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ロスト・スペラー 11

1 :創る名無しに見る名無し:2015/05/02(土) 19:37:10.19 ID:j4Sp+PM5.net
アイディアの投棄場と言うか、そんな側面もあったり。


過去スレ
ロスト・スペラー 10
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1418203508/
ロスト・スペラー 9
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1404902987/
ロスト・スペラー 8
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1392030633/
ロスト・スペラー 7
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1377336123/
ロスト・スペラー 6
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1361442140/
ロスト・スペラー 5
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1347875540/
ロスト・スペラー 4
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1334387344/
ロスト・スペラー 3
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1318585674/
ロスト・スペラー 2
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1303809625/
ロスト・スペラー
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1290782611/

385 :創る名無しに見る名無し:2015/08/21(金) 19:48:05.91 ID:NI1s1wde.net
闘病


第一魔法都市グラマー タラバーラ地区 ヴァイデャ・マハナ・グルートの診療所にて


事象の魔法使いヴァイデャ・マハナ・グルートの、薄暗い地下の診療所には、特殊な治療室がある。
結界の様に4本の支柱に縄を張って、正方形を描く……。
そう、それは『拳闘陣<ボクサー・リング>』。
リングの上に立っているのは、拳闘士とは思えない、運動着姿の小柄で華奢な少女。
彼女と相対するは、全く同じ容貌だが、全身が邪霊の様に青黒い少女。
これは闘病の様子なのだ。
リングの外では、少女の母親が祈る様にして、闘いを見詰めている。
ヴァイデャは少女に叱咤激励の言葉を掛ける。

 「どうした、病気を克服するんじゃなかったのか!?
  そんな逃げ腰で、奴を倒せると、幸せを掴めると思っているのか!!」

どうして自分が、こんな事をしなければならないのかと、少女は泣きたくなった。
大人しく、心優しい彼女は、拳闘等と言う野蛮な行為を忌避していた。

386 :創る名無しに見る名無し:2015/08/21(金) 19:53:54.38 ID:NI1s1wde.net
この少女、何と膠原病に冒されている。
共通魔法による治療は、怪我や細菌、病毒には強く、幾らかの精神病にも対応しているが、
治療が難しい物もある。
例えば、自己免疫疾患、遺伝子病、重度の精神障害、強力な呪詛……。
これ等には医療魔導師でも、治療が困難、乃至、不可能な物が多い。
娘の将来を案じた母親は、死に物狂いで病気の治療法を探した。
その結果、事象の魔法使いヴァイデャの元に辿り着いたのである。
ヴァイデャは『象魔法<エルフィール>』によって、少女の「膠原病」に容を与え、取り出して、
彼女から分離させた。
しかし、それだけでは完治したとは言えない。
これを自身の手で打ち倒す事によって、少女は初めて宿病を克服出来るのだ。
……だが、病魔は手強かった。
膠原病は少女と同じ外見ながら、その動きは機敏で、拳は重かった。
ヴァイデャの象魔法では、重い病気程、強い病魔となるのだ。
分離している間だけは、少女は健康体と変わらないが、負ければ再び病苦に苛まれる事になる。
病魔との闘いから逃げる事は出来ない。
どこへ逃げようとも、病魔は主を追い続ける。

387 :創る名無しに見る名無し:2015/08/21(金) 20:00:46.50 ID:NI1s1wde.net
少女の闘病生活は過酷な物だった。
病身が故に、平時は肉体を鍛える事も儘ならないが、病魔との拳闘には勝利しなくてはならないのだ。
象魔法による拳闘では、肉体的な損傷を負う事は無いが、殴られれば痛いし、動けば疲労する。
病魔に叩き伸めされた後の病苦は、何倍にも感じられる。
初めて病魔に敗北を喫した少女は、余りの苦しさに泣いて再戦を嫌がったが、母親に叱責されて、
何度もリングに上がらされた。
嫌々でも闘いを繰り返す内に、少女は自然と病魔に対抗出来る様になったが、未だ勝利には遠い。
膠原病の一撃は重く、それを恐れて、踏み込めないでいるのだ。
その内に、軽打を浴びて体力を奪われ、凹々に叩かれる。
次第に少女は、「こんなに苦しいのなら静かに死にたい」とさえ、思う様になっていた。
病に打ち克つには、何より精神が強くなければ駄目なのだ。

388 :創る名無しに見る名無し:2015/08/22(土) 20:17:08.09 ID:L/DuaQeh.net
少女は膠原病に、何度目か知れない敗北を叩き付けられる。
痛みと疲労で立ち上がる事が出来ない彼女に、膠原病は青黒い体を重ねて、沁み込む様に、
緩やかに溶け込む。

 「ギャッ、ギャアッ、アグググ……」

少女は白目を剥いて泡を吹き、言葉にならない声を発した。
拳闘で疲弊した所を、更に膠原病の激痛が襲う、生き地獄。
病苦を拒むより、早く楽になりたいと思って、彼女は失神する。
ヴァイデャは眉を顰めて、少女の母親に告げた。

 「――これ以上、お子さんに無理をさせない方が良いと思います」

少女の母親は目を剥いて、ヴァイデャに詰め寄る。

 「では、娘は死ぬより他に無いと仰るのですか!?」

 「苦難に立ち向かうより、早く楽になりたい、この場から逃げ出したいと言う思いが、
  強い様に見受けられます。
  彼女の意識が変わらない内は、何度やっても同じ結果になるでしょう。
  徒に苦しみを増すだけです」

 「では、意識を変えるには……?」

 「流石に、それは私の領分から外れます。
  但、言える事は……。
  彼女には、『勝ちたい』と言う覇気や執念が感じられません。
  闘う事、それ自体が嫌なのでしょう」

少女の母親は俯いて、黙ってしまった。

389 :創る名無しに見る名無し:2015/08/22(土) 20:19:19.71 ID:L/DuaQeh.net
翌日から、少女と母親はヴァイデャの診療所に来なくなった。
治療を諦めたのかと、ヴァイデャは少し残念に思う物の、それは当人の決断なのだからと、
特に気に病みはしない。
一方その頃、少女と母親は真剣に話し合っていた。
病床の少女に、母親は問い掛ける。

 「病気、治したくないの……?」

少女は外方を向いて、小さく頷いた。

 「どうして?
  早く治さないと、もっと痛くなっちゃうよ?」

母親の疑問は尤もである。
何時までも寛解期が続けば良いのだが、病状の進行に伴って、その周期は次第に短くなる。
痛みが治まらなくなれば、終末期だ。

 「もう良いよ……。
  私の病気、治らない物」

少女は投げ遣りに言うと、布団を被って耳を塞いだ。
本当に治らなくて良い訳は無い。
唯、今の苦しみより、闘病の苦しみが勝っている。

390 :創る名無しに見る名無し:2015/08/22(土) 20:24:42.97 ID:L/DuaQeh.net
それから塞ぎ込んでばかりの少女を、母親は拳闘の試合に誘った。
グラマー地方では、格闘技の類は流行っていないが、全く無い訳ではない。
原始的な喧嘩に過ぎないと蔑まれても、細々と続けられている。
少女は全く乗り気ではなかったが、膠原病を患っている事で、母親に負い目を持っていたので、
渋々付いて行った。
場所は区民体育館。
そこで彼女が目にした物は、3身平方のリング上で、拳を打ち付け合う、勇ましい女達。
女性の拳闘試合である。
彼女達は流れる汗を拭いもせず、容赦無く相手の顔や腹に拳を叩き込む。
ヒュンヒュンと拳が空を切る音と、バシバシと響く殴打の音が、少女には恐ろしくて堪らなかった。
だが、それ以上に、怯まず立ち向かう勇姿と、華麗な動きに惹かれた。
グラマー地方の閉鎖的な拳闘試合では、独特の戦法が流行している。
姿勢を低くして、距離を測りながら静かに躙り寄り、数発の応酬の後、再び距離を取る。
体を揺らしたり、リズムを取ったりしない。
それは丸で野良猫の喧嘩の様に。
ラウンドは無く、倒れたら負け、膝を突いても負け、背を向けて逃げても負け、
打ち合わず退き続けても負け、支柱やロープに縋っても負け。
厳しい条件の中で勝負する女拳闘士に、少女は自分を重ね、どちらが殴打されても、
我が身が打たれた様に痛みを思い出し、顔を背けたくなるも、試合から目を離さない――否、
離せない。
少女は両の拳を固く握り、耐え忍びながらも、食い入る様に、闘いを凝視していた。

391 :創る名無しに見る名無し:2015/08/23(日) 18:51:20.36 ID:uH1yuzUf.net
彼女達の様な強さがあれば、自分も病魔に克てるかも知れないと、少女は思った。
第一魔法都市グラマーは、共通魔法使いの聖地である。
故に、腕力で物事を解決する様な、乱暴さ、野蛮さを忌避する者が殆どだ。
武術も含めて、「相手を殴打する闘い」は流行らない。
護身術として、『回避術<アヴォイダンス>』が受け容れられる程度である。
更に、男女の別が明確な為、女性が腕力を競う事は、最も愚かとされる。
その中にあって、蔑まれ、色物扱いされながらも、拳闘に身を投じる逞しい女性に、少女は感動し、
憧れを抱いた。
母親の思惑は、試合を観戦させる事で、少しでも学べる所があれば良いと言う程度だったのだが、
予想以上に少女は拳闘士に興味を持った。
試合後に、少女は母親に尋ねる。

 「あの人達と、お話出来る?」

 「どうしたの?」

母親は尋ね返したが、少女は上手く自分の心情を言葉に出来ず、俯いた。
何か心境に変化があったのだろうかと、母親は期待を持って、了承する。

 「お話出来るか、頼んでみるね。
  控え室に行ってみようか?」

少女と母親は、連れ立って選手に会いに行った。

392 :創る名無しに見る名無し:2015/08/23(日) 18:52:43.15 ID:uH1yuzUf.net
グラマー地方では『拳闘<ボクシング>』はマイナー競技である。
大きな会場は借りられないので、個別の控え室等と言う物は無い。
体育館の更衣室が、控え室代わりだ。
少女と母親が「関係者以外立入禁止」と書かれた立て看板の脇を抜けて、更衣室の前を通ると、
体育館の職員が慌てて止めた。

 「一寸、駄目ですよ!
  立入禁止の看板が、そこにあったでしょう?
  見えなかったんですか?」

母親は必死な様子で懇願する。

 「娘が選手に会いたいと言うんです。
  どうか願いを叶えてやって下さい」

 「そう言われても、困ります……」

職員と母親が言い合っていると、女子更衣室のドアが開いて、試合に出ていた選手の1人が現れた。

393 :創る名無しに見る名無し:2015/08/23(日) 18:53:26.11 ID:uH1yuzUf.net
少女と母親の視線は、彼女に集中する。
拳闘の選手は当惑した様子で、目を瞬かせながら、職員に尋ねた。

 「この人達は?」

 「多分、ファンの方だと……。
  選手に会わせてくれと言っていますが……」

職員が困り顔で答えると、『女拳闘士<ボクサリン>』は快く頷いた。

 「ああ、何だ、そんな事?
  構わないよ、別に」

彼女は母娘に向き直って言う。

 「グラマー地方のファンは貴重だからね」

女性同士の拳闘は、興行として成立する程の隆盛は無い。
男性の拳闘も全く盛り上がっているとは言えないが、女性の場合は輪を掛けて酷いのだ。
お堅いグラマー地方では、性を見世物として売りにする事も、試合を賭けの対象とする事も、
出来ない為に、観客は少なく、選手共々他地方から引っ張って来なければ成り立たない程。
選手の大半は本業を別に持ち、趣味や副業で、拳闘をしている。
当人達にとっては、拳闘を広める為の、慈善活動の様な物だ。
そんな状況だから、将来を担う若いファンの存在は有り難い。

394 :創る名無しに見る名無し:2015/08/24(月) 19:48:31.75 ID:dIYgtkMn.net
女拳闘士は母娘に尋ねる。

 「――で、誰のファンなんだい?
  剛拳のディレハ?
  不死身のフェキア?
  瞬影のハーフワ?
  それとも、このアタシ、閃火のフォルダ?」

大仰な渾名は、マイナー競技を少しでも盛り上げる為の工夫である。
少女と母親は互いに顔を見合わせた。
母親は少女の背を押して、小声で囁く。

 「ほら、お話したいんでしょう?」

少女は小さく頷き、女拳闘士フォルダの前に進み出た。
そして、捩々(もじもじ)と俯いて時間を掛けた後、小さな声で尋ねる。

 「……どうしたら、皆さんの様に、強くなれるんですか?」

フォルダは意外そうな顔をして、少女を見詰める。
如何にも気弱で、消極そうな少女の様子に、それと無く背景を察したフォルダは、力強く答えた。

 「とにかく、体を鍛えるしか無いね」

395 :創る名無しに見る名無し:2015/08/24(月) 19:53:04.51 ID:dIYgtkMn.net
しかし、少女は不服そうに、重ねて問う。

 「体を鍛えれば、闘いが怖くなくなりますか?」

 「怖く……?
  あー、成る程、そう言う事ね……。
  鍛えるって言うか……、そうだねェ……」

フォルダは悩んだ末に、少女に言う。

 「一寸、そこに立ってて。
  今から、キミの顔に向けて拳を突き出すけど、当てないから安心して、動かないで」

横で心配そうな顔の母親と職員に気付いたフォルダは、念を押した。

 「絶対に当てませんから」

約1歩の距離から、フォルダは少女の顔に向かって、腰を入れたストレートを放つ。
少女は迫り来る拳圧に、堪らず両目を瞑り、顔を逸らして両手を翳し、防御の姿勢を取った。
フォルダは宣言通りに寸止めし、拳を解いて下ろす。

 「……怖かった?」

彼女に問われた少女は、大きく頷いた。
フォルダも頷き返す。

 「そりゃあ、怖いよね。
  でも、目を閉じてしまっちゃ駄目だ。
  相手の動きを確り見て、頭を使って考えないと、次の攻撃を捌く事も、反撃する事も出来ない」

彼女に諭された少女は、その通りだと思いながらも、改めて尋ねた。

 「どうすれば怖くなくなりますか?
  生まれ付きの性格ですか?」

396 :創る名無しに見る名無し:2015/08/24(月) 19:58:24.43 ID:dIYgtkMn.net
深刻な少女の悩みを吹き飛ばす様に、フォルダは豪快に笑う。

 「アッハッハ、生まれ付きで怖さを感じないなら、そっちの方が怖いよ!
  叩かれたら痛い、痛いのは怖い、当たり前さ。
  そこを堪えて、前を向かないと、勝負は始まらない」

 「我慢するしか無いんですか?」

 「んー、上手く言えないけど、『慣れ』かな……?
  頭ん中で、何度もイメージするんだ。
  こう来たら、こう捌くって具合に。
  そんで、行き成り本番は怖いから、何回も練習する。
  初めは緩っくり、段々早くして、動きを体に覚え込ませる。
  後は実戦で判って来る。
  これは耐えられる、これは避けないと行けない、そう言う判断が出来る様になる」

彼女は動きを交えながら、少女に解説した。
未だ不安そうな顔をする少女を、フォルダは優しく諭す。

 「強くなるのに、近道は無いんだよ。
  実を言うと、アタシも昔は弱かったんだ。
  体も食も細かったし、拳闘なんて野蛮な事は考えられなかったよ」

 「……じゃあ、どうして拳闘士に?」

 「強くなりたかったんだ。
  今のキミみたいに。
  弱い自分は嫌いでね」

少女は女拳闘士フォルダに、親近感を持った。
それと同時に、自分も彼女の様に強くなれるかも知れないと、希望を持った。
一方でフォルダも少女に、過去の自分を重ねて、同情していた。

397 :創る名無しに見る名無し:2015/08/25(火) 19:57:55.25 ID:kaEnbzFj.net
フォルダとの出会いで、闘志を取り戻した少女は、再びヴァイデャの象魔法による治療を受ける。
決意を新たにした所で、そう簡単に勝てる程、膠原病は易しくはなかったが、少女の戦い振りには、
変化が見られた。
姿勢を低くし、ファイティング・ポーズを取って、敵の攻撃を恐れながらも、隙を窺い、
反撃しようと言う意思がある。
そして、少女は初めて、膠原病に一撃を食らわせた。
弱々しく、強打とも痛打とも言えないが、とにかく手を伸ばし、自分と同じ顔をした膠原病の顔に、
「当てた」のだ。
少女は自分でも驚いた顔をして、少し笑った。

 「油断するな!」

透かさずヴァイデャは注意したが、遅かった。
膠原病は少女に強烈な反撃と、怒涛の追撃を加える。
それは感情を持たない筈の「膠原病」が、激怒している様だった。
少女は凹々に打たれて、結局その儘、負けてしまう。
しかし、無意味な敗北ではない。
確かに、明日に繋がる敗北だった。
例によって、膠原病との再融合の際は、激痛に喘ぎ、失神する少女だったが、
その顔は笑っている様だった。

398 :創る名無しに見る名無し:2015/08/25(火) 20:00:19.87 ID:kaEnbzFj.net
翌週、少女は母親と隣地区のハンダッハまで、拳闘の試合を見に行った。
そこで彼女は、閃火のフォルダと剛拳のディレハの闘いを目にする。
剛拳のディレハは、渾名のイメージ通りに、平均的な女性を大きく上回る体格の持ち主で、
同じ女拳闘士のフォルダと比較しても、一回り大きい。
腕力でもリーチでもディレハが上なので、フォルダは苦戦を強いられる。
少女は固唾を飲んで、フォルダの闘いを見守った。
ディレハの攻撃を掻い潜り、フォルダは鋭い一撃で、彼女の顎を叩く。
体の大きなディレハが、白目を剥いて、浮ら付いた。
ここで追撃すれば勝てる。
そう誰もが思い、フォルダも止めの一撃を狙って仕掛けた。
所が、ディレハは一瞬で正気に返ると、踏み止まってフォルダに反撃する。
ディレハの拳がフォルダの側頭部を正確に捉える。

 「あっ!!」

少女は思わず悲鳴に似た声を上げた。
フォルダはガードが間に合わず、辛うじて踏み止まるも、足は蹣跚めいて、目の焦点が合っていない。
そこへディレハの追撃が飛んで来る。
顔面へのストレート。
フォルダは今度こそ防御した物の、踏ん張りが利かずに、吹き飛ばされる様に後ろへ倒れる。
勝負あり。
審判が試合を止めに入り、終戦の鐘が消魂しく3度鳴る。

399 :創る名無しに見る名無し:2015/08/25(火) 20:01:57.99 ID:kaEnbzFj.net
試合後、少女は更衣室へフォルダの見舞いに行った。
フォルダは椅子に座って片頬を押さえた状態で、力の無い微笑を少女に向ける。

 「情け無い所を見せちゃったかな……?
  勝てると思って、油断したよ」

ディレハに殴られた顔の側面が、痛々しく赤く腫れている。
心配そうな顔の少女を見て、フォルダは明るく振る舞った。

 「大丈夫、大丈夫。
  回復魔法で元に戻るからさ。
  しっかし、久し振りに真面に良いのを貰っちまった……」

一呼吸置いて、フォルダは少女の顔を覗き込む。

 「何と無くだけど、キミ、雰囲気が変わったね。
  少し元気になった?」

少女は頷いた。

 「そりゃ良かった。
  来週も来てくれる?
  今度は勝つ所を見せるよ」

強気に言うフォルダに、少女は問い掛ける。

 「でも、どうやって……?
  あの人、強そう……」

 「確かに、ディレハは強い。
  体の造りが違うからね。
  羨まし過ぎて憎い位、ディレハは恵まれてる。
  だけど――だからって、勝てない訳じゃない。
  今日だって、油断しなければ行けたと思う。
  地力で劣るから、早く止めを刺そうと、焦ったのが悪かったんだ。
  負けたら負けたで、課題や反省点を見付けて、次に活かす。
  勝てないって諦めたら、負け犬だよ」

拳を握って、再起を誓うフォルダに、少女は勇気を貰った気がした。

400 :創る名無しに見る名無し:2015/08/26(水) 19:09:45.80 ID:4oosqXva.net
少女は膠原病と、徐々に良い勝負をする様になった。
彼女の体は鍛えられて引き締まり、その目には眼力が具わる。
だが、不思議な事に、膠原病は貧弱な頃の少女の姿から変わらなかった。
心身の成長に伴い、何時しか少女は膠原病を見下ろす様になっていた。
それでも未だ勝利は掴めない……が、そう遠くない内に「勝てる」と彼女は確信していた。
少女の心は既に、絶望に打ち克っている。
希望を得た人は強い。
今の彼女には膠原病の痛みも、闘志を増す材料にしかならない。

401 :創る名無しに見る名無し:2015/08/26(水) 19:11:23.85 ID:4oosqXva.net
翌週、少女はフォルダとの約束通り、母親とブーシュ地区に出掛ける。
閃火のフォルダは、剛拳のディレハと再戦の予定だった。
グラマー地方では拳闘は人気が無い為に、選手も少なく、同じ相手と何度も戦わざるを得ない。
手酷く負けた相手と、即座に対戦が組まれるのは、良い事なのか、悪い事なのか……。
そして、大方の予想通り、試合はディレハが優勢に進めていた。
フォルダの渾名、「閃火」の由来は、強烈なカウンターの一撃にある。
正面からのラッシュの応酬には付き合わず、牽制しながら待ちに徹して、隙を窺う。
攻め方も下手ではなく、カウンター狙いだと高を括っていると、雷電の如き一撃を放って来る。
だが、ディレハは手強い。
一撃の重さではフォルダより上、更にリーチと体力があり、多少のダメージは無視して来る。
フォルダの利点は、敏捷さとカウンターを狙う技術だが、リーチで負けている為に、相殺される。
それにディレハは大柄だが、反応が鈍い訳ではない。
牽制の打ち合いから、先に仕掛けたのはフォルダ。
素早く懐に飛び込んで、ディレハの胴にボディ・ブローを捻じ込む。
しかし、浅い。
打点を外され、筋肉の壁に阻まれる。
直後に飛んで来るディレハのカウンターを紙一重で避け、フォルダは彼女の顎を狙って、
カウンターのカウンターを仕掛ける。
息も吐かせぬ攻防。
幸運にもフォルダの拳は、ディレハの顎先を掠めた。
ディレハの大きな体が揺らぐ。
――追撃を加える、絶好の機会。

402 :創る名無しに見る名無し:2015/08/26(水) 19:17:16.38 ID:4oosqXva.net
しかし、フォルダは踏み込めなかった。
もしかしたら、倒せたかも知れない。
だが、前回の試合で食らった一撃が、頭に残っていたのだ。
迂闊に飛び込めば、又も痛打を食らうのでは?
――そう考えてしまい、反応が遅れて、見す見す好機を逸してしまう。

 (あぁっ、何やってんだ!)

フォルダは自分で自分に苛立った。
数極にも満たない短い時間の喪失が、重く圧し掛かる。
ディレハは既に防御を固めてしまっている。
今更追撃しても、簡単に押し返される。
自ら勝機を潰したフォルダに対し、ディレハは強気に押して掛かる。
カウンターを狙う隙は、幾らでもあるのに、フォルダは精神的に追い込まれて、手が出せない。
丸でディレハがカウンターを誘っている様に見えるのだ。
先週の敗北は、フォルダの想像以上に、彼女自身の心に深い傷痕を残していた。
手を出さずに防御に徹していると、判定負けになるので、フォルダは反撃せざるを得ないが、
踏み込めないので、どうしても防御の上からの浅い打ち合いになってしまう。
これでは体力で勝るディレハが、圧倒的に有利。

403 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:27:48.81 ID:YVRsZZcM.net
徐々に体力を削られ、フォルダは疲弊して行った。
反撃の手数も減り、それに比してディレハの攻勢が苛烈になる。
ディレハの攻撃は段々隙の大きい大振りになって行く。
舐められていると感じたフォルダは、反攻の切っ掛けを掴もうと、カウンターを狙った。
しかし、それはディレハに完璧に読まれていた。
ディレハは拳を振り被ると見せ掛けて、軽打を1つ挟み、フォルダのカウンターを外させる。
渾身の攻撃が空振りになって、フォルダは軽打如きに怯んでしまう。
衝撃と共に、意識が一瞬飛んで、体が硬直する。
次にディレハが繰り出すのは、止めの一撃。
ガードが間に合わない。
フォルダが敗北を覚悟した、その時だった。

 「フォルダ、前へ!!」

観戦していた少女は、堪らず高い声を上げた。
それがフォルダの耳に届き、彼女の体を僅かに動かす。
ディレハの顔面狙いのストレートが、少し逸れてフォルダの額に当たる。
フォルダは大きく仰け反った。

404 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:29:23.22 ID:YVRsZZcM.net
状況は依然、窮地に変わり無い。
顔を守ろうとすれば胴が空き、胴を守ろうとすれば顔が空くと言う、最悪の状況。
ディレハの攻撃を見て判断してからでは遅い。

 (負けられない……!
  あの子が見てくれてるんだ!)

だが、フォルダは諦めなかった。
少女の姿を思い浮かべ、彼女は気合を入れ直した。
ここに至っては、賭けに出るしか、逆転の目は無い。
フォルダは左右の拳で、ディレハの左右の拳を、それぞれ弾いた。
それは完全に幸運の成し得た業だった。
フォルダは体勢を整えると、詰んだ間合いを保って、漸く真面な反攻に出る。

 (情け無い試合は出来ない!)

彼女は体力の配分を考えず、これを防ぎ切られたら負ける積もりで、猛攻を仕掛けた。
一撃一撃が槍の様に、ディレハの体に刺さる。
しかし、何れも浅く、止めには遠い。
ガードを抉じ開けようにも、腕力が足りない。

405 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:31:10.83 ID:YVRsZZcM.net
それでもフォルダは攻め手を緩めようとはしなかった。

 (打って来い、ディレハ!)

防御を固めてばかりで反撃しなければ、判定負けになる。
ディレハが耐え兼ねて攻勢に転じる、その隙を狙っているのだ。
僅かでもガードが開けば、そこに拳を叩き込む。
チャンスは一度限り。
体力に余裕は無く、失敗は許されない。
フォルダの集中力は、極限まで高まっていた。
一方、ディレハとて愚かではない。
フォルダが何を狙っているか位、見切っている。
彼女の判断は――「相打ち」狙い。
お互いに強打を放てば、体力に余裕のあるディレハに分があるのは言うまでも無い。
上手く急所さえ避ければ、クロス・カウンターになって仕留められる。
ディレハの左ストレートと、フォルダの右フックが交錯し、互いの顔を目掛けて行く。
先に命中したのは、フォルダのストレート。
ディレハの右目の下に当たり、彼女の頬骨を砕く。
僅かに遅れて、ディレハのフックもフォルダの左側頭部を捉え、彼女の鼓膜を破る。
互いに蹣跚めき、先を制したのは、又もフォルダ。
平衡感覚を狂わされ、傾きながらも、ディレハに迫る。

406 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:33:52.33 ID:YVRsZZcM.net
>>405
>ディレハの左ストレートと、フォルダの右フックが交錯し、互いの顔を目掛けて行く。
この一行を間違えました。
>フォルダの左ストレートと、ディレハの右フックが交錯し、互いの顔を目掛けて行く。
こちらが正しいです。

407 :創る名無しに見る名無し:2015/08/27(木) 19:35:17.51 ID:YVRsZZcM.net
狙うは止めの一撃。
ここで外したり、防御されたりすれば、フォルダの負けである。
仕切り直す余裕は無い。
ディレハは頬骨を欠けさせられたが、戦闘続行に不利なのは、感覚を狂わされたフォルダの方。
耳鳴りが酷く、視界は振れ、足が宙に浮いた様で、左に傾く体を必死に右へ立て直す。
無謀な賭けだが、幾ら不利でも、こうしなければ勝てないのだ。
フォルダは低い姿勢からの右アッパーカットで、ディレハの顎を狙う。
ディレハは捨て身のフォルダに虚を突かれるも、右手で顎を庇い、左手を振り下ろして、
フォルダを迎撃する。
だが、フォルダの拳は目測を誤り、ディレハの鳩尾を下から抉った。
ディレハは足が一瞬宙に浮いて、呼吸が止まる。
同時に彼女の左手は、フォルダの頭を上から叩く。

 (もう一撃!!
  これが本当の最後!!)

フォルダは倒れる前に、雄叫びを上げながら、左腕を大きく回し、拳をディレハの顔に叩き付けた。
最後の力を振り絞った、ハンマー・フィスト。
両者、殆ど同時に倒れる。
フォルダは俯伏せ、ディレハは仰向け。
先に立ち上がったのは、ディレハ。
フォルダは全身が痙攣して動けない。
――――勝負あった。
決着を告げる鐘が、3度鳴る。
フォルダの勝利である。

408 :創る名無しに見る名無し:2015/08/28(金) 19:37:27.86 ID:VSCW71Iy.net
唯一大陸の拳闘では、「倒れたら負け」。
足が滑ったのではなく、打たれて倒れたと判定されたら、その時点で負けになる。
フォルダとディレハが倒れたのは殆ど同時だったが、前方に向かって倒れ込んだ分、
フォルダが攻勢だったと、審判は判断した。
左頬を赤く腫らしたディレハは、完敗だったと、深い溜め息を吐く。
判定に不満は無かった。
ディレハはフォルダに肩を貸し、勝者を称える為に、彼女の右手を高く掲げさせる。
フォルダは疲れ切った様子ながらも、堂々たる勝者の証として、懸命に笑顔を作った。
拳闘士の美しき友情に、疎らではあるが、温かい拍手が送られる。
……観客が少ないのだから、仕方が無い。
足取りの怪しいフォルダを、ディレハは支えながらリングを去る。
その後を追う様に、少女は更衣室へ急いだ。

409 :創る名無しに見る名無し:2015/08/28(金) 19:39:11.67 ID:VSCW71Iy.net
ディレハとフォルダはトレーナーに、共通魔法による応急手当てを受けていた。
トレーナーは難しい顔で、先ずディレハに言う。

 「ディレハ、頬の骨が折れている。
  私の魔法では骨折までは治せない。
  直ぐ病院に行って、医療魔導師に頼みなさい」

 「へーへー」

ディレハは「はいはい」と返事をしたかったのだが、頬が腫れているので、口を大きく開けず、
怠そうな声になった。
時間が経って、更に大きく腫れた顔は、酷く醜かったが、彼女は余り気にしていない。
拳闘をしていれば、顔に怪我を負う事は避けられないのだ。
次に、トレーナーはフォルダの頭に両手を添える。

 「……鼓膜が破れているな。
  それは直ぐ治せるが、脳震盪の後遺症が怖い。
  ディレハと一緒に病院に行って、精密検査を受けろ」

 「はい……」

その後、トレーナーは少女に気付いた。

 「何だ?
  ここは関係者以外立入禁止だぞ」

咎められて身を竦める少女を、フォルダが庇う。

 「いえ、彼女は私の……」

トレーナーは訝し気な目付きで、少女とフォルダを見比べたが、深く追究しなかった。

 「それなら良い。
  2人共、早く病院に行けよ」

そう言い付けると、トレーナーは退室する。

410 :創る名無しに見る名無し:2015/08/28(金) 19:44:37.64 ID:VSCW71Iy.net
少女は怖ず怖ずと、フォルダに歩み寄って、話し掛けた。

 「……大丈夫ですか?」

 「ああ、こう見えてアタシは頑丈なんだ。
  この位、どうって事無い。
  それより、勝ったよ、約束通り」

 「はい、見ていました。
  凄かったです」

 「キミは一層逞しくなったね。
  見違える様だ」

少女とフォルダは頷き合う。
それを横で見ていたディレハは、腫れた顔に手を当て、回復魔法を維持しつつ、苦笑した。

 「成る程、それで張り切ってた訳だ」

照れ臭そうに含羞んで俯くフォルダの肩に、彼女は大きな手を置いた。

 「ははは、若いファンは大事にしないとね。
  でも、無理し過ぎると、選手生命が縮むよ。
  命懸けの闘いも良いけど、年中そんなんだと、命が幾つあっても足りない」

苦言を呈するディレハに、フォルダは抗弁する。

 「……アタシにとっては、今日の試合は大事だったんだ」

 「ああ、解るよ。
  先週私に負けた事を、引き摺る訳には行かなかった。
  そうだろう?
  戦い振りを見れば、その位は察せる。
  リングでは隠し事は出来ない。
  本音や本性は行動にこそ表れる」

少女はディレハの言う事をよく理解出来た。
口先では誰でも何とでも言える。
重要なのは行動だ。
彼女はディレハとフォルダが同じ拳闘士として、相通ずる物がある事を、どこか羨ましく思っていた。

411 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:36:30.32 ID:DGlpddiU.net
フォルダの勇姿を見届けた少女は、次の治療日を最後にする覚悟を決めた。
そして迎えた当日、ヴァイデャの手によって、膠原病が少女から分離する。
……やはり、その姿は治療を始めた頃から変わっていない。
少女は膠原病の攻撃を捌き、動きを確かめる様に、一発ずつ軽打を加える。
最早、力任せに攻撃して来る膠原病に、嘗て程の脅威は感じない。
奇妙な事に少女は膠原病に、愛しさを感じるまでになっていた。
それは弱かった自分と、全く同じ容姿だからと言う事もあるだろう。

 (リングでは隠し事は出来ない……)

少女は膠原病が、嘗ての自分と同じに見えて仕方が無かった。
怯えた様な顔、愚かな前進、無闇な攻撃。
嘗ての自分を見る事に、少女は苛立たしさを感じない訳ではなかったが、これが最後だと思うと、
別れが惜しくもなった。
それは「病弱で可憐な乙女だった自分」に対する未練なのかも知れない。
だが、手を緩めはしない。
膠原病を倒して、新しい道を拓くのだと言う強い意志が、今の彼女にはある。

412 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:38:15.57 ID:DGlpddiU.net
少女は徐々に当てる拳を重くして行く。
膠原病は今までとは逆に、殆ど為す術無く打たれ、凹々にされる。
少女自身、こんなに弱い相手だったのかと、驚いていた。
自分が成長したのか、それとも膠原病が弱体化したのか……。
恐らくは、その両方であろう。
無尽蔵だった膠原病の体力が尽きつつあるのを、少女は感じていた。
打撃を食らった際の、立ち直りが鈍くなっている。
止めが刺せると、彼女は確信した。

 (これで終わらせる!!)

万感の想いを込めて、少女は拳を振るう。
自分の病気を治す為に、方々駆け回り、手を尽くしてくれた母。
その愛の偉大さに、敬服せずには居られない。
外道魔法や拳闘に関わる事を、何も言わずに見過ごしてくれた父。
それを認める事が、グラマー地方民として、どれだけ難しい事か……。
こうして膠原病と闘わせてくれたヴァイデャ。
彼の存在が無ければ、今も病に苦しめられていただろう。
そして、フォルダを始めとした、勇猛果敢な女拳闘士達。
彼女達には闘う勇気を貰った。
闘病生活で出会った人々、その中で起こった出来事……。
全ては、この時、この瞬間の為に。
闘病生活に別れを告げ、明日からは新しい人生を歩み出すのだ。
少女は力一杯、拳を振り抜いて、膠原病に止めを刺す。

413 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:42:46.76 ID:DGlpddiU.net
膠原病は顔面にストレートを食らい、拳闘陣の外に吹っ飛ばされた。
地面に転がった膠原病は、砂細工の様に砕けて散らばり、やがて掻き消える。
少女は遂に膠原病を克服した。
ヴァイデャは少女に告げる。

 「お目出度う。
  君は膠原病に打ち克った。
  もう病に苦しむ事は無い」

彼女は用心深く、暫く構えを解かなかったが、彼の言葉を少しずつ時間を掛けて理解すると、
緩やかに拳を下ろして、息を吐く。
歓喜の声を上げる事もしなかった少女だが、彼女の代わりに母親が泣き崩れた。
それを見て、初め少女は呆気に取られていたが、体裁も構わない母親の号泣を聞いている内に、
自然と涙が込み上げた。
「嬉しい」とは違う、言い様の無い複雑な思いが溢れて来る。
少女は母親を抱き締めて、共に泣いた。

 「有り難う、お母さん。
  本当に有り難う……」

尽きない感謝の思いが、言葉となって口を衝く。

414 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:43:50.11 ID:DGlpddiU.net
数針して、落ち着いた2人はヴァイデャに繰り返し礼を言ったが、彼の反応は冷淡だった。

 「既に十分な治療費を受け取っている。
  それ以上に望む事は無い。
  私の事は他言するな」

そう告げると、不機嫌な様子で背を向ける。
それでも母娘は最後に改めて謝辞を述べ、ヴァイデャの元を去った。
少女は拳闘士を目指す事にした。
母親は勿論反対しなかったが、父親は良い顔をしなかった。
しかし、強く止める事もしなかった。
グラマー地方の拳闘は、男女共に今も続いている。

415 :創る名無しに見る名無し:2015/08/29(土) 20:45:27.20 ID:DGlpddiU.net
『拳闘<ボクシング>』


ファイセアルスの拳闘の起源は旧暦の奴隷格闘にあると言う。
数少ない旧暦の史料には、魔封陣の上で闘わされる、人間や悪魔の姿がある。
現代の拳闘陣も、魔力封じの魔法陣の上に置かれるのが普通で、故に魔法は「使えない」。
思想的には、魔法で優美さを競うフラワリングの対極に位置する。
男性拳闘士はボクサー、女性拳闘士はボクサリン。
拳闘は男子拳闘も含めて、一種の『地下<アンダーグラウンド>』っぽさがあり、そこが人気でもある。
女子拳闘の人気は大陸全体で見ても高いとは言えないが、それなりに観客は存在する。
グラマー地方で拳闘が盛り上がらないのは、独特の風土に加えて、賭博を完全に禁じ、
男性の観客を締め出している為である。
拳闘の試合は、軽易な服装でなければ不利になるのだが、グラマー地方の風習では、
女性は濫りに異性に肌を晒してはならない。
よって、グラマー地方の女子拳闘は競技者、運営、指導者、観客、全てが女性。
逆も然りで、男子拳闘も男性のみである。

416 :創る名無しに見る名無し:2015/08/30(日) 18:36:21.31 ID:9Rdylh3e.net
バックパックン


第一魔法都市グラマー タラバーラ地区 ヴァイデャ・マハナ・グルートの診療所にて


その日、旅商の男ラビゾーは大量の空瓶と成形剤を持って、ヴァイデャの診療所を訪ねた。
バックパックには収まり切らず、旅服のポケットまで一杯に膨らませて、彼は診療所に入る。
空瓶と成形剤は全て、ヴァイデャに購入を依頼された物であり、詰まる所、「お使い」だ。
大荷物のラビゾーを見て、ヴァイデャは彼に言った。

 「御苦労。
  しかし、不細工な格好だな」

 「何て言い種ですか!
  僕は貴方に頼まれた物を買って来たんですよ」

ラビゾーが顔を顰めて抗議すると、ヴァイデャは思案する。

 「フーム?
  ラヴィゾール、鞄が小さい様だな」

 「荷物が多かっただけで、鞄は小さくないです」

丸で見当違いだと、ラビゾーは余り相手にせず、手近な机に空瓶と成形剤を取り出して並べた。
ヴァイデャは机一杯に置かれた、それ等を見渡して言う。

 「この位で一杯になる様では、この先も荷物の持ち運びに煩わされるだろう。
  君は旅商なのだから」

ラビゾーが持っているバックパックは『半槽容<ハーフタンク>』。
旅をするには大き過ぎる位だが、商品を運ぶには物足りないかも知れない。

417 :創る名無しに見る名無し:2015/08/30(日) 18:39:11.78 ID:9Rdylh3e.net
もっと大きい鞄を使えと、ヴァイデャは言いたいのだろうかと、ラビゾーは両腕を組む。

 「しかし、これでも十分大きい方ですよ。
  市販のバックパックでは最大級です。
  それに大き過ぎても、逆に不便です。
  欲張って詰め込むと、馬車に乗る時、閊えたりしますからね。
  僕の体格と体力では、重過ぎる物は運べませんし。
  後、今の所はバックパックを買い換える予定もありません」

 「君は何を言っている?」

 「バックパックを大きい物に替えろって話でしょう?」

ラビゾーとヴァイデャは互いに顔を見合わせて、疑問符を浮かばせた。
一拍置いて、ヴァイデャはラビゾーの考えを否定する。

 「否(いや)、買い換える必要は無い。
  君の鞄を貸してくれ」

 「……何をするんですか?」

 「私の魔法で、容量を大きくする」

 「そんな事が?」

 「出来るとも」

ラビゾーにとって、ヴァイデャは訳の解らない魔法を使う、旧い魔法使い。
事象の魔法使いである、彼の象魔法の理屈等、知る由も無い。
ラビゾーは半信半疑で、ヴァイデャにバックパックを渡す。
只で鞄の容量を増やせるなら、それに越した事は無かった。

418 :創る名無しに見る名無し:2015/08/30(日) 18:42:01.35 ID:9Rdylh3e.net
ヴァイデャはバックパックの中を検めて、ラビゾーに言った。

 「先ず、余計な物を出してくれ」

 「はい」

彼の指示通り、ラビゾーは着替えや非常食、商品を取り出して、バックパックを空にする。
それを確認したヴァイデャは、ラビゾーに尋ねた。

 「どんな動物が好き?」

 「へ?
  ……犬、ですかね……」

 「犬派か……。
  成る程、成る程」

そう言いながら、ヴァイデャは薬品棚から、約1袋容の瓶詰めの怪しい液体を持ち出した。
彼は瓶の蓋を開けると、逆様にしてラビゾーのバックパックの中へ打ち撒ける。

 「うわぁー!!
  何やってんですか?!」

ラビゾーのバックパックは、噴火した火山の様に、口から白い煙を吐いた。

 「ヴァイデャさん、何を入れたんです!?
  酸!?」

煙が室内に充満して行く。
それを吸い込むまいと、ラビゾーは口元を覆った。
ヴァイデャは淡々と答える。

 「魂だ」

 「魂!?」

ラビゾーは驚愕するばかり。
旧い魔法使いと言う物は、何から何まで常人の理解を超えている。

419 :創る名無しに見る名無し:2015/08/31(月) 19:55:17.87 ID:P7R0q6EL.net
やがて、バックパックは白煙を噴かなくなる。
ラビゾーは濛々と立ち込める煙を払いながら、ヴァイデャに問い掛けた。

 「一体、何の魂を入れたんです?」

 「『水差鳥<アルカトルズ>』だ」

 「鳥?
  犬は?」

 「持ち合わせが無かった」

詰まりは、好みが持ち合わせの中にあれば、採用したと言う事なのだろうが、
それなら一言欲しい物だと、ラビゾーは呆れる。

 「今、僕の鞄には鳥の魂が宿っていると?」

 「中々理解が早いな」

 「――で、鞄の容量は増えたんですか?」

 「試してみよう」

バックパックに水差鳥の魂が宿った所で、どうなると言うのか?
ラビゾーには何も解らないので、状況に流される儘。

420 :創る名無しに見る名無し:2015/08/31(月) 20:04:27.65 ID:P7R0q6EL.net
ヴァイデャがバックパックを掴み上げると、その中から声がした。

 「一寸、気安く触らんといて!
  ワテクシの主人は一人!
  誰にでも体を許す様な、易い道具と違(ちゃ)いまっせ!」

甲高い声に、ラビゾーは肝を抜かれて、目を丸くする。
差し込み式の蓋を口の様に忙しく開閉させて、バックパックが喋っている。

 「こらこら御主人!
  呆っと突っ立っとらんと、早う助けとくんなはれ!」

 「御主人……って?」

それは自分の事かと、ラビゾーは目を瞬かせる。

 「惚けはったん?
  自分の持ち物も、よう判らへんの?
  あー、『御主人』呼びがあかんかったかな?
  旦那ぁ〜、親方ぁ〜……何でも良えから、早う助けんかい!」

こいつは何なのかと、ラビゾーはヴァイデャに困惑した視線を向けた。
所が、ヴァイデャは何事も無かったかの様に、バックパックに空瓶を詰め始める。

 「おっ、こら、何して……」

バックパックは抗議するも、ヴァイデャは聞く耳を持たない。
空瓶を全部詰め終えた彼は、今度は成形剤を詰め始めた。

421 :創る名無しに見る名無し:2015/08/31(月) 20:06:45.48 ID:P7R0q6EL.net
空瓶と成形剤で、バックパックは一杯になる。

 「何……?
  何なん、この男?
  怖っ、話が通じひん……。
  御主人、何とか言うたってや……」

 (お前が何なんだよ……)

バックパックはヴァイデャに恐れを成して、不安気な声で改めてラビゾーに助けを請うたが、
当の彼は物を言う道具の方が怖かった。
ラビゾーが傍観していると、ヴァイデャはバックパックを机の上に置き、隣の部屋へ行った。
取り残されたラビゾーは、バックパックと2人(?)切りになって、気不味くなる。

 「あのー、御主人?
  何で一言も口利いてくれへんの?」

バックパックに問われたラビゾーは、真面目に問い返した。

 「……お前は何なんだ?」

 「何って……、ワテクシは貴方様の持ち物ですがな。
  どないしはりましたん?
  もう何年も付き合うとるのに、妙に余所余所しいやないですか?」

 「バックパックは喋らないし……」

 「わぁー、御主人、そら差別発言でっせ!
  物が口利いたらあかんっちゅうんですか?
  使い魔とか言うて、ワン公もニャン子も喋る、この御時世でっせ?
  そらぁ道具かて喋繰りますわな。
  それとも何ですか、物と話す口は持たんと?
  あーあ、御主人、そらぁ狭量や、器が小さい!
  情け無い主人を持って、ワテクシは恥ずかしゅう御座います」

饒舌なバックパックに、ラビゾーは閉口する。
ヴァイデャは何を思って道具に魂を入れたのかと、彼は悩ましく思った。

422 :創る名無しに見る名無し:2015/09/01(火) 19:59:19.04 ID:FG2Yh+h/.net
そもそも一体どの辺りが水差鳥なのだろうかと、ラビゾーはバックパックを凝視する。
彼に懐疑の眼差しを向けられて、バックパックは戸惑った。

 「……御主人、その眼は何ですのん?」

 「お前、鳥なのか?」

 「何、言うてはりまんの?
  どこをどう見て、このワテクシが鳥やと?
  わっさぁー羽が生えて、バサバサ飛びよるっちゅうんですか?
  冗談屹(キツ)いわぁ、ハハハ」

内心「そうだよな」と頷き掛けたラビゾーだったが、バックパックは何時の間にか、
立派な白い羽を広げていた。
ラビゾーは絶句し、遅れてバックパックも気付く。

 「ん、どないし……はわぁあーっ!?
  何や、これェ?!
  有り得へん、冗談から駒や……。
  知らんかって……ワテクシ、鳥やった……?」

ラビゾーとバックパックが馬鹿な遣り取りをしていると、ヴァイデャが半袋容程の小包を大量に抱えて、
戻って来た。

423 :創る名無しに見る名無し:2015/09/01(火) 20:08:57.94 ID:FG2Yh+h/.net
バックパックはラビゾーとの話を止め、焦りを露にヴァイデャに尋ねる。

 「んん!?
  待って、待って!
  その仰山持っとる奴、どないすんの?
  超絶嫌な予感すんねんけど!」

ヴァイデャは全く無視して、包を詰め始めた。

 「あかん、あかーん!!
  予想通りやん、無理やって!
  お前、全部入れる気やろ!?
  見ら判るやろ、常識で考えよ?
  何ぼやっても、容積以上は入らへんよ!?
  何が面白うて、こないな事すんのや!
  虐めやで、虐め!
  道具虐待反対!!」

バックパックは懸命に羽撃いて、羽を散らしながら抵抗するも、ヴァイデャは顔色一つ変えない。
バックパックの口一杯まで袋を詰めても、未だ詰め込もうとする。

 「無理やん、無理やん!!
  裂けるー、壊れるー!
  出来ひん、出来ひんて……、えぇい、入らへん言うとるやろが!!
  大人しゅうしとらぁ付け上がりよって!!」

散々喚き立てた果てに、遂にバックパックは我慢の限界を迎えて、怒号を上げた。
ヴァイデャは漸く一旦手を止めて、小さく溜め息を吐く。

 「物が入らない鞄は、最早鞄として用を成さない。
  自らの存在意義を捨てるか?」

 「えっ……」

強い口調でのヴァイデャの詰問に、バックパックは衝撃を受けた。

424 :創る名無しに見る名無し:2015/09/01(火) 20:15:22.00 ID:FG2Yh+h/.net
数極の沈黙の後、バックパックは大いに慌てる。

 「ひゃーぁ、豪いこっちゃ!?
  あわわわわ、アイデンティティーの崩壊や!
  御主人、ワテクシ、鞄やのうなってまうかも知れへん!
  ど、どないしたら良えんやろ……?」

 (知るかよ……)

意味が解らないので、ラビゾーは答え様も無い。
しかし、バックパックは半狂乱で、主人である彼に泣き縋った。

 「ワテクシ、鞄やのうなってもうたら……鞄やのうなってもうたら……只の鳥ですやん!」

 (鳥?)

 「嗚呼、御主人、ワテクシが鳥でも、見捨てんと旅に連れてって貰えます?
  良え子にしとりますよってに……」

ラビゾーは首を捻り、羽の生えたバックパックと共に旅する所を想像して、低く唸った。

 「……『無し』だなぁ……」

 「んな殺生なぁーー!
  ……えぇーい、こうなりゃ自棄や!
  鞄の意地を見せたるわい!
  おらっ、疾っ疾と詰める物、詰めろやー!!」

追い込まれたバックパックは、蓋を大きく開けると、ヴァイデャを挑発する。

425 :創る名無しに見る名無し:2015/09/02(水) 19:43:55.51 ID:kB+wbYyR.net
小包の詰め込みを再開しようとするヴァイデャに、ラビゾーは声を掛けた。

 「ヴァイデャさん!
  余り無理をさせないで下さい。
  壊れたら困るんで……」

よくよく考えなくとも、バックパックは元々ラビゾーの旅には欠かせない物であり、
壊れて良い事は何一つ無い。
彼は喋るバックパックを鬱陶しいと思っているが、それとは別問題である。
だが、バックパックは大袈裟に解釈して、感極まった声を出す。

 「ご、御主人、ワテクシの事、心配して……。
  ムムム、ここで忠義を見せな道具の恥!
  御主人、ワテクシの勇姿、よぉーく目に焼き付けなはれ!」

 「いや、無理するなよ?」

張り切るバックパックをラビゾーは諌めるが、聞こえている様子は無い。
話が終わったと見るや、ヴァイデャは改めてバックパックに小包を詰めた。
バックパックは小包が入る度に、一々反応する。

 「よっ、未だ未だ!」

 「未ぁだ入りまっせ!」

 「余裕、余裕!」

 「腹八分目って所でんな!」

 「次々詰めんかい!」

初めの内は威勢良かったが……、

426 :創る名無しに見る名無し:2015/09/02(水) 19:46:57.48 ID:kB+wbYyR.net
 「ま、未だや……」

 「……次、早う」

徐々に無口になって行くバックパック。
遂に何も言わなくなって、ヴァイデャに詰められるが儘になった。
それでも不思議な事に、容積以上の小包がバックパックの中へ消えて行く。
全部で数十個はあっただろう小包も、残り1個と言う所で、バックパックは声を絞り出した。

 「……それで、全部やな……?」

ヴァイデャは何も答えず、最後の1個を詰めた。
少し間を置いて、バックパックは勝ち誇った様に笑う。

 「……フッ……、フハハハハハ!
  ど、どやっ!?
  どや、どや、入ったで!!
  ワテクシ、見事に遣り遂げました!」

ヴァイデャはバックパックを無視して、至って冷静にラビゾーに言った。

 「容量は大きくなっている様だな」

 「どうなってるんです?」

バックパックの構造が全く理解不能だと、ラビゾーは当然の疑問を呈す。

427 :創る名無しに見る名無し:2015/09/02(水) 19:49:42.08 ID:kB+wbYyR.net
ヴァイデャに先んじて、バックパックが答える。

 「野暮な事、訊きはりますなァ!
  んな物、ワテクシの気合と根性に決まっとりますがな!
  御主人の鞄で在り続けたいっちゅう、忠義の心が奇跡を起こしたんや!
  褒めとくんなはれ!」

ラビゾーはバックパックを暫く見詰めると、ヴァイデャに頼む。

 「ヴァイデャさん、取り敢えず、これ、黙らせてくれませんか?」

 「一寸、御主人!!
  そら無いでっしゃろ!
  あんまりやー!」

折角、忠誠心を見せてくれた所で、この仕打ちは可哀想だと、ラビゾーとて思う物の、
喋繰り倒すバックパックは嫌だった。
ヴァイデャは即答する。

 「分かった、黙らせよう」

 「ノォーーッ!
  何なん、2人して!
  ワテクシを何や思うとんの!?」

 「物が喋る必要は無いと言う事だ」

抗議するバックパックを、ヴァイデャは冷淡に切り捨てた。

428 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:39:13.08 ID:Qay7QLkZ.net
バックパックは完全に拗ねてしまう。

 「あー、はいはい、所詮ワテクシは道具と、道具に過ぎんと、そう仰る?
  道具は道具らしゅう黙っとります、はい」

ヴァイデャが手を下すまでも無く、バックパックは羽を畳んで沈黙する。
ラビゾーは少し気の毒に思い、ヴァイデャに尋ねた。

 「そもそも、バックパックを喋らせたのはヴァイデャさんでしょう?」

 「一人旅を賑やかにしてやろうと思っていたのだが」

涼しい顔で言い放つヴァイデャ。
有り難迷惑だと、ラビゾーは顔を顰める。

 「喋る道具は使い辛いですよ……。
  後、水差鳥の魂を入れたんですよね?
  どうして、それで喋れる様になるんですか?
  容量が増えるのも意味不明です」

一度に質問されても、ヴァイデャは淡々と答えた。

 「魂と言っても、生前の意識や記憶がある訳ではない。
  真っ新な魂は、空の器に等しい。
  そこに鞄の意識を入れたのだ。
  鞄は君と長年旅をした記憶を持っている。
  口が利けるのは、その為だな。
  妙に君に懐いていたが、慕われていると言う事は、扱いが良かったのだろう」

ラビゾーは物を大事に使う方だが、特別に丁寧に扱っていた訳ではなかったので、返事に困った。

429 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:43:40.54 ID:Qay7QLkZ.net
鞄の意識と言う物も、彼には解らない。
ヴァイデャはバックパックの中身を取り出しつつ、説明を続ける。

 「容量が大きくなったのは、柔軟性や伸縮性と言った、生体の性質を得た為だな。
  丁度、肺や胃が膨らむ様な物だ。
  ……多分」

 「多分?」

 「とにかく、大事に使ってやれ」

強引に話を切ったヴァイデャは、小包と成形剤と空瓶を全て出し終えると、それ等を片付け始めた。
バックパックは何も言わなくなっている。
ラビゾーはバックパックに近寄り、自分の荷物を詰めてみた。
……やはり、反応は無い。
戸惑う彼に、ヴァイデャは声を掛ける。

 「どうした?」

 「いえ、喋らなくなったなと……」

 「喋らない方が良いと言ったのは君だ」

 「それは……、そうですけど……」

ラビゾーはバックパックを背負ってみたが、特に違和感は無い。
何時もと変わらぬ、普通のバックパックだ。
ラビゾーは腑に落ちない様子で、何度も首を傾げるのだった。

430 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:44:55.61 ID:Qay7QLkZ.net
「魂が入ったのだから、序でに名前を付けてやれ」

「名前?」

「『鞄』は一般名詞だ。飼い犬を『犬』と呼ぶ飼い主は居ないだろう」

「鞄に名前……」

「悩む事は無い。どんな名前でも、愛着を持っていれば文句はあるまいよ」

「……名前ですか……」

「長考する事か? 人名と同じだ。願望や希望を込めて、名付ければ良い。鞄なのだから、
 例えば『沢山<メニー>』とか、『無限<インフィニティ>』とか、『長持ち<ラスティング>』とか」

「…………パックンは、どうでしょう?」

「私に尋ねて、どうする? 君が決めたのなら、私が口を挟む事ではない」

「バックパックなので……」

「良いんじゃないか?」

「……でも、呼ぶ機会は無いと思いますよ?」

「構わん。名付ける事が重要なのだ」

431 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:55:53.46 ID:Qay7QLkZ.net
『象魔法<エルフィール>』


象魔法とは旧い魔法の一で、使い手は事象の魔法使いヴァイデャ・マハナ・グルート。
容無き物に容を与え、命無き物に命を与え、逆に物の容や命を奪う事も出来る、
極めて概念的な魔法。
この魔法は物の性質を抜き出したり、加えたり、移したりするが、元から無い物は与えられない。
例えば、醜い物から醜さを取り除く事は出来ても、美しくするには、他から足す必要がある。
苦さを抜いても、甘くはならない。
熱さを抜いても、冷たくはならない。
痛みを除いても、快感は得られない。
恐怖を除いても、勇気は得られない。
一方で、弾性や剛性を完全に失わせたりは出来る。
鋭さを失わせれば、棘の上でも裸足で歩ける。
彼の象魔法では、抜き出した性質は、特別な処置を施した上で、新たな宿主を与えない限り、
元に返ろうとする。
ヴァイデャは象魔法とは別に、抜き出した性質の保存方法を心得ており、それを閉じ込める、
専用の魔法瓶を持っている。
万能に見えるが、扱える性質の規模には限界があり、それは性質の種類によっても異なる。
基本的にヴァイデャの使う象魔法は、世界全体を塗り替える様な大逸れた物ではなく、
個々の性質を弄る物に過ぎない。
それ以上の事が出来るかは未知数だ。

432 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 19:57:01.83 ID:Qay7QLkZ.net
このスレは、ここまで。
また次スレで。

433 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 22:23:51.49 ID:FXoCF98R.net
おつです

434 :創る名無しに見る名無し:2015/09/03(木) 22:50:17.57 ID:IXy8uzVI.net


膠原病の少女、強くなりそう

総レス数 434
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