カターナ地方でしか見られない、『玉蕾葵<グロビュディビスカ>』と言う花ですよ」

反応に困ったラビゾーは、話題を逸らした。

289 :創る名無しに見る名無し:2015/07/22(水) 20:01:48.73 ID:51wan19z.net
バーティフューラーは一瞬不満気な顔をするも、何とも無い振りをして、彼の話題に乗る。

 「初めて見るわ」

 「小さな物にも目を向ければ、色々な違いが見えて来ます。
  常夏のカターナにも四季があるんですよ」

園内の木の上で消魂しく囀る、腹白の暗青色の鳥を、ラビゾーは指差した。

 「あの鳥、見た事ありませんか?
  鳴き声に聞き覚えは?」

 「さあ……?
  あの鳥が、どうしたの?」

 「あれは青燕と言う渡り鳥です。
  今の時期はカターナ地方で越冬し、暖かくなるとティナーやボルガに北上します。
  だから、夏には姿が見えなくなるんですよ。
  玉蕾葵も夏の盛りには咲きません。
  暑さが和らぐ冬になって、漸く花を咲かせます」

しかし、バーティフューラーは彼の話の内容に、然して興味が無い様子。

 「そんな知識、どこで仕入れるの?」

 「長らく旅をしていれば、物の本を見たり、人の話を聞いたりで。
  カターナには他の地方では見られない、綺麗な生き物が沢山棲んでいるんです」

 「綺麗?」

 「極彩色だったり、鮮やかな光沢があったり、とにかく大きくて派手です。
  女の人は、綺麗な物が好きでしょう?」

 「それで植物園を?」

突っ込まれたラビゾーは、冷や汗を掻きながら、彼女に問い掛ける。

 「……お気に召しませんでした?」

バーティフューラーは両腕を組んで、苦笑した。

 「良い事、ラヴィゾール?
  デートで大切なのは、『一緒に過ごした時間』なの」

290 :創る名無しに見る名無し:2015/07/22(水) 20:06:26.00 ID:51wan19z.net
ラビゾーは呆れて言い返した。

 「……あの、そんな事言われても困るんですけど、……『休暇』ですよね?」

 「そうだったかしら?」

惚けるバーティフューラーに、彼は脱力する。

 「気晴らしに、普段行かない所に行ったり、普段しない事をしても良いじゃないですか」

バーティフューラーは俯いて、長く深い溜め息を吐いた後、ラビゾーと目を合わせ、
人差し指を彼の鼻先に向けた。

 「んー、惜しい!」

 「な、何が……?」

 「ここを選んだからには、『推し』があるんでしょう?
  相手の事を考えるのは良いけど、何と無く『好きそうだから』、『定番だから』で、
  安易に決めるのは失敗の元よ。
  何か目玉になる物が無いと、話も弾まないわ」

 「お、推し……?」

 「あらら、予定表を埋めるので一杯で、そこまで気が回らなかった?」

ラビゾーは両腕を組んで、低く唸り始める。

 「僕は色んな花を見て歩くだけでも、良いと思うんですけど……」

その呟きに、バーティフューラーは目を丸くした。

 「アンタ、花が好きなの?」

 「花の色や形を見ていると、自然の神秘を感じますよね。
  花だけじゃなくて、葉や茎や根も。
  バーティフューラーさん、ハーブの栽培してるから、興味を持って貰えると思ったんですけど」

 「アロマは仕事で――……あー、興味が無い訳じゃないんだけど……。
  アンタ、本当にラヴィゾール?」

 「何を言うんですか?」

 「……そ、そうよね……」

彼女はラビゾーの全てを知っている積もりで、真実知らない所だらけだった事に、動揺していた。
長年付き合って、ラビゾーの為人は大凡掴んでいたが、「それだけ」だったのだ。

291 :創る名無しに見る名無し:2015/07/23(木) 18:31:23.98 ID:vFR7DkaG.net
バーティフューラーはライシ花苑を回っている間、訝しむ様な目でラビゾーを見詰め続けていた。
植物ではなく、自分の知らない彼を観察する積もりで。
一方で、ラビゾーは普通に植物を観察したり、解説の掲示板を読んだり。
視線を送って来るバーティフューラーが気になる物の、掛ける言葉が思い浮かばず、
内心では気不味い思い。
2人は殆ど言葉を交わさない儘、園内を見回って、最後に土産物コーナーに立ち寄った。

 「何か買って行きます?」

ラビゾーが水を向けると、バーティフューラーは鈍く反応する。

 「……何があるの?」

 「植物園ですから、花の種とか、香水とか、ジャムとか……。
  そんな所ですね」

陳列棚を一覧してラビゾーが言うと、バーテイフューラーは商品を手に取ってみて、物色し始めた。
黙々とレッテルを目で読む彼女に倣って、ラビゾーも商品を眺める。
半角近く掛けて、長々と品定めしたバーティフューラーは、思い立った様に買い物篭を取りに行き、
目を付けた商品を次々と放り込んで行った。

 「そんなに買って大丈夫ですか?」

ラビゾーは思わず尋ねる。

 「お金の事?」

 「いえ、持ち運びの……」

 「郵送すれば良いじゃない」

 「ああ、そうですね……。
  旅の身な物で、失念していました」

 「フフッ、どっか抜けてるのよね、アンタ」

バーティフューラーは呆れた様に小さく笑った。
先から彼女が口数少なだった事を案じていたラビゾーは、漸く真面に口を利いて貰えて安堵した。

292 :創る名無しに見る名無し:2015/07/23(木) 18:33:16.75 ID:vFR7DkaG.net
ライシ花苑を出た時は、既に夕方。
日は傾き、空は赤く染まり始めていた。
2人は夕食を取りに、手近なレストランに入る。
席に着いてメニューを取ったバーティフューラーは、そこにある写真を見て、ラビゾーに尋ねた。

 「ねぇ、ラヴィゾール……。
  このモー・アーハー・タレーって何?
  2人前からって書いてあるのは?」

彼女が指して見せたメニューの頁には、白い海鮮鍋の写真が付いている。

 「これは鍋物ですね。
  ポット・シチュー、ホッシェポットの類です。
  カターナでは数人で鍋を囲み、取り分けると言う風習があるんですよ」

 「面白そう。
  これ、頼んでも良い?
  アタシとアンタで」

 「構いませんよ。
  魚介類は大丈夫ですか?
  魚とか貝とか蟹とか」

 「平気、平気」

ラビゾーの説明を聞くと、バーティフュラーはテーブルの上に置かれたベルを鳴らした。
ウェイターが来ると、彼女は直ぐに注文する。
そして待つ事1針、大きな鍋がテーブルの真ん中に置かれた。
熱い鍋から濛々と立ち上る湯気は、潮の香りをさせている。
バーティフューラーは早速、2人分を小皿に取り分けた。

 「はい」

 「どうも……」

 「じゃあ、食べよっか」

2人は同時に食べ始める。

293 :創る名無しに見る名無し:2015/07/23(木) 18:34:56.24 ID:vFR7DkaG.net
静かに上品に食べ物を口に運ぶバーティフューラーと、熱々の具や汁に悪戦苦闘するラビゾー。
2人の食べ方は対照的。
バーティフューラーは不安気な顔で、ラビゾーに問い掛ける。

 「美味しい?」

自分が注文した物を、相手が気に入るか否か、気になるのは当然だろう。
熱い魚の切り身を急いで嚥下し、ラビゾーは答えた。

 「ム、ムグ……美味しいですよ。
  バーティフューラーさんは、どうですか?
  お口に合いました?」

 「美味しい、美味しい。
  特に、香りが良いわね。
  ティナーでは味わった事が無い」

 「ティナーにも、向こうにも、海はありませんからね。
  魚介は川や湖でも採れますけど、海の物とは味わいが違います」

 「世の中、アタシの知らない事だらけね……」

沁んみりと零したバーティフューラーを元気付ける様に、ラビゾーは笑って言った。

 「『だから面白い』でしょう?」

 「まあね、何でも分かってたら詰まらないわ」

バーティフューラーは気を取り直して、何時もの態度に戻る。
鍋を空にした2人は、レストランを後にして、民宿に帰った。

294 :創る名無しに見る名無し:2015/07/24(金) 19:50:11.80 ID:HPbLkUYm.net
民宿に着く頃には、辺りは暗んでいる。
今日の予定は無事に消化。
家主に浴室を借りて、後は眠るだけとなった。
部屋の窓辺で、明かりも点さず、涼しい夜風に当たっているバーティフューラーに、
ラビゾーは声を掛ける。

 「ベッドは無いので、床に布団を敷いて寝ます。
  流石に夜は冷えるので、眠る時には窓を閉めましょう」

 「解った」

振り向いて答えるバーティフューラーは、湯上がりに、寛りとした薄手のワンピースのドレスに、
着替えていた。
月明かりがドレスを透かして、体のラインを浮かび上がらせる。
風に靡く髪は、青金に輝く。
体が凍り付き、瞬きを忘れる程の、恐ろしい色気。
ラビゾーは本の数極ではあったが、硬直して声を失った。
彼女が魔性の物である事を思い出し、ラビゾーは目を逸らす。

 「どうしたの?」

 「何でもありません……。
  風邪を引きますよ」

魅了の魔法を使っているのか、それとも無意識なのか、或いは魔法は全く関係無いのか、
ラビゾーには何も判らない。
取り敢えず、何とも無い風を装う。

295 :創る名無しに見る名無し:2015/07/24(金) 19:53:13.19 ID:HPbLkUYm.net
そこでラビゾーは、バーティフューラーと密室に2人切りと言う事を意識してしまうのだが、
動揺を表しては行けないと、努めて心を静めた。

 「ラヴィゾール、明日の予定は?」

 「天気が良ければ、海水浴に行きましょう」

バーティフューラーの問い掛けにも、淡々と答える。

 「泳ぐのね!?」

しかし、彼女が唐突に喜色満面の笑みを浮かべたので、吃驚した。
同時に妖艶な色香が消えたので、ラビゾーはホッと胸を撫で下ろす。

 「あー、バーティフューラーさん、海は初めてでしたね……。
  水泳も初めてですか?」

 「泳げるわよ、馬鹿にしないで」

向きになるバーティフューラーを、ラビゾーは宥めた。

 「いや、馬鹿にする積もりは……。
  でも、どこで泳ぎを習ったんです?
  そもそも、泳げる場所がありましたっけ?」

 「禁断の地の泉、精霊の聖地」

 「ああ、確かに、精霊の聖地なら……。
  バーティフューラーさん、精霊の伝手があったんですか?
  精霊の案内が無いと、辿り着けないって話でしたけど」

 「そうなの?
  普通に行けたけど。
  大体、向こうでは水浴び以外に、体を洗う方法が無いし」

 「えっ、精霊の聖地を風呂代わりに……?」

「聖地で体を清める」と言えば聞こえは良いが、冒涜ではないかと、ラビゾーは憂惧する。

 「変な想像しないでよね」

バーティフューラーは頬を染めて、恥じらう振りを見せたが、全くの筋違い。

296 :創る名無しに見る名無し:2015/07/24(金) 19:55:42.46 ID:HPbLkUYm.net
>>295
頭の数行が抜けました。


彼の言葉に従い、バーティフューラーは徐に窓を閉めた。

 「そうね、羽休めで旅行して、風邪を引くのは馬鹿みたい」

297 :創る名無しに見る名無し:2015/07/24(金) 19:58:31.34 ID:HPbLkUYm.net
眉を顰めて苦笑いするラビゾーに、バーティフューラーは言った。

 「……ラヴィゾール、今回そう言うのは無しにしましょう?」

 「『そう言うの』って?」

何の事か解らず、ラビゾーが問い返すと、彼女は外方(そっぽ)を向く。

 「男と女の、色々面倒なの、全部無し。
  折角の休暇なのに、一々ギクシャクするのは嫌なの。
  アタシとアンタは、お友達。
  良い?」

ラビゾーは大いに安心した。
それは笑みが自然と零れる程に。

 「え、ええ、はい、勿論、大丈夫です!」

その反応も如何な物かと、バーティフューラーは複雑な気持ちだったが、黙って見過ごした。
無言で布団を2つ敷いた彼女は、不貞腐れた様に寝転び、薄いシーツを掛けて、両目を閉じる。

 「それじゃ、お休み」

 「はい、お休みなさい……」

バーティフューラーの態度から、ラビゾーは浮かれていた事を反省して、真顔に戻った。
そして、空いている片方の布団に寝て、静かに眠りに落ちた。

298 :創る名無しに見る名無し:2015/07/25(土) 20:13:21.82 ID:ZmjD1kTN.net
翌朝、2人は家主の母屋で朝食を取る。
寝覚めのシャワーを終え、浴室から着替えて出て来たバーティフューラーは、
ラビゾーに向かって言った。

 「お早う、ラヴィゾール。
  昨日は中々の段取りだったわ。
  +15点」

唐突に何を言うのかと、ラビゾーは呆気に取られた顔で尋ねる。

 「昨日から気になってたんですけど、その+何点って言うのは、一体何なんです?」

 「評価ポイントよ。
  100点になったら、御褒美を上げる」

 「えーと、今何点ですか?」

 「45点」

御褒美とは何だろうと、ラビゾーは考えた。
色恋は抜きと昨晩約束したので、それ関係でない事は確か。
しかし、バーティフューラーに望む事は特に無かったので、気にしない様にした。

 「……それは扨措き、朝御飯を食べましょう」

肩透かしを食ったバーティフューラーは、不機嫌な顔をするも、朝から言い合いはしたくないと、
突っ掛からずに席に着いた。

299 :創る名無しに見る名無し:2015/07/25(土) 20:14:33.29 ID:ZmjD1kTN.net
朝食を終えた2人は、早速荷造りをして、乗合馬車で海に出掛ける。
バーティフューラーは無言だったが、言葉に出さずとも、鼻唄や落ち着かない様子で、
浮付いているのが、ラビゾーには読み取れた。

 「海、そんなに楽しみなんですか?」

それと無くラビゾーが尋ねると、バーティフューラーは顔を赤くして、恥ずかしそうに俯く。

 「えっ!?
  ……ん、まぁ、そう、ね」

初めての海なのだから仕方無いと、ラビゾーは微笑ましく思いつつ、はて、
自分は何時海に行ったのかと、小首を傾げた。
カターナ地方には何度も足を運んでいるが、海に入った覚えは無い。
だが、海で泳いだ記憶はあるのだ。
それは何時の事だったか……。
名前と共に失った記憶の一部なのだろうかと、ラビゾーは沈んだ気持ちになった。
馬車がリゾート・ビーチの浜辺に着くと、2人は連れ立って降りる。
日差しは強いが、暑過ぎない好い天気。

300 :創る名無しに見る名無し:2015/07/25(土) 20:16:24.93 ID:ZmjD1kTN.net
海水浴に利用される、カターナ地方の多くの砂浜は、都市や地区、個人の管理地で、
旅行客は入場料を支払って滞在する。
その代わりに、管理者は安全に配慮し、環境を快適に維持しなければならない。
管理されていない砂浜も、立ち入りは自由だが、海獣に襲われる危険がある。
「安全に」遊泳出来る浜辺は、実は限られているのだ。
快適に管理されたリゾート・ビーチは、カターナ地方の主要な観光産業でもある。
大抵のリゾート・ビーチには、男女別の更衣室とトイレ、それと幾つかの休憩所が具わっている。
ラビゾーとバーティフューラーは水着に着替えて、砂浜で落ち合う事にした。
先に着替え終えたラビゾーが、砂浜で佇んでいると、聞き覚えのある声がする。

 「うわっ、先輩じゃないッスか!
  久し振りッスね!」

 「コバギ!」

声の主はコバルトゥス・ギーダフィ。
端整な容貌の精霊魔法使いの裔である。
彼の横には、そこらで知り合ったのだろう、柄付きの青いタンク・スーツ姿の若い女性が居た。

 「こんな所で何を?
  先輩も軟派ッスか?
  見掛けに依らないっつーか、似合わないっつーか」

 「違うよ。
  『も』って何だよ、『も』って」

コバルトゥスは隣の女性の腰に手を回し、体を密着させている。
晩熟のラビゾーは、何の遠慮や羞恥も無く、その様な事が出来るコバルトゥスを、羨むと同時に、
疎ましくも思っていた。

301 :創る名無しに見る名無し:2015/07/26(日) 18:40:10.33 ID:OkVI/fv2.net
コバルトゥスは純粋な疑問を投げ掛ける。

 「だったら、何で海に居るんスか?
  その格好で商売は無いっしょ」

ラビゾーは上半身裸で、下半身は半ズボンの水着のみ。
この様な格好で街を歩くカターナ市民も居るには居るが、少なくとも彼の普段の服装とは違う。

 「泳ぎに来たんだ」

 「ブフッ、独りで!?」

ラビゾーが答えると、コバルトゥスは失笑を漏らした後、堰を切った様にゲラゲラと大笑いを始めた。
確かに、男が独りリゾート・ビーチに泳ぎに来るのは可笑しいだろうと、ラビゾー自身も思うのだが、
笑われて好い気はしない。
コバルトゥスは俄かに真顔に戻り、顰めっ面のラビゾーに改めて問い掛けた。

 「――で、本当の目的は何なんスか?」

 「泳ぎに来たんだって」

 「えっ、マジで独りで――」

話の途中で、コバルトゥスが更衣室の方に視線を逸らす。
ラビゾーは何事かと思って、彼と同じ方向を見た。

302 :創る名無しに見る名無し:2015/07/26(日) 18:42:46.55 ID:OkVI/fv2.net
そこに立っていたのはバーティフューラー。
麦藁帽を被って、色の薄いサングラスを掛けた彼女は、フリルが付いた黒いセパレートの水着姿を、
見せ付ける様に堂々と歩いて来る。

 「どうかしら、ラヴィゾール?」

 「き、綺麗ですよ」

ハイカットのボトムと、紐で留めたトップと言う、布地の少なさに、ラビゾーは目の遣り場に困り、
俯き加減で応える。
コバルトゥスは魂を抜かれた様に、バーティフューラーに見惚れて、暫し呆然としていたが、
正気に返ると、ラビゾーの肩に片腕を回して囁いた。

 「誰ッスか?」

 「誰って、お前……は、知らないんだったな。
  とにかく、暑苦しいから放せよ」

ラビゾーは眉を顰めて言うも、コバルトゥスは耳を貸さず、彼の頭を押さえて、脇に抱え込む。

 「本当に誰なんスか?
  家族、親戚、仕事仲間?
  ……彼女だとか言いませんよね?」

即座には答えられず、ラビゾーは視線を泳がせて答える。

 「と、友達……?」

 「は?」

それを聞いたコバルトゥスは、彼の腹を小突き始めた。

 「何なんスか、先輩?
  俺の純情な感情を裏切るんスか?」

 「知らないよ。
  何だよ、純情な感情って……」

303 :創る名無しに見る名無し:2015/07/26(日) 18:45:19.45 ID:OkVI/fv2.net
執拗に纏わり付くコバルトゥスに苛立ち、ラビゾーは体術を駆使して彼を転がした。

 「ええぃ、鬱陶しい!
  放せって!」

 「わわわっ!」

宙に浮かされ、半回転して砂の上に尻餅を搗いたコバルトゥスは、漸くラビゾーから手を放す。
バーティフューラーは不満そうな顔で、ラビゾーに言った。

 「男同士で遊んでないで、紹介位して頂戴。
  そこの彼は誰?」

 「ああ、彼は――」

ラビゾーが答えるより先に、コバルトゥスは立ち上がって、自ら名乗る。

 「俺はコバルトゥス。
  君は?」

彼は連れの女性を完全に放ったらかしている。

 「一寸、コバルトゥス?」

コバルトゥスをバーティフューラーから離そうと、連れの女性は彼の腕を引いたが、
足に根が張っているかの様に動かない。
完全に口説きに掛かっている。

 「そっちから声を掛けて来た癖に……。
  何なの、貴方」

連れの女性は怒りを露に、コバルトゥスの脛を蹴った。

304 :創る名無しに見る名無し:2015/07/26(日) 19:27:32.63 ID:OkVI/fv2.net
コバルトゥスは痛みに身を竦め、やっと連れの女性を顧みた。

 「痛っ!
  い、今、俺は彼女と話してるんだから――」

 「私より、その人達の方が大事な訳?」

 「そうなるかな」

コバルトゥスの予想外の返答に、連れの女性は怒りを爆発させた。

 「最っ低!
  私、帰るから」

 「ああ、気を付けて」

コバルトゥスは軽い調子で、全く何の執着も見せずに、言い放つ。
怒りに震える彼女は、最後にコバルトゥスの背中を思いっ切り叩いた。
パァーンと高い音がして、真っ赤な手形が残る。
しかし、そんな事は気にも留めず、コバルトゥスはバーティフューラーに向き直る。
余りの貪欲さに、ラビゾーは訳の解らない恐怖を覚えて、コバルトゥスとバーティフューラーの間に、
自然に割って入った。
こうなる予感はあったのだ。
だから、彼はコバルトゥスの問いに、答えたくなかった。

305 :創る名無しに見る名無し:2015/07/26(日) 19:31:24.42 ID:OkVI/fv2.net
コバルトゥスは何時の間にか割り込んで来たラビゾーに、一瞬驚いたが、にやりと笑うと、
ぐっと踏み込んで距離を詰めた。

 「オ?
  何の積もりッスか、先輩」

彼は威嚇する様に、ラビゾーを見下す。
身長はコバルトゥスの方が、ラビゾーより数節高い。
何に於いても、ラビゾーに劣る所は無いと、男としての自信に満ち溢れている。

 「お前、見っ度も無いとは思わないのか?」

ラビゾーはコバルトゥスの瞳を真っ直ぐ見詰めて、問い質した。
コバルトゥスは余裕の笑みを消さない。

 「全然。
  良い女に出会ったら、口説くのは礼儀でしょう?
  大体、先輩の彼女って訳じゃないでしょうが」

彼はラビゾーの背後のバーティフューラーに、視線を送りつつ、反論する。
ラビゾーは静かに怒りを表した。

 「そう言う問題じゃない。
  僕の前では遠慮してくれ」

 「先輩は何時から、俺を制御出来る程、偉くなったんですか?
  『我が前では礼節を尽くせ』って?
  どっかの王様気分ですかね?」

コバルトゥスの口調は、普段ラビゾーに対する物とは違っている。
ここに至っては仕方が無いと、ラビゾーはコバルトゥスに決断を迫った。

 「全てを御破算にしてでも、彼女を取ると言うんだな?」

306 :創る名無しに見る名無し:2015/07/27(月) 00:15:57.84 ID:TFXnZoNV.net
この男w

307 :創る名無しに見る名無し:2015/07/27(月) 19:46:06.48 ID:+ACnbsqY.net
拳を固く握るラビゾーに、コバルトゥスは戯(おど)けて言う。

 「御破算って……大袈裟ッスね。
  そんなに敬意を払って欲しいんスか?
  何を怒ってるのか、俺には全然解んないんスけど。
  止めといた方が良いッスよ?
  先輩の能力(ちから)では、俺を止められないって、解るっしょ」

 「やってみないと、分からないだろう」

純粋な腕力では、ラビゾーに分があるとは言え、魔法を使われては勝負にならない。
それでもラビゾーは引けなかった。
ここでコバルトゥスの増長を止めるのが、本人の為になるとも信じていた。
コバルトゥスはラビゾーを無視する様に、更に踏み込んでバーティフューラーに近寄る。
ラビゾーは両手を張って、進み出るコバルトゥスを押し留めた。
コバルトゥスがラビゾーの手を払おうとすると、逆にラビゾーはコバルトゥスの腕を掴んで止める。

 「本気ッスか、先輩」

 「冗談に聞こえたのか」

ラビゾーが言い返すと、コバルトゥスは透かさず素早い回し蹴りを繰り出した。
それをラビゾーは膝で止める。
丁度、彼の膝とコバルトゥスの膝が打つかり、ゴンッと鈍い音がした。
次の手を先に打ったのはラビゾー。
彼は雷火の如き迅さで体を捻り、バランスを崩したコバルトゥスを強引に投げて、組み伏せる。

 「ぐへっ!」

背中から落ちて、海水に濡れた砂塗れになるコバルトゥス。
驚く程簡単に制せたので、ラビゾーは脱力して、彼を解放した。

308 :創る名無しに見る名無し:2015/07/27(月) 19:51:29.11 ID:+ACnbsqY.net
これがコバルトゥスの実力ではないと、ラビゾーは思っていた。

 「……試したのか?」

 「い、いや、一寸油断しました。
  仕切り直し」

だが、慌てて言い繕うコバルトゥスを、彼は相手にしない。
如何な形であれ、決着は付いたと踏んでいた。

 「嫌だよ」

 「そう言わないで、先輩」

所が、コバルトゥスは諦めが悪い。
背を向けたラビゾーの片腕を掴んで取り縋ると、お返しとばかりに彼を豪快に投げ飛ばした。
純粋な体術ではない。
風と土の精霊魔法を利用した技、風輪(ふうりん)である。
俯せに砂浜に叩き付けられるラビゾー。
したり顔で笑うコバルトゥス。

 「油断しましたね?
  これで相子って事で」

 「……野郎!」

ラビゾーは口に付いた砂を吐くと、直ぐに起き上がって、コバルトゥスに掴み掛かる。
しかし、コバルトゥスは風に揺れる柳枝の様に、軽やかな身の熟しで避けた。
そして容赦無く、反撃の拳をラビゾーの脇腹に叩き込む。
精霊魔法使いのコバルトゥスは、風土を読む事で、隙の無い攻防を実現しているのだ。

309 :創る名無しに見る名無し:2015/07/27(月) 19:53:26.05 ID:+ACnbsqY.net
痛打にラビゾーが怯むと、コバルトゥスは再び風輪投げを仕掛ける。
拳を打ち込んだのとは逆の手で、ラビゾーの腕を掴み、風と土の魔法で軽々と宙に持ち上げた。
後は、背中から叩き落すだけ。
ラビゾーに天を仰ぐ屈辱を与えようと、コバルトゥスは腕を振り下ろす。
所が、ラビゾーは空中で体を捻って丸め、バランスを崩しながらも足から着地して、
逆にコバルトゥスを巴投げした。
身体操作では、ラビゾーに一日の長があるのだ。
一方、コバルトゥスも精霊魔法で受け身を取り、軽やかに着地する。
互角の勝負に、何時の間にか『野次馬<ギャラリー>』が集まって、声を上げていた。
注目の的となっている事に、ラビゾーは焦って、コバルトゥスに呼び掛ける。

 「コバギ、もう止めよう」

 「何で?
  『これから』が面白い所じゃないッスか」

血気に逸るコバルトゥスを余所に、ラビゾーは周囲を見回し、バーティフューラーの位置を確認した。

 「直ぐに、ビーチの監視員が飛んで来るぞ。
  都市警察、最悪、魔導師会の執行者を呼ばれるかも知れない。
  面倒は御免だ」

ラビゾーの説得に、コバルトゥスは深い溜め息を吐いた。

 「そうッスか……」

コバルトゥスが構えを解いたので、ラビゾーは安堵する。
――次の瞬間、コバルトゥスはバーティフューラーに向かって駆け出すと、彼女を抱えて、
人垣を跳び越えた。

 「あっ、コバギ!
  待てっ!」

ラビゾーは直ぐにコバルトゥスの後を追うも、精霊魔法を駆使した移動速度は、
彼の足で追い付ける物ではない。

310 :創る名無しに見る名無し:2015/07/27(月) 19:55:06.47 ID:+ACnbsqY.net
コバルトゥスは風に乗り、大跳躍を繰り返して、ラビゾーを引き離すと、リゾート・ビーチの端にある、
高さ4身程の小高い岩場に上がった。
そこでバーティフューラーを下ろすと、彼は小さく深呼吸して息を整え、話し掛ける。

 「抵抗しなかったね」

困り顔のバーティフューラーに構わず、コバルトゥスは続けた。

 「先ずは、お名前を伺おうかな、『お嬢さん<ミスィ>』」

 「アナタに教える必要は無いわ」

冷たく突き放されると、コバルトゥスは口笛を吹く。

 「良いね。
  強気な態度も、君位の美人ならセクシーだ。
  先輩とは、どんな関係?」

 「……それより、勝負は未だ付いてないでしょう?」

バーティフューラーが指摘すると、コバルトゥスは笑った。

 「これだけ離れたら、先輩は暫く追い付けないよ」

 「どうかしら?」

彼女の意味深な呟きに、コバルトゥスは悪寒を感じて振り返り、目を見張る。

 「うわっ!?」

そこには肩で息をするラビゾーが居た。

311 :創る名無しに見る名無し:2015/07/27(月) 19:59:41.09 ID:+ACnbsqY.net
コバルトゥスは驚愕と同時に、ラビゾーを称賛する。

 「先輩、凄いッスね。
  どうやって、ここに?」

 「普通に走って、登って来た」

 「この険しい崖を?」

 「……何だ?
  ワープしたとでも言いたいのか?」

苛付いて棘のある口調で返す、息の荒いラビゾーを、コバルトゥスは宥めた。

 「いや、驚いてるんスよ、俺。
  先輩の事、侮ってました」

 「魔法で速く走る位、僕でも出来る」

 「悪かったですって。
  でも、ここでは先輩、不利っしょ?
  この岩場、転けたら只じゃ済まないッスよ」

コバルトゥスは冷静に、足場の危うさをラビゾーに伝える。
風波で削られた岩は、凸凹している上に、ザラザラと粗い鑢の様。
今のラビゾーは薄い半ズボンのみで、上半身裸に裸足。
とても岩場で動き回れる格好ではない。
それはコバルトゥスも変わらないのだが、彼には精霊魔法がある。

 「それでも、やるって言うんスか?
  そんなに殺気立って……。
  どうして先輩は、そこまでして俺の邪魔をしたいんです?」

 「僕にだって、『自尊心<プライド>』はある」

 「だから、それは悪かったって言ってるじゃないッスか……。
  許して下さいよ」

312 :創る名無しに見る名無し:2015/07/28(火) 19:29:39.89 ID:NdIvO7pd.net
コバルトゥスは自分に有利な状況を理解して、敢えて下手に出ている。
本気で敵対したくはないと言う、彼なりの意思表示だ。
加えて、こうする事で相手に屈した訳ではなく、配慮したのだと印象付ける狙い。
ラビゾーは不満な物の、バーティフューラーの事を思えば、これ以上詰まらない諍いを、
長引かせる訳には行かず、妥協案を提示する。

 「解った、僕も大人気(おとなげ)無かった。
  取り敢えず、今回は出直せ。
  こんな状況では、海を楽しむ所の話じゃないだろう」

ラビゾーが退散を要求すると、コバルトゥスは反発した。

 「は?
  先輩、冷静になって、よーく考えて下さい。
  先輩は俺に指図出来る立場ですか?」

コバルトゥスは笑って言うが、その目は笑っていない。

 「それが本音か」

ラビゾーは失望して、目付きを険しくする。
岩場では思う様に動けず、不利になるのは間違い無い。
だからと言って、コバルトゥスに屈する積もりは無かった。

 (監視員は、こちらに気付いている。
  最終的には、都市警察の手を借りる事になるかも知れない。
  面倒は避けたい……けど、奴を増長させるよりは良い)

ラビゾーが構えると、コバルトゥスは視線を逸らし、両手を軽く広げて肩を竦める。

313 :創る名無しに見る名無し:2015/07/28(火) 19:34:54.88 ID:NdIvO7pd.net
何でも無い仕草の様だが、精霊魔法の詠唱に入ったと、ラビゾーは見切っていた。
魔法資質が低い彼には、魔力の流れが視えない。
故に、読みに賭けるしか無いのだ。

 「H36I4、L2F4M1!」

魔力の流れを断つ詠唱に、コバルトゥスは目を丸くして、意外そうな顔をする。
ラビゾーは不敵に笑う。

 「未だ僕を侮っている様だな」

コバルトゥスは真顔になった。

 「いや、尊敬しますよ、先輩。
  それでも……俺には勝てない」

俄かに風が騒ぎ始めて、雲が速く流れ、潮が高くなる。
不穏な重苦しい空気が、一帯を支配する……。

 「さっきから、何やってんの?」

――所が、バーティフューラーの一言で、空気が和らいだ。

 「男2人で、アタシを置いて盛り上がらないでよ」

不満そうに零す彼女に、ラビゾーはコバルトゥスから目を切らず謝る。

 「済みません、こいつが聞き分けなくて……」

 「酷っ!
  先輩、俺の所為にするんスか!?」

 「誰の所為かって言ったら、お前の所為だろう」

 「それは先輩が邪魔するから!」

314 :創る名無しに見る名無し:2015/07/28(火) 19:38:40.02 ID:NdIvO7pd.net
責任を押し付け合う2人に、バーティフューラーは深い溜め息を吐いた。
彼女は無造作にコバルトゥスに歩み寄って、サングラスを外し、彼の瞳を覗き込む。

 「アタシはアナタを知っている。
  勿論、アナタもアタシを知ってるの。
  ……そうでしょう、可愛い精霊魔法使いさん?」

コバルトゥスは丸で赤子の様に、全身の力が萎えて行くのを自覚した。
両脚が震えて、立っているのすら困難になる。

 「な、何をした?」

 「あら、アタシの事、忘れちゃった?」

バーティフューラーは含み笑う。
妖しく輝く彼女の瞳に、魂が吸い込まれそうな感覚。
コバルトゥスは脳を掻き回される様な眩暈に襲われ、恐怖に駆られるも、身動きが取れない。
強力な精神支配の魔法である。
ラビゾーは見兼ねて、バーティフューラーを止めた。

 「その辺で容赦してやって下さい。
  そう悪い男ではないんです」

 「庇うの?
  『こんな奴』を?
  2度と起てない様にしてやろうと思うんだけど」

 「金と女が絡まなければ、良い――とまでは言いませんけど、普通の奴なんです」

バーティフューラーは呆れた様に息を吐き、脱力して、サングラスを掛け直す。

 「そこまで言うなら、アンタに免じて許して上げる」

そう言った彼女はコバルトゥスを睨んで続けた。

 「アナタ、ラヴィゾールに感謝しさない」

……コバルトゥスは既に放心状態で、聞いているかも定かでない。

315 :創る名無しに見る名無し:2015/07/28(火) 19:43:06.67 ID:NdIvO7pd.net
図太いコバルトゥスの事だから、その内、自力で立ち直るだろうと、ラビゾーは彼を放置して、
バーティフューラーに駆け寄った。

 「下らない事で時間を取らせてしまって、済みません。
  取り敢えず、降りてビーチに戻りましょう」

当の彼女は殆ど気にしていない様子。

 「フフッ、面白い物を見せて貰ったわ。
  +20点」

 「バーティフューラーさんの為と言う訳では……。
  あいつの横暴振りが気に入らなかっただけです」

どこか嬉しそうに、バーティフューラーは目を細めて、言い訳するラビゾーを見詰める。

 「――ラヴィゾール、足場が悪くて歩き難いわ」

 「あぁ、済みません、気が利かなくて」

ラビゾーが手を差し出すと、バーティフューラーは態と蹣跚(よろ)めいて体を預けた。

 「きゃっ」

 「確りして下さい」

流石に故意だと気付いたラビゾーは、彼女を受け止めつつ、眉を顰めて注意を促す。
肌が密着しているにも拘らず、冷静なラビゾーが、バーティフューラーは詰まらない。

 「アタシ、人を魅了する以外の魔法は使えないのよ?
  こんな所、裸足で歩けない」

我が儘だなとラビゾーは思ったが、旧い魔法使いが他の魔法を使わないのは事実である。
無理に粗い岩場を歩いて、足を怪我でもしたら、海水浴が台無し。

316 :創る名無しに見る名無し:2015/07/28(火) 19:45:15.27 ID:NdIvO7pd.net
ラビゾーは小さく息を吐くと、同意も得ず強引に、バーティフューラーを抱え上げた。
バーティフューラーは驚いた顔をするが、為されるが儘で抵抗しない。

 「軽いですね」

 「そ、そう?」

彼女は摺り落ちたサングラスを急いで直し、内心の動揺を覚られない様にした。
ラビゾーはバーティフューラーを抱えた儘、崖の方へ向かう。
下は砂浜とは言え、4身は恐怖を感じる高さだ。

 「えっ、えっ?
  ラヴィゾール、何するの?」

紳士的に抱えて運んで貰えると思っていたバーティフューラーは狼狽する。

 「お、怒った?
  御免ね?」

 「いやいや、怒ってません。
  飛び降りて、近道するだけです。
  足場が悪いんで、抱えた儘で歩くと、転びそうですから……」

 「飛び降りて大丈夫なの?」

 「この位なら、少し魔法を使えば。
  暴れないで下さい」

そう言うと、ラビゾーは岩場から身を躍らせた。
不安と緊張からバーティフューラーは、ラビゾーの首に腕を回して、獅噛み付く。
ラビゾーは全く動じず、上手く足から地面に着地。
タイミングを合わせて両膝を曲げ、衝撃を和らげた――所までは良かったが、勢いを殺し切れずに、
砂浜に尻と背中を打って、仰向けに倒れた。

317 :創る名無しに見る名無し:2015/07/28(火) 19:51:00.97 ID:NdIvO7pd.net
バーティフューラーはラビゾーの腹に腰掛ける形で、無事だった。
ラビゾーを尻に敷いた儘で、彼女は一際大きな溜め息を吐く。

 「はぁーー……。
  今一つ格好付かないのよね、アンタって」

 「面目ありません」

 「でも、少し楽しかった。
  +5点」

ラビゾーが謝罪しても、バーティフューラーは動こうとしない。
この状況に性的な物を感じない訳ではなかったが、ラビゾーは苦笑いして依願した。

 「……あの、退いて貰えませんか?」

 「退かせば良いじゃない」

 「本当に良いんですか?」

バーティフューラーが挑発する様な笑みで見下ろした儘、何も答えなかったので、彼は行動に移る。
腹を引っ込めると同時に、達磨落としの様に、素早く胴を横にスライド。

 「ひゃっ!?」

バーティフューラーは尻餅を搗いて、可愛い声を上げた。
彼女は起き上がったラビゾーを、座り込んだ儘で睨むと、片腕を差し出す。
引っ張って起こせと言う、暗黙の命令だ。
ラビゾーに起こして貰ったバーティフューラーは、彼の胸板を手の甲で軽く叩いた。

 「もうっ、馬鹿!」

締まりの無い笑みを浮かべつつ、ラビゾーは内心で思う。

 (これって恋人……。
  いや、仲の良い男友達と女友達なら、こんな感じかも知れない。
  性的な事が絡まなければ、セーフ、セーフ)

取り敢えず、一線だけは何があっても死守すると、彼は心に決めた。

318 :創る名無しに見る名無し:2015/07/29(水) 20:02:17.55 ID:U1VA7uIx.net
ラビゾーとバーティフューラーが、人の多い浜辺に戻ると、監視員が駆け寄って来る。
筋骨隆々の日焼けした逞しい監視員は、2人の前に立ち開(はだ)かって質問した。

 「君達、さっきの騒動は何だったんだ?」

ラビゾーは愛想笑いで答えた。

 「いや、その……、お恥ずかしい話ですが、所謂『痴情の縺れ』と言う奴です。
  少々行き違いがありまして、落ち着いて話せる所に行こうと言う事で……」

監視員は「仕様の無い人達だ」と呆れ、大きな溜め息を吐く。
そして、小高い岩場の上で立ち尽くしているコバルトゥスを指した。

 「彼は?
  置いて行って良いの?」

 「あー……、今は触れないでやって下さい。
  ショックを受けているだけなので……。
  放っとけば、立ち直ると思います」

ラビゾーの説明に、監視員は「振られたのだな」と納得して頷く。

 「話は解った。
  ビーチでは男女のトラブルも多い。
  困ったら私達を頼りなさい」

監視員がバーティフューラーに魅了されないのは、彼女が能力を抑えているからなのか、
それとも単にコバルトゥスが欲求に正直なだけだったのか、ラビゾーは内心で謎に思いながらも、
彼に礼を言う。

 「はい、有り難う御座います」

これにて漸く、2人は海で遊べる様になった。

319 :創る名無しに見る名無し:2015/07/29(水) 20:04:09.81 ID:U1VA7uIx.net
ラビゾーはレンタルした大きな浮き輪を片手に、バーティフューラーの手を取って、
彼女を海の中へ誘う。
腰の辺りまで浸かると、ラビゾーは一旦足を止めた。

 「水温は丁度良い位だと思うんですけど、どうですか?」

 「思ったより、温かいわね」

 「カターナ地方は冬には南から暖かい海流が、夏には北から少し冷たい海流が来ます。
  だから、年間を通して、余り海水温に変化が無いんですよ。
  ――もう少し、沖に行っても大丈夫ですか?」

 「あのね、泳ぐのは初めてじゃないって言ったでしょう?」

顔を顰めるバーティフューラーだが、ラビゾーは心配性である。

 「でも、海は初めてなんでしょう?
  取り敢えず、胸の辺りの深さまで、行ってみましょうか」

 「アタシを何だと思ってるの?
  小さな女の子じゃないのよ?」

バーティフューラーは文句を言いながらも、満更でも無さそうな様子。
2人は少しずつ沖へ向かう。
途中、波が口元に掛かたバーティフューラーは、海水を味わって驚いた。

 「プヘッ、塩っぱい!」

 「……大丈夫ですか?」

 「な、何でも無いわ!
  海の水が塩辛い事は知ってたから。
  少し予想外に塩っぱかっただけ」

ラビゾーが怪訝な顔をすると、バーティフューラーは必死に強がる。

320 :創る名無しに見る名無し:2015/07/29(水) 20:04:51.44 ID:U1VA7uIx.net
ラビゾーは彼女を気遣って、提案した。

 「浅い所で、泳ぎの練習しましょうか?」

 「平気だって!」

 「……疲れたら、無理せず、浮き輪に掴まって下さいね」

 「心配無いって言うのに」

バーティフューラーは意地を張るが、これ以上沖に行くのは危険だと判断したラビゾーは、
近くの岩礁を指して言う。

 「それじゃあ、あの岩場まで泳ぎましょう。
  帽子とサングラスは、浮き輪に乗せて下さい」

 「良いわ、見てなさい」

バーティフューラーは泳ぎには自信があった。
一足先に岩場に着いて、どうと言う事は無いと証明しようと、意気込んで泳ぎ始める。
しかし、数身進んだ所で、彼女は泳ぎを止めて足を着いた。
何事かと、ラビゾーは浮き輪を押しながら、静かに泳ぎ寄る。

 「どうしたんですか?」

 「海水が目に沁みる……」

 「あー、慣れないと大変ですよね。
  浮き輪の序でに、水中眼鏡も調達すれば良かった」

目頭を押さえるバーティフューラーが、泣いている様に見えたので、ラビゾーは優しい言葉を掛ける。

 「……浮き輪に掴まって下さい。
  一緒に緩くり、岩場まで泳ぎましょう」

バーティフューラーは黙って頷き、ラビゾーに従った。
岩場に着くまで、彼女が一言も発さなかったので、ラビゾーは気不味い思いをし続けた。

321 :創る名無しに見る名無し:2015/07/30(木) 20:09:14.53 ID:i51pKOON.net
岩場の浅瀬に着くと、ラビゾーは浮き輪に付いている紐を、岩の出っ張りに引っ掛ける。
バーティフューラーは麦藁帽とサングラスを着け直すと、その浮き輪に乗って、呆っと遠くを見詰め、
波に揺られた。
彼女は物憂気な顔で、深い溜め息と共に、点(ぽつ)りと漏らす。

 「思ってたのと違うわ……」

その一言に、ラビゾーは冷や汗を掻いた。

 「な、何か不味かったですか?」

 「そうじゃなくて、今回の事、全般的にね。
  今日に限らず」

海に入るまでは、バーティフューラーの機嫌は、そう悪くなかった筈だと、ラビゾーは原因を探って、
懸命に思考を働かせる。
そして、海で泳げなかった事が、悪かったのではと予想した。
初めて海に入る人は、海水が塩っぱく、目に沁みる物だとは知らないだろう。
配慮して然るべきだったと、ラビゾーは後悔し、居た堪れなくなって俯いた。
彼の落ち込み具合に気付いたバーティフューラーは、慌てて取り成す。

 「あ、アンタを責めてる訳じゃないのよ?
  本当、単純に、『思ってたの』と違うなって」

ラビゾーは徐に面を上げ、無言で彼女に視線を送って、どう言う意味かと暗に問う。

 「昨日今日と、アタシ、格好悪いって言うか、調子悪いって言うか……。
  もっとスマートに熟せたと思うのよね、色々と。
  アンタと一緒に居ると、何時も違ぐ接ぐで……」

バーティフューラーが何を言いたいのか、ラビゾーは分からない。
彼女が言いたい事は理解出来るのだが、そんなに悪い事だとは思わないのだ。

322 :創る名無しに見る名無し:2015/07/30(木) 20:10:32.57 ID:i51pKOON.net
 「全然、格好悪くないですよ」

ラビゾーはバーティフューラーを元気付けようとしたが、彼女は逆に不機嫌になった。

 「嘘よ。
  だって、アンタ、嬉しそうにしてた」

 「嬉しそう?」

 「そう、アタシが無知や無様を晒す度に、得意になっていたでしょう?」

 「そ、それは……」

そんな積もりは全く無かったのだが、ラビゾーは強く否定出来なかった。
何時もバーティフューラーに遣り込められている分、こう言う時位は頼れる所を見せたいと、
張り切っていたのは事実。
硬直するラビゾーに、バーティフューラーは深い溜め息を吐いて、態と嫌味に聞こえる様に言った。

 「別に、良いのよ?
  男は女の前では、見栄を張りたい生き物なんだから。
  普段とは逆で、アタシに説教出来て、さぞかし好い気分だったでしょう。
  アンタが望むなら、従順で馬鹿な可愛い女を演じて上げるわ」

 「そんな事は――!」

ラビゾーが否定しようとすると、彼女は先とは打って変わって、落ち着いた声で嘆く。

 「望んでないのよね……。
  大体アンタ、演技とか嘘が嫌いだし」

そして、ラビゾーに視線を送り、一呼吸置いて続けた。

 「もっとアンタに甲斐性があったらね……。
  素直に甘える事も出来るんだけど」

思い掛けない台詞に、ラビゾーは己の腑甲斐無さを知らされ、悄気返った。

323 :創る名無しに見る名無し:2015/07/30(木) 20:11:06.90 ID:i51pKOON.net
彼は弱気な声で、拗ねた様に言う。

 「そう言うのは無しって、自分から言ったじゃないですか……」

バーティフューラーは罪悪感で、顔を伏せて返す。

 「……御免。
  海に来て、浮かれてたのかな……」

そして訪れる、長い沈黙。
寄せては返す波の音と、海鳥の鳴き声しか、2人には聞こえない。
バーティフューラーは勇気を出して、ラビゾーに問う。

 「そう言うのって、期待したら駄目なのかな?」

ラビゾーが顔を上げると、彼女は遠くの浜辺で肩を寄せ合う、何組もの恋人達を眺めていた。

 「一夏の思い出……」

寂しそうな様子のバーティフューラーを見て、ラビゾーは深呼吸をした後、心を決める。

 「駄目です!
  最初に、そう決めたんですから!
  それよりバーティフューラーさん、海の中で目を開けられる様に、練習しましょう!」

吃驚して目を丸くする彼女を、勢いで押し切ろうと、ラビゾーは続けた。

 「格好良いとか悪いとか、そんな事は関係無いですし、僕は気にしません!
  旅の恥は掻き捨てです!
  格好悪くったって良いじゃないですか!
  そもそも何で、海の中で目が開けられなかった位で、落ち込むんですか!」

 「ち、違っ、それだけじゃないんだから!
  アタシはアンタに――……くっ……」

バーティフューラーは向きになって反論した物の、途中で止めた。
ラビゾーは気になって仕方が無かったが、強気に押し捲くる。

 「人間、そんな思い通りには行かない物です!
  誰にだって、苦手な事や出来ない事の1つや2つ、あるでしょう!
  僕の場合は10や20じゃ利きませんけどね!
  ああ、恥ずかしい男ですとも!
  こんな僕に大きな顔をされたくなければ、海水が目に沁みる位、克服して下さい!」

バーティフューラーは頷く他に無かった。
開き直った彼は強いのだ。

324 :創る名無しに見る名無し:2015/07/31(金) 19:43:31.83 ID:8dmJoJwg.net
人気(ひとけ)の無い、砂浜から離れた岩場の浅瀬で、バーティフューラーはラビゾーに指導を受ける。
その結果、彼女は数点もしない内に、海水に慣れた。
自分が指導しなくても良かったのではと、ラビゾーは呆れる。

 「やれば出来るじゃないですか……」

 「誰も出来ないとは言ってないわ」

バーティフューラーは人魚の様に、優雅に、自由に泳ぎながら、澄まし顔で言い返す。
余り海に行かないラビゾーより、数段泳ぎが上手い。

 (才能があるのかな)

彼女の泳ぐ姿を見ながら、ラビゾーは寂しい気持ちになった。
教わる側が、教える側を簡単に上回る事に、置いて行かれる様な感覚を味わっていたのだ。
感傷に浸るラビゾーに、バーティフューラーは海水面から顔を出して、髪を掻き上げつつ、
声を掛けた。

 「ねー、ラヴィゾール!
  向こうの岩場まで、どっちが先に着くか、競争しなーい?」

対岸を指して、明るく無邪気に問う彼女に、ラビゾーは気弱な笑みで答える。

 「良いですよ」

2人は浅瀬に並んで、同時に泳ぎ始めた。

325 :創る名無しに見る名無し:2015/07/31(金) 19:50:02.95 ID:8dmJoJwg.net
最初こそラビゾーが先行していた物の、徐々にバーティフューラーが速度を上げて、彼を追い越す。
水泳に適した水着ではなく、髪の抵抗があっても、余裕でラビゾーより速いのだ。
これは「ラビゾーが遅い」と言ってしまっても良いだろう。
彼に限らず、大陸内陸部の人間は、大体泳ぎが得意でない。
海岸沿いの土地以外で、頻繁に泳ぐ機会があるのは、湖や大河川の側で暮らす者達だけだ。
ラビゾーが3分の2の距離を泳いだ時には、バーティフューラーは既に岸辺に着いていた。
彼女は遅いラビゾーを待ち兼ねて、折り返し泳ぎ始める。
その途中、バーティフューラーとラビゾーの間に、1匹の海獣が現れた。
海の馬と言われる、アシホに似ているが、角は無い。
幸い1匹だけで、興奮状態でもないが、それはバーティフューラーに擦り寄る様に、泳ぎ始めた。
当の彼女は泳ぎを止めて、戸惑っていた。

 (海潮馬?
  角が無い種類か?)

アシホは海獣の中では小型、その中でも、これは小型だが、人よりは大きい。
突然暴れ出さないとも限らないので、危険だと判断したラビゾーは、アシホを刺激してはならないと、
慎重に近付いた。
バーティフューラーは妙に懐いて来るアシホを可愛く思い、鬣を撫でている。
丸で、完全に手懐けているかの様。
その彼女が徐にアシホに跨ったので、ラビゾーは驚愕する。

 (危ない、危ない!)

バーティフューラーは呑気に、彼に向かって手を振っているが、海獣は人間にとって恐ろしい存在だ。
基本的に獰猛で、余り人に懐かない。
何より体格が違うので、敵意や害意が無くとも、事故や怪我に繋がる。

326 :創る名無しに見る名無し:2015/07/31(金) 19:56:49.06 ID:8dmJoJwg.net
ラビゾーの懸念は現実の物となった。
彼がバーティフューラーに2身の距離まで近付くと、アシホは人を嫌う様に、行き成り速度を上げて、
泳ぎ去ってしまった。
当然、バーティフューラーを乗せた儘。
潜水せず、水面にを泳いで逃げているのは、背中の彼女を気遣っているのか……。
どちらにせよ、バーティフューラーが連れ去られた事に、変わりは無い。
アシホは忽ち、沖へと出て行く。
沖は潮の流れが速いので、バーティフューラーはアシホから降りられない。
ラビゾーは監視員に救助を要請しに、急いで砂浜に向かった。
監視員も一部始終を見ており、ラビゾーに駆け寄る。

 「済みません、連れが沖に流されてしまいました!」

 「ああ、アシホに乗っていたな。
  大人しく見えても、海獣は危険だと言うのに!
  君は何とも無いか?」

 「はい、僕は大丈夫です。
  それより、早く彼女を!」

監視員は難しい顔をする。

 「下手に刺激すると、暴れたり、益々逃げたりするかも知れない。
  周辺に海獣の群れは無い。
  あれは『逸れ』だろう。
  取り敢えず、君は落ち着いて。
  既に救助を呼んであるから」

 「は、はい……」

彼に諭され、ラビゾーは大人しく引き下がった。

327 :創る名無しに見る名無し:2015/07/31(金) 20:07:24.40 ID:8dmJoJwg.net
監視員は通常の業務に戻ったが、アシホは更に沖へと移動している。
ラビゾーは堪らず監視台に登って、先の監視員に問い掛けた。

 「アシホは、どこに向かっているんです?」

監視員は望遠鏡を覗きながら答える。

 「……約3通先の岩礁か?
  その更に3通先に、ヒメアシホの群れが見える。
  合流されると厄介だが……。
  進路を妨害すると、群れが反応するかも知れない」

 「えっ、どうするんですか?」

ラビゾーが怪訝な表情で尋ねると、監視員は言い難そうに応じた。

 「ヒメアシホは角が小さく、アシホの中でも大人しい。
  刺激しなければ、今直ぐ危害を加えると言う事は無いだろう……と思う。
  『流された』、『溺れた』なら未だしも、私達では海獣相手には、どう仕様も無い。
  海上警察には通報済みだから、対応を待ちなさい。
  心配なのは解るけど、呉れ呉れも、早まって無謀な事はしない様に」

万一の事があれば、責任問題に発展するので、監視員は迂闊に動けない。
海獣への対処は、彼等の管轄外なのだ。

328 :創る名無しに見る名無し:2015/08/01(土) 19:28:45.95 ID:HgzcDjQl.net
ラビゾーが無力感に打ち拉がれていると、俄かに監視員の目付きが険しくなる。

 「どうしました?」

心配して声を掛けたラビゾーだったが、監視員は彼を無視して、拡声魔法を使った。

 「海で遊泳中の皆さん、一旦砂浜に戻って下さい。
  中型海獣の大海獺(だいかいだつ)の小群が、付近で確認されました。
  海から上がって、砂浜に戻って下さい」

警戒を呼び掛ける監視員に、ラビゾーは尋ねる。

 「ダイカイダツとは?」

 「アマソ(※)だ。
  海の獺(うおそ)。
  海鼬(かいゆ)の仲間で、偶に浜辺に現れる。
  リゾート・ビーチは、奴等にとっても居心地が好いんだろう。
  人間(餌)も沢山泳いでいるしな。
  ……おい、そこのボールで遊んでる男女、早く戻れ!!」

監視員は未だ海で遊んでいる者達を発見すると、猛烈な勢いで怒鳴り付けた。
海鼬と言われても、ラビゾーは海獣に詳しくないので、余り分からない。
とにかく、「危険な海獣が接近中」と言う事だけは理解した。
同時に、その海獣は砂浜に向かっているのではなく、アシホを狙っているのかも知れないと考える。
ダイカイダツがアシホを襲えば、バーティフューラーが危ない。
しかし、それを監視員に伝えても、今直ぐ救助には行けないだろう。
出来る物なら、疾っくに行っている。
共通魔法は詠唱と描文を基本とするので、一部の優れた魔導師や、特殊な訓練を受けた者を除き、
水中では地上程の万能振りを発揮出来ない。
況してや、ここの監視員の仕事は、ビーチを守る事で、海獣退治ではない。
代わりに、海上警察が動いていると言うが、果たして間に合うだろうか?
ラビゾーは魔力石を取りに、急いで更衣室へ向かった。


※:ラッコをより流線型に、巨大に、獰猛にした物。

329 :創る名無しに見る名無し:2015/08/01(土) 19:32:23.73 ID:HgzcDjQl.net
魔力石を持った彼は、コバルトゥスが居た岩場へ走る。
コバルトゥスは未だ正気に返らず、座り込んで呆然と海を眺めていた。

 「コバギ!!」

ラビゾーは彼に呼び掛けたが、反応は無い。
肩を何度も揺すっても駄目だったので、気付けの共通魔法を唱える。

 「――M1D7!」

コバルトゥスは吃驚して、間抜けな顔で瞬きを繰り返した。

 「どわっ!?
  ……先輩?
  どうしたんスか?」

 「お前に頼みたい事がある」

神妙な面持ちのラビゾーに、徒事ではないと察したコバルトゥスは、気を引き締めて、
目付きを変えた。

 「何です?」

 「僕の連れが海獣に連れ去られた。
  彼女を救出して欲しい。
  ……コバギ、頼めるか?」

コバルトゥスは現状を完全には把握していなかったが、「人が海獣に連れ去られた」とだけ理解して、
力強く頷く。

 「緊急事態みたいッスね。
  良いッスよ。
  怪物退治は冒険の華っしょ」

 「……海でも大丈夫なのか?」

 「俺は精霊魔法使いッス。
  全ての自然は俺の味方ッスよ」

 「有り難う」

ラビゾーは改まって礼を言ったが、コバルトゥスは意に介さず尋ねた。

 「取り敢えず、詳しい状況を教えて貰えますか?」

330 :創る名無しに見る名無し:2015/08/01(土) 19:37:10.57 ID:HgzcDjQl.net
海獺が海潮馬の群れを狙っているとすれば、悠長にしている時間は無い。
ラビゾーはバーティフューラーを連れ去ったアシホが向かう先を指して、要点だけを簡潔に説明する。

 「遠見の魔法は使えるか?
  向こうに岩礁が見えるだろう。
  そこへ向かっている、馬みたいな動物が判るか?」

コバルトゥスは共通魔法の遠見の魔法は使えないが、精霊の声と、優れた魔法資質で、
離れた場所の出来事も、読み取れる。
彼はラビゾーの指した方角を睨んで、精神を集中させた。

 「判ります。
  馬に乗ってるのは、先輩と一緒に居た女の人ッスね。
  でも、そんな差し迫った状況には見えませんけど……」

 「周りをよく見ろ。
  大きな動物が、近付いている筈だ」

ラビゾーに言われて、コバルトゥスは初めて、海獺の群れに気付いた。

 「あぁ……うわっ、でっかい鼬みたいなのが泳いでる……?
  1、2、3……4匹も!
  馬を狙ってる!
  こりゃ急がないと不味いッスよ!」

駆け出そうとするコバルトゥスに魔力石を渡そうと、ラビゾーは彼を呼び止めるべく、手を伸ばす。
だが、その前にコバルトゥスは立ち止まって、振り返った。

 「先輩も協力して下さい!
  俺一人の手には負えません!」

 「あ、ああ、解った!」

ラビゾーは自分に何が出来るとは思っていなかったが、コバルトゥスが協力を仰ぐと言う事は、
何か役割があるのだろうと、魔力石を握り締めて付いて行く。

331 :創る名無しに見る名無し:2015/08/01(土) 19:57:10.54 ID:HgzcDjQl.net
 「先輩、俺の手を取って!」

コバルトゥスが片手を差し出すと、ラビゾーは少し逡巡した後に取る。

 「飛びますよォ!!」

彼はラビゾーの手を引いて助走を付け、高い岩場から海へ向かって飛び立った。
2人は海上4身の風に乗って、アシホを追う。

 「……なあ、コバギ、僕は必要か?」

自分は邪魔ではないかと、ラビゾーは懸念するも、コバルトゥスは構わない。

 「先輩は重しッス。
  中々良い速度が出てますよ」

飛行速度は、角速2街弱と言った所。
魔法で守られているのか、風の抵抗は然程感じない。
道中、コバルトゥスは思い付いた様に、ラビゾーに問い掛ける。

 「あっ、先輩、一つ良いッスか?」

 「何だ?」

 「無事に助け出せたら、あの人と俺の、2人だけの時間を下さい」

こんな時に何を言うのかと、ラビゾーは眉を顰めた

 「何だ、行き成り?」

 「別に良いっしょ?」

 「……他の事では駄目なのか?」

 「まあ……そうッスね」

ここでコバルトゥスの頼みを断る事は、ラビゾーには出来なかった。
自分独りではバーティフューラーを救えないと、彼は解っているのだ。
全てを計算して、コバルトゥスはラビゾーが彼女を諦めざるを得ない様に、仕向けている。
ラビゾーは顔を伏せ、視線を合わせないで返した。

 「誘うの位、自分でやれよ」

 「解ってます、先輩が邪魔しなけりゃ良いんス」

 「……勝手にしろ」

ラビゾーの言質を取って、コバルトゥスは得意顔になる。

 「良っしゃ、忘れないで下さいよ!」

やがて2人は、バーティフューラーの姿が明確に視認出来る所まで追い付いた。
直ぐ近くに海獺も迫っており、アシホは懸命に海水を掻いて逃げている。

332 :創る名無しに見る名無し:2015/08/01(土) 20:00:19.24 ID:HgzcDjQl.net
コバルトゥスはラビゾーに提案した。

 「先輩、魔力石を持ってますよね?
  あいつ等の足止めをして下さい」

ラビゾーは両目を剥いて驚愕する。

 「馬鹿を言うな、無理だ!
  海で大海獣相手に、戦える訳無いだろう!
  お前、僕に死ねと言うのか!?」

 「でも、あの人を確実に救助する為には、それしか無いんスけど……。
  俺が足止めしたとして、先輩、無事に彼女を連れて逃げられますか?」

コバルトゥスの言う事は、尤もである。
魔法が下手なラビゾーでは、魔力石に込められた魔力が尽きる前に、逃げるアシホに追い付く事も、
ダイカイダツから逃げる事も難しい。
押し黙ったラビゾーに、コバルトゥスは言う。

 「安心して下さい、出来る限りの支援はします。
  魔力石を貸して下さい」

ラビゾーは言われる儘に、魔力石を差し出した。
それは作戦に同意した証でもある。

 「C5D1L4D6、N4H46H4・C5D1L4D6!
  I1EE1・J3K1B7、E1E1A5・N2H46B37CC1・G32H4MG・J1JE246・CG1F47CC1、
  J1JJ16・A4O1H1D3D1、A4DE7!」

コバルトゥスは思念を込める様に、魔力石に額を当て、長い精霊魔法の呪文を唱えると、
それをラビゾーに返す。

 「これで行ける筈ッス。
  精霊達が先輩を守ります。
  詠唱も描文も要りません」

本当かなと疑い、魔力石を見詰めるラビゾーだが、コバルトゥスは彼に考える時間を与えず、
手を離した。

 「コ、コバギ!?
  お前えええぇっ!!」

 「頑張って下さい、先輩!
  先輩なら大丈夫ッスよー!」

無責任に応援するコバルトゥスを恨みながら、ラビゾーは上空4身から海に落ちる。

333 :創る名無しに見る名無し:2015/08/02(日) 20:15:11.20 ID:wa1s+K+i.net
海中に突っ込むと予想していたラビゾーだったが、魔力石が輝くと、不可思議な力場が発生して、
彼を静かに海面に降ろした。
丸で水に弾かれている様に、両足が沈まない。

 (これは……水渡りの魔法[※]?)

大きく波打って揺れる海面に、ラビゾーは何とかバランスを保って立つ。
彼は見えない何者かに、体を支えられている感覚があった。

 (精霊の加護なのか?)

ラビゾーが現状を冷静に把握する時間は無い。
ダイカイダツが標的をラビゾーに変えて、襲い掛かって来る。
海獺はラビゾーに数身の距離まで近付くと、急潜行して姿を消した。

 (不味い!
  攻撃のタイミングが掴めない!)

ラビゾーは知覚を研ぎ澄ませるも、風と波が海獣の気配を掻き消す。
海獺は彼を嘲笑う様に、潜水とジャンプを繰り返して、隙を窺っている。
海獺が海中から飛び出す度に、又、その巨体を海面に打ち付ける度に、高波が発生して、
ラビゾーに襲い掛かる。
海水の飛沫も彼の視界を遮る。


※:1スレ目から久々に登場した、水面より僅かに浮いて、水上を歩く魔法。
  水流を無視出来るが、水面が大きく上下する際の影響は避けられない。
  単に水に沈まないだけの簡易版もある。

334 :創る名無しに見る名無し:2015/08/02(日) 20:24:23.94 ID:wa1s+K+i.net
ラビゾーの焦りに呼応するかの様に、魔力石が碧い輝きを増す。
それは彼に「落ち着け」と語り掛けている様だった。
ラビゾーが魔力石に気を取られた瞬間、大波が来るタイミングに合わせて、彼の真下から、
海獺が大口を開けて出現する。

 (油断した!)

一呑みにはされなかったが、大量の海水と共に押し上げられたラビゾーは、
上空約3身に投げ出された。

 (……来る!)

落下中に海獺が水面から飛び出して来るタイミングを、ラビゾーは直観的に覚る。

 (どうする!?
  迎撃するか、避けるか――)

ここで彼は自分が握り締めている、魔力石に気付いた。
共通魔法を「正しく」使えば、この窮地を切り抜けられるかも知れない。
選択は無数にあるが、複雑な呪文を完成させる時間は無いし、即効性のある物でないと、
発動しても間に合わない。

 (魔法の剣や盾で――?
  いや、海獣相手には心許無い。
  衝撃魔法で弾き返せるか?)

ラビゾーは魔力石を構えて、海面を睨む。
それと殆ど同時に、海中から3匹の海獺が同時に飛び出して、ラビゾーに襲い掛かった。

 (3匹同時っ!?)

想定外の事態に、ラビゾーは一瞬思考が止まる。

335 :創る名無しに見る名無し:2015/08/02(日) 20:29:10.46 ID:wa1s+K+i.net
これは迎撃するより、避けた方が安全だと、彼は判断した。
だが、今からでは詠唱も描文も間に合わない。

 (畜生、どうにもならない!)

ラビゾーが諦め掛けた時、突風が吹いて、彼を押し流す。

 (助かっ……た……?)

ラビゾーは幸運を喜びながらも、困惑した。
有り得ないのだ。
確かに、突風は突風だったが、人を吹き飛ばせる程の物ではなかった。
風を受けたラビゾーは、体が自然に軽くなり、布切れの様に、浮わりと飛ばされた。

 (……精霊の……守り……?)

ラビゾーは自分の体を支える、見えない空気を再び感じた。

 (信じて良いのか……?)

彼は風に身を任せて、海鳥の様に着水し、波に乗りながら、水面を滑る様に移動する。
今だけは、何も彼もが自分の為に動いている様だと、ラビゾーは思った。
追い掛けて来る海獺を、小回りを利かせて躱し、翻弄する。
魔法を唱えていないのに、自分のイメージに、自然の方が合わせてくれる。
丸で夢心地。

 (あいつは何時も、こんな感覚を味わっているのか……)

コバルトゥスの自信に満ちた態度は、ここから来ているのだと、ラビゾーは妙に納得した。

336 :創る名無しに見る名無し:2015/08/02(日) 20:30:44.31 ID:wa1s+K+i.net
その時、行き成り海獺の様子が変わる。
ラビゾーを追う事を諦め、何かを恐れる様に、逃げ出して行くのだ。
ラビゾーは周囲を確認して、得心が行くと同時に安堵した。
魔力推進ボートに乗った、カターナ海上警察の到着である。
彼が気を抜くと、途端に足が水に沈む。

 (魔法が切れたのか、魔力が切れたのか……)

ラビゾーは水面から顔だけ出して浮きながら、手に持った魔力石を見て、発光魔法を試してみた。
しかし、魔力石は何の反応も示さない。

 (魔力切れの方か?
  ともあれ、助かった……。
  2人は無事に逃げられたかな……)

コバルトゥスの事だから、失敗はしないだろうと、ラビゾーは安心して脱力した。
緊張から解放され、疲労で海に沈み掛ける彼を、海上警察が飛び込んで救助に向かう。

 「今、助けるぞー!!」

意識が朦朧とする中、海上警察が大声で呼び掛ける。

 「おーい、確りしろー!!
  気を失うなー!!」

ボートに引き上げられたラビゾーは、海上警察に声を掛け続けられ、迷惑そうに顔を歪めた。

 (煩い……。
  疲れているんだ、静かに休ませてくれ……)

海上警察のボートはラビゾーを乗せて、近くの波止場まで移動する。

337 :創る名無しに見る名無し:2015/08/02(日) 20:41:33.60 ID:wa1s+K+i.net
陸に上がったラビゾーは、海上警察とビーチの監視員に、それぞれ説教を受けた。
だが、彼には余り応えていなかった。
元より怒られるのは覚悟していたし、疲労で頭が回らないので、深刻に受け止める気力も無かった。
反応の鈍いラビゾーを気遣って、両者共お叱りは短目で済む。
解放されたラビゾーは、弱々しい足取りで浜辺に移動すると、ユユの木陰で大の字になって、
どこまでも青く晴れ渡る空を、呆っと眺めた。
コバルトゥスは今頃、何時もの調子でバーティフューラーを口説いているだろう。

 (仕方無いんだよ……。
  僕は無力だった)

隣を歩くなら、自分よりコバルトゥスの様な男の方が、格好も付くだろうと、ラビゾーは想像する。
コバルトゥスは所謂、「女受けする美青年」だ。
一人の女性を誠実に愛する事は望めないが、遊びの様な短い付き合いをするだけなら、
都合の好い男ではある。
美男美女で似合いではないか……。
ラビゾーは深い溜め息を吐いて、両目を閉じた。
――数点も経たない内に、眠りに落ちようとする彼を呼ぶ声がする。

 「ラヴィゾール!」

声の主はバーティフューラー。
ラビゾーは慌てて両目を開け、重い上半身を起こして、彼女を迎えた。

 「……ラビゾー、お怪我はありませんか?」

 「アタシは何とも無い。
  それより、アンタは?」

バーティフューラーの顔は蒼褪めている。
彼女を心配させてはならないと、ラビゾーは笑顔を作った。

 「僕は……、この通り。
  怪我は無いですけど、少し疲れました……」

彼は気付いていないが、顔面は蒼白であり、とても健康には見えない。
バーティフューラーは涙ぐんで、ラビゾーの頭を撫で、抱え込む。

 「あぁ、ラヴィゾール……!」

水着越しに柔らかい胸が顔に当たるのを、ラビゾーは感じたが、何より疲労が勝った。
彼は抵抗する気も無く、意識を手放す。

 (何だか妙に心地が好い……。
  幸せな状況かも知れない……)

 「ラヴィゾール……?」

ラビゾーの寝顔は、迚(とて)も安らかだった。

338 :創る名無しに見る名無し:2015/08/03(月) 20:57:59.65 ID:MP6WhTll.net
ラビゾーが目覚めたのは、リゾート・ビーチの休憩所。
彼は屋根付きのウッド・デックで、仰向けに寝かされていた。
陽は西に傾き始めており、時刻は南西の時と言った所。

 (行かん、行かん!
  バーティフューラーさんを放って、寝過ごした!)

ラビゾーは飛び起きて、辺りを見回すも、バーティフューラーの姿は無い。
彼はコバルトゥスとの約束を思い出して、座り込む。

 (あいつ、上手くやったのかな……)

コバルトゥスがバーティフューラーを助けた後、只で彼女を解放する訳が無い。
助けた事を恩に着せて、強引に付き合わせる位やるだろうと、ラビゾーは考えていた。
眠りに落ちる前に、彼はバーティフューラーと話した様な気がするが、記憶が曖昧で、
それも夢だったかも知れない。

 「はぁーーーー……」

胸が靄々して、深い溜め息を吐くと、同時に腹が鳴った。
彼は朝から、海水以外何も口にしていなかった。

339 :創る名無しに見る名無し:2015/08/03(月) 21:00:11.91 ID:MP6WhTll.net
ラビゾーは再び辺りを見回して、腹を満たせる場所を探した。
同時に、財布を更衣室に置いた事を思い出して、取りに行くのが面倒だなと億劫になる。
無気力なのは、未だ回復し切らない疲労の所為でもあったが、加えて、彼自身も知らない所で、
心に傷を負っていた所為でもあった。
それはコバルトゥスの精霊魔法で、ダイカイダツと戦っていた時……。
ラビゾーはコバルトゥスの魔法の素晴らしさと、それを使えない自分を比較していた。
独りでバーティフューラーを助けに行けなかった事もあって、彼の男としての自信は、
完全に粉砕されていたのだ。

 (腹が減ったなぁ……。
  体が動かない……。
  動きたくない……)

そんな事ばかり考えて、ラビゾーは1角以上も呆っと海と空を眺めていた。
溜め息ばかりが漏れる。
軽度の鬱病の症状である。
更に、空腹が活力と思考力を奪う、悪循環。

340 :創る名無しに見る名無し:2015/08/03(月) 21:01:43.08 ID:MP6WhTll.net
夕方、西の時を前に、漸くバーティフューラーがラビゾーを発見する。

 「ラヴィゾール!!」

ラビゾーは名を呼ばれても、返事をせず、緩慢な動作で、彼女の方を見るだけだった。

 「御免なさい、ラヴィゾール!
  事情聴取で時間を取られて……」

バーティフューラーは直ぐにラビゾーの異変に気付いて、怪訝な顔をする。

 「あー、あの……?
  ラーーヴィズォール?」

彼女を心配させては行けないと、ラビゾーは漸く反応した。

 「ラービゾー……。
  はい、大丈夫……お腹、空いてるだけです……」

 「もしかして、お昼食べてない?」

バーティフューラーの問いに、ラビゾーは無言で頷く。
彼女は本気で心配して、憂慮を声に表して尋ねた。

 「……お腹が空いて動けないの?」

ラビゾーは違うと言いたかったが、事実、動けなかった。
恥ずかしさの余り、彼は俯いて小さくなる。

341 :創る名無しに見る名無し:2015/08/04(火) 19:54:10.16 ID:c3DVvNFA.net
しかし、バーティフューラーはラビゾーを笑わず、優しく声を掛けた。

 「取り敢えず、水とパンを買って来るわ。
  待ってる間、辛かったら、横になってて」

彼女は急いでビーチ・バーへ走る。
ラビゾーは只管に申し訳無い気持ちで、全く動かずバーティフューラーを待った。

 「お待たせ、ラヴィゾール」

バーティフューラーは1点弱で、3杯容の紙コップに入った水と、紙袋を持って戻って来る。
袋の中には、2個のブレッド・ロール。
焼き立ての良い香りを放っているが、ラビゾーは手を付ける気にならない。

 「……食べないの?
  食欲が無い?」

バーティフューラーが幼子を愛(あや)す様に、紙コップをラビゾーの口元に持って行った所で、
漸くラビゾーは手を動かす。
紙コップを少し傾けて、口に入った水を嚥下すると、空腹に冷たい液体が沁みる。
3分の1程度飲んだ所で、ラビゾーは少し元気を取り戻した。

 「済みません、もう大丈夫です」

彼はパンの入った紙袋を受け取ろうとしたが、バーティフューラーは渡さなかった。

 「餓っ付いたら駄目よ。
  少しずつ食べないと」

バーティフューラーは丸で小動物に餌付けする様に、パンを千切ってラビゾーの口元に持って行く。

342 :創る名無しに見る名無し:2015/08/04(火) 19:57:35.20 ID:c3DVvNFA.net
ラビゾーは眉を顰めて、不快を顔に表した。

 「馬鹿にしないで下さい。
  自分で食べられます」

 「元気になったみたいね」

バーティフューラーは笑顔でラビゾーに紙袋を渡すと、彼の隣に座る。
そして、俯き加減で小さく言った。

 「御免。
  それと、有り難う」

ラビゾーは礑と飲食を止めて、項垂れる。

 「僕は何もしていません。
  お礼の言葉なら、コバルトゥスの奴に」

 「何で嘘吐くの?」

バーティフューラーに「嘘」と断じられ、ラビゾーは戸惑った。
彼女は続ける。

 「アタシ、丁(ちゃん)と見てたよ。
  ラヴィゾール、海獣と戦って、アタシ達が逃げられる様に、足止めしてた」

 「……それは違うんですよ。
  僕は最初、バーティフューラーさんを助けに行く積もりは無かったんです」

バーティフューラーは懐疑の眼差しを、ラビゾーに向けている。
自分は何を言っているのかと内心驚きながらも、ラビゾーは口を衝いて出る言葉を、
止められなかった。

 「僕独りでは何も出来ないから、代わりにコバルトゥスに助けに行って貰おうと思ってたんです。
  バーティフューラーさんが助かるなら、何でも良いと思って。
  僕は速く泳げませんし、海獣とも戦えませんから……。
  僕が同行したのは……、あいつが協力してくれと言うから、その場の流れで……」

 「何で?
  何で、そんな事言うの?」

 「海獣と戦う勇気なんて、僕には無かったんです。
  作戦の提案はコバルトゥスで、僕は他に選択肢が無かったので……。
  海獣の足止めも、あいつの魔法があったから、死なずに済んだだけの話……。
  『戦う』なんて、勇ましい物では全然……」

気不味い沈黙が訪れる。
どうして、こんな事を言ってしまったのかと、ラビゾーは自己嫌悪に苛まれ、後悔した。
しかし、黙ってバーティフューラーに英雄扱いされても、彼は自己嫌悪に陥っただろう。

343 :創る名無しに見る名無し:2015/08/04(火) 20:00:49.82 ID:c3DVvNFA.net
問題の根本は、より深い所にあるのだ。
何時までも、一人前の魔法使いになれないラビゾー。
魔法資質が低くて、共通魔法を上手く使えないラビゾー。
期待されていながら、それに応える事が出来ないラビゾー。
哀れな男。

 (あぁー、久々に入っちゃったか……)

バーティフューラーは内心で呆れた。
ラビゾーは鈍感に見えて、その実は繊細で傷付き易い。
普段は笑っているが、一旦萎縮(いじ)けモードに入ると、立ち直るのに時間が掛かる。

 「でも、アタシを助けようとしてくれたんでしょう?」

何とか彼を元気付けようとして、バーティフューラーは問い掛ける。
ラビゾーは俯いた儘で、両目を閉じた。

 「僕は恥ずかしい男です。
  あの時、僕は最善の選択をした積もりでした。
  でも、それは次善の策だったんです。
  僕は自分に嘘を吐いていました。
  本当は――僕が直接、バーティフューラーさんを助けたかった……」

 「そんなの……仕方が無いじゃない。
  アナタは何も悪くないわ。
  出来る範囲で、最高の事をしたんでしょう?」

 「ええ、そうです。
  仕方が無いんですよ……」

又も訪れる沈黙。
今度はラビゾーが口を開く。

 「もし、あの場にコバルトゥスが居なかったら、僕は貴女を助けに、飛び出せたでしょうか?
  そして、無事に貴女を助け出せたでしょうか?」

バーティフューラーは、「無理だったんじゃないかな」と思った物の、これ以上彼が傷付かない様に、
言及を避けた。

 「もしもの話は無意味でしょう?
  現実に、彼は居た」

 「ええ。
  だから、お礼を言うなら、『コバルトゥス』に」

問答を繰り返した末、話が元に戻る。

344 :創る名無しに見る名無し:2015/08/05(水) 19:53:06.25 ID:FNYZg++D.net
バーティフューラーは眉間を押さえて、悩まし気に溜め息を吐いた。

 「アタシの事が嫌い?」

 「いいえ、そう言う訳ではなくて……」

 「言っとくけど、こんな事でアンタを嫌いになったりしないわよ。
  この程度で愛想尽かすなら、疾うの昔に見放してるわ」

 「……そう言って貰えるのは有り難いんですけど、これは僕の個人的な問題で……」

俯いてばかりのラビゾーに、バーティフューラーは一層深い溜め息を吐くと、思い切って告白する。

 「アンタが気に病む必要は無いの。
  だってアタシ、助けて貰う必要なんて無かったんだから」

 「……確かに、僕が助けに行かなくても、海上警察が間に合っていた可能性は高いです。
  余計な世話を焼いたのかも知れません……」

 「そうじゃなくて!
  アタシの魔法は魅了だから、動物にも通じるの!
  村では豚の世話をしたでしょう?
  海獣だろうが何だろうが、アタシの魔法には逆らえない。
  本能的に美を求める物は、美を手に入れる為には何でもする、美の奴隷に成り下がる」

何故、今そんな事を言うのかと、ラビゾーは困惑した。

 「……詰まり、誰の助けも要らなかった……?」

 「そうなるわね。
  アンタの気の回し過ぎ」

 「僕の早合点だったと、空回りだったと」

 「ええ。
  だから、お望み通り、お礼は無し。
  取り消すわ」

 「無意味だったと」

 「いいえ、それは違う」

バーティフューラーは2度肯いて、3度目は否定する。

345 :創る名無しに見る名無し:2015/08/05(水) 19:54:55.16 ID:FNYZg++D.net
ラビゾーは益々訳が解らなくなった。

 「何の意味があったんですか?」

 「アンタは知らなくて良い事よ。
  それより、今後の予定は?」

 「あっ――!!」

 「自分の事ばっかり考えてないで、確りエスコートしてよ」

バーティフューラーに尋ねられたラビゾーは、漸く我に返って、彼女に平謝りする。

 「す、済みません!
  呆っとしてる場合ではありませんでした!
  えーと、今日は一日海水浴で、昼食も夕食もビーチ・バーで取る予定です。
  ……バーティフューラーさん、昼食は?」

 「勝手に食べたわよ」

 「夕食は未だですね?」

 「ええ」

 「お見苦しい所を見せてしまい、申し訳ありませんでした」

 「本当にね、全くだわ」

辛辣なバーティフューラーの一言に、ラビゾーは顔を引き攣らせるも、これ以上情け無い所を、
彼女に見せられないと、腹に力を入れて背筋を伸ばし、気を張る。

 「……丁度良い時間です。
  沈む夕陽を眺めながら、ディナーと行きましょう」

346 :創る名無しに見る名無し:2015/08/05(水) 19:57:03.01 ID:FNYZg++D.net
リゾート・ビーチのバーでは、水着の儘でも食事が出来る様になっている。
完全に日が落ちると、遊泳禁止になるので、夜間に水着で出歩く人は居ないが、それでも、
薄着や軽装が許される、形式張らない食事処だ。
カターナ地方は暑いので、ビーチ・バーでなくとも、殆どの所で正装を義務付けない。
2人してバンズを頼み、赤く染まる海を眺めつつ、それを頬張る。

 「ラヴィゾール、お酒を頼んでも良い?」

 「え?
  ええ、どうぞ。
  僕に聞かなくても……」

バーティフューラーが自費で支払うのに、遠慮する事は無いだろうと、ラビゾーは返した。
それを受けて、彼女はウェイターに声を掛ける。

 「済みません、リキュール、アルキュース、メ・ファッシャム」

 「畏まりました。
  御注文、有り難う御座います」

ウェイターは直ちに了解して、去って行く。
何の隠語かと不思議がるラビゾーに、バーティフューラーは解説した。

 「自分の好きにリキュールを配合したい時は、メ・ファッシャムって言うの。
  アルキュースは『弧<アーク>』、詰まり、虹。
  虹の色を揃えるって事ね。
  洒落た雰囲気のバーなら、どこでも通じるわ」

 「はぁ、そうなんですか」

大衆酒場にしか行かないラビゾーには、縁の無い事である。

347 :創る名無しに見る名無し:2015/08/06(木) 19:55:18.43 ID:GVzlS3CP.net
彼が然して興味を示さなかったと分かっていながら、バーティフューラーは薀蓄を傾ける。

 「『メ・ファッシャム』の発祥は、復興期のブリンガー地方東部の酒場だと言われているわ。
  意味は、『私が行う』。
  有力説の1つは、『混合酒<カクテル>』が無い酒場で、客がヘブルとリムのリキュールを注文して、
  自分でカクテルを作ったと言う物。
  もう1つは、俄か仕込みのマスターのスターリングを見兼ねて、客が自分で混合酒を作った説」

話の途中で、ウェイターが小さなボトルを8本と、グラスとスターラーを2セットずつ運んで来て、
テーブルの上に置いた。
ルードベリー、ブレベリー、ナランガ、グレム、グランマスク、ファルー、シカド・ミーロ。
それぞれが、赤、青、橙、紫、緑、白、黄を表している。
8つ目は無色のリキュールだ。

 「これ、全部飲むんですか?」

心配そうに尋ねるラビゾーに、バーティフューラーは呆れた。

 「アタシ1人に飲ませる気なの?
  飲みたくなかったら、残せば良いだけよ」

彼女はグラスを1つラビゾーに差し出す。

 「あっ、頂きます」

グラスを受け取ったラビゾーだが、どの様にして飲めば良いのか、彼には判らなかった。
取り敢えず、バーティフューラーに倣おうと、彼女を観察する。

348 :創る名無しに見る名無し:2015/08/06(木) 19:58:54.55 ID:GVzlS3CP.net
バーティフューラーはボトルを片っ端から開けて、全種を少量ずつグラスに注いだ。
そして、『掻き混ぜ棒<スターラー>』で軽く撹拌すると、黒味掛かった液体が出来上がる。
彼女はラビゾーに目配せして、カクテルの名を言う。

 「『贅沢な黒<リッチ・ブラック>』――と言うには、青と緑が足りないけど。
  ……見てないで、アンタも作ったら?
  適当で良いのよ?」

促されたラビゾーは、ブレベリーとグランマスクのボトルを取った。
バーティフューラーは感心して息を吐く。

 「海だから?
  カクテルの知識があるの?」

当然、意味を知らないラビゾーは、不思議そうに彼女を見詰め返した。

 「……えっとね、ブレベリーとグランマスクのカクテルは、『オーシャン・ビュー』って言うの」

 「知りませんでした」

ラビゾーは答えながら、青と緑を同量グラスに注ぐ。
彼がスターラーを手にした所で、バーティフューラーが助言する。

 「余り掻き混ぜないで味わうのが、通の楽しみ方よ」

 「何故です?」

 「素人が作る物だから。
  分量も混ぜ方も適当で良いの」

 「……随分、詳しいですね。
  どこで、そんな知識を?」

 「アタシをバーに誘う人は、皆同じ事を言う物だから、飽きる程聞いたわ。
  世の中には、教えたがりが多いのね」

青と緑を混ぜて、薄い『青珊瑚色<コーラル・ブルー>』のカクテルが完成。

349 :創る名無しに見る名無し:2015/08/06(木) 20:03:13.79 ID:GVzlS3CP.net
2人はカクテルを作りながら、静かに緩やかに流れる時を過ごした。
バーティフューラーはラビゾーを見詰めて、艶っぽい溜め息を漏らす。

 「ラヴィゾール、何だか様になってるわ」

 「そうですか?」

話題に困って、無言でカクテルを味わっているラビゾーは、どこと無く利き酒師の雰囲気。
全く酔っ払っている風に見えないのも、その一因だろう。
彼は酔い覚ましの魔法を密かに使っていた。
優れた魔法資質で、それに気付いたバーティフューラーは、不満気に指摘する。

 「アンタ、魔法使ってる?」

 「ええ」

 「折角お酒飲んでるのに、酔わないのは詰まんないわよー」

バーティフューラーは微酔い気分で頬を淡く染め、妖艶さを漂わせている。
ラビゾーは目を伏せて、淡々と答えた。

 「僕まで酔ってしまっては、帰りが危ないでしょう」

 「相も変わらず、融通が利かないって言うか、真面目君って言うか、ハァ……。
  じゃあ、アタシが酔い潰れても大丈夫?」

 「ぐでんぐでんに酔っ払わなければ」

他愛も無い話をしながら、夕食を終えた2人は帰路に就く。

350 :創る名無しに見る名無し:2015/08/06(木) 20:04:33.96 ID:GVzlS3CP.net
バーティフューラーは酔った振りをして、ラビゾーに撓垂れ掛かったが、彼は簡単に演技を見抜いた。

 「そんな酔っ払う程、飲んでなかったでしょう」

それでもバーティフューラーは頼ったラビゾーの腕を放さなかったが、面白くなさそうに唇を尖らせる。

 「何で判るの?」

 「以前、本当に酔っ払ってた時がありましたよね?
  嗅いだ方も酔ってしまう位の、凄いアルコールの臭いをさせて」

バーティフューラーは仄り上気した顔を、見る見る真っ赤にした。

 「そ、そんな事あったかしら?」

 「あれに較べると、大分理性的なので、そんなに酔っ払ってないだろうと……」

バーティフューラーは大きな溜め息を吐いて、ラビゾーの腕を放す。

 「……分かったわよ、これで良いんでしょう?」

不機嫌な様子の彼女に、ラビゾーは苦笑いで応えた。

 「済みません」

 「謝るって事は、何が悪いか解ってるんだ?」

 「ええ……。
  僕は半端者です。
  今は未だ――」

又も萎縮けられては堪らないと、バーティフューラーは彼の言葉を遮る。

 「それ以上、言わなくて良いから」

2人共、気不味くなって、無言の帰り道。
三日月と冬の星が照らす中、バーティフューラーの顔は、注意しなければ判らない様な、
淡い微笑を湛えていた。

351 :創る名無しに見る名無し:2015/08/07(金) 19:42:52.50 ID:3qs0fuyv.net
「助けに来たよ、『お姫様<フュルスティン>』」

「どうして、ここに?」

「美女を助けるのは、美男の務めだからさ」

「巫山戯ないで」

「はぁ、『先輩が必死放(こ)いて、頼み込んだから』。これで良い? 早く俺の手に掴まりなよ、
 足止めしてる先輩が保(も)たない」

「待って、彼を置いて行くの?」

「俺は先輩を信頼してる。君は?」

「……解った。アタシの次は、彼を助けて。早く」

「言われなくても」

352 :創る名無しに見る名無し:2015/08/07(金) 19:43:41.97 ID:3qs0fuyv.net
「あ、向こうを御覧。カターナ海上警察のボートだ。安心して、先輩は助かるよ」

「良かった……」

「……あの時は聞けなかったんだけど、先輩とは……どんな関係?」

「友達以上、恋人未満。そんな感じ」

「浅(あっさ)り言い切ったね。驚いた。――なら、俺にも可能性はある訳だ」

「無いわ」

「即答!? 傷付くなぁ……。何で? 俺の方が頼りになるし、若いし、格好良いし、顔も良いし、
 背も高いよ?」

「だから何?」

「何って……。他に男に求める事があるのかい?」

「優しさ、誠実さ、安定感」

「……それは……なぁ、先輩には敵わないかも……? だけど、こう言う緊急事態で、
 先輩は当てにならないよ? 先輩、魔法が下手だからね」

「アナタが彼の何を知ってるの?」

「おっとっと、怒らせちゃったかな? でも、事実だ。俺と先輩は数年来の付き合いだから。
 先輩の事なら大体知ってるよ」

353 :創る名無しに見る名無し:2015/08/07(金) 19:54:10.37 ID:3qs0fuyv.net
「はい、御到着。……好い加減、機嫌を直してくれよ。先輩も無事に救助されて、帰って来るんだし。
 君を助けたのは俺なんだから、真面目な話、感謝して欲しい」

「アナタと彼と、立場が逆だったら、同じ事が出来た?」

「ああ、出来るよ。先輩だったら、俺を助けてくれる。だから、俺も君を助けに行ったん――……あ、
 いや、先輩の頼みじゃなくても、君なら助けに行ったよ?」

「……アナタ、本心からアタシが好きで、声を掛けて来たの? それとも、彼と一緒だったから、
 アタシに声を掛けたの?」

「えっ、何を言って……? 好きって言うか、君を『良い』と思って、声を掛けたんだけど?」

「へーェ、本当かしら? 何と無く、後者の様な気がするわ。数年来の付き合いって、
 どんな関係なの?」

「は? 先輩は先輩だ! 幾ら先輩の彼女候補でも、侮辱は許さない!」

「それはアナタへの侮辱? それとも彼への侮辱?」

「どっちもだ!! 他人には解らないだろうが、俺は先輩を尊敬している!」

「…………御免なさい。失礼な態度でした。救助して頂き、有り難う御座いました」

「な、何だい、急に……? 敬語にならなくても良いって……」

「彼が心配なので、迎えに行きます」

「あっ、待って! あぁ、あーあ……」

354 :創る名無しに見る名無し:2015/08/08(土) 18:45:18.96 ID:XqZTQaLd.net
何事も無く迎えた3日目。
ラビゾーとバーティフューラーは、カターナ湾に浮かぶ小島「ビシャル・カタン島」へ向かう、
遊覧船「スーリャ号」に乗っていた。
青天の下、甲板に出て潮風を受け、眩しそうに目を細めるバーティフューラー。
一方、ラビゾーは船酔いで蹲っていた。
バーティフューラーは風に翻るフレアード・スカートを押さえ、屈み込んでラビゾーに話し掛ける。

 「こんなに良い眺めなのに、勿体無いわね」

 「あぁ、全く……情け無い限りです……」

ラビゾーは重い頭を上げて、自嘲気味に零す。
日差しがスカートを透かして、バーティフューラーの脚線美を浮き上がらせていたが、
それを喜べる気分では無かった。

 「お得意の共通魔法で、何とかならないの?」

 「得意と言う訳では……。
  それに、馬車酔いを治す魔法は知っていますが、船酔いを治す魔法は知りません」

船酔いを治す魔法は、船に関わりの無い生活圏の者には、馴染みが薄い。
船上で海の波に揺られる経験は、ラビゾーには無かった。

 「馬車酔いと船酔いが別って、中々不便なのね」

 「乗り物酔い全般を治す魔法もあるんですよ。
  でも、手間が掛かる上に、僕には難しいので……」

そんな事を話している内に、船はビシャル・カタン島に着く。

355 :創る名無しに見る名無し:2015/08/08(土) 19:19:40.25 ID:XqZTQaLd.net
カターナ湾は第六魔法都市カターナと、周辺の都市の沿岸部を含む、浅く広い湾である。
コターナ島を始めとした、幾つかの近海小島群が内海を形成しており、その内側は基本的には、
人間の領域である。
偶に海獣の群れの侵入を許すが……。
ビシャル・カタン島は、近海小島群の内の一で、数十人の住民が居る。
遠海の小島群の住民とは異なり、特に文明から隔絶した生活をしている訳ではなく、
生活様式はカターナ地方の一般的な物と変わり無い。
船から降りたラビゾーは、バーティフューラーに言った。

 「遊覧船はカターナ湾を一周します。
  次の便は1角後。
  それまで島を散策しましょう」

 「この島には名所とかあるの?」

 「……えー、灯台を兼ねた展望台があります。
  近海を一望するのも良いかと」

ラビゾーの反応から、他に大した物は無いのだなと、バーティフューラーは察して、
期待の失せた顔になる。

 「取り敢えず、行ってみましょう」

2人は島内の展望台へと向かった。

356 :創る名無しに見る名無し:2015/08/08(土) 19:20:42.30 ID:XqZTQaLd.net
島内では徒歩以外に移動手段が無く、バーティフューラーは直ぐに歩き疲れる。
そんな彼女を見て、ラビゾーは1枚のスカーフを差し出した。

 「これを巻いて下さい。
  首でも、腕でも、どこでも良いので」

 「何これ?」

小首を傾げて問うバーティフューラーに、ラビゾーは答える。

 「不思議なスカーフです。
  身に着けていると、激しい運動をしても疲労しません」

共通魔法使いのラビゾーが、「不思議な」と形容した事に、バーティフューラーは疑念を抱いた。

 「『不思議な』って……共通魔法の気配は感じないけど……。
  偽物を掴まされたんじゃないの?」

 「いえ、本物です。
  旧い魔法使いの織り師に貰った物ですから」

 「そんな伝手があるんだ」

感心するバーティフューラーに、ラビゾーは改めて言う。

 「とにかく、これを持っていれば、疲れない筈ですよ」

 「くれるの?」

 「いえ、後で返して下さい。
  予備とか無いので」

バーティフューラーは少し残念がったが、スカーフの効果は本物だった。
彼女は疲労しないばかりか、足が痛む事も無かった。

357 :創る名無しに見る名無し:2015/08/08(土) 19:21:59.02 ID:XqZTQaLd.net
展望台に着いた2人は、広い海を眺める。
北東を見れば、弧を描いて水平線まで続く近海小島群。
北から南西に掛けて、カターナ湾と唯一大陸。
南と東の方面は、全て外洋で、他には何も見えない。

 「途方も無いわ……。
  人間って小さいのね……」

水平線を見詰めて、息を漏らすバーティフューラーに、ラビゾーは呼び掛ける。

 「あ、向こうを見て下さい!
  島鯨ですよ!」

ラビゾーが指した遠洋には、遥か上空3通まで潮を吹く黒い陸地があった。
魔法大戦以降、広がった母星の海は、巨大化した生物の縄張りになっている。
島鯨は名の通り、島の如き巨大さを持ち、体長は優に1通を超える。
人間と殆ど接触しない為に、生態は謎に包まれているが、優れた魔法資質を持つ個体もあると言う。

 「唯一大陸は星の全表面積の20分の1しかありません。
  それが陸地の殆どを占めているので、他は全部海と言っても良いでしょう。
  島鯨は何通もある体で、一地方と同じ位の縄張りを持って、群れで生活していると言います」

 「本当に、人間は小さな生き物なのね……」

バーティフューラーは溜め息を吐くばかりである。

358 :創る名無しに見る名無し:2015/08/09(日) 18:39:45.56 ID:8futO/Xp.net
展望台から再び港に戻る頃には、次の便の寄港時間が近付いていた。
ラビゾーとバーティフューラーは、港に近い喫茶店で時間を潰すと、遊覧船に乗り込み、
次の島へと向かう。
マタ・アイル島は湧水の滝、ティムル島は港自体が名所、アルナブ島はナツキウサギ、
ドグン・カラング島は珊瑚石の断崖。
一通り見て回ると、もう夕方になっている。
最後に寄る島はコターナ島。
近海小島群の中では、最大の島である。
島の半分はカターナ海洋調査会社の所有地であり、一部の海岸をリゾート・ビーチとして、
有料で開放している。
夕方は海で泳ぐ事は出来ないが、コターナの島民が観光客向けに、伝統の歌と踊りを披露する。
軽快な太鼓と、よく響く歌声に誘われて、ラビゾーとバーティフューラーが海岸へ行くと、
丁度ビーチ・バーで島民がダンスを披露している所であった。
若い男女の踊り子が、砂浜から観光客をダンスに誘っている。
誘われて踊りに行く者の中には、コバルトゥスの姿もあった。
ラビゾーとバーティフューラーは、踊る者達を横目に、ビーチに入ってバーの席に着く。

359 :創る名無しに見る名無し:2015/08/09(日) 18:42:35.16 ID:8futO/Xp.net
バーティフューラーはソーダ・カクテルを頼んで、暫く踊る者達を眺めていたが、
やがて思い立った様に、独り踊りの輪の中へ入って行く。

 「一寸、踊ってくるわね」

夕刻の赤の中、彼女のダンスに、誰もが目を奪われた。
巧みな足運び、艶かしい腰捌き、撓やかな腕の伸び。

 (そう言えば、『色欲の踊り子<ラスト・ダンサー>』だったな……。
  舞踊魔法使いか……)

踊るバーティフューラーを眺めて、ラビゾーは今更ながらに思った。
周囲の者を魅了しつつ、彼女はラビゾーを挑発する様に流し目を送る。
ラビゾーはバーティフューラーを美しいとは感じる物の、それ以上は深く考えない。
彼は頭を振って、強引に思考を止め、俯き加減になる。
魔法のスカーフを巻いているバーティフューラーは、疲れを見せずに、最後まで踊り切って、
ラビゾーの居るテーブルに戻って来た。

 「はぁ、久々に良い汗を掻いたわ」

爽やかな笑顔で、彼女は言う。
数点の間を置いて、次の音楽が始まる。

360 :創る名無しに見る名無し:2015/08/09(日) 18:45:35.14 ID:8futO/Xp.net
それから間も無く、コバルトゥスが2人の居るテーブルに来た。
彼は片手をテーブルに突いて、ラビゾーに背を向け、バーティフューラーに話し掛ける。

 「こんな所で会えるなんて、運命的だな。
  一緒に踊らない?」

コバルトゥスは遊覧船には乗っていなかったので、尾行していた訳ではないだろうが、
妙な縁がある物だと、ラビゾーは内心呆れた。
声を掛けられたバーティフューラーは、ラビゾーを見詰めて、止めて欲しそうにしていたが、
その気配を察して、コバルトゥスは牽制する様に彼を一瞥する。
「解っているだろうな?」と言う目。
ラビゾーはコバルトゥスとの約束を思い出して、一瞬焦り、目を見開いた。
コバルトゥスは彼を嘲る様な笑みを浮かべて、視線を切る。
ここで約束を破る勇気は、ラビゾーには無かった。

 (……好きにすれば良い)

内心で彼は全てを諦め、目を伏せて、悲し気に俯いた。
バーティフューラーはラビゾーに失望して、当て付けに聞こえよがしに溜め息を吐くと、
コバルトゥスの誘いに乗って、皆の前で踊りに行く。

 「良いわ、行きましょう」

彼女の手を引くコバルトゥスの笑みは、勝ち誇った物に変わっていた。

361 :創る名無しに見る名無し:2015/08/10(月) 22:16:29.37 ID:haMI4kaU.net
コバルトゥスとバーティフューラーのダンスは、華麗の一言。
美男と美女が手を取り合って、丸で舞台演劇の一場面の様に、幻想的な舞を披露する。
優美な2人のダンスを見ていると、ラビゾーは自分が惨めに感じられ、虚しさが込み上げて、
普段は飲まない強い酒を、ウェイターに頼んだ。
自棄酒の積もりだったが、幾ら呷っても気分は良くならず、胸に靄々が溜まるだけ。
コバルトゥスとバーティフューラーを、ギャラリーが口笛や手拍子で囃し立てるのが、
耳障りで堪らなかった。
投げ遣りに、彼自身もギャラリーに紛れて、下手な指笛で合いの手を入れていると、
幾らか気分が落ち着いて来る。
繰り返している内に、ラビゾーは酔いが回って段々楽しくなり、浮かれた気分で、
相槌を打ちながら音楽に聞き入っていた。

362 :創る名無しに見る名無し:2015/08/10(月) 22:18:10.84 ID:haMI4kaU.net
一方、コバルトゥスとバーティフューラーは、踊りながら2人だけの会話をする。

 「凄いね。
  これだけ踊って、未だ息が切れないなんて」

 「そう言うアナタも」

 「――所謂、外道魔法使いなのか?」

 「そう言うアナタも」

ダンスの最中、バーティフューラーがラビゾーを一瞬だけ顧みると、コバルトゥスは目敏く見咎めた。
彼はバーティフューラーを抱き留めて、耳元で囁く。

 「目を逸らさないで欲しいな。
  目の前に俺が居るのに、他の男に気を取られるのは、気分好くない」

バーティフューラーが小さく笑うと、コバルトゥスはダンスを続けて、彼女に問う。

 「何が良くて、先輩と付き合ってるの?」

 「そう言うアナタも」

同じ言葉ばかり返され、コバルトゥスは僅かに眉を顰めた。
バーティフューラーは又も小さく笑う。

 「屹度(きっと)、アナタと同じ理由」

コバルトゥスは目を丸くして、息を呑んだ後、やれやれと力無く笑った。

363 :創る名無しに見る名無し:2015/08/10(月) 22:21:12.84 ID:haMI4kaU.net
彼はバーティフューラーに言う。

 「先輩は良い人だと思う。
  良い人過ぎて、心配になる位だ」

 「そうね。
  優柔不断で、煮え切らなくて、少し頼り無い」

バーティフューラーが相槌を打つと、コバルトゥスは自然に反論していた。

 「でも、困った時は本気で助けてくれる。
  だから、俺は先輩を尊敬してる」

ラビゾーを庇う積もりは無かったのにと、彼は複雑な気分になって、口を一文字に結ぶ。

 「……そんな所が好きだって?」

コバルトゥスが尋ねると、バーティフューラーは恥じらう様に小さく頷いた。
彼女の心を奪うのは、今は無理だろうと、コバルトゥスは諦める。
好い男は引き際が肝心なのだ。
音楽が終わる前に、彼はダンスの途中で急に足を止めると、両肩を竦めて見せ、
バーティフューラーを解放した。
バーティフューラーは特に驚きも無く、コバルトゥスに優しい笑みを投げ掛けた後、
ラビゾーの元へ戻る。

 (先輩には勿体無いけど、俺の手にも余りそうだ……)

彼女の背を見送りつつ、コバルトゥスは暫く立ち尽くしていた。

364 :創る名無しに見る名無し:2015/08/10(月) 22:25:54.21 ID:haMI4kaU.net
バーティフューラーは再びラビゾーの居るテーブルに帰って来る。
ラビゾーは吃驚した顔で、彼女を見詰めていた。

 「どうしたんです?
  途中で止めちゃって」

バーティフューラーは何度目か知れない溜め息を吐いて、彼に言う。

 「踊りましょう、ラヴィゾール。
  アナタじゃないと、駄目みたい」

 「でも、僕……踊りは空っ切りで」

 「関係無いわ。
  何も考えなくて良い。
  動く儘に体を委ねて」

及び腰のラビゾーの手を、バーティフューラーは強引に牽いた。
酔いが回っているラビゾーは、強く抵抗出来ずに、皆の前に引っ張り出される。
バーティフューラーは手取り足取り、ラビゾーに踊りを教授した。

 「さあ、アタシの手を取って。
  力強く、確りと」

 「こうですか?」

 「次は、腰に手を回して、胸を寄せて。
  抱き止めて、支える様に」

 「こう?」

 「あぁ、腰が引けてるわ。
  恥ずかしがっていると、逆に見っ度も無いわよ。
  堂々と『男性自身』を主張して」

バーティフューラーはラビゾーの腰を叩いて、ぐっと引き寄せる。
判断力と同時に羞恥心も鈍っているラビゾーは、彼女に言われるが儘、体を密着させる。
音楽に乗って、体が自然と動く感覚を、ラビゾーは味わった。
それだけバーティフューラーのリードが上手いのか、自分の体が自分の物ではない様。

365 :創る名無しに見る名無し:2015/08/10(月) 22:27:45.88 ID:haMI4kaU.net
バーティフューラーはラビゾーの耳元で囁く。

 「今日、今この瞬間だけ、アタシはアナタの物」

ラビゾーは怪訝な顔で、バーティフューラーの瞳を覗き込んだ。
彼女は続ける。

 「自慢して良いのよ?
  誰もが羨む女を、自分の物にする栄誉を上げる。
  見せ付けましょう」

しかし、ラビゾーは静かに目を伏せた。
バーティフューラーは切ない声で問い掛ける。

 「アナタの望む物は何?
  全部、アナタが悪いのよ。
  好みを演じようにも、アナタは嫌がるし……。
  アタシに『出来る女』みたいな、変な幻想持ってるし……。
  どうしたら良いのか、アタシには全然……」

 「僕の心を映そうとしても、それは上手く行かない筈ですよ。
  僕は何も望める立場ではありません。
  だから、何も望まれない事を、望んでいるんです」

微酔いでラビゾーは不思議な覚醒をしていた。

 「……コバルトゥスは気に入りませんでしたか?」

虚を突かれたバーティフューラーは目を瞬かせ、その後に眉を顰めた。

 「アタシに彼を宛てがおうとしたの?」

366 :創る名無しに見る名無し:2015/08/10(月) 22:29:16.75 ID:haMI4kaU.net
ラビゾーは複雑な面持ちで答える。

 「貴女がコバルトゥスを選ぶなら、今の僕には止められません」

 「馬鹿ね。
  余計な気を回さなくても、アタシの好い人は、アタシが決めるわ」

バーティフューラーは呆れ笑う。
音楽は止み、ダンスは終了の時間。

 「アンタは何時も俯いて、自分の事ばかり。
  少しもアタシを見てくれない」

 「済みません」

 「又、そうやって。
  でも、良いわ、許して上げる」

辺りが真っ暗になる前に、2人は連れ立ってビーチを去り、船に乗って大陸へ。
夜掛かった空には満天の星。
交わす言葉は無くとも、2人は妙に心地が好く、互いに寄り添って、星を数えていた。

367 :創る名無しに見る名無し:2015/08/10(月) 22:33:12.40 ID:haMI4kaU.net
明くる朝には、2人はティナー市へと帰還する。
唯一大陸の1週間は5日。
3泊4日の滞在は十分に長い。
その間、2人の進展具合は、三歩進んで二歩退がる所か、全く前進せずに半歩後退した風だったが、
バーティフューラーは概ね満足していた。
一方のラビゾーは、自責の念を一層強めて、更にバーティフューラーに引け目を感じる様になった。
これもバーティフューラーの計算の内。
致命的な毒は知らぬ間に回っている物。
彼女はラビゾーの心理を知り尽くしている。

368 :創る名無しに見る名無し:2015/08/10(月) 22:33:20.72 ID:bgyHg6n2.net
いい話だなー!

369 :創る名無しに見る名無し:2015/08/10(月) 22:34:51.11 ID:haMI4kaU.net
来週の月曜まで休みます。

370 :創る名無しに見る名無し:2015/08/17(月) 19:39:38.10 ID:1lbNcBz4.net
帰って来ました。

371 :創る名無しに見る名無し:2015/08/17(月) 19:42:04.79 ID:1lbNcBz4.net
楽器の心


第三魔法都市エグゼラ スワト地区にて


エグゼラと言えば、厳しい寒さ、逞しい住民、強い酒。
次いで、雪と氷、巨大な動物、狩猟民、暴力沙汰、酔っ払い、実利主義、不作。
他地方民が抱く、一般的なエグゼラ市民のイメージは、余り良くない。
何かと腕力で物事を解決しようとし、芸術や文化を解さず、野蛮、野暮である。
そんな印象を持たれている。
強ち間違いと言う訳ではないが、全員が全員、そうではない。
そのエグゼラ地方の一般的な家庭に、フィオルの演奏家を志す少年が居た。
フィオルとは『擦弦楽器<ストリング・インストゥルメント>』の一で、長さ2足程の小さな弓で絃を弾く、
『瓢箪<コロキータ>』型の楽器(※1)である。
コロキータを由来とする、手で絃を弾く「コロック」と言う小楽器もあるが、今は措こう。
この少年はエグゼラ地方民の父と、ブリンガー地方民の母の間に生まれた、
所謂「エグゼリンガル」(※2)と呼ばれる人種である。
エグゼラ地方でエグゼリンガルは珍しくないが、典型的なエグゼラ市民である彼の父は、
息子が楽器に興味を示した事を、初めは快く思わなかった。
蛮勇を是とするエグゼラ地方で、男子が芸術に興味を持つのは、女々しいと言う風潮があるのだ。
絵画や音楽は本業の片手間に趣味で嗜む物。
それを生業にする等、以ての外と、父は断固反対した。
しかし、母の強力な応援と庇護の下、少年は音楽の道を歩む事が出来た。


※1:要するにバイオリンの類。
※2:(exeRa+bRingar)=exeRingar、エグゼラとブリンガーを結ぶ「エグゼンリグ街道」から。

372 :創る名無しに見る名無し:2015/08/17(月) 19:48:22.19 ID:1lbNcBz4.net
コンテストで優秀な成績を収める事で、少年は自分が音楽の道を歩む事を、父親に認めさせた。
やるからには徹底的にと言う事で、少年の父は彼の為に、中古ではあるが上等なフィオルを、
買い与えた。
それは曰く付きの一品で、音色は素晴らしいが、演奏者を虜にしてしまう妖しい魅力を備えており、
この音色を味わうと他のフィオルは手に付かないと店主に忠告されたが、それだけ良い物ならば、
息子も喜ぶだろうと、少年の父は迷わず購入した。
骨身に沁みなければ、注意や警告に耳を貸さないのも、エグゼラ地方民の性質である。
そのフィオルの名は「フランベス」。
板材の模様が、燃え盛る炎に見える事から、そう名付けられたと言う。
フランベスを手にした少年は、取り憑かれた様に、演奏の練習に励んだ。
時には、寝食を忘れる程。
少年の演奏は練習時間に比例して上達し、その技術は専門家をも凌ぐと言われた。
自分が買い与えたフィオルに息子が夢中になる事を、最初の内は喜んでいた少年の父だったが、
その一心不乱振りに、やがて恐怖と不安に駆られる様になった。
少年の父はフランベスの様な中古品ではなく、倍以上の値段の新品を買い与えたが、
少年は手に馴染んだフランベスを放そうとしなかった。

373 :創る名無しに見る名無し:2015/08/17(月) 19:53:12.22 ID:1lbNcBz4.net
少年は「フィオルの練習の為」と言って、自室に引き篭もり勝ちになった。
部屋からはフィオルの素晴らしい音楽が聞こえて来るのだが、それは誰も曲名を知らない物だった。
翌朝、母親は少年に尋ねる。

 「昨夜演奏してた音楽、あれ何て言う曲?」

 「知らない。
  フランベスを持つと、勝手に演奏してるんだ」

 「大丈夫なの?」

 「何で?
  何とも無いよ」

本当に何とも無い訳がない。
少年の顔色は優れず、日に日に窶れて行く様だった。
連日、夜遅くまでフィオルの練習をしているのだ。
健康に影響を及ぼすのは当然と言える。
しかし、当人は無自覚なのか、平然としている。
両親は不気味に思い、どうにか少年にフランベスを手放させようとしたが、それは叶わなかった。
少年はフランベスを肌身離さず持ち歩く様になっていた。
それでも何とか隙を見て、捨てたり隠したりしてみたが、如何にしてか、誰も知らぬ間に、
少年の元に戻って来る。

374 :創る名無しに見る名無し:2015/08/18(火) 19:38:40.57 ID:SW2kKg0u.net
これは徒事ではないと、両親は魔導師会に通報すると決心した。
フランベスなる怪しいフィオルは、呪術的な効果を持つ、危険な魔法道具だと判断したのだ。
少年がフランベスを手にしてから、2箇月目の事であった。
何も知らぬ少年は、その日も夜遅くまでフランベスを弾いていた。
フランベスが奏でる音は、聞く者を虜にする、妖しい響きを持っている。
少年は自ら紡ぎ出す音楽の美しさに陶酔していた。
丸で、生まれる前から知っている様に、フランベスが手に馴染む。
1曲弾き終え、夢現で目を開けた少年の前には、1人の見知らぬ別の少年が立っていた。
2人は背丈も年齢も、然程変わらない。
不意の侵入者に、フランベスを持った少年は驚愕する。

 「誰だ!?
  どこから入って来た!?」

 「先(さっき)から居たんだけど、君が演奏に夢中で気付かなかっただけじゃない?」

生意気な事を言う奴だと、少年は侵入者を警戒した。

 「何の用?」

 「君じゃなくてフランベスに用があるんだ」

物盗りかと思い、少年は敵意を露にフランベスを体の後ろに隠す。

 「これは僕の物だ!
  お前には渡さないぞ!」

375 :創る名無しに見る名無し:2015/08/18(火) 19:39:53.55 ID:SW2kKg0u.net
侵入者は余り気にしていない様子で、少年を睨み、話を続ける。

 「一体、何を企んでいる?
  何が狙いなんだ?」

 「お前こそ、何を企んでいるんだ!?」

 「親が泣くぞ」

 「親!?
  ……って、お前は何なんだよ!?」

一々答える少年に、侵入者は眉を顰めて苦笑した。

 「君には聞いてないから、少し黙ってて。
  言っただろう?
  僕は『フランベス』に用があるんだ」

 「訳解んないよ!」

高い声を上げる少年に、侵入者は呆れた様に溜め息を吐く。

 「君が持っているフィオルは、普通の楽器じゃない。
  『魔楽器<マジック・インストゥルメント>』なんだ」

 「魔楽器!?
  ……お前は何なんだよ?」

 「僕は魔楽器演奏家にして調律師。
  詰まり、魔楽器の専門家さ」

376 :創る名無しに見る名無し:2015/08/18(火) 19:44:56.47 ID:SW2kKg0u.net
少年は魔楽器演奏家と聞いて、少し納得した。
それと同時に、気になる事があって尋ねる。

 「外道魔法使い?」

 「そう言う事になるな。
  後、君が持ってる魔楽器も、外道魔法の魔法道具だからね。
  持っていると、魔導師会に逮捕されるかもよ?」

 「何で魔導師会が?」

 「君の御両親が通報する」

 「余計な事を!」

そう言われても、少年はフランベスを手放す積もりは無かった。
何故なら――フランベスを弾いている間は、耳底を通じて脳に伝わり響く快感があるのだ。
丸で麻薬の様に、少年はフランベスの音色の虜になっていた。
躊躇う少年に、魔楽器演奏家は告げる。

 「そんなにフランベスが良いの?
  真面に調律されていないフィオルばかり使っていると、普通のフィオルが弾けなくなるよ。
  君は音調の狂いにも気付いていないだろう。
  魔楽器の音色は、本物じゃないんだ。
  魔力を帯びて、直接人の心に作用する、偽物の音楽だよ」

 「偽物?」

 「ああ。
  その証拠に、僕の音楽を聞かせよう」

魔楽器演奏家は懐から徐に石笛を取り出すと、静かに吹奏を始めた。

377 :創る名無しに見る名無し:2015/08/18(火) 19:46:36.41 ID:SW2kKg0u.net
心が澄み渡る様な、清々しい音色に、少年は恍惚として聴き入っていた。
所が、魔楽器演奏家は途中で吹奏を止めてしまう。
それは気分好く眠っていたのに起こされた様な、お気に入りの番組を見ているのに止められた様な、
酷い不快感があった。
どうして止めたのかと、恨めしそうに少年が目を向けると、魔楽器演奏家は言った。

 「解るかい?
  魔力を乗せれば、誰でも同じ様な事が出来てしまう。
  魔導機と同じなのさ。
  良い音楽なんかじゃないし、演奏が優れている訳でもない。
  詰まる所、フランベスの音色とは、そう言う物なんだ。
  自分の才能を信じるなら、フランベスを手放した方が良い。
  そいつは君の音楽の才能を腐らせる」

そうまで言われても、少年は未だフランベスに心を引かれていた。
魔楽器演奏家は眉間に皺を寄せ、悩まし気な表情をする。

 「1つ訊くけど、君はフランベスを演奏する時、例えば技術や技巧に就いて、考えた事がある?」

 「え……?」

 「何と無く弾いて、何と無く良い音がするとしか、思わなかっただろう。
  フィオルと言う楽器は、そんな簡単な物じゃないよ。
  弓の滑らせ方、絃を押さえる指の運び、それ等を意識した事があるかい?
  君はフランベスを弾いていたんじゃない。
  フランベスに弾かされていたんだ。
  それが証拠に、真面なフィオルでは満足な音が出せなかっただろう」

心当たりがあったので、少年は大いに焦った。
フランベスの音色は知らぬ裡に、彼の感覚を狂わせていたのだ。

378 :創る名無しに見る名無し:2015/08/19(水) 20:06:24.91 ID:kUxJqcnU.net
魔楽器演奏家は少年に向かって言う。

 「思う様な音が出せないのを、楽器の所為にしていては、永久に一人前にはなれない。
  さあ、フランベスを渡してくれ」

少年は彼の言う事は正しいと感じていたし、フランベスを持ち続けるのは良くないと思い始めていた。
しかし、どうしてもフランベスを惜しまずには居られない。
エグゼラ地方民は基本的に、物を捨てられない貧乏性だが、それとは別。
フランベスの持つ妖しい魅力だ。

 「……解った、もうフランベスは使わないよ。
  だから、帰ってくれ。
  お前に渡す必要は無いよな?」

魔楽器演奏家は鋭い目付きで、少年を睨む。

 「信用出来ない。
  君は行き詰まるとフランベスを懐かしみ、必ず手にするだろう。
  そして、再び虜になる」

 「そんな事は――」

 「ある!」

予言の様に断じられて、少年は反発するより、その通りかも知れないと弱気になった。

379 :創る名無しに見る名無し:2015/08/19(水) 20:07:06.45 ID:kUxJqcnU.net
だが、少年は動けない。
フランベスを手放したくない気持ちと、この儘では良くないと言う思いが、鬩ぎ合っている。
葛藤の末に、彼は魔楽器演奏家に頼んだ。

 「ぼ、僕には決められない……。
  そんなにフランベスを捨てさせたいなら、奪ってくれ……」

魔楽器演奏家は少年を嘲笑ったり、軽蔑したりしなかった。

 「解った」

短く答えると、彼は少年に近付き、フランベスを手にした。
少年の手は固くフランベスを握り締めており、とても手放す意思がある様には見えないが、
全ては魔楽器の妖しい魅力の所為なのだ。
心の弱い只の少年が、それに打ち克つのは、難しい事。
魔楽器演奏家は少年の指を解こうとしたが、フィオルの弓が彼の腕を弾いた。

 「何をする!?」

打たれた様な痛みに、魔楽器演奏家は手を引いて、驚愕の表情で少年を睨むが、
その本人も当惑していた。

 「ちっ、違……、僕じゃない!
  手が勝手に……!」

 「フランベス!!」

魔楽器演奏家の怒りは、少年ではなく、フランベスに向けられた。
フランベスが少年を操っているのだ。

380 :創る名無しに見る名無し:2015/08/19(水) 20:08:17.74 ID:kUxJqcnU.net
少年はフィオルの弓を刺突剣の様に構えて、魔楽器演奏家を牽制する。
勝手に体が動く事に、少年は恐怖していた。

 「た、助けて……!」

魔楽器演奏家は小さく頷くと、少年の攻撃を掻い潜って、フィオルを掴む。
所が、その瞬間、少年は激痛に呻いた。

 「痛っ!」

魔楽器演奏家は反射的に、フランベスを放す。
丸で楽器と感覚が繋がっている様。
理不尽な現象に、少年は益々恐怖する。

 「ど、どうなって……?」

混乱する少年の口が、勝手に動く。

 「魔楽器演奏家トヤラ、貴様ハ何者ダ……」

自らの物とは全く違う、低く嗄れた声。
少年は内心では酷く狂乱したが、体が付いて来ない。
叫び声を上げる事も、震えて逃げ出す事も出来ない。
魔楽器演奏家は改めて問う。

 「何を企んでいる?
  フランベス!」

381 :創る名無しに見る名無し:2015/08/19(水) 20:11:41.45 ID:kUxJqcnU.net
フランベスは少年の体を、完全に乗っ取っている。

 「コレマデ私ハ、長ク、暗イ、封印サレタ日々ヲ過ゴシテ来タ。
  然シ、長年耐エテ来タ甲斐ガ有ッタ。
  今、私ハ漸ク、コウシテ才有ル者ト巡リ逢エタ。
  私ハ再ビ、日ノ目ヲ見タイノダ。
  大舞台ニ立チ、喝采ヲ浴ビル。
  ソレコソガ望ミ、私ノ存在理由!
  何人ニモ邪魔ハサセナイ!」

少年にはフランベスの執念と熱望が伝わった。
それは本心からの純粋な願いだった。
悪意や害意は無いのだ。
だが、魔楽器演奏家は膠も無く切り捨てる。

 「お前の様な老い耄れには無理な話だ。
  年寄りの冷や水だよ。
  身の程を知れ!」

 「ナ、何ダト……!」

 「板材が腐って、音の良し悪しも聴き分けられなくなっているのか?
  お前の体では最早、聴衆を満足させる音楽を奏でる事は出来ないんだ。
  魔力で誤魔化した音は聴くに堪えない。
  ミューショースが草葉の陰で泣いているぞ」

そこまで言わなくても良いじゃないかと、少年はフランベスの肩を持ちたくなった。
魔楽器演奏家は尚も厳しい言葉を投げ掛ける。

 「お情けで評価して貰えるなら、苦労は無い!
  幾ら見てくれを整えた所で、お前が古臭い時代遅れの一品と言う事実は変わらないんだ。
  大人しく現実を受け容れろ!」

 「黙レッ、ソンナ事ハ無イ!
  私ハ未ダ――」

 「だったら、楽器らしく僕と音楽で勝負してみるかい?
  それで負けたら、潔く諦めるんだな!」

 「望ム所ダ!」

明らかな魔楽器演奏家の挑発に、フランベスは旨々(まんま)と乗せられた。
余りに迂闊で、少年も心配になる程だったが、フランベスは自信に満ちている。

382 :創る名無しに見る名無し:2015/08/20(木) 19:52:51.69 ID:vDwxk5hr.net
魔楽器演奏家は石笛を咥え、フランベスは少年を操って自らの絃に弓を添える。
2人の演奏する曲は、別々の物。
傍で聞かされている少年は、不協和音に悩まされた。
数点もしない内に、徐々に少年の手の運びが鈍って来る。
それは少年の意思による物ではない。

 「ヒ、卑怯ナ……!
  ソレハ魔力ヲ封ジル楽曲……」

フランベスが苦しんでいるのが、少年には分かった。
魔楽器演奏家は魔封じの音楽で、フランベスを封印しようとしているのだ。
卑怯臭いと少年は思ったが、体の自由を奪われた儘では困るので、勝負の行方を見守った。
やがて、フランベスは少年の体を動かせなくなる。
入れ替わる様に、自由を手に入れた少年は、静かにフランベスを下ろした。
魔楽器演奏家は、一曲を完璧に奏で終えるまで、石笛を離さなかった。
それはフランベスに確実な止めを刺そうとしている様だった。
演奏し切った魔楽器演奏家は、緩(ゆっく)りと石笛を口から離し、目を開けると、少年に尋ねる。

 「大丈夫だったかい?」

 「あ、うん……」

少年は腑に落ちない物を抱えて、小声で頷いた。

383 :創る名無しに見る名無し:2015/08/20(木) 19:54:02.46 ID:vDwxk5hr.net
彼は胸中の蟠りを、魔楽器演奏家に打つける。

 「何で音楽で勝負して上げなかったの?」

 「フランベスを弾いて御覧。
  そうすれば判る」

魔楽器演奏家に言われ、少年は改めてフランベスを弾いてみた。
……本の小さな、しかし、確かな違和感が感じ取れる。
響きが悪く、低目に暈けて、湿気た様な音色。
少年は落胆して、弾くのを止めた。
それは全く魔法が解けた様だった。

 「何の補助も無いフランベスでは、それが限界なんだ。
  最初からフランベスは、真面な音楽で勝負する気なんて無かったんだよ」

続けて魔楽器演奏家は、フランベスを見詰める少年に問い掛ける。

 「未だフランベスが惜しいと思うかい?」

 「別に……」

 「僕に渡してくれるね?」

 「良いよ。
  でも、どうするの?」

 「魔力を失ったフランベスは、普通の古いフィオルになった。
  供養してやるさ」

少年は漸くフランベスを魔楽器演奏家に手渡した。

384 :創る名無しに見る名無し:2015/08/20(木) 19:57:55.68 ID:vDwxk5hr.net
去り際に、魔楽器演奏家は少年に伝える。

 「暫くは、思う様な音楽が奏でられず、苦労するかも知れない。
  心に直接作用する魔法は、麻薬の様な物だから、フランベスを懐かしむ事もあるだろう。
  それを克服する方法は唯一つ、『信じる事』だ。
  『純粋な音楽は心を操る魔法に優る』と」

少年が頷くと、彼は頷き返して、更に一言付け加える。

 「おっと、僕の事は皆には内緒にしてくれ。
  『フランベスは無くなった』。
  良いね?」

再び少年が頷くと、彼も再び頷き返す。

 「良い子だ。
  大業は一日にして成らず、大器は故に晩成なり。
  精進するんだよ」

魔楽器演奏家は窓から外に出た。
少年は去り行く姿を見送ろうとしたが、どこにも彼の姿は無かった。
翌朝から、少年はフランベスを手に入れる前の、普段通りの生活を送った。
あれだけ口煩く「フランベスを手放せ」と繰り返していた両親は、嘘の様に触れなくなっていた。
少年は疑問に思い、それと無く両親に尋ねた。

 「パパ、フランベスって覚えてる?」

 「何だい、それは?
  ママ、何か知ってる?」

 「私に聞かれても困るわ……。
  人の名前?」

何を惚けているのか、2人共フランベスを知らないと言う。
少年は納得行かない気持ちだったが、「フランベスは無くなった」のだと自分に言い聞かせて、
変わらぬ日々を過ごした。
そうしている内に、数年後には少年の記憶からも、フランベスの事は完全に消えた。

385 :創る名無しに見る名無し:2015/08/21(金) 19:48:05.91 ID:NI1s1wde.net
闘病


第一魔法都市グラマー タラバーラ地区 ヴァイデャ・マハナ・グルートの診療所にて


事象の魔法使いヴァイデャ・マハナ・グルートの、薄暗い地下の診療所には、特殊な治療室がある。
結界の様に4本の支柱に縄を張って、正方形を描く……。
そう、それは『拳闘陣<ボクサー・リング>』。
リングの上に立っているのは、拳闘士とは思えない、運動着姿の小柄で華奢な少女。
彼女と相対するは、全く同じ容貌だが、全身が邪霊の様に青黒い少女。
これは闘病の様子なのだ。
リングの外では、少女の母親が祈る様にして、闘いを見詰めている。
ヴァイデャは少女に叱咤激励の言葉を掛ける。

 「どうした、病気を克服するんじゃなかったのか!?
  そんな逃げ腰で、奴を倒せると、幸せを掴めると思っているのか!!」

どうして自分が、こんな事をしなければならないのかと、少女は泣きたくなった。
大人しく、心優しい彼女は、拳闘等と言う野蛮な行為を忌避していた。

386 :創る名無しに見る名無し:2015/08/21(金) 19:53:54.38 ID:NI1s1wde.net
この少女、何と膠原病に冒されている。
共通魔法による治療は、怪我や細菌、病毒には強く、幾らかの精神病にも対応しているが、
治療が難しい物もある。
例えば、自己免疫疾患、遺伝子病、重度の精神障害、強力な呪詛……。
これ等には医療魔導師でも、治療が困難、乃至、不可能な物が多い。
娘の将来を案じた母親は、死に物狂いで病気の治療法を探した。
その結果、事象の魔法使いヴァイデャの元に辿り着いたのである。
ヴァイデャは『象魔法<エルフィール>』によって、少女の「膠原病」に容を与え、取り出して、
彼女から分離させた。
しかし、それだけでは完治したとは言えない。
これを自身の手で打ち倒す事によって、少女は初めて宿病を克服出来るのだ。
……だが、病魔は手強かった。
膠原病は少女と同じ外見ながら、その動きは機敏で、拳は重かった。
ヴァイデャの象魔法では、重い病気程、強い病魔となるのだ。
分離している間だけは、少女は健康体と変わらないが、負ければ再び病苦に苛まれる事になる。
病魔との闘いから逃げる事は出来ない。
どこへ逃げようとも、病魔は主を追い続ける。

387 :創る名無しに見る名無し:2015/08/21(金) 20:00:46.50 ID:NI1s1wde.net
少女の闘病生活は過酷な物だった。
病身が故に、平時は肉体を鍛える事も儘ならないが、病魔との拳闘には勝利しなくてはならないのだ。
象魔法による拳闘では、肉体的な損傷を負う事は無いが、殴られれば痛いし、動けば疲労する。
病魔に叩き伸めされた後の病苦は、何倍にも感じられる。
初めて病魔に敗北を喫した少女は、余りの苦しさに泣いて再戦を嫌がったが、母親に叱責されて、
何度もリングに上がらされた。
嫌々でも闘いを繰り返す内に、少女は自然と病魔に対抗出来る様になったが、未だ勝利には遠い。
膠原病の一撃は重く、それを恐れて、踏み込めないでいるのだ。
その内に、軽打を浴びて体力を奪われ、凹々に叩かれる。
次第に少女は、「こんなに苦しいのなら静かに死にたい」とさえ、思う様になっていた。
病に打ち克つには、何より精神が強くなければ駄目なのだ。

388 :創る名無しに見る名無し:2015/08/22(土) 20:17:08.09 ID:L/DuaQeh.net
少女は膠原病に、何度目か知れない敗北を叩き付けられる。
痛みと疲労で立ち上がる事が出来ない彼女に、膠原病は青黒い体を重ねて、沁み込む様に、
緩やかに溶け込む。

 「ギャッ、ギャアッ、アグググ……」

少女は白目を剥いて泡を吹き、言葉にならない声を発した。
拳闘で疲弊した所を、更に膠原病の激痛が襲う、生き地獄。
病苦を拒むより、早く楽になりたいと思って、彼女は失神する。
ヴァイデャは眉を顰めて、少女の母親に告げた。

 「――これ以上、お子さんに無理をさせない方が良いと思います」

少女の母親は目を剥いて、ヴァイデャに詰め寄る。

 「では、娘は死ぬより他に無いと仰るのですか!?」

 「苦難に立ち向かうより、早く楽になりたい、この場から逃げ出したいと言う思いが、
  強い様に見受けられます。
  彼女の意識が変わらない内は、何度やっても同じ結果になるでしょう。
  徒に苦しみを増すだけです」

 「では、意識を変えるには……?」

 「流石に、それは私の領分から外れます。
  但、言える事は……。
  彼女には、『勝ちたい』と言う覇気や執念が感じられません。
  闘う事、それ自体が嫌なのでしょう」

少女の母親は俯いて、黙ってしまった。

389 :創る名無しに見る名無し:2015/08/22(土) 20:19:19.71 ID:L/DuaQeh.net
翌日から、少女と母親はヴァイデャの診療所に来なくなった。
治療を諦めたのかと、ヴァイデャは少し残念に思う物の、それは当人の決断なのだからと、
特に気に病みはしない。
一方その頃、少女と母親は真剣に話し合っていた。
病床の少女に、母親は問い掛ける。

 「病気、治したくないの……?」

少女は外方を向いて、小さく頷いた。

 「どうして?
  早く治さないと、もっと痛くなっちゃうよ?」

母親の疑問は尤もである。
何時までも寛解期が続けば良いのだが、病状の進行に伴って、その周期は次第に短くなる。
痛みが治まらなくなれば、終末期だ。

 「もう良いよ……。
  私の病気、治らない物」

少女は投げ遣りに言うと、布団を被って耳を塞いだ。
本当に治らなくて良い訳は無い。
唯、今の苦しみより、闘病の苦しみが勝っている。

390 :創る名無しに見る名無し:2015/08/22(土) 20:24:42.97 ID:L/DuaQeh.net
それから塞ぎ込んでばかりの少女を、母親は拳闘の試合に誘った。
グラマー地方では、格闘技の類は流行っていないが、全く無い訳ではない。
原始的な喧嘩に過ぎないと蔑まれても、細々と続けられている。
少女は全く乗り気ではなかったが、膠原病を患っている事で、母親に負い目を持っていたので、
渋々付いて行った。
場所は区民体育館。
そこで彼女が目にした物は、3身平方のリング上で、拳を打ち付け合う、勇ましい女達。
女性の拳闘試合である。
彼女達は流れる汗を拭いもせず、容赦無く相手の顔や腹に拳を叩き込む。
ヒュンヒュンと拳が空を切る音と、バシバシと響く殴打の音が、少女には恐ろしくて堪らなかった。
だが、それ以上に、怯まず立ち向かう勇姿と、華麗な動きに惹かれた。
グラマー地方の閉鎖的な拳闘試合では、独特の戦法が流行している。
姿勢を低くして、距離を測りながら静かに躙り寄り、数発の応酬の後、再び距離を取る。
体を揺らしたり、リズムを取ったりしない。
それは丸で野良猫の喧嘩の様に。
ラウンドは無く、倒れたら負け、膝を突いても負け、背を向けて逃げても負け、
打ち合わず退き続けても負け、支柱やロープに縋っても負け。
厳しい条件の中で勝負する女拳闘士に、少女は自分を重ね、どちらが殴打されても、
我が身が打たれた様に痛みを思い出し、顔を背けたくなるも、試合から目を離さない――否、
離せない。
少女は両の拳を固く握り、耐え忍びながらも、食い入る様に、闘いを凝視していた。

391 :創る名無しに見る名無し:2015/08/23(日) 18:51:20.36 ID:uH1yuzUf.net
彼女達の様な強さがあれば、自分も病魔に克てるかも知れないと、少女は思った。
第一魔法都市グラマーは、共通魔法使いの聖地である。
故に、腕力で物事を解決する様な、乱暴さ、野蛮さを忌避する者が殆どだ。
武術も含めて、「相手を殴打する闘い」は流行らない。
護身術として、『回避術<アヴォイダンス>』が受け容れられる程度である。
更に、男女の別が明確な為、女性が腕力を競う事は、最も愚かとされる。
その中にあって、蔑まれ、色物扱いされながらも、拳闘に身を投じる逞しい女性に、少女は感動し、
憧れを抱いた。
母親の思惑は、試合を観戦させる事で、少しでも学べる所があれば良いと言う程度だったのだが、
予想以上に少女は拳闘士に興味を持った。
試合後に、少女は母親に尋ねる。

 「あの人達と、お話出来る?」

 「どうしたの?」

母親は尋ね返したが、少女は上手く自分の心情を言葉に出来ず、俯いた。
何か心境に変化があったのだろうかと、母親は期待を持って、了承する。

 「お話出来るか、頼んでみるね。
  控え室に行ってみようか?」

少女と母親は、連れ立って選手に会いに行った。

392 :創る名無しに見る名無し:2015/08/23(日) 18:52:43.15 ID:uH1yuzUf.net
グラマー地方では『拳闘<ボクシング>』はマイナー競技である。
大きな会場は借りられないので、個別の控え室等と言う物は無い。
体育館の更衣室が、控え室代わりだ。
少女と母親が「関係者以外立入禁止」と書かれた立て看板の脇を抜けて、更衣室の前を通ると、
体育館の職員が慌てて止めた。

 「一寸、駄目ですよ!
  立入禁止の看板が、そこにあったでしょう?
  見えなかったんですか?」

母親は必死な様子で懇願する。

 「娘が選手に会いたいと言うんです。
  どうか願いを叶えてやって下さい」

 「そう言われても、困ります……」

職員と母親が言い合っていると、女子更衣室のドアが開いて、試合に出ていた選手の1人が現れた。

393 :創る名無しに見る名無し:2015/08/23(日) 18:53:26.11 ID:uH1yuzUf.net
少女と母親の視線は、彼女に集中する。
拳闘の選手は当惑した様子で、目を瞬かせながら、職員に尋ねた。

 「この人達は?」

 「多分、ファンの方だと……。
  選手に会わせてくれと言っていますが……」

職員が困り顔で答えると、『女拳闘士<ボクサリン>』は快く頷いた。

 「ああ、何だ、そんな事?
  構わないよ、別に」

彼女は母娘に向き直って言う。

 「グラマー地方のファンは貴重だからね」

女性同士の拳闘は、興行として成立する程の隆盛は無い。
男性の拳闘も全く盛り上がっているとは言えないが、女性の場合は輪を掛けて酷いのだ。
お堅いグラマー地方では、性を見世物として売りにする事も、試合を賭けの対象とする事も、
出来ない為に、観客は少なく、選手共々他地方から引っ張って来なければ成り立たない程。
選手の大半は本業を別に持ち、趣味や副業で、拳闘をしている。
当人達にとっては、拳闘を広める為の、慈善活動の様な物だ。
そんな状況だから、将来を担う若いファンの存在は有り難い。

394 :創る名無しに見る名無し:2015/08/24(月) 19:48:31.75 ID:dIYgtkMn.net
女拳闘士は母娘に尋ねる。

 「――で、誰のファンなんだい?
  剛拳のディレハ?
  不死身のフェキア?
  瞬影のハーフワ?
  それとも、このアタシ、閃火のフォルダ?」

大仰な渾名は、マイナー競技を少しでも盛り上げる為の工夫である。
少女と母親は互いに顔を見合わせた。
母親は少女の背を押して、小声で囁く。

 「ほら、お話したいんでしょう?」

少女は小さく頷き、女拳闘士フォルダの前に進み出た。
そして、捩々(もじもじ)と俯いて時間を掛けた後、小さな声で尋ねる。

 「……どうしたら、皆さんの様に、強くなれるんですか?」

フォルダは意外そうな顔をして、少女を見詰める。
如何にも気弱で、消極そうな少女の様子に、それと無く背景を察したフォルダは、力強く答えた。

 「とにかく、体を鍛えるしか無いね」

395 :創る名無しに見る名無し:2015/08/24(月) 19:53:04.51 ID:dIYgtkMn.net
しかし、少女は不服そうに、重ねて問う。

 「体を鍛えれば、闘いが怖くなくなりますか?」

 「怖く……?
  あー、成る程、そう言う事ね……。
  鍛えるって言うか……、そうだねェ……」

フォルダは悩んだ末に、少女に言う。

 「一寸、そこに立ってて。
  今から、キミの顔に向けて拳を突き出すけど、当てないから安心して、動かないで」

横で心配そうな顔の母親と職員に気付いたフォルダは、念を押した。

 「絶対に当てませんから」

約1歩の距離から、フォルダは少女の顔に向かって、腰を入れたストレートを放つ。
少女は迫り来る拳圧に、堪らず両目を瞑り、顔を逸らして両手を翳し、防御の姿勢を取った。
フォルダは宣言通りに寸止めし、拳を解いて下ろす。

 「……怖かった?」

彼女に問われた少女は、大きく頷いた。
フォルダも頷き返す。

 「そりゃあ、怖いよね。
  でも、目を閉じてしまっちゃ駄目だ。
  相手の動きを確り見て、頭を使って考えないと、次の攻撃を捌く事も、反撃する事も出来ない」

彼女に諭された少女は、その通りだと思いながらも、改めて尋ねた。

 「どうすれば怖くなくなりますか?
  生まれ付きの性格ですか?」

396 :創る名無しに見る名無し:2015/08/24(月) 19:58:24.43 ID:dIYgtkMn.net
深刻な少女の悩みを吹き飛ばす様に、フォルダは豪快に笑う。

 「アッハッハ、生まれ付きで怖さを感じないなら、そっちの方が怖いよ!
  叩かれたら痛い、痛いのは怖い、当たり前さ。
  そこを堪えて、前を向かないと、勝負は始まらない」

 「我慢するしか無いんですか?」

 「んー、上手く言えないけど、『慣れ』かな……?
  頭ん中で、何度もイメージするんだ。
  こう来たら、こう捌くって具合に。
  そんで、行き成り本番は怖いから、何回も練習する。
  初めは緩っくり、段々早くして、動きを体に覚え込ませる。
  後は実戦で判って来る。
  これは耐えられる、これは避けないと行けない、そう言う判断が出来る様になる」

彼女は動きを交えながら、少女に解説した。
未だ不安そうな顔をする少女を、フォルダは優しく諭す。

 「強くなるのに、近道は無いんだよ。
  実を言うと、アタシも昔は弱かったんだ。
  体も食も細かったし、拳闘なんて野蛮な事は考えられなかったよ」

 「……じゃあ、どうして拳闘士に?」

 「強くなりたかったんだ。
  今のキミみたいに。
  弱い自分は嫌いでね」

少女は女拳闘士フォルダに、親近感を持った。
それと同時に、自分も彼女の様に強くなれるかも知れないと、希望を持った。
一方でフォルダも少女に、過去の自分を重ねて、同情していた。

397 :創る名無しに見る名無し:2015/08/25(火) 19:57:55.25 ID:kaEnbzFj.net
フォルダとの出会いで、闘志を取り戻した少女は、再びヴァイデャの象魔法による治療を受ける。
決意を新たにした所で、そう簡単に勝てる程、膠原病は易しくはなかったが、少女の戦い振りには、
変化が見られた。
姿勢を低くし、ファイティング・ポーズを取って、敵の攻撃を恐れながらも、隙を窺い、
反撃しようと言う意思がある。
そして、少女は初めて、膠原病に一撃を食らわせた。
弱々しく、強打とも痛打とも言えないが、とにかく手を伸ばし、自分と同じ顔をした膠原病の顔に、
「当てた」のだ。
少女は自分でも驚いた顔をして、少し笑った。

 「油断するな!」

透かさずヴァイデャは注意したが、遅かった。
膠原病は少女に強烈な反撃と、怒涛の追撃を加える。
それは感情を持たない筈の「膠原病」が、激怒している様だった。
少女は凹々に打たれて、結局その儘、負けてしまう。
しかし、無意味な敗北ではない。
確かに、明日に繋がる敗北だった。
例によって、膠原病との再融合の際は、激痛に喘ぎ、失神する少女だったが、
その顔は笑っている様だった。

398 :創る名無しに見る名無し:2015/08/25(火) 20:00:19.87 ID:kaEnbzFj.net
翌週、少女は母親と隣地区のハンダッハまで、拳闘の試合を見に行った。
そこで彼女は、閃火のフォルダと剛拳のディレハの闘いを目にする。
剛拳のディレハは、渾名のイメージ通りに、平均的な女性を大きく上回る体格の持ち主で、
同じ女拳闘士のフォルダと比較しても、一回り大きい。
腕力でもリーチでもディレハが上なので、フォルダは苦戦を強いられる。
少女は固唾を飲んで、フォルダの闘いを見守った。
ディレハの攻撃を掻い潜り、フォルダは鋭い一撃で、彼女の顎を叩く。
体の大きなディレハが、白目を剥いて、浮ら付いた。
ここで追撃すれば勝てる。
そう誰もが思い、フォルダも止めの一撃を狙って仕掛けた。
所が、ディレハは一瞬で正気に返ると、踏み止まってフォルダに反撃する。
ディレハの拳がフォルダの側頭部を正確に捉える。

 「あっ!!」

少女は思わず悲鳴に似た声を上げた。
フォルダはガードが間に合わず、辛うじて踏み止まるも、足は蹣跚めいて、目の焦点が合っていない。
そこへディレハの追撃が飛んで来る。
顔面へのストレート。
フォルダは今度こそ防御した物の、踏ん張りが利かずに、吹き飛ばされる様に後ろへ倒れる。
勝負あり。
審判が試合を止めに入り、終戦の鐘が消魂しく3度鳴る。

399 :創る名無しに見る名無し:2015/08/25(火) 20:01:57.99 ID:kaEnbzFj.net
試合後、少女は更衣室へフォルダの見舞いに行った。
フォルダは椅子に座って片頬を押さえた状態で、力の無い微笑を少女に向ける。

 「情け無い所を見せちゃったかな……?
  勝てると思って、油断したよ」

ディレハに殴られた顔の側面が、痛々しく赤く腫れている。
心配そうな顔の少女を見て、フォルダは明るく振る舞った。

 「大丈夫、大丈夫。
  回復魔法で元に戻るからさ。
  しっかし、久し振りに真面に良いのを貰っちまった……」

一呼吸置いて、フォルダは少女の顔を覗き込む。

 「何と無くだけど、キミ、雰囲気が変わったね。
  少し元気になった?」

少女は頷いた。

 「そりゃ良かった。
  来週も来てくれる?
  今度は勝つ所を見せるよ」

強気に言うフォルダに、少女は問い掛ける。

 「でも、どうやって……?
  あの人、強そう……」

 「確かに、ディレハは強い。
  体の造りが違うからね。
  羨まし過ぎて憎い位、ディレハは恵まれてる。
  だけど――だからって、勝てない訳じゃない。
  今日だって、油断しなければ行けたと思う。
  地力で劣るから、早く止めを刺そうと、焦ったのが悪かったんだ。
  負けたら負けたで、課題や反省点を見付けて、次に活かす。
  勝てないって諦めたら、負け犬だよ」

拳を握って、再起を誓うフォルダに、少女は勇気を貰った気がした。

400 :創る名無しに見る名無し:2015/08/26(水) 19:09:45.80 ID:4oosqXva.net
少女は膠原病と、徐々に良い勝負をする様になった。
彼女の体は鍛えられて引き締まり、その目には眼力が具わる。
だが、不思議な事に、膠原病は貧弱な頃の少女の姿から変わらなかった。
心身の成長に伴い、何時しか少女は膠原病を見下ろす様になっていた。
それでも未だ勝利は掴めない……が、そう遠くない内に「勝てる」と彼女は確信していた。
少女の心は既に、絶望に打ち克っている。
希望を得た人は強い。
今の彼女には膠原病の痛みも、闘志を増す材料にしかならない。

401 :創る名無しに見る名無し:2015/08/26(水) 19:11:23.85 ID:4oosqXva.net
翌週、少女はフォルダとの約束通り、母親とブーシュ地区に出掛ける。
閃火のフォルダは、剛拳のディレハと再戦の予定だった。
グラマー地方では拳闘は人気が無い為に、選手も少なく、同じ相手と何度も戦わざるを得ない。
手酷く負けた相手と、即座に対戦が組まれるのは、良い事なのか、悪い事なのか……。
そして、大方の予想通り、試合はディレハが優勢に進めていた。
フォルダの渾名、「閃火」の由来は、強烈なカウンターの一撃にある。
正面からのラッシュの応酬には付き合わず、牽制しながら待ちに徹して、隙を窺う。
攻め方も下手ではなく、カウンター狙いだと高を括っていると、雷電の如き一撃を放って来る。
だが、ディレハは手強い。
一撃の重さではフォルダより上、更にリーチと体力があり、多少のダメージは無視して来る。
フォルダの利点は、敏捷さとカウンターを狙う技術だが、リーチで負けている為に、相殺される。
それにディレハは大柄だが、反応が鈍い訳ではない。
牽制の打ち合いから、先に仕掛けたのはフォルダ。
素早く懐に飛び込んで、ディレハの胴にボディ・ブローを捻じ込む。
しかし、浅い。
打点を外され、筋肉の壁に阻まれる。
直後に飛んで来るディレハのカウンターを紙一重で避け、フォルダは彼女の顎を狙って、
カウンターのカウンターを仕掛ける。
息も吐かせぬ攻防。
幸運にもフォルダの拳は、ディレハの顎先を掠めた。
ディレハの大きな体が揺らぐ。
――追撃を加える、絶好の機会。

402 :創る名無しに見る名無し:2015/08/26(水) 19:17:16.38 ID:4oosqXva.net
しかし、フォルダは踏み込めなかった。
もしかしたら、倒せたかも知れない。
だが、前回の試合で食らった一撃が、頭に残っていたのだ。
迂闊に飛び込めば、又も痛打を食らうのでは?
――そう考えてしまい、反応が遅れて、見す見す好機を逸してしまう。

 (あぁっ、何やってんだ!)

フォルダは自分で自分に苛立った。
数極にも満たない短い時間の喪失が、重く圧し掛かる。
ディレハは既に防御を固めてしまっている。
今更追撃しても、簡単に押し返される。
自ら勝機を潰したフォルダに対し、ディレハは強気に押して掛かる。
カウンターを狙う隙は、幾らでもあるのに、フォルダは精神的に追い込まれて、手が出せない。
丸でディレハがカウンターを誘っている様に見えるのだ。
先週の敗北は、フォルダの想像以上に、彼女自身の心に深い傷痕を残していた。
手を出さずに防御に徹していると、判定負けになるので、フォルダは反撃せざるを得ないが、
踏み込めないので、どうしても防御の上からの浅い打ち合いになってしまう。
これでは体力で勝るディレハが、圧倒的に有利。

403 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:27:48.81 ID:YVRsZZcM.net
徐々に体力を削られ、フォルダは疲弊して行った。
反撃の手数も減り、それに比してディレハの攻勢が苛烈になる。
ディレハの攻撃は段々隙の大きい大振りになって行く。
舐められていると感じたフォルダは、反攻の切っ掛けを掴もうと、カウンターを狙った。
しかし、それはディレハに完璧に読まれていた。
ディレハは拳を振り被ると見せ掛けて、軽打を1つ挟み、フォルダのカウンターを外させる。
渾身の攻撃が空振りになって、フォルダは軽打如きに怯んでしまう。
衝撃と共に、意識が一瞬飛んで、体が硬直する。
次にディレハが繰り出すのは、止めの一撃。
ガードが間に合わない。
フォルダが敗北を覚悟した、その時だった。

 「フォルダ、前へ!!」

観戦していた少女は、堪らず高い声を上げた。
それがフォルダの耳に届き、彼女の体を僅かに動かす。
ディレハの顔面狙いのストレートが、少し逸れてフォルダの額に当たる。
フォルダは大きく仰け反った。

404 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:29:23.22 ID:YVRsZZcM.net
状況は依然、窮地に変わり無い。
顔を守ろうとすれば胴が空き、胴を守ろうとすれば顔が空くと言う、最悪の状況。
ディレハの攻撃を見て判断してからでは遅い。

 (負けられない……!
  あの子が見てくれてるんだ!)

だが、フォルダは諦めなかった。
少女の姿を思い浮かべ、彼女は気合を入れ直した。
ここに至っては、賭けに出るしか、逆転の目は無い。
フォルダは左右の拳で、ディレハの左右の拳を、それぞれ弾いた。
それは完全に幸運の成し得た業だった。
フォルダは体勢を整えると、詰んだ間合いを保って、漸く真面な反攻に出る。

 (情け無い試合は出来ない!)

彼女は体力の配分を考えず、これを防ぎ切られたら負ける積もりで、猛攻を仕掛けた。
一撃一撃が槍の様に、ディレハの体に刺さる。
しかし、何れも浅く、止めには遠い。
ガードを抉じ開けようにも、腕力が足りない。

405 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:31:10.83 ID:YVRsZZcM.net
それでもフォルダは攻め手を緩めようとはしなかった。

 (打って来い、ディレハ!)

防御を固めてばかりで反撃しなければ、判定負けになる。
ディレハが耐え兼ねて攻勢に転じる、その隙を狙っているのだ。
僅かでもガードが開けば、そこに拳を叩き込む。
チャンスは一度限り。
体力に余裕は無く、失敗は許されない。
フォルダの集中力は、極限まで高まっていた。
一方、ディレハとて愚かではない。
フォルダが何を狙っているか位、見切っている。
彼女の判断は――「相打ち」狙い。
お互いに強打を放てば、体力に余裕のあるディレハに分があるのは言うまでも無い。
上手く急所さえ避ければ、クロス・カウンターになって仕留められる。
ディレハの左ストレートと、フォルダの右フックが交錯し、互いの顔を目掛けて行く。
先に命中したのは、フォルダのストレート。
ディレハの右目の下に当たり、彼女の頬骨を砕く。
僅かに遅れて、ディレハのフックもフォルダの左側頭部を捉え、彼女の鼓膜を破る。
互いに蹣跚めき、先を制したのは、又もフォルダ。
平衡感覚を狂わされ、傾きながらも、ディレハに迫る。

406 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:33:52.33 ID:YVRsZZcM.net
>>405
>ディレハの左ストレートと、フォルダの右フックが交錯し、互いの顔を目掛けて行く。
この一行を間違えました。
>フォルダの左ストレートと、ディレハの右フックが交錯し、互いの顔を目掛けて行く。
こちらが正しいです。

407 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:35:17.51 ID:YVRsZZcM.net
狙うは止めの一撃。
ここで外したり、防御されたりすれば、フォルダの負けである。
仕切り直す余裕は無い。
ディレハは頬骨を欠けさせられたが、戦闘続行に不利なのは、感覚を狂わされたフォルダの方。
耳鳴りが酷く、視界は振れ、足が宙に浮いた様で、左に傾く体を必死に右へ立て直す。
無謀な賭けだが、幾ら不利でも、こうしなければ勝てないのだ。
フォルダは低い姿勢からの右アッパーカットで、ディレハの顎を狙う。
ディレハは捨て身のフォルダに虚を突かれるも、右手で顎を庇い、左手を振り下ろして、
フォルダを迎撃する。
だが、フォルダの拳は目測を誤り、ディレハの鳩尾を下から抉った。
ディレハは足が一瞬宙に浮いて、呼吸が止まる。
同時に彼女の左手は、フォルダの頭を上から叩く。

 (もう一撃!!
  これが本当の最後!!)

フォルダは倒れる前に、雄叫びを上げながら、左腕を大きく回し、拳をディレハの顔に叩き付けた。
最後の力を振り絞った、ハンマー・フィスト。
両者、殆ど同時に倒れる。
フォルダは俯伏せ、ディレハは仰向け。
先に立ち上がったのは、ディレハ。
フォルダは全身が痙攣して動けない。
――――勝負あった。
決着を告げる鐘が、3度鳴る。
フォルダの勝利である。

408 :創る名無しに見る名無し:2015/08/28(金) 19:37:27.86 ID:VSCW71Iy.net
唯一大陸の拳闘では、「倒れたら負け」。
足が滑ったのではなく、打たれて倒れたと判定されたら、その時点で負けになる。
フォルダとディレハが倒れたのは殆ど同時だったが、前方に向かって倒れ込んだ分、
フォルダが攻勢だったと、審判は判断した。
左頬を赤く腫らしたディレハは、完敗だったと、深い溜め息を吐く。
判定に不満は無かった。
ディレハはフォルダに肩を貸し、勝者を称える為に、彼女の右手を高く掲げさせる。
フォルダは疲れ切った様子ながらも、堂々たる勝者の証として、懸命に笑顔を作った。
拳闘士の美しき友情に、疎らではあるが、温かい拍手が送られる。
……観客が少ないのだから、仕方が無い。
足取りの怪しいフォルダを、ディレハは支えながらリングを去る。
その後を追う様に、少女は更衣室へ急いだ。

409 :創る名無しに見る名無し:2015/08/28(金) 19:39:11.67 ID:VSCW71Iy.net
ディレハとフォルダはトレーナーに、共通魔法による応急手当てを受けていた。
トレーナーは難しい顔で、先ずディレハに言う。

 「ディレハ、頬の骨が折れている。
  私の魔法では骨折までは治せない。
  直ぐ病院に行って、医療魔導師に頼みなさい」

 「へーへー」

ディレハは「はいはい」と返事をしたかったのだが、頬が腫れているので、口を大きく開けず、
怠そうな声になった。
時間が経って、更に大きく腫れた顔は、酷く醜かったが、彼女は余り気にしていない。
拳闘をしていれば、顔に怪我を負う事は避けられないのだ。
次に、トレーナーはフォルダの頭に両手を添える。

 「……鼓膜が破れているな。
  それは直ぐ治せるが、脳震盪の後遺症が怖い。
  ディレハと一緒に病院に行って、精密検査を受けろ」

 「はい……」

その後、トレーナーは少女に気付いた。

 「何だ?
  ここは関係者以外立入禁止だぞ」

咎められて身を竦める少女を、フォルダが庇う。

 「いえ、彼女は私の……」

トレーナーは訝し気な目付きで、少女とフォルダを見比べたが、深く追究しなかった。

 「それなら良い。
  2人共、早く病院に行けよ」

そう言い付けると、トレーナーは退室する。

410 :創る名無しに見る名無し:2015/08/28(金) 19:44:37.64 ID:VSCW71Iy.net
少女は怖ず怖ずと、フォルダに歩み寄って、話し掛けた。

 「……大丈夫ですか?」

 「ああ、こう見えてアタシは頑丈なんだ。
  この位、どうって事無い。
  それより、勝ったよ、約束通り」

 「はい、見ていました。
  凄かったです」

 「キミは一層逞しくなったね。
  見違える様だ」

少女とフォルダは頷き合う。
それを横で見ていたディレハは、腫れた顔に手を当て、回復魔法を維持しつつ、苦笑した。

 「成る程、それで張り切ってた訳だ」

照れ臭そうに含羞んで俯くフォルダの肩に、彼女は大きな手を置いた。

 「ははは、若いファンは大事にしないとね。
  でも、無理し過ぎると、選手生命が縮むよ。
  命懸けの闘いも良いけど、年中そんなんだと、命が幾つあっても足りない」

苦言を呈するディレハに、フォルダは抗弁する。

 「……アタシにとっては、今日の試合は大事だったんだ」

 「ああ、解るよ。
  先週私に負けた事を、引き摺る訳には行かなかった。
  そうだろう?
  戦い振りを見れば、その位は察せる。
  リングでは隠し事は出来ない。
  本音や本性は行動にこそ表れる」

少女はディレハの言う事をよく理解出来た。
口先では誰でも何とでも言える。
重要なのは行動だ。
彼女はディレハとフォルダが同じ拳闘士として、相通ずる物がある事を、どこか羨ましく思っていた。

411 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:36:30.32 ID:DGlpddiU.net
フォルダの勇姿を見届けた少女は、次の治療日を最後にする覚悟を決めた。
そして迎えた当日、ヴァイデャの手によって、膠原病が少女から分離する。
……やはり、その姿は治療を始めた頃から変わっていない。
少女は膠原病の攻撃を捌き、動きを確かめる様に、一発ずつ軽打を加える。
最早、力任せに攻撃して来る膠原病に、嘗て程の脅威は感じない。
奇妙な事に少女は膠原病に、愛しさを感じるまでになっていた。
それは弱かった自分と、全く同じ容姿だからと言う事もあるだろう。

 (リングでは隠し事は出来ない……)

少女は膠原病が、嘗ての自分と同じに見えて仕方が無かった。
怯えた様な顔、愚かな前進、無闇な攻撃。
嘗ての自分を見る事に、少女は苛立たしさを感じない訳ではなかったが、これが最後だと思うと、
別れが惜しくもなった。
それは「病弱で可憐な乙女だった自分」に対する未練なのかも知れない。
だが、手を緩めはしない。
膠原病を倒して、新しい道を拓くのだと言う強い意志が、今の彼女にはある。

412 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:38:15.57 ID:DGlpddiU.net
少女は徐々に当てる拳を重くして行く。
膠原病は今までとは逆に、殆ど為す術無く打たれ、凹々にされる。
少女自身、こんなに弱い相手だったのかと、驚いていた。
自分が成長したのか、それとも膠原病が弱体化したのか……。
恐らくは、その両方であろう。
無尽蔵だった膠原病の体力が尽きつつあるのを、少女は感じていた。
打撃を食らった際の、立ち直りが鈍くなっている。
止めが刺せると、彼女は確信した。

 (これで終わらせる!!)

万感の想いを込めて、少女は拳を振るう。
自分の病気を治す為に、方々駆け回り、手を尽くしてくれた母。
その愛の偉大さに、敬服せずには居られない。
外道魔法や拳闘に関わる事を、何も言わずに見過ごしてくれた父。
それを認める事が、グラマー地方民として、どれだけ難しい事か……。
こうして膠原病と闘わせてくれたヴァイデャ。
彼の存在が無ければ、今も病に苦しめられていただろう。
そして、フォルダを始めとした、勇猛果敢な女拳闘士達。
彼女達には闘う勇気を貰った。
闘病生活で出会った人々、その中で起こった出来事……。
全ては、この時、この瞬間の為に。
闘病生活に別れを告げ、明日からは新しい人生を歩み出すのだ。
少女は力一杯、拳を振り抜いて、膠原病に止めを刺す。

413 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:42:46.76 ID:DGlpddiU.net
膠原病は顔面にストレートを食らい、拳闘陣の外に吹っ飛ばされた。
地面に転がった膠原病は、砂細工の様に砕けて散らばり、やがて掻き消える。
少女は遂に膠原病を克服した。
ヴァイデャは少女に告げる。

 「お目出度う。
  君は膠原病に打ち克った。
  もう病に苦しむ事は無い」

彼女は用心深く、暫く構えを解かなかったが、彼の言葉を少しずつ時間を掛けて理解すると、
緩やかに拳を下ろして、息を吐く。
歓喜の声を上げる事もしなかった少女だが、彼女の代わりに母親が泣き崩れた。
それを見て、初め少女は呆気に取られていたが、体裁も構わない母親の号泣を聞いている内に、
自然と涙が込み上げた。
「嬉しい」とは違う、言い様の無い複雑な思いが溢れて来る。
少女は母親を抱き締めて、共に泣いた。

 「有り難う、お母さん。
  本当に有り難う……」

尽きない感謝の思いが、言葉となって口を衝く。

414 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:43:50.11 ID:DGlpddiU.net
数針して、落ち着いた2人はヴァイデャに繰り返し礼を言ったが、彼の反応は冷淡だった。

 「既に十分な治療費を受け取っている。
  それ以上に望む事は無い。
  私の事は他言するな」

そう告げると、不機嫌な様子で背を向ける。
それでも母娘は最後に改めて謝辞を述べ、ヴァイデャの元を去った。
少女は拳闘士を目指す事にした。
母親は勿論反対しなかったが、父親は良い顔をしなかった。
しかし、強く止める事もしなかった。
グラマー地方の拳闘は、男女共に今も続いている。

415 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:45:27.20 ID:DGlpddiU.net
『拳闘<ボクシング>』


ファイセアルスの拳闘の起源は旧暦の奴隷格闘にあると言う。
数少ない旧暦の史料には、魔封陣の上で闘わされる、人間や悪魔の姿がある。
現代の拳闘陣も、魔力封じの魔法陣の上に置かれるのが普通で、故に魔法は「使えない」。
思想的には、魔法で優美さを競うフラワリングの対極に位置する。
男性拳闘士はボクサー、女性拳闘士はボクサリン。
拳闘は男子拳闘も含めて、一種の『地下<アンダーグラウンド>』っぽさがあり、そこが人気でもある。
女子拳闘の人気は大陸全体で見ても高いとは言えないが、それなりに観客は存在する。
グラマー地方で拳闘が盛り上がらないのは、独特の風土に加えて、賭博を完全に禁じ、
男性の観客を締め出している為である。
拳闘の試合は、軽易な服装でなければ不利になるのだが、グラマー地方の風習では、
女性は濫りに異性に肌を晒してはならない。
よって、グラマー地方の女子拳闘は競技者、運営、指導者、観客、全てが女性。
逆も然りで、男子拳闘も男性のみである。

416 :創る名無しに見る名無し:2015/08/30(日) 18:36:21.31 ID:9Rdylh3e.net
バックパックン


第一魔法都市グラマー タラバーラ地区 ヴァイデャ・マハナ・グルートの診療所にて


その日、旅商の男ラビゾーは大量の空瓶と成形剤を持って、ヴァイデャの診療所を訪ねた。
バックパックには収まり切らず、旅服のポケットまで一杯に膨らませて、彼は診療所に入る。
空瓶と成形剤は全て、ヴァイデャに購入を依頼された物であり、詰まる所、「お使い」だ。
大荷物のラビゾーを見て、ヴァイデャは彼に言った。

 「御苦労。
  しかし、不細工な格好だな」

 「何て言い種ですか!
  僕は貴方に頼まれた物を買って来たんですよ」

ラビゾーが顔を顰めて抗議すると、ヴァイデャは思案する。

 「フーム?
  ラヴィゾール、鞄が小さい様だな」

 「荷物が多かっただけで、鞄は小さくないです」

丸で見当違いだと、ラビゾーは余り相手にせず、手近な机に空瓶と成形剤を取り出して並べた。
ヴァイデャは机一杯に置かれた、それ等を見渡して言う。

 「この位で一杯になる様では、この先も荷物の持ち運びに煩わされるだろう。
  君は旅商なのだから」

ラビゾーが持っているバックパックは『半槽容<ハーフタンク>』。
旅をするには大き過ぎる位だが、商品を運ぶには物足りないかも知れない。

417 :創る名無しに見る名無し:2015/08/30(日) 18:39:11.78 ID:9Rdylh3e.net
もっと大きい鞄を使えと、ヴァイデャは言いたいのだろうかと、ラビゾーは両腕を組む。

 「しかし、これでも十分大きい方ですよ。
  市販のバックパックでは最大級です。
  それに大き過ぎても、逆に不便です。
  欲張って詰め込むと、馬車に乗る時、閊えたりしますからね。
  僕の体格と体力では、重過ぎる物は運べませんし。
  後、今の所はバックパックを買い換える予定もありません」

 「君は何を言っている?」

 「バックパックを大きい物に替えろって話でしょう?」

ラビゾーとヴァイデャは互いに顔を見合わせて、疑問符を浮かばせた。
一拍置いて、ヴァイデャはラビゾーの考えを否定する。

 「否(いや)、買い換える必要は無い。
  君の鞄を貸してくれ」

 「……何をするんですか?」

 「私の魔法で、容量を大きくする」

 「そんな事が?」

 「出来るとも」

ラビゾーにとって、ヴァイデャは訳の解らない魔法を使う、旧い魔法使い。
事象の魔法使いである、彼の象魔法の理屈等、知る由も無い。
ラビゾーは半信半疑で、ヴァイデャにバックパックを渡す。
只で鞄の容量を増やせるなら、それに越した事は無かった。

418 :創る名無しに見る名無し:2015/08/30(日) 18:42:01.35 ID:9Rdylh3e.net
ヴァイデャはバックパックの中を検めて、ラビゾーに言った。

 「先ず、余計な物を出してくれ」

 「はい」

彼の指示通り、ラビゾーは着替えや非常食、商品を取り出して、バックパックを空にする。
それを確認したヴァイデャは、ラビゾーに尋ねた。

 「どんな動物が好き?」

 「へ?
  ……犬、ですかね……」

 「犬派か……。
  成る程、成る程」

そう言いながら、ヴァイデャは薬品棚から、約1袋容の瓶詰めの怪しい液体を持ち出した。
彼は瓶の蓋を開けると、逆様にしてラビゾーのバックパックの中へ打ち撒ける。

 「うわぁー!!
  何やってんですか?!」

ラビゾーのバックパックは、噴火した火山の様に、口から白い煙を吐いた。

 「ヴァイデャさん、何を入れたんです!?
  酸!?」

煙が室内に充満して行く。
それを吸い込むまいと、ラビゾーは口元を覆った。
ヴァイデャは淡々と答える。

 「魂だ」

 「魂!?」

ラビゾーは驚愕するばかり。
旧い魔法使いと言う物は、何から何まで常人の理解を超えている。

419 :創る名無しに見る名無し:2015/08/31(月) 19:55:17.87 ID:P7R0q6EL.net
やがて、バックパックは白煙を噴かなくなる。
ラビゾーは濛々と立ち込める煙を払いながら、ヴァイデャに問い掛けた。

 「一体、何の魂を入れたんです?」

 「『水差鳥<アルカトルズ>』だ」

 「鳥?
  犬は?」

 「持ち合わせが無かった」

詰まりは、好みが持ち合わせの中にあれば、採用したと言う事なのだろうが、
それなら一言欲しい物だと、ラビゾーは呆れる。

 「今、僕の鞄には鳥の魂が宿っていると?」

 「中々理解が早いな」

 「――で、鞄の容量は増えたんですか?」

 「試してみよう」

バックパックに水差鳥の魂が宿った所で、どうなると言うのか?
ラビゾーには何も解らないので、状況に流される儘。

420 :創る名無しに見る名無し:2015/08/31(月) 20:04:27.65 ID:P7R0q6EL.net
ヴァイデャがバックパックを掴み上げると、その中から声がした。

 「一寸、気安く触らんといて!
  ワテクシの主人は一人!
  誰にでも体を許す様な、易い道具と違(ちゃ)いまっせ!」

甲高い声に、ラビゾーは肝を抜かれて、目を丸くする。
差し込み式の蓋を口の様に忙しく開閉させて、バックパックが喋っている。

 「こらこら御主人!
  呆っと突っ立っとらんと、早う助けとくんなはれ!」

 「御主人……って?」

それは自分の事かと、ラビゾーは目を瞬かせる。

 「惚けはったん?
  自分の持ち物も、よう判らへんの?
  あー、『御主人』呼びがあかんかったかな?
  旦那ぁ〜、親方ぁ〜……何でも良えから、早う助けんかい!」

こいつは何なのかと、ラビゾーはヴァイデャに困惑した視線を向けた。
所が、ヴァイデャは何事も無かったかの様に、バックパックに空瓶を詰め始める。

 「おっ、こら、何して……」

バックパックは抗議するも、ヴァイデャは聞く耳を持たない。
空瓶を全部詰め終えた彼は、今度は成形剤を詰め始めた。

421 :創る名無しに見る名無し:2015/08/31(月) 20:06:45.48 ID:P7R0q6EL.net
空瓶と成形剤で、バックパックは一杯になる。

 「何……?
  何なん、この男?
  怖っ、話が通じひん……。
  御主人、何とか言うたってや……」

 (お前が何なんだよ……)

バックパックはヴァイデャに恐れを成して、不安気な声で改めてラビゾーに助けを請うたが、
当の彼は物を言う道具の方が怖かった。
ラビゾーが傍観していると、ヴァイデャはバックパックを机の上に置き、隣の部屋へ行った。
取り残されたラビゾーは、バックパックと2人(?)切りになって、気不味くなる。

 「あのー、御主人?
  何で一言も口利いてくれへんの?」

バックパックに問われたラビゾーは、真面目に問い返した。

 「……お前は何なんだ?」

 「何って……、ワテクシは貴方様の持ち物ですがな。
  どないしはりましたん?
  もう何年も付き合うとるのに、妙に余所余所しいやないですか?」

 「バックパックは喋らないし……」

 「わぁー、御主人、そら差別発言でっせ!
  物が口利いたらあかんっちゅうんですか?
  使い魔とか言うて、ワン公もニャン子も喋る、この御時世でっせ?
  そらぁ道具かて喋繰りますわな。
  それとも何ですか、物と話す口は持たんと?
  あーあ、御主人、そらぁ狭量や、器が小さい!
  情け無い主人を持って、ワテクシは恥ずかしゅう御座います」

饒舌なバックパックに、ラビゾーは閉口する。
ヴァイデャは何を思って道具に魂を入れたのかと、彼は悩ましく思った。

422 :創る名無しに見る名無し:2015/09/01(火) 19:59:19.04 ID:FG2Yh+h/.net
そもそも一体どの辺りが水差鳥なのだろうかと、ラビゾーはバックパックを凝視する。
彼に懐疑の眼差しを向けられて、バックパックは戸惑った。

 「……御主人、その眼は何ですのん?」

 「お前、鳥なのか?」

 「何、言うてはりまんの?
  どこをどう見て、このワテクシが鳥やと?
  わっさぁー羽が生えて、バサバサ飛びよるっちゅうんですか?
  冗談屹(キツ)いわぁ、ハハハ」

内心「そうだよな」と頷き掛けたラビゾーだったが、バックパックは何時の間にか、
立派な白い羽を広げていた。
ラビゾーは絶句し、遅れてバックパックも気付く。

 「ん、どないし……はわぁあーっ!?
  何や、これェ?!
  有り得へん、冗談から駒や……。
  知らんかって……ワテクシ、鳥やった……?」

ラビゾーとバックパックが馬鹿な遣り取りをしていると、ヴァイデャが半袋容程の小包を大量に抱えて、
戻って来た。

423 :創る名無しに見る名無し:2015/09/01(火) 20:08:57.94 ID:FG2Yh+h/.net
バックパックはラビゾーとの話を止め、焦りを露にヴァイデャに尋ねる。

 「んん!?
  待って、待って!
  その仰山持っとる奴、どないすんの?
  超絶嫌な予感すんねんけど!」

ヴァイデャは全く無視して、包を詰め始めた。

 「あかん、あかーん!!
  予想通りやん、無理やって!
  お前、全部入れる気やろ!?
  見ら判るやろ、常識で考えよ?
  何ぼやっても、容積以上は入らへんよ!?
  何が面白うて、こないな事すんのや!
  虐めやで、虐め!
  道具虐待反対!!」

バックパックは懸命に羽撃いて、羽を散らしながら抵抗するも、ヴァイデャは顔色一つ変えない。
バックパックの口一杯まで袋を詰めても、未だ詰め込もうとする。

 「無理やん、無理やん!!
  裂けるー、壊れるー!
  出来ひん、出来ひんて……、えぇい、入らへん言うとるやろが!!
  大人しゅうしとらぁ付け上がりよって!!」

散々喚き立てた果てに、遂にバックパックは我慢の限界を迎えて、怒号を上げた。
ヴァイデャは漸く一旦手を止めて、小さく溜め息を吐く。

 「物が入らない鞄は、最早鞄として用を成さない。
  自らの存在意義を捨てるか?」

 「えっ……」

強い口調でのヴァイデャの詰問に、バックパックは衝撃を受けた。

424 :創る名無しに見る名無し:2015/09/01(火) 20:15:22.00 ID:FG2Yh+h/.net
数極の沈黙の後、バックパックは大いに慌てる。

 「ひゃーぁ、豪いこっちゃ!?
  あわわわわ、アイデンティティーの崩壊や!
  御主人、ワテクシ、鞄やのうなってまうかも知れへん!
  ど、どないしたら良えんやろ……?」

 (知るかよ……)

意味が解らないので、ラビゾーは答え様も無い。
しかし、バックパックは半狂乱で、主人である彼に泣き縋った。

 「ワテクシ、鞄やのうなってもうたら……鞄やのうなってもうたら……只の鳥ですやん!」

 (鳥?)

 「嗚呼、御主人、ワテクシが鳥でも、見捨てんと旅に連れてって貰えます?
  良え子にしとりますよってに……」

ラビゾーは首を捻り、羽の生えたバックパックと共に旅する所を想像して、低く唸った。

 「……『無し』だなぁ……」

 「んな殺生なぁーー!
  ……えぇーい、こうなりゃ自棄や!
  鞄の意地を見せたるわい!
  おらっ、疾っ疾と詰める物、詰めろやー!!」

追い込まれたバックパックは、蓋を大きく開けると、ヴァイデャを挑発する。

425 :創る名無しに見る名無し:2015/09/02(水) 19:43:55.51 ID:kB+wbYyR.net
小包の詰め込みを再開しようとするヴァイデャに、ラビゾーは声を掛けた。

 「ヴァイデャさん!
  余り無理をさせないで下さい。
  壊れたら困るんで……」

よくよく考えなくとも、バックパックは元々ラビゾーの旅には欠かせない物であり、
壊れて良い事は何一つ無い。
彼は喋るバックパックを鬱陶しいと思っているが、それとは別問題である。
だが、バックパックは大袈裟に解釈して、感極まった声を出す。

 「ご、御主人、ワテクシの事、心配して……。
  ムムム、ここで忠義を見せな道具の恥!
  御主人、ワテクシの勇姿、よぉーく目に焼き付けなはれ!」

 「いや、無理するなよ?」

張り切るバックパックをラビゾーは諌めるが、聞こえている様子は無い。
話が終わったと見るや、ヴァイデャは改めてバックパックに小包を詰めた。
バックパックは小包が入る度に、一々反応する。

 「よっ、未だ未だ!」

 「未ぁだ入りまっせ!」

 「余裕、余裕!」

 「腹八分目って所でんな!」

 「次々詰めんかい!」

初めの内は威勢良かったが……、

426 :創る名無しに見る名無し:2015/09/02(水) 19:46:57.48 ID:kB+wbYyR.net
 「ま、未だや……」

 「……次、早う」

徐々に無口になって行くバックパック。
遂に何も言わなくなって、ヴァイデャに詰められるが儘になった。
それでも不思議な事に、容積以上の小包がバックパックの中へ消えて行く。
全部で数十個はあっただろう小包も、残り1個と言う所で、バックパックは声を絞り出した。

 「……それで、全部やな……?」

ヴァイデャは何も答えず、最後の1個を詰めた。
少し間を置いて、バックパックは勝ち誇った様に笑う。

 「……フッ……、フハハハハハ!
  ど、どやっ!?
  どや、どや、入ったで!!
  ワテクシ、見事に遣り遂げました!」

ヴァイデャはバックパックを無視して、至って冷静にラビゾーに言った。

 「容量は大きくなっている様だな」

 「どうなってるんです?」

バックパックの構造が全く理解不能だと、ラビゾーは当然の疑問を呈す。

427 :創る名無しに見る名無し:2015/09/02(水) 19:49:42.08 ID:kB+wbYyR.net
ヴァイデャに先んじて、バックパックが答える。

 「野暮な事、訊きはりますなァ!
  んな物、ワテクシの気合と根性に決まっとりますがな!
  御主人の鞄で在り続けたいっちゅう、忠義の心が奇跡を起こしたんや!
  褒めとくんなはれ!」

ラビゾーはバックパックを暫く見詰めると、ヴァイデャに頼む。

 「ヴァイデャさん、取り敢えず、これ、黙らせてくれませんか?」

 「一寸、御主人!!
  そら無いでっしゃろ!
  あんまりやー!」

折角、忠誠心を見せてくれた所で、この仕打ちは可哀想だと、ラビゾーとて思う物の、
喋繰り倒すバックパックは嫌だった。
ヴァイデャは即答する。

 「分かった、黙らせよう」

 「ノォーーッ!
  何なん、2人して!
  ワテクシを何や思うとんの!?」

 「物が喋る必要は無いと言う事だ」

抗議するバックパックを、ヴァイデャは冷淡に切り捨てた。

428 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:39:13.08 ID:Qay7QLkZ.net
バックパックは完全に拗ねてしまう。

 「あー、はいはい、所詮ワテクシは道具と、道具に過ぎんと、そう仰る?
  道具は道具らしゅう黙っとります、はい」

ヴァイデャが手を下すまでも無く、バックパックは羽を畳んで沈黙する。
ラビゾーは少し気の毒に思い、ヴァイデャに尋ねた。

 「そもそも、バックパックを喋らせたのはヴァイデャさんでしょう?」

 「一人旅を賑やかにしてやろうと思っていたのだが」

涼しい顔で言い放つヴァイデャ。
有り難迷惑だと、ラビゾーは顔を顰める。

 「喋る道具は使い辛いですよ……。
  後、水差鳥の魂を入れたんですよね?
  どうして、それで喋れる様になるんですか?
  容量が増えるのも意味不明です」

一度に質問されても、ヴァイデャは淡々と答えた。

 「魂と言っても、生前の意識や記憶がある訳ではない。
  真っ新な魂は、空の器に等しい。
  そこに鞄の意識を入れたのだ。
  鞄は君と長年旅をした記憶を持っている。
  口が利けるのは、その為だな。
  妙に君に懐いていたが、慕われていると言う事は、扱いが良かったのだろう」

ラビゾーは物を大事に使う方だが、特別に丁寧に扱っていた訳ではなかったので、返事に困った。

429 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:43:40.54 ID:Qay7QLkZ.net
鞄の意識と言う物も、彼には解らない。
ヴァイデャはバックパックの中身を取り出しつつ、説明を続ける。

 「容量が大きくなったのは、柔軟性や伸縮性と言った、生体の性質を得た為だな。
  丁度、肺や胃が膨らむ様な物だ。
  ……多分」

 「多分?」

 「とにかく、大事に使ってやれ」

強引に話を切ったヴァイデャは、小包と成形剤と空瓶を全て出し終えると、それ等を片付け始めた。
バックパックは何も言わなくなっている。
ラビゾーはバックパックに近寄り、自分の荷物を詰めてみた。
……やはり、反応は無い。
戸惑う彼に、ヴァイデャは声を掛ける。

 「どうした?」

 「いえ、喋らなくなったなと……」

 「喋らない方が良いと言ったのは君だ」

 「それは……、そうですけど……」

ラビゾーはバックパックを背負ってみたが、特に違和感は無い。
何時もと変わらぬ、普通のバックパックだ。
ラビゾーは腑に落ちない様子で、何度も首を傾げるのだった。

430 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:44:55.61 ID:Qay7QLkZ.net
「魂が入ったのだから、序でに名前を付けてやれ」

「名前?」

「『鞄』は一般名詞だ。飼い犬を『犬』と呼ぶ飼い主は居ないだろう」

「鞄に名前……」

「悩む事は無い。どんな名前でも、愛着を持っていれば文句はあるまいよ」

「……名前ですか……」

「長考する事か? 人名と同じだ。願望や希望を込めて、名付ければ良い。鞄なのだから、
 例えば『沢山<メニー>』とか、『無限<インフィニティ>』とか、『長持ち<ラスティング>』とか」

「…………パックンは、どうでしょう?」

「私に尋ねて、どうする? 君が決めたのなら、私が口を挟む事ではない」

「バックパックなので……」

「良いんじゃないか?」

「……でも、呼ぶ機会は無いと思いますよ?」

「構わん。名付ける事が重要なのだ」

431 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:55:53.46 ID:Qay7QLkZ.net
『象魔法<エルフィール>』


象魔法とは旧い魔法の一で、使い手は事象の魔法使いヴァイデャ・マハナ・グルート。
容無き物に容を与え、命無き物に命を与え、逆に物の容や命を奪う事も出来る、
極めて概念的な魔法。
この魔法は物の性質を抜き出したり、加えたり、移したりするが、元から無い物は与えられない。
例えば、醜い物から醜さを取り除く事は出来ても、美しくするには、他から足す必要がある。
苦さを抜いても、甘くはならない。
熱さを抜いても、冷たくはならない。
痛みを除いても、快感は得られない。
恐怖を除いても、勇気は得られない。
一方で、弾性や剛性を完全に失わせたりは出来る。
鋭さを失わせれば、棘の上でも裸足で歩ける。
彼の象魔法では、抜き出した性質は、特別な処置を施した上で、新たな宿主を与えない限り、
元に返ろうとする。
ヴァイデャは象魔法とは別に、抜き出した性質の保存方法を心得ており、それを閉じ込める、
専用の魔法瓶を持っている。
万能に見えるが、扱える性質の規模には限界があり、それは性質の種類によっても異なる。
基本的にヴァイデャの使う象魔法は、世界全体を塗り替える様な大逸れた物ではなく、
個々の性質を弄る物に過ぎない。
それ以上の事が出来るかは未知数だ。

432 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:57:01.83 ID:Qay7QLkZ.net
このスレは、ここまで。
また次スレで。

433 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 22:23:51.49 ID:FXoCF98R.net
おつです

434 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 22:50:17.57 ID:IXy8uzVI.net


膠原病の少女、強くなりそう

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